はてなキーワード: 曇天とは
柔らかな日差しに誘われて、国道沿いのホームセンターにカチコチに乾燥した水苔を買いに園芸趣味者たちが群がる季節。
大小さまざまな植物の即売イベントがいたる場所で開催されて、奇妙な蘭に、雄々しいユーフォルビアに、グルメな食虫植物に、大いなる眠りから目覚めた塊根植物に、それから…なんだかよくわからない多肉植物にも、冬の間に貯めこんだ札束が飛び交う季節。
園芸趣味者のXを見れば氷漬けだった2月の頃が嘘のような狂乱騒ぎが繰り広げられている。
だがタイムラインの百花繚乱をよそに、ザコ園芸趣味者はボサッとしていた。ザコ園芸趣味者だからだ。
起きたらベランダの窓を開け、曇天の続く空をギラリと睨みつけ、空気の匂いを疑わし気に嗅いだあと「まだ寒い」と一言つぶやいて窓から顔を引っ込め、布団に再び潜り込む。
たしかに、背後ではいよいよ植え替えせねばならないアンスリウムが列をなしている。だが!まだ今日はその日ではない。
植え替えは根に負担が掛かる。そこにこの3月の花冷えが悪さをしたら…考えただけでも恐ろしい!春はともあれ、慎重が一番なのだ。
じっさい、ザコ園芸趣味者の「庭」はこのapple社製の数インチのスマホの中にあるといっていい。
立ち並ぶサムネイルは確かに春が到来していることを告げている。
同じころに園芸を始めたはずのあの人はいつの間にかマダガスカルから輸入されたベアルートの発根に取り組んでいるし、別の園芸素人を自称するあのひとは自宅で細胞培養するための無菌培地づくりに悪戦苦闘しているらしい。
多肉植物のために家の隣の空き地を買って温室を建てたり、熱帯植物のために加湿器を鉢の数ほど並べてフル稼働させていたり、YouTubeを始めたり、3Dプリンターでオリジナルの鉢を印刷していたり。
しかしザコ園芸者は焦らない。どうせまだ―何らかの不思議な力によって―私の家まで春は来ていないのだから。
そうは言ってもせっかくの休みなので何か園芸趣味者らしいことをしたい。
そうそう植え替えの準備をしなければ。赤玉土はまだあったはず…あれ、なんでパーライトが二袋もあるんだ?いやこりゃゼオライトじゃないか。鹿沼土は中粒はあるが、小粒が無いな。しまったまた買ってこなくては。
ザコ園芸趣味者は去年の今頃の記憶を掘り返して何を揃えなければならないかリストを作る。自分の頭はどれほど掘り返しても「水はけがよく、水持ちがよい用土」にはなってくれない。
コストコのレシートのように長いリストが出来たら、せっかくだから車で1時間くらいの大型園芸品店まで繰り出そう。
細君が椿を育てたいというから助手席に乗せて、行く途中でスタバによって、春限定のなんか良くわからない甘いやつをドライブスルーで買ってもいい。たいていピンク色をしている。
ところで、園芸趣味者はたいていのものが罹患している病気がある。うどん粉病と、この世のすべてのものが園芸用品に見える病である。
セリアのメッシュのキッチンツールスタンドを見ては「こういう鉢なら根腐れ防止にいいかもしれん」と唸り、アウトドアショップの合わせ焼き網を見ると「間に水苔を挟んだら立派な着生材だ!」と喜び、食器を見ると「味のある素晴らしい器だが…残念なことに底に穴が開いていないな」と心底悔しそうにする。
一切万事がそんな具合だから、ほんものの園芸店に入るとしばらくは感動で身震いが止まらない。
買わなければならない諸々のリストをほっぽり出して店内の隅から隅まで踏破しなければ気が済まない。
ついてきた細君は腕組みの位置がどんどん高くなる、が、あの高さならまだ大丈夫。先週はフランフランで同じように待たされたのだから、気にすることはない。
散々待たせた挙句、買ったのは近所のホームセンターでも買える用土の類ばかりだ。
あきれて無口になってる細君に向ってザコ園芸趣味者は満足げに言う「立派な亀甲竜があったね!うちのほどじゃないけど」
家に帰るとザコ園芸趣味者は買った椿に水をやる細君に講釈を垂れるのを忘れない。
「おやおや水をやるときはちょろっとじゃいけないよ。鉢底から水がしっかりあふれるまでじゃないと。そしてよく乾くまで水をやるのは辛抱すること。今日買ったのは花芽のついた枝差しだから今年は開花するだろうけど来年からは…」
すべての講釈を聞き流した妻が適当に世話をした椿がつぼみを綻ばせるころになっても、ザコ園芸趣味者が丹精込めて世話をするオペルクリカリア・パキプスは休眠からなかなか目覚めてくれない。
追記:
いっぱい見てくれてありがとう。
もちろん、事実も真実も今俺がどこでどんな暮らしてるかも全く知らないくせに、書いてもないことを妄想や憶測や曲解や邪推で補完して膨らまして、
俺を批判したり同情したり憐憫したりアドバイスしたりしてくれたブクマカたちにも、ありがとう。
それを無意識のうちにやっている人も、自覚的にやってる人も、いるなと思いながら目を通した。
でもまあ、それはいいんだよ。
それが欲しくて増田に書いたし、
俺は生きてるから。
俺の言動の意図がねじまがった形で波及して、求めてもいない影響をどこかやだれかに及ぼしてしまって、
俺自身が誤解されたり損害をうけたりすることがあっても、
俺は生きてるから。
死者にそれをやるのは卑怯だよね。だって死者は、裁判で訴えることも言い返すことも説明することも訂正することも弁明することも謝罪することも、できない。
死者は憐憫してほしいのか称賛してほしいのか忘れてほしいのか助けてほしいのか居なかったことにしてほしいのかも、もう確かめるすべもない。
自死について、テロ行為と書いたことで苦しませた人は本当にごめんね。
漫画家さんの自殺はテロ行為だなんて言うつもりはなかったんだよ。
自殺者の自死をテロ行為にしないために、生きてる人が気をつけるべきことがあるんだって話をしたかったの。
俺んとこで言えば、俺は、妹のせいで母が壊れたと思うべきではなかったし、壊れた母から悪影響を受けるべきでないし、母にも妹のためにこそ壊れないでほしかった。
だってこれが成立すると、あの自殺が俺たち家族にとってテロ行為とも呼べるシロモノになってしまうじゃない、って話をしたかったの。
こういう現実が、こういう思想で自殺にメリットを感じる価値観と地続きと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20230715095602
妻子を気に掛けたくれた人もありがとう。
俺の妻から苦しみを聞かされたわけでもない、なんなら妻の顔も名前もしらないのに、妻の気持ちを代弁してくれた人も、ありがとう。
これ以上自殺の呪い(と言い換えます。テロは強すぎたね)の悪影響をひろげないために、妻と子供には、より誠実に向き合って、より大切にしていこうと、あらためて強く思いました。
人の心なんて、生きてようと死んでようと、絵にかいて見せることも形づくって触れさせることもできない、言葉を尽くしても伝わらない、どうやっても想像の域を出ないものだから、切ないね。
無意識のうちに、自分の妄想や憶測を、事実と同列に取り扱ってしまう人は、「人とは自分が見たいように物事を見てしまう生き物だ」ということ知ってほしいな。知ってて損はないし上手く使えば得になる。なんなら知らないと損してしまうこともある。
追記ここまで
妹はいわゆる境界性パーソナリティ障害っぽいところがあって、思春期はまあ大変だった。
気に入らないことや思い通りにならないことがあれば、ヒステリーやリスカやハンストで家族を萎縮させる。
妹以外の家族、俺と父と母は割りと温厚というか事なかれ主義というか淡白だったものだから、
とにかく言うことを聞く。「これして」「あれちょうだい」全てその通りに。
勉強は中の下、外では外交的でないまでもヒスも起こさず我慢だけしてるから、人付き合いは良好でなくても不穏でもなくて、
つまり社会生活に不具合がなかったから、幼いうちに医療にかかることがなかったのは心残りだ。
俺たち家族はほっとした。実家の環境が合わなかっただけで、家族以外との生活には問題ないんだ。
あの子は変な子でも変わった子でもなかったんだ、と。
妹が嫁いでまもなく、俺も結婚し、2世帯住宅を建て、両親を呼んだ。
実家は取り壊した。妹がヒステリーを起こしたときの痕跡が生々しくのこる実家は、みんなにとって黒歴史だった。
妹が壁に書き込み続けた呪詛の言葉。蹴ったり殴ったりして開けられたいくつもの穴。食器を投げつけた傷。包丁が刺さったあと。拭いても拭いても落ちない血痕。
リノベーションするにも、業者のひとに見せるのすら憚られたから。
今思えば、何て書いてあったのか、あの子の心の叫びを知っておけばよかったな。
旦那さんは、気さくで温厚でいい人だ。嫁の実家なんて気を使うだろうに。
俺ら家族に対して不穏な態度を隠しもしない妹に不満をみせることもない。
一晩泊まって、翌朝になっても客室から出てこない妹とは対象的に、旦那さんは一人早くに起きてきて、朝食の支度を手伝い、妹抜きで朝食を囲んだ。
今思うと、もしかして欠陥品かもしれない妹を押し付けた俺ら家族と、もしかして欠陥品に今現在虐げられる暮らしをしているかもしれない旦那さんと、何も知らない俺の嫁さんで、なんとも言えない緊張感はあったかもしれない。
妹にとって、自分の実家とは言えないが自分の両親と兄が暮らすこの家は、居心地がイイとはいえないだろうが、
自分の親族の家に来ているというのに朝になっても起きてこない妹に、何も言わないし様子も聞かない俺たちは、旦那さんの目にはどう映ったんだろうな。
嫁いで何年経っても、妹に子供はできなかった。
なにかの機会で、旦那さんのご両親と俺と俺の嫁と俺の両親で一緒に食事をした際、
先方のご両親からそのことに触れられたが、俺の両親はなんとも煮えきらない反応をして、話題を変えた。
この頃には俺の嫁も、俺の妹の不穏な雰囲気を察していたかもしれないな。
妹が嫁いで8年くらいの頃かな。
「妹が離婚する」って。
妹から電話があって、そう言ってたって。もちろんいつものヒステリーからくるヤケクソの話ではなく、その電話で旦那さんとも話して、「直接ご挨拶をさせていただきたいのと、離婚届の署名をおねがいしたいので、伺わせてください。この度は誠に申し訳ありません」って感じの話だったらしい。
俺たちは困った。嫁いでからずっと妹は働いてなかったはず。
もう30になるという歳で、職務経験もないあの子が、今すぐどこかで働き口をみつけて、住むところをみつけて、一人暮らしをして、ってできるのか?
もしくは、こちらに帰ってきても生家はない以上、ここに住むのか?
俺には子供が二人できていた。
言葉にはしなかったけど、妹との暮らしは、子どもたちには悪影響ではないかと思ってしまっていたことは、忘れていない。
仮にそれが一時的に出てしまったのだとしても、時間が経てば解決する。
離婚なんてしなくても済むはずだ。
母はその晩、妹に電話をかけた。
離婚したとして、どうやって暮らしていくのか?現実的に難しい問題がいくつかあることを妹に話していた。
だから、もう少し頑張ってみたらどうか?とも。
今思えば、いつでも帰ってきておいで、って、言ってやるべきだったかなあ。
妹はまもなく首を吊った。3日間意識不明をさまよったのち、死亡となった。
俺は妻に子供を任せ、両親を連れて嫁ぎ先へ飛んだ。
旦那さんの憔悴ぶりは見ていてとても可哀想で、なにより申し訳なかった。
俺は仕事が有るのと、妻に幼い子供2人押し付けてるのも気に掛かかるものだから、両親を残して通夜だけでお暇した。
旦那さんは別れ際に、「僕のせいで、申し訳ありません」と言ってくれた。
この時点で俺は、妹の亡骸を見てもなお、妹が死んだ事実よりずっと、俺の妹がこの人やこの人の家族に迷惑をかけてしまったということのほうが胸を占めていた。
そう言って別れた。旦那さんは泣いていた。
俺は本当に浅ましかった。
あのまま妹を俺の家に受け入れていれば、妹は俺の家を破壊したかもしれないし、俺の家で首を吊ったかもしれない。
そう思うと、妹が、意識不明から復帰することがなくてよかったし、すべて旦那さんがケツ持ちしてくれてよかった気がする。
そもそも妹が嫁いだとき俺は、「これで妹に縛られた人生から開放される」「死ぬまで妹の面倒見てくれる人ができてよかった」そういう気持ちではなかったか。
旦那さんは、こんなかたちではあるが、妹が死ぬまで面倒見てくれて、汚れ仕事をすべて請け負ってくれた恩人。
旦那さんの未来は、もしかしてこのことのせいで暗く閉ざされてしまうこともあるかもしれないけど、俺たちは、旦那さんのせいにして、何ら変わらない日々を送れるんだ。
はやくこの地を離れたい。
そういう気持ちでいた。
あれから2年が経った。
1周忌は仕事を言い訳に行かなかった。妻も両親も旦那さんも、俺に何も言わなかった。
今月、妹の3回忌があった。そのため久しぶりに嫁ぎ先を訪れた。
曇天でいまにも降り出しそうな空模様のなか、お経を聞いた。
そんなに多くの法要に顔を出した経験が有るわけではないのだが、よく見るのは、故人の配偶者が存命の場合は、故人と配偶者の馴れ初めや思い出なんかを坊さんが語ってくれたりして、参列者でほっこりして、故人を悼んで…なんてするイメージだった。
そういうのは無かった。離婚が決まっていたからなのか、自殺だからなのか。もしくは、旦那さんに新しい女でもいるのかな。見覚えのない女性の参列者を見かけると、そんなことを考えたり考えなかったりした。
法要のあとは、旦那さんと妹が暮らした家に伺って、形見分けをしてもらってから、両親を伴って帰路についた。
旦那さんと妹が暮らした家は、記憶の奥底に閉じ込め蓋をし忘れたことにしていた、実家を思い出すようだった。刃物や食器を投擲することによってついたであろう傷は、しずかに床や壁にこびりついていた。
2年間の月日が流れる中で、妹の嫌悪を感じる点も、忌まわしさを感じる点も、憎悪を感じる点も、あまり思い出せなくなっていく。
思い出を美化しているらしく、生前は良い思い出とは思っていなかった記憶さえ、なんだか温かい感情を伴って思い出されることすら有る。
だから、本当の妹は、ここに書いているよりもずっと酷い人間だったかもしれない。
記憶の美化は故人の美化で、それは後悔を呼んだ。
幼い頃から妹に手を焼く度に忌まわしく思ったし、
脅しによって周囲の人間を思い通りに操ろうとする様を本気で憎んだときもあったよ。
だけど、俺から見たら「気に入らないこと」「思い通りにならないこと」で感情を爆発させる妹だったけど、
妹にとっては、きっとそれが何より辛くて苦しくて助けてほしいことだったんだよなあ。
今でこそ、境界性パーソナリティ障害っぽい、だなんて偉そうにラベルを貼れるけど、あの頃は、そんな妹自身が抱える暗闇について、目を向けることすら無かった。
分かりにくかったけど、きっと助けてほしかったんだろうな。
妹を大切にする暇もなく、妹より大切なものをいくつも持ってしまって、さいごまで蔑ろにしてしまったかな。
あの頃俺がつらかったのも事実だし、
そして、この2年の月日で、母はどんどんおかしくなった。
母をまもるため、母を大切にするため、俺はこの家を建てたのだけど、母はいま妹ばかりだ。
俺が妙な助言をしてしまったせいで、母は妹にあんな電話をしてしまって、だから妹は死んでしまって、だから母は壊れてしまったのかなあ。
妹がヒステリーを起こして母を殴るたびに、母に刃物を突きつけるたびに、俺は母をかばったものだけど、母はそれももう忘れてしまったのかなあ。
俺が生きていても、母にとって意味はないのかなあ。
俺の子どもたち、母にとっては孫であるこの子達も、母の大切な一人娘が死んでしまったことの前では、無価値なのかなあ。
父は、もともと目が見えない人だったが、母がおかしくなってから、認知症も進行したように思う。
ハンディキャップが有る父。妹に攻撃される母。人格障害っぽい妹。
俺も、頑張りすぎたのかな、幼い頃から、妹の兄でありながら、妹の父のかわりや、母の夫のかわり、あらゆる自分を演じようと、無理をし過ぎたかな。
こんな俺が、妻や子どもたちを大切にできているのかな。
いろんなことが複雑に絡み合って俺たちはここにいるんだなあって最近よく思う。
最初は、「妹が自殺したのは、配偶者である夫とのいさかいのせい」と思い込もうとしていた。本質はどうあれ、そのほうが俺の人生にとって都合が良かったから。
だが、壊れてゆく両親という現実や、美化される自分の記憶とともに、その自己暗示も、維持ができなくなってきて、自責の念が強くなってきたと思う。
それと同時に、なぜか新しく故人である妹への憎しみが湧いた。
俺たちを苦しめる原因って結局すべて妹だ。感情を削ぎ落として考えたらそうだ。
そして母への怒りを感じた。
俺は子供だったし、母は大人だった。夫が盲目だからって、俺に頼り切りでなく、大人として責任を果たしてほしかったよ。
妹が死んだ途端、被害者ぶるのはやめてくれ。
あの子を病院にかからせることができたのは、あの頃はあなただけだったじゃないか。
俺に負債をおしつけて、それで今更被害者面なんて、浅ましいと思わないのか。
色んな感情が渦を巻く。
妹はこんなふうに壊れる俺たちが見たかったのだろう。
妹を厄介払いするように嫁にやって、妹以外で結託している俺たちに、自分の重要性を知らしめたかったのではないか?
他人を変えるために、死というウルトラCを用いて、インパクトを与える。
他人というのは、俺らだったかもしれないし、旦那さんだったかもしれないけど。
まんまと呪われた母は、そして呪われた母に巻き込まれて変わらざるを得なかった俺や父は、
妹の思うつぼだということだ。
でも、妹はそんなやつじゃないとも思うんだ。
本当に逃げたかっただけだ。
俺たち家族からも、旦那さんからも、厄介者扱いされていると感じてしまう現実から。
見捨てられる恐怖から。
もちろん俺たちだってそんな、あからさまに厄介者扱いなんてしなかったよ。でも繊細で傷つきやすいあの子は、なにかを受け取ってしまったかもしれないじゃないか。
そんな弱い子でもない。
あいつは、内面にそういうマグマをかかえつつも、無難に人付き合いができる賢い子でもあったよ。
怒りっぽく、傷つきやすく、繊細で、家に帰れば人の悪口ばかりだが、本人の前ではおくびにも出さない。そういうしたたかな子だった。
自殺だって、彼女が彼女なりに選択をしたことだ。良し悪しはべつにして、彼女の中にそれなりの正義があったに違いない。
同情がほしいなんてそんな浅ましい理由で、こんな愚かな真似をするわけがない。
だから、外野に過ぎない俺等が勝手にあれやこれや憶測や妄想をして、勝手に因果関係を見出して、勝手に怒ったり悲しんだり憐憫したりするのは、彼女に失礼ではないか、とも思う。
とにかく。
自殺って本当に良くないな。嫌でも思い出すし、
外野が勝手に悲劇のエッセンスに利用してるのを見ると、自分のことのように腹が立つ。
にしてもだ、自殺って脳天気なバカどもが考えてるよりずっとずっと地獄だよ。
自分のクソデカ感情をシェアしたくなる気持ちはわかるけど、自死遺族からしたら、それすらもノイズだったりするかもよ。
発信することは、真意が売名でも承認欲求でも吐き出しでも追悼でも救済でも擁護でもなんでも、ノイズになりうるし、エゴイズムだと思う。
しらんけど。ありがたく思う人もいるかもしれんけど。
フィクションじゃないんだよ。病死や事故死や老衰とは話が違うんだよ。故人の何を知っているんだ。
自殺するようなことがなきゃ、書かれなかったであろう伸びなかったであろう記事をいくつも見たよ。
自死によって世界が変わるのは、良く変わっても悪く変わっても、なんだかテロリズムを感じて気色悪いんだ。
生きてようと死んでようと、その人間が行ってきた善行も悪行も変わらないから、本質的には同じなのに。
俺は芸能人や有名人が自殺しても勝手な憶測は書かないようにしているし、因果関係も見出さないし、責任追及もしない。憐憫もしない。
死者が物言わないからって、単なる憶測がでかい面をしていい理由にはならない。
本気で愛してんなら、自殺と絡めず書いてくれ。だし、死ぬ前に書いてやれ。愛だけ叫んでろよ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/06fb7953cbf2688b9cb0c3e16bb8e3e16f2b928e
素敵だ。
しかし子供のころは、なぜ一般的に言って星空の観察に冬が最適なのか意味不明だった。8、9割曇天と雪ではないか。
その後知識としては理解したけど、こういうのは非雪国人の感覚なんだって、そのあと引っ越して初めて体感した。太平洋側は冬は晴れていて、本当に空気が澄んでいるんだ。乾燥してるけど。
駅伝とかマラソンについても天気は晴れだし熱中症にはなりにくいし、箱根駅伝などのイメージもあってそう言われるんだろうな。
地元の陸上部は靴に何かスパイク的なものをつけて、ザックザック・カリッカリッと走ってた。
ただ、解説から情景をイメージできるだけの事前知識は必要なので、やや上級者向けなのかも?
今ならセンバツが良い。
特に「投げました」「カキン!」のタイミングが心地よい。聞いたところによるとアナウンサーは自分のセリフと解説が被らないよう、かつ「カキン!」の前に投げたことを伝えられるようすごく気を遣っているらしい。
この金属バットの「カキン!」がまた爽やかな音で、その音だけで自分の視線が白球を追って青空に向いた気分になる。実際に雨天や曇天であっても、イメージの中ではいつもおだやかな晴天だ。
仕切り前には元力士とベテランアナウンサーが穏やかに会話していることが多くどこかほんわかした空気だが、時間いっぱいの行事の声、立会前の静寂のあとにドカン!バチン!と人間同士の衝突が出せるとは思えない轟音が響きドキッとする。
「筋肉質で均整の取れた体型」「赤い締め込みの上に丸いお腹」など、力士の外見を言葉で具体的に表現するのもラジオ独特で面白い。行事の装束の解説も個人的には結構好き。
もうすぐプロ野球の季節だ。
プロ野球の解説は高校野球よりは渋いというか落ち着いた雰囲気であることが多い気がする。
今年はどんな実況が聞けるだろうか、楽しみだ。
4年間洗車沼にハマって、「ぱっと見綺麗ならええやん」と「しょうがない」という魔法の言葉で沼から抜け出した人間の洗車がたり。これから花粉の季節で洗車頻度を増やさんとあかんので、あんまり気合を入れずに洗車する方法を書いていく。車を維持してる諸兄の参考になったり嘲笑の相手になったりしてくれれば幸い。
対象読者は自宅に洗車環境が無いけど、汚い車は嫌。洗車機突っ込みたいけど傷ついちゃう?ちょっとやだなぁ……洗車場使ったことないや、わかんない。って人。
結論から言うけど、最低月一手洗いする気がないなら、洗車機突っ込んで拭き上げよう。固着してどうしようもなくなるよりずっとマシだ。拭き上げ不要なのは大雨の日と、純水ぶっかけられるやつだけ。純水を用意できるやつは洗車好きなので、一旦は無視する。
1番大事。
6ヶ月以上放置したような、固着汚れが付いてる奴は手洗いするしかない。下手の手洗いは洗車機よりも傷が付くが、これを読めば洗車機よりはマシな洗車ができる。めんどい?じゃあ大雨が降ってる間に洗車機に突っ込むのがいいぞ。大雨の日は汚れがふやけてるし、水道水の拭き上げも不要。1番楽。
で、一般的な1,2ヶ月放置車。ボディを見てでかい砂とか土がついてなければ洗車機突っ込んでいいが、できれば水をかけて砂をふやかしてから突っ込め。ミラーの横とかドアの取っ手とかから黒い筋が垂れてるようなら、そこにクリーナーかけてから突っ込め。手洗いする気がある?よし、じゃあ最低月一で継続だ。読んでくれ。
それより短いスパンで洗ってる人々、きれいな車に乗りたい人だよな?手洗い沼に来い。運動にもなっていいぞ。
これは洗車に対してどんな考え方してる人でも、「洗車の大敵、2つ上げて!」って聴いたら必ず一致する。水シミと洗車キズ。以下、これらを防ぐ方法をつらつら書いていく。
1. 砂付いた状態でこすったら傷つくので、表面についてる砂をできるだけ水で流す
2. スポンジ等+シャンプーで砂と汚れをできるだけ回収または水で流しやすいように剥がす
3. シャンプーと集まった砂・汚れを水ですすぐ
4. 水が乾いたときの水シミを防ぐために拭き上げる
何を当たり前のことを、って思うかもしれんが、世の中の8割はこの基本すら頭に入ってないぞ。だからウェットティッシュみたいなので洗ってないボディをこするし、拭き上げもせずに洗車機から出たらそのまま道路だ。
水シミは「水道水、洗剤が乾く」ことで発生する。雨では発生しない。雨水はゴミがいっぱい入ってるが、洗えば落ちる。水シミは洗っても落ちない。専用の溶剤が必要。溶剤は強力なので、塗装にダメージがない、とは言い切れん。つけないことが最大の対策と心得ること。拭き上げなしでかっ飛ばせば水は飛ぶ、って思ってんならそれでもいいぞ。君が良いならそれが一番。
洗車の方法を1回でもググったことがあるなら、晴れた昼間は絶対に「洗車日和」ではないことを知っているはず。本当の洗車日和は、曇天で気温も上がらんジメッとした時候。そのくらい「水の乾きにくさ」は大事。朝方か日が落ちるくらいのタイミングでやる。洗車場でやる場合、たっぷり水をかけてボディを冷やしつつやること。
私の愛車遍歴は軽→スイスポなので、私くらいのスピードで洗い残しなく力も入らずにやれるなら、一気に洗うことも可能。でも私ですら一気洗いはしない。初心者ならなおさらである。洗車場を使うとして、せいぜい5分高圧洗浄機で水が出て、一時停止できても3分で都合8分ってとこだろう。私のやり方だが、2分高圧洗浄で全体の砂を落とす(使い方はいくらでもYoutubeとかにあるから調べてくれ)→停止して残り1分になるまで洗う→残り1分でできるだけ流して乾きそうなところに水をぶちまける→のこりを洗う→もう一度お金入れて全体をすすぐ、だ。どうせ8分で全体は洗えないしすすげない。2回使おう。
純水を持ってるやつは対象外だが、この方法なら簡単にイケる、という方法を述べる。上の方法で十分に流した後、じょうろかケルヒャーOC3等水をかけられるモノで水道水をすすごう。スーパーのボトル買って無料で水が汲めるアレあるだろ、アレに「逆浸透膜」とか書いてあったら使える。アレをかけよう。ミネラル分がほとんど取り除かれている水なので、水シミになりにくい。特に拭き取りにくいバイザー内とかミラーヒンジとかフロントグリルとか、その辺をすすぐと効果的。
ゴシゴシすんな。なでる感じで優しく洗え。
砂をたっぷりの水で吹き飛ばして、シャンプー洗車してようやく砂が落ちると思ってくれ。高圧洗浄機だけでは9割くらいしか落ちない。ちゃんとバケツにシャンプー液作ってスポンジで洗おう。オススメのスポンジはアイオンの洗車スポンジ(白)。シャンプーはコンパウンドもワックスも入ってないなら何でもよい。基本的にはへんな凸凹がついてるやつよりフラットスポンジのがいいし、白だと砂拾ってないか見やすい。
ムートングローブも使い方次第ではアリ。でもスポンジのほうが安いし間違いがない。
1パネル洗ったらバケツでスポンジすすいで、できるだけ砂付いた状態でこすらないようにする。私が某K社の洗車を信じてないのはここのせい。手早くやるのを重要視しすぎて、グローブを一切洗わず一周しちゃう。だめよ。
普通の洗車で落ちなくてもゴシゴシすんな。それは別の溶剤を使って落とす。ゴシゴシしちゃうと汚れは落ちてもついた傷は戻せない。深追いしないこと。
めんどかったら洗車機でいいよ。こまめに洗うことのほうが大事。
彼はいつもSNSを活用しておすすめのメニューや新しいサービスやイベント、お酒を告知している
しかしながらこのコロナ禍と微妙に冷えてきた景気のせいか、一昨年から5回に一度くらいの頻度で「このままで潰れてしまう…」とネガティブな投稿をするようになった
そういった投稿があるたびに、常連客が顔を見に行き酒を飲み料理を食べるの繰り返しで、最初の頃は私も微力ながらと先払いの飲食チケットを購入したり、テイクアウトを利用していた
最近でも相変わらず「暇です」「閑古鳥が鳴いています」「せっかく開封した日本酒が…」と、同情心を掻き立てるような投稿を繰り返し、その都度、誰かしらが顔を出していた
先日、彼の2つめの個人アカウントをたまたま目にすることがあった
そこには驚くほどの美食ぶりや最近納車された車の自慢、さらには「客が来ないから1週間ほど店を閉める」としていた期間で海外に行きゴルフ三昧という、いつもの悲壮感漂う投稿と真逆の人生を公開していた
経営が苦しいと嘆いていた時に助成金や補助金、協力金の申請を薦め、私が顧問契約している税理士にこちらが費用を出し手続きをしてもらったこともあったし、仕事仲間のお祝いではその店の料理をケータリングしてもらったりしていたが、まさか裏アカウント的なところでここまで日々の豪遊ぶりを垂れ流していたとは思わなかった
客に対して悲壮感を煽り店にきてもらう集客自体は、昔からあるセールスプロモーションの手口だが、まさか現代においてもガッツリとやっている人が身近にいるとは思わなかった
嘘をつかれていたというよりも、そういった集客を積極的にやっているということに嫌悪感が凄まじく、また、誠実に商いをしていたせいで潰れていった仲間を思うと、彼の店にはもう行けないし行ってはならないと感じた
彼の2つめの個人アカウントは共通の知人から情報提供があったもので、私が彼を心配していたことを知っているからこそ、こういう事実も知るべきだと教えてくれたものだった
【ルール】
・同じ言葉はアウト
・不自然な会話はアウト
-スタート-
A「…どんな話する?」
C「私はうどんかな」
ABC「(!!)」
A「え、えーと、なんか空がどんよりしてきたな」
B「曇天(どんてん)模様だな」
D「ピカドンやテポドンやノドンが落ちてきてハルマゲドンになるかもな」
A「え、えーと、好きなキャラクターの名前、僕はドンキーコング!」
C「私は…ポセイドン」
D「ワシはリザードン、グラードン、ヤドン、ウツドン、トリトドン、シビルドン、サイドン、ドンメル、ドンカラス、ドンファン、ドサイドン、カバルドン、ジュラルドン、パッチルドン、タンドン、ウオチルドンかな」
BC「(!!)」
A「うわーーーー!」
B「じゃ、じゃあ、これでどうだ、壁ドン!」
C「わっやめてください、Don’t Touch!」
D「若者よ、マドンナにはロンドンのウインブルドンでどんちゃん騒ぎしてどんぴしゃりとつっけんどんにどんでん返しを決めるのだよ、さあ行け、ヨーイドン」
B「うっせえよじじい!」
C「(!!!)」
B「うわーーーーーー!!」
?「ドンマイBさん。さあどんどん続けて」
D「君は生き残りなさい」
C「(えっ?)」
D「この部屋に来てからずっと感じてた。ワシには君みたいな娘がいてね」
C「(!?)」
D「君のような子は生き残るべきだ。ワシはここで終わる」
D「いいや、ワシはここで終了じゃ。さあ殺りなさい」
?「……分かりました、私の負けです。2人を開放します」
C「あ、扉が開いた!ここから出られるわ!Dさん、行きましょう!」
(外にて)
C「Dさん、ありがとうございます。…でもなぜ私達は開放されたんでしょう」
D「奴に『ドン』は殺せない。奴は『ドン』を愛してるからな。ワシはそこを突いたのさ」
C「え、ということは、あなたの名は?」
D「ドン小西だよ」
雨天や曇天でも使うのではないだろうか?
バンドじゃないもん!「あんま覚えてない夜」が来るとは嬉しい!去年聴きまくった。
自分のおすすめグループは普通にエビ中(私立恵比寿中学)。ただし最近のアルバムのみ。自分は以前のエビ中は聴かなかったけど、2年前に6人体制になってから聴くようになった。特に去年出た「playlist」「MUSiC」の2つは超おすすめ。すごい作家陣で作ってる。ジャンプ(石崎ひゅーい)、愛のレンタル(マカロニえんぴつ)、Family Complex(岡崎体育)、曇天(吉澤嘉代子)とか。個人的に好きなのはPANDRA(PABLO)。
あとは青森ロコドル勢が最近すごい。作曲家・多田慎也が青森に移住してプロデュースしてる。王林でおなじみRINGOMUSUME「101回目の桜」は名曲。今年、初音ミクのカバーでも話題になった。他にも最近出たライスボウル「ハローグッバイ」、など。
初めて一人でホテルのフレンチフルコース食べに行ったんだけど、
ほんとに1人でびっくりした。
コロナの影響で客足が減ってる&平日でほとんどのゲストが
朝食のみのプランだったらしい。
レストランまで連れてってくれて、中に入ってびっくり。
もともと大きいホテルじゃないから、レストラン自体も小さいんだけど
私だけフライングしたのかと思ったけど、違ったのね。
山上のプチリゾートホテルだけど、あいにくの曇天で外は真っ暗。
厨房を背に窓に向かって椅子をセッティングしてくれたけど、そのおかげで
中の景色が窓に映り込んでたんだよね。
私が食べ終わったタイミングで新しい料理や飲み物をサーブしてくれるけど
食べてる間中ずっと後で気配を伺ってるの見えてて、ちょっと頭を動かすと
すぐにさっと反応してくれる気配がして、最初は困った。
すごく丁寧だけど、私が気まずくないように程良い距離で話しかけてくれて
後の気配も次第に気にならなくなった。
私を見てセレブと思う人はいないと思うけど、大事なお客様として
丁重にもてなしてくれて、かつ、ぼっちで食べる私が寂しくないように
適度にかまってくれたのが本当に居心地が良かった。
普段和食ばっかりなので、フレンチの味がわかったかどうかに関しては
ただ、素人の私にもわかるくらいは、盛り付けとかも凝っていたし、
たった1人のゲストのためにいろんな料理を一皿に乗せてくれてて、
胃も心も満たされた気がします。
どれもすごく美味しくて、恥ずかしくてできなかったけど
いい意味ですごく裏切られた。
お金を払う意義と言うのをすごく感じた。
小旅行で、チェックアウトまでずっとホテルの中でごろごろしてた
んだけど、こーゆー形のことを「ステイケーション」と言うらしいね。
※滞在「ステイ(Stay)」と、休暇を意味する「バケーション(Vacation)」から生まれた欧米発の造語
コロナが流行ったからできた言葉かと思ったけど、数年前からあったらしい。
コロナが流行る前にいちど温泉宿に泊まった時もすごく良かったし、
でもその時は食事なしのプランだったから、今回完全にステイしたわけだけど
好きな本とか仕事ちょっと持ち込んで完全にリラックスするだけの旅。
体力がなくなった今は丁度いい。
昔は詰めるだけ詰め込んで観光地回ってたし、食事も宿もやすさしか考えてなかったけど
今はとても無理ですから。。
毎回こんなホテルに泊まれるわけじゃないし、これからもほかに目的があれば
ドミトリー泊もいとわないけど、3回に1度はこんな体験が出来るように
仕事がんばるわ。
コロナで旅行全部キャンセルになって、何のために稼いでるのか分かんなくなったけど
私また頑張るわ。
追記:読みづらい自分語りに対して、コメントくださりありがとうございました。
好意的なお返事が多くて、恐縮です。
常時こんな生活してると、きっとマックとかに新鮮さを感じるんでしょうね。
有り難うございました!
可愛い子供が二人いて、夫の稼ぎがいいから生活の心配はなくて、でもお花畑ではいられないのだよ。
朝から晩まで家事育児という名の人のお世話。それ自体が喜びなのかもだけれど、でもその喜びで満たされても幸せな気持ちにはなれないのだよ。
この世に生まれ落ちた一人の自分の人生でこれからなにを成し遂げるか、その為に考えたり学んだり挑戦してみたり失敗してみたりまた挑戦してみたり、そんな時間がぜんっぜんないことが、心を曇天模様にさせるのだよ。
贅沢言うなってていうのはお門違いなのだよ。だって社会の一員として貢献したい、という成人なら誰しもが果たすべき責任を果たそうという気概を持っているのに、その為の武器を磨くこともできる舞台にすら上がれていないからもがいてるのだよ…。人生の意義を奪われているとさえ感じてしまうのだよ。でも夫や子供を責めているわけでないのだよ。
その理由は二人の子供の性別は女だから。いつか私と同じ苦しみを味わったときに「あきらめなさい。」とは絶対に言いたくないから。
Day,2
2日目
多民族国家へようこそ
日本代表のプール突破は嬉しいが、このまま頭がラグビーモードだと初めて訪れる国では差し障りがあろう、羽田深夜発の機内では眠りたかったが、毎度のごとく機内での不眠グセが顔を出し、結局一睡もできなかった。
今日は到着のクアラルンプールからいきなりバスで2時間ほどのマラッカに移動して、ホテルへのチェックインとなるので、こなすべきタスクが多い。
不安もないではないが、その不安自体について考えすぎるのも精神衛生上悪いので、あまり追いかけないことにした。
現地時間午前6時に到着したクアラルンプール国際空港、手荷物預かり時までモノレールで移動するという、日本ではちょっとお目にかかれない構造に軽く戸惑ったが、入国管理はカードすら必要なく、拍子抜けするほどあっさりしたものだった。
空港内のコンビニで水を買い求めたりしたが、マレーシアの人は柔らかな笑顔で応対してくれる。
これは南国の気質なのか、旅人を価値あるものとする、イスラムの教えなのか。
クアラルンプール国際空港から一旦、市内中心部のKL セントラルに向かうため、高速バスの切符を買う。
バスのチケットセンターのお姉さんんがちょっと硬い感じだったのと、スーツケースをバスに積もうとトランクの近くにいたおじさんに声をかけたら客だったという小さなイベントはあったものの、ここでも概ね笑顔の対応を受けた。
しかし、バスが走り出してすぐ、東南アジアあるあるの「異様に強い冷房」に遭遇。
日本からやや厚手のスウェットブルゾンを持ってきていたので、ジップを上げてなんとかしのぐが、これはなかなかの強さだ。
見ると、前の席のお兄さんはダクトに空港の手荷物預かり証のシールを貼って塞いでいる。
そうか、その手があったか。
でも、おそらく日常でここを使っている人たちの姿を見ると、その多彩さに驚く。
長い髪も露わにひたいにビンディをつけてる女性がいる。
きっとタミル系だ。
カフェでは中華系の壮年男性が30台ほどに見える浅黒いマレー系の男性とビジネストークをしている。
全く違う人種宗教の人々がここまで日常感を放ちながら共に暮らしている姿は、日本ではなかなか見ることができない。
セントラル地下には好レートの両替所があり、此処での目当てはそれだが、両替所開店にはまだ早く、カフェで時間つぶし。
初めてのマレー飯、カヤトーストを食す。
トーストに挟まれた謎のスプレッドは色といい味といい、ランチパックのピーナツクリームを連想させた。
開店した両替所でリンギットとついでに少額のシンガポールドルを手に入れたら、次は今日の宿泊先マラッカ行きの高速バスに乗るため、中央バスターミナルにかないといけない。
ここで、東南アジア版UberといえるGRABを使って見ることにした。
アプリにアカウントと支払い情報を入力し、地図上で行き先にピンを指して配車すると、やがて銀の車がやってきた。
日本以外のアジアは「運転が荒い」という印象があり、事実マレーシアも聞くところによるとそうらしいのだが、GRABで配車されるタクシーはアプリに評価システムが内在されているからか、実際に乗って見ると非常に安全な運転だった。
乗り込む前に腹ごしらえすることにした。
このラクサは中華系マレー人の作る「ニョニャ料理」とされていて、それならばこれから向かうマラッカが本場なのだが、どうもマレー料理は地域によってかなり味が違うようなので、クアラルンプールでも食べて見ることにした。
ココナツのマイルドさとゴロゴロとはいっている鳥の骨つき肉が味に厚みを与えているが、かなり辛い。
幸い先ほどよりも冷房がキツくなかったバスに揺られて2時間、古都マラッカに到着した。
思った以上に海が近いらしい。
さっきの流れで慣れたので早速GRABでタクシーを呼び、今夜の宿、ダブルツリーバイヒルトン・マラッカへ。
ホテルが世界最高レベルで安いと噂のマレーシアだが、通された部屋を見て驚いた。
広々としたリビングにキングサイズのベッド、眼下にはマラッカの町並み。
ベトナムで泊まったホテルニューワールドにも驚いたが、1泊7,000円弱という値段を考えるとこちらの方が衝撃は大きい。
マレーシアなら東急イン以下の値段でラグジュアリーホテルに泊まることができる。
チェックインも済んだので、マラッカの旧市街に繰り出して食事でもしよう、そう思ってホテルを出たが、少しオランダ広場を見てから繁華街に向かうと、ほとんどの店が閉まっている。
目当ての店もどれも閉店だ。
気になって調べて見ると、マラッカの街は夜が異様に早く、食事の店でも多くは18時、早い店だと16時には店が閉まってしまうらしい。
晩御飯を食べに出たら店はどこも開いていないというわけだ。
辛うじて空いていた中華系の店でローストダッグと空芯菜炒めをつまみながら、「これは世の中の常識の定義が全然違うなぁ」と思った。
ポストしたレビューは応援してくれるコメントも頂いたが、辛辣な評価もついた。
寝不足で動き回る異国の地、曇天の空には海鳥の鳴き声が響きまくり、店は閉店、レビューにはお説教。
うまくいかない日な気がしてきた。
まあ店が開いていないなら仕方がない、昨日からロクに寝ていないんだし、今日はさっさと寝て、朝早くからマラッカの街でニョニャ料理を楽しもう。
今日、ギリシア神話として知られる神々と英雄たちの物語の始まりは、およそ紀元前15世紀頃に遡ると考えられている。物語は、その草創期においては、口承形式でうたわれ伝えられてきた。紀元前9世紀または8世紀頃に属すると考えられるホメーロスの二大叙事詩『イーリアス』と『オデュッセイア』は、この口承形式の神話の頂点に位置する傑作とされる。
巨体は星々と頭が摩するほどで、その腕は伸ばせば世界の東西の涯にも達した。腿から上は人間と同じだが、腿から下は巨大な毒蛇がとぐろを巻いた形をしているという。底知れぬ力を持ち、その脚は決して疲れることがない。肩からは百の蛇の頭が生え、火のように輝く目を持ち、炎を吐いた。
半人半蛇だけど「炎を吐く邪悪な蛇」のイメージにはなっているかも。
ラードーン(古希: Λάδων, Lādōn)は、ギリシア神話に登場する、林檎園の黄金の林檎を守っていた、100の頭を持つ茶色いドラゴン。
(中略)
口から炎を吐き、一説では顎の関節が尾にある為、体全体が口のようになっており、百の首を持つといわれている。
と、Wikipediaには書かれているが、ラードーンが火を吐くかどうかは定かでない。
何が出典なんだろ?
『ヨブ記』(ヨブき、ヘブライ語:סֵפֶר אִיּוֹב)は、『旧約聖書』に収められている書物で、ユダヤ教では「諸書」の範疇の三番目に数えられている。ユダヤ教の伝統では同書を執筆したのはモーセであったとされているが、実際の作者は不詳。高等批評に立つ者は、紀元前5世紀から紀元前3世紀ごろにパレスチナで成立した文献と見る。
『ヨブ記』によれば、レヴィアタンはその巨大さゆえ海を泳ぐときには波が逆巻くほどで、口から炎を、鼻から煙を吹く。
(中略)
その姿は、伝統的には巨大な魚やクジラやワニなどの水陸両生の爬虫類で描かれるが、後世には海蛇や(それに近い形での)竜などといった形でも描かれている。
ドラゴンになったのは後世。
プリニウスの著作で唯一現存しているのが、自然と芸術についての百科全書的な37巻の大著『博物誌』である。自然界の歴史を網羅する史上初の刊行物であった。
(中略)
プリニウスの『博物誌』10巻には、サラマンドラは斑点を持つ小さなトカゲで、雨が降ると現れるが晴れると姿を消し、体が冷たく火に遭うと溶けると記録されているが、これはサンショウウオに関する記述と考えられている。
また、『博物誌』11巻にはピュラリスというキプロスの炉の炎の中でしか生きられない動物が登場しており、精霊のサラマンダーはこちらに近い。上記の通り、炎を操る特徴からファイアー・ドレイクと同一視され、ドラゴンとして扱われることもある。
『ベーオウルフ』が成立した時期は、作品内部にも外部の言及としても成立の時期を特定する記述が存在しないため、必ずしも明らかではないが、8世紀から9世紀にかけての間に成ったと考えられている[3]。
第一部でベーオウルフは巨人(ドラゴンとも言われている)グレンデルとその母親と戦い、第二部では炎を吐く竜と死闘をかわす。 なお、インパクトが強くかつ謎の多いグレンデルとその親に関しては言及されることが多いが、炎を吐く竜に関してのものは少ない傾向にある。だが、同時にいわゆる「ドラゴンの約束事」(財宝を蓄え守っている、翼を持って空を飛ぶ、火を吐くなど)をほぼそろえている珍しいドラゴンでもある。
スラヴ民族は文字を持たなかったため、伝えられた神話を民族独自に記録した資料は存在しない。スラヴ神話が存在した事を記す資料として、9世紀から12世紀の間に行われたキリスト教改宗弾圧の際の「キリスト教」の立場から記された断片的な異教信仰を示す内容の記述が残るのみである。スラヴ神話は地方により様々なバリエーションがあったことが近年の研究により明らかになっている。
ズメイ・ゴルイニチ(「山の息子の竜」の意)の場合、3つ首以上、多ければ12の体幹を持つと表現され、火や毒を噴くなど、歴然とした一般の「竜」のイメージで描かれる。
『アングロサクソン年代記』はアングロサクソン史を古英語で綴った年代記の集大成である。編纂は9世紀後半のアルフレッド大王の治世に、恐らくはウェセックスにおいて行われた。
「火の竜」を意味する名前の通り、炎をまとい、口からも炎を吐く。空を飛び、それが現れる時は辺り一面、昼のように照らされる。曇天の空に不思議な光が走る時はファイアー・ドレイクが飛んでいるのだとされた。
隕石という説があるらしい。
『イヴァンまたは獅子の騎士』(イヴァンまたはししのきし、Yvain, le Chevalier au Lion)は、1170年から1181年頃にかけてクレティアン・ド・トロワにより著作された散文騎士道物語であり、アーサー王伝説を主題にした5作品のひとつである。
イヴァンは旅の途中で火を吐く大蛇と獅子が戦っているところに出くわす。イヴァンは問答のすえ獅子に加勢し、大蛇を倒した。これに恩義を感じた獅子は、イヴァンと行動を共にするようになり、イヴァンは獅子を連れた騎士とだけしか名乗らなくなる。
『黄金伝説』(おうごんでんせつ、羅: Legenda aurea または Legenda sanctorum、レゲンダ・アウレア)は、ヤコブス・デ・ウォラギネ(1230頃 – 98)によるキリスト教の聖人伝集。1267年頃に完成した。
その時代、エチオピアの町では一人の魔術師が権力を持っていた。彼は常に恐ろしい二匹のドラゴンを連れていて、自分にはむかう者にけしかけていた。あまり大きなドラゴンではなかったが、口や鼻から火や燃える硫黄を噴出し、人や家を焼きつくしたので誰も魔術師に反抗できなかった。その噂を聞いたマタイは魔術師の元を訪れた。魔術師はマタイにドラゴンをけしかけたが、マタイが十字を切るとドラゴンは地面に倒れて眠り込んでしまう。
同じく「黄金伝説」に書かれている、有名な聖ゲオルギウスが退治したドラゴンは、毒を吐くが火は吐かない。
聖マルタが退治したタラスクは、「燃える糞を撒き散らす」と言われているけど、これ英語版では確認できなくない?
タラスクは、レヴィアタンとボナコンの子供なのだが、ボナコンの特徴である「燃える糞」が、日本語訳されるときに混同されたのでは。
といったところから考えると、5世紀くらいまでは「火を吐くドラゴン」概念は薄かったが、
8〜9世紀頃から伝承として語られはじめて、10〜12世紀頃にはすっかり定着していたという感じだろうか。
なぜ火を吐くようになったのか?
サラマンダーは、火をより大きく燃え上がらせる能力があり、火山の溶岩の中に住んでいるという伝承もある。
ズメイや、ヤコブのドラゴンは、吐く息から硫黄の臭いがするといい、火山を連想させる。
ドラゴンには「地を這うドラゴン」と「空を飛ぶドラゴン」の二種類のイメージがあるが、
蛇や蜥蜴からは空を飛ぶイメージがしづらいことを考えると、隕石からの連想には説得力がある。
そこから火を吐くように変わっていったことを考えると、これも自然な解釈に思われる。
うーん、わかんね。
追記。
「フンババの咆哮は洪水であり、彼の口は火を意味し、吐息はまさに死である」というのは単なる比喩なのでは。