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2019-10-21

anond:20191021130436


失踪日記」で知られる漫画家吾妻ひでお(あづま・ひでお、本名日出夫=ひでお)さんが13日未明東京都内病院で死去した。69歳。北海道出身葬儀告別式は近親者で行った。食道がんで闘病していた。


1969年デビューテレビアニメ化もされた人気作「ななこSOS」のほか、「ふたりと5人」などのギャグ漫画を多く手掛け、「不条理日記」などSF不条理テーマにしたマニアック作品でも注目された。


一方で、2度も失跡したり、アルコール依存症入院したりするなど型破りに生き、漫画執筆が何度も危ぶまれた。心身が回復する過程で壮絶な実体験を漫画に描き、2005年失踪日記」として出版。同年の日本漫画家協会賞大賞と文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、06年の手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞。ロングセラーとなった。


デビュー以来、一貫して美少女を描き、現在の「おたく文化」の源流として再評価されていた。(共同)

2019-08-16

フォーマルスーツってほんとクソだな

祖母が死んだので田舎葬式に行かなきゃいけないんだけど

通夜スーツはどうとか、告別式スーツはどうとか、ほんとめんどくさいな。

スーツの色とか模様でマナーがどうとかって価値観ほんとくだらねぇな。

そのために馬鹿みたいにスーツ買って、ほんと馬鹿じゃねぇのか。

シャドーストライプの何がいけねぇんだ。

紺の何がいけねぇんだ。

もう死んでるんだからどうにもならねぇんだわ故人は。

葬式は故人のためじゃなくて、遺族とか近親者のためにやってるってことがよくわかるわ。

故人を弔うとかほんとクソみたいな建前やめてほしい。

てめぇらの気持ち収めるために、スーツの模様も色もクソもねぇんだよ。

香典なんか言ってねぇで金よこせこの野郎

滅びろフォーマルスーツ 滅びろ礼服・喪服

そりゃスーツくらいだったら我慢して着てやるからよこの野郎

2019-07-25

死後一ヶ月経って発見されるという事。

友達が死んだ。

うつ病自殺した。

友達と言ったが、ひょっとしたら親友と言っても良かったのかもしれない。

小学校から友達で20代後半になっても、月に2,3回は会ってどうでもいいくだらない話をしていたのだから

そんな友達が誰にも何も言わず行方不明になり、俺や友人や親族も懸命に探したが手がかりはなかった。

親族と彼の行方を話し合っている時に初めて、彼がうつ病だったと聞かされた。

俺はそこまで信心深くはない。神様などあまり信じていない。

それでも神様に、「俺がどうなってもいいから彼が生きて帰ってきて欲しい」と願った。

だが、その願いは聞き届けられなかった。

失踪した友人は発見されたが、死後一ヶ月が経っていた。

見ない方がいい、と警察に言われた。もう腐敗が始まっているから、と。

腐敗。

その言葉を聞いた時の衝撃は忘れる事はきっとないだろう。

棺にも、手紙や花は入れられないと言われた。顔も見れない、と。

事実、彼の顔は最後まで見れなかった。

無知申し訳ないのだが、その時初めて密葬という言葉を聞いて、事実、彼の葬式は密かに行われた。

2日、いや、発見されてから40時間も経たない内に骨になってしまったのだから、一日半だろうか。

僅か一日半で火葬されてしまった。

親族仕事関係者や平日の真っ昼間でも来るくらいの親しいごく一部の友人らが、火葬の前にご焼香。火葬が終わって、拾骨し、身内がお寺に納骨。

通夜告別式もなく、立派に飾った祭壇もなく。

それで、終わりだった。

本当に、それだけだった。

何か、何かできる事が無かったのか。なぜうつ病だと気付いてやれなかったのか。

もっと飯に誘ってやればよかった。何か悩みがないか一言聞いてあげればよかった。

火葬中、そんな事ばかり考えていた。

葬式に来ていた友人と別れ一人になった時、自分が出したものとは思えないような、ため息とも悲鳴もつかない声が漏れた。

無論、こんな終わり方であろうと、彼の人生が無価値でも無意味でも寂しいものでもあった訳ではないはずだ。

彼は頭が良かったし、面白い奴だし、いいヤツだ。いいヤツだった、と過去形にしたくはないほど、いいヤツだった。

死に方と生き様関係がない。

それでもあんな終わり方では、どうしても寂しい最後、と思ってしまう。

うつ病になった事がないからわからないが、俺もたまに病む事がある。ネガティブの塊に押しつぶされそうになる事もある。でも、彼はきっとそれよりもっとしかったのだろう。

しかし、それでも彼に生きていてほしかった。

死にたい人間に生を強要していいのか、という問いも世の中にはある。

その問いに俺は答える事ができない。明確な答えは用意できない。

実際、世界的に安楽死制度議論されてきているし、今後もっと深まっていく事だろう。

ただ、どんな答えが導きだされようと、誰かに対して生きていて欲しいと願う事が間違っているなんて思わない。


今、苦しんでいるあなたも気付いて欲しい。

周りの人間は、思っている以上に、あなたに生きていて欲しいと願っている事を。

そして生きている俺たちは、もっと周りに伝えなければならないのだろう。

あなたがそこに居てくれて、生きていてくれて本当に嬉しいのだと。

最後に会った時に見た、いつもの彼のいつもの笑顔が、どうしても頭から離れない。

2019-02-08

anond:20190207004137

児童相談所 拉致 静岡市」などと検索すれば、当事者(親)が発信する記事を閲覧することができる。Twitter実名発信すら行っている。

彼らの主張と、裁判所認定事実とを対比しながら読めば、恐ろしさが伝わってくると思われる。

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損害賠償請求事件

東京地方裁判所平成21年(ワ)第25349号

平成25年8月29日民事第44部判決

口頭弁論終結日 平成25年4月25日

       判   決

(第1,第2 省略)

第3 争点に対する判断

1 認定事実

 前提事実に加え,後掲の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

(1)本件小学校入学前後の経緯

ア 原告Q1は,原告Q2及びQ9との同居を始めた平成19年2月頃,Q9が時間を守らないこと,嘘をつくことを矯正させる必要があると考えて,原告Q2との間でQ9へのしつけの方法について話合い,その結果として,原告らは,Q9が小学校入学した同年4月頃から,Q9が上記の点について原告らの口頭での指導を守らなかった場合には体罰を与えることとした。

 原告らの体罰は,当初は頭を軽く叩く程度であり,その後顔を平手打ちするようになり,同年6月頃からは,Q9に木製の子ども用バットを持ってこさせて,臀部をバットで叩くことなどがあった。

(甲4,75,原告Q1本人)

イ(ア)Q9の所属するクラス担任であるQ12教諭は,平成19年4月頃,Q9の顔に痣があったこから,その痣について聞いたところ,Q9は,タンスの角にぶつけたと述べた。Q12教諭は,その後,Q9の顔の別の位置に痣があることを発見した。

 Q12教諭は,同年5月下旬頃,Q9が忘れ物をして登校してきたため,どうしたら忘れ物をしないようにできるか尋ねたところ,Q9は泣き出して,自分学校の支度をしていることのほか,原告Q1は殴るので恐いこと,原告Q2はQ9を守ってくれなくなり,原告Q1と一緒に怒ってばかりいるが,以前はそうではなかったことなどを述べた。そこで,Q12教諭は,Q9に対し,先生はいつも君の味方であり,先生が守ってあげるなどと述べた。

 原告らは,同月31日,本件小学校担任教諭保護者との間での連絡帳に,Q9から先生が守ってあげるという発言があったと聞いたが,その発言真意確認を求める旨の記載をした。

(イ)本件小学校のQ13教頭は,同年6月5日,原告ら宅を訪れ,原告らと面談した。その際,Q13教頭は,虐待の疑いがある場合についても適切な対応をとる必要がある旨述べ,原告らは,今までQ9はしつけを行われずに育ってきており,Q9を良くするのは今しかないこと,しつけの方針として,悪いことをしたら殴ること,虐待を疑っていることは理解していることなどを述べ,Q12教諭上記(ア)の発言について,Q12教諭からの直接の謝罪要求した。これを受け,Q13教頭は,一旦本件小学校に戻り,Q12教諭と共に再度原告ら宅を訪れ,Q12教諭上記(ア)の発言について,誤解を招く発言であったとして謝罪した。

 Q9は,同日以降,Q12教諭に対し,先生が来てくれてから殴られなくなったと述べた。

(ウ)Q9は,同年6月29日,右大腿部,右肩に赤色の跡があり,Q12教諭が,Q9がプールに入る際にその跡について聞いたところ,Q9は,原告Q2から叩かれたと述べた。

 また,Q9は,同年7月2日,右目の下部に痣があり,Q12教諭からその痣について聞かれたところ,原告Q2に殴られたと述べたが,Q13教頭からその痣について聞かれた際には,Q9は転んで怪我をしたと述べた。そこで,同日,Q13教頭原告ら宅に架電したところ,原告Q2は,Q9が2日続けて許せない嘘をついたこから原告Q2が殴った,私も人間から感情的になると述べた。

 原告Q1は,同月3日,本件小学校架電し,Q13教頭に対し,原告らは冷静にQ9をしかっていること,同じ状況であれば原告Q1であっても殴っているはずであり,原告Q2も同じ方針であることなどを述べた。これに対し,Q13教頭は,殴らないで育てることをまず考えるべきであるなどと述べた。

(エ)Q12教諭は,同月4日,原告から,本件小学校教育方針等についての意見記載された手紙が送付されたため,同日午後3時頃,原告ら宅を訪問した。その際,原告ら及びQ12教諭居間にいて会話をしていたところ,原告Q2は,一旦居間を離れてQ9の部屋に行き,Q9を叩き,居間に戻ってきた際に,「今私,Q9のこと,叩きましたから,守って下さい。叩きました。嘘ついたから。」などと述べた。

 その後,本件小学校のQ14校長教務主任及び生徒指導主任原告ら宅を訪れ,原告Q1から学校で行う教育と家庭で行う教育区別をしたガイドラインを示してほしいという要望があったため,Q14校長ガイドラインを示す旨述べて,同日午後8時30分頃にQ14校長らは原告ら宅を離れた。

(甲11,17,18,乙ろ2の12,乙ろ15,証人Q13)

(2)本件一時保護に関する経緯

ア Q14校長は,同月6日,静岡市教育委員会に対し,前記(1)イの経緯を報告した。静岡市教育委員会は,同月10日,静岡市α区の要保護児童対策地域協議会児童福祉法25条の2参照)の定例実務者会議において,Q9を要保護児童として提示し,Q13教頭が前記(1)イの経緯をまとめた報告書(乙ろ2の12の1ないし6丁)を提出した。上記会議に出席した静岡市児童相談所の所員は,同日,本件小学校に対し,Q9は保護を要する児童であるため,今後Q9に痣等があった場合には児童相談所に通告するように指示した。

イ Q9は,同月13日の登校の際,左顎及び左目下部に痣があり,Q14校長がその痣について聞いたところ,Q9は,嘘をついたことを原告Q1に怒られて殴られたと述べた。そこで,同日「Q14校長は,静岡市児童相談所架電してQ9について通告した。また,同日のプールの授業の際,Q9の大腿部及び背中に痣があることが確認された。

 静岡市児童相談所は,同日,上記通告を受け,子ども虐待対応の手引き(平成19年1月23日付け雇児総発第0123003号厚生労働省雇用均等・児童家庭局総務課長通知。乙ろ2の10)及び静岡県中央児童相談所作成家族支援ガイドブック(乙ろ2の11)に基づき,上記アの会議に参加していた所員等による緊急受理会議を開催し,Q9に行うべき支援及び援助の内容を判断するための虐待処遇アセスメント指標(乙ろ2の6)で判定をしたところ,虐待の程度は,5段階の上から2番目(打撲,広範囲の軽外傷等)であり,調査格付は,生命を脅かす(又は高い可能性がある。)状態として,直ちに立入調査を行うこととなる「R-1」と判定された。また,静岡市児童相談所のQ15主任主事ケースワーカー)等の所員3名が,本件小学校に立入調査をして,Q9の顔から足にかけて痣があることを確認し,Q9に聞き取りをしたところ,Q9は,原告からは,Q9が時間を守らないという理由毎日殴られること,原告Q2の方が多く殴ること,原告Q1からおもちゃバットでいろいろなところを殴られ,原告Q1から殴られた際に血が出たことがあることなどを述べた。静岡市児童相談所は,上記立入調査をした所員からの報告を受け,上記虐待処遇アセスメント指標及び所員の合議に基づき判定をしたところ,Q9の支援・援助格付は,直ちに一時保護必要となる「AA」と判定された。

 静岡市児童相談所長は,Q9に痣があり,Q9も原告から殴られていることを認めたこと,本件小学校から家庭訪問をした後も原告から虐待継続していることが確認できたことに基づき,Q9を一時保護し(本件一時保護),その後に原告ら宅に架電し,原告らに対して本件一時保護したことを告げた。

 Q9は,同日,静岡市静岡病院のQ16医師の診断を受けたが,同医師作成診断書には,「全身に打撲によると思われる皮下出血を認める」として,〔1〕両下眼瞼,〔2〕左顎部,〔3〕右肩甲骨上,〔4〕左大腿背側,〔5〕右下腿膝下部前面及び〔6〕両殿部について,「いずれも鈍器,または靴による打撲跡と考えられる」,「上記外傷について全治一週間と診断する」との記載がある。

 静岡市児童相談所は,同日,静岡県中央児童相談所の一時保護施設にQ9の一時保護委託した。

(甲11,乙ろ2の4ないし6・12,乙ろ15,16,乙は3の1・2,証人Q17,証人Q13)

(3)本件一時保護開始後の経緯

ア 原告らと静岡市児童相談所は,本件一時保護が開始された平成19年7月13日以降,電話等でやり取りをしたが,次のとおり,原告らは,Q9に対する体罰虐待ではなく,親である原告らの意思無視して本件一時保護継続することは不当であるとの意見を繰り返し述べた。

 原告Q1は,同月20日,静岡市児童相談所のQ15主任主事との電話で,虐待はしていない旨述べ,暴行肯定されると考えているかとの質問に対して「ええ,肯定されますよ。当たり前じゃないですか」「一時的感情だとかそんなことで虐待を繰り返してきているわけじゃないんだ」,「責任ある体罰っていうのだってあるんだ」などと述べ,静岡市児童相談所のQ18統括主幹との電話で,同月27日,「Q9をおたくらに任せますけど,やつが20歳ぐらいになったときにまともな,私らが考えているような大人になってなかったら,抹殺しますんで。おたくらも含めてよ。」,同月30日,「子どもがこう,おれらの考えてたとおりに教育できなくなったときに,おまえらどういう責任とる。とらなかったときは,おまえ,リンチしてもいいか」,同年8月1日,「根本からお前らの育て方とか教育論が間違ってるのに,何で間違ってる奴らと俺らが話し合わなきゃいけないんだよ。」などと述べた。また,原告Q2は,同年7月23日,Q18統括主幹との電話で,「私達は少なくとも体罰体罰だって考えてるんですね。私の思う虐待と言うのは自分憂さ晴らしですね。」,「体罰っていうのは暴力とは違う」などと述べた。

 静岡市児童相談所のQ19主任主事心理士)及びQ15主任主事は,同月20日から同年8月31日まで,一時保護施設を訪れてQ9と面談,行動観察,心理テスト等を行った。Q9は,同月8日以降の面接で,原告らと会いたくなく,施設から帰りたくない旨訴えた。Q19主任主事は,Q9について,同年9月20日開催の静岡市健康福祉審議会児童福祉専門分科会児童処遇審査部会に「現段階では,本児の家庭に対する拒否感が強く,両親と距離を置き,守られた環境下で,本児の話に耳を傾け,個別には母性的で受容的な対応が望まれる。」,「これまでの養育環境により本児の情緒面での成長が阻害されてきた結果が示されており,今後,両親の養育態度に改善が望めないようであれば,家庭との分離はやむを得ず,児童養護施設への入所が適当であると考える。」との心理診断の結果を提出した。同部会では,Q9の入所措置承認を求める申立てを行うことに異議は出なかった。

 静岡市児童相談所のQ20所長は,上記原告らの発言心理診断の結果及び上記部会の結果を踏まえ,原告らによる暴力継続される可能性が高く,Q9も帰宅拒否していることから児童養護施設への入所が適当であるとして,同年9月25日,入所措置承認を求める申立て(本件申立て)をした。

(甲11,14,乙ろ7の1ないし7)

イ 原告らは,同年9月28日,静岡市児童相談所を訪れ,Q20所長,Q17参事平成20年4月1日に静岡市児童相談所長となった。以下「Q17」という。)等の所員と面談した。この面談の際,Q20所長らは,本件一時保護の経緯や,Q9については児童虐待防止法2条1号所定の暴行が行われたもの判断していると説明したが,原告らは,「体罰虐待はこれ別物ですから」,「しつけの段階で,あざができるほどたたかなきゃいけなかった」などと述べてQ9の返還を求め,静岡市児童相談所はこれに応じなかった。

(甲9,10,乙ろ7の10)

ウ Q20所長ら及び原告Q1は,本件承認審判及び本件勧告がされた後である平成19年12月21日,静岡市児童相談所面談した。原告Q1は,本件承認審判の「二度と虐待に該当するような体罰をさせない」という文言から虐待に及ばない体罰については容認されたもの解釈している,体罰主体にしない努力はするが,目的によっては必要なこともあるなどと述べたのに対し,Q20所長は,しつけ自体否定するわけではないが,体罰を伴うしつけは子ども心理的な影響があり好ましくない,本件勧告を受けて,静岡市児童相談所から原告らに対する指導方法について年明けに提案する旨述べた。また,原告Q1が,原告らがQ9の通学している安西小学校に面会等を申入れることは問題となるか確認したのに対し,Q20所長は,今の状態だと問題となる旨述べた。

 静岡市児童相談所は,平成20年1月頃,上記提案として,Q9と原告らの家族統合に向けた「ご両親への支援プログラム」(以下「支援プログラム」という。)を作成した。支援プログラムでは,〔1〕目標は,「Q9君が安心して生活できるような家庭づくり。」であり,〔2〕方法として,原告らが静岡市児童相談所を訪れ、概ね1か月に1回2時間程度を目安に面接実施し,面接以外にも課題の提出をお願いすることがあること,〔3〕2月から3月頃にQ9の気持ち確認し,写真ビデオレターなどを通した親子交流を始めること,〔4〕Q9が原告らに会いたいという気持ち確認し,5月から6月に児童相談所内で原告らとQ9との面会を実施し,6月から7月初旬に親子での外出を実施すること,〔5〕面会・外出時の親子の様子,Q9からの外泊希望確認し,児童相談所所員による家庭訪問実施した後,7月初めに家庭への外泊を開始すること,〔6〕外泊が繰り返される中で,良好な親子関係が認められ,引取り後の支援のあり方について共通理解が得られれば,家庭引取りとなることが記載されている。

 Q20所長ら及び原告Q1は,同年1月11日,静岡市児童相談所面談した。静岡市児童相談所のQ21心理士支援プログラムについて説明するなどしたところ,原告Q1は,支援プログラムは本件勧告無視したものである原告らは体罰をしているのであって虐待暴力ではない,一時保護自体間違っている,おれは日常生活の中で普通にやっていく中で必要であれば絶対体罰は使う,まずはQ9を帰してもらいたいなどと述べた。そこで,Q20所長は,再度提案をする旨述べた。 

 Q20所長ら及び原告Q1は,同月24日,静岡市児童相談所面談した。Q17が,本件勧告に基づいてQ9を帰宅させるためには,虐待に該当するような体罰はしないことが条件になる旨述べたところ,原告Q1は,裁判所原告らが虐待をしていないと認めており,Q9をすぐに返してもらった上で静岡市児童相談所による指導を受けるというのが原告らとして譲歩案の全てである静岡市児童相談所原告らの意見を聞かずに一方的な主張をしているなどと述べた。

(甲9,10,乙ろ5の2,乙ろ7の11・12)

エ Q9は,平成19年12月31日,静岡ホームで転倒して頭を打ち,CT検査をしたが,脳に異常は認められず,頭部挫傷と診断された。

 静岡市児童相談所は,原告らに対し,上記転倒事故を通知せず,原告らは,平成20年3月7日に静岡市個人情報保護条例に基づき開示を受けた文書により,上記転倒事故の発生を認識した。

(乙ろ1)

オ 原告Q2は,同年2月1日,静岡市児童相談所に対し,Q9の毎日の詳しい言動や様子を報告しない理由等の回答を求める質問状を送付した。また,原告らは,同月8日,静岡市児童相談所を訪れ,本件抗告棄却決定に対して特別抗告申し立てた旨伝えるとともに,親権行使するとして,Q9の毎日の一時保護施設及び小学校での言動を報告することを求めた。さらに,原告Q1は,一時保護期間の7か月でQ9の身長が2.4センチメートル体重が1キログラムしか増えていないという理由で,Q9への精神安定剤等の投与を疑

2019-01-31

grdgs 「カスウヨは本当にナチュラル改竄捏造しやがるな。 」

慰安婦被害者象徴元慰安婦女性死去 韓国大統領が弔問 | NHKニュース

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20190129/k10011795541000.html

tuzuraori 「ソウルにある日本大使館の前でキムさんの告別式を行うと発表しました。」→ 人の死まで外交カードにつかうとは韓国は本当終わってるね。

2019/01/31 リンク Add Starcyciatristtriggerhappysundaymorningmk12mod1tomoya_edwarvantesheltie_maczaatshigy-woodtGsQqV

grdgs 「人の死まで外交カードにつかうとは」←やってるのは政府じゃなくて市民強姦を開き直る日本への抗議だよ。お前のほうが人としてつくづく本当に終わってるよ。カスウヨは本当にナチュラル改竄捏造しやがるな。

2019/01/31 リンク Add Starribbentrop189




tuzuraoriは「韓国政府は終ってる」 ではなく「韓国は終ってる」と言ってるんだから対象には政府市民も入るのでは。

ついでに言えば、大使館の前でそんなセレモニーをやるには政府の裏での後押し(最低でも黙認)が必要な訳で

実際にはやはり市民だけではなく政府も終ってるんだと思う。

もちろん韓国政府は裏に隠れて「あくまでも市民勝手にやっている(そんなの言い訳にならないんだけど)」って言い張るつもりだろうし

韓国的にはそこの理屈大事なんだろうけど、tuzuraoriはそこまで細かい突っ込みをしてるわけではなく、

grdgsは痛いところを刺されたと早合点してわかりやすい反応をしてしまったというところか。

それはそれとしてあの像はよ撤去したら。約束守るということすらいつになっても覚えられないの、本当に終わってる。

2019-01-18

[] 宮型霊柩車が廃れた

今日市原悦子さん告別式も、洋型の霊柩車だった。

格とか見栄えとかが重要視されるであろう芸能人葬儀ですら宮型霊柩車が使われなくなった。

庶民と違って、宮型の高価な使用料金がネックになるわけでもないだろうに。

「近隣住民が嫌がるからいかにも霊柩車な宮型の乗り入れ禁止する火葬場が増えている」みたいな話もあるが、

今回の市原悦子さんの式に使用されたキャデラックストレッチ(全長を改造して延ば)してレザートップ張って、

ランドレージョイント(fの字みたいな形した飾り)付けて、どっからどう見ても霊柩車しか見えない。

これがOKで宮型は一律禁止なら、その決まりなんかおかしくない?

2018-09-13

いつになったらこどもできるかな

母が亡くなってから1か月が経った。

夏コミサークル参加ホテルに前泊してる、その日の深夜に「母が亡くなりました」と父からLINEが入っていたので、起きて身支度をして、人の流れに逆らいながら国際展示場駅を後にした。

結婚して3年が経った。

子どもが欲しいと思ってから2年4カ月、不妊治療をし出してから1年4カ月。今日また生理が来た。腹が痛い。

母がガンになったのは4年前のGWだった。

母のために孫の顔を見せたいと思ったが、最後までかなわなかった。

不妊外来先生に、母のガンがいよいよ末期であと3か月しか持たないかもしれない。高額でも問題いから、確率が一番高い方法を取りたい。体外受精がしたい。と言ってみたけれど、「年齢的にもまだ今はやる時期ではない」といわれて子宮内体内受精しかしていない。

母の主治医最後に予告していたとおり、母はちょうど3か月で逝ってしまった。

亡くなる10日前まで、自分トイレに行けたし、話もできたし、奇跡的な元気さだった。最後最後まで「何言ってんの、治すに決まってるでしょ」と完治を疑わず、「最期に言いたいことは、伝えたいことは」みたいな雰囲気にはできなかった。どう見たって治らないということが分かったところで、「信ずれば治る」と、信じて疑わない本人に「絶対治らない」とは言えなかった。でも無理やりにでも、生きてるうちに「あなたの子供に生まれることができてよかった、素晴らしいお母さんだった、あなた子育てをしたかった」とか、直接伝えられたらよかったのかなあ。

物心ついてから親族が亡くなるのは初めてだったので、人が亡くなった後の流れをよくわかっていなかった。

実際は、病院でお風呂に入れてもらい、服を私服に着替えさせてもらい、葬儀場に運ばれ、エンゼルケアをしてもらって、棺に入れてもらったみたいだった。

自分がいない間に葬儀場の予約から式次第から至るものが準備されていて、香典返しには母の名前印刷されているし、遺影だって古い写真を取り込んでトリミングしてぼかしていい感じに作ってくれていたし、お花もたくさん飾られていて、この業界スピード感があるなあとか、親族多くてありがたいなあとか思った。

亡くなってから再開した母は顔がふっくらしており、スターみたいなヘアスタイルと、普段とは全然違う化粧をしていて、なんだか別人みたいになっちゃったなと思った。

親戚がおおいうえにみんな近くに住んでいて仲が良いので、告別式だというのに結婚式かと思うような設置をいとこたちがしてくれた。当日来た方がメッセージカードカラーペンコメントを書き入れて、模造紙に貼り付けられるようにしてくれたし、旅行写真を飾り付けたり、色紙を持ってきて寄せ書きを作ったりしてくれた。

通夜から葬儀まで一夜あったというのに、こちときたら手紙の1枚もこさえることをしなくて、葬儀場の遺族控室は大きな民宿みたいだなとかのんきなことを思いながら過ごしてしまっていて、反省した。

通夜葬式で450人くらいの来場者数があった。葬儀場に入りきらない人数で、改めてすごい主婦だなあと思った。自分葬式にはどれほどの人が来てくれるんだろうな。

葬儀が終わって、香典のまとめやお返しも終わって、納骨はまだだけど実家にいる理由もなくなったので、実家からは遠い自分の家に帰ってきて3週間くらい経った。

1か月前の今頃はこういうことをしていたなと思うと、夜泣けて寝付けなくなってしまうことが増えた。こういうのは直後より、少し時間を置いた方が来るものがあるんだな。

母が亡くなった直後というのは、覚悟があったからかもしれないけどあんまり絶望みたいなのはなくて、悲しいけど失意のどん底っていう感じでも無い状態だったから、葬式の翌々日は普通に仕事をしてしまった。その後はなんだかんだしばらく休みをもらったけど家族も同じように割と元気で、淡白かなあと思ったけど、どうだろう。

しばらく帰省していた間におばあさんと朝ドラ見ていたので、今でもお昼に見ている。

そしたら主人公の母もガンになっちまった。は~~~よくある話ですわなほんま

それで寝付けない日が増えてきたなというとき生理ですよ。

は~~、な~~にが「治療やめたら案外すんなりできることもあるしね」じゃ

母が亡くなったから転生してくるみたいなオカルトにもちょっと期待したけどそんなことはなかったわ。

朝ごはん食べてなかったから昼にご飯作ったけど、口に飯を入れたら味覚からいろんな感覚が刺激されて泣けて泣けてのどが絞まってものが飲み込めねえ。

は~~~せめて早くこどもできねえかな~~~~~~

なんて仕事さぼって文章殴り書きしてたらだいぶ気持ちが落ち着いてきた。

チラシの裏です。

2018-09-09

さくらインターネット災害への備え

2018-09-03

家族のつながり

から家族とか親族とのつながりにまったく興味がわかない。親兄弟と仲良くするのもまわりにぱらぱらと聞くと当たり前と言うが、うーん、そうかねえ、まあ私は違うなあ。と言う印象ぐらい。

さて、先日祖父が亡くなったという連絡が母から入った。「朝お父さんからも連絡してない?」と聞かれてメールフォルダをみたら、なるほど、メール来てました。気づきませんでした。ごめんなさい。

で、翌日朝告別式だという。色々仕事があることもあって、結局告別式には行けなかった。

祖父とは、小学校低学年の時何回か祖父母宅に行って、1週間ぐらいだらだら過ごした記憶があって、そのときにほんの少ししゃべったかなと言うぐらいだ。最近だと数年前にホスピスに入った時に何回かお見舞いに行ったこともある。自発的ではなく、両親にすごい尻を叩かれた結果ではある。

実感が湧かないというのか、思い入れが薄すぎるというのか。なんだかごめんなさいと思いながら、どうしてもそっちの方面には足が向かない。

年を経るごとにこんな感じだと、もし親に何かあったときとか、なんだか投げ出してしまいそうな気がする。今から謝っておきたい気分だ、本当にごめんなさい。

2018-08-01

同級生が亡くなった

中学同級生が亡くなった。

事故だった。

特別親しい訳ではないし、最後に会ったのはみんなで集まる成人式の時の同窓会くらい。

毎日会ったり定期的に連絡してた訳じゃないからなんとなくここにいて働いててみたいなことを成人式で知ってたまに中学同級生って何してるっけ?って時に思い出すくらい。

全然実感わかなくて、棺の中の顔を見て寝てるだけだって思った。

授業中に大胆に寝てた寝顔と同じだった。

なんの実感もなく日常生活に戻ってしまった訳だけど、葬儀に行ったら自分は泣いちゃうんだろうなと思ってたけど泣かなかった。

もちろん悲しかったけど胸を張って仲がいいって言える関係じゃなかったから、ここで泣いたら偽善なのかなとか思って泣かなかった。

また実家に帰ってアルバムとか日記とか見たら色々思い出すんだろうけど。

告別式手紙を書く?みたいな紙が用意されてたんだけど書けなかったからとりあえずここに書いておく。

中学の時はやんちゃいじられキャラで、でも意外にも字がきれいで。

字だけはきれいだよねーって言ったの覚えてる。

お菓子禁止されてた中学で大胆にもお菓子を食べていじられキャラだったかかいつも見つかって怒られてたね、自分の好きな部活のことはすごい饒舌に話してたね。

いつかみんなで遊んでた夜にいきなり家にきてすごいびっくりしたけどらしいなぁって思って笑ったなぁ。

私が関わってたのは実質三年だけだけれど1クラスメイトとしてこれからはたくさん思い出すことになると思うなぁ。

お疲れ様って言葉をかけるにはまだまだ早いから言わないけどいつかめっちゃ若い君と年老いたみんなで同窓会しようね!

だいぶ待たせちゃうけど待っててね!

2018-07-13

anond:20180713092847

通夜告別式が別日とか時間無駄だよな

死んだら1時間以内に火葬して納骨でいいじゃん

公的手続き役所ワンストップでできたらいいのに

2018-07-12

口跡と功績

@mkawakami3さんのツイート: https://twitter.com/mkawakami3/status/1017016769217683458?s=09

今日桂歌丸師匠告別式で、文珍師匠のお言葉を「本当に『功績』が鮮やかな方で...」や「誠に『功績』の鮮やかな方でした。」と記述された記事を見ました。文珍師匠は当然ですが、『口跡』とおっしゃっておられます。こうして言葉は変わっていくんですね。「新聞が」と思うととても悲しく残念です。

このツイートを見て初めて口跡という単語を知ったくせに功績の鮮やかでググって「本当に間違ってやんのーかっこわるー」と確かめた私は性格が悪い。

2018-06-29

anond:20180625114349

6月24日ネットウォッチ勉強会かもめの中では、終了後の質疑応答の中で雑談っぽく『ペットシッターの方に来ていただいています』『猫を預かってくれるペットホテルってあまりなくて……。』と発言されていました。

通夜告別式も無事に終わられているようですし、どなたかご遺族の方がなにかしら対応はされているとは思います

2018-05-23

母が亡くなった

就活最中だった。

危篤だと聞いてその日の面接を辞退し、なんとか最期には立ち会うことが出来た。最期まで意識は戻らなくて、何も話せないまま逝ってしまった。

まりに実感がなく、何の感情が湧いてこないままだった。葬儀告別式に出るため、重なっていた日の選考も全て辞退した。火葬されて、二度と会えなくなるその瞬間まで母のそばに居たかたからだ。

後に残ったのは第一志望の面接だけで、絶対に逃すものかと精一杯頑張って挑んだ。でも駄目だった。今選考が残っている会社はない。選考時期が早い業界から、これから受けようにももほとんど残っていない。

選考を辞退すると連絡したとき、私のことを案じてくれた企業一社だけで、おそらく残りの企業からは辞退する常套句だろうくらいに思われたのかもしれない。

私はどちらを選べば良かったんだろう。母に会う最後の機会を捨てて、企業面接に行けば良かったのか。

母の死を絶対言い訳にしたくないのに、何度もそんな考えが浮かんでしまう。

残された父と2人で母のために胸を張って生きよう、と約束したのに、そんな人間になれそうにもない自分が嫌で仕方がない。

2018-01-31

冠婚葬祭を最低限の費用で済ませるための新宗教をつくろう

欧米と比して宗教色が薄いと言われる現代日本でも、完全に宗教と決別して生きていくことは難しい。

いわゆる「冠婚葬祭」においても、近年では小規模化の傾向が見られるとは言え、有形無形の圧力により望まぬ負担を強いられることが常態化している。

そこで、出来る限りコストのかからない極めて簡素宗教を新たに用意し、それを宗教的圧力からの逃げ道にすることができないかと考えた。

簡素と言っても、冠婚葬祭を全く執り行わなければ社会的摩擦が生じ、かえってコストが増大しよう。それでは本末転倒である

なので最低限の儀式は執り行いつつ、それ以上の出費を防ぐために、「私の宗教では盛大な儀式が禁じられている」などと、宗教言い訳に使えるようにしたい。

まず宗教目的を設定しよう。

メタ目的が「宗教に関連するコストを低減する」ことであるので、「戒律を課す」「現世利益約束する」といったコストの嵩む方向性は論外である

そこで「死に対する不安を取り除く」=「死後の安楽」という点に絞る。

死後の安楽を保証するために、まず神を用意する。

神は全知である

故に神は「人の死後が安楽である」ことを知っておられる。

これを基本にしよう。

「神によって安楽がもたらされる」でないことに注意されたい。

安楽が神によってもたらされるのならば、神に対価を支払う必要性が生じてしまう。

しろ

神は無能である

とすべきだ。

無能であるが故に、神は何の行動も起こさない。

神は信徒に何も与えず、信徒は神に何も捧げない。

信徒は神に期待してはならない。

ただただ「人の死後が安楽であることを知る神が存在する」ことを信じるだけである

全知なる神は、既に信徒信心を知っている。

あらためて信心を表明したり、神へ誓いを立てたりすることは、神の全知を疑う行為であるので、できるかぎり慎むべきである

無能なる神は、決して信徒の求めに応えることはない。

ことさら神へ祈りを捧げたり、神の名の下に騒ぎ立てたりすることは、神の無能を疑う行為であるので、できるかぎり慎むべきである

と、このような教義を設定すれば、冠婚葬祭のたぐいを簡略化できるのはないだろうか。

結婚式

神は新郎新婦の愛を既に知っている。

よって神に愛を誓う儀式としての結婚式不要である

披露宴的なものはやっても良い。

葬式

神は死後の安楽を知っている。

よって死者のために祈る儀式としての葬式不要である

告別式的なものはやっても良い。

法事

神は死後の安楽を知っている。

よって年忌法要などは不要である

埋葬する必要もないが、埋葬した場合でも墓参りはしなくてよい。

といった具合だ。

もちろん冠婚葬祭以外でも様々なシーンで利用できるはずだ。

これを「全知無能神教」と名付けよう。

どうぞ信仰してくれ。

何の宣言許可もいらない。

あなた信仰を神は既に知っているからだ。

2017-09-25

生前の母が決めた葬儀文句を言いたい

母が亡くなって、先日葬儀が終わったんだけど

あえて言いたい。

通夜告別式は一日でよかったです。

会食も2回は要らないです。

話すことないし、

遠方から来た親戚も疲れただろう。

2017-09-07

血はつながっていないけどばあちゃんは確かに俺らのばあちゃんだった

少し前の話だが、ばあちゃんが死んだ。

ばあちゃんと言っても血は繋がっていない。隣に住んでるばあちゃんだ。

うちは母子家庭で、当時40になったくらいの母さんと、小学生のおれと、弟の3人家族だった。

まぁ母さん一人の稼ぎじゃもちろん裕福ではなく、地味な暮らしをしてた。

小学生だった俺ら兄弟はまだ金の使い方も知らなくて、友達の持ってるゲーム機とか、はやりのソフト

カードゲームなんかをいいなぁと思いながら、ま~子どもと言ってもその辺の雰囲気は分かるから

いい子ちゃんしてわがままもそんな言わなかった(小学1年の弟はまぁまぁ駄々をこねてたけど)。

それより俺らがしんどかったのは、母さんが全然家にいないことだった。

小4と言ってもまだまだ子どもなので、寂しいは寂しい。

朝俺らを送り出して仕事にいく母さんは、9時10時まで帰ってこなかった。

そうなると俺は小1の弟を放っておけないから家に居がちになるし、夜はどうしても家で2人ぼっちになって、

母さんが作ってってくれたご飯やら買っておいてくれたパンやらを食べて、テレビを見たり2人で小突きあって時間を過ごした。

そんな俺らに救世主が現れた。隣の家のばあちゃんだ。いま思えば60代前半のばあちゃんは

「おばあさん」ていう歳ではなかったのかもしれないが、俺らはばあちゃんて呼んでた。

ばあちゃんとじいちゃんは、月4万5千円のボロ戸建てに住む俺らの家の隣の、それなりに広くてきれいな一軒家にずっと2人だけで住んでた。

日本家屋って感じの畳部屋ばっかの家で、中庭があってっていう少し広めの家だ。2人の子ももいたけど、あまり見かけたことはない。

ばあちゃんとの出会いは、笑っちゃうんだけど、柿どろぼうだった。

ばあちゃん家の庭には大きな木が何本かあって、中でも2階以上の高さの柿の木は、毎年沢山実をつける。

俺らは塀越しに手を伸ばして棒とか使ってとってたんだけど、ある時、「上の方のならもっと獲っても気づかれなくね?」

ってなって、こっそり隣の庭に入って木に登って獲ってたんだ(普通にDQNだな)。

ガラって音がして家の窓が開いて、あ、ヤバイってそっちを見たら、にこにこしたばあちゃんが顔を出して、「おとなりの●●くんと●●くんね」って言われた。

俺らは怒られるものとばっかり思ってたから拍子抜けして、「こ、こんにちわ~」って間の抜けた返事しかできなくて、

そしたらばあちゃんが「柿が好きなの?沢山持って帰りなさいね」って。

「え、いいんですか?」って聞いたら「私たちだけじゃ食べられないし、木にも登れないから、窓から手が届くところ以外は鳥のえさなの。

だったら沢山食べてもらった方が柿も喜ぶからね。お母さんに持ってってあげて」って言った。

緊張が解けてどっと安心して、ずうずうしく「あざ~す」みたいにそのまま沢山とって、ばあちゃんがくれたビニール袋に入れて持って帰った。

夜に母さんがたくさんの柿を見て驚いて、勝手に入っちゃったけど怒って無かったよって言ったら、ちゃんと謝ってこい!って怒られた。

翌日母さんに持たされたりんご持って謝りに行ったら、「そんなことよりうちにあがんなさいよ。蒸しパン沢山作ったのよ」

って言われて、またほいほい中に入って食わせてもらった。

それをきっかけにお隣によく上がりこむようになって、ご飯だのお菓子だの沢山食わせてもらった。

一度、「柿盗んでた時なんで怒んなかったの?」って聞いたら、「うちにはもう息子たちも寄り付かなくって孫にも中々会えないから、

何かあの木に登ってるところ見たら嬉しくなっちゃった」って言ってた。

今思うと、ばあちゃんも寂しかったのかもしれないし、何より隣だから母さんは母子家庭だってことを話してたと思うし、

ばあちゃんは俺らが2人だけで家で過ごしてることとか、うちがあんまり裕福じゃないこととかもわかった上でそう言ってくれたのかなぁって思う。

チビだった弟はことさらばあちゃんになついて、子犬みたいにばあちゃんの近くをうろうろしてた。

多分話を沢山聞いてもらえることとか、すごいねえらいねって褒めてもらえることとかが嬉しかったし、やさしいばあちゃんが好きだったんだと思う。

家庭環境からお察しだが、今まで周りにじっくり話を聞いてくれる大人なんかいなかったから。

そんなこんなでばあちゃんには沢山世話になって、俺が高校入って部活に精を出したり、

弟も大人びてきて友達と外で遊んでばっかりだったりして通う頻度は減ったけど、ばあちゃんは変わらず俺らを可愛がってくれてた。

ばあちゃん家に呼ばれた日のご飯は育ち盛りのおれらを意識して、どんどん肉が盛り込まれ、量もすごいことになってた。

夏は庭で花火をして、すいかトマトやらきゅうりやらを冷やしながら食べた。

(もちろん、じいちゃんも色々世話をやいてくれたし、ばあちゃんがそんだけ俺らに手をかけてくれたのもじいちゃんの広い心のたまものだと思うからめちゃくちゃ感謝はしてる)

そんな時だった。ばあちゃんが脳溢血で倒れて、後遺症からじいちゃん一人では世話が難しく、しばらく入院した後施設に入ることになった。

俺らは病院へお見舞いに行ったりしたけど施設となるとなかなか行きづらく、

施設も遠くて、大学に入って日常生活がにぎやかに忙しくなっていた俺は自然と疎遠になってしまっていた。

弟はたまにお見舞いに行ってたみたいだ。

そこから2年ほどで、ばあちゃんが死んだという知らせがきた。

母さんから電話でその知らせを受けて、俺は泣きだしてしまった。でも、泣き出してしまった自分に驚いた。

なぜなら遠くに住んでた方のじいちゃんが死んだ時は、葬式では少し涙ぐんだが、こんなに泣いたりはしなかったからだ。

堰を切ったように自然と涙がボロボロ出てきて、ああ、家族が死んだんだ、もう会えないんだっていう寂しさつらさがガーって襲ってきた。

急いで家に帰ったら、同じく飛んで帰ってきた弟がいて、顔を合わせた瞬間またボロボロ泣いて、

「にいちゃんばあちゃんが死んじゃった」って子どもみたいに泣いてて、ああ、こいつも同じなんだなって思った。

通夜にも告別式にも出た俺らはあちゃんばあちゃんってボロボロ泣いて、花入れて出棺する時はことさら泣いた。

しわくちゃになったばあちゃんが、穏かな顔で寝てるみたいで、手を触っても硬くてひんやりしてて、たまらない気持ちでいっぱいだった。

実際の孫たち(もちろん顔見知りではあった)はそこまで泣いておらず、

俺ら兄弟尋常じゃない様子に若干引いてた。

じいちゃんは、俺らのそんな様子を見て、「ありがとうな…」って涙ぐんでた。

ばあちゃんがいない喪失感は大きく、何か実感がわかないなぁってしばらく思ってた。

ばあちゃんは俺らの本当のばあちゃんだったよ。沢山可愛がってくれたばあちゃんは、本当のばあちゃん以上に俺と弟のばあちゃんだった。

血のつながりも大事だ。だけど人と人の絆には、血縁関係ないと思う。

一緒に過ごした時間や思い出が多ければ多いほど、繋がれるものなんだと思う。

から、俺らとばあちゃんを一緒に過ごさせてくれた全部と、ばあちゃん本人に感謝してる。

ばあちゃん、愛して育んでくれて、ありがとう

ばあちゃんの蒸しパンがまた食べたくてしょうがないよ。

すげえ長くなってしまった。どうしても吐き出さずにはいられなかった。読んでくれた人はありがとう

2017-09-04

二学期

暑く楽しかった夏休みが終わり、二学期が始まったのであるが、

今朝、小1の娘は泣き叫び学校行きたくないと主張してきた。

まるで告別式で帰らぬ人への最後見送りであるかのような激しい悲しみに似た号泣だった。

もはや泣き方は尋常ではなく、自力で歩くのも不可能な感じだっため、妻が通学を付き添うことでどうにかこうにか学校には行ってくれたようだ。

学校までの距離が近いのは幸運なことだった。

程なくして妻から仕事遅刻だという端的なメッセージを送ってきた。

明日も同じ状況なら、次は僕が付き添わねばならないということを悟った。

それにしても学校を嫌がるというのは、家族全体における日常生活の流れにエラーが起こるということだから、色々と難儀なことである

長い休みから一気に現実に引き戻されることが嫌だったのか、

それとも、家族が知らない学校での何か嫌なことが待ち受けているのか、確実なことは分からない。

本人が話したくなければ、無理やり聞き出すことはしないでおこう。

できるだけ早めに帰って、寛大な態度で娘と接する努力をしようと思った。

2017-07-16

祖父はもうボケていて祖母が死んだと聞かされても「そうか」とぽつり言ったと、ただ防腐処理のために連れ出される祖母を見てよたよたと歩いて出てきた

叔父と母は「わかってないのかもしれない」と言ったが祖父ボケていなくても祖母が死んだら「そうか」の一言で済ませる気がしている

感情表現の下手な一族だ、祖父介護必要になってから「君と結婚してよかったな」とつぶやいたと祖母からいたことがある、結婚して50年初めて聞いたと

告別式明日かと祖父に聞かれた、葬儀に呼ぶ親戚の話にも時折口を挟んでくる、祖父は私が小学四年生とき自由研究宇宙についてをまるまる書いてくれた、私は清書もせずに提出した

祖母祖父を置いて亡くなる心配を昨日も、亡くなる間際までしていた

祖母毎日つけている日記は昨日の日付で、ノートをちょうど最後のページまで使い切って終わっていた

2017-01-31

ちょくそう【直葬】の意味 - goo国語辞書

通夜告別式などの儀式は行わず、自宅または病院から直接火葬場に遺体を運び、火葬にする方式。炉前で読経祈祷の行われることもある。

[補説]平成10年(1998)ころから増えてきたという。

http://dictionary.goo.ne.jp/jn/145126/meaning/m0u/

http://anond.hatelabo.jp/20170130185546

2016-12-28

昨年亡くなった友人が夢に出てきたんだけどさ

去年の夏、私は1人の友人を亡くした。

中学校同級生で、ここ数年は1年に一度必ず同級生たちで集まっていた。

私は地元専門学校卒業して働いていたが、彼は地元を出て関東へ行きそれなりに頭のいい大学へ入っていた。めちゃくちゃ仲が良かったと言われればそうでもなかったのしれないが、皆で一緒に帰宅したりよく話したりはしていたのでそれなりには仲が良かった。間違ってる事は間違ってるとはっきり言える性格の人で、それに救われた事は何度もあった。

私が最後に彼と会ったのは一昨年の年末で、これまた同級生忘年会だった。酔っ払っていたので彼は先に帰ってしまったが「来年また集まると思うから帰ってきたら連絡してよ」と最後に告げた。

しかしもう今後二度と同じメンバーで集まって飲み会をする事は無くなってしまった。

原因は踏切内での電車との接触事故だった。

当時、現場は悪天候で視界がとても悪かったようで、そのタイミングで元々トラブルの多かった踏切で何か起こったらしい。

状況や遺留品からしても大学から帰宅する途中だったようで、自殺ではなく事故だったという説が濃厚である

Twitterでは「人身事故起こしたやつもっかい死ね、二度死ね」「まじで地獄に落ちろ」なんて書かれていたのを見て

ふつふつと怒りが湧いてきた。いや、関係無い人達からしたら確かに電車が遅れるのはよろしくない事なのはよく分かる。

しかし全てが飛び込み自殺ではないのはどうかわかってほしい。

そして、20代前半で遠い親戚のお通夜くらいしか行ったことの無い私が、まさか人生で初の告別式同級生とのお別れになるだなんて思ってもみなかった。「遺体の損傷が激しく対面は不可能です」だなんて言われて、結局最後に顔を見る事すら出来なかった。

そんなこんなで1年以上経ってしまったわけだが、未だにお線香をあげにも行けてないしお墓参りにも行けいない。こんな事が起きるのが初めてなのでどう伺っていいかもわからなく、ずっともやもやしている。

・・・とずっとここ最近悩んでいたのだが、考えている事が夢に出てくるのはどうやら本当らしく、昨日彼が夢に出てきたのだ。

同級生の皆でわいわいとご飯を食べているのだが、なぜか彼がいる。皆は疑問に思っていないが、自分だけか気づいているのだ。日付を見ると事故が起こる一ヶ月前。どうたら自分けが未来からやってきているようで、自分けが彼がこの後死ぬ事を知っている。

「一ヶ月後の事を彼に伝えるべきか?」「自分が伝えなければ彼はどうなるのだろうか」

ずっともやもやもやもやし続けていると彼が席を立った。私も追いかけた。そして後ろから「あの、あのさ、ちょっと」と声をかけると、彼は一言

「知ってるよ、ありがとう、楽しかったよ、じゃあね」

と言って暗闇の中に消えてしまったのだ。

そこで目が覚めた、朝の6時53分。かなり文章を端折ってしまったので短い夢に感じるが、長い間ひたすら食事をとっていたし長い間ひたすら追っかけていたのだ。今までに見たことのないくらリアルで生々しく、胸にいくつものつっかえを残していった夢だった。

そして今、バイトを終えて帰宅してずっともやもやしている。やらなきゃいけない事なんて山ほどあるのだが、ずっともやもやしていて手につかないのでこの文章を書いている。Facebook友達にもLINE友達にも連絡帳にもデータフォルダ写真にもずっと残っているから、未だに居なくなってしまった実感がないのだ。

同級生たちもきっとそうなんだと思う。その後集まる事は何度かあったが誰一人もう話題に上げる事もなくなってしまい、それが暗黙の了解となってしまった。果たしてそれが良い事なのか分からないけど、「死」という覚悟がまだ存在していなかった私達はそうするしかなかったのかもしれない。仲の良い友人とは1度だけ話したが「やっぱりこんな事は初めてだし、その時の記憶が蘇ってくるのがちょっと怖い」と言っていたので、やっぱりそうなんだろう。

ごめんよ、誰も君の事は忘れてなんかいないのだ。自分が未熟なだけなのだ。ごめんよ。

近いうちにきちんとお墓へ会いに行こうと思う。

2016-12-27

http://anond.hatelabo.jp/20161227001704

肉親の死なんてそんなもんだ。俺は親父を癌で亡くしたが葬儀告別式が終わるまでまるで他人事だった。全く実感沸かなかった。んで、式済ませて色々片付けた晩に夢に出てきたんだよ、もう嬉しくて寝ながら号泣してたら朝起きて夢オチだった。

2016-10-13

昔好きだった人が死んだ

30代中頃の男です

昔好きだった人(中学生の頃の同級生女子)が、数ヶ月前に亡くなりました。

語る相手もいないのでなんとなく書いておきます

中1の頃、初めて女の子から好きだって言われて

当時俺もその女の子のことが好きでした。

じっと人の目を見て話してくる子で

背筋の伸びた姿勢の良い女の子だったな。

放課後ホームルーム直前に

彼女「T君の好きな人教えてよ」(それまでも、休み時間にこのくだりは何度かあったが、お互い言ってなかった)

俺「・・・いや無理だよー」(目の前にいるから言えないな)

彼女「じゃあ、私が先に言ったら教えてくれる?」

俺「・・・それなら、いいよ」(誰であってもいいやと、はらをくくって)

彼女「T君」

俺「・・・」(おどろいて一瞬時間が止まり

俺「俺も、Kさん

ちょうどそのタイミング

先生「じゃあホームルーム始めるぞー」

ってことがあったな。

それで、その後すぐに1回告って、つきあって欲しいって伝えたけど、ダメで。

相手がなぜだめだったのかを、告った緊張で当時聞き漏らしたが、その後も暫くは好きでいてくれたようだった)

はずかしくて話ができなくなって

なんかいろんなことどうでもよくなって、クラスのみんなから下ネタで笑いをとるような男になってったな。

高校の時にもう1回告ってフラれて。

最近どうしているかなーなって、たまに思い出してたんだけど。

つっても同窓会以来で10年以上会ってなかった。

告別式に参加した友達の話だと今は3児の母だったらしい。

家で心不全で突然倒れたんだと。

旦那が家に帰ると、倒れてて間に合わなかったらしいが、その時、幼いこどもは近くにいたのだろうか。

なんで彼女・・・。命ってほんと儚いな。

たまに彼女笑顔を思い出してみよう

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