はてなキーワード: 情報不足とは
選挙における最適な投票行動は、以下のように定義できると考えられます。
最適な投票行動の第一条件は、自分の投票先について十分な情報を持ったうえで決定することです。政党や候補者の政策、過去の実績、価値観の一致度、社会問題に対する立場などを調査し、自分の価値観や利益に最も合致する選択をすることが重要です。情報不足や感情的な反応による投票は、自分の意志を十分に反映した行動とは言えません。
2. 長期的視点を持つ
短期的な利益や感情に左右されず、長期的な影響を考慮した上で投票することが望ましいです。社会や経済の変化は、しばしば長期間にわたって効果が現れるため、将来に向けたビジョンを持つ政党や候補者を選ぶことが重要です。
投票行動は、自分の価値観や信念を反映するものです。そのため、自分が重要だと感じる社会的、経済的、政治的な問題に対して、最も近い立場に立つ政党や候補者を選ぶことが、最適な投票行動となります。
投票先が見つからないと感じた場合でも、白票を投じたり棄権したりすることは、政治的な意思表示の一つと考えられます。白票は「現状の選択肢に満足していない」という意思を示す方法であり、政治家や政党に対して改善を促すメッセージを送る手段ともなり得ます。
選挙は個人の意思を社会全体に反映させる機会であり、投票行動を通じて社会に対する責任を果たすことが求められます。自分の一票が政治を直接的に変えることは難しいかもしれませんが、多くの一票が集まることで変革が生まれるため、個々の投票行動が重要です。
まとめ
最適な投票行動とは、情報に基づいた意思決定を行い、自分の価値観や信念を反映した選択をすること、長期的視点を持つこと、社会的責任を意識することが要素となります。また、投票先が見つからない場合でも、白票や棄権を戦略的に使うことで自分の意見を表明する方法があります。これらの要素を総合的に考慮し、冷静かつ理性的な判断で投票を行うことが望ましいと考えられます。
https://x.com/anatatachi_ohno/status/1846395326380273869
https://x.com/nichijohe/status/1846125390714360240
マジョリティ女性として、これまで性別異和に苦しんだり差別を受けてきたトランスジェンダーの人々に対して引け目を感じる面があったからだと思う。むしろ、トランス女性は学びたくて来るはずなのにすぐにトイレ問題をいうことが失礼なんじゃないかとさえ思っていた。つまり性善説だった。
ツイッターで、問題の対立の深さ、議論のできなさを目の当たりにし、その話題自体にうんざりしてしまい、何人かフォローしていたTRAや当事者やアライの人をほとんどリムーブし、しばらくその話題に触れないようにしていた。自分の中ではどっちつかずの感じになっていたこともある。
彼らの主張は単に反差別、人権主義ということだけなのか、トランスジェンダリズムは何を目指しているのかが気になり、あれこれ読みつつ今に至っている。まとめると私の場合、マジョリティの引け目と情報不足、ヒートアップするツイッター状況への忌避感から、問題の解像度が上がらなかったのだと思う。
トランス問題は、やはり、ほかの差別問題と必ずしも同様には論じられない
性差における本質主義は男女では体の構造が異なって、それによって異なる生理を持つと、このことから誰も逃れられないという事実を指摘しているだけですよ
任天堂とポケモンがパルワールドの開発元であるポケットペアを特許絡みで訴えたことが話題になっている。パルワールドはポケモンに類似したデザインとエルサゲート的な側面で話題のゲームであり、以前より任天堂とポケモンの対応が注目されていた。そんな中での今回の訴訟であるため、その背景を推測したくなるのは道理かもしれない。
しかし、現状明確になのは、特許に関する訴訟という一点のみである。どんな特許でゲームにおいてどの程度用いられているのかもわからない。本当はポケモンのデザイン関係で争いたかったのかもやはりわからない。とかく情報がないのである。
そんな圧倒的な情報不足の中、無理矢理事情を推測し、その推測に自ら飲まれて勝手に称賛、失望するのはひたすらに無駄である。仮に推測が間違っていた場合、勝手に作り上げてこじらせた感情とちゃんと向き合えるのだろうか。あるかもわからない利益のために丁半博打をするのは割に合わない。
今回の件に限らず、もっと様子を見たり、続報を待つ姿勢は意識すべきだろう。あまりいい事例ではないが、元首相の銃撃事件では多くの人がその推測を外していただろう。これは社会的保身でもあり、精神衛生上の保身でもある。
ひねくれていると自認しているのならば、「最後に笑う者が最もよく笑う」よろしく事後諸葛亮ムーヴをかますためには、とりあえず黙っておくのが無難という話である。
日記を書いた者です。しばらくインターネットを離れていたのですが、誤植と情報不足によりTwitterで誤った憶測が広まってしまったため追記しました。
AIを利用したらいいというアドバイスを散見しましたが、お恥ずかしながらAIについては実態を何も知らず、英語も全くできません。
Chat-GPTなどのようにWeb上で文字を送るものは何となく知っていますが、stable diffusionなど、サーバーやAPIという専門的な技術がないと使えそうにないものは、それ以上のことがよくわからず、また規制派に混ざって活動をするうちに、推進派が主張するAIに関する知識はすべて嘘という認識になってしまい、一切の主張や難しそうな話を遮断し続けていたように思います。
AI絵を普通の絵に修正することはきっといくらでもできますが、私の問題を解決できるいい手段ではないと思いますし、戒めという意味でも区切りが必要なので、絵に関するインターネット活動はここで完全に諦めようと思います。
私もコメントをくれた方々も完全な匿名ですが、私の愚かしさを「大丈夫」「低気圧で落ち込んでるだけ」「あの大御所の○○先生は40超えて云々」などと安易に肯定せず、ストレートな言葉をぶつけてくださったお陰で、蔑ろにしてきた現実と幼稚な精神に向き合って立て直していく決心がつきました。本当にありがとうございます。
自分に都合悪いから伏せてたけどブロックされる前に鬼電しちゃいました
友達の親御さんにはそれも正直に話した…
先週の日曜(7/7)に向こうのお父さんが「今日明日探してまた連絡する」と言ってから音沙汰がなく、金曜に一度発信したが出ず、昨日日曜日にまた20時頃かけたが出なかった。
友達の父の名前は知っているので検索するとInstagramもFacebookも出てくるので見てみると今日は夜はイベントに行っていたようだった。
21時頃再びかけたら友達の父が出た。
私は忘れられていたとしたら思い出して欲しいのもあったけど、先週伝えた内容だけだと探す際に情報不足で見つけられないかもしれない、だから難航していて連絡をくれないのかもしれないと思ったからもう少し外観について伝えようと思って電話をした。
でもなんか初っ端から怒ってる?雰囲気だった。先週の日曜日に「今日明日探してみてまた連絡する」と言ってたからそれを待たずにこっちからまた連絡したのが催促のようで不快だったのかな。
なんか繰り返し10年以上前のものを突然催促されても〜みたいなのことをいうからそれを怒っているのかな?と思って聞いていると娘も記憶が曖昧なようで、みたいな着地の仕方をするから困っているだけなのかな?
正確には10年前貸したんじゃなくて15年前貸して10年前催促してそこから連絡手段が断たれてたんだけど。
私から話し始めたことも向こうから聞かれたことに答えている最中にも被せて話してくるからこっちも心が折れてあまり情報を伝えられなかった。こちらが簡潔に答えられないのも悪いけど。先週話した時はまた探すと言ってくれたり、鬼電したことの謝罪を伝言お願いしたいと言ったら「それは娘が悪いので」と言っていたからすっかり友人父のことは味方のつもりで連絡したから怒りのトーンに面食らってしまった。
とりあえず貸した物の外観に関わることを伝えられた。あとインスタのDMであとで外観の参考画像送りますと言った。
①娘(友人)曰く、(今回友人と友人父に主に伝えている、)それを渡す時に入れた鞄の見た目見覚えはあるけど正直中身に関する記憶がない。なので本当は借りていないのでは?
②娘(友人)に「自分が直接対応するかは間に入らなくていい」と言われた。(から繋ごうか?ってことなのかな はっきり言われなかった)
③また探して来週末にでも連絡する
①に関しては10年前催促した時も実家に置いてるはずと言われたから正直初耳だった。
②まだLINEブロックされてるしTwitterは消されたんだけどどう連絡したらいいんだろう、ブロック解除するように言ってくれるってこと?電話番号を伝えてくれるってこと?
①②は話して認識を擦り合わせたかったけどあまり話させてもらえなくて言えなかった。来週末電話もらう約束したので精一杯だった。
インスタフォローしてDM送ったけど向こうがDMのリクエスト承認してくれないから読んでくれたのかもわからないし返事もこない。最新の投稿に自己紹介とリプライでDMのリクエスト許可か一時的にでもフォローバックして欲しい旨を書き込んだけどいいねがついただけ。
東京都知事選終了直後のマスコミによるインタビューで、石丸氏が行った辛辣な受け答えが主に"X"上で「パワハラ気質」だと批判を受けています。しかし、あの時の彼はどちらかといえば「パワー」にあらがって戦っていた側だったように思います。
この話の前提として、都知事選はそもそも「知名度」だけで勝負が決まるようにデザインされている側面があります。石丸陣営は、票数を伸ばすために実直な街宣活動を常識外れの高効率で回し続け、賛同してくれるインフルエンサーを見つけたら機動的にコラボ配信するなど、自分たちでできる知名度アップ作業を誠実に実行し続けました。その街宣回数は200回を超えましたが、広い東京都での知名度アップには全く足りていませんでした。期間が足りない上に、法によって方法が限られているからです。そのようにデザインされた選挙のルールに乗っかっているからです。
石丸陣営の最終的な願いは、都民に対して「上位候補者の知名度」を可能な限り均して、その先で「候補者たちの方針・政策」をもっと知らしめ、都民により深く検討してもらうことでした。それには地上波メディアによる討論会の開催が必須であり、それも多数の局を渡り歩くような盛り上がりが必要でした。しかし、それが無かったために、都民は結局情報不足のままで「知名度」勝負に巻き込まれました。それが今回の知事選であり、これまで通りの知事選でもありました。
短時間で「知名度」の差を均すことができるのはマスメディアだけです。しかし、彼らは仕事をしなかったのです。「何もしない」を選択したマスメディアと、「選挙運動を最低限に控える」を実行し続けた小池氏の連携により、小池氏が最も多くの票を獲得しました。
そして、まさに都知事選終了と同時に、急に仕事をする気になったメディアたちに、石丸氏や蓮舫氏はこう聞かれたのです。「手ごたえはいかがでしたか?」と。
プロスポーツで、試合は見なかったけれどもインタビューはするという記者がいるでしょうか?「見ませんでしたし、放映しなかったけど、どうでした? 手ごたえは?」と聞くスポーツメディアがあるでしょうか?
石丸氏が辛辣だったのは、こういう状況においてです。多くの人が「石丸はパワハラ気質」といった声を"X"上で見たかもしれません。しかし、そのパワーハラスメントの「パワー」とはこのときどう見てもメディア側であり、「ハラスメント」・・・とまでは言えないにしても、やはりとても失礼なインタビューであったのではないでしょうか。
ところで、石丸氏がパワハラ気質であった場合、その矛先は指揮下にある安芸高田市の政策立案チームや都知事選の石丸陣営ボランティアスタッフたちに向けられるたことでしょう。実は彼は、ことあるごとに「安芸高田市の人口規模でも役所には優れた人々がいて、とても良いチームになった」、「ボランティアスタッフが有能なおかげで群衆の整理をほめられています」などと言っています。彼を追いかけていれば、和やかなミートアップ動画などで、かなりの頻度でそのような評価を耳にするでしょう。
実際に、バンカーらしい赤字圧縮の政策を多く通したこと(数字でわかる)や、街宣のあの回数(数字でわかる)を事故無くまわしたことなど、マネジャーとしての能力も高いことを示しています。結果を出すチーム、彼らを指揮するにあたって怒鳴ったり皮肉を言ったりして効率を下げる暇が本当にあったでしょうか?4年間しかない市長時代も今回の短すぎる都知事選も…。そうは思えません。
就活に悩んでる
何がしたいのか全くわからん
やりがいとかどうでもいい
今まで学んできた専門性を活かしたい
まあまあ業界詳しいからこそここにいても何も変わらないんだろうなって思いはある
研究はもうやりたくない。やるならチームでやりたい
せっかくだから新しいことがしたい
そして交際相手が欲しい!そのためにはある程度高給とりの方がいいにきまってる!
再就職になるから未経験オッケーのところじゃないとダメだけどあんまりいい条件がない
ITとかなら将来性はあるのかも知らないけどわからん。情報不足
なんとなく書いてみたけどどうするもんかねえ
就活に悩んでる
何がしたいのか全くわからん
やりがいとかどうでもいい
今まで学んできた専門性を活かしたい
まあまあ業界詳しいからこそここにいても何も変わらないんだろうなって思いはある
研究はもうやりたくない。やるならチームでやりたい
せっかくだから新しいことがしたい
そして交際相手が欲しい!そのためにはある程度高給とりの方がいいにきまってる!
再就職になるから未経験オッケーのところじゃないとダメだけどあんまりいい条件がない
ITとかなら将来性はあるのかも知らないけどわからん。情報不足
なんとなく書いてみたけどどうするもんかねえ
物語を読んでる最中に、登場人物の心情とか背景とか、全部教えられちゃったらどうなる?読者の脳みそがまるでスイッチを切ったように、何も考えなくなる。
例えば、登場人物が何を考えているか、どう感じているかを全部明かされずに、ちょっとしたヒントだけを与えられるとする。すると読者は、自分なりに解釈して、想像力をフル稼働させる。
その結果、物語に対する愛着も深まるし、何よりも楽しみ方が広がる。
逆に、創作の中で説明が過剰になると、読者はただの受け身になっちまう。
作者の意図をそのまま受け取るだけの、まるで教科書を読んでるかのようなつまらない体験になる。そんなのは、まぁ、つまらない。
だからこそ、説明不足ってのは意図的に仕掛けるべきテクニックなんだよ。
読者に考えさせ、想像させることで、物語に対する没入感も増す。そういう意味で、読者や視聴者を信じて、むしろ挑発的に情報不足を生み出してもいいと思う。
まず投票先に関わらず投票自体に報酬がある場合の話をしているので2の買収の話は関係ない。
3,5に関しては国が通貨発行して負担すればいいだけ。自国通貨を発行可能な国で財源そのものが問題になることは原理的にありえない。国内産業がろくになくて供給不足で高インフレになってるとしてもそれは供給能力の不足が問題なのであって財源は関係がない。
4はそもそもその投票義務が果たされないからそれを解決するための解決策として提示してるのだから倫理的問題を言うのであれば倫理的解決策を述べるべき。そもそも投票権を売買してるわけではないのだから商品化しているという表現は奇妙である。
1だが政治不信の問題が根本的に解決されるわけがないし、政治不信と投票率を上げる提案にはそもそも関係がない。政治参加への無関心を解決するための提案なので循環論法になっている。投票に関する情報不足は広報の問題であってこの解決策の反論にならない。一時的にしか効果がないというが根拠がない。
投票率が低い理由は、金銭的なインセンティブの欠如以外にも、政治への不信感、政治参加への無関心、投票に関する情報不足など、様々な要因が考えられます。金銭配布は、一時的に投票率を上げるかもしれませんが、これらの根本的な問題を解決することはできません。
金銭配布は、金銭で投票を左右してしまう可能性があります。金銭に困窮している人や、政治に関心がない人は、金銭目当てで投票する可能性が高くなります。これは、民主主義の根幹を揺るがす重大な問題です。
すべての投票者に金銭を配布するには、莫大な財政負担がかかります。限られた財源を金銭配布に費やすよりも、政治教育の充実や投票手続きの簡素化など、より効果的な投票率向上策に投資すべきでしょう。
金銭配布は、投票を「商品」として扱うという倫理的な問題があります。投票は、市民としての義務であり、権利です。金銭で投票を誘導することは、市民の自主性と責任感を損なうことになります。
5. 他の政策への影響
金銭配布は、他の政策への影響も懸念されます。例えば、最低賃金の引き上げや社会保障制度の充実など、より重要な政策への財源が不足してしまう可能性があります。
科学的にどうなの?と思いつつ少し前に受けた遺伝子検査の結果で特に気になっているのが、不安性の高さ、新規探求性の高さ、道徳性の低さです。
私は自分自身が統合失調症であることに、妙に納得してしまいます。遺伝子自体が矛盾するような行動性質を示しているではありませんか。
すこし神秘主義的ですが、苗字のゲマトリアは「悪魔」と一致します。
遺伝子ガチャではハズレを引いているようです。(といっても、産んでくれた両親には感謝しています)
さて仕事の調子はどうでしょうか。最近のあるタスクで「これはちょっと難しいかもしれない」と思ったものがありますが、実装に着手する前に、要件を確認・整理することに時間を長めにとったり、情報を集めたり、問題を部分問題に分解しました。
するとどうでしょうか。最初に「難しい」と考えてしまったのは単に情報不足であることがわかったのです。
情報を得て実装に着手してからはタスクの8割をすでに完了しています。
思い出せば、私がニート状態の時に、仕事を探す上で強い不安を感じていたものです。
「こんな仕事、できるんだろうか」とか「家から遠すぎやしないか」と言う具合に。
しかしそれも経験という情報不足が招いた不安です。いざ仕事に就いてみれば、不安も徐々に軽減されていったことがわかります。
たくさんの様々な経験をすることは重要かもしれません。経験が伴えば、行動する前の不安というものを感じにくくなり、人生を楽しめると思うのです。
実話怪談とは、四谷怪談のような古典怪談ではなく現代の怪談だ。というとトイレの花子さんのような都市伝説を思い浮かべる人もいるだろう。しかし、そのような出所不明の噂話とも違う。
まず大前提として「実際に不可解な体験をした人というのは、この世の中にいるんだ」というところから始まる。そして、それら体験者から聞き取ったものを語ったり、あるいは執筆という形で記録されたものが実話怪談である。
と、基本的な説明としてはこれで十分ではあるのだが、多くの人が疑問に思うことだろう「それが実際にあった話だとする根拠は?」と。
ここははっきりと申し上げておくが「そんなものはない!」である。
ないんスよ。というのも怪談は超自然的なもの、未知のものを扱う分野だからだ。最新の科学技術や物理知識を以てして証明できてしまったなら、その時点で、もはやそれは「怪談だったもの」となってしまうからだ。
うん、わかった。
もう少し突っ込んで説明しようか。
つまり、実話怪談とは「実際にあった話だとする根拠はないが、とにかく、本当に不可解な体験をしたと主張する人がいて、その人の実在を根拠とした話」のことだ。
そんな根拠の拠り所となる体験者は、実際に語られるさいには、諸般の事情により匿名として扱われることが多い。
…はい、お察しのとおりだ。実のところ、受け手側に実話であると判断する材料はほぼない。
ここまで読まれた皆様におかれましては「せめて、なにか実話を担保するものはないのか?」とお思いかと存じます。
まあ、その、あるにはあるんですよ。お気に召すかはわかりませんが。
というわけで、以下が令和最新版だ。
実話怪談とは「実際にあった話だとする根拠はないが、とにかく、本当に不可解な体験をしたと主張する人がいて、その人の実在を根拠とした話…としたいけど、事情により身元は明かせない以上、聞き取ってきた私という実在を仮の根拠とした話」のことである。
あきれちゃった人には申し訳ないが、こういった回りくどい手順を踏むことで、かろうじて実話と呼べるものになっているのが実情だ。ゆえに実話怪談はその性質上、二重の信用が必要となる。
つまり、怪談話者(著者)は、取材において体験者が事実を話していると信用し、受け手は話者(著者)が嘘を言っていないと信用したときに、初めて実話怪談を楽しむことができるのだ。
もはや新手のカルトのように聞こえるかもしれないが、事実そうなのだ。とはいえ実話怪談愛好家がなんでもかんでも受け入れているかというと、そんなわけではない。聞いていて、あるいは読んでいて「なんかこの話うさん臭いなぁ」と思うことは多々ある。
なぜなら、それぞれが自分なりの実話怪談観を持っており、常にそれをもとにこの話者(著者)を信用するかどうかを推し測っているからだ。また、これは怪談の取材時でも吟味される事柄である。(興味があるなら『忌み地 怪談社奇聞録』あたりを読もう)
こういった部分も含めてこのジャンルの楽しみ方となっている。
個人的に言えば、実話怪談とは少額の霊感商法だと思っている。騙されたとしても、実害は、文庫本なら数百円ていど、新書なら千円か二千円ていど、映像ならタダから数千円ていど。イベントもそれくらいのものだろう。
これは受け手側としての心持ちについて論じているが、同時に話者(著者)側にある程度の倫理観を求めるということでもある。
実在する人物を扱うこともそうだし、死を扱うという点においてもそうだ。タブーをかき分けた先に真の恐怖はある。根本的に不謹慎なジャンルなのだ。
だからこそ信用される優れた話者(著者)となるためには、細心の注意を払いつつもギリギリを攻めるという綱渡りを行わなければならない。
ともかく、信用を重視する点からわかる通り、実話怪談というジャンルは意外なほど属人的な性質を孕んでいる。そしてこの属人性こそが、昨今の実話怪談ブームの一因であるように思う。
分かりやすく言うと、怪談師と呼ばれる人々が出てきたことによって盛り上がったのだ。
実話怪談の始祖を『新耳袋』とするなら、最初の媒体は書籍であり文字媒体だった。(ちなみに稲川淳二御大の語る怪談を、実話怪談の枠に当てはめるのは無理があるので割愛)
まだ怪談師という言葉はなかったが、初期のころから属人的な気質は垣間見れた。とはいえ、この時代の実話怪談はエピソード至上主義であった。
私は00年代の初期からの愛好者だが、この時代は怪談にとって冬の時代だった。それでも『新耳袋』や『「超」怖い話』がシリーズとして刊行を続けてきたことが、今日の盛り上がりの土壌となっている。
「怪談師」という言葉が出だしたのは10年代の中頃だろうか。怪談師とは怪談話者のことだ。彼らの活動範囲は音声のみならず、映像やイベントなど大きく広がっていった。
そのため必然的に話者の存在が前に出ることとなったが、属人性の強い実話怪談と非常に相性がよかった。
昨今の怪談人気は、すなわち怪談師の人気と言って差し支えない。
さて、それに加えて、去年あたりから呪物が盛り上がりを見せている。
いわゆる呪物ブームだ。
事情を知らない人からするとマンガ『呪術廻戦』人気に乗っかったものだと思われるかもしれないが、それは半分くらいは正しい。マンガの影響はでかい。
とはいえ呪物コレクターと呼ばれる存在が昨日今日で誕生したわけではない。もっと言えば、呪物と呼ばれるものは大昔からあり、怪談好きに限らず、多くの人から認知されていたはずだ。
そもそも実話怪談においては、エピソードが重要視された。実話の「話」とはお話(エピソード)のことだから当然と言える。ゆえにエピソードの乏しいものは主流から外れていく。
怪談ジャンキーには「ここの木陰に恨めしそうな女の顔があります」だけではお話として弱く感じるのだ。
「出ると有名な廃墟を探索しました。すごく雰囲気があって怖かった」だけでは怪談欲は満たされないのだ。
呪物もその性質上エピソードに乏しい。「これが丑の刻参りで有名なご神木に刺さっていた藁人形です」だけでは情報不足も甚だしく、消化不良を起こしてしまう。
とはいえ、これらは実話怪談という評価基準において物足りないというだけで、それぞれに違った魅力があり、愛好する者が一定数いる。
また、怪談師という存在が実話怪談を発表するメディアを広げたことにより、別媒体として点在していたそれらが、集約されつつある。その中でもビジュアルに優れた呪物は、具体的なイメージに乏しい実話怪談を補佐する存在とも言える。
だが、それは本質ではない。
呪物ブームの最大の理由は、呪物コレクターの所有する呪物のエピソード性の高さだ。いつの間にか呪物はお話を手にいれ、怪談そのものとなっていたのである。
むろんこれにはカラクリがある。そして、それこそが先般の木札に関連した炎上事件の原因ともなっていると考えられる。
具体的な手口は単純で大したことではない。呪物の定義を限りなく押し広げた、それだけ。
一般的な「呪い」や「呪物」といったもののイメージは「恨みを持った人間が、儀式などの間接的な方法で怨念を晴らそうとする行為=呪い」であり「その儀式で使用される道具=呪物」ではなかろうか。すなわち丑の刻参りを行うことが「呪い」であり、そこで使用された藁人形が「呪物」であると。
・呪われるわけではないが曰くのあるもの
・心霊現象に関わる物品
・念のこもったもの
これらをまとめて呪物として扱ったのだ。
呪物という語にそれらを無理やりに詰め込んだ結果、呪物のミーム化といった現象がこの界隈で起こった。これによりエピソード性は強いが呪物と呼びがたい物すらもその範疇に納めることに成功する。
どこまで意図的に行われていたかは分からないが、そういった呪物コレクターの戦略が奏功し、折よくマンガの人気と合わさったことで、呪物ブームが巻き起こったのではなかろうか。
あくまで個人的な考察ではあるが、あながち的外れでもないかと思う。
というのも、今回の炎上には特徴的な温度差が見てとれる点からも、それらを裏付けているように感じたからだ。
今回の件はジャニーズ性加害問題と似ている。すなわち、内部においては問題意識がほとんどなく、外部の人間が指摘することで初めて問題化したという点だ。
そもそも木札のエピソードは2022年の時点ですでに紹介されており、それこそ祝祭の呪物展というイベントでは2年連続で展示されていた。しかし木札について問題視する声は(自分の観測範囲内では)なかった。
私自身はイベントに足を運んではいないが、動画にてその存在を知った一人である。だが、やはりその時はまったく問題意識はなかった。
事が明るみになったさいも、初めは事情の分かっていない人が騒いでいるだけだろうくらいに思っていた。しかし実際に内容を確認するにつれ、そういった次元の出来事でないことに気付き、心地よい夢から叩き起こされたような気分となった。
この件に関しては、はやせ氏に非があることは間違いない。
問題は複数あるが、やはり東日本大震災の被災者と関連のある物品を「呪物」というくくりに入れてしまったことに尽きる。呪物コレクターとしての戦略が裏目に出た形だ。
だが、本当に非があるのははやせ氏だけだろうか。
これは出自不明と説明された木札の出所が判明し、そのエピソード自体に疑問が持たれた今だからこそ言える話などではなく、最初の発表時からあった問題だ。
しかし自分も含め誰も指摘できなかった。受け手側も麻痺していた部分があったのだ。間違っても「はやせさんがあんなに謝ってるんだから、許してあげてください」なんて言える立場にない、どころか一緒にごめんなさいしなくてはいけない立場にあると言える。
…とはいえ、頭では理解できるものの、心の奥底では引っ掛かりを感じている。
それは結局のところ、不謹慎さも含めて楽しむというスタイルが染みついているせいだろう。
自分は高潔な人間などではない。心の奥底にドロドロとした薄汚いものを秘めた、しょうもない人間でしかない。
冒頭に戻るが、今、実話怪談が盛り上がってきている。
文字媒体くらいしか発表の場がなかった時代は終わり、怪談師の活躍により発表の場は増えていった。賞レースも盛んとなり、多くの怪談師と無数のファンを生み出した。
全くその通り。
自分の場合、新知識への貢献を諦め、巨人の背の登攀に専念して、ようやく朧げな見取り図が見えてきた分野も幾つか出てきたが、
その「専門」と言っていい分野ですら未踏地の多さと広さに慄くばかり。
そして、その「未熟なりに以前よりは遥かにましになった己が専門分野での判断」に利用している前提知識の量を踏まえたら、
自分の専門外である世の中の出来事の99%に対して、ついつい抱いてしまう「感想」など、とても「判断」の範疇に入るものでなく、
千行の問題文の十行だけ読んで、脊髄反射で思いつきのキーワードを並べてるがごとき雑この上ない代物のはず。
これは智慧なり明晰さなりではリカバーできない「絶対的な情報不足」に起因する話なので、自分より遥かに頭がいい人でも、
結局、我々が持ってしまう「意見」や「判断」の大半は、口に出した瞬間単なるデマとなるような無根拠でバイアスまみれな存意に過ぎない
他人の論の過程の誤りの指摘ならまだしも、何かを「これが正解」と主張できる機会など、生涯に数回もあれば随分な勉強家であろう。