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2022-01-11

今朝、祖母が死んだ

医師によって白い布を取り去られたその顔は、ありきたりだけどまるで眠っているようだった。

閉じきれずほんの少しだけ見える瞳は黒く、力なく開いた下顎から察せる口内はほとんどの歯が抜け落ちてくぼんでいる。

祖母は一昨年、口底癌で放射線治療を受けていた。

80を超えて、ステージⅣの口底癌を患ったものの、なんと再発の恐れはないとまで言えるほどに癌と戦った。認知症の症状こそ出始めていたが、元より辛抱強い人だった。それでも当時「いやだなぁ」とぽつりと呟いた声を私は覚えている。

癌も辛いし、放射線治療も辛いよね。それでも受けてくれてありがとう

2分前に自分が何を言ったか覚えていてくれてなくても、私が孫だってあんまりわかってなくても、骨と皮しかないようなその手で握ってくれた手は暖かかったよ。

あの時よりももっとやせ細ってる気がする。

コロナ禍の所為で面会もできないし、一度だけしてもらったオンライン面会ではこちらの声に全く無反応で、タブレットを持ってくれていた看護師さんに促されて奇跡的に「んー」と返事をするだけ。

さな私を叱るときに三階の窓から雨の中ランドセルを投げ捨てたあの力強い生命力はどこにも感じなかった。でもなんていうか、今でもあれはやりすぎだったと思うよ。

それでも何の苦悩も見えないその安らかな表情は、悲しみと同時に安堵も招き、ただはらはらと頬を熱く濡らした。

横たわる身体にかかった布の柄が細かいせいで、若干錯視じみている。ぼーっと見てれば不意に布が上下したようにも見えた。

まるで眠っているのではないかとまた錯覚を覚える。

薄く開いた瞼から除く目を見るのが怖くて、頭上寄りにパイプ椅子を置いて座り直し、角度的に物理で見えなくさせた。

顔をしげしげと見下ろすと、眉毛が一本だけ白く伸びている。どうせなら整えてあげられればよかったのに。

こんな時に限って出てくるのは涙で、あとはそのためのハンカチだけ。

ガーゼ生地に涙と同じだけの鼻水を吸わせつつ、そっと髪の毛に触れた。

柔らかい

80後半、パーマヘアカラーもしてないその髪は猫っ毛のように柔らかくて、結構黒髪も残っている。すごいねぇなんて撫で付けると頭皮からひんやりとしていて、冬の外から帰ってきたみたいだなぁとぼんやり思った。

おばあちゃん、死んじゃったんだね。

旅支度だと手伝った際に触れた肌は皮がたるんで柔らかいのに、芯まで冷えていて涙が止まらなくなった。

あと死装束って言いたいのに何度も死覇装って言ってごめんね。貴女勝手死神にさせてしまたことを恥じています。こんな孫ですが、まだ可愛がってもらえますか?

喧嘩もしたし嫌いなとこもあるけど、大好きだよおばあちゃん

また明日、会おうね。

車に疎い主婦がカーオークションで車を売ってみた話

経費削減&そろそろ寿命なのでセカンドカーで使っていたオンボロの軽自動車処分することにした。

買い替えではないので下取りとか気にしなくていいし、勉強も兼ねてお小遣い増やせたらいいなと思ったのだ。

車検で世話になっている整備工場では1万円で買い取ってくれるという話だったが、欲深い女なので何社か見積もりを取ることにした。

A社:せいぜい1万、ツテを当たればワンチャン2万で買取できるかも

B社:1週間以内にイエスと言ってくれれば3万で買い取る。ただめっちゃ押しが強くて怖かった

とまあピンと来ないままぼんやりしてたら某社のカーオークションやってみませんかという話が来た。

セルフ出品とやらで、色々なアングルで車の写真を撮ったりしてデータを送ると出品表が作られてオークションにかけられるらしい。

希望価格を設定し、それ以下なら断ることも可能という事でダメもとでチャレンジ

写真撮りはポンコツ素人にはなかなか難しく、ボンネットの開け方を思い出せずに夫に泣きついたり、警告灯が消えなくてやはり夫に泣きついた。

無事に出品表が出来上がり、オークションにかけられた結果買取金額35000円となった。

手間の割に大差ねえな断るかと思ったら電話が来て、

「値上げ交渉した結果、今日中にOK出してくれれば46000円にする。10万以下の車は原則ノークレームノーリターンから安心してくれ。」

という。まあよかろうと思い承諾。

ところが届いた契約書には買取金額35000円の表記。おおッと不穏だ。

(まあ…損にはなってないし、これで嘘こかれたら差額分は話のタネにしたろ)と思いつつ書類を完成させた。

というかここで断るとおそらく違約金がかかって大赤字になるので後に引けない。

そんなこんなで書類を完成させて車を軽くきれいにして、

車がドナドナされたわけだが振り込まれ金額は…

「35000円」

やっぱりぃ?電話越しで言われたことだったか証拠残してなかったし、35000円で契約書にサインしてるしなぁ…

と思いつつ、お小遣い欲しさにダメもとで問い合わせてみた。

一応電話くれた日付くらいは表記して、こっちに非があるんだろうけどぉ…ねぇ?って感じのメールを書いた。

速攻で返事が来て、「記録が残っている。反映してなくてすまんな。差額振り込むで」

とのことだった。そして差額が振り込まれた。

結局無知な女をだまして値切りたかったのか、素でうっかりしてたのかはわからないが前者のような気がする。

でも前者なら中古車業界アコギすぎて怖い。

とりあえず得したお金で、手伝ってくれた夫に美味いもの食べさせてあげようと思っている。

またオークションで車売りたいかと言われたら微妙。めんどかった。

anond:20220111122901

視野の中で解像度が高く文字図像情報がしっかり読み取れる範囲

中心点付近のほんのせまい範囲しかない

そのほかの周辺視野はぼんやりしか認識できておらず脳が記憶予測を元に補っている状況

中心部情報に長時間集中して周辺への注意が薄れた状況では、

周辺視野への脳の補完がおろそかになるので存在していないように感じることはよくあること

2022-01-10

Good Bye My Teens

西武新宿のこの場所にくるのは、随分懐かしいねアキちゃんは元気かな?



−懐かしいね。どうだろう。器用だからね。きっとうまくやっているんじゃないかな。

コーヒーなんて美味しくもなかったけど、一番安いからといって我慢して飲んでいるうちに、すっかり中毒だよ。


大学受験の時、独学で浪人をした。よく勉強をしに来たね。19時半に仕事が終わって、1時間かけて新宿まで戻ってくる。電車の中で問題を解いて、閉店23時までの2時間半を、答え合わせと復習の時間に充てる。古文が壊滅的だった。現代文ばかりに費やしたツケがきたね。偏差値はガクッと追い抜かれて、焦ってた。

平塚ではちゃんぽんを奢ってもらったね。当時、19歳なのに26歳だと思われてさ。相当くたびれた浪人生活だったんだろうね。応援してくれた。

仕事の先輩に山崎さんがいたね。当時はクソ舐め腐ったことを言ってしまったけど、すごく救われた。生き方を教えてもらったようなもんだ。本人は全く自覚がないだろうけど。山崎さんにも、奢ってもらった。お酒を飲んだ。

初めて飲んだお酒地元の集まりで行ったはなのまいで、いちばんいたことがあるからっていって、カシスオレンジを頼んだ。ビール全然飲めなかった。年確はなかったから、なんとか入れたんだっけ。

今では家にラフロイグボウモアが常備されているし、魔王水割りで飲んでいる。勇者よりも魔王が好きだからね。バーにいけば、ギムレットを飲む。マティーニもだっけ?マティーニ店員さんによって味が違うんだ。微妙にね。僕は辛いのよりも甘めのほうが好きだね。ギムレットを飲むようになったのは、小説の影響なんだっけ?




2年もかかった。今日のこの日は大雪だった。東京でも類を見ないほどの大雪で、2~3回しかいたことのない革靴はすぐにぐちょぐちょになった。コートを持っていなかったから、ジャケットだけで、寒かった。高校卒業式東日本大震災で中止になった。僕たちはそういう代だった。としまえんは閉店したよ。この戦争の影響でね。もちろん、ずっと前から言われていたことだったけど。とにかく大変だった。社会はとてもつめたくて、残酷で、どうしてこんな思いをしなきゃいけないんだろう、って思ってた。それでも希望だけは忘れまいって、すごく大変だったけど、なんとか切り抜けることができたんじゃないかと思う。どうだろう?



−どうだろうね、結果なんて誰にもわからないというか。どの地点の結果を見るかによるしね。



今でも夢に見るよ。もう一回やり直す夢を。なんでそんな夢を見るのかわからないんだけど。多分、まだ終わってないんだと思う。



−なにが?



なんだろう、抗いが?

うん、きっとそれだと思う。自分が何と戦っているのかについて、戦っている本人がいまいちよくわかっていないっつーことはあるあるなんだ。昨日の晩御飯に何を食べたかからなくなるくらいにはね。


同様に、自分が今までどうやって生きてきて、結果としてどうなって、今どうしているから、これからどうなるだろうかなんて、誰もよくわからないはずなんだ。

自分だって、まったく見当もつかなかった。そうでしょ?



−うん。



思うに、遠回りをしちゃったんだと思うんだよ。だけど、自分しか通れない道だったっぽくて。



−どんな道のりだったの?



話すとだいぶ長くなる。結論から言えば、仕方なかったんだ。



−仕方なかった。





そう、仕方なかった。

仕方なかった。




ただ、そう悲観的に捉えていたわけじゃないんだ。なんつうんだろう、ほかに方法がないかをずっと探していたんだ。普通そんなことしようとは思わないじゃん?でもさ、僕はずっと不思議だったんだよ。どうしてそんなに平気な顔をしていられるんだろう?って。自分がまだクソガキのままで、自分が考えなくていいようなことを、もしかたらみんなは一度は考えたことがあったり、自分なりに答えを出していたり、なにかしら割りきったりしているんじゃないかって。




−言っていることはすごくわかるよ。




そうだよね。だから時間がかかった。簡単に言えばね。答えがでたわけじゃないんだ。いや、答えなんて最初からないんだと思う。答えがあるように感じてしまうのは、僕のよくないところなんだろうね。おかげで、前に進めるようになったんだ。




−それで、なにか教訓のようなものがあるとしたら、それはなんなの?




どうだろうね、あるのかないのか。たくさんありすぎて話しきれないかもしれないし、もしかしたらなんの一つもアテになることがないのかもしれない。

一つ言えることがあるとしたら、僕は僕の幸せのために生きているということだけかもしれないな。



−本当に?





多分ね。もし僕がそんなことを言い出したらびっくりするかもしれないけど、きっとそういうことなんだと思う。自分幸せのために生きている。そのことをずっと忘れていた。そういうことだと思う。





−それじゃあ、あんまりじゃないか





から時間がかかったんだよ。自分だって、何を言っているのかよくわからないけど、そうとしか説明がつかないんだ。それに、もしそこにこだわってしまったら、うまくいくものもうまくいかなくなるかもしれない。こういうのにはきっと順番があるんだよ。






−そのことはどうでもいいって決めてたはずじゃん。






そう。そうだったはずなんだよ。でももし、自分が一番にこないといけないシチュエーションが仮にあるとしたら。それを10年も前から想像がついたと思う?想像がつかなかった。その手の生き方存在していることに。自分はあまり無知無能で、世の中のコトワリに無頓着なまま、漫然と構造的な理不尽に対して敵意を向けたまま、ぼんやり暮らしていたんだよ。



−最悪だよ。そんなことが聞きたかったわけじゃない。



そう言うと思ったか時間をとったんだ。僕はバカ無知で、その割に調子に乗っていて、社会っていうのは自分を中心に回っていないと気が済まないとでも思っていたんだ。そうじゃないことを知ることがあまりに遅すぎると、なんにものこらない。

人に迷惑をかけるだけだよ。





・・・



でも、僕はどうして社会がこうなっているのか、知りたかったんだ。どうしても。

綺麗事を言いたいわけでも、なんでもない。根本的に僕は、自分幸せのために生きている。その結果として誰かを不幸にしているわけではないんだ。それから自分のために生きたからといって、誰かに不幸だと言われる筋合いもないんだ。


もう29になる。10年だよ。一瞬だったように思う。大学卒業して5年だ。10年もあれば、それなりのことを考えられるようになる。社会がこれからどうなっていくのか。自分人生がこれからどうなっていくのか。周囲の友人関係がどのように変わっていくのか。ライフスタイルがどのように変わっていくのか。その見通しを結実させるためにやらなくてはならないことをこなしていくこととか、その繰り返しから逃れられないこととか。その分、なんか大事ものを失っているんじゃないかって思うこともあった。どんどん汚れていってしまうんじゃないかと思うこともあった。そうやって僕が嫌っているような人間と同じような運命を辿ってしまうくらいだったら、いっそ全てを投げ出してやりたいとも思った。

でもね、違ったんだよ。僕が嫌っていた人たちは確かに悪魔のように見えたかもしれない。わかったんだ。まあ、本当のところはよくわからないけどね。本心ではもしかすると、人の心が本当にないのかもしれない。あるいは、失くしてしまって気付いてないのかもしれない。でもそれは必要だった。必要だったから、その現象は起きたんだ。

必要じゃないことは起こらない。






僕はその必要意味を探っていったんだ。




あとね、自分なりに折り合いをつけたんだよ。自分存在に折り合いをつけるのは大変だったし、自分存在一般化して語ることは間違っていると認められなかったんだ。

でも、多分もう大丈夫。また何回かやらかすとは思うけど、気をつけていこうと思う。





−さっきから何を言ってるのか全然からないよ。



そうだよね。でもそれでいい。それでいいんだよ。わかっても、わからなくてもいい。そういうものなんだよ。




そうだね、たしかに僕は、僕がなにかしらのロールモデルになればいいと思っていた。でも、それは必要ないってことに気づいたんだ。なんせ世界もっとえげつないスピードで進んでいるからね。僕が誰かのロールモデルになる必要はないし、将来の僕のような存在は、きっと僕のような存在を見たからといって、どうにかなるわけじゃない。そうじゃなくて、きっと僕のような存在は、僕と同じように、誰に言われるまでもなく、このどデカくてうすら寒い国境を越えてくるんだよ。






そうして気づくんだ。そうか、そういうことだったのかって。

かに言われて「はあ、そうだったんですか」と納得するような類のものじゃないんだ。こればっかりは、自分で越えるしかないんだ。


今のこの世界必要に応じてしっかり動いているよ。そのことはよく覚えておくといい。必要に応じて変わっていく環境に、どう適応していくか。その程度のことしか僕にはできないよ。






−これからどうするつもりなの?



からないよ。だけど、今のキミのようにまたわけのわからないことを言われることになるんだ。きっとね。僕は何か物事理解するのに、人よりも時間がかかってしまタイプから、そのときになってみないとわからない。





決断には時間がかかるもんなんだ。そしてそれには時間をかけていい。

さて、そろそろいくよ。




−どこにいくの?




からない。もしかしたら、羊をめぐる冒険をするのかもしれない。けど安心してほしい。キミはこれから降り起こる数々のことに傷ついたり、ひどく落ち込んだり、人間不審になることもあると思う。そしてその傷を癒すのに途方もない時間がかかるかもしれない。もしかしたら、どうしようもなくなるかもしれない。離婚するとわかっていて結婚するようなもんさ。でもそれは僕が選んだことなんだ。キミを失望させることにはならないよ。




から泣かなくていい。

仕方ないさ。必要だったんだから

おかしいよね,いい大人なのに

理系学部4年なんだけど,引きこもりなっちゃった

学部単位はなんとか全部落とさずに取れたし,一夜漬けではあったけど,テスト結構普通に乗り越えられてきた.

友達も少ないけど何人かいて,たまにゲームしたり旅行いったりしてた.


研究室配属がちょっと思ったように行かなかったけど,比較的興味はある方の分野だったし,むしろ選択肢の中では悪くないと感じた.


おかしくなり始めたのは,春休みあたりから

顔合わせとかコロナで無くて,先生たちにだけ挨拶しに行ったら,「研究テーマ5月までに決めれば,8月までは院試に集中していいよ」って言われた.

院試は夏だったし,同期もあんまり研究室行ってなさそうだったから,居室にはあんま行かなかったんだ,

ゼミほとんどオンラインで,たまに寝坊しちゃったりしたこともあったけど,参加はしてた.

ただ,このへんから一日のうちほとんどをベッドの上で過ごすことが増えた.学校は1年以上オンライン授業で行ってなかったし,生活習慣は結構終わってたと思う.

授業はないから,院試に集中しなきゃとは思っていたんだけど,なかなか手を出せなかった.気がつくと,院試までは1ヶ月しかなかった.ちょっと焦ってペンを持ったら,全然出来なくて嫌になった.

やらなかったことだけ後悔して,でも手を出そうにも範囲も広いし難しいしでパニックになって,泣きそうになって一日が終わった.どんどん時間は過ぎていって,結局院試ほとんど無勉強で落ちた.


勉強に集中できないなんていう幼稚な理由ほとんどの人が受かる内部の試験に落ちたのが恥ずかしくて,この辺から強い劣等感を感じ始めた.

幸い後期院試がある学校だったから,親には頑張ったのに落ちちゃった,次はもっと頑張るっていう嘘をついた.本当は頑張ってないのにね.

久しぶりに学校に行ってみると,周りは院試間中卒業研究を取り組み始めていて,自分けが研究室落ちこぼれだった.

気分がすごい落ち込んだ.


研究室に行かなきゃいけないのに,どうしてもいけなくなった.

朝起きて,昼から行こう.二度寝しちゃって,夕方だけど行かなきゃ.もう夜になっちゃったから明日は流石に行こう.

そう思うんだけど,なんか,いけなくなった.ぼんやりと,考えるのをやめて,スマホをいじって過ごす一日が増えた.


結果,卒論ほとんど何も進んでないまま11月になった.

さすがにまずいと思ったかカウンセリングを受けてみたりして,卒論をすすめることにした.週に2,3日だったけど,学校には行けるようにはなった.

先生自分のペースに合わせて手助けしてくれたし,周りの先輩も優しくしてくれたんだけど,劣等感は深まっていった.


とにかくなんとか書くテーマは決まって,研究と並列して論文を書き始めて,12月中に結果以外は形にしようっていう方針になった.

冬休みに入って,家で卒論を書こうとしてワードを開いたら,全然自分が何書いたらいいのかわかんなくなって,パニックになって,サボり癖がまた出てきた.

後期院試も近づいてきて,全然この勉強もしてない状態だったから,また夏みたいになってきた.

明日が近づいてくると焦るんだけど,結局机の上でほとんど何もせず何時間もぼーっと過ごして,突然ものすごい不安に襲われて,ベッドに飛び込んで,毛布をかぶって,動悸を感じながら目をつぶる.

結局なかなかねれずに昼に起きて,喪失感でまた嫌になって,次の日が近づいてくる.繰り返し.


先輩とりあえずみせることになってたけど,結局全然かけなくて,まだ出せてない.

出せなかった申し訳無さから少しでも進めて学校に行こうと思うんだけど,やっぱり進まなくて,先輩にも先生にも合わせる顔がない.

研究結果も間に合わない気がしてきて,どんどん恥ずかしさから学校にいけなくなってしまった.


今,卒論提出期限・院試まで一ヶ月切ってる.

多分,このままだと院試に落ちて,留年もする.

恥ずかしいとかいってないで,人に頼らなきゃもう始まらないんだから,はやく学校にいって手を動かしてみないとだめなのは理屈としてわかってる.

でも,しんどさだけで家から出られない.どんどん頭が,手足が鈍くなっていく.

もう,いろいろ間に合わないんじゃないだろうか.


ここに書いて少しスッキリしたけど,明日学校いけるかな.

世話になってる先輩に謝らなきゃ.はやく年内に出す予定だった分だけでも完成させて持ってかなきゃ.


やらなきゃいけないことから逃げてばっかりで,どうすればいいのかな.

何を他の人に期待してるんだろう.なんでこんなに無気力なんだろう.


もう立派な大人の年齢なのに,おかしいよね.どうしよう・・・

こんなので両親に迷惑かけたくなかったよ・・・

2022-01-08

嫁が好きすぎる

結婚して5年が経つ。アレやコレで話が通じるようになって、食べ物の好みの違いがはっきりして、何かと理由をつけて子供と3人で狭い風呂に入って、嫌がる子供歯磨き台所の片付けを分担して、たまに子供が早く寝た時にはビールなんて開けちゃって二人でドラマ見たりして。

金はあんまり無いし借りてる家も古いけど、ぼんやり幸せだなと思う。何よりこんな適当自分と過ごしてくれて、落ち込んだときにはご飯をたくさん盛ってくれて、いいことがあった時は唐揚げを作ってくれて、一つ部屋をあてがってくれて、心から感謝してる。面と向かっては言えないけどほんとに好きです。これからも一緒にいてください。

anond:20180409020952

近しい感覚はある

形あるものではないし結局は強い思い込みみたいなものかなと思う

死ぬまでにぼんやりと実感できたらいいなと思って生きてる

好きって感覚はあるのかな?

2022-01-07

ことばに関して気になること

仕事関係子どもの書いた文章を目にするのだが

「そういうのわよくない」

「これからも関(かかわ)える」

プライベート侵害

「なんのお依頼?」

みたいなちょっと間違った日本語を使う子が一定数いる。てをにはと敬語特に多い印象。

まあ子どもなんて勉強中なので言葉なんて間違ってナンボだと思ってるんだけど、そういうのが正されるきっかけってなんだろうな?とぼんやり思いました。

自分は人と話すの苦手なのと、辞書を読み物として見るタイプだったのでテキストから吸収してなおすことが多くて、でも本を読まない人だって言葉ってなんとなく直っていくでしょ?(なおらない人もいるけど)

人によって違うんだろうけど、てをにはなどの正しい日本語っていつ取得されるんだろうな〜ってちょっと疑問に思ったので言語学の本でも読んでみようかなと思うんだけど素人が読んでも難しすぎない本などありませんでしょうか。

2022-01-06

登録者数5桁の個人VTuberだが全てがクソで辞めた

私はどこの企業グループにも所属しない「個人VTuber」として2年間活動していた。

幸いなことに、パッと見自慢できる程度の登録者数と微妙知名度を獲得したが、専業で活動できる利益にはならず先日引退したのでここに愚痴を書く。

フェイクも混ぜているが、私を知っている人はわかってしまうと思う。

どうか気づいてもソッとして欲しい。


【やりたいことができない】

Vtuberになりたい人達は「神絵師キャラデザインしてもらい、歌やゲーム配信をしてあわよくば稼ぎたい」と考えているだろうが、満足にできるのはゲーム配信だけだと言っておく。

先に歌の話。

歌は権利関係が難しい。説明は省略するが歌によってはYoutubeアップロードしても削除されてしまう。

そして、CDの曲をカラオケ化させたり、カラオケボックスでの歌をアップロードする行為違法だ。

そのため、歌ってみた動画投稿する時は、

・削除リスクがない

カラオケ音源提供されている歌

この2つが重視されるので特にボカロが選ばれやすい。更に欲を出せば、流行っていて検索に引っ掛かりやすい歌が良い。

Vtuberの多くが「KING」「ヴァンパイア」を歌っているのはそういう事情がある。

本当に好きなわけでもないし、音域も自分と合わない歌を「人気があるし安全から」という理由だけで彼らは歌っているのだ。


次に、神絵師によるキャラクターデザインの話。

絵師プロフィールに「個人依頼お断り」と書いているのを見たことがあるだろうか?

現在ソシャゲVtuberブームにより神絵師毎日の様に依頼が来るので、実績がない個人相手にはどんなにお金を積んでも協力してくれない。運良く応じてくれる場合半年待ちがザラだ。

歌ってみたオリジナル曲投稿する時もMix師アニメーション担当者必要になるが、彼らも有名人個人仕事なんて受けない。

一般人が憧れるクリエイター達はみんな企業相手で手一杯なので、今からデビューする駆け出しVTuberは、企業に入れなければ自分のやりたいことができないか、完成しても出来が目標の数ランク落ちると思って欲しい。

私は後述するトラブルママ絵師)と不仲になり、新しい衣装お仕事の依頼がしづらくなり

ママを変えたかったが、それはできなかった。

そこで、企業に入り企業の力を借りようとしたが企業もクソなのだ


【行きたい企業がクソ】

私は自分が納得できるクオリティ作品投稿たかっただけなので企業なら特にこだわりはなく、聞いたことがないような事務所も受けていた。

結局オーディションは全部落ちたので負け犬の遠吠えと思っていただいても結構なのだが、中小企業は受かっても地獄が待っている。

まずは取り分のお話し。

リスナーから1万円の投げ銭が貰えても、そのうち3-4千円はYoutube自動で抜き取り、残りを企業折半以下の比率で分ける。

(企業側も1人のVTuberあたり数十~100万の投資デビューさせてるから当分は赤字)

リスナー1万円の負担に対し、演者は最大3000円ちょっとしか貰えないのに配信上は1万円分のリアクションを求められる。もう地獄だ。

しかし、そもそもその1万円が来ない。

多くのVtuber動画再生数が1000以下で停滞し、同時視聴者は30-100人程度でスパチャも安定しない。

たいして稼ぎもないのに企業契約によって配信時間ノルマが課され、プライベート制限がある。

私がオーディションを受けた時に憧れた先輩VTuber達は、私が活動している間にも続々と卒業引退)し、時には運営とのバトル、契約違反、プチ炎上もして消えていった。

ここで考えていただきたいのだが、VTuber企業設立した社長の多くは20代半ばなのだ

VTuberビジネスで一山当てようとしている企業がどういう社風で、若社長社員がどういうお人柄か想像すれば、内情がどんなものか察しが付くであろう。

そこに更に若い大学生前後の男女が同じく一山当てようという浅はかな気持ち演者として加わり、その演者達が企業の描く成果を出せないのだから、社内の人間関係順風満帆なはずがない。


人間関係がクソ】

もう関わる人全部がクソなのだが、例に漏れVTuber友達もクソだ。

VTuberは少しでも知名度を上げるために他のVTuberコラボ配信を行う。これは大手企業から登録者数3桁の底辺まで例外はない。

から3人で雑談しながら絡めるApex、集団と広く浅く交流できる人狼ゲームが都合良く、配信界隈では好まれているのだが、ここでできる人間関係が浅すぎるのだ。

小中学生の頃、一緒に遊ぶ時に金持ちの友人を慕ったり、周囲から慕われているのを見たことが一度はあると思うが、VTuber人間関係お金フォロワー登録者数に変化したと考えてもらえばいい。

大手企業に入っていればそれだけでVTuberからチヤホヤされるし、

底辺Vtuber大手企業の子フォローコメントなどされようものなら、それだけで舞い上がりスクショを撮ってツイッターで自慢を始めるし、

人間性がどんなにクズでもフォロワーが多ければいくらでも人は近寄ってくる環境ができている。

そして良好な人間関係そいつ軌道に乗っている時に限られ、身近な人が炎上したり困っていても遠巻きにチラチラ見てるだけだ。

勿論、プライベートで遊ぶような本当に仲良くなれた友達もいるが、VTuber友達の8割以上は小中学生レベル人間関係形成されている。


クリエイターがクソ】

絵で一山当てようとしているクリエイター一定割合でクソがいる。

演者にもクソがいるのでお互い様だが、クリエイターとのトラブルは山ほど聞かされたし私も経験した。

具体的には、演者側に非があるケースは報酬未払い、何度ものリテイク等、報酬釣り合わない内容で揉める。

クリエイター側は態度が上から目線だったり、ヘラって気持ちの波が激しかったり、ママのこだわりでVtuber活動内容にクレームを入れるパターントラブルが多かった。

Vtuber業界には、絵の担当を「ママ」と呼ぶ文化があり、人によっては担当したVtuberを息子・娘とネット上は家族の様に扱う。

私のママはそこそこ有名なイラストレーターだったが、Vtuber業界には疎かったので私がデビューした後にVtuber配信内容やフリー素材の使い方にカルチャーショックを受けたらしい。

そのため、後からママ作品イメージを守ってほしい」と続々と活動内容に制限が付き、ママとの関係はギクシャクしていった。

つの間にかツイッターフォローも外された。

そしてある日、私はママと上手くいっていないことを少しだけツイッターに書いた。俗にいう「お気持ちである

しかし、私のママは有名な方だからママファンの方が圧倒的に多く、

私がママファンの反撃にあって終わった。

「こんなお気持ちする奴と関わったママがかわいそう」

ああ、その通りですとも。ごめんなさい。


目標もクソ】

形成される人間関係がクソなので、目標自動的にクソになる。

地下アイドルを例にすると、AKBに憧れながらも無名アイドルグループに入り努力している子はいるだろう。

そこで頑張っているアイドルは、自分所属グループを盛り上げたいと思っているはずだ。

Vtuber界隈は、AKBに入るために地下アイドルを頑張る現象が起こる。

そこのグループの発展なんて考えていない。

個人Vtuber達のファンはこれを知ったら悲しむだろうが、お前らが大好きな個人VTuberはこっそり大手企業オーディションを受けているし、中小企業VTuberはほぼ全員大手に憧れている。

個人Vtuberとしての今までの活動評価されて、大手企業から声がかかったから一旦引退して、新しいアバター活動して、同じ雑談配信歌ってみたでも何倍もの数字を獲得して、ファンも「また声がきけて幸せです」っておいちょっと待てよ?それで良いのか?


今の自分のままで成功を目指す選択肢も勿論あるが、今はレッドオーシャンなので絵が描けず、エロASMRもせず、外国語を話せず、有名人と繋がりもなく純粋配信面白さだけで勝負しようとする個人VTuberは全員伸びない。

現在進行形で行っている努力活動が全て企業に入るための踏み台しかないのが、自分でやりつつクソムーブすぎて嫌気がさしていた。



こうして、全てがクソすぎてVTuberを辞めた。

計数時間活動に費やして得たものプライベートでも遊んでくれる友人3名と、ファンの優しさだけだった。

ファンは良い人ばかりで感謝している。ありがとう



追記

人気エントリー入りありがとうございます。

瞳を輝かせてオーディションで「~~したいです♪」と言った時にはどこの企業にも相手にされず、

作品を作ろうにも理想クリエイターへの依頼もできず、収入生計も立てられず

ついに夢潰えて書いた愚痴話題になってしまい複雑な気分です。

嬉しいなと思いつつ、本当はこの話題性をVTuber活動に活かしたかったよ。


音楽で食っていく覚悟もないのに音楽性の違いで解散したバンドボーカルみたいな増田

覚悟はあったが私も周りもクソすぎた。バンドで例えるなら、インディーズソロのままで書きたい曲の発表すらできない日が続く。

個人VTuberには出会い厨もいるし全員が有名になりたい訳じゃないけど、みんなデビュー10万以上お金かけてるから最初はみんな自分なりに目標覚悟を持ってるよ


増田自分のどこに商品価値があると思ってたの?

特定されたくないかぼんやり書く。武器は3つあった。

1.VTuber業界で今は珍しくないあることを最初にやって流行らせた

2.外国語が少しだけ話せた

3.他人が真似できない個性的長所があった


メンバーシップで稼げなかったの?

提案した方は例で月1000円×300人=30万と挙げてたけど、月1000円のメンバーシップをやる個人VTuberなんてそんなにいない。

500円でも個人だと高い方。3~4割Youtubeが抜くので、仮に500円でメンバー300人のすごい方でも350円×300人で10万円。


>外部依頼せずに全部自分でできたら成功する?

例えば歌い手だったら、作曲作詞MVアニメーションMIXも全部自分で作れる能力があれば成功可能性は高い。

事実大手はいくつか自分でできる人が多い。

でも週4~5日の通常配信に加えて音楽活動をすると時間が厳しいから、

1年生活できるぐらいお金貯めて1年VTuber作曲だけに専念するか、そこまで色々できるならVtuberにこだわらない活動をした方が良さそう

オタク友達が変わってしまった

私はオタク腐女子友達オタクで、ほんとたまに腐を嗜むくらいのライト腐女子だ。

私はマイナー嗜好で地雷ゾーンが広くて、なかなか語り合える相手がいない中、友達は「そういうのよく分かんないし、拘りないや」と言って、私の萌え語りを否定肯定もせず聞いてくれた。学生時代のことで、それはとてもありがたかった。

けど、社会人となり、年齢が上がるにつれ、友達ぼんやりとした好みが固まって(地雷形成されて)いった。昔ほど話題を選ばずに語るのはよろしくないだろうなと、ツイッターの呟きから感覚で感じた。だからガチ腐女子ではない友達に、あからさまな腐トークは避け、こういうシチュエーションいいよね!とか別の切り口で楽しくお喋りするようにした。

そんなこんなで楽しくつるんでいたが、あるアニメ作品感想を言い合っていたとき友達からはっきりとその見方おかしいと言われ、頭から冷水をかけられた心地になった。

今までは「そういう感想もあるかもねー」だとかゆるく肯定してくれていたのに。

まあでも、否定的な意見を言うのは自由だし、そういうこともあるだろうと思って、そのときは気にしないようにした。

それから少し経って、友達が勧めてくれたジャンルにドハマリした。推しもできた。腐れ縁に近い友達作品を語れるのは本当にとても楽しかった。でもそこで問題があった。私の推しはどちらかと言えば悪役で、友達推しの行く手に立ちはだかる障害のような役回りだったため、友達にとっては嫌い寄りのキャラクターだった。

私は久々にドハマリした熱さに任せて、そんな友達の好みをスルーして、推しの可愛さとか良さを語ってしまった。(この時点では私の推し彼女にとって微妙に嫌いなキャラであることをそこまで深く捉えていなかった。昔みたいにゆるく肯定してもらえるとばかり思っていた。結果、ドン引きされたわけだけど。)

あのキャラクター推し?そんなに好きなんだ。へー、あのシーンをそういうふうに解釈したんだ。もしかして眼鏡曇ってる?

な反応が返ってきた。付き合いの長さゆえのじゃれ合い的なディスりも入ってたかもしれない。楽しそうで何よりだよ、とは言われたけど。。

自分萌え他人萎え、とは言うけれど、このときほど肌で感じたことはないと思う。

他にも色々と、えっそんな感想持つなんて腐ィルターかかりすぎでしょ、みたいな返しをもらうことが増え、日常だったスカイプ通話の頻度が減り(友達彼氏ができたことも拍車をかけた)萌え語りなんてほとんどしなくなってしまった。

今でも定期的に通話はするけれど、昔からプレイしていたオンラインゲームで支障なく一緒に遊ぶため、というのが大きい。

もうジャンルについて熱く語ったりしない。しなくなってしまった。

たまに感想会したいね!みたいな会話の流れができたりするけど、多分私が感想を言うと、友達は苦い顔をして、歪んだ見方をするなと言ってきそうで怖いので、いつかやろう!と言いつつ内心できれば絶対したくないと思っている自分がいる。

今はツイッターの誰からフォローされていない壁打ち専用の鍵垢で一人感想を書きなぐっては、検索ワードでヒットした私と似たような意見感想ツイートを読むのがちょっとした楽しみになっている。

2022-01-05

心がぽっきり折れて以降、人生がめっきり虚無になってしまった。

心がぽっきり折れた時から1年経つけどいまだにあの時のことが忘れられないので書いてみることにした。

当時の自分は新しい仕事を覚えようとしていてそれがなかなか覚えられないでいた。

まりにも覚えが悪いのでついつい「違う仕事のほうが、、、、」なんて考えてしまっていたけれど

続けていればいずれ掴めるとぼんやりと思っていた。

その陰には応援しているアイドルグループがいて、彼らが長い間スポットライトが当たらない中でも

一生懸命目の前の仕事に取り組んでいて、その結果が実を結んで新しい仕事がたくさん降ってきていたこともあったと思う。

「彼らのようにいつか報われる」そんな一心仕事に前向きに取り組んでいた。

これが8月の出来事。このとき結構資格取得の勉強とかをかなり熱心に頑張っていた。

簿記3級と簿記2級を取ろうとしていた)

9月、そのアイドルグループメンバーと仲がいい若手俳優が熱愛で炎上して、芋づる式にメンバー

恋愛関係の噂が明らかになっていった。アイドル恋愛騒動はつきものといえばそうだけど、

今どきの暴露は最悪で、「私はあのアイドルと繋がりあるけど」「あのアイドルよくお店にくるけど」

「あのアイドルってあの子と付き合ってて、、、」みたいな話がTwitter個人アカウントで行われる。

マシュマロに届けられる「○○の噂は有名だけど△△は?」みたいな質問に答えるTwitterの一個人を眺めていて、

どこまでが嘘でどこまでが本当かわからないTwitter情報に群がって適当発言して、

勝手に幻滅していくファンをみて、ステージにいる彼らの本当の頑張りも半分嘘かもしれないTwitterの一個人

崩壊していくんだなとなんとなくさみしく、それから辛くなっていった。

思えばこの時から少しおかしかったのかもしれない。

アイドルを見ているのが苦しくなってきたので、秋以降はゲーム実況にはまっていくようになった。

ゲーム実況界隈は自称アイドル繋がりあります女のTwitterアカウントが見当たらなくて息がしやすかった。

(のちに同じような愚痴アカウントポンポン見つけてしまうのだがこの時はまだ大丈夫だった)

ゲーム実況者の中にも何人か推しと呼べる人も出てきて優先してして配信をみていた。

一人はゲーム一生懸命女の子で、もう一人はとにかくゲームうまい男の人だった。

穏やかにゲーム実況にハマっていた矢先、2人の推しがほぼ同時期に炎上した。

忘れもしない昨年の1月である

女の子はうまくなろうと一生懸命ゲームをしていたら、チーター粘着されてまともにゲームができなくなってしまった。

そこでいったんゲームをやめて休もうとすると外野から「弱いくせにチーター言い訳にするな」と煽られた。

(だいぶカモフラ入れたけど大体のあらましはこんなん)

一生懸命向上心もって取り組んでたら違法行為をしている輩に努力を荒らされて、挙句の果てに

弱いといわれてしまった。

そんな現状を目の前にして私は向上心ってもしかして邪魔???と思うようになった。

それに追い打ちをかけるようにもう一人の推しコミュニティ大会普段通りにプレイしたら

結果圧勝していまい、視聴者から「つまんな もう大会でんな」と叩かれた。

好きでゲームして、強くなって大会活躍したらなぜか叩かれてしまった推しを見て

好きなことを頑張ってうまくなっても叩かれてしまうんだとショックを受けた。

そんな状態のまま業務をしていて、新しい仕事を覚えようにもなかなか身につかず

当時仕事を教わっていた担当者に「ちゃんとできるように努力しているか考えてみて」

と言われた。

決定打だった。

全然興味持てない、訳が分からない仕事一生懸命努力してうまくいかない自分

好きなことを一生懸命取り組んでその結果叩かれている推し

どう転んでも終わりなんだと思った。

好きなことをしている推したちがあれだけ叩かれているのに、自分は好きでも何でもないなんの感情も持てない仕事をどう頑張ればいいかからなくなった。

心が壊れる音がしたのをはっきり覚えていて、その日はそれ以上まったく仕事にならず

それ以降もモチベーションが全くなくなってしまってる。

昨年の夏にあれだけ頑張っていた資格も全く興味がなくなって、何も勉強していない。

人生レベルモチベーションがないので仕事に対する興味も向上心も一切がなくなっていまった。なんでもいいなと思っている。

評価が上がろうが下がろうが心底どうでもいいしむしろできる仕事が増えるのがいやなのでどうしたら「できない人間」として扱ってもらえるか考えている。

それでも部署としては4,5年ぶりの新人なので大人の都合で自分評価数値が勝手に上がってく

評価が上がるのはグロいと思うしやれと言われたことをやって自分の手数が増えるのが気持ち悪くてしょうがない

自分が苦手で苦手でやりたくない仕事にたいして「頑張っているね」と言われるのが吐きそうになる。

どうしたらいいんだろうか

毎日遅刻したり、一週間無断欠勤したりしたら

全部むちゃくちゃになるんだろうか。

2022-01-04

タクシーうんこ漏らしかけた。

年末のことである。私は県をまたぐタクシーに乗って家路を急いでいた。

電車は通っているのだが、親戚に挨拶にうかがおうとしたところ、「コロナが怖い。頼むからタクシーで来てくれ」と懇願された。正直なところ、週に三日は満員電車に乗っているのだから、あと一回電車で行ったところでさほど感染リスクが上昇するとも思えないし、自分はどれほど運転がうまくてもタクシーには酔ってしまう体質なのだが、リスク感覚個人によって違うのだし、ここで言い争って互いに嫌な思いをしてもしかたがない。相手交通費を出すから折れた面もある。私は具合を悪くしながら、「隣の県? あんまり自信ないなあ」などと優しそうだけれども頼りないことを言う運転手さんに道を教えつつ、何とか親戚の家にたどり着いた。

さて、親戚も高齢のためあまり長居して疲れさせてもよくないので、早めに失礼することにした。帰路もタクシーだ。またしても酔った私は、なんとか気分が悪いのをやり過ごそうとぼんやりしていた。すると、みるみる腹が重くなってきた。

特に悪いものを食べたわけでもないのだが、思い当たることがある。私は便秘薬を処方してもらっている。それが月に一度くらい、いったいどうしたのかというほど効く日があるのだ。体が冷えたせいか、何か消化に悪いものを食べたせいかはわからない。ただ不定期的に猛烈にうんこが出るのだ。

職場や家ならそのままトイレに行けばいい。電車なら降りればいい。しかしここは密室である。私は訪れた猛烈な便意に脂汗を流していた。外の景色を眺め、スマホ地図を呼び出し、あと何分で駅にたどり着けるかを考えていた(帰りがてら買い物をするつもりだったのだ)。ここで漏らしたら運転手さんにどんでもない迷惑をかけることになるだろう。クリーニング代を払わなければならないし、うんこ臭い車に乗った運転手さんもつらい。困ったことに私は体調の悪さが顔に出ないものから運転手さんはいたって冷静に運転している。

どれほど経ったことだろうか、景色が見慣れたものに変わってきた。しかしま安心はできない。どこで渋滞に巻き込まれるか分かったものではないからだ。とはいえ、この日の私は幸福だった。まもなく駅にたどり着き、震える手で運賃を払い、スーパートイレへとぎこちない足取りで急いだ。こういうとき肛門に刺激を与えると暴発するので走れない。だから奇妙な足取りとなる。

踏ん張るどころか、ちょっと肛門を緩めて出てきた便ははじめが硬く、中ほどは適度、終わりはひょろひょろとした軟便だった。いつものパターンだ。どう頑張ってもこういう悪玉菌の多そうなうんこばかり出る。それから私は便座に座ってしばし呆然とし(外に並んでいる人はいなかった)、運転手さんには、有料道路に乗っていたとはいえ、途中で降ろしてもらうように頼めばよかったと判断ミスを悔やんだ。

その夜は便秘薬を一回分スキップした。

仕事したら正月気分が抜けて

すぐ普通の日になってしまった。

正月はあっという間。

またぼんやり体調不良になる。

今日買い物行ってあらためて思ったんだけど、

なんだか歳を取るごとに自分の身嗜みに対する諦め?みたいなのがすごく強くなってきていて、

うーんどうしたらいいのかな……とぼんやり考えてる。

昔は好きなブランドかわいい服を何時間もかけて選んでも嫌じゃなかったし、

買う前に流行りの服とかちゃんとチェックしていたけど、今はもう店に行くのすらめんどくさい。

買い物に行っても早く帰りたいな〜みたいな気持ちがすごく強いので、

なんかイマイチだけどもういいや、店員に話しかけられるのもめんどくさいからコレにしよ、

って、そういう適当な感じで服を買ってしまってて、昔はこんなんじゃなかったけどなあ…と少し悲しくなる

歳を取ると好きな服、じゃなくて年相応の服でかつ手入れしやすい服を買わないといけないので、

別に自分は欲しくなくても買わないといけないから面倒なんだよね。

どうせ好きでもないのに買うなら980円のトレーナーでも1万円のセーターでも変わらないしって思ってしま

だったら安い方でいいじゃんになり、もう合うとかどうとかよりサッサと買って家帰ろ、って気分。

昔買った服も歳に合わないし古いので全部捨ててしまった。

最低限のオフィスカジュアル以外で人前に出せる服がワンシーズンで1着あるかないか、そのくらい。

それでも気にならなくなってしまったのが、なんだか老けたなあ…という気持ちになる

ずっとおしゃれすることに興味ある女の人本当にすごい。私はもうダメそうだけど。

2022-01-03

昔別れた元カレツイッターを覗いてみたがひどいもんだった

友達から「そういやあんたの元カレアカウントなんとなくずっとフォローしてるけど最近めっちゃ拗らせてるわ… あんたより後に彼女できたことないしあんたのことに未練あるツイートもしてて正直ヤバい」と言われ、存在を完全に忘れていた元カレアカウントを見ることにした。

元カレツイートを見る限り本人はこんな状態だと読み取れた。

彼女が欲しいし結婚もしたい

・何もかもが受け身

・拒絶されたくない/傷つきたくなくて相手の懐に入ろうとしないが、相手から自分の懐に入ってくるのを待ってる

相手自分の懐に入ってこないことが分かるとすぐさま引く

自分の懐に入ってもらうためのコミュニケーションや振る舞いや見た目の努力特にしていない(そのくせ自分モテないことを理解しているが、モテなくても人と深い関係を築こうとする積極的姿勢がない)

待っていれば誰かがすぐ来るような人間でもなければそれに近付く努力もしていないのに受け身だし、たまに自分から行ったかと思いきや相手の懐に入ろうとしないまま懐に入ってもらうのをただ待っていて、当然ながらそれじゃ誰とも進展しないんだけど特にそんなの気にしていない素振りでいながら、周囲の仲が良かった友達はだいたい結婚していて交友関係が昔と違ってくることに焦るし、存在するのかしないのかが曖昧同調圧力勝手に感じ取って苦しんでいるし、結婚して子供がいるというステレオタイプ幸福を得られないことにいつまでも引きずられている。そんな様子が手にとるように分かった。とにかく受け身なのに「俺は今の状態でも平気だし幸福」と「結婚できなかった俺…」を交互にツイートしてるだけ。挙句自分よりクズな人が結婚できて何故そいつらより優れている俺は結婚できないんだとほざく。多分クズはお前より人の懐に入れるしそこから深い関係を持てるから結婚できるんだよ。好きになってもらう努力なしに好きになってもらうのを待っていたらそりゃただ年月が経つだけだわ。自分から好きになったら拒絶されたりキモがられたりするのが怖いかもしれないが、愛を与えられるのを待つより自分から愛を与えに行けよ。お前は初手でキモいとは思われない人相と性格してるんだからせめて関係の引き際をもっと後ろ倒しにしてみろ。自分がただ待ってれば成功するタイプ人間じゃないと薄々分かってるんなら、自分から好きになるべきだろうよ。自分を好きになってくれそうな「属性趣味とか)」を持つ人間自分からアプローチしてみろ。demographicではなく属性でだ。ただぼんやり座っているだけのお前に漫画のように好意を寄せてくれる人はいいかもしれないがお前の行動に応えてくれる人ならきっといる。伊集院光も「マニアはいる!」と言っているのだから。今の状況が自分の望まないものだと分かっていて、今後年齢でさらに厳しくなることも理解しているなら、今からなりふり構わず玉砕でもなんでもしろや。玉砕もまた人生の思い出だ。金があるのに結婚できないと嘆くなら何故ダメなのかの要因を理解して対策を取るために相談所行くなりオフ会主催してみるなり行動を起こしたらいい。経験目的とした人付き合いを拒絶するな。経験のために付き合ってるとさえハッキリ言わなければ絶対そんなもんわからねーから経験がないかインターネットの偏った知識で行動原理が決まっちゃうんだよ、世の中の女性全員が男を晒し者にすることはないしお前は優しいやつだからそんなことされない、安心しろ。というか自分晒し者になるのを恐れているくせにお前も私と付き合ってから得たセックス体験や体の相性を晒してるじゃねーか共通友達も見てるのにそれ言うか???ほんと気持ちいからその話は鍵垢か増田でやれ。キモおっさんになりたくないとか言いながらその発言キモくないのか???せめてその垢では言わなくていいことだと考えるストッパーを作っとけや。私を晒し者にしやがったから今こうしてやり返したけどお前にはもう少し幸せ人生送って欲しいもんだよ全く。

2021-12-31

問題職員の正しい辞めさせ方 4/10

ここらで話題を変える。問題職員の話ばかりで疲れただろう。

市役所には魅力的な人物ももちろんいる。今これを読んでいるあなたも、人生で一度くらいは公務員に助けられることがあるだろう。

ここでは、そんな善き職員について2人ほど挙げる。脇道なので、1人につき二千字程度とする。



1例目.市民対応部署のGさん

とことん市民思いの職員だった。

見た目はスラッとしていて、無表情な感じの女性だった。その実、内面は安定していて朗らかである

この人を最初に見たのは、私が採用されて2ヵ月くらいの時だった。公用車に乗って近隣の政令市にある研修センターに行くところだった。

1階の市民課に繋がる階段を降りたところで、凄まじい怒号が聞こえた。「なんでできんのか!!」と、おそらく高齢男性が怒号を発していた。

窓口を覗くと、やはり老人が女性職員に対して声を荒げていた。話を聞いていると、どうやら身分証明書がなくて公的書類を発行できない類のトラブルのようだ。周りの市民職員怪訝な顔で覗いていた。たぶん堂々巡りの話になっているのだろう。

そして、交代したGさんは、静かな様子で男性の話をひたすらに聞いていた――これが傍から見ていても、「あなたの話を聞いています」「共感しています」「申し訳ございません」という態度が伝わってくる。男性は次第に落ち着いていった。最後まで納得はできないという面持ちだったが、諦めて正面玄関の方に歩きはじめた。

傾聴は苦情対応の基本である。ここまでできる人は、市の職員では初めて見る。

「この人、どんな業界が向いているだろうか」と、昔に就いていた転職支援仕事を思い出していた。

個人的感覚だと、やはり福祉だろうか。受付系も悪くはないが、こういう人には攻めの傾聴というか、そんな仕事が向いている。最初に浮かんだのは、証券会社リテール営業だった。しかし、Gさんはあの業界蔓延る罪悪に耐えることはできないだろうなぁ、と思い直したのを覚えている。

それから数年間、Gさんのメンタルの強さ、粘り強さを発揮したのを何度か見ることになった。市民の中には、自己表現としてのクレーム――己が主張を表明するために市役所の窓口に来る人もいる。何か強いストレスを抱えていて、それを発散するために市役所まで出向く。そういうタイプ市民だ。

そんな人にもGさんは優しかった。とにかく話を聞いて、あまりに騒々しいようであれば怒鳴る市民を別のスペースに誘導し、一般市民邪魔にならないようにして苦情の解決を図るのだ。

Gさんはこの部署が長かった。当時30才になるかならないかだったが、査定は常に5段階中の4だった。上司からも仲間からも信頼を集めていた。

が、それで万々歳とはならない。彼女はいつもそういうお客さんばかりを相手にするので、残業がとんでもない量になっていた。勤怠管理システムの記録によると、Gさんは毎月50時間以上の残業は基本であり、それに加えて、土日祝のいずれかに必ず出勤してサービス残業をしていた。

私も、なんやかんやで土日に出勤することが多かったが(もちろんサービス残業だ。管理職なので…)、Gさんを見かける確率は5割を超えていた。庁舎内の配置的に、3階にある私の職場に上がる時にGさんを見かけることになる。サービス出勤をしている職員はほかに何人もいたが、彼女が最も印象に残った。

黙々と仕事をこなすGさんを見ながら、私の時間は過ぎていた。

実際、Gさんはいい子だった。料理は上手いし、家事洗濯もばっちりだし、家では猫を飼っているのだが、これがまた人懐っこい。でも、猫カフェは嫌いらしい。なんでも、「あそこの猫はみんな苦しそう」とのことだ。私が「目の前にあるんだし、行ってみようよ」と誘っても、頑として首肯しなかったのを覚えている。ちなみに、好きな食べ物たこ焼きだ。食べ歩きはマナーが悪いよ、と何度言っても聞いてくれなかった。

思えば、Gさんが土日出勤しているのを眺めるのが当たり前になっていて、この人を助けなければという意識が働かなかった。ある大晦日に、Gさんが煖房をつけず、明かりもなしでパソコンに向かっているのを見たことがある。コートを着て自席に腰かけ、震えながらキーボードを叩いていた。

「Gさん。それじゃ寒いでしょ。煖房つけなさい」

私が言うと、Gさんは座ったまま、ぼんやりこちらを見詰めていた。

「すいません、これでいいです。いつもこうなんです」

「まあ、そう言わずに。一度体験したら病みつきになるかもよ」

「お気遣いありがとうございます。でも、わたし寒いのがいいんです」

「そうか。お寒いのがお好き、なんだね」

Gさんは、「こいつ何言ってるの?」という顔をしていたが、意味に気が付くと、パソコンに顔を向けながら噴き出した。

若い子でも意外と通じるんだな、と感じて私は、エアコンスイッチを押した(蛍光灯スイッチ場所はわからなかった)。人事課に続く階段を昇り始めるところで、Gさんが職場に明かりを灯したのを認めた。

この彼女は今、市役所と近い業種の仕事をしている。もう不当な時間外勤務はしていないはずだ。直接働いている姿を見たことはないが、きっと活躍していることだろう。今も幸せであってほしい。



2例目.地域振興系部署のHさん

この人も女性だ。地域を盛り上げるような感じの名前部署にいて、エース級の職員として知られていた。

さわやかな見た目の女の子だった。高校を出てすぐに市役所に入ったという。私が採用された年の4月時点で21才になる年だった。結論から言うと、この子はもう地方公務員ではない。その次の年に民間企業、よりによって当時の取引先に引き抜かれる形で退職した。

惜しいことをした。もしそのまま現職に留まっていれば、もっとイキイキと働ける環境があったかもしれない。今更言っても遅いのだが……。

Hさんを最初に見たのは、窓口でお客さんを見送っているタイミングだった。市役所で働く女子職員は、みんな仕事に使えそうな私服で来るのだが、Hさんは限りなくスーツに近い、パリッとした装いだった。凛とした覇気のある顔つきだったけれど、ちょっと不安げな瞳が印象的だった。

見た感じでは、大卒3年目くらいの雰囲気である市役所には、たまにこういう人がいる。早い話、Hさんは頭の回転が早くて、見た目がシッカリしていて、礼節を弁えており、創造的な仕事もできる。そんな子だった。

創造的な仕事』については特定のおそれがあるので述べないが、当時の公務員業界では花形とされる仕事だった。億単位の金が動く。上の人間は大枠を決めて指示をするが、Hさんにも商品企画業者選定などの権限が与えられていた。

その仕事をやりたいと希望する職員は何十人といて、その中には数年後に昇進を控えたベテランが何人もいた。民間においては、こういう花形とされる事業や、大金が動く案件というのは――事業部長みたいなポジションの人が直接担当するか、または管理職に昇進する手前のエース社員担当することが多い。それを、大学生ほどの年齢の子担当している。

ほかのポジションだと、例えば市長秘書の1人は臨時職員だった。早い話がパートさんだ。30代後半で、圧倒的清潔感の子持ちママだった。実力登用の文化トップから滲み出ているところがK市の美点のひとつだと感じる。

当時の私は不思議に感じていた。なぜ、官公庁ではこんな人事ができるのだろうか。将来の利益を重視するのはわかるが、今の利益のことも考えないと――と想念した瞬間、私の脳裏ビビッ!と走るものがあった。

そうだ。新人公務員向けの研修で習っただろう。公務員利益を追求しなくていい。だから利益度外視で、十数年先のことを考えた配置や処遇ができる。Hさんは、すでに幹部候補としての育成が決まっていた。ならば、さっさと重要ポジションを任せられる限り任せていった方がいい。そういう判断だった。

もちろん、幹部の好みの問題でもある。当時、市長と市外の飲み屋に出かけた時、嬉しそうにHさんのことを話していたのを覚えている。なんでも、市長室でその花形事業の今後の商品展開に関する協議をしていた時、事業部長に連れられていたHさんが、副市長と侃侃諤諤の議論になった――そんな内容だったろうか。Hさんは議論になると熱くなるタイプだが、それが終わると途端にホンワカになるらしい。気さくな感じで、癒される話し方になって、市長が言うには、そのギャップがいいらしい。

その事業部長も確か、とあるイベント終わりの飲み会の時にHさんのことを誇らしげに話していた。当時、入庁1ヶ月目だったHさんの部署飲み会の席で、会の最中参加者にお酌をして回ったのはHさんだけだった、みたいな話だ。嬉しそうな表情で、自然にみんなに一人ずつお酌をして回って、先輩との交流を深めていたということだ。

若干18~19歳でそこまでできる子は、そうはいない。エース枠としてチャンスを与えられて当然だ。こんなことを書いていると、増田民の方々には『飲み会不要論』的な観点攻撃を受けてしまいそうだ。しかし、これはあなた視点に立ってみればわかりやすいのではないかあなた飲み会に参加していたとして、若い男の子女の子が、「仲良くしてください!」みたいな雰囲気でお酌や会話をあなたに求めてきたら、嬉しいと思わないだろうか。可愛い奴だなと思うだろう。そういうことだ。

私はHさんと話したことは2回しかないが、わかるような気はした。頭がいいだけではなく、物事に対して本気になれる。そういう子だった。

さて。Hさんは突然退職してしまった。冒頭に述べたとおり、花形事業関係する取引先(パートナー)に引き抜かれたからだ。晴天の霹靂だった。

Hさんが書いた退職理由書を読んだ。要約すると、「市役所ルール職場環境がつまらなく、物足りない」とのことだった。例えば、公用文では「問合せ」を「問い合わせ」と書いてはならない。しかし、動詞になると「問い合わせて」と書かねばならない。細かいことだが、間違えたら稟議のやり直しになる。そういった文書事務に関する文化が、HさんがK市を辞めた理由ひとつだった。

若い子であれば仕方がないとも思う。確かに公務員業界というのは地味だ。完全なる聞きかじりだが、『若手のうちは仕事の何が面白いのかわからない。それが公務員の難点だ』というのが、当時のHさんの退職理由を読んでの副市長の談だった。

まあ、過ぎたこはいい。もういいのだ。気にするだけ損というもの――Hさん個人の件に限っては。

だが、Hさんを引き抜いたクソコンサルは別だ。きっちりとリベンジしてやった。K市の入札に入れないよう指名停止(※)にしたうえで、県内他市すべてと、都内の右半分くらいの地方自治体と、県庁と、国の機関各所にもこの度の情報提供を行った。

罪状はもちろん、『取引先の従業員を引き抜いた』ことだ。許されることではない。民間企業同士でも、そんな足の引っ張り合いはまず行われない。それを、あのクソ非常識ITコンサルはやってのけたのだ。それなりの報いがあって当然だろう。

正式指名停止は今回の場合だとできない。条例規則や要綱に定めがないからだ。よって、入札参加・指名業者リストにその会社名前を残したままで、入札には呼ばないという意味での指名停止になる。

https://anond.hatelabo.jp/20211231220518

アラサー社員上司に呼び出される。

貸し借りした本について楽しく話していたはずだったのに、雲行きが怪しくなった。

つの間にか「あなたは本をよく読むから早く結婚しろ」という趣旨の話に変わっていた。文脈行方不明である

あなたのところは両親の仲がいいでしょう」

なるほど、そう来るか。

「まあ一般的夫婦だと思います

「そうでしょう。あなたを見れば分かる」

頭を殴られたみたいだった。

一般的な、の後に(熟年離婚しかけの)というカッコ書きがあることを目の前の上司は知る由もない。 両親の仲は私にとっての地雷だ。

周りを見下し、気に入らないことがあればすぐに大声を上げて物に当り散らし、時には食器を投げつけてきたり叩いてきたり、自分の兄妹の子(私からしたらいとこ)と私たちの頭の出来を比べて「あんたはバカだね」と言い続けたモラハラの父。ヒステリックで四六時中私たちに父の悪口を垂れ流して、「結婚するなら絶対別居婚よ」などと自分ができもしないことや父への恨みを私に託し続けた母。今でこそ年の3分の2程度別居して一応は落ち着いてるけど、本当に、何で結婚したのかも離婚しないのかも不思議で仕方ない夫婦

物心ついた時には怒鳴り合う声、時折物が壊れる音が我が家に響くのが当たり前の毎日だった。いつ両親が喧嘩を始めるかと怯えていた、伝書鳩ピエロケアイカーの私。今でもその当時のことを思い出すと心臓バクバクする。あと、今も男の人の怒ってる大きい声は過剰に怖いし、いつ力がこちらに向くか分からいから深い関係になるのも結構怖い。

幸い、お金に困ったことはない。しかし『居心地のいい家』は知らない。

結婚は本当に幸せなのか?

これまで生きてきた中で、幾度となく考えてきた。

自分だけでどうにもできないことゆえに、幸せにも不幸にもなり得る。それが長い間かけて出した答えだ。

両親と同じ轍を踏むのは嫌。加えて誰かと家族になるだけの心の余裕はない。とにかく自分お金を使うのが大好きで、ついでに休日趣味が忙しくて時間の余裕もない。

高校生の頃、母に「なぜ離婚しないのか」と尋ねたことがある。「あんたが大学に行けないし、お父さんが死んだ時にあんたたちにお金がもらえないかもしれないじゃない」という理由だった。子どもに関するお金はそうだけど、おそらく専業主婦ゆえに金銭面の不安があって離婚できなかったのだと悟った。同時に、もし子どもを産んで離婚してシングルで私が受けたのと同等の教育を施せるだろうかと考えたら、率直に難しいと思った。その時から私の人生設計子ども存在はない。

世の中、金だ。頼れるのは自分の稼ぎだけ。

から、私はワンマン社長ブラック会社で3年も薄給に耐えて、ひとりで生きていけるだけの職に就けた。

今の会社に入ってすぐの頃、お金が安定した今なら過去を上書きして“一般的幸せ”にありつけるのではと思い、何度か婚活に参加してみた。無駄を省きたいから備考欄に「子ども不要」と書いた。話す度に、子ども存在人生設計にないのとその理由を思い起こしてしんどくて、参加を止めた。

ひとりであれば自分幸せにするだけでいい。きちんと相手を思いやる余裕ができれば、いつか隣にパートナーがいる暮らしもいいと思う。ただ、やっぱり今の私はそれが難しいので、自分に使いつつ甥っ子になるべく遺しつつ、ちょっとでも助けになればいいと、ひとり親家庭子どもへの支援をして自己満足に浸っている。

トラウマに触れられたせいかマスクの下の口元が引き攣る。窓から差し込む陽射しは暖かいのに、指先が冷たい。

目の前の上司は「○○さんはどうだ?シュッとしてていい男だ」と、私を他会社から来ている未婚の人とマッチングさせようとしている。話を聞くに、どうやら、その未婚の社員と「誰々はどうだ?」「派遣先の人とだと色々あるので」というやりとりがあったらしく、それに対してぶつぶつ言っている。

ここで私の地雷をぶちまけたらこの話は終わりになるんだろうか。いや、まともに話すのが2回目の人に私の育ちの悪さは知られたくない。

ぼんやりする頭を必死に動かして受け流していたら、私が結婚するまで言い続けるなどと言い出した。こんなのがこれからずっと続くとか無理だ。前の会社だかの女性にも言い続けて30後半になって結婚したとかどうとか言ってるけど、無理。というか、本社だかの人間と話してる時に『今はそういうのハラスメントから』と言われたけどなあとか、ハラスメント自覚ある分余計タチが悪い。

「今は自分以外のことを考えて受け入れるだけのキャパティはないので」

どうにかそれだけ言い返したら 、「何を言ってるんだ。いいか、私はあなた説教してるんだ」とさらに“説教”された。

「失敗を恐れてるんだ」決して成功とは言えないロールモデルを見て育っているのに、恐れないことなんてできるの?

だんだん考えるのがつらくなって、とにかく早く終わってほしくて、「ありがとうございます」とか「そうですね、たぶん自分ではなかなかそういう気持ちにならないので」とか、意味のわからないことを口走っていた。全然ありがたくない。思ってもいないこと言うなよ、私。

閻魔の前で裁きを受ける罪人の気分になってきた。吐きそう。

少しして上司用事があるとかで解放された。地獄のような30分だった。貴重な昼休みが飛んでいった。

自席に戻ってからはぼーっとして仕事が手につかなかった。夜に寝ようとしたら昼間の出来事が浮かんで涙が出てきて、しばらく寝れなかった。

それから何となく毎日トゲトゲした気持ちを抱えて過ごしてきた。

年末に今年のあれこれを思い出しているうちに、トゲトゲを跳ね除けて怒りが込み上げてきた。しかし怒りをそのままぶつけるのは具合が良くないように思う。だから気持ちの整理も兼ねてメモ代わりにこれを書いている。

何も知りもしない人にプライベートにずけずけと踏み込まれたことはすごく不愉快だ。

自分にとっての幸せ他人にとっても幸せとは限らないのに、その価値観押し付けられたことも不愉快だ。

何で職場仕事以外のことで説教されてるんだ。

何で仕事以外のことで職場で落ち込まなくてはいけないんだ。

年が明けてもう一度同じようなことがあったら、はっきりと「プライベートことなのでこれ以上は触れないでほしい」と言い返す。

それでもあれこれ言われたら、私の育ちに関することを話してもいいと思えるような信頼している直属の上司相談する。

これは私の決意表明だ。

2021-12-28

死刑制度について思うこと

日本刑法刑罰として死刑が課されているのは以下だ(刑法以外での死刑も少しあるが割愛)。

罪名刑法保護法益
内乱77条国家対内的存立
外患誘致81条国家対外的存立
外患援助82条国家対外的存立
現住建造物放火(致死の結果を生じた場合108条不特定又は多数の者の生命身体及び財産
激発物破裂(致死の結果を生じた場合117条公共安全、人の生命
現住建造物等浸害(致死の結果を生じた場合119条公共安全、人の生命
汽車転覆等致死126条交通安全、人の生命
水道毒物等混入致死146条公共安全、人の生命
殺人199条人の生命
強盗致死・強盗殺人故意殺の場合240条人の生命身体
強盗強制性行等及び同致死241条人の生命身体


人の生命は、刑法における個人的保護法益のうち最重要法益で、国家法益国家の存立)と同じぐらい重視されている。しかし、死刑はその「人の生命」を奪う刑罰である。「人を殺したら、その犯人を殺す」という報復原理(同害復讐原理)は一見わかりやすいが、そもそも刑法が「人の生命」を至上の保護法益としていることとは矛盾した関係にある。死刑は、すでに有罪判決を受け、拘置所収監され、これ以上他者生命危険さら懸念がなくなっている人間から刑法自体が最大限に尊重保護しようとしているはずの人の生命を奪う刑だからだ。

これは憲法36条(公務員による拷問や残虐刑禁止)に反しており違憲であるという観点から1948年死刑制度合憲判決事件において最高裁法廷違憲審査がなされたこともある。当時の判決文は次の通りだ。

生命は尊貴である。一人の生命は、全地球より重い。…憲法十三条においては、すべて国民個人として尊重せられ、生命に対する国民権利については、立法その他の国政の上で最大の尊重必要とする旨を規定している。しかし、同時に…もし、公共の福祉という基本的原則に反する場合には、生命に対する国民権利といえども、立法制限ないし剥奪されることを当然予想しているといわねばならぬ。そしてさら憲法第三十一条によれば、国民個人生命の尊貴といえども、法律の定める適理の手続によって、これを奪う刑罰を科せられることが、明らかに定められている。すなわち憲法は、現代多数の文化国家におけると同様に、刑罰として死刑の存置を想定し、これを是認したものと解すべきである社会公共の福祉のために死刑制度の存続の必要性は承認されている。



「全地球より重い価値がある、尊貴なもの」を奪う刑罰が、「社会公共の福祉のために」正当化される。こういうインチキくさいレトリックは、この後も死刑肯定論の随所に顔を覗かせる。こういうインチキで辻褄を合わせざるを得なくなってしまうのは、結局は「人の生命」が個人的法益として最大限に尊重保護されるべき尊い権利なのか、国家従属する劣位の法益なのかが、刑法条文の自己矛盾によって曖昧になってしまっているからだ。

(いっそ死刑を存続する国家は「国家には生殺与奪権がある。国家の円滑な運営社会秩序の維持のために、国家施政権の及ぶ範囲に住む国民住民生命を恣(ほしいまま)にしてよい」と明言したほうがいいと思う。そのほうがずっとわかりやすいし、現実に即してると思う)

死刑制度を存置する国家では、「個人他者生命を奪うこと」と「国家他者生命を奪うこと」の倫理的な違いはぼんやりしたものになり、逆に両者の権力執行力の違いが決定的な差として立ち上がってくる。国家というシステムは、国民住民に対して法的な権力執行力を持っているから、人を殺すことができる。個々の国民住民は、国家権力執行力に従属しているから、人を殺して捕まったら国家に殺される(こともある)。このような制度は、「人を殺すこと」の意味と是非を、価値ではなく制度問題倫理ではなく力の問題還元する。

死刑制度を存置する国家では、「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いにきちんと答えることができない。「国が『人を殺すな、殺したらお前を殺すぞ』と決めているからだよ」「人を殺して捕まったら自分死ぬから損だよ」という風に権力関係因果関係を説くことはできても、それは「人を殺してはいけない」というモラル根拠にはならないし、むしろ一定の条件では人を殺すことが許される」ことを追認してしまうからだ。

死刑制度廃止(または執行停止)しない国家に住み、その現状を受け入れている自分は、「なぜ人を殺してはいけないのか」という子どもの問いかけに「人を殺すと殺されるから」という損得勘定以外の答を返すことができない。それが嫌なこともあって、自分死刑廃止すべきだと思ってる。

2021-12-27

anond:20211226173300

教習所かどこかで雪の時にはマフラーを出すようにしましょうとかそういうの聞いたような気がする

ぼんやりとだけどおぼろげに思い出したわ

2021-12-25

あと数分後に転職面接

人生3回目の転職

久しぶりすぎて、緊張でゲロ吐きそう…

昨日寝れなくて、起きたのも早くてなんかぼんやりしてう。。。

2021-12-24

コミケに負けた女の話

今日クリスマス・イヴだ。

恋人家族と過ごす人も、友達と過ごす人もいるだろう。

はたまた新宿呪術廻戦0を見に行き、百鬼夜行の一部と化しているかもしれない。

一般企業OLである私は、クリスマスとはいえ平日の金曜日なので普通に仕事である

毎年、クリスマスになると思い出す出来事がある。 

 

表題の通り、コミケに負けた話だ。

だが私は今まで1度もコミックマーケット通称コミケに行ったことはない。

負けたというのはコミケ戦場で打ち破れたのではなく、【当時の彼氏彼女よりもコミケを優先させた】という話である

 

毎年クリスマスが近づくたびに思い出す忌々しいにもほどがある記憶なので、いい加減呪縛から逃れるためにも吐き出そうと思う。

 

 

数年前、私には彼氏がいた。学部は違うが大学同級生で、卒業後に付き合い始めた。

(とうの昔に破局しているので、今後は【元カレ】と表記する)

私と元カレは、大学文芸サークルで知り合った。

お互いにオタクで、私は拙いながらも小説を書き、相手小説と時々漫画を描いていた。

もともと元カレ同人をやっており、サークル参加しているとは聞いていた。

だが私は二次創作は読む専門で、本を作る工程が大変であるのは知っていても、具体的にどれだけ大変なのかは知らなかった。

ただお互いオタクなので、イベントがどれだけ重要なのかは理解しており、うまく付き合っていけるだろうと思っていた。

 

きっかけは付き合って数ヶ月後、初めてデートドタキャンされた時だ。

「体調が悪くなってしまった」

最初理由はこうだった。勿論仕方がないとデートを中止した。

ちなみに遠距離で、私が元カレの家に行くには電車で2時間、更に路線バスで30分ほどかかる。

そのためお互いに比較アクセスやす都内で、大体月に2~3回程度会スタイルだった。夕方も大体早めに解散し、元カレ帰宅が遅くならないように気を遣っていた。

体調が悪い中長距離移動するのも大変だろうと心配したし、手伝いが必要なら家に行こうか? とも申し出たものの、寝ていれば大丈夫と断られた。

早く元気になるといいな、と当時は真面目に心配していたのだが、のちにこれは半分嘘だと発覚する。

 

初めてドタキャンされてから、3回の内に1回はデートドタキャンされるようになった。

理由体調不良純粋だった私は真面目に、頻繁に体調を崩すなら病院に行ったらどうか、それとも仕事が大変なのかと聞いたが、

本人は大丈夫大丈夫と言うし、会う時には普通に元気だった。何なら私よりハイテンションだったくらいである。

 

ドタキャンが3回目を超えた。

 

おかしくね?

 

馬鹿な私はようやく気が付いた。

 

そこで普通にデートできた場所と、ドタキャンされた場所の違いを考えてみた。

共通点は1つ。

ドタキャンされたデートの行き先は全部、【私が行きたいと言った場所】だった。

(誤解なきようにあらかじめ補足するが、私が希望した場所ドタキャンせずに一緒に行った時もある)

まり元カレが行きたいと言った場所】は、絶対ドタキャンしていなかったのである

 

元カレは当時某動物アニメにはまっており、よく動物園に行きたがった。私も動物は好きだったので特に行き先に不満はなかった。

ただ一つ嫌だったのは、元カレが行きたがった時期が初夏から真夏だったことだ。

動物園という場所は、基本的に開けていて日を遮る場所がない。

初夏とはいえ晴天だとかなり暑いし、真夏は薄っすら地面に陽炎さえ見える。

ぶっちゃけまりの暑さに人間動物もぐったりしてて覇気がない。

汗っかきの私は化粧をドロドロにして汗だくになりながらも、元カレが楽しそうにしているので不満なく付き合った。

豪雨上野動物園にも付き合った。当時の私はものすごく健気だった。疑うことを知らない馬鹿とも言える。

 

私の行きたい場所ばかりドタキャンされるのに気が付いてから元カレに対して不信感が芽生えた。

本当に体調が悪いのか? 疑いたくないが、偶然にしてはあまりに出来すぎている。

そもそも体調が悪いなら当日の朝ではなく、3回あるうちの1回くらいは前日の夜に気づかないものか? 薬を飲めば翌朝治るのではとワンチャン祈っていたのか?

元カレが住んでいる場所はかなりの僻地で、職場男性ばかりだったので浮気そもそも疑っていなかった)

 

私が行きたい場所は、某擬人化ゲーム趣味なこともあり美術館博物館が多かった。

もしくはオタク趣味関係ない、新宿浅草散策デートデートプランを聞いた時は快諾してくれたが、

しかしたら本当は嫌だと言えなくてドタキャンしてしまったのだろうか。

 

回りくどい言葉質問するのは性に合わず火の玉ストレート、本人に直接ラインで訊いた。

「体調が悪いのは本当なのか?」

「何か別の理由があるのではないか?」と。

理由があるならきちんと話してほしい、スケジュールを合わせているので当日朝のドタキャンは困るとも。

しばらくして、元カレの返事がきた。

 

「本当に体調が悪い日もあったが、全部ではない」

「実は、イベントの締め切りがあって原稿が終わっていない」

「締め切りがヤバくてドタキャンをしてしまった」と。

 

流石に怒った。前述したとおりお互いにオタクだ。イベント理解はあるつもりだった。

正直に締め切りがヤバいと言えば納得したのに何故しょうもない嘘をつくのか。病院に行った方がいいと真面目に心配していた私が馬鹿じゃないかと。

黙っていてごめんと謝られたため、

 

 

原稿の締め切りを抱えているならあらかじめ言うこと

デートキャンセルするならせめて前日か数日前の夜に言うこと

 

 

この2つを約束して、仲直りをした。

 

だが、ドタキャン癖は治らなかった。

デート当日の朝6時頃に「今日行けなくなった」とラインが来る。私はそのラインの通知音で目を覚まし、メッセージ確認してがっかりする。

1ヶ月に1回はそんなことが続いた。

そんなに頻繁にイベントに参加しているのかと聞くと、元カレは1人で参加しているのではなく、友人同士複数人で組んだサークル活動しているのだという。

今はサークルが波に乗っているので、可能な限り多くのイベント新刊で参加したい。詳細は忘れたがこんなニュアンスのことを言われた。

サークル参加に詳しくない私は、そういうものなのか? と引き下がった。

締め切りが大変なら手伝えることは手伝うからドタキャンはどうか止めて欲しいと訴えたものの、結局治らなかった。

嫌われたくなくて強く言えなかったのもあるし、元カレは後から謝れば許してくれるだろうと思っていたのかもしれない。正直舐められていたと思う。

 

そしてやってきたクリスマス。もう何度もドタキャンされて精神的に消耗していたが、さすがにここでドタキャンはしないだろうと思っていた。

ただオタクなら知っている。

冬のコミックマーケット年末に開催されるということを。

サークル参加するのは知っていた。正直、ものすごく嫌な予感がした。

 

クリスマス当日は土曜日だったけれどコミケがあるならキツイだろうと考えた私は、12月上旬都内クリスマスマーケットに行きたいと言った。

元カレは気を遣ってくれてありがとうと言ってくれた。

だが11月末。「デートは無理かもしれない」と元カレからメッセージが来た。

会えないのは残念でも、ドタキャンじゃないだけ全然いい(そう考えている時点でだいぶ末期だった)。

すると珍しく元カレから代替案を出された。「クリスマス当日は元カレ家でゆっくり過ごしたい」と。

そりゃあもう喜んだ。クリスマス当日を一緒に過ごせるなんて! と舞い上がった。会えるなら2時間半の距離なんて横断歩道スキップ渡るくらいに感じられた。

私はハイテンション元カレの家で作る料理を考え始めた。

おしゃれなレストランデートじゃなくても、スーパーチキンや総菜とケーキで充分だった。あとは軽いおつまみをいくつか用意して、アニメや何か映画でも見て過ごせたらいい。

色々プランを立てるのが楽しかった。

お家デートならおしゃれしすぎず、かといってカジュアル過ぎない格好にしよう、かわいいと言ってもらえるような服にしようと考えた。

得意じゃないメイクだって頑張った。

料理だってわざわざレシピを調べてピックアップした。

ただやはり不安は消しきれなくて、もしも都合が悪くなったら前の日までに言って欲しいと何度も伝えた。

そして23日の夜も明日大丈夫かと確認した。大丈夫だよ、と返事が来て本当に嬉しくて、遠足の前の日の小学生みたいに眠れなかった。

 

そして24日。

私は朝5時に起きて、頑張ってメイクをして、慣れない手つきで髪を巻いた。

何度も鏡の前で服がおかしくないかチェックをした。

相手の家に10時に到着するためには、6時半には家を出なくてはいけない。そろそろ家を出ようとバッグの中身を確認していた時だ。

スマホが震えて、ラインの通知が表示された。

メッセージの内容はこうだ。

 

「ごめん今日は無理。家にも来ないでほしい」

 

呆然とした。

わくわくしていた気持ちが、落としたガラス細工の如く粉々に破壊された。

ここから時間記憶はあまり覚えていない。

泣きながらキレて彼氏電話をしたと思うが、確か向こうはひたすら「ごめん」しか言ってこなかった。

というよりそれ以外に何か言われても全て言い訳しか聞こえなかっただろう。

電話を切ってしばらく泣いて、気が付いたら化粧も落とさず着替えもしないままベッドで寝ていた。

 

時刻は正午を過ぎていた。

泣きすぎて目の奥と頭が痛いまま、しばらくぼんやり時計を眺めていたのは覚えている。

14時を過ぎたあたりで、おざなりに化粧と服を直して外に出た。

外は風が強かったから、髪は勝手にぐしゃぐしゃになった。

電車に乗って、数駅先の大きな駅へ向かった。

行きたかった場所よりも規模は小さかったけれど、クリスマスマーケットが開催されているのを最寄り駅に貼られたポスターで知っていたからだ。

 

色々出店を回っているうちに16時を過ぎて、あっという間に薄暗くなっていった。青で統一されたイルミネーションが、駅のコンコースを眩しく彩る。

意味もなくイルミネーション写真に撮っていると、少し遠くから音楽が聞こえてきた。

よく見ると、駅と繋がっている広場特設の野外ステージと出入り自由の客席が設けられ、何組かのアーティストが歌を歌っている。

クリスマスチャリティーコンサートだ。看板に書かれたタイムテーブルを見ると、とある女性シンガーソングライター名前が目に留まった。

知っている名前だ。とあるアニメ映画主題歌を歌っていて、大好きな曲だった。

彼女が歌うのは17時過ぎ。もう少し後だ。

 

必ずその曲を歌うとは限らない。

それでも私は居ても立っても居られなくなって、偶然にもぽっかり空いた最前列パイプ椅子に座って彼女の出番を待った。

そこから更に何組かのアーティストが歌い楽器を入れ替えて、やがて彼女が現れた。

彼女は【失恋ソング女王】と呼ばれることもあり、優しい歌声と切ない歌詞が持ち味だ。

クリスマスきじゃないかもしれないと自分で触れながら、彼女は歌ってくれた。

 

 

誕生日じゃなく 記念日じゃなく 何でもない毎日

あなたがいてくれる それだけで本当は幸せだったのに

 

 

歌詞がこんなに心に響いたのは初めてだった。

初めて聞いた曲だったのにその歌詞が忘れらなくて、今でもはっきり思い出せる。

気が付いたら私は泣いていた。

歌がとても素敵で感動して、でもどうしようもなく辛くて悲しくて惨めで、心の中がぐちゃぐちゃになって涙が止まらなかった。

凍えそうな風が吹きすさぶ中、広場の巨大なクリスマスツリーのイルミネーションに照らされて静かに号泣する女は端から見たらさぞホラーだったことだろう。

そして女性シンガーソングライターは、あのアニメ主題歌を歌ってくれた。

大好きな曲をこんなに近い距離の生音声で、しか無料で聞けるなんてなんて贅沢な時間なんだろう。

しかった。今日この場所に、この時間に訪れていなければ絶対に聞けなかった。

 

けれど本当なら、本当は私はここにいないはずだったのだ。

 

これが私の、史上最悪のクリスマス記憶である

その後ほどなくして、元カレとは破局した。

ドタキャン理由想像通り、冬コミの準備が終わっていなかったからだ。

私はコミケに負けた。

 

何度も言うが、元カレも私もオタクだ。

同人誌を作るのが大変なのも理解をしていたし、複数人サークル活動メンバー迷惑をかけられないというのもわかる。

ただドタキャンはしてほしくなかった。

できない約束をしないでほしかったのだ。

正直、私は美人ではない。どんなに着飾っても【おしゃれなカラス】にしかなれなくて、心の底でイケメン元カレに引け目を感じて強く言えない馬鹿な女だった。

本当は暑い動物園にばかり行くのも嫌だったし、豪雨の中歩かされたのも嫌だった。でも我慢してしまった。

元カレはきっとそんな私を舐めていたのだろう。

結局、私は冬コミの締め切りとサークルメンバーには勝てなかった。

 

この出来事から、私はコミケに行きたいと思えなくなった。

元カレが好きだったアニメも、コンテンツに罪はないのに見れなくなった。

そして何より、何度もドタキャン遅刻を繰り返す人間が許せなくなった。

 

恋人家族ができても、趣味を続けたいという気持ち大事だし尊重したいと思う。

ただ、人のキャパティには限度がある。

今まで10できていたものを、10のまま継続するのは難しい。

最低でも10を9、8に減らす覚悟をして、恋人家族キャパティを割いて欲しい。

少なくとも一度した約束ドタキャンするのは最低の行為だし、そもそもできない約束をするべきではない。

 

約束を守れない人間は、一度箪笥の角に小指をぶつけて骨折してほしい。

ドタキャンする奴は首にチップを埋め込まれて爆発四散してほしい。

クルーシオ苦しめ! バルス!!!

あと原稿計画的にこなせ! 早期入稿は割引がきくぞ!!

 

それでは皆さん良いクリスマスをお過ごしください。

 

メリークリスマス

2021-12-23

[] そのひゃくごじゅうご

チョウキンーッス

 

今日木曜日です、明日金曜日

そういえば明日クリスマスイヴかいう奴らしいですが、皆さんは予定が無かったり行かなかったりなんでしょうね。

私もクリスマスやその前日に特別感情を抱くことはないです。現場仕事毎日有ります

まぁだからと言って祝日だとか年末だとかを意識しなくなると後は暑い寒いしか時間感覚がなくなってしまうと思うので、そんな日があるんだなぁ程度に思いとどめておくのもアリなのかもしれません。

諸々の出来事なんてどうせ発生しないのだから寂しいも何も無いんですよ。

あったら嬉しいな、ってだけです。クリスマスプレゼントと一緒です。

土台、教徒でもないのに何かが起これと願うことも烏滸がましいのです。

まぁそんなこと言っても、普段から何か良いことないかなと薄ぼんやりと願ってたりするものですがね。

そんかこんなで結局は何かのイベントのついでで何かがもらえたりすることもあるのだから、それはそれでとてもありがたいことだなぁと思ったりもするのです。

 

ということで本日は【在庫確認いか】でいきたいと思います

在庫確認いか在庫確認ヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

2021-12-22

自殺に関する増田がわさっと増えたので流行りに乗る、じゃないけど書き散らしておこうかなと。

自分自殺を試みるとこまで行かなかったし、ふいに糸が切れたみたいに車道線路に吸い寄せられたりしたこともない。

一言目にため息、二言目に死にたいって言い続けていたしスマホ履歴は全部死ぬ方法だった。スマホ触って死に方調べる元気はあったんだよな。フシギダネ

元々ポジティブの塊とかコミュ力お化けとか呼ばれるようなタイプ人間だったせいもあってあまりの変わりように知人に泣かれた。自殺してなくても泣いてくれる他人ているんだなーと超他人事で、申し訳ないとか嬉しいとかじゃなく、どうでもよかった。ぼんやりしてた。

薬はポチポチゲーと一緒。安定剤とか意味あったのかいまだにわからないけど一応毎日飲んでたからマシだった可能性はある。飲むのやめたりODしだすと吸い寄せられたりするのかもね。

そういうのが続いてたのがある日、「なんで死にたいって思ったんだろう」って急に、なんだろう、目が覚めた、みたいな。徐々に回復とかじゃなく、急に。やたら目覚めのいい日あるでしょ?あれ。

から打開策なんかないんだと思う。よばれれば死ぬし、急に死ぬし、急にやめるし、急にはっとする。タイミングと運が全てだと思う。私は生きる方向に来ただけ。それが良かったかどうかは知らない。

去年の某俳優と某女優ときも「ああこの人らは死ぬ方向にタイミングが働いたんだな」と思ったよ。

こっちはこっちで勝手に悲しむから、本人たち楽になってたらいいんだけどね。

10年前に首を吊ったことがある

失敗したというか、そもそも成功するかどうかわからない雑さだったので生きている。

それは本気で死ぬ気ではなかったのでは、と思われるだろうが、後にも先にもあんなに「死」に取り憑かれたことはないし、本当に病的に死ぬ気だったのだと自分ではわかる。

当時の自分は、社会人一年目で、新卒人間自分の他に一人しかおらず、あまり職場に馴染めず鬱々としていた。

こう書いてしまうとさもありなんと思われるだろうが、それ自体別に死ぬほどのことではなかった。

仕事の代わりに趣味が充実していたし、楽しいこともいろいろあったし、明確なパワハラがあったわけでもない。

なんとなく職場のことは好きではないが、やってることはまあ嫌いでもなかった。

なかったのだが、色々なストレス自覚もないまま積み上がっていたらしい。

とある連休の折り、地方住まいの両親が会いに来てくれた。

食事の席で珍しく酒を飲み、少々酔い、気分良く話していたはずが、気がついたら父親口論になっていた。

なんでそんなことになったのか、全く思い出せない。実際、ものすごく些細な話だったのだと思う。

不機嫌に別れて家に帰った。帰り着いて、風呂に入って、なんでかわからんがめちゃめちゃに泣いて、時間はすでに深夜だった。

まりにも突然急に、あっ、死のう、と思った。

自分で言うのもなんだけど、正直昔からメンタルが強いほうではなかった。人生のうち半分以上を「死にてぇ〜」と思いながら生きていた。

と言いつつ痛いのも苦しいのも辛いのも嫌なので自傷行為などノーサンキューだった。

まり普通に生きていた。

生きていたけれども、「死にたい」じゃなくて「死のう」となったのはその時だけだ。

そして「死のう」の質感は、「死にたい」と全然違っていた。

WEBで今できる死に方を検索した。できるだけ苦しみが少ない方法。それらしいのを見つけた。これだと思った。

親しくしてもらっている大家さんに迷惑がかかるとか、今まさに近くに来ている両親のこととかも考えた。

胸が痛むような気持ちを遥かに上回って「死んじゃうんだからどうでもいいじゃん」と思った。

誰かが困っても、泣いても、死んだ後だからどうでもいい。

そのころ私は趣味WEBサイト運営していて、そこそこ閲覧もされていた。

親しくなった友人も、慕ってくれる閲覧者もいた。

当時はまだ個人サイトを作る人間も多く、そしてなんらかの理由更新が止まってしまったところも多かった。

いつかまた更新されるかも、という期待の残る跡地は切ないので、自分サイトを閉じる日が来たら、ちゃんとその旨を掲示して、これまで見てくれた人への丁寧な感謝文章を書こうと、ずっと前から決めていた。

お知らせのための新規ページを準備して、文章を2行くらい書いたところで思った。

「これもやっぱり死んじゃうんだからどうでもいいじゃん」

この瞬間の確信は、今思うだに異常だった。

周りが聞いたら些細なことかもしれないけれど、当時の自分の一番の矜持とかこだわりみたいなものが、バツンと切られて散ってしまった。

スイッチが入る、という表現が一番近い。切るのではなく、入るのだ。「死のう」という方向に入ってしまう。

恨んだ人間も、お礼を言いたい人間もそこそこいたけれど、それも全部どうでもよくなってしまった。だから遺書も書こうとしてやめた。

面倒くささのほうが圧倒的に上回っていた。

詳しい方法は書かないが、死に損なって障害が残るのは絶対に避けたかったので、そうなる確率が低い方法をとった。

実行する直前で、就活中に軽い不眠になった時期があり、一時的に処方されていた睡眠導入剤のあまりがあった(このときかかっていたのは普通内科だった)のを思い出した。

全部飲んでしまおうかと思ったが、胃洗浄などになったら死ぬより辛いという話を聞いていたので、普通より効果が出るだろう、くらいの量だけ口にして首を吊った。

死にたいけれど苦しみたくはない自分が本当におかしかった。けれど、死んでしまえたらもうそういうことも考えないんで済むんだな、と思った。

頭がぼんやりしてきて、手と足の感覚がなくなったときものすごい解放感だった。

死ぬとわかっただけでこんなに楽になるのなら、もっと早く思いついておけばよかったと思った。そのあたりで意識が途切れた。

目が覚めたら翌日の朝で、床にすごい体勢で倒れており、身体中がばきばきに痛くて、首には紐の跡が残っていた。

要は紐の結び方が甘くて、主に薬の効果意識が飛んだあとに自重で解けて、そのまま床で寝ていたらしいのだけれども、起きたら「死のう」の気持ちは吹っ飛んでいた。

びっくりした。死にたくなくなったことではなく、あんなにも盲目的に死のうとしていた自分のことが、まったくもってわからなかった。

魔がさすとか、憑き物とかいうけど、ほんとそんな感じだった。あまりにも明確に「どうかしていた」。

自分のしでかしたことが怖すぎて、トイレで吐いた。ついでにめちゃくちゃ腹が痛くなって困惑していたら、普段の周期より1週間も早く生理が来ており愕然とした。

(一部の女性には、ホルモン作用により生理前の時期に鬱に近い状態になってしまうPMDDという症例があるのだが、このとき生理周期が狂ったことも含め、なんらかのホルモンバランスの不調が原因で、それだった可能性がなくはない)(ただ、一因ではあるかもしれないがそれだけではないし、それが理由とも限らない)

首を吊った紐は捨てた。気に入っていたワンピースベルリボンだった。悲しくて怖くて服も捨てた。もう一度泣いた。

仕事は休んで心療内科に行って、薬をもらった。首の残った紐のあとは、夜には消えていた。翌日は普通に仕事に行った。次の日も、その次の日も普通に行った。

薬は最初の処方分だけで不要になった。

それから10年たった今も生きている。

で、それでなにが言いたいかというと、人はあまりに突然死に取り憑かれて、急に死んでしまうことがあるだろうということである

ミステリとかで「あの人は近々こういう予定があって楽しみにしていたか自殺なんてありえない」みたいなシーンを良く見かけるが、結論として全然ありうる。

どんな予定があっても、約束があっても、「死のう」は突然やってくる。

あと、死ぬ前に思い悩んでいたことがあったのではとか、誰かに相談はできなかったのか、みたいな話も出てくる。

もちろん誰かに相談したくて、それができなくて思い詰めて、確固たる意志自死を選んでしまった人も多いと思う。

でも、自分が悩んでいる自覚もなく、ある日突然「死のう」が顔を出すこともある。

このときよりも「死にたい出来事なんていくらでもあったのに、それが現れたのは、本当になんでもないはずの夜だった。

人は準備がなくても、杜撰でも、衝動的でも、一瞬の気の迷いでも、タイミングが重なれば、死ぬときは死んでしまうのだ。

たとえそれが自死であろうが、突然の事故と同じくらいに、本人だってわけもわからず、死んでしまうことは、たぶんある。

から他人の死に対し、できればあまり物語を見ようとしないでほしい。

もちろん、なんらかの明確な理由で追い詰められた際に、その解明が必要とされる場面もあるだろうけれども、本人や周囲の意思が示されていない限りは。

そしてもし、そんな事故みたいな「死のう」が来たときに、この文章を思い出して、「ああ、今自分はそういう状態で、本当に一過性のものかもしれない」と思えることがあればいいなとも思う。それは私のエゴだけれども。

どちらにしても夜は深いこと考えないで寝たほうがいい。

こんな時間に書いてること自体があれだけど。




追記

この出来事前後でなにか変わったことは特になく、びっくりするほど普通日常が続いているけれども、その何年か後にバンジージャンプやったときにはこのときの何百倍も生まれ変わった清々しい気持ちになったので、最近人生くさくさしてるなと思う人で健康上の問題がなければやるといいと思いますコロナ明けたらスカイダイビングもやりたいんだよな。

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