はてなキーワード: 愛知県出身とは
私はしないかな、する時は皮肉やパロディ目的で架空の主張かもう歴史の中のものだと思う。
以下は私がそんなにしない理由です。
そういうことがしたいと思う他の人は勝手にしたらいいと思います。
別に政治的な表現が含まれるだけで嫌いになるわけでもないですし、
あったら意識高さが伝わって来て嬉しいとかもないです。
ちょっと気を付けとこ。」と思うじゃないですか。感覚としてはそれ。
もちろん思想の内容面では全く異なり、もっと人道的なものだと思います。
さて多くの場合、オリジナルに比べて二次創作のキャラクターの方が知名度があります。
思想を持ってる人にキャラクターやコンテンツの素晴らしさが伝われば素敵ですよね。
しかし、寄ってくるのがいい人もしくは同調してくれる人だけとも限りません。
政治運動に限らず二次創作でも、解釈違いの奴や意図を汲み取らない奴、
最後まで見ない読まないって奴どこにも絶対いるじゃないですか。
キャラも公式も悪くないし、社会派オタクくんもそんなことは望んでないだろうに。
例えば古風なキャラを先進的な思想の持ち主に改変してあるファンアートを見て、
「このキャラって、保守的で封建的で考えが古くて、時代錯誤なところが魅力
だったのに、なんか現代的な価値観に染まっちゃったんだ。なんか残念だな。」
と思われることもあるかもしれません。意図的にそういう改変してるならともかく。
ぶっちゃけ私自身も、雑な社会運動してる二次創作でイメージが悪くなったキャラや作品もあります。
残念ながらインターネットに一度アップした以上、悪意があろうとなかろうと、
二次創作の作者の手を離れて拡散・無断転載・意図せぬ解釈などされてしまうことがあります。
自分の知らないところで、自分の二次創作が他人を喜ばせたり不快にしているって、
そういった不幸なすれ違いを防ぎ、自分の管理下に置ける、法的にも問題がない
と言う意味ではキャラクターを使うよりもオリジナルの方が少しは安全なのかな、と思います。
そもそも公式の温情で二次創作という犯罪行為をお目溢ししてもらってる立場なので、
実社会との接点を持つような創作物は扱いが難しいのかな、と個人的には思います。
揉めた時に間に企業が入って対応してくれるのも個人の匿名性が守られて安心だから、
やっぱり公式に任せるかなぁ。
昔、エロBL同人に「実体験に基づいた描写です」って書いてあるのに近しいもの
を感じます。エロ漫画の作者の顔を知りたくないとか、絵師は自我出すな、
みたいな気持ちとも近いかもしれません。私は知ってても抜くが…。
せっかくのお休みなのに仕事の話をずっとされるような感じとも言えます。
個人的な体験で恐縮ですが、数年前に虚構と現実の区別がついてない人間に
「私はメンヘラロリコンのレズだ」と思い込まれ、あたかも私がそのオタクを性的な目で
見ているかのように振る舞われたり、粘着されたりするという不快な出来事があり、
無事トラウマになりました。虚構も現実で創作活動を行なった結果なので、
完全な虚構としての創作物というものは存在しないのかもしれない。
だから狂ったように女体化ロリ同性愛二次創作などを描く私を、彼女はロリコンのレズだと思い込んだのかもしれない。
それは勘違いさせてごめん。それはそうとして顔も知らん会ったことのない人間と
あと、LGBTに理解があることと趣味で腐女子やってることを混同する奴いるよな。
あれ嫌い。愛知県出身って言ったら勝手に名古屋出身だと勘違いされるみたいな…。
なぜか私個人の身の回りの離婚率が異様に高く、友達も知ってる限りで片親や毒親の方が
過程環境に問題のないご家庭と比べて、比率が高い状況です。未婚率も高い。
私自身も片親です。結婚をすることによって税金年金の免除などの多少のメリットがあるにせよ、
親戚付き合いや介護など、結婚することによって生じるデメリットが大きいのでは?
と思っています。どうせ配偶者は所詮他人なんだし、死ぬ時は一人なんだからその過程はどっちでもいいかな。
このように終わった結婚観なので、結婚が実現した後二人はどのような幸せな生活を送るのでしょうか?
現実の話でもフィクションの話でもいいけど、オタクくんがどういう社会を築きたくて
なんで?なんのために?気まずくない?
品定めや口出しされるのも腹立つし。
現ジャンルは、アイドルゲームなのになぜか政治軍隊革命君主その他犯罪行為に
かかわるキャラクターで構成されており、今はお腹いっぱいだから。
私は二次創作に啓蒙的な役割を求めてないので、現実性や政治的なメッセージを
過度に入れ込むことはないのかな、と思います。デメリットもでかいし。そういう
実用的な知識や問題提起はオタクくんの描いた創作物楽しませてもらってからゆっくりしていい?
とりあえず今回は活動的で声の大きい方々が暴れて悪目立ちしただけだと思っている。
もちろん主張し続けること自体は大切なことだと思うのですが、私はやらないかな。
オレオレFC・MF加藤が今季限りで現役を引退することが分かった。クラブ一筋15年間、J2、J1昇格を経験し、最多の358試合に出場したレジェンドが15年間の現役生活に終止符を打つ。すでにクラブ側には現役引退の意思を伝えており、明日にも会見を開く。また、クラブ側は新たに来季のポストを用意することも判明。引退セレモニーを開催することも決まった。
加藤は愛知県出身の33歳。高校を経て2007年に当時、創設初年度のオレオレFCに加入。3年目からレギュラーに定着し、司令塔として数々のチャンスを作り出し、主将も経験。チームのJ2、J1昇格に主力として貢献した。
しかし、2020年に左膝を負傷し、手術。全治8ヶ月の重症で、復帰後は本来の力が影を潜めた。その間、中盤はMF山本、宮城ら若手の台頭もあり、出場機会が激減。それでも8月20日の清水エスパルス戦では敗色濃厚のチームを救う同点ゴールを決め、勝ち点1に貢献。熾烈な残留争いを繰り広げるチームの状況下にあって、持ち前の明るい性格でチームを盛り上げるなど、ムードメーカーとして牽引した。
プロ15年間で積み重ねてきた出場数は358試合。35得点を挙げ、99アシストはクラブ最多の数字。クラブに記憶と記録を残した加藤が、現役生活に終止符を打つ。
【オレオレFC】MF山本「やり返したい」29日川崎戦 退場、OGと不完全燃焼だった昨年のリベンジだ
オレオレFCは29日ホームに昨年王者・川崎フロンターレを迎え撃つ。28日はオレフィールドで非公開で練習した。チームはリーグ戦9試合負けなしと最高の状態で臨む一戦。主将のMF山本は「勝てば、自分達の価値が上がる。(負けなしを)どんどん伸ばせば優勝争いにも絡められる」と昨年王者との一戦に腕を伏した。
昨年チームは川崎相手に2敗。通算でも1分5敗と勝てていない。山本にとって、昨年は苦い経験しかない。0ー1で敗れた4月の等々力での試合は自身が退場し、その後、決勝点を奪われて敗れた。0-2で敗れた8月の試合もオウンゴールを犯し、流れを失ってしまった。2度の悔しい敗戦にも、「チームに申し訳なかった。でも、あれが今の自分の成長につながっていると思います」と話す。
神奈川県で育ったが、無名だった彼に川崎はおろか、横浜FM、横浜FC、湘南にすら声がかからなかった。それでも16年に入団してから6年。中でも19年、クラブ初のJ1初陣が川崎(△0ー0)であり、その一戦に途中出場した事は「キャリア通じてその試合が一番印象深いですね」と振り返る。その後はボランチ、トップ下を中心に定位置をつかみ、キャリアを重ねてきた。今季は背番号を10に代え、チーム最多の4ゴール6アシスト。主将としてもチームを牽引するが「もっと伸ばしたい」と貪欲だ。
明日は、クラブにとっても今後の行方を左右する重要な一戦となる。川崎は、前節、25日の湘南戦でまさかの大敗。現在3敗と過去2年と比べれば陰りが見えているが、山本は「当然、相手も明日の試合にかける思いはあるので、油断はないです」と話しつつ「湘南がやったように、相手をのみ込むぐらいの勢いを持って入りたい。リスペクトはしますが、僕達のホームで負けるわけにはいかない。勝つための準備をします」と、並々ならぬ思いを口にした。チームのためにJ1王者にも真っ向から挑んでいく。
DF伊藤が全体練習に合流した。伊藤は8日の神戸戦で右足甲を裂傷し、3針縫った。19日に抜糸を終え、段階を踏んできた。練習後、伊藤は「痛みはない」と完治を強調。相田満博監督も「動きも悪くなかったので、(来月1日の)天皇杯で」とヘズと対戦する天皇杯初戦での復帰が濃厚となった。
オレオレFCはDF渡辺が2023シーズンの新加入を発表した。
愛知県出身の渡辺はFC中京の下部組織出身で大学に進学。187センチと長身を生かしたヘディングとロングフィードの精度に定評のあるセンターバック。3年時からオレオレの練習に参加していた。加入内定にあたり、クラブ公式サイト上で次のようにコメントしている。
「幼い頃からの夢であるプロサッカー選手としてのキャリアをスタートできることを大変嬉しく思います。私自身、この感謝の気持ちを忘れずに、これからは責任と自覚ある行動をしていきたいと思いますので、応援よろしくお願いいたします」
旦那の卑屈さが辛い。
旦那とは新卒の頃友達の紹介で出会った。一個上の優しくて真面目でおおらかでのんびりした人。同じ愛知県出身で、東京の大学に来て、そのまま就職して地元に帰らなかった人。
何年か付き合って無事結婚し今年で結婚5年目。去年まではのんびり楽しく暮らしてたが、最近旦那が、自分を卑下する発言が多くなり辛くなってきた。
それまで私達はお互いの年収の話をしたことがなかった。生活費はお互い決めた額を同額を出してそこから使い、余ったら貯金というスタンスだった。結婚式もしなかったし、お金のかかる趣味もなくて、出しあった生活費も自分の手元に残してあった分も、普通に生活してれば余るぐらいだった。
結婚前の話し合いでお互い子育てする自信がないという話になったことから、子どもは作っていない。だから教育費もかからない。なんとなくでしかやってなかった貯金も、30歳までの額を見たら自分達の老後の資金ぐらい大丈夫そうだなと思ったし、あんまりお金のことを深刻に考えたことがなかった。
転職のきっかけは理不尽なことが重なったことと、尊敬していた先輩がやめたこと。仕事内容自体は嫌いじゃないけどキャリアが描ける部署じゃなく、先が見えないなか同じ環境で踏んばる気力がなくなってしまった。つまり家庭事情は全然関係ない。
転職にあたって日常会話のなかで少し旦那にも相談することはあった。恥ずかしながら目標があって辞めたわけではないので、同じぐらいの給料がもらえればいいかと思って求人サイトに登録していると、それを見た旦那が「その給料で雇ってとらえるところはないと思う」と言ってきた。たぶんこれがはじまり。
退職を決めた年の私の給料は残業代込み額面で550万程度。特に高いわけじゃないけど、何か特殊な技術や資格があるわけでないので充分もらってたと思う。
「女性で、文系で、30歳で、転職したらその金額はもらえないよ」と旦那だけじゃなく周りから何度も心配されたし、確かにそれは的を得た意見だった。実際自分が狙っていた中小企業だとそういう求人は少なかった。でも運よく狙いの企業に入ることができて、給料はほぼ据え置きにしてもらえた(額面では20万ほどあげてもらえたが見なし残業で残業が増えたのでトントンだと思う)。
私の転職が決まった頃から、彼の自分を卑下する発言が増えていった。
最初に「すごいね、俺なんか踏み出す勇気ないし特に誇れるものもないから」と言われたときは誉めてもらったんだと思って頑張るねと答えた。今でも覚えてるけどお祝いに作ってくれた夕飯の餃子を食べてた時だ。私は餃子が大好きで外でもよく食べるけど、彼の作る餃子は特別においしい。
外食すれば「あんまり稼いでないからいいとこで食べさせられなくてごめん」
(私が選んだ店でも)
家でご飯食べてると「俺の方が給料低いんだから俺が作るべきだよね、ごめんね」
(生活費折半なのに、逆に私が給料低かったら家政婦扱いなの?)
親子連れを見れば「俺が金持ちだったらなんの苦労もなく子どもを育ててやれるのに」
(子どもいらないって言ってたのに…)
(海外行かないのはどちらかというとお互いの休みの予定が合わないことが大きい)
不動産屋の前を通れば「友達が家買うって言ってたけど俺はそんな稼げないしなぁ」
共通の友達と一緒に遊んでてもことあるごとに「増田ちゃん俺より稼いでるからさ」
(脈略なくいうのでとても反応に困る)
最初は年収比に応じて生活費を出せと言われているのかと、自分の生活費の比率を挙げることも提案したけど、これは完全に悪手だった。言った瞬間傷つけたと分かる顔をしたし、これまでの発言は年収コンプレックスを発揮してるのだと思い当たった瞬間でもあった。
考えてみれば昔から学歴コンプのきらいはあった。彼は理系のMARCHクラスで、客観的に見ればコンプになるような学歴ではないんだけど、これは環境によるものが大きいと思う。
地方はどこも同じような傾向があるかもしれないけど、私たちが育った愛知県の公立高校は国立大至上主義で、東大名大合格実績がものを言う。彼のような進学校の理系では名大、最低でも名工大に行かないと、と本気で言われる場所だった。学費の問題ではなく、面子の問題でそう言われる。
私も似たような境遇だけど女だったことも親が東京出身なこともあり、あまり強く国立コンプはもたなかった(そうなると今度は女子に下宿させてまで東京の私大行かせるの?とか言われるのだけど)。
大学出たてで出会った頃、彼から「社会に出てから相手探すより同じ大学の男のが将来性あるんじゃない?もったいない」とか何度か言われたことを思い出す。「浪人せずに私大に決めたから地元の友達に会いたくない」ともよく言っていた。
その度に学歴よりも今どういう人なのかとか何を頑張ったかじゃない?みたいにそれらしいことを言ってきたけど、なんて返すのが正しかったのかよくわからない。
「もっと頑張ればよかった」は最近の彼の口癖だが、とても真面目な人で生活もちゃんとしてて仕事もサボってるわけじゃない。外聞を気にしてるんだろうけど、学歴も、職歴も、年収も別に悪くないはず。主観で頑張らなかったと後悔しているのであれば、頑張ってねとしか言えない。
私は未だに彼の年収を正確に聞いていないけど、諸々の会話から450~500ぐらいだろうと思ってる。向こうも、折半の生活費を出しても暮らしに余裕はあると思う。お金のかかる趣味を持ってないのはお互い様なので、たぶん。
どうしたらいいんだろう。
前みたいに楽しく暮らしたい。
いちいち卑屈にならないで欲しい。
サンドイッチ買って公園で食べて、ぼんやりして、それで楽しいじゃん。
レンタカーで名古屋まで交代で運転して、SAでご飯食べたり好きな音楽聞いたりしながら帰省するの楽しいじゃん。
生活に困ってないし家族もいるし友達もいるし余剰金もある。これ以上何が必要なの?
結婚するとき、この幸せな気分を一生覚えておこうと思った。この優しい人を一生大切にしようと思った。
文章にしてると本当に些細な愚痴に思えてくる。こんなことで嫌なりかける自分が更に嫌だ。
でも辛い。
なんて言って欲しいの?どうしたら満足してくれるの?
直接聞けばいいのはわかってるけど、私から出す生活費を増やすと提案した時の顔が忘れられず、君の収入コンプが辛いなんてはっきり伝えたらそれこそ終わりそうな気がしている。
俺はイチローと同学年、愛知県出身、小学校から野球をやってた。
なのでイチローを中学生の頃から知ってる。向こうは知らないけど。
野球やってるやつだけじゃなく野球好きのおっちゃんおばちゃんたちもイチローが中学生の時から、「あれはプロに行くがや」「中日行くでサインもらっとかないかんて」といつも言っていた。たしかに飛び抜けてうまかった。イチローがオリックスに行った時は、みな口々に「中日アホだがや」と怒り、オリックスで活躍しだした時は、「ほら見い。言った通りだがや」と中日に呆れ、メジャーに行った時は、「アメリカから帰って来たらやっと中日だがや。」と他県に進学、就職した息子が修行して帰って来るような期待と誇りを持って応援していた。
俺はその後野球はやめて進学し、サラリーマンになった。野球よりも楽しい事もあったしあの当時愛知県出身のプロ野球選手はまぁまぁいたし、忙しくなってそこまでイチローのことに興味はなかった。
イチローがシアトルに行った年にちょうど俺もカナダに転勤になった。海外には住んでみたかった。留学は金がかかって無理だったから、話が出た時は飛びついた。海外転勤なんてエリートみたいに聞こえるが、小さい漁業系の会社でまわりは漁師や加工工場のおばちゃんたちしかいなかった。給料なんか平均以下だし俺の英語もままならないし、知ってる人もいないし、大手企業じゃないから手続きやらなんやらほとんど一人でしなければいけなかった。疲れきって空っぽのアパートに帰って自分とこの缶詰や加工食品を食べながらテレビを見たら、なんとイチローが出てる。でもイチローとは呼ばれていない。最初はイッキルーみたいな発音で呼ばれていた。で、俺の英語力でもわかるようなバカにされ方をしていた。小さいけど大丈夫?wとか、はーい!2塁打!がんばりましたねwみたいな。マリナーズがお金をもらってイチローを出させてるみたいな話もあった。
俺は俺の知り合いみんなが誇りに思っている昔の試合相手をバカにされてまじでムカついたけど、そうなのかもしれないとも思った。あんなでかいやつばかりの中でやっていけるわけがない。やっぱりメジャーと名電は違うわな。イチローも俺も名古屋に帰ってイチローは中日、俺は名古屋でトヨタ系かなんかに再就職して、またみんなで近所の飲み屋でイチロー見ながらワイワイやって、ながれでバッティングセンター行って、地元の子と結婚して子供が生まれて野球やりたいって言ったら野球やらせて、みんなでバーベキューに行ったり、釣りに行ったり...
ホームシックになった。
ホームシックになったからと言って帰る度胸は持ち合わせていなかったので、しょうがなく毎日働いた。そのうちいつも酔っ払いの漁師が「おい、イッキルー知ってるかお前。あれ日本人だぜ。すげーな。俺はホッケーしか見ないけど最近は野球も見てるんだ。」とか工場の休憩所でスポーツニュースのダイジェストが始まるとおばちゃんたちが呼んでくれて、「あの日本人小さいのにすごいわねー!」とか言ってくれて、そのうち俺も拙い英語で、俺も野球やってた事、イチローと試合した事がある事なんかを話せるようになっていた。
英語力の事じゃなくて俺の話を聞いてくれるようになってたって事。
その頃すでにスポーツニュースのダイジェストでイチローのファインプレー特集みたいのが急に多くなっていて、カナダの片田舎でもみんながヒューヒュー言いながらイチローの活躍を見ていた。
数年が経ち俺は帰国する事になったけどイチローは悪口も言われてたけど、それは相手チームの悔しまぎれの悪口で大活躍のままだった。
帰国すると思ったら今度は東南アジアに行かないかと言う話になって、また一から異国でやり直しになった。とはいえなんとなく外国人でいる事に慣れてきていたので、初海外よりは早く慣れた。早く慣れたのが良かったのか悪かったのか、人生初の大恋愛をした。
薄給なのは変わらなかったが仕事もまぁまぁこなせるようになって、彼女もできて、大人として少し自信がついた。結婚を申し込もうと思った矢先、彼女は事故で死んだ。
俺も死ぬと思った。彼女を突然失った事は内臓が口から出るような苦しみだった。未だにこれに関しては思い出したくない。
そんな時WBSがやっていた。テレビなんか見る気にならなかったけどたまたまついていたNHKでやっていた。野球だからやっぱりついつい見た。
そこにイチローが登場。俺は東南アジアの硬いタイルの床に正座して見ていた。イチローの気持ちと俺の気持ちなんか全く関係ないけど、一瞬リンクした感じがした。
俺は号泣した。
イチローがアメリカから日本に帰ってきたら中日に来ると信じてたおっちゃんは去年亡くなった。俺がカナダに行く時に使った小牧空港はとうに使われていない。昔虫捕りをした山はカフェだらけのおしゃれな街になってる。同級生はハゲたり太ったり。味仙に関しては相変わらず美味い。
「パパこの人のこと知ってるんだよねー!」
「うん。イチローはパパのこと知らんけどね。でもパパの人生にはイチローがおるんだ。」
「よくわからんけど」
日常会話で「東京のディズニーランドに行ってみたい」と千葉県民に言うと「東京ディズニーランドは千葉県にある」という厳密さを指摘してくるかもね。
愛知県出身だと聞かされて「じゃあ名古屋生まれ?」と聞いたら、相手は「尾張じゃなくて三河だよ」くらいの厳密さを要求してくるだろうね。
「東京名物と言えばとらやの羊羹だ」と京都人に言えば「とらやはもともと京都にあって…」という厳密さを適用されるかもしれないね。
「状況に応じて相手が不快にならないような言動をなるべく心がけましょう」というだけじゃん。難しいっちゃ難しいけど普通のことだよ。
民進党の長嶋氏が離党して、細野豪志代表代行が代表代行をやめました。
共産党との選挙協力が原因ですね。細野さんは憲法改正問題を取り上げていますが、じつは共産党に対する嫌悪感があるんじゃないの?
山尾さんもかつて検察官でしたから判例の勉強で共産党の過去の犯罪を学んだことでしょうから共産党と選挙協力することが自身のイメージダウンにつながることは十分理解していることでしょう。
幸い、愛知県には16人もの民進党の国会議員がいます。5人以上集まれば新党が結成できますよね。
大丈夫。衆議院愛知11区古本伸一郎議員を味方にすれば大丈夫。古本議員はトヨタ労連がバックにいますからね。
民進党が愛知県で選挙に強かったのはトヨタ労連をはじめとする製造業の労働組合が強かったからです。
だから、山尾志桜里さんは古本伸一郎議員たちに声をかけて、愛知県出身議員を主体に「民社党」を立ち上げましょう。
全国の民進党の中の保守的だけれども労働者のことを大切に考えている議員たちは、きっと賛同していくれますよ。
増田なら山尾さんが読んでくれるかもしれないと思って書きました。
小柴昌俊 ── 東京大 ── 愛知県生まれ神奈川県・東京都育ち(1歳から小4まで東京/中学から神奈川/高校東京)
利根川進 ── 京都大 ── 愛知県生まれ富山県・東京都育ち(小学校富山/中学から東京)
白川英樹 ── 東工大 ── 東京都生まれ岐阜県育ち(小3から岐阜)
朝永振一郎 ─ 京都大 ── 東京都生まれ京都府育ち(小学校から京都)
下村脩 ─── 長崎大 ── 京都府生まれ長崎県育ち(幼少期に長崎/中学でまた長崎)
根岸英一 ── 東京大 ── 満州国生まれ神奈川県育ち(小学校から神奈川)
東京大7
京都大5
名古屋大2
■生まれ
大阪府2
■育ち
京都府3
http://kamomenome.exblog.jp/14156659/(元ソースから間違いを修正)
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湯川秀樹(出生地:東京都)両親は和歌山県 ※中間子論は計算間違いであった
江崎玲於奈(出生地:大阪府)親は大阪府、三重県 ※助手のアイデアのパクリ
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下村脩(京都)両親は長崎県 父が福知山連隊所属のため京都生まれ
根岸英一(満州)親は東京都、本籍は日本橋、目黒の根岸家に戦災で親戚が大勢つめかけたため神奈川移住
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わたしは1926(大正15)年9月19日に、愛知県の豊橋で生まれた。軍人だった父の
小柴俊男がそのころ豊橋の陸軍第18連隊に所属していたからだ。
母親は、はやといって、千葉の木更津の農家の末娘だった。木更津高等女学校を出て、
父と結婚した。どういうなれそめで知り合ったのかは知らないが、父も千葉の館山の
父は農家の三男に生まれて、中学に通うのも親せきの造り酒屋で小僧代わりに働きながら
学費をだしてもらった。さらに進学する学資はないから、学資不要の陸軍学校へ進んだらしい。
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祖父の塩川三四郎は1873年生まれ、政治家を志して長野県から上京し、東京帝国大学法学部を
卒業した。そして、渡辺千秋(長野県出身)の次女・千夏と結婚した。
「野依」は母方の血筋で、福岡県の東部、築上郡吉冨町に行き着く。「立野屋」の屋号をもつ
庄屋で酒づくりをなりわいとする大地主であった。
(野依良治『私の履歴書 事実は真実の敵なり』日本経済新聞社)
http://kingendaikeizu.net/gakusya/noyori.htm
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E6%9D%91%E8%84%A9
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朝永振一郎の父三十郎は、東京で真宗大学在職中に旧川越藩士大枝美福の長女ひでと結婚している。
朝永振一郎「なぜ京都にいながら東京弁使っているかっていいますと、おふくろが埼玉県生まれで、
おやじは長崎生まれで、中学の頃東京に出て、ずうっと東京にいた。そういうわけで、家庭では
東京弁を使っておりました」(『回想の朝永振一郎』みすず書房)
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私の父は仏壇屋の家業を継ぐのを拒み、文学者になろうと家をとびだした。東京で私が生まれた。
母は福島県の出身だった。しかし私が2歳のときあの大震災に遭い、一家はやむなく福井に戻った。
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利根川勉「私の親父は守三郎といいまして、福山藩(広島県)の貧乏侍の息子でした。ところが
同じ貧乏侍の利根川という叔父に子供がなくて、岡本という家から養子に行きました。
家内の父方は弘前藩士(青森県)の家系でした」(利根川進受賞時に父・勉氏へのインタビュー)
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北大理学部を受験した時、母は「落ちてくれ」と本気で祈っていた、と譲さんは明かす。
恩師は「章君を大学に進ませて」と勧めたが、家計に余裕がない。町で理髪店を営んだ
山形県出身の父の定輔さんは1946年に51歳で死去。長男の鈴木さんは16歳だった。
(「タウンガイド札幌2010年10月11日)(母ナエも山形県出身)
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