でも給料では満足してるんでしょう?
わからないです。バレたというか友達2人が春休みに包茎手術するらしいから一緒にやりなさいの一点張りだったような気がします。そのとき友達はすでに手術の日まで予約していたんですが友達が事前の検査をする日に俺も病院につれて行かれて検査してもらうことになって、検査のあと手術してもいいかもしれないと言われたので俺もやることになりました。
これ確信をもって断言するんですが、俺よりモグラとかセミとか鳥とかのほうが良く生きてるんですよ
良く生きるっつうのは、なんというか、賢さとか、徳とか、愛とか、そういう高尚な話じゃなくて、シンプルに、こう、生きたいと思って生きるっつうか、生きる喜び……はどうでもいいんだけど、とにかく、こう、ヘルシーに、健全に、いいかんじに生きるってことですよ(トートロジー)
あー死にてえ、気が狂う、もうダメだ、殺害、帰してくれ、帰りたい このへんの言葉を繰り返しながら1日12時間も拘束されて、インヒューマン・レイバーばっかやってるのはどう考えても生命として間違っている
生命として間違ってるんですよ
俺はこんなことのために生まれてきたんじゃないんだよう
じゃあ何のために生まれてきたのかっていうと、これはわからないし、実際分かったら分かったでなんかキモいので一生わかんなくていいんだけど、それはそれとして、精神破壊労働を毎日繰り返すためじゃないのは確かなわけですよ
タクアンを刻んで池に撒いたら鯉が食うかどうか調べるとか、そういうことのほうが、まだしも俺の人生の本質には近いと思う やんねえけどなそんなこと
その点、あきらかに間違ったことはやってない感じがするじゃないすか モグラなんかはさ
俺はそうなりたいんだよ
一定のデターミネーションを持って、土を掘ったり、虫を食ったり、ネコに食われたりしたいんだ俺は
なにもかもがフワッとした状態で、ただうっすら苦痛を感じながら、ボンヤリ生きてたくないんだ
とか言うと、なんかやりたいことがホントはあるみたいな感じだけど、まあ、ないんだよな
やりたくないことは無数にあんだけど、やりたいことってマジでない
これなんなんだよ
俺も穴掘ったらいいんかな
冤罪を理由にするのは理解できる。究極的には自分が死ぬ事になるなら嫌だから。
俺は細目で汚い顔のデブが嫌い
タレントで男女ともにそれで思い浮かぶ人間が1人ずついるのだが両方とも痩せたそうだ
でも女の方は痩せようがずっとキモいし男の方も画像まだ見てないけど朝鮮系の細目は絶対に変わらないので恐らくキモいままだ
俺自身も昔デブと罵られ高校で減量に成功するが、骨格が悪く顔のバランスが悪くなるし骨太なので体重があまり減らせなくなった
高3のときミスタードーナツの食べすぎでリバウンドしたが割と太った後の下ぶくれの方がちょうどよい感じ
それを知っているので俺はそんな強迫観念があろうとも断固として痩せないようにしている
その朝鮮系の顔の男女2人は関西出身かつ元いじめられっ子だから恐らくブスブス云われてきたと思う
効いてて草!w
登録者数万人~数百万人のYotuberのコメント欄でよくあるのが「この雰囲気がすきです!〇〇が△△を相方として大事にしてるのが~どうのこうの」とか
「ひさびさに前と同じような雰囲気でうれしいです」とか今まで見てきた自分というフィルターを通して俯瞰で見てる内容。
そればっかりついてるコメント欄見ると辟易とする。結局、その動画に言及してるものはほとんどないし、あっても「5:30の〇〇の表情すき」みたいな
本当にその動画に対してのコメントなんか?と思うような中身ないもの。
登録者が少ないYoutuberにはそういう定型文ぶら下げるファンが少ないから比較的内容に触れてるコメントが多いけど、固定ファンが増えれば増えるほど
こういった類の定型文で埋め尽くされる。大抵めちゃくちゃいいねついてる。だから上位に表示されて埋まる。
新しい企画試みても定型文で埋まるの当事者はどう捉えてるんだ?その中に少しある実のあるコメント抽出したり、再生時間・滞在時間とか数字見て良し悪しを決めるの?
自分は死刑反対か賛成か決めかねているけど、死刑反対の立場としては冤罪は十分根拠になり得る。
> 何故なら秋葉原無差別殺人のように冤罪の可能性のないものは死刑でもいいってことだから
実際の運用で冤罪の可能性がある無しってどうやって判別するのか。いままで、冤罪だった件だって最高裁判所まで行って死刑の判決が出ている。つまりその時点では日本国の司法の最高の判断で冤罪ではないと判断していた。つまり、冤罪を完全に防ぐ事はできないのだ。
秋葉原無差別殺人だって、例えば新しい医学的知見が出て精神障害とかで罪に問えないという結果になる可能性がゼロではない。もちろん、他の刑罰だって冤罪の可能性があるけど、どんな犯罪も全く罪に問わないという事はできないので、せめて極刑である死刑だけでも廃止した方が良くないかと。
実家で過ごしている。
10年ほど前に離れた実家に戻ると、自然と昔のことを思い出す。新人社員だったとき、大学時代、中高時代、それ以前。
中高時代の成績優秀者リストが本棚に残っていて、常連だったあの人は何をやっているのだろう、などと無為に調べてみたりもする。
東大に行って、エイズ治療法の研究者をやっている人なんかもいて、凄いな、今まで頑張ったんだろうな、これからも日本のため世界のために頑張ってくれ、などと思う。
比べて自分は何だろう。そこそこの努力と成績で私大文系学部に進み、何とか辻褄を合わせながら通った会社に就職し、一度転職した後も変わらず、のらりくらりとそこそこの仕事をしている。
積み重ねて何者かになろうということを放棄してから何年くらい経っただろうか。希望通り、何者にもならず、結婚もせず子供も持たず、海に浮かぶ木片のように漂うように生き、ただ生かされている。
もう気づけば36である。今さら何かしようとも思わないし、仮にこれから何かしようと立志したところで、出来ることはほとんどない。それに抗う気力も体力もない。
一方、かつて場所を共にした人達はどうしているだろう。大抵の人は家族を持ち、中にはなんだか物凄い意義のある仕事をしている(してそう)な人もいる。
・メイドロボを売って大儲けする
・不思議な博士に出会って過去に行くタイムマシンを使わせてもらう(無理やり)
・一度未来に行ってるので寝てる間に株で儲ける
・起きたら幼女は成長してたので結婚したし金持ちでウハウハです
・猫が出てくる
麻酔か手術した日の夜です。むしろ切ってるときは麻酔が効いてるのでちょっとチクチクするかな程度です(ただし一緒に受けた友人の1人は切っているときにも痛さを感じたらしいです)。瞬間的な痛さは麻酔の注射が圧倒的にヤバいですが6回打つうち4回目ぐらいから感覚が消えはじめます。手術のあともしばらくは麻酔が効いていますが切れたときのために鎮痛剤を飲まされます。夜になって鎮痛剤の効果も切れてくると皮を全力で引っ張られるような痛さで寝れないです。時間を開けないと鎮痛剤を飲んではいけないので精神的にも痛みがずっと続くのかと考えてしまってキツいです。空気に触れたりすると痛いのでガーゼで覆うのですがトイレに行くと剥がさないといけなくてこれが麻酔と同じぐらい痛いです。自分では痛すぎてビビってしまうので極限まで尿意を我慢して最後は友達に剥がしてもらいました。歩くだけでもガーゼが動いて刺激になります。なので極力動かないようにしてましたがそれでも縫い目とか乾燥しかけて割れた傷口とかがひりひり痛かったです。手術が終わってからは痛みが数日続くだけといえば続くだけなので絶望的なだけで、手術直前の緊張がメンタルには一番キツかったです。友達がいる手前暴れたりはしなかったけど半泣きだったと思います。手術がはじまってしまえばもうそういう緊張はないので楽といえば楽です。痛いことをされたりしないかなという不安は終わるまでずっとありましたが。