2020-09-06

底辺から東大に行ったブス女だが、結局ずっと底辺地獄

(一時保存できるかと思って登録ボタン押したら投稿されてしまった。やり直しだけど許してください。匿名ダイアリーよくわからん

一言でまとめると:

東大卒底辺ブス女がこの世の理不尽を嘆いている

だけの文章です。

これを見た人の貴重な時間無駄にしたくもないですし、暇な方、現実逃避したい方、他人の不幸が好きな方、タイトル同族嫌悪を感じた方、高学歴ブスが性癖の方以外は読まないことをお勧めします。ちなみに、私は12時間後に締切が迫っている仕事(持ち帰り無給残業から現実逃避で書いています

あと💩トラバはもう飽きた。

スペック

30歳女

独身彼氏無し ほぼ喪女

東大理系博士卒(学科や専攻は伏せるけど、一応全部ストレート

今はとあるメーカー研究開発職

すんげー不細工

ブスについて(嘆き):

まずは、どのくらいブスかと言うところから説明しておく。この前提を言わない限り、以降のエピソードイメージし難くなるだろうから

小学校中学校の頃の同級生を思い浮かべてほしい。1人くらい、孤立していて、男子から女子からもなんとなく嫌われていて、見た目も挙動不審クラスメイトが居なかっただろうか。そいつが私だ。

目つきがおかしく、滑舌が悪く、コミュニケーションに難がある。鶏が先か卵が先かわからないが、顔の造形も醜かった。目がほぼ見えないくらい細く、前歯が飛び出し過ぎていたため唇は閉じられない。鼻は潰れ、鼻の穴だけが哀れなほど前を向いていた。あとからわかった事だが、先天的な眼瞼下垂と軽度の顎変形症に該当していた。



これまでの人生

吐き気のするほど底辺

地方都市に住む、世帯平均収入を3割ほど下回る両親の下に生まれた。父はモラハラDV、母はメンヘラ、私はブス人外

小〜中時代は、とにかく男子に虐められていた。聞こえよがしの悪口、唾を吐きかけられる、石とかドングリとか投げられる。今思うとドングリ投げるとか可愛いね。女子から芸人枠指定されていた。芸人を目指そうなんて全く思わなかったが、需要に合わせておもしろキャラを演じていた。そこそこウケていたと思う。

テスト全教科常に満点だったが、学校生活の態度を加味したらしい成績はよろしくなく、期末の成績はいつも中の下くらいだった。なぜか担任教師はいつも嫌われていたようだった。それで自分勉強も苦手なんだと思っていたが、中3の模試の成績がよかったのをきっかけに、地元進学校を目指すことになり、受かった。喜ぶ両親を前に、私にも多少は優れた点があるんだと、15年生きて初めて嬉しくなった。

高校県内番手公立進学校だった。自転車で通える範囲で一番偏差値が高かったというだけの理由で選んだ。

ここでも、私はブスだった。クラスの7割を占める男子からずっと嫌われ無視されていた。気持ち悪い、と聞こえよがしに言われた経験も数知れない。女子はいくらか大人だったので、芸人枠からは降りられた。それでも仲良くはなれず、基本的ぼっちだった。テスト前だけノート貸出希望者が大量発生した。レンタル料でも取れば良かった。

そのまま3年間ずっとガリ勉していたら、東大に受かった。天才でも秀才でもない、ただのガリ勉女だ。そのくせ「東大生」になればキラキラ(笑)したキャンパスライフ(笑)が待っていると思い上がり、両親を説得して上京させてもらった。貧乏実家から東京に娘を送り出すのはとんでもなく大変だったらしい。ギリギリまで、地元で進学して公務員になってくれないかと泣かれた。キラキラ(笑)妄想のために、今思うと親不孝なことをした。

18歳で、人生初の東京へ出て、人生初の一人暮らしをして、この先のキラキラ(笑)した大学生活に胸を躍らせていた。実際には、そんな非現実的な夢は入学10日で吹っ飛んだが。当然のことだか、現実直視できない情弱のブス女には、地獄の3年11.5ヶ月が待ち受けていただけだ。


なんか思い出すのも疲れてきたわ。こんな人生に誰も興味ないと思うが、万一反応があったら続き書くかも。この先もさらなる地獄しかないけど。

自分と似たような人も、似たような経験談も、どれだけ探しても見つけられなかったので、吐き出してみただけです。

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