2020-09-06

10年かけて父は死んでいった

私が30歳の時に両親が離婚した。

その10年後、夫の後妻から連絡がきた。脳出血で倒れ、高次脳機能障害静脈瘤を患い、あなたに会いたいと言っているから来てくれないか

両親は長いこと仲が悪かった。あとから振り返れば「仲が悪かった」の一言で済むが、私が10歳の時から30歳になるまで、子供の前ではまともに口をきいていなかった。年金借家更新手続きなどはすべて娘を介してやりとりが行われた。娘の立場としては別れて当然だと思っていたが、よくある「妻が働くことをよしとしない夫」と「専業主婦を望まれて家庭に入り、まともに職歴のない妻」の組み合わせが崩壊すると、子供を養ってはいけなかったのだろう。

そして父には恋人がいた。愛人と称するべきなのだろうが、どうもなじまないので恋人とさせていただく。母によれば、口を利かなくなる前に、離婚歴があり一人で子供を養っていて立派だと、よく話していたそうだ。となると私が10歳の頃くらいには関係があったのだろう。私の前ではその人の話はしなかったから。

私が大学に入ると、恋人の子供の家庭教師というアルバイトの口があてがわれた。子供は親同士の関係を知ってか知らずか、どの教科を教えても手応えはなく、頭がいいのか悪いのかもわからなかった。家庭教師として恋人の自宅にお邪魔すると、その両親が出迎えてくれる。おやつ飲み物と軽い雑談、成立しない家庭教師役、私はうっすらと事情を察した。恋人の両親はよく父を褒めていた。頭が良くて、気が回って、本当に立派な人だ。どこの世界の人だろう、と思った。家では無口で、たまに自分を連れてファミリーレストランに行って。もっと小さい頃の思い出はたくさんあるが、10歳以降の思い出は数えるほどしかない。思えば自宅で風呂に入らないのが不思議だった。そうか、この家で風呂に入っているのか、と考えた。もちろんラブホテルの時もあっただろう。私は当時、まるで子供だった。母はアルバイトに対していい顔をしなかったし、その家で食事を勧められることをいやがっていた。今考えれば当然だと思うが、私は両親の中が悪いことは知ってはいても、両親の心境にはとんと疎かった。考えるのをシャットアウトしていたのではないかと今なら思えるが、何を考えているのかわからなかった、不可解だったというのが正直なところだ。

大人同士の機微を読むのが面倒になって、勉強が忙しいからという理由アルバイトを辞めた。

就職し、家にお金を入れ始めるようになった頃、父親が月に1回手渡してくる生活費の額ががくんと減った。バブル期でも不景気な時でもあまり額の変動はないようだったが、バブル期にはかなり儲かっていたらしく、自分の親戚にみかんを送る箱の数を間違えて発注し、4箱のはずが14箱届いたという電話を受けたことがある。父は子供に話すわけにもいかず、ましてや母に話せるわけもなく、一人でぷりぷり怒っていた。かなり面白かった。そんな状態だったから、額が増えても減っても母と私にはどうすることもできなかった。生活費がない月もあった。その頃から、父は何を思ったか子供がいない時に外から家によく電話をかけていたという。私は母の証言しか聞いていないが、母に働けと言ったり、お前が浮気をしているのは知っているんだと怒鳴ったり、大変そうではあった。母は事態かいつまんで話してはくれたが、父は何も言わなかった。ますます、何を考えているかからない両親だなとしか思えなかった。母が浮気をしていたかどうかは私にはわからないが、一度ぶっちゃけどうなの、と聞いた時には、本当に父親一人しか知らない、他の人に好意を抱いたことはあったが子供が生まれる前だった、と言っていた。真偽はどうでもよかった。なぜか父の恋人が家を訪ねてきて「あなたも働いたらどうですか」と母に説教してきたそうだ。私から見れば、母の化粧や外出、外で働くことの検討を嫌がっていたのは父の方だった。私にとってはすべてが藪の中だった。ただ、このままの両親が年を重ねていくのなら、私がずっと生活の面倒を見るんだろうという覚悟けがあった。

私が30歳になる頃、父母の電話での言い争いは激しくなったそうだ。どこまでも伝聞だ。母は不毛な言い争いに疲れ、離婚届を準備していた。証人欄ふたつのうちひとつには私がサインした。特に感想はなかったが、これで父が恋人再婚すれば、将来の面倒を見るのは母一人でいいのか、助かった、と思った。

父は離婚届にサインして、いくつかのアルバムだけ持って家を去った。私への連絡はなかった。携帯電話版号も、メールアドレスも知っていたのに、特に娘に伝えたいことはなかったのかと、不思議だった。不思議ではあったが、謎の両親の電話――本当にそういうやりとりがあったのか、私は知らない――で二人で決めたのなら、私は意見文句も言うまい、夫と妻の間の話だ、と思っていた。

それから10年間、父からの連絡はなかった。戸籍謄本から辿れば現住所が分かることは知っていたが、特に話したいことはなかったし、非常時にはいくらなんでも連絡くらい来るだろうとたかをくくっていた。結婚した時も報告しなかった。子供ができていたら連絡しただろうか?幸か不幸か、子供はできなかった。「仲の良い夫婦とその子供」というサンプルを知らない私には子供を持つのは厳しいだろうと思っていたが、ごく自然にできないままだった。

10年経って、父が脳出血で倒れたという連絡をよこしてきたのは、一度だけ親族葬儀で顔を合わせた父方のいとこと、父の恋人の兄だった。Facebookで探し当て、メッセージを送ってきたそうだが、Facebookメッセージを受け取る範囲を絞っていたので、気づいたのは倒れてから半年後だった。死んでいればさすがに親族から母に連絡があってもよさそうなものだったが、そういう話は聞いていなかったので、母には何も言わずメッセージに返信した。手間をかけてすまない、父の具合はどうか、非常時にはこの電話番号とメールアドレスに連絡をくれ、いざとなったら先方に伝えてもらっても構わない。それくらいの簡単ものだった。

ところが、携帯電話にかけてきたのは父の恋人だった。私は瞬時に、失敗を悟った。留守番電話に残されていた最初メッセージは「連帯保証人になってくれ」だった。SMSには再婚したこと、病状、娘に会いたいと言っていることなどが断片的に送られてきていた。どう出ればいいか迷い、しばらく自分からコンタクトを取るのは控えておこうと思った。

次の日、会社の始業時間から終業時間まで、というのは単なる偶然だったのだが、1時間おきに着信があった。これを書くのは本当に恥ずかしいが、狼狽した私は電話留守番電話の通知が恐ろしくなり、不安障害発症して心療内科に通うようになった。簡単に連絡先を教える自分がばかだったし、想定できたはずだったのだ。1日考えて、父の後妻(結婚したことがわかったのでこう書く)の番号を着信拒否にした。着信拒否にすることで逆上されかねないとも考えたが、このままでは自分生活が壊れると思った。夫には全部ひとりで決着をつけたいと言った。

次は父の携帯電話から着信と留守番電話があった。さすがに1時間おきではなかった。留守番電話を聞くのに心の準備が必要だった。何を言われるんだろう、何をふっかけられるんだろう、本当に怖かった。父よりも後妻の方が怖かった。留守番電話は2件あり、1件目は「ほら、◯◯ちゃんよ」という後妻の声の後に父が「◯◯◯◯(父のフルネーム)です、こんにちは、どなたですか」と言った後に電話が切れた。2件目は直接父が発言したようで、「◯◯、元気か。会いたいな。子供はいますか、元気ですか。連絡くれるとうれしいです」という、私の主観では「何かを読み上げた」ような内容だった。

2件目を聞いた時に、高次脳機能障害というのはこういうことなのかと腑に落ちた。私のことがわからない父も、私に会いたいという父も両方混じっている。人前でしかさない、機嫌のよい時の父の声で「どなたですか」と言われたこと。この10年一度も親から子への連絡をしなかった父が、私の10年を何も知らずに「子供はいますか」と無邪気に尋ねること。一瞬気が遠くなった気がした。そして私のことをきちんと認識している父はもういない。いなくて当たり前だ、10年かけて私の中でゆっくり父の不在から父の死へ変化していったのだから。私の中で既に父は死んでいた。正確には「死んでいたということがわかった」。私はもう父の家族に、といっても後妻しかいないけれど、一切関わるまい。そういう決心をしながら、そういえば私が家庭教師をしたあの子供はどうしたんだろう、という思いがちらりとよぎった。

父の番号を着信拒否してから、1年に1回ほど、後妻からメールが届いた。「賢くて頼りになるお父さんのことを思い出します」。頼りになる? あなたにはそうだったんだろう、私にとっては違ったけれど。いとこからメールがきた。「今度静脈瘤の手術をするので連絡してあげてください。私の母が死んだ時にお世話になったから、恩返しをしたい」。つまり私にとってのおばがこの10年の間に死んでいて、私に連絡がこなかったのだから親族扱いされていなかったのは私の方では? 誰も彼も何を言っているんだろうと思った。怒りはなく、ただ不可解さだけがあった。両親がなぜか電話意思疎通(といっても口げんかだったそうだけど、私は聞いていないからよくわからないままだ)していたこと。すべてにおいて排除されていたのは私ではなかったのか。そして父が死にそうな時にだけ連絡が来る。不可解だった。どのメールにも返事をしなかった。

最初コンタクトがあってから4年後、おそらく戸籍の附票からたどったと思われる封書が後妻から届いた。ざっくり言えばもうそろそろ死にそうだから、面会に来てほしい。相談したいこともあるから連絡してほしい。会っていなかった10年を埋めることもなく、ただ死にそうだという連絡だけが来る、それがなんだかおかしかった。

そのさらに1ヶ月後、今度はいとこから、父が死んだこと、告別式の日時と場所の連絡があった。私は即座に相続放棄手続きを開始した。お金について計画性があったとは思えないので、相続手続きをしたところでたかが知れている。相続手続きには相続人全員の承諾が要る――つまり後妻と私は何らかのコンタクトを取る必要性があるだろう。弁護士を挟むにしても。私は一切後妻と連絡を取りたくなかった。分かり合える何かがあるとも思えなかった。年を取ってから再婚なんだからそういうこともあるだろうに、なぜ死んだからといって関係性が生まれるのか。丁寧に必要書類を集めて回り、家庭裁判所相談員の人と会話をして、「よくご存じですね」と言われた。そのことだけが、この一連の騒動の中で、本当に感情を動かされた。つまり、うれしかった。誰も彼もが私を都合良く(といってもきっと善意なんだろうけど。地獄への道は善意で舗装されているのだった)使おうとする中で、事務手続きを挟んだ人だけが、私のことを褒めてくれた。

相続放棄の申立は無事受理された。

父の名に大きく×がつけられた、後妻の名前も入っている住民票を見て考える。父にとって私はなんだったのか。かわいがってもらった記憶も、愛情をかけてもらった記憶もあるにはあるけど、空白の10年間、私が気を遣って父にコンタクトを取るべきだったのだろうか。いやそんなことはないはずだ。父は父の意思で私を家族から外したのだと思いたい。私が一連の話の中で一番ショックだったのは、面識があったはずのおばの葬式に呼ばれなかったことだったのだから

父と母と私の欄に「除籍」と書かれ、後妻の名前が連なっている戸籍謄本を見て考える。一番コンタクトを取りたくない相手名前が、同じ書類の中におさまっている。後妻の生まれた日も、両親の名前も、続柄も、再婚した日も書かれている。そういえば再婚したという報告すら父からはこなかった、それは当たり前だろうと思う。別の誰かとの再婚ならともかく、母との婚姻継続中に家族の中に割って入った人。割って入ったことすら気づくのが遅れた人。

家庭裁判所から送られてきた「相続放棄申述受理通知書」と「相続放棄申述受理証明書」だけが、私にとっての宝物だ。家庭裁判所の人はやさしかった。見知らぬ私のために、書類についてあれこれ教えてくれて、印紙が売られている一番近いコンビニエンスストアまで紹介してくれた。人のやさしさってあるんだなと思えた。

長くなりました。読んでくださってありがとうございます

  • 飛ばして問題無さそうなところはガンガン飛ばし読みしたけど やっぱ浮気癖のある父親の面倒を見たく無い場合も 母親に離婚の判断を任せるのがフツーだよね   ワイは無理矢理、両親...

  • お疲れ様。よく頑張った。 どうしても人間としての上と、それに漬け込もうという悪いやつと、その警戒感で苦しむからね。吐き出して、縁も切れたので新しい人生を歩みな。 他のやつ...

  • まあ、増田に比べると軽い話だが、はぁ?みたいに自分の親に対してもう話はワイにもあったな。 なんて言えばいいかな、大事な連絡をちゃんと伝えておくってのは大事だよね。 それを...

  • 親族から必要な連絡が来ないと不信感増すよね。 棄てるべき物を棄てられて良かったじゃない。

  • 前半に登場人物が怒涛のように出てきて混乱する その10年後、夫の後妻から連絡がきた。 これは増田の父の後妻ってことでいいんだよな・・・ それで家庭教師先には 恋人(後妻)と...

  • えぇ〜・・・ ブクマカよ、互助会か? https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20200906161940   短時間で急に増えすぎ

  • こういうのの詳細を読むの好き。 人生はいつの間にか過ぎてくのに、改めて思い返すと引っかかっている出来事があったりする。 そういう点在するエピソードを浮かんだまま書くのって...

    • へぇ 要約して?

      • 要約したら面白くなくなっちゃう

        • いや微塵も面白みを感じなかったし 読み飛ばしても文意は取れたと思ったので ちゃんと読んだ人の要約と照らし合わせて答え合わせがしたかった

          • 答え合わせ。。。 なんか不可思議なヤツだな、オマエ 文意や心境は汲み取る気が無いのに、 自分が要点(誰にとってのだ?)を理解したかどうかは、ものっそ気にするのな 実生活で周...

            • いやいや文意は汲み取ったつもりなんだってば それがあっているか確認したい 要約して?(二度目)   もう少し突っ込んで書けば自演・互助会でもない限り、まじで読んでるとは思って...

              • KKOじゃないのにキモイ

              • 自演なら要約させても意味なくない?個人特定できない増田で互助会ってのもよくわからん                               記憶だけで書く 昔父親...

  • お疲れ様でした。 うちの両親も離婚してるから相続放棄の手続きは将来役立つこともあるかも。

  • SFだ(嘘松だという意味ではなく)

  • この増田を読んで、鈴木晶、鈴木涼美の著書を改めて読もうという気になった。

  • 大長編毒親叩き

  • こういうのをみると、ほんと普通の親でよかったと思う

  • 状況はまったく違うが、なんかわかる。 私と母はたいして仲良くも無かった。転勤から地元に帰ってきたら、実家がゴミ屋敷になっていた。ボケ始めた母を父は恥ずかしいと思ったのか...

  • 夫なのか父なのか後妻の両親なのかおばなのかもう意味がわからな過ぎて時間返して欲しい

  • 女子のお気持ち表明はなげえな

  • 女性の文章全体に言えることだがどうして要約して書けないのだろう・・・

    • 浮くから KKOだったら5行で終わる話で4時間ぐらい喫茶店で時間をつぶせないと女の輪から排除される

  • 小説家の方ですよね、 とても他の作人を読みたいと思いました。 著作名を教えて下さい

  • 相続放棄しなければ実は財産分与があったかもしれないってはなしか

  • 後妻は、脳に障害を負った父の面倒事を娘に押しつける気満々だったと思う。 連絡しなくて正解。

  • うんち

    • これっぽっちしかないのか、じゃぁ、もらっちゃっていいや。 たくさんあったら、 たくさんあるから、1個ぐらいいでしょ。

  • 善意の振りして面倒ごとを押し付けてくる人って、居るよね。そして何故かいつも被害者ヅラなのよな。

  • よくもわるくも女だなって感じの話 自分が大好きで自分が中心 ジェンダーはここにあるよ

  • 父を夫と書いてるのもわからないけど(本人にも夫がいるようなので書き間違えるか?) 父の恋人の家族構成がよくわからなかった。 恋人とその子と恋人の両親ってこと? 家族関係の面...

  • やっぱり、こういう状況に置かれる人っているんだよな、と改めて思った… 何年も口も聞かなければ、どこに住んでいるかも知らない父から急に連絡があり、金に困ってると言われて...

  • とりあえず、お疲れ。

  • 読み物読んでるみたいで引き込まれた。 分かりやすい悪者描写もないのに、なんとなく嫌な、不愉快な感じとか印象とか感じる。 父親がボケてしまってそれを後妻が連絡してきて、悲し...

  • 文章すら満足に書けないのなら別の手段で発信した方がよいのでは?と思った。ここまで字数をかける話でもない。

  • すごく不自然な増え方いつもしてるね ゼロだったのに数時間に1ー4ついたと思ったら その30分で100とか200とか 突然数百とか 最近の創作増田だとこれ https://anond.hatelabo.jp/20200908183212 https:/...

    • いや、そこで創作増田の例として持ち出すなら https://anond.hatelabo.jp/20200908135711 https://anond.hatelabo.jp/20200909121452 この辺だろ

  • 人生の先輩、お疲れ。 自分はおそらく増田の一回り下くらいだけど似たような境遇で、数年前に父親と完全に連絡を絶った。 いずれ訪れる父の老衰や死にどう向き合うかすごく悩んで...

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