はてなキーワード: 隊長とは
昔からそういう男はいたよね。例えばバイク(仲間)に休日と170万円をつぎこんであげく事故って廃車になったらそれでも「あなたの体は無事だからまだよかった」という奥さんもいたわけで。逆に女は経済DVという言葉がまだまだ浸透していない(女が高収入でも成り立つよねこれ)。綣を繰らなければそろそろ破産していたね。あでぃー〇だね。
奥さんも旦那さんも演技というか情感たっぷりでお怒りもあって子育てとの並立が大変だと思うけれど、できれば、でいいから、たとえばどこか夫の知らない貸し金庫に今回の証拠をすべてプリントアウトして預けておきなさい。実家よりもそっちがいいと思う。
高校になったら子供を旦那さんの手から取り返したほうがよい。調子のいい隊長は高校以上の子供を率いることはできない。送迎などのために運転免許を。
では当面の再教育がんばって。
夫が隠れて借金をしていた。洗濯物のポケットから支払い明細票が出てきた。読んでも正確な額が分からない。ただ50万円以上は確実だ。急いで夫と連絡を取り「持ってる金融機関のカードを暗証番号とともに全て提出してね」と伝えた。
これまで我が家の家計は完全に別財布だった。昔から家賃光熱費通信費は全て旦那持ち。子供が生まれて私が退職している今は、そこから更に毎月6万円食費雑費としてもらっている。
思えば夫の金遣いには怪しい所があった。DVDや漫画を買うのが好きだし、ゲームにも課金していたようだ。それでも大人なんだから借金なんかするはずないと思ってた。クレジット会社から送られてくるギフトカードを受け取りながら、私は不安になって何度もこう言ってたのだ。「借金ないんだよね?もしあるなら全部私が立て替えるから。リボ払いは怖いんだよ。6万円払えるの?」それに対して夫は「大丈夫、借金なんてしてない」
どうやら夫は大ウソつきうんこ野郎だったようだ。それでも今まで家計を任せきりにしていた負い目もあるから強く責める気はなかった。
帰宅後、カードと暗証番号をもらって、急いでカード会社のホームページから利用明細を確認。何ということでしょう。彼は毎夜ソシャゲに高額の金を突っ込む大脳の溶けた精神病患者だったのです。
1万円の支払いを一晩に3~4回躊躇なく繰り返している。年末年始なんてひどい。12月31日から1月1日にかけてのリボ払いの大盤振る舞い。
借金の額は、100万はありそうだが夫も正確には分からないと言う。私が「自分の借金の額を把握してないの変だよね?何でかな?」と言っても、夫は辛そうに黙っている。だいたい彼は暗証番号を言うときもキレ気味だった。子供か。私より10以上年上だけど精神が成長する機会には恵まれなかったようだ。
翌日、泣き叫ぶ2歳児と眠り込む0歳児を引き連れて、カードの支払窓口に大金を持ち込んだ。手持ちでは足りず、総額で自分の貯金から140万を返済した。私の貯金の半分以上が電脳の海へと溶けていったのである。南無~。
帰宅後、夫の利用明細をCSV形式でダウンロード。2006年からのクレカ利用状況が全て分かった。ゲロを吐きそうになった。
夫が「旅行に行きたいの?お金もったいない」と言うからいつも1~2泊、国内旅行で安く済ませてきた。新婚旅行も国内2泊1万円以下の宿。そのとき彼は一晩に3万円ゲームに突っ込んでいたのだ。 私があるプログラミング言語にはまって講習に行きたいと言ったことがある。「ふた月で15万円?子供も生まれたし色々考えないといけないんじゃない」と夫は言った。そのとき彼は何も生み出さないゲームに一週間で15万円つぎ込んでいた。
彼がゲームに傾倒しているのは知ってたがこれほどのものとは!!衝撃だった。愛する夫が実は前科二犯の幼児性愛者だと判明する衝撃に匹敵。あなた誰?と思った。
返済した日の夜、夫の携帯のロックを解除してもらい、例のゲームを起動する。夫はゲーム内で隊長を称し、チームを率いていた。既に引退を宣言したのか「寂しいです」「リアルが大事ですもんね」「引退なんてもったいない、隠居してみては」など仲間から暖かいメッセージが寄せられている。
最高に笑えるおじさんたちだ。私の金で興じた戦争ごっこはさぞ楽しかったでしょうね。何より何より。などそのほか多種多様な罵詈雑言が私の頭の中トレドの泉のように湧き起こり、紳士的で親しみやすい彼らにひとつひとつご挨拶したい欲求に駆られる。フリック入力が面倒でやめた。代わりにSRやSSRと記された金銀に輝くキャラクター群を売却。50万、100万かけた電子データが意味のない数字の羅列になり果て爽快爽快。
夫は結婚した当初から仕事で行き詰まりを感じていた。脳と心が疲弊し、私の出産を機に閑職へ異動。年収とともに忙しさも減って私は嬉しかったが夫は寂しそうだった。
夫は20代の青春期を、劇団を率いて舞台に捧げた人だった。舞台をやめた後は仕事に打ち込み、ほんのひと時だが部下を持ったこともある。彼は頼りにされ、リーダーだと持て囃されることに飢えていたのかもしれない。ゲームの中で「隊長!」と呼ばれ、人から頼りにされる仕事のできる俺という幻想に大金をつぎ込んでいたのだ。
ゲーム内の紳士的な仲間たちは「リアルが大事ですもんね」と言っていた。彼らは大馬鹿者である。ゲームとリアルは綺麗に分けられていて、それぞれ別の世界だとでも思っているのか。この世は常にリアルしかない。心をすり減らしながら労働し、液晶画面の絵や文字を変えるのに金をつぎこみ、その金を得るためにまた心をすり減らす。その醜悪な構図はどこまでもリアルだ。なぜ分からない。大脳が溶けてる。
ダウンロードしたCSVを元に計算すると、この3年間、ゲームだけで170万(利息含)つぎ込んでいた。夫もそれを見て塩らしい態度になり、今は私が彼の全個人情報を把握するのに協力的だ。今朝は甲斐甲斐しく子供のおむつを替えていた。すぐそばにある子供のかわいい顔に気づき、しばらくは我が子と「隊長と隊員ごっこ」に興じるようだ。
私も今までの生き方を改めよう。それまで私もひと月に電子書籍で1万円をTL官能小説に浪費したことがあったし人のことはとやかく言えない。今まで買っていた漫画を買うのもやめるし、小説も電子書籍ももう買わないよと約束した。代わりにあなたも買い物は今後しないでと言った。私にとって、何も買わないことは苦ではない。だが彼はどうか。今まで息をするようにキャッシングしていた人間が突然変わることなんてできるのか。不安で仕方がない。
私の実家はそこそこ金があるし、住んでる家は実家の持家だし、切り捨てる決定権は私にある。再びゲームに金をつぎ込めば離婚してやろうかな。液晶の画面がうつしだす「隊長!隊長!」という文字列にかじりつきながらせいぜい一人でうっとりしてればいい。4~5年保育労働をさせて使い潰したら捨ててやると隣で赤ん坊をあやす夫に笑いかけながら考える。そんなひどいことを考えつくぐらい私は怒っていた。 あっでも離婚しませーん(^^)いえーい。
https://srdk.rakuten.jp/entry/2018/05/16/110000
に触発されて。
幼少期の読書体験って、まあまあその後の人生に影響与えると思うんですよ。おかげさまでまあまあ本も読むし、公式な趣味は読書、と言っていい感じ(増田やら提督業やらとはいいにくいからね)です。SFもつまみ食い程度には読みます。
あとはファミコン&マンガ禁止ってのはでかかったと思うが、後者はなし崩しになりました。ジャンプ黄金期に追走できなかった嫌いはありますが。しかし、いまだにこの方針をぶち上げた我が母が、何だってこんなもん買い与えた謎な本がある。たぶんこれ以外もあるだろうけど、まあパッと思いつける範囲で3冊。
これで人生が変わったような、変わらなかったような。
初っ端からこれだよ。このタイトルで絵本というのが意味が解らない。読み聞かせなんてぇ物があったかは覚えていないが、これはそういう絵本じゃないだろう。買ってもらった記憶は当然ないが、いつの間にかあった。ミイラの呪いか。
更に言えば、内容はリアルガチだ。古代エジプト人の死生観・宗教観に始まって、話はミイラづくりに至る。死んだファラオの鼻の穴にカギを突っ込んで脳みそを引きずり出す、なんてぇ描写もちゃんとある。絵のおかげでそうグロくはない。むしろ「墓をちょっと良くしたら死体が腐って困るようになった」という逸話のダメになった白骨さんが怖かった。あと脳みそ引きずり出し職人も怖いっちゃ怖い。もっとも、こいつらのせいで、長らく脳みそはしわのところからほどけてうどん的なヒモ状になると信じていたのであるが、それはまた別の話だ。
エジプト旅行に行く時の入門書にぴったり。後年、本当にわが母とエジプト旅行(父は流石に第三世界に女一人で出すのは気が引けたらしく荷物持ち)に行くことになるのだが、それは10年近く後の話なのである。当時から行きたかったのかな・・・??
正確には「与え給いし」ではなく、その辺に置いてあっただけなのだが・・・。家にあった子供読み物が終わった後に、その辺に転がってるからと言って読みだしたのがこれ。高学年とはいえ消防にゃ早すぎるんではあるが、止めもしなかった。いいエッセイですよええ。このほかにもシリーズが何冊かあって、いずれも好きだったけど、なぜか巻が飛び飛びにしかなかった。これとこれもなぜか転がっていた「のらくろ少尉」「のらくろ決死隊長」のおかげで旧字体アレルギーが付かなかったのは幸運か。しかし、我が母、なぜ全巻頭から揃えようとしないのか謎。のらくろは何であったのかも謎で、カバーもないのでページをめくらない限り何の本かわからないという代物だった。どの版だったかも判然としない。今調べりゃいいんだけど。
まあとにかく、こっちの方から昭和戦後エッセイ方面(マンボウ・狐狸庵等あだ名つけるシリーズ。村上朝日堂あたりまでがその範疇とにらんでいる)の攻略に乗り出すのである。ただしこれは血のなせる業か、マンボウ読んでも狐狸庵未読、みたいなずさんな揃え方をするのである。
ある年の誕生日プレゼントの一冊。中学生入ったかも。ちょっと記憶があいまいで、「わしらは怪しい探検隊」(外で焚火をするのも好きなんです、今もって)を読んでいたので、それで適当に作者買いしたのかもしれないが、こっちが先だったのかもしれない。後者ならなんでこんなもんを、との思いが強くなるし、前者だとしてもあんまりだ。内容はというと、やや病的(当時椎名は鬱病だったはずである)な男が新宿から帰宅する間に抱える妄想を含めてダダ流ししてある、という代物である。文体は後の椎名SFを読むときの抵抗を減らしたような気もする。これとお約束の星新一、さらに小学校にあった謎の子供用SFシリーズ(零戦の亡霊が復活して子供の教育を始めたり、ソ連!の科学者一家が火星に移住する話を憶えている)によって、SFつまみ食い癖が付いたようだ。
その日はいつも通り、警備の仕事で夜勤して次の日の朝待ちのはずだったのに。クマさん一頭が目の前の職員通用門の前を通り過ぎたから、もう大変。
「通報しよう!」
→でも、どこに通報したらイイかわからん。とりあえず、防災無線を押さえてる市役所に電話した。がっ、市役所って夜間は警備のオジさんたちしかいないから。緊急事態の対応が、なんかヌルいんだよな。焦ってカミカミで電話したのに、
と言われて心が折れた。こんな時、夜中だというに現場にいたスタッフから「警察に連絡したら?」という声が。
そりゃ、相手が人間じゃないから大げさじゃ?とも思ったけど。ウチの職場3交代だから、夜出勤でクマさんに襲われる可能性もあった。ちなみにクマさんの目撃情報では隊長1メートルらしい(推定体重100キロ)。だから、110番通報して正解だった。
秒で来てくれて、目撃者から取り調べ&1時間にわたって付近をパトロールしてくれた。しかも、警察側で市役所にも連絡したらしく。ようやく事の次第に市役所の警備のオジさんもビビったらしく、深夜なのに防災無線沙汰になった。これまでやって、結局クマさんは捕まってない。(捕まったら、アレされるんですが)
Twitter情報じゃ、クマさんは火薬の臭いが苦手らしいんでクラッカー常備してる。これじゃただの山下達郎ファンだが、命には代えられぬ。
未だ、クマさんは確保されていない。
隊長のふとした一言と某隊員の熱望により、ついに実現したツアーといえば、「第一回東京ブラックツアー」で決まりである。東京のディープスポットを探訪していくという、とてもわかりやすいコンセプトが唯一の自慢である。今回は初回であるし、ディープな場所から抜け出せなくなることを避けるため、ツアーは昼間に行われることに決まっていた。それなのにそれなのに、予想通りというべきかいつもどおりというべきか、隊員の集まりは悪い。全然時間どおりに集まらない隊員、この先の我々の運命を暗示するかのような曇天、どんどんと下がるテンション、等々の様々な悪条件の中、我々は出発した。その出がけ、玄関で見知った顔を見つける我々3人。当然のごとく強制参加させ、隊員の数は4人に急増した。4人といえばSPEEDと同じ人数だ、これでもう心細くないね!
曇天の上野公園、しのばず池にいる鳩や鴨達も心なしかブラックに見える気がしてならない。今にもあの平和の使者である鳩が俺達を襲うのでは?、と意味不明の疑心暗鬼が次々とわき上がってくるほどに気分はダークである。目的地へ近づくにつれ、隊員の緊張は見てとれるほどになり、武者震いなのだろうかしきりと震えだす隊員もでる始末。そう、例の場所に向かう我々の姿を客観的に見れば、怪しい4人組=おやじSPEED(暗黒)といっても過言ではなかっただろう。目指す場所は上野某所の映画館である。「ほら、あそこだよ」という隊長の言葉に、なんともいえない緊張のさざ波が隊員達を駆け抜けた。その場所は、少し歩けば大通りに出てしまうくらい人通りは激しい所だった。
その映画館はそこにあった。紛れもなく、そこに。映画館は2階らしい。あせるな、と思いつつ上映時間を確認する我々隊員。まだ上映開始まで時間があるようだ。合議の結果、若者が集うゲームセンターで時間をつぶすことになった。しかし、どの隊員も緊張のせいかゲームには手を出さない。いや出せなかったのだ。あと数分後に行かなければならないあの場所のことを思うと。上映時間が近づき、なにはなくともとりあえずトイレを希望する隊員が続出する。しかし、京成線の駅のトイレには紙がなかった。とても嫌な予感がする。嫌な予感がビンビンするよ!
トイレの事は諦めて、我々はその映画館へ向かった。ちなみに映画は2本立てである。これから約2時間の長丁場である。しかし、隊員1号はそのことを知らなかった。このことがあの悲劇の序章だったとは、全隊員露ほども思っていなかっただろう。年季の入った階段を縦列に並んで登る途中にも、映画を見終わった人達だろうか、次々と人が階段をおりてくる。もう誰も信じられない、あの人もこの人もそういうのなのだ、そうなんだあの中ではすざましい饗宴が繰り広げられているんだ、と思いながら階段を登っていくと、「ヤング薔薇族ショー」という看板が突如現れる。ますます下がるテンション。ふと階段の上を見ると、そこにはいかにもなもぎりのおばちゃんがいた。一番最初に階段を登り切った一人の隊員が、おばちゃんに近づくと、何かを指さすおばちゃん。そうである、自動販売機で切符を買うのである。ハイテクである。自動販売機へ向かった隊員へ、たたみかけるようなおばちゃんの言葉が襲いかかる。「どっち?薔薇族?学生さん?」。思わず「は、はい」と答えてしまう隊員だった。実はそこには劇場が2つあり、切符売り場は共通だったのである。もうひとつの映画館はピンク映画館だった。次々と無言のまま切符を、学生の切符を買う我々隊員であった。血の契りを交わしあい、相当に団結しているはずの隊員達であったが、その時には既に他の隊員を省みる余裕はなかったようで、会話を交わすこともなくなっていた。そして、ひとかたまりにはならずに、ひとりひとり左奥にある劇場へ向かうのであった。
妙な圧迫感。第一印象はこれにつきている。72席あるという座席は、ぱらぱらとしか埋まっていない。それなのに、壁際にたつ人が異常に多い。なぜだ。と、座席を見渡して、先に着席していた隊員を見つけると、思わず安堵の息をもらしてしまう自分がいじらしい。あれ、でも、事前のミーティングでは一番後ろに座ろうと決めたはずじゃあ。。。何故か入り口のすぐ側の列、後ろから4列目ほど、に整列して座っている隊員達であった。その顔は暗い。その場の嫌な感じに、その顔は真っ暗であり、しかも皆うつむいていた。一番最後に劇場入りした隊員1号は、既に着席していた某隊員の左隣に座った。隊員1号の左隣は一番端の席である。そう、その時点ではスクリーンに向かって一番左の端の席が空いている状態だった。ふと嫌な予感、突然の頭の回転、第六感で席をうつる。当然、左端にである。それは、隣を空席にしておくのは危険すぎるという判断からだった。身の安全を確保したあと、少し落ち着いて上映開始を待つ間、なにか生暖かい気がしてならない。しかもポマードなのかなんなのか、嫌な匂いがエアコンから暖風とともに排出されているようだ。もうテンショメーターは左に振り切れ、ほぼ0になっていた。
ブザー、暗転、上映開始。まわりは気にせず映画に集中しよう、と心に決めて観賞を開始する。初っ端から、現代映画とは思えないチープ感が漂っている。なんなんだあの貧相な女優は。と思っている間に、例のシーンに。変則的な格好に思わず心の中で笑ってしまう。これがそうなのか、と訳も分からず納得している自分。そしてストーリーは展開を見せはじめるのだが、映画に集中などできなかった。ストーリー自体のしょうもなさもさることながら、それよりも気になったのはまわりの人間達、隊員以外の動向だった。のれん状のカーテンが掛かっているだけの、ドアのない入り口のすぐそばに座っているせいか、上映中にも頻繁に出入りする人々が気になるのである。そして、席に座ったとたんに立ち上がって壁際に立ったと思ったらすぐに別の席に座る客が気になるのである。そして、壁際に立つ人の後ろに立って腕を前の人にまわしている人が気になるのである。その場所で、落ち着いて映画を見ることは不可能であった。このくだらない映画はいつ終わるのか、そんなことばかり考えはじめたのは、まわりの人間模様が気になりはじめたのと同時だったかもしれない。その間にも、入り口付近では相も変わらず人が頻繁に出入りし、通路に出て奥にあるトイレの方へ向う人あり、がら空きなのに人の隣に座る人あり、映画よりもその様子が気になってしようがなかった。いつか、それは我慢の限度を超えるほどに。
1本目と2本目の休憩時間に他の隊員と一緒に抜け出そう、と決めた。その時決めちゃったのである。とにかくこの場所から早く抜けだしたかった。いつだいつだいつ終わるのだ、と思っているうちに、映画はどうにかスタッフロールまでたどりつく。当然普通の映画館でよく見られるような、スタッフロールで立ち上がり帰る客はいない。いつもはそんな客を苦々しく思っていた隊員1号も、この時ばかりは一刻も早く立ち去りたかったのはいうまでもない。終了。「1999(映倫)」の文字に驚愕する。最新の映画だったのだ。あの映像感で。それよりも、ようやく帰る事ができることが嬉しいかった。しかし、ライトよ早くつけ、と熱望しているのに、なかなか客席のライトはつかない。ライトがついたら全員で帰ろう、と思っていたのにライトはつかない。そう、その時、次の映画がはじまってしまった。2本立てなのだから当然である。軽い衝撃を受けつつ、あと1時間我慢するか、いますぐ立ち去るか、立ち去るなら他の隊員にはどう伝えるか、数秒の間に色々な考えが渦巻く。そもそも、大抵の映画館なら休憩時間におしゃべりしているうるさいカップル等が必ずいるものだが、この映画館には言葉が存在しない。無言のコミュニケーションがその場を支配している。とても他の隊員に話しかけられるような状況ではなかった。もし、今左端に座る自分がいなくなると、某隊員の左隣には二つの空席ができてしまう。それはきつい。自分だったらそんな状況は嫌だ。でも、この生暖かい嫌な雰囲気にあと1時間は耐えることはできない。すまない、と心の中でつぶやきつつ、他の隊員には無言で席を立ち、もぎりのおばちゃんの前を抜け、逃げ去るようにその場を立ち去った。つらい選択であった。すまん。
しばらく映画館の付近で待つが、他の隊員が出てくる気配はない。あと1時間耐えることを決めたのだな、と判断して、ツアーからひとりぼっちの帰還を果たした。なんともいえない疲労感をかかえつつ。その頃、あの映画館では、左端に二つの空席を抱えこんだ某隊員に緊急事態が起きていた。その列の左端に座る見知らぬ人。この時点でおかしい。席はがら空きである。そのうち席をひとつ右に移る見知らぬ人。完全におかしい。席を移る意味がわからない。そして、見知らぬ人の右手が某隊員の左膝に。。これ以上は詳細不明のため描写できないが、その隊員が無事帰還したことだけは記録しておきたい。
脱力感、疲労感、倦怠感。どうやら全員無事帰還した我々隊員は、今日の日の事を忘れたくても決して忘れられないだろう。そして、この記録をここに残すことによって、あなたの心の中にもいつまでもこの体験は残り続けるだろうし、どこかの誰かによって語り継がれていくだろう。疲れた。
指導係は私と説明されてるはずなのに、若くて綺麗な女性社員に聞きにいこうとする。
教えてるのにメモをとらずに失敗。
失敗を指摘しても謝らずに反論。
注意すると「怒られちゃった~怖いねぇ」と女子高生バイトに絡む。
近距離すぎて女子高生バイトが迷惑そうに後退りしてるので「仕事中ですよ」と引き離す。
一時間で初歩的ミスを20回以上され、その都度注意してたら舌打ちされた。
そして憎々しげに小声で「ブスのくせに…」と言ってきた。
なので小声で「そのブスより下の立場の使えないハゲちびデブのくせに…」と言い返した。
まさか言いかえされると思ってなかったらしくそいつは顔真っ赤にして大人しくなった。
弱そうな女性限定で強気な態度に出れるっていう糞男タイプなんだろうけど、私は病気で見た目が弱そうなブスになっただけで中身は違うんだよ。
「がんもどきみたいな肌のくせに…」
「仕事できないからハゲたんだね…」と囁き続けた。最初の態度の悪さがなくなりびくびくしはじめる派遣社員。
「○○さん(私)って黒帯なんですよねっ私が変態にあったら助けてくださいっ」
と派遣社員に聞こえるように言い出した。
後から聞くと派遣社員から髪を触られたり服を引っ張られたり、アドをしつこく聞かれたりされてうんざりしてたとのこと。
仕事できないちびハゲデブの上にロリコンでセクハラ野郎とか…女子高生バイトには私の監督不行き届きだと謝罪した。
仕事できないどころか未成年にセクハラする派遣社員なんかいらない。
女子高生バイトが何人かに相談したらしく、部署全体で辞めてもらう前提の接し方になり、そいつは一週間ももたずに辞めてった。
「ああいう人ってネットで女叩きしてそうですよねw」と女子高生バイトが言ってて納得。
最初から最後までほぼ泣いてたかもしれない。いい最終回だった。
終始笑顔で、それを見ただけで胸がいっぱいになる。まず髪切るときの報瀬。12話では、3人の前で躊躇していたときの報瀬は本当に曇った顔で「もういいから、じゅうぶんだから…」って言っていたのとは裏腹にすっごい良い笑顔になっていて、12→13における報瀬の成長が端的に現れている大好きなシーン。その後隊長とかなえさんに見せた笑顔はとても貴子に似ていて、「ああ、カーチャンがいた頃は、こんな感じに感情豊かな女の子だったのかな」とか「12話を経て報瀬がようやく本来の報瀬らしさを取り戻したのかな」とか思わずにはいられなかった。その、カーチャンの亡霊を象徴するノートPCを隊長に託す報瀬は本当に清々しく、12話で夢から醒めた彼女が悲しみではなく幸せで満たされていることが端的に現れてて「良かった・・・本当に良かった・・・」ってなった。その後カーチャンからメールが返ってきたときも、それまでの報瀬だったらどうなっていたのか分からないけれど、13話の報瀬は「知ってる!」と鼻にもかけず笑い飛ばした姿はすっかりカーチャンの背中に追いついていて、むしろ追い越している。どんだけ成長してんねん…。
加えて、今までの報瀬はどんな風景を見てもボケーっとしたようなシケた顔だったのだけれど、最後に満面の笑みでオーロラを見る姿はもう最高すぎた。
観測隊としての生活は相変わらず忙しそうなのだけれど、4人が「なんとなく、うまくやっている」という姿に感動した。報瀬も言っていたけれど、南極での生活はむき出しの感情がぶつかることもあるわけで、それでも4人は仲良くやっているので「何も大きなトラブルが起きない」ことで彼女たちの成長を表すという演出が最高すぎた。個人的にアイスオペレーション中のゆづ「死にますFOOOOOOOO↑↑↑↑↑」がツボだった。自分のことをネタに出来るって結構すごいことなんだよね。これだけでゆづが大きく成長していることが分かる。アドリブなんだろうけれど。
ラスト30秒。ここだけでずっと語れそう。
キマリが「帰ったよー」を送ったとき一瞬で既読がついてて、「ああ、めぐっちゃんは家族あたりからキマリの帰国日を事前に聞いていて、今か今かと待っていたのかな」とか「10話でキマリが「既読付くタイミングだけでめぐっちゃんが今何してるのか分かるんだよ」って言ってたし、キマリはめぐっちゃんの心情に気づいてるのかな」とか。
また、行き先が北極だった件について。10話における「南極にいるんだけど、SNSを通じてなんとなく(日本にいる)めぐっちゃんの気持ちがわかるキマリ」と立場が逆になっていて、かつてキマリが「めぐっちゃんの庇護のもとぬるくやってないで、自分の力で強くならなければ」と思ったように、めぐっちゃんも6~13話でキマリが日本→南極で経験した様々な出来事を、キマリのこと考えながら裏でこっそり通ってきたのかな、と思わせる。
めぐっちゃんから送られてきた写真には綺麗なオーロラが写っていたのだけれど、オーロラはその仕様上南極と北極同時に出現するので、キマリたちが南極付近でオーロラを見ていたちょうどその時、めぐっちゃんが北極でオーロラを見ていた可能性がある。そう考えると色々シンクロして考えちゃって、胸がいっぱいになった。
一方キマリのメッセージに速攻で反応するめぐっちゃんは、5話でキマリが絶交無効したあと(一方的に?)めぐっちゃんのことを親友だと思っていたように、めぐっちゃんもまたキマリのことを大切に思い続けていたんだろうなぁということまで伝わってきて、5話における2人の想いが両方とも叶った最高のハッピーエンドだった。締めのセリフ「なんでーーーーーーーーー!!!」も、5話にあった同じセリフとのニュアンスの違いにグッと来た。
「もし続編があったら~」という発言を各所で見るけれど、めぐっちゃんの旅を見たい、という人が多くて嬉しかった。最後の写真「オーロラをバックにめぐっちゃんがカメラを覗き込む構図」は公式のキービジュアル「4人がオーロラをバックにカメラを覗き込む構図」と対になっていて、つくり手がめぐっちゃんのことをもうひとりの主人公として描いてくれていたのかな。
主人公たちの成長を描く物語では、どのキャラクターに(精神的な)導き手の役割をもたせるのか、というのが重要なのだけれど、本作では(子どもたちだけで完結せず)大人たちが多かれ少なかれ寄与している。私はこういう「かっこいい大人」が描かれる作品がとても好きなので、本作もそういう意味で大好きだ。特に隊長とかなえさんはすごい良いキャラクターだった。何が最高って、13話で「実は大人組も4人の心意気に背中を押されてここまでこれたんやで」っていう心の変化が描かれてて、大人組も4人と同じ人間味あるキャラクターになっていたこと。物語におけるメンターが、物語の中で自身も成長するとか最高すぎる。
観ながらアホほど笑って泣いた作品だった。こんな経験は殆ど無かったのでとても新鮮だ。「病めるときも、健やかなるときも変わらず泣き笑いすることを誓う作品」っていうとちょっと大げさだけれど、私は疲れているほど自発的に笑ったり泣くことが出来なかったりしていく人間なので、こういう「心を奪われる作品」を大事にしていきたい。
以前ツイッター界隈で「各話において、クレジットされる作画監督の人数が多いほど現場は火の車になっている可能性が高い」という言説を見た。たまたま知り合った元アニメーターの方に聞いた限りあながち間違いではないらしい。そこで本作なのだけれど、グロス回で作監が3人クレジットされるくらいで基本1人か2人という感じだった。終始作画も安定していて、スケジュール的にうまく行っていたのではないだろうか。
また、公式ラジオで言っていたのだけれど、本作のアフレコでは完成された映像を見ながら声を入れていたらしく(最近は絵コンテ段階の映像で声を入れることのほうが多いそうな)、その点でも本作はある程度余裕を持って作られていた可能性が高い。
要は無理せず良いものを作って欲しいよね、という話。
(https://anond.hatelabo.jp/20180322081702 からの続き)
そもそも写実的な背景美術には素材が必要なのだけれど、アニメを作るために宇宙よりも遠い場所に行けるわけもないので、限られた素材であれだけの背景美術をこさえていることになる。マジでどうやってるんだ。
報瀬が日向を呼び出すシーン。笑顔(抑圧の象徴)ではなく自ら弱さを見せる日向は6話でのやり取りから成長を強く感じさせる。でも結局笑顔で気を使っちゃう日向を見ると、どんだけ日向は過去に捕らわれて深く傷ついてるんだろう…と思う。このあとのシーンにおける日向のセリフ「ちっちゃいな、私も」がヤバイ。彼女なりに弱みを見せないよう満面の笑みで言っているのが逆に強烈。
そして例のシーン。日向が「6話でああいうことを言い出したり、普段から笑顔で振る舞って「友達にさえ」弱さを見せなかったりする」ようになった原因を作った奴を報瀬が許さなかったのは日向が報瀬にだけ弱さを見せることが出来たからだし、さらに言えば報瀬が6話で日向と気を使わない関係を築けたからこそ、自分のわがままで日向を守ったのだろう(トイレまで尾行したり、勝手にメール見たり、奴らにメンチ切ったり)。かーちゃんという過去を断ち切るために南極まで来た報瀬だからできたウルトラCであり、物語を通して報瀬がいかに成長したかを描いた最高のシーン。あと何が最高かって、たぬキマリもゆづも日向のことを守ってくれたことだ。特にたぬキマリ。11話では全話中最もポンコツを発揮していたところにあのシーンである。10話でめぐっちゃんの話が出ていただけに、強烈に刺さった。
このシーンで流れる挿入歌は4話でキマリと隊長が会話するシーン以来。4話ではキマリが「ここではないどこかへ」ではなく「この4人で南極行って、あれやこれやしたい!」と覚悟を新たにする印象的な回であり、それに対して11話でたぬキマリの「もう日向ちゃんは~」というセリフから、4~11話の間に4人が培ってきた時間や、その間の日向が笑顔だった時間をたぬキマリがすべて肯定してくれていて胸がいっぱいになる。この挿入歌は今作で最も好きな曲なのでぜひフルVerで聴いてほしい。「宇宙よりも遠い場所で 真っ白な世界を見渡して ここから始めよう」っていう歌詞が控えめに言って最高。
締めも最高で、
日向「ぶっ壊れるかもしれないぞ?」
日向「…そっか!」
すごく重い回なのにこんなに晴れやかな終わり方しやがって、最高かよ。なんかドラム鐘が鳴る音も良く出来てるし。
16:45頃 カップ麺作ってて、ドヤ顔で卵を持ち出すタヌキマリ
12話をリアルタイムで観たあとぐっすり眠れた人はいるのだろうか。この回だけはどうしても「一歩引いて観る」が出来なかったので、あまり参考にならないと思う。
4話で報瀬のことを「娘のことはよく知らない」とキマリに話していた隊長と報瀬の関係が9話で「距離がある」報瀬の思いを知り、12話で背中を押してあげるという流れに、隊長の不器用さがあって好き。隊長が報瀬に贈った「人に委ねるな」は「思いの強さとわがままは紙一重である」あるいは「吟の魂」に通じているものがあり、報瀬に自らを変えるよう強いるものではなく、むしろこれまでの報瀬を強く肯定していて、まるでお父さんである。
観測隊の中で最も貴子の亡霊にとらわれていたのは間違いなく報瀬だけれど、次点はきっと隊長なのだろう。だから、天文台予定地に到着して一人空を仰ぐ姿は表情が硬かったのは、隊長の隊長たる強さが報瀬との対比として描かれていて好き。
私が母を病気で亡くしたのは13歳の頃。報瀬家と違って、私の母は癌との闘病の末だった。だからある日いきなり云々というはずはないのだけれど、いかに当時の私の認知が強く歪んでいたかをよく覚えている。
母の闘病は数年続いていて、最初は仕事しながらの通院だったのが、ある日から入院に切り替わった。でも私は一度も病院にお見舞いに行かなかった。当時の気持ちを代弁するならば「ゆうてもしばらくしたら癌も治って、元気に帰ってくるんでしょ?お見舞い行ったら逆に心配してる感じがして恥ずかしいし、家でおとなしく待ってるよ」といったところだろうか。定期的に父から母の病状を聞くにつれ、徐々に悪化していることはわかったはずである。しかし当時の私にそういう認識は一切なかった。
ようやく私が現実を直視したのは、母が亡くなった日だった。早朝、父に叩き起こされて病院に向かう車の中で「眠い。こんな朝早くにお見舞い行って病院の人に怒られないの?昼に行けばいいのに」と心のうちにぼやいていたことを思い出す。横たわる母の手はまだ温かく、部屋は静かだった(心電図モニターのP音が鳴っていたはずだけれど)。もしあの時間がなかったら、私は今どうだったのだろう。報瀬は私が経験したあの、母の帰りを待っていた日々を過ごしていたのだ。
報瀬にとっての「母を待つだけの、いつもと変わらない日々」は、言い換えれば「何も変わらない日々という偽物の楽園」、あるいは「幸福のレプリカ」と言える(河野裕 著 「サクラダリセット」第5巻 ”ONE HAND EDEN”参照)。案外、それは心地よい。偽物だとうすうす気づいていたとしても、ついつい抜け出せないような依存性がある。だから、報瀬が母の元へ行きたくない気持ちが死ぬほど分かる。殊更報瀬にとって母の死という事実はとても辛く、同時に報瀬自身を孤独にすることになるため(父親がいないこともここにつながっている可能性アリ)、受け入れ難かったのだろう。だから報瀬は「母がもしかしたら帰ってくるかも知れない日々」という、幸福のレプリカから抜け出すことが出来なかった。
それを象徴していたのが「母あてに送ったメール」である。母がメールを読んでいる姿を想像すれば母を近くに感じることができるし、もしかしたら生きていて、メールを返信してくれるかも知れない。そしたらまた母に会える。この現実逃避は一時的に報瀬の心を満たし、現実を直視しないで済むための手段として、報瀬なりに編み出したのだろう。
そしてこの幸福のレプリカは本来、心の穴を一時的に埋めるための麻酔に過ぎない。報瀬は日々の中で本物の幸福を見つけて、入れ替わりに幸福のレプリカは役割を終えるものである。最初は仏壇に毎日拝んでいたけれど、そのうち回数が減っていって、最終的に全くしなくなる、というのに近いような。報瀬の場合も、時間が解決してさえくれれば自らの手で幸福のレプリカを破壊する必要はなかった。そう考えると、すべての原因は報瀬の孤独にあって、もし傍にいつも寄り添ってくれる友達がいたら、報瀬は母の死をゆっくり受け入れることが出来たのかもしれない。だからこそ、あそこまで来たけれど最後の一歩を踏み出せなかった報瀬のことをキマリたちが助けるという演出は彼女たち4人が培ってきたすべてが描かれている気がして、胸がいっぱいになった。
そして例のシーン。目の前で新着メールをひたすらに受信し続けるPCは、報瀬にとっての幸福のレプリカが音を立てて壊れていくことの具現、つまり報瀬のヨスガが失われていく瞬間である。直前の、母に向けて綴った報瀬の独白も相まって悲しみが天元突破した。そしてこれこそ彼女の望んだ「宇宙よりも遠い場所」に着いた瞬間を描いている。
「でも報瀬はもう幸福のレプリカと決別するために歩きだしていて、すでに本物の幸福を手に入れていた」という物語を、「母に宛てたメール」、「南極を目指すために稼いだ100万円」、そして「一緒に泣いてくれる友達」で語る演出はとてもじゃないが言葉にできない気持ちにさせてくれる。そんな、彼女の「動き出した時間」を、「太陽が沈んで初めて夜になる南極」という絵で表していて、こんなに綺麗な終わり方があるのだろうか、と思った。
キマリは本作では特に感情表現が豊かな子である。それに比べ報瀬は感情表現が歪であり、一見すれば報瀬はキマリと違ってクールな女の子のようにも見える(え?見えない?)。11話までの報瀬は、どんなきれいな景色や風景を見てもなんというか、感動しているようなしていないような、すごく微妙な表情をしているのだけれど、その多くは彼女の横顔である。そんな彼女の表情が、横断幕に書かれた報瀬の似顔絵に現れている。この横顔が12話で号泣する彼女の横顔と強い対比になっていて、この瞬間に彼女が得たものの大きさを感じさせる。
一方、6話の飛行機内でのシーンで報瀬はペンギン映画で号泣しており(本作で報瀬が号泣するのは1話トイレ、6話飛行機内、12話のアレ)、実は感受性の豊かな子であることが分かる(他にも感受性の豊かさを象徴するシーンはいろいろある)。
だからこそ12話で報瀬が泣く姿は本来の(母を失う以前の)報瀬を描いているように見えた。それは声からも読み取れる。中学時代の報瀬が母としゃべるシーンは本作を通して9話 12:30頃の回想で「でも行くんでしょ?」と母に話す一言だけ。今より3歳くらい若いせいか、少しだけ高く、そしてやや甘えたような声。12話で「お母さん!」とPCに向かって泣き叫ぶ報瀬の声はまるでこの声のように幼くて、まるで中学時代の報瀬が母に泣きつく姿のように見えた。冒頭の回想において3年前、一人で泣くことが出来なかった報瀬がこの日4人で泣く様子は、報瀬の成長と、報瀬が得た幸せと、動き出した時間を優しく描いていて大好き。
本当によく練られたタイトルである。5話では「じゃあな」と別れを告げためぐっちゃんに絶交無効を押し付けたキマリの歌であり、10話では「離れていてもつながっている」キマリとめぐっちゃんの姿を端的に表す「ね」の歌として、そして12話では、報瀬の心を捉えて離さなかった貴子を、その死を認識することでようやく別れを告げることができた報瀬の歌として演出されていて、色々すごすぎる。
2:00頃 報瀬が放球の撮影に来なかったので、代わりに出ることになりすごく張り切ってる(いつの間にたぬキマリ治ってたんだ)キマリ
今期のアニメは色々観ていたのだけれど、どれも面白い作品ばかりだった。でもあえて本作について書いた理由は便乗以外にもある。いちファンとして、作り手の思いに報いたいと思ったのだ。この感想を見た人が100人いたとして、そのうち1人くらいパッケージを買ってくれないかなぁ、そうなったらいいなぁ、というのが本稿の目的である。
私は本作に触れる以前にプロデューサー・田中 翔氏のインタビュー記事( http://anime.eiga.com/news/105638/2/ )を読んでいたのだけれど、その中で同氏は
田中:うーん。今お話したように、ビジネススキームが変わりつつある状況ではありますが、映像にお金をだしていただく、いちばん分かりやすい結果は、結局「パッケージが売れる」ことなんですよね。自分は、パッケージが売れないタイトルは、あまりやる意味ないと思っています――心の底では、ですけど(笑)。
とまで言っている。個人的に、良い作品であることとパッケージが売れる作品であることに強い相関があるとは思っていないし、そりゃ円盤はどの作り手も売りたいと思ってるでしょと考えている。本作についても初めは「私はこの作品が大好きだから売れなくても別にいいや」というスタンスだったのだけれど、Pの発言を思い出すうちに少し気が変わった。もっと作り手に「この作品を作ってよかった」と思って欲しいのだ。そして、このような作品作りをもっと続けて欲しい。贅沢な願いだけれど、この感想が一助になれば嬉しいな。
(https://anond.hatelabo.jp/20180322081336 からの続き)
めぐっちゃんと、「南極行きの荷物整理中に見つけためぐっちゃんのゲーム」を「(昔は2人でプレイしていたのに)キマリが一人だけでプレイ」しながら「めぐっちゃんの知らない、キマリの友達」の話をするという流れが端的にめぐっちゃんの心境を表している。めぐっちゃんの心境は各話で少しずつ描かれているが、ここで一気に「めぐっちゃん…」ってなる非常に強烈なシーン。
めぐっちゃんがキマリにすべてを打ち明けるシーン。以下自分語り。
私には小学生時代に知り合った友人がいた。友人はきっかけはよく覚えていないが、小学校高学年になる頃にはほぼ毎日一緒にいたと思う。ただ友人は変に気の強い性格だったのか、私が他の子と遊んでいると鬼のような形相ですっ飛んできて私をそこから連れ出そうとしたり、一人にされることを極端に嫌がったりした。それに振り回されるうち、私は一日中その友人とセットで行動するようになり、中学生になる頃にはその子以外と一切遊ばなくなっていた。
私が当時その状況に甘んじていたのは、一つは友人といて楽しかったと思ってたから。友人はいろんなゲームや漫画のある家庭に育ったので、友人の家に行けばわりと満たされたからだ。そして二つ目は、私が友人から距離を置こうとすると全力で拒否するようになったからだ(暴力込み)。はじめのうちは喧嘩もしたけれど、そのうち「あまりに近くなりすぎないよう距離を置きつつも、概ね抵抗せず、常に機嫌を伺う」というぬるま湯に浸かる術を身につけた私達の仲は、大学時代まで続いた。
その当時の心境を端的に言うと「友人には私が必要だが、私はそうでもない。でも友人から得られるものもある。適度に利用しながら、距離をとっていこう」みたいな感じだった。
別々の地方大学に進学したあとはコミュニケーションを取る頻度が劇的に落ちた。たまに友人からヒステリじみたメール等が飛んできたけれど、物理的な距離のおかげで友人の拘束から逃れることが出来た。そして一人になって初めて、孤独というものを強く思い知らされた。サークルに入っても上手く人に合わせられない。ワイワイする方法がわからない。大学生同士の話題についていけない。同じ趣味の人を見つけることが出来ない。何もかもが上手くいかない。そしてその悩みを共有する相手がいない。本当に空虚だった。案外、友人を縛り付けていたのは私だったのかもしれないな、と今は思っている。結局友人とは音信不通になった。
だから、面と向かってキマリがめぐっちゃんにこの話をしたのはキマリの鋼メンタルを物語ってる。言わば「いっつも面倒見てくれて、それにずっと甘えてきたけれど、もうやめにしよう」とめぐっちゃんを突っぱねたんだから。「いつも面倒かけて申し訳ないから…云々」という消極的な理由ではなく「ゲームの相手になれるくらい」の関係を築きたいというキマリの想いは絶交を宣言しためぐっちゃんと対照的なのだけれど、どっちの気持ちも分かる。私がずっと抜け出そうとしなかった不幸のぬるま湯に、めぐっちゃんもキマリも気づくことが出来て、しかもそこから抜け出そうと一歩を踏み出したのだから。私には二人が眩しく見えた。
でも一方、5話におけるライティング演出が二人の「ここではない、どこかへ」という勇気について非対称性を感じさせる。簡単に言ってキマリ=陽 めぐっちゃん=影 なのだけれど、出発のシーンでは
「絶交無効」…陽
となっていて、「友達と4人で」一歩を踏み出すキマリの明るい予感と、「そうではない(一人で)」一歩を踏み出すめぐっちゃんの暗い予感という対比に見えた。私自身めぐっちゃんルートだったから、最後にキマリが絶交無効したシーンで二人に陽が当たる演出は、「めぐっちゃんにキマリは必要」であることを肯定的に描いてて本当に好き。そう考えると、5話におけるライティング演出の狙いはすべてこの「絶交無効」に収束している気がする。
19:00頃~
日本編と航海編をつなぐ回。シンガポールのメジャーな建物が現地民も納得のハイクオリティで描かれていて、めっちゃ行きたくなる。本作における聖地巡礼は、館林(群馬)→歌舞伎町(新宿)→極地研(立川)→シンガポール→フリーマントル(オーストラリア)が無難か。
キマリ&ゆづの部屋と報瀬&ひなたの部屋でダボーベッドの広さが異なって見える(報瀬ひなた部屋のベッドの方が距離を感じる)。計測したらどっちもほぼ2m幅になっていたので、2組それぞれの心の距離に差があることを非常にうまく対比している、すっげえ大好きなシーン。
無理ーってなってる日向を、自分のわがままで引き止める報瀬。このやり取りは、3話で報瀬が自身の性格について自己嫌悪していた時、日向が「思いの強さとわがままは紙一重である」とアドバイスするとても尊いシーンと対になっている。あのとき日向が報瀬のパーソナリティを肯定したからこそ報瀬が成長し、その結果として6話があるのだと考えるとこんなに幸せな話は他にない。
シンガポールの街並みを見ながらそこに住む人々の生活に思いを馳せ、
同時に過去(日本での生活)を思い出しつつ未来(人々の生活が存在しない大陸)を暗示させる印象的なシーン。
19:35頃 ビジネスクラスのチケットを持ってムッフーなってるキマリ
前回の観測船→今回の観測船の対比(減ったトラックや物資、前回は多くの取材陣に囲われていた隊長、前回は一緒だった貴子)
アバンだけで「観測隊の船出が順風満帆ではないこと、また隊長、かなえ、貴子の関係」を回想と現実の対比によって簡潔に表している。
本作を支える「緻密な取材に基づく描写」がこの辺りから本領発揮する。砕氷艦報瀬の内部構造がしっかり描かれていて、話の内容関係なく観てて楽しい。
ここまでの伏線として「先行き不透明」とか「カネがない」とか「南極ってめっちゃ過酷やねんで」等重大な問題が示唆されているのだけれど、それに対して「一発逆転(一攫千金)の方法」とか「やってみなきゃわかんない」等の非現実的な展開によって解決せず、「これから先いろんな困難が待ち受けている」のではなく「いろんな困難があったけれど、強い覚悟で3年間戦ってきたからこその今がある」っていうもう一つのドラマとして丁寧に大人組を描いていて、主人公の4人よりむしろ大人組に感情移入してしまった。隊長の「この船は、そういう船」っていう言葉で胸がいっぱいになる。
だからこそ、その観測隊員の前で自己紹介をするキマリ、ゆづ、ひなたの晴れやかな顔を見ると「ああ、この子たちはそれでも主人公なんだな」って感じさせるくらいのドラマがあったことを思い出す。大好き。
ここまで「南極にとらわれているお姫様」という舞台装置でしかなかった貴子の「星を見る船を率いていた一人」という側面を知ったことで、報瀬が抱く(手放しで仲間と呼べない)観測隊への複雑な想いが伝わってくるし、自己紹介のとき「小淵沢…報瀬です…」という言い方からも彼女にとって、そして隊員たちにとっての「小淵沢」という姓の重さが伝わってくる。だからこそ、敵or仲間相手じゃないと普通に喋れないポンコツ報瀬が(日向のフォローもあって)あのセリフを言えたことは彼女の成長を強く感じさせたし、「報瀬のコールに応える隊員たち」というシーンだけで、セリフもない隊員達含む全員の想いを完璧に描いた演出は控えめに言って最高すぎる。
8:40頃 物資を運ぶのが大変すぎて、疲労のあまり原型を失ったキマリ
氷海域へ到達!波濤を進む砕氷船「しらせ」での艦内生活【南極観測隊シェフ青堀力の南極紀行2】 https://serai.jp/tour/141947
船内のシーンでは声の反響がシチュエーションごとに異なっていて、反響を聞き分けるだけでその部屋の大きささえもわかるくらい細かい。
「特に荒波に揉まれる砕氷艦の船内」の音がすごい。どうやって作ってるんだろ
キマリの前髪という話題に触れるのは8話が初めてであり、言ってみれば「主人公のキャラデザ(キービジュアル)に個性的な伏線を張り、それを8話まで引っ張る」というマネをしている。「なんやこのキャラ、あんま可愛くないやんけ」って思われたらどうしようとかそういう不安をぶっ飛ばすストロングスタイルな戦略である。前髪の理由を聞いて「あー、だから・・・」って思った私は見事術中にハマっていたらしい。キャラデザ最高かよ。
Bパート以降ずっと画面がゆらゆらしている。公式ラジオでキマリの中の人こと水瀬いのりが「アフレコの時ずっと見てて軽く酔った」と言っていて、たしかに大きい画面で観ると結構きつい。むしろそういう効果を狙った演出だったら笑う。
大人の一人として扱われ、荒波に揉まれる(物理)姿は新社会人を思い出す。観測隊としてやっていくためにはもっと多くのことを出来るようにならなければダメだし、そこに「やる、やらない」という選択肢はなくて、ただ与えられる業務を淡々とこなすことが求められるのも社会人の一つの形なのかもしれない。そしてそういう姿に青春は宿らない。「宝石の国」(2017)12話のフォスフォフィライトを「入社3ヶ月目の俺」と評した人がいたけれど、この4人ももしかして…と思わせるような心境が「頑張るしか無いでしょ…他に選択肢はないんだから」という報瀬のセリフによって描かれている。
これと対になっているのが4話ラストのシーンで、4人が観測隊(あるいは報瀬の旅)についていくのではなく、「みんなで南極に行く」という覚悟が対になっている。だからこそキマリの「この旅が終わった時にはぜったいにそう思ってるもん!」はその鋼メンタルに痺れたし、その後4人のやらかす姿は相変わらず青春しててめちゃくちゃ眩しかった(夜なのにね)。また4人が水平線に流氷を見つけた時の顔は出港時の4人と全く同じ構図になっていて、彼女たちの「変わらなさ」を象徴している気がした。
南極の大変さにビビってたキマリたちがかなえさんに昔の観測隊が何度も何度も南極に挑み続けた話を聞いて、あるいは同じ話を幼い報瀬に話していた吟隊長、そして今の報瀬が砕氷艦のラミングを繰り返す姿に「行け!」って前のめりになっている姿がすごく良い。時代を超えてそれぞれに受け継がれてきた魂のようなもの(作中では「吟の魂」と表現されててかっこいい)の強さがラミングしながら進む砕氷艦の勇ましさや音響とシンクロしてて、控えめに言って最高。
あと、「吟の魂」がなかった3人組は吟と想いを共にする隊員たちより縄跳びが下手で、一方それを幼少期に受け継いだ報瀬は縄跳びがうまいっていう文脈良いよね。そういう意味で3話Cパートの「貴子と、縄跳びを手に持つ報瀬の写真(撮影者はおそらく隊長)を手に持つ隊長」のシーンは非常に印象的。なお現実の観測隊でも縄跳び大会があるみたい(娯楽大会と称して、アウトドア競技やインドア競技で盛り上がるらしい)。
「その貴子はもういないのよ」というかなえのセリフが刺さる。吟は強い信念を持って前回の南極観測に挑んだ結果貴子を失ったことを非常に悔やんでいたし、加えて報瀬を強く傷つけた。しかも自分の信念をロリ報瀬が受け継いだからこそ今の報瀬は母の亡霊と決別するために、あろうことか「宇宙よりも遠い場所」を目指しちゃって、しかも成功しちゃって今目の前にいるというのは吟のカルマそのもので、もはや「自分のせいで報瀬の人生めちゃくちゃ」なのか「報瀬は報瀬なりに一歩を踏み出す勇気を持った子に育ってくれた」のか分からないよね。両方か。そのくせ自分は過去に囚われてるままだし。ラミング→貴子の回想っていう構成で胸がいっぱいになる。
だからこそ最後の「ざまーみろ!」を最初に報瀬が言う演出は最高だった。おまけに大合唱だし。泣くやんあんなの
ラミング(2回め)の氷が割れる音がすごいので、ぜひ爆音で聞いてほしい。あと氷にまつわる音で思い出すのは「宝石の国」(2017)7話の流氷の音。あっちもすごい。
11:55頃 甲板で会話する報瀬と隊長の二人を、下からこっそり見守るキマリのアホ顔
南極のあらゆるシーンで息が白くない。これは気温が低くても息が白くならないリアル南極の仕様を再現してるのだけれど、「白い息を描かない」ことで「ここが南極であることを再認識させられる」っていうのがなんか良い。
「ヘリの音がうるさくて会話が聞こえない」というシチュエーションをアニメで表現しているところを見ないのだけれど(当たり前か)、このシーンはガチでヘリの音がうるさくて好き。ぜひフラットな出力の(人の声を強調しない)スピーカーで大音量にして聴いてほしい。
朝の「ご安全に」、ついつい復唱したくなる。あのシーンだけで「この基地においては隊員たちがああやって生活している姿がメイン」であることを再認識させられる。南極だから彼らが毎日特別なことをやっているわけではないんだよ、というメッセージになってて好き。
「友達とはなんぞや」という話を中心に、それぞれのキャラクターを描く回。10話から本格的に基地での活動や生活を中心とした物語になる関係上それぞれのキャラクターが「友達とは」に言及する尺が結構短い。なのにすごく説得力があるのは、うまくこれまでの物語で彼女たちの心を描いてきたからこそだなぁ、と感じる。
ゆづが「友達誓約書」を出してきて、もしこれが3話とか4話だったらただの笑い話なのだけれど、あれから7ヶ月も一緒だったからこそ3人が曇った顔をしていた気持ちもわかるし、5話があるからキマリが泣いちゃう気持ちがわかるし、一方笑顔でめぐっちゃんの話をするキマリを見てると胸がいっぱいになるし、1話やカーチャンのことがあるから報瀬の友達論は重みがあるし、6話があるから日向が「友達って」をうまく説明できないのが辛い。そして何より、3話で自分から「友達になりませんか!」という宣言とともに獲得した2人の友達(察しのいいゆづならきっとその2人がなんで友達になってくれたのか分かるはずなのに)にすごくこだわっていたゆづ故の「友達誓約書」って思うと、すごく切ない。だって7ヶ月間ずっと待ってたんだぜ?友達宣言。
大好きなのは日向と報瀬がゆづを励ますパーシャル丼のシーン。BGMが3話等の挿入歌「ハルカトオク」のアレンジになっている。BGM聴いただけで「なんて温かいシーンなんだろう」って思わせるくらい優しい空間になっていて、(ゆづの悩みとは裏腹に)明るい予感に満ちている。メッチャ好き。
現代風の表現を用いる時の問題として、時代の変化によってその意味が変質したりするという点がある。これは意図して変質を招くことは少なくて、大抵は無自覚に発生する問題である(ex,宇多田ヒカル”Automatic”の歌詞に出てくる「受話器」)。今作で言えばSNSアプリでのやり取り。もしSNSがポケベルと同じ運命をたどった時、その未来においてこの作品の意図はどれくらい伝わるんだろうか…と心配になるのだけれど、10話の18:30頃において、「既読が付くこと」を「”ピッ”って、読んだよーってサインが付いたり」と表現していて、思わず「おおっ」ってなった。現代風に言うなら「既読スルーしてやんの」とか言いそうな所だけれど(キマリは言わないけど)、「”ピッ”って、読んだよーってサインが付いたり」という言い方は向こう20年くらいは伝わる表現なんじゃないだろうか。風化しにくい表現を選んだ、と言う意図があるかどうかは分からないけれど、すごく好きな表現だ。
1~12話まで観たけど、とても刺さった。私なりの観測範囲でよく話題に上がっていた作品なので、便乗して感想を書く。まだ観てない人向けにネタバレなしレビューも書いたので、リアルタイムで13話を観るキッカケにでもなれば。
あと私はあまりリアルタイムでアニメを見るのが得意ではない方の人のだけれど、コレはコレで楽しいな、と思った。制作者のインタビュー探しやすいし、それに対するファンの反応見れたり、各話ごとに視聴者の反応をリアルタイムで知ることも出来てより深く作品を知る機会に恵まれてる。何より楽しい。この感想もそういう色んな人達の発信した悲喜こもごものお陰で書くことが出来たので、日々感謝するばかりだ。ありがとう。
2018年冬アニメ「宇宙よりも遠い場所」を12話まで観た感想 その2
2018年冬アニメ「宇宙よりも遠い場所」を12話まで観た感想 その3
ノゲノラスタッフによる作品というキャッチコピーだが、内容的にはいしづかあつこ作品「ハナヤマタ」に近いものを感じる。ハナヤマタが中学生たちの優しい世界とするなら、こっちはもう少し、冒険をするときのワクワク感がある作品。両作とも「ギャグのテンポが良い」「1話毎に話がまとまってる」「女の子がみんなかわいい」「すごく救いがある」と言う共通点がある。特に1話毎の完成度が非常に高く、好きな話を何度も見返したくなる作品だなぁ、と感じた。メインキャスト4人のメンツで既にざわざわしていたのだけれど、なんてことはない、高レベルの喜劇を演じられる実力者揃えたからっていう。
協力:文部科学省、国立極地研究所、海上自衛隊、SHIRASE5002(一財)、WNI気象文化創造センターとあるように、すっごい詳しく取材した上で作られているアニメ。「JKが南極を目指す」という触れ込みは軽くSFチックなんだけど、現実に即した物語と美麗な背景美術で描かれる世界はとてもリアリティがあって、それ目当てだけでも観ていて楽しい。小ネタも満載で、「昭和基地の施設内にある厨房の戸棚に書かれている落書き」まで再現していたりする。そういう世界の中で描かれるキャラクターたちは、監督がメインキャスト4人の演技を「それぞれのキャラクターが本当に生きている」と評したように(公式ラジオ第11回より、水瀬いのり談)すごく活き活きしていて、本当に生きた人間の成長過程を見ているようである。キャラデザも緻密に作られていて、鼻の形にまでちゃんと意味が込められているんじゃないかと思わせるくらいのクオリティに仕上がっている。バカみたいに表情豊かなので、同じ話を何度観ていても飽きない。そんな彼女たちの心の機微が徹頭徹尾とても丁寧に描かれている作品なので、非常に感情移入のハードルが低い。また絶妙な音楽による演出はより作品への没入感を加速させるので、そのうち彼女たちが何気ないことでヘラヘラ笑ってるシーンでさえつられて笑ってしまうくらいシンクロ率が高くなる。もはや音楽に心を委ねているだけで自然と、面白いシーンで笑い、悲しいシーンで泣き、嬉しいシーンで泣けるようになるので、そこら辺に意識を向けながら観てほしい。ただハマりすぎると「むせび泣きながら大爆笑する」という稀有な体験をすることになるけれど。
この作品を観ていて強く感じたのは「何度も見返したい」という点。一つ一つのシナリオが高いクオリティで完結している、というのもあるのだけれど、加えて本作では「4人の成長」が大テーマになっていて、各話には彼女たちの成長を如実に感じられるよう伏線をたくさん張り巡らせてあるので、話が進めば進むほど彼女たちの行動一つ一つに宿る物語を思い出しては強く感動する…という構成になっている。なので、「このシーンでこの子がこういう行動を取ったのって…」と気づく度に過去回を見返したくなるような、非常に完成度の高いエンターテインメント作品だと思う。
(物理)という意味もある。物理的に行くのが困難な場所を目指す物語としてすごく完成された作品だし、「リアリティがあって、かつほんとに行けるか分からないくらいハードルが高くてワクワクするような目的地」というつくり手の戦略はすごくハマってると思う。
一方で心因性の「宇宙よりも遠い場所」ってあるよね、というもう一つの意味も丁寧に描かれている。例えばそれは誰かにとって「メッチャ高い目標」、あるいは「何も変えられない自分から、何かを変えられる自分への転身」、「誰かに依存し続ける自分との決別」、「まだ見ぬ友達のすぐ隣」なのだけれど、大切なのは勇気を持って最初の1歩を踏み出すことだよね、ということを描く物語がこの「宇宙よりも遠い場所」というタイトルに込められていると感じた。私が1~12話全部が好きな理由は、すべての話が「最初の1歩を踏み出す物語」になっているから。ED曲「ここから、ここから」もそれを象徴している。ちなみにED曲タイトルは、作曲者が近所の散歩中に[ここから~]という道路標識を見つけたことが由来らしい(本人ツイッターより: https://twitter.com/higedriver/status/968006184413249536 )。
とにかく笑って泣ける作品なので、イッキ見をすると顔中が痛くなる。普段表情筋を使っていない私のような人は体調に気をつけて観たほうが良いかも。
上記の通り何回も見返したくなる作品なので、私なりに観る順番を決めてみた(数字は話数、その右にある()内は注目するポイント)。少しでも楽しむネタになれば。
4-1(キマリの想い)-2(報瀬、日向、観測隊の想い)-3(ゆづの想い)-
5-[1-2-3-4(キマリ一家)](めぐっちゃんの表情)-5-
7-1(キマリの想い)-3(ゆづの想い)-4(報瀬と隊長)-5(冒頭撮影シーンのつながり)-
8-1(キマリ)-4(4人)-5(4人)-7(4人)-
9-[1-2-3-4(報瀬と隊長)-5-7(報瀬と隊長)](ほんとに南極行けるの?だって南極だよ?)-9-
10-1(報瀬にとっての友達)-3(ゆづにとっての友達)-4(4人の仲)-5(4人の仲、めぐっちゃん)-6(4人の仲、報瀬と日向)-8(4人の仲)-10-
11-2(日向)-3(日向)-4(日向)-5(日向)-6(日向)-7(日向)-8(日向)-9(日向)-10(日向)-11-
12-1(報瀬)-2(報瀬)-3(報瀬)-4(報瀬)-5(報瀬)-6(報瀬)-7(報瀬、隊長)-8(報瀬)-9(報瀬、隊長)-10(報瀬)-11(報瀬)-12-
13
私事になるのだけれど、ほぼおんなじことを言われた経験がある。何年か前に高校の同窓会に行ったのだけれど、その中に青年海外協力隊に参加した経験者がいた。元々興味があったのでかなり前のめりに話を聞いていたのだけれど、そんな私を見た彼が「じゃあ、行く?知り合いに話してあげるよ」と言ってくれた。けど私は行かなかった。その場であれやこれやと行けない理由を話した覚えはあるけれど、要はそういうことなんだろう。だからこうして一歩踏み出そうとして出来なかったり、そのくせ踏み出そうとしてる友達を応援してみたり、そんな自分が嫌いなったりしているキマリの姿を丁寧に描く1話は私に刺さりすぎた。
アニメを含むコンテンツに触れているとよく、「スカートで体育座り」というシチュエーションを見る。…けど、私は「そそそそのスカートで座ったらパンツ見えちゃうよ!?」ってなってしまって結構苦手である。最近のアニメ作品では絶対にパンツが見えないような工夫がされていることが多いけど、その多くは「神様視点では見えない(脚でパンツ隠すやつとか)」あるいは「重力を無視したスカート」のどちらかである。どちらの手法でも非常にもやもやしてしまうので、「どうやってスカート履いてる女の子が座る姿を自然に描くか」という表現技法にずっと興味があった。
そこで1話 14:05頃を見て欲しいのだけれど、キマリがスカートの下に手を回してる座り方がすごいかわいい。自然な仕草かつ可愛いだけでなく、キャラクター自身が見られないよう意識している事がわかり、それも含めて可愛い。とてもよく出来ているシーン。
この手法は、監督いしづかあつこが絵コンテを担当した作品「ハナヤマタ」(2014年)の1話 13:40頃でも見られることから、監督のこだわりなのだろう。些細な事だけど、私が監督を好きな理由の一つである(余談だけど、同氏が絵コンテを担当したノゲノラ1話ではワンピースを着た”白”が自室でベターっと座ってパンモロしていて、彼女のだらしなさを簡潔に表現している。座り方一つでキャラクターの性格を描くという点では一貫していてすごく好き)。
色んなアニメで登場する「放課後の学校の音」を比較するのが好きなんだけど、よりもい1話の放課後の音がとても好きなのでぜひ聴いてほしい。男子生徒の会話する声、吹奏楽の音、陸上部あたりのホイッスル等、非常に音が豊か。
15:05頃 「宇宙よりも遠い場所」を読むキマリがかわいい。
めぐっちゃんの「南極に聞いた?」を見た報瀬がムッとした表情になり、キマリの心配に対してつっけんどんに拒絶してしまうという流れから、今まで散々「南極」とからかわれたり、あるいは仲の良い人から諦めるよう説得されてきて、その度に彼女はどんどん強情になっていった報瀬の過去を思わせる。それでもすぐに和解できたことから、いかに二人が1~2話の間に信頼関係を築けたかが分かる。また、二人が言い合った場所が敢えて交差点であることも強い印象を残していて(作品を通して交差点が登場するのはこの時のみ)、非常に好きなシーン。
目まぐるしく変わるシーンの背景がいちいちハイクオリティ。その中を複数のキャラが、文字通り縦横無尽に走り回る本作で最も激しいアクションシーン。コマ送りで見ると楽しい。アニメ作品において、キャラが奥→手前のように奥行きのある移動をする際、作画が安定してるって結構すごいことだと思う。
奥→手前
右→左
奥→右と左に分かれる
奥→手前
右→左
手前→奥
奥→手前
手前→奥
右→左
奥→手前→右
右→左 …みたいな。3人が歌舞伎町に来るまでは夜道=街灯もない真っ暗な道という描写だったけれど、このシーンでは対照的に明るい歩道、きらびやかなネオン、往来する人なんかが強調されてて、キマリの心象風景が可視化されてるみたいで好き。
加えて疾走感の演出がすごく良い。キマリは最初、すっげー速い隊員と日向に比べてヘナチョコ走りなんだけど、挿入歌の盛り上がりに合わせてどんどんフォームが良くなっていく。たった一人だけ笑顔で走ってるキマリの高揚感がすごく伝わってきて、胸がいっぱいになる。
1話の100万円…報瀬の並々ならぬ覚悟を象徴する舞台装置、またそれに応えるキマリの覚悟の大きさ
2話の100万円…スポンサー料として提示した金額。ハッキリ言ってゼロが足りない。その申し出を断ったかなえからは、大人組が報瀬の「絶対に南極へ行くという想い」を超えるくらい強い意志を感じさせる。
だからこそ、追い返された帰りの電車内で報瀬がちっとも折れずに「こいつ、ポジティブちゃんだ・・・」ってなるやりとりが非常に効果的な演出になっていて好き。
これ以降も重要な舞台装置になっていて、ただの札束をここまで丁寧に描く作品ってすごいと思う。
17:40頃 「私の青春、動いてる気がする!」のキマリがかわいい。
特に2~3話は「さもありなん」と思わせるシナリオになっていて、非常に面白い。この作品にリアリティを感じた人はよりもい公式ページの「南極チャレンジ」や、観測隊の日記等を見て幸せになってほしい。
報瀬家ではリーダーを解任された報瀬が不満を漏らすのだけれど、お茶を出しているところを見て「お茶くみに格下げか」と気づいた人はどれくらいいるだろうか。また、後ろにそっとおいてある南極観測船「宗谷」にも気づいた人って最低でも30代だと思うのだけれど、そこらへんがこの作品のターゲットなのかもしれない、と思った。私もアラサーだし。
同じく報瀬家でのやりとりにおける報瀬(CV.花澤香菜)の演技が抜きん出て面白い。本当に素晴らしいキャスティング&ディレクション&演技だと思う。
「変な夢…」→夢と違い、殆ど開かない窓→スマホを見て目を細める結月→バッジのないSNSアプリ(前日送ったチャットの返信がない)→退出しましたx2→後ろ姿→\コンコン/→一瞬窓を見る→\コンコン/→「おはよー!」
この間セリフがないのに、それでも結月の心の浮き沈みが痛いほどわかる演出がすごい。本作の特徴である、丁寧な心理描写や伏線の貼り方を象徴しているシーン。
07:20頃 こんな事もあろうかと用意しておいた”二人羽織”(書・キマリ)の、”二人羽”に比べて小さい”織”
高校生が主人公のアニメや漫画では学力をテーマにした回が定番だけれど、この作品ではキマリ家での悲劇が描かれるのみ。なぜかといえば、4人のうちちゃんと学校に通っているのが2人だけだから。加えてゆづは通っている学校と学年も違うので、学力テストをテーマにしにくい。てかそもそも女子高生を描くアニメで学校に通っていない子をメインにするという発想に惚れた。でも4人のスペックについてはうまく描かれていて、
キマリ…部屋の片付けが苦手、一つでも赤点取ったら南極に行けない、コンパサー→基本はできない子
報瀬…キマリに説教する日向に同意する、慎重に測量の訓練をする→できる子?
ゆづき…学校に行けない分ファミレスで自習、数学のノート(図形の作画が非常に丁寧、字が綺麗)→できる子
南極での作業フェーズではそれぞれがいろんな作業をするので、できる子なのかできない子なのか分かるっていうのはそれなりに意味があるんだけど、それを「勉強の出来不出来を数字で表す」という無意味な評価軸に頼らない演出にしてて好き。
「ここじゃないどこかへ」というモチベーションでここまで報瀬に付いてきたキマリ。それだけでもすごいのに、そのうえ報瀬の想いや大人組の想いを知った上で「みんなで行きたい!」と言ったキマリの鋼メンタルが描かれている。報瀬たちと同等の覚悟がないとこんなこと言えないはずで、物語の縦軸を担う報瀬ではなくキマリが主人公であることを再認識した大好きなシーン。
16:35頃
結論:人気、でしかないのだから、こういう事を書くかどうかかなり迷った。しかし他に吐き出す所もないので、所詮チラシの裏と割り切って好きに書くことにした。
刀剣乱舞の新しいメディアミックスが発表された。発表を受けての正直な感想の一つが、
「ま、また山姥切国広〜〜〜〜〜〜………………」
だった。(実写映画化すること自体を含め、その他の感想についてはここでは一切触れない。)
誤解なきよう書き添えるが、キャラそのものに対する好き嫌いの話でもなく、各種メディアミックスの好き嫌いの話でもない。「売り方」に対する愚痴、あるいは悲しみかもしれない。
というか個人的には山姥切国広は非常に好きなキャラクターで、初期刀を選ぶ時には最後まで彼ともう1人で延々悩んだし、各種メディアミックス先での活躍は素直に嬉しい。
また、自分自身は各種メディアミックスもかなり雑多に楽しんでいる方だと思う。勿論それぞれに色々思うところがないわけではないが、違う本丸が沢山見られるのは楽しい。
だから彼が嫌いだとか、これまでのメディアミックスに対して物申したいとかいうことでは断じてない。(今回の実写映画化そのものについての話でもない)
前置きが長くなったが、つまり初期刀間の格差が悲しいというだけの話である。
山姥切国広は好きだしメディアミックスも楽しんでるし、人気の問題だって分かってるけど!!!初期刀の出番格差大きすぎない!!!???好きだよ好きだけど嫉妬するわ!!!!
チラシの裏だから以下好きなように無茶苦茶な長文を書き連ねるが、言いたいことはこれに尽きるし、実写映画もどうせなら初期刀5振りと三日月宗近とかいう組み合わせにしてくれればよかったのに………と思うというだけの話である。
山姥切国広だけではなく、加州清光も大概では、と言われるに違いないし、まあ実際そう思う。山姥切国広の名前を出しているのは、実写映画化の登場刀剣を受けての話だからというのが一つと、どうにもやっぱり山姥切国広の登場が加州清光よりも更に多いという勝手なイメージがあるからで、今までの話に全部加州清光を足してくれてもいい。
以下、初期刀5振りがそれぞれ登場したメディアミックスを書き連ねてみた。(花丸は全員出ていて、登場だけでは他への登場と同じウェイトとは言い難いため、実質主人公の一人である加州だけ記載。活撃も背景に映ってたとかは除外。)
加州清光:
花丸(一期) 初期刀
(花丸 幕間回想録 初期刀)
花丸(二期) 初期刀
刀ミュ 阿津賀志山異聞
刀ミュ 幕末天狼傳
刀ミュ 単騎出陣
刀ミュ らぶフェス 2016
刀ミュ らぶフェス 2017
歌仙兼定:
刀ステ 義伝
刀ステ 2018年夏新作
蜂須賀虎徹:
刀ミュ 幕末天狼傳
刀ミュ らぶフェス
刀ミュ らぶフェス2017
活撃
刀ミュ 結びの響
山姥切国広:
刀ステ 虚伝初演
刀ステ 虚伝再演
刀ステ 義伝
刀ステ 外伝
刀ステ ジョ伝
刀ステ 2018年夏新作
活撃
ざっくり言って、
・加州は花丸(実質主人公の一人)と刀ミュにおいて大きな役割を担っており、原作ゲームのCMも加州verがある。
・歌仙は刀ステに登場し、先日刀ステ2回目の登場も決まった。
・蜂須賀は刀ミュに一度登場している。
・陸奥守は活撃において第一部隊として活躍し(ただし彼は恐らく活撃本丸の初期刀ではない)、刀ミュの新作に登場する。
・山姥切は刀ステにおいて大きな役割を担っており(唯一全作品に出演)、活撃でも第一部隊の隊長である他、原作ゲームのCMもあり、この度実写映画への登場も決まった。
ということになると思う。
歌仙と蜂須賀はどちらも2.5次元展開に登場しているとはいえ、各回のゲスト感が否めないので、まあ主観的な判断ではあるが、出番が多いところに絞れば
陸奥守:活撃
辺りではないだろうか。(実写映画は勿論まだ何も分かっていないが、現状登場刀剣は8振りだし、唯一の初期刀なので、初期刀の中では大きく活躍するだろうという勝手な予想で括弧書きした。いや普通に初の実写映画登場は大きくないか。)
こうして見ると、やはり加州と山姥切は登場回数で頭一つ抜けている。「活撃は陸奥守の方がメインじゃん」と言われそうだが、明言はされてないものの恐らく活撃本丸の初期刀は山姥切だろうし、強い第一部隊の隊長として結構美味しいポジションだったと思う。メインじゃないとか言うなら蜂須賀か歌仙にそこ譲ってくれ!!
あと加州は刀ミュ全てに出ているわけではないので(その存在は大きいが)、全部に出ている山姥切の「沢山出てる」感は強い。刀ミュで初期刀についての言及はなかったような気がするが(正直記憶が曖昧なので誤りの可能性有)、刀ステでは明確に山姥切が初期刀だからかもしれない。
というか花丸二期は山姥切がかなり沢山登場しているような。なんだかちょいちょい見切れているし、メインで出るパートも結構多い。(とはいえ花丸は圧倒的に加州の登場が多いが。)いや沢山見られるのは嬉しいのだが、一期で薬研とか鶴丸が出番数で叩かれていたのを忘れていないので、大丈夫かとハラハラしつつ、「あっこれはいいんだ…?」と思わなくはない。(薬研については出番数だけの問題ではないということは理解しているし、花丸一期のキャラの扱いの賛否は全然別の話だがここでは割愛) ちなみにグッズ展開は加州の方が山姥切よりもやや優勢のような気がするが、最近あまりグッズについては知らないのでなんとも言えない。メディア展開の登場量とはまた少し違うので置いておく。
正直初期刀以外の刀剣男士の名前を出して、初期刀という括りではなく刀剣男士という括りで考えると、他にももっと凄い出番格差がある、という話にならざるを得ない。だが、各メディアミックス先の本丸には(名言はされずとも)初期刀的な立ち位置があって、5振りから1振りが選ばれているという現状(少なくともそう見える状況)では、やはり偏っているという印象は否めないだろう。
初期刀はそれぞれの審神者にとって特別な思い入れのある存在だろうと思う。いわゆる推しキャラでないとしても。複数のメディアミックスが展開され、「とある本丸」が沢山出現する中で、所詮「とある別の本丸」であるのだとしても、自分の愛する初期刀がどこの本丸においても初期刀でなく、特別な存在でなく、また他の初期刀に比べて出番の多い存在でないことは、悲しい格差であると感じる。
山姥切のようなアイデンティティに悩みを抱える造形のキャラクターは物語を作りやすいことも、所詮人気の大小だということも分かっている。別に気を遣って欲しいとか声高に言うつもりもなく、出番に格差があったとしても、多分今後も普通に原作をプレイし、各メディアミックスを享受するだろう。只々、「またか」「悲しいな」と思うだけで。繰り返しになるが、各キャラクターにも、各メディアミックスに携わる人々にも恨みがあるわけではなく、現実がこうなので普通に辛いという話でしかない。
CMが加州と山姥切の2振りしかないことも、なんだかなと思い続けている。5振り分もあっても流す枠がないのだろうし、原作ゲームよりもメディアミックス(特に2.5)に熱を上げている審神者向けという意味合いもあるとは思う。でも、「とある本丸」ではなく初期刀が5通りあって、なんなら近侍は70通りの可能性がある原作ゲームのCMが2振りだけというのはまあ悲しい。そもそもほCMの効果が謎なので(放送本数的にも。自分が見ていないだけの可能性はあるが)、割と道楽のような気もするがゆえに、余計に「どうせ道楽なら、70振りは無理でも5振り分作ってくれれば良かったのに」と思ってしまう。
好きなキャラを下げたくもないし、初期刀間の出番格差を感じたくもないので、実写映画は初期刀5振りと三日月宗近、辺りを登場刀剣男士にしてくれればよかったのになあ……………とつくづく思う。初期刀5振りなら文句つかなくないか。お話としても割とバランスの良いメンバーのような気がするし、初期刀勢揃いで格好いい戦闘シーンが見られたら嬉しいので、いつか初期刀5振りが一緒に活躍するメディアミックスができないものだろうか。刀派も元の主も関係なくても、関係ないからこそ、三日月とはまた違う刀剣乱舞の象徴である5振りが並んだ姿には、やっぱり特別な思いがある。
チラシの裏の落書きであるからついでに私怨だが、出番の多さやメディアミックス先の内容でマウント取ってくるのだけは許してないからな。山姥切の名前を出しがちになったことは私怨のせいではない、とは言い切れない。
まずはじめにいっておきたいのは『うらら迷路帖』をけなす目的でこの文章を書いているのではないということだ。おれは『うらら迷路帖』のファンではなく日常系アニメのファンで、だからこそ書いておきたいことがたくさんある。
ファンの人はたくさんいるだろうけれど、人気が出なかった作品であることはファンも認めざるを得ないと思う。なぜ商業的な失敗をしてしまったのかを可能なかぎり客観的に書くことがこの文章の目的だ。
『うらら迷路帖』は2017年の冬クールにアニメ化された作品で、原作はまんがタイムきららミラクに連載されていた四コマ漫画だ。
同じクールにやっていた『けものフレンズ』に話題をかっさらわれたばかりか、『この素晴らしい世界に祝福を! 2』『幼女戦記』といったなろう系の注目作、『ガウリールドロップアウト』『亜人ちゃんは語りたい』『小林さんちのメイドラゴン』といったファン層がかぶりそうな作品などが放映されており、それらの影に隠れてしまった感がある。
たくさんある。
キャラデザがかわいい。とくに小梅のキャラデザがおれは好きだ。
OPの曲がかわいい。脳内でくり返し再生される。OP映像もそれなりにいい(もうちょっとがんばれたとは思うが)。
大正ロマン風の舞台設定がいい。建物や内装はもちろん、ちょっとした小物にまで配慮がある。
占いの番付によって入られる場所が制限される設定もいい。番付が上がる→入られる場所が増える→自然に新キャラが出せる(既存キャラのリストラも自然にできる)というシステムになっているからだ。
なにがダメだったか明確にするために、日常系最大のヒット作である『けいおん』を中心に他のアニメ作品との比較で話をすすめていく。
『けいおん!』は軽音楽、『ばくおん!!』はバイク、『New Game!』はゲーム制作、『ヤマノススメ』は登山、『ゆるきゃん△』はキャンプなど男が関心をもつものを盛り込むのがふつうだ。
『ひだまりスケッチ』や『GA芸術科アートデザインクラス』のように芸術をテーマにすることがよくあるけれど、それは視聴者の関心というよりは、芸術制作によってキャラの個性を出しやすいのと、作者の漫画家としての経験をテーマに活かすことができるという利点があるから採用されるのだと思う。
ところが、うらら迷路帖の場合は「占い」だ。これはかなりの悪手だ。しかも、おまけ程度ではなくがっつりと話に絡んでくる。
男というのは占いにまったく興味がない。馬鹿にさえしている。占い好きの男もいることはいるだろうけど、同好の男友達を見つけようと思えばかなり苦労するはずだ。
ギターを弾いている女の子は三割増しでかわいく見えるし(=萌え)、バイクをさっそうと走らせる女の子はさまになる(=萌え)けれど、占いに興じている女の子をとくべつかわいく感じる男はあまりいないはずだ(≠萌え。いかんせん興味がないし馬鹿馬鹿しいと思っている)。
あと、占い師の番付が「十番占(見習い)」~「一番占(名人クラス?)」まである設定だけれど、たとえば五番占と一番占がどのくらい力がちがうのかがよくわからなかった。そういう少年漫画っぽいところは、せっかく設定を出したんだからもっと詰めるべきだ。
占い要素は、死に設定どころか死神設定になってしまっている。せめて似たような要素の「巫女」だったらまだよかったんじゃないかと個人的には思っている。巫女服という制服(萌え要素)があるし、エロ漫画やエロゲーで培われたオタク独自の巫女文化があるからだ。
ようするに関係性萌えができないということ。これが最大の失敗要因だとおれは睨んでいる。
メインキャラ四人は皆が初対面で、幼なじみだったり姉妹だったりするわけではないし、同じ占い学校の同期だから先輩後輩の関係性がない。だれとだれがとくべつ仲がいい設定なのかパッと見でよくわからない。あえていうなら、みんな均等に仲良し、あるいは千矢のハーレム?
このおれの意見にはこういう反論が来るんじゃないかと思う。「だれとだれが仲がいいかなんて最初からわからなくてもいいのではないか。話数がすすんでいくごとに徐々に関係性が構築されていく過程を楽しんでこその日常系だ」
たとえば、『けいおん!』。澪と律は幼なじみで仲が良く、軽音楽部の再立ち上げもこのふたりがはじめたことだ。担当楽器はベース(澪)とドラム(律)のリズム隊。唯は後輩の梓をとくに可愛がっており、梓はなんだか頼りない先輩である唯をどこか放っておけない(最高か!?)。担当楽器はふたりともギター。そして傍観者、紬。担当楽器のキーボードというのもまたそれっぽい。
たとえば、『ご注文はうさぎですか?』。ココアは、住み込みで働いている喫茶店の娘のチノを妹のように可愛がっており、チノは困惑しつつもココアを受け入れていく。ココアとリゼは同じ喫茶店のバイト仲間。ちがう喫茶店でバイトしているシャロは、学校の先輩のリゼに強く憧れていて、幼なじみの千夜によくからかわれている(からかいといってもかわいらしいものだけれど)。
ふたつ例にあげた関係性は、アニメを観た100人中100人が速攻で理解できる。そのキャラが出てきてから一話、長くても二話ほど観ればわかる。わかりやすいものであれば十秒でわかる。鼻クソほじりながら観てても簡単にわかる。
ようするに日常系というのは、関係性をはじめから色濃く匂わせていないといけないということだ。その点で『うらら迷路帖』で関係性がちゃんと構築できているのは、佐久隊長周辺だ。
佐久とニナは幼なじみで、ニナの妹のノノを昔から可愛がっている。部下ふたりは佐久に惚れこんでいる。
正直なところ、佐久隊長を主役にしたほうがよかったのかもしれない。
『うらら迷路帖』が日常系扱いされていることに違和感がある人もいると思う。なにせ、ストーリーがあるからだ。主人公の千矢が母親を探すために立派な占い師を目指すという大きなストーリーと、一話完結の小さなストーリーが組み合わさって作品ができている。
しかし『うらら迷路帖』はまんがタイムきらら系列の作品で、登場キャラは女しかおらず、日常系の雰囲気・印象がかなり強い。なので、このまま日常系ということで話をすすめていく。
日常系というのは身も蓋もない言い方をすれば、キャラ萌えさえできればそれでいいというジャンルだ。ストーリー性は萌え(女の子たちが仲良くしててかわいい)の邪魔になることが多いからできるかぎり薄くし、目的があっても自己実現(趣味的)であることがほとんどだ。
『うらら迷路帖』はストーリーがある。つまり、萌えが付加要素になってしまっている。付加要素はいいすぎかもしれないけれど、萌え(女の子たちが仲良くしててかわいい)よりもストーリーを展開させることを優先させてしまっているのは間違いない。
ストーリーがおもしろければ問題なかったのだけれど、ひいき目にみてもおもしろいものではなく、可もなく不可もないストーリーというのがおれの評価だ。
もう、出てくる人出てくる人、みんながきれいだ。清廉潔白。道徳的に正しい。メインキャラ四人はみんなまっすぐだし、人をからかったりしないし、目立った欠点もない。このやさしい世界には悪人がいないんじゃないかと思ってしまうほどだ(警備隊なんていらないんじゃないか)。
きれいなキャラ、きれいな世界は当然ストーリーにも影響する。きれいなストーリーほどつまらないものはない。なんでもいいから、おもしろいと思ったストーリーもののエンタメ作品を思い返してみてほしい。大きな障害があったり、殺人事件が起こったり、強大な悪人がいたり、世界そのものがおかしかったりすることがほとんどだと思う。
これはおまけ程度の難点だけれど、ネットで無料で観られるところが少なかったとおれは記憶している。すくなくともニコニコ動画では一週間無料期間がなく、一挙放送もなかった。萌えアニメにしてはめずらしく、ネット配信を拒んでいた印象がある(同期の仲間、ガウ・亜人・メイドラはそんなことなかったのに)。
ここまで読んでもらえば、なぜ『うらら迷路帖』の失敗について書きたかったのかがわかってもらえたと思う。ここまでハズしている日常系はそうない。
もちろん、男の興味を引く題材、関係性萌えの構築、ストーリーの希薄さ、ちょっとだけノイズのあるきれいなキャラたち、ネット配信に積極的、のすべてを満たしたところで人気が出るとは限らない。この文章に書いた『うらら迷路帖』の欠点もただのこじつけに過ぎないのかもしれない。でも、書きたかったんだもん、仕方ないじゃない。
それと、気になる反応があったら返信するつもりでいるんで、そこんとこよろしく。
※追記
ごちうさには、ちょっとしたからかい(ちょっとした毒)をしかけてくる千夜がいるし、青山ブルーマウンテンという駄目人間もいるため、キャラがきれいすぎることはない。
日常系というのは基本的にはストーリーを入れないジャンルだ。ただ最近はストーリー要素のある日常系も増えていて『New Game!』はその唯一の成功例。『New Game!』はいろいろとうまくやってるからストーリーを入れても大丈夫だったんだけれど、その「いろいろ」を語ると長~くなるので割愛。
そんなことはない。百合要素がほぼないのが『うらら迷路帖』で、百合要素たっぷりなほうが『このはな綺譚』。日常系ファンはちょっとした違いに敏感になる。
ka5me 自分は不必要な性的描写が多かったことだと思う。おなか見せられてまあ喜ぶんだけど日常系やライトな百合に求められている事じゃない。不必要なパンチラが単に下品と思われるのと同じ。
これは正論。でもおれ個人としてはもっとエロ推しでもよかった。後の方になるほどエロがなくなっていくんで、エロ要素も中途半端だったんだということにこの指摘のおかげで気づいた。やるなら徹底してエロくする、やらないなら一切やらない、という制作姿勢は大事。
いや、むしろきらら枠以外で『うらら迷路帖』を受け入れてくれる枠があるのかどうかが疑問。極端な話だけど、たとえばジャンプに連載されたとしたら確実に10週で終了だ。
好みに合わない理由というよりは、「日常系の型をこれだけハズしているよ。さすがに型なしになってるよ」ということを長々と述べさせていただいた。
shiju_kago ”ストーリーがある”が悪い理由というのもすごい話だが、一昔前のテンプレ以外やってはいけない時代劇がその位置にいたのかもしれない
ひと昔前の時代劇と日常系との共通項という発想がおもしろい。でもおれは時代劇のことがまったくわからないんで残念だ。
a-charin 私は女だからか占いも成長してくのもすごく楽しかったけど、あの唐突なエロが邪魔だったなあ。そういうのは個人でやるから表舞台では普通にしててくれ!やるならもうちょい自然にやってくれ!って毎回思ってた
女性向け日常系という道もあったのかもしれない、と思わせてくれる指摘。やっぱエロは余計なのかあ。
たまゆらはよかったよ。
dowhile 大成功した。話は以上だ
気もちはわかるけど(好きなアニメが人気が出なかった経験はアニメオタクならだれにでもある)、現実を見ようよ。
msdbkm "占いに興じている女の子をとくべつかわいく感じる男はあまりいないはずだ" シンデレラガールズに藤居朋というアイドルがいましてね
アイマスは765のキャラを知ってるくらいでほとんど詳しくないんだけれど、そのキャラは占い師属性以前にアイドルじゃないか。占いは副業(おまけ)、本職はアイドルって感じなんじゃないの?うらら迷路帖の彼女らは占いが本業なんだよ。
他人の作ったコンテンツを「失敗した」とか断じて論じようとする人は一切信用できない。これが長年ネットしてきて得た知見ですわ。[……]「自分の審美眼に適わないから失敗」と言い換えて個人的な好みとの差異を詳述しているだけでしょ。
個人的な好みというよりは、「日常系の型をこれだけハズしているよ」ということを書いただけであって、おれ個人の審美眼なんてなにも関係ない。むしろキャラデザはいいと思っている(本文中に書いているよ)。『うらら迷路帖』を三話まで観てもらえれば書いていることを理解はできるよ(賛否はあるだろうけど)。
あと「他人の作ったコンテンツを失敗したなんて言ってはいけない」というのは基本的にちがうと思っている。つまり、どんな作品であってもさまざまな人びとが関わっていて努力しているのだからの悪く言ってはいけない、批判もしてはいけないということなんだろうけど、そんなのは馬鹿げている(評論家は観た作品を全部褒めないといけないのか)。成功した作品の成功要因について話していいのに、失敗要因は話してはいけない?そんなことはない。
どんな作品にもクリエイターたちの想いがこめられている。そのすべてが成功してくれればいいんだけれど、成功するのはわずかで、残りぜんぶは失敗だったり、微妙な成果だったりする。それが当たり前だ。成功を語ることもあれば、失敗を語ることだってある。それも当たり前のことだとおれは思うよ。
つーか、長年ネットをしてきた(自称)くせに、観たことのないアニメ作品の批判文を読んで(全部を読んですらいないらしいけど)「個人的な好みでしょ?」とか憶測で書き込んでしまって、あげく人格否定まで書いちゃうあたりどうなのよ。長年って何年?二年くらい?まあ、あれだ、このチーズは二年くらい蔵に寝かせて熟成させてるんですよ~、とか言われたら、二年!へえ長いですねえ~って返事しちゃうもんなあ。二年って長い。おれが十年弱ネットを見てきて得た「雑学」のひとつに「ネットは人を賢くしない」というのがあるんで、あなたの「知見」のほんの隅っこほうにでも入れてやってください。あと差異とか審美眼みたいなちょっとむずかしい言葉をあなたは使わないほうがいいよ、弱く見えるから。「違い」「好み」でOK
切り込み隊長に罪はないだろ!
防衛省のアピールしたい隊員像しか登場しないでは映画がつまらない
タバコで空気が真っ白の司令室からむさ苦しい男しかいない戦車の中の無線に撃てと命令がくる
そしたら隊長が撃てと下っ端のメットを棒で叩いて怒号で命令する
戦国自衛隊の矢野市長が「早く出せ!」と車の上をバンバン叩く感じが希望
そしたら下っ端は隊長に負けない馬鹿でかい声で絶叫するようにボタンをポチッとして
でゴジラに命中したら全員が大喜びで車外に聞こえるくらいの大大歓声
そんなのが見たい
自衛隊の戦車係や大砲係の実際は映画と同じく冷静なのかもしれないけど
娯楽を期待する視聴者からすれば戦車や大砲でゴジラを倒せたらエアフォースワンでラデクが解放されたときの囚人らのノリで
第1話のがむしゃらに夢を追いかけて見えない少女に恋をして仲間と一緒に失敗を乗り越えて深い闇を抱えた登場人物一人ひとりがそれを克服していく物語、みたいな熱くなれる展開を久しぶりに見ることが出来て、久しぶりにドラマというものをしっかりと見ようという気になったのに。
第2話を見て急に冷めた。初っ端からAV女優出てきて濡れ場があっていやお前そんな要素1つも求めてねーよって。
大体このドラマの題材からして見る層はオタクが中心だろそもそも第1話で主人公は超痛いオタクキャラ100%演じきってたのに、第2話になって急に過去に愛人ありの非童貞のセックス気持ちいい~~!!って叫んじゃうタイプに様変わりしてんのおかしいだろ。
正直10分で見るのやめてしまったのでそれ以降で第1話みたいな盛り上がりがあるのならちょっと気になってしまうので見ないことはないかもしれないけど。あれから面白くなるのかな?
なにより小森さんが可愛いんだよなぁ。建造も信二もいいキャラしてたし。デラ隊長も大人な男性で素敵だし、出ていった妻と子供とのエピソードも中々期待していたんだけれども。
エロ求めてない作品にゴリ押しのエロが登場してしまうとこんなにも腹立たしくなってしまうのか。
漫画とかアニメだと全くそんなことなくて二次創作バンザーイって感じなのに、実写だとダメなんかな。わからない。自分がわからない。
どうもクズです。
クズはクズなりに頑張ってるつもりなんですがほんとごめんなさいね。
べつにあんたのような上司のために働こうと思ってるわけじゃないんですけど、
それなりに今日はちゃんとやってたつもりですよ。
社内駆け回ってさ、あんたのゴミみたいな判断でやることになったなんの生産性もないゴミ仕事をさ、クズはがんばってやったよ。
クズもさ、たまには役にたつかもねぐらい言ってもいいんじゃない?
それがなんだよ、ハギレみたいなゴミ仕事。いつやってもいいだろ。
なんだそれ今日やらないと死んだ?誰か死んだ?俺の家族死んだ?死なねーわバカ。
わかってるよ。わかってるって。コミットしたならやれよ。って話でしょ?だから俺がクズなの。クズですみませんね。
大変にありがたい高尚な御嫌味を公衆の面前で賜りまして大変光栄でございました。クズはやっばりクズでしたと自認しました。
折れたよね、今日はクズもがんばりましたとホッと一息ついたところで折れたよね。さすが、ナイスマネジメンツ!!
本当に素晴らしいマネージャーでございますよ。人がボロボロ減っていくのもあなたさまの高尚さにに愚民程度ではついていけないからなのでしょう。
今までさ、私は何人のマネージャーに仕えてきたっけ?12345678、意外と多かった8人。あんたは8人の中でダントツトップのマネージャーですよ。
あんたの前までのマネージャーはおしなべて全員尊敬してましたよ。これ言うと笑われることもあるんだけど愛してたよね。みんな。
長くなるけど現マネージャーのあなたがどんなに素晴らしいか証明するために振り返ってもいいですか。
1人目。
ザ職人。この人をマネージャーにしたのは会社のミス。全盛期のイチローをプレイングマネージャーにしたようなもんですよ。放任主義なので新卒としてはちょっとつらかったけど一流の職人の背中を見ながら働けたのは良かったよね。
2人目。
一番影響を受けたマネージャー。自分がはじめての部下だったこともあって色々なマネジメント手法を手を変え品を変え試されたんだけど恐れず試しては変えてするその姿勢は、大変だったけど自分の成長にもつながったよね。
そして何より尊敬したのは「俺の仕事はお前らの評価を最大にすることだ。」と明言していたこと。悪い面を言っちゃうとパワハラくさい叱責も多かったんだけど逆に褒める時は成果の10倍は褒めた。そしてもちろん更に上の上長にも我々の成果を最大限に伝えてくれてたので給与にも反映されてたわけです。
叱責はまぁきついとかもあったんだけど俺らの評価を上げるためだっていう前提は明確だったから耐えられたというか、怒りではなく成長のための叱責、叱咤激励なのはわかってたからモチベーションにもなったよ。
あとは俺が何かやらかしても絶対に守ってくれた。こいつがすみませんね、じゃなくて、こいつの上司である俺の責任だからこいつを直接責めるな俺に文句言えちゃんと改善するから、ぐらいの守り方。だからこそ逆にやらかさないように努力せねばとも思ったよね。本当にありがとうございました。
3人目
なんでそんな心の無い進め方をするのだ!!ってくらい相手の気持ちを考えないタイプのマネージャーで、特に他のチームとの仕事だとおいおいおいやめろよそんな話し方!俺が上手く穏便にまとめないとー、みたいになってちょっとやりずらかったかな。でも部下にはなぜか優しい面が強くて、俺の得意分野の成果をしっかり褒めてくれながら2人目同様守ってくれるところも多々あって、クセが強いながらも良いマネージャーでした。
4人目
スーパー穏健派。業務スピードは遅いチームなんだけど、その分チームメンバーの心の健康は非常によく保たれたチームでした。基本的には叱咤なし。一緒に着実に業務を進めていこうねという姿勢。
俺以外のメンバーにはちょっと仕事はできるけど血の気が多いみたいな人もいたんだけど、その人も良い感じに諌めながら良い部分だけと引き出すようにしてるなぁと尊敬したものです。
5人目
俺が前線を広げておくからついてこい!タイプ。敵をバッタバッタとなぎ倒し開拓してはさあ!ここで一仕事だ!という感じでまさに切り込み隊長といったところ。ただ、いかんせん俺が楽できるならしちゃうタイプじゃなので切り込んでくれるのを見ながらポップコーン食べちゃうみたいな仕事の仕方をしちゃいましたこの人のときは。
6人目
ミスター義理人情。心で業務を進めるタイプ。正しいことをするというよりも、みんなの心がちゃんと繋がることをしようぜという姿勢。人間性というか一番信頼できたのはこの人だなと思ってる。残念ながら事情があって上司部下の関係はほんの一瞬だったけど、今は変わって親友と言っても良いかもしれない関係でございます。
7人目
超特殊。天才肌。まぁ話が長い。長いんだけど聞いてるうちにいつのまにか丸め込まれているから恐ろしい。しかも丸め込まれたというか、そのとおりやってみると結果として成功することが多い。いやほんと天才、見てる世界がやっぱりちょっと凡人とは違うんだろうなという感じ。おまけのように付け足すけど、この方も部下はガッチリ守る。一回でもガッチリと守られるとやっぱり信頼度、忠誠度はは格段に上がるよね。
8人目
そしててめーだよ。そこのアンタだぜ!
改めて7人の良さを書くとさ。アンタどれ一つ持ってないよね。
なんなの?いつものさ。ただ不機嫌に指摘するあの感じ。そんな指摘は誰でもできるわ、てか自分でできてないのわかってるからね。わかっててやってないの。クズだからできないんすわ。クズだし仮にやったとこでアンタ評価しないでしょ?評価しない上にゴミ仕事でしょ?やらねーよ。俺になんの得があるの?
あとさ、ほんとやめたほうがいいよ、誰々は仕事できねーとか、どこどこは話にならねーとか、そういうの俺一番嫌いだから。
何?できてんのアンタ?自分に全部返ってくるよ。そういうの言って許されるのは桃井かおりぐらいだわ。
いままで誰一人としていないからね、悪口言って溜飲下げとるマネージャーなんか。くだらねぇわ。
そしてそんなアンタに心を荒まされてる俺自身もくだらねぇわ。やめてくれよ、子供あやしながらさ、片手間にこんな文章書きたくねぇよ。でも書かないとやってらんないくらい追い詰められてんの俺。
アンタの下だと俺はやっぱりクズ中のクズだったなっていうの思い出しちゃうわけ。クズなりにそれ思い出すのつらいわけ。やめてくれよ。ようやく持ち直したところで意味ねー事して俺の微かなやる気を吹っ飛ばすの。
あーあ、誰でも良いよ。これまでの7人の誰かの下に戻りたいわ。
すげーな、クズがクズみたいな文章積もらせてしまったよ。まぁ俺が言いたいのはさ。クズみたいな部下がいてもさ、ちょっと見てやってよって話。
クズもさ、なんとかもがくときがあるんだよ。そのもがきをさ、少しでいいから認めてくれよ。間違ってもそうやってもがく中で起きた綻びをだけをつまみ出して「やっぱりこいつはこんなにクズでーす」って喧伝するのはやめてくれよ。
もしくはさ、捨てろよクズなんだから。いいよ。クズもちゃんと扱いまーす、えらいでしょー、みたいな顔すんなよ。いりませんって言えよ。まだその方がスッキリするんじゃないかね。
あーあ。流石にこりゃ誰も読まんか。でも俺には増田しかないんですよ。今日もこうやってここで書く事でなんとか生きながらえました。