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はてなキーワード: 縦横無尽とは

2023-08-29

実際現代社会では利己的に生きることが生存戦略として正解なのだ

人間流動性が加速していく昨今で過度に周りの人間固執する必要はないし、取り返しのつかない大失態を犯しても環境一新させることも比較的容易にできてしま

そんな中で利他性を保って生きていくことが生存につながったような昔に造られた人間本能準拠する既成道徳因習に過度に凝り固められ縛られているから生きづらいのではないか

現代社会において利他的行動は我々に幸福感と生の喜びをもたらしてくれるポエム的なものに過ぎなく、利他的行動により生存が圧倒的に優位となれる可能性が高いわけではない

利他的行動は相手良心に身をゆだねるため相手利己的ならば奪われる

野生に生きる動物たちはむき出しの本能で日々血なまぐさく争っているが、人間は理性を用いて自分身体性の限界拡張する炎や武器などの圧倒的な暴力を生み出し、暴力支配された自然の理を理性で制限人間利己性を押さえつけることに成功した。そして各々の利己性は利他性に奉仕させられそれを美徳とすることで人間地球覇者となった。

まり人間性の起点は利他性にこそ存在している。しか人間はいつまでも本質的な原始本能である利己性をなくすまでには至ることができないでいる。

それは人間がやはりどこまで行っても獣であり、自分の体に縛り付けられた理性しか持ちえないからだろう。

から我々人類共生歴史根深く完全な利己的行動に走るには良心の呵責が伴いこれは簡単に捨てることができない。

完全に利己的行動へ堕するには獣にならなければいけない

獣になってでも生き延びることが美徳か?人間らしい利他性のために殉ずることが美徳か?

それを決めるのは個人自由で良い、この世の縦横無尽に広がる無限の地平線の深遠さに比べれば本当にとるに足らないことなのだから、、、

2023-08-15

[]8月15日

ご飯

朝:松屋ソーセージエッグ定食。昼:カラムーチョたけのこの里。夜:ベーコンにんじんエノキ玉ねぎコンソメスープ。だし納豆豆腐目玉焼きバナナヨーグルト。間食:アイス

調子

むきゅーはややー。お仕事は、おやすみー。

○ FatalTwelve

・はじめに

突然のテロに巻き込まれて死んでしまった女子高生獅子舞凛火は、同日同時刻に死んだ12名の内たった一人だけが死の運命を覆すことができる「女神の選定」に巻き込まれる。

そのルールは、週に一回日曜日に氏名、死因、未練の三つ指名することができ、指名されそれが当たっていると脱落し一時的に覆されていた死の運命が遡ってしまう、そしてたった一人になるまで12週繰り返すというもの

勝者が一人だけのデスゲームものという味わいもあるにはあるものの、主題は不意の死に巻き込まれしまった主人公獅子舞凛火がどうそれと向き合うのか、そして同じく「女神の選定」に巻き込まれた友人の未島海晴との関係値はどう変化していくのかにあると感じた。

・続く日常描写

毎週日曜日に他のプレイヤーから氏名、死因、未練を当てられたら死んでしまう極限状態ながら、主人公獅子舞凛火の通学、祖母経営する喫茶店の手伝い、友人達との遊び、テスト勉強などの日常描写たっぷりある。

先手必勝で他のプレイヤー情報を調べた方が絶対有利なんだけど、かなりまったりしている。

もちろん物語が進行していくにつれそうも言ってられなくなる展開もあるにはあるものの、学校に通うことは最後までやめない。

特定の人数を明記した登場人物に、明示されるゲームじみたルールながら死を強制する恐怖と、デスゲームっぽい導入ではあるものの、知略を張り巡らす緊張感のある展開はかなり控えめ。

勿論それが良い悪いではなく、この作品の目指すところはそのような極限状態であっても、日常を過ごすことの尊さを書こうとしているのは明白だったので、これはこれで楽しめた。

特に喫茶店描写コーヒーを飲んだり軽食を食べるシーンが多くあるのも好み。

この辺のスチル絵に差分が多めなのもやろうとしている趣旨がそこにあることの証左だろうか。

獅子舞凛火、未島海晴、日辻直未の関係

日常描写だけで話を引っ張っている訳ではなく、そこに花を添えるのが獅子舞凛火、未島海晴、日辻直未の女性だけで構成された三角関係だ。

主人公獅子舞凛火はぶっきらぼうながら根は優しく、一つ年下の後輩でドジっ子メガネの日辻直未が失敗するとフォローしてくれる。

そんな二人の微笑ましい関係を不機嫌そうに眺めるのが、長髪ロングで清楚系ながら僕っ子の未島海晴。

海晴は明らかに凛火のことが好きなのに、鈍感な凛火は気付いておらず、海晴より直未を優先する姿に、関係が拗れていく。

この三角関係描写にはかなり文量がさかれており、主に海晴と凛火の二人の視点から恋愛模様が楽しめる。

特に女神の選定」に巻き込まれながらも、最初から覚悟がガン決まりの海晴のストーリー面白かった。

はっきりと恋愛の話であると断言されているのも好印象で、かつそれに対して強い否定的意見を言う人がいないのもノンストレスで楽しめて良かった。

名脇役小熊真央

そんな三角関係を陰ながら支えている小熊真央が風格ある良い役で、僕は彼女が一番好きなキャラだ。

鈍感な凛火に気づきを与え、海晴のメンタルフォローし、直未の真意を探ると縦横無尽の大活躍

女神の選定」とは一才関係ないにも関わらず登場頻度とその重要度合いが高く、優れた人間性を魅せる場面が多々あった。

特に海晴のメンタル限界なことを察知しつつも、ベッタリと距離感を詰めるのではなく、あえて距離を置きつつも、いつでも電話に出られるように臨戦体制を取り続ける様は今作屈指の名場面だった。

異常な生死をかけたゲームだけじゃなく、彼女日常を送りながらギリギリラインで友人達関係値のバランスを取るのに一生懸命なシーンがあるのも、このゲーム主題がどこにあるのかを示唆する一端だった。

・「女神の選定」ガチ勢の面々

インキャラ達以外にも「女神の選定」の参加者はおり、彼ら彼女らも視点人物になりそれなりの出番がある。

とはいえ女神の選定」と関係ない恋の鞘当てに一生懸命女子高生達をさっさと片付けられない時点で、ガチ勢と呼んでいいのかは怪しいかもしれない。

そんな面々の中でも僕が気に入ったのは以下の2名。

まずはイタリアの元マフィアながら、ヘタレで序盤からけが続くも男を魅せるシーンもあるフェデリーコ。

コナをかけていた海晴が女性同性愛であることを知ると、それならそれの遊び方が提案できたのにと遊び人らしい最後の言葉を残すシーンは、ヘタレ女好きキャラとしての一貫性があって、良くない行いをし続けてきた彼らしさがあった。

もう一人は、ジャーナリスト正義のためにしか行動しないと誓っているスケールさん。

まあこういう生死がかかったゲームをやってる中で正義とか言い出す奴がどんなやつかは想像やすいんだけど、ちゃんとその想像通りのキャラ

良く言うと人間らしく、悪く言うとみっともないキャラ

大言壮語が過ぎる上に自身の死が迫ると表れる人間らしさが、物語を彩ってくれた。

・「女神の選定」エンジョイ勢の面々

このゲームのらしいところは、生死がかかったルールを設定しておきながら、もう生死について腹を括っているキャラが何人もいることだろう。

覆された死の運命をただの幸運ロスタイムと捉えて、他人を蹴落とすことよりも人生エンジョイする時間に使う面々も何人かいた。

家族のいない孤独な老人牛塚さんと持病による死が延期になっただけで直近の死は変えられないソーニャについては、その意識が強かった。

からといって面白くないわけではなく、彼らの生き様が他の面々に影響を与えたり、日常を過ごすことの尊さを再認識させてくれたりと、物語としての役割ちゃんとあるのが面白かった。

・おわりに

生死がかかったルールのあるゲームに巻き込まれた極限状態と、女性三人による恋の駆け引きとが同列、あるいは後者の方が重要に扱われている構成の妙が面白かった。

この極限状態からこそ恋愛様相が変わってくると、それぞれのエピソードリンクはしっかりしているので、通して遊ぶと違和感は薄い。

デスゲームに巻き込まれていないにも関わらず、めちゃくちゃ頑張った小熊真央さんにはキャラクタ全員感謝を示すべき。

小熊真央さん本人の幸せについては一切触れられていないので、是非とも彼女恋人を見つけるなり、何か趣味で良いことが起きるなりの、ハッピー後日談を見たい。

偏見を持たない彼女姿勢が僕は大好きでした。

2023-08-14

[]まとめ3

はてサ心霊スポットに行くっていうから

様子を見に行ったら

有名なトンネルに一人で突撃していた

一人で肝試しでもしているのかと思ったら

はてサがおもむろに服を脱ぎ始めて全裸になった

金玉オイルを塗って

テカテカぷりぷりの金玉を手のひらに乗せて

寄っておいで寄っておいでと呼びかけている

そうすると何か物凄くおぞましい気配が漂い始め

はてサ股間が黒いなにかで包まれ

はてサがいきなり奇声をあげて

その場に倒れ体をウネウネくねらせて

最終的にイグイグイググイグイグイグウウウウウウウウって叫んで絶頂したようだった

はてサ幽霊オナニーをしていたらしい

とんでもねえ性癖だよ

anond:20230814080430

台風が接近してくるので

はてサが畑の様子を確認してくるっていうから

畑の様子を見に行ったはてサの様子を見に行ったら

はてサ飛んでたよ

金玉をぐいーんって広げて

暴風に乗ってさ

縦横無尽に空を舞っていたんだ

気づいたらはてサはいなくなってたよ

どこへ行ったかはわからない

二度と姿を表さなかったんだ

anond:20230813082516

はてサ戦国時代タイムスリップしたっていうから見に行ったら

戦国時代に行ってもしぶとく生き残ってて

なんだかんだで織田信長はてサ金玉を献上することになって

信長が絶賛したことから戦国時代に空前の金玉ブームが生まれたんだって

みんながみんな金玉をウマイウマイって食べちゃったもんだから

みんな玉なしになって

子供が生まれなくなって

最終的に日本は滅んじゃったみたいだ

日本滅亡の犯人はてサなんだな

じゃあ今ここにある日本は何だよ?

anond:20230812075344

はてサが牛の乳搾りしたいって言うから

牧場体験会に連れて行ったら

乳搾りして興奮してきたのか

ぼくのミルクも絞ってと牛にちんぽを差し出したら

牛は餌と勘違いしたのか金玉ごとはてサのちんぽを食べてしまった

はてサ悲鳴を上げながら気持ちよさそうにしてたよ

はてサにそんな趣味があるとは知らずドン引きしたわ

anond:20230811073910

はてサベンチウォーマーでいいか甲子園に行きたいって言うから入れてやった

試合リードしてたけどピッチャーが打球を受けて

とても投げられる状態じゃなくなった

そこではてサ自分が投げますって言って立候補して

替えのピッチャーもいなかったから投げさせてみたら

ボールじゃなくて金玉投げやがって

退場になったわ

試合も負けたしよ

anond:20230810072809

はてサ異世界転生したっていうから見に行ったら

金玉無限再生できるチートを獲得してて

はてサ金玉ステーキ屋開店して大繁盛させてた

やがて貴族などの耳に届くようになって

教会から異端認定を受けて処刑されたんだ

しばらくすると死体から金玉が次々に生まれ

異世界はてサ金玉で埋め尽くされたんだ

anond:20230809073340

はてサ金玉栄養不足でクラウドファンディグを開始したって言うから

真っ先に金を入れられるだけ入れたら

あっという間に目標達成してた

はてサ金玉はいつでも人気だ

半年後忘れた頃に栄養パンパンになったはてサ金玉が送られてきた

漬け丼にして食べようと思う

anond:20230808073415

2023-08-13

台風が接近してくるので

はてサが畑の様子を確認してくるっていうから

畑の様子を見に行ったはてサの様子を見に行ったら

はてサ飛んでたよ

金玉をぐいーんって広げて

暴風に乗ってさ

縦横無尽に空を舞っていたんだ

気づいたらはてサはいなくなってたよ

どこへ行ったかはわからない

二度と姿を表さなかったんだ

2023-08-10

アニメオタク特に萌えオタ)に対する嫌悪感が一体何なのかきちんと考えてみた

自分の中でのアニメオタク特に萌えオタ)に対する嫌悪感が一体何なのかきちんと考えてみた。

すると恐るべき結論に達してしまった。これから書くことは正直私も断言して良いものかどうか躊躇している。しかし、アニメ文化の発展のためにも、心を鬼にして書かなければいけないことだ。

アニメオタクは何もアニメに貢献していない!

今までも、そしておそらくこれからもずっとそうだ。これは岡田斗司夫のような豚野郎の言う「オタクは死んだ」でも、東浩紀のような豚野郎の言う「読者の質が悪い」でも、宇野常寛のような豚野郎が言う「萌えオタはクズ」でもない。もっと根幹に関わる重大なことだ。そして恐ろしい事実だ。

まず、オタクオタク向けに作ったオタクアニメが大きな評価を得てきたことは今まで一度たりともない。

名作を作ったクリエイター側は言うまでもなく、『ガンダム』の富野由悠季は仕方なくアニメ現場に降りてきた人だし、『攻殻機動隊』の押井守は元々映画監督志望でジャン=リュック・ゴダール敬愛していてたまたまタツノコプロ求人が目に入ってアニメ業界入りした人だ。

「でも、今は世界的にアニメブームが起きているじゃないか」と萌えオタがブヒブヒ言ってきそうだが、それは幻想である。まず90年代後半に盛んに言われた「ジャパニメーションブーム」を取り上げると、これは岡田斗司夫オタク地位向上のためにでっち上げものだ。本人も後にそれを認めており、外から圧力に弱い日本オタク市民権を得るにはそれしかなかったと言っている。この岡田斗司夫苦肉の策電通村上隆が乗っかり、ジャパニメーションブームという虚構ができあがったのだ(元々別称だったジャパニメーションという言葉を良い意味として輸入したのが村上隆である)。

それは今まで世界的な評価を得てきた作品を見ていけばわかる。

まずは、宮崎駿アカデミー賞も受賞し、名実ともに日本代表するアニメーション監督といった地位を得ているが、その作風アニメ界ではむしろ異端であるスタジオジブリ的なもの宮崎駿的なアニメは本人にしか作れず、その作風を引き継ぐような後継者は未だ誰一人いない(宮崎駿の後進育成が下手という話ではない。宮崎駿に影響を受けた人間が外で宮崎駿的なアニメを作ったっておかしくないのに、そんな人は日本はいないのだ。海外ではどうか? そう、モンスターズインク制作したピクサーが後継にふさわしいだろう。言うまでもなく彼らはアニメオタクではない)。

宮崎駿にはオタク的なるものを避けて避けてやっと今日地位を築いたという歴史がある。オタク的なものを避けて世界評価を得た、これは非常に重要ポイントだ。

押井守もその一人だ。『うる星やつら』を制作し、オタク向け監督の一人で終わるかもしれなかった彼は『機動警察パトレイバー2 the movie』や『攻殻機動隊』においてオタク向けアニメ想像力を捨て去ることで作品の強度を確立した。『ビューティフル・ドリーマー』はどうなんだ、という声があるかもしれない。これには後に押井守がこう語っている。「劇場版第一作『オンリーユー』を作ったとき原作者ファンが喜ぶことを全部詰め込んだ。上映されると当然原作者ファンは満足したようだが、作品的には酷い代物だった」。この諦観によって『ビューティフルドリーマー』は作られた。オタクから距離を取ることで傑作に仕上がったのだ。

他にも大友克洋の『AKIRA』だって一見すればわかるようにオタク的な想像力から離れたものであり、渡辺信一郎の『カウボーイビバップだってそうだ。

オタク監督だと言われるウォシャウスキータランティーノだってウォシャウスキーSFの人で決してオタク想像力に耽溺しているわけではないし、タランティーノ高校中退して一日中映画を見まくっていた怪物だ。

エヴァンゲリオン無視しているじゃないか、と言われるかもしれない。確かにエヴァオタクオタク向けに作ったオタクアニメであり、社会的現象を起こすほど大ヒットしている。だが、これ一本でもってオタク想像力勝利にはなりえない。何故ならオタク外にも評価されたオタク監督庵野ただ一人、例外中の例外なのだ。その庵野ですら、オタク偏狭さに嫌気がなして反オタク改宗した。その事実オタクは裏切った、とこれまた偏狭さを見せて批判している。

このようにオタクオタク向けに作ったオタクアニメで傑作が生まれたことは、一件の例外を除いて存在しない。オタクが喜ぶ想像力や「萌え」なんてもの全然強度を持ち合わせていない(十年前にオタク想像力オタクに受けていたクリエイターの今の地位を思い浮かべて欲しい、それが十年後の山本寛新房昭之の姿だ)。

しろオタクの好みに少しでも外れると烈火のごとく怒り、作画監督が少しでも個性を出すと作画崩壊と騒ぐその類まれなる偏狭さは害悪だと言ってもいい。

オタクオタク的な想像力から外れるような、例えば『スーパーミルクチャン』や『TAMALA2010』のようなアートアプローチからまれた傑作を評価できない。どちらも発売時にはタワーレコード平積みされ、オタク想像力は一瞬で敗れ去った。

それどころか『フリクリ』をオサレだとかラベリングして嘲笑するほど、子供のような舌でもってクレームをつけて回っているのだ(『フリクリ』はガイナックスが作ったオタクアニメじゃないかという屁理屈が聞こえてきそうだ。ガイナックスは今や庵野の反オタクキャンペーンによってオタク的な人間駆逐されており、鶴巻は反オタク急先鋒である)。

そして、それは明らかにアニメ進化を阻害している。その理由を書こう。

まず、オタクが大好きな絵柄、要するに萌え絵はアニメーションに不向きなのである。あの頭と目が大きく、等身が低くて身体か華奢という構造は、見た目通り人間的に動かすというのは困難だ。だから、どのアニメにおいてもよく動くと言われるもの萌えから距離を取っている。萌え絵を選択すると自動的紙芝居的な動きが縛られたものしか作れなくなる。ディズニー萌え絵を選択せず、あのような絵柄なのは動かすことを念頭に考えているからだ。

しかし、アニメオタク萌え絵以外の絵柄のアニメを「絵が変」と言って嘲笑し、批判する。ここがアニメオタクの一番の問題点であり、私が害悪と言い切る理由だ。

例えば近年稀に見る傑作である鉄コン筋クリート』を例に出そう。この作品も「オサレ」「絵が変」といって批判されているが、この作品こそアニメーションの快感、動くことの快感を思い出させてくれるものはない。画面の中を縦横無尽に動き回るキャラクター達が見るものの心を掴んで離さない。そして、それはアニメオタクが「変」といって批判するその絵柄が貢献している。もし、この作品萌え絵だったらここまで動くものになってはいない。現にそんな作品はない。

そして、アニメーションの快感を蘇らせたのがオタク外のマイケル・アリアスだったことは非常に重要だ。アニメオタクアニメーションのことがわかっていない。だからスタジオジブリ的なものピクサーに取られ、アニメーションの快感マイケル・アリアスに取られてしまうのだ。

もう一度言おう。オタク想像力は強度を持っていないし、オタクが好むアニメ絵はアニメーションに向いていない。アニメーションに向いているオタク的じゃない絵を排除するその思考アニメ進化を阻害している。

アニメオタクが本当に現実逃避ではなくアニメのことを愛しているのなら、今すぐアニメを見るのをやめて即刻退場することだ。それが一番の貢献だ。

2023-07-23

[]7月22日

ご飯

朝:ヨーグルトバナナ。昼:なし。夜:おにぎり味噌汁唐揚げ。間食:ポテチ

調子

むきゅーはややー。お仕事は、おやすみー。

ニューダンガンロンパV3 みんなのコロシアイ新学期

・はじめに

ダンガンロンパシリーズの完結作となる総決算的な作品

十数人の超高校級の才能を持った高校生たちが閉鎖空間に閉じ込められ、彼ら同士が殺人とその犯人を見抜く学級裁判を繰り返していくデスゲームものという骨子はそのままに、新しいストーリーが展開する。

魅力的がすぎるキャラクタ達、非常に残酷で救いの無い絶望的な展開、それらを丁々発止の議論で盛り上げていく。

今作はボリュームがあるのに加えて、かなり込み入った構成になっており、感想を書くのが非常に大変だった。

まずはキャラクタの魅力を語ってから作品自体感想を書こうと思う。

物語を牽引する赤松楓が好き

主人公として視点人物になる超高校級ピアニスト

アクの強いキャラ達振り回されてきた歴代主人公の序盤の挙動とは違い、良い意味最初から自分物語を牽引していくタイプ主人公

これが前向きで読んでいて楽しく、その積極さを応援したくなっていった。

他の面々に道を見出すシーンが多く、特に密接な関係となる超高校級探偵最原終一との関係値がどんどんと変化していく様が好き。

しかし、この前向きさが、必ずしも正解とは限らないと批判されるエピソードが、幾つもあるのが今作の感想をまとめることの難しさの一つだ。

現実世界では何かを評するときに必ず良い面も悪い面もあるのが普通だが、フィクションとしての娯楽作品ではその辺はざっくりと抽象化してくれるものが多く、特に主人公思想については過程はともかく、結論肯定的に描くものが多い。

ここを多様的に肯定批判が繰り返されるだけならまだしも、結論として肯定なのか否定なのかが明示されないのが本当にややこしくて、楽しくて、好きになった。

ダンガンロンパテキスト主体作品では初の女性主人公ということもあり、女性陣とは最初から距離感が近く、男性陣とは少し遠いのも、今までとの違いが楽しめた。

特に男性が嫌いな茶柱転子とは女性同士だからこその関係性を築くのが良きだった。

・王馬小吉がエグくて格好いい

彼の才能は超高校級総督というよくわからないものだが、物語が進むにつれてその意味が否応なく理解できていく。

悪の秘密結社総督自称していて、最初から最後まで一貫して悪を貫いていて格好いい。

しかし、ここでいう悪がどのような意図言葉なのかは、物語をそのまま書き下す以外ないぐらいに複雑で幾重もの意味を持っている。

彼の当番章は、僕がダンガンロンパシリーズでもし章単位番付表を作るなら、一番に据えるかもしれない、それぐらい、好きで気に入ったキャラクタだ。

ただ、この好きを言語化するのが本当に難しい。

どこまでが本心で、どこまでが演技かも不明なシーンが多く、彼を好きなこの気持ちも、どの彼が好きなのかをはっきりできない。

ただ、正義真実希望といった、ダンガンロンパシリーズで「良い」とされてきた価値観と真っ向から対立する存在なのは間違いない。

それだけに、ある意味ダンガンロンパシリーズを包括して批判する評論家のような一歩引いたメタ的な立ち位置(物語構造や超越的な設定の意味メタフィクションと言っている訳では無い)なのが魅力的に写ったのかもしれない。

見た目は元気そうな少年なのも、悪なシーンとの対比が映えて好きなところ。

自由入間美兎が可愛い

超高校級の才能であれば多少の無茶は飲み込める世界観だけに、超高校級発明家というざっくりした才能はかなりの自由さだった。

一章からうそうに発明家としての才能を発揮していく上に、自身の当番章ではまさに縦横無尽活躍する。

そんな才能面での自由さ以上に、日常会話が成り立たないレベル下ネタ好きっぷりに惹かれた。

女性同士という点を差し引いても、ドン引きレベル下ネタが開幕から続く。

性的ネタを好み下品言動ばかりで一貫して喋るキャラで、真面目な学級裁判での議論中でも容赦なく下ネタをぶっ込んでくる。

中人物達から人間性評価特に女性からのそれは散々で、めちゃくちゃ優秀な才能で活躍するにも関わらず、非常に嫌われている。

傍若無人な態度をとりながらも、相手強気で来られるとマゾヒズム感情を刺激されるのか恍惚の表情で命令を聞いてしまう辺りも、下ネタ好きキャラとして一貫した個性になっている。

性的に奔放で自由な様の娯楽的な面白さに、後付けで理由を付けてしまうのだけれど、ここまで自由とある種の強い社会から解放すら感じられて、見ていて飽きない楽しいキャラだった。

まりテーマとは関係のないコメディキャラだが、まさにそのコメディ部分が楽しめたし、清涼剤的な役割だった、性欲剤でなく。

「嘘」

そんなわけで、必ずしも肯定だけで終わらない主人公赤松楓と、どこまでが本心かがわからない王馬小吉の二人が好きだという感想を書いた。

その上で今作の物語テーマ「嘘」である

これはゲームシステム的にも表現されていて、恒例のノンストップ議論相手発言を、証拠証言で打ち抜く際に偽証をすることができる。

要するに議論を進めるためなら、それが真実でなくても良いというスタンスだ。

物語としても終始この「嘘」について取り上げられ、実際に起きた事件議論という枠組みに収まらず、ある意味では倫理観ある意味では普遍的な、様々な問いを議論していく。

非常に複雑な構造になっており、作中から得られる情報では絶対真実には辿り着けない。

その上で、物語での言葉を借りると、誰を信じるのかを決めることが重要なのだろう。

主人公である赤松楓や、ある意味で名敵役である王馬小吉と言ったすごく主軸となるキャラクタですらその本心と、それに対する評価が多様なことが、まさにニューダンガンロンパV3全体の感想にそのまま繋がる。

このゲームが楽しかったのか、好きなのか、つまらなかったのか、嫌いなのか、自分の中で多様な意見結論が出ないままにそのまま残っている。

そんな感情の整理が付かないまま終わってしまった。

別に物語として尻切れトンボなわけではなく、まさにこれが狙ったこなのだろう。

明確な結論を出さず保留し、ずっと考え続ける。

そういう結論がないことこそが結論作品だったと、こうして感想四苦八苦しながら書いて感じた。

・おわりに

こうやってゲーム感想を書くようになって以来、楽しむと自然感想も書けるものだと思っていたのだけど、今作はかなりこのアウトプット時間がかかった。

とにかく複雑で入り組んだ構成をしているゲームで、端的に何かを語ることが難しかった。

かと言って考えさせられる系の現実としての生き方に尾を引くお話なわけでもなく、あくまフィクションとしての娯楽作品であることは貫かれている。

このゲームが好きなのか嫌いなのかすらもよくわからない、自分の中で整理が付きにくい。

この独特の読後感が唯一無二なのは間違いなく、アドベンチャーゲームというジャンルを飛び出して、ダンガンロンパダンガンロンパなんだとトートロジーしか評せない癖の強いゲームだった。

2023-06-28

世界観一新するシリーズ作品の難しさ

FFシリーズ名は冠してるけどシリーズ通して世界観が変わり続ける作品、「変わり続ける」ことを強制されて新作が難しくなってそう。(ドラクエテイルズもそうだが)

特にFFはかなり試行錯誤してそうなのは伝わってくるのだが、反面あんまりいい方向に行けてなさそうで見てて辛い。

ところでフロムソフトウェア作品はコンセプト(世界観?)が異なれば別名義で作品をだして成功している。やってることはほぼ同じなのにダークソウルデモンズソウルシリーズとしなかったのは名采配。

アーマード・コア重厚さのある縦横無尽ロボットバトルゲーム

ダークソウル→探索死にゲーアクションRPG

ドラクエ→古き良きターン制RPG

テイルズ→スキットが面白いアクションRPG

FF???

FFのコンセプトは一言で言うとなんだろうか?と考えてみてもぱっと出てこない。古き良きターン制RPGってわけでも、もはやないし。

FF戦闘、毎回中盤~後半あたりから強い魔法出すのとHP管理して回復するだけのボタンポチポチゲームみたいに感じて飽きてしまう。しかソウルシリーズ、敵との戦闘でやってることはタイミングを見計らってR1攻撃するだけのゲームのはずなのだが、最後まで飽きない。なぜなのか。

昔は「好きなゲームは?」と聞かれたら「FF」と答えていたが、今はいつの間にかフロムゲームが一番好きになっている。

FF作品は「FFらしさ」が語られる一方、フロム作品は「フロムらしさ」が語られる。シリーズブランドに期待があるのか、企業ブランドに期待があるのかの違いだが、その意味はかなり違ってそう。

2023-06-25

ファイナルファンタジーXVIはストーリーテリングを諦めたクソゲー

自分の手で操作している時間よりもコントローラーを放り出してカットシーンを眺めている時間のほうが長いクソゲー。それが『FF16』である。かの制作陣は、インタラクティブゲームプレイを通じて「物語」を描くことを諦め、その全てをカットシーンにアウトソースしている。

近年のRPGは、オープンワールドで膨大なテキスト量を誇り、サブクエストでさえ短編小説のように濃厚で、かつプレイヤーが主体的にその物語体験できるように作られていることが多い。しかし『FF16』は、そうしたコストをかけた物語体験を諦め、最低限の規模のものを無理せず上手く作ることを目指した。プレイアブルでないのだからデバッグも要らない。破綻が少ないという意味ではよく出来た作品ではある。だが全く新しいゲームを作ろうとし(て砕け散っ)た前作『FF15』のような志の高さはそこには無い。

FFに限らず、どうも最近スクエニは「ストーリーカットシーンでやればいい、RPGゲーム性はアクションにこそ宿っている」と考えているように思える。しかし、『FF16』のアクションは、たとえばスクエニの近作『Forspoken』にも遥かに及ばない。縦横無尽フィールドを駆け巡り、ド派手な魔法を組み合わせて敵を屠る『Forspoken』に対して、『FF16』のアクションというのは、一本道を進むあいだに次々にザコ敵がやってくるベルトスクロールアクションボス戦は迫力のある映像に合わせてボタンポチポチと押すだけのQTEもどきだ。

ストーリー放棄し、アクション拙劣であるのなら、『FF16』に残ったゲーム性とは何なのか。何もない。虚無だ。つまりFF16』はただの「ミニゲーム付き3DCGアニメ」にすぎないのだ。

2023-04-20

anond:20230420065419

ミリ知ら」ってワイはツイッタラーミリオタクラスタ縦横無尽に駆使するようなミリタリー知識を知らんことをいうんかーとずっとおもっとったやで…

2023-03-27

昨日さ、アニメジャパンに行ってきたんだよね。

アニメジャパンっていうのは年一で開かれてる日本一デカアニメの展示会。

業界各社がブース作って展示したりグッズ売ったり声優トークショーしたりしてんの。

俺はさ、あるアニメステージ目当てで行ったわけ。

朝一のビッグサイト、霧雨に包まれながら、ゾロゾロと並んで、強風に吹き付けられて。

過酷な状況を耐え忍んだわけだけど、実はそのアニメ、来期始まる春アニメで、告知・宣伝しまくってるんだけど全然話題になってない。言葉悪いけど空気アニメ

から朝早くから並ぶ必要なかったかも。実際ステージ始まる直前になってもスカスカだった。

で、そのステージは5人の声優アニメの内容を紹介するというものだったんだよね。

それが割と虚無で、まあ番宣イベント面白さを期待するのが無理あるし、声優さんはしゃべりのプロじゃないし、5人とも新人だしでまあ無理がある。

そんな感じで、トークステージはわあーって感じで終わって。

 

で、本題はここからで。

そのステージイベントが終わってしまったので、どうしようかなーやることないなーでもせっかく来たんだから何か他にも面白ものいかなーと思いながらブラブラしてたのね。

一通り展示を見ながら、そういやそのアニメノベルティ配ってるって告知されてたなと思い出して。

それをもらえるブースにいってみたわけ。

高さ10mくらいの巨大ガシャポンがあってさ。タダで回せて、景品がもらえる。それの一番スカな賞がそのアニメノベルティで。

すんげー人が並んでたの。ガシャポンの周りを蛇がとぐろを巻くようにグルグルうねうね縦横無尽に並んでた。

ステージスカスカだったのにここは大盛況だな、なんて思いながら俺も並んだわけ。

そしたらさ、俺が並んだ数人先に、さっき登壇してた声優さんがおるやんけ。

おるやんけ。

え?そんな普通に並んでんの?ステージ衣装と同じ格好じゃん。上着羽織ってるけどそれ以外まんまじゃん。

列がうねうねしてるからさ、場所によっては手を伸ばせば届くような距離まで近づくこともあって。

ずっとスマホいじってて、多分エゴサしてて、さっきのステージとかイベント諸々の反応とか話してたっぽい。

決して聞き耳を立ててたわけでもないけど50㎝の距離で話してたら聞こえちゃうこともある。

なんかヤバい興奮した。ファンでもないのに。いやだって、まだファンになれるほど詳しく知らないし、アニメまだ始まってないし。

でもなってしまいそう。ファンになってしまいそう。こわい。いい年して声優の追っかけを始めてしまったら人生すぐに過ぎ去ってしまう。

さっき調べたらアニメジャパンではわりと声優がそこら辺をウロウロしてるらしい。

有名な人でも普通に歩いてるんだとか。

それ知って、オタク民度たけーなって感心しちゃったよ。

普通の人だったら、芸能人だったり、Youtuberだったりがウロウロしてたら、すぐに声かけて、あっという間に黒山の人だかりができて、収集つかなくなるよ。

まだファンでもないのに、さっきのステージ見てました!応援してます!とか声かけたいなと一瞬でも思ってしまった自分が恥ずかしくなったよ。

 

余談だけどアニメジャパンブース、見ごたえあるものが増えた気がする。

立体的でバカかい展示が増えた気がする。

ステージの方も声優に喋らせるだけじゃなくて、プロレスやったり、シャンパンコールやったり、スタチューパフォーマンスやったり、バラエティに富んでる気がする。

あと客層変わった?外国人がいっぱいいた。ファミリー結構いた。

6年ぶり二度目なので最近はずっとそうだったのかもしれないけど。

前来たときはチー牛6割腐女子3割レイヤー1割だったような記憶

今もメインはチー牛だけど他の層が増えて相対的に薄まった、ような気が。

2023-03-08

アニメオタクアニメに何も貢献していない。むしろ害悪だ。

自分の中でのアニメオタク特に萌えオタ)に対する嫌悪感が一体何なのかきちんと考えてみた。

すると恐るべき結論に達してしまった。これから書くことは正直私も断言して良いものかどうか躊躇している。しかし、アニメ文化の発展のためにも、心を鬼にして書かなければいけないことだ。

アニメオタクは何もアニメに貢献していない!

今までも、そしておそらくこれからもずっとそうだ。これは岡田斗司夫のような豚野郎の言う「オタクは死んだ」でも、東浩紀のような豚野郎の言う「読者の質が悪い」でも、宇野常寛のような豚野郎が言う「萌えオタはクズ」でもない。もっと根幹に関わる重大なことだ。そして恐ろしい事実だ。

まず、オタクオタク向けに作ったオタクアニメが大きな評価を得てきたことは今まで一度たりともない。

名作を作ったクリエイター側は言うまでもなく、『ガンダム』の富野由悠季は仕方なくアニメ現場に降りてきた人だし、『攻殻機動隊』の押井守は元々映画監督志望でジャン=リュック・ゴダール敬愛していてたまたまタツノコプロ求人が目に入ってアニメ業界入りした人だ。

「でも、今は世界的にアニメブームが起きているじゃないか」と萌えオタがブヒブヒ言ってきそうだが、それは幻想である。まず90年代後半に盛んに言われた「ジャパニメーションブーム」を取り上げると、これは岡田斗司夫オタク地位向上のためにでっち上げものだ。本人も後にそれを認めており、外から圧力に弱い日本オタク市民権を得るにはそれしかなかったと言っている。この岡田斗司夫苦肉の策電通村上隆が乗っかり、ジャパニメーションブームという虚構ができあがったのだ(元々別称だったジャパニメーションという言葉を良い意味として輸入したのが村上隆である)。

それは今まで世界的な評価を得てきた作品を見ていけばわかる。

まずは、宮崎駿アカデミー賞も受賞し、名実ともに日本代表するアニメーション監督といった地位を得ているが、その作風アニメ界ではむしろ異端であるスタジオジブリ的なもの宮崎駿的なアニメは本人にしか作れず、その作風を引き継ぐような後継者は未だ誰一人いない(宮崎駿の後進育成が下手という話ではない。宮崎駿に影響を受けた人間が外で宮崎駿的なアニメを作ったっておかしくないのに、そんな人は日本はいないのだ。海外ではどうか? そう、モンスターズインク制作したピクサーが後継にふさわしいだろう。言うまでもなく彼らはアニメオタクではない)。

宮崎駿にはオタク的なるものを避けて避けてやっと今日地位を築いたという歴史がある。オタク的なものを避けて世界評価を得た、これは非常に重要ポイントだ。

押井守もその一人だ。『うる星やつら』を制作し、オタク向け監督の一人で終わるかもしれなかった彼は『機動警察パトレイバー2 the movie』や『攻殻機動隊』においてオタク向けアニメ想像力を捨て去ることで作品の強度を確立した。『ビューティフル・ドリーマー』はどうなんだ、という声があるかもしれない。これには後に押井守がこう語っている。「劇場版第一作『オンリーユー』を作ったとき原作者ファンが喜ぶことを全部詰め込んだ。上映されると当然原作者ファンは満足したようだが、作品的には酷い代物だった」。この諦観によって『ビューティフルドリーマー』は作られた。オタクから距離を取ることで傑作に仕上がったのだ。

他にも大友克洋の『AKIRA』だって一見すればわかるようにオタク的な想像力から離れたものであり、渡辺信一郎の『カウボーイビバップだってそうだ。

オタク監督だと言われるウォシャウスキータランティーノだってウォシャウスキーSFの人で決してオタク想像力に耽溺しているわけではないし、タランティーノ高校中退して一日中映画を見まくっていた怪物だ。

エヴァンゲリオン無視しているじゃないか、と言われるかもしれない。確かにエヴァオタクオタク向けに作ったオタクアニメであり、社会的現象を起こすほど大ヒットしている。だが、これ一本でもってオタク想像力勝利にはなりえない。何故ならオタク外にも評価されたオタク監督庵野ただ一人、例外中の例外なのだ。その庵野ですら、オタク偏狭さに嫌気がなして反オタク改宗した。その事実オタクは裏切った、とこれまた偏狭さを見せて批判している。

このようにオタクオタク向けに作ったオタクアニメで傑作が生まれたことは、一件の例外を除いて存在しない。オタクが喜ぶ想像力や「萌え」なんてもの全然強度を持ち合わせていない(十年前にオタク想像力オタクに受けていたクリエイターの今の地位を思い浮かべて欲しい、それが十年後の山本寛新房昭之の姿だ)。

しろオタクの好みに少しでも外れると烈火のごとく怒り、作画監督が少しでも個性を出すと作画崩壊と騒ぐその類まれなる偏狭さは害悪だと言ってもいい。

オタクオタク的な想像力から外れるような、例えば『スーパーミルクチャン』や『TAMALA2010』のようなアートアプローチからまれた傑作を評価できない。どちらも発売時にはタワーレコード平積みされ、オタク想像力は一瞬で敗れ去った。

それどころか『フリクリ』をオサレだとかラベリングして嘲笑するほど、子供のような舌でもってクレームをつけて回っているのだ(『フリクリ』はガイナックスが作ったオタクアニメじゃないかという屁理屈が聞こえてきそうだ。ガイナックスは今や庵野の反オタクキャンペーンによってオタク的な人間駆逐されており、鶴巻は反オタク急先鋒である)。

そして、それは明らかにアニメ進化を阻害している。その理由を書こう。

まず、オタクが大好きな絵柄、要するに萌え絵はアニメーションに不向きなのである。あの頭と目が大きく、等身が低くて身体か華奢という構造は、見た目通り人間的に動かすというのは困難だ。だから、どのアニメにおいてもよく動くと言われるもの萌えから距離を取っている。萌え絵を選択すると自動的紙芝居的な動きが縛られたものしか作れなくなる。ディズニー萌え絵を選択せず、あのような絵柄なのは動かすことを念頭に考えているからだ。

しかし、アニメオタク萌え絵以外の絵柄のアニメを「絵が変」と言って嘲笑し、批判する。ここがアニメオタクの一番の問題点であり、私が害悪と言い切る理由だ。

例えば近年稀に見る傑作である鉄コン筋クリート』を例に出そう。この作品も「オサレ」「絵が変」といって批判されているが、この作品こそアニメーションの快感、動くことの快感を思い出させてくれるものはない。画面の中を縦横無尽に動き回るキャラクター達が見るものの心を掴んで離さない。そして、それはアニメオタクが「変」といって批判するその絵柄が貢献している。もし、この作品萌え絵だったらここまで動くものになってはいない。現にそんな作品はない。

そして、アニメーションの快感を蘇らせたのがオタク外のマイケル・アリアスだったことは非常に重要だ。アニメオタクアニメーションのことがわかっていない。だからスタジオジブリ的なものピクサーに取られ、アニメーションの快感マイケル・アリアスに取られてしまうのだ。

もう一度言おう。オタク想像力は強度を持っていないし、オタクが好むアニメ絵はアニメーションに向いていない。アニメーションに向いているオタク的じゃない絵を排除するその思考アニメ進化を阻害している。

アニメオタクが本当に現実逃避ではなくアニメのことを愛しているのなら、今すぐアニメを見るのをやめて即刻退場することだ。それが一番の貢献だ。

2023-03-05

コメント1位非表示なんぞ生ぬるい

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縦に並べることが既にナンセンス

idコメ冒頭3文字だけ表示されたブロック縦横無尽に乱舞する

クリックタップキャッチしてピンチアウトもしくはホイールダウンでコメントを展開できる

指を止めたらすぐ戻るぞ

スターをつけたければ展開後スターボタンを精確にエイムしなければならない

そしてスター数も実質非表示

標準では★1個分しか表示されない

スター総数や2つ目以降の★は誰がつけているのかも展開操作をしないと見られない

少しでも手を離せばまたビュンビュンと飛び回って見失ってしま

ブコメってのはそれくらい掴みどころのない存在でないとならん

分かるか

[]3月4日

ご飯

朝:朝マクド(どっひゃー)。昼:ラーメン。夜:アルフォート

調子

むきゅーはややー。お仕事は、おやすみ

探偵・癸生川凌介事件譚 死者の楽園

携帯電話配信されていたアプリニンテンドースイッチに復刻したADVで、シリーズ化されているものの第三弾にあたる。

すっかりお馴染みのいつメンで、遊園地で起こる事件捜査する。

オンラインゲームを利用した人物の誤認、館モノのらしさを利用してのミスディレクションと、構造の妙を生かしているシリーズで、良い意味ユーザの介入度が低いゲームらしくない作家性溢れる展開が続いていたが、今作はシンプル推理ADVらしいシナリオ

証言を聞いて、物証調査してっていう、お馴染みのやつ。

悲劇を笑い飛ばす癸生川のキャラクタ性に救われるものの、だいぶと重たいストーリーだった。

完全に恒例だが助手白鷺洲伊綱が大活躍するのも、前作で僕が興味を惹かれた矢口床子の再登場、シリーズを通しての前置きや、次の作品へのキャラクタも登場したりと、色々やってきている感じ。

白鷺洲伊綱女性に好かれやすい設定のようで、今作でもスキンシップ描写があるのが良き。

彼女へかなりの偏愛を見せる久美浜ちゃんは、今先だけの出番ではなさそうなので、この辺は要チェック。

短編ADVとしてシンプルながら出来が良いし、アクが無い真っ直ぐした味付けでありながらキチンと作家性をミステリ的なそれでなく、人間確執や恨みの方向で出しているので、ここまで遊んだ中ではかなりど真ん中な位置付けだと感じた。

ただ、流石に三作品目ともなると同じ構図は避けたようで、癸生川によるちゃぶ台返しがなかった。

正直、そのパートこそが他との明確な差異面白味だと感じていたので、マンネリを恐れずやって欲しかった気持ちもある。

とはいえシリーズ作品としての趣が強くなってきて益々楽しくなってきたぜ!

探偵・癸生川凌介事件譚 白鷺に紅の羽

携帯電話配信されていたアプリニンテンドースイッチに復刻したADVで、シリーズ化されているものの第四弾。

2作目で前振りがあった伊綱さんの過去エピソード

前振りで随分ハードルが上がっていたが、それに相応しい価値のある良いシナリオだった。

感想を書くのが勿体無く感じるタイプ作品で、良い意味でこの余韻を具体的な文章で残したくない。

あらすじとしては、伊綱さんの過去記憶喪失の謎の女性一人称で追いつつ、視点人物の失われた過去と、伊綱さんの家族にまつわる事件捜査するお話

伊綱さんの家族や周辺の人間名前関係性だけが示唆される、本人が登場しないキャラの多さが、視点人物の正体を曖昧にしていくのが、暗中模索雰囲気楽しい

とはいえ、落ち着きそうなところに落ち着いており、そこの意外性や、叙述の方法による誤認を誘うソレは主題ではないのだろう。

かなりど直球ど真ん中に「小説」をやっていて、ミステリ界隈に伝わる有名な嫌味な反転させて「人間が書けている」と評するのが相応しいと思った。

めちゃくちゃな人格で、事件に幕を引くためだけの舞台装置的な名探偵癸生川の出番がほんの僅かなのも、今作はそこがやりたいんじゃないからねっていうことかな。

田舎風景描写キャラクタ心理描写を重ねながら情緒的な文章を魅せるところも多く、他のシリーズとはかなり毛色の違う内容だった。

特に最後の方にあるタイトル意味がわかる構図は、背景絵を使った演出も決まっておりすごく印象的なシーンで感情的に訴えかけられた。

物語冒頭の意味深なやりとりが、最初から全てを語っていたところも、話の順序の工夫で魅せる良きシーンで、思わずクリア後すぐにもう一度最初から遊んで確認した。

探偵縦横無尽自由さを面白がる一作目、本格ミステリのある種の滑稽さを笑う二作目、証言から人間関係を整理していくADV王道をしつつシリーズとしての縦筋の前振りをしていく三作目ときての今作は、シリーズの幅の広さに感心させられた。

探偵・癸生川凌介事件譚 昏い匣の上

携帯電話配信されていたアプリニンテンドースイッチに復刻したADVで、シリーズ化されているものの第五弾。

今回は、いつメンの出番は少な目で新しい登場人物都市伝説ライター弥勒院蓮児を主人公にした今までは雰囲気の違うお話だった。

都市伝説を扱うだけあってホラー雰囲気で恐ろしいお話が展開していく。

新しいことをやろうとしたからか、気を衒う要素は少なく、良く言えば手堅くまとまっている、悪く言えば事件については見所がなかった。

ミステリ的には疑うべきところを然るべき疑いを持って読めばまあそりゃそうだし、そもそも容疑者の数的にもミステリをやりたいのではないだろう。

合う合わないの個人的な話をし出すと、ミステリとホラー親和性みたいなところに行き着きそうなので、まあ僕の好みではなかったと短くまとめておこう。

ただし、上で事件については見所が無かったと述べたのは、事件以外、シリーズものとしての見所があった。

それが新キャラ弥勒院蓮児が我らが名探偵癸生川凌介ファーストインプレッションの評、

出会った瞬間、なぜかホッとしてしまった。一瞬だが、もう大丈夫だ… という気持ちにさせられた。」という文章だ。

これはなるほどなるほど、癸生川凌介という人間をすごく端的にわかやすく伝える良き文章で、それが初対面のキャラ一人称視点地の文表現されるのが良かった。

これは癸生川凌介への評ではあるが、僕がミステリを愛する理由って要するにコレだよなあ、と思わせられた。

作中でどんな悲惨な恐ろしい事件が起きても、名探偵がそれを引き摺り回し、現実解決可能事件に落とし込むところは、まさに「ホッとする」は良い形容だ。

(ミステリの世界は広いので、ここをズラす名探偵も両手で数えられない程度にはパッと浮かぶけども)

そんなわけで、4作目の過去編に続いて、新キャラの新しい展開と、いつメンミステリがそろそろ恋しくなってきたところで、次の第6作目は王道中の王道を取り扱うようなので、一気にプレイしようと思う。

2023-02-22

趣味に適うサイトを新しく見つけるととりあえずブクマがついてるか見るのがルーチンワークになってる。

ブクマがついてる→各ブクマカのブックマークを見る→具体的なブックマークされてるページに飛ぶ→(そのページがさらいろんなところにリンクでつながってたらそれも見る)→別のブクマされてるページに飛ぶorそのブクマされてるページにブクマしてる人のブクマページに飛んで上記のようなことを繰り返す。

なんてことを愚直にやってると延々に時間が溶けて大抵一時間ぐらいでいつもこれ以上は人生冒涜だろ(俺を生んでくれた親もこんなことに延々と時間を割かれることは本意であるはずがない)と中断する。

でもそうするとだいたい全ブクマのうちの最近の0.01パーセントぐらいしかチェックしてないので少なすぎるだけでなく時系列による偏りが生じているのではないかとか思う。

閲覧順序もどうすべきか。一つのページをとことんまでリンクを辿っていってから別のページを見始めるか、ページに登録してるブクマカをページごとに水平方向にチェックしていくか。このページはこの人の他に何ユーザー登録しているというのを水平方向にチェックしていくということ。

偏りよりをより軽減できる方法、よりよい面白い情報や埋もれた個人ページのエロいイラストに辿り着くにはどうすればいいか奥が深すぎる。

漫画年間10万分も読む暇がないんじゃよまず。

ところでハイパーテキストの考案者はそれが同一サーバー内で完結してる前提だったと思う。

まさかサーバー同士のテキスト縦横無尽ハイパーリンクされるなんて時代を予期してたらこ技術封印してたんじゃないかな。ネット依存になるのが目に見えるもの

2023-02-12

結局自分が正しかったじゃないか小学校時代教師PTAたちのバー

ありがとう春日部駅東口改札口の声まとめ!

https://togetter.com/li/2074664

春日部駅は約10年後に高架化をめざして工事が始まりました。それに伴い春日部東口側の旧駅舎の改札口役割を終えて、2023年2月4日より仮駅舎へと引っ越しになりました。

この記事を見て我が故郷春日部と、今から30年近く前の小学校時代の思い出がよみがえった。

図工の時間で「20年後春日部」というテーマで絵を描く課題が出た。

100年後の未来だったら、ドラえもんのような空飛ぶ車だの不思議な形な建物だのを好き勝手書けるが、20年後という中途半端未来却って想像が難しかった記憶がある。

当時の自分画力や発想力はないため、下書きの段階では春日部駅西口から見た風景で、ビルが数本立っているようなスカスカな絵を書いて教師のチェックを受けに行った。

ひょっとしたら、多分当時の春日部駅ほとんど変わらない風景だったかもしれない。

教師は開口一番「うーん、夢がないなあ」と言い、書き直しになった。

級友たちは空飛ぶ車だったり今でいうハイパーループチューブ縦横無尽に走る超未来の街並みやおおよそ街とは言い難い花でいっぱいなファンタジー世界を描いてOKをもらっていた。

はっきりって子供心にも非現実的に感じ、とても「20年後春日部」のテーマに沿っているとは思えなかった。

結局自分は1階と2階の両方に電車が出入りし、ビルが乱立する春日部駅を描いてようやくOKをもらえた。

その授業が終わってしばらくした後、旧友のだれかの非現実的な絵が(うろ覚えだが)市かPTAかの何かに推薦表彰され、子供心に「20年後にこの春日部は無理だろ」と思ったことは覚えている。

あれから30年近い時が過ぎた。

今、春日部駅はどうなっているか

春日部駅 西口」で検索してグーグルストリートビューで見てもらえれば分かるが、自分最初の下書きが最も正解に近い。

タイムマシンで当時の教師PTAたちにぶちまけたい。

20年以上経っても、空飛ぶ車はおろか、春日部駅の高架化すら実現できておらず、

下り方面にある開かずの踏切もずっと放置、駅上改札すらできてねーよ!

東口方面にあったロビンソンLAOX撤退し、衰退の一途をたどるんだよ!

何が夢がないだ?

これが現実なんだよ!

無責任な夢を子供押し付けるんじゃねーよ、バーカ。

ついでに言うと、PTA蛇蝎の如く嫌って潰したいと思っている『クレヨンしんちゃん』だけど、

ヨーカドー広告に使われたり、春日部市のシンボルキャラクターとして採用され、

大成功を納めてるから、ご愁傷様。

2023-01-26

寒いので物流が止まっている増田寿丸凍てっまと画ウュ率部での医務差(回文

おはようございます

ものすごく寒いんですけど。

今日さいつものサンドイッチ屋さんに飛び込み前転で入店して朝のサンドイッチキメようかな!って思ったけど、

お店食材入荷できず棚にサンドイッチが並んでいなかったのよ。

ウィンナーの挟んだパンとかのスナックパンがちらほらあるぐらいで、

こんなパターンも珍しいわね!って逆にもう飲み物だけ買って牛乳だけ買って退店していったわ。

サンドイッチ屋さんのマスターこと大将

すみませんねって仰っていたけど、

この寒さで物流が止まっちゃうと私のモーニングサンドイッチにも影響を喰らうとは

まああんだけ

主要道路の大動脈が途絶えたらそう言うことになるわよねーって思いつつ、

コンビニなら大丈夫かも!ってそんな鴨鹿を背負っていったにもかかわらず

張り切って飛び込み前転で入店したもの

やっぱり案の定このコンビニ物資が途絶えていておにぎりすら売っていなかった状況よ。

から今日事務所の引き出しに隠している長期保存可能な私のシナモンパンがあるので、

それで凌いだわ。

かい飲み物だけゲットできたのは

幸い中の幸いだわ。

この日本列島寒波に半端なく包まれ物流が止まっちゃってることが大変よね。

こっちは雪は降って積もっていないものの、

事務所温度計10℃を下回りまくりまくりすてぃーで

さすがに暖房つけざるを得ない感じの寒さ

寒いと頭の回転もよく回らないわ。

最近あんまり話していない

スプラトゥーン3は相変わらずやってるけど、

そんな話しばかりのログインボーナスばかりじゃねとも思うし、

カタログレヴェル2周目コンプの目指せレヴェル200まで結構順調なペースでもあるし、

躍起になってやりまくらなくても1日1ゲーム1勝すればいいところかな。

最近オーバーロッシャーがお気に入り

地形を越えて壁の向こうだとか塀の上だとか平気で攻撃できちゃうから

インク消費量半端ない分、

四六時中塗りまくっていかなければならないので、

本当に狙いを定めて放つ!と言うより

ノールックインクばら撒きまくる!って感じの縦横無尽さが無邪気に楽しいわよ。

からそのあのオーバーロッシャーの固い泡に当たってキルされる相手のチームの人は気の毒だけど、

これが本当によく当たるのよ。

狙ってなくても当たるから愉快。

塗りに必死でバシャバシャしまくっている

シューターよりもキル狙いに行けなく

ローラーよりも塗れないがキルは取れるという

なんかそのシューターローラーのいいとこ取りな感じよ。

すっかりオーバーロッシャーの虜だわ。

おでん情報

今は主力メンバーいなくて

メイン具材玉子大根ニンジン

入れ忘れて冷蔵庫に控えている

焼き目の付いた木綿豆腐があるので

それの投入も待ちわびているから今夜当たり投入しようかしら。

私も買い物行けてなかったので

物資不足主力メンバーの攻めのスペアリブ・牛筋・手羽元のいずれかが買いにいけてないのよね。

昨日帰り道に覗いて見たマーケットでは手羽元ゲットしてみようかなと思ったけど、

この寒さじゃなんか料理

って言っても鍋のベーナーのもう完成されているルーシー出汁スープに入れるだけなんだけど、

それすらもやりたいと思わせないこの寒波は半端なく寒くて

人のやる気を失わさせ削ぐわよね。

寒いけど、

しっぽりと温まれ銭湯行きたいなぁと

それだけが唯一のホットステーションかな。

まあおでんに主力メンバー不在の今

点取り屋の染み旨玉子が完全に味が染みるまでもうちょっと時間がかかる大器晩成がたなので、

これが一番玉子が味が染みるのに時間がかかるのよね!

大根より手強いのよ!

あんまり意識してなかったけど時間がかかることに、

なので今は食べ応えある大根が一番の期待の一番星よ。

まあとにかくなににしろ

少しでも暖かくなったらいいなぁと

まだまだ2月だって迫ってるのに

もうひと寒波きそうよね?

私もいざというとき電池がなくならないように備えておいてもいいかもしれないので

充電の確認は怠らないようにしていきたいとともに

早く美味しいサンドイッチもまた食べられますようにと願う渡る世間ばかりよ。

早く暖かくなって欲しいわ。

うふふ。


今日朝ご飯

お店がそんな感じだったので

事務所の机にいざと言うときのためのシナモンパンでとりあえず

暖かいヒーコーと一緒にいただきました。

お昼はまあお店ランチは行けると思うので

なにか美味しいものでも巡り逢えばいいわね。

デトックスウォーター

朝起きたての寒さたるや!

慌ててと言うか、

じっくり目覚めて動き出すまでに

とは言ってられないので必死覚悟でお湯を沸かして

なんとかホッツ白湯ウォーラーには辿り着いたわ。

もう暖をとるって意味でのホッツ白湯ウォーラー

この寒さ尋常じゃないわ。

本当に寒いから

寒さもそうだけど足元など安全にも気を付けてね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2022-12-14

anond:20221213193234

APが減っても現地回復できる設定はロボに合わないし整備トレーラーで移動すれば移動格差も無くなるがロボでOWという意味は薄くなる

基地に戻るならエリア選択式でいいよねどうせ終盤はファストトラベルしか使わないし

マップを飛び越えたいならヘリとかで移動すればいいのでは?

課題を挙げると枚挙に暇が無い、それならマップ縦横無尽に動き回る、ボスとの激しい戦い、敵を倒すためにアセンを工夫するといった原初AC体験進化させるという結論に至ったのでは

OWにしたら面白いって自分も含めそう思ったけどフロムは「今は」しなかった、それだけの理由があるということ

2022-11-21

北村紗衣さんの『批評教室―チョウのように読み、ハチのように書く―』寸評

 北村紗衣さんの著書『批評教室ーチョウのように読み、ハチのように書くー』(ちくま新書)が面白い(ダイレクトマーケティング)。

 一言で言えば『批評教室』は、読書を単に「面白かった」で済ませるのではなく、より深く楽しむために、精読・分析批評執筆を如何に行なうかを、初心者向けに平易に解説した本である文学作品書籍だけでなく、映画作品等についての批評視野に入れて書かれているので、他のジャンルへの応用も可能だろう。初心者向けとしては悪くない。図書館などで試し読みするなり、書店で購入するなりして欲しい。

 同書には、冒頭から良いことが書いてある。一つの作品について良い批評を行なうためには、他の作品・文献なども読み漁り、多角的に観察・考察を行なうといった主旨の、大抵の読書術・批評入門には書いてあるような良いことである

 最初に私は、この本のことを「面白い」と書いた。しかし正直に言えば、それは本来意味と違う意味の、意地が悪い面白である

 今日現在一般読者が『批評教室』を読んだならば、きっと次のように思うことだろう。

 「草津町長及び町民のことを、イプセンの『民衆の敵』に擬えて、一方的悪者扱いした時、北村紗衣さんは、広く情報源に当たり、多角的に観察・考察することをしなかったのだろうか?」

 「あの町議告発書籍草津町議会の記録を読めば、判断を誤らなかったもしれないのに、北村紗衣さんは読まなかったのだろうか?」

 「読まなかったとすれば、それは手抜きではないか北村紗衣さんは、肝心の方法論を実践できていないではないか

 「何故、北村紗衣さんは、自分では実践できない方法論を、読者に推奨しているのだろうか?」

 この「他ならぬ北村紗衣さんが実践できていない」というのは、同書のサブタイトルにも顕れている。

 同書のサブタイトル「チョウのように読み、ハチのように書く」というのは、ボクシング世界ヘビー級王者モハメド・アリ形容する言葉「蝶のように舞い、蜂のように刺す(float like a butterfly, sting like a bee)」を捩ったものである。これは同書にも明記してある。

 私は格闘技が好きなので、ここで少しだけそういった話をさせてもらう。

 モハメド・アリ以前のヘビー級ボクシングとは、大男が鈍重な動きで力任せに殴り合うような代物だった。そんな場所モハメド・アリは、まるで軽量級のように軽やかにリング縦横無尽に動き回る華麗なフットワークと、的確なジャブを活用する力任せではないアウトボクシングを持ち込んだ。しかモハメド・アリは、対戦相手のジャブに、自分の右ストレートカウンターで合わせることすら出来た。「神業」という言葉は、モハメド・アリボクシングのためにある。そんなことすら思う。

 文字通り、モハメド・アリヘビー級ボクシング革命児であった。「蝶のように舞い」とは「対戦相手攻撃を華麗に躱す姿」を、「蜂のように刺す」とは「一撃だけでも致命傷となりうるような鋭い拳を対戦相手に打ち込む姿」を、それぞれ表現したものである。分かりやすく言い換えれば、全盛期のモハメド・アリボクシングは、ワンサイドゲームである

 さて、北村紗衣さんは『批評教室』の読者には、読書に付き纏う「腰を据えて、地道に読み進める」といった古い先入観払拭し、花から花へヒラヒラと飛び回る蝶のように、もっと自由に沢山の本から本へと次々に読み回るようにして欲しいと、そんな思いを込めて「チョウのように読み」という言葉サブタイトルに入れたようである

 沢山の本を読んで見識を広げるというのは、非常に良いことなので、それを奨めること自体には異論は無い。しかし、それを表現するためにモハメド・アリ形容である「蝶のように舞い」という言葉を用いるのは、ハッキリと言えば「的外れ」ではないだろうか。

 「蝶のように舞い」と言うのは、対戦相手の打撃攻撃を躱すという防衛行動を不可分・不可欠な要素として含む、ボクシングという打撃系格闘技の中で用いられるからこそ意味を持ちうる言葉表現なのである。それも、ただ躱すのではない。モハメド・アリが立っていた場所は、リングという狭く限定された空間である。その狭い空間を最大限に有効活用し、対戦相手攻撃スレスレで躱していたからこそ、モハメド・アリは称賛されたのである。単に躱すというだけならば、それがリングの外の広い空間であれば、足の速い人間は走って逃げることも出来よう。しかし、狭いリングの上に逃げ場は無い。逃げ場が無い状況下で、対戦相手攻撃を華麗に躱していたからこそ、モハメド・アリは称賛されたのである。それにまた、ボクシング(だけでなく打撃系格闘技全般)は、顔が腫れ上がったり流血したりと、非常にハードものである。そのようにハード格闘技の中で、場違いとすら言えるような華麗な舞いを見せたからこそ、モハメド・アリは称賛されたのである。決してモハメド・アリは、一つの場所から別の場所へと自由に動き回れる状況下で、蝶のように動いたのではない。逃げ場の無い空間的な制限の下で、死中に活を求めるためにモハメド・アリが身につけて実践したものこそが「蝶のように舞う」動きなのである

 北村紗衣さんは、読書スタイルとして「チョウのように読み」と言うが、モハメド・アリの「蝶のように舞い」という言葉を、表面的にしか理解していないのではないだろうか。上で述べたような「蝶のように舞い」という言葉の持つ『重み』を、本当に理解していたら、本から本へと自由に飛び回ることの形容に当て嵌まる言葉なのか否かと、違和感を持つのではないだろうか。そもそも読書には攻撃を躱す必要が無い。躱すどころか、先ずは書いてあることを受け止めなければ、読書は始まらない。

 北村紗衣さんは、自ら「私(北村紗衣さん)の言語化能力を知りたければ『批評教室』を読め」と言う(Twitter批判から自身言語化能力に疑いを持たれたことに立腹したために出た言葉である)。確かに批評教室』を読めば、北村紗衣さんの言語化能力を窺い知ることが出来るであろう。自著のサブタイトルに使うほどの重要言葉を、表面的にしか理解していないままで使うという、底の浅さを。

 まあ、私のような格闘技好きが「チョウのように云々」の意味に拘ることは、北村紗衣さんにはどうでもよいのかもしれない。しかし、北村紗衣さんが草津町長及び町民を一方的悪者扱いしたことが知れ渡った今では、この「チョウのように読み」という言葉からは、ポジティブな印象よりも、むしろ「軽佻浮薄」というネガティブな印象を受ける人が少なくないのではないだろうか。「読書をするにしても、そのような軽佻浮薄な読み方しかしていないから、言葉物事を表面的にしか理解していないから、深く理解しようとしないから、草津町長及び町民のことも安易悪者扱いしたのではないか」と。

 それにしても、沢山の本を読むことを表現したり推奨したりするだけならば、単純に「読書というものは『乱読・濫読』で構わない」と言えば済むのではないだろうか。ただ、そういう風に言うのは「お洒落」ではない。だから「チョウのように読み」とお洒落っぽい言葉採用した。そういったところではないだろうか。

 これは個人的意見ではあるが、サブタイトルに「チョウのように読み」という言葉を入れるのは「ダサピンク現象」の一つに思える。「女性を読者として取り込みたい。女性蝶々とかが好きでしょ?」みたいな。ジェンダー押し付けと言えばいいのだろうか。

 高い言語化能力を持つはずの北村紗衣さんは、自著のサブタイトルダサピンク現象ジェンダー押し付けが発生することに、違和感を持たなかったのだろうか。

 『批評教室―チョウのように読み、ハチのように書く―』、絶賛発売中です。書店にて、是非お買い求め下さい。

2022-11-10

スーパーゴキブリの話

夏に外から飛来した二匹のゴキブリ夫婦になり、この秋、めでたく出産した。

可愛い赤ちゃん達が暖を求めてワイの体にすり寄ってくる。

ぶち。ぶち。ぶち。

よちよち歩きのゴッキーなど潰すのはたやすい。

ゴキブリもそろそろホウ酸団子で始末しようと思ってたら赤ゴキの一部にハイパー動力のある個体がいることに気づいた。

大部分の赤ゴキは鈍重で動きが遅いのだが、ハイパー赤ゴキは機動力10倍ぐらい違う、速い。

ジャンプ力、移動力ともに段違いに縦横無尽に動き回ってる。

突然変異というわけではなくメンデルの法則みたいなもの一定確率に生まれてるようだ。

全部つぶす。

2022-11-04

なぜエルデンリングは「オープンワールド」として失敗したのか

エルデンリングは優れたアクションゲームであるが、オープンワールドゲームとしては完全に失敗している。

どこが失敗しているのか、なぜ失敗しているのかを以下に述べる。

オープンワールドゲームにとって最も重要問題は「壁に登れるかどうか」である

この「壁」とは、建物の壁だけに限らず、崖、岩、草木、あるいは「見えない壁」まで、あらゆる障害物を指している。

「ここは通ってほしくないから壁を置いておこう」

こちらに進んでほしいから他の道は行き止まりにしておこう」

そうしてゲームクリエイターがプレイヤーコントロールしようとして設置されるものが「壁」である

オープンワールドという「どこまでも自由に行けるゲーム」とはまったく正反対性質のものであることがわかるだろう。

しかしその「壁」を登ることができるならば、障害物だった「壁」は、すべてが立体的な「道」へと変貌する。

たとえるなら、

お化け屋敷です、決められたルートを決まった順番に進んでください、

運営がそのルートに沿っていろんな怖い演出を用意しています、というのがリニア(一本道)なゲームだとしたら、

肝試しです、どの道を進んでも、あるいは道から外れても、崖を登っても、空を飛んでもいいので、

とにかく山の頂上の神社にある御札をとってきましょう、というのがオープンワールドなのである

どちらのほうが「より良い」とか「正しい」とかいうわけではないが、この二つを両立することは難しい。

エルデンリングは、オープンワールドという仕組みを導入しながらも、リニアゲームから脱却することができなかった。

見た目はオープンワールドでありながら、ゲームデザインは極めてリニアである、というアンバランス作品だった。

たとえばストームヴィル城などはなかなか立体的な構造だが、

屋根にのぼって高所から敵を倒すとか、城の裏手から侵入して敵の手薄なところを探すとか、そういった自由度はない。

あるとしてもそれは開発者があらかじめ用意しておいた「ルート」の一つでしかなく、

自由な移動を保証したオープンワールド化の結果として可能になったものではない。

またエルデンリングでは、マップ上に点在する特定ポイントしかスポーンできない。

非常に死にやすいにもかかわらず、「死んだところだけやりなおす」ことができず、「最初からまた順番にやりなおせ」と強制される。

これは単体の戦闘ではなく、リスポーンポイントから始まる「ルート」をゲーム体験の最小単位として意図しているからだろう。

まさにリニアゲームデザインである

スポーン地点から遠く離れるほど、死んで元の地点に戻されたときの徒労感は大きくなる。

死んだときに落としたルーンは、リスポーン地点から離れているほどそれを回収するのが難しくなる。

というかフィールドは広くてもイベントクエストスカスカだし敵を倒してもロクなアイテムを落とさない。

まりどう考えてもフィールドを探索させる気がない。

「あちこち適当ボスだけ置いたんで、寄り道して倒しにいってもいいですよ。それってオープンワールドっぽいですよね?」

くらいにしか考えていないのだろう。

まあ開発陣はなんとなく流行りに乗っただけなんだろうが、

脳が完全にリニアゲームに特化していると思われるので、

次回作では無理せずリニアゲームにしたほうがいいと思う。

じゃあ俺はゴッサムナイツをやってくるね。



『ELDEN RING』ディレクターの宮崎英高氏にインタビュー! 著名な作家とのコラボレーションなどについて語っていただきました! – PlayStation.Blog 日本語

寂寞とした「狭間の地」を舞台としたオープンワールドでは、プレイヤー縦横無尽の旅へと導きます

宮崎氏:プレイヤーには主に、今回私たちが注力した自由度の重要さを感じてほしいと思っていますゲームプレイヤーそれぞれの方法で楽しんでもらい、自分のペースで探索できるこの新しいオープンワールド解放感を味わってほしいと思っています

宮崎氏:はい、これは意図的なものですが、必ずしもゲームを明るくするためではありません。『ELDEN RING』では、広大なオープンワールドを探索することを考えると、鮮やかな色使いが必要でした。

フロム・ソフトウェアの宮崎英高氏が語る『ELDEN RING』開発の秘密 - Xbox Wire Japan

フロム作品としては初となるオープンワールドは美しく広大で、さまざまな探索を楽しめるようになっているのも特徴です。

オープンワールドデザインは、これまでの作品創作プロセスにおいてどのような違いがあったでしょうか。

宮崎氏:ゲーム全体のデザインで言えば、『DARK SOULS』などから変わらぬテーマである達成感に加え、未知と脅威に満ちた広大な世界に、自由に挑む「冒険感」を重視したことが大きかったと思います

また、他オープンワールドゲームインスパイアされた点はありますか?

宮崎氏:特定ゲーム特にインスパイアされた、ということはありませんが、ユーザーとしても、名作と呼ばれるオープンワールドゲームを多くプレイし、それぞれから素晴らしい刺激を受けました。

単なるゲームメディアではなくPS/Xbox公式ブログにおいてもオープンワールドだと喧伝され、ディレクターもとい宮崎社長オープンワールドだと言っているのに、「エルデンリングオープンフィールドからオープンワールドじゃない!プレイヤー勝手勘違いしただけ!」というのはさすがに詭弁ですね。

2022-08-14

愛すべき居酒屋の客たちとトラブル

いらっしゃいませこんばんは、居酒屋店員だよ。

こんな世の中だけど、居酒屋今日も元気に営業中だよ。

居酒屋で働いてると日々様々な人を見ることになるんだけど、その振れ幅の大きさに元気をもらえるよ。

中でも指折りの下限エピソードシェアするよ。よければ元気もらっていってね。

大学生と仲間たち

男女混合の大学生グループがご来店。

仕切り役っぽい子が「絶対吐かせないようにしますんで!」とハツラツ笑顔入店後、ビールサワーワイン日本酒ちゃんぽんグランドスラムを達成。

これはやらかすなあ、と思ってたらしっかりトイレグループ男の子たちの人だかりができてたよ。

まあ内々で処理してくれればいいからそういうのは基本放置なんだけど、介抱してた子もべろべろに酔っててゲロ拭いたトイレットペーパーを持ちながら店内をふらつき始めたのでこれはだめだな~と思って介入することにしたよ。

何かお手伝いできることはございませんか~と声を掛けたら「友達が気分悪くなっちゃったみたいで……救急車呼んでくれって……」とぽやっとした表情で打ち明けられたよ。

うわ~久々に大きいのきたな~と思いつつトイレに行くと、入店時の笑顔霧散した仕切り役くんがトイレにもたれかかっていたよ。

お前が吐くんかい脳内ツッコミをいれつつとりあえず横向きに。口から胃液だかゲロだかよだれだかをこぼしつつ救急車をうわ言のように繰り返しはじめちゃって、もう全然だめだね。

このあたりで一緒に来ていた女の子たちが続々と店の外へ出て行くのが見えて、大学生になると割とこんな感じだよな~と人間の成長を実感したよ。

結局救急車は呼ばずに男の子たちで支え合いながら退店。

ちなみに会計は7万弱。もちろん一部の女の子たちは帰っちゃったので残った子たちで出し合ってた。

何度も飲み放題勧めたのに単品で飲みまくり食べまくりだったからね。かわいそうだね。

余談だけど店員としては今日は何杯だけと決めてるとか、終わったら退店しなきゃいけない店以外は飲み放題お勧めするよ。

大体3、4杯飲めば飲み放題と同じ値段になるけど、今日はそんな飲まないし単品でいっかーと言う客は大体飲み放題時間内で3、4杯飲んでいるよ。

単品の値段を払うという減酒の戒めは酒飲んだら大体忘れちゃうよ。

おじさんたち

学友と思しきご年配グループがご来店。

最初は控えめに注文してたんだけど、お酒が入るにつれて少しづつ一度に頼む注文の数が増加。

ついでに態度も少しずつ大きくなって、「俺たちはもう何十年もこうやって集まってるんだよ!」「俺たちは某有名私大の○○って会だったんだよ!」等のだからなに情報チップとしてもらったよ。

コップをくれと言われたかこちらでよろしいですか~と尋ねたら「普通コップって言ったらこれだろ!」と威嚇されたよ。私怨でごめんね。

最終的に頼んだ食事の4割を残して退店。

食べ残されるのは日常茶飯事だけど、これにはさすがに驚いたよ。

きっと昔から友達と話して心が若返って、体も若返ったように感じたんじゃないかな。

昔よりずっとお金があるのに、体がついてこないのって悲しいよね。

でも、店員としてはやっぱり食べられる量だけ頼んでほしいよ。

あと、30過ぎると想定の6割くらいしかはいらないよ。キツイね。

子ども連れの親御さんたち

お子様連れのグループがご来店。もう嫌な予感がすると思うけど、たぶん当たるよ。

ファーストドリンク乾杯した後、子どもたちの好奇心が爆発。叫びながら店内を縦横無尽に駆けまわり始めたよ。

こういうとき子どもたちの安全食事の素早い提供を両立させなきゃいけないのが居酒屋店員のつらいところだね。

まあ、いくら気を付けてても店員の腰くらいしか身長がない子どもが前も見ずに猛スピードでわーっと突進して来たら、もう身構えて受けるしかないよね。ドリンク持ってるし。

ばっしと店員にぶつかった子はがっつり尻もち。目が合って茫然、真顔。

失礼いたしました~お怪我ございませんか~と言いつつ様子を見てたら、親御さんがこっちを見ているのに気づいて心臓はねたよ。

でもすぐに他の親御さんたちとの会話に戻って、なんだかものすごく複雑な気分になってしまったよ。

子どもはすぐ起き上がって他の子のところへ行ったから、大丈夫とわかっていての行動だったのかもしれないけどちょっとびっくりしたよ。

このグループは19時頃来て23時ごろに退店。

22時頃、卓から聞こえてきた「もう帰ろうよお~眠いよお~」という声は聞いててしんどかったよ。

そして帰ったあと卓の片づけに向かうと目に入ってくる300均のおもちゃの空き箱、おやつの残骸、床に落ちた食べ物お金もらってるからもちろん掃除するよ。

ちなみに、あまり居酒屋に行かない人はこういうお客様マイルドヤンキー的な見た目の人々で想像しがちかもしれないけど、意外と大人しくて地味な服装の方が多いよ。

こういうのってどうしたらいいんだろうね。店員は飲むの我慢しろとは言いたくないけど、子どもを店内で自由に遊ばせても構いませんよとは言えないよ。

家で誰か預かってくれればいいんだろうけど、そうもいかいから連れてきてるんだろうしね。

でもやっぱり居酒屋じゃなくて、もっと子どもに合わせた場所が他にもあるよねと店員は思うよ。

職場の同僚さんたち

3、40代くらいで構成されたご同僚グループがご来店。

何の問題も無く宴会が進み、飲み放題ラストオーダーを迎えてそろそろ宴もたけなわかな~という頃合いで卓から爆音ガッシャーンという音が聞こえてきたよ。

もう見る前からうわ~と思っていたらホールに出てた子が「布巾どこにありますか」と尋ねてきたので、ついでに見てくるか~と布巾持って卓に行ったよ。

「ああ、すみません」と謝る客に布巾を渡しつつどうされましたか~お怪我ございませんか~と尋ねると「大丈夫です、ちょっと机にダイブしちゃって、グラスも……」と言いつつ自分の服を拭き始めたよ。何もわからいね

よく見るまでもなく机の上には割れたグラスとお酒がぐっちゃり広がっていて、状況はわかるんだけど、机にダイブってつつがない宴会の流れのどこで発生したんだろうね。

とりあえず割れたグラス片付けてテーブル拭いたんだけど、その直後に「写真とってもらっていいですか」って言われたときはさすがに何がいいんでしょうか?と返しそうになっちゃったよ。はいチーズ!何が?

こういうまったく予感できないトラブルが一番心にくるよね。


誰かが少しでも元気になってくれたら幸いだよ。

お客様、できれば店員に優しくしてね。

ご同業のみなさん、お盆で大変だけど頑張ろうね。

2022-07-28

横浜駅へ行ったのさ

行ったことがある人なら分かると思うけど、改札出たところって動線がグチャグチャで人が縦横無尽歩いてるわけ

そんな場所女性が数人固まって雑談してるわけ、もちろん端っこならまだわかるけど、グチャグチャの動線上でやってるわけさ

なんというか周りが見えてない人っているんだね。他にも止まってスマホ操作してる女性がいたり、いきなり止まって考え事する女性がいたり

女性は数メートルしか見てないって本当なんだなと思った

2022-06-20

AED問題の根源はマスコミ実名報道主義である

仮に、AED救命された女性が術後せん妄のような状態

AEDを使う過程わいせつなことをされた」と主張し、刑事告訴をしたとしよう。

原則として、警察刑事告訴受理する義務があるし、受理した以上は捜査をしなければならない。

ただし、救命過程では周りに人だかりができており、疑いを晴らすのは容易とする。

マスコミ実名報道をしない場合

・救護者は性犯罪容疑者として任意同行し、取り調べを受ける。

・状況的に救護者の勤務先は理解を示すだろう。

捜査の結果、性犯罪が行われた可能性は低いという内容の調書が検察官に送検される。

捜査が終わり救護者は解放され、元通りの生活に戻る。

・仮に裁判になったとしても、周りの人たちに支えられ無罪判決を勝ち取り、元通りの生活に戻る。

マスコミ実名報道をする場合

・救護者は性犯罪容疑者として任意同行し、取り調べを受ける。

テレビ新聞が『性犯罪の容疑で逮捕されたのは●● ●●容疑者(00)』と救護者の実名全国ネット放送する。

★今までの事例から見て、救護者の勤務先には苦情の電話が鳴る。

・救護者の勤務先の会社は何らかの対応を迫られる。

★今までの事例から見て、救護者は勤務先との面会で自己都合での退職を迫られる。

地元の親や家族は「性犯罪者の関係者」として、周囲から白い目で見られ続ける。場合によっては離婚勘当をされる。

捜査の結果、性犯罪が行われた可能性は低いという内容の調書が検察官に送検される。

テレビ新聞は『性犯罪の容疑で逮捕された●● ●●容疑者(00)が書類送検された』と報道する。

世間一般では「書類送検=なんか悪いこと」という認識なので、救護者の社会的評判は地に落ちる。

捜査が終わり救護者は解放され、職も家族も失った新しい生活が始まる。

★仮に裁判になって、無罪判決を勝ち取ったとしても、無罪判決が出た時点でテレビ新聞匿名報道に切り替えるので名誉回復がされることはない。

世間認識マスコミの記録は『性犯罪逮捕された●● ●●容疑者(00)』として残り続ける。

再就職しようにも、志望先の人事部が救護者の名前検索すると、年齢まで同じ『性犯罪逮捕された●● ●●容疑者(00)』の記事が見つかる。

★救護者が無罪になったという記事には実名が記されていないので、救護者の名前検索しても見つからない。

★もはやまともな会社に勤めることは夢のまた夢。救護者の人生は大きく変わってしまった……。


AEDを使った男性トドメを刺すのはマスコミだ。

マスコミ実名報道さえしなければ、救護者の女性に何かの間違いで訴えられたとしても

少し面倒な取り調べや裁判に付き合わされるくらいで、人生が終わるほどの被害は受けない。

デジタルタトゥー問題とかしたり顔で語ってるマスコミが、社会正義の名のもとに

市民人生に消えないタトゥー無責任に好き放題に縦横無尽に掘り散らかしている。

男女対立構造に落とし込む前に、倒さなきゃいけない諸悪の根源がいるじゃねえか。

なに男女で不毛な戦いしてんだよお前ら。気づけよ。

いるだろ。力を合わせて戦わなきゃいけない敵が。そこに。

2022-06-05

少年野球

毎週土日にマンションの目の前の公園少年野球軍団が来る。

から番まで叫び声をあげてうるさい。

引率の保護者監督たちの車が違法路駐している。

目と鼻の先にはコインパーキングがあるのにな。

子どもたちにそんな姿見せて恥ずかしくないのだろうか。

もちろん無料公園なので試合中に俺が縦横無尽グラウンドを走り回る権利はある。

だが俺はそんなことはしない。

奴等と違って良識のある大人からな。

これが格の違いってやつね。

2022-05-20

拾った子猫10日で手離した。

 先週の月曜日の早朝、カラスに食われそうになっていた子猫をつい拾ってしまった。

 子猫獣医さんの見立てでは、拾った日時点で生後1ヶ月くらい。しっかり牙が生え揃っていたので、最低限の自分身の回りの世話はできるはずと獣医さんは言ったのだが、実は全く何も出来ない赤ちゃん猫だった。

 そんな子猫を育てるのは、まるで新生児育児しているようだったが、人間赤ちゃんの世話と要領が似ているところがあったので、ヒトの子二人を育てている私には何とかなった。もしも子供を産む前にこんな子猫を拾ったらどうにもならなかった。

 なんだかんだ、大変で忙しかったが、子猫の成長は想像はるか上をゆく爆速ぶりで、何にも出来ない赤ちゃんだったのが、6日目には普通にから餌を食べ、決められた場所で排泄できるようになってしまった。

 それはよかったのだが、10日目の朝には物凄いスピードで室内を縦横無尽に駆け回り、人の手で容易に捕まえられないほど機敏になってしまったのには焦った。もう我が家子猫にとって手狭で、これ以上ここに閉じ込めておくのは子猫可哀想だとおもった。

 元から我が家では猫を飼うことができないのは分かりきっていたので、子猫を拾ったその日からいか円満子猫を手離すかを考えて動いていた。

 子供友達の家や私の仕事仲間などに猫を飼わないかと聞き回ったが、ほとんど断られた。これではらちがあかないので、動物愛護団体に頼ることにした。

 動物愛護団体に問い合わせたところ、団体主催譲渡会に参加できるのは生後2ヶ月以降の犬猫に限るという。また、寄生虫検査結果と生後2ヶ月の健康診断証明書の提出、初回ワクチン接種を済ませることも、譲渡会参加の条件だった。

 そんな訳で、少なくとも来月の上旬までは我が家子猫の面倒を見るつもりだった。だが、子猫運動能力の発達があまりにも目覚まし過ぎたので、10日目の朝には心が折れそうになっていた。

 ところが、猫を引き取りたいと手をあげた人がいた。それはうちの下の子友達だった。先週の木曜日学校まで下の子を迎えに行くと、

「Aちゃんが猫飼うっていうからAちゃんを車に乗せてうちまで猫を取りに来てもらってもいい?」

 という。唐突なことに、勿論本気とは思えなかった。Aちゃん保護者の方にOKをもらわず勝手に車に乗せてうちに連れて来ることはできないし、子猫を連れて帰らせる事もできない。本当に子猫を飼えるのか、Aちゃん保護者の方達とよく話し合うべきだ。そう下の子説明して、Aちゃんにはご家族の方が迎えに来るまで学校で待つように言った。

 その翌日、下の子はまた帰宅後に「Aちゃんは猫を飼えると言った。いつ猫をAちゃんにあげるのか」と問い詰めて来たが、Aちゃん保護者から何も言ってこない限りはそんな話を本気に出来るはずもない。今すぐにでも猫を取りに来れるなんて言われたって……。

 週末は子猫の世話に追われながらも成長ぶりを喜んでいるうちに過ぎた。

 そして月曜日子猫はたった一週間で赤ちゃんからやんちゃ坊主に急成長をした。動物病院に健診に連れて行った。どこにも具合の悪いところはなく、健康で順調に育っていると獣医さんは太鼓判を押した。次の受診譲渡会に出す直前でいいとのことだった。

 その日の夕方、下の子がAちゃん母親から手紙を持って帰ってきた。子猫の件で話をしたいので、電車をして欲しいとの事で、電話番号が書かれていた。

 早速電話をしてみると、もうすでに猫をAちゃんの家に譲ることが決まっているかのような話になっていた。猫がまだ手のかかる子猫だという事すら先方にはちゃんと伝わっていなかったにも関わらず、翌日には引き取りに来ると言うので、その日はこちらの都合が悪いので、来るのは水曜日にして欲しいことと、それと子猫はまだ世話が焼けるので、もっと家族で話し合ってから決めて欲しいことを伝えた。

 その頃、子猫はいともあっさりとトイレトレーニングを済ませようとしていた所だったが、まだ自分で上手く排泄の後始末をすることができず、しっぽや後ろ足をおしっこでびしょびしょに濡らしたり、うんちを踏んづけた足で歩き回るなど、危ういところがあった。しかし、先週の何にも出来ない赤ちゃんぶりよりはだいぶましだった。たった1日の間にも、子猫は見違えるほどに成長していく。水曜日にはよそにやっても大丈夫なほどに仕上がっているかもしれない。

 とはいっても、子猫を飼うという事に全く迷い躊躇いがないというのもどうなのか。身体が小さいだけで成猫のように完璧な子を貰えると期待しているのではないか

 これまで、何人もの人達に断られ続けてしょげていたのに、いざ引き取ると言われるとマジかよと思ってしまう。子猫に情は湧いているが、だからといって手離したくないなんて無理を言うつもりはない。Aちゃん一家子猫にとって良い飼い主となるのが心配なだけで。

 そうやって悶々としている姿を子供達に見られると、期待させてしまうので、良くないと思い、子供達が寝静まってから夫と話し合った。やはり、あまりにも性急に事を進めようとする人を信用するのは難しい。だが、子猫可愛い盛りが日に日に過ぎて行くというのも事実だし、本当に猫好きな人ならばどんなに手を煩わされたとしても、子猫の今を見て触れ合いたいと思うことだろう。譲渡会に参加できるまで、あと3週間以上あるので、なんなら数日試しに子猫を預けてみて、手のかかり様にどうしても我慢できなければ、返してもらって予定通りに譲渡会に出すことにしよう、と話した。

 水曜日まで、いきなり活発度の上がった子猫の遊び相手をしつつ、後悔しきりで過ごした。自分達で猫の貰い手を探すんじゃなかった。譲渡会参加一本に絞ればよかった。譲渡会でなら、里親希望者にはスタッフから飼育環境飼育覚悟を厳しく問われる。日常人間関係の中で譲渡先を探せば、人間関係を盾に良いように押しきられてしまい、必ずしも猫にとって良い結果になるわけではないかもしれない。

 猫をやると言ったのに嘘だった。やると言ってた癖に直前になって気を変えた。そんな風にあちこちで吹聴されたら、私やうちの子供達はどんな風に見られるのか。

 水曜日。午後にAちゃん一家がうちに来るので、私は子猫の遊び相手返上して家の掃除に勤しんだ。子猫はちょうど平日休だった夫に面倒を見られていた。物がゴタゴタとあるから完璧にとはいかないが、こざっぱりとした。茶菓も用意した方がいいだろうか? と私が言うと、

「そうだなあ。猫を貰うというのに、まさか玄関先で済ませようとは思わんだろうし」

 と夫は言った。

 が、そのまさかだったのだ。放課後にAちゃん一家が揃って家までやって来たのだが、Aちゃん母親玄関先で猫を受け取ってさっさと帰るつもりでいた。猫の実物も見ずに連れて帰って、Aちゃんらお子さん達が「思っていたのと違う」とがっかりするのは避けたいから、実物を見てから飼うかどうか決めてくださいと私は言ったはずなのだが。

 取り敢えず上がって、子猫を見てくださいと引き留め、夫にじゃらされて走り回っている子猫を見てもらう。Aちゃんの反応は今一つよくわからない。知らない家に来てはにかんでいるだけにも見えるが、無理やり「この猫でいい」と言わされているようにも見えた。

 Aちゃん母親に、試しに猫を抱っこしてみてくださいと言って、抱っこしてもらった。子猫全然人見知りをせず、うちの家族に抱っこされた時のようにAちゃん母親の手の甲を引っ掻いたり服の袖に噛みついたりした。しかし、Aちゃん母親可愛い可愛いを連発していた。私が子猫の排泄の世話のやり方を説明しても、嫌な顔をしないどころかなるほどと熱心に聴いていた。

 Aちゃんが猫を欲しがったという話だったのに、Aちゃんの反応はいまいちで、だがAをの母親は一度抱っこした子猫を離そうとしない。どうやら本当に猫が好きで猫を飼いたくて仕方がなかったのはこの人のようだった。

 この僅か数日の間に、Aちゃん一家は必ず猫を貰えると信じて疑わなかったらしく、子猫を迎えるための一式を揃えたらしい。猫ならなんでもいいです! と言い切ったのはどうかと思うけれど、この人ならちゃん子猫を一生面倒見てくれそうな気がした。私の直感があてになるかはわからないが。

 結局、私達に出来ることは限られているし、ここで外れクジを引いたとしたら、これは私の運というよりは子猫自身の運なのかなと思い、Aちゃん一家子猫を引き取って貰った。

 子猫と一緒に、子猫寝床にしているキャリーケースとボロ布を持って行って貰った。それだけは譲れなかったのだ。何故なら、子猫はそのキャリーケース自体とボロ布をママだと思い込んでいるようだったからだ。子猫はモノを母親だと思って執着していたおかげで、うちの家族の誰かを母親と思って執着することはなかった。

 キャリーケースとボロ布があればいつもママと一緒という気分でいるので、新しい家に行ってもちょっと見える景色が変わっただけで、何ともないと子猫は思うはずだ。

 

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