はてなキーワード: 一言とは
今回の総裁選では菅さんの勝利がほぼほぼ確定しているけど、皆菅さんが総理大臣になることの大きな意味をまだわかっていない。
雄勝郡とは秋田県の南側、奥羽山脈のふもとに広がっている農村地帯であり、まあ一言で言えば陸の孤島である。
鉄道ファンにとっては、山形新幹線の新庄と秋田新幹線の大曲の間に取り残された在来線区間沿い、と言えば分かりやすいだろうか。
日本の近現代史を調べてみると、秋田県という場所は常に貧乏クジを引かされ続けてきた経緯がある。
戊辰戦争時には新政府に寝返ったにもかかわらず、明治時代以降は太平洋側の宮城・岩手と比べて冷遇され続けた。
国道4号線や東北自動車道、JR東北本線、東北新幹線は全部、福島・宮城・岩手の太平洋側を通っていて、秋田と山形は「裏東北」として無視され続けてきた。
いつの間にか秋田県は自殺者数日本ワースト、高齢化率日本ワースト、ネットでも秋田人の陰湿さは常に批判され続けている。
同じ東北地方なのに、仙台駅前の大都会の風景と比べると、秋田駅前はシャッター商店街になっているんだよね。
このように衰退一直線の秋田県だけど、ここにきてまさかの秋田県出身者の総理大臣誕生である。
東北地方出身者の総理大臣は今まで2名いたけど、どちらも岩手県出身者だった。
原敬は平民宰相と呼ばれ、鈴木善幸は東北地方のインフラ整備に尽力したが、菅さんはどんな実績を残すのだろうか。
岸田さんでは選挙の顔になれないし、石破さんはチー牛顔で総理に向いてないし、敵失の面もあるが菅さんにとっては7年間頑張って来たおかげで「東北地方の日本海側」初の首相になれることを喜びたい。
資本主義というか経済とか、それ以前に生物とかもう全部の常識がないのかおかしいので小言をいうね
国民と結果的に称される個人が寄り集まって自分たちの生活の共有部分を共同管理するための組織が国家なのね
国がなにかしてくれるとかお国というなにか生き物が人間を飼ってるわけじゃないのね
自治体や議員や国家というのは国民の寄り集まりであって国家が国民を生んでるわけではないのね
みんながちゃんと政治に参加すればそんな雲の上でクラウド接続しているらしいみたいな国家幻想は抱かないと思うよ
それで、生物として怠惰に生をむさぼることが夢とか究極の目標とか楽園ではないのね
それがそうだというなら脳に電極さして水槽で寝てるのとか人類の最終目的でしょ
生きるというだけについていえばストレスがあって達成感があって不足や不満を感じてそれを解消する快楽が必要なわけじゃん
まあそういうの全部今回はなしってことにしたとして 繋がれて夢をみるだけの生き物になるのが夢なの?
どう考えても人間が生物的な活動をしていくと消耗消費と老化劣化からストレスと競争が発生してかつ自然環境や資源も枯渇して苦しくなるだけじゃん
経済とかBIとは全然関係ないけど生物とかからいうと目標としては「苦しいかもしれないけど生を満喫すること、だってそれは生まれてきちゃったから」が究極な答えだと思うよ
それで資本主義の話なんだけど「金儲けのうまいやつが大儲けするのが資本主義」とかいうけどお金はお金だけでは増えないのね
そりゃ銀行が刷ればいくらでも増えますとかいうなんか宣伝文句があったけどそれ物理的に増えるだけでお金って物理じゃないのね
物理的なお金の代替品に理論的に意味づけたものがお金であってそれがもし大量にあったとしても「全部で1円」とか言えば数億円の束でも「1円」なのね
お金はお金で増えないの お金もうけのうまいやつがいいふうにやって倍にしていって 何億という資産を築いたとしても パン屋に腹が減ったから数千万でパンを売れっていっても売らないっていったら交渉決裂なのね
実際にそれができないのは国っていう先述の寄り集まりがお互いに問題を起こさないようにとか問題がおきたら解消できるように組織したものが違反を咎めて全部没収とか暴力的に解決できるからなのね
ルールに従っていればいくらひどい事でもしていいけどルールから外れるとちょっとのミスでも絶対許さんとかになる取り決めが法律なわけね
話はそれちゃったけど とりま何が言いたいかって お金は「お金儲け」では増えないのね
じゃあお金を増やすのってどうするかって、生産するしかないのね 一次産業から二次産業くらいまでが必要でもちろんそれが好きだしその知識が多くあって秀でていて 売り物にしたらより大きなものと交換できる可能性がある人がそれをするのね
権利だとか技術だとかを駆使して人がほしくなるようなものをつくるの そしたらほしい人は物々交換を申し出るわけ そりゃ生ものとかそのままじゃ使えないものをもってる人もいるわけなので平等にいつでも交換できる権利と交換するわけ
それがお金なの お金でお金は増えないのね お金もうけがうまいやつがお金を増やすわけじゃないの
じゃあ何でお金がふえるかって 約束で増えるのね 高い絵画は「高く転売できる」って保証によってその価値があったり いつのタイミングでその料理がたべられるか いつのタイミングでその施設が使えるか どんな時にそれを利用することができるか
そういう約束でお金って増えるの いまじゃないけどそれほしいって人が倍はくるよ 競争になるよ そしたら取り合いをさせずに倍の値段をもってくるやつと交換したらいいよ っていうのが価値なのね
その価値を作った人が潮目を見切って販売管理したり それをしながら生産をしたり そしてサービスをしたりするのはしんどいので その価値からいくらかおすそ分けしてその作業を人にお願いするのね
それがみんなが嫌ってる不労所得とか既得権益とか楽してもうけてるお金儲けがうまいやつとかの一部なわけ
欲しくなる時期までお預かりしておきます お持ちであるという証明を券で発行します いつまでなら使う側でいていいので使い終わったら払う側になってくださいねとか そういう金融商品って取引を代行する人がでてくるの
一次産業がそういうのに都合よくつかわれないように農協とか漁協とかいろんな協同組合とか団体とかがあるの 実際にこまったときに相互に助け合う仕組みとして小さな国家の単位みたいな組織ね
これを無視して利益重視にすればいま大手スーパーがやってるみたいな組合とかをとばして直販してもらって安く仕入れるとかできるし中間マージンがない分生産者も実入りは大きくなる
でも積み立てとか交渉とか共済とかいうのがないから不作とか被害とかでたときにだれもなにも補償してくれないの 運が悪けりゃつぶれるだけ できるだけ原始的で原理的な組織化で産業を保護してくれてたのがみんなが不都合で嫌いだった組合とか土着の組織だったわけ
スーパーや大手が効率的に安く商品を提供するために重厚な安定化組織を解体してたわけ 運よくずっと良作に恵まれてたらいいけど一旦不景気とかに落ちるともどってこれないよ 鬼怒川温泉みたいに
つまりねお金って結局人間が生きていくのに必要なものを他人に作らせるからできてるわけで 他人にたくさん任せれば任せるほどお金ができるの
そしたら任せっきりのなんにもしない人が出てくるわけね そこでブルシットジョブでもつくらないといけないわけ それが公共事業だったりしたんだけどね
どっかのド田舎まで高速道路ひいた首相とかいたりして意味ないことだったけど経済的には一部を活性化させたりしたね
お金は仕事っていう「その仕事をしてくれたおかげで生産がより便利になりました利益があがったのでお返しします」から利息分をすこしわけてもらうための権利を先取りしたものが労働の対価であるお金なのね
物々交換に時間をかけあわせたものがお金なの いまという時間から切り離した分だけリスクを含んだ価値を増大させるわけ
プロダクトローンチとかいう言葉が昔はやったけど、簡単にいうと完全予約制みたいなものね 生産に対して顧客を先に固定させておいて販売価格を商品より先に預かることね
土用の丑の日のウナギ弁当を予約で食品の廃棄を減らすみたいなもの 売れもしないグッドアイデアをこれは品質がいいから必ず売れると決め込んで投資していざ売ったら失敗みたいなことを回避する手ね
先に原資をあずかれることで生産にかかれるのね 基本会社はみんな借金してる 借金してそのお金でそれより大きなお値段をつけて生産したものを売る 借金を返してお給料もだして また借金して生産する
これでいつしか自己資本だけで会社やれたらいいなーっていうのが資本主義にある会社なのね
その借金という仲介をしたり証券化して権利を分散して関係ない人からも結局その生産の原資として使いまわしがきくみんながもってる時間とわずかな交換条件をかき集めてくるのが銀行なのね
銀行は人のチャンスとみんなの余裕を貯金として預かって、貸したり返してもらったりしてお金をふやしてるのね
これにはとても正確なやりとりが必要なので大変なのね こんなのみんな自分でできるなら会社はみんな自分で取引してるわね
つまり大きく仕事を三つに分けると、ものをうみだす人と、ものをつかう人と、消費する人と作る人の間を取り持つ人なのね
とりもつ人っていういわゆる「お金儲けが得意な人」がどれだけすごくても何人いても生産して運用しないと1円も増えないわけ
お金って生産して運用するその価値そのものなのね お金儲けがうまい人っていうのがもしいるのだというならそれは生産ができて加工もできてそれをほかの人にわたせる人のことなのね
生産工場が直売してなくて卸業者や代理店経由とかで商品を売る意味とかわかんないとおもうけど 全部できるならみんなしてる 自動車くらいに利益率が高くて組織が膨大ならできると思うけどね
農業を経営してるところの飲食店とか 規模的に小さくても完結してるところはあるよね
ところで都市生活してるみんなは農業してたり一次生産してたりする? してないよね だったら飢えて死ぬべきかな? みんなが死なないように無駄な仕事を増やしてくれてるよね
独占禁止法なんてなければ生産者一族が自分たちの分だけ生産して供給して ほかの人がほしいっていってもはい100万円っていえばいいだけなんだもんね
それをみんなが生きたい生きるべきってきめて あなたたちを襲って殺さないからぼくたちも殺さないでって取り決めて国家を形成して法律をきめてるよね
みんなが分散して生産して消費の機会や場所を分散させて無駄に仕事と手間を増やさせてそれぞれに従事させてその対価として消費するその価値にちょっと上乗せしたものを配分してるのが資本主義だよね
これが成長していかないと「上乗せした価値」が得られなくなるからどこかを削るべきとかになるのはわかるよね だからGDPとか大事だよね
そういう無駄なことやめない? いる分だけ調整して上へ上へ上げていくのもうしんどいからコントロールして一休みしたり無駄な仕事ふやしたりするのやめない?っていうのが共産主義って主義ね
国がその配分を一旦全部国有で国のものとして徴収して再配分するってきめると効率的で無駄のない生産と配分ができるよね
上手だろうと下手だろうと誰彼かんけいなくそこにいる人にそれしなさいって国営のなにかをしてもらってその価値を国の配分で分けたりすればここまでややこしかった資本主義の問題とか軋轢なんて一発解決ね
災害対策とか低迷する機能への投資とかいいなっておもったら即機能させれちゃうよね ただ国民の幸福度としては国がやれっていったからってことを押し付けられるのに報酬が自分で決めたものではないのは不満だよね
資本主義は重責を負わないなら受け取る価値を下げるって選択肢があるよね
ここで重責を負うって名前だけなのに給料高いのは納得できない資本主義でうまいことやったやつだけが給料たかくて真面目に働いてるみんなへの配分が少ないってことになると思うけど
重責っていう人が判断したり取り次いだり企画したり対応したり組織をつくったり運用したりしないと作業員がいっぱいいても価値を生産したり運用したりできないのね
みんな下積みなん手必要ないやれっていわれたらできるしみんな同じことしてる作業員なんだから給料がいっぱいの人と同じことできるからお金欲しいっておもうよね
じゃあどういう経路で、どこに問い合わせたら、どうなっているかという予想ができて、それならばこちらに切り替えたり、無理をお願いしたり、時期をずらそうってしたりみんなできる?
現場作業をしていれば現場でいるものはなんでもわかると思うけど、じゃあそこに来る材料がいつどこからどう来てどんな品質だからどうすべきかとか、判断できる?
また納品する先にどういう取次をして、支払いの約束をどうとりつけて、関係者のみんなにそこからいくらわけるとか計算できる?現場で10人優秀な人がいて生産が完璧にできたとしても材料とか取引ができないと10人の価値はゼロよ
10人に10人分以上の価値がでるように準備をしたり取引をしたりするのが重責の役目ね これが等価とかそれ以下ならだれでもできるの ほんとだれでもできる
だから人のいい社長さんとかがその価値を切り崩して会社だめにしたりする がめつく粘って値切って節約していかないと維持できる程度の利益もでない これが重責なのね いってみればみんなのお給料のためにどれだけ意地悪な悪人になれるかみたいなとこね
みんなの1+1の生産の結果をどれだけえげつなく汚い手をつかってぼったくったかが、お給料になるわけ 10人分なら10倍程度にね それが楽なので再分配しろっていうならみんな自営業したらいいだけ クラウドの仕事募集サイトで仕事すればいいだけじゃん なんでしないの?ってことよ
10人分の家庭の生活を自分の一言でつぶしてしまうかもしれない その責任がおまえとれるの?っていう重責が役職であったりするわけね 構造上の問題だけど
まあそういう仕組みがあって そのうえでそれらを超越してただ楽でなにもしてなくて暇つぶしだけしてるけどお金がはいってくる人ってのも構造上でてきてしまうよね それはしょうがない
そんな人をピンポイントに特別措置がとれる法律をつくろうなんていったら「人ひとり個人を特定の方法でしめることができるルール」ってそれルールっていう広義である必要はないよね
事故として処理するのとなんらかわらんし そういうのが陰謀論としてあるとわくわくするのはわかるけど 一応とつぜんみんなの家族がきえたりしないのはちゃんと国家ってルールが運用されているからだね
いちおういまもうまく国とか資本主義って機能してはいるし公共事業と基本給がいまのところベーシックインカムってものの変わりみたいなものだよ
これを現金化したり証券化することは国の機能そのものが現金化したり証券化したり いってみれば民営化するみたいなものなんだよ
まあどっちでもいいんだけど 政治は批判しかしないし政党に加わるわけでもなし支持する政党も組織として共同体運用を目的とした宗教にも加担せず個でいることにこだわる人がベーシックインカムなんて形で団体組織運営を民営化してより独善的な偏りに現金をもっていこうとするのは目先の快楽にそそのかされてんじゃない?
なぜその一言が出ないのか。見た目の判断は実際に内面を判断するのに有用だからだ。
もう一回実例出す? お前、本当に職場でガチガチにキモいおっさっんと一緒になってる? おれはしょっちゅうある。ガチガチのキモいおっさんが有能だったことは? ただのおっさんじゃないよ。本当のガチガチのキモおっさんだよ? 大抵は無能だ。
生まれつきの容姿は重要じゃないよ。それはそう。ただ、有能だったら生まれつき程度の見た目のキモさはとっくに埋めてるの。痩せたり、服きれいだったり、表情がよかったりね。
ここではキモさが問題となっているが、KKOだとしたら金がない、つまり稼ぐ能力もないことが証明されている。
KKOは死ね、と言ってるんじゃない。生活保護は受けるのが簡単であるべきだし、おれの職場でもやってるような工場バイトの不正規雇用は、今後も重要になっていくだろう。
キモイおっさんはべつにパジャマで来たわけじゃないでしょ?でもキモイから差別してOKだと元増田は言っている。
だったらお局様が気に入らない見た目をしてたら差別してもOKということになる。
・・・いやさ、別に見た目採用最高!って言ってるわけじゃないのよ?
なんでこの一言が出てこないのかってことよ。
正直男もツルツルテンのスクール水着みたいなもので競技したほうが良い結果は出せる
器械体操のパンツなんか、正直引っかかることあるし滅茶苦茶邪魔
でもなぜ履かせられてるかって、「見苦しいから」に尽きる
あんまりにも日本語が読めないようなので呆れて黙ってたが、礼儀としてレスしておくけど。
魅力を感じないなら
魅力がないとは一言も言ってないって言っているのが読めないのは致命的だと思うよ。
(一時保存できるかと思って登録ボタン押したら投稿されてしまった。やり直しだけど許してください。匿名ダイアリーよくわからん)
一言でまとめると:
だけの文章です。
これを見た人の貴重な時間を無駄にしたくもないですし、暇な方、現実逃避したい方、他人の不幸が好きな方、タイトルに同族嫌悪を感じた方、高学歴ブスが性癖の方以外は読まないことをお勧めします。ちなみに、私は12時間後に締切が迫っている仕事(持ち帰り無給残業)からの現実逃避で書いています。
あと💩トラバはもう飽きた。
スペック:
30歳女
東大の理系博士卒(学科や専攻は伏せるけど、一応全部ストレート)
すんげー不細工
ブスについて(嘆き):
まずは、どのくらいブスかと言うところから説明しておく。この前提を言わない限り、以降のエピソードがイメージし難くなるだろうから。
小学校か中学校の頃の同級生を思い浮かべてほしい。1人くらい、孤立していて、男子からも女子からもなんとなく嫌われていて、見た目も挙動も不審なクラスメイトが居なかっただろうか。そいつが私だ。
目つきがおかしく、滑舌が悪く、コミュニケーションに難がある。鶏が先か卵が先かわからないが、顔の造形も醜かった。目がほぼ見えないくらい細く、前歯が飛び出し過ぎていたため唇は閉じられない。鼻は潰れ、鼻の穴だけが哀れなほど前を向いていた。あとからわかった事だが、先天的な眼瞼下垂と軽度の顎変形症に該当していた。
これまでの人生:
地方都市に住む、世帯平均収入を3割ほど下回る両親の下に生まれた。父はモラハラDV、母はメンヘラ、私はブス人外。
小〜中時代は、とにかく男子に虐められていた。聞こえよがしの悪口、唾を吐きかけられる、石とかドングリとか投げられる。今思うとドングリ投げるとか可愛いね。女子からは芸人枠に指定されていた。芸人を目指そうなんて全く思わなかったが、需要に合わせておもしろキャラを演じていた。そこそこウケていたと思う。
テストは全教科常に満点だったが、学校生活の態度を加味したらしい成績はよろしくなく、期末の成績はいつも中の下くらいだった。なぜか担任の教師にはいつも嫌われていたようだった。それで自分は勉強も苦手なんだと思っていたが、中3の模試の成績がよかったのをきっかけに、地元の進学校を目指すことになり、受かった。喜ぶ両親を前に、私にも多少は優れた点があるんだと、15年生きて初めて嬉しくなった。
高校は県内3番手の公立進学校だった。自転車で通える範囲で一番偏差値が高かったというだけの理由で選んだ。
ここでも、私はブスだった。クラスの7割を占める男子からずっと嫌われ無視されていた。気持ち悪い、と聞こえよがしに言われた経験も数知れない。女子はいくらか大人だったので、芸人枠からは降りられた。それでも仲良くはなれず、基本的にぼっちだった。テスト前だけノート貸出希望者が大量発生した。レンタル料でも取れば良かった。
そのまま3年間ずっとガリ勉していたら、東大に受かった。天才でも秀才でもない、ただのガリ勉女だ。そのくせ「東大生」になればキラキラ(笑)したキャンパスライフ(笑)が待っていると思い上がり、両親を説得して上京させてもらった。貧乏な実家から東京に娘を送り出すのはとんでもなく大変だったらしい。ギリギリまで、地元で進学して公務員になってくれないかと泣かれた。キラキラ(笑)妄想のために、今思うと親不孝なことをした。
18歳で、人生初の東京へ出て、人生初の一人暮らしをして、この先のキラキラ(笑)した大学生活に胸を躍らせていた。実際には、そんな非現実的な夢は入学10日で吹っ飛んだが。当然のことだか、現実直視できない情弱のブス女には、地獄の3年11.5ヶ月が待ち受けていただけだ。
なんか思い出すのも疲れてきたわ。こんな人生に誰も興味ないと思うが、万一反応があったら続き書くかも。この先もさらなる地獄しかないけど。
私が30歳の時に両親が離婚した。
その10年後、夫の後妻から連絡がきた。脳出血で倒れ、高次脳機能障害と静脈瘤を患い、あなたに会いたいと言っているから来てくれないか。
両親は長いこと仲が悪かった。あとから振り返れば「仲が悪かった」の一言で済むが、私が10歳の時から30歳になるまで、子供の前ではまともに口をきいていなかった。年金や借家の更新手続きなどはすべて娘を介してやりとりが行われた。娘の立場としては別れて当然だと思っていたが、よくある「妻が働くことをよしとしない夫」と「専業主婦を望まれて家庭に入り、まともに職歴のない妻」の組み合わせが崩壊すると、子供を養ってはいけなかったのだろう。
そして父には恋人がいた。愛人と称するべきなのだろうが、どうもなじまないので恋人とさせていただく。母によれば、口を利かなくなる前に、離婚歴があり一人で子供を養っていて立派だと、よく話していたそうだ。となると私が10歳の頃くらいには関係があったのだろう。私の前ではその人の話はしなかったから。
私が大学に入ると、恋人の子供の家庭教師というアルバイトの口があてがわれた。子供は親同士の関係を知ってか知らずか、どの教科を教えても手応えはなく、頭がいいのか悪いのかもわからなかった。家庭教師として恋人の自宅にお邪魔すると、その両親が出迎えてくれる。おやつと飲み物と軽い雑談、成立しない家庭教師役、私はうっすらと事情を察した。恋人の両親はよく父を褒めていた。頭が良くて、気が回って、本当に立派な人だ。どこの世界の人だろう、と思った。家では無口で、たまに自分を連れてファミリーレストランに行って。もっと小さい頃の思い出はたくさんあるが、10歳以降の思い出は数えるほどしかない。思えば自宅で風呂に入らないのが不思議だった。そうか、この家で風呂に入っているのか、と考えた。もちろんラブホテルの時もあっただろう。私は当時、まるで子供だった。母はアルバイトに対していい顔をしなかったし、その家で食事を勧められることをいやがっていた。今考えれば当然だと思うが、私は両親の中が悪いことは知ってはいても、両親の心境にはとんと疎かった。考えるのをシャットアウトしていたのではないかと今なら思えるが、何を考えているのかわからなかった、不可解だったというのが正直なところだ。
大人同士の機微を読むのが面倒になって、勉強が忙しいからという理由でアルバイトを辞めた。
就職し、家にお金を入れ始めるようになった頃、父親が月に1回手渡してくる生活費の額ががくんと減った。バブル期でも不景気な時でもあまり額の変動はないようだったが、バブル期にはかなり儲かっていたらしく、自分の親戚にみかんを送る箱の数を間違えて発注し、4箱のはずが14箱届いたという電話を受けたことがある。父は子供に話すわけにもいかず、ましてや母に話せるわけもなく、一人でぷりぷり怒っていた。かなり面白かった。そんな状態だったから、額が増えても減っても母と私にはどうすることもできなかった。生活費がない月もあった。その頃から、父は何を思ったか、子供がいない時に外から家によく電話をかけていたという。私は母の証言しか聞いていないが、母に働けと言ったり、お前が浮気をしているのは知っているんだと怒鳴ったり、大変そうではあった。母は事態をかいつまんで話してはくれたが、父は何も言わなかった。ますます、何を考えているかわからない両親だなとしか思えなかった。母が浮気をしていたかどうかは私にはわからないが、一度ぶっちゃけどうなの、と聞いた時には、本当に父親一人しか知らない、他の人に好意を抱いたことはあったが子供が生まれる前だった、と言っていた。真偽はどうでもよかった。なぜか父の恋人が家を訪ねてきて「あなたも働いたらどうですか」と母に説教してきたそうだ。私から見れば、母の化粧や外出、外で働くことの検討を嫌がっていたのは父の方だった。私にとってはすべてが藪の中だった。ただ、このままの両親が年を重ねていくのなら、私がずっと生活の面倒を見るんだろうという覚悟だけがあった。
私が30歳になる頃、父母の電話での言い争いは激しくなったそうだ。どこまでも伝聞だ。母は不毛な言い争いに疲れ、離婚届を準備していた。証人欄ふたつのうちひとつには私がサインした。特に感想はなかったが、これで父が恋人と再婚すれば、将来の面倒を見るのは母一人でいいのか、助かった、と思った。
父は離婚届にサインして、いくつかのアルバムだけ持って家を去った。私への連絡はなかった。携帯の電話版号も、メールアドレスも知っていたのに、特に娘に伝えたいことはなかったのかと、不思議だった。不思議ではあったが、謎の両親の電話――本当にそういうやりとりがあったのか、私は知らない――で二人で決めたのなら、私は意見も文句も言うまい、夫と妻の間の話だ、と思っていた。
それから10年間、父からの連絡はなかった。戸籍謄本から辿れば現住所が分かることは知っていたが、特に話したいことはなかったし、非常時にはいくらなんでも連絡くらい来るだろうとたかをくくっていた。結婚した時も報告しなかった。子供ができていたら連絡しただろうか?幸か不幸か、子供はできなかった。「仲の良い夫婦とその子供」というサンプルを知らない私には子供を持つのは厳しいだろうと思っていたが、ごく自然にできないままだった。
10年経って、父が脳出血で倒れたという連絡をよこしてきたのは、一度だけ親族の葬儀で顔を合わせた父方のいとこと、父の恋人の兄だった。Facebookで探し当て、メッセージを送ってきたそうだが、Facebookのメッセージを受け取る範囲を絞っていたので、気づいたのは倒れてから約半年後だった。死んでいればさすがに親族から母に連絡があってもよさそうなものだったが、そういう話は聞いていなかったので、母には何も言わずにメッセージに返信した。手間をかけてすまない、父の具合はどうか、非常時にはこの電話番号とメールアドレスに連絡をくれ、いざとなったら先方に伝えてもらっても構わない。それくらいの簡単なものだった。
ところが、携帯電話にかけてきたのは父の恋人だった。私は瞬時に、失敗を悟った。留守番電話に残されていた最初のメッセージは「連帯保証人になってくれ」だった。SMSには再婚したこと、病状、娘に会いたいと言っていることなどが断片的に送られてきていた。どう出ればいいか迷い、しばらく自分からコンタクトを取るのは控えておこうと思った。
次の日、会社の始業時間から終業時間まで、というのは単なる偶然だったのだが、1時間おきに着信があった。これを書くのは本当に恥ずかしいが、狼狽した私は電話と留守番電話の通知が恐ろしくなり、不安障害を発症して心療内科に通うようになった。簡単に連絡先を教える自分がばかだったし、想定できたはずだったのだ。1日考えて、父の後妻(結婚したことがわかったのでこう書く)の番号を着信拒否にした。着信拒否にすることで逆上されかねないとも考えたが、このままでは自分の生活が壊れると思った。夫には全部ひとりで決着をつけたいと言った。
次は父の携帯電話から着信と留守番電話があった。さすがに1時間おきではなかった。留守番電話を聞くのに心の準備が必要だった。何を言われるんだろう、何をふっかけられるんだろう、本当に怖かった。父よりも後妻の方が怖かった。留守番電話は2件あり、1件目は「ほら、◯◯ちゃんよ」という後妻の声の後に父が「◯◯◯◯(父のフルネーム)です、こんにちは、どなたですか」と言った後に電話が切れた。2件目は直接父が発言したようで、「◯◯、元気か。会いたいな。子供はいますか、元気ですか。連絡くれるとうれしいです」という、私の主観では「何かを読み上げた」ような内容だった。
2件目を聞いた時に、高次脳機能障害というのはこういうことなのかと腑に落ちた。私のことがわからない父も、私に会いたいという父も両方混じっている。人前でしか出さない、機嫌のよい時の父の声で「どなたですか」と言われたこと。この10年一度も親から子への連絡をしなかった父が、私の10年を何も知らずに「子供はいますか」と無邪気に尋ねること。一瞬気が遠くなった気がした。そして私のことをきちんと認識している父はもういない。いなくて当たり前だ、10年かけて私の中でゆっくり父の不在から父の死へ変化していったのだから。私の中で既に父は死んでいた。正確には「死んでいたということがわかった」。私はもう父の家族に、といっても後妻しかいないけれど、一切関わるまい。そういう決心をしながら、そういえば私が家庭教師をしたあの子供はどうしたんだろう、という思いがちらりとよぎった。
父の番号を着信拒否してから、1年に1回ほど、後妻からメールが届いた。「賢くて頼りになるお父さんのことを思い出します」。頼りになる? あなたにはそうだったんだろう、私にとっては違ったけれど。いとこからもメールがきた。「今度静脈瘤の手術をするので連絡してあげてください。私の母が死んだ時にお世話になったから、恩返しをしたい」。つまり私にとってのおばがこの10年の間に死んでいて、私に連絡がこなかったのだから、親族扱いされていなかったのは私の方では? 誰も彼も何を言っているんだろうと思った。怒りはなく、ただ不可解さだけがあった。両親がなぜか電話で意思疎通(といっても口げんかだったそうだけど、私は聞いていないからよくわからないままだ)していたこと。すべてにおいて排除されていたのは私ではなかったのか。そして父が死にそうな時にだけ連絡が来る。不可解だった。どのメールにも返事をしなかった。
最初のコンタクトがあってから4年後、おそらく戸籍の附票からたどったと思われる封書が後妻から届いた。ざっくり言えばもうそろそろ死にそうだから、面会に来てほしい。相談したいこともあるから連絡してほしい。会っていなかった10年を埋めることもなく、ただ死にそうだという連絡だけが来る、それがなんだかおかしかった。
そのさらに1ヶ月後、今度はいとこから、父が死んだこと、告別式の日時と場所の連絡があった。私は即座に相続放棄の手続きを開始した。お金について計画性があったとは思えないので、相続手続きをしたところでたかが知れている。相続手続きには相続人全員の承諾が要る――つまり後妻と私は何らかのコンタクトを取る必要性があるだろう。弁護士を挟むにしても。私は一切後妻と連絡を取りたくなかった。分かり合える何かがあるとも思えなかった。年を取ってからの再婚なんだからそういうこともあるだろうに、なぜ死んだからといって関係性が生まれるのか。丁寧に必要な書類を集めて回り、家庭裁判所の相談員の人と会話をして、「よくご存じですね」と言われた。そのことだけが、この一連の騒動の中で、本当に感情を動かされた。つまり、うれしかった。誰も彼もが私を都合良く(といってもきっと善意なんだろうけど。地獄への道は善意で舗装されているのだった)使おうとする中で、事務手続きを挟んだ人だけが、私のことを褒めてくれた。
父の名に大きく×がつけられた、後妻の名前も入っている住民票を見て考える。父にとって私はなんだったのか。かわいがってもらった記憶も、愛情をかけてもらった記憶もあるにはあるけど、空白の10年間、私が気を遣って父にコンタクトを取るべきだったのだろうか。いやそんなことはないはずだ。父は父の意思で私を家族から外したのだと思いたい。私が一連の話の中で一番ショックだったのは、面識があったはずのおばの葬式に呼ばれなかったことだったのだから。
父と母と私の欄に「除籍」と書かれ、後妻の名前が連なっている戸籍謄本を見て考える。一番コンタクトを取りたくない相手の名前が、同じ書類の中におさまっている。後妻の生まれた日も、両親の名前も、続柄も、再婚した日も書かれている。そういえば再婚したという報告すら父からはこなかった、それは当たり前だろうと思う。別の誰かとの再婚ならともかく、母との婚姻の継続中に家族の中に割って入った人。割って入ったことすら気づくのが遅れた人。
家庭裁判所から送られてきた「相続放棄申述受理通知書」と「相続放棄申述受理証明書」だけが、私にとっての宝物だ。家庭裁判所の人はやさしかった。見知らぬ私のために、書類についてあれこれ教えてくれて、印紙が売られている一番近いコンビニエンスストアまで紹介してくれた。人のやさしさってあるんだなと思えた。
長くなりました。読んでくださってありがとうございます。
一応フォローしておくと、別にあなたの発言すべてを否定したいわけでも、あなたを否定したいわけでもない。
一言、体験談のレイヤであると明示するか、もしくはトラバではない形で発言するべきだった。
あなたの発言が、上から目線のご意見にしか見えず、怒ってしまった。それによってあまり良くない書き方をしてしまった事は反省してる。
あなたの言う「悪い大人がいる」というのは当然必要になる話だ。でもそれは今の話じゃない。「子供の性欲の解消をどうするか」という、「子供の性欲」の存在を認めた後の話だ。
それに性的にかかわらず、子供や社会経験の浅い大学生を搾取しようとする人はいる。あなたが問題としてるのは「児童の性的搾取問題」ではなく、「自立と庇護」「やりがい搾取」などのワードが近いように思うのだけど、どうだろうか。
剣道部の男の子で、黒髪のサラサラヘアで、背はそんな高くなかったけど
私好みの顔してました。
可愛かったなぁー…
私はよくいじられてて、3学期に一緒に学級委員に選ばれたの嬉しかった。
全校集会で2人並んで先頭に立ってたのすごい思い出す。
私の気持ちクラス中にバレバレだったと思うけど、受け入れはしなかったけど
黙ってそのままにしてくれてた。
この間中学の同級生に偶然会って,ふと思い出して完全に放置してたFacebookで
検索したら出てきて、もちろん結婚して子供もいて、びっくりしたのか
会社の社長になってた。地方の小さな会社だけどすごいなぁって。
当時の私と同じでそんなに勉強できなかったはずなのに。
クラスが離れて、態度も変わった私に思うことがあったんだろう。
たまに廊下とかで会うと嫌な顔された。
何なら高校の近くの通学路でよくあったけど、また嫌な顔された。
今あったらどんな顔するだろう。
この間会ったいじめっこの同級生は今までも嫌いだけど「私もまだ独身よ〜」の一言に
妙に親近感を覚えたけど(笑)
数年前に会った同級生は私が独身と知るやいなや、うれしそうにやーっとしたので
当時表面的には仲良かったから残念だった。(昔から感情が表に出る子だった)
女同士は仕方がないのかも。
社長では無いけど、世界中旅してきて自分の技術で食べていけるようになって
この地方都市において、結婚してないアラフォーの立ち位置がかなり弱いから
個人的には成功してるつもりだし、同級生から今の方がきれいになったと
言われるけれども、名前が変わってない時点で下に見られるのはやだなあ。
あとご縁もなかったし。
私が少数派なのはわかってて、万が一再会したり、風の噂で私の話聞いたりしたときに
私がこれまで成し遂げてきたことより、いの1番に独身子なしの気の毒な女って思われるのは
すごい腹が立つ。
好みのタイプに「料理ができる人」得意料理「なし」と絶対に引かれるプロフィールを書き
得意料理を聞いてくる男、料理上手アピールする女が嫌いなだけ。
それでもその中のアラフィフの1人にすごいぐいぐいこられて困ったけど。
なんでこんなことをしたんだろうって自己嫌悪になって考えて
結局今のあいつに会いたいわけじゃなくて、ただ当時がすごく懐かしかっただけ。
あんな終わり方したけど、中学2年の1年間、なんだかんだ私すごい幸せだったんだと思う。
今では考えられないけど、当時の私は恋愛至上主義で、毎日ちょっと話ができただけで嬉しかった。
仲良くしてくれて嬉しかった。
大人になって自分もおばさんになったと言うことは、対象年齢の異性もおっさんなわけで
どうしようもない面食いだった私には全く食指がわかず、恋愛そのものに興味がなくなって
だから当時の若くてピチピチしててピュアな少年が懐かしかったんだろう。
ショタコンではないが。
Facebookは2年前で止まってて、でもお子さんと一緒に写ってる写真は
当時の面影にほんのりヤンキー風な細眉の若々しいおじさんだった。
でも今は野球をやってんだね。。
凛々しい剣道着が好きだったのになぁ。
すごいお子さんのこと考えてるのもわかってほほえましかった。
同窓会は呼ばれないし(苦笑)、自分から会いに行くほど酔狂では無いけど
出なきゃまた婚活パーティーで自分の時間と相手の時間を無駄にしそうだから。
国内外から安倍政権に対する評価が出てきているけれど、安倍政権を支持するか/しないかの間には、埋まらない断絶があるなと改めて思った。
評価しているポイントが全く異次元なので、互いに、そもそも会話すら出来る気がしないのではないかとも感じる。
リベラルサイドからは、戦争法案の呼称で反対され、かの有名な「女の盾」作戦で女性議員に触れたらセクハラと叫ぶことで議決を阻止しようとしたり、SEALDSが国会外でラップを歌って大活躍した法案だ。
集団的自衛権によって日米同盟が強固になり、その後の中国(尖閣諸島への言動)と、それに対する米国の反応を考えれば、
日本の安全保障にとっておおきな恩恵をもたらしていることは明白で、防衛費の増大という課題はありつつも安倍政権の大きな成果といってもいい。
安全保障が強固になった点は、日本人の経済活動や生活にとって計り知れない利益があるし、安倍政権がのこしてくれた大きな成果だろう。
リベラルサイドからは、特高が出来て逮捕されるぞ、自由がなくなるぞと、国民が監視されると反対されていた法案だ。
これも結局のところ、ファイブアイズとの間で情報を交換する上で、ファイブアイズが納得するだけの法整備が必要であったと言うだけにすぎないと私は理解してるし、
現にシックスアイズにしてもいいよ?という反応が出てくるようになったのは、この法案のおかげでもある。
我々が実感できる機会はないだろうけど同盟国との間で情報共有がしやすくなれば安全保障の上でのメリットは大きいはずだ。
心配されたような恣意的な運用どころか、機密情報漏洩による立件も数件しかないようなので、外交的なメリットだけが残ったと言ってよく、安倍政権の成果の一つとなった。
リベラルサイドからは、共謀罪だ、国民が監視されると反対された法案だ。
これのメリットはシンプルに、TOC条約の締結と加盟だった。これによって犯罪捜査、テロ対策において国家間で協力しやすくなったことで、
当時は予定されていた東京五輪開催に向けての不安材料の一つが解消されたと言ってもいい。
反政府活動家にとってはさぞかし窮屈だろうと思うが、我々にとっては日常の安全がまた一つ保障されたわけで、これも安倍政権の成果の一つと言える。
当時は、アメリカが承認しない可能性が濃厚となることから、強く反対しないまでも私にも疑問はあった。
だが、TPP11加盟を推進して以降の、日本の国際的な地位の向上や、英国が加盟を望んで接近してくるなどの外交面でのメリット
知的財産権の保護、政府調達、国有企業の改革などでルールが定まった事によるメリットを考えると、これは正解だったなと思える。
株価、GDPなど経済的な指標が軒並み大きく回復し、雇用状況も改善された。
個人的には、壊滅的だった金融資産が復活し、所得が10%以上伸び、賞与も毎年5か月分受け取れるようになったなど、大きすぎるメリットがあった。
GDP600兆円未達で達成までの道のりも示されたとは言えず、大成功だったとまではいわないが、アベノミクスの成果には個人的には高評価しかない。
説明不要だろう。これによって長らく続いた不毛な議論から解放された事は大きい。
その後、日韓慰安婦合意を無効にしたがる、日韓請求権協定を無視するなど、国際法違反連発するに至って、国内外に韓国の実態が知れ渡った功績は小さくはない。
他の功績に比較すれば、大きなものではないが、国民的には拍手喝采を送りたい成果だろう。
何かと批判があったアベノマスクにしても、その後にはWHOもCDCも布マスクにも有効性を認めマスクを推奨するに至った。
施策を打ち出した当時はマスクの流通がなく、買い占めを抑制する意味でもマスク配布決定そのものに意味はあったし、経済対策にしても世界的に見ても屈指といっていい規模のものになった。
国民に10万円支給はやりすぎかつ不要だと私には思えていたが、それによって助かった人もいるのだろうし、まったくダメとは思わない。
被害者数も世界的には非常に少なく、強制的なロックダウンを憲法違反になるために行えないという制約がありながらも、世界的に高い評価が得られる防疫実績を残している。
他国を見た時に、非常によくやった国の一つになったことは、専門家を信じ切った安倍政権の成果だろう。
仰る通り。維新の党も含めて、与野党の折衷案に携わった政治家はいい仕事をしたと思う。維新のおときたが動画で手柄を自慢してたね。
訪日観光客の増加、対インド外交、消費税増税なども成果とは言えるか。
消費税増税は、2050年には医療費が年間50兆円に達し、医療の崩壊は確実視されるなかでは避けられないものだったし、いつかは誰かがやるべきものだった。
その点では、野田政権もそうだし、泥をかぶった政権を高く評価したい。50年後に私たちの孫や子供の負担軽減の為にも消費税増税は必要だったと思っている。
振り返ってみると、とりわけ大きな話題に限っても安倍政権が残した実績は小さくない。
10年未来の方向性を定めることは出来たし安倍政権で良かったと思うが、懸案事項だった改憲が達成できなかったなど、更に未来にまで残る大きな功績は残せなかったなとも思う。
また、対露・対北朝鮮外交においては、北方領土問題、拉致被害者問題解決に向けて失敗したのではないかと思う。この点では評価を下げざるを得ない。
「関与していれば首相を辞める」と言わなくてもいい発言をしたことで、その後、モリカケ桜でくだらない時間を浪費して、首を最後まで狙われ続ける事になった。
ストレスが病状の悪化の一因になっていた可能性は高いだろうし、その意味では野党は嫌がらせの目的は達成したのかもしれない。
官公庁の問題が明るみに出たから、全く無駄な時間だったとまでは言わないが、官庁の問題を正すに必要以上の時間を使い、生産性の低い難癖に終始するだけで時間を浪費した原因は不用意な一言にあったと言っていい。
国会運営において老練の手腕を示すどころか、青いなと思わされる発言もあった。その点が悔やまれる。
長期間にわたって国会運営を邪魔され、時間を空費してなければ、より大きな成果を遺せたはずだ。
既にいくつも報道があったように海外メディア、政治家の安倍政権にたいする評価はおおむね高い(朝鮮は除く)。国内世論調査でも70%の人が肯定的に評価している。それも当然だろう。
私も同様に概ね安倍政権を高く評価しているけれど、安倍政権を評価できない人の頭の中にはモリカケしかなく、互いにまるで理解できないだろうとは思う。
恐らくは、この記事のブコメを見てもそう感じる事になるだろうし、両者には相当な断絶がある。
安倍を評価しないという人々にとっては上記は成果ではない。政権を支持すれば、偉大な知性ではない死んだほうがいい、とまで博士号を取得した大学教員に言われるほどだ。
博士を取得した最高の知性の持ち主まで、出てくる言葉が「死んだ方がいい」となると、相互の理解など、まず不可能だろう。
政権を吹き飛ばす証拠として修正液で名前を消したように見せた書類を持ち出すくらい妄想にまみれた彼らからはモリカケ以外の語彙が失われている。
彼らの感情に寄り添えない私は諦めたよw
全て見てないけど、見る感じではブコメは想像通りに、モリカケでしか安倍政権を評価したくない人々が並んでるはずだ
一方で、他国からは世界の損失とまで評価され、日本でも私とは多少の違いはあってもプラス評価と言う人も多くいるのは事実ではある。
断絶は明白だし、次元の低い方へ高い方が歩み寄らないと会話は成立しない訳だけど、ただの官僚のミスや民主党政権時代もあった官庁の欠陥(それを知ってたから利用したのだろうが)
を大袈裟に騒いで首相のクビを狙うどころか、官庁における出世を絶望的状態にして自殺に追いやって、しかも無自覚な連中の視点に降りるのもね・・・
(大学教員が、死んだ方がいいと公言して、まともな謝罪も出来ない程、死に無自覚で残酷なリベラルらしいと思うが)
取るに足らない事を言い続け、多数派を説得できるどころか、支持を失い続けている少数派など捨てておいて問題ないのが民主主義
続き
https://anond.hatelabo.jp/20200911202150
アブラハム・マズローの書いた『完全なる経営』(日本経済新聞出版 大川修二訳)という本を読んだ。
その中では、精神的に健康な人間というものが語られている。平たく言うと、自己実現できる人のことだ。
自己実現とは、本に書いてあった内容によると、こんな感じの人だ。
・今の状況をありのままに捉え、不確実な状況でも耐えることができる
・夢中になれる物がある
この対極にあるものとして、精神的に不健康な人間についても述べている。
本文の中で、精神的に健康な人間と不健康な人間が対比されている描写は以下の3つだ。
相当高い発達段階にいる人間は、破壊よりも創造を好むものだ。創造する喜びは破壊する喜びよりも大きい。
ただし、破壊する喜びは確かに存在するし、そのことは看過されるべきではない。とりわけ破壊から強い喜びを得るのは、発達段階の低い人間、つまり神経症患者、未熟な人間、衝動をコントロールできず無意識的に行動を起こす人間、サイコパスなどである。 P.63
彼は予想外の事態に直面しても怖れる気配を見せない(強迫観念にとらわれた硬直した人間は、予想外のできごとを怖れる)。創造的な人間にとって、計画とは先に進む道を探すための足場以上のものではなく、それゆえ、後悔や不安をともなうことなく、やすやすと放棄することができるのである。 P.319
どのレベルの動機づけによって生きているかを判定するには、さまざまな方法がある。たとえば、どのようなユーモアを面白いと感じるかによって判定するというのも、その一つだ。低いレベルで生きている人間は、敵意のこもった残酷なユーモア――老女が犬に噛まれる話や精神遅滞の子どもが他の子たちにいじめられる話など――を面白いと感じる傾向にある。リンカーンが示したようなユーモア――哲学的で教育的なユーモア――は抱腹絶倒するような類のものではなく、むしろ微笑を誘うものであるが、これには敵意や征服といった意味合いがまったく込められていない。このようなレベルの高いユーモアは、低次の欲求レベルにとどまる人間からは、まったく理解されないものである。 P.367
この3つの中で、一番下が気になった。
それって、どんなコンテンツだろうか?自分もこれまでに楽しんだことがあるのだろうか?
気になって考えてみた。
以下は、私の主観で選んだ『精神的に不健康な人間が好きなコンテンツ』だ。
□ 漫画編
この頃のCLAMPはトンガっていた。今の作風からは信じられないほど『精神的に不健康なコンテンツ』だったといえる。個別作品のネタバレはしないので安心してほしい。
人間の手足が千切れる、〇〇の頭部をもぎとって〇〇に見せる、これまで信頼していた人が裏切って主人公をボコボコにして作品完結だったり、自分の部族が皆殺しになるのを割と涼しい顔で眺めている〇〇がいたりと、今に比べれば殺伐とした作風だった。(※もちろん例外はある。「CLAMP学園探偵団」「20面相におねがい!!」「学園特警デュカリオン」など)
このような作品を商業誌で描くということは、当時のCLAMPは精神的に不健康な人間の集まりだったのか?と私は思った。
そのとおりだと思う。
CLAMPに関する情報を集めれば集めるほど確信を深めるようになった。どんな情報を集めたかは言わない。彼女達の名誉を傷つけるおそれがあるからだ。あの〇〇〇〇〇〇を作った奴はどこのどいつだろう。訴えられればいいのに。
CLAMPが今のように精神的に健康なコンテンツを作るようになった境は、『魔法騎士レイアース』『カードキャプターさくら』の辺りだと思う。
この頃からCLAMPの作風が急に丸くなる。魔法騎士レイアースはシリアスな場面が多いが、これまでの作品に比べれば緩い。ギャグも多いし、家族同士の愛情、恋愛もしっかり描いている。
※もちろん今でも殺伐とした物語を描くことはある。BLOOD-Cが好例だ。
作品内容がジェノサイドな方向に行ってしまうというのは、何もCLAMPに限ったことではない。他の有名漫画家にしてもそうだ。それは雁屋哲だったり、板垣恵介だったり――眉月じゅんのような若い作家でもそうだ。
初期の作品というのは、どうしてもそういう方向になってしまう。それは、自分がこれまでに受けた苦しみや、社会への恨みや、一発当ててやるといった決意がそうさせるのだろう。
漫画家として食っていける人間というのは、若いうちは苦労しがちだ。サラリーマンに適合するタイプの人間ではないので、学校で仲間外れにされたり、いじめられたり、日陰の存在になりがちだ。
そんな環境の中で作品を描く力を磨き上げた人間というのは、自分を虐げてきた社会に対する不満を創作活動を通してブチまけてしまうのかもしれない。
あくまで推論に過ぎない。デビュー作品も、今の作品も殺伐とした雰囲気が少ない作家もいる。大御所だと高橋留美子だ。あの人の作品は、初期の物も今の物も人間愛に溢れている。
一般的には、一山当てて名前が売れたり裕福になったりすると、作品内のグロテスクな傾向は薄まっていく。
名前が売れると承認欲求が満たされるし、印税が入って裕福になれば、食事に旅行にファッションに、いろいろと楽しみ放題だ。
「恒産無き者は恒心無し」という故事があるが、まさにこれを地で行くのが人間の性だと思う。
以上は、ほとんどの創作者に当てはまる傾向だ。若い頃に殺伐で辛辣なジェノサイドを描いていた人が、有名になるにつれて人間同士の繋がりを大切にした作風に変化していく。
ここでは個別具体的な作品を扱う。ネタバレはしないが作品の感じは伝わってしまうだろう。
2010年から月刊誌で連載が始まった作品で、2014年にアニメ化された。原作はタカヒロだ。
①グロテスクなシーンがよくある。身体の欠損や理不尽な死は基本。
②読者に残虐なシーンを読んでもらうことを目的とした話がある。特別編の3人娘など。
③グロ以外にも人権を軽んじる描写多数(特に女性と田舎者に厳しい世界だ)
こちらのタカヒロ氏は、ほかにも勇者であるシリーズ(ex結城友奈は勇者である)を手掛けている。この作品も、真面目でいたいけな少女を痛ぶることで読者や視聴者、プレイヤーを楽しませることを目的のひとつとしている。
人は、一体なにが原因でこのようなコンテンツを考えつくのか?
ストレスにほかならない。生きていることが苦しかったり、面倒くさかったり、人が憎いと思ったり――そんな観念が繰り返し脳裏に浮かぶ度に、その邪悪な何かを外に出そうとする。あるいは、他者を自らの仲間にしようとする。
タカヒロ氏のインタビュー記事を可能な限り読ませてもらった。記事内では、常識的な言葉で作品をPRしているように思える。しかし、毒がある。不満であるとは言明しないものの、コンテンツに関する何かに対して、さりげなく毒を吐いている。
さりげないから目立たないだけで、さりげなくない表現を使うとコンテンツの関係者にケンカを売っていることになる。そんなインタビューがひとつ以上あった。
精神的に不健康なコンテンツを作るのは悪いことではない。それが面白いという人がいる限り、価値あるものだ。
私も昔は、そういうコンテンツが好きだったと思う。でも、大人になるにつれて、社会で果たす責任が大きくなっていくにつれて、精神的に不健康なコンテンツよりも、心を健康してくれる、浄化してくれるコンテンツが好きになっていった。(一例として、のんのんびより。ニコニコ動画の再生数を見てもらえれば、私の言っていることが伝わると思う。ニコ動で一番売れている有料アニメだ。あれから一時的に無料期間があったので今は判然としないが、当時は少なくとも1話あたり3000再生は売れていた)
2010年代の前半辺りが最盛期だったと思う。当時は、ふたばチャンネルやニコニコ大百科、pixivなどにゆ虐のイラストや漫画を上げる絵師がいたり、ゆっくり虐待の小説を専門に投稿する掲示板があった。
このコンテンツにおいて示唆されている行為は何なのか?ゆ虐の作品を何度も覗いたことのある方ならお気づきだろう。
ゆっくりというのは、愚かな人間のメタファーだ。そのメタファーを痛めつけたり殺したり、漫画という形で傍目から眺めることで精神的に不健康な人間の欲求を満たしている。
精神的に不健康な人間はこういったコンテンツを好む。一言でいえば、人権侵害をテーマにした作品や論評や意見を好む。
同じ時代でいうと、mixiのニュース引用型日記だ。ニュースを引用して記事を書くことができ、投稿すると下にある引用記事一覧に載る。
今は廃れた光景だが、障がい者や生活保護受給者やホームレス、タクシー運転手に教師、公務員などを扱った内容がmixiニュースで取り上げられる度に、心無い誹謗中傷を述べた日記を投稿するのを楽しみとする人たちがいた。
障がい者が事件を起こすと「殺処分せよ」、生活保護受給者の不正が問題になると「貧乏人は死ね」、タクシー運転手が客とトラブルになると「タクシー運転手は社会の最底辺」など、差別の例としては完成され尽くした日記を投稿する層が一定数いた(しかも彼らは連帯を組んでいる。反論コメントは徒党を組んで煽ったり馬鹿にすることで潰す)。
一番ひどい例だと、東日本大震災が起こった際に、携帯電話の絵文字で津波に流される人々をアスキーアート風に表現した日記を投稿する人がいた。その人自身も、心に問題を抱えているように思える文調だった。
mixiの運営も、一定数の通報が集まるとそういう日記を削除し、ユーザーアカウントも凍結していたようだが、さほどの効果はなかった。
こうした人権侵害を行う人に共通しているのは、「社会に恨みを持っている」ことだ。
私が観察したところ、上記のmixi日記の数名の投稿者は以下のような環境にあった。
・いい大学を出ていい会社に入ったものの、嫁が公然と浮気をしていて、でも子どもがいるから離婚できないという葛藤を抱えている
とにかく強いストレスに晒されている人たちだった。
□ アニメ編
・該当する作品について
※後日追記 強いていえばBLOOD-Cだが、あれはどちらかというとシュールなギャグアニメなのでは・・・?という印象がある。
なぜかといえば、公衆放送なので当たり前なのだが、人権侵害コンテンツなど流せるはずがないからだ。
上記で挙げたアカメが斬る!についても、だいぶマイルドになっている。
アニメを企画する会社や、アニメ制作スタッフらが自主判断でグロシーンをマイルドにしたり、描写自体をなくしている。
あの3人娘は死なない。むしろ最終回で生存描写がある。この改変には痺れた。原作者が精神的に不健康な人間であっても、スタッフには良心があったのだ。
CLAMPの作品もそうだ。初期の作品である『X』には、地震でビルなどが倒壊し、多くの人が犠牲になるシーンが幾つかある。グロシーンも多数だ。
こういう描写が問題になり、漫画版のXは最終回を迎える前に編集側から強制ストップがかかった(もちろんCLAMPは続けたかったらしい)。
アニメ版はだいぶマイルドな描写になっている。残酷なシーンはあるが、気持ち悪さを感じるほどではない。放送コードの力は偉大だ。
今回はこれくらいで。
たまにいるけど、気の毒に感じる。
よっぽど親に愛されたかったんだろうね。一言でいいから、私(たち)が悪かったって認めて、謝ってほしいんだろうね。多分叶わないだろうけど……
もう親のことは忘れて幸せになりなよ、と言いたいけど、難しいのかな。一生届かない片思いみたい。親を苦しめるために自殺とか犯罪とかさ。切ない。
ショタラブドールの紹介漫画がとんでもなく炎上して、ただでさえ地獄なTwitterがさらに地獄と化している。
既に作者は漫画について謝罪し、理由は不明だがアカウントは凍結されたようだ。
「該当のツイートがTwitterの規約違反であった」という言説に興味があったので、ちょっと今回の件と規約・ルールを照らし合わせてみようと思った。(私の主観が所々入ります)
■ことの発端
件の漫画はショタコンを自称する作者が、同様の性質を持つユーザー向けに描いた「ショタラブドール」の使用感レポートであり、詳細・要点は以下のとおりである。
・「ショタラブドール」は未成年の少年の形をしたラブドールであり、セックス(本番)をすることが可能。漫画内に挿入を伴うよう直接的な性描写は「無い」が、ラブドールの裸体のイラスト・写真は「有る」(局部描写は「無い」)。
・作者は、ラブドールに自分好みのコスプレをさせて眺める行為、全裸のまま侍らせる行為、「ここではいえないようなこと」をしたと漫画内で言及している。
・作者はこの「ショタラブドール」によって、現実社会では決して達成できない願望を叶え、救われたという。「ショタコンは現実の男の子に手を出す前にショタドールをぜひ…!」と同様の性質・苦悩を持つユーザーに向けて「ショタラブドール」をすすめている
ということで、
ルールの「セキュリティ」には暴力、攻撃的な行為/嫌がらせ、ヘイト行為などに並んで、「児童の性的搾取に関するポリシー」が存在する。件の漫画では「未成年とみられる少年を模した」ラブドールについて語られているため、この項目の関連性が最も高いといえる。
児童の性的搾取に関するポリシー内で禁止とされているのは以下のような内容である
・児童の性的搾取を助長または賛美することで児童を危険にさらしうるコンテンツ
また、こういったコンテンツには「画像/動画、テキスト、イラスト、コンピューターで作成した画像が含まれる」という。
「児童の性的搾取とはなんぞや…?」と思ったところで、ポリシーには続いて、禁止されている「児童の性的搾取を描写または助長するコンテンツ」の例が挙げられていた。
【児童の性的搾取を描写または助長するコンテンツの例(これらに限定されない)】
①性的に露骨な、または性的な暗示を含む行為をする児童の視覚的な描写
また、上記以外に禁止行為とされている例も挙げられていたので続ける。
※原文には無いナンバリングをつけている。
※①〜⑥以外に、性的搾取に関係するウェブリンクを貼る例、児童へ性的なアクションをとる例が挙げられていたが、今回は関係なさそうなので省いている。(全て見たい方は原文を当たってください)
とりあえず、件の漫画が①〜⑥に該当するか考えてみようと思う。以下は、かなり私の主観が混ざった上で、Twitter社のきもちになって解釈したものである(つまりほぼ私の解釈)
■当てはまる?当てはまらない?
①性的に露骨な、または性的な暗示を含む行為をする児童の視覚的な描写
→「児童」が現実の人物を指しているのであれば、【当てはまらない】。
→ただし、この「児童」に「非実在の児童」が含まれていることを完全には否定は出来ない。「児童を模した人形が、性的な暗示を含む行為(ポージング)をする視覚的な描写(写真)」はあるため、ドールを「非実在の児童」と解釈した場合は【当てはまる可能性もある】。
初っ端からどっちつかずの意見になってしまった。そもそも、ルールというものは解釈の余地を与える構造になっているみたいなので、これ!と確実なことが言えない仕様になっているように感じた(それはそう)
②性的に露骨な状況または性的に露骨な行為をする児童のイラスト、コンピューターなどで作成した写実的な描写
→この「児童」を「現実の児童」と解釈して、彼らをモデルとしたイラストや写実的な描写とするならば【当てはまらない】
→しかし、「非実在の児童」も含むのであれば、スパッツを生履きさせた上で臀部を撮影しているため【当てはまる可能性が高い】
③既知または未知の未成年者についての性的な言及や、彼らに向けられた性的な言及
→【当てはまらない】既知、未知と表現される場合、特定の「現実の児童」を指している可能性が高いと私は解釈した。件の漫画内にそうした「現実の児童」は出てこない。
④児童の性的搾取についての妄想を共有したり、そうした行為を助長する
→この場合「児童の性的搾取についての妄想の共有」が【当てはまる可能性が高い】のではないかと考える。漫画内で作者は、現実の児童にしてほしいと思われる行為を、代替物であるドールにさせている。あくまでそこに「現実の児童」はいない。しかし、コスプレやポージングは決して叶うことのない願望つまり妄想を表現した可能性は高く、この例に当てはまるのではないかと考えられる。
⑤児童の性的搾取に該当するコンテンツについて、入手したいという願望を表現する
→私自身はは「児童の性的搾取に該当するコンテンツ」=主に児童ポルノという解釈でいるのでラブドールを欲しがることについては【当てはまらない】と考える。
→しかし、ショタラブドールの所持で逮捕される国がある現状から、ポリシーに記述はないにしろTwitter社が「児童の性的搾取に該当するコンテンツ」として解釈する【可能性もあるのではないか】と考えられる。
①〜⑤が当てはまるかについては以上。
前提が掴めなくてなかなか、断定が出来ないのでとてもあやふやである…
留意したいのは④だ。「Twitterでは児童の性的搾取についての妄想」自体が禁止されている。つまり、みだりに児童への性的な妄想の発信する行為は「児童の性的搾取に関するポリシー」に違反する可能性が非常に高いということである。
■違反にならないケースは?
ポリシーに反しないケースとして2点が挙げられている。
性的でない状況または設定での未成年者の芸術的な裸体描写(たとえば、国際的に名高い芸術家の手による、未成年者を題材にした作品など)は、限定的な場合においてのみ認められることがあります。
→逆に考えれば、芸術作品上の裸体描写が「限定的な場合においてのみ認められる」となると、性的である状況・設定における未成年の裸体描写は(例えば萌え絵など)はポリシーに違反する【可能性が出てくる】
最後に今回の増田で個人的に1番重要かと思われるのが、以下のケースになる。
いかなる形においても児童の性的搾取を助長または賛美しないことを前提に、この問題を未成年者に対する事象または関心の表れとして、議論することは認められています。
→件の漫画がこれに当てはまるかどうかについて考えたい。ショタラブドールの漫画が児童の性的搾取を「助長」「賛美」しないことを前提に書かれていたのであれば、この「いかなる形においても」が適用されると考えられる。
そもそも、作者は「現実の児童」に手を出すことは決して実現してはいけないタブーと認識した上で、同様の性質を持つユーザーたちに「代替物」としてドールを紹介していた。(ちなみにこの最後の締めの一言が炎上の波紋を読んでいる、という意見もあるが今回触れると話題が逸れるのでスルーする)
これは、実在の児童への加害つまり性的搾取を「助長」しないことを意識していると考えられる。ただし、漫画内では、代替物であるドールへ欲望をぶつける場面が少なからずポップで肯定的に描かれており、それが「賛美」であると解釈される【可能性はある】と思われる。「現実の児童」ではなく「代替物」への発散は「賛美」では無いという解釈と、ぶつける相手が「代替物」であるにしろ「児童への性欲」をポップに肯定したこと自体が「賛美」という解釈がどちらもありうるのではないか。ここはかなり人の主観によるのではないかと思う。
■まとめ
件の漫画は、「児童の性的搾取についての妄想を共有」という点で、児童の性的搾取に関するポリシーに違反していた可能性が非常に高い。
■最後に
始終、「でも、Twitterはどう思うかな…?」みたいな文章になってしまったので反省している。
Twitterルールを読んでいたら、今回の件に関して、どちらの陣営にしても暴言が多くて、ヘイト行為あたりのルール違反者だらけでなんとも言えない気持ちになった。
というか、普段から各方面ルール違反者だらけなんだなあと思った。
以上。
パロディレベルのもの描いたぐらいでここまでdisれる“非当事者”も珍しい。
(相手見て石投げる正義マン、もしくはブロられアピのためにわざと特定アカ凸ってブロック誘発の可能性)
『誰かが嫌がってたら己に投石権が付与される』と思ってそう。
正義マン“本人”はあくまで「善意の人」のつもりなんだろうけど。
別件でも楽しそうにパクラーを追い詰めちゃってまあ、そんなん逃亡するに決まってるやん。
わざと逃亡をほう助してるのかな?
それとも「話しかけたら相手に逃げられる」実績を持ってる自覚なし?
RTしてパロディのつもりで描いた絵にこんな輩が投石してきたら、話なんて聞かないし、ウザ絡み扱いで無視(ミュート)かブロックするでしょ大半は。
元ネタ氏の心情(空リプ)のみで勝手に動く第三者の投石、不快にもなるわな。
というか、こんな輩に対して謝罪なんかしちゃダメでしょ?せめて元ネタ氏宛でないと。
「よろしければ削除してくださるとうれしいです」って自分から表明しちゃってるじゃないですか、「私が嬉しいからツイ消せ」って。
この正義マンが勝手に暴れてるだけなんだから、つけあがって無限に暴れ続けるような甘い餌(謝罪)なんて与えてはいけない。
ほら、御馳走(謝罪)をもらった後の正義マンの喜びようよ…しかもこれで終わりではなく、
「自分の考えたネタとイラストでこれからも頑張ってください!」
でも一番笑ったのはこれじゃなく、
「元ネタ載せました」
「消せ!」
かな。笑うわホンマ。
どうでもいいけど。
映画『チー牛野郎VSピッツァと10回言ってここをヒジと普通に答えちゃう野郎』大ヒット上映中です!
まあレイトショーは超集中して観れていいわね!って思う反面、
こんなにお客さん少なくて儲かってるのかしら?と心配にもなるんだけど。
めちゃくちゃ人が多くて、
昼間の映画館ってこんなに満席御礼なの!?って逆にビックリしたわ。
だから私の映画館のイメージはガラガラってのがデフォルトなので、
そういう満席御礼で座布団が飛び交ってる映画館ってイメージじゃなかったわよ。
そんでさ、
観たいなと思ってた映画もコロナ禍で延期になったりするのあるじゃない、
観たかった映画見逃しませんように!って改めて映画館にスケジュールチャックしてみたわけ。
要チェキって別に映画上映スケジュールをチェキで写メする意味じゃなくて、
チェックってことなんだかんね。
そこんとこ履き違えていると、
何でも写真撮ることを写メって言う輩みたいに恥ずかしい目に遭えばいいのよ!
そんなわけで、
秋からの映画もチェックしてそろそろ観に行かないとってことなのよ。
あとさ、
私はしない派というか出来ないというか、
せいぜい飲み物ぐらいよ。
だってさ、
ポップコーンとか食べても、
そのポップコーン掴んだ手の始末が出来ないわけじゃない。
手のポジションはそのポップコーンのフレーバーのベタベタがよそに付かないように
手に手を意識しなくちゃいけないじゃない。
そうなるとなんか映画に集中出来なくなると言うか、
おしぼりもセットであればいいけど、
あんなちゃいちーな小さいおしぼりだと映画のエンディングまでひたひたの潤いが続かないじゃない。
ひたひたで湿っていて欲しいの。
え?
エンディングで泣いた涙でおしぼり湿らせたらいいじゃない?って
そうね、
涙の数だけ強くなれる!って。
やかましーわーい!
やかましーわーい!しかない私でもそうツッコんじゃいそうな勢いで、
涙といっても、
何でもかんでも最後に泣けば良い映画じゃないってことは確かだし。
だから、
ポップコーン食べた手の始末ができない限り、
ましてやさ、
館内でホットドッグ食べるとか、
あとさ、
劇場の席に着くまで、
1粒もこぼさずに一番奥のスクリーンに行く自信もないし、
それも苦手なところかな。
あのまんが日本昔ばなしの大盛りご飯てこ盛りの山々盛りポップコーン版とでも言うのかしら。
ちょっとすり切り一杯、
モノが食べれるかってことを物語っているのよ。
うふふ。
葡萄ウォーラーはそのままにしてもあんまり果汁が出にくいので、
1粒を半分に切ったりして入れたりすると良いわよ。
皮剥くのもいいけど手間が掛かるわよね。
ミニトマト可愛かったので、
小さい丸いって意味では一緒かー!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
しかし、正義感あふれる人々が目を逸らすとある興味深い事実が存在する。
それは、現実には「ロリコンよりも親からの加害の方が多い」という有名な事実だ。
最近のロリコン・小児性愛者論争はこのことが無視されがちではないかと思う。
アメリカ白人が「イスラム系のテロを許すな!」とイスラム系をいじめてたら、実際の国内テロは白人の方が圧倒的に多かった、みたいな話ですな。
家族を守りたいという動機であろうと、普通このアメリカ白人は「差別主義者」扱いされますよね。同じ話なんです。
テロは許しがたい。
しかし実際にテロを起こしているのは違う人物かもしれないのです。冷静になりましょう。
口で何言おうが現実に手を出さないロリコンより、「何も言わないけど現実に手を出す親」の方が悪い事は当然わかりますよね?
ロリコン・小児性愛者というだけで差別していいなら、「親」を理由に差別するほうがはるかに合理的になってしまう。
差別、よくない。
そもそも、小児性愛者は「子供への加害(性行為)」を認めろなんて要求は、していない。
していても極一部だ。それを全体の主張とすりかえるのは、当然詭弁です。
もちろん例のラブドールのツイート主だってそんなことは言っていない。
「現実の子供に手を出す前に」という発言が危うかったのはわかるが、これは言葉のチョイスが悪かっただけ、単なるミスの話だろう。
このツイートを糾弾していた例のnoteの表現に従うならば、あれは「社会的な責任を意識しているからこそ」出てきた一文でしかない。
逆に責任を意識していなかったら、そもそも出てくるはずがない発言だ。
「現実の子供に手を出すのもいいけど、ラブドールもいいよ!」だったならともかく。
犯罪を抑止する発言だったことはまるっと無視して無理やり悪意を見出す行為は、どう考えてもフェアじゃない。
加えて例のnoteが醜悪だったのは、「法律に関する嘘までついて」いる点だ。
法律の嘘については別の増田が解説している。 https://anond.hatelabo.jp/20200901160242
「自分の主張を通すためなら、法律に関わる嘘をついても構わない」という思想の人間が言う事を、あなた簡単に信じるんですか?
それ普通に考え直したほうがいいですよ。
そもそも「小児性愛者が現実で思いを遂げる」という「抽象的で曖昧な表現」をわざと使っていることからして、読者を煽る気満々だ。
文脈を限定しているようでいて、「性行為をしたら」などと直接言及しないのが実に卑怯でいやらしい。
小児性愛者だろうと博愛主義者だろうと、個人の「思い」なんて千差万別なのに、「小児性愛者が思いを遂げたら、即犯罪(これすら嘘)」だそうである。
あのnoteは「小児性愛者の思いはすべて犯罪に関わることだ」、とすり替えている。
実際には、「現実には手を出したくない」という思いの方が強く、大多数なのに。(もしそうじゃなかったら、日本は世界一の性犯罪大国である)
どれだけ悪意がつめこまれてるねん。
また、「小児性加害に関する話題はツイッターの規約で禁止」としつこく書いているが、本当に小児型のラブドールの話=小児性加害の話だろうか?
そうであるならば、元ツイートに関して言及することだって十分「小児性加害に関する話題」だと思うのだが、それはいいのか?
堂々と正論を述べているようでいて、実態は「自分に都合のいい線を引きまくり」の文章でしかない。
こんな不誠実なnoteに煽られる前に、皆さんには一旦冷静になることをおすすめする。
「ロリコンがネットで何かを言うこと」にフォーカスがずれているように感じるのだが、それ、なんか解決になるの?
現実の児童への性加害を放置するより、「ラブドールで欲望を発散することによって現実の児童に対する性的欲求を抑えることができる」ことを啓蒙する方が、まだ有意義じゃないだろうか。
さらに一部では小児性愛者が「子供への加害(性行為)」を要求しているかのように誘導していますが、それは普通に差別扇動です。
間違った認識を元にイスラムへの差別を煽ることとまったく同じです。
それでも、「ロリコン・小児性愛者が内心の自由を表明するのは許しがたい」と思う人がいるかもしれない。
しかし、「二次元児童ポルノが許されてて世界中から糾弾されているが、児童への性加害は各国より少ない日本」と、
「フィクション上での児童ポルノは厳しく取り締まられているが、現実の児童への性加害は日本の何倍もある国」のどちらがマシか。
もちろん「フィクションを取り上げられたら予備軍共が現実で犯罪を犯しまくる」などと言うつもりはない。
しかし、「それが根本的な解決にならない」ことは諸外国を見れば一目瞭然なのだ。
現状、児童への性加害の総数は減少し続けている。
素人の感覚で「これをやれば劇的に児童への性加害を減らせる!」なんて魔法は、あるわけがないのですよ。
差別は、それを阻害する。