はてなキーワード: 齟齬とは
(1)anond:20221023223518からの続き
いくら視覚的な識別手段が機能しない状況下で重要な働きをするとはいっても、これらの三感覚によって人間は、本当に相手のことを知ること、理解することが果たして出来るであろうか? 例えば、聴覚によってパートナーの本性を知ることが、人間に出来るであろうか? 正直に言えば、私はそうは思えない。
例えば、和漢朗詠集などに収められている和歌に次のようなものがある。
「いつはりの 無き世なりせば 如何ばかり 人の言の葉 嬉しからまし(もしも、この世界に嘘[ウソ]というものが存在しなかったならば、どれほど素直に、想い人の口にした言葉を喜ぶことが出来ることか)」
二人きりの閨(ねや)で同衾して、耳元で甘い愛の言葉を囁かれても、それでもなお。これは、そういう歌ではないかと、私には思える。あるいは逆に、愛の言葉を幾ら紡いでも、想い人がこの歌のようなことを言って信じてくれない。そういう人の役割を演じて詠まれたとも考えられる。
このように、視覚が働こうが働くまいが、嗅覚・聴覚・触覚が働こうが働くまいが、それらの感覚によって得た情報から築き上げるパートナー像は、畢竟、想像の産物であって、実像とは異なるところがある。したがって、引用した箇所に示した小松和彦の言葉「想像力による夢幻の世界における営み」という記述は、現実を的確に表現した、極めて正しいものであると言える。
ただし、そのような現実を突きつけられた時に抱く感慨が、男と女との間で大きく異なるのではないだろうか。
視覚的な情報を強く志向する男という種族は、その視覚の働かない状況下で、代替手段として精一杯に駆使した嗅覚・聴覚・触覚によって得た情報を元に、必死で作り上げたパートナー像という理解が、単なる想像の産物に過ぎないと言われたら、大きな心理的ショックを受ける人が大多数なのではないだろうか。
それとは対照的に(と言っても私は女性ではないから、あくまでも私の[それこそ]想像に過ぎないのであるが)、女性の多くは、昔の人でも現代人でも、仮に「視覚によってであろうと、嗅覚・聴覚・触覚によってであろうと、あなたの得たパートナー像とは、あなたの想像の産物に過ぎませんよ」と言われたとしても、案外あっさりと「そうでしょうね」と言って受け止めることが出来る人も少なくないのではないか。そのように私には思える。
もし仮にそうなのだとしたらの話ではあるが、それは「覗き見の禁忌」の本質として小松和彦も指摘した、あの「『本来の女性の姿』を晒すことの禁忌」によって、多くの女性が日常的に、好むと好まざるとにかかわらず、化粧その他の余所行き用の装いを強いられる経験、すなわち「今現在(明かりの存在する状況下≒現世)の我々が互いに見ている/見せている姿は、そもそも仮の姿である」という経験を積んでいるからではないだろうか。だから、上で述べたような「想像力による夢幻の世界における営み」と言われても、女性の心の中では男性のようには齟齬や混乱を生じ難いのではないだろうか。
もしかしたら「虫愛づる姫君」の中で言われる「鬼と女とは人に見えぬぞよき」という言葉は「本当の自分を他人に見せること/知らせることが許されないのは、辛いことである」という抑圧の面と同時に「本当の自分を他人に見せずに/知られずに済むのは良いことである」という解放の面をも併せ持つ、アンビバレントな言葉なのではないだろうか。
『鬼滅の刃』の作者である吾峠呼世晴は、女性作家であると推測されている。だから、ここで私が言うような「嗅覚・聴覚・触覚により相手(人間)の本性を看破・把握する[できる]というのは、畢竟、幻想に過ぎない」ということも「女は本当の自分を隠さざるを得ないように強いられている」という現実も、先刻承知の上で作品を執筆したものと思われる。
『鬼滅の刃』の主要な女性キャラクターには、胡蝶しのぶ、栗花落カナヲ、甘露寺蜜璃のような「本当の自分を他人に見せられない/見せられなかった」という女性たちが登場する。その中でも、胡蝶しのぶの印象深い場面として、竈門炭治郎の鋭敏な嗅覚によって「何か怒ってます?」という言葉を掛けられ、彼女の心の裡に秘めていた鬼に対する強い怒りと、その元となった深い哀しみの感情が察知されるという場面がある。この描写には「虫愛づる姫君」の「人に見えぬぞよき」という言葉に類似する、女性のアンビバレンスが込められているように私には思われる。亡き姉の生前の笑顔溢れる姿を理想像として、それを模倣して演じているとはいえ、胡蝶しのぶには、甘露寺蜜璃や栗花落カナヲとは異なり「本当の自分」を隠すべき強い理由は、さほどないようにも思えるが、しかし、それでも何らかの理由で思いを隠したかったのであろう。その上で、他人から隠したいという思いと他人に知って欲しいという二つのアンビバレントな思いを、胡蝶しのぶは抱いていたのではないだろうか。炭治郎に本当の感情を察知された時の胡蝶しのぶの表情には、そのアンビバレンスが顕れているように見えたと言ったら言い過ぎだろうか。そんな胡蝶しのぶに似た女性は、現実の世界にも多数存在するように思われる。
そのような思いを抱いて生きざるを得ない女性たちに対する、救済の思いを込めて、嗅覚により心の本音を察知するという描写を『鬼滅の刃』の作者・吾峠呼世晴は生み出したのではないだろうか。
それは虚構に過ぎないかもしれないが、それでも「この世界と人よ、斯くあれよかし」という、慈しみを込めた虚構である。
そして、そのような虚構には捨て得ない価値があると、私は思う。何故なら「過酷な現実を知っても、それでもなお」という、表現者としての覚悟のようなものを感じるからである。
(了)
(2022/10/25追記)香り・嗅覚による本性の察知・看破または偽装について論じるならば、珠世様の血鬼術にも言及するべきであった。完全に失念しており、これは初歩的なミスである。お恥ずかしい限りである。
なんか両極端な感想が多いのは、あえて主語を大きくして言うと「男性には忌避される」「女性は受容しうる」物語構成になっているからだと思うな。
https://anond.hatelabo.jp/20221022121601
この感想、読解について少し思うところがあったので書いておきたい。自分は漫画よりも演劇とか脚本の方が馴染み深いので。
最初に書いておくと、他人様の人生や他所のご家庭に物申せるほど人生を生きてないので、あくまでも"漫画"や"作劇"としての話になるよ。
まず、エッセイなんだから随筆、いわゆる散文であって、そもそも構成やパターンが無い。何しても良い。
そういう意味で、例えば三幕構成じゃないとか起承転結が無い、みたいな批判はできない。
別にエログロじゃなきゃいかんとか、カタルシスが無いと、みたいなのも無い。
じゃあ、何を言いたいのか、それは伝わってるのか、という点だけ気にすれば良い。
その意味で、"ある特定の読者には受容される"お話の流れになっていると思う。
それが、"漫画が読めるハッシュタグ"と銘打つには弱いのがポイントだと思う。
良い点と悪い点をリストアップしてみる。
最初に"受容される理由"からだけれども、共感を得られやすい物語構成になっている。
多かれ少なかれ自身ではどうにもならない理由で嫌われたり上手くいかないことは、まあ良くある。
そして、それを克服するのではなく、受け入れる、その上で前に進むというのは、前向きなメッセージ性を持つ。
だから、特に前半の「生きているだけで嫌われる」という部分に共感する人には、とても良いコミックエッセイになっていると思う。
次に"忌避される理由"だけれども、何の解決も行われていないから、に尽きる。
例えば、嫌われる理由が最後まで明らかにならない。"生きているだけで嫌われる"ことが自明のこととして描かれている。
空気が澱んできた、という描写も、特に解消されない。なんかよくわからないけど嫌われる、そして虐められる、という流れが覆らない。
そうすると、わが子を見て「ただ生きているだけで嫌われることがありませんように」という祈りは、ゾッとする描写にしかならない。
なんなら笑顔じゃなくなったわが子と折り合いが付けられない可能性すら感じさせるコマで終わっている。
(コミックエッセイなんだから好きにしたら良いんだけれども)一般受けする形式に寄せる場合ね。
例えば、包丁を突き付けられるっていうのは結構インパクトがある。そんなバイトある?と思うかもしれないけどワリとある。
俺は一度角材でぶん殴られたことがある。まあ、工事現場で交通誘導に失敗したからなんだけど。
まあ、「ドタマかちわったろか!」みたいなのは、生死に直結してしまう職場では結構ある。
だから、例えば調理場で色々言われて慌てふためいて、フライヤーの油を高温のまま床にぶちまける、みたいな事故も起こる。
「作業中閉めるな」と書かれた札をうっかり見落として、閉めて鍵をかけたうえで、定時に職場に自分しかいないので困って鍵を持ったまま自宅に帰り、次の出社日に返せば良いかとノホホンとしていた実例を知っている。(警察沙汰になったが幸い閉じ込められた人は無事)
何でこんな話をしたかというと、「あの包丁を突き付けられたのには、実はこういう前フリがあった」という対比があれば、ずいぶん違ったと思うから。
そういう意味では発達障害を持った人にとっては、これは"話を盛る"って部分にあたる。
「私が調理場に入ると、いろんな人にフォローしてもらっていた。それは私だけだったかも」とか。
「手順書や説明書が理解できずに、いつも必死に努力して自分なりに書類を埋めていた」とか。
「事務職で無視されるようになったきっかけは、自分では努力しても覚えられないので、同じことを5回ほど聞いた時だったかも」とか。
捏造してでも、「なぜ」を入れることで、「虐めや悪意」が「怒りや失望」に転換される。
自分のせいじゃなかったんだ、発達障害だから虐められたんだ、この子は虐められないと良いな、少なくとも私は理解者だよ。
これは、共感する人もいると思うし、受容されやすいメッセージ性を持つと思う。
まったく同様の意味合いで、これがホラーの導入部だと受け取られたり、苛立ちをもって忌避される構造を持っている。
ある人が日本の職場で生きづらい特性を持つ、そういう人も生きやすい世の中になると良いね、というのと
その特性が職場のどこかに負荷をかけたり、ことによって生き死に関わる危険を持つというのは、同時に満たせてしまう。
でも、件のコミックエッセイにおいては、虐めとして表現され、自分のせいじゃなかったと安堵までされている。
受容の物語が、"自身の受容"以外を一切排除した形で描かれると、忌避感を持たれやすい。
これは、夫や両親、友人や過去の同僚への回想でも良いけれども、他者とのやり取りを通じてその受容が描かれると忌避されることがグッと減る。
もしくは職場では無くて人間関係で悩んでいたという前半部に置き換えて、いまは特性を理解してもらえるよう人間関係を構築しています、とか。
他者を交えた分かりやすい受容の物語の方が、受け入れられやすい。
結構な数の物語が、ある障害を乗り越えるもしくは乗り越えられなかった、というパターンを持つ。
前半部で示された障害が「虐め」であり、乗り越え方が「受容」であるなら、オチは「許し」であろう。過去虐めていた人を許す。
前半部で示された障害が「生き方(労働)」であり、乗り越え方が「受容」であるなら、オチは「生き方を変える」であろう。労働以外に生き方を見出す。
つまり、「生きづらさ≒虐め」を「受容≒私のせいじゃない」としてオチが「祈り≒理解者」とすると、次の展開は「わが子が虐められる≒生きづらい(≠私だけはわかってあげられる)」になってしまう。これは「虐め」という障害を、「受容」して乗り越えた結果になっていない。わが子にバトンが繋がってしまっているがゆえに、解消が行われなくなっている。
いまのままだと、わが子にも同じ苦難が待ち受けており、特にそこに救いはない。
(辛い時期に「お前も結婚して子供を持てば救われるよ」と母から言われるのってバッドエンドでは?)
逆に言えば「わが子が虐められる≒生きづらい≒私だけはわかってあげられる」にするのであれば、障害は「誰もわかってくれなくて苦しい≒理解者がいなかった」にする必要がある。
この場合は、「理解者がいない」という障害を「診断結果を受け入れた自分が理解者になる」ことで乗り越えて、オチが「わが子には理解者がいる(私はダメだったがこの子は大丈夫)」になる。
エッセイなんだから自由なんだけど、狭い読者層向けのつもりで一般的な人に読まれるハッシュタグをつけると、齟齬が生じて疲弊することがある。
あんまりエッセイ漫画では乗り越えられなかったパターンを見ることは無いんだけど、実は演劇なんかだとそういうのも良くある。
まあ、「失踪日記」とかは乗り越えられていないパターンになるのかな。あれも他者の目線が入ることでああ困った人だなあでも楽しそうだなあ関係者の皆さんは大変そうだけど、みたいな可笑しさが生まれていると思う。
そういう意味では作劇とか全無視して、とても良い質感のクソ職場の虐め描写と同じ質感で今の家庭の会話を描き出すだけでも、かなり一般からもらうフィードバックは変わると思う。
一部読者が「私はわかってるよ」とラブレターを出すだけで救われる作者が多いのは事実だけど、やっぱ一般受け狙うなら一般に受け入れられやすい構成の方がお得よ。
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1602904.html
(一部抜粋)
ひろゆきさんが提示した21日午後7時から取材をインターネットで配信することを前提に調整を進めてきた。配信は仲介者のユーチューブ・チャンネルを想定していた。
~
・最初から第三者のYoutubeで取材内容を配信して公開することについて事前で合意したので間違いない。
・その時点では具体的なチャンネルについては指定がなかった。(おそらく)
・その後、10/19に具体的な配信先がFM軽井沢であること、生配信であることがひろゆきから連絡された。
ひろゆきは取材の打診時点では配信先を確定させていなかったのが分かる記録がある。
10/18のFM軽井沢の放送にて、ひろゆきが放送局に配信について交渉してる場面がある。
https://www.youtube.com/watch?v=iu-0JrsEBzo&t=2836s
19日に条件を報告したので、配信先について連絡したのがこの後だ。
メディア側の常識として、取材をする側が独占的に第一報を出す権利があると思っている。
琉球新報は新聞なので、どんなに早くても報道は翌日以降となる、
生放送されてしまったら、取材しにいったメディアなのに後追い報道になってしまう。
これではわざわざ取材しにいく意味が無くなってしまう為、琉球新報は当然第一報の権利がある録画配信となるのが当然だと認識していた。
一方ひろゆきはYoutube上での配信というのはライブ配信を含んだ概念であり、生放送も当然含まれると考えていた。
ひろゆきは自身のYoutubeチャンネルでもほぼライブ配信しかやってない。ひろゆきにとってYoutube配信とは生配信のことなのだ。
Youtubeで配信を条件に取材を受けるというのは、ひろゆきからしたらライブ配信を含んで当然の話なのだ。
・21日午後7時から取材をインターネットで配信することを前提
という表現は取材をライブ配信することを当初から意識してるなーという印象だ。
19日に具体的な配信チャンネルと生放送であることを伝えられて琉球新報はビックリ仰天!お断りするハメになってしまった。
ひろゆきは当初の想定通りの条件を確定させただけなのだが、琉球新報は当たり前と思い込んでいた録画配信の条件でないことを条件追加だと思ったのだ。
これは双方の認識の齟齬が引き起こしたものであり、どっちが悪いというのは微妙な話だ。
ライブ配信で決定するというのは新聞社からすると、独占的に取材記事を出せる立場から、後出しで記事を出す側に逆転してしまう。
スクープを出す側から提供する側になってしまう。ライブ配信で取材をするという意味はオールドメディアのアイデンティティを潰す位の話なので。
それを今まで条件に無かった!追加だ!というのはメディア側の驕りも含んでるかなーとも思うけど、
ひろゆきもメディアの特性を理解した上で意図的に新聞社の取材価値を潰しにいってそうでカスだなーと思うのでした。
https://twitter.com/hirox246/status/1583360777259712512
ひろゆき「言った言わない」になるから公開のLiveでやりたい。
↓
↓
琉球新報「条件が追加されたため、準備が整いませんでした。」
どこに追加の条件が?
↑の増田。
追記↓
文章中で結構疑問文あるけど、それらはお互い面倒くさいだろうから全く答える必要なし。なんなら返信自体くれなくていい。それよりゆっくり考えて。善人を騙るのであれば全部読んで端的に反論して俺を納得させろ。
個人的に、善人って名乗る奴は荒らしとか誹謗中傷する奴より苛つくんで、つい噛みついた。悪かった。
俺以外の誰かが漫画とかで正義感養うこと自体は否定しない。ただ「完全に理解した」で思考停止するのはバカのやることなんで、気をつけて。
追記↑
ちゃんと律儀に返すのは誰にでもできることじゃない。
さんざん小馬鹿にしてくる俺のことを本心でどう思ってるかはともかく、そこは元増田の美徳だと思うわ。
あえて断言するけど、元増田は善人ではない。
これから結構キツいこと言うけど、善人でありたいと願うなら、俺がこれから偉そうに言うことを肝に銘じとけ。
ちなみにかなり長いから、あんま傷つきたくないなら最後のまとめだけ読んで。
1つ目に関してはまあ善行でいい。
3つ目は正直、俺からすると「いただきます」「ごちそうさま」並に当たり前で日常の行為だ。自ら善行と宣言するにはいちいち覚えてられないほど小さい。
追記↓
感謝って何か分かるか?
感謝ってのは、相手が先に何かしてくれた結果、それを得難いものだと思ったから出てくる気持ちなんだよ。
つまり、「相手が先に何かしてくれた」の時点で相手にとってはマイナスで、感謝の言葉を伝えたところでマイナスが精々プラマイゼロにはなっても、善行と呼べるほどプラスになることはない。
この場合善行と呼べるのは元増田の行為じゃない。先に施してくれた相手の行為だ。
そこに気づいてない時点で考えが浅い。
追記↑
重要な情報が2つ抜けてる。「誰に譲ったか」と「席を譲るまで元増田がどのように席を確保していたか」だ。
情報を補足して、たとえば「電車で席に座っていた元増田は、目の前にいた高齢者を見て席を譲った」だとする。
このような場合だと、やっぱり自ら善行と宣言するには弱過ぎる。
別に高齢者じゃなくて妊婦でも子連れでも障がいのある人でもそうだけど、大抵の人は一、二回遠慮するもんだ。そういうやり取りによるストレスが、座れたことによる安心感を上回る場合もある。
さらに、目の前に席を譲る対象がいなかった場合、元増田は「誰に席を譲ろうか」と考えて車内を見回すだろう。その選択はどのようにしている?自分の中で優先順位があるんじゃねえの?見た目じゃ分からない辛さを抱えてる人だっているだろう。ホントにそれは善行なのか?
俺からしたら、席を譲るというのは独善的な行為だ。譲らないよりはよっぽどマシだけど、「不良が子猫を拾う」みたいなもんで自ら宣言するほどのものじゃない。
それに比べたら、「電車ん中?譲ったりすんの面倒だからずっと立ってる」って奴の方がよっぽどまともだ。
元増田自身が普段は座ってないと辛いタイプの人間だったらすまんけど。
てか、それくらいのことしか挙げられないの?本当に小さすぎる。それくらいならいくらなんでも俺だってするぞ。
駅構内で明らかに困ってる男性外国人に声かけて乗るべき電車教えたらめっちゃ感謝されて無理矢理駅構内の回らない寿司奢られたとか普通にある。いやこれは俺的にすげえ対価貰ってるし、善行じゃねえけど。
追記↓
ちなみに上記以外にも道案内したことが何度かあるけど、俺は八方美人しがちで「人助けしてる俺カコイイ」って欲がある。だから俺の道案内は善意じゃないし善行でもない。自慰行為にたまたま近くにいた他人を巻き込んだだけ。
追記↑
「良い結果」ってのはその他人にとっての良い結果なの?それとも元増田にとっての良い結果なの?
元増田の善意による「良い結果」が人を殺したら、元増田は事後的にその善意についてどう考えるの?反省するの、しないの?
「良い結果」と、「良い結果が人を殺した」って事実とをどう(追記:「どう」っていうのは、「人を殺したり、他人に迷惑をかけた」以外にもどこかに影響が出てる可能性があるだろ、その影響範囲の内外を線引きする覚悟は出来てんの?みたいな意味)天秤にかけて、誰が(追記:どちらがより悪いかを)判断するの?
考えが浅すぎる。善人を名乗る決意が安っぽすぎる。むしろ一周回って悪人に見える。鱗滝左近次だって色々言ってるだろうが。漫画からなんも学んでないじゃん。鬼滅読んでないなら知らんけど。
学の無さや配慮の無さ、怠惰性がたたって良い結果にならない事があるのは自分でも認めるところですが、基本的に他人には善意を持って接したいと思っていますし、自分に関わった人間には良い気持ちでいてほしいと心から思っています。
と言ったな。
これを俺は、元増田が「俺は基本的に善人である」と個人的に思っているのだなと捉えていた。
で、俺の質問「元増田の思う『善人』の定義は?」に対する回答はこうだ。
上記のような想い(善意)を持っている人間は「善人」かなと思います。
おいおい。
それ最初(追記:元記事の時点)に言わないといけないやつだろ。
元増田は以下のどっちなんだよ。
どちらにしろそれ以外にしろ、善人でありたいなら「善人」って言葉に対するそのクソ甘い認識は改めろ。
「自分は善人である」、そう思うのは自由だ。自己暗示かもしれないし。
だけどそれを人前で言った瞬間に、その言葉は元増田自身の定義「二分されるものでなくその時の状態を表す」をもって矛盾か、嘘か、傲慢になる。
その矛盾や嘘や傲慢は、自覚のありなしに関わらず、少なくとも俺にとっては悪意以外の何物でもない。
かろうじて元増田にとって悪意ではなくても、その矛盾や嘘や傲慢は、善人であろうとすればするだけ元増田自身を苦しめるだろうが。
その定義に沿うなら、せめて「俺は常日頃からできるだけ善人の状態を維持したいと思ってます」と言え。
明文化するのは難しいですが「社会で生きていく中で他人とのトラブルを避けることができるような考え方、マインドセット」という感じですね。
でもそれ(追記:元増田の定義)、元記事の「善意を良しとする考え方(正しい正義感)」と何か関係あるんか?
要は事なかれ主義ってことだろ?そうとしか読めねえよ。(追記:元増田の言う)善意だとか正義感とかと全く関係ない。
長い追記↓
いやも〜、この言葉がまじで意味分かんなすぎて、俺、あんま考えずに強い言葉で断じちゃったよ。
お互いの認識に齟齬があるかもしれないから、修正するために補足する。修正できるか分からんけど。ややこしいし。
まず、「善意はその主観的な〜」の「その」ってのがどれを指してるのかすっげえ分かりにくい。
指示語(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/指示語)の多用は読者に要らぬ誤解を招きやすいから気をつけた方がいいよ。俺も気をつけるわ。
で、今んなってよ〜く読むと、なんとな〜く「その」は「誰か」のことで、「その主観的なハッピーエンド」は「誰かの視点で納得のいく、モヤモヤとしたものが残らない結末」のことなんかな〜ということがかろうじて分かる。
すなわち「善意はその主観的なハッピーエンドの押し付け」を読み替えると、「善意とは、『対象自身が納得でき、かつモヤモヤとしたものが残らない結末』を、同対象に対して押し付けることである」ってことになる。
いやいやいや、分かりづれえって。
俺はさあ、この記事を書いた当時、「え、意味分かんね」ってなった後ちょっと考えて、「その」は直前の「善意」のことなんかなと思ったんだよ。
そうすると、「善意はその主観的なハッピーエンドの押し付け」って言葉は、「善意とは『元増田が主観的に考えたハッピーエンド』を『誰か』に対して押し付けることである」って読める。
違うんだな。やっと分かった。あ〜疲れた。
以上の追記と、元増田が思うハッピーエンドの定義を総合し読み直して、ついでにちょっと言葉遣いもアップデートして俺の主張をあらためると、以下のようになる。
ハッピーエンドを押し付けるとき、対象が善人の状態か悪人の状態かは気にしねえの?「善人悪人は二分されるものでなくその時の状態」なんだろ?
押し付けるときに善人か悪人かで結末が違ってくるかもしれないし、同じ結末でも善人か悪人かで納得したりしなかったりするんじゃねえの?
元増田は対象に、ハッピーエンドを押し付けることの合意を事前に取るの?取らないの?
合意を取るのであれば、ハッピーエンドを押し付けるのは元増田であるって情報は対象に知らせるの?知られないようにするの?
合意を取らないのであれば、どうやって対象が求めるハッピーエンドを導き出すの?
ていうかそもそも「結末」ってなに?どの時期・どの場所・どの目標にゴールポストを置くの?置くところは誰がどういう基準で決めるの?
たとえば、一旦元増田の善意でなんらかの形で結末の位置が決まってハッピーエンドを迎えた善人が、後の人生でバッドエンドを迎えたらどうすんの?心を痛めるの?反省するの?あるいはバッドエンドを迎えないようにその善人の一生をずっと見守るの?それともハッピーエンドの後については関知しないの?
もうね、いくらでも出てくる。正直ツッコミどころが多すぎてキリがない。
「あっ、元増田はハッピーエンドが好きなんだね〜良かったね〜」ってことしか分からない。
なんで俺がわざわざネチネチこんなにツッコんでるか。
ツッコミの回答がどうあれ、元増田の善人を標榜した上での態度は無責任なんだよ。
対象が考えるハッピーエンドが「人類滅亡」とか「不老不死」とか「異世界転生」とか「世界平和」とかだったらどうすんの?
一応元の主張も残しておく。
追記↑
誰かって誰?特定の第三者?ランダムに選んだ第三者?元増田?その人自身?それとも不特定多数の人?
モヤモヤとしたものが残らなければ良いんだったら、バッドエンドだってそうなり得るだろうが。その「誰か」が具体的に誰を指すかは知らんけど、いずれにせよ元増田の定義により、「善人の状態」とは限らないんだから。
主観的なハッピーエンドの押し付けは、それはもう全くもって善意じゃねえ。
全体的に考えが浅い。徹頭徹尾、自己中心的で曖昧模糊で矛盾が多すぎる。
ただただ黙々と善人で「あろうとして」、何かに尽くした元増田の言動を、元増田の意志とは関係なしに「たまたま」見た「誰か」が判断するんだよ。
だから「誰かにとっての善人が、他の誰かにとっての悪人」ってことが起こる。
善人ってのは、自分で名乗るもんじゃねえんだよ。んなもん、言った瞬間に、元増田の想定しない「誰か」にとっての嘘になる。想定してる「誰か」だって幻滅するかもしれない。「森羅万象にとっての善人」なんてあり得ねえんだから。どっかにいるんなら具体例を挙げてみろ。
誰かにとって嘘と判断されることを受容できてなお善人を自ら名乗るってんなら、元増田はもはや善人じゃない。いつでもどこにでもいくらでもゴキブリみてえに湧いてきやがる、クソったれな偽善者だ。
んでもって善意とは何かと考え続けろ。
これは漫画百万冊読んだくらいじゃ到底解決できない。ひたすら長くて、複雑で困難で苦しくて、だけど唯一真っ当で、一生つきまとう課題だ。
出版社による「編集」というのは大きく分ければふたつの側面がある。
「雑誌 (とか出版社として得意な種類の出版物) を企画してそれに沿うように作家を監督する」という企画者としての編集。
「作品を成立させるための資料集めや手続き、マーケティングなどを行う」という代理人としての編集。
漫画やラノベなどのエンターテイメントは前者寄りになる。 出版社の意向に従えという力が強く出る。
作品の質が一定以上に面白いということは当然の大前提だけど、人気が出るには広く人目に触れるというのが重要なので広告力がものをいう。
まず存在を知っているという前提がないと選択肢に入らないんだから当たり前だよね。
更に言うと単純接触効果と呼ばれる現象があって、内容にかかわらず頻繁に目にするものには好感を持つものなんだ。
誰もが知っている大人気作品である「ワンピース」「名探偵コナン」「プリキュア」などより面白い作品というのは世の中にいくらでも埋もれているよ。
でも、これらに人気があるのは大手が大々的に広告しているからだ。
作品の人気に作家が貢献している割合というのは (たぶん作家自身が思っているよりは) ずっと小さい。
とはいえ、前述の「一定以上に面白い」というラインを越えられる作家すら割合で言うとそんなに多くは無い。
そしてどれが一定以上に面白いと思ってもらえるかってのは事前にはわからん。
だからある程度には多様性を維持するしかないし、その中でもなんとかウケる手法を確立しようと出版社は努力する。
ウェブ上に投稿された素人作品の内でそこそこ人気があるやつを出版するという方法。
ある程度はウケているということがわかっている作品を出版する形になる。
どうすればウケるのか考えなくなるし、作家を育てるということもなくなる。
「倫理観の共有」をするためには、
そもそもどこにも嘘はないと思っている人もいるし、あなたが嘘だと思っている点が誰かにとってはそうではないかもしれない。
倫理観の共有っていうのはその先にあるんじゃないのかな。
というわけで自分が検討した5つのポイントを共有し、最後に倫理観の共有を試みてみるよ。
対象:座り込みを行っている人達が24時間座り込んでいないこと
理由:辞書に「座り込みとは24時間座り込むこと」と書いてあるから
調べてみたけど、24時間座り込むことが座り込みだと書いてある辞書は見つからなかった。
どの辞書にも座り込む時間についての指定は特にないから、何時間座り込んでいれば座り込みと呼ぶかは特に決まりがないみたい。
2019年に河村名古屋市長が表現の不自由展への抗議のため行った座り込みは7分間だったみたいだけど、まあ座り込みは座り込みなのかな。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/takashi-kawamura1008_jp_5d9bf259e4b09938980543a6
対象:座り込みを行っている人達が24時間座り込んでいないこと
理由:あなたが「座り込みとは24時間座り込むこと」と思っているから
これはね、座り込みをやっている人達は「座り込みとは24時間座り込むこと」と思ってないんだよ。
座り込みの参加案内にも「座り込み時間は平日の午前8時から午後4時までです」と書いてあるから、それが彼らが決めた現時点における座り込みのルールなの。
(あとは参加案内にはないけど「搬入車が来るタイミングで座り込みます」もか)
https://lovehenoko.org/%e5%ba%a7%e3%82%8a%e8%be%bc%e3%81%bf%e5%8f%82%e5%8a%a0%e6%a1%88%e5%86%85/
少なくともそのルールに基づいて座り込みが行われている限りは嘘ではないよね。
別の観点で「世間一般で使われている意味と違うから嘘」と言う人もいるけど、ある言葉についてよく知っている人とあまり知らない人の間で意味に齟齬が生じることは結構あるよ。
2点目も嘘ではないと判断した。
ちなみに世界各地の座り込み(sit-in)運動を紹介してくれてる人がいるけど、世界規模で見ると「座り込みとは24時間座り込むこと」は共有されてない感じ。
https://twitter.com/tkatsumi06j/status/1577279730537365505
24時間やってそうな座り込みを探したらパキスタンの学生デモが見つかった。だけど「座り込みとは24時間座り込むこと」ルールに基づくなら「寝てるから座り込みじゃない」ってことになるね。
https://twitter.com/QasimBaluch/status/1578670118787108865
対象:座り込みを行っている人達が看板で「連続座り込み3000日」とアピールしていること
なんかこれを言ってる人もいるみたいだけど、看板のどこにも「連続」って書かれてないよね。
https://twitter.com/oogesatarou/status/1577827323209928704
対象:
理由:
まず、関係者は「以前は搬入の時間が決まっていなかったので24時間監視していた。今は決まった時間に搬入されるのでやめている」と言っているから辻褄は合っていると思う。
それが嘘かどうかは誰も辺野古に行って確認していないから判断のしようがないね。
次に、あなたはひろゆきさんが見に行った時点での看板を問題にしているんじゃなかったの?
過去の任意の時点まで遡って看板の記載に1つでも誤りを見つけたなら現在は誤りがなくても嘘つき認定していいってこと?その倫理観は共有できないなあ。
対象:ひろゆきさんが「座り込みとは24時間座り込むことと辞書に書いてある」と言ったこと
理由:辞書に「座り込みとは24時間座り込むこと」とは書かれていないから
ひろゆきさんは質問に答える形で「24時間してないと座り込みと言わないという定義が辞書に書いてある」と言ってるね。
https://twitter.com/atsushi_mic/status/1577552578485030912
1点目に書いた通りどの辞書にもそういう記述はなかった。だからこれは嘘だと判断するよ。
オレオレ、俺だよ。
厳密には俺の主張の帰結としては反論ではなく、元増田の情報不足に対する補足なんだけど、これは俺がそうとも読める書き方をしたのが悪いな。
「この増田の主張を前提に」俺から言わせれば、ごく稀だからこそ、取り上げることに意味がある。
俺の主張の一番重要なところは、「人間が警備する限り、起こらないってことはないでしょ」ということ。
そこを
とシチュエーションを限定して書いてしまったところは俺の反省するところだけれども。実際他の増田にツッコまれたし。
「例外的事象」については、元増田の主張を前提の発言ととればまあ、「俺は」理解できなくもない。
ただ、少なくとも明石の事故の当事者にとっては例外的事象ではないだろ?
元増田や擁護した増田についたブクマカの中にも、当事者として明石の事故に言及した人たちがいるかもしれない。
その当事者たちは、明石の事故の経験によって、元増田の主張する「雑踏事故を甘く見過ぎてはいけない」ということを身をもって知ったわけだろ?
そんななかで明石の事故を例外的事象として捉えてしまって良いのか?
んでもって、「ごく稀」とはどれくらいだ?
どれくらいの期間のうちどれくらいの件数であれば、「この増田にとって」「ごく稀」であると言える?
よく言われることだし、元増田の
の「まず」にも係るけれども、曖昧な言葉遣いは、読み手側に書き手側の意図しない解釈を与えやすく、批判の糸口になりやすいから気をつけた方がいいよ。自戒を込めて。
さて、ここでまた、このやさしく暇をもてあました俺がこの増田の代わりにちょっとだけ調べてあげよう。
まず、当初俺は「雑踏事故」というワードで調べたのだけど、「群集事故」という呼び方もされているようだ。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/群集事故
ここに書かれている内容に元増田の主張と齟齬があるようには感じられなかったので、以下群集事故を調べることにする。
調べた限り、一番事例が載っていたのはこれ。
https://www.wikiwand.com/ja/事故の一覧#群集事故
で、元増田は1972年以降の事例を(宇崎ちゃん以外に)挙げていないので、
の条件で絞り込んで拾い上げると、2001年の明石の事故までに少なくとも2件起きている。
一つずつ挙げていく。
Wikipediaには項目がなかったが、昭和54年の警察白書に事例として記載がある。
https://www.npa.go.jp/hakusyo/s54/s540800.html
ただし、警察が事故の起きた当時警備業務に関わっていたか、事前にコンサートの概要を把握していたかは読み取れない。以下白書より引用。
1月、札幌中島スポーツセンターで開催されたイギリスのロックバンド「ブラックモアーズ・レインボー」ショーで、興奮した観客約500人が開演と同時にステージに殺到し、このため、いすにつまづいて倒れた観客が将棋倒しとなり、下敷きとなった1人が死亡、7人が負傷した
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ラフィンノーズ公演雑踏事故
この公演に3000人の観客が集まり開演と同時に観客がステージ近くにまで駆け寄り演奏に興奮した一部の観客がステージに上がろうとし、それに続こうとした後続の観客が重なるようにして転倒・下敷きになったのが原因であった。この事故で死者3人・重傷1人・軽傷19人の計23人が被害に遭った[要出典]。主催者は公演前日に警察署に届出をしたが、当日は主催者スタッフのみで警備員の配置を全くしていなかったことも事故を増幅させた。
これは当時の音楽ファンの間では有名な事故みたいなんだけど、情報源を探すのに苦労した。
https://aucview.aucfan.com/yahoo/s1053964729/#&gid=1&pid=3
ちょっと目を通すだけでも、Wikipediaの記述と相違があるように見受けられる。速報だからかも知れないけど。
ことが辛うじて読み取れる。
本件に関するこれ以上の調査は図書館行って当時の新聞を読み漁る必要があり、こもりびとである俺の行動できる範疇を超える。誰か調べてちょ。
らしい。
その要綱の内容は、やっぱり探すのに苦労した。Wikipedia記載の警察庁への外部リンクはhttpでリンク切れになっていて、httpsにしてみてもnot foundだった。
代わりに見つけてきたのは↓。栃木県警が上記の要綱を受けて、内部通達した資料と思われる。
https://www.pref.tochigi.lg.jp/keisatu/n15/jourei/documents/11_2.pdf
一応、時期的にも内容的にも一致しているように見える。
詳細は各自で読んで欲しいし、俺も全文はさすがに読んでないんだけど、要綱の
警察は、施設使用公演等に伴う雑踏事故の防止対策に資するため、これら事故の過去における発生実態及び原因等の分析を行うとともに、タレント等の人気度、観客層の構成等の実態について、平素から把握に努めるものとする。
という記述をみるに、この事故は、その発生以前と以後で警察の雑踏事故に対する態度が変わったという意味で、取り扱っても良い事例かもしれない。
に、
がこの時点で加わったわけだ。
元増田は主に戦後日本の雑踏警備について話しているので、ここでは戦後(1945年以降)に限って話を進める。
群集事故件数の年次推移的な資料を探したのだけどなかなか見つからなかったので、ここは妥協して「報道されるほどの被害をもたらした事故」に限るとし、先ほどの群集事故の一覧で数えることにする。
自分で数えた限り、1945年から現在までの80年弱で、日本では明石の事故含め21件ほどの群集事故が起きている。
明石の事故の前後は、前は先述の1987年ラフィンノーズ公演雑踏事故、後は2003年の中日阪神戦でのファン乱入・乱闘騒ぎ。
ちなみに後者では死者は出なかったものの、誰が使ったか知らないが防犯用の催涙スプレーが使われたとある。なんでや阪神関係あるかわからへんやろ。
んでもって、1945年以降1972年までの28年間に13件、1973年以降現在までの50年間に8件。
当然、
といった点は考慮すべきではある。
けれども俺としては、明石の事故がというよりは、報道されるほどの被害をもたらす日本の雑踏事故自体が、数年に1〜2回程度しか発生しないという印象を持つに至った。
大きな事故は、数年に1〜2回程度。
だからこそ、恐らく雑踏警備は難しい。
ラフィンノーズ公演雑踏事故の教訓を受けて、「常日頃から情報収集に努める」という要綱を施行した14年後に、明石の事故が起きた。
そしてその主たる原因は、過去のイベントの警備計画をほぼ流用した警察らの怠慢にあった。
その14年間に色々なことがあったであろうことを隅に置いて物事を単純に捉えると、明石の事故の当事者の方々には大変申し訳なく思いつつも、警察のこの失敗に共感してしまう自分がいる。
もし俺が雑踏警備を主たる業務とする警察官(仮定が成立するかは知らん)で、5年も10年も雑踏事故が起きなかったら、全てではないにしてもいくつかの雑踏警備に手を抜いてしまう可能性を否定できない。俺怠け者だし。
長期にわたって怠慢に抗うのは、少なくとも俺にとっては、とても難しい。
おわり。
「どうすればいいんだろう」に回答する。
以下詳しく、
好きだの愛してるだのふわついた気分で結婚しちゃダメ、遊び相手にとどめておけ。
家柄や宗教やら両家の価値観全般に齟齬が無いことを確認した相手同士で顔合わせする。お見合いと言う。
結婚後のトラブルに中立な第三者が関与できるように仲人を置く。
こういうの面倒くさいと全部すっとばして、だって好きなんだもん、で
いまさら、常識が違う、価値観が違う、思ってたのと違う、死にたいて
アホですか?w
先人の叡智を蔑ろにした罰だわ
それでも結婚続けたけりゃ、価値観の異なる人間を許容すべきという価値観を周りと共有できるように努力しろ
妻の言い分も、妹の言い分も認めるしかねぇんだよ
解決しようなんて思うな、無理だから、お互い価値観が違うんだから笑って誤魔化してりゃいいんだよ
「まぁみんなそれぞれで、みんな正しいよねーーてへへへへ」
言うとけばええねん
なぁに地球が滅びるわけではない
最悪なのは自分の価値観の正しさを信じて主張し調整し周りを従わせるの
苦労が増すだけ
あー俺は元増田がキレてるって認識じゃなくて、これ以上齟齬が起こり得ないように直截的に言った、という認識だった で増田にはあくまで愚痴として書いたって感じ
その上で家族葬ってのは通例よりも家族の事情を優先するためのものだと思ってる。(人間づきあいのためにある程度通例を守ることはあるだろうけど、それは家族の事情の範囲内で)
だからこそ断られた供花を出すってのはNGだと思う。嫁さんができるのは、結婚しているんだから家族として参加する必要があると強く主張することだったと思う。
どのように叩かれているかを書くよりも、増田がどこが好きか書いてくれよ。
以下は俺が考えているそれぞれの叩かれている理由。(あくまで叩かれてる理由であって俺が嫌いというわけではない)
人気が無い理由は他の敵に比べて主張がわかりづらい、DIOありき、能力が強すぎてバトルがわくわくしないあたり。
現実に起こっていること(最新作でいうと虐待)をテーマとして扱うわりに対応がファンタジーすぎで監督の認識がおかしいと思われてる。
叩いてる側が勝手に読み取ったわけではなく監督本人がインタビューで堂々と扱うテーマについて言っているので擁護しづらい。
作品の出来ではなく過去にジオン大好きな視聴者がうざすぎたので反動で叩かれている。
暁相手に殉職というがその際の戦いがあまりにもシカマルの成長のための描写でアスマ含めシカマル以外のメンバーの頭が悪くなったように感じられたため。
作者が悪いと思う。
火影の血縁なのにただの上忍だというおいしいポジションなので「大人は劣等感とどう向き合っているのか」みたいな描写を期待していたので残念。
俺は好きだけどもっと大技あってもよかっただろとは思う。
過去作のプリキュアを登場させた代わりに本作の登場人物の描写が減ったせいで説得力が減った。
声優の演技を聞いたり書いていく内に敵側のガエリオの描写を増やしていった脚本家と、各種インタビューで反感を買う発言を多々した監督が悪い。
最終話放映直後は賛否両論だったのに監督の発言が増えるにしたがい評価してた人も言葉を濁し始めた。
MSの人気はある。
脚本が遅いせいで作画が間に合わず戦闘シーンの使い回しが多すぎたのに加え、後半はできるだけ不殺を貫いた結果宇宙空間に放置されたパイロットの問題など独善だと叩かれた。
ただこの段階では地球連合とザフト双方のトップの主張の方がヤバいため、賛否両論だった。
DESTINYには前作と違いザフトのトップの主張がそこまで頭がおかしいものではない、キラ達のゴールが見えない、アスランが所属変えすぎなどで叩かれた。
大筋が変わってないがオリジナルのセリフが多い漫画版2種の評価が高いので、制作が遅れていなければもっと評価されていたと思う。
俺は好きだけどシンがせっかく葛藤を見せはじめてから描写が減ったのが残念。
1期から視聴者から好感度の高いセルゲイへの嫌味を言う2期からの登場人物なので、単純に好感度の差。
ただ対話できた沙慈とルイスの対比として父親と対話できなかった例として描かれた人物なので製作陣の期待通りだと思う。
何も言わなかった父親の方も悪い。
ニュータイプや各種設定のオカルト要素が強すぎて叩かれている。
カミーユ最後のオーラを常時放っているようなものなので既存のガンダムファンと相性が悪かった。
語録を使っている=叩いていると思ってるかもしれないが、単純に楽しまれてるだけだと思う。
マジで叩かれている。
他のキャラが自分の理想のために何かを犠牲にしていることをが大半なので、特に何も犠牲にしてないように見えて(カレンの兄との友情が描写されなかった)どころか記憶喪失のヴィレッタを匿う、戦闘で指示が遅い、ゼロを裏切るなど視聴者のイライラポイントを確実に貯めていったため。
新作アプリで事前登録特典が扇だとわかった際の批判もすごかった。(生放送でFLOWが「扇もいいところありますので使ってみて」みたいなフォローをしていた)
最初からうざいキャラとして描かれた玉城はギリギリまでゼロを信じていたためかそこまで叩かれてない。
俺も嫌いじゃないが好きかと言われると困るキャラ。
原作では仙台に行かなかったがいつか行くために努力する主人公を周囲が見守るが、アニメでは仙台に行って諦めて帰ってきた上にこれからも都会に出ていかないだろう想像をさせる終わり方で叩かれた。
彼と編集は悪意が無いから余計に叩かれているが、監督自身がモデルなのでそう意図されたキャラであるといえる。(ガルパンの制作経緯を見ると本当にああいう発言してそう)
悪意が無い分対応する側のコストが高いので、もっと余裕のある職場なら増田のいうようにポジティブに受け取られてたかもしれない。
後半に出てくる制作は挫折した上で八つ当たりでやっていたため同情の声もそこそこあった。
stay nightの描写とこの作品との描写に齟齬があるのにも関わらず、アニメとして先に広まってしまったためこちらの描写が正史だと思われるのを恐れたファンが叩いていた。
俺も単体だと好きだけどこれを前提にFateを語られるとイラッとしてしまうかもしれない。
自分の主張優先でマスターの考えを無視をしてお互い様だったのに、マスターの方が理解が無いみたいな雰囲気を出していた上恨み言がダサすぎたので叩かれた。
人間臭い英霊がいてもいいと思うので俺は好き(恨み言はダサいと思う気持ちと両立する)
名前を大きく宣伝で使っていたため出来が良かろうと悪かろうと反響は大きい。
増田のいうとおり脚本家があんなに叩かれたの他に見た事無いのは確かだが、そもそもあんなに宣伝に脚本家の名前をアピールしたのもみたことがない。
ガンダム以外にも、任天堂のメトロイドシリーズの主人公サムスのフィギュアの試作品でも炎上してた。その後原型師が変更されデザインもゲーム準拠になった。
カトキハジメと違い、造形がどうこうじゃなく関わりたくないと思われている。
・雑誌に載せた作例を参考にした方に、参考にしたことを書いておけと直接ではなくTwitterでRTした上で言った
・セブンイレブンで購入したあんまんを入れ忘れられた際に頭にきて電話したことをTwitterに書いた(クソ店員発言)
・猫3匹をキャリー入れてTwitterに画像をあげた際に心配したフォロワーに暴言を吐いた
ゲームのシナリオを切り詰めてアニメにしたのではなく最初からアニメなので脚本の粗が余計に叩かれる。(原作のファンがいない)
アプリのヘブバンは20代以下にも受けてるようなので、KEYの泣きゲーが時代遅れなわけではなく麻枝の脚本とアニメという形式があっていない。
アニメの話数は増やせないことを理解してないのかと思うが、麻枝よりも麻枝に企画を持ちかけるアニメ会社が悪い。
本編の前にアニメ化したことと、本編のような前線ではなく実験部隊の話なのでどうしても戦闘が少ないことがあわせて叩かれてた。
原作小説が途中で止まってて先の展開が不明なことなどもあり、アニメ制作陣の責任にするにはかわいそうだと思う。(アニメ放送1年後に発売されたゲームではクリスカルートのみ。唯依ルートが描かれる小説版は2013年で刊行が止まっている)
このクオリティで本編がアニメ化されたらこの比じゃない叩かれ具合になると思っていたが、原作は原作で完結しているためかそこまで叩かれていない。
俺も唯依が好きなので生放送のたびに新情報が無いか確認している。
日本がどれほど困難な状況かが描かれずむしろ平和そうなので、レジスタンスの主人公たちが異常に見えて叩かれている。
男が幼少から女として育てられたから自認が最終的に女になったってめっちゃ性自認の開放と食い合わせ悪いよね。
それって生物的な男女、先天的な性自認をあまり考慮せず男・女として育てられたらそっちに寄っちゃいましたっていう至極普通な結果で男が男として育てられたけど内心はずっと女でしたって性自認の齟齬の苦しみとなんも関係ないっちゅーねん。むしろ無理やり外的要因で捩じ曲げることにたまたま成功したパターンのひとつだぎゃ。
そりゃブリジットも異色の経歴に分別がついてきてから苦しんだけど別に普通の人間なら普通に起こりうる範疇の話だよね。
個人的には自認は男であったほうが面白かった・気楽だったけどね。女でもいいけど。それは結局、女として育てられた影響が強すぎたっていう自己コントロールできてない後天的植え付けの被害者。被害者?みたいな背景に見えちゃうからさ。ま、そこに自認にいたるまでのドラマが生まれて生臭い話にはならんのだけれども。
少なくともブリジットは性自認と親や環境に苦しんでいる子供たちから見ての味方・ご同類ではなくて逆に敵といってもいいような立ち位置に思えるなうん。
以下の記事の追記です、事件後からなんどか似たような記事を書いてきてましたがここまで注目集めたのは初めてすね。
まだ山上の安部暗殺事件はテロじゃないっていってるアホがいる話
https://anond.hatelabo.jp/20220910005727
ブコメ↓
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220910005727
続まだ山上の安部暗殺事件はテロじゃないっていってるアホがいる話
https://anond.hatelabo.jp/20220910153218
ブコメ↓
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220910153218
だいたい定義の話をし始めたら死ぬほど面倒な言葉遊びになりかねないのは予想してましたが
予想通りめんどくさそうなコメントがたくさん来ました。前回と違ってだいぶ私の意見に共感や賛同を示してくれるコメントが増えてましたので
それはうれしかったですが。
色々ご意見あるとは思いますが、私は選挙期間で元首相の国会議員が演説中に銃撃によって殺されている事件で世界的にもテロでなかった事例はないことそれに尽きると考えてます。
どう考えてもテロでテロではないとしてる意見がこんなに目立ち蔓延ってるような状況が異常なのです…
事件からもう時間がだいぶ経過してますが、未だに統一教会をめぐる報道は加熱しこの問題収まる様子がありません。
この三つが今我々が直視しなければならない問題点だと考えています。前の記事でも書きましたが・本質的には社会的に孤立した人間が貧困に苦しんでいることは山上が
実際に孤立して貧困に苦しんでいたことで社会への不満につながりました。
何があっても暴力は容認できないと言いつつも山上に同情して・テロや暴力によって社会が実際に変わってしまっていること
結局のところこの事件まで統一教会と政治とのつながりを知らなかったという人もすくなくありませんでした。事件前でも少し検索すれば安倍晋三と統一教会のつながりは一目瞭然で
過去に何度か記事になっていましたし、明らかに政治に関心を持ってこなかった・日本人の政治への無関心さが引き起こした癒着です。新興宗教による組織票が有効的に働くのも低投票率下の選挙だからですし、国民が投票率を上げてこなかったツケが
白日の下にさらされているだけなのです。民主主義はその国の国民以上の政治にならない、我々が直視して解決していかなければならない問題だと思ってます。
frothmouth テロかどうかはハテナ村が決めるもんじゃないからどうでもいいけど、「暴力でもって社会を変容させようとする行為は受け入れられない」という基本理念は曲げるべきではないでしょうね
私も”「暴力でもって社会を変容させようとする行為は受け入れられない」”ってことは守っていかなければならないことだと深く想っていますが、テロかテロでないかは個人個人で判断できることです。安倍暗殺事件は私たちが
myogab 山上の犯行が「テロ」となる可能性はあるよ。一般的に犯行がテロとなるかどうかは犯行声明があるか否かで、そこで政治的主張が唱えられ、再犯の可能性を恫喝に使い実現が目指されればテロになる。今の処それは無い。
山上が事件前に残した手紙は犯行声明と言えなくはないですが、そもそも犯行声明があるかないかはテロでないかにはあまり関係ありません。有名な911テロは犯行声明はなくビンラディンは当初関与を否定していましたし、地下鉄サリン事件も声明はなく当初は関与を
否定していました。今回山上は組織な犯行とったことは確認できませんが、海外ではローンウルフ型と言われる単独犯によるテロが増えており、安倍暗殺事件もその類型と言えます。
kobito19 "国家等にその受入れ等を強要し、又は社会に恐怖等を与え" 別に国家に受け入れを強要してもいなければ社会に恐怖を与えてもいないよね...?
現状の統一教会のへの社会や政治への動きは国民がテロによる恐怖に突き動かされた行動と言えます。
gooeyblob まあ「あの事件はテロだから犯人の望むことは何一つ叶えてはならない」とか言わなきゃどっちでもいいわ
現状の統一教会の報道や政治の動きは正直私自身は苦々しく思っていますが、”犯人の望むことは何一つ叶えてはならない”というのも犯人の凶行に縛られた意見だとは考えてます。
あの事件からもう時間はだいぶたってますが、自分自身で答えの出せない問題はまだまだ多いですね…
fops 「結局統一教会に対する問題はこの事件の上辺でしかない」←ここが認識齟齬の根幹かな。テロの定義云々はともかく/被害の救済も大事だけど、被害を防ぐ方も重要。統一教会の被害は防げた部分が大きい
統一教会の霊感商法が問題になっていはいますが、こちらも解決策が見いだせていない問題ではあります。フランスのセクト規制法がよく上げられますがあれについて調べてみるとフランスでもだいぶ議論されたうえにできた法律で
立案当初も既成宗教団体から軒並み反対の声が上がっていたみたいで、その時の世論で賛成や反対がだいぶ動いている法律です。セクト規制法による団体の解散例についても調べてみましたがそういった例も見つかりませんでした。
個人的には仏教の戒名料やら法事代のようなことにもメスが入らないと意味はないかなとは考えていますし、フランスではカトリック等の犯罪は特に防げてはいません。
介護の派遣サービスなんだけど 求人を受けたら基本受かるから他の求人を受けないでくださいと何度も確認してきたり 受かった後にその求人に行くか何度も忠誠心を確認してきたり 仕事が決まってないのもあり一つのサービスだけ利用なんてことリスクが高すぎてできないというのを正直に答えると 取引を勧めてもらえないし 私が行ったきらケア紹介の求人はエージェントが求めた内容と介護施設が掲示してきた内容が違うため 面接中にそれを引き受けかねますとのことを私が言ったら 面接後にきらケアのエージェントが露骨に何度もため息を吐いて 仕事が受からないのはあなたの返答のせいだということを言われて そもそも情報伝達の際 都合のいいことだけ言って施設と私の認識との齟齬を感じたため 今後信用できないし 他の求人を受けるなの他 連絡がすぐに返せるかの確認のために何度も電話してきたり(メールで済む内容でさえも)施設との取引に進展がなくても何度も電話を要求してきたり こちらが要求する分には飲まないが(要望に対する返答は遅い)きらケア側の要求は何度もメールが飛んできて不信感が募るばかりで 一行目に書いたような他の求人は受けないでとの要望を鵜呑みにした結果 私が面接をした施設からは不採用を頂いた。
面接前の打ち合わせのときもコンビニエンスストアのイートインスペースで話そうとしたり正直エージェント側は派遣できればいいで行動していると思ったのだが働くのは派遣される側であって 体裁を考えてくれない態度に私は信頼を出来ない。自分たちが良ければ他のものは踏みにじってもかまわないという意図が汲み取れる。コンビニエンスストアでの打ち合わせを断ったらマンションのエントランスで始めたから常識を疑うばかりだった。
面接前の打ち合わせに早くこさせたが電話で済む打ち合わせだったため今後付き合う必要はないと思われる。
私は最初にツイたエージェントが何度もきらケアだけの利用を要求しこちらの忠誠心を確かめるような態度が不愉快なため担当を変えてもらったが別の担当も上に記載する通り失礼だし自分たちのことしか考えていないため利用はお勧めしない。
媒体が誰でも無料で読めるWEB漫画ということで良くも悪くも言及される機会が多く、作者さんをフォロー等してなくてもフォロワーさんのいいねやRTでTLに回って来て読んだことがある人が多いのではないかな。
以前までは特にジェンダー問題に関心が高い人の間で評判の良い作品といった立ち位置だったけど、俗称・山賊回(初対面の人の家に泊まりに行って、家主が寝ている間に食材を根こそぎ漁って、自分達だけ食事を作って食べたモラルハザード回)を皮切りに趨勢が入れ替わり、批判が増えて、遂に「つくたべ批判いいね罪」なる声に出して読みたい日本語まで爆誕したネタ漫画に…。
個人的に作者が描こうとしているテーマと描いている内容に齟齬があるというか、食い合わせの悪さを感じる作品だと前々から思っていたので、山賊回は論外としても、批判が起こるのもまあわかるんだよな。
LGBTQの恋愛というニッチ要素を商業作品として色んな人に読んで貰う為に、“食”という誰しもに身近で流行りでもあるテーマと融合させたんだろうけど、この2つのテーマの接続の仕方が、何とも雑で。
LGBTQ+食を題材にした商業作品というと「きのう何食べた?」が有名だけど、こっちは融合のさせ方にも全く違和感ないし、作中での“食”に対する言及の仕方などから作者の並々ならぬ“食”へ拘りの強さや熱量が垣間見えるので、LGBTQ当事者じゃなくてもグルメ漫画として面白く読めると思う。(だからこそBL畑のよしながふみにとってのアウェイである青年誌・モーニングでの連載ながら売れて、実写ドラマ&映画化までしたんだと思うし。)
他方、つくたべの作者さんは“食”にそこまで拘りがない人なのでは?っていうのは読んでて誰しもが感じる点なんじゃなかろうか。
一点例を挙げると、9/10現在の最新話であるバレンタイン回では、春日さんはバレンタインの催事に出掛けるも「ここはシスジェンダーの人達のための場所で私のようなレズビアンは存在を消されてしまう」と被害妄想を募らせ、野本さんは春日さんにプレゼントする為のチョコレートのパウンドケーキを6個試作する。
昨今バレンタインの催事は「チョコ好きガチ勢にとってのコミケ」状態となっており、一年でここでしか食べられない珍しくて美味いチョコを買う為の真剣勝負の場となっている為、女性相手のチョコを買いに来た女性が爪弾きにされる空気などない。(女性同士で贈り合う友チョコなどは昔からごく普通に行われている。)
野本さんサイドの方も、お菓子を手作りしたことがある人ならば全員が知っていると思うが、製菓用の材料というものは押し並べて割といいお値段がするし、本命用のチョコレート菓子を作る場合に用いるに相応しい種類のクーベルチュールチョコレートは結構高価である。
作者は6個も試作品を作るほど真剣な乙女心!を書いたつもりなのだろうが、非正規で低収入という設定の野本さんが練習用に濫用出来るほど安くはないはずだ。
試作品には普通の板チョコを使ったというならそれもおかしな話になる。本命用の、試作品を何個も作るようなチョコレートケーキを作るのにスーパーなどで売っている普通の板チョコを使う人がいないとは言わないが…。
作者はバレンタインの催事に興味がないのかな?、お菓子を作ったりしない人なんだろうな、と思わずにはいられない描写である。
つくたべという漫画ではこのように作者の“食”に対する興味のなさが随所に滲むので、“食に”興味が強い人ほど違和感を覚える仕様となっている。
まあ商業作家がご飯を食べて行く為に好きでもなければ興味もないジャンルの作品を描くのは珍しいことでも悪いことでもないし、それで成功するケースも往々にしてあるので(「キャプテン翼」なんかはその最たる例だろう。最近では「SPY×FAMILY」の作者が同様のコメントをして物議を醸したが)それ自体は別にどうでもいいんだけど、ここにつくたべの主人公の一人である「食べたい女」こと春日さんのキャラ設定を加えると、違和感が首をもたげる人が多くいるのは無理からぬことではないのかと個人的には思う。
春日さんは化粧っ気のない背が高くかなり太っている非常に大柄な女性で、齢30歳弱にして米の食べ過ぎで膵臓を悪くしている(と作中で本人が自己申告している。
彼女は幼少の頃に父親や弟と食事の量などで差を付けられていたトラウマから、実家を出て一人暮らしをしている現在では好きなものを好きなだけ食べるフードファイターもかくやの大食いとなった。
そんな春日さんと、料理が好きでご飯を沢山作りたいけど小食で食べ切れないから作りたいのに作れないという葛藤を抱えていたもう一人の主人公である「作りたい女」こと野本さんが出会う。
「食べたい」と「作りたい」の利害が一致した二人の女性同士の付き合いが始まって…というのがつくたべの導入であり骨子なのだが、やはり膵臓がやられていると申告している人に、本人が食べたいと言っているからといっても、大盛りの飯を好きなだけ食わせるのは虐待に等しいように読者の目からは見えてしまう。
そもそも大食いになったキッカケも男尊女卑な家柄でストレスを抱えた生活をしていたことから来る心因性のものなので、それは自傷行為に等しいのでは?とも思うし。
まあ二人はただの隣人同士であり、野本さんに春日さんの健康を管理してあげる義理はなく、「健康に悪いからもっと野菜を食べなきゃダメだよ!」などと口を酸っぱくして言い聞かせるような間柄でもない。
しかしそうは言っても、作中で野本さんは春日さんへの恋愛感情を自覚しているので、「野本さんは仮にも年上なのに、好きな相手の健康が気にならないの?」というのはごく自然に発生して来る疑問であるように思う。
心因性の大食いで既にブクブクと太り膵臓も悪くしているけどそれでも食べたい(まさに自傷行為、セルフネグレクトとも言える)女と、炭水化物と脂質ドカ盛りの料理を作って食べさせたい女。
この二人を読者が微笑ましく見守るにはあまりにもノイズが大き過ぎやしないだろうか。
春日さんのキャラ造形をBLのスーパー攻め様の女版的なバリキャリの美人OLみたいにはせず(※作者さんはもともとBLを描いていた漫画家さんだった)化粧っ気のない太った非正規のエッセンシャルワーカー女性にした理由も、作者さんが「女性差別・家父長」や「ボディポジティブ」や「脱コルセット」的なポリコレ要素を取り入れたいと思ったからだと推察するのだが、春日さんの大食いが心因性のものであるならば、それはボディポジティブなのか?となって来るわけで、そこにもテーマ同士の食い合わせの悪さを感じずにはいられないのだった。
巷ではつくたべを批判する人は差別主義者だと言われているようだけど、以上のことから、つくたべに対する批判が起こるのはごく自然的なことであり、作者の思想のせいではないと思うんだよな。
作者が描こうとしている、描きたいと思っているものは何となく分かるのだけど、そこに漫画家としての技量や扱うテーマに関する知識が追い付いてないというか。
もっと設定をシンプルにして、二人の女が笑いながら美味しくご飯を食べるだけの話でも良かったのでは?と思う。
ポリコレ要素を足したいのならもっと入念に取材をすべきだし、その上で物語に馴染むかどうかを吟味して、商業作品として良い物を世に送り出そうと思うのならば、足し算だけじゃなく引き算も行った方がいいのでは?と一漫画読みの立場から具申させていただきたい。
補足。マイノリティが活躍する作品の否定は差別だというコメントがあるけど、そういった作品の中にも当然だけどピンキリがあると思うんだよね。
例えば最近評判が良かった作品というとNetflixのハートストッパーなんかがあるけど、私もあれはすごく良い作品だと思ったし。
補足2。フェミが評価してる作品だから重箱の隅をつついてるんだというコメントがあるけど、上と同様フェミニズム作品の中にもピンキリry
くだんの少年革命家については声援も石も投げる気はないので全く私とは無縁な存在なのだけれども、ニュースサイトの見出しなどで『反対する人はアンチで嫉妬している』と書いてあったわけですよ。
だから文句を言ってくる、自分に反対の意見を言う人は自分を引きずり落とそうとしているのだ。そう考えている訳か。
だが、世の中で彼の行動に反感を持ち、あるいは反対する人のいくらかはどちらかといえば彼を『可哀想な子』とみてやしないか。
それで老婆心から学校に行けとかいう言葉が出るのだ。子供にはできるだけ幸福になってほしいという純粋かつ無責任な善意から。
おそらくここに互いの齟齬がある。
・
振り返って、彼があのスタイルで得たものや積んだ経験はそりゃ、素晴らしいものだろう。
だが、人生とは一筆書きで迷路を解いているようなものなので、とうぜん凡百の人々が普通に経験できたことを彼が取りこぼしたことも多かろう。
彼には普通の学校生活が与えられなかった。それがいい、悪いではない。
可哀想でも素晴らしいでもない。誰でも持つ一人だけの人生経験に貴賤もない。
学校に行って絶望する子もいれば、学校に通う生活を渇望する子もいるだろう。
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とはいえICUでも卒業研究は必須単位だったけども。教養学部単科大だけど、卒業年次にはメジャーと研究室を選ぶ必要がある。(しかも卒論は原則英語で書くルール。。)今は違うかな?200x年卒。
大学での学びの集大成として、ヒーヒー言いつつそれなり真面目に卒研やってる学生が多かった印象。科学者コミュニティの仕組み、論文執筆、ピア・レビューの意義について教養科目や2年次必修の英語小論文執筆を通じて学んできている。元増田みたいに軽んじる学生はあまり見なかった。
いうて文系メジャー含めても15%超が国内外の大学院に進学するので(理系だけなら体感7割)(文系でも国際機関志望とかだと修士ないと話にならん)、就職予備校的に例に挙げられると実態と齟齬があるってことで。
最近DALL・E2やmidjourneyなどの高性能お絵描きAIが一般公開されて「AIと創作」というトピックがかなりTLを賑わせている。
一方ニコニコでは、去年の暮れ頃から「AI拓也」という淫夢派生のコンテンツが安定した人気を得ている。
扱っている題材がガチで倫理的に終わっているので気になる人は勝手に調べてくれって感じだが、簡単に言うとAIのべりすとを活用して、拓也というAV男優のブログの特徴的な文体を模倣しつつ様々な短編を生成するコンテンツだ。
この最悪なコンテンツは「AIと創作」というトピックに関してそこそこの知見を与えてくれるような気がするので、現在AI拓也界隈で使われている手法について簡単にだがまとめてみる。
なお、俺はAI技術に関しては完全に門外漢なので技術のところは信用しないで欲しい。
AIが参照する学習データを偏らせることで、文体を模倣することが出来る。
これはAIのべりすとではMOD機能として実装されており、太宰治や村上春樹などがプリセットとして用意されている。
お絵描きAIでも「油画風」とすればそれっぽいのが出てくる。AI拓也ではブログを大量に学習させたMODを使用することが半ばデファクトスタンダードになっている。
AIの文章生成は、多分人間が理解している意味内容からの推論ではないのだと思う。そのため、突飛な表現が頻出する。これは多分緊張と緩和みたいな話?(よく知らん)
文章の意味は理解できるが内容の意味がわからんという齟齬が面白いんだと思う。
AIのべりすとは数字が本当に苦手らしい。そのため、〜なもの3選!とか言って平気で4とか5とか続けてくる。
これと突飛な表現を掛け合わせることで意味は分かるが脈絡のない項目が無限に生成できる。これはAI拓也界隈では「松本人志現象」という謎の名称が当てられていてかなりウケている。
AIが望み通りの結果を出力してくれることは稀である。そのために数をこなすことで望みの結果を得ようとしている。恐らくAI拓也もバズってるAIイラストもそれなりの試行回数を重ねた上でのものだと思う。
また、リセマラの過程自体が突飛で面白いものもある。何度やっても主人公が死ぬ結末になる天丼ネタなど、不謹慎ではあるが面白い。
そこで、より望みの結果を出力するためにAIに与える情報を上手くコントロールすることでより望みの結果に近づける確率が上がる。
AI拓也界隈では、語尾の設定を霧雨魔理沙にすることで元ブログに特有の〜だぜ口調を導入するとか、「Wikipediaより」と記入することで地の文を真面目にしつつ内容を突飛なものにすることでより面白い文章を生成している。
また、適宜人力による修正を加えることで方向性を調整することもある。(更には、人力による修正をAIのボケに対するツッコミと捉えて1つのウケに昇華しているものもある。こういう発想できる人がAIを使うのが上手い人だと思う)
先日「AAAゲームのスクショの方が母数が多いからそっち指定した方がより雰囲気似るよね」という趣旨のツイートがバズってたが、多分仕組みとしては同じ。
AI生成コンテンツはここが1番作者のセンスによる部分が大きい。黎明期である現在では、小技は知見として広く共有されているが、時代が下るにつれ属人性が高まったり、小技の価値が高まって情報商材としてやりとりされたりするんじゃないかなと思ってる。
ここも作者の手による部分がかなり大きい。
AI拓也は画面には基本的に文字しか表示されない。そのため、視聴者は読み上げボイスを無視して先を読むことが出来る。
適当な作者は生成した文章をそのまま貼り付けて音声をあてて投稿していることが多いが、再生数の多い動画では笑いどころとなる部分を意図的に表示させなかったり、読み上げ直前で文章を変えるなど、見せ方に創意工夫が見られる。
お絵描き界隈にはまだ見られないが、展示とかインスタレーションみたいなより規模がでかい話になるとこの辺の話も大事になってきそう。
未だにニコニコで淫夢動画を見ているやつなんて本当にひと握りなので、コミュニティがかなりクローズドなものになっている。
そして投稿される動画はさらに少ないので、伸びてる動画はみんな見ているのが前提になっている。
そのため、動画Aでの面白要素が別の投稿者による動画Bでも参照されることが多々ある。「松本人志現象」のような語録の形成はまさにコミュニティの形成によるものだ。
コンテンツの多様化みたいな話があるが、AIは無限にコンテンツを作ってくれるのでさらに多様化が進むと思う。例えばマイナーCPのBL創作界隈とかで、界隈の小説を参照させることで理論上は無限の供給が可能になる。お絵描きAIでも、特定のモチーフによるコミュニティが形成されたりするかもしれない。
以上簡単に述べた。多分もうちょっと丁寧に検討したらよりAI創作一般に拡張できる理論みたいなものが見えてくるのかもしれないが、俺にその能力は無いので誰かに任せる。
女子フリーターアルバイトさんとのシフトだと思って出勤したらオーナーがいた。交代の時にシフトリーダーに、
「女子フリーターアルバイトさんと一緒に仕事かと思ったらオーナーがいたからびっくりしました」
と言ったら、
「あたしもー。出勤したらオーナーいるから『えっ?』ってなったわ。なんでも、『急遽』オーナーが出ることになったみたいですよ」
と、シフトリーダーは『急遽』という単語に強調と含みを持たせていう。どうやら女子フリーターアルバイトさんはまたしても仕事をドタキャンしたようだ。
なんか……女子フリーターアルバイトさんはもうダメかもしれないなあ。本人も最近オーナーへの不信感をこじらせていて、自分がこれまでやらかしてきた否のことは忘れて「私悪くないです! 悪いのはオーナー!」っていう他責思考で、悪い奴に対して何をしたって文句を言われる筋合いじゃないとばかりに、やってはいけない事をやるようになった。気に入らないから出勤しないというのは、コンビニバイトで一番やっちゃいけないことなのだが。
オーナーだってもはや女子フリーターアルバイトさんを信用していないし、彼女のドタキャンで煽りを食う私ども他の従業員も、もしかしたら今回は本当に出られない事情があるのかもしれないという好意的解釈はし難くなっている。自分で自分の首を絞めているだけだって、本人は思ってもいないだろうし、いよいよ居づらくなったら「もう来ません!」って仕事投げ出して帰って音信不通キメればいいと思ってるんだろうな。以前、やりたい限りのワガママと八つ当たりをやりまくってオーナーと大喧嘩して辞めていった、意地悪パートさんと同じ道を進み出している。女子フリーターアルバイトさんを止められる者はもはや誰もいなさそう。
従業員のドタキャンにより休み返上で出勤させられるというのはオーナーにとってはかなりのムカつきイベントのはずなのだが、昨日は夜勤にAさんが入っているのと、激しい雷雨で客足が疎らだったおかげで、オーナーはかえってご機嫌だった。オーナー、台風の夜にテンション上げてくる子供と同じマインドの持ち主だし。
当店のあるエリアはなぜかよく停電するのだが、昨日も雷のせいで停電した。私はコンビニバイトになって五年目にして初の長時間停電を経験した。店の電気は、電源が別になっている常夜灯とレジと防犯システム以外全部落ちてしまった。冷蔵庫や冷凍庫までストップしてしまう。
バチッという音と共に停電した一瞬、異様な静寂が訪れたが、すぐに防犯システムがビービー鳴り出して煩くて仕方なくなった。どうやら、防犯システム的には店のセキュリティが破られて金品が強奪されることと停電は似たような扱いをされるっぽくて、軒下のパトランプまで点灯し、警告音声がガンガンにかかった。
そんな中でもパラパラと来客があったのだが、「大丈夫ですか? 本当に大丈夫ですか???」としつこく聞きつつも買い物をしていくんだから心が強い。特に荷物の発送をしに来た人と電子決済利用の人は「本当に大丈夫なの?」と疑いまくるのだが、そこまで信じられないんなら明日にすればいいものを、それでも荷物を預けたり電子で払うんだからすごい。まあ、電子決済が失敗しても負担は店に行って自分は得はすれども損はしないと思っているのかもしれないが。でも、荷物の方は、もし手続き不良で荷物が行方不明になったらどうしようとか、思わないのだろうか……。
レジは非常電源に切り替わって三時間くらいは保つらしいけれど、それでも停電が長時間に及ぶようなら店を一旦閉めるとオーナーは言い、せっせとブラインドを閉め始めた。うわぁ、もしそうなったら、台風の夜の小学生みたいにテンションの上がったオーナーと二人きりかぁー、面倒臭ぇーー、と思いつつ、暇なのでカフェマシンの掃除からやってというオーナーの指示により、粛々とカフェマシン掃除に打ち込んだ。
エリア一帯が完全に停電しているので、すぐそこの交差点の信号機も消灯しているのが窓から見えた。普段からよくド派手な交通事故が起こり、車が路上に仰向けに転がったりしているような所なのだが、さすがこんな緊急事態でも、通る車全体に譲り合いの精神が乏しく、ごちゃごちゃと車が行き交うのが窓から見えた。
台風の夜の小学生のマインドをお持ちなのはオーナーだけでなく、お客様にもおられて、なんかただ喋りに来ただけなのかな? って感じで、飲み物一本だけ買って停電すごいね、もう何分停電してんの? とか話しかけて来る。女子フリーターアルバイトさんが予定通り出勤していたとしたら、ここぞとばかりに彼女に話しかけようとするお客様がいっぱいいただろうなと思う。女子フリーターアルバイトさんがいないから、誘蛾灯に惹かれる虫状態になって彼女に吸い寄せられていく客ばかりという壮観な光景は見られなかったが、オーナーがいたので、どうしても停電が復旧しないようなら店を閉めるという選択があるのは(オーナーが面倒臭いとはいえ)よかったかもしれない。
これはひょっとして明日の朝まで停電が長引くコースかなと思ったが、あっさり復旧。すると、今まで暇だったのに急にぞろぞろと客が来ていつもの当店に戻る。いつもだったらもっと早い時間に来るお客様達まで続々とやって来た。夕方コンビニで買い物をする人というのは、何があっても平常通りコンビニに来て買い物がしたいんだなあ。そういう人達の買う物もまたいつも通りで、別に今買わなくてもいいし近場のスーパーで買った方が安いという物ばかりである。コンビニでの買い物が人生の一部に組み込まれているようだ。そうしないと調子が狂うのかもしれない。
停電が復旧すると、一アルバイトにとっては意外な事が起こる。というのも、ひっきりなしに電話がかかってくる。それは殆んど当店の設備の保守点検を担当している業者さんからで、それが何社もあるのだから、オーナーは対応で長時間手が離せなくなる。同時に来客数も増えるので、忙しい中私は一人でレジ対応に追われ、お客様からはこの悪天候のなかワンオペをし続けた可哀想な店員だと思われて憐れまれる。
すっかり雷雨が収まった頃にAさんが出勤。オーナーはその10分前には帰ってしまった。そもそもAさんは女子フリーターアルバイトさんが普通に出勤していたものと思い込んでいたので、私が一人で店番をしていたのを見てとても驚いていた。
Aさんに本日の経緯と、女子フリーターアルバイトさんはもうダメかもしれんという話をしたら、Aさんはまた驚愕していた。
「それ自体がおかしな話なんですよ。一昨日に私と一緒にシフトに入った時には、彼女は自分で『もう他の仕事が見つかったから、今週からは週一しかシフトに入らないです』って自分で言ってたのに、シフト表は今まで通りになってるんだから」
私がそう言ったら、Aさんはシフト表を見て、確かに女子フリーターアルバイトさんがいつも通り週4でシフトが入れられていて実際もう2回出勤したというのを確認して、もしかして彼女的はもうノルマを果たした気になっていて、今日はドタキャンなのか? と首を傾げた。
もしくは、オーナーの方が、先日女子フリーターアルバイトさんと口論して色々嫌になったりとか、今夜は雷雨だという予報なのにドタキャンされたら大変な事になると思ったりとか、そういう理由で女子フリーターアルバイトさんをシフトから外したのかもしれない。
最近は夕勤人材が乏しくて、私と女子フリーターアルバイトさんしかいないという情況だから、オーナーはいくら女子フリーターアルバイトさんに歯向かわれても我慢して通常のシフトを組もうとするんじゃないかと思ったが、ついに我慢の限界が来て、従業員を自主退職に追い込むためのいつものムーブに切り替えたのかもしれない。オーナーは本気で腹を立てると、その従業員に対して急な変更といってシフトを休ませるのを数回繰り返したあと、月に二、三回しかシフトを入れさせてやらないという嫌がらせをする。
あるいは、オーナーと女子フリーターアルバイトさんの間でコミュニケーションの齟齬が生じていて、オーナーは今週もいつも通りのシフトでいいと言われたつもりでいるが、女子フリーターアルバイトさんは今週から週一で働くつもりでいたのかもしれない。
AさんはDさんを通してオーナーと女子フリーターアルバイトさんが最近揉めている事は知っていたが、そこまで酷いことになっているとは知らなかったといった。女子フリーターアルバイトさんのお母さんが辞めたのも、単にオーナーが忙しい最中にあまり考えずに女子フリーターアルバイトさんのお母さんに暴言を吐いたのが原因だと思っていたとAさんは言った。そして、Dさんが「女子フリーターアルバイトさんのお母さんは、オーナー夫妻が自分のことを娘と同等にあつかってくれないのが不満だと思ったようだ」と言っていた、その言葉の意味がよく飲み込めなかったのだが今やっとわかってきたという。
結局のところあの母娘は当店では特別待遇を受けるに値すると彼女ら自身は思い込んでいたのに、現実としてはそうでなかったので辞める(しかも店に打撃を与えるやりかたで)と騒いでいるということだった。
Aさんがいうには、Dさんも女子フリーターアルバイトさんの思い込み誤りだと嗜め言い聞かせたらしいが彼女には全然理解してもらえなかったという。先日、私も女子フリーターアルバイトさんに「早朝勤の忙しい時間帯でいっぱいいっぱいになってるオーナー夫妻に、新人のお母さんに女子フリーターアルバイトさんに対するような親切対応を期待するなんて無理だよ」と言い聞かせたのだが、全然納得していないみたいなだったとAさんに話した。
まあ結局、女子フリーターアルバイトさんが当店を辞めてガールズバーで働くと言い出して、シフトリーダーやDさんは止めもしないという謎は全然謎じゃなくて、彼女に何を言っても自分の都合よく解釈しては失敗は他人のせいにするだけなので、余計な口出しをしても悪化することはあれども好転することは何もないから口出しするのは辞めたというだけのことだった。結局自分で痛い目を見てもらうしかないのだ。
まああれだ、自ら好き好んで悪い道を選んで選んでここまで来てこれから先もそうしていく気満々でいる人を止めることは誰にも出来ない。
8月になったら新人の高専五年生がテスト期間が明けてまたシフトに入ってくるので、彼がちゃんと仕事を覚えてくれれば、女子フリーターアルバイトさん無しでも当面夕勤夜勤は支障なく回りそうだから、いいんじゃないだろうか。
21時にとあるお客様が少年ジャンプを買って行かれたのだが、表紙にルフィと名探偵コナンのなんか人気のキャラが載っていたので、ちょっと驚いた。少年ジャンプ、売れるためならなりふり構わなくなったのか……。一方的サンデーの表紙にはゾロが載っているとAさんが教えてくれたので、はわわってなった。
そういえば私の推し小説家がこの春ブログで、安室目的でン十年ぶりにan・anを買ったと書いておられたが、今週はやはり同じ目的でジャンプを買いに本屋に走って行かれたのかなあ。昔から俗なものが嫌いだから同世代のカルチャーすらあまり記憶にないと公言していた孤高の小説家をも狂わせてしまう、安室透おそるべし。