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はてなキーワード: アンビバレントとは

2021-08-26

anond:20210825122148

違う。文字通り、ホモ単一の ソーシャル社会 で、同質性がベースになった集団の事をいう。例えば村社会的な。

ジェンダー分野では男性だけの価値観が共有される共同性の事を言う。そこに女性が入ると外様お客様扱いとなる。女性女性同士の関係性を保持したまま入ると拒絶される。

そう言う関係性は「外部」を扱うことが出来ないか公共的ではない。

この男性同性愛者=ホモソーシャルという安易連想上野千鶴子もやっていた。

 

あと、好きなもの擁護したいもの批評するにあたり批判的な感想を持ってはいけないというルールはこの15年のネットでのオタク批評だけの約束事が拡大されただけに過ぎない。

当初のオタク社会から迫害意識が強かったのでそれがルール化した。それ故アンビバレント感情を扱うという事が出来なくなった。

一番極端だったのは全共闘世代でわざわざ己らに対して否定的挑発的な批評を好んだ。村上龍の「我々の前に道はない我々の後に道はある」なんてのが有名。

90年代ベンチャー募集広告等でも好まれ会社説明会で「この会社明日にも倒産します」とぶつの流行したりした。

文学者福田和也は「血塗れた女衒の倅だる我ら日本人」というような言い回し評論でして反日扱いされていたが、当然これも挑発的な批評だ。

 

から元増田の誤解は元増田がこの15年位のネット言論にどっぷり漬かりすぎているという事を示している。

2021-08-09

anond:20210809082934

そだねー

舞台演出という意味では最大規模かつハデハデなのかもしれないけど、日々ゲームやら大作映画やらでバチっと作り込まれスケール感の演出を楽しんでいると、まぁこんなもんかなぁ、くらいの感想になりそうだねー

それはそうと個人的にはPerfumeファンなので、その部分は実現してほしかった… かつ今のタイミングオリンピックをやるべきでないと考えていたので、Perfumeが出なくて良かったとも思う…

アンビバレントお気持ち

2021-08-06

高市早苗ナチス

高市早苗自民党総裁に推す動きがあるようだが正気だろうかと思う。高市にはナチスシンパと取られる言動過去があり国際社会に対する国家の顔とするにはヤバすぎる。

2014年にはネオナチ政治結社との記念撮影写真問題視されて海外でも報道された。

https://www.theguardian.com/world/2014/sep/09/neo-nazi-photos-pose-headache-for-shinzo-abe

これは当然英語版Wikipediaにも載っている。

 

更に1994年には『HITLER ヒトラー選挙戦略』小粥義雄著という本への推薦文を寄せていてこれも火種となる可能性がある。(記事中に推薦文画像

https://buzzap.jp/news/20140910-takaichi-hitler-book/

因みにこの本の著者は自民党東京都支部連合事務局広報部長である

 

でも高市がなんでこんな軽挙妄動をしたのかは説明が要る。これは彼女キャリア形成に大きく関わっている。

文化状況

まず、1990年代前半には安定と思われていた戦後民主主義への疑義、反発を表す論壇でのブームがあった。それで国法学地政学カール・シュミットナチスに関わった人物を再評価する流れがあった。例えば福田和也の『奇妙な廃墟―1945』はフランスナチス詩人達を再評価して同国の極右文芸を論ずるものだが、書かれたのはフランス革命200周年の1989年である

この福田が論壇文壇に上がって来たのは『HITLER ヒトラー選挙戦略』の前~前前年ぐらい。民主主義(仏革命)への異議がナチス評価へ至るディレッタンティズムな流れだ。鬼畜系などのサブカルクソ野郎はこの底辺である

高市封印されたキャリアターゲット支持母体

高市松下政経塾に入塾し保守的政治家への指向最初から持っていたのだが卒業後はコングレッショナル・フェロー制度により米民主党パトリシアシュローダー議員の下で働いた。同議員女性の権利を強く志向する議員でありその後の高市立場とは相容れない。

政治家になる前に松下政経塾入塾、米国でコングレッショナル・フェローというのは売りになる立派な経歴であるが、高市後者の経歴、特に師事した議員の事をずっと表に出さなかった。数年前にコングレッショナル・フェローの経歴虚偽疑惑が噂された原因の一端はこの為だ。

 

シュローダー議員への師事を終えた高市帰国してCNNデイウォッチなどのTVキャスター等を勤めた。Wikipedia高市早苗の項では1990年TVキャスター登板のように書かれているが間違いである。

CNNデイウォッチでの政治的立場リベラルだが、仏革命200周年のフランスの祭典のニュースでは反仏革命思想を紹介するなど保守的立場を窺わせている。

 

ところで自民党の票田には神道周辺の右派が居り、老人や学校先生など一般社会からやや外れた人らを構成員としていた。神社寄合を核とした緩い繋がりで、その社会的妥当性をやや欠く集団自民党が票田としつつ、自民党現実主義暴走を防ぐという構図である。例えば遺族会会長には右翼的政治家を当てないという知恵が自民党にはあった。

 

90年代自民党旧態依然族議員が幅を利かす男社会であって女性議員活躍する筋は無かった。高市三バンのうちTVキャスター看板はあるが世襲ではない為地盤はない。その為無所属当選した高市最初リベラル標榜して自由党に入った。

地盤が無い議員地盤を持つにはどうしたらいいか族議員の様な支持基盤を持つには?特に場所がない女性議員であれば?

その答えが神道系固定票へのアピールであったのだ。教育勅諭には良いことも書いてあるとかユルい事を言っていればいい。現実政治との擦り合わせなんて立場は出さずに思想的に理解を示すのが支持に繋がる。

『HITLER ヒトラー選挙戦略』の出版もそれへの推薦文も自由党時代の事だ。これはつまりナチス評価サブカルディレッタントブームへの迎合高市のその後の支持層への秋風だったのである

高市が拓いたキャリアパスと白いスーツの女たち

高市はこうしてリベラル議員への師事の隠避と宗教右翼層へのアピールにより自民党女性議員活躍する道を拓いてきた。総務族と言っても良いキャリアも出来た。

しか問題なのは高市開拓した道以外に女性自民党でやっていく道筋が無い事だ。小泉時代には経済自由主義での道が見えたかに見えたがその後無くなり高市路線けが残った。

これが安倍チルドレンなどの新人女性議員差別発言をわざわざするという原因になっている。女性議員はそれまでの人生的蓄積やキャリアアピールせずアンビバレントで複雑な大人人格を出さず、イデオロギー純粋さを見せること。これのカリカチュアライズされた子供アニメの悪役みたいなバカ杉田水脈であるのは言うまでもない。

そもそも現在自民党世襲がきつすぎてキャリアのある人が登用される可能性がほぼない。それで高市コースだけキャリアパス確立されていればそこを歩むしかないのは必定である

 

今の就職活動では同じ色のスーツを着るのが常識になっているが、嘗ては特に女性は色付きのスーツを着る自由があった。

それで白いスーツを着ていき、面接で「あなたの色に染まります」と言うキモイやり方があったのだが、高市の拓いたパスはまさに白いスーツ女性議員の量産と言える。その原初高市の米民主党議員師事したキャリア隠避だ。

 

以上が高市が『HITLER ヒトラー選挙戦略』への推薦文を寄せるという軽挙妄動の原因とそれで拓いたキャリアパスである

国際社会向けの顔にするのは無理じゃね

こんな過去があって、更に数年前にネオナチとの写真が流布されてサミットかに出るのは無理なんではないか

EUの顔役でもあるメルケルと折り合いがつくのか?

高市総務省キャリア放送行政に寄っている。だとすると女性版ゲッベルズとか書かれるのが目に見えている。自民党への不信に対抗するのに女性、と考えたのだろうが安直だし、それはそもそも支持基盤保守論壇(嘗ての宗教右翼系)の視野を外から見てないから気が付かないのだろうと言う外無い。

2021-07-18

anond:20210717080715

元増田だけど、自分文章に「許す」という単語を使った覚えはないです。

自分第三者に過ぎず、許す/許さないの権利はないと考えているので。

 

あの文章趣旨あくまで、自分の中のアンビバレント感情の落としどころが見つかったというだけで、

それは100対0の肯定でも、0対100での否定でもないです。

多分、100対0で肯定してるなら、増田じゃなくて自分ブログとかツイッターとかで言明してると思います

そのぐらいの後ろめたさは自覚しているので、あれを受け入れられない人が居ることも理解しているつもりです。

 

増田絶望や怒りは全く正当だと思います

anond:20210717080715

元増田だけど、自分文章に「許す」という単語を使った覚えはないです。

自分第三者に過ぎず、許す/許さないの権利はないと考えているので。

 

あの文章趣旨あくまで、自分の中のアンビバレント感情の落としどころが見つかったというだけで、

それは100対0の肯定でも、0対100での否定でもないです。

多分、100対0で肯定してるなら、増田じゃなくて自分ブログとかツイッターとかで言明してると思います

そのぐらいの後ろめたさは自覚しているので、あれを受け入れられない人が居ることも理解しているつもりです。

 

増田絶望や怒りは全く正当だと思います

anond:20210717080715

元増田だけど、自分文章に「許す」という単語を使った覚えはないです。

自分第三者に過ぎず、許す/許さないの権利はないと考えているので。

 

あの文章趣旨あくまで、自分の中のアンビバレント感情の落としどころが見つかったというだけで、

それは100対0の肯定でも、0対100での否定でもないです。

多分、100対0で肯定してるなら、増田じゃなくて自分ブログとかツイッターとかで言明してると思います

そのぐらいの後ろめたさは自覚しているので、あれを受け入れられない人が居ることも理解しているつもりです。

 

増田絶望や怒りは全く正当だと思います

2021-07-16

あの謝罪文ちょっと楽になれた

小山田いじめ記事10年以上前2chで読んで。

渋谷系リアタイじゃなかったし、文脈も存じ上げず、

多分"同好の士を探しにフラ~っとスレに立ち寄った"ぐらいの感じでいきなりあの食糞コピペをぶつけられてまぁ狼狽したよね。

 

自分過去いじめられた経験があったので、

心の底からクソだな、という思いと、信じたくねえな、という思いと、

色んな感情交錯して、まだ10代とかだったし、相当こたえたと思う。

 

 

でも、結局コーネリアスとかフリッパーズ聴くのやめるまではできなかったんだよな。

 

 

それからも、「良い曲だなぁ」「でも人間としてはクソなんだよなぁ」って

聴くたびに相反する感情に苛まれて、好きなアーティストとして挙げるのもはばかられるし。

定期的に掘り返されては燃えて。

 

まあ、一言で言うとしんどかった。

もちろん今回の件も。

 

で、ずっとこういうアンビバレントな思いを抱えて聴いていくんだろうなぁ、って思ってたところで、

今回初めて小山田自身からあの件についての正式言及謝罪があって。

 

自分もびっくりするぐらいすっきりしたんだよな。

あ、やっぱりちゃんと言ってほしかったんだ、って。

 

あの文章でカタ付けられるなんてファンの欲目だろ、と言われれば、うんそうだね、としか言えない。

ライターの代筆じゃねえか、と言いたいのも分かる。が、文責:小山田圭吾なのは事実だ)

 

多分世間からは許されないと思うし、これからも事あるごとに燃え続けると思う。

けど、あれで少しは楽になれた人間もいたということは、ここに書き残しておきますね。

 

2021-05-31

anond:20210531074240

まれときから自由不自由アンビバレント気持ちに縛られたおれたち

今日梅雨の合間の青空ゴーイング・オン!

張り切っていきましょう。

2021-04-30

anond:20210430011518

Google翻訳

私たちファンフィクションについて話すとき私たちはめったに「ジョンミルトン」とは思いません。 それでも、サタン聖書ではほとんど言及されていない)を連れて、この倒れたアーチフィーンドをアンビバレントで壮大なヒーローにする彼のパラダイスロスト(1667)にどのように近づくのが良いでしょうか? ウェルギリウスアエネーイスオウィディウスの変身物語ダンテ神曲スペンサー妖精女王、その他の無数のテキストジャンルから借りた技術テーマに基づいて構築されたミルトンは、古典ルネッサンス形式を再混合して、英文学の(おそらく)最高の設定に聖書宇宙を作り上げました フィリップ・プルマンが信じている詩は、[「決して超えられない」」。

DeepL翻訳

ファン・フィクションというと、「ジョン・ミルトン」を思い浮かべる人はほとんどいないだろう。聖書にはほとんど登場しないサタンを、堕落した弓矢のような存在であるサタンを、アンビバレント叙事詩ヒーローに仕立て上げた『失楽園』(1667年)に、どのようにアプローチすればよいのだろうか。ヴァージルの『エニード』、オヴィッドの『変身』、ダンテの『神曲』、スペンサーの『フェアリークイーン』など、数え切れないほどのテキストジャンルから借りた手法テーマ構成されたミルトンは、古典ルネッサンス形式を再構築し、聖書世界英文学の(おそらく)最高の詩の舞台に仕立て上げました。

みらい翻訳

ファン・フィクションのことを話すとき、 「ジョン・ミルトン」 とはめったに思いません。しかし、悪魔 (聖書ではほとんど言及されていない) をとり、この倒れた大魔王を両義的で叙事詩的な英雄にする失楽園 (1667) に近づくには、どうしたらよいのだろうか。Virgil's Aeneid、Ovid's Metamorphoses、Dante's Divine Comedy、Spenser's The Faerie Queene、その他無数のテキストジャンルからテクニックテーマを取り入れて構成されたMiltonは、古典ルネッサンス形式リミックスして、聖書世界英国文学 (おそらく) の最高の詩の舞台にし、Philip Pullman [n] が 「超越される」 と信じているようなものにした。



[“n]ever be surpassed”.とか訳しにくそうだな。

2021-04-07

ラブ&モンスターズって面白いのかな

内容はともかくこういうの観てもCGではシンゴジラが霞むなあと思ってしまったり

昔の韓国映画のD-Warsというクソ映画も、どうやらCGはPuppetworks Animation Studioという会社に丸投げで、

上がってきたCG動画適当韓国側編集して完成させたようにしか思えない代物で、

その点でグエムルWetaなんかと比べ物にならないぐらい無責任な丸投げにしか思えないんだが、

LA翼竜アパッチ空中戦とか駐車してる自動車がふっ飛ばされて逃げてる歩行者が下敷きになるような描写とか、

十数年後の今になっても観れるというか、

今より技術が劣っていても演出カバーできているというか、

こういう派手なのもシンゴジラで観たかったというか、

観客側にゴジラとか、それに伴うトラブルによる恐怖を視聴者に与えてほしかったと自分は思うのだけど、

なんか余りにも大人しい演出ちょっとガッカリしたのが否めなくて、

でも、庵野氏は樋口氏とかアンヌ役の人とか交えた対談で、

自分怪獣に興味がない、ビル街に銀色巨人が立つというのが大事

ぶっちゃけウルトラマン怪獣が登場しなくていい、政治家とか地球防衛隊みたいなのが言い争ってるのが撮りたい、

みたいに言い切っていて、それがシンゴジラには確かに反映されている気がするし、

観に行ってないシンエヴァもそういう意図が隠されてるのかもしれない

要は例えばエヴァンゲリオンという巨人も話に説得力を持たせる道具にすぎないわけで、そこに自分は執着はあまりなくて、

自分が撮りたいのはNERV内の言い争いやシンジの周囲の人間関係であって、

他の設定は寧ろそれを盛り上げるための装置しかない、

からこそメカモンスターデザイン劇伴などに執着がある人達とチームでやってるわけで、

でも、監督として自分はそこに特に興味はない、ということなんだろうなあと思ったり

そう言いつつも、特撮技術だの怪獣だのにアンビバレントな愛を感じるというか、うそぶいているようにも思えるのだけど、

自分としてはクローバーフィールドとかミストみたいなゴジラが観たかたかなあと思ってしまったり

でも、それはそれで売れないんだろうなあと思ったり

2021-04-06

『うっせえわ』に乗せられる大人

一時期話題になったわけだけども、みんなトゲ見てても偉そうにマウント撮ってるもんばっかなんだよね。で、歌詞をよく見てみてると「私は変なやつではなく普通対応もできますし」、という予防線を張った挙げ句自分天才だと語っている。で、その歌詞をよく見てみるとアンビバレントなんだよ、内容が。わざと自己矛盾するように歌詞を書いてる。流行に乗るけど周囲は凡庸で、模範人間だけど模範的対応はやる気がない。で、全体を俯瞰した際に一切合切凡庸な私、という像をちゃんと描けてる。

要するに計算してうっせえわ的な人を描き出してるように見える。だけど他の人達書き込みを見てると、こいつ大人になったとき黒歴史赤面するぞ、とか脊髄反射(←懐かしい用語)してるわけで。メディアの裏側を読む気がない。

粗品との対談見ててもちゃんと頭の使えるやつで(https://bit.ly/3fH48U9)、アホだからあん歌詞晒したんだという指摘は、言い方は悪いけど自動的にアホメタ構造晒してることになってると思う。

anond:20210405100130

2021-03-12

かわいい禁止令はアンチヒューマニズム

ブクマの上位に挙がっていた「かわいい人にかわいいと言うのは、僕としては結構ありえない 」って記事だが、

これに同意できない。(記事URLhttps://note.com/yasuharakenta/n/ne19f1e86e899

痴漢とか、通り魔とか、「おかしてー(犯したいの意)」とか言うのが駄目ってのは同意、当たり前だが。

私が同意できないのは、他人容姿言及について。

記事はかなりまとまりがなくて、主張が曖昧なので批判しにくいが、

容姿言及に関しては、

・付き合いたいのなら容姿のことに言及するのは方法として上手くない

相手性的に眼差されることによる恐怖を与えるからよくない

とか多分そんな感じのことを主張していると思う。

(注:元記事モテ戦略をメインで扱っているが、容姿への言及自体の悪性も割と強く主張している。)

で、考えるまでもなく、これらの主張の正当性は状況や人に依存する。

見ず知らずの人に急に「かわいい」とか言われても怖いだけなのは当然。

でも、インカレサークル新歓で気になる異性にアプローチすることは自然なことだ。

というかそういう飲み会をするようなインカレサークルは、

普通手っ取り早く好みの異性を見つけるための場所だろう(知らんけど)。

また人の恋人観なんてのはかなり多様で、精神的に分かりあうのを大切にする人もいれば、

とにかく好みの容姿を持つセックス相手を見つけたい人もいる。

後者場合だったら、欲望むき出しのアプローチがむしろ上手くいって、

丁重に接するのは面倒がられるだけかもしれない。

例えば元記事の場面でもこういう風に盛り上がる場合もある訳だ。

先輩「かわいいねー」

後輩「えー、そんなことないですよ」

先輩「いや、かわいいって!」

後輩「そうですかー笑?ありがとうございます!」

先輩「やっぱり自分のこと可愛いと思ってるんだ笑!」

後輩「はめないでください笑」

こんなのは自分でも書いててちょっとキモいけれども、

似たような光景を見たことのある人はいくらでもいるだろう。

飲み会の場でこういう軽薄なやり取りは、アイスブレイキング機能もあるし、

なにより彼らはこれを楽しんでいる。楽しんでいる人にとっては、

「人にかわいいっていうのは結構あり得ない」とか言って、

勝手に慮った態度で冷や水を浴びせてくるやつの方がよっぽどキモい

ここには「本当は君はこんなコミュニケーションを求めてないはずだ」っていう

決めつけがあるし、実のところそれは自分の願望を投影してるだけ。うっせぇわって話。

あと元記事には「かわいい」と言うのは「やりたい」と言うのと同じなんて書いてあるが、

これは目を疑うレベル妄言。美しいものに感動したことはないのだろうか?

また馬鹿らしいだけでなく、容姿言及する人を性欲に支配された粗野な人であるかのように

レッテル張りしてる意味でかなり悪質でもある。

TikTok性的コメントだっていつも不快なわけではなく、喜ぶ人だって沢山いるだろう。

それを容姿への肯定理解して喜ぶ人もいれば、内容はどうであれバズることに快感を感じる人もいるし、

かに相手してもらえること自体に喜ぶ人もいる。

twitterに裏アカ女子なんてのが沢山いることからしてもこんなことは明らかだろう。

ただ勿論、容姿への言及に傷つく人もいて、だから問題は傷つく人がいるからやめるべきなのかということ。

世間には快より不快の除去を優先するのが当たり前と考える人結構いるが、そんなルールはない。

そして容姿への言及によって生じる快不快はどちらもときに重大で、人生を変えてしまうほどの影響をもつこともある。

これは相対的立場をとって、どっちつかずでごまかそうというのではなくて、私たちは容易にそういう人たちを想像できるし、

場合によっては知ってさえいる。

キモくて性的コメントであれ、容姿を褒められ、それをきっかけにファッション美容に興味が出て、

自己変革に成功した人だっているだろう。「良心的」な人間の「良心的」なコメントでのみ人は良く変われるなんてのは

人間アンビバレントなあり方を無視している。キモいけど嬉しいことだってある。

勿論、容姿への言及不快精神を病む人もいるだろうが。

で、ここまで来ると、この問題はよくある多様性の受容の議論と相似であることに気づく。

まり自分にとって不快だけれども、他人にとって快だから存在を受け入れようという話。

から私は人には容姿への言及をする自由があり、それは悪いことではないことを受け入れるべきだと言いたい(一応言っておくと私は他人容姿には基本言及しない)。

勿論、同じ論理を使って、容姿への言及不快な人にとっては「容姿への言及があること」が不快で、「容姿への言及がないこと」が快なのだから

容姿への言及をしたい人は、「容姿への言及がないこと」を受け入れるべきだと論理的には言えるのだが、

実際にその論理が受容され、浸透することはないだろう。

なぜなら容姿への言及は明白な悪でなく、人のコミュニケーション自由(≒言論の自由)が保証されることは明白な善だからだ。

ヘイトスピーチでさえ直ちに規制されなかったのだ、言論の自由価値理念的にも実際的にもどこまでも重い。

一応注意しておくと、「容姿への言及自由を受け入れろ」ってことで、「自分に向けられたそれを受け入れろ」って話ではない。

まりあなた容姿言及されて不快であれば、それに苦言を呈すのは自由だが、

相手社会的悪事をなしたわけではなくて、相手あなたにとって不快発言をしたに過ぎないということ。

そしてそれを喜ぶ人もいることを認めるべきだということ。

自分にそういう発言が向けられるのを予防したかったら、そういう禁止令を確立しようとするのでなくて、

自分で予防策をとるしかない。例えばゾーニング

まり、そういうことを言う人間と同じコミュニティに属さないというのが一番簡単だろう。

あとはそういうのが嫌な人間だということを常々アピールしておくとか。

(注:会社上司から言い寄られるとか、バイト先の客がしつこく絡んでくるとかは対処しにくいが、

これらは粘着的な気質ストーカー気質問題で、容姿への言及がなくなったところで解決しない。)

こう言うと、「何故被害者側が労を取らなくてはならないのか」とか

「私のメンタルでは無理」とか言う人もいるかもしれないが、

そういう人は世界自分のためにできているわけではないことを受け入れなくてはならない。

記事のような主張を、何故か個々人の精神尊重するヒューマニズム的な考えと捉える人もいるようだが、

それは明確に誤りで、自己中心的な排他思想に過ぎない。

とかなんとか色々書いた挙句、私の根底にある考えがうまく表せていない気がするのでここに文脈無視して書くが、

私は他人と関わるときにしばしば生じる想像を超えた事態――例えば、人と話すうちに一度も考えたことのない内容が口から流れ出たり、他人の思いがけない側面が表れたりするーー

に遭遇するとき、強く人間の魅力というものを感じる。異質な人間を許容することはときに誰も悪くないのに悲劇をもたらすことはあるけれども、

私は人間同士の交わりから生じる偶然にはそれを差し引いても余りある価値があると思っていて、

記事のように異質な人間範疇を狭め、無毒化しようとする考えは受け入れがたいのだ。

2021-01-14

宮崎駿ワールドウソ

異様に温かい人々に飛び跳ねまわる元気すぎる子、憂鬱感情を持っても周囲に発散しまくってお咎めなしな登場人物

わけの分から家族の談笑。だけのこの人のウソは美しい。夢を見たい人々には良い酩酊剤として働くのだろう。

実際の宮崎ワールド風の谷のナウシカ原作に求められるように思う。権力自分足りの理由に奔走して世界を悪くする人々。ただこの人には一つのけがあって、純粋世界を壊すことを楽しんでいる下らない人間がいることを描いていない。人間基本的に善性で動いており、成り立ちや理由によって悪になったり悪の如き正義を振るったりするのだ、という発想で描いている。まさかネットストーキングをするような糞がいるなんて想像だにしてない。もっとも人をおもちゃにするような人種を描くことに関して抵抗があるのかもしれないが。多分監督リベラル左翼からこその発想なんだろう。

この点高畑勲は妹への恋慕のあまり妹を餓死させてしま火垂るの墓淡々と作った。ここにある断絶はなにかといえば、人に対する信心があるか、あるいは人は単なる観察対象かだ。この意味宮崎と知り合いの押井守はより人に寄り添っていない。彼にとって重要なのは人ではなく形式構造のように思える。そもそも人間に対する信心という感性のもの人間らしいという皮肉めいた構造があるように思える。翻って、リベラル左翼という思想は大変構造的だ。それは無機質にすべての人は許容され、すべての人や権力批判されるべきだというフラットな発想に基づいている。むしろ思想であるからフラットでなくてはならない。実はこうした思想宮崎駿の人間力は非常に相性が悪いのではないか

宮崎駿的人間力は非常に理想的恣意的で、思想的ではない。彼が言う老後の入院生活を描いた絵にはたくさんの欠点存在する。理想を維持するのに多大なコストがかかる。しかも彼は革命家であったので、スタジオジブリ給料制にして一度は倒産寸前にまで追い込んでいる。宮崎駿が全てを仕組みと制度考える人間なら人間不条理もそのまま無感情に描いていたように思う。ナウシカ原作ですら全ては情熱によって動かされれており、無感情なのは墓所の先人たちだけだ(もっともこの墓所の住人は旧癖の形象化だとは思うが)。つまり彼はリベラル左翼的でありながら、リベラル左翼すら鼻白む感性批判しているのだ。この点でむしろ非常に左翼なのはアンビバレント監督らしい。概ねあたっているとする予測しかないが、インテリ左翼ムスカのように道化として描き、権力も嫌い、同じように抑圧的な共産主義も嫌い、それでいて人間には希望があるべきだという大矛盾の分断された心象を監督内包していることになる。だからこそ宮崎駿のウソは今でも世界で輝いている。

2020-12-16

anond:20201216163157

それってほんとに富野主義の話か?

富野キャラクター没入型の作品作りをしないから一つの作品に強い女だったり昭和少年だったり多様な人物像が混在して描かれることが多いと思うが

たとえばあるキャラクター男尊女卑発言をして物語内で咎められないというだけで作家の男女観や家族観を判定するといったタイプの間違いを犯しているというわけではないんだよな?

その上で、主人公格のキャラクター一貫性が感じられないという話ならば、富野アニメ時代においてはアニメ主人公として選ばれる年代である思春期少年少女にアンビバレントさが盛り込まれているというのはごく「自然」なことのように思われる

というのは物語志向されていた時代においては、特に富野のような作家がめざしていそうな「現実に即した」少年少女たちというのは、常に変化し続ける生き物として描かれるからで、そこに現代にみられるような少年少女が特定の「キャラ」という固定化した役割を担うことで状況をシミュレーションするタイプの作劇を念頭に置いたキレイで一貫した解釈を当てはめても一面的になりすぎてうまくいかなくなるのが当たり前な気がする

こういう時代物語においては、女に対して苦手意識の表出をするような少年が「キャラ」変のイニシエーションシークエンスを挟まずにいつのまにかだんだん女と仲良くなっているというのはかなり素朴な描写として「自然」で「現実的」なものであり、少年が女嫌いのような言動をとるのはそれがそういった主義や「キャラ」を持っているからではなくて、たまたまある期間そのような過程にあるということが「現実」の少年によくあるという時代了解のもとに表れているものだと思う

逆に女に対して永遠に拒絶的であるというような描写があるとしたらむしろそれはなにがしかの強い主義のもとに描かれていて「不自然な」少年像として提示されていて、それならばのちの時代に「キャラ」として表出するフレームと同じものとして解釈するのはうまくいくかもしれない

富野アニメに出てくる少年少女の人物像がそうした「キャラ」としての造形であるという解釈をするにはかなり強い根拠となる描写検討必要になると思うが、そういうのはあげられるだろうか?

一般登場人物言動が作者の主義の純然たる反映だという解釈はかなり危なっかしいのと、富野主義厭世主義や反出生主である表現から読み取れることと物語登場人物物語においてそれに違反した言動をとることは両立するということがあり、たとえば時代要請する規範がどれだけ描写に影響を与えるかということとかもそうだし、逆に違反してみえ言動が読み取った厭世主義や反出生主義のアンチであるという解釈にもどれくらい正当性があるのか考えるとというあたりに議論必要になる話題だと思う

2020-09-11

立憲民主党枝野幸男代表は4日の記者会見で、国民民主党との合流協議に関し、ファン公言するアイドルグループ欅坂46」のグループ名変更に絡め、自身の心境を語った。

4.6%くらいの支持率が得られたらいいね。みんなそれぞれ腹の内が異なるアンビバレント集団が、ノイジーマイノリティにおもねった政策を推進すると、すぐに不協和音が発生しそうだけど。このままじゃ選挙で立憲民主って、書けない?よね。

2020-08-26

俺は日傘は差さな

そもそも雨傘も差さな

荷物」は極力減らして生きていきたい

繋がりが

絆が

持て囃される昨今だけど

それらは必ず「自分」を縛るから

自由でいたい

日差しがきつければ

木陰に入ってガリガリ君を食べよう

土砂降りの日は

不要不急の外出は避けましょう

ノーパラソル

ノーアンブレラ

それでも増田は覗いちゃう

そうアンビバレント

2020-06-27

anond:20200627011824

被疑者被害者潔癖監獄地獄地獄

何だっけ?クズって?カス

人間アンビバレントで複合的で多面的単純化一般化できる?解析的に紐解ける?

それはどうかな。論、仮説、大域的に知れる?シル?知れる?知られる?

無理だね。言語では難しい。言葉概念ディビジョン。解体するための手段、誤認の一因セイ

2020-03-29

山菜食べたい

若竹、タラの芽ぜんまいふきのとう

あんまり食ったことないし調理の仕方もわかんないんだけど妙に憧れがある

こう、ほのかに苦味があるけどあとを引く…みたいな?滋味(この単語本当に好き)がある的な?

普通に考えてこれまで品種改良を重ねてきてる野菜の方がうまいんだろうけど、魚とかは天然物の方がうまいっていうし、そういう天然信仰みたいなものが頭の中に根付いてるんだと思う

山に鎌?スコップ?持って出かけてキノコとか山菜とか採って帰ってきて天ぷらにして食う みたいなね すごい憧れるんだよなあ

ふきのとうへの憧れに関しては小学校でやった「雪の下で芽吹きを待つふきのとう」みたいな内容の話もかなり効いてる感がある 冬の間ずっと蓄えてきたものをシュッと簒奪して喰らってやりたいという邪な心が思えばあの頃からあった

味付けは塩がいいな 土の味?山の味?そういうものノイズなしに味わいたい やっぱ滋味っすよ時代は 山菜、フックはないけどしみじみとうまい、そういうイメージがある

でもなあ 実際そうでもないのが怖いんだよな

案外筋ばってたり臭かったりエグかったりで全然うまくない、あ〜あこんなもんかよ、つって人生の夢がひとつ輝きを失う そんな未来がどうしても見えてしま

山菜 近くて遠い 食いたいが食いたくない アンビバレント存在

2020-03-16

アンビバレントで女々しい人です。大学卒業しました。

アンビバレントで女々しい人です。大学卒業しました。お礼を言わせて下さい。

以前、アンビバレントで女々しい人…みたいな名前はてなブログを書いていた増田です。

利用していない間にアカウントが無くなっていたので増田に書かせて頂きます

先日、無事大学を卒業しました。

受験勉強に関して無知な為はてな登録し、はてなオフ会に参加させて頂いたり、お会いした事のないユーザーさん達にアドバイスを頂いたり、その節は大変お世話になりました。


単位は、3回生のうちに全て取得しました。

30代で夜勤をしながら勉強するのは大変でしたが、充実した4年間でした。

大学とは関係ありませんが、3回生の時に結婚し、4回生の時に高齢出産しました。

卒業後の進路は「主婦」になってしまいましたが、産まれてきた子供の将来の可能性を広げてあげる事が、以前よりは出来るようになったのかなと思っています


この度は、本当にありがとうございました

2020-01-17

anond:20200116133650

元増田です。

この枝の議論自分にとってとても大切な観点が書かれていたのでここメインで書き込みます

ファスナー

増田の方はかなり私の考え方に寄り添って書いていただきました。

またその方とやりとりしている方も「ファスナーは常に閉めるべき状態なのだ」と考えるあり方を提示されており、私のこだわりに添いつつ新しい考え方をもたらしてくれました。

この枝のさらに枝の増田さんが書いている、何か事態が起こった場合反省して切り替えていくという姿勢は私のような人間には極めて重要です。

人の意見を素直に受け止めないと苦手なものは一生そのままになってしまう。何が苦手かはおそらく元の文章読んだ方ならなんとなくわかるかと思います

私は例えば人より0.7倍スキル習得速度、物事への認知速度が遅いとしても、その分できないかもしれないけど頑張って、人より劣るけれどもスキル経験値入れ続けることは大切だと思っています自分のやってることに半分自信があり半分は全くないので、冗談ぽく周囲に話して、それでちょっとずつ直したり考え直したりしてます

元の増田もそんな気持ち議論になりそうなこだわりをヤバそうなものから共感を得られそうなものまでグラデーションピックアップして書きました。

あとは個別ポイント言及します。

皿を洗うことについて

ということで、お皿はもう少しちゃんとやってみようと思います

もう少し、と書いたのはいきなり完璧にやろうとすると失敗するからです。

それなら息や食事をするべきでないのでは、という理論に対して

これについてはhttps://anond.hatelabo.jp/20200116111422の指摘があたります

除雪について

これは完全に私の書き方が不十分で申し訳なかったのですが、元増田で「必要以上に」と書いてある通り除雪します。私はかなりちゃんとやる方で、ネット積雪予報と自分睡眠時間を考えて、時間を定めて適切な範囲除雪します。融雪の時期は当然朝晩の融解と氷結を見越して除雪しています。変なタイミングでちょこちょこ除雪したり、大した積雪でないのに除雪機出したり、そういうのはよくないと思うのです。田舎だとマンション管理会社建設業で、ユンボ除雪してもらえるのですが、その時に自家用車駐車場にあると除雪に支障をきたすので、来そうな場合は出かける用事を作ります。一軒家の場合はお隣の除雪ペースを心に留めて動きます

ズボラだ、ものぐさだ、という指摘について

あれこれ理由をつけているだけで、自分のだらしなさを正当化しているという指摘が結構ありました。

その通りです。ただそれはいけないことなのでしょうか? ちょっと言葉は強いですがhttps://anond.hatelabo.jp/20200116133818意見に近いです。

で、日常のいろいろなことに過度に囚われず、思考したり実践したり、あるいはだらだら休み増田も書く。動静どっちもやる。

ただし、人の意見をしっかりきいてこだわりを相対化するのは大切。

こんな人間なのでお察しかもですが小学校から中学校時代はかなりいじめというか孤立しましたが、中学2年生の時以来つるんでくれるメンバーがいて、とっても、助かりました。そのメンバー達のおかげでこだわりの相対化へのこだわりが始まりました。

消しゴム

消しゴムを拾わないのは、その時間は書いたり黒板見たり集中して物事を覚える時間からです。

物を覚えているのに消しゴムを拾うと物を覚えられない。テストで点数取れません。

誤字をすると、物を覚えるのは一時中断します。そして消しゴムの出番です。

席変えの際に周囲に説明して、俺のは拾わなくていいということを伝えるようにしてました。

あと消しゴムは常に8個くらい持つようにしています

なお私は上半身前後させながら授業を聞くと覚えが体感1.8倍くらい(2倍行かないくらい)よくなります

ただこれをあまりにひどくしすぎると周りの人に迷惑なので、その感覚をより小さな動作で得られるように中学生くらいからしています

ちょっとだけ貧乏ゆすりする、あるいはつま先をゆっくりトントンする、左手を鼻筋に当てる、ペン回しをする(はじめ右手でやっていたのですが右手でやるとノート差し障りが出るので、左手ペン回しすることにしています)などです。

自分でもこれヤバイと思うのですが、良い成績取るためには仕方がない。あるいは学会発表とかで論旨を掴むためには仕方がない。消しゴムもこれとおんなじです。

増田にあった指摘で、傘もささなそうというものがありました。

ご指摘の通りで、過度の雨(濡れすぎて外出先や職場迷惑になる時)以外は差しません。お分かりかと思うのですが、傘は雨が止むと差さなくなるからです。

小雨の時はもちろんささないのですが、常に傘は持っています。なぜなら本降りになるかもしれないからです。

雨降ってるのに傘ささないで持って移動していることが多いです。

一人暮らししかできなさそう

かなりそう思います恋人の家でご飯作るときとかは実践の場で、自分おかしなところを修正していく良い機会だと思いながら、ちょっとずつ自分の変なところを説明したり出したり、そして直したりしながら、かつ楽しくデートするようにしています

ある種の虚無主義ではないか

ブコメありました。とってもかっこよく言うとそうだと思います自分の性分は、性分ゆえに理由くそであると自信がある一方で、子供の頃から否定され続けてきたので全く自信がない。ただ修正しながらやってきて自分の性分を生かせる仕事しているだけ。アンビバレントに割り切っています

2019-11-15

anond:20191115203711

男性ホモソーシャルは男女関係よりも男性同士の関係を重視する。

「女とイチャつくより俺たちと遊んでるほうが楽しいよな?」とか「女なんかにうつつを抜かしてないで部活の仲間のために練習しろ!」みたいなやつだ。

男子ホモソーシャルに属するあいだは女子と仲良くできない。

女子だと素直に友達の恋を応援したりするのかもしれないが、男子はなんとなく「あいつは女子の味方かよ」「男らしくねえな」みたいな感じになって冷やかされたりして恥ずかしいのだ。

から男子は好きな子ができると「話しかけたいけど仲良くはできない」というアンビバレントな状況に陥ってしまい、どちらも満たす手段として「からかう」というチョイスをすることになるわけだ。

いやまあ、からうから好きだというわけではなくて、単に「女なんか何とも思ってねえぜ!」というかっこつけである場合も多いんだけどな。

ただ、そういうホモソーシャル的な圧力は幼いうちは非常に強いけど、成長して自立していくにしたがって次第に薄れてくる。

まりホモソーシャルを抜けて恋人をつくる」という選択肢が生まれてくる。

なんだか「卒業」的な感じ。

一足先に大人になりやがって感。

逆にいつまでもホモソーシャルに属したまま女性と付き合おうとすると「女をモノのように扱うヤリサー」みたいなのになったりする。

「男同士の関係こそ大事だよね、女なんか奴隷だよね」というアピールのために男のコミュニティ女性を引きずりこむわけだ。

(補足するけど、ホモソが極端に悪いかたちで働くとこうなることもあるというだけで、男は全員レイパー予備軍とか言いたいわけちゃうで)

パターンで、女性と付き合えないかいつまでもホモソーシャルから抜け出せないのがオタクと言えるだろう。

社会人になって男だらけの中小企業とか行くとまたホモソーシャルが強まって女性差別的なオッサンになっていったり、

仕事と家庭のどっちが大事なの」というアンビバレントにまた苛まれたり、

結婚して落ち着く」というホモ卒業イベントが再び見られたりするのだが、それはまた別のお話

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