はてなキーワード: 漠然とは
社会人になって3、4年経過して一人暮らしにも慣れ始めた頃だった。
休日の昼下がりに食器を洗いながら大きなくしゃみをしたら肋骨に激痛が走った。
ほどなくして痛みが引いたので気にもしなくなった。
それから2ヶ月後、くしゃみをしたら同じところに激痛が走った。
さずがにこれは何かあるよな?と思ったが、また同じように痛みが引いたので、気にしなくなった。
この痛みとは別に寝違えた痛みが長引いたので近くの接骨院に行った。
ついでに肋骨あたりも見てもらおうと医師に相談したら、後日、影が見えると電話をもらいすぐに病院に向かった。
これまで大きな病気もなく健康に関してさほど気にしたことはなかったが、影が見えるって癌か?と漠然と思いながら電車に揺られた。
とはいえあまりにも現実感がなくて何も考えられない。いや、まさか。そんな訳ないだろうと楽観的に考えていた。
それから話はどんどん進み、検体手術を受けることになった。
ここでもまだ楽観的だった。手術は全身麻酔ですぐに眠ると聞いていたし、何とかなるだろう、それだけしか考えられなかった。
手術後はとても辛かった。
ここで初めて自分に何か良くない事が起きていることを実感した。
痛みを感じることでしか実感できなかった。
手術して2日後には退院した。
初めての手術を無事に終える事ができた安堵感とこれから自分はどうなってしまうのかわからない不安感でめちゃくちゃだった。
親はもちろんのこと心配してくれていたが、何より彼女を心配させてしまうのが申し訳なかった。
癌である事が発覚したのは付き合った数ヶ月後だった。
それから2週間くらい経ってからだろうか。病名がわかった。神経系の癌だった。
とても珍しい癌でどうしてなったのか、完治する方法はわからない事がわかった。
抗癌剤を投与する選択肢もあったが、幸い日常生活に支障はなかったので、様子見のまま生活している。
幸いというかこれまで通りの日常生活を送れている。
自分で告白しなければ、まさか私が癌であるとは誰も気づかないであろうほどに普通に暮らしている。
1つ悲しい事があるとすれば彼女と別れた事だ。
とはいえこれは仕方ないというか、そうするべきだと納得できるので、受け入れている。
しかし悲しい。
癌になったり、交通事故のニュースを見ると、どうも他人事に思えなくなって、この日記を書いた。
小さい頃から人生っていうのは、学校に入って、就職して、結婚して、子供が生まれて、子育てをして、仕事をやめて、老後をゆっくりと生きていくのかなと思っていた。
そんな平凡だと思えた生活も難しい。もちろんそれだけが人生じゃないのはわかっているが、どこかそれが正しいと思えてしまう。
死ぬ前に何が食べたい?どこに行きたい?どう過ごしたい?なんて考えた事があるかもしれないが、実際に死を身近に感じるとそれらの答えなんて思いつかない。
ただ生きたい。とにかく生きたい。それだけだった。
癌になったのは不幸な事だと思う。
ただ癌で無くてもそれぞれの不幸を感じながらみんな生きているのはわかっているが、どれだけ考えても自分が一番可愛い。
これからも辛い事がたくさんあるだろう。
それでも生きていく。
話している最中に、どこまでは友達と遊びに行けるのかという話になった。
私は映画館や美術館は行けるけども、水族館やプラネタリウムになると異性として認識している人でないと行けないなぁーと思っていた。
けれど、相手はそのどれも大丈夫なようで、行ける行けない論争が巻き起こり、それはそれで話が盛り上がった。
食事の最中、端々で相手は私のことを先輩、後輩の関係としてしかみていないのではないか。年上、年下という関係でしかないのでは、と感じてしまった。
それはそれでよい。けれど、私が相手のことを好きなことは恐らく相手には伝わっていて、それでいてなお、こうやって会ってくれることそのものが辛い。
好きな人と会えるなんて、贅沢な話なのだけれど、会えば欲が出る。この人とつきあいたい、この人といろんな思い出も作りたいと。
けど、そんなことは起こりえないんだろうなぁーと漠然と少ない恋愛経験から判断していた。
食事を終えて、いろんなことを話しながら、帰っていると話の流れから「でも、〜さんとならプラネタリウム行けるよ」と言われた。
一瞬、ドキッとした。その意味はどっちなのだろうと。それは私を異性として見ているということなのだろうか、と。
けれど、私はその答えを聞くのが怖くて、「〜さんのプラネタリウムと私のプラネタリウムは意味合いが違うから!」と戯けたように言ってしまった。
本当のところはどうだったんだろう。答えはわからない。
でも、改めて相手のことが本当に好きだったんだなと痛感した。もし、次に会えたら、自分の気持ちに素直になって、答え合わせをしたい。けど、それってものすごく難しい。
どうしたらよいのだろう。
ちょうど赤ちゃんが生まれたり、保育園に預けたり、小学校に入学したりと、育児に奮闘する友人が増えてきた。
私も夫も子どもは大好きで、友人や親戚の子に会った後は、天使だったね!と盛り上がるし、人の子でこんなに可愛いのだから、自分が頑張って産んだ子だったらもっと可愛いのかも、と思う。
ただ、だから私も欲しい!とはならないことに、あるとき気が付いた。
絶対にいらないとは思っていないけど、私は今のところ子どもを持つことに積極的になれない。
だから「子ども楽しみだね」「そろそろ…?」とか悪気なく笑顔で言われると、毎度反応に困る。親以上の世代ってこの辺のデリカシーない人多いですよね。
「子ども可愛いよ」「最初はいいけど、子どもがいないと生き甲斐ないよ」とか言われるけど、子どもがいる人に、子どもがいないことへのデメリットを語られても…ねぇ、という感じ。
逆に、子どもがいない人に、子どもがいることのデメリットを語られても…ねぇ、と思うだろうけど、そういう人には今のところ出会っていない。
話が逸れたけど、世の中のお母さんたちがどのようにして「子ども欲しい!」と思ったのか、純粋に気になってしまった。
結婚、出産、的な感じでごく自然の流れだから、愛する人との証とか遺伝子を残したいから、可愛いから、夫や親のため、本能的に、
色々書いたけど、そもそも、子どもが欲しいことに理由なんて無いのか。ただ単に私が、積極的でないがゆえに考えすぎなだけかもしれない。
学生時代なんか無意識に漠然と、「結婚→出産」が頭にあった気がするけど、いざ、現実的に考える時期になったら、全く積極的になれなかった。
身体が弱い。
自問し始めたきっかけの一つかもしれない。健康なお母さんでも危険は沢山あるけど、普通より高いと言われる様々なリスクを冒してまで欲しいと思えない。怖い。
あらゆるところで意見が述べられているとおりで、ハードモードすぎる気がする。
あとお金の心配。中高大で海外留学したいと言われたら?全部応えてあげられる?とか。田舎出身で、私立の概念や教育の選択肢が無かったのに対して、都会は選択肢が多くて怯えている部分がある。
そして夫といるのが楽しい。
お互い信頼しあっている夫と、夫婦でこのまま暮らすのも良いよね。お金も時間も二人で、二人のために使うのも良いよねと思っている。
子ども可愛い大好き=子ども欲しいだとずっと思っていたけど、こういった理由を超えるほどの、子ども欲しい!という感情が私には無かった。
色々あるけどそれでも欲しい!と、いつか思うのかもしれない。
どんな選択をしようと、それぞれの後悔やら喜びやら色々あるのだろうし、その時にどう感じようと自分の選択に責任を持つしかない。
そこそこ裕福な家庭に生まれ不自由なく暮らしてきた。五体満足だし精神疾患などを抱えている訳でもない。コミュニケーションも得意ではないが不得意という程でもないし、学生生活でいじめというものにあったことはなく友達も程々に居た。
ただ、そこまでヘビーな人生ではないのに「生きる」という事がただ辛い。
誰もが抱えているであろう将来に対する漠然とした不安、言い表すことのできない焦燥感からくるものだと理解してはいるが、「いざとなったら死ねばいい」と考えてしまい、これらを払拭するだけの苦労を一切したくない。
この考えが自分の深い所に根を張っている為、本当に様々なことから逃げて逃げて逃げ続けてきた。20代半ばで子供みたいなことを言っている自覚はあるが、この考えをどうしても変えることができない。
何とかこの考えを変えようと、「生きる」ということが楽しく感じる程に熱中できる娯楽はないかと色々と試したが、アウトドアのような能動的な娯楽は楽しさの前に煩わしさを感じてしまい、肌に合わなかった。
結果、映画や音楽鑑賞などの受動的なものに落ち着いたが、惰性で続けているのが本音だ。
まず、今からこれを書く自分のことについて述べると、私自身もロリコンでオタクだし、めんてい氏ほど技量はないがイラストを描いてもいるので、氏と似たような立ち位置だと言えるだろう。
似た立場といっても交流も何もなく、ただ、何冊か同人誌を持っているのと、時折5chで誹謗されているのを目にするため、私のほうが一方的に知っているという程度の関係だが。
さて、当初はこの件に関して特に何も述べるつもりもなかった。そもそも現時点でさえ騒動の実態を詳しく知っているとはいえない。詳しく、どころか、精々はてブやなんJのスレタイから判断できる内容しか知らない。
ロリ漫画家がtwitterで過去の性犯罪について自慢し、それを女性に批判され、漫画家を擁護する連中がその女性をフェミだのなんだのとレッテルを貼ってバッシングしたーそれで合っているだろうか?
言うなれば痴れ者どもが引くに引けなくなって無理を通そうとしているのだろう、それに対する反応なんて見なくとも予想がつく。必然ロリコン叩きにまで発展するだろうし、精神衛生上首を突っ込まないほうが良いーそう思っていた。
被害妄想と言われるだろうが、はてブはオタクやロリコンに対する風当たりが厳しいように感じる。いや、はてブこそ世の中と近くて、それ以外のSNSが寧ろ異常なのかもしれない。蓋し我々は加害意識を忘れないでいるべきだと思うので、それ自体は構わないのだが、些か理不尽に感じられる反応も多く、見るたびにげんなりさせられる。
今回の件に関しては例えば次のブコメ
id:Gl17 一部跳ね上がりをオタクで括るな的な※あるけど、そも直接擁護勢がこの種の変態披瀝芸をオタク側権利かの如く語ってるし、敵方をフェミだサヨだとやたら特定ジャンルに括って敵視してるのも彼等の方だよね
id:Gl17氏はなるほどと思われるブコメが多くしばしば参考にしているのだが、上のようなコメントを見ると悲しい気持ちになる。オタクの中の一部にすぎない擁護勢がオタク側権利を標榜したとして、そいつら以外にはとばっちりでしかないと思うのだが、果たしてオタクで括ることが妥当かどうかは考えていただきたいものだ。
事実オタク側が全員めんてい氏を擁護しているかというとそんなことはない。
クジラックス@quzilaxxx
めんていさんブルジャワ時代の話がキツ過ぎてブロックしてしまったな…
https://twitter.com/quzilaxxx/status/1128649388299915268
クジラックス@quzilaxxx
クジラックスがブロックするなんてみたいなツイート見かけたけどいや流石に嬉々として犯罪自慢する人とは1mmも関わりたくないでしょ…サシでだったら違ったのかな…ろりともだちみたいな…いやまぁとにかく知りたくなかった…シュレディンガーの犯罪者でいて欲しかった
https://twitter.com/quzilaxxx/status/1128741645199929345
韓国のオタク青年の方と最近メールをしています。いい人です。ラブ&ピースo(^ヮ^)o
韓国のメル友?曰く「『韓国人は自分達が一番優秀だと思っている』と嫌韓達は言いますが、韓国でそんなことを言う人は 환빠(ファンパ)と言う人たちです。この人たちが、すべては韓国で始まったと主張します。韓国でも苦手です。こんな一部のせいで韓国人全部があんな考えをすると誤解されます」
(続き) だそうですよ。僕は国際情勢に疎いので、こういう、生の意見を拠り所にしたいですね。あと、「韓国でレ○プはマンガでも嫌がる人が多い」とのことです。おい、大ニュースだぞ!
ごめんなさい。
一応ググったら全然情報出てこなかったけど、「ファンパ=환빠=歴史妄想者」みたいな意味らしいです。
クジラックス氏以外にもあかざわRED氏や、知るかぱかうどんですらめんてい氏に批判的なようだ。はっきり言ってそれらは当然の反応で、本当に表現の自由を守りたいのなら、無秩序になんでもかんでも認めろとダダをこねるのではなく、創作と現実とが別物であることを、建前でも示し続ける努力こそしなくてはならないからだ。ロリ関連の創作者がめんてい氏を批判しなくてはならない理由がそれである。(但し、現実に何かアクションを起こした人を創作活動から遠ざけろとは言っているわけではない)
このようにオタクやロリコンの中にも反めんていは居るし、私の周りを見てもこの件に反応を示した人がそもそもゼロだった。まあ後者の場合私が少しでもネトウヨ臭のする人とは距離を置いていることもあるのだろうが。
一方で、オタクをネトウヨや反フェミと結び付けようとする理由もわからなくはない。今回の件でもアニメアイコンが多いのだろう、どうせ。
ただそれは、ネット言論にネトウヨ的、反フェミ的なものが多く、オタクのほうがオタク以外よりもそうした本来アングラなものに触れる機会が多かったためで、オタク趣味が悪いというよりネットそのものに病巣がある気がする。従ってスマホで誰でも容易にまとめサイトにアクセスできる現在では、オタク以外もネトウヨじみてきているのではないだろうか。
そもそもチャングムを見て可愛いと思わずにカンコクガーNHKガーする連中が果たしてロリオタなんですか?ロリが優先順位で1番にならない連中を仲間だとは認められない。
オタクの多くは結局ノンポリでしかないと思うのだ。政治にも国際情勢にも本来そこまで興味はなく、面倒ごとは極力避けたい。そこまで凝り固まってもいないから多くの人がアズレンなど中華ゲーを受け入れたわけだし。逆に定見がないから、リツイートでデマが流れてきても、疑わずに漠然とネトウヨに染まっていくのだ。
そう、面倒ごとは避けたいんです。これは自分だけかもしれないが、SNS上で政治的発言をすると面倒な連中に絡まれる不安がある。実際リツイートする前に真偽確認ぐらいすべきとツイートしただけで絡まれたことがあるし。
更に言えば上でクジラックス氏などの例外を挙げたが、ネトウヨに毒された作家はやはり多い。交流関係を損ねないために、なんとなく気兼ねしてしまう、ということはあると思う。だからこそ百田を凍結もしないtwitterなんぞにしがみつくことがそもそもの害悪なわけです。
めんてい氏もtwitterではなくPawooだったらここまでの騒動にならなかったろうなと、思う。まあ、発言の場がどこであれ問題発言であったことは事実だろうから、逆に表面化して良かったのかもしれないが。ロリコンであることをひた隠しにし、常に世間からの糾弾の目を感じてきた私としては、あまりにあけすけに、現実とつながった形で自分の性癖を開陳できるということがそもそも理解できない。
結局SNSというのはオープンな場であるのに、普段はクローズドに見える、という勘違いが、あらゆる炎上沙汰の元凶なのでしょう。Pawooも下らない「政治」発言する連中が居るようだし、使い勝手も悪いので、ニジエあたりがエロ特化SNSを作ってくれればなあと切に思う。
とにかく、ロリ関連の創作に携わる人は、信頼の回復に努めるべきで、無理やりな擁護などすべきではない。めんてい氏はどんな性犯罪をしたのか知らないが、ちゃんと禊をしましょう。
最後に1点だけ。
創作物であっても女性や子供の人権を侵害している、という意見を時折目にする。この意見はオタク界隈では反発を以って受けとられるものだが、ただ、ヘイトが容認されるべきではないことを鑑みれば、頭ごなしに否定もできない。私の場合女児が好きだから描いているのであり、憎悪を向けるヘイト本の類とは違うと言いたいが、その描写が対象を貶めていないとはとても言えない。現時点で確実に言えることは、私はロリ絵を描くのが好きだし、優れたロリ作品をみるのも好きなので、規制されたら生きがいを失うということだ。だからゾーニングで手を打ってほしいのだが、どうだろうか
こいつがどうなっても俺の生活の影響を及ぼすことなんて一切ないってわかりきっているのに、
一言、健全な生活を送ってほしいと漠然と思ってしまうのはなぜなんだ。
アドバイス欲ってやつなのか?
その子が父親のおもちゃになっていると決めつけてしまっている自分がいる。
レッテル貼りやめろっていつもおもっているのに。
書かなきゃいけない気がしたので書く。
1年目 入学
2年目 留年確定
3年目
4年目 休学(1年間)
5年目 復学
6年目
7年目 卒業
9年目 就職
今 生きてる
周囲がウェイウェイガヤガヤしている中で自分が孤立しているのは確かに辛い。
だが周囲をもっと注意深く見回してみろ。孤立してる奴はお前だけじゃないはずだ。必ずいる。お前が孤立しているように俺も孤立していた。ぼっちは遍在する。お前はぼっちかもしれないが、一人ではない。
だから何だと思うかもしれないが、「一人ではない」ということは「同じような悩みを抱えた奴も一人どころではない」ということだ。それはつまり「相談窓口がある」ということだ。
構内のビラ、掲示板、大学のウェブサイト…注意深く見てみろ。「相談室」「保健センター」「保健室」そういう類のワードだ。大抵の大学にはこういうサポートが存在する。
この手の窓口はまず間違いなく無料だ。たっぷり時間をかけてカウンセラーと話せ。気後れするかもしれないが、安くない学費を払ってるのだからそれくらいやってもらわないと困る。主に俺のような奴が。
ところで、カウンセリングは全てを解決しない。だがカウンセリングを、他者との会話を通じて見えてくるものはある。例えば「自分が何を辛いと思うのか」だ。漠然と「辛い」と思うより具体的に「◎◎が辛い」と掘り下げた方が対処しやすい。
例えば「ぼっちなのが辛い」にもいろいろあって、「ぼっちであることで不利益を被るのが辛い」と「ぼっちであること自体が辛い」とではそこそこ違いがある。
前者を更に掘り下げると「休んだ回のノートを借りられない」とか「試験の情報共有ができない」とかだ。ここまで具体的な事象に落とし込めばぐっと対策が立てやすくなる。例えば「教員に参考文献を聞いて自学自習する」「オフィスアワーに教員に直接聞きに行く」「ネットの掲示板やTwitterで検索する(大規模な大学・学部であれば有効)」などだ。教員は友人ではないが、基本的に味方だ。
後者の場合は少々厄介だが、手がないわけではない。人間は本質的に孤独だが、他者との交流を持つことで孤独感を和らげる生き物だ。ならば他者との接点を増やして交流への足掛かりを築こう。
大学2年生であれば他者との接点は「講義」「アルバイト」「ゼミ・研究室(3年次からが多い)」「サークル」「SNS」「学外のコミュニティ」が主軸になるだろう。前2つについては申し訳ないがアドバイスできることが殆どない。何故なら奏功しなかったからだ。これは俺の限界でもあるが、自分の限界を認識しその範疇でできることをやることも大切だ(自己弁護)。
ゼミ・研究室についてだが、増田が今2年生ということは学部・専攻によってはゼミや研究室の話が出てくる頃合いだと思う。少人数ゆえに距離は近いが、同期や先輩との相性に加えて指導教員との相性もあるので、合わない人は合わない。中には一生ものの友人と出会う人もいるが、合わなければさっさと割り切っていくしかない。自分は後者だった。あっ、これも奏功してないな?
サークルについてだが、それなりの規模の総合大学であれば「サークルリセマラ」が利く。都市部であればインカレサークルもありだろう。なんとなく興味を持ったサークルにふらっと寄って、なんとなく雰囲気が合うなとか、話しやすい人が多いなとか思ったら残り、そうでなければフェードアウトする。新参が一人来なくなったところで誰も気にかけないので、こちらも気にしないことだ。コミュニケーション能力を高めるより、自分のコミュニケーション能力でも溶け込めるサークルを探した方が話が早い。相性もある。あとは試行回数。
自分語りで恐縮だが、俺が大学生活で最も長く在籍したサークルは2年生になってから入ったところだった。集まることは集まるが、互いにさほど深入りしすぎず、孤独とゆるく付き合っているような人が多かったのが俺には合ってたのかもしれない。休学中もサークルには時折立ち寄るなど、サークルの存在は立ち直る上で非常に大きかった。
何が言いたいかというと、一つで十分なのだ。何か一つ自分の居場所を確保するだけでかなり違うということだ。俺は講義でもゼミでも孤立していて、教室の前まで来たのにどうしても入れずにそのまま帰ったり、アルバイト募集に電話をかけられず断念したり、そういう学生生活を送ってきたわけだが、サークルの片隅に居場所ができたおかげでなんとか致命傷で済んだ。
しかし、例えば増田が地方の単科大学に在学中だとしたらサークルリセマラはちょっと難易度が上がる。学生数が少ないとサークルの数も少ないからだ。そこで「SNS」「学外コミュニティ」も有力な接点となってくる。今はインターネットで同好の士を探しやすい。自分の学生時代はmixi全盛期でクローズドなコミュニティが多く辛かったが、今主流のTwitterはとてもオープンだ。何より大学の外の人たちは自分の視野を大きく広げてくれる。視野とはつまり「なんとかなる」という感覚だ。
大学というある種閉じた場所で孤独と向き合うばかりだと、周囲とのギャップで自分がひたすら惨めに思えてくるものだ。だが世の中には孤独とうまいこと付き合いながらそれなりに楽しくやってる人たちが実は沢山いる。サークルやSNSや学外コミュニティでそういう人たちと出会うことで孤独に耐え得る価値観を知ること、そして「孤独でも案外なんとかなるんだ」という感覚を知ること、それがつまり「視野の広がり」なのだと俺は思っている。価値観は柱だ。柱は多い方が頑丈なのだ。
これは鬱の初期症状の可能性があるので早めにカウンセリングや心療内科の受診が望ましい。上述した通りまずは学内カウンセラーに相談の上で受診を検討した方がよいだろう。
休学についてだが、積極的にはおすすめしない。休学は基本的に「問題の一時的な凍結」でしかないからだ。それでも心身が休養を要するのであれば一つの選択肢になり得る。ただし、カウンセラーや医師や家族と相談して慎重に決めるべきだと思う。例えぼっちでも学業面に問題がないのであれば休学しないに越したことはない。
俺が休学を決断したのは自宅から出られず引きこもる日が増えた頃だった。学業や生活に支障をきたすようになったら一つの目安かもしれない。だがいずれにせよ、自分一人で決めるべきではないというのは間違いないだろう。
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いまいちまとまっておらず乱文乱筆で申し訳ない。一連の話はあくまで自分の生存バイアスを通したものでしかないのも重々承知している。人にはそれぞれの地獄がある。ある人にとっては何てことなくこなせることでもまたある人にとっては地獄の苦しみだったりする。
だからここに書いたことが全てお前のためになるかは分からないし、保証もできない。何故なら俺はお前ではないし、お前も俺ではないからだ。
好きなものに対する拘りは人によって違う。
ある人は知識が豊富だったり、ある人はモノを集めたり、ある人は独特なアプローチを図る。
それでも言えるとするならば、関心のない人よりも見えている景色が違うのは確かだってこと。
だけど“恋は盲目”って言葉があるように、好きであればあるほど物事は不鮮明に映りやすい。
その時、どういった姿勢が問われるか。
誰が、誰を、どのように問うのか。
「卒業」って言葉を聞くと、俺たちみたいな生徒は学校のことを連想するだろう。
だけど、その他のシチュエーションで使われるケースだってある。
例えばアイドル。
「はあ~」
「カン先輩、溜め息をつくなら、せめてペースを落としてくれませんか」
「そりゃ、無理な相談やでマスダ。むしろ溜め息で済んでるのを感謝すべきや」
応援していたアイドルが数週間前に卒業して、未だそのショックを引きずっている。
黙々と作業をしている時にふと思い出してしまい、それらが二酸化炭素として排出されるメカニズムらしい。
「ワイらのアメ子ちゃんが卒業……普通の女の子に戻ってもうた」
“ワイら”ってことは複数人の共有物なのか、“普通の女の子”って何を基準に言ってるのか。
“卒業”って言ってるが、要は“引退”の言い換えだとしか思えない。
俺がその界隈について詳しくないからかもしれないが、カン先輩の言動には疑問符が溢れ出てくる。
「気になったんですけど、なんでアイドルが辞めることを“卒業”って言うんです?」
「ああ?……そりゃあ、“辞める”とか言ったらバツが悪いからや」
「……マスダ、その聞き方、めっちゃ腹立つわ」
こんな感じで、卒業ってのは学校のそれとは違い漠然としている。
次のスタートへ向かうために設けられている、定められた一つのゴールだ。
環境の変化に未練こそ感じても、基本的には前向きに進むものとして存在する。
後ろ向きのまま歩いたんじゃあ、危なっかしくて進めない。
そう認識している俺にとって、他のケースで使われる“卒業”という言葉はどうも計りかねた。
趣味などをやめるのも卒業って呼ばれるが、あれも漠然としている。
そのせいで人々はいつ卒業するのか、そもそもすべきなのかすら分からない。
いや、そもそも卒業って表現が不適当なのだから、留年生と呼ぶべきではないかもしれないが。
それでも、あえて“留年生”と呼ぶのなら、その人達はいつまで“趣味という名の学校”にいられるのだろうか。
とあるアニメが地上の波を漂う時、一人の留年生はその資質を問われることになる。
ちなみにカン先輩のことじゃない。
https://anond.hatelabo.jp/20190502130550の増田だが
http://b.hatena.ne.jp/entry/lty.hatenablog.com/entry/2019/05/02/135439
やっぱこういう人出てきたな。
肝心の心理描写が姉も妹もどっちも不自然でリアリティないんだよねこれ。
で、「それでも素晴らしく面白い作品だから良いのだ」って人がちらほら出ていたけど、
やぁ、久しぶりだね。
順調にサ終、消滅へのカウントダウンを続け、シャニマスやら他のコンテンツに逃亡を続けてるクソ声豚諸君も、荒れに荒れてるが結果(売り上げ)はきっちり残してるデレステを叩いて現実逃避をしている自称ミリシタぺー諸君も元気してるかい?
田中琴葉Pだよ。
時代も令和に入り、いよいよミリシタサ終も現実味を帯びてきた。
いや、呪い続けてやるとは言っていたけどまさか本気でヤバイとは思わなかった、びっくりだねーww
やる事なす事全肯定してくれるミリシタ信者に調子こいて種田梨沙推し声豚を筆頭に頑張ってエグいガチャやイベントで搾り取ろうとしてみたけど金を出すことを知らない声豚の財布はついに開かなかったということで…www
まぁそんな事はいいんだ。
今日はな、そんな死にかけクソコンテンツでアイマスのお荷物ミリオンライブがグリマス時代にやらかした「田中琴葉の件」の真実を改めて日の元にさらしてミリオンライブがいかに運営も寄生してるオタクどもも気持ち悪いかを、アイマスペーはもちろん、その他のオタクにも触れてもらう事でミリオンライブは消えて然るべき、触れてはいけないオワコンである事を知らしめたいと思う。
まぁ私怨である事を否定はしないが、二次元コンテンツ、Vtuberなどにも繋がる問題であり、この事案を提示する事には一定の意味と価値があると考える。
まず、田中琴葉の件の概要を説明する前に声を大にして伝えておきたい。
ミリオンライブはとにもかくにも声優が命であり、声優の追っかけをしている声豚から金を搾り取るためにあると言っても過言ではない。
39プロジェクトだかなんだか知らんが、ミリオンライブに登場するアイドルはAS以外は全て声優を担ぐための神輿、いや、踏み台レベルかも知れない。
とにかく声優の都合で性格がブレブレ、キャラ崩壊など日常茶飯事、声優のためならなんとでもなる、最悪いなくてもいい存在としてしか見ていない。
あからさまな声優事務所の力関係が反映されたキャラクターの選抜、出番、セリフ、役回り、AS中心の物語を作るためのほぼ別人レベルのキャラ崩壊(可奈と志保は特に酷かった)
765の後輩という設定が完全に裏目に出ている。
そうでなくてもキャラクターの出番の格差や、キャラの作り込みの甘さ、ゲーム自体のつまらなさは同期のシンデレラガールズと比べても酷い物であり、声優ありきで作っているとしか思えない場面が多々あった。
最近のミリシタも口述する種田梨沙や新キャラ二人のためにイベントもガチャも回っており、三人をねじ込むために散々根回しやゴリ押しがされてきた。
シンデレラガールズの1/4程度の52人しかキャラクターがいないにもかかわらず、声優の人気に応じて露骨に出番に差があり、実質その人気キャラ十数名以外はモブと大差ない。にも関わらずミリシタ信者は都合のいい数字を持ち出して「デレステに比べれば平等!」と呪文のように唱え続ける。
ライブに足を運べば害悪、厄介、キチガイの声豚ばかり。誰もキャラクターに興味などなく、ペー独自の文化としてキャラグッズを身につけているが口を開けば出てくるのは声優の話ばかり。
ライブでもキャラ名ではなく声優名を呼んでクソコールやオタ芸で悦に浸る者がほとんどだ。
(アイマスPはどこにでも湧いてくる上に自分たちに都合の悪いことは隠蔽したり声高に叩く傾向にあるが「アイマス ライブ 厄介」で検索してみてほしい。某スクールアイドルのファンの方がよっぽどまともに見える行為がぼろぼろ出てくる)
そしてこうした事実を口に出すオタクを身内に見つけると彼らはあの手この手で排除しにかかる。某「外圧」でお馴染みの極悪ソシャゲもびっくりの新興宗教である。
そんな奴らが「田中琴葉」に何をしたか、これから話していこう。
きっかけは2016年9月1日、担当声優である種田梨沙が謎の病気により、活動休止を発表したことに始まる。
種田梨沙が参加していた他のコンテンツが次々に同氏の降板、代役の起用を発表する中、アイドルマスターは「種田梨沙の復帰を待つ。」という決断を下した。
当時私は愚かにも英断だと感じてしまった。琴葉の声を演じられるのは種田さんしかいない、いつかまた声が聞けることを信じてその日を静かに待とう、そう考えていた。
The@ter Activitiesの投票で決まっていた「普通の子」役を降板して可奈に譲ったことを皮切りに、運営は極力琴葉の話題を避け始めた。
ラジオや各種広告ではもちろん、本家ゲームのイベントでも琴葉に対する言及が減ったどころか、カードにも登場する機会が減り始めた。
私はいささか疑問だった。声優さんの事情と琴葉は全く関係ないのに、声優さんがいなかろうが、声が変わろうがミリオンライブの世界観に全く関係ない。なぜそんな雰囲気になるのか。
漠然と疑問を持っていたが、それを口にすることはできなかった。
それを口にしてはいけない雰囲気が既にペー共の間で確立されていたからだ。
コンテンツ内の掲示板のようなところでこの雰囲気に耐えきれず、次のライブまでに新しい声優を立ててもらおうと声を上げた者がいた。
しかし、声豚どもはその案を「運営の意志に従う」事を理由に袋叩きにして叩き潰し、黙らせた。
(その「運営の意志」の真意がいかなるものであったかは口述する)
そして迎えた4thライブ、ミリオンスターズにおいて最大の目標であり、ひとつの終着点、武道館でのライブ、その3日目。
私は現地で参戦した。人生においてトップ3に入るレベルの胸糞悪い一日だった。
現地における名刺交換、私が名刺を差し出して「琴葉担当です」と名乗ると相手は必ず「あっ.....」と言って伏し目がちになった。
そして口々にこう言った。
「残念でしたね。」
「きっと琴葉も見てくれてますよ。」
「49人での武道館ですけど、楽しみましょう」
腑が煮えくり返るとはこのことを言うのだろう。危うく怒りで前が見えなくなりそうだった。殴り倒してやりたかった。
ふざけるな、いないのは種田梨沙であって琴葉ではない。なぜ事情も知らない、知る気もない奴にそのようなことを言われなければいけない?
比喩ではない、文字通りお通夜のような雰囲気の中上記のセリフをうわごとのようにつぶやくのみだ
担当名乗っている人間が「琴葉だってここに来てます。」「俺が連れてきてるから」「奇跡はあります」その一言すら言えないのか。
お前たちが見ているのは結局種田梨沙であって琴葉ではないじゃないか。
もう最早ライブどころではなかったが、チケットの金は払ってしまった。時間になれば武道館に入場し、会場を迎えていた。
案の定、まともに楽しむことができなかった。応援なんてとてもじゃないができない。
きっと何か、琴葉もここにいるという意思表示をパフォーマンスで示してくれるはずだ。そう信じていた。
だが、その期待は最悪の形で裏切られることになった。
初日は乙女ストーム、2日目はクレッシェンドブルーのFLOODING、圧倒的エモさを爆発させていた枠だった。
流れたのは「ジレるハートに火をつけて」琴葉がセンターを務めるユニット、灼熱少女の曲だった。
琴葉以外のメンバー4人が迫真の表情で歌う中、琴葉がいるはずのセンターはポッカリと空いていて、スポットライトだけが煌々と照らされていた。
ふざけるな、ふざけるな。
ジレハじゃなくたって他にもシメを飾る曲はいくらでもあるじゃないか。他に演出の仕方はいくらでもあるじゃないか。
なぜ敢えてそれを選んだ!?なぜそれを選んだ?
なぜ敢えて琴葉の不在を強調させるような曲、演出を選んだのか。
ここで私は悟った、気づいてしまった。
運営は種田梨沙の復活を待つつもりはない、田中琴葉というアイドルをミリオンライブから消し去るつもりだったのだ。
今だからこそ言えるが、もうすでにこの時点でグリマスのサービス終了、ミリシタへの移行は確定していたと見られる。
だから運営はミリオンライブの展開についていけなくなった種田梨沙をグリマスの終了に伴って琴葉ごと切り捨てようとしていたのだ。
悪夢はなおも続いた。最後の挨拶で総合プロデューサーは「ミリオンライブは一歩一歩着実に前に進んでいきます。」という旨の発言をした。
手のひら返しというか、ダブルスタンダードというか。もう呆れて言葉も出なかった。
一歩一歩着実に前に進んでいくなら種田さんが復帰するのを待って100%の状態でリリースするのが筋ではないのか?
それとも歩みについていけない者は遠慮なく切り捨てるからついていくも降りるもお前次第だとでも言いたいのだろうか。
私はサイリウムを投げ捨て、最後のThank youを聞くことなく会場を後にした。
やってられないなんてものではない。あそこで最後のThank youのあの演出を見たところで冷める一方だったと思う。
とりあえずキャラ出しとけばお茶を濁せるとでも思ったのだろうか。
後述するが運営の対応は全てのメッセージが後手でちぐはぐ、声優種田梨沙や自分達に火の粉がかからないためのものであり、要するに自己保身だ。
田中琴葉というキャラクターや、琴葉本人を好きで追いかけてきたPやファンの気持ちをことごとく踏みにじるものだった。
いつだったか、引退したとあるPがちょうどこのブログだったか「アイマスは宗教である。」と言っていた。
まったくもってその通りである。下手すりゃ宗教よりタチが悪い。
あんなに堂々とアイドルの存在を否定しておいて、最後にちょろっとお涙ちょうだい演出をすれば大の大人が泣き喚きながら「ありがとう」「アイマス最高」と狂ったように連呼するのである。
あの演出を持って「琴葉はいた。」「4th最高だった。」と言っているペーは田中琴葉担当ではなく種田梨沙を信仰する信者であり、所詮種田梨沙しか見ていないにわか声豚である。
少し話がそれてしまった。
あのライブの後、私はあらゆる窓口でバンナムとグリーにクレームを入れた。
あれを肯定されては琴葉があまりにも浮かばれない。可哀想なんて言葉では表しきれない程に不憫だった。
だがいずれも返答が返ってきた事はなかった。
ミリシタに琴葉の存在は確認できない、グリマス終了時も琴葉のボイスだけ追加予定はなしとされた。
「田中琴葉は合流が遅れています。」などという取ってつけたような白々しい文章が踊っていた。
グリマスの方はともかく、4thの時点で3Dモデルを用意できたのならミリシタに実装するくらいわけもないはずだ。
「種田梨沙はいなくても田中琴葉はここにいる。」と主張するのなら、たとえ無言でもミリシタに琴葉のモデルだけでも実装し、メイン画面で歩き回ったり、劇場のメンバーと会話するモーションを用意することができたはずだ。
たとえ声がつかなくてもユニット曲で歌って踊る琴葉を見ていずれ戻ってくる種田梨沙に思いを馳せることができるならまだ前述の言葉にも説得力があった。
しかし、現実は劇場で琴葉の存在を確認することはできず、琴葉がここに居るという実感は皆無、そのくせTBなど中途半端なタイミングで中途半端に顔見せするから案の定ミリシタから入ったぺーは「誰?」状態だったわけだし、それどころか「こんな実装されてないキャラに参加権認めるのか」という不要なヘイトを貯めることになったわけだ。
そして、今年二月、どうも違和感のある中途半端なタイミングでようやく琴葉がミリシタに実装された。
完全に引退していたがようやく思いが届いた、これまでのことは水に流して改めてミリオンライブを始めよう。
そう呑気に思っていた私の心はすぐに打ち砕かれることになる。
あのさあ............
琴葉はずっと劇場にいたんだからお帰りもクソもねえよ!!バカか!!
ただ、本当に怖いのはここからだった。
どういったわけか、琴葉の存在がまるで悲劇のヒロインであるかのように扱われ始めたのだ。
そして運営はここぞとばかりに琴葉のことを猛プッシュし始めた。
まるで今までの遅れを取り戻すように。
思い出して欲しい、数行前の流れを
田中琴葉の存在を種田梨沙の不在を理由に否定したのはどこのどいつだ?
お前らじゃないか!!
反論があまりにも大きくて金になると嗅ぎつけたのか、復活した途端にこの扱い
信仰というのはここまでも人間を盲目にするのかともう、哀れみともつかぬ感情だけが胸を支配していた。
そして、私は本来であれは5thにも参加することなく、さっさとアイマスから足を洗うつもりだった。
でも、どういったわけか、ミリオンライブを昔布教してしまった後輩の声豚に無理やり連れられ、5th2日目を見させられた。
正直言って、まあ酷い、白々しい演出だった。
あれはミリオン5thという名の「種田梨沙お帰りライブ」だった。
白々しいセトリ、4thでは見られなかった景色を完全再現、琴葉はここにいるでしょ?完全復活したでしょ?嬉しいでしょ?ほら泣けよ
と言わんばかりのサムイ演出
それ以外は前日に徹夜で組んだのかと思えるレベルのテキトーっぷり
そんなことをするなら島原エレナにSTANDING ALIVEを歌わせてあげたほうがよっぽどよかった。
そしてそれに泣き崩れ、泣き喚くキモオタの群れを見て吐きそうになった。
もうやめてあげてくれ 田中琴葉がただただ可愛そうだ。
何もしていないのに、声を失ったから存在を否定され、忘れられ、かと思えば声優の都合で再び表舞台に引きずり出され
そして1周年迎えたら未来ちゃを差し置いてミリオンのセンターですか。
1年で4回も限定に当てられるくらいにはお金になる子だからここぞとばかりにゴリ押しですか。
なんの努力もしないでセンターに持ち上げられてしまう琴葉の表情はきっと散々なものだろう。
それで持ち上げられたが故に何も知らない別のキモオタに叩かれ、デレと比べられ、見下され.....
こんなボロボロのセンターを見てもあなたは脳死で「アイマス最高」「ありがとうミリオンライブ」と唱え続けるのだろうか。
さて、話が長くなってしまったが、ここまで読んでくれたということは私の話に少しでも賛同する意思がある人か、俺を論破したくて仕方ないクソ気持ち悪いマウント取りオタクのどちらかだろう。
もうもはやキモオタにつける薬などない、正直声豚は死んでも治らないからもう何も言うまい。
奴らは反省も後悔もしない、さも当たり前のようにコンテンツを食い潰し、飽きたらまた次のコンテンツに移動するだけだ。
まぁシンデレラガールズ然り、SideMしかり、どこに行っても声優の都合でキャラクターの扱いが決まり、荒れていない場所を探す方が難しい現状を見る限り、もはやアイマスというコンテンツそのものが声優ゴリ押しコンテンツになってしまった今、大多数のアイマスペー(笑)に何を言っても無駄なのかもしれない。
それでも俺はこの文を投稿する。
ミリシタが2周年を前にして死にそうになっている今こそ、俺はこの文章を投稿する。
もう少し、あともう少しでミリシタはくたばり、今度こそミリオンライブは死ぬ。
俺の3年越しの願いがようやく叶う。
ミリシタを、ミリオンライブを殺すのは俺一人ではできなかった。この文章を読んでバカにしてる声豚ども、ミリシタマンセーって口先だけで金を出さないキモオタども、お前ら一人一人がミリシタを殺した。俺のこの文章を妄想だとバカにしているお前らは結果的に俺の思い通りお前らが大好きな(好きなコンテンツに金も出さねえお前らの愛ってよくわかんねえけどな笑)ミリオンライブを殺してくれた。
ありがとう、そしてザマァ見ろ笑
自分は人より優れていると思ってました。子供の頃からなんでもそつなくこなし結構うまくやれていたほうだと思っています。
勉強はやらなくても授業を聞いてるだけで上位5%くらいの成績は取れていました。運動はみんなで遊ぶとき上手い部類のグループでした。友達もいつも学校の昼休みには毎日みんなとグラウンドで遊び、学校が終わればいつもの奴らとゲームしたりサッカーをしたりして遊んでいました。
ただ、
いつからか運動は部活を始めると自分以上にできる人間がたくさんいることに気づきました、自分がやせ形な体質で太らない、筋肉がつかないこともあり周りとの差がどんどん開いていくのを感じました。いくら練習を積んでも埋まらない差に毎日悔しさを感じる日々を過ごすようになりました。
いつからか自分はみんなとそれなりに仲は良くても特定のメンバーで遊んでいるわけではなくその場にいる人間となあなあの関係になっていることに気づきました、いつもの奴らは別の知らないいつもの奴らと遊んでいました、周りを見るといつも同じメンツで遊んでいる仲のよさそうなグループ達があり、そこに自分1人だけ浮いているような感覚を覚えては空虚さを感じる日々を過ごすようになりました。
自分は朝が苦手でした、毎朝遅刻しては教師に「そんなんじゃ社会でやっていけないぞ。」という言葉を鼻で笑っていました。自分には謎の自信があったのです、他人より優れているのになぜそんなことを気にしなければいけないのかと、その気になれば平気でやっていけると本気で思っていました。
実際はみんなが当たり前のようにできていることをできていないだけのただの劣等生ということを自分は知ろうとしませんでした。今思えばただ目をそらしていただけでした、やろうとしてできていないことをやっていないだけと自分の都合のいいように解釈して、後回しにして逃げていただけでした。
やりたいことも無く漠然と用意されたレールの上をなるべく楽なほうへと進んできた自分は社会に出て気づきました。自分は落ちこぼれだと。
あまりに遅すぎました、会社では当たり前のことで叱られる毎日が過ぎ自らの首を過去の自分の過ちが締めるような日々が続きます。疲れて帰った先には疲れをいやしてくれる趣味も無く、労ってくれる友も無く、ただ周りに迷惑をかけ足を引っ張る自分がいて、自分が勝手に立ち、周りを見下していた台は張りぼてで出来ていました。本当の自分の立ち位置に気づいた頃には周りに手を伸ばそうにもとっくに届かないほどの差ができていました。
と、いうのは何年か人間をやってみてつくづく実感した事だ。
小学生の頃は漠然と、「まあ、大人になればなりたいものになれているだろう」と考えていた。
そんな私が、思い描いていた己の夢に対して、何かしらの努力を積み重ねたかというと、そりゃあ多少は頑張った事もあるが、現実はほぼゼロに近い。
ギャグ漫画家になりたいと考えていた。
でも、私は「ギャグ」がどういうものかなんて一度も研究した事が無い。落語もお笑いも今一つ興味を持てないで大人になった。
そもそも、漫画の描き方を勉強した経験もないし、絵の練習をまともにやった事すら無い。
子供の頃はよくアホ面で絵を描いていた。算数と社会の授業が嫌いだったから、ノートや教科書の隙間によく下手糞な落書きをして、先生に見つかっては呆れ顔で注意されていたっけな。
中学校に入っても絵を描く意欲は持っていた。とても上手な先輩が居て、彼女の絵を見るのが好きだった。自分もこういう絵を描けるようになりたいと思った。
美術部に入って、真面目に勉強しようとは考えていた。でも、身体の弱い私を心配した家族が担任と相談して決めた結果、強制的にサッカー部に入部させられる事になった。怒られるのが嫌いだったから、部活動には真面目に励んだ。いくら頑張っても運動音痴なままだったけど、卒業式の帰りに、顧問の先生に引き留められて、抱き締められながら「よく頑張ったな」と言われた時は、なんだか報われた気がして、泣きそうになった。
いつの間にか絵を描かなくなった。自然に。多分、部活動に夢中で、余裕が無かったから。
高校生になって、独創的で可愛くポップな絵を描く少女に出会った。彼女は私のことが嫌いみたいで、近寄ると冷たい対応をされたけど、私は彼女の事が嫌いじゃなかった――というより、私は彼女の絵が好きだった。
影響されて、久し振りに絵を描いた。でも、描いても描いても納得が行かなかった。絵を描こうとするたびに、絵を描くのがつまらなくなって行った。
彼女みたいな絵を描きたい。それだけだったのに。
私は絵を描くのをやめた。
物語の世界に浸るのはとても好きだ。だから、アニメも見るし、漫画もよく読む。ゲームも頻繁にやる。
私は眼があまり良くないし、集中力も人より低いと自認している。だから、映画だけは、本当に琴線に触れたときしか見ない。
閑話休題。
中学校で一度だけ、鬱病になって引き籠っていた時期がある。復学したときに、クラスの担任が新任の若い先生になっていた。
彼は私と仲良くしたかったみたいで、よく趣味や好きなものを聞かれていた。でも、特に思いつかなかった。その時期は本当に、何にも没頭できず、打ち込むことすらできず、死んだ魚の目でぼうっと生きていた。好奇心すら砂塵ほども存在しなかった。
さて、新任の先生は本と映画がとても大好きな人で、私にもそういう自分の趣味を勧めて来た。はじめて渡された本は、有川浩の「海の底」、「フリーター、家を買う」、「シアター!」の三冊。
「気が向いたときに呼んで欲しい」――そう言われた私は、放課後の自室で、ベッドの上に横たわりながらぱらっと本をゆっくり捲りながら、「海の底」を読み進めて行った。
とても、面白かった。ただの文字列が鮮明な映像に変わって行く感覚は、台詞のひとつひとつが声をとして再生されて行く感覚は、とても奇妙奇天烈だけど楽しくて、己の感性に訴えかけてくる何かが、確かに私の胸を惹き付けて堪らなかった。だから、私は次々と本を読み進めて行った。
それから、私と先生の奇妙な関係は卒業まで続いた。おすすめの本を貸して貰って、私も自分で買った本を先生に貸して、読み終わったあとにお互いの感想を交換する。
自然と、私の読書量は増えて行った。教科書を読むのは嫌いだったけど、小説を読むのは難の苦も無く出来ていた。
高校に入ってからは幾何か落ち着いたけど、それでも本を買って読む習慣は、いつまでも続いて行った。
本を読み耽る趣味が出来て、私も何かしらの物語を書きたいという欲が出て来た。
見様見真似で文章を書いて、それをインターネットにいくつか上げた。
はじめは、酷評もアドバイスも素直に受け止められていた。だけど、自分の文章に自分なりの拘りが出来て行くたび、評価が怖くて誰にも見せられなくなって行った。
ランキング上位に来ている小説を読んで、なんでこんなものが? と考えるたび、自分の才能や資質を疑うようになる。
そして、何の努力もせず、単に良い評価だけを得たかった己を自覚して、恥じ入って、とても死にたくなった。
もしかしたら、あの駄文は、とても拘ったシナリオ構築のうえで成り立つ、とても凄い小説なのかもしれない。
あるいは、このサイトの客層やニーズを考え、需要のある設定とキャラクターを考えて作られた、評価されるべくして評価される小説なのかもしれない。
私には、とてもそんな事はできない。私は自分の好きなものしか書けない。書きたくも無い文章を書くのは、苦痛でしかないし、文章を書くという行為は多大な体力を消費する重労働だ。
案ならいくつでも浮かぶ――だけど、推敲する度に、これで良いのかという疑念が湧いて来る。読み返す度、自分の文章がつまらなく感じて行く。ジレンマの中で、私は筆を折った。
今でもたまに、何かしらの物語を書きたくなる時がある。
そのたびに、得るものが欲しくて小説を読み始める。義務的にはじめた読書は、とても苦痛に感じてつまらない。読みたくて買った本を棚にしまって、現実逃避をはじめてしまう。心の中に生まれたどろっとした何かが、気分を悪くする。
ギャグ漫画家になりたいと、今でも考えている。
絵が下手でもいいから、ギャグのセンスが大衆受けしなくてもいいから、何かしらの何かを遺したいと思っている。
努力を継続するのには、才能が要ると思う――そんなのはただの言い訳だ。そんなことは、分かってる。
ただの怠惰な人間の言い訳だ。無産の人間が尤もらしくほざいたところで、現実は何も変わらない。
でも、言い訳をしていないと、自己正当化をしないと苦しくて何もできない自分も居る。
どうすればいいのだろうか。もう、何も分からない。
取り敢えず、気が向いたら絵を描こう。そう思った。
まとめサイト脳というかかなり知識や感覚が遅れてしまっているタイプのネトウヨさん。ネトウヨ内の変化にもついて行けてなく、このノリだとお年を召しておられるかもしれない。
右も左もなくただすごーく逆張りだなぁ、という人
被害者を加害者として叩き続けるタイプの差別脳差別主義者という感じ。加害者を被害者だと叫ぶのも当然のようにセット。
藁人形を叩きながら藁人形が的外れであることが分かると「つまり藁人形されている側が間違っているのだ!!」と言い出す、なんかもう色々と典型的な……。
どうも組体操等の教育現場での虐待は叩くけど、類型する他の事例は組体操をダシにして茶化して被害をなかったことにしようとするタイプらしく……。
「男を規制すればフェミBBAも規制されるんだばんじゃーい」というモロに「男は気に入らない女にBBA呼ばわりを一方的にするが女はしない」という特権を自分だけ失いフェミはノーダメな行為に走っておられた自爆人間。
全方位をひたすら雑に腐し続けるちょっと珍しいタイプ。自分以外に受けているネタは全部嘘松とか言い出す系。マジで右も左もなく自分が中心でない状況は全て憎いだけなのかもしれない。
ネトウヨミソジニーの典型案件かな、と。ただ漠然と差別を続けることが出来るのならなんでもOK的なタイプなので、ナチスも肯定する方。ここはネトウヨでも分かれるところだが
ネトウヨミソジニーというだけでなくLGBT憎悪という、ちょっとはてなでは珍しいパターン(ミソジニーはホモソとLGBTを勘違いして後者を擁護しがちなので)。ただ鏡に向かって吠える所は他と一緒。
自分にしかありえない発想を相手にしかありえない発想だと思い込む、投影脳搭載してらっしゃる……。
朝日新聞に謎の粘着してる時点で色々お察しできるネトウヨミソジニー脳。
ネトウヨミソジニーの使い捨てサブ垢っぽい挙動/なんかもう10年以上前のネトウヨ節なんだよなぁ……。
すんごい晒上げ見たいに星連打するネトウヨさん。味方が可哀想になるレベル。
探索漏れしてたネトウヨさん。タイプとしては鏡に向かって吠える典型という感じだが。
コピペで済ませているだけのネトサポっぽい挙動。ネトウヨ的発言をするのも面倒だがしなきゃお金にならないので、くらいのノリっぽい。
まぁ分かりやすい方のネトウヨではある。ある意味隠し立てが何もできないし鏡に向かって吠える憎悪しか書いてないような……
ネトウヨ様案件。って元がハシストなんか。救いようがないなコレ
量産型のネトサポかなぁ、と。自民に金貰って書いてそうな感じ。
絵に描いたようなまとめサイト脳ネトウヨさん。自民教崇拝するためには国民はみんな死んでもいいというレベルの言動がちらほら。
ネトウヨミソジニー差別脳で鏡に向かってほえ続けると言う典型的なアレ。エコーチェンバーに引きこもってどんどん現実世界から離れて、自分自身を映し出して作った藁人形のリベフェミと戦い続けている人
まとめサイト脳っぽいタイプのネトウヨミソジニー。綺麗にデマだけ信じていく姿がなんかもうある種の「描写したら藁人形扱いされるレベルのネトウヨミソジニー」って感じなのが。
鏡に向かって吼える系のネトウヨミソジニーという量産型。定型文は何とか避けようとしている傾向はあるけど、結局論理構造が破綻していて何が言いたいのか把握するのが困難なのが……。
ネトウヨミソジニーの意見は言いたいらしいが、馬鹿を言った責任は取りたくないっぽい言動。
ネトウヨくさい発言とミソジニーくさい発言がちらほら……。まぁまだ露骨ではない方だけど。さて馬脚は現れるかな?/モロに鏡に向かって吼えてる系発言しだした。案の定と言う/どんどん電波が凄い事に
分かってて非論理的な人を模倣する系かと思いきや、多数決と言う一つに絞る手法にすぎないものをイコール民主主義の定義だと言い出して、ガチかもしれない感/存在しないこちらのブコメを幻視したらしくどうやらガチ
ネトウヨコピペボット感。脊髄反射の定型文でも用意されてなければこうも内容無視したことはかけまいというレベル。
まとめサイト脳式の差別主義者って、多分直らないんだろうなぁ……
ネトウヨミソジニーだが、自称中立は卒業して一応肉屋を支持する豚である自覚はある模様。
あれ、サブ垢じゃない方なのかこれ? ネトウヨミソジニー妄言コピペボットを何個作るんだ?
10年前位で脳の時計が止まってしまってる系のネトウヨさん。他のネトウヨと比べても情報更新されてなさすぎる。
鏡に向かって吠える典型的なネトウヨミソジニーの転生垢っぽい挙動。一度やらかしまくって垢停止した人かもな/electrica666のサブ垢かもしれない挙動をしていた
ネトウヨミソジニーさん。多分自分の事は中立だと思い込んでそう。まぁ結局鏡に向かって吠え続けているタイプではある。
ネトウヨ脳がオタに多い証拠になってしまってる人。これだからオタはと言われてもこの人のブコメ欄見せたら仕方ないと思われてしまうな。
自民党支持者がどれだけ頭が悪いネトウヨミソジニーであるかを示すためのパロディ赤の可能性すら感じさせる言動が……。
量産型ネトウヨミソジニー鏡に向かって吼えるしか出来ないタイプの典型的差別脳として特筆すべきは、このタイプがあまり選ばないアイコンを使っている点か。
まぁ典型的なネトウヨミソジニー差別脳だなぁ、と。どこかの工場で作られてる系量産品。とにかく差別できればなんでも良い的な。
一見まともっぽい事も言うんだけども、ちょいちょい普通より遥かにぶっとんだ差別発言(黒人は死んだ方が幸せなのに殺さないのは人種差別だ系)していて、それを前提に見るとまともっぽい意見もあかん奴だと分かる人
ネトウヨミソジニーで雑、という普通ならサブ垢かと思う案件なんだけども、どうもそういう使い分けをする知恵すらなさそうなのが……。
動き方がミソジニーのサブ垢感満々
ミソジニーでネトウヨだとは思っていたが、技術系の記事も頓珍漢な噛み付き方しているとしか思えない言動がちらほら。差別する人は何やってもこうなのかもだがそもそも日本語が読めなさそう
ネトウヨミソジニー垢のサブっぽい挙動なんだけど、延々差別脳のコピペみたいな事しか言ってない。
鏡に吠える系ミソジニーさん。自分が議論相手にしたことが全部女が男にしたように見える世界に生きてるっぽい。/お、と思ってコメを色々見たが、死ね氏ね殺せ系の電波も兼ねてる模様。低能先生のご同類でしたか。
この人みたいなはてなでまとめニュース脳のネトウヨって割と新しい案件だよね。
えんえんと鏡に向かって吠えるミソジニーさん。アンチフェミの自分自身の鏡を藁人形としてフェミを叩こうとするのだが、それはアンチフェミの特徴でしかないんだよね。
無自覚系ネトウヨで、女性のように思えるがそれはそれとして無自覚系ミソジニーという感じ。まぁ要するに無自覚に差別主義ばらまいているという。
この人も忘れてた。ある意味典型的過ぎて戯画化できるレベルのネトウヨさん
忘れてた。ネトウヨのパロディなのかというレベルのトンデモ内容なんだけども、この年月それをやるのはただ事ではない。
自称中立する人は大体ネトウヨでミソジニーという典型的な……。/envygreedlustと同じタイミングで同じ反応してきたんだけど、これサブ垢か?
ネトウヨ件ミソジニーという典型のアレ。差別させてくれないなんて差別だ―という、典型的な殺人鬼が刑務所の中で駄々こねるようなこと言ってる。
アレ系の人の量産サブ垢?
ネトウヨミソジニーの言葉を反復するだけのbot垢っぽい挙動。
はてぶのミソジニーは女性差別がないふりをするので露骨な差別である性器呼びするミソジニーは珍しい。「だんせいさべつもぉ」と言うアレな人々に「まずこいつレベルの男性差別を屏風から出せ」と示せるいいツール
Midas氏と同じ類の独特の狂気を持っておられるのではないかと思う。この二人以外でこの手のタイプは今のところ見かけていない。特異な感性なのでこれはこれで維持して欲しい気持ちがある。
「女に人権があるせいで男の性奴隷として分配されてくれないのは、女による男に対する差別だぁぁぁ」という典型的なミソジニーさん。
絵に描いたミソジニーさんオタナチ案件さんだけど、言ってることが一個一個ダブスタ全開でなかなかに香ばしい一品。
絵に描いたようなネトウヨ。非表示ってのがまたもうねぇ?/ミソジニーもかねてましたとさ。統計が理解できない自己を相手に投影して、吼えてる辺りがもうねぇ?
ネトウヨというよりは金貰って書いてるネトサポっぽい。多分これに星つけてる垢は同一人物の垢かな、と。
「二重否定の除去は一般的な公理で使われているもので、非一般的な公理でも矛盾を導くわけではない」と説明しても「だって二重否定の除去は矛盾だ」しか言わなかった方。多分矛盾の意味を根本的に理解できてない。
ネトウヨにしても罵倒の仕方が雑すぎる……というか罵倒しかしてないせいで何も言えていない感/割と真剣にご病気案件な気がするこの人
絵に描いたような鏡に吠える系ネトウヨ様。愛国と言う病を患うとこうなる、という反面教師的な模範感
ネトウヨミソジニーオタクの役満さん。言ってる内容が10年前に一蹴された差別主義者さんのコピペというタイプ。
ネトウヨミソジニー文系憎悪オタクの役満感。当然のように鏡に向かって吼える吼える。
名前からしておそらくネトウヨパロディかと。idコールまでするあたり凝ってる
言動が脊髄反射すぎてネトウヨコピペbot系と区別がつかない。
ネトウヨミソジニー併発の差別脳さんの典型。鏡に向かって吠えるタイプ/とうとうこちらの星に嫉妬するようなブコメを書き始めていて、ネット休んだ方がよろしいのではないか感。
ネトウヨ兼ミソジニーと言う典型の差別脳さんだけど、自分はネトウヨじゃないと思い込んでいるというオプションもついていて所謂役満様。
ミソジニー拗らせてるけど、恋愛工学とか嵌ってそうなはてなではちょっと珍しいタイプ
もうちょっと面白みがあればいいのだけれど、量産型のネトウヨさんだなぁ、と。
パラレルワールドに住んでるネトウヨさん。サヨクのニッキョーソに支配された別世界から来たらしい
ネトウヨミソジニーとしては量産型かな、と。どっかの工場で作られてる系
アレ系の人の中では目立ちすぎて逆に誰ももうコメント残さない感
ネトウヨミソジニー併発様は色々いるが、旧仮名遣いと言う一番香ばしいというか黒歴史を全力で生産してるアイタタタなお方。
ミソジニーとネトウヨ併発している典型的なアレ。エコーチェンバーに何年も引きこもっていた模様。
「男性様が女性を殴るのは当然の権利なのに逃げられるなんてみさんどりぃぃぃぃぃぃぃだんせいさべつぅぅぅぅぅ」という典型的なオタナチ様
典型的な差別棒振り回して逃げられたら「僕ちゃんが殴るのを禁止して逃げ出すなんてポリコレ棒で殴られたぁぁぁぁ」と言い出す系差別主義者さん
「女は人間ではなくものなんだから金を再配分するなら女も性奴隷としてしろぉぉぉ」という典型的なアレをこじらせたミソジニーさん。
「女をレイプしちゃいけないなんて言う奴は韓国人!!! おのれ世界中が韓国人だあぁぁ」的な感じの世界観に住んでる、典型的なネトウヨかつミソジニーで鏡に向かって吠える案件なんだけど、ちょっとそろそろ芸が古い。
自民擁護マンだけど自分の意見と違う意見は死ね的な雑さは、ネトウヨというよりは低能先生のそれに近いのかもしれない
ネトウヨミソジニーレイシストでオタと言う役満案件さん。これは流石に差別脳と言わざるを得ない。
ミソジニー兼ネトウヨの人のサブ垢っぽい挙動。妄想の敵と延々戦うために、日本人男同士のエコーチェンバーに引きこもって過激化して、人格壊れていくタイプ。生暖かく人格崩壊を見守るしかないか。
ネトウヨ兼ミソジニーさんの典型っぽく。自他・加害被害が反転して、加害させてくれないのは被害者が悪いと罵らせて加害しようとするが、それは被害者が望んだことなんだと叫ぶ系譜
「女が性奴隷として分配されないなんて女による男性差別ぅぅぅ」という典型例のミソジニーさん。
殺人できないなんて差別だディストピアだ、式のオタナチさんかな。鏡に向かって吠えるのも併発してる。
自称中立で鏡に吼える系ネトウヨさん。他のレイシストの例に漏れず、やっぱ自他が反転してるっぽいんだよなぁ……。
頭の回転が速い、芸術的才能がある、
最近、誰かの頑張りや、誰かの才能に触れることが多い。
その度に「すごい!憧れる!カッコいい!」と強く思うと同時に、「私はそれと比べてどうなのだ?」「こんなに輝けているか?」と自問して無駄に苦悶。
側として見えるブランドにのみ価値を見出して意味なく心が折れるばかり。足りないのは、誰かと比べる必要などないと理解して初めて得る自己肯定感かも。
人に優しいとか、気遣いができるとかっていう思いやりの部分に価値を置かずに、ステータスしか見てこなかったことの浅はかさ。
嫉妬なんてしてないで、漠然と誰かと比較してないで、日々の小さな優しさや、思いやりを集めてたら、ほっこり幸せになれる気がする。
誰かの優しさに気づけるようになりたい。
高3の頃に気を病んで入院して地元の国公立に適当に入学して今に至る、鬱の診断をもらいました
3年生の時自殺未遂して親に生きてるだけでいいと言われて大学に行かないでおこうと思ったら大学には行けと言われるし、バイトしなかったらバイトはしろと言われるし本当に人は自分勝手だなぁと思う
本当になんとなくで大学に行っていて将来の夢とかもなく大学院に行ってもう少しダラダラするか就職するかも決められていないです
昔から人と話すのが苦手だったんだけど、高2の時に信頼してた人から急に縁切られてしまってそこからずっと人と関わるのを避けてて、この歳になっても人並みに話ができない
親は大人になれば話できるようになるよとか行ってくれるけど本当に変われる気がしないです
飲食店でバイトしてるんですが、なんとなく嫌な気持ちがあってなんとなく気分が落ち込んでなんとなく辞めたいです
社員さんには将来の話をすごいされてその度にお前は夢がなくてダメな人間だと言われています
自分でも自分のことがわからず、友人も恋人もおらず、将来の夢もしたいこともなく、漠然と日々を過ごしていて、なんのために生きているのか分からなくて、いつ死んでもいいなと考えてしまっています
やぁ同僚諸君、元気か。
俺はそこそこだ。
隠居というかすでに他界してるといっても過言じゃないくらいに離れてしまったよ。
ちょっと前までは寝ても覚めてもデレマスのことばっか考えてたよ。
担当だけじゃなく、その周りも、琴線に触れそうなアイドルなら軒並み触れて回ってた。
絵書いてたーとか企画打ち立てたーとかは全くしなかったけどあの時確かに生活の中心はデレマスにあった。
でも熱って冷めるものでさ、一回くすぶっちまった熱はそう簡単に燃え上がらなくなっちまってた。
デレマスというコンテンツは目まぐるしい。ちょっと目を離すだけで見たこともない展開が続々と出てきて目が回っちまう。
まず曲とかを追えなくなって、ゲーム自体からも離れ始めて、気がついたら担当が新しく出た時ですら追えなくなってた。
あぁ全く、悲しい話だ。
あんなにも熱中してた担当に対して向き合うことすらできなくなってる。
担当に興味がなくなったのか?
答えはNOだ。即答できる。
今でも担当が好きだ。大好きだ。
でもなぁ、コンテンツからの距離が離れるほどに担当との距離も離れる気がして、それが申し訳なくてより向き合えなくて、また距離が離れて。
そうやってグズグズして完全に消え去るんだろうなって漠然と思ってた。
俺の担当はそこにいた。
すげえな。
なんでそんなところにいるんだよ。
去年の総選挙が終わってからずっと加蓮P界隈が盛り上がってたのは知ってた。
TLは逐一追ってたし、加蓮Pじゃないところから加蓮Pの情報が回ってくることもあって今年こそはって気持ちが全体からひしひしと伝わってたよ。
それがちゃんと実ってるんだなって思う。同担として精力的に活動してる人たちを素直に尊敬するよ。
それでも、熱が灯るよ。
心から願うよ。
加蓮にガラスの靴を履かせてやりたいってずっと思ってる。
だけどまぁ、ご存じの通り弱いオタクだ俺は
すぐ挫けるし諦めそうになる。
だからこそ加蓮に惹かれるんだ。
頑張れって。頑張ろうぜって言いたいんだよ。
だから加蓮。
手を引いてくれ。
きらめくステージで誰よりも輝くお前の姿をもう一度みたい。
何ができるわけじゃないんだけどさ、それでももう一度。
手の届く範囲で、ちょっと頑張って背伸びして届く範囲を広げるくらいはして頑張ろうって思うよ。
俺の大好きな北条加蓮はこんなにも光り輝くんだって精一杯伝えるよ。
俺の声は小さいから投票し続けることくらいしかできないかもしれないけど、それでも声を上げるから。
なぁ加蓮。
ここ最近のシンデレラガール総選挙にみられる世論の流れは非常に興味深いものがある。
ニュージェネレーションで唯一シンデレラガールになっていない本田未央を今年こそ1位にすべく支持集団で投票が行われており、先日の中間発表で1位になったことは誰もが疑いようもなく、この事実は手放しで祝福されていることであろう。
その一方で非常に面白い現象も起きている。それはあの夢見りあむが3位に鎮座しているということである。そう、“あの”だ。
そもそも夢見りあむは平成31年2月7日に新しくシンデレラガールズの登場したキャラクターであり、特定のCVも実装されていない。
シンデレラガールズは人気のあるキャラクターから順番にCVが実装されるという資本主義に基づいた極めて合理的かつある種残酷的な傾向がある。
しかし、登場時からその鮮烈なキャラクターとオタクの原始的な“好き”を掻き立てるような特徴的かつ強烈なデザインで多くのプロデューサーの心を掴み、急激な人気をもって迎合された。
私の観測下では夢見りあむの参入とともにシンデレラガールズの門戸を叩いたものも決して少なくはない。
しかし、夢見りあむのパーソナリティーは既存のシンデレラキャラクターと比較して、決して手放しで称賛を得られるものではない。
人間のクズ性を煮詰めたようなキャラクターは自身の“推し”として公表し易いものではなく、支持していることを隠したくなるようなものであることもまた一つの事実なのかもしれない。
これはかのドナルド・トランプ氏の勝利した大統領選をどことなく彷彿させるようなものである。
サイレント・マジョリティの集団心理として根底に存在していた現体制への不満、怒りが彼を世界最大のリーダー国のトップへと押し上げる力学としてあった。
人間というものは集団としては非常に恐ろしい存在であり、獣である。
人間1人では大したことはできないが、集団となることで途端に爆発的な力を発揮し、世界を食らいつくし、そのまま世界を変える。
そうした革命が起きたことを私たちは知っている。そう、現在のシンデレラ選挙をとりまく状況にもそれと似た力学が存在していることを“夢見りあむ3位事件”は示した。
これは1つの革命なのだ。奇しくも4月で平成という一つの時代が終わるが、今回のシンデレラガール総選挙も結果が出る頃には令和の時代へと突入する。ポスト総選挙のシンデレラガールズは新時代の“シンデレラ元年”ともいえるだろう。
人々が心の中では何らかの変化を求めているのは至って自然なことなのかもしれない。
先ほどサイレント・マジョリティという言葉を使用したが、今回の力学の原動力になっている集団意識は何なのだろうか。
私はそれをあえて悪意と呼びたい。前述したようにシンデレラガールズの既存のキャラクターはアクが強かったり、非常に特徴的であったりはするが基本的には“いい子”である。
夢見りあむも“いい子”であるというエピソードは今後も増えてくることは予想される。
しかし、現時点ではー少なくとも登場時点で言っていることは私たちプロデューサー、ひいてはその担当アイドルを馬鹿にしたような、消費物としてみたような非常に純粋な悪意で形成されたようなものである。
ここでキーとなるのは夢見りあむ自身にアイドルに対する悪意があるかは全くわからないものであることだ。夢見りあむのアイドルへの好意は確かにあるだろう。一定のリスペクトを感じさせるような発言もある。
しかし、『アイドルは使い捨ての嗜好品』という純粋な冒涜は誤解を恐れずに言えば狂気的で原始的な悪意に満ちている。
それゆえに夢見りあむから紡がれるアイドル論は非常に興味深く、私たちプロデューサーを尖った刃で抉るように鋭い。アイドルというものは信仰されるものである。
大衆の信仰対象であり、彼女らは通常、神のように純粋に君臨するものだ。その神を純粋に否定すること、それは悪意以外の何物でもない。
神をも殺すような彼女の紡ぐアイドル論は純粋過ぎるが故に非常に冒涜的かつある種カルト的な魅力をもって私たちの目には映る。
そして、それらは最近のシンデレラガールズに反体制的な考えを持っていたようなサイレント・マジョリティの不満や怒りを鋭敏に反映させるのかもしれない。
先に夢見りあむのプロデューサーの本質として“秘密主義”を指摘したが、以上のような反体制的な考えも同様に秘匿されるべきものであろう。それは当たり前の事実である。
プロデューサーは通常コミュニティを成すものであり、人間が本来持つ協調性という意味では明らかに美徳とされない、全くもって迎合されない考えであるからである。
そのようなコミュニティでみられる田舎の村八分文化のようなものに息苦しさを感じていたプロデューサーもきっといたことであろう。
コミュニティというものは通常保守的な集団であり、それは人間が持つ協調性という美徳においては当たり前の機能であるからだ。人間は保守的な抑圧の中では必ずといっていいほど悪意を貯める生き物だ。
諸プロデューサーにおいても一度胸に手を当てて考えてみてもらいたい。
今までの環境に不満はなかっただろうか。
変化のない、いい子ちゃんごっこのような“幻想郷”は掛け値なしに素晴らしい居心地のよいものだっただろうか。
シンデレラガールズのメインストリームの中で心の中にどす黒い感情を抱いたことはないだろうか。
そうした経験の中で悪意を貯めていったプロデューサーは漠然と考えたことだろう、今回の“夢見りあむ3位事件”は変化のチャンスであると。
プロデューサーの隠された悪意は非常に醜いものだ。どす黒く、誰にも見られないように大切に大切に醸造されていった筆舌に尽くしがたいほどに汚いものだ。
上述のように夢見りあむは“人間のクズ性”を煮詰めたパーソナリティーであり、炎上をある種好ましく考えているという都合の良さもある。
この点でもそうした悪意との親和性が高いというのも挙げられるだろう。
結果として夢見りあむはサイレント・マジョリティの悪意の代弁者足りえ、“夢見りあむ3位事件”という事実として多くのプロデューサーに牙を剥いた。純粋な人気に加えて、悪意の力学が働いた夢見りあむは本当に強い。
このことを念頭に置かない限り、夢見りあむは強力な敵として立ちはだかり続けることを理解しなくてはいけない。
今、私は革命前夜に似た胸の高鳴りを感じている。
今、この瞬間アイドルマスターシンデレラガールズに変化が求められている状況だ。
心地よいけれども心のどこかでくだらないと思っている集団幻想の中に居続けるか、それとも変わっていくか。
これは呪詛だ。
見たくはないだろうか?破壊と再生を経て進化するアイドルマスターシンデレラガールズを。
今のシンデレラガールズに食傷して離れてしまったプロデューサーにこそ、この状況を楽しんでいただきたい。
ログインしなくなったシンデレラガールズとスターライトステージにログインすれば合計で2票を夢見りあむに投じることができる。
1人のアイドルに1人で入れられる票数など全体でみれば微々たるものだが、私たちが力を合わせればそれは巨大な力学になる。
きっと革命だって起こせる。ぜひ夢見りあむに投票していただきたい。
夢見りあむ、私に、いや私たちに新世界をみせてくれ。君ならできる。
最後にドナルド・トランプ氏が勝利したアメリカ合衆国大統領選を分析したイギリス独立党のナイジェル・ファラージ氏の発言でこの文章を締めたいと思う。
『負け犬たちが支配者層を打ち負かしたのだ』私たちクズの負け犬たちに幸あらんことを。ここまで読んでくださって本当にありがとう。
今、残業中なんですけどもうデスクで涙をこらえるのに必死で何もできないので気をそらすためにも自分の話を書きますね それぐらいは許される職場なんです。いいでしょう。私がすべて悪いだけの、きっといい職場なんです。
私は小学校と中学校、合計で五年間ぐらい不登校(保健室登校)でした。原因はなんだろうな。今考えてもわからないんですけど、とにかく行けなかったんですよ。なんでだろうね。
面倒くさかったんです。たぶん。鬱かなってちょっとだけ思ったりもしたけど、でも、私は当時からオタクで、ネットで動画とかを見て笑ってたからただの甘えだったのかもしれない。徹頭徹尾、甘えているだけの人間なのです。小学校の三年か四年から二年ぐらい通えなくて、六年生で復帰したけど、中学校一年でまた行けなくなりました。勉強ができないわけでも無かった。昔から地頭は良い方で、ただ集中力は無かった。何事も長く続けられなかった。極度の面倒くさがりで、家事も何も一切できなかった。
両親は、学校に行きたがらない私を叱ることもなく、いろいろ考えてくれました。なんたらスクールみたいな不登校児の集まるところに連れて行ってくれたり、カウンセラーが居る部屋に週数回だけ通うように調整してくれたり。
結果としては、私は自分の中でなんで教室に行けないかわからないまま中学の三年間を過ごして、そのまま都立のチャレンジスクールっていう学校に進学しました。都立高校で、定時制。
そこには私みたいに理由もなく学校に行けなかった人って全然いなくて、病気だとか、働かなくちゃいけないから夜間で通うとか、親が離婚してから生活が変わって学校に行けなくなったとか、たくさん理由があったんです。私はなんで自分がここに居るんだろうってちょっと思ったりもしたけど、未だに仲よく遊ぶ友達ができたのもここでした。
でも高校はやっぱり三年しかなくて、私は大学に行くことにしました。良いなと思った大学を目指して、母がこのころ癌になったのに無理して私に英語の家庭教師までつけてもらったけど、受かりませんでした。その年だけ倍率が平素の三倍ぐらい高かったんです。なんでだろう。
結局私は担任の先生の勧めで、少し遠いけど私なら絶対入れる私立大学の文学部に入ることになりました。試験はびっくりするほど簡単で、これなら中学生時代の私でも入れるな、と思いました。教科は現代文だけでした。
でもこの大学で、私は今でもたくさん遊びに行く友人ができたし、その一人は先日入籍もしました。おめでとう。
大学は面倒くさいこともたくさんあったし、さぼったりもたくさんしたけれど、たぶん楽しかったんだと思います。バイトを始めたのも大学に入ってからです。最初は友人の勧めで飲食で働いていたんですが、給料未払いで数か月で辞めました。
次に私が応募したのは、カードゲームのショップでした。ちょうど流行ってたんです。シャドバなんて出る前で、ハースストーンは一部の人しかやってないし、MTGはオンラインが全然無かったころの話です。私はろくすっぽカードゲームなんて知らないままそこに面接に行って受かりました。
仕事はたぶん楽しかったです。結局二年半ぐらいやったのかな。みんなオタクだったし、嫌な客もいたしわかんないこともいっぱいだったけど、それでもバイトって責任もなくて気楽だったし、本当に楽しかったと思う。
その時直属の上司だった男の人とは今でもなんだかんだ年に数回会って、二人で飲んだり二回ぐらい日帰り旅行したり誕生日ディズニーしたり一緒にコンサートいったりします。私たちの関係は何なのか、こうやって書きだしても未だによくわかりません。良い友人なのかな。友達以上恋人未満の関係、結構好きです。気楽だし。いい関係ですよね。
そして私はバイトと遊びと勉学と文化コンテンツで日々を過ごしました。三人しかいないゼミでひいこら卒論を書き、その間に就活をしました。
私の父は大きな会社でそれなりに能力もあって、管理職ではないけれど責任感のあるポストについています。そんな彼と日々話をしたりしているうちに、私もこの業界にしたいな、と漠然と思っていたので、そこを受けてみることにしました。一応ほかにも数社受けました。
受かったのは二社。もう一つは金融系の会社で、少し怖くて辞退しました。その時私は卒論が楽しくて、就職の方がたぶん大事なのにそんなこと全然考えてなかったんだと思います。
そうして弊社に決めました。もうゼミ以外には大学に来る予定なんてなくて、バイトばっかりしていて、オタク趣味にお金を使いたかった。早く就活を終わらせたかった。
もともと視線恐怖症なのもあって、沢山の人がいる中で自分をアピールしたりすることが怖かったのかもしれない。
私は卒論を頑張って(学部で優秀賞をもらいました)、大学を無事卒業して、弊社へ入りました。
入ってから、ああ、結構体育会系というか、業種のくせに古臭い企業だな、と思った事は事実でした。けど、父が言うにはこの業種の中小はみんなこんなものだという話だったので、特に気にしませんでした。自分にマメさが求められる事務職は向いていないと思っていたからです。
それでも今の部に配属されて、訳の分からない言葉はいっぱいだし、教えてくれる先輩の一人は私に教える片手間ずっとグラブルをやっていた。もしかしたらグラブルをやっている片手間私に色々教えてくれたのかもしれない。
今のオフィスは、弊社の大口顧客(元請け)がほぼほぼ占めているビルです。
私は二年間、同じプロジェクトで、ワーカーホリックの上司の下で仕事をしました。
上司はイエスマンだから無茶な仕事をいっぱいもらってきちゃうし、自分がワーホリだからほかの人も同じぐらい働けるとか思っていたし、謎に有り余る体力で飲み会とかにも大体参加していましたが、怒らないし、わからないというとある程度は聞いてくれたりするし、たぶんとってもいい人でした。私が生意気言っても怒りませんでした。ただ彼自身は毎月残業60時間とかいってるワーホリでした。いまでもそうです。
それでもそのプロジェクトは楽しかったです。つらいこともたくさんあったけど、愛着もありました。
なんだか身体がおかしいな、と思ったのは去年のどこかぐらいからだと思います。去年は忙しい月が数回あって、残業が40時間を超えるぐらいの月が飛び飛びに数回ありました。
昔から起きるのが早くて、朝五時とかに起きちゃっていたんですが、三時ぐらいとかに起きちゃうようになりました。
私はスマホ依存症に近いものがあって、何かあるとすぐスマホを見ちゃうんですが、それのせいもあったのかもしれません。睡眠の質がきっとどんどん悪くなっていきました。
プロジェクトは今年の春が大詰めで、みんなピリピリしてたし、急な雑務も増えました。
視界が一瞬真っ白になって、風呂場の椅子に座りこんだと気が付いたときには、身体のいろんなところが強くしびれていました。特に強かったのは手で、勝手に力強く握りしめられていて動かせませんでした。
母を呼びました。母は全裸で浅い呼吸をしながら手を強く握りしめている私のことをひどく心配してくれました。父も風呂場の外にはいてくれて、状態を調べたり、スポーツドリンクをくれたりしました。
その日は固まった手で何とか飲み物を飲んで、少ししたら回復しました。
でも、結局数日たってからも体調がすぐれず、午前半休を取って病院に行きました。
あのしびれの正体も知りたかったからです。結果は「抑うつ状態から過呼吸を引き起こしたのでは」ということでした。
お医者さんには産業医面談を受けるように言われました。私は素直にワーホリ上司へそのことを話して、午後に出社しました。
休憩スペースで面談をしました。診断の詳細、そして産業医面談というものを受けるかどうか。
受けるなら俺から上に言うよ。そういわれて、少し困りました。プロジェクトが本当に大詰めだったからです。私はその時まだ二年目のぺーぺーでしたが、そんな私でももしいなくなってしまったら困るかもしれないと思ったからです。結局上司はそのあと産業医面談の話はせずに、春からの仕事の話をされて終わりました。
その週の金曜日、私はどうしても体調がすぐれず、うまく動けなくて、会社を休みました。
私自身が、どうしてこんなにストレスを感じているかがわからなかったからです。それが仕事のせいなのか、無意識にプライベートでため込んでいたのか(その時ちょうどフォロワーとちょっとトラブルがありました)、単純に満員電車がストレスなのか、わからなかったからです。
翌週、私のところにやってきたのは課長でした。
「別に産業医面談を拒否するわけではないし、受けたいなら調整するんだけど」彼の言葉はこう続きました。「俺たちの権力より上だから、部署移動とかを指示されたら逆らえないしなあ……」
課長は私が部署を移動することになってしまった場合の人間リソースの低下を懸念していたのです。
「とりあえず、今月は今のプロジェクトを頑張って、春以降もう一度相談します」私は言いました。
もしかしたら、本当に私が居なくなったことでこのプロジェクトにクリティカルな何かが発生してしまうかもしれない。それが嫌だったのです。課長が明言してしまうことで、それが私のせいにされてしまうのも嫌だったのです。
薬を飲んでいれば出社はできました。なぜか倒れたときから咳が止まらないけれど、風邪が長引いているのだろうと思いました。
私は抗不安剤と睡眠導入剤を内科でもらっていたので、薬がなくなった時についでに咳止めの薬をもらいました。
咳止めとして飲んだ抗生剤と私の相性が悪かったのかもしれません。私は朝の満員電車の中でお姉さんに助けてもらい、途中の駅で降りて、でも歩けなくて、駅員さんに車いすに乗せられて詰め所みたいなところの長いすに横たえられ、母親が来るのを泣きながら待っていました。
母は病気です。私が高校の時からずっと治療しています。手術もしました。私なんかよりもずっと大変なのに、毎日ご飯を作ってくれて、こうして迎えに来てくれるのです。私は親不孝者でしたが、母が迎えに来てくれたので、駅から外に出ました。その日は散歩をして、会社を休みました。
体調の悪化が治りません。毎日薬を飲まないとうまく動けません。
それでも日は回るので、春から新しいプロジェクトに参画することになりました。すでにある程度進んでいるプロジェクトは初めてでした。
私はわからないなりに、以前の経験と知識を使って頑張ろうと思いました。そのプロジェクトの上長は先日面談をした課長でした。
参画してから一週間ほどした日、私は唐突に課長に仕事の依頼を受けました。
この業種において、一から自分で作ることは大して難しくはありません。今のプロジェクトの様子確認も兼ねて、大丈夫です、やります、と言いました。
どうやら課長のその認識が根本的に間違っていたらしいと知ったのは、その週末のことでした。
どうやらそれは、私が触ったことのないソフトを触って、すでに動いているシステムに「絶対にミスをすることなく」仕様追加をするというものでした。
私は困惑しました。だって自分が触ったことのないものを「ミスなく」と言われても困ります。練習ができません。経験もありません。
しかも、それは私一人でやるという話でした。ベテランの技術者が後ろについてくれると言いましたが、彼は他の仕事で忙しく、週に一回、数時間様子を見てくれるだけでした。
彼がとっても忙しいのは知っていました。だから仕方ないとは思いました。上長に聞いていた話と全然違っても、もう請けちゃったと言われたら若手にはどうすることもできませんでした。
元請けからはことあるごとに「絶対にミスは許されない」と言われました。私は状況の調査から始めました。
手順書や設計書は用意されていました。ただ、前任の会社が中途半端に撤退していたため、それが正しいかどうかの調査から始めなければなりませんでした。
けれど、私が触ったことのないソフトウェアの設計違いを、どうやって見つければいいのだろう。それはとっても疲れることでした。
上長はいつもなぜか忙しそうで、私が疲れたとか、産業医面談の話についてを問いかけることは憚られる雰囲気でした。半分炎上していたのかもしれません。プロジェクト未経験が私含め半分以上を占めていた上に、その中で唯一構築経験があった私が一人での仕事に回されてしまいました。
ポテンシャルって便利な言葉ですよね。とりあえずそう言っておけば良い感をひしひしと感じます。絶対失敗できない仕事を依頼されたなら、失敗しない人を連れてくればよかったのです。
私はそれでも何とか資料を調べて不明点を上げ連ねて、ベテランと上長との進捗報告に参加しました。訳が分からないことだらけでした。たくさんのことを言われましたが、すでに集中力が平時の半分ほどしかなくなっていた私にとって、それは呪文のようでした。半分ぐらいわかりませんでした。わかったふりをしました。
産業医面談に行けなかったので、有名な精神科のある病院の予約を取りました。その時にはもう、睡眠導入剤がないと眠れない生活になっていました。
新しい病院で、紹介状は無いんですとだけ伝えて診察を受けました。睡眠導入剤のほかに睡眠安定剤をもらいました。でも、睡眠安定剤を飲んだら昼間もものすごく眠くなってしまったので、二回しか飲めませんでした。結局抗不安剤と睡眠導入剤だけを今でも飲んでいます。飲まないと眠れないし、仕事に行けないからです。
このころから、ホームで電車に不必要に近づいてしまうようになりました。(私が使っている路線は都内なのにホームドアがないのです)無意識でした。私は死にたいのかな、と思うようになりました。
転職をすればいい、とか、周りの友人は言っていましたが、どう客観的に見たって私のメンタルが弱いだけの甘えなので、私が悪いのです。昔から私が社会や親に甘えているだけなのです。その自覚があったし、転職はとっても怖いもののように思えて仕方がありませんでした。だって自分には実力がないのです。転職活動で落とされることも怖かったです。評価されないことは、訳の分からない仕事を一人でやらされることと同じぐらい怖いことでした。
今日も偉い人たちを交えての打ち合わせがありました。私はやっぱり、「絶対にミスできない」ということを念押しで言われました。それならなぜ、ソフトウェアに触ったことがないたかが三年目の私がその仕事をしなければならないのかがわかりません。他の人にも仕事内容の相談ができません。調べても全然出てきません。他のメンバーはいろいろみんなで相談しながら前に進んでいるのに、私は自分が一つわからないことがあるだけでそこに立ち止まってしまいます。解決策がわかりません。どうすればいいかわかりません。集中力がなくて、どうすればいいかもよくわからなくなってしまいました。
少し、辛いな、と思いました。
別に残業が数百時間だとか、あまりにも激務だとか、そういうことはありません。家族はとっても優しいです。私はきちんと笑えています。両親はたくさんのことに関して理解もあります。母は自分の身体も悪くて病院に通っているのに、私が精神科に行くとき一緒についてきてくれました。
部長も課長も主任もワーホリですが、きちんとしてはいると思います。中小ですが、それなりに長く続いている、頑張っている会社です。
だから、私があまりにも社会に甘えているだけなのです。私が弱くて、今まで甘やかされてきたから、ちょっと普通なぐらいのところに来ただけで耐えられなくなっているのです。
それは悪いことだと思っています。だって私が弱いのが悪いんです。甘えなのです。でも、強くなる方法がわかりません。
どうしてこうなったんでしょう。生まれたときから弱かったのでしょうか。私はどうすればいいのでしょうか。何が悪かったのでしょうか。仕事ができないことが悪いのでしょうか。
薬を飲んでいるとお酒が飲めません。友人との飲み会も、友人が気を遣って飲み放題プランを外してくれます。気を遣って一緒にソフドリを飲んでくれようともします。
優しさが申し訳ないです。私が弱いだけなのに。私が弱くて薬を飲んでいるだけなのに。
仕事が嫌いなわけじゃありません。色々考えて、正解を導き出せたときや、トラブルを解決できた時はとっても楽しいです。
ただ、たぶん、もう一人だけいたら、こんな気分になっていなかったのかな、とは思います。自分にとって、「絶対にミスできない」一人きりの仕事が、案外つらいのでしょう。ゆとりなのです。弱いのです。世間様に甘えているから仕方がないのです。責任を一人で負いたくないのです。「わからない」と隣に相談する環境が欲しいのです。
会社の最寄りの駅にはホームドアがありません。今は想像するだけだと思ってはいますが、段々と黄色い線の向こうを歩いていってしまって、いつか飛び込んでしまったら、と思うととても怖いです。それも、私が弱いからなのでしょう。
生きたいです。オタクは楽しいし、ちゃんと毎日笑っているし、友人もいい人がいっぱいいます。でも、いつまで生きればいいのか、よくわかりません。勝手に涙が出たり、ベッドから動けなくなってしまいます。
私よりもっとつらい人はそれこそ数えきれないほどいるはずなのに、どうして自分はこんなにも弱いのか。どうしたら強くなれるのか。
なんで生きてるのか、わからないのです。
それを吐き出したかっただけなのです。