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2024-03-18

https://anond.hatelabo.jp/20240318223417

  ・ セーターを着ている

  ・ 霊界いるから、 お迎えが来ましたので・・・といった言動が多い

  ・ 平成31年における東大入試とき電話をもって経済学部事務室に移動していた

  ・ 平成30年の昼間の明るいとき志村3丁目児童遊園でみたときはどうしようもなく腐れ果てた39歳だったが、強烈な計算機で動いているため、法学部事務室にいるとき

    まともにみえ

  ・ 平成29年3月29日面会時は、 団藤重光のような設定だった

    これらの事実を考えると多分、 Mという人も昼間明るいときにみたら残念な感じなのではないかということが推測される

2023-06-02

面接クソじゃない?

返答に1週間

面接に1週間

合否に1週間

 

結果が出るまでほぼ1か月かかる。身動き取れないし、これで落ちても家賃とか払ってくれる訳じゃないじゃん。マジでクソだよね会社面接って。

底辺会社なら即日面接で明日から来てくれるかな?いいとも!とかあるかも知れんけど、一般企業だとこうも行かない。本当にクソだと思う。大したこともしてないクセにさ、なんでこんなに時間がかかるんだ。マジで家賃代位は出して欲しい。

2022-10-22

[]笑っていいとも

「お昼休みウキウキウォッチングあっちこっちそっちこっちいいとも♪」

平日昼12時、ダンサー二人のキレッキレのダンスからその番組はいものように始まった。

「どうも~~~~」

入場してきた男の名はタモリ。(ここまで書いた。以下全てAI)

 

彼こそはこの番組MCであり、同時に司会進行でもあるのだ! そんな彼は今日もまた、番組冒頭でゲストを紹介する。

本日ゲストこちらの方です!」

タモリがそう言うと、スタジオのドアから一人の男が入ってきた。

それはなんと・・・・・・「やぁ、みんな元気かい?」

「えっ!?

ちょwww

「うわぁ!!」

「マジかよ!!」

「なんでだよw」

その人物の登場に、スタジオにいる出演者全員が驚愕した。

なぜならそこには、死んだはずのあの人がいたからだ!!

「みなさんこんにちは。いやぁ久しぶりだね」

「おいおい嘘だろ・・・

「マジかよ!!」

まさかの復活!!」

「なんだよこれぇ!!」

そう、そこにいたのはかつての人気タレントにして『笑っていいとも!』のレギュラーでもあったあの人だった。そう、彼の名は・・・

「みなさんご存知ですね?では早速自己紹介をお願いします」

はい。皆さんはじめまして、私はこの度、生前の功績を称えられ名誉ある復活を遂げました。名前を改めて、『タケシ』と言います

「えー改めまして、タケシさんの自己紹介ありがとうございます。では続いて、当番組についての説明に入りたいと思います

タモリがそう言って一礼すると、再びカメラが切り替わり今度は番組のセットが現れた。

「まず最初にお伝えしておきますが、当番組視聴者参加企画となっています。なのでこれから私達がする質問に対してタケシさんには、正直に答えていただきたいのです」

はい、わかりました」

「それでは早速最初のコーナーに行きましょう。『突撃!隣の晩御飯!!』のコーナーです。これは視聴者から送られてきた食材を使って私が料理を作るというコーナーですが、今回は特別ゲストとしてタケシさんにも作ってもらいます

はい、頑張ります

「それじゃあ早速始めましょう。今宵のメニューこちらです!」

そして再びカメラが切り替わると、そこにはとある家のキッチン映像があった。

「さぁ、今回のテーマズバリ『肉』です。そこで今日使う食材はこれだァッ!!!

そう言ってタモリが大きな声で叫ぶと、画面の下から大きな肉の塊が出てきた。

「今回作るのはこの牛肉を使ったステーキです。なお、レシピに関しては調理担当シェフに任せております

タモリの紹介が終わると、いつの間にか後ろに立っていたコック姿の男が現れ、タモリの隣に立った。

「さてタケシさん、あなたが食べる分として用意したこの牛フィレ肉を見て下さい。これが普通牛肉でないことはわかっていただけたでしょうか?」

「ええ、もちろんですよ。だって私の大好物松坂牛じゃないですか」

「おっと、そこまで知ってるんですか」

「ええ、大好きだったんで」

「そうですか。ちなみにどれくらい好きだったんでしょうか?」

「そりゃもう、週1で食べないと禁断症状が出るレベルで好きです」

「ほうほう、それはすごいですね」

「ええ、実はですね、私は子供のころ両親と一緒によく海外旅行に行っていましてね。その時に食べた松坂牛があまりにも美味しくて、それからというものすっかりハマってしまいましてね」

「なるほど、そういう経緯がありましたか

「ええ、そうなんですよ」

「ところで話は変わりますけど、最近何か変わったことありませんでした?」

「変わった事ですか?まぁ、強いて言えばですね・・・あっ、そうだ!昨日面白いことがありましてね」

へぇ~どんなことがあったんですか?」

「いやそれがですね・・・

「うんうん」

・・・・・・

・・・・・・

・・・・・・

・・・

・・・あれ?どうしました?早く話してくださいよ」

・・・

・・・もしかして喋れないんですか?いやでもそんなはずないでしょ?だってついこの間まで普通に話せてたんだし」

・・・

・・・もしかして、死んじゃったとか?なわけないかだってまだ30代だし」

・・・

・・・マジかよ」

・・・

・・・

・・・

・・・

・・・

・・・

・・・

・・・

・・・マジで死んでるじゃん」

・・・

・・・

・・・

こうして、この番組は終わった。

2021-10-04

統一教会(原理研)についての個人的経験

はじめに

記事は私が大学生時代(20年ほど前)に統一教会下部組織である原理研究会(原理研)と関わった個人的経験について語るものです。それ以外の話は極力しないつもりです。

近年の統一教会活動とは必ずしもリンクしていませんし、今どんな活動をしているかは把握できていません。去年の米大統領選にまつわる騒動に関わっていたのを見て驚いたくらいです。

統一教会関係者に対する推測・意見感想等は全て私個人の考えです。

本題

私は大学生時代学生自治団体のお手伝いとしてサークル管理勧誘の見回りをする活動に参加していました。

はいっても大学側も監視はしているわけで、警察を呼ぶような事態はそちらの出番です。学生側にしかできない仕事と言えばサークル間の調整事、そしてカルト排除でした。

今はもうほとんどの大学有名無実化してしまったと思いますが、サークル活動学生自治範囲内なんですね。

具体的に何をしていたかというと、主に新歓期間などに行われる勧誘活動カルトが紛れ込んでいないかを探し、見つけたら追い払うというものです。

地下鉄サリン事件以来カルトによる大学生への勧誘は下火になっていましたが、原理研はまだ一定勢力を保っていました。

サークルには大学公認サークル非公認サークルがありどちらも勧誘活動に参加できます。ただし事前に申請を出してもらい学生団体が認可を出したサークルのみ参加を認めるというシステムです。

当時原理研名前一般に知れ渡っていましたので大抵関係なさそうな名前を装いますが、申請を出してきたらさすがに分かりますので却下します。

そこで彼らが申請することな非公認サークルを名乗り当日の喧騒に紛れ込んできたところを捕まえて、ルール違反理由に出て行ってもらう、という建付けです。

上記活動をする中で思い知ったのはカルト議論してはいけないということです。

原理研構成メンバーは主に同じ大学や近隣他大学学生です(裏に指導役の大人がいるとされます)。ただしほとんど授業には出てきません。

学生団体の詳しい人に聞いた話では、原理研勧誘成功した学生を授業に行かせないようにします。サークルバイトも辞めさせます実家にも帰らせません。

そうして外部の人間関係を絶たせたうえで信者同士マンションの一室で共同生活を営ませるという手口を取るそうです。

彼らは一日中どのように勧誘を行うか、学生団体大学当局監視を逃れるか、自己正当化を行うかといったテーマについて話し合います

同じ大学入学できるわけですから、私と同じくらいの知能を持った人達です。その人達がずっと相手を言いくるめることを考えて過ごすのです。はっきり言って議論したら負けます。今でいうひろゆき的な手法による負けで、煙に巻かれるような感じですが。

から議論はしない。有無を言わさず追い出すことにしていました。こんな感じです。

原理研「他にも勝手にビラを配っているサークルがあるだろう。なぜ我々だけを狙い撃ちにするのか」

私「そうですね。でもあなた方は違反なので出ていってください」

原理研「なぜ我々を排除するのか。日本には信教の自由があり大学もそれを認めている」

私「そうですね。でもあなた方は違反なので出ていってください」

原理研「お前ら学生団体の中には共産党シンパ(※民青)がいるだろう。あいつらは良くて我々は駄目なのか。おかしいではないか

私「そうですね。でもあなた方は違反なので出ていってください」

原理研人達バイトを辞めさせられたうえに仕送りお布施として絞り取られます

さらには外との接触機会を減らすためか外出もあまりしないようで、皆健康的な生活を送れているようには見えません。

可哀想だなと思いますが、私の目的議論に勝つことでも説得することでもなく新入生を原理研接触させないことです。何を言ってきても相手にしないことを心掛けました。

目的信者洗脳を解き脱会させることだったらこなのは駄目ですね。そうした活動従事されている方々を尊敬します。

どの程度効果があったかは正直言って分かりません。私を含む見回りメンバー発見できた際には勧誘を阻止できたとは言えますが、相手は手を変え品を変えやってきますので全てには対応できなかったでしょう。

バラバラに別れて個人として見学名目で入って来たり大学の外で勧誘されたりすると追い出す正当な理由がありません。

(これは余談ですが、わざわざキャンパス外で勧誘している人達にはそうする理由があります宗教以外にも色々なのがいます相手にしないことをお勧めします)

とはいえ何年かすると原理研の名を聞くことも少なくなり、大学カルトを厳しく警戒する必要性は薄れました。私も少しは貢献できていれば嬉しく思います

なぜカルト排除に参加することにしたか

入学当時に入居した学生専用マンションの隣人が洗脳されてしまたこと、実は私自身が勧誘を受け結構危なかったことが理由です。

原理研に限らないと思いますカルト目的を隠して近づいてきます。隣人は偽サークル新歓コンパ等をきっかけに徐々に囲い込まれるというよくあるルートを辿ったようです。

私はバイト募集と言われて応募用紙を渡され、連絡先を記入してしまったため後日面接と称して呼び出されました。

ところが「とにかく会いたい」といった調子目的曖昧かつ場所個人宅だったためこれはおかしいと気付き、呼び出しを拒否することで事無きを得ました(そのため相手原理研だったかどうかは実は不明なのですが、おそらくはそうでしょう)。

隣人とは知り合い程度の仲だったのであまり詳しい経緯は知りませんが、最初飲み会に誘われる程度だったのが次第に信者が共同生活を送るマンションに通うようになったようです。

いつしか大学でもマンションでも顔を合わせることがなくなり、どうしたんだと思っているうちに自室も引き払っていなくなってしまいました。おそらく共同生活用のマンションに移り住んだのだと思います

その後、一度だけ隣人(そのときは元隣人)から勧誘を受け断りました。

文章にしてしまえばこの程度ですが、当時の私はショックでした。誰かが気づいていれば止められたのではないかと。

そう思っていたところに学生自治に参加する機会があり、ならばと手伝うことにした(正規自治会員ではなく非正規の手伝い)という流れです。

2021-09-12

煽り運転野郎って頭がおかしのしかいない。

散々車間詰めて煽ってきてたのに

ドラレコカメラ存在を見つけた途端に、スピードダウンしていく様を見て、マジで頭悪いなって笑ったわ。

そういう車を何台も見てきたが、あいつら病気だろ?

バカっていう病気。というか、バカに失礼だな。

バカにもなれないゴミか。

そんなゴミが昨日面白いことを起こした。

煽ってきてドラレコカメラを見つけてスピードダウンし始めた頃に、パトロールしてたパトカーに捕まってんの。笑ったわ。久々に痛快だった。

やっぱアイツラはゴミだわ。警察ゴミ掃除ご苦労さまです。

2021-08-09

男も女も等しくウザいだろ

二人で組んで仕事する際「私頭痛持ちなんで〜」と弱者アピールしてくる女

薬飲んで仕事してるから何?

周囲に甘えるくらいなら休めやボケ

ミス指摘したら、「私異動してきたばかりなんで〜」と言い訳するクソ女

は?こっちも新卒から配属されたけど周囲への確認怠らずミス未然に防いだぞ

社会人なら当り前だろうが。そこに新規参入者、古参の違いは無い

お前が雑な仕事したせいで、何日面倒被ったか分かってんのか?何でコッチが下手に出る必要があるんだ糞が

お前らは糞の寄せ集めかよ、どいつもこいつもカス

大体労働カス

2021-02-03

このままだと新卒生活保護受給者なっちゃうよ〜

 4年制名門女子大に通う、2級手帳持ち統合失調症患者です。人生どうしようもないので現状を書きます

 1年生から4年生にかけて地元東京都)の居酒屋塾講師コンビニ店員など30店以上アルバイト面接を受け、全て落ち、メイドカフェアルバイト格安風俗で働いて稼いでいました。

 しかし、大学4年生の時に統合失調症わずらって自殺未遂リストカットアルコール薬物依存をしていたため大学スクールカウンセラー室を出禁になりました。それから1年精神科閉鎖病棟入院し、退院して今就職活動中です。

 退院してから4月〜6月当初は一般雇用で1社某大手の最終選考まで進んでいたのですが落ちてしまい、それから障がい者雇用視野に入れてハローワーク担当にまるで赤ちゃんみたいな接し方をされながらも探していました。同時期に就活エージェントを利用し、障がい者であるということを事前に伝えていただく形で6月12月まで掛け持ちで100社以上受けたものの、1社から内定を貰えずにいまに至ります

 春から学校卒業した後は、親からの援助がなくなってしまう上、年齢も年齢なので風俗も厳しくなってきてはいるので生活に困ってしまうので障がい者年金受給しようとするも、国から拒否されてしまいました。最後の砦としてB型就労継続支援という障がい者継続して働くための施設(工賃が支払われる)で働こうと先日面接に行ったものの、お祈りされてしまいました。

 しかも両親も身体が悪くてこれ以上頼れません。

このままだと新卒生活保護受給者になっちゃうよ〜助けて〜

2021-01-28

anond:20210128121005

普通に情報を追っている人には自明だけど、それほぼデマだよね。

メディアの悪質な切り取り。

ていうか、なんで研究者専門家が、言葉尻まで気を遣わなければいけないわけ?

正確に伝えるのは、政治家メディア仕事でしょ。

日和ったというけど、時の政権真正から喧嘩したらどうなるのかのほうを考えて欲しいよね。

喧嘩したら、それをマスコミが連日面おかし報道して、

感染対策現場もそれに振り回されることになっていたはず。

しかし、本来隠居していていいはずの、

経験も実績も俺たちとは桁違いの80近い人を、

平気で叩ける神経というのがよくわからいね

2021-01-05

anond:20210105194151

あくまブロックした人は常識範囲内でのSNS利用を想定して自衛手段として用意された機能をただ使っただけという理解です

そのとおりなのだと思いますが、もうちょっと踏み込んでみるとブロックされるほうはそういう気持ちを持っているということには理解が及ばないものかと考える次第です

これまでの一連眺めていただけるとおわかりでしょうが無差別ブロックしてるほうが危険が及ぶ確率高まるような気はしま

見たくない面識のないアカウントブロックする→見なくて済む(ブロックしているほう)

ある日面識のないアカウントから突然ブロックされてることを知る→もにょるブロックされてるほう)

この流れですが、「あたおか」らしいブロックされてるほうが「あたおか」らしい行動をするきっかけにはなりやすいんじゃないかなと思うのですよ

ある日面識のないアカウントから突然ブロックされてることを知る→もにょる

から

もにょる→泣き寝入る

もにょる→ブチ切れる

ってのは紙一重だよなと

よりブチ切れるひとを煽る行為しかならないような気はするんですよね

実際にどれだけそういうことが起こってるのかわかりませんが

「やろうと思えば」(やってませんが)どれだけでも行動に移すことができるじゃないですか(やってませんよ)

実際にどれだけそういうことが起こっているのかわかりませんが(やってませんよ)(やってませんよ)

ブロック通報がメインの仕事アカウントに「それ」をする気は起こりませんが、「あたおか」だからブロックする人はブロックされる側からも「あたおか」と思われてる可能性は高いから。

ただ、たとえばツイートがバズっててちゃんとした内容をツイートしてそうだと思うものブロックされているから読めないと思うともにょるの先を考えるのも仕方ないじゃないですか

それが今回の書き込みです

2020-09-08

1週間で2回ウンコ漏らした

一回目は、就職活動面接前にいきなり漏らした。

全くのいきなり、立ってただけだが、いきなり漏らした。

体調不良と言って、後日面接をしてもらって事なきを得たが、スーツがグショグショになった。

  

二回目は、ついさっき。

少し笑ったらウンコ漏らした。

  

体調が悪いってのはあったんだけど、どうして漏らすという症状になったのか。

いきなりウンコ漏らすの怖すぎる。

2020-09-05

面接

「昨日面接した方はこういうことができるって言われたんですけど、あなたできます?」とかそういう他に面接した人を引き合いに出す面接

うその方にお決めになったらよろしいのでは?って返すと怒るのなんでだろな

2019-04-25

長い話

今、残業中なんですけどもうデスクで涙をこらえるのに必死で何もできないので気をそらすためにも自分の話を書きますね それぐらいは許される職場なんです。いいでしょう。私がすべて悪いだけの、きっといい職場なんです。

私は小学校中学校、合計で五年間ぐらい不登校保健室登校)でした。原因はなんだろうな。今考えてもわからないんですけど、とにかく行けなかったんですよ。なんでだろうね。

面倒くさかったんです。たぶん。鬱かなってちょっとだけ思ったりもしたけど、でも、私は当時からオタクで、ネット動画とかを見て笑ってたからただの甘えだったのかもしれない。徹頭徹尾、甘えているだけの人間なのです。小学校の三年か四年から二年ぐらい通えなくて、六年生で復帰したけど、中学校一年でまた行けなくなりました。勉強ができないわけでも無かった。昔から地頭は良い方で、ただ集中力は無かった。何事も長く続けられなかった。極度の面倒くさがりで、家事も何も一切できなかった。

両親は、学校に行きたがらない私を叱ることもなく、いろいろ考えてくれました。なんたらスクールみたいな不登校児の集まるところに連れて行ってくれたり、カウンセラーが居る部屋に週数回だけ通うように調整してくれたり。

結果としては、私は自分の中でなんで教室に行けないかからないまま中学の三年間を過ごして、そのまま都立チャレンジスクールっていう学校に進学しました。都立高校で、定時制

そこには私みたいに理由もなく学校に行けなかった人って全然いなくて、病気だとか、働かなくちゃいけないから夜間で通うとか、親が離婚してから生活が変わって学校に行けなくなったとか、たくさん理由があったんです。私はなんで自分がここに居るんだろうってちょっと思ったりもしたけど、未だに仲よく遊ぶ友達ができたのもここでした。

学校は楽しかった。

でも高校はやっぱり三年しかなくて、私は大学に行くことにしました。良いなと思った大学を目指して、母がこのころ癌になったのに無理して私に英語家庭教師までつけてもらったけど、受かりませんでした。その年だけ倍率が平素の三倍ぐらい高かったんです。なんでだろう。

結局私は担任先生の勧めで、少し遠いけど私なら絶対入れる私立大学文学部に入ることになりました。試験はびっくりするほど簡単で、これなら中学時代の私でも入れるな、と思いました。教科は現代文だけでした。

でもこの大学で、私は今でもたくさん遊びに行く友人ができたし、その一人は先日入籍しました。おめでとう。

大学は面倒くさいこともたくさんあったし、さぼったりもたくさんしたけれど、たぶん楽しかったんだと思いますバイトを始めたのも大学に入ってからです。最初は友人の勧めで飲食で働いていたんですが、給料未払いで数か月で辞めました。

次に私が応募したのは、カードゲームショップでした。ちょうど流行ってたんです。シャドバなんて出る前で、ハースストーン一部の人しかやってないし、MTGオンライン全然無かったころの話です。私はろくすっぽカードゲームなんて知らないままそこに面接に行って受かりました。

仕事はたぶん楽しかったです。結局二年半ぐらいやったのかな。みんなオタクだったし、嫌な客もいたしわかんないこともいっぱいだったけど、それでもバイトって責任もなくて気楽だったし、本当に楽しかったと思う。

その時直属の上司だった男の人とは今でもなんだかんだ年に数回会って、二人で飲んだり二回ぐらい日帰り旅行したり誕生日ディズニーしたり一緒にコンサートいったりします。私たち関係は何なのか、こうやって書きだしても未だによくわかりません。良い友人なのかな。友達以上恋人未満の関係結構好きです。気楽だし。いい関係ですよね。

そして私はバイトと遊びと勉学と文化コンテンツで日々を過ごしました。三人しかいないゼミでひいこら卒論を書き、その間に就活しました。

弊社は、確か私の学校に来ていたうちの一つだったと思います

私の父は大きな会社でそれなりに能力もあって、管理職ではないけれど責任感のあるポストについています。そんな彼と日々話をしたりしているうちに、私もこの業界にしたいな、と漠然と思っていたので、そこを受けてみることにしました。一応ほかにも数社受けました。

受かったのは二社。もう一つは金融系の会社で、少し怖くて辞退しました。その時私は卒論が楽しくて、就職の方がたぶん大事なのにそんなこと全然考えてなかったんだと思います

そうして弊社に決めました。もうゼミ以外には大学に来る予定なんてなくて、バイトばっかりしていて、オタク趣味お金を使いたかった。早く就活を終わらせたかった。

もともと視線恐怖症なのもあって、沢山の人がいる中で自分アピールしたりすることが怖かったのかもしれない。

私は卒論を頑張って(学部で優秀賞をもらいました)、大学を無事卒業して、弊社へ入りました。

入ってから、ああ、結構体育会系というか、業種のくせに古臭い企業だな、と思った事は事実でした。けど、父が言うにはこの業種の中小はみんなこんなものだという話だったので、特に気にしませんでした。自分マメさが求められる事務職は向いていないと思っていたからです。

それでも今の部に配属されて、訳の分からない言葉はいっぱいだし、教えてくれる先輩の一人は私に教える片手間ずっとグラブルをやっていた。もしかしたらグラブルをやっている片手間私に色々教えてくれたのかもしれない。

今のオフィスは、弊社の大口顧客(元請け)がほぼほぼ占めているビルです。

私は二年間、同じプロジェクトで、ワーカーホリック上司の下で仕事しました。

上司イエスマンから無茶な仕事をいっぱいもらってきちゃうし、自分ワーホリからほかの人も同じぐらい働けるとか思っていたし、謎に有り余る体力で飲み会かにも大体参加していましたが、怒らないし、わからないというとある程度は聞いてくれたりするし、たぶんとってもいい人でした。私が生意気言っても怒りませんでした。ただ彼自身は毎月残業60時間かいってるワーホリでした。いまでもそうです。

それでもそのプロジェクトは楽しかったです。つらいこともたくさんあったけど、愛着もありました。

なんだか身体おかしいな、と思ったのは去年のどこかぐらいからだと思います。去年は忙しい月が数回あって、残業が40時間を超えるぐらいの月が飛び飛びに数回ありました。

から起きるのが早くて、朝五時とかに起きちゃっていたんですが、三時ぐらいとかに起きちゃうようになりました。

私はスマホ依存症に近いものがあって、何かあるとすぐスマホを見ちゃうんですが、それのせいもあったのかもしれません。睡眠の質がきっとどんどん悪くなっていきました。

プロジェクトは今年の春が大詰めで、みんなピリピリしてたし、急な雑務も増えました。

ある日、一度、風呂場で痙攣のような現象を起こしました。

視界が一瞬真っ白になって、風呂場の椅子に座りこんだと気が付いたときには、身体のいろんなところが強くしびれていました。特に強かったのは手で、勝手に力強く握りしめられていて動かせませんでした。

母を呼びました。母は全裸で浅い呼吸をしながら手を強く握りしめている私のことをひどく心配してくれました。父も風呂場の外にはいてくれて、状態を調べたり、スポーツドリンクをくれたりしました。

その日は固まった手で何とか飲み物を飲んで、少ししたら回復しました。

でも、結局数日たってからも体調がすぐれず、午前半休を取って病院に行きました。

のしびれの正体も知りたかたからです。結果は「抑うつ状態から過呼吸引き起こしたのでは」ということでした。

医者さんには産業医面談を受けるように言われました。私は素直にワーホリ上司へそのことを話して、午後に出社しました。

休憩スペースで面談しました。診断の詳細、そして産業医面談というものを受けるかどうか。

受けるなら俺から上に言うよ。そういわれて、少し困りました。プロジェクトが本当に大詰めだったからです。私はその時まだ二年目のぺーぺーでしたが、そんな私でももしいなくなってしまったら困るかもしれないと思ったからです。結局上司はそのあと産業医面談の話はせずに、春から仕事の話をされて終わりました。

その週の金曜日、私はどうしても体調がすぐれず、うまく動けなくて、会社休みました。

もう一度産業医面談の話をしました。

私自身が、どうしてこんなにストレスを感じているかがわからなかったからです。それが仕事のせいなのか、無意識プライベートでため込んでいたのか(その時ちょうどフォロワーちょっとトラブルがありました)、単純に満員電車ストレスなのか、わからなかったからです。

翌週、私のところにやってきたのは課長でした。

別に産業医面談拒否するわけではないし、受けたいなら調整するんだけど」彼の言葉はこう続きました。「俺たちの権力より上だから部署移動とかを指示されたら逆らえないしなあ……」

課長は私が部署を移動することになってしまった場合人間リソースの低下を懸念していたのです。

「とりあえず、今月は今のプロジェクトを頑張って、春以降もう一度相談します」私は言いました。

しかしたら、本当に私が居なくなったことでこのプロジェクトクリティカルな何かが発生してしまうかもしれない。それが嫌だったのです。課長が明言してしまうことで、それが私のせいにされてしまうのも嫌だったのです。

薬を飲んでいれば出社はできました。なぜか倒れたときから咳が止まらないけれど、風邪が長引いているのだろうと思いました。

私は抗不安剤睡眠導入剤を内科でもらっていたので、薬がなくなった時についでに咳止めの薬をもらいました。

そうしたら、電車で倒れてしまいました。

咳止めとして飲んだ抗生剤と私の相性が悪かったのかもしれません。私は朝の満員電車の中でお姉さんに助けてもらい、途中の駅で降りて、でも歩けなくて、駅員さんに車いすに乗せられて詰め所みたいなところの長いすに横たえられ、母親が来るのを泣きながら待っていました。

母は病気です。私が高校の時からずっと治療しています。手術もしました。私なんかよりもずっと大変なのに、毎日ご飯を作ってくれて、こうして迎えに来てくれるのです。私は親不孝者でしたが、母が迎えに来てくれたので、駅から外に出ました。その日は散歩をして、会社休みました。

体調の悪化が治りません。毎日薬を飲まないとうまく動けません。

それでも日は回るので、春から新しいプロジェクトに参画することになりました。すでにある程度進んでいるプロジェクトは初めてでした。

私はわからないなりに、以前の経験知識を使って頑張ろうと思いました。そのプロジェクト上長は先日面談をした課長でした。

参画してから一週間ほどした日、私は唐突課長仕事の依頼を受けました。

曰く、新しく仕事必要ものを一から作るのだと。

この業種において、一から自分で作ることは大して難しくはありません。今のプロジェクトの様子確認も兼ねて、大丈夫です、やります、と言いました。

どうやら課長のその認識根本的に間違っていたらしいと知ったのは、その週末のことでした。

どうやらそれは、私が触ったことのないソフトを触って、すでに動いているシステムに「絶対ミスをすることなく」仕様追加をするというものでした。

私は困惑しました。だって自分が触ったことのないものを「ミスなく」と言われても困ります練習ができません。経験もありません。

しかも、それは私一人でやるという話でした。ベテラン技術者が後ろについてくれると言いましたが、彼は他の仕事で忙しく、週に一回、数時間様子を見てくれるだけでした。

彼がとっても忙しいのは知っていました。だから仕方ないとは思いました。上長に聞いていた話と全然違っても、もう請けちゃったと言われたら若手にはどうすることもできませんでした。

元請けからはことあるごとに「絶対ミスは許されない」と言われました。私は状況の調査から始めました。

手順書や設計書は用意されていました。ただ、前任の会社中途半端撤退していたため、それが正しいかどうかの調査から始めなければなりませんでした。

けれど、私が触ったことのないソフトウェアの設計違いを、どうやって見つければいいのだろう。それはとっても疲れることでした。

上長はいつもなぜか忙しそうで、私が疲れたとか、産業医面談の話についてを問いかけることは憚られる雰囲気でした。半分炎上していたのかもしれません。プロジェクト経験が私含め半分以上を占めていた上に、その中で唯一構築経験があった私が一人での仕事に回されてしまいました。

ベテランはしきりに「ポテンシャルを見込んで」と言いました。

ポテンシャルって便利な言葉ですよね。とりあえずそう言っておけば良い感をひしひしと感じます絶対失敗できない仕事を依頼されたなら、失敗しない人を連れてくればよかったのです。

私はそれでも何とか資料を調べて不明点を上げ連ねて、ベテラン上長との進捗報告に参加しました。訳が分からないことだらけでした。たくさんのことを言われましたが、すでに集中力平時の半分ほどしかなくなっていた私にとって、それは呪文のようでした。半分ぐらいわかりませんでした。わかったふりをしました。

産業医面談に行けなかったので、有名な精神科のある病院の予約を取りました。その時にはもう、睡眠導入剤がないと眠れない生活になっていました。

新しい病院で、紹介状は無いんですとだけ伝えて診察を受けました。睡眠導入剤のほかに睡眠安定剤をもらいました。でも、睡眠安定剤を飲んだら昼間もものすごく眠くなってしまったので、二回しか飲めませんでした。結局抗不安剤睡眠導入剤だけを今でも飲んでいます。飲まないと眠れないし、仕事に行けないからです。

このころからホーム電車に不必要に近づいてしまうようになりました。(私が使っている路線都内なのにホームドアがないのです)無意識でした。私は死にたいのかな、と思うようになりました。

転職をすればいい、とか、周りの友人は言っていましたが、どう客観的に見たって私のメンタルが弱いだけの甘えなので、私が悪いのです。昔から私が社会や親に甘えているだけなのです。その自覚があったし、転職はとっても怖いもののように思えて仕方がありませんでした。だって自分には実力がないのです。転職活動で落とされることも怖かったです。評価されないことは、訳の分からない仕事を一人でやらされることと同じぐらい怖いことでした。

今日も偉い人たちを交えての打ち合わせがありました。私はやっぱり、「絶対ミスできない」ということを念押しで言われました。それならなぜ、ソフトウェアに触ったことがないたかが三年目の私がその仕事をしなければならないのかがわかりません。他の人にも仕事内容の相談ができません。調べても全然出てきません。他のメンバーはいろいろみんなで相談しながら前に進んでいるのに、私は自分が一つわからないことがあるだけでそこに立ち止まってしまます解決策がわかりません。どうすればいいかわかりません。集中力がなくて、どうすればいいかもよくわからなくなってしまいました。

少し、辛いな、と思いました。

別に残業が数百時間だとか、あまりにも激務だとか、そういうことはありません。家族はとっても優しいです。私はきちんと笑えています。両親はたくさんのことに関して理解もあります。母は自分身体も悪くて病院に通っているのに、私が精神科に行くとき一緒についてきてくれました。

部長課長主任ワーホリですが、きちんとしてはいると思います中小ですが、それなりに長く続いている、頑張っている会社です。

から、私があまりにも社会に甘えているだけなのです。私が弱くて、今まで甘やかされてきたから、ちょっと普通なぐらいのところに来ただけで耐えられなくなっているのです。

それは悪いことだと思っていますだって私が弱いのが悪いんです。甘えなのです。でも、強くなる方法がわかりません。

どうしてこうなったんでしょう。生まれときから弱かったのでしょうか。私はどうすればいいのでしょうか。何が悪かったのでしょうか。仕事ができないことが悪いのでしょうか。

薬を飲んでいるとお酒が飲めません。友人との飲み会も、友人が気を遣って飲み放題プランを外してくれます。気を遣って一緒にソフドリを飲んでくれようともします。

優しさが申し訳ないです。私が弱いだけなのに。私が弱くて薬を飲んでいるだけなのに。

仕事が嫌いなわけじゃありません。色々考えて、正解を導き出せたときや、トラブル解決できた時はとっても楽しいです。

ただ、たぶん、もう一人だけいたら、こんな気分になっていなかったのかな、とは思います自分にとって、「絶対ミスできない」一人きりの仕事が、案外つらいのでしょう。ゆとりなのです。弱いのです。世間様に甘えているから仕方がないのです。責任を一人で負いたくないのです。「わからない」と隣に相談する環境が欲しいのです。

会社の最寄りの駅にはホームドアがありません。今は想像するだけだと思ってはいますが、段々と黄色い線の向こうを歩いていってしまって、いつか飛び込んでしまったら、と思うととても怖いです。それも、私が弱いからなのでしょう。

お母さんのごはんもっと食べたいです。

お父さんともっとお酒を飲みたいです。

生きたいです。オタク楽しいし、ちゃん毎日笑っているし、友人もいい人がいっぱいいます。でも、いつまで生きればいいのか、よくわかりません。勝手に涙が出たり、ベッドから動けなくなってしまます

私よりもっとつらい人はそれこそ数えきれないほどいるはずなのに、どうして自分はこんなにも弱いのか。どうしたら強くなれるのか。

なんで生きてるのか、わからないのです。

それを吐き出したかっただけなのです。

2019-04-18

面接ドライブデートにしよ〜〜よ

面接のために改めて自己分析をしているが

自己分析すればするほど自分がわっけわかんなくなる…

しかもこれいざ話すときはまた違う内容になるんだよな〜〜その場の雰囲気とかで

もう、私が車出すから日面接官の時間欲しい

ドライブに連れてって、お気に入りジェラート屋とか展望台とかダムとか本屋とか、私の好きな場所に連れて行きたい

道中自分がどんな学生時代を過ごしたか最近ハマっていることは何か、いろいろ話したりしながら

屋内で対面で話すよりかは車内で前向いて運転しながら話す方が自分を出せる気がする

も〜面接とかやめてドライブ行こうぜ

2018-05-13

就活生は祈られても何も思わないでほしい

ストレスで久々の休みに一日中寝てた。泥酔しているので勢いで書く。

人事の採用担当になって一年目。

新卒採用はクソ。

諸般の事情で、自分自身中途採用しか就活したことがない。

今年から新卒採用担当することになった。

社内のジョブローテーションの関係でそうなっただけで、希望したわけではない。

はいえ唯々諾々と何も考えないでそれを受け入れた。

今では後悔している。

しかし若手なのもあり、社内の評価のために唯々諾々と前の担当者の引継ぎ通りに業務をしている。

クソだ。

結局(全部とは言わない、自分で考える能のない多数の凡庸な)企業は、就活業界ビジネスに概ね踊らされているように見える。

踊らされる企業と踊らされる学生マッチポンプ

といっても就活業界ビジネスを展開しているナントカナビとかそういうのが悪いかというとそうではないと思う。

何が悪いんだろうな。

たぶん自分の頭で考えて考えたことを実行しない(俺も含めた)全部が悪いんだろう。

まあそんなことはどうでもいい。

書きたかったのは、表題のとおり、就活生は祈られても何も思わないでほしいってことだ。

採用担当するようになって、大量の学生審査して、選ぶ作業をするようになった。

最終面接とかはもっと上の人間にやってもらうから、直接落としたり通したりするのは、

書類選考とか、一次面接とか、グループディスカッションとかそういう奴だ。

正直、クソ忙しい中で、書類を見るだけでは、または10分とか20分とか喋る(あるいは喋るのを眺める)だけでは、何も分からない。

書類だったら、もうまとめて学歴(など)で落としていくしか統一的な基準」として自分上司を納得させる方法がない。

なんか一生懸命に心を込めて考えたんだろうと感じられる自由記載みたいのを見かけることもあって、心を動かされることがあっても、

それだけ通すことはできない。説明がつかないから。

面接に関しては、たった数十分話すだけだ。何も分からない。

真摯に誠実に話せばわかってくる、とか嘯く奴もいるが、

こっちだって本当に誠実に話せているかと聞かれたら、首を縦には振れない。

言えないことだってあるし、落とさないといけない後ろめたさもある。そうだろ?

一方で学生だって化かしに来る。

それは当然だし、化かす能力がある人間なら入社いただいて何の問題もない。

でも入社した後も社内を化かし続けられない人間入社してしまったときには、

社内で「あいつを入社させたのは誰だ」ということになる。

そんなもん判断つくか。つくわけない。

それに、特に嫌いなのがグループディスカッションで、あれは一緒に入るメンバーによって表出する人格に違いが出過ぎる。

評価も周りのメンバーによって全く変わってくる。

しかも、積極的発言する人を評価すると言いながら、明らかに無理して頑張ってる学生を「協調性がない」と評価したりする。

クソofクソだ。

社内で「わからんから顔の好みで選んでる」と公言してる面接官も知ってる。

公言してないだけでそういう面接官も一定数いるんじゃないかと思う。

当然、どの程度の割合人間をこのタイミングで落とさないといけないかというのが決まっていたりもするので、

相対評価で落ちる学生が出てくる。

その日面接した中に落としたい学生がいなくても、落とす学生を選ばないといけない。

もちろん一応、こういう人間を落とす、通す、という基準はある。

でも、正直あん基準はクソの役にも立たない。

「こういう基準採用をしています」というのを社内の上の人間に納得してもらうためにあるだけだ。

ちなみに(就活ノウハウ本とかにもよく書いてあるが)その基準が知りたかったら、

その会社採用webページに出てる「当社の求める人材」とかそういうのを見ればいい。

まあ大体どこも書いてること似たようなもんだけど。

正直、自分としては、とにかく(少なくとも普通以上に見える奴は)落としたくない。

学生からしてみたら人生選択必死なんだ。

そうじゃない余裕な奴もいるかもしれないけど、

多数の学生自分が何したいかって言われても良く分からないまま一生懸命受けに来て、

内定が出るか出ないか自分市場価値を賭けてるんだ。

俺は新卒就活したことないが、それくらいの想像はつく。

そういう学生を、「よくわからんな」とか言いつつ、鉛筆を転がすみたいにして選別していく。

もうたくさんだ、と何回も思った。

社内にはそれを楽しそうに、「あの学生はこうだった、ああだった」と言いながら自信満々にやってる奴もいるから、

俺が向いてないだけなのかもしれない。

このストレスに耐えられそうにない。

からせめて増田で、「祈られても何も思わないでほしい」と学生懺悔する。

ここまで書いたことはあくま自分の勤めてる会社の話で、どのくらい普遍性があるのかは分からない。

でも、企業がお祈りを出した場合でも、決してそれは学生個人能力とか人格否定してるわけではない、

ということを、上に書いたクソみたいな実情で少しでも実感してもらえたらと思う。

落とす時も「まあ落とすほどではないんだけどな」と思いながら落としている時もあるし(むしろそちらの方が多い)、

「この学生はうちには向いてなさそうだけど○○な会社なら向いてそうだな」と思いながら落とす時だってある

(またこのへんをフィードバックしないのがうちの会社のクソなところだ)。


決して学生の皆様を否定してるわけではない。

それが伝わるようなやり方で採用活動ができていないのは、多分ひとえに企業の手落ちで、そんな会社には入らなくて正解なんだと思う。

そう思って、祈られてもなるべくがっかりしないでほしい。

「そうはいっても祈られ続けてサラリーマンになりたいのになれない」って人は、小手先テクニックを磨いてください。

テクニックがつけば面接官は騙せます

弱い自分言い訳ばかりですまない。

最後一言、まあ意識高い学生はもうやってるのかもしれないけど、

就活必勝情報仕入れたいなら、就活生向けの情報を漁るよりも人事の採用担当者向けの情報を漁った方が利益率高いと思う。

2018-04-14

書きなぐりたくなる稀によくある話。

私は性格はとてもネガティブ。頭も顔もスタイルは中の中といったところだ、決して美人ではないがブスでもない。キツめな顔立ちだがそれなりに告白もされたし結婚を申し込まれたこともある。ごくごく平凡だ。そしてとても親不孝者だ。

父は既に他界した。

記憶にある限り父は働き通しの人だった。成人式一般的な家庭では記念に家族写真を撮るだろう、我が家でもそうだった。しかし私は写真を撮るとき笑顔が作ることが出来ない。どうしてかいからかは分からない。自分が醜いと心の底から理解したときなのだろうか。他人からの世辞も鳥肌が立つし告白言葉友達言葉もどうせ嘘だろうと受け止められない、そういう捻くれた心のせいなのか自分笑顔吐き気を感じる。当然のように「ハイ、笑って」と言われる写真は心底苦手なものだ。振袖を着て、ドレスアップした家族写真館に連れて行かれたとき私は笑顔を浮かべることがどうしてもどうしても出来なかった。頬が引き攣り動悸が激しくなり涙が溢れた。一生に一度の記念写真を撮ることすらままならない。写真館のスタッフ家族困惑したことだろう。写真が嫌いなことを知っている母でさえそれ程とは思っていなかったのだろう、自分まで涙を浮かべていた。本当に申し訳ない。どうして笑えないのか、どうしてそんなことも出来ないのか。そんな当たり前のことも出来ない自分に情けなさと悔しさと悲しさと全てで苦しかった。結局安くない代金を支払い、記念となるはずだったそのアルバム家族の誰も受け取りに行っていない。もし私が普通の子たちのようにカメラ普通に笑うことさえ出来れば普通撮影を終えることが出来ていたのなら、仕事ばかりであまり写真のない父の遺影になっていたかもしれない。遺影写真を母と探したときにひっそりと申し訳なさで涙が出た。仲が良い家族とは言えなかったが大きくなってから家族写真は本当に一枚もない。

両親どちらの祖父祖母も既に他界している。

親の兄弟含めても私が初孫だった。だから一番に甘やかされさぞ可愛がられたことだろう。姑に少しいびられていた母から私がどんなに祖父祖母から甘やかされ放題だったかという話を思い出話とセットで昔よく聞いた。みんな私の結婚式に出たいと孫の顔がみてみたいと言っていた免許を取ったらドライブに連れていって欲しいと言っていた。私が心配だと言っていた。最後を看取ることは出来たがみんな意識が戻らぬ状態のまま亡くなったので誰とも最期言葉を交わすことはなかった、父とも。もし言葉を掛ける時間があったとして、私に何か声を掛けることが出来ただろうか。父の遺品整理ときに常に持っていた財布から私が子供の頃に書いた手紙を見つけた。頭が痛くなるほど泣いた。なんて親不孝者なんだろう。

母はまだ元気に笑っているが私は彼女申し訳ない気持ちしかない。

彼女は賢くはないが明るくよく笑い周囲に気を使うことが出来る。カウンターで隣り合わせになった相手ともすぐに打ち解けられ店員とも友達になるようなタイプ。そんな彼女子供が大好きだ、から彼女自身も早くに結婚して子供を産んだ。私にも学生の頃から貴女の子供が出来たら可愛い子供が出来たらいつでも面倒見るからねとあれがしたいこれがしたいと話をされ、同級生の誰ちゃん赤ちゃん産んだみたい抱っこさせてもらった可愛かったよと笑顔で話をされる度に私は子供きじゃないからと嫌々と返していた。申し訳ないが本当に苦手なのだ、小?中?学時代の子供の頃から既に例え結婚したとしても子供は産まないだろうとずっと思っていた。私は自分自身が大嫌いだから自分の子供も愛せないだろうとその事実子供の頃から気が付いていた。しかし成人をとうに過ぎ三十路を迎え婚活必要性を友人に説かれたとき、ふと自分が好きなところを見つけて結婚に至れる相手の子ならば愛せるかもしれないと思った。母が大好きな子供を、初孫を抱かせてあげえることも出来ると思った。それが唯一出来る親孝行のような気がしたのだ。結果として婚活は中断しているが、きっとこの先も独身のまま天災に巻き込まれるかどこかで孤独死するのだろう。結婚相談所に入会することを母が気付いたとき彼女は喜んでいた、退会を伝え孫はもう無理だろう諦めてほしいと伝え面と向かって謝罪したとき彼女は泣いていた。ある日、母の友人に孫が産まれたという話を聞いていると「もし私に子供出来てももう丸一日面倒見てあげることは出来ないね、私も取ったんだなぁ」と言われた。前は孫とどうしたいと理想を話してくれた、近年はその度に申し訳ない気持ちでごめんねと返していたが段々とそのやり取りもなくなってきた。きっと自分が娘を産んだ時から私のウエディングドレス姿や孫を抱く日のことをそれはそれは楽しみにしていたんだろう。それすら叶えることが出来ない不出来な娘で親不孝者で本当に申し訳ないという気持ちで苦しくて、突然涙がこみ上げる夜がある。

SNSを眺めていると頭がおかしくなりそうになることがある。鳥肌が立ち吐き気に襲われることがある。

どう見ても可愛いと思えない子の自撮りした笑顔が流れてくることがある。どうしてそんな笑顔写真に写ることが出来るんだろう。その写真を見て気持ち悪いと思われるとは思わないのかその顔が周りを不快不愉快にさせるとは考えないのか。もし私がその顔に生まれていたら即整形している。その姿でどうして幸せそうなのだろう。わからない。

どう見ても可愛いと思えない子が母になり子供との笑顔が流れてくることがある。性格が良かったんだろう料理が上手かったんだろうもしかしたらその顔が好みだったのかもしれない。そうだろう理由なんてそれぞれに山とあるのだろう。どうして私にはそれすら叶えることが出来ないのだろう。どうしてどうして。マウンティングという言葉を聞いたときなるほどなと感じるが私のそれはもっと根本的で病的なものだ。あの子不細工からというところに強調がつくのではなく、そこに劣るほど自分が駄目な人間であるというところに強調をつける。私はどうしようもなく醜く駄目な人間なのだ

明るく社交性が飛びぬけている母とは違い不器用な人だった父。

私たち家族は仲の良い家族ではなかった。みんな帰宅してもそれぞれの部屋に籠るような生活になっていたし父が死ぬ前数年間は言葉も交わすことも少なくなっていた。父が倒れる前の晩、最後に声を掛けられた私が返した言葉は「なんでもない」だ。本当にどうしようもない。それでも血縁者であり家族であることに変わりない。父に似ているとよく言われたことが多くある。どこでこうなったのかわからない、不器用な人だった父もきっと生きるのは大変だっただろう。それでも一般的恋愛結婚仕事を貫いた点で彼は私と比べるまでもなくまともな人間であったのだろう。もし私が母に似て愛嬌たっぷりになっていたのなら人生は違っていたのだろうか。私には愛想笑いすらとても難しい。笑顔での接客対応ですら必死仕事終わりには顔が痙攣することもある。いつも笑顔の母とは似ても似つかない。

両親の兄弟を思い返しても血縁を切ったような相手しかかばない。もしかせずとも我が家家系はここで途切れるのだろう。かもしれないと別の可能性を見出すことすら出来ない。私が母と出掛けねば手入れされていないお墓を想像がつく。祖父祖母申し訳ないと思っていた、両親に申し訳ないと思っていた。ほんとはそれだけではなくもっともっと多くの人に申し訳が立たないんだろう。私はどこまでも親不孝者なのだ

先日母に頼まれ年金保険というものに加入したが受け取る日はこないだろう。痴呆が始まるようになった日には自殺しようと心に決めている。吐き気がするほどネガティブな私にもいまが幸せだと思う瞬間はあった、それを忘れてしまうくらいなら自分で幕をひく。家系的にそう長生きするタイプではないか平均寿命いかないだろう、きっとあと40年もない。30年程とすればゴールまで折り返しだ。憎まれっ子世にはばかる渋柿の長持ち論で性格の悪さから長生きする可能性もあるが、それを上回るメンタルの弱さで心からまれているのでことわざ効果は大いに打ち消してくれていることだろう。人生死ぬまでの暇つぶしに過ぎないという言葉を聞いたときほんの少しだけ心にある澱みが軽くなったような気がした、そのまま日々ゆるりと死に向かっている。最近体調がすぐれないこともあるが無性に眠い。抗えない虚脱感と眠気に襲われるときこのまま死ぬのだと毎度感じる。いつの日か本当にそのまま死ぬのだろう。何を産み残すこともなく継がせることもなく。誰に何を返すことも出来ず。本当にごめんなさい。

どこかに書きなぐりたくなった。

2018-02-09

雪が相変わらず酷い増田地方ほち出す毎度日面若いあがき湯(回文

最近

ちゃんとパジャマ着て寝ると暖かいと気付きました。

でも羽毛布団の上に毛布を掛けた方が暖かいって言うのは信じてないわ。

おはようございます

豪雪地帯取引先さんが

雪で臨時休業します、また再開したらお知らせしますって

アバウトな連絡が来て

それぐらい雪スゴいらしいわね。

雪国と言えば雪国マイタケしか私は馴染みがないけど

トンネルを抜けたらそこは雪国マイタケだったって

本当にそうだったら川端康成も助走して、

そんな冒頭を書き出すぐらいビックリよね。

そのぐらいに排雪口の使い方がよく分からない感じよ。

唐突に人が落ちない程度の荒い大きな編み目の側溝

最初何かと思って聞いてみたら

そこに雪捨てるんだって

所変わればなんとかってやつね。

あたり一面真っ白銀世界新世界って幻想的ねなんて思っちゃうけど、

きっと現地の人は雪くそ食らえなんでしょうね。

私の住んでいるところも雪はないけれど、

やっぱり冷え込みはすごいわよ。

ところでさ、

バナナで釘が打てる級に凍ったバナナ

濡れタオルをぐるぐる回して凍らした級の棒タオル

どちらか戦ったら強いのかしら?

ふと思ったわ。

それにさ

岩に刺さった伝説の剣を抜いてニューヒーロー誕生!って一番の元ネタは何なのかしら?

ついつい

おばあちゃんちで大根の収穫手伝ってた時、

その伝説の剣を岩から抜いたヒーローごっこに明け暮れていた時期があって

懐かしく思ったわ。

まあその大根伝説大根って訳じゃなくて普通の味の大根だけどね。

うふふ。


今日朝ご飯

デラックスハム玉子サンドと玉子サンドよ。

玉子は好きだから重なっても平気よ!

あと昨日、

油揚げ買ってきて大根とのお味噌汁作ったか

ミスマッチだけどお味噌汁もよ。

味噌汁いいわね。

デトックスウォーター

朝採れ野菜

大根とか採れたては

ウソみたいだけどリンゴみたいに甘くて美味しいのよ。

大根の清涼感が口の中に広がるわ!

デトックスウォーターに入れたからって甘いわけではないけど不思議ね。

そんな大根ウォーラー

ピーラースライスしてちょっといれるぐらいででもいいわ。

適当に。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2018-01-02

100歳の認知症老人にお年玉たかる70歳。

日面白い風景を見たので書いておきます。端から見れば「で?だから?」って話かも知れないけど。

昨日初詣の後、実家の両親と特養に入っている父方の祖母に会いに行きました。ばりばりの認知症ですが、息子と嫁と孫の顔は忘れていないようなので100歳にしては優秀と言っていいかも知れません。

で、父(70歳)が自分ポチ袋お金を持って行って祖母お年玉交渉をするのですよ。そんなに極端な高額ではなく、祖母がもう少ししっかりしていた頃は自分で母に銀行から下ろしてこさせて我々にくれていたぐらいの金額です。

そんなことを出来るぐらいなので、通帳もキャッシュカードもうちの両親の管理下にあり、もっと大金を下ろして勝手に使うこともできるはずですが、いちおう本人の意思確認して金額を決め、ポチ袋名前とか書かせていました。

私は祖母介護ほとんど貢献していないためか、両親がそれぞれもらった額の半額でした。仕事ちょっと残業すれば稼げるレベル金額なのでありがたみは薄かったのですが、この歳になってもお年玉をもらえる人はなかなかいないでしょう。

祖母と父の「お父さんにいくらくれるの?」「じゃあこの袋にお年玉って書いて」というやりとりがなかなか笑えました。こういう新年イベントもあるんだなぁ…としみじみ思った次第です。

2017-02-16

保育園落ちた人達が集まってお互いの子を週1日面倒見るようにすれば週4日はパートで働けるのでは

2016-12-09

SMAP解散報道における8月10日から13日の時系列が奇妙。

同年8月10日午後4時3人のメンバー社長解散要求をしたと報道されているが同じ時刻に社長SMAPの後輩のコンサート会場で目撃されている。また、事務所によれば、8月12日SMAPの4人のメンバーが一緒に話したとあるが、1人は朝から仕事をしていて、1人はお昼から夜中まで仕事だった。



8月10日の件】

週刊新潮2016年8月25日秋風月特大号((www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/backnumber/20160817/))に「SMAP解散魑魅魍魎」という記事掲載された。記事は「総力取材特集」と銘打っている。しかしこの記事はいくつかの疑問点がある。以下それらの疑問点について検証してみたい。

記事ではある「芸能関係者」が何月何日にこういう事があったと非常に詳細な時系列を述べており、それゆえこ記事は大変信憑性があるもののように見えるのだが、その中に次のような記述がある。

そして翌日午後4時、蓋を開けてみるとジャニー氏の元に木村以外の4人がやってきて1時間半近く面談。(p.25)

この「翌日」は2016年8月10日のことであるしかしこの日はジャニーズグループABC-Zのコンサート国立代々木競技場第一体育館で開催されており、ジャニー氏はこのコンサートを見に来ていた事が、当日コンサートに参加していた複数ファンによってその日のうちにTwitterで呟かれていた((www.cyzowoman.com/2016/08/post_21415.html))。ある呟きによると、ジャニー氏は開演3分ぐらい前に会場に入ってきたという。開演時間17時であり、開演が若干遅れたという話もあるが、やはり17時ごろにはジャニー氏は代々木体育館にいたと見て問題ないだろう。とすると「16時から1時間半近く」メンバー面談したというジャニー氏は一体誰だったのか?

この8月10日ジャニー氏との面談で4人が「解散」を申し入れたとの報道新潮以外のメディアでも一貫している。どれも情報ソース事務所であるSMAPから提供されたのでない限り、もう一方の当事者である事務所しかこ情報提供できない)からであろうが、これまで「休業」でまとまっていたものを4人がいきなり「解散」を言い出したとされている。しかしもしそうであれば、ジャニー氏はじめ事務所側は驚き、説得にそれなりの時間を費やすのではないだろうか。「解散」ともなればジャニーズ事務所経済的損失は計り知れない。もし16時からジャニー氏との面談で「解散」が決まったのであれば、その面談は1時間以下であったことになる。そのような短時間事務所にとってもこれほどの大事が決まるものだろうか?

8月12日の件】

8月25日発売の「週刊文春9月1日号((shukan.bunshun.jp/articles/-/6484))では、それとは少し違う時系列となっている。文春によれば、10日の面談ではジャニー氏が反対したため、12日に事務所顧問小杉理宇造氏(文春の記事はこの小杉氏がソースであると推測される部分が多い)がメンバー4人と面談し、その後役員会にて13日深夜(12日深夜で日付的には13日と思われる)に解散正式決定した。ジャニー氏は最後まで反対であったという。筆頭株主であり社長ジャニー氏が反対なのに解散が決定できるのかという疑問はここではさておく。

12日にジャニーズ事務所からSMAP解散」についてマスコミレクチャーがあったことは、芸能レポーターTV番組で話している((www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/187789))。また、8月25日発売「週刊新潮9月1日号によれば、このレクチャーは「12日夜」であったという。週刊文春が13日早朝に自宅を出る中居を直撃し(注1)、解散発表が13日深夜(ネットメディアによる第一報は13日22時頃)であったことからも、事務所マスコミレクチャーしたのは12日の夜であり、この時には解散は決まっていたとみて間違いないだろう。

しかし、12日は中居TBSリオ五輪生中継が朝9時から12時まであり、朝早くから少なくとも12時まではTBSにいた。一方香取はこの日「おじゃMAP!!」のロケを昼12時過ぎから深夜1時過ぎまで行っている。12日の深夜までこの二人が揃うことは物理的に不可能である

12日に香取が収録したのは8月24日放送佐々木健介とのロケと、8月31日放送渡辺直美とのロケの2本である佐々木健介8月12日ブログ((ameblo.jp/sasaki-kensuke-blog/day-20160812.html))で「ノンストップが終わって、そのまま《おじゃMAP!!》の皆さんにお世話になりました」と書いている。この日11:48のエントリー((ameblo.jp/sasaki-kensuke-blog/day2-20160812.html))では「(ノンストップ)終わったすぐですが、これからロケに行って来ますとあることから、昼の12時ごろにはロケスタートしていると考えられる。また、12:30頃にはフジテレビにおいて佐々木香取、及び番組レギュラー山崎弘也の目撃談がTwitter投稿されている(この日のロケフジテレビ玄関からスタートであった)。また、同日18:30過ぎには表参道(この回のロケの最終目的地)で佐々木香取山崎の目撃談がTwitter投稿されており、少なくともこの時間まではロケであったことがわかる。

その後、20時過ぎには代々木公園渡辺直美香取山崎の目撃談がTwitter投稿されている。その後渋谷ロケを行った後、亀戸に移動してのロケではロケの進行とともに「PM11:20」「PM11:50」「AM0:30」のテロップが画面に出た。さらに「おじゃMAP!!」では毎回ロケ後に山崎番組宣伝するための動画撮影しているのだが、この回の動画((www.youtube.com/watch?v=qOb4tziidEo))では山崎は「今深夜1:12」と述べている。

注1:

8月17日発売「週刊文春」((shukan.bunshun.jp/articles/-/6453))によると、

解散発表前日の十三日朝、リオ五輪番組に出演するために自宅を出た中居を直撃した」(p.29)

というが、この日のTBSリオ五輪中継は朝7時からであり、自宅を出たのは5時前であると推測される。したがって、文春が解散について知ったのはそれより前である

文春9月1日号に今までの報道と相違がある件を画像でまとめてみた((ch300flowers.moo.jp/newpage2.html))。

8月10日から13日の件】

報道どおり「10日面談、11日の役員会で正式決定」であったとしよう。その場合、「なぜジャニーズ事務所はこれほど事を急いだのか?」という疑問をもたざるを得ない。以下この時系列が正しいと仮定して検証してみよう。

10日の16時からジャニー氏と面談したのであれば、面談時間は1時間以下である。「SMAP解散」は首相以下閣僚コメントし、New York TIMES((www.nytimes.com/2016/08/20/world/asia/japan-smap-breakup.html))やBBC((www.bbc.com/news/world-asia-37075638))でも報道され、NHKすら五輪中継中に速報テロップを入れるほどの大事であるジャニーズ事務所にとっても大きな売上げ(注2)を失う事態となる。それほどのことをメンバーと1時間も話していないうちに「よしわかった」となるものだろうか。それまでメンバーから解散」という言葉は出ていないことは各紙とも一致している。事務所にとっては寝耳に水の発言のはずである。そもそも「解散したい」「はいどうぞ」となるほどタレント意志尊重してくれる事務所なら、2016年1月18日スマスマでの公開謝罪は行われなかったであろう。

しか事務所は翌11日には役員会を開いて解散正式決定してしまう。まるで「解散」という言葉メンバーから出る事を待ち構えていたかのようだ。この時、木村拓哉ハワイ家族と休暇中のため不在である((www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/08/22/kiji/K20160822013218160.html))。木村自身にとっても大きな影響を与える決定を、本人不在のうちに行えるものだろうか。木村帰国するまで待つ、あるいは「こういう事態になったから今すぐ帰って来い」と言えなかったのだろうか。

そして12日にマスコミを集めてレクチャー、13日深夜には発表と、ジャニーズ事務所は迅速すぎるほど迅速に動いている。まるであらかじめスケジュールが決まっていて用意されていたかのようである。これほど急いで五輪開催中に(事務所所属中居櫻井TBS日テレ五輪キャスターを務めている)「解散」を発表しなければならなかったのはなぜだろうか。

どのように発表するか、CMスポンサーTV局にはどう説明するか、解散までのタイムスケジュールはどうするか、ファンクラブの取り扱いはどうするか。「解散」が決まったあとで事務所が決めなくてはいけないことは山ほどある。しかも、実質的経営者であるメリー喜多川副社長と、その娘であり次期社長であるジュリー藤島氏は13日からハワイで休暇である((www.asagei.com/excerpt/64244))。重要なことはその前に全て決めてしまわなくてはいけないのだが、それに充分な時間があったのだろうか。疑問は尽きない。

注2:

「文藝春秋」2016年3月号((gekkan.bunshun.jp/articles/-/1792))によると、ジャニーズ事務所

連結で年間七百億~一千億円の売り上げが推測される。そのうちSMAPの売上げは二百五十億円と言われています。[経済専門誌記者](p.195)

2016-09-11

人生ってつまづいたら終わりなんだな、と思った話

当方大学生アルバイトをしている。

バイト先は人員が少なく募集をかけており、先日面接に来た人がいたようだ。

「彼、高校卒業してから一年ちょっと家事手伝いらしいよ」と店長は言った。バイト経験もないらしい。

話している限り、店長採用を見送るような雰囲気だった。

親にせかされてしぶしぶ働くことにしたのか、自分で決意したのか。はたまたなぜ今まで働かなかったのかもわからないが、その話を聞いて僕は彼に同情してしまった。

一年ちょっと無職で初めて面接受けるのって、めちゃくちゃ緊張しただろうなー」とか、「これから他のバイト先で面接受けても落ちるのかな」とか。

まぁ、普通の人だったら「一年何してたんだよ」ってなるんだろうけど。

なぜ同情してしまうかというと、僕もそうなるかもしれなかったからだ。

僕は高校の頃、精神障害理由に休学していた時期があった。

幸い、比較的症状も重くなく、今までかなり真面目に勉強してきた布石(?)もあって大学受験に受かったが、少し状況が違っていたら彼と同じ事態になっていたかもしれない。


このタイトルが適切なのかはわからないが、最近比較的「休む」という行為寛容的な風潮がある気がしていたので。でもそうじゃないんだな、やっぱり。

とりわけ彼のケースがだめなのかもしれないけどさ。

これから彼の人生はどうなっていくのだろう。

2016-09-06

おっさん院生の憂鬱

ワイ、昭和おっさんドラゴンボールEDの「ロマンティックあげるよ~♪本当の勇気見せてくれたら♪」の意味を今朝突然理解しました。EDになるまで、あと何年あるのだろうか。

20代前半のうら若き学生さんたちに囲まれて、今日も集中講義に出た。講義内容は、専門分野に関する学問論であり、簡単にいえば史料検証しつつメタ学問的な思想を辿っていくというもの。そうでなくても実力が足りておらず、贅肉をゆらし汗をかきながらハフハフッいいながら参加してるのだが、着席後しばらくして着信に気づいた。

還暦を過ぎた母親からである。着信一件、メールには「至急電話ください」と書いてある。何があったのかと訝りながら中座し、電話しても出ない。で、戻って座るとすぐにかけてくる。

ワイ「何があった?」

母「え?何のこと?」

ワイ「は?(半ギレ」

って話を続きかこうと思ったけど、面倒くさくなったので、ここでやめる。要するに一日面倒で疲れたわという話。

2016-07-31

テレビドラマの中でも「残業長時間労働は素晴らしい」賛歌

ドラマ結構好きで毎クール色々見ている。

今期も何本か見ていて、職業ものドラマが増えてるなぁと思う。


ネット上では日本残業時間労働時間の長さがよく問題になっているけど、

ドラマの中では長時間労働を褒める傾向にあるのが気になる。


「HOPE~期待ゼロ新入社員~」というドラマがある。

プロ囲碁棋士を目指していた男性年齢制限のため夢破れ、コネにより大企業インターン経験するという話。


この男性が命じられた仕事を終わらせるため、自ら会社に泊まりこみ徹夜をするというシーンがあった。

上司は「別に明日にまわしてもいいぞ」と言うが、男性は「いえ、やります」と言って自分意思徹夜する。


やる気の表現としての徹夜だった。

結果的に中々いい仕事をしたと上司は褒める。男性は喜ぶ。


「家売るオンナ」というドラマがある。

住宅販売営業仕事にしている人たちの話。

ある時お客さんの子供を一日面倒見ることになる。

子供との対話を通して、家庭内問題を見通し、その客に合った家を売るという流れだった。


子供の面倒を見るため、上司は1人の部下を電話で呼び出す。

「いますぐ来い」「えー今からっすか?」

恐らくその時点でとっくに定時は過ぎている。

家を売るためだから、と有無を言わさず部下を呼びつける上司

そして部下は客の家で子供の面倒を一晩中見る羽目になる。

(横暴な子供で、部下の男性を馬扱いしていた)

結果として家は売れ、客も部下も満足して話は終わった。


どちらもドラマとしては結構面白い

仕事に真面目に取り組んでいるということもよく分かる。


それにしても長時間労働がこんなにも当たり前のようにまかり通る社会は異常だと思う。

多分このドラマ見てても誰も疑問に思わない。

ぱっと思いついたのがこの2本だっただけで、他にも長時間労働を褒め称える作品は多い。


残業せずに素晴らしい仕事が出来る、素晴らしいドラマが生まれる、ということは出来ないのだろうか?


残業長時間労働が異常だと気付いてほしい。

ドラマを見ている中高生はそれが当たり前だと思わないでほしい。

小さい頃からこういうドラマばかり見ていると知らず知らずの内に

価値観の中に長時間労働=素晴らしいことだと刷り込まれしまう気がする。

それって恐ろしいことじゃないか


そもそもドラマ制作現場ハードワークで異常なスケジュールなのだと思うけど

それだっておかしいし異常。

本人たちは気付いてないかもしれないけど・・・

2016-07-07

風俗店で働くことになるまで

最初に言っておくと僕は男性である

それに大しておもしろい話でもないのであまり期待せず、適当に読んでくれると助かる。

数年前、元々僕はパチンコ屋の店員だった。

しかし、今でも続いているがパチンコ業界はずーっと景気が悪く、一部の大手ホール以外はかなり苦戦させらています

まああれだけ規制だのなんだのとがんじがらめにされては仕方ない。

その流れに身を任せ、当時僕が働いていた中堅くらいのパチンコもついに閉店することに。

一応グループの他店へ希望すれば異動できる、みたいな話もありましたが折角だしちょっと考えて転職しようかと思っていました。

当時の僕は27歳。

そろそろ身を固めないとなぁ…と思っていた矢先の失業だったので別の店のパチンコ店アルバイトをする気にはならなかったし、そこもいつかは潰れて30過ぎてから放り出されてしまうのでは…と恐怖したのを覚えています

色々と求人を探しつつ、友人にも相談していると「風俗で働いたら?」と言われました。

「いやいや風俗って。そういう怪しいのはちょっと…」

というと

「そんな事は無い、今は風俗店でもキッチリやっているところはあるし金も稼げるよ」

と言われ転職サイトなどを閲覧。

(ちなみに風俗求人なんてフツーの大手求人サイトには載ってないので男ワークやミリオンジョブなんかの専門の転職サイトを見てね。)

見てみると結構いい条件が書かれている。

ホントは書いてるだけで実際はもっとブラックなんじゃないの~?」

とは思いつつもコッチも転職活動が上手くいってないのでまずは職に付こう!と思い切って電話した。

前職がパチンコ屋だと伝えると「でしたら向いてると思いますよ~」と言われた。

日面接のときに聞いたんだけどパチンコ屋の店員風俗店員って結構その二つを交互に働いてたりする人間が多いらしい。

接客態度や身だしなみ、体力が必要な事からそういった経験があると就職に関しては有利になるようなので、もしこれを見ているパチンコ屋の店員さんがもっと稼ぎが欲しいと思うなら一考の価値はあると思う。

働き初めてみれば、どうということはない。

拘束時間は中々に長いが、激務というほどではなかった。

バイト時代から比べると給料は倍以上。多少の労働程度喜んで受け入れる。

学歴は本当に関係ない。

僕は高卒だけど店長もやっているし、中卒の人間だってこの業界ではざらにいる。

いわゆる「低学歴」が高収入を目指すには正直イチバン近道なんじゃないだろうか。

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