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はてなキーワード: 一夜漬けとは

2021-10-26

V6のこと



2018年の終わり、狂ったように映画館に通っていた。といっても4、5回おな映画を見たくらいだ。

ボヘミアンラプソディは、その年の4月TOKIOショックの傷も生々しかった心に、グサグサと刺さった。あ 

ディーキーは、フレディのいないQueenQueenじゃない、とバンドを離れた。ブライアンロジャーは、ファンのためにQueenを続けることを選んだ。どっちも間違ってない。でもどちらの道も苦しい。おこがましく世界的なバンドと比べ、TOKIOはどっちなんだろう?そんなことばかり考えていた。

解散を選んだV6も、名前を残すことにこだわったTOKIOも。根っこにあるグループへの愛情はきっとおんなじだ。

長瀬くんの脱退が近付いた3月に、大切なお知らせメールが届いた。全く何の予感もなかったけど、メール文章の硬さから、ろくでもない内容であるのは察知できた。でもV6で?最近活動も順調そのものなのに?いったいなに?解散の二文字を見て、お知らせメールの堅苦しさには合点がいったけど。

もう帰りの電車でこういうダメージ受けるのつらい、ほんと。山口くんのときもそうだったわ。仕事帰りに呆然としてね。

ただ、妙な慣れみたいなものがあったのも確かだ。一度、自分にとって完璧で大好きだったTOKIOが壊れた経験があったから。

しろ、ああこれでバランスがとれる、と歪んだ安心感があったのを覚えている。

TOKIOV6が好きだった。同期で先輩で後半で戦友な2組は、もはや自分のなかではニコイチ存在だった。

どちらも、20周年を過ぎてさらに輝きを増していった。「此処から」の歌詞のように、きっとこれから永遠に続いていって、2組揃って私の人生に彩りを添えてくれるんだと、勝手に信じ切っていた。

2018年4月までは。

あの時の衝撃やつらさは前にも書いたので繰り返さない。

TOKIOが宙ぶらりんな状態のまま25周年を終えてしまったのに反して、V6活動順風満帆だった。その落差というか温度差が、激し過ぎてカケモにはつらかったまじで。勤続25年を謳われたときが一番悲しかたかもしれない。せっかく提供されるV6コンテンツを、正直全く楽しめていなかった。音楽番組は録画したまま放置CDDVDが出れば買いはしたけど、開封もせず積み重ねていた。V6けがいてTOKIOのいない音楽番組なんて。TOKIOの新しいCDはもう出ないのに…。そんなことばかり考えていた。知らねえよ、って言いたくなりそうな、ほんとにくだらないファン感情だけど。

からだろう、V6が終わると聞かされて、ああもう、そんなふうに感じずに済む、とどこかほっとしたのだ。

解散のものはもちろん悲しい。ただ、3年前のショックを引きずっていた身には、解散という出来事が大き過ぎて、受け入れきれていなかった気がする。麻痺していたというか。

解散を伝えるFC動画も、つい最近みた。10月中旬 見るのが怖かったというか、エネルギー必要だったというか。もう、自分にとって最後コンサートも見終わってしまったというのに。

見なければ現実にならないとでも感じていたのかわからないが、締め切りに追われるように、ようやく再生したのだった。

思ったより長くて、強いて明るく、前向きにしようとしているのがまたつらかった。

雨とか、すごい作品だったのに。こんなこともできる、まだまだ可能性に満ちているのに、なんで終わるの?コンサートも同じだった。

2017年以来、4年ぶりのコンサートは、やっぱり幸せ空間だった。何度でも繰り返し見たいと思った。今回、一公演入れただけでもラッキーだったんだろうけど。

MCはいつも通りのゆるい会話で、これがラストツーなんて嘘でしょ、と言いたくなるくらいで。それでもやっぱりこのコンサートは、お別れの挨拶なのだった。

トニカミVそれぞれの歴代曲と、バリバリの最新曲の組み合わせ。最新シングルさえ外した潔さに、「今」のV6のすべてを見せ切るのだという強い意志を感じるセットリストだと思った。overが一番心にきたかもしれない。それと、コンサート披露された新曲、目を閉じれば。号泣したけどシールドで涙が拭えなくて、それはもうひどい顔だっただろう。

しかったけど、やっぱりコンサートは最高だと実感し、でももうこんな現場はないのだと思うと落ち込む。そんなごちゃ混ぜの感情を抱えて、また一月過ごし、先日ようやく、落ち着いてV6の、音楽に触れることができた。

Mステの160回振り返りのおかげだ。

TOKIOとの絡みをたっぷり見せてくれた。そうそうこういうかんじ。こんな2組が好きだったんだ。さらに昔のMステを振り返ってみた。あらこんなに素敵だったかしらこの人たち。新鮮な気持ちで見入った。ほったらかしだったCD類にも手をつけてみた。初回AB通常盤と3つ、梱包されたまま置いてあったのには驚いた。それくらい、なんというかTOKIOとの格差ダメージを受けていたんだろう。

YouTube動画も色々再生してみた。

コンサート前に一夜漬けで見たのとは違う、落ち着いて、平和気持ちで、ああこの人達素敵だな、と感じることができた。ようやくだ。

そうだ、V6は最高なんだよ。わたし、大好きだったんだよ。この格好良いひとたちのこと。6人でいるときのゆるい空気感が。

しみじみ思えて、だからまた、惜しむ気持ちが湧いてくる。

少しだけ希望を持てるのは、今のTOKIOが新しい道で輝いていてくれることだ。何より楽しそうだ。そして、何気なくTOKIOは5人なことを伝えてくれる。先行き不透明不安だらけでもやもやしていたころよりずっと楽だ。

長瀬くんはマイペースに楽しそうだし、山口くんは、元気でいてくれさえすればいい。

まだまだ、新しい可能性があることを感じさせてくれた株式会社。だから事務所に残るV6の5人も、また違う輝きを見せてくれるのではないかとおもってしまう。5人と6人が一番なのはもちろんなんだけど、それはそれとして、可能範囲でまた新しい夢を見せてくれそうな。

自分にとっての青春の本当の終わりだとか、メンバーキャリアチェンジラストチャンスとか、同年代から思うこともある。彼らの動向は、社会的には私に何の影響はないもない、衣食住にも仕事にも。でも、こんなにも動揺するんだ。いい歳してアイドルの動向にここまで影響されるなんて馬鹿げてるかもしれないけど、こんなに好きになれる存在があったのも幸せなことかもしれない。

とにかくみんな元気でいて。それだけはお願い。

ラストスパートでものすごく忙しそうだから、ありがたいけど体調も気になる。特に健くんは、オーラス後にラジオ生放送と、最後最後までファンに寄り添う姿勢を見せてくれる。どこまでもファン目線に立った彼の気遣いはすごい。解散報告動画で涙ぐんで見えたのは、自分が辛いからではなく、解散を知らされる方の感情同化していたんじゃないだろうか。優しい。本当に最後最後まで、アイドルの鑑だ。

ある日突然の終わりと、別れを惜しむ時間があるのと。どっちも結局つらいよね。

今も、納得と拒絶の間でぐらぐら感情は揺れている。それでも日々は容赦なく流れて、年末新年とあっという間に過ぎていくだろう。

遅れて申し込んだグッズの香水は、3月頃届くそうだ。それを受け取る頃、どんな気持ちになっているのか、想像つかないけど。

これから学校へ行こうオーラス配信、楽しみます

ありがとう。本当にありがとう

2021-07-14

anond:20210713082801

ウクレレ ゆるい発表会に出掛けたとき実際にホテルの中で一夜漬け練習してた。

ギターに比べてだいぶ小さいけれど、それでも大きさが気になるならば、厚みが薄いモデルを選ぶ手もある。

サザンオールスターズベーシストがやってるけど、栗コーダーカルテットでもよく使われるので最近は有名な楽器かも。

2021-06-09

夫がオリラジ中田YouTubeにハマってる

YouTubeで暇さえあれば観てるみたい。

色んな本やドラマを紹介したり、歴史政治について解説したり、カバーする範囲はかなり多岐に渡るっぽい。

私としてはあんもの自分の頭で考えることのできない輩が観るもので、なぜ一次情報に当たらない??それで分かった気になってどうするの???という感じなんだけど、夫からすると「色んなジャンルの入門編として最適」という事らしい。かと言って、アレを観てカラマーゾフの兄弟を読む素振りも無いし、歴史の専門書を読むでも無いし、ニュース一次ソースを調べている風でもなく、結局暇つぶしなんだろう。

かに中田敦彦プレゼン能力が高くて、話に引き込まれる面はあると思う。「しくじり先生」に出てた頃は私も楽しく観たりした。

ただ、本来専門でもない事を一夜漬け(実際何日かけてるか知らないけど)で頭に詰め込み、それを分かった風に喋りまくったり、案の定、粗が目立ったり、オンラインサロンみたいな事をやり出してからマジでダサ過ぎると思っている。場合によっては有害な暇潰しだと思う。

私が嫌なのはそのダサ過ぎるYouTubeにハマってる夫は更にダサいということで、あまり趣味に口出したくないから言わないようにしてるけど、ちょくちょく「中田敦彦YouTubeで観たんだけど」というフレーズ夫婦の会話を侵食してきてパートナーとして辛いものがある。

どうすればいいんだろうなぁ。

2021-04-16

anond:20210416114426

駅弁みたいな中途半端大学出てる奴が

東大行ったら周りが秀才だらけでついていけない」

みたいな妄想を垂れ流してる。実際は誰も勉強しないので、授業の予習復習ちゃんとしてれば、余裕で上位1割になれます(そして、それで実力があると勘違いするのは困る)。

それか、実際はまともに勉強していない(試験前の一夜漬けだけ頑張ってるとか、本を読んでも身に付いてないとか)のに、「自分勉強した」と思い込んでいるか

2021-03-05

テストの亡霊

いまだに「やばい、来週からテストだ!何も勉強してなかった、どうしよう。なんとか一夜漬けで乗り切るしか無い」という夢をみるのだが、なんとかならないものだろうか。

2021-03-04

anond:20210303190711

批判的なブコメが多いみたいだが、良く出来たリストであると思う。

いくつか思うところもあるけれど、これらの作品網羅できていれば、いわゆるマニアとの会話に困ることはあるまい。

もしも『こち亀』で中川や麗子が邦画キチの取引先と盛り上がるために一夜漬けするという回があったとして、そのとき両さんが作ってくれるリストとして出てきてもおかしくないものだ。

麗子「瀬々敬久は……えっと『すけべてんこもり』を……」

取引先「なんと、きみは『感染列島』でも『64-ロクヨン-』でもなくそんな作品を……面白いヤツだ!」

両津「……とこうなるわけだ。周防正行だとこうはいかん」

麗子「なるほど……」

もちろんリスト記憶した麗子の会食が両さんのせいで上手くいかないのがオチになるわけだが、それは今回全然違う話なので、リストの話に戻る。

ただ高校生に渡すリストとしてはいくつか問題がある。

そもそも100本は多すぎること。100本選ぶ流れなので仕方ないけど。

監督代表作が(おそらく意図的に)外されていること。

サイレントアニメドキュメンタリーなどは不得意そうなジャンルが見受けられる。

なので、高校生に最適なリストだとは思わないけれど、いいリストであることは間違いないと思う。

おそらく箸にも棒にも掛からない作品はないだろう(全作鑑賞済ではないので補償はしかねるが)。

年代順で丁寧なリストなのだが、重要度とかでのつまみ食いはしずらく、そういう点ではキネ旬とかのオールタイムベストの使い勝手の良さが逆に光ってしまう。

元増田はそれに思うところのある人のような気もするので、皮肉っちゃ皮肉

2021-01-10

勉強ガチマジで嫌いだけど社会人一生勉強ダルい

~~小学校時代

特に勉強をせずすごす 一応ベネッセ契約してはいたが付録目当てで特に勉強しなかった 特段点数が悪いわけではなかった

~~中学校時代

テスト一週間前だけイヤイヤ勉強をする これも一応契約してたベネッセ対策冊子みたいなのでごまかした

成績は公立マンモス校の中の上から中の下を行ったり来たり

受験試験前一月ぐらいでガッと詰め込んだ

~~高専時代

大学には行きたかったがそのために勉強するのが嫌すぎるし高卒ももっと嫌だったか高専に行く

行こうと思えば編入もできるしね

赤点とってもなんとかなるなと思ってから赤点の鬼 ほぼ全てを赤点取って再試で突破

再試すら一夜漬けを超えた朝漬けだった

提出物だけは友達に手助けしてもらいつつ期限内に出したからか奇跡的にノー留年卒業 

当然勉強したくなかったので高専の推薦パワーでエンジニア職に就職

~~社会人時代(現在)

言われた仕事だけしてりゃスキル付いてるだろと思ったが上司自分から勉強しねえとこの先やっていけねえぞ(意訳)と言われる

でもとにかく勉強はしたくない

  

仕事自体は嫌いじゃないけどプライベート時間割いてまで勉強したくねえよ

今まで一切勉強してこなかったからやり方もわかんねえしよお

誰か助けてくれよぉ

2020-12-10

中学受験学歴問題というのが未だにピンとこない

自分中学受験私立に行った側なんだけども

自分場合は両親も自分小学6年生の8月か9月ぐらいまではそんな世界があるとすら知らなくて

元はというと小学校の成績表がどんどん落ちてったんでヤバイと親があわてて適当な塾に放り込んだらそこが進学塾だったという

それで妙に試験結果が良くなっちゃって3カ月ぐらいで一番下のコースから進学コースに上がっちゃって

つの間にか中学受験することになって気が付いたら合格してしまって

 

たまたま親が進学に金出せるぐらいは稼いでくれてたのが生まれ環境の違いといえば環境の違いなんだろうけど

学閥なんて概念すら親は知らなかったし、そんなん別世界だった

 

なお大学受験浪人するまで勉強したことなかったので勉強方法身に付かなかった

親も勉強したことなくて一夜漬けだけでだいたいどうにかなったと言って勉強のやりかたなんて教えてくれなかった

そんなんでも偏差値60ぐらいの学校は受かったし勉強なんてそんなもんだと思った

今となっては後悔してます

 

さておき中学私立に行った結果、地元ヤバイとこで有名な中学校には行かないで済んだことになった

もともと通ってた小学校の段階で学級崩壊先生管理放棄してたんでその進学先は推して知るべきなんだけども

その行くはずだった中学教師が生徒に虐められて失踪したと新聞記事になったのを見たのが中学2年か3年のとき

結果的に親は中学受験は子の危機回避に使えると学習し、自分の下の二人は私立中学進学前提になった

進学先でイジメ行為がなかったかというと実はあったんだけども、自分場合マイルドな程度に収まったと思う

(殴る蹴るはなく、筆箱に弁当の中身を入れられるとかそういうぐらい。小学校だとイジリと直接暴力カツアゲだった)

そんな感じなので中学受験イコール学歴というイメージ全然なくて済まん

自分の頃は高度成長の果実が得られた世代なので考え無しの能天気で済んだけど、

今の衰退の時代学歴ってのは事情がまるで違うんだろうなと、なんとなく推測はする

2020-10-07

クソな私立医に行くと直面する問題について

クソな私立医科大学に行くと、教員たちが「一夜漬けはだめだぞ!」っていうのを真に受けて、ちゃんとした参考書や本を購入しちゃうのだ。それは実は間違いなんだ。

教員たちも能力がないので、ちゃんとした能力がないので、この大学にいる可能性が高いのだ。そのせいで、まともな試験問題を作れないのだよ。そんでもって、その教育の失敗を、学生押し付けるという手法学費をゲットするのだ。で、学生は「自分不勉強だったから落ちた」なんて思わせることで、翌年もさっさと高い学費を払わせるゲス集団がこの世にはいるのだ。

必要なことは、過去問をゲットして丸暗記して、国試の前に全部ロストして、国試直前に予備校手法を身につけるということなんだよ。間違っても「うちの大学先生に実力がある」なんて思って、国試対策だけをして卒業対策をしないなんて馬鹿な真似をしちゃいけない。

卒業試験なんてゴミです。ゴミゴミゴミされて、本当のゴミになり果てるなんて馬鹿のすることです。私達のやらされていることは、ただの「数年分の過去問」を再現するという作業です。たかゴミ大学試験です。こんなもの評価されてイキるのは無能証明です。ボーダーを超えたら、ゴミ生成器の呪縛から開放されるのです。

我々は留年するために医学部に入ったのか。違うだろ。医者になるために、医学部に来たはずだ。医者になるには、医師国家試験を受けるまで自分を持っていかなきゃならないはずだ。全ては、ここに至る過程を重視しろ

ps・CBT上位陣が卒業試験留年する大学は、やっぱり何かがおかしいですよ。自分たちの能力を過信しすぎです。卒業試験を難しくして応対しても、国試の成績は上がりません。あまり変なことをすると、誰も研修医として残らなくなるからな。誰も受験してくれなくなるぞ。真面目に実習する学生留年させる医科大学なんて、誰がいこうと思うのか。気をつけろよ。

2020-09-13

親の願望を「真実」だと思っていた話

自分は、親の言うことをよく聞く「いい子」だったし、親の言うことこそが真実と思って育った。

母が「○○(筆者の名前)は算数が好きだからね」と言えば、成績は悪くなかったこともあり、そうなのかと納得した。

母が「○○はコツコツ努力できる子」と評すれば、やはり納得し、他人の目にそう映るように行動した。

母が、「○○はお父さんを尊敬してるもんね」と言えば、「尊敬する人」の欄には「父」と記入した。

母ばかりなのは、父とはそんなに喋った記憶がないからだ。いつどこで不機嫌スイッチが入るのかわからず、怒らせたくなかった。

しかし、高校進学を機に親元を離れて、うっすら覚えていた違和感の正体に気づき始める。

自分算数/数学が嫌いだ。というか数字全般苦手だ。

自分全然努力家なんかじゃない。どうにか楽して生きたいし、暇さえあればゲームばかりしていた。勉強も正直そんなに好きじゃないから、テストの類いはコツコツ勉強どころかほぼ一夜漬けで挑んだ。

父のことも別に尊敬してない。見習うべき点はあるかと思うが、それは「尊敬」という感情ではない。

なんのことはない、母は子どものことを理解したうえで言っていたのではなく、「こういう子であってほしい」という願望を言い聞かせていたに過ぎなかった。そして、自分はその通りになるように振る舞っていたので、母の願望は「真実」になった。それだけの話だったのだ。

そう気づいた後でも、自分は親に対する態度を変えることはなかった。高校大学時代経済的に親に依存していたので、今までの従順子どもから急に方向転換するのはためらわれた。

社会人になり、経済的に完全に自立したところで考え方を改めた。

よっぽどのことがない限り、親には頼らないことにした。その代わり、親の顔色をうかがったり、言うことに無条件で従ったりするようなこともしない。

こうして書くと当たり前の話に聞こえるが、当時はそれができていないように感じていた。自分は親離れするので、親にも子離れしてほしかった。

最近ちょっとした揉め事があった。

自分が、新卒就職したところを辞めて転職したのだ。親には転職相談は一切しなかったが、引っ越しもするし報告しておくか、くらいの気持ちで事後報告をした。

しばらくして、母から返信が来た。曰く、父がひどく怒っていると。

数日後に父本人からも長文メールが届いた。まとめると、「そんな大事なことを、なぜ転職を決める前に親に相談しなかったのか」と怒っていた。

母にも苦言を呈され、お父さんがこの調子では最悪離縁すると言い出すかも……というようなことを言われた。

どうも、

子どもは、大事なことは必ず親に報告するものである

というのと、

就職(転職)は人生における重大イベントである

というのは、両親にとっての「真実」(願望)だったようだ。

彼らの連絡を受けて頭に血がのぼった自分は、二人に長文メールを返した。まとめると、「あなたたち二人は子離れできていないのではないか」という内容で。

以降、お互いに連絡もしてないし、帰省もしていない。

今思えば、上で書いたような「支援は仰がないけど言うことも聞かないよ」というスタンスを明確に親に伝えていれば、ここまではこじれなかったかもしれない。後悔しても遅いが。

つくづく、コミュニケーション不足な親子なのだと今になって実感している。

(オチはない)

2020-03-19

魔法のiらんどホームページ作るからプロフィール書くんだけど昇格試験受けてないかアマフィールしか書けない

前回は一夜漬けで挑戦したけど意外と難しくてね

2020-03-16

クズクズから脱却するには

またトラウマスイッチが入ったので吐き出す。


何事も中途半端以下、努力も才能も、納期に間に合わせる力もないクズ

そんなままこれまでの人生を生きてきた、自他ともに認めるクズクズ、それがわたし


小学校の頃はまだまじめだった。いや、真面目の皮を被って生きていけた、というのが正しい。


中学校から片鱗が出始めた。仮病を使って休む日が出てきた。

合唱コンクールピアノ伴奏で、本番にも関わらず二小節ほど停止した。

すぐ復帰はしたものの、「伴奏すら満足にできないクズ」「一生懸命練習しろカス」と揶揄された。

「こっちだって十日前に突然任されたんだから」という思いでごまかしていたのが、クズ思考だったんだと思う。


高校の頃もひどかった。文武両道を語る、自称進学校しか入れなかったのも原因の一つかもしれない。

だけれど、そうやって他責を真っ先に思いつきそれに縋るのも私がクズゆえの思考なんだと今になって自覚する。

夏休みの宿題を「明日出す」と一週間繰り返して出さなかった結果、生徒指導室行きになった。

テスト一夜漬けで、英語赤点なんてザラだった。クズなので高3になってもベクトルの基礎がボロボロで「お前、やばいぞ」と叱咤された。

そうはいっても復習もしない、中身もない、自分に甘いクズなんだから仕方ない。

部活では、インターハイの三日前に怪我をしてキャプテンに詰め寄られてキレられた。

「本気じゃないだろ」「士気が下がる」「お前来んなよ」

重々承知してるけど、体面を気にするクズから来るしかないんだ。ごめんなさい。


大学もっとひどかった。日によって代返を使うようになった。

サークルでは技術の上達しないクズ部長を任された。指導は先輩に全部投げたし、全国大会ではわたしの凡ミス奇跡的な逆転負け。

後輩を入れた以外は部室の置物として生きていた。これが本当の役立たず。

趣味小説電撃文庫に応募した。二次選考落選。それでプッツリキレて、投げ出した。

他の人たちは血のにじむ努力をしているのにさ、あーあ自分に甘いしメンタルが弱いドクズだこと。

研究室なんてひどさの塊だった。研究の報告会で、自分研究をあまり理解していない始末、教官に顔をしかめられる状態がずうっと続いた。

ゼミ論文紹介なんて、内容が大したことないのに基本的なことすら上手く説明できずひたすら燃え時間が終わった。

それを次に生かせれば良いものの、三年間ずうっと同じ感じでゼミは終わっていき。

最終的にドクターの先輩から炎上商法」「ゼミ質問で、他の人が答える部分が多いのはM2としてどうなの」と御叱りをもらった。

修論なんて、実際完成度はめちゃくちゃ低いし、追い出され枠のお情けで卒業させてもらったんじゃないかと今でも思う。

修論とは別に論文化で必要データなんかも、わたし責任もって行うべき部分を、残った人たちに押し付けて、逃げた。

社会人としては0点どころか評価フィールドに立てやしない。

正真正銘クズクズ。そうやってこれまでの人生、生きてきた。


そして社会人になって、一か月。同期を数十~百人単位でとる企業に、文字通り『潜り込んだ』。

研修で、まだボロは出ていない。と思いたい。

しかし、この思考が頭に侵食されている時点でクズクズはまだ終わっていないし深く根付いていると思う。

それが社会人になって表出して、これまでとスケールの違う規模の失敗、負債を抱えてしまうことがたまらなく怖い。


そして今日、夢を見た。今まで迷惑をかけた先生やら同期やらいろいろな人が出てきて責められる夢。

全部元をただせば自分が悪い、出るとこ出れば10:0で負けることばっかやってきたので勝手トラウマ負ってるだけなのだけれど。

実際甘えなのは分かっているが、このトラウマの数々を拭い去りたい。そして、人として多少はマシな状態になりたい。


藁をもすがる気持ちで、ここに吐き出して、書いている。

どうやったらクズから脱却できるのか、増田の誰か、教えてほしい。教えてください。頼む。

2020-02-20

anond:20200220012305

別に最初から変わってないよ

そのうち「マスクでいえばN95で防げない程度の飛沫感染をエーロゾルと呼ぶ」などでしっかり定義されると思うけど

おまえが聞きかじったことをつみあげて一夜漬けしてるだけじゃん

無理にわからないことを勉強しなくていいし

匿名サイトに投げ込みに来なくてもいいぞつうか来るな

2019-04-25

中卒に向いていないタイプ

遺伝的に知能が高かったりすると中卒人生に向いていないのかもしれない。

高卒はともかく中卒は事情ピンキリ

経済的事情で進学しなかった

ヤンキーで進学する気がない

いじめとか精神疾患発達障害などが理由不登校だった

などを筆頭に、親が宗教にハマッっていたり人格障害で荒れていたりすると小学校すらちゃんと通えていなかったりもする。

成人してある程度自由を得ることで、やっと人並みの努力ができる状況になる人もいる。そんな人はとりあえず根性がある。

根っから性格破綻していなければ、常識がなくても世間に揉まれて最低限身につくしコミュニケーションだって人並みに取れるようになる。

そこまで行って軌道修正できた後におかしな方向に進む人もいる。バランス感覚を身に付けることが出来なかったタイプ

経験知識が著しくアンバランスなのが自然体で、それを自覚する機会と縁の薄い生き方をしている。

学歴コンプ原動力とした知識欲なのか、あれこれインプットしては物事拡大解釈する。その先には自己完結

そして、それを仮説にとどめるブレーキが緩い。

学歴コンプがなければ、知識を糧にしようと背伸びして人と摩擦を起こしたとしても、「頭がおかしい」のような事を言われるだけだと見えない評価の予想ができるけど

学歴コンプが強いことで「中卒であることを馬鹿にされている」と受け止める部分があり、反発心妄執で更に知識を求める。

知識欲が自己啓発スピリチュアル心理学に向かうと手が付けられなくなったりする。

「それらは多くの人が年頃に一度は興味を持ったりするもの」という観点が無いのか、救いを求めて手を出しているからか特別視していたりする。当人特別視はしていないつもりで。

そういったもの危険な面を表面的に理解しつつも、経験が伴っていないため安全装置的なカンが鈍く深みにはまる。

学歴コンプを跳ね除けるべく努力した先が、頭でっかち理想家。

ボキャブラリや見聞きしただけの観点ばかり増えてしまい、いわゆる『自分の考え』はほぼ空論

社会他人問題に対して、知的な振る舞いで問題視することが趣味になり、そうして自身の負い目を間接的に慰める。

「言う側」に立つことで精神の安定を保っているのかもしれない、エゴ肥大することを代償にして。

不都合実態他人の目から隠しても、自身はそれと常に付き合っている。

そうして、言行不一致による矛盾が増えては誤魔化すことを繰り返し、普通なら感じる限界の先に行くと巧妙な開き直りを思いついてしまう。

それは麻薬中毒者が幻覚規則性を見抜いた錯覚のようなものだけど、乏しい経験に加わる「発見という経験」は正解に感じやすい。

そんな狂った感性生産的な方法昇華する手段職業的なモノサシでも持っていないと、次のステージに進んだことにも気づけない。

良かれと積み重たものは、妄執に振り回されて行った一夜漬け的な努力の塊で、そこから生み出されるエピソード

頭の中の人形劇に継ぎ足されて、日々複雑化と単純化を繰り返しては時間を奪う。

そうして取り返しがつかなくなってしまったら宗教がとても魅力的に見えてくるのかもしれない。

2019-01-20

なんとなく生きてきたけど

今までなんとなく生きてきた。

なんとなくでもそれなりにこなすのは得意だった。

ただ、それなりにこなすことができれば満足して、それ以上の努力はしてこなかった。

いや、努力が苦手だった。楽しいことだけを好んでやっていた。

漫画だと一夜漬けのシーンは数コマで終わるのに、学生時代に真似したところで一夜漬けを始めて1時間で眠りこけてた。

から将来の夢を見つけることもできなかった。

ただ、なんとなく生きていた。

小学校の頃は勉強しなくてもテストは満点近かった。

この頃から目立ちたがりだった気がする。

中学校では生徒会長もやっていた。

テストの点数は右肩下がりだったが、問題のあるレベルじゃなかった。別に焦りもしなかった。

面白そう、という理由総合学科高校入学した。

そこには確かな夢を持った同級生がたくさんいた。

きっと自分高校の3年間でやりたいことを見つけられるんだと信じていた。

3年間で彼女がいた時期もあった。自覚は無かったけど、所謂青春がそこにあったんだと思う。

ただ、将来の話題になると、具体的には何も思い浮かばなかった。

卒業前に題材自由ミニ卒論を完成させなければいけないんだけれども、題材を考える時間が一番長かった。

大して時間もかけずに、陳腐な内容で適当お茶を濁して終わらせた記憶が残ってる。

学科柄、就職を進路に決めている人が多い中、なんとなく進学を決めた。

成績も優秀では無く中の下に成り下がっていたので、推薦入試も使えなかった。

やりたい事がみつからいからこそ、少しでも有名な大学に進学しなければと考えていた。

そんな後ろ向きな目標必死勉強することも出来ず、受験勉強もなんとなくだった。

一般受験をする生徒は珍しいので、同級生先生応援してくれた。

ありがたかったけど、反面全然勉強してない罪悪感も辛かった。

結局第一志望のMARCHは落ちた。

現役時代ですらまともに勉強できないのに、浪人が出来るとは思えなかった。そのまま第二希望で1ランク下の大学入学した。

就職した同級生は皆輝いていた。何とかして自分も輝きたくて焦った。

でも、何となくで入った心理学科の授業はまったく面白くなかった。興味も持てなかった。

時間だけは沢山ある中、ネットゲーム実装されたばかりの対人コンテンツランキングに入ることが出来た。

ゲームのフレンドから賞賛された、知らないプレイヤーに声をなんどもかけられた。

そしてなにより、自分名前ランキングボードに載っている事が最高だった。

一度ランキングに載ってからはそれまで以上に時間を費やした。

ただ、それも長くは続かなかった。

コンテンツ人口が増え、コミュニティや戦い方が成熟し、要求されるスキルが上昇していくのについていく事が出来なかった。

声をかけられることもパタンとなくなり、かといって追いつこうと練習することもなかった。

ゲームですら努力はできなかった。

ランキング上位への熱意も冷め切って気づいた頃には、単位の全く取れてない留年確定の大学生がそこにいるだけだった。

留年して通学する貯金もなく、そもそも心理学への興味が一切なかったので大学中退した。

兎に角働かなければ食っていけない状況に追い込まれて、SIer就職した。

面接で「君と是非働きたい」なんて言われて浮かれたけど、今思えば誰にでも同じことを言ってるに決まってる。

最初に配属された現場プログラミングのプの時も無い倉庫整理だった。

中高と体育会系部活所属していたので、上下関係には慣れてたし、挨拶や体力に問題はなかった。

それなりにこなすだけで雇用元の社員にも気に入ってもらえた。

「直接雇いたいから連絡をくれ」と言われたが、22歳の自分にはこれからずっと倉庫整理で食っていくなんて考えられなかった。

何と言えばいいのか、変なプライドがあったんだと思う。

小中高と目立ちたがりだった自分がそんな誰にでも出来る仕事をこなして爺ちゃんになるなんて考えたくもなかった。

契約期間も終わり、次の現場通信系の検証業務だった。

プログラミングのプくらいはあるかもしれないが、

メインはExcelに書いてあるように操作して、PASSかFALSEをつけていくだけだ。

これもそれなりにこなすだけだったけど、最初倉庫整理よりかは給料がよかった。

今まで買えなかった漫画ゲームを買える経済的余裕もでてきて、

毎月の給料で今まで金銭理由で楽しめなかったコンテンツを味わって2年が経った。

ゲーム漫画楽しいけど、仕事は相変わらずそれなりにこなすだけだった。

それなりにこなして、小さなチームのリーダーにもなった。

といっても特段業務内容に変化は無かった。

このまま何となく勤続年数に応じて給料が上がっていき、何となく生きていくんだろうかと不安になったし、まあそれでもいいかと思うようになっていた。

けど、変わった。

年末山手線高輪ゲートウェイ駅開通のテレビCMを見たときに急に何かに気づいたような感覚に襲われた。

テレビCMを見てそんな感覚になったのは初めてだった。

「あ、これがやりたいことだ」と感じた。

これ、というのが簡潔にいうと「自分が関わったのがわかる形で"何か"を作り、残したい」だった。

言い換えれば、自分存在を認めてもらいたい、つまり承認欲求が溜まりに溜まったものなんだろうか。

から目立ちたがり屋だった事、ネトゲランキング名前を残すことに躍起になっていたこからも、人より承認欲求特に高いのかもしれない。

"何か"は別に高輪ゲートウェイ駅みたいに実体である必要もない。

なるべく多くの人にこれは自分が作ったんだといって見てもらいたい。

具体的ではないけど、夢に近いものテレビCMを見て気づいた。

義務教育プログラミングカリキュラムが導入されているこの時代スタートは遅いけど、まだ諦めるには早いのかもしれない。そう思った。

どうすれば「"何か"を作る事」に近づくことができるかを考えて、開発側の業務に移れるようPythonの勉強を始めた。

Progateでチュートリアルやった後に何に手を付ければわからなくて、既に壁にぶつかってる。

きっとここから努力するってことなんだろう。

特にスキルも身につけずアラサーを迎えたITエンジニアだけど、この気持ち言語化してみたくて書いた。

やりたい事が見つかったからなのか、敬遠していたFaceBookを見ることができた。

文化祭映像を作ってた友人はYoutuberになってたし、高校卒業前に惚れてた笑顔が素敵な女の子舞台俳優になってた。

Facebook自体がそういう場所から、というのはあるかもしれないけど、いまだみんな輝いている。

もし、何かみんながわかるようなものを作って残せたら、またここで報告したい。

2019-01-03

京大までの受験の思い出(失敗編)

https://anond.hatelabo.jp/20190102063518

https://anond.hatelabo.jp/20190102174908

ダメだった身で恐縮だけど、見てたら俺も自分語りしたくなったので。

中学受験

小学校首都圏某県の公立に通っていた。長男にはありがちだと思うが、低学年のころより通信教材をさせられたり、あちこちの塾にお試しで通わされたりしていた。

中学受験も完全に親の意思によるものである勉強別に好きではなく、塾では机に落書きをしたりしてあまり授業を聞いてなかった。だから当然成績は振るわず、ある日テストで50点をとって(自分ではそれでも上出来と思っていたのだが)ブチ切れた母の命により、それ以来は学校が終わると直帰し祖母らの監視下で勉強強要させられる日々が続いた。志望校も全て親が決め、いざ受験期になっても明日どこの学校を受けに行くのかさえ把握していなかった。

とはいえ元来陰キャ友達も少ないことから自分だけ別の中学に行くことに未練はなく、また特段この学校を受けたかった!というのもなかったため親は恨んでいない。まあクラスメートからいいねと言われるのは気分が良かったし、(勉強は嫌だけど)親に怒られるのも嫌だからしょうがないか、ぐらいのもんだったと思う。むしろ中学受験は大なり小なり「させられるもの」だと長らく思っていたので、東大編の元増田や知り合いの子供が純粋自分意志中学受験をしたというのを聞いてびっくりしているくらいだ。結局(親の)第一志望の御三家は全く歯が立たず、第三志望?くらいの中堅校(中高一貫)に入学

中学高校時代

中学に入る前後から弟が病気で入退院を繰り返すようになり、親や祖父母はそれにかかりきりになった。お陰でこっちはこれまでと打って変わって完全放任。ゆるい文化部に入って暇を持て余した俺は、当時流行っていたMMORPGメイプルストーリーとかそういうやつ)にドはまりした。当然勉強は全くせず、テストは常に一夜漬け。成績は最下位スレスレ状態が高1の終わりまで続いた。相変わらずクラス友達はなく、図書室にこもっていたお陰か現代文だけは良かったが、文筆家になる気はなかったし歴史とかの暗記系が大嫌いだったので理系選択

高2になって、見かねた親が東大生の家庭教師をつける。俺が京大へ興味をもったのは、その先生の「京大単位が空から降ってくる(けど東大単位が逃げてゆく)」という言葉だった。折しも本屋大賞だかがきっかけで森見登美彦を読み始めた俺は、自由楽園としての京大への憧れを一気に膨らませた。当時の京大ホームページアクセスすると大学京都の町並みの影絵だけがボーンとあり、それを横にスクロールしていゆくと最後入口が出てくるといった具合で、他の「普通の」大学とは違うその作りに大いにワクワクした感覚を今でも覚えている(どこかに画像が残ってないだろうか)。

同時に両親とも激務で働く姿を見ていた俺は、会社員自由のない苦痛に満ちた職業というイメージ漠然と持ち始めた。そして自由自分のやりたいことのできる職業大学教授という安直な発想から研究者(当時は「研究」が何かも知らなかった)の道を志す。そのために必要要件も何人かの研究者の略歴を見て「早慶以上で博士課程まで行けばなんとかなる」という勝手イメージを抱き、結論として「京大に入る(滑り止め早慶)」ということだけを目標に高3に突入した。

大学受験(現役)】

再び受験生となった俺は、MMOを休止し何となく予備校に通い始める。当時クラスメートたちは進度の遅い高校カリキュラムを見限り、授業中も内職して予備校の教材をやっていた。だから自分もそんなもんかと思って高校課題は真面目にやってなかったのだが、5月定期試験で相変わらず下から一桁番目の成績だった俺は担任からこっぴどく叱られる。

「お前に学校予備校勉強を並行してやるのは無理だ。予備校を辞めるか、さもなくば学校を辞めて大検を取れ」

恐れおののいた俺はとりあえず担任の教科(数学)だけ予備校を外し、そこから漸く(自分なりに)真面目に勉強をするようになった。

学科は(高校の教科で言う)物理が好き&理屈ばっかりではつまらないという理由工学部物理工学科を選択首都圏学校だったので京大志望はクラス自分一人で、ちょっと一目置かれていた(単にハブられてただけかも)。しかし当然ながら、京大試験問題は難しい。特に積み重ねと言われる数学絶望的だった。でも当時はそこまで深刻には考えてなかったように思う。物理は高3になるまで運動方程式も知らなかったけど、一歩一歩ものにできている感覚があった。化学予備校の教材が奇跡的に分かりやすかった(何せ浪人時代予備校を変えたけど、化学はこっそり現役の時の教材で勉強していたくらいだ)。当時京大では理系でも国語二次試験があって、読書趣味から現文が感覚で解けてた俺には有利だった。元増田の通り、センター数学足切りしか使われないから出来なくてもノーダメージ。あとは英語センター地理を合わせて総合力で何とか、という作戦だった。

高校である教師が言っていた。

現役生はあらゆる点で浪人生より不利だが、唯一有利な点は『落ちたことがない』ということだ。

高3の俺は正にその状態だったと思う。模試でD判定をとっても、周囲が「E判定は良い判定」とか言い合ってるのを聞いて安心していた。試験前日も風邪リスクなど考えず、噂の折田先生像がいつすげ替わるのか番を張っていた(夜になって諦めたけど)。今から見れば完全にただの馬鹿だった。

そんな根拠のない自信は、試験帰りの新幹線慶応に落ちたことを知り、補欠だった早稲田にも繰り上がりはなく、そして3月10日を迎えて完全に打ち砕かれた。後日はがきで送られてきた俺の点数は、合格最低点に(全教科計1000点満点で)80点以上足りなかった。

大学受験浪人)】

私大早慶以外にも何校か受けており、そのうち1校には辛うじて受かっていた。浪人生活はとにかく苦しいと聞く。しかし極限まで肥大化した京大-自由楽園-への憧れと、早慶未満→研究は無理→会社員自由のない人生というイメージから俺は進路に迷った。結局家族で唯一理系だった祖父の「受かった大学師事したい先生がいるならよいが、そうでないならもう一年頑張ってみては」という言葉におされ、俺は浪人生となった。

もう現役のころのような希望はなかった。予備校京大クラスはそこにしかないため、満員電車を乗り継ぎ片道1時間半かけて都心の校舎に通った。中学受験ときは決まった休憩時間には遊べたが、浪人の間はあらゆる時間勉強に費やさなければならないのが本当に辛かった。趣味読書も一切禁じた。もし落ちたら奴隷のような一生しか歩めず、それだったらもう死ぬしかない。そう思いつめているせいか夜はなかなか寝付けず、自習時間や週末に眠り込んでしまうことも度々あった。クラスメートと一切話さず(結局誰一人名前も知らなかった)、昼休みは机に突っ伏していた俺は相当浮いていたと思う。

それでも振り返れば、この一年で俺の馬鹿は(お勉強の面では)だいぶ治ったと思う。物理は難度の高い問題をこなし、得点源といえる域になってきた。化学は詳しい理論(π電子とか)は理解できず丸暗記だが、現役時代と合わせて知識量はそこそこあるはず。国語感覚を廃した分析的な読みを一から勉強し、地理と合わせてセンターで大幅な特典増が見込めた。数学はやはりしんどいが、どうにか100/250点とれれば総合合格点に届く計算だった。

試験前日、俺はやっぱり眠れなかった。ホテルの有線音楽で聞いた『一年生になったら』がずっと頭の中を流れていた。興奮は当日になっても続き、寝不足による不調は感じなかったが、2日目の最後理科試験問題を開いて絶望した。物理が例年よりも簡単すぎる!差別化を図れる唯一の手段を封じられ、動揺した俺は同時に出された化学で手こずりまくった。絶望感とともに帰宅した俺は、迎えてくれた家族の態度から早慶に落ちたことを察し、今度こそ人生が終わったと泣いた。そこから3月10日までは後期(京大にはないので他所)の勉強をする気力も起きず、抜け殻同然の日々を過ごした。

ここでいつか使おうと思って、結局使えなかった話のネタを供養したい。俺は出願期間が始まって速攻で願書を出したから、京大受験番号は(学科を表す千の位+)8番だった。たしかその年の工学部の倍率は2.5倍くらいだった気がする。迎えた3月10日ホームページで見た合格者の番号は

1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 9, 11, ...

あの時同じ部屋にいたはずの10番は、今何をしているだろうか?

【その後】

結局俺は最低点には17点届いていなかった。そして死ぬだけの覚悟があるはずもなく、併願した某私大に進学した。この大学に現役で進学し、新歓の時期ばったり会った高校クラスメートの「一浪して○○大!?」という言葉が今も胸に突き刺さっている。

……とまあ、受験生を奮い立たせる目的ならこういう風にBad endで終わった方が良いのかも知れないが、どっこいこれもN年後の今では良い思い出である。あれから俺は京大とは別の国立大の院に進学し、今は民間企業への就職を控えつつ博士課程を終えようとしている。結局私大生活も十分すぎるほど自由だったし、現状研究者も中々自由が効かなそうだし、企業でも上手くマッチングすればかなりやりたいことが出来そうだった。後に残った傷といえば、森見登美彦が読めなくなったことぐらいである。

もちろんこんなのは結果論しかいから、これを読んでる受験生は悔いのないよう今の信念を貫いてほしい。しかしもし将来(受験に限らず)苦い思いをすることがあったら、それがどのようにして「良い思い出」に変わり得るかのヒントとして次の言葉を思い出してほしい。

人生には割と結果オーライな所があって、今の状態が悪いと過去の一つひとつがその原因のように思えてくるが、逆に今が良ければそれらにも意味があったんだと思えるようになるもんです。

これは今の大学である先生が仰っていた言葉だ。過去未来を決めるのでなく、未来過去意味づけるというとまるで(京大編の元増田の)「汗をかけ」へのアンチテーゼみたいだが、そうではない。大事なのはもし受験不本意な結果に終わっても、その後人生で「成功」するチャンスはまだまだ残されているよということだ。私大の院で着実に研究者への道を歩んでいる同期がいる。生涯の伴侶を見つけた後輩がいる。サークル趣味が高じてプロになった先輩がいる。俺だって京大に落ちなければ、今の研究(超絶面白い)には出会えなかっただろう。どんな道でもとにかく今が楽しいという状態にさえ持っていければ、きっと明日だって「落ちたことにも意味があった」と僻みなく言えるようになれるだろう。

全ての受験生と、かつて受験生だった皆が、新時代を迎えるこの年に「成功」出来ることを祈っている。

2018-08-08

新潮爆問太田裏口入学記事だが

あれって単にヤクザが各大学から事前に入試問題を手に入れて、それを周辺の金持ちに売りつけるシノギをしていた、という話でしかないでしょ

証言している「日大関係者」って「日大から試験問題を事前に貰い受けていたヤクザ」ってことでしょ

東京医科大学の件から想像できる裏口入学とは別個のものだし、爆笑問題太田疑惑は「漏洩入試問題を購入」したことである

 

交渉から金払ったのは全部父親がやってたことだから太田本人が知らない、分からないというのは納得できないことではない。

父親が亡くなっている以上、太田記憶頼りで、太田入試直前にホテル缶詰にされて一夜漬けをやらされた記憶が残っているか、が重要である。かといって父親のしたことを知らなければ忘れていたとしても仕方のないことである

なお新潮リークしたヤクザ側の証言は、ヤクザである以上、信用性は相応のものしかいか事実担保するものにはならない。

2018-07-24

君って普通だね」と言われて嬉しい人は少ないだろうけれど、「君って普通じゃないね」と言われて嬉しい人もまた少ないんじゃないだろうか。

大学進学のために上京してから悩まされていた不眠症。無計画が引き起こす学期末のレポート地獄。いつまでたっても片付かない部屋。ストロングゼロ煙草

僕は地元田舎では周りのやつらのようなガリ勉をせずともそれなりに勉強ができた。やる必要がないと思う提出物は出さなかったし、学校サボりがちだったか高校の成績は悪かったけれど、大学受験では苦労せず希望大学合格した。今思えば僕は周りとは勉強方法が少し違っていた(周りが1ヶ月かけてする試験対策を3日徹夜すればできた)。でもそれはむしろ自身の美点のように感じていた。もしかすると、時間をかけて勉強した結果僕より点数の悪い同級生バカにしていた節さえあるかもしれない。と同時に、コツコツとした努力のできない自分自身を恥じてもいた。

それが、大学に行ってみたらどうだ。確かにガリ勉努力をして入ってきたやつも大勢いる。でも僕みたいな一夜漬けを少し大掛かりにしたような受験勉強大学にきているやつもたくさんいるじゃないか。それでもいいんだな。

大学3年間。将来の目標に向かって努力をするやつらをとにかく視界に入れないようにして、遊んで暮らした。レポート学部2、3年までのレベルのもの一夜漬けとその応用みたいなやり方でなんとかなる(なんとかならないものは、それを察知した瞬間に取り組むことを放棄する)。試験が重そうな理系法学部に行かず、文学部に進んで本当によかったと思っていた。

ところがどっこい、僕を待ち受けていた卒論は、そうはいかなかったのだ。いや、適当に済まそうと思えば、ギリギリ通る具合のものを提出して卒業できたようにも思う。ただ僕は変なところで完璧主義なのだテーマ設定のまずさと彼女との仲がこじれたこととそもそも外国語の読解が不得手であったことやらで、去年の12月に全てを投げ出し、引きこもり学生証に留年シールを貼り、今に至るのである

去年の冬から部屋に引きこもりがちになった僕を心配した研究室教授に勧められて訪れた保健センター大学にこんな施設があったとは、4年間通った大学だが知らなかった。診察室に待ち構えていたのは柔和な表情をした丸眼鏡精神科医質問票に答えたり、テストを受けたりと何回か通った後に医者が発した「ADHDですね」という言葉

そんなことってあるだろうか。23歳にもなって。僕以外の人はもっと楽に生きているってわけか。自分発達障害ということに気づきたくなかった。

君って普通だね」と言われて嬉しい人は少ないだろうけれど、「君って普通じゃないね」と言われて嬉しい人もまた少ないんじゃないだろうか。僕は普通がよかったのに。

2018-06-17

anond:20180617122735

から

ポンコツ頭 + 不真面目のテスト前の焦りの一夜漬けよりは勉強時間少なくて済むし、

結果も良いんだろ

anond:20180617121913

一夜漬けではないが、既に普段から着実に勉強しているので、「私ぜんぜん勉強してないの」は嘘。

2018-05-29

英会話を習い始めて

三年になるのかな?

一向に上達してる気がしない

それはそうだ

毎日コツコツ勉強しない

暗記力も悪くなる一方なのに一夜漬け

あと、大きな欠陥は

コミユ障、アスペボキャブラリーは乏しい。

基本の日本語が困難をきたしているのに

英語なんてもっての他だ

外国人先生日本語を教えてもらう始末で致命的。

コミュ力あって語彙力豊富なら直ぐ習得できる

と思う、現に自分正反対な人は目まぐるしく上達している

次のレベルに進みたいが、自分のせいで足踏みしているなと痛感している

・・・

専門な所で診断はしていないがアスペだなと感じた行動。

病院にて

次の受診室の案内で看護師に着いてくるよう言われ着いて行った。

他の人はその部屋の前に着くと、

言われなくても待合室のソファーで座っていた。

自分は?

看護師達が待機しているところまで着いて行き

会話に参加していた。

苦しいね

2018-01-12

自分に合った勉強法を知ろうという話

大学二年後期、定期試験やばい

一年次や二年の前期もやばいやばいと言いながら試験に臨み、ギリギリのところで単位を取得してきたが、今回は特にやばい

かつての私はコツコツ勉強するタイプであった。課題が出ればその日のうちにこなし、授業で出された演習問題はこまめに解くようにしていた。私はもともと地頭がよくない。大学受験問題暗記で乗り切っていた。根本的なところは何も理解していない。講義を聞いただけでは微塵も理解できない。しかし、その後には必ず時間をとって、たとえ自分の頭で考えてもわからない内容でも、復習に努めた。

しかし、次第に周囲の影響を受けるようになり、期末の時期に過去問だけ解けばいいや、と思うようになった。実際、それで乗り切れてしまった。

そして来たる二年後期、なぜかこれまで全く興味のなかった読書にどっぷりとハマった。どうせ授業を聞いてもわからないという考えから、授業中もひたすら読書に耽っていた。自分の専攻する内容とは何ら関係のないものばかりだ。

私がいま思うのは、日頃からの復習をしておくべきだったということだ。二年前期まではそれなりに頑張っていた。考えてもわからないとはいえど、この過程を経ることによって、期末の勉強スムーズに進んでいたのは明らかだった。しかし、今期は日頃の復習を全くしていない。授業の内容はますます高度になっていき、ノート過去問を見ても何のことだかさっぱりわからない。

友達もいないのに周囲の影響なんていうのは自分でも滑稽に思えるが、とにかく私は周りに流されてしまった。単位なんてのは過去問を解くだけで取れるもの、と考えるようになってしまった。しかし私には過去問を解くだけで単位を取る能力はなかった。これまで単位を取得できたのは、わずかながらの日々の復習とこれまでの積み重ねによるものだったのだろう。現時点でその積み重ねは途絶えてしまった。宙ぶらりん状態である

結局、私に合っていたのは日頃からの復習を怠らない勉強法だったのだ。周りの彼らは直前に一夜漬け過去問を解いてエナジードリンクを飲んで臨めば単位が取れてしまうのかもしれない。しかし、私は試験前に一夜漬けなどしたことがないし、毎日時間以上の睡眠を取らなければ次の日には全く頭が働かない体質だ。直前に詰め込むのは苦手であったし、コツコツ身につけていくのがこれまでのやり方であったはずだ。しかし、周りができるなら自分にも、という安易な考えからこの習慣を壊してしまった。自分のことは誰よりもわかっていたはずなのに。

自分に合った勉強法無意識のうちに身についていたのだ。しかし私はそれに気づかず、自ら手放してしまった。自分のことは自分しかからない。周囲との違いを認識し、自分のやり方というもの発見しておくべきだったのだろう。

定期試験まで二週間弱、こんなことを考えながら、今期の履修科目を一から辿っている。

2017-11-16

【その後】大卒大企業就職したけどパチンコのせいでもうダメかも

他人人生とはとかく気になるものである

2015年3月、私はパチンカスであった。

誰も記憶にとどめてないだろうし、私も記憶の彼方にあったが、ブックマークの片隅から見つけたので、

以下エントリーその後の2年と8ヶ月をここに綴ろうと思う。

 

大卒大企業就職したけどパチンコのせいでもうダメかもしれない

https://anond.hatelabo.jp/20150328233653

 

記事を書いた後、最後貯金を握りしめてパチンコ屋に向かい、8万円の勝ちを得て

お金を借りること無く、事なきを得る。何の台かは覚えてない。

 

 

その後、このままでは人生どうにかなってしまうと感じ、以下の書籍を購入。即座に読了

  

ISBN:4121504410  「私、パチンコ中毒から復帰しました 」(中公新書ラクレ)

 

本には「パチンコ依存症と呼ぶと病気と思えて甘えてしまう。だからあえて中毒と呼ぶ。」

「少しずつ辞めようなんて考えは甘く、辞めるには突然量をゼロにすべきだ」との

至言が並んでいた。パチンコをやめたい人は是非読んで欲しい本だ。

 

読了の翌日からパチンコを断った。パチンコ屋の敷地に入らない、当然トイレも借りに行かない。

パチンコ屋を視界に入れないのがコツだ。人間やる気があればなんでもできる。パチンカスなんて甘えだ。

 

 

3ヶ月後、そろそろ運が溜まってきたと思いパチンコ屋に赴く。

4万くらい負ける。

 

しかし、そこは大企業の力強さ。夏のボーナスで100万円のキャッシュ

得た私の前に怖いものはない。

 

3ヶ月我慢たことに加え、100万の貯金ができると、そんなにパチンコ欲はなくなった。

たかだか数万円の勝負には興奮を覚えなくなった。

しかし、より掛け金の大きなギャンブルに進もうという気持ちは起きなかった。

やはりいつでもどこでもコンビニ感覚でいけるパチンコというものの魔力が

いかに大きな物だったかということだろう。

 

その後はたまにパチンコに行くも、損得が釣り合う程度の成果をあげていた。

痛い目にあっているので、負ける勝負をする気にもならないし、負けても

貯金があるので、1日に10万円突っ込むような深追いをすることもなくなった。

冬のボーナスも入り(60万円)、貯金が貯まるに従い、パチンコから足は遠ざかった。

 

そして、パチンコを辞めるとモテ始めた。

パチンコをしている負い目のようなものがきえたのだろうか?

自信も財布も社会人3年目の余裕が出てきたからか?

 

部署異動を控え、なるべくいい部署に異動したいと考え、社内のTOEIC試験前日に有給を取得。

一夜漬けで900点のスコアを叩き出す(前回スコア+150点)。

パチンコを辞めて運が溜まっていたのだと思う。

 

翌年には海外取引をする部署に移動。

給料も上がり、ミニクーパーを購入(ただし中古)。

 

高学歴大企業グローバルっぽい仕事内容とミニクーパーという組み合わせで

モテは加速する。

 

海外出張も多く、ビジネスクラスも乗るのですぐにJALサファイア会員にランクアップ、JGCに入会。

グローバルエリートの仲間入りである

 

現在パチンカスから卒業して圧倒的に自信を蓄えた私は、自己の実力を過信し、己が力を世の中に顕示すべく

さらなる高みを目指して外資系企業への転職活動に励んでいる。

 

 

まとめると、ここ日本では高学歴大企業勤務であれば多少パチンカスになったところで

まったく人生に支障にないということである。もうダメになんてなることはない。

学歴バンザイ大企業バンザイ

 

少年よ受験勉強に励め!大企業に入れ!

 

ちなみにパチンコを辞めたって書いてるのは誇張で、今月も3回行ってます。ごめんなさい。

2017-09-12

anond:20170912080042

あなたの言いたいことは

リベラルアーツ的な総合的な知識必要とされる職業が少なくないわけだからアカデミックな面だけでなくリベラルアーツを学べるという面で大学必要

ということやね。

確かにそれは一理ある。

ただ、それは職業によると思う。

確かに分野横断的な教養大事職業もあるわけだけど、

特にWebエンジニアのような専門的な知識経験必要職業では大卒ブランドって必要ないよねって思う。

あと、「楽単」「一夜漬け」「出席のみ」で教養課程を進んできたような大学生果たしてどれだけリベラルアーツ素養が備わってるのか疑問もある。

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