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2017-10-23

放置ブラック研究室に配属を希望される方々への助言

なぜか古いエントリが流れてきた.

放置系ブラック研究室で楽しく生きるにあたって - 糞ネット弁慶

内容を読んでみると自分が置かれた境遇に似ている.

私はこともあろうか博士課程まで進学してしまった.

今までこの研究室では,これが研究だという指針があったものの,いか井の中の蛙だったことを思い知った.

どれだけ頑張っても指導できる先生がいないので,論文を書いてもリジェクトされるのである

まりにも不運な大学院生を減らしたいので筆を取りたい.

放置ブラック研究室とは

先のエントリでも説明されているが補足もしたい.

放置ブラック研究室の特徴は,先生が口先だけで何もやらないのである

酷いところでは,院生学生自身の学務に関する仕事を代わりにやらせるケースもある.

先生が何ら自発的アクションを起こさないため,院生必死アクションを起こさないと卒業できない.

配属されるとどんな事態になるかは以下のとおりである

卒研生の状況


だいたい察しが付くと思うが,卒研生の面倒は院生が見ている.

院生が面倒を見ないと,卒業研究限界までやらない.

これには院生にも原因があり,卒研生は誰ひとりとして院生研究を把握していない.

院生研究の仕方がわからないので,卒研生にプレッシャーをかけることができないのである

院生の状況

挙げるだけできりがなく,私が受けたハラスメントになってしまうので一旦止める.

共通している特徴がいくらかあるだろう.

要するに,口先だけで何もやらないタイプ先生危険だ.

甘い蜜で誘い出すが如く,

言っている先生はかなり怪しい.

水素水には2倍の水素が含まれているのと同じで,言い方は間違っていないが真実ではない.

これの何が問題なのか?

まず院生が育たない.

学部生の延長線上で教育を受けた院生が,果たして院生になれるのだろうか?

学部生に対する世間の期待はそこまで高くないが,院生はそうも行かない.

ましてや,先生が先頭立って「これが研究である」と言ったら悲劇である

学生簡単に騙されてしまうので,先生が言ったことは掛け値なしに信じてしまう.

先生は「院生になると学部よりも成長する」とか言って院進を誘い,その結果がこれである

騙された私が悪いと言えばそれまでで,正直なところ生活が苦しくてもJAISTNAISTに行きたかった.

なまじ成績が優秀だったので慢心したか,同じ研究室に院進してしまった.

間違いに気がついたのは副査の先生修論を見せてからだった.

先輩よりも良い研究にしたい気持ち研究したが,副査の先生に壮大にディスられた.

既に博士課程進学は決まっている時期で,研究室の間違いに気がついても遅かった.

結果的に私は博士課程に卒業し,とあるツテで某大学助教になれた.

しかし,卒業には6年かかったし,助教が決まったのは4年の時で学費を払いながら仕事をした.

外部の先生論文添削指導をお願いして,共同研究という体で何人か先生名前論文に載っている.

一応,指導教員から名前を載せているが,何もやっていない.

卒業申請書類自分で探して自分で書いた.

どれほどのデメリットが生じるのか?

他の一般的レベル院生コンテクストを持ち合わせないので,だいたい話が通じない.

学会発表つれーとか,実験が忙しくてやべーとか,言われてもわからない.

年に1回温泉入るだけの学会は楽ちんで楽しいし,アンケート取るだけの実験は忙しいとも思えない.

そのギャップ不安がる気持ち放置ブラックあるあるの話だ.

もちろん,修士研究のお作法もわからないので,修論発表会でボコボコにされる.

意味不明な発表で凄く高度に見せかけるテクニックを使った院生は無事卒業できた.

卒研の内容をそのまま修論で出した院生もいたが,受け答えが物凄くしっかりしていて卒業できた.

果たして,このような研究をやって社会に放り出されるのは良いのだろうか?

学生にとっても良くないし,大学にとっても良くないし,社会にとっても良くない.

修士ヤバイなら博士ヤバイ

先生指導できないので,論文誌に通るような作法を知らない.

もちろん,研究もわかってないので,ハチャメチャな論文を書かざるを得ない.

博論審査必要論文数を達成できなくなるので,自動的卒業が決まらないのである

私は学会発表で知り合った外部の先生に頼ったが,そうしないと論文を書くための初歩的なテクすら身につかない.

対策はあるのか?

同じ研究室所属している限り対策は極めて難しい.

Google検索は最良の教師にはならず,論文を書くためのノウハウは誰も公開していない.

よそに移るのが望ましいが,転学は学会発表をたくさんやって先生と知り合いになるしかない.



冒頭で提示したエントリは,そもそも放置されてるので自由にやることを提案している.

優秀な学生自由やらせるほど技術的なスキルの向上は見られるが,研究者として致命的である

研究者になりたいなら大学先生に教えを請うべき(おや?).

私も修論自由にやったが,副査の先生ボコボコにされるまで何が悪いのか気づかなかった.

技術必要な分野であれば,修論なんて提出するだけなので就職にはほぼ影響ない.

自由にやってメキメキスキルを伸ばした人もいる.

博士進学を考慮しているならば,自由にやることはおすすめできない.

すぐにでも他の先生に教えを請わなければ学費無駄になる.

結論

よく2ちゃんねる寿司屋蛇口が手を洗う場所と言って憚らない人がいる.

指導教員が昔からそこで手を洗う人で,学生にもそこで手を洗うと教える.

みんなで寿司屋へ行くと「熱い! 熱い!」とか言いながら大真面目に手を洗っているのである

不幸なことにその寿司屋は個室だから誰も注意してくれない.

大学研究室寿司屋蛇口で手を洗う事態になりやすいところで,よその様子を見るまで気が付かないのである

冒頭のエントリでは,何を目的として何をするか,自分恥知らずだったことを気付いた学生視点で展開している.

しかし,自分でやるということは,1年間で論文20本読んだ偉い! という気持ちになりやすく,「論文は週5本読むのが普通」とか言われてしまうとアイデンティティが非常に揺らぐ.

経験者として言えるのは,寿司屋蛇口で手を洗ってないか,それとなく確認すること.

正しい寿司屋でのメシの食い方を他の先生から習うこと.

自分は優秀だからって一人で研究ごっこやってたらうつ病になる.

人間って面白くて,週に1回しか人間と面会しない状態が続くとうつ病になるらしい)

(お前が悪いと非難されたこともあるが,大学に週1しか来なくて年収1500万超えてて毎日遊んだ報告をFBに上げるお前には言われたくない)

大学もこんなお荷物教員を多数抱えてクビにできないもんだからランクを下げる)

2017-09-30

C言語最初に学ぶべきではないが最初に学ぶことのメリット

私は今とある大学の4年生です.

本格的にプログラミングを始めとしてコンピュータ科学を学び始めたのは大学入学してからです.

今では幸運なことにインターン都内ベンチャー企業golangpython, scalaを用いた大規模なシステム構築に携わっています.

給料日本大学生にしては破格といえるのではないでしょうか. それも大学で真面目に勉強したお陰であると胸を張って言えます.

大学の方の卒業研究では組み込み系のセキュリティに関して研究しています. 正直テーマ選びに失敗したなと思っているので大学院にいったらシステムプログラミング系の方にシフトしようと思っています.

無駄話が過ぎました. 表題に関して話しましょう.

私が大学の授業で初めて習ったプログラミング言語C言語でした. 理由教授に聞くと, 並行して座学で教えるコンピュータ科学系の専門授業全般と結びつけやすいからだそうです.

最近TwitterQiita, StackOverflowなどでは「初学者最初に学ぶべきプログラミング言語はなに?」という質問に対して, JavaScriptPythonから入るのがベストだと言う人を沢山見かけます.

私自身こういった意見には賛成です.

JavaScriptブラウザというものが有る限り20年は消えなさそうですし, Python機械学習を始め, Webシステムでも使え, 非常にクレバー言語です.

javaオススメだと思います. 30億?ものデバイスで動く言語ですしドキュメント豊富です. 色々な分野にも応用が効くでしょう.

さて, そんな中でC言語という悪い評判しか聞かない, でもやたら色々なところで使われているらしい言語最初に学ぶメリットとは一体なんなのでしょう.

一つ, 私が思いついたのはコンピュータと仲良くなれる.

というのもC言語アセンブリ機械語に比べれば, 人間にわかやすく, かつコンピュータ側にも近いという顔をもちます.

真面目にプログラミングしようとするとどうしてもそのコンピュータの仕組み(主にメモリ) について学ぶ必要が出てきます. これらの知識現代の開発に置いて役立つ分野比較的限られると思います.

しかし, それらは思わぬバグ特定意図していない動作改善に役立つことがあるかもしれません(実際に私もいくつか出会いました)

二つ目は他の言語を学ぶ時のハードルが非常に低くなる. これはどの言語を学んでも同じだとは思います.

そして, 他の言語の高級な機能に思わず涙ぐみながら感謝すること間違いなしでしょう(javaのsplitとか他の言語にもあるHashとか)

ただ, 私はC言語構造体やポインタのお陰でオブジェクト指向プログラム言語を低レイヤ実装的な面と概念的な面ですんなりと理解することができました.

そしてよく挫折ポイントとなるポインタ(ダジャレじゃないですよ?). これもメモリの住所だと考えればそれほど難しくはないのです.

メモリ管理を適切に設計した時あなたプログラムボルト並みに早く走ってくれるかもしれません.

他の言語では味わえないやりがいがあるのもこの言語の魅力でしょう.

書いているとこれぐらいしか思いつきませんでした.

それでもコンソールに初めて Hello World! が出力された時の感動はやはり忘れられません.

昨今, 高機能言語が沢山ありますが, あなたプログラミング生活ささやかアクセントとしてC言語を学び直してみてはいかがでしょうか?

きっと今使っている言語普段言わない感謝言葉を述べること間違いなしです.

それではこんな駄文に付き合っていただきありがとうございました.

一刻も早く世界からC言語が消えることを祈っています.

2017-08-23

体力がない

単位をあらかた取ってしまったので授業がなく、卒業研究だけになってしまった学生研究室ルーチンワークコアタイムもなく、とにかく自分研究作業をこなせばいいだけ。理系だけど実験をやらない分野なので、時間の拘束もない。

そんな感じで自由なので自由生活してるんだけど、体力がなさすぎて困る。

最近は暑くて日中活動できなくて夕方に動き出して朝帰りしたり、朝からちゃんと起きて活動すると昼寝を挟まないと午後動けなかったり、昼寝を挟んでも夜帰ってきて気がついたら台所の床で気絶していたりする(卒倒したとかではなく、夜ご飯どうしようかと座り込んで考えてたら眠くなってぱたんとなってしまうんだと思う)。

9時ころに起きて数時間かけて家事や身支度をしてブランチをキメて昼過ぎに登校するくらいだとなんとか無睡で夜を迎えられる。

学校でも基本プログラム書いたり分析かけたり論文読み書きしたり、とにかくデスクワークしかしてないから体力削られることもそんなにないはずなのに。逆にデスクワークしかしてないか日常生活に耐えるだけの体力がつかないのかな。

土日はバイトで動き回ったりデスクワークしたりするけど、そうすると決まって月曜に疲れ切って一日ダウンしてしまう。最近はそれを見越して土日のバイト以外の時間にちまちま研究作業をやるようになった。

学生からまだこんな生活でも成り立ってるけど、社会に出たら絶対適応できない気がする。

つくづく、生きることに向いてないなあ。

2017-08-08

流れてきて8年目になった

中学校の成績は中の上ぐらいで、友達受験する普通高校合格する自信が無かったから、兄弟が通っていた実業高校を選んだ。県内でも下から数えた方が早いくら偏差値が低くて、自分学力でも余裕でやっていけそうだと思った。履歴書に書けないような検定・資格試験対策がメインだったけど、ゲームクリアするような感覚で楽しかった。少し頑張れば常に成績はトップだった。卒業後の進路は先生に進められるまま、地元国公立大学受験した。もちろん正面からセンター試験突破できるような学力はなかったので、推薦を受けて合格した。

入学してしばらくは講義を真面目に受けて、分からないことは教授質問しに行って、必死に食らいついていた。学科の先輩たちとの勉強会にも頻繁に参加して、大学って楽しいと思っていた。でも1年後期には、講義を受けるだけでは追いつかなくなって、質問をしても返ってくる答えの意味理解できなくなった。基礎学力があまりにも足りないんだとようやく気づいた。でもまだ1年後期だし、今から勉強すれば遅くないと思っていた。そして学力不足を補うことができないまま大学3年になって、単位を落とすことはなかったけど評価は散々だった。

大学3年になると研究が始まって、ただ講義を受けてレポートを出せばいいってわけじゃなくなった。自分で考えて研究を進めないといけないのに、今まで受け身でしか物事を考えてこなかったから何をしたらいいのか全く思いつかなかった。ゼミに入って進捗報告を求められてもその場しのぎの報告しかできなくて、どんどん切羽詰まっていった。

大学4年になって、卒業研究中間発表の時期がきても状況は変わらなかった。その頃から文章が読めなくなったり、思考停止が著しくなってきて変だなと思った。でも自分がサボってきたツケが回ってきたのだと思うことにした。そのうち熱が下がらなくなり、身体が痛み、起きられなくなった。風邪だと思って病院に行ったら精神科受診を勧められた。うつ病だった。休学を勧められたけど、中学ぶりに自分で頑張ったと思えた院試合格内定無駄にしたくなくて、薬を飲みながら大学には通い続けた。どうにかお粗末すぎる論文を書き上げ、卒業はできたけどもう限界だった。

でも環境が変われば体調も良くなると思って、そのまま院進した。大学とは少し違った講義スタイルで、友達にも恵まれてしばらくは元気に過ごすことができた。でもやっぱり学力不足とお粗末な論文を書いた研究の続きをやらなくてはいけないという不甲斐なさは消えず、体調はだんだん悪くなった。夏休みに入る頃にはまた起きられない日も増えて、研究活動は一旦休み、履修している講義単位を取ることだけに集中した。そして、同期が就活を始めたのを知って心がぽっきり折れた。こんなボロボロ状態ではこの先やっていけないと、ようやく決心がついて後期の休学を決めた。

研究から離れると気が楽になって、体調もかなり良くなった。カウンセリングを受けて、研究に対する考えを整理したのも良かったのかもしれない。1年間の休学を終えて、復学後は研究テーマを変えて少しずつ作業ができるようになっていた。でもそれは長く続かず、最近また何も手につかないことが増えた。前みたいに体調が悪いわけではなく、ただただやる気が起きない。タスクを書き出して細分化したうちの1つも満足に終わらせられない。

そもそも僕は勉学に自信がなかったのに、いつの間にそれを自分がやりたいことだと思い込んでしまったんだろう。今研究している分野も高校でやっていたことの延長線で、本当にやりたかったとは到底思えない。院進した理由も、就活が上手くいく自信が無かったからで、研究がしたいという嘘の理由を作って不安から逃げていただけに過ぎない。僕は自分自分の首を締めることを選んできたことに向き合うまでに、あまりにも時間をかけてしまった。

またしばらく研究活動を休むことにした。自分の今後の進路について、今度こそしっかり考えようと思う。逃げや甘えだと言われるのは分かっている。全て努力不足が招いた結果だとはっきりと分かる。だからこそ、何を言われても否定せず、逃げずに自分に向き合うことが、今できる最善の手段だと思う。8年間流れるままだった自分選択を、次こそは自分で決めたと断言できるようになりたい。

2017-07-14

就活うまくいかないよーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ああああああああああああああああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

就職上手くいかないよーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

卒業研究バイトも全部頑張りたいのにがんばれないよーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

なにか一つ頑張ると何か一つがとどこおるよーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

お金がないかバイトする

就活のためにバイトを休む

バイトを休むと就活に行く金がなくなる

しにてえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ

2017-07-05

人はオナりながら期待値計算出来ない

20代男性童貞です。

動画でもエロゲでも出しどころというのは、一度観たりしてない限り現在プレイから予測するしかない。

あ、そろそろイきそうだなとか。でも右手ないし左手上下動させてる時に、そんなのを予想するのは無理だと今気付いた。

最近流行りのディープラーニングを駆使して、誰か現在プレイから出しどころを予測するやつ作ってくれ。それに合わせてオナるから

それとも俺の卒業研究にしようかな...

2017-05-12

両立の壁

から卒業研究ミーティング

第一志望群の企業からお祈りされて立ち直れないかと思った。就活脳になってたけど、まずは卒業しないとと思い奮い立たせながら行ってきます

本当にご縁がなかっただけだと思いたい。技術力の面で乏しさが光ったのなら私は何を大学で学んできたんだろうと思う。

経験よりも伸びしろがある人のが欲しい。知ってる知ってる。

2017-05-02

もうすぐ大学受験・進学を控える息子さん・娘さんのいる親御さんへ

(そういう方々が果たしてこれを見ているのか)

特に

国立理系子供高卒現役で進学する

・家庭の収入がそこそこある

という条件に当てはまるご家庭の方。

この条件が言いたいことは、

大学進学前に本人が大学に関する費用バイトなどで稼ぐことができない(高卒現役での進学)

大学入学後1年~2年は講義実験が多くあり、課題レポートの数が多い(国立理系の特徴)

給付型の奨学金や、そうでない奨学金でも多額の奨学金を得られない(家庭の収入がそこそこある)

大学の「学費免除制度が利用できない(家庭の収入がそこそこある)

と言うことです。

ちなみに先に申し上げますと、基本的にどの制度においても大学学部時代奨学金学費免除制度は親の収入基準審査されます

なぜなら基本的に皆様入学時は未成年ですから税金健康保険上親御さんの扶養に入っている=独立生計でないとみられるからです。

逆に成人後や、大学院となると(成人後か、大学院かは制度によって異なる)本人がバイト収入があり、税金健康保険独立生計であるとみなされていれば本人の収入で決まります


子供学費と、最低限の生活費は出してあげてください。

最低限の生活費というのは、

家賃

水道光熱費

・食費(これに関しては現物支給でも可)

です。

親御さんの中には「私が学生の頃はバイト学費生活費も稼いでいたものだ」と言う方もいます大学によっては可能かもしれませんが基本的不可能です。

特に、先ほどの条件に当てはまる場合はまず無理です。

国立大学学費はおおよそ年間53万です。生活費に関しては「寮にでも~」と仰るかもしれませんが、先ほどの条件に当てはまる方がまず格安の寮に入寮するのは無理でしょう。

仮に、都内国立大学に進学したとします。

生活費に関してはおおよそこんな感じになります

家賃:4万~6万/月(場所による。都内場合は4万を下回るとなにか問題があることが多々ある)

水道光熱費:1万/月

食費:仮に自炊するなら2万~4万/月(初月は調理器具を一通りそろえたり、調味料を買いそろえたりする関係で+何万かを考えたほうが良い)

また、大学入学すると、教科書やそのほか様々なものをそろえる必要があります

PCのない大学生活は今の世の中ではほぼ無理でしょう。理系学生ならデータの処理をする関係必須でしょう。そうすれば今度は回線費用とかも掛かってきます

理系の中でも情報系に行くならPCがないとかやる気がないに等しいです。

そういったものも勘案し、なおかつ学費を月額分割して考えると(例えば大学学費分割納付を利用したと考える)、収入が月15万を下回れば生活はできないでしょう。

但し、これは「生活ができない」基準であり、大学で友人と交流しないという選択肢はないでしょうから、そういったものも考える必要があります

また、けが病気をする可能性もあります講義によっては別でお金を支払わなければならないものもあります(集中講義等)。そういうことを考えると収入が月20万ほどないとなかなか不安でしょう。

『月20万とか学部卒の初任給並みじゃないか!ふざけるな!』と言われる方もいますが、落ち着いてください。就職された方は毎月5万近くの学費は払う必要がないのです。

まり実質月15万で生活するのです。十分質素生活でしょう。

さらに月20万とはいえ、そこに賞与なども重なるのでもう少し金額は多くなるのです。


さて、月20万近い収入は年間換算で240万円です。これを全部バイトで賄うと今度は扶養控除が外れ、親御さんの加入している共済組合健康保険等の被扶養者の資格喪失し、自身国民健康保険に加入する必要があります。そして、本人も市民税などを支払わなければならなくなります年金の納付も必要になります

また、これらをバイトで賄うことになると、時給1000円なら200時間/月。正社員より多いです。時給1500円ですら134時間大学に行く余裕などないでしょう。

では、ここで日本学生支援機構奨学金を利用すると考えます。先ほどの条件からまず第一種は無理でしょうから第二種を取ります

第二種の満額は12万ですが、そもそも学費生活費も出さない親御さんが奨学金連帯保証人になってくださるとは思いませんから機関保証制度を使うでしょう。

すると、額面は11.5万円ほどです。これが仮に通ったとしたら、残りの金額は8.5万円/月で済むことになりました。

しかし、それでも時給1000円なら85時間、時給1500円でも57時間です。

ここでもう一つ思い出してほしいのは、条件のうちの「国立理系大学生」ということです。

一般的に聞く大学生というのは、授業が週に5コマとかしかなくて、余裕みたいな感じですが、国立理系学生の1~2年というのは基礎知識を叩き込むため、特に学部1年なんかはほぼフルコマなんてことはざらにあります

また、卒業研究の時期に授業があると非常につらいため、実質3年間で取りきる必要があるため、その後もそこそこ講義数があり、さら実験レポートや、講義課題もあり、もちろん勉強もする必要があります高校みたくテスト前に勉強すればOKというわけではありません。

そういった学生に対して、月60~80時間、週に換算しても15~20時間近いバイトを強いるのはなかなか過酷です。

まず、土日両方をバイトで埋めるなど論外です。絶対レポートが終わりません。なのでこの地点で上限は8時間程度となります

残りを平日に分散しますが、平日の場合バイトが開始できるのが18時頃からでしょう。深夜バイトなど1限寝坊の原因にしかなりませんのであり得ません。

仮に平日を1勤務3時間(1800~2100)としたら、最低3日は入る必要があります

20時間ともなれば、週4日、つまりほぼ毎日バイトに入る必要があります

さて、これで課題ができますでしょうか。無理です。

そんなの根性で云々という方もいますが、必ずどこかで身体を壊します。

さらに、留年すれば奨学金は止まります奨学金が止まれ収入はないので学費が払えません。学費が払えないなら大学には行けません。


もう少し踏み込むのであれば、さらっと「時給1000円なら~、時給1500円なら~」と言いましたが、時給1000円のバイト最近増えてきたにしても、時給1500円のバイトなどそんなにゴロゴロは転がっていません。

ところが、「アルバイト情報誌を見ると載ってるじゃないか!」という方もいます

時給が高いものは「技術力を要求される」か、「非常に仕事量が多い」か、「その分責任が発生する」か、など、ちゃんとそれに応じた理由があります

これも説明したいのですが、これだけでいっぱいかけてしまうので今回は省略します。

さらに、ここまで都内数字で見てきましたが、地方場合生活費も安く済む代わり、バイト代も下がります。つまり実質的負担は変わりません。



ここまでつらつらと書き連ねていきましたが、結果何が言いたいかというと、

現代日本において学費生活費自分でどうにかして大学に行くなど、国立大学ですら無理」ということです。

また、奨学金は「将来の自分自身への借金」です。奨学金をもらってもバイトに明け暮れていたら何のための大学生活かわかりません。

どうか親御さん、せめて学部4年間だけでも、学費と最低限の生活費だけは支給してあげてください。

あなたのお子さんがSOSを出すころにはもう手遅れになってるかもしれませんよ。

もう「支援はしないよ」と送り出してしまった親御さん。

もう遅いかもしれませんが、何もしないに越したことはありません。今すぐにでも息子さん・娘さんに連絡を取ってみてください。

次に会うのが警察署か、病院か、もしくは帰らぬ人となる前に。







ちなみに、これは(多少ぼかしましたが)すべて私の実体験をもとに書いたものです。

私はどうにか乗り切ることができましたが、その結果得たものほとんどなく、高校卒業時点でそこそこあった筋肉ストレス運動不足で削げ落ち、

身体健康とは無縁となり毎月何らかの理由病院を訪れる日々。大学時代の思い出は「強いて言うならアルバイト」となるくらいです。

そして失った健康と私は残り60年以上も付き合うことになるわけです。

単位も非常にぎりぎりで、卒業できるかできないか最後までびくびくしていました。

私がバイトをしている間、友人たちは独学で勉強をし、それを友人たちで見せ合い、互いに学を深めていました。

果たして私は大学生だったんでしょうか。

また、このような状態になり、果たして親に「今まで育ててくれてありがとう、生んでくれてありがとう、厳しいことを言われたこともあったけどあれもすべてうんたらかんたら」と思うでしょうか。

いいえ。私はこの結果、「親は私を捨てたのだ」と思い、憎しみを通り越し無感情となりました。何が感謝だ。ふざけるな。(これには実家いたころの積もり積もるものもあるのですがそこは割愛

2017-02-18

スーツを着た大勢人間がいる空間を見たり、その集団に近づくと

本当に泣きそうになる。

怖くて、気持ち悪い。

その空間にいることもままならない。

数週間後に自分はその現場にいなければいけないらしい。

卒業式なら欠席すりゃいいんだけど、そういうわけにもいかない。

しかも、結構真面目な場。


プレッシャーとか、失敗したらどうしようとか、色々あるけど

それ以上に、スーツだらけの空間に耐えられそうにない。

誰かわかってくれねーかな。


特に同級生スーツ着てるのが、死ぬほど辛いんだ。

自分も同じ格好していてもしていなくても、本当に辛い。

何なんだろうな。


追記

もっと批判されるかと思ったけど、温かいコメントありがとうございます

トラックバックでも言ったけど、能面ピエロなども恐怖症。

マトリックスは見たことない。逃走中も苦手だけど、知っている人が真剣なことをしているのが怖いんだろうな。

実は工業系の学生で、卒業研究の発表会や学会の出席が決まってる。

就職スーツじゃない方がいいなとか漠然と思うけど

目の前の卒業式卒研学会がもう辛すぎて、卒論書くのはいいけどそっちの方が辛くて本当に泣きそう。

別件で心療内科はかかってたことあるんだけど、これ行った方がいい?

なんていうか、いい誤魔化し方ないかな。

こんなんでへこたれてちゃこの先生きていけない…なんて言われるんだよ。

追記2

様々なお言葉、本当にありがとうございますありがとうございます…。

ホッテントリ…。

賛同して頂ける方々、勇気をもらいました。

制服はまだ大丈夫だったけど、同じ方向に向かう同じ学校の人々を見るのが辛い。

私服選びがめんどくさいのはよく分かるし、スーツの「ちゃんとしてる感」に拒否しているのだろうか。

今でも登校がすごく苦手。小中学校大丈夫だったのだけど。

幸い今の学校徒歩圏内なので助かっているけど、それでも大勢人間と登校が本当に苦手。

たまに通勤ラッシュに巻き込まれると、焦っている人々を見て足が竦む。

進路やインターンシップ説明会とか、真面目にならなきゃいけない雰囲気というか。

普段ふざけて遊ぶ同級生が真面目になっているのも見ていられないし、お世話になっている先生がご飯を食べているのも見ていられない。

怖い、気持ち悪い、その場から消えてしまいたい、みたいな。

でも、決してスーツ嫌いなわけではなく、素敵なスーツもたくさんあるし、それを着こなす方々は男女問わずかっこいい。

スーツ否定をしているわけではなく。

ただ、普通にそういう空間に馴染んで、こういうことを思わずに、普通に生きたいな、とか思う。

2017-01-17

看護学生

看護学生してて思ったこと。

もちろんプライバシー保護は大切なので、掘りいったことは書きません。

ひとつの例として受け取ってもらえればと思います

わたし

看護大学4年、もうすぐ国家試験

教員陣は怖い人が多い

・なんとかなるから大丈夫と思ってる

ヘタレ

・きらいなことは行動計画発表

まず、大学でのこと。

1年の頃からフルコマでびっしり勉強が始まり医療ことなんてちんぷんかんぷんながらも頑張って覚えた解剖生理学

途中に挟まれ技術演習。血圧測定のテストではダブルステートで教員と聴いた。よくできていた人にも粗探しをされ、文句しか言えないのかと思った。

2年くらいになると文系大学で現れる〝全休〟。そんなものはなかった。「起きたら2限始まってたあ〜」なんて有り得ない。1限すら落とせない。絶対に、這ってでも1限に行く。単位を落とすことさえ許されない。実習が始まるから授業どころではなくなってしまう。わたし大学ナース服を着る時は黒髪でなければいけなかったので、大学生活はほぼ黒髪夏休み染められるのが嬉しかった〜。

3年から始まる領域別実習。(2年生からのところもある?)

教員が鬼に見えた。

病棟へ行き、行動計画指導者に見せる前にまず教員チェックが入る。

「なんで?」

「は?」

あなたは昨日の夜何をしてきたの?」

教員言葉が痛かった。わたしを見る視線も痛かった。逃げ出せるもんなら逃げ出したかった。

毎日2時間くらいしか睡眠時間が取れないくらい、必死に受け持ちさんの疾患と症状を見比べて立てていた行動計画。こんなに必死にやっても褒められることはなかった。

それがやっと終わっても次にやってくるのは指導者への行動計画発表。指導者2人+教員2人VSわたし、なんてこともあった。実習の中でいちばん嫌いな時間だった。グループメンバーがズタボロに言われてるのを見て、ああ……わたしもこうなるんだ……と毎日思ってた。

アセスメント看護計画教員からコメントが心に刺さるものが多くて毎日泣いていた。甘えかもしれないけど、もっと言葉の棘をなくしてほしいと思った。

唯一実習で癒されるのは患者さんとの時間。本当にありがとうと言いたい。ベッドサイドが病棟いちばん落ち着く場所かもしれない。まあそれでバッ!とカーテンが開いて教員が現れた時はもう\(^o^)/こんな感じだけど。

そんな患者さんだけど、アセスメントして計画を立てるためにこんなこと聞くの?みたいなことまで聞かなければいけない。根掘り葉掘り聞かれて患者さんは嫌じゃないかな?とか、わたしだったら聞かれたら嫌かもしれないな、、なんて考えながらお話をしていた。聞いてきたことをアセスメントに加えても、不足があって指摘される。ここ聞かなきゃ!って思うけど、どうやって聞けばいいんだろう…とかなり悩んだ。病態よりもコミュニケーションに悩むことが多かったかもしれない。御家族から聞けることは御家族が面会に来られた時しかチャンスがないからもう必死(笑)きっと変な言葉になってただろうな〜。

指導者への報告の仕方とか、ケアの手順とか、調べてきてもやっぱり実際の病棟とは違う。仕方ないけど悔しかった。

あとは、ナースステーションの居心地の悪さ。記録部屋を用意してくれる病院ならまだいいけど、それがないところはナースステーションにいるしかいから頑張って看護師さんたちの邪魔にならない場所(隅の方)を探して居るけど、邪魔じゃないかな?ここ使うかな?といつもら気にかけていてナースステーションは好きな場所ではなかった。実習に来てごめんなさいといつも思ってた。

あと、やることがなくなる、もしくは何をやればいいかも分からなくなると始まる病棟散歩(笑)教員指導者に見つからないように病棟をうろうろした。だって何したらいいかわかんないんだもの。聞くにも「なぜ私に聞くの?」って言われるから1度聞いたらもう聞けない。うろうろするしかない。

領域別実習が終わって卒業研究。いわゆる卒論のようなもの。3年生の2月とかから始めて、国試勉強とか就活しつつ10月に完成させる。文系大学と比べるのもおかしいけど、わたしは同時進行でやることが多いから、卒論くらいでなんであんなに文系大学は騒いでるんだろうって思った。

最後に。

鬼の教員だらけで大変だったけど実習は休まず行ったし、単位ひとつも落とさなかった。普通のことだけど。なんとかなるもんだと思った。寝れなくても、病棟で泣いても、怒られても、なんとかなる。大学生だけどあまり大学生らしい生活はできないからそこだけ覚悟必要かな。

で、今は国試直前。

こんな時間に起きてることも、こんなの書いてることもあまりよろしくないです。でもなんとかなることを信じて頑張ります

追記です。

なぜ度々患者さんへ許可をとるのかについて。

インフォームド・コンセント(事前に説明許可を得ること)ぜったい!と教えられているので、何をするにもまずは「次にこれしたいのですが、いいですか?(簡単に言うと)」と聞かねばなりません。

それもきっと患者さんからしたら、いちいちうるさいなあってなりますよね。でもそれをしないと、教員指導者(学生指導看護師)から「え?許可とってないの?ならできないよ」と言われてしまます。なかなか難しいことばかりで……。

受け持ち患者さんに受け持ち開始の時に「毎回許可をとらねばならないため、何度も聞いてしまますすみません」と聞いたりしたらいいのかもしれません。ただ、全く余裕もなく毎日焦って不安でぐちゃぐちゃになっているので、できないだろうなっていう思いもあります。もうわたしは実習が終わってしまったので、就職してから学生を受け入れる側になったときに気をつけていきたいと思います学生が受け持たせていただくとき患者さんへの説明が、「嫌なことは断っていいです」スタンスなのであまり説明のことは説明されてないと思うんです。やらなければいけないですね。

2017-01-07

今日も昼に起きた

卒業研究は進まない

今日は昨日より不安じゃないか

2017-01-06

今日も布団から出られない

天気がいいのに今日も布団から出られないし、卒業研究は進まない

頑張って犬の散歩にいこうかな

2016-10-12

焚書をする

卒業研究テーマを決めることになった。

Gランク大学だが、卒業制作卒業研究を発表せねば卒業できない。

から私はみんなで教科書を燃やす研究を行うことにした。

ただ、教科書を焼いても面白さに欠けるので、

教科書を焼いた火で焼き芋をつくってみんなで食べることにした。

教科書焚き火の中にくべていくと、表紙にPP加工した物理教科書

青白く燃え上がってきれいだった。

しばらくしてできあがった焼き芋教科書を燃やすという背徳感もあり、

いつもより美味しく感じた。

焼き芋もみんなで食べ終わったころだろうか、

「結局、教科書って焼き芋作ることぐらいしか役に立たたんのかね。」

担当教授ぼやきながら、まだ論文集を火に放り込んでいた。

2016-09-25

ホワイト研究室だけど研究死ぬほど嫌だ

大学研究の話。学部4年

現状と環境

研究室に行くのがどんどん嫌になり研究室に行く時間も減っている

研究室鬱についても調べることが増えた。

研究室自体ブラックでは全くない。むしろホワイト

コアタイムは無いし、毎週の進捗報告も特に進展が無ければ「特に進捗ありません。~している途中です。」で済まされる。

ネットでたまに見る教授や先輩が横暴といったこともない。

研究が嫌な理由

研究が嫌な理由を考えてみた

  • 単純に研究が進まない

就活が終わってから研究を本格的に始めたが、正直最初から何をすればいいのか全然からなかった。

からないことがあれば教授や先輩に聞かなければいけないのだろうけど、自分研究テーマは先輩たちとは多少分野が違ったので

必然的教授にに聞くことになる。

自分所属している研究室教授質問をしにいくと、まず「君はどう考えているの?」というように聞いてくる。

それに答えるとさらにそこからかい部分について同様の質問が出てきて突き詰められる。

学生に考えさせたいという意図はわかるのだけどそれがプレッシャーとなり教授質問をしに行くのが怖くなった。

質問をする前に考えをまとめるが当然わからないことがあり、でもそれを質問するのは怖く考えがまとまらない…という

悪循環になっていった。

こうなってからは何もかもうまくいかない。

からないことがあっても質問しないのだから当然である

研究室に仲のいい人がいないということもつらい要因の一つになる。

研究室の同期は俺に対してはビジネスライク関係で、仲が悪いわけじゃないけどそんな気軽に話したりはしない。

俺以外の同期は元々仲が良かったため普段から話してるけどその輪に入れない。

研究室にいるときは基本話し相手がいなく、もくもくと研究を行っているのだが案外それが辛かった。

考えがまとまらないし話す人もいないのでストレスが溜まっていく。

  • 迷惑をかけると感じることが多い

実験をするときには自分以外に先輩を一人ついてきてもらわないといけない。

実験は3時間ほどかかるので先輩の時間を取ってしまうのが申しわけないと思い実験をするのを躊躇してしまう。

研究っていうのはそういうもんだし仕方ないとは思うけどこの感情は消えない。

この前の実験は失敗してしまいまた同じ内容の実験で先輩についてきてもらわないといけないのが憂鬱だ。

研究が進まず迷惑もかけて、自分はいないほうがマシじゃないかと思う感じる

比較的結果の出しやすテーマ教授に言われて今のテーマにした。

ハード系の研究だが、シミュレーション系の研究の方が向いていたように思う。

またテーマ自体もあまり意味のある研究とは思えない。

精神状態の変化

研究がうまくいかずに自分精神が変わったと思うことが3点ほどある

本当に研究が原因かはわからないけど

  • 行動しにくくなった

慣れないことや新しいことをし始めるとき、うまくいくか不安先延ばしにすることが多くなった。

頼みごとや質問をしに行くとき不安になる。

実際に実験の準備不足やメールの誤字などミスが増えている。

この日記もどっかしら間違えてそう。

調べてみたら予期不安というものらしい。

対処としては小さな成功を積み重ねていくようにするといいらしいが、研究で小さな成功すら思いつかない。

家にいてゲームをしているときに、こんなことをしていていいのか、もっと実のあることをすべきじゃないのか。

無駄なことをしてはいけない、というような気持が出てくるようになった。

でも何をすればいいかはよくわからないまま。

  • 思ったことがそのまま口に出るようになってきた

ネガティブワードや人を馬鹿にしたり茶化すようなことが頭に浮かんだら

静止できずに言ってしまうことが増えた。

今後どうなるんだろう

研究が始まってから研究関連でうまくいってることなんか一つも無い。

研究室選び、研究テーマ選び、研究室内のコミュニケーション研究の進め方のすべてを間違えてしまった。

別の研究室テーマならうまくいったのかと考えるけど、結局同じ道を行く気もする。

いまはただ卒業研究が終わってほしい。

でもこの程度でこんなにつらくなる俺に仕事は進めていけるんだろうか、この反省を活かせるんだろうか。

2016-09-14

家で一人でいると5分おきに尿意が出てくるのでトイレに行った

ニートで家にずっとこもってたけどしんどくなってきた.

頻尿になったのは去年の暮れ位から大学卒業間近で卒業研究とか単位足りてなかったので講義出てたりしてストレスたまってたのかしらんけど緊張するシチュエーション(講義とかで座ってるだけ)体はぶるぶる震えるしトイレ行った直後にすぐ膀胱らへんから残尿感っていうか尿意を感じて頻繁にトイレに行くようになった.

寝てる時とかリラックスしたり集中してるとき大丈夫から神経性頻尿だと思った.

家に一人でいて何もすることが無くて何かしなきゃと思ってるときとか不安ときに頻尿になる.

しかしたら膀胱炎かもしれないか病院に行こうとは思ってる.

尿漏れパッド買うかいっそ死ぬかも検討中

2016-09-01

[]卒研不安

成績は中の下か下の上くらいのしがない理系大学生

思ったことをとりあえずインターネッツの海に放しておくことにする。

卒論できんのかしら……。

卒業研究での大切な点①

研究室にはなるべく毎日行く。

まあ、卒研研究室生活について書いてあるblogだとよくある話。

気分的に本当に今日は無理みたいな日も来るかもしれないから……。

ちなみに、私は豆腐メンタルからそれなりにある。(求 解決方法

同期が全く研究室に来なくて見放されつつあるのを見るとますますそう思うよ。

to doリストを作る習慣

実験やって、週報ppt作って、中間報告用レジュメの構想も練るなんてのはまあある話。

頭の中であれもこれもやらないと考えていると混乱するから、締め切り日順にto doリストを作るといいきがする。

締め切りはないけどやらにゃならんことも多いだろうから、そういうのは逆算して自分なりの締切りを設けておく。

頭の中も整理されて少しは気が楽になる。

2016-03-15

セディールの良い体験談を書いておきたかった

セディールという、精神科系のお薬がある。

一般名はタンスピロクエン酸塩で、1996年に発売された大日本住友製薬抗不安薬である

このセディールはggったらわかるのだけれども、びっくりするほど評判が悪い。

探しに探したけど、ほとんど見つからない。

効果が実感しづらいのが主な原因らしい。

私はセディールに丸2年ちかく、1日3回世話になり続けた。

途中何度か油断して断薬したりもしたが、

その度に「やっぱりセディールがないとだめなんだ」と反省して飲み直した。

どれくらい飲んだんだろう。700日間飲んだとしたら2100錠だから、21箱?

私はセディールが好きだ。人生を救ってくれたと思っている。とても感謝している。

大日本住友製薬ファンレターを書きたいくらいだ。

できれば1日3回の用法煩雑なので徐放とか開発してくれないかと思っているのだが、

まりモテない薬では難しいか。薬価高いしね。

というわけで、ネットセディール万歳記事が見当たらないと悔しいので、

大海に砂粒を投じたい気持ちだけでこの記事を書くことにした。

どうせこの記事も埋もれるんだろうけど、それでも書きたい。自己満足です。

長くなるけど自己満足っていうことで許してほしい。


セディールの話をしているからには、私は抗不安薬を飲まなくちゃいけないような人間だ。

いわゆる鬱病PDではないが、生き辛いアスペさんである

幼い頃はADHDクラスメイトとセットで爪弾きにされて、彼女の失禁の面倒ばかりみていた。

その後不登校になって自殺未遂して、……まあ波乱万丈に鬱々と生きてきた。

学生時代の話でちょっと自慢できることなんて、

受験生ときに、駿台模試数学偏差値103とったことがあるくらい。

他人にはほぼ無関心を貫いていた私も、さすがに驚いた。

「こんなに簡単な問題を解けない人がいるらしい」という方向に。

……ちょっと話がずれたかな。

別に数学自慢をしたい訳ではなく、抗不安薬の薬効を褒めるに当たって

どういったバックグラウンド患者であるかを説明したいのだが、

自分語りというのは難しい。冗長申し訳ない。

数学ができそうなことを書いてみたが、私は基本的テストが苦手だ。

知らない場所へ行くのも大嫌いで、場所が変わったらただ硬直するだけの人になる。

たまたま前述の模試は知っている予備校の知っている部屋で開催されただけで、

別の部屋で開催していたら多分偏差値なんて40とかその程度に落ちていたと思う。

スケジュールノイズが入るのも苦手だった。

たとえば「月末に試験がある」とか、いつもと違う予定になってしまったら

もう月末まで機能不全に陥るのは確定事項のようなものだ。

食事も食べられないし、部屋の片隅でずっと猫のように丸まっている。

障害がわかる前から私が非常に神経質なのは判明していた。

両親はいつも「私に物事意識させない」ように気遣ってくれていた。

幸か不幸か、観察眼もないし日付や時間もよくわからない人間だったので

騙し騙し手を引けば、何にも気付かずいつも通りに過ごしていた。

明日テストだよ」なんていう特別っぽいことを言わず

今日は一緒に出掛けよう」←よくあること

「この席に座って問題を解いてね」←よくあること

で、誤魔化すことが可能だった。

子供だましのようだが、子供だましが看破できないからASDなので仕方がない。

しかし、そんな風に一から十まで他人に面倒を見させる訳にもいかないだろう。

大学受験の段階で、かなりムリがあったと思う。

それでも幸いにして大学に入ることはできた。薬学部だった。

どうして薬学部だったのか自分はさっぱり覚えていないのだが

(そもそも薬学部なんて受験したっけ? 状態だ)

勉強だけできて、勉強以外なにもできない私が、

一般企業で働くのは無理だと気づいて、手に職をつけさせようとしたのだと思う。

という訳で、向不安薬の存在をはじめて意識したのは、大学教科書の上だった。

そのとき、私はまだ精神科心療内科の世話になったことはなかったのだが

セディールが、セロトニン5-HT1A自己受容体に部分アゴニストとして作用するとか、

受容体が脱感作してダウンレギュレーションを起こすことは何となく印象に残った。

他の多くの抗不安薬はGABAa受容体Cl-透過性をどうの、という作用点なので

「あー全然違うのが混ざってる、へー」程度だったと思うが。

実際にそれらに世話になったのは、社会に出る時である

あいろいろあって、職場を追い出され、実家でもちょっとトラブルが起き

元々神経過敏であった私は、あっという間に鬱っぽくなった。

あくまで「鬱っぽく」だ。

適応障害と言われたが、私の問題適応障害云々とは別のところにあった。

そりゃ何もなくても泣き出したりしたりしたけど。

ご存知の方もたくさんいらっしゃると思うが、

まず発達障害ストレス状態が悪い方向に傾くことが多い。

物音も人間の気配も何もかもが耐えられなくて、

外出してみたものの、机の下に隠れて出られなくなるような有様だった。

強迫行動などはあまりなかったはずなのだが、

コントロール方法が急にわからなくなって暴走した。

ちなみに、この時点でカウンセリングテストを受けて、ASD正式に発覚した。

また、これもよく知られていることだが、

ASDADHDに、薬に感受性が高すぎるタイプがいる。

私もその系統で、鬱や適応障害に投与される抗不安薬がほぼ使い物にならなかった。

たとえば、メイラックス(ロフラゼプ酸エチル)という薬がある。

成人なら1回2mgで1日1回服用の、長時間作用型の穏やかな抗不安薬だ。

高齢者などで1mgで投与されることもある。

1mg飲んだところ、2日間に渡って朦朧状態、ほぼ40時間ぶっ通しで爆睡した。

メイラックス比較コントロールできるので今も世話になることがあるが

初日に0.5mg(1mg錠を半分に割る)、以降1日おきに0.25mg(1/4に割る)。

この使い方は、自分体感を頼りに半減期などを考慮して自分計算して決めたものなので、

他の薬の感受性が高い人が同じ容量で効果を得られることなどを保証するものではない。

他の抗不安薬も概ね似たようなもので、

飲んだら千鳥足から爆睡半日以上目が覚めない、そればっかりで、

とてもじゃないけれども、外に出ることを前提に使えたものではなかった。

なお、三環系や四環系、SSRISNRIなどは未経験である

で、それらの事情から、私の状態は非常に悪かった。

かろうじて大学だけは卒業したものの、卒業したところで私は立ち止まった。

そのまま部屋の外に出られなくて引きこもって終わる可能性も覚悟した。

そんな時に処方されたのがセディールだった。

効果は薄いかもしれないけれど、と抑肝散と共に処方されたそれを見て、

「あー、学校で習ったあの変な作用機序の薬かー」と、思った。

そして、こいつに即効性はないはずだ、と引きこもりの頭で考えた。

受容体の脱感作にどれくれい時間がかかるんだろう。

知らない。知らないけど、俗に作用発現に2週間と言われているということは、

とりあえず長く見積もって1ヶ月、高コンプライアンスを維持しよう。

とかなんとか。

目標は抗不安効果ではなく、セロトニン受容体を殴ることだと割り切り、

効果体感がほぼない分、服薬忘れに細心の注意を払ったと思う。

で、2ヶ月くらい飲んだ頃、正直、「あんまり効果ないな」と思った。

依然として不調な時は不調だったし、

爆睡前提でベンゾジアゼピン薬を使うしかないこともあった。

そこで面倒になった私は、薬のなくなるタイミング勝手断薬した。

適当なことをするなよ薬剤師、と思われそうだが、

断薬で変なことは起きないと自分で調べて自己責任で辞めた。

2週間くらい放ったらかして、何だかイライラする頻度が増した。

落ち着かない感じというのだろうか。

その時にはすっかり忘れていた強迫行動がぶり返した気がした。

ベンゾジアゼピン薬の消費が増えかけたので、

まさか……と思いながらセディールを飲み直した。

その時即効性を感じた訳ではないが、数日後にぴたりと強迫行動は止まった。

おかしいと思った私は即座にカレンダーメモした。

日付感覚がないので、カレンダーメモする癖がついていたせいだ。

そして、しばらくして十分に安定した頃合いに、

今度は故意セディールを飲み忘れてみた。

その直後はなんともないのだが、

数日するとまた覚えのある強迫行動がぶり返す。

この現象を、私は副作用や退薬症状ではないと判断した。

タンスピロンという薬の構造をよく観察してそう考えたし、

退薬症状でいきなり強迫行動のような特徴的なものが発現したら、

もっと話題になるのではないかと思ったからだ。

何度か間をあけて飲んでは止め、を繰り返し、

たまに本気で飲み忘れる日も挟んで

カレンダーに出来上がった記録を見て、思った。

セディールめっちゃめちゃ効果あるやん!」

たまたま私は卒業研究で、

薬の効果は、信じるとより大きくなる(プラセボの増幅効果

なんていう内容をやっていたので、熱心に信じることにした。

バイトを始めて、そのバイトは続いた。

同僚ときちんと会話しているし、電話応対や来客応対もできる。

たまにベンゾジアゼピン系の抗不安薬必要になったが、

頻度は減り続け、今では月に1度も必要ない。

そのうち周囲の環境が変化してよくなったこともあってか、

セディールを中断しても強迫行動が出なくなった。

こだわりも飛躍的に軽減した。

もちろん、今日も私は時計が読めないし、日付はよくわからない。

試験とか言われると倒れそうにはなる。

喧騒がある場所では会話できなくて困ることもある。

数字が大好きで、統計データを眺めてひとりでテンションを上げている。

でも、もしかして……?と思うことがある。


何となく、とても漠然としていて申し訳ないのだが、

今日は晴れている」とか、外へ意識が向かう頻度が

数年前より格段に増えた気がする。

時計を見ると17:12と表示されているのだが、

その意味がいまひとつピンと来なかったとしても

「今は『じゅうしちすなわちごじじゅうにふんという時間』なんだなあ〜」と素直に受け入れて、

気にせずスルーすることができるようになった。


思えば、私はずっと怖かったのかもしれない。

歩く時は地面しか見ていなかった。

ものがたくさんあって動いているのが嫌だったからだ。

理解できない時間なる単位に急かされるのが苦手だった。

気づいたら増えていて、気づいたら減っている変なものによって

他人に叱られたり、待たされたりするものからだ。

から見なかったし、感心を払わなかった。

そんなものよりも数字とか、生物学とか、化学構造式とか、

機械っぽいものとかが好きだった。怖くないから

難しいストーリーアニメは嫌いだったから、

何歳になってもずっとポケモンを見ていた。

ポケモンは、30分の中でいつも自己紹介からはじまって、

主人公は死んだり折れたりしないし、敵にも真の悪人もいない。

必ずわかり合って、平和になって終わるから怖くなかった。

私はたいへん臆病だったのだ。

ところが、その恐怖心が、なんだかこの数年でスーッと、静かに

砂の山がいつの間にか溶けてなくなっているような感じで、小さくなっていた。


全てセディールのおかげかもしれないとまでは言わない。

ASDだって大人になるし、変化する環境の中で生きている。

私が単純に成長しただけかもしれない。図太くなったのかもしれない。

それでも、セディールを忘れるとなんとなくそわそわする、

世の中に怖いものが増える、という感覚はやっぱり戻ってくると思う。

最近の私が服薬を忘れる時というのは、何かに熱中している時だ。

だいたい、とっても楽しい気分の時に、薬の存在ごと忘れる。

そして、楽しい気分であるにも関わらず、

慣れ親しんだ恐怖心が平行するように顔を覗かせるのだ。

もし、薬効が100%気のせいであるなら、

楽しい気分の時に忘れた時なんて、完全に意識の外へゆくはずだ。

でもそうじゃない。

ということは薬効は100%気のせいではないのではないか、と思う。


私はASDで、薬物過敏だし、普通抗不安薬で昏倒する体質なので、

ベンゾジアゼピン薬を飲んでも普通に起きていられる人には、セディールは弱すぎるのかもしれない。

でも別に薬物過敏の人は、世界に私ひとりではないと思う。

セディールは、私のような誰かにとって救世主になり得る良い薬だ。


というわけで、この気持ちをどこかに書き残しておきたかった。

読んでくれた人がいる気がしないが、もしここまでスクロールしてくださった方が

いたのだとしたら、ありがとうございます


大日本住友製薬さん大好きだよ。

2016-01-21

卒論

今まで卒論出してきた先輩の卒論眺めてたら自分夏休み前に徹夜しながら実験したぐらいのことで卒論書いてる。

ほかの研究室の同期は徹夜っていう概念が無いのかってぐらい研究室にいない。そもそも研究室に来ていない。それで十分らしい。

なんなんだこの卒業研究

あと2ヶ月すこしなのは分かっているけれど、つらいのはつらい。

こんなことするために大学に来たんじゃないって4年生、卒業研究が始まってからずっと思っている。

来世でまた大学に入り直すことがあったなら、理系の、しか工学の、クソみたいな研究室ではなく、

文系のそのへんの人にサクッとアンケート取ってパパーッと卒論が書けるような研究室に行きたい。

こんなクソみたいな思いをしてさらに二年も研究生活するなんて気が狂っているとしか思えない。

早く卒業したい。

2016-01-09

社会人よりつらい大学生

年明けから実験論文の提出で休日返上で登校しては作業を繰り返す

その作業には賃金が一切発生しない。

授業は平日に多く取っているのだが土曜日も朝1限から昼間であり

ほぼ毎回プレゼンを行っている。

卒業研究は今のところ上手くいってない




課題テスト勉強もやらなければならず、実験卒論

それにプレゼンしかもこれ全部無償労働

それに今月中に今いる住居から退去しないといけないので家具どうにかしないと

まだ就活もやってて履歴書1社しか出せてない

もう嫌だ

2015-12-20

修論書いてるM2だけど

今年も残すところ十日程度。

M2の皆さん、修論進捗どうですか

私はまだ全然で、モヤモヤを解消したく勝手にくだをまきます

実験のし過ぎで大脳の壊れたメンヘルとなってしまったので、日本語の下手さについては多めに見てください。

自分卒業研究をやっていても一つの結果から多くの可能性を考えることが出来る実験手法が好きで、可能な限り一度に多くの組み合わせについて検討してきた。

そこで、自分が考えた推論をボスに報告すると、結構高い確率で何を言っているのか分からないと言われる。

先生からしてみれば、学生はただの結果出力装置しかないわけで、余計なことをごちゃごちゃと言われても迷惑なだけだろうとは思う。

しかし、駒なりにも苦労してデータ取ってきて考えて新しいモデルを考えたのだ。せめて間違ってるならちゃんと間違っていると指導して欲しい。

そんなやり取りを繰り返している内に、僕は先生ディスカッションをすることが嫌になってしまった。

研究対象自体ニッチな割に重要かつ複雑で面白いとは思うが、とにかく先生と話をしたくない。

平日も休日もなく、朝も夜もなく実験に取り組んできたが、もう何でも良くなってしまった。

なるべくがんばらないで実験数をこなして卒業出来たらいいな、と思うようになった。


そうこうしている内に、どうやら自分は「わけの分からないことをごちゃごちゃ言う」「指示に従わない」「実験をしない」「研究が進んでいるように見せかけられている」学生レッテルを気分で貼られてしまったようで、ラボ内の進捗報告会で発言しても無視されるようになった。

研究者向きではないが言われたことは全く反論せずただ淡々とやっているだけの同期(結果は出ていないが)は親密に指導してもらっているようだ。羨ましくはない。

体裁上修士論文に関する指導はしてもらっているが、卒業した瞬間データは信用されなくなって、もしも論文になったとしても助教か後輩が第一著者になるだろうなあ。

今まで論文出せそう出せそう、っていう状況で頑張って来たけど、その時とは内容も大分変わってしまたから、まだ全然形にならないだろうな。

ボス一般的な優秀な研究者だって言うんだったら、本当に私は向いていないんだと思う。厳しい世界ですわ。

2015-12-19

大学で習った事使わない職種に就きたい

確かに大学で習ったことは将来とても役に立つと思う

けれど、

大学生として生活していくうえで大学生自分に向かないということがわかった

はい

時に笑い、時に話を聞き、時に泣き、時に追われ、

そんな仲間ができた大学は決して無駄ではなかった

なんて

思うのは美化された過去の話だからなのか

専門・専修学校に行くにはお金がなく、

就職するにはリーマンショック直後ということもあり不安が残り、

そういう経緯から大学進学を選んだ

コンピュータを使うという興味のある分野であり

医療への応用を試みたかったあの頃の自分

今となってはそういう分野への興味関心は薄れ

成績も著しくよろしくなく(だが今のところ留年はしていない)

単位は取っても落とすギリギリまたは落とした

教授からは「そのままで就職はもちろん卒業研究もできない」とはっきりと言われ

生きる希望とやらを見失っているような気もする

少し休学をして

気分を入れ替えてから大学に復帰したいが

両親はそれを許さな

ましてこの成績で「潰れることのない大手企業に入れ」と言ってくる

長男から下の弟、妹たちに迷惑をかけるようなことはできない

そんなプレッシャーが日々頭を駆け巡り、心を痛める

どうしたらいいのか


話がそれた

就職先、現在希望鉄道事務職。または、医療事務職

とにかく事務職に就きたい。

どうせ働いたって役に立たないし給料泥棒のように存在するだけで何の価値ももたない存在になるであろうと思う気持ち必死に抑えているが

最近漏れ始めていて友達嘲笑われている

大学では主にソフトウェア関係のことを学んだ

C言語Java情報システムとは何か……

どれも友達から教えてもらい、何とかクリアしてきた

そういうこともあり無理だと感じている

卒業研究テーマだって、まだ、何一つ決まっていない

「そもそも研究って何かわかってないよね」と言われた

当然だろう

子供でも見やす医療機器の処理画像の出力手法について」がしたい

とずっと考えてきた自分にとって

今の「経営情報学」と「ソフトウェア設計学」という

接点の欠片もないような講座に配属されてすぐに何も考えられるようなものではない

自分は何がしたいのか

それさえもわかっていない

長くなったが

とりあえずどうにかして脳内の整理が必要だと感じた


隣の研究室ではテーマ教授から与えられているという情報を耳にするからかとてもつらく感じている

2015-11-23

ニコニコ動画をやめた

一気書き怪文書こゎぃ

というわけで、ネット特有のスラングネタ等が含まれるため、そういったものが苦手な方は

ブラウザバックか注意して読まれることをおすすめします。某手書き劇場じゃないけども。



24歳、学生です(大嘘)

え~、ネット歴が10年で、ニコ厨歴が8年(SP1)です。

そんなこんなで人生を歩んできたわけだが、一種の詰みという状態になっているわけだ。

具体的にどんな詰みなのかは、ここでは言及を避けておく。避けておくが、借金で首が回らない等の絶望的な感じではない。

感じではない、が、それだけに、ぬるま湯から少しづつ熱湯へと変わる水に気づかないで茹でられてしまカエルのような、そんな最悪な気分であり状況であることは言及しておく。



そんな状況になったのも、色々な問題から逃げてきたせいだと思う。世の中すべてが自己責任なのだ。全ては自分のせいであり、他に原因を求めても仕方ないのだ。

思い返すに、一番最初に思い出せる逃げた経験は、進研ゼミチャレンジ特に赤ペン先生だったように思う。

一時はそれを取り返そうと、一年分の赤ペン先生提出用小テストを送ったものだ。懐かしい。

それから、様々なことから逃げてきたように思う。

部活動の選択、いじめ・イジりからの脱却、文系・理系の選択、大学の選択、単位の取得、あらゆる勉強、交友関係、就活、エトセトラエトセトラ…

よくある感じのクズ人間だ。こうはならないようにと、心がけてきたつもりだったのにな、心がけてきただけで、実行できなかった。

なんだか怖かったんだな。実行に移すのが。まるで自分が食べることのできる大切なケーキがどんどんなくなっていくようで。


一方で、ネットにはハマった。これはもうホントに、見事にはまっていった。

まずは、中学生らしくG行為ネタだ。まずはそこら辺に転がってた18禁小説から

クリスマスプレゼントかなにかで買ってもらったPSP1000をいじっていると、

どうやらネット機能を使えるということがわかり、若い時のドキドキを携えて恐る恐る「エ ロ」と検索したのだった。

検索エンジンが何かまでは覚えていないが、トップ近くに出てきた(であろう)18禁小説を適当に選択して読んでいた。

寒かったことも手伝って、布団に丸まって片方の手を股で挟んでいると…というテンケテキな精通を迎えたのであった、まる

今でも何故か覚えているが、最初に読んだのは姉妹のレズものだった。文体は単純なのに「ふ…ふみゅ!?」とかいった

きゃわいい吐息の描写ものすごく興奮したのを覚えている。

それから、森の奥の吸血鬼姉妹のもとに仕えることになったメイド姉妹ふたなりものとか(今でこそそれが東方Project二次創作だったとわかるが、当時は全く知らなかった)

社会人とヒモの物語とか、コナンの虹エロ小説のみを掲載してるサイトだとか、お寿司をホニャララに突っ込んでズルズル吸い上げるとかいう今から見ると嗚咽もののものまで、

情欲が満足するまで、ひとり夜のベッドの中で励みまくった。

そのうち小説では飽きたらなくなり、フリー公開のエロ漫画や、同人マンガっぽいものうpされているようなサイトまで足を伸ばしていった。

そういえばえろまんがわーるどってサイトにだいぶお世話になった記憶がある。今どうなってるんだろうな。


そこから、他のネット文化に親しむ様になるのに時間はかからなかったように思う。

それこそ、上に書いたえろまんがわーるどでオナネタを探している最中に見つけた東方Project二次創作の同人マンガを見つけて感動し、

東方Projectとその二次創作郡(主に同人マンガ)に見事にはまっていったし、

もう黄金期は過ぎていたが、Flashのまとめ倉庫みたいなサイトを見つけて、Flash動画にはまっていったし。

2ちゃんねるへの書き込みとかも興味があったけど、なんだか殺伐とした雰囲気に「半年ROMれ」という格言も手伝って、ほとんど書き込みはしなかった。

受験勉強ほっぽり出して、冬でかじかむほど寒い中、東方星蓮船をひたすらキーボード使って、最後の白蓮の弾幕をよけながらクリアしてたっけ。


そうして辿り着いたのが、ニコニコ動画だった。

うそこは、俺にとって天国であった。

会員になったのはSP1からから、高校で入った計算になる。

学校でいじられ続けて病み気味になっていた俺を元気づけてくれた、唯一と言っていいほどの存在だったのだろう。

そこで親なり担任なりいのちの電話なり、周りの大人に頼っていれば、道は違っていたのかもしれないが、

俺がとった道は電子世界への逃避だったわけだ。

ドナルドエア本フタエノキワミチャー研レスリング、最近では淫夢等、Flash動画時代を髣髴とさせるMADを食い漁るように探して見続けた。

東方にもはまっていたので、ニコニコで勢力を拡大しつつあった、同人マンガの延長線上のようなジャンルである東方手書き劇場」も、ホント漁るようにして探して見続けた。

それだけだと飽きちゃうので、台頭し始めていたMMD系列や、サービス開始当初から人気だったVOCALOIDも時々見ていたけど、やっぱりMADと東方手書き劇場が主軸だったかなー。



みんなはどうなのかわからないが、俺の予測だとハマっているコンテンツがまずあって(つまり特定アニメ漫画音楽小説があって)、

それを共有することや二次創作的な作品を見たい・作りたいって思いからニコニコ動画に登録し始めると思う。

俺も東方ProjectFLASH動画で頭を金槌で打たれて人生が震えた人間なので、その一人といえば一人なのかもしれないが、

しろニコニコ動画で昨今のサブカル(主にアニメ漫画的な意味で)の流行を知って、それらにハマっていった記憶が強い。

イカ娘とか超電磁砲とか日常とか。あずまんが大王なんか、空耳ケーキのMAD見てなかったら存在も知っているかどうか怪しい…ってのは言いすぎかもしれないけど、多分「これは名作なんだな」なんて認識は

確実になかっただろう。

特に深夜アニメ放送という概念存在しない都道府県に生まれた身としては、身につきすぎたぐらい身についたのではないかと思う。

俺はそうして、サブカル(主にry)に関する基礎中の基礎となる知識を身に着けていったわけだ。

ニコニコ万歳ニコニコのおかげで人生変わりました!

そんな生活をする中で、今までの勉強量という貯金を切り崩して見事よくわからん国立大学合格したわけだが。

まわりが「よし!大学生活遊び放題だね!」と言ってくれる中、俺はそんな楽観的な観測はとてもできなかった。

その頃にはもう就活生の悲喜こもごもが聞こえ出していたし、そもそも大学選びの時点で俺はものすごく憂鬱だったのを覚えている。

「お前はこれから自分の足で立って、自分の足で生活して、自分責任のもとで生きていくんだ」と宣告されているような気がしたから。

それを好意的に受け止める人種がいることも、今は知っているが、でも大体の、敗北を知っている少年少女たちは、青年たちは、不安と不安でいっぱいだったんじゃないか?

同意を求めてみるテスト



悲喜こもごもの悲に入ってはダメだ!、と自分なりに大学生活でやらなきゃいけないことを色々意識して、頑張って頑張っていい社会人になるんだ!

ぐらいには頑張ろうと息巻いていた。たくさん読書して、たくさん学部の専門科目を勉強して、できるだけ早く単位をとって、卒業研究も今のうちに足場を固めてしまって…

もうおわかりだと思うが、結局どれも実現しなかった。4年間通して。草生えますな。



機会損失という概念がある。なにか始めるのには、結局何かを、上で書いた例だとケーキを諦めなければならない。どのケーキがどれだけなくなるのかがわかっていればまぁあきらめも付くというものだが、なんと失ったケーキの種類も量も正確にはわからないというのがこの世のニクイところである

俺は大学生活というあまりにも貴重だとわかりきっている時間に、勉強も遊びも将来の担保も全部全部つめ込まなければならないと思うあまり、何にも手が出せなくなってしまったのだ。何かを諦めるという、その勇気がどうしても出せなかった。

と書けばなんだかかっこが付いたふうだが、単にやる気がなかっただけだと思う。根性がないよね。だって全部詰め込んでる人は、それこそネットを探せばいくらでもいたし、周りにもそういう人はいたんだから



一日一日を後悔しながら、ニコニコ動画を始めとしたネット文化サブカルへはもっとハマっていった。そこで、俺はサブカルには詳しいんだぜという変な自負心も生まれかけたんだけど…

大学の友人たちが、そんな自分のちっぽけな自負心をも打ち砕いていった、という、またテンケテキテキなパターンになった。

一人は俺よりニコニコ動画歴が長く、尚且つ知っているジャンルもあまりに広く、信じられない程深かった。それに、プラモデルゲーム、その他のサブカルにも造詣が深く、もう尊敬せざるを得なかった。

二人は一つのジャンルを突き詰めに突き詰めていた。宇宙語と俺には思われる言語で会話して、なおかつ他のサブカルに関しても基礎的な知識をちゃんとおさえていた。

なにより、ひねくれた俺よりよっぽど常識があって、性格のいい奴らだった。

もう俺は、ひねくれて性格が悪い上に唯一ほかより得意で知識のあるネット文化サブカルですら圧倒されているこいつらはなんなんだ。そんなことよりそれに比べた俺の価値の無さは何なんだ…唯一深い知識があると思っていたジャンルにすら引けを取る俺の価値の無さは…

そんな感じのタコツボ化でもう自分がいよいよ嫌になったり、ついでにニコニコばっかで学業をまともに修めていない自身の将来の不安がますます増えていったりした。




突然だが、俺の将来の夢はマンガ家だったりする。

上記の偏歴を見ればまぁ予想はつくだろうが、好きなマンガを描いて楽しく生きていきたい。そういう意味では、マンガ「家」ではなく、「趣味マンガ、なのかもしれない。

その他にも、MADを作ったり、音楽で既存の好きなゲームリミックス作ってみたり、SSみたいな小説を書いてみたり、3分くらいのアニメ作品を作ったり、スレを立ててコピペとして受け継がれる書き込みしたりと、そういう、ネットサブカル文化に深く関わって生きていきたいと思って生きている。

そして、そういう活動を、大学のうちに出来たはずなのだ。出来たはずなのに…


思えば、学業も、ニコニコアニメマンガ小説・絵その他ネットサブカル文化に関する活動も、資格取得や就活等の将来に対する投資も

なにもかも、なにもかもが中途半端大学生活だった。

中途半端どころか、自分のやりたいこと・やるべきことが何も達成できない、真空もびっくりの空虚な生活になってしまった。

4年間だ。4年という歳月をだ。

願うなら、この後悔を一緒に大学入学のあの日に持って行って、もう一度やり直したい。

いやそれができるのなら、高校入学のあの日まで行って、部活選びをやり直して、もっと必死に勉強したい。

いや、やっぱりそれが叶うのなら、中学入学のあの日まで行って、やっぱり部活選びをやり直して、もっとまともな交友関係を築きたい…


思えば、俺がアニメにハマったのは、マンガにハマったのは、ニコニコにハマったのは、Flashにハマったのは、東方Projectにハマったのは、エロ同人にハマったのは、18禁小説にハマったのは、PSPでネットに助けを求めたのは、

結局何かから逃げ「続けた」からじゃないだろうか、と、今振り返って考えてみると思う。

なんだか、この文章を書く前と結論が違っているような気がするが、やっぱり文字に起こして出力してみるって違うんだね、と。

学校での日々のイジり(悲観的に捉えれば、いじめ?)や勉強からストレス、将来への得も知れない不安から唯一開放されていた、このPCの窓。そこから広がるインターネッツ

そういえば、今これを書いている時と同じような、肌寒さもいよいよな低音の中、ひたすら「インターネットしていた」な。あの頃の俺は、何かのバランス感覚を失っていたんだと思う。

そしてそれは、社会人として仕事に勤めている今にも、強い影響力を残している。

帰ってからもずっとネットにかじりついてるし、土日はほとんど外に出ないで、頭が痛くなっても構わずアニメを見て、マンガを見て、MADを見ている。



別にそれらは、異常なことじゃない。もともと、異常か正常かということを言い出すこと自体、なにかものさしを使っているということだ。

この場合、俺の今住んでいる地域で、コミュニティで、ちょっと異常だということが言えるくらいで、さして間違った生き方ではない、と俺自身は思う。

思うが、それは、きちんと仕事趣味を両立して、充実した人生だと思えるような、色々な意味で自立した人間が生きるべき生き方であるとも、誰よりも俺自身が思う。

そして何よりも、俺自身が、今、そうではない。


今、実は岐路に立たされている。時間は1年と無い。始めの方に書いたように、具体的にどんな岐路なのかは書かないが、やっぱり岐路であることに変わりはない。


先日、俺が大好きなブログで、戦後70年テーマ的なものにして、ブログ主がこういった趣旨のことを書いていた。

戦後左翼思想家は、敗戦の総括をしないと前に進めないといって、政府が現実の問題を四苦八苦して解決している中、ずっと空論や理想論を掲げ続けてきた。戦争とは、平和とは、と。それも戦後半世紀近くずっと。それは、理想論を突然語り出す中高生と同じ。自身の親が抱える現実的な問題に、いつか自分もぶつからないといけないんだと知った時、現実逃避して、問題を先送りにしている。その中高生たちとおなじだよね。」

前半の思想家の部分が本当なのかどうかはともかく、大事なのは、後半の「問題を先送りにしている」という部分だ。

俺はおそらく馬鹿であるため、理想論など掲げることもなく、ただひたすら目の前の問題を見ないよう聞こえないようにするために、ひたすらネットサブカル世界に没頭し続けた。

そして、大人に「なってしまった」今、その先送りにした問題が、いま目の前に、もし解決していた場合と比べてとんでもなく性質を悪くして立ちはだかっている。


ところで、最近キルミーベイベー熱が再燃した。どしたのわさわさなんでもなーみん。あの歌詞にあんな深い意味が込められていたとはね…

そんなキルミーベイベーにハマるキルミストたちがいつも貼る、あのチャーリー・ブラウンのAAをみんな知っていると思う。

(崩れちゃうかな?)

      ,, _

       /     ` 、

      /  (_ノL_)  ヽ

      /   ´・  ・`  l    キルミーベイベーは死んだんだ

     (l     し    l)    いくら呼んでも帰っては来ないんだ

.     l    __   l    もうあの時間は終わって、君も人生と向き合う時なんだ

      > 、 _      ィ

     /      ̄   ヽ

     / |         iヽ

    |\|         |/|

    | ||/\/\/\/| |

もう、死んだんだと思う。何とは言わない。言わないが、俺ももういい年なんだ。

もうあの時の、Flashニコニコ東方Projectにハマっていたあの時の輝きに満ちた時間はもう終わっていて、もう死んでいて、もう腐っているんだと思う。

俺ももう、人生と向き合うときなんだと思う。いい加減。

逃避し退避し、遠ざけていた人生と、強制的に向き合う時期が来てしまったんだと思う。



それに加えて、アニメも、マンガも、ニコニコも、ここ最近そこに割く色んな意味でのリソースなんか無いことに気づいた。

そう、俺は、ネットサブカルを愛す、オタク足り得なかった。

岡田斗司夫が、「強いオタク」と言っていたが、この定義からすると、ありとあらゆる中傷があっても、理論武装でも何でもして、自身オタクであるということを保っていくことこそが「オタクである条件だった時代があったらしい。

正直、それは今も変わらないところがあると思う。どんなに仕事が忙しくても、どんなに私生活が忙しくても、アニメを、マンガを、ラノベを、その他サブカルに使う時間と金だけは絶対に惜しまない、その体力だ。

俺には、そんな心の強さも体力も理論武装するような頭も、何もかもが資格不足だった。

もともと俺には、向いていない趣味であって、生き方であったということを、ここ数年間で、嫌というほど味あわされてしまった。こんなにネットサブカルに関わるあらゆる物事が大好きなのに。

でも、資格が不十分だった。ちょうどある一定の身体条件を満たしていないと、宇宙に行くことができないように。目が見えないと、運転免許が取れないように。

俺には仕事と炊事洗濯等の基本的私生活を送るだけで、どうやら大半の脳のリソースを使ってしまうようで、そこにネットサブカルを放り込むと、何もできなくなってしまう。どんなに頑張っても。

現実は、そういうことだった。



俺は、大したことのない、ただの平凡の、平凡以下の、ただの、しがない人間だった。

一発逆転の、いきなり三千院状態にならない限り、俺は大好きなマンガにもラノベにもアニメにもゲームにもイラスト制作にもMADにものめり込むこともできない、まとめサイトで斜め上からのニヒルでひねくれて皮肉が効いたあの空気を共有することもやっとの、平々凡々とした、無趣味な人間だった。



とりあえず俺は、目についた片っ端のウェブサービスからアカウントを消していった。

TwitterやらPixivやら、ニコニコ動画でのチャンネルも次々退会していった。

そして、ニコニコ動画のものアカウントの出番であった。

思えば、高校からずっとの付き合いだった。

俺はニコニコで笑い、考えさせられ、知識と知恵を学んでいった。

ニコニコは俺の青春のすべて、とは言わないが、俺の青春の明の部分であり、花であり、やっぱりほぼすべてだった。

音楽も思考も動画コンテンツも、そしてそういったものの質の善し悪しも、全部ニコニコやそこから派生したものから学んだに他ならなかった。

ニコニコネタを通じて大学で無二の親友たちができたし、どんな嫌なことがあっても、ニコニコがあったから笑って、なんとなく流して、なんとかやってこれた。

ニコニコは、やっぱり俺の人生を、とんでもなく支えてくれたと同時に、俺がダメなハマり方をしたせいで、こんな状況を招いてしまった。

から、これまでと決別し、これからを生きていくために、

俺はニコニコ動画を、退会した。


もちろんニコニコ動画と決別するわけではない。ましてや、俺の思考や趣味趣向の基礎基本を叩き込んで、教えてくれて、俺を最高に楽しく生かしてくれた、ネットサブカルと決別する気なんか毛頭ない。

今は、あまりにも色々なもの脆弱から、距離を置くだけだ。

いつか、経済力も、思考力も、精神力も、色々なものが「大人」になってからそれから戻ってくる。それだけの話だ。

文字にするのはそれだけで、実行していくのは、きっととても遠い話だ。

しかしたら、一生戻ってこれないのかもしれない。

それはそれで、そういう運命だったというだけもお話だと思う。運命という言葉がなんかアレなら、その程度の才能、身体、能力、DNAしか持っていなかった、というだけのお話なんだろう。

先ほど上げたブロガーの言を借りれば、人類の生きてきた何京通りのパターンの中で、たまたま幸せになれなかったパターンを引いてしまった、それだけなのだと思う。

それでも、俺はニコニコに戻ってくることを、ネットサブカルの中で再び熱狂する日に戻ってくることを目指して、どんな手を使ってでも、(いくらかの倫理と法律を守った上で)脳みそパンパンになってはじけ飛んででも、突進していきたい。

とりあえずそのために卒業式自作自演し、なんとか卒業していった。

24歳、学生でした。














そういえば、ニコニコ動画アカウントを削除するにあたって、特に好きな東方手書き劇場動画と、懐かしのFLASH動画まとめ動画をみていたわけだが、

Flash動画の中でも、知っていたものは良くて半分くらいだったのが、ちょっと衝撃だった。

「おいおいこれを知らないとはモグリのにわかめー」と、Flash職人であるポエ山の作品「quino」を知らずに友人にからかわれたことが一度だけあるが、それもわかる。

代表的な一部の有名作品の一群ですら、俺が知らないものがたくさんあったのだから

2015-10-28

はてなブロガーにこそこの記事読んで反省してもらいたい

http://anond.hatelabo.jp/20151027130744

大学での学びにおいて,卒業研究重要役割果たしていると思うが,その中でも先行研究調査法を学ぶことに着目したい。

研究とは新たな何かを発見することであるのなら,どこまでが既にあるのか,すなわち先行研究を調べることは絶対必要技能だ。

社会に出てから真に新しいことをするということは実はかなりのレアケースで,世界規模のマクロ視点で見ると既に似たようなことが行われているということがほとんどだ。

すなわち,それらを探し出し,理解する技術を身に着けることができれば,仕事効率も非常によくなる。


お前が書く駄文はすでに何十人、何百人もの人間が同じことを書いているんだよ

はてなの歴史ってのはもう10年以上に経つけれども、はてブだけでもお前と同じこと書いた記事が見つかり、それに対する反論、再反論、横入り意見とか、そういうやり取りが何度となく繰り返されてきてるんだよ

お前が頭の中で意見したいことを記事に書いてアップロードする前に、ちょっと立ち止まってはてブ検索したりググってみたりすれば、お前が書いた駄文よりよっぽど良質で専門的な記事がいくつも見つかるんだよ

その件について別にお前に意見を表明するなって話じゃないんだ

お前の書いた内容はどうせ駄文に過ぎないのだから、せめてその件を取り巻く先行記事歴史をまとめるくらいしとけよ、という話なんだ

別に専門書を網羅しろとまで言わないから、せめてググれば見つかるネット上の記事過去はてブを集めたような記事くらいは調べて読んで、参考に挙げろよと

普通に日記書いてるような人は気にならんけど、はてなに巣食う「良質なブログ記事とは~」「アクセスアップするには~」「ブログ生活するには~」みたいな意識高そうに偉そうにしてる「ブロガー」が書く社会派きどった記事を読んでいつも思う。

2015-10-27

卒業研究って何時までやるもの

理系私大助教やってます

今年からこの大学に赴任しました

驚いたのは、卒研生の時間の使い方

理系から実験するわけだけど、実験ってある程度区切りよくないと実験を中断できないわけ

で、ここまでやれば3時まで、続きをやれば7時まで、そこまでやれば1つの実験が終わる、っていうような内容の時、

彼らは3時まででやめて、続きを明日に回して2日かけて実験する

3時からは、5時まで2時間談笑して、一斉に5時に帰る

これって普通かい

うちの教授が5時までは勉強でもして、必ず研究室にいましょう、って方針なんだけど、助教の俺からすると、正直やることないなら帰ってほしい

学生だってたぶん帰りたいはず

5時までいるなら7時までかかるところまで実験すりゃいいのに

国立理系なら、間違いなく、7時までやる方が多いんじゃないかな

と、思いつつ、自分の見てる学生にも何も言わない俺

やりたいとこまでやって帰りたい時に帰ればいいと思っているか

学生卒研は、彼らにとったら権利であって義務じゃないから

仕事でもなんでもないし

談笑する権利だって学費のうちだろうし


しかし、真面目に相手するのがアホらしいことも多い

みんなが学生なら、この状況でどうするよ?

帰れるなら3時までで帰りたい派?

いろって言われてるし談笑して5時までいる派?

7時までやり遂げる派?

旧帝大院生なら逆に、7時で帰ったら不安時間を持て余すのとでメンタルを病んでしまうかもしれんな

[]大学で学ぶ最も重要なことの1つは先行研究調査

大学に籍を置く者として「大学での学びは社会に出てから役に立たねーよなー!」という論調には納得できるような理由をもって反論したい。

G型L型という話は心底見当違いだと思うが,教育を疎かにするとゆくゆくは国が衰退しますぞー!という反論では耳を傾けて貰えない。

直感的には何を学んだかではなく,学び方を学ぶことが重要なんだろうと漠然と考えていたが,最近経験から具体的な話を思いついた。


大学での学びにおいて,卒業研究重要役割果たしていると思うが,その中でも先行研究調査法を学ぶことに着目したい。

研究とは新たな何かを発見することであるのなら,どこまでが既にあるのか,すなわち先行研究を調べることは絶対必要技能だ。

社会に出てから真に新しいことをするということは実はかなりのレアケースで,世界規模のマクロ視点で見ると既に似たようなことが行われているということがほとんどだ。

すなわち,それらを探し出し,理解する技術を身に着けることができれば,仕事効率も非常によくなる。


例を挙げると,「○○のようなシステムを作りたいんです!」という相談を受けることが最近多い。詳細は伏せる。

しかし,「○○のようなシステム」は実は既に存在するということが多く,さらに言えばその分野を専攻する学生であれば1年次にでも教わるようなもの,ということすらある。

おそらく,何も調べてないか,調べ方が変なのだろうと推測している。もう少し踏み込んで言うと,社会に出てから調べ方を学ぶことは難しいのだろう。

しかし,卒業研究に本気で取り組んでいれば,この程度の調査能力は身に付けられると確信している。


車輪の再発明をしないためにも卒業研究を通じて先行研究調査法を学ぶことは非常に重要なのだろう。

まあ,学内発表を見ていても新規性有効性を十分に満たしていると言える卒業研究は少数派に属するというのが現状なのだが。

追記

出来る人は出来るし出来ない人は出来ない論だと話が進まないので,

制度化して,最低限名目上は大学であればどこでも取り組むという提案

例えば,

を行うといいんじゃないかと思った。後者については大学学習指導要領的なイメージ

教員側でトップダウン通達されて,教員会議でたまーに認識確認を行うくらいが限界かな。

どうせFDなんか出席率悪いし。


問題視しているのはそもそも真面目に指導されたいと思っていない学生

しようと思っていない教員が多いのではないかということ。

大学役割として重要なんですというロジックを組み立てて,さら制度化した上で

やらない人が出た場合,その人に関してはもう諦めるしかないと思っている。

制度改善余地は常に存在するだろうけれど,道端に撒かれた種は芽吹かない。


教員以外からアプローチであれば,例えば大学図書館における利用者教育

特にオリエンテーション有効だと思うのだけれど,学部1年のときは舞い上がっている人が多かったり,

環境の激変でそれどころじゃなかったりして効率は良くないと思う。

研究室配属直後くらいにもう1度行うことを制度化したらいいんじゃないかな。

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