はてなキーワード: つくたべとは
はじめに言うと、自分は弱者男性(笑)概念なんぞ存在しないと思ってます。何故ならば東大出てるようなバリバリの日本男性社会上位層でも名乗っているから。
その上で、ネット上の弱者男性概念について以下のように仮定します。
・ミサンドリー、ミソジニー等の異性について攻撃的な言動が目立つこと
・保守思想、ネトウヨ、表現の自由戦士等過激思想に染まりやすい
以上を踏まえ、
・左翼思想、LGBTQ+過激思想、フェミニズム等過激思想に染まりやすい
こうした女性は弱者女性と言っても差し支えがないのに、多くはフェミニストと言われて正当化されています。…が、自分はそれに加えて新しい流れの到来を数年前から感じていました。
トランス男性の僕がバイト先の上司に言われたこと(前編)1/2
https://twitter.com/palettalk_/status/1664600250169061376?s=46
この人はまだマシな方だと感じます。だってモテてるし現実世界で活動しているから。
【世はまさにトランス男性、ノンバイナリー、アセクシャル、LGBTQ+を名乗る非モテオタク弱者女性時代!】
弱者女性の条件に該当する女性を観察すると、彼女等のTwitterのbio欄を見ると驚くほどLGBTQ+率が高いです。特に多いのがノンバイナリー(自分に性別的な概念はなく、女性扱いをされることに苦痛を感じる性である)、レズビアン、アセクシャル(他者に性欲を感じない)です。
また発達障害を併発している、鬱病である、社会不適合者であるため自分は職場で不当な扱いを受け、尚且つ性的マイノリティなのに職場が配慮してくれないから(!)と主張しています。ASD女性特有の男性同士の恋愛を好む傾向のためか、大抵は腐女子です。ノンバイナリーだから自分が女性らしくないのは悪くないし、レズビアンを名乗るくせに相手が居たことはないし、アセクシャルを名乗るのに男性同士のホモエロ同人にはメチャクチャに興奮してるしバンバンに妄想を垂れ流してます。
そう……。彼女(ではなくてノンバイナリーならtheyとかなんとかかんとか、トランス男性なら彼とかなんとか)たちはいわゆる、『俺女』の慣れの果てです。
青春時代を銀魂を読んでガサツに「オイィィ!!!wwwwwww」とかがなり立て、勉強が必要な時期にBL同人誌を読み漁り書き散らしてきました。
男性が背負う『出世競争に負けなければ死ぬ』という圧も感じず、のうのうと生きロクに勉強もしてこなかったので良い大学、良い職にも就けませんでした。
かと言って結婚もしたくない!私はモテなんて追求しないの!という逆張りで女磨きもしなかったのでブスなままなので結婚も出来ませんでした。
将来のことなんて一ミリも考えていないので、若いうちに役立つ資格もとっていません。
…そんな彼女達が婚期を逃して最後に縋るのが、『自分はLGBT+だから非モテなのだ!!』『普通の人生を送れないし生き辛いのはマイノリティなせい!』という左翼思想の砦です。
そのためTwitterでガンガン主張をアホみたいに垂れ流し続けます。低所得な仕事を続けながら、現実世界では灰色の石コロみたいに何もしないでおとなしい存在なのに、Twitter上でのみバカみたいに#pridemonth!みたいな虹色のカラフルなフラッグ付きハッシュタグを付けてイキり散らかします。
差別的なツイートを見つけては軍隊蟻のようにたかり、攻撃して『私たちはバカな男より頭が良い!』『私たちは先進的な活動家!』と満足しています。時折不幸自慢をしては『性的マイノリティとして生きるって、辛い……』と被害者面をしています。
その癖現実でのLGBT+の権利向上についての活動については特に行動はしません。本質的には興味がないからです。「もっとLGBT+について知って欲しい〜辛い〜辛いよぉ〜」と宣うだけです。一銭も金は出しません。デモに行くくらいなら家でポテチを食べながらTwitterをしています。つくたべを買ってドヤってます。
「私は本当にノンバイナリーでレズビアンでアセクシャルでトランス男性なの!」「この差別者のはてブに死ぬほど傷ついてる!」「死にそう!」みたいなツイートがこのはてブにもいっぱい来ると思います。でも、明日からもどうせTwitter上でしかノンバイナリーやらLGBTQ+と名乗りませんし、活動してません。
あらかじめ書いておくが、この日記は決して「男性向けは寛容で女性向けは狭量!」と言いたいわけではない。ただ私個人には女性向けよりも男性向けの方が心地よかったというだけだ。
だからこの日記を根拠に男性向けageや女性向けsageをするのはやめてほしい。ただ愚痴を吐き出したかっただけなので。
まず女性向けではこの三つ巴でしょっちゅう揉めているのを見かける。そしてそれぞれが自分たちは迫害されている被害者だと思い込んでいる。例えば腐なら「私達は昔から男オタクからイナイレ投票やpixivのグロ画像荒らしで迫害されてきて…男女カプは当たり前のように作品タグやキャラタグを使ってるのにBLだと棲み分けを強いられてきて…」夢なら「最近はマシになってきたけど夢というのは昔から居場所がなくて…5chですら叩かれてて…自己投影が悪口として使われていて…」男女なら「女オタクはみんな腐女子か夢女子みたいに扱わがちで…腐や夢から散々ヒロインを叩かれて…」みたいな感じだ。
そして腐内では左右固定とリバでしょっちゅう揉めている。そしてそれぞれが自分たちは迫害されている被害者だと思い込んでいる。例えば固定なら「リバ者は平気で地雷を垂れ流してきて…自分の作品をリバが逆カプに解釈してきて…リバこそポリコレ的に正しいとマウント取ってきて…承認欲求を満たすためにリバカスが固定と偽って固定者に読ませてきて…」リバなら「リバカスなんて蔑称で呼ばれて…わざわざ別垢を作って逆カプに萌えていたら詐欺と責められて…左右どちらでもいいなんて解釈が浅いだけと言われて…」
そして固定同士でも逆カプや対抗カプを理由に争っている。
夢内でもオリ主派と自己投影派は多少揉めているようで自己投影のキツイ(と読者が思った)作品は叩かれがち。そして同担拒否というので同じキャラが好きな人同士がいがみ合う場面もある。
男女は多少平和なのか?と思うが対抗ヒロインで揉めることもあるらしい。
あとジェンダー論争でフェミ腐女子(腐ェミ)とアンフェ腐女子(アン腐ェ)が揉めているのを目にする。腐ェミは洋画界隈や海外ジャンルに多いようで「同性愛を腐ってると呼ぶなんて同性愛差別!」ということでshipperを名乗りがちだ。最近だとつくたべを持ち上げているのもこの層だと思う。この人たちは咲のポスターを叩きつつ海外俳優でナマモノ萌えしていたりするのでアンフェからはダブスタと叩かれる。一方アン腐ェは「男性向けもいける!可愛いおにゃのこ好き!」みたいな雑食腐女子が多くて、アンフェ男がよく持ち出す「萌え系作品には女性作家が多い!」の根拠となる人たちだ。本当に好きなのか金稼ぎ目当てなのかは知らないが男性向けエロや美少女を描いている人も結構いる。あと淫夢ネタやおとわっかなどの差別的ネットミームを男オタの真似をして使ったりする。ぱっと見アンフェ男の味方をしているがあっさり腐ェミに寝返ったりする。
好きなものを愛でるだけで済まずに嫌いなものを主張する人たちに疲れた。ツイフィやプロフカードに地雷のカップリングを載せたり男女が地雷、BLが地雷、夢が地雷と書いたり、面倒くさ!!と思ってしまった。男オタクにもそれぞれ嗜好の好き嫌いはあるだろうが、わざわざプロフィールに嫌いなものを書いたりはしないと思う。なぜ女性向けだと描くかと言えば配慮してもらうためだけでなく、それぞれ徒党を組むため?と思ってしまう。女性向けだと好き嫌いが個人の問題では終わらずにそれぞれにグループを形成しているのが辛いのかもと思った。自分でも良く分からないが。
男性向けも平和というわけではないらしく、百合やおねショタ(ショタおね)界隈はしょっちゅう揉めているらしい。しかし自分は百合もおねショタも興味ないので今のところは嫌な思いをしていない。ふたなりも玉ありと玉なしで揉めているらしいが、ふたなりも興味ないので大丈夫そうだ。
あと男向けは非処女の場合や男の気配があった場合荒れるっぽいが、自分も推しに対しては処女厨&童貞厨なので問題ない。女性向けが面倒というより男性向けの方が自分に合ってるというただそれだけだと思う。
作品の批判をするなら作品に書いてあることのみで批判しろよ。お前の見た現実の催事場まんまのもんがつくたべに書いてあって、それで春日さんが勝手に被害者ムーブかましてんならそれはおかしいが、そうじゃないだろう。
一般からどう見られているかということについては、女の子二人でエロい事をしているのを男が俺もまざりたいと思いながら見る漫画とかアニメとか小説その他だと思われてんじゃないの?
私にとってはつくたべみたいなのはむしろオールドタイプの正統派百合(今となっては滅びつつある)だが。消えかけた王道がポリコレによって再び世間の目の前に引摺り出されてきた感じというか。
媒体が誰でも無料で読めるWEB漫画ということで良くも悪くも言及される機会が多く、作者さんをフォロー等してなくてもフォロワーさんのいいねやRTでTLに回って来て読んだことがある人が多いのではないかな。
以前までは特にジェンダー問題に関心が高い人の間で評判の良い作品といった立ち位置だったけど、俗称・山賊回(初対面の人の家に泊まりに行って、家主が寝ている間に食材を根こそぎ漁って、自分達だけ食事を作って食べたモラルハザード回)を皮切りに趨勢が入れ替わり、批判が増えて、遂に「つくたべ批判いいね罪」なる声に出して読みたい日本語まで爆誕したネタ漫画に…。
個人的に作者が描こうとしているテーマと描いている内容に齟齬があるというか、食い合わせの悪さを感じる作品だと前々から思っていたので、山賊回は論外としても、批判が起こるのもまあわかるんだよな。
LGBTQの恋愛というニッチ要素を商業作品として色んな人に読んで貰う為に、“食”という誰しもに身近で流行りでもあるテーマと融合させたんだろうけど、この2つのテーマの接続の仕方が、何とも雑で。
LGBTQ+食を題材にした商業作品というと「きのう何食べた?」が有名だけど、こっちは融合のさせ方にも全く違和感ないし、作中での“食”に対する言及の仕方などから作者の並々ならぬ“食”へ拘りの強さや熱量が垣間見えるので、LGBTQ当事者じゃなくてもグルメ漫画として面白く読めると思う。(だからこそBL畑のよしながふみにとってのアウェイである青年誌・モーニングでの連載ながら売れて、実写ドラマ&映画化までしたんだと思うし。)
他方、つくたべの作者さんは“食”にそこまで拘りがない人なのでは?っていうのは読んでて誰しもが感じる点なんじゃなかろうか。
一点例を挙げると、9/10現在の最新話であるバレンタイン回では、春日さんはバレンタインの催事に出掛けるも「ここはシスジェンダーの人達のための場所で私のようなレズビアンは存在を消されてしまう」と被害妄想を募らせ、野本さんは春日さんにプレゼントする為のチョコレートのパウンドケーキを6個試作する。
昨今バレンタインの催事は「チョコ好きガチ勢にとってのコミケ」状態となっており、一年でここでしか食べられない珍しくて美味いチョコを買う為の真剣勝負の場となっている為、女性相手のチョコを買いに来た女性が爪弾きにされる空気などない。(女性同士で贈り合う友チョコなどは昔からごく普通に行われている。)
野本さんサイドの方も、お菓子を手作りしたことがある人ならば全員が知っていると思うが、製菓用の材料というものは押し並べて割といいお値段がするし、本命用のチョコレート菓子を作る場合に用いるに相応しい種類のクーベルチュールチョコレートは結構高価である。
作者は6個も試作品を作るほど真剣な乙女心!を書いたつもりなのだろうが、非正規で低収入という設定の野本さんが練習用に濫用出来るほど安くはないはずだ。
試作品には普通の板チョコを使ったというならそれもおかしな話になる。本命用の、試作品を何個も作るようなチョコレートケーキを作るのにスーパーなどで売っている普通の板チョコを使う人がいないとは言わないが…。
作者はバレンタインの催事に興味がないのかな?、お菓子を作ったりしない人なんだろうな、と思わずにはいられない描写である。
つくたべという漫画ではこのように作者の“食”に対する興味のなさが随所に滲むので、“食に”興味が強い人ほど違和感を覚える仕様となっている。
まあ商業作家がご飯を食べて行く為に好きでもなければ興味もないジャンルの作品を描くのは珍しいことでも悪いことでもないし、それで成功するケースも往々にしてあるので(「キャプテン翼」なんかはその最たる例だろう。最近では「SPY×FAMILY」の作者が同様のコメントをして物議を醸したが)それ自体は別にどうでもいいんだけど、ここにつくたべの主人公の一人である「食べたい女」こと春日さんのキャラ設定を加えると、違和感が首をもたげる人が多くいるのは無理からぬことではないのかと個人的には思う。
春日さんは化粧っ気のない背が高くかなり太っている非常に大柄な女性で、齢30歳弱にして米の食べ過ぎで膵臓を悪くしている(と作中で本人が自己申告している。
彼女は幼少の頃に父親や弟と食事の量などで差を付けられていたトラウマから、実家を出て一人暮らしをしている現在では好きなものを好きなだけ食べるフードファイターもかくやの大食いとなった。
そんな春日さんと、料理が好きでご飯を沢山作りたいけど小食で食べ切れないから作りたいのに作れないという葛藤を抱えていたもう一人の主人公である「作りたい女」こと野本さんが出会う。
「食べたい」と「作りたい」の利害が一致した二人の女性同士の付き合いが始まって…というのがつくたべの導入であり骨子なのだが、やはり膵臓がやられていると申告している人に、本人が食べたいと言っているからといっても、大盛りの飯を好きなだけ食わせるのは虐待に等しいように読者の目からは見えてしまう。
そもそも大食いになったキッカケも男尊女卑な家柄でストレスを抱えた生活をしていたことから来る心因性のものなので、それは自傷行為に等しいのでは?とも思うし。
まあ二人はただの隣人同士であり、野本さんに春日さんの健康を管理してあげる義理はなく、「健康に悪いからもっと野菜を食べなきゃダメだよ!」などと口を酸っぱくして言い聞かせるような間柄でもない。
しかしそうは言っても、作中で野本さんは春日さんへの恋愛感情を自覚しているので、「野本さんは仮にも年上なのに、好きな相手の健康が気にならないの?」というのはごく自然に発生して来る疑問であるように思う。
心因性の大食いで既にブクブクと太り膵臓も悪くしているけどそれでも食べたい(まさに自傷行為、セルフネグレクトとも言える)女と、炭水化物と脂質ドカ盛りの料理を作って食べさせたい女。
この二人を読者が微笑ましく見守るにはあまりにもノイズが大き過ぎやしないだろうか。
春日さんのキャラ造形をBLのスーパー攻め様の女版的なバリキャリの美人OLみたいにはせず(※作者さんはもともとBLを描いていた漫画家さんだった)化粧っ気のない太った非正規のエッセンシャルワーカー女性にした理由も、作者さんが「女性差別・家父長」や「ボディポジティブ」や「脱コルセット」的なポリコレ要素を取り入れたいと思ったからだと推察するのだが、春日さんの大食いが心因性のものであるならば、それはボディポジティブなのか?となって来るわけで、そこにもテーマ同士の食い合わせの悪さを感じずにはいられないのだった。
巷ではつくたべを批判する人は差別主義者だと言われているようだけど、以上のことから、つくたべに対する批判が起こるのはごく自然的なことであり、作者の思想のせいではないと思うんだよな。
作者が描こうとしている、描きたいと思っているものは何となく分かるのだけど、そこに漫画家としての技量や扱うテーマに関する知識が追い付いてないというか。
もっと設定をシンプルにして、二人の女が笑いながら美味しくご飯を食べるだけの話でも良かったのでは?と思う。
ポリコレ要素を足したいのならもっと入念に取材をすべきだし、その上で物語に馴染むかどうかを吟味して、商業作品として良い物を世に送り出そうと思うのならば、足し算だけじゃなく引き算も行った方がいいのでは?と一漫画読みの立場から具申させていただきたい。
補足。マイノリティが活躍する作品の否定は差別だというコメントがあるけど、そういった作品の中にも当然だけどピンキリがあると思うんだよね。
例えば最近評判が良かった作品というとNetflixのハートストッパーなんかがあるけど、私もあれはすごく良い作品だと思ったし。
補足2。フェミが評価してる作品だから重箱の隅をつついてるんだというコメントがあるけど、上と同様フェミニズム作品の中にもピンキリry