「共同管理」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 共同管理とは

2019-10-22

掲示板荒らしジョーカー

今はもう辞めたけど、以前とある掲示板共同管理人の1人をやっていた事がある。その掲示板の住人は、別の掲示板圧政から流れてきた人達が集まって形成されていた。それに加えて、はてブと同じくらいリベラル思想を持った人の割合が多い場所だった。

そういう経緯もあって管理人役割を担う人たちは自分も含め、出来るだけ表現の自由尊重するように心がけ、よっぽどあからさまな差別投稿殺人予告機械的スパムでない限り出来るだけ削除もアク禁も行わない寛容な方針を取っていた。

それは決してただ傍観するという訳ではなく、強権を振るえないぶんグレーゾーンには強権ではなく対話による解決要求され、右からも左から荒らしから良識あるユーザーからも袋叩きにされる非常にストレスフルなポジショニングだった。何人もの管理人が心労で掲示板を離れていった。

ジョーカー』を観て思い出したんだけど、その頃「ジョーカーってただの荒らしじゃん」と思っていた。ここでいうジョーカーは『ジョーカー』のジョーカーではなくて、ダークナイトジョーカー

その掲示板によく出没していた荒らしは、パターンが決まっていた。削除されるかされないかギリギリラインで住人に迷惑をかけ、削除されると「職権濫用だ!削除の根拠を示せ!」と騒ぎ立て、管理人精神的に追い込み、辞めさせる。それで何人もの管理人が去っていった。

その荒らしはまるで、バットマンに「俺を殺してみろ」と迫るジョーカーのようだった。「お前ら左翼だって一皮剥けば独裁者と同じじゃないか」と挑発しているようにも見えた。それを肯定するのが嫌で、自分必死に暗黒面に墜ちないよう踏ん張っていた。そして自分は暗黒面に堕ちることもなく、苦悩する事もない、第三の選択肢を選んだ。力を手放すことだ。

掲示板荒らしにアーサーのようなツラい過去があったのかどうかは分からない。ジョーカーダークナイトの続編的な繋がりも希薄だ。でもなんとなく、『ジョーカー』が掲示板荒らしの前日譚のように見えて、「うわぁ...」と思ってしまった。

2019-08-22

anond:20190821012742

「ぽつんと一軒家」とか「なんだコレミステリー」とか衛星写真地図からおもしろ場所を探す番組流行ってるけど、あれらはちゃんと現地の住民や所有者を取材した上で放送しているんじゃぞ

あい番組でもよく「謎」とされる鳥居神社や社が出てくるけど、全部ちゃん個人だったり企業だったり集落共同管理だったり所有者いるんじゃぞ

から元増田みたいに「うひょー!地図に載ってない場所見つけた!」ってだけで晒す輩はちょっとなぁ……

2019-05-20

専業主婦共働きになったけど

結婚してすぐに旦那の転勤で仕事を辞め、そのまま暫く専業主婦をしていた。

主婦なんか向いてないと思っていた自分だが、苦手な片付け以外は結構なんとかなった。

朝起きて30分ぐらいで卵焼き味噌汁おにぎり作って、朝が弱い旦那を起こし、寝ぼけた旦那ワイシャツネクタイを与え、新聞ニュースを読み上げてやり、「カバンは持った?ハンカチは?」とお母さんのように送り出す。

夕飯何にしよう〜とか思いながらのんびり洗濯掃除をして、昼ご飯コミュ障インドア小梨自分主婦友なんていないので、冷凍うどんをチンしてパスタソースで食べる。気が向けばチャーハン作って小分け冷凍

午後は自分勉強を二時間ぐらいしてから、だいたい15時に買い物に行く。

料理の9割は献立と言うのは過言だけど気持ちもわかる。朝から夕飯の事をずっと考えて、スーパーで悩んで悩んで特売の肉を買う。さあこれをどうしようか?生姜焼き…はこないだしたし、とんかつ…は旦那の腹肉を肥やすし…、付け合わせは…、と毎日作っていると作るものがなくなってくるのだ。

元気な日は、母に電話してパスタからつくるラザニアレシピを聞いたり、結婚前に中華料理教室で習った麻婆豆腐作ってみたりと調理に5時間ぐらいかける。

元気のない日は冷凍しておいたオカズをチンして旦那の好きな炊き込みご飯

手抜きの日はカレー1皿どんと置いて終わり。

そうこうしてるうちに旦那が帰ってきたり、来なかったりする。旦那いるか冷凍うどんじゃないご飯を作るわけで、旦那帰宅に合わせて暖めて配膳した皿を用意してたのに、帰ってこないと本当に腹が立つ。帰ってきたら、朝と違ってシャッキリした旦那の話を聞きながらご飯を食べる。滅多に美味しいと言ってくれないけど、たまに美味しいと言ってくれるのでそれはそれで嬉しい。手を抜くと露骨がっかりしてるのが顔にでる旦那だが、炊き込みご飯で機嫌を直してくれるところが可愛い旦那風呂掃除してる間に、明日の分のワイシャツアイロンかけたりする。そんなこんなで専業主婦の1日を過ごしていた。

仕事に恵まれて、ブランクちょっとあったけれど、1年前からまた働く事になった。

朝ごはんトーストオニギリ。ジャムかシャケフレーク。ソーセージと卵を焼く事もある。私の方が職場が遠いので旦那を置いて慌ただしく家を出る。9時から19時ぐらいまで働いて、スーパーに寄って帰る。お米は先に帰った方が炊くルールオカズは大抵スーパーのお惣菜刺身とか。野菜カットキャベツの袋を半分こして食べるか、適当野菜炒め。疲れている時は、スーパーのお弁当旦那カツ丼、私はのり弁を好む。洗濯は帰ってきてすぐ回して、食後にじゃんけんで負けた方が干す。今日は疲れてるからやってよ、とかで喧嘩になったりもする。私は埃が気にならないので、掃除機は旦那がかけている。埃が嫌なら自分でかけろ、という私に旦那はかなり不服らしく愚痴愚痴言う。それはちょっとムカつく、けど旦那掃除機かけてくれるので有り難え。家計管理スーパーに行く私が以前はしていたが、今は共同管理。お互い三万お小遣いで残りは家計へ。

私の休み旦那休みちょっとズレてるので今日とかは専業気分。しかし、旦那だけ休みの時は主夫養ってる感じじゃないのは旦那頑張れよ〜って気持ちだ。

専業→共働きの私はこんな感じに生活が変わった。変わった点は①ご飯のグレードダウン②お互いの余裕、が大きな点。

①は、料理を楽しみながら食べるような生活から、買ってきたもので腹を満たす食事になった。旦那は当初文句を言っていたが、旦那姉(パート主婦)の夕食(というかサパー?)を一度ご馳走になってから黙るようになった(ちょっと可愛かった)

②はほんとでかい喧嘩は確実に増えた。当社比2倍。家事分担で揉めることが多い。「こっちだって働いてるんだけど?」「いつも人にやらせてさあ」みたいな喧嘩

お互い自分の方が大変だと思ってしまっていて、やってくれてありがとうよりも、こんなにやってるのに相手は!みたいな気持ちになりがち。以前は、家事ありがとう&仕事ありがとう、の関係だったのに、両方が両方するようになって難しくなってしまった。男は外で女は家でみたいな分担は何だかんだよくできていたわけだなとつくづく思う。

特に主張とかじゃないんだけど、うちはこんな感じ。やっぱり専業には専業のメリットがあるだろうし、共働き共働きで稼げる。自分お小遣いを遠慮せずに使えるのも嬉しいし、ずっと家にいても気が滅入るので働けて嬉しい。子供が産まれたら、育休長めにとって一緒に過ごしたいなあと思うので、また専業になるかもしれない。その時は、育児旦那家事貢献してくれるといいなあ。

2018-06-19

国って小さい方がいいんでないか

アイスランド人口数十万人で平和にやってるしワールドカップにも出てくる

日本都道府県毎に分かれて、それぞれが自治でいいだろ。そうすれば国政が最も身近になって政治的な関心も高まる

愛国心は単なる愛郷心になる

軍事経済だけは連合国を作って共同管理

そこにそれぞれの国から選抜で送り込んだ人材に頑張ってもらう

これでいいやろ?

2014-04-08

友人が自殺した

といっても、昔の話だ

鬱病の友人だった

また、彼は大学の先輩でもあった。

大学卒業に六年かかり

大学院に進学したが休学したりしていた

私にskypeで話しかけてくれる数少ない友人の一人だった

ある日、skypeメッセージが来た「そろそろ限界だ」

私自身も鬱病なので、死と見つめ合うつらさを知っているのでわかったと返事をした

サーバの後を任せたい」といわれた。一つ返事で了解した

ここで心残りなのは、彼の自殺を止めなかったことだ。

しかし、そこで止めたとして、彼は自殺を決行しただろうと思う

虫の知らせというのだろうか。そういうのもあって、あえて止めなかった

いいわけだが、止めたとして彼はつらかっただろうと思う

サーバidとpassを教えてもらって、使い方もある程度理解

そのサーバ上で運営されているサイト共同管理者とskype挨拶した

周りに迷惑をかけたくないと、身辺整理を始めた。

私もそれを手伝った。

たくさんあったものが捨てたり、あるいは誰かにあげたりしてどんどんなくなっていく

私もいろいろ物をもらった

片付いたら、物であふれていた彼の部屋が、布団と小さなテーブルにノートPCがあるだけになった

彼はカラオケ締めだといって、カラオケに行った。

彼は音痴だったので、カラオケは好きではなかったかもしれないし、私のいろいろな事情で誘わなかっただけかもしれない

彼とカラオケをしたのはたぶん二回目くらいだ。このカラオケ最後

私は口べただったので、彼のことは多くは知らなかったけれども、

自殺を決行するという話をしてくれた数少ない一人ではあるから、信用されていたのかもしれない

もはや、しるよしもないのだけれども

話は変わるが、彼は大学院学習研究していた。

あと、短い期間だがカウンセリング業もやっていた。

わりと決行する直前まで少ないものクライアントがいた

最後最後まで人を助けたかったのだと思う

自分は助けられなかったのに

決行する前の日、思い残すことは何かときいたら

娘のことだけだという。彼は学生結婚し、子供がいた。

死に向かうと、執着しなくなるともいっていた。本音かどうかわからないが

決行の日。友人から連絡があった、警察から電話があったそうで、

その友人が最後携帯の発信先だったそうだ。彼は遂げた。

話して、初めて泣いた。自殺する準備中には泣かなかった。

彼が死んだ実感はなかった。今でもかすかにどこかで生きているのではないだろうかと考えることがある

心の中に生きていると、誰かが本で書いていたが、そういうものなのかもしれない。

後日、彼の母から連絡があり、彼のワードで書かれた私宛の遺書の一ページと

彼の母からの文章が綴られていた文章が一ページがFAXで送られてきた。

彼の遺書には感動するような言葉は書いてなかった。生きてるうちにだいたいのことは伝えたのかもしれない。

ほとんどは、Web関係のこうしたいという意思idとpassが書いてあった

彼の母からの文章は、彼が自殺であることは内密にということと、彼に関わってくれてありがとうというような

感謝言葉が綴られていた。

彼の終活として、権限委譲されたサーバサイトの一つで報告することを遺言として残していたので、

それを共同管理人とともに行った。

また、SNS上で彼の死を伝えるというつらい報告を行った

大学先生には自殺であることを告げた。彼と親しかった先生は悲しんでいた。

その他の人には、遺族の意思通り自殺であることを内密にしていたが、

風の噂で広まってしまったらしい。

彼はある意味トラブルメーカーであったので死人にむち打つようなことを言う人もいれば、

悲しみ、残念だった。という人もいた。

いろいろなところで終活としてのプランは彼の意思とは違う物になってしまったが、

それも、現実や様々な人の感情に合わせなければならないので仕方がないだろうと思う

ある意味では私は罪な人間だ。だが、そんなに強い罪悪感はない

死ぬ決断は彼がしたのだから。という個人的な考えだ。人に話したら強く批判されるだろうが

安楽死合法化されるとしたら、もしかたらこんな感覚なのではないだろうかと思う

これだけでは、贖罪にはならないだろうけれども、安楽死を推し進めたい人に対して、

死と向き合うこととはこういうことだと言うことを伝えたくて書いたところも一つある。

私は創作で人を助けるようなことをしたいが、彼のことがあるから及び足なところがある

私は自らが死ぬと分かっていても、人を救うために動き続けられるだろうか。彼のように

最近自分に問うている

 
アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん