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2021-06-16

増田レクイエム

はてなブックマークを見たら、この増田が目に飛び込んできた。

anond:20210615105840 死んでしまった大切な人に思いを馳せる曲を教えてくれ

はてブに何か曲名を書こうと思ったけど、100文字では収まりそうもないので増田トラックバックするね。

 

memento mori(汝の死を想え)

かに近親者の死は、喪失感が大きくて悲しい。

しかし、忘れてならないのは「自分も同じ定めにある」ということ。

 

レクイエム - Wikipedia

ラテン語: Requiem)は、ラテン語で「安息を」という意味の語であり、以下の意味で使われる。

 

空虚さを埋め、自分の中身を充実させていくための曲

 

1. 君といつまでもtogether forever mix)feat. ECD×DJ Mitsu The Beats - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=oQhNns7hSx4

加山雄三名曲君といつまでも」をリミックス

ECD(イーシーディー、本名石田義則、1960年3月29日 - 2018年1月24日)は、日本ヒップホップミュージシャン。妻は写真家植本一子

2016年自身Twitterで進行性のがんであることを公表した。

2018年1月24日死去。57歳没。

交通事故だと一瞬で亡くなり、知人への挨拶をする時間もない。

癌だと余命数ヶ月でも、幾何かは時間が残されており、恩人への感謝などを伝えたりできる。

不幸中の幸い~癌でなくなった方で「残り時間があった分だけ、まだ癌で良かった」というような事を言っていた方がいた。

 

2. 【LIVE】Pellicule/神門 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=A95hZR5QC6o

不可思議/wonderboy 「Pellicule」のカバー

不可思議/wonderboy(ふかしぎワンダーボーイ1987年12月30日 - 2011年6月23日)は、日本男性シンガーソングライター、ポエトリーラッパー

2011年6月23日、不慮の交通事故により急逝

こちらは交通事故で亡くなった方の場合

友人のラッパー神門 (@_goudo_)が、「Pellicule」をカバーして追悼。

「次、交差点出たら、右に曲がれよ!」という歌詞は、つまりそういうこと。

 

3. キャプテン・フューチャー EDポプラ通りの家 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=omUDAYHEQks

アニメソングだが、しっとりとしたバラードゆっくりしたテンポ感傷的な曲)。

人と人の出会いは「一期一会であることを感じさせる歌。

 

4. There will be love there - 愛のある場所 - the brilliant green - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=ahGBaAlcYiU

「いつかは 誰かのために 生きていたい~♪」

お世話になった人がなくなって、もう「恩返し」ができなくなっても、「恩送り」ならまだできる。

人生の前半は自分のために生きたのなら、人生の後半は他人のために時間を使っても良い。

そんな気付きをもたらす一曲

 

5. Flipper's Guitar - ドルフィン・ソング - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=JePfsVUTclA

「本当のこと 知りたいだけなのに 夏休みは もう終わり~♪」

自分死ぬとき人生走馬燈のように思い出されて、いろんな出来事があったことを懐かしむのだろう。

もしも死ぬとき後悔することがあるとしたら、今ならまだやり直せる、頑張ろう!と思える一曲

 

6. 薔薇は美しく散る / 日本テレビ「ベルサイユのばら主題歌 / 歌 : 鈴木宏子 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=yhoYOzFJf3g

どの星が めぐる時

散ってゆく 私だろう

平凡な 人生

かなえられない 身だけれど

私はバラの 命をさずかり

情熱を燃やして生きてくいつでも

バラバラは 気高く咲いて

バラバラは 美しく散る

もしも長く生きることができなかったとしても、納得のいく人生を送れたのなら、それもまた良し。

 

7. 宇多田ヒカル - Automatic - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=-9DxpPiE458

やさしさがつらかった日も

いつも本当のことを言ってくれた

ひとりじゃ泣けない rainy days

指輪をさわれば

ほらね sun will shine

 

人間の本性が現われる時は3つある。

  1. 一人でいるとき
  2. 喜びの有頂天とき
  3. 苦しみの極限に追い込まれとき

 

今まで多くの生き物たちが地球上を去来してきた。

たまたま時代に、同じ国に生まれ出会った人々。その中の一人がパートナーだった。

地球ができてから経った長い時間の中では、人の人生などほんの一瞬の出来事のように短い時間なのかもしれない。

ほんの少しの時間差で登場と退場が生じただけ。

瞳を閉じて指輪を触れば、そこに故人のいた軌跡を感じるだろう。ほんの少し前の出来事なら、いつでも思い出せる。

死別の後は自分一人になってしまったけど、もしかしたら本当は一人じゃない?

 

8. 電脳コイル - Dennou Coil AMV - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=ENkV73j40G4

Perfume「Electro World」のMAD

説明不要!~Perfumeテクノ三部作神曲

本当のことに気づいてしまったの

この世界のしくみ キミに手紙残すよ

時間性質は、これから先の10年は長いと感じるけど、過ぎ去った10年は一瞬だったと感じる。

貴方も必ずいつか死ぬときが来ます

から見ると、まだまだ先と感じるけど、その時が来たら、本当に一瞬だったと感じるはずです。

残された時間はあるようで、ほとんどないのです。

今日の夜に寝て、明日の朝起きられる保証はどこにもありません。

この増田を見たら、今すぐに、未来の人々へメッセージを残してください。

 

9. Mr.ブルー ~私の地球~ / 八神純子 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=UUVCmiFyKoU

大丈夫だとは思いますが、「後追い」はやめましょう。

地上の全ての生き物は、地球からまれ地球に還ります

母なる地球を想う時、故人も貴方同胞であることが分かります

またいつか、違った形で出会えるかもしれません。

 

さよならは半分だけ」

2021-06-14

驚愕した中学数学幾何定理について

   三角形内角の和は180度である、という定理に関し、その基本的証明方法を知った時に、これは簡潔といっていいのか驚愕といっていいのか分からなかった。

     というのも、各々の各の外角をとると、πーα  πーβ πーγ で、ここから先の飛躍にびっくりした。つまり、この外角は、この三角形の辺を2πだけ

   一回転させたものであるという点をひらめいて、 上の和が2πだから、α+β+γ=πという結論になっていたことだ。

     他にも驚愕的とは言い難いが、中点連結定理など、高等数学ベクトルでは当たり前といえる定理でも、図形的にやると、補助線をひっぱって平行四辺形

   作るなどの作業を含むものだった。

     しかし、三角形内角の和がπであることの証明も美しいのではないか

   数学における美を構成するものとしては、一見して複雑な問題の中にスマートアイデア、異常に鮮やかなアイデア、驚くべきアイデア

    のほか、新しいとか珍しいということも評価される。この観点から初等幾何の分野を見ると、まずこの分野の醜さというのは、

  ほぼ何の役にも立たないことをいつまでも考えているということである。つまり何の役にも立たない。その何の役にも立たない代わりとして

   三角形と円と直線だけを考察対象としたところに、無駄がないという美の極致があり、しかも様々な定理には鮮やかなものが多く

  驚くべきものが多い。しかし、初等幾何とあるように、こういうことをするのは子供ということになっており、大人になってまでこれをやっている者はいない

  というのが普通ということらしい。

  

2021-06-03

anond:20210602193129

昭和58年に文科省が、初等幾何は美しすぎて危険である

ちがう。

中高一貫学生を勝たせるために排除したのが真相

素朴整数論現代整数論ほど専門的でなくその発想において初等幾何にも類比するほどハイレベルな分野)も学習指導要領から撤廃された。

2025年から消える。

Geometry」「Number Theory」というものが、昭和から平成にかけての文科省検討勉強させることが禁止され

禁止されたのは「数学史と組み合わせて、GeometryあるいはNumber Theoryを教えること」。

Geometry難易度の高さ、「異常な美しさ」は

2035年になるとベクトル追放されて、こっちが入ると思ってる。多分。

2021-06-02

    数学の分野の中でも、初等幾何は、著しく特殊な分野、すなわち、美しいものの極限状態が詰め込まれているとして現在数学教育や

   数学業界では禁断の領域になっており、昭和58年に文科省が、初等幾何は美しすぎて危険であるとして学習指導要領から存在を消した

     そのため現在では初等幾何問題でも凄まじくハイレベル問題に関してはおよそ扱える人がいなくなってしまった。

   平成に入ってからは初等幾何だけでなく素朴整数論現代整数論ほど専門的でなくその発想において初等幾何にも類比するほどハイレベルな分野)

  も学習指導要領から撤廃された。

    このように、「Geometry」「Number Theory」というものが、昭和から平成にかけての文科省検討勉強させることが禁止され、また、

 「Combinatrics」(組合せ論)、「Algebra」(代数学)は、学習指導要領から撤廃はされなかったが事実上教えられることがなくなった。

  むろん「Combnatrics」の一部は高等数学で習うし、「Geometry」の一部である図形の性質高校数学で習うが、数学オリンピックに頻出しているような本格的な

  ものは習っていない。特にGeometry難易度の高さ、「異常な美しさ」は他の分野の比ではない。

2021-06-01

https://anond.hatelabo.jp/20210601021138

  黒羽には何もいいところがない。やっている作業出所してから何の役にも立たない、クソみたいな作業をさせるくらいなら工場勉強でもさせてればいいのに

    くだらん紙袋折りしかしていない。厳しい訓練などには矯正効果健康運動はあるが

    吉外みたいな工場作業バカみたいな歩行訓練。それをしながら刑務所の居室で数学問題を解くことになるが、誰か教えてくれる人もおらず検討するだけで

  結局自分で解けないし、分からない。

    メシの美しさをいうと、カレー場合ブタのえさ、ブタに食わせるようにルーを盛りそこに白飯を入れて食えなどと言われる。後はサンマなど脂ぎったものばかり。

  特に評価すべき飯はない。あえていえば黒羽では鉄分を重視しレバー炒めが出ることがあるが、それ以外はクソ。

    黒羽の運動場には鉄棒が設置されており、その鉄棒を用い運動をすることができる。ほとんどの受刑者鉄棒筋肉を鍛えるか、運動場を走って回る。

  ラジオ体操は誤魔化し、上級受刑者には筋肉モリモリがいるが、そうでない廃人なども多い。

      黒羽を出たからと言って何か自慢になるようなものが得られるわけではない。黒羽にいたからといって初等幾何問題が解けるようになるわけでもないからな。

2021-05-26

https://anond.hatelabo.jp/20210526010828


   なんで初等幾何学には触れないの?初等幾何学こそ、それ自体数学の美そのものであり、初等幾何に複雑も難しいもないのである

    三角形と円と直線しか使わないという点で極めて簡素であり、様々な定理は鮮やかである。確かに一部の定理には驚愕するような複雑さをもつものもあるが

     整数論と違い、初等幾何における驚くような複雑さというのは極めて簡素に抑えられている

     

2021-05-17

anond:20210517080239

広告とかプロパガンダは、そのメッセージが届くことが直接発信者の利得につながっていくから互いに凌ぎを削って最適化が進んでいくわけだけど、複雑なことを複雑なまま伝える技術は、そもそも市場がない(ないことはないけど、簡単なことを刺さるように伝える技術に比べて圧倒的に小さい)からあんまり発展しないんだと思う。テクニックとしても難易度が高いし、どうしても受け手の最低レベルっていう制約条件が出てしまう。基礎的な算術がわかってないひとに感染症幾何級数的拡大の怖さについてイメージしてもらうのは超絶難しい。論理学の考え方が身についてないひとにロジカル分析理解してもらおうとしても、途中で躓いたり、たとえば特称命題全称命題を取り違えて間違った展開をしてしま可能性が高い。

相手が持ってる教育教養レベルを遙かに上回ることを伝えるには、本当はそこに到るための階段を登ってもらわなきゃいけなくて、そこをテクニックで一足飛びに飛び越えようとすると、あまり精度の高くない比喩ごまかす形になってしまいがち。それにしたって「うまい伝え方をすれば、階段の1段下にいるぐらいの人がギリギリわかってくれる」という程度の底上げしかできないのではなかろうか。

2021-05-08

プラトンが「初等幾何を知らないもの哲学をするな」といった意味

    それは、初等幾何こそが、 物事必要最小限(シンプル)、 異常なまでの簡潔さ(鮮やかな論法)、  驚愕するような定理論法

    詰め込まれており、哲学数学の美の極致があるからだ。だからこそ、プラトンは、整数論やそれ以外をおいても、初等幾何に着目しろといったのだ。

   また、ゲーテが、プラトンがそういったのは、哲学者たるもの数学であることを意味しないといったのは、別に初等幾何問題が解けなくてもよく、とにかく

     初等幾何に、哲学の至高の美が詰め込まれていることも理解しない者は、哲学をする価値がないという意味だ。それだけ初等幾何の図には、思考美の三原則

  である

       最小限度   簡潔さ   驚愕するような論法   がありすぎる。

2021-04-27

anond:20210427185043

今初等幾何ググってラングレーさんの問題みたけど、

こういうのはやっぱり数学って厳密に

やるイメージから中学でやる合同と証明とか

はそれを満たさないのかな?

2021-04-18

エヴァンゲリオンを乗り越えて、あるいはその手前で

 お前が望んでいたものが、いまあらわれているんだよ。という言葉が、自分身体を上から下に駆け抜け、僕はそれで、頭から血が抜けていったように感じた。その言葉は、ある意味では間違っていなかった。けれど、間違っているといえば、全面的に間違っていた。

 目を凝らしても見えてくるのはパソコンの画面と荒れ果てた部屋しかない。右手の小指と薬指がその付け根にかけて少し痺れている。特にキーを叩いていたわけではない。パソコンの画面をつけて、何をしようかと思っていただけだ。すると、僕に言葉がやってきた。それは僕が望んだ言葉ではなかった。この暗い部屋は、僕が望んで生まれものだった。この荒れ果てた部屋は、僕がどうしてか生み出したものだった。あの言葉は、ただ、とても嫌いな言葉だった。

 望む、望まないなんてことを考えたことはほとんどなかった。あるといえば、望まないことばかりだ。いろんなことが嫌だ。特に、望むことは何よりも嫌だ。自分が何かを望んでいると思うだけで気分が悪くなってくる。自分が何かを望まなければ生きていけないのだとしたら、死にたくなる。何も望みたくない。何も望まれたくない。そうして僕はこの場所を作った。僕が今望んでいること? それには答えられない。ただ一本の煙草が吸えたらいいと思っているだけだ。それが望みなんて大きなものに含まれるのだとしたら、今すぐにでも僕は首を吊ってやる。セブンスターソフトは残りわずかだ。一本取り出して、口に咥えた。火を付けずにパソコンの画面を見た。

 さっきまではTwitterホームが映っていたが、僕はもう少し孤独になりたくて、ウインドウを閉じた。デスクトップ画面には、雑多なファイルが、まるでこの部屋みたいな雑駁さで並んでいる。それの後ろには描かれた美少女アニメ美少女なのかどうかはわからない。インターネットで見つけた、絵の美少女だ)が憂鬱げに体育座りをしている。彼女右手には安全剃刀が持たされている。左腕にリストカットの痕はない。安全剃刀は文字通り安全なのだ少女の足元には薬瓶が転がっていて、その転がる移動を堰き止めるように、本が置いてある。フェルナンド・ペソアの本らしい。表紙の白い部分には血痕のようなものが伸びている。

 灰を落としてみると、煙草の1/3はなくなっていた。僕は考えごとをする前に、なにかと準備運動必要みたいだ。考えるべきことというのは、僕の身体を駆け抜けて行った言葉についてだ。

 僕は「望む」なんていう大掛かりなものが嫌いだ。望むとも、望まざるとも、嫌いなものは嫌いだ。だが、そこにばかり注目していては次の文がわからない。次に進む。すると、それがあらわれているという。

 それがあらわれている。それはお前が望んだものだ。

 というのであれば、僕はわかるような気がする。まずはじめに「あらわれ」があって、その説明、あるいは定義けがされる。これは、わかる。あると思う。いや、あるべきなのだ自分がいまどうして存在しているか? こうして暗い部屋で、食事に使って洗わないままで転がっている食器や、ゴミの類いが転がっている、この雨戸が閉められた部屋で、僕の身体は、パソコンは、煙草は、まず、「ある」。そして僕がその「あらわれ」を何らかの形で受け取る。受け取ったものには、それ相応の制限がある。それが説明であり、定義でもある。こうして抽象化すれば、わかる話だ。話がわからなくなっているのは、そこに「望む」という言葉が出てきているからだ。煙草を灰皿にすりつぶした。

「こうしていても埒があかない」

 そう呟いた。こう言ったところで、あの言葉が離れていくわけでもなく、これから行動をとったところで、あの言葉が離れていくわけではないだろう。精々気晴らしにはなるだろうが、自分の中にある嫌悪感がぢくぢくと膨れていくか、いつの間にか消滅しているか、そのどちらかだ。経験的に、後者の方がよくあることだ。いつの間にか消滅するには、原理的に時間必要から

 家を出ると小雨が降っていた。庇の外に左手をかざすと、ほんとうに細やかに、少ない量の水が手のひらに当たった。深い青空全国的に深夜であることを告げていた。振り返って家に鍵をかけてから、僕は肺にあるどんよりした空気を深い青の空気と入れ替えた。まるで僕の肺が一つの世界になっているみたいに青い深夜だった。その世界は二つあった。そのうちのどちらかに、隣部屋のお風呂匂いが流れ込んできた。歩き出した。傘はいらないだろう。煙草お菓子を買ってくるだけだ。

 思った通り、雨ざらし階段はそれほど濡れていなかった。足を滑らせる心配はなさそうだし、きっと降りはじめてすぐなんだろう。階段を降っていくと、

「お前が望んでいたものが、いまあらわれているんだよ」

 という、声がした。言葉ではなく、声がしたのだ。階段を降りている感覚が薄れて、ゲシュタルト崩壊してしまった。階段構成する線と線の繋がり、それがなす直角と、段差、線の全てが空白もしくは混沌世界に放り込まれた。ポケットに入れていた鍵は、僕の拳から飛び出すことなく、音を立てることもなかった。目を閉じた。「うわあ」と思った、その頃にはもうすでに階段の一番下まで辿り着いていた。でも服は汚れてしまった。階段から転げ落ちたのだ。頭の裏、腕の曲がらないところ、脚の曲がるところ、何より腰が傷んだ。それから遅れて左手に妙な感覚があった。座り込んだまま、左手を開いてみると、家の鍵を強く握りすぎたからか血が出ていた。鍵に何かキーホルダーをつけていたわけではないから、純粋に鍵で傷ついたのだ。親指の付け根に小さな切り傷が付いていた。思ったより血が出てくる。なんとなく、右の人差し指中指でそれを拭い、右の頬に付けてみた。この、なんとなくの一連の動きは、シネマスコープの中に映し出されているといいな、と思った。身体中が痛かったけど、おもしろかったから、よかった。僕は立ち上がることにした。雨は本当に少しだけ降っている。

 ここからコンビニに行こうとしている。それなりに汚れてしまったが、仕方がない。自転車を見た。自転車に乗って行こうか、いや、この程度の濡れ具合で滑って転んだのだ(たとえ変な声が聞こえてしまたからといえど。またあの変な声が聞こえないとも限らない)、大事をとって、あと気晴らしのために歩いていくことにしよう。自転車を金網越しに見た。僕は歩いてコンビニに向かう。決めたからだ。ぶらぶらさせていた右手を鼻の前にかざして、匂いを嗅いだ。鉄くさく、砂っぽかった。これでコンビニに向かおうとしているのだから、笑えてくる。いや、これは気晴らしにすぎない。コンビニ店員も、適当事情を察してくれるだろう。コンビニ店員は本当に飲み込みが早いから、わかってくれるはずだ。

 そんなことを考えていると、下には列車が通る小さな橋に辿り着いた。水色の塗装ははげかけているが、子供が手すりで遊んでいて怪我をするほどではない。おしゃれみたいに朽ちている。その下では電車が通る。橋の真ん中に辿り着いて、ここから落ちたら死んじゃうだろうと思った。いや、生きちゃう? 電圧注意と書いてあるから、落下して骨が折れたり、死んじゃう前にびりびりっと身体破壊されてしまうかもしれない。それにいま僕は濡れている。電気はよく通ることだろう。でも、痛そうだ。さっきの落下でさえ痛く、血を流してしまったのだ。僕というのは風船みたいに壊れてしまときには、弾けるように壊れてしまう。そして、壊れてしまうと、びっくりするし、うるさい。毎度この橋を通るとこんなことを考える。死ぬことはないだろうとは思うが、死んでいいかもしれないと思う。そして、橋の真ん中で線路を眺めるのをやめ、先に進もうと体勢を変えると、昼間子供達がよく遊んでいる公園が見えてくる。深夜の公園だ。いやらしいことを考えないわけではない。でも、重要なのは、いやらしいことを考えたその時には、もうすでに水色の手すりから離れて、コンビニに向かって歩きはじめていることだ。

 公園に面した道路を進むとコンビニがある。だからコンビニに向かうまで、橋の上、橋の下り、道路、と少なくとも三つの視点から公園を眺めることになる。意図して見ないときもあるが、この場所から見た公園をその時に考えてしまっているから、大体いつもみているようなものだ。道路に面している側には遊具はない。公衆トイレがあって、それを二本程度の灯りが照らしている。公衆トイレほとんど立方体の形になっていて、二つの光源から伸びるそれの姿は、三つの視点、どこからみても美しい。道路から見たとき前景に公衆トイレがあると、その後景にブランコがあって、その間くらいに滑り台がある。ジャングルジム砂場公衆トイレに隠れてしまう。

 今日こうして家を出てきて、コンビニに向かっているのだけれど、いつもは見かけない、変な影が三つの視点全てにあらわれているのを見た。人影というには小さく、あまり動いていない。でも横に長いわけではないから、犬や猫の類いではないと思われる。霊でも無さそうだ。霊に影があったら、僕はその霊と仲良くできるだろう。

 よくわからないその影は少し揺れているだけで、歩いたりしている様子ではない。ブランコ周辺でただ揺れている。こういうのはあまりない。不審な影を見かけることはよくあるが、それはその人物不審から影も不審に見えるのであって、影が独立して変な雰囲気を纏っているのはなかなかない。それに、徹底して影の主が見えてこないというのも、変な話だ。影しか見えない。特に怖がることはなかったが、

「変だなあ」とは思っていた。そのまま、コンビニへ向かった。

 その前に、円柱状の灰皿に吸い寄せられていった。右ポケットには忘れずにセブンスターソフトと、ジェットライターが入っている。ジェットライターは素晴らしい。片手で着火できるというだけで、なんだかカッコいい感じがする。喫煙にかっこよさを求めたことはないけれど。客観的にそう思う。絵になるというか。

 セブンスターを咥えて、右ポケットからジェットライターを取り出して、先端に火を付ける。ゆっくり吸う。強く吸うと美味しくない。けれど今は若干の湿気があるから、どちらにしろ美味しいのかもしれない。

 煙草を吸っていると、気分がいい。家から出てすぐ深夜の空気を吸ったように、身体の中の空気を違う空気で入れ替えているように感じる。手軽に自由を手に入れてるような気がする。これが自分の望んだものなのだと言われたら、認めてしまうかもしれない。この一本の煙草が僕の自由に繋がっているなんて、ちょっと詩的だ。けれど……

 お前が望んでいたものが、いまあらわれているんだよ。

 これはどういうことだったんだろう。

 こと?

 あれははじめ、「言葉」として僕の身体に降りかかってきた。「言葉」が身体を貫くような感覚は、実はよくあることでもある。だからそれはいい。問題はその「言葉」が「声」になって聞こえてしまったということだ。「声」になって聞こえたということは、誰かがそれを喋ったのだ。あのとき、僕の近くには誰もいなかったから、僕の「言葉」が「声」に聞こえてしまった(?)ということなのかもしれない。つまり幻聴のようなものだ。幻聴ということは、幻? 幻には思えなかった。なぜなら、まずはじめに「言葉」が降りかかってきたからだ。幻にふさわしいのは、何の予兆もなく、何の脈絡もない「声」が聞こえてくるということではないのだろうか。あるいは、僕を貫いた「言葉」は「幻の声」を予知していた、とか。ファンタジーじみてきた。同時に自分精神的におかしいと思われる(思われてしまう)ことを毛嫌いしていることに気づいた。言葉に則して物事判断している。まるで、そうしないと生きていけないように。セブンスターは半分になっている。そうしないと生きていけないということは、僕は「言葉に則して物事判断することを望んでいる」のかもしれない。それのあらわれとして、部屋があんなことになっているのかもしれない。数日間シャワーの浴びていない自分がいるのかもしれない。言葉に則して物事判断することを望むというのは、ここまで代償が必要なんだな、とひとりごちて、笑った。口から煙草の煙が飛び出た。

 コンビニでは煙草お菓子を買った。煙草はいものセブンスターお菓子適当チョコ、なんだか寝付きが良くなるらしいチョコがあったからそれと、イカのゲソを買った。ゲソを買うとビールに手を伸ばしそうになる。でも僕はビールはあまり好きではないから、好きなのはゲソとビールという組み合わせだけだから、やめることにする。結構そこで戸惑う。けど、ビール自分には必要のないものだ。煙草チョコイカのゲソは、自分必要ものだ。

 帰り道、公園が見えてきた。あの影はまだ居るだろうか? 僕としてはいないほうがいい。帰りは行きと違って、目に入ってくる視点が二つなくなっているからだ。橋の下りと、橋の上では、振り返らない限り公園の姿を捉えることができない。公園の姿を素で確認できるのは、今、この公園に面した道路でだけなのだ。だからこそ、ここでしっかりと、あの影がまだ居るかどうかを確かめ必要がある。そうしないと、公園を背にしてからが怖い。

 立方体公衆トイレが二つの光源に照らされて伸びる影の先には、ジャングルジムがあり、わずかながらジャングルジムの影も砂場に広がっている。幾何学的な影は、砂場の凹凸に習って、あまりユークリッド幾何的ではない形になっている。ブランコにはあの小さな影はなく、滑り台にも影はない。灌木を含め、公園全体を見渡してもあの小さく、揺れていた影は見当たらなかった。僕は一安心して、煙草を口に咥えた。少しだけ、雨が強くなってきた。火をつける。

 とりあえずは安心てところだろう。もともと霊とかは考えていなかったから、特に恐れることはなかったのだけれど、一応だ、一応の確認必要だと思ってだ。それから公園から目を離して歩いてみた。なぜかまた右手の小指と薬指が痺れてきた。コンビニで買ったもの左手で持っている。右手煙草を吸うために放っている。それにしてもあの影はなんだったんだろう。影があるのだから、影の主はいるのだろうが、僕はそれを見ることができなかった。するとやはり、影は独立したまま存在し続けるのかもしれない。僕の中でも。世界の中でも。

「お前が望んでいたものが、いまあらわれているんだよ」

 という声があらわしていたものは、僕の考えていたように、ものごとの素朴な存在を認めろ、ということなのかもしれない。だからこそ、影にはその元があるとは考えなくて良いし、「声」のものも、「言葉」のように独立したツールとして、その元を探る必要はないのかもしれない。だが。

 そうしたことを伝えるのであれば、やはり「言葉」に留めておくべきではなかったのだろうか? 「声」でこのことを伝えるというのは、そのもの矛盾しているからだ。通常のものの考え方ではたどり着くことができない。「声」には人を必要とするという考えは、どれだけ複雑な回路図だったとしても、確かなものからだ。僕はそう思う。「声」独立して、僕に警鐘を鳴らしていたというのは、考えられない上に、警鐘ですらない。現状の説明を、何か「声」を使って説明する必要はどこにあったのだろう。必要? では「言葉」で表す必要はどこにあるのだろう。普遍的で、使いやすいのがキーなのだろうか。それが必然に関わっているのか。でも、こうしてみると「声」も「言葉」も大差ないように思える。すると、なぜはじめに「言葉」があり「声」が生まれたのか、が問題なのかもしれない。僕はあの言葉から逃れられていない。いまだに考え続けている。もうすぐ橋を渡り終えるというのに、家に帰ってもずっと考えてしまうのだろうか。橋の下階段に足を付けると、

「お前が望んでいたものが、いまあらわれているんだよ!」

 明らかに声がした。それもあのときに感じた「声」ではなく、方角があり、ちゃんとした輪郭を持った声だった。だが、どこか浮世離れしている。それでも僕はびっくりした。何しろ深夜なのだ。僕は振り返った拍子に咥えていた煙草を落としてしまった。湿っていた地面に落ち、火が鎮む音がした。そこから煙が立ちのぼった。雨が止んでいた。

「お前がどう考えても何も変わらないが、お前はなぜか望むことができる。お前はそれを否定しているだろうが、それは、お前が望むことができてしまうことに勘づいていたからだ」

 橋を上ってくる音が聞こえる。人にしては軽い音だ。

「お前が何かを望んでいたとしても、それが叶うことはまれだ。まれということは、叶うこともある。お前はそういう能力を持っているのだ」

 橋の上に立って僕を心持ち見下してきたのは、高校一年生くらいの少女だった。それにしては身長が小さいし、逆光だからか影しかみえない。

 僕は思ったことを言った。

「でもそれって、僕以外の人にも言えることじゃないですか?」

 なぜか敬語が出た。

「そうなの?」

「たぶん」

 影の少女はため息をついた。マジで……と呟いていた。僕は聞き逃さなかった。

「お前が考えていることは、実は大切なことだ。これ以上ないくら大切なことだ。あまりそういうことを考える人はいない」

「そうなんですか。ちょっと煙草吸ってもいいですか」

わたしにもくれ」

 それにしてもこいつはなんなのだろうか。深夜に高校一年生くらいの少女と一緒にいて、通報とかされないのだろうか。僕は影の少女煙草を渡すために近づいたが、影の少女は、「少女」になることはなく、影の少女を保っていた。なんなのだろう?

ありがとう今日煙草が美味しい日だ。君が思ったことだよ」

「そうだったかもしれませんね」

「だが、お前には足りないものがある」

「なんでしょうか?」

 そこで少女は本当に長く時間をあけて、煙草を吸った。とても長い時間だったが、次に出てくる言葉がわからなかったから、僕は待っているという気分ではなかった。僕も僕で煙草を吸っていたのだ。

「お前は実は求められて、存在している」

「え?」

「お前はそれを拒絶している」

「そうかもしれませんが……」

「お前は求められているから、存在しているのだ。お前が求められなくなったら、存在しなくなる。死ぬとはまた違ったものなのだがな」

わたしはお前に求められて存在した。類を見ないほどひねくれたやり口だったがな」

 そういって影の少女は僕の手を取った。左手の血は止まっていて、傷になっていた。影の少女が、その手をぎゅっと握ると、傷はなくなった。影の少女は、影の少女にふさわしく、とても冷たい手をしていた。

「お前の考えていることは基本的に正しい。が、まずい考えでもある。それを警告しに来た。お前には知ってもらうことがひとつだけある。そのために来た」

 そう言うと、影の少女は地平線の向こう側に指を差した。何も見えない、と言うと、耳を澄ませ、と言われた。それに従って耳を澄ませていると、軽く、高いが地鳴りのような音が聞こえてきた。信じられないだろうが、線路中に列車が猛スピードで走ってきている。どの列車も見たことがない。ここは新幹線は通ってないだろうが、新幹線と同じくらいのスピードで走っている。だからか、電車にも見えない。謎の列車が猛スピードこちらに走ってきている。深夜なのに。どういうことなのだろうか。

「お前に足りないものは」

 影の少女は、橋の手すりに立った。そこで、影の少女少女になった。制服を着ていた。白いパンツが見えた。胸は小さく、確かにあった。ショートヘアだった。見覚えのある子だった。だが、会ったことはない。会ったことはないが、見覚えのある子だった。可愛い少女煙草を咥えたままだった。

 夜が静まりかえっていた。少女が決然と橋の手すりに立って僕を見下しながらも、夜空にはたくさんの星がきらめいていた。青い深夜は地平線見渡す限りに広がっていた。少女は僕を哀れむように見ていた。空間が張り詰めていた。それを揺らす列車の轟音。少女がふらっと動いた。

「圧倒的な喪失だ」

 制服少女は橋を飛び降りた。少女が地面にたどり着くころに、列車は飛び込んできた。衝突する。血が流される。さっきまで話していたあの謎の影は少女で、彼女飛び降り自殺をした。僕が手を伸ばした時点で、少女は見えなくなっていた。なにもかもわけがからない。僕は止められたかもしれなかったのに、影の少女から少女になったところで驚いて、何もできなかった。もしかしたら、なにもするべきではなかったのかもしれない。彼女は僕が求めたか存在したのだ。だが、彼女は自ら消滅することになった。ということは僕は彼女自殺を願ったのだろうか。彼女 Permalink | 記事への反応(0) | 11:49

2021-04-05

anond:20180104132743

いかげん納得のいく理由を教えてくれ。

その理屈で言うと

子供山笠トーチトワリングよりも、語学プログラミングを教えろ」

ってことになるし、実際そうしてしま大人はいるだろうか?

日本ガラパゴス吹奏楽合唱よりも、厳格書法を教えろ」

ってことになるし、実際そうしてしま大人はいるだろうか?

古文漢文よりも、フランス語中国語を教えろ」

ってことになるし、実際そうしてしま大人はいるだろうか?

ベクトルよりも、初等幾何を今の倍やれ!それが国際標準だろ!」

ってことになるし、実際そうしてしま大人はいるだろうか?


これらは全然実現していない。

なぜ実現しないのか?

それは「今の大学生の9割が全然勉強していないから」だ。

もちろん彼らは結婚子供を産んでも子供勉強の面倒を見ることすらできない。


富裕層は2%しか努力しないといわれている。(ニッセイの国際コンクール支援奨学金受給者勝率)

富裕層10%しか努力しないといわれている。(田舎から大学受験勝利する確率)

(10+2)÷2=6で、まぁ日本人で努力するのは、たったの6%しかいないんだよね。

これでは古文漢文がなくなることは50年無いだろう。その程度の民族からね。

2021-03-30

anond:20210330094313_10代の人にはちょっと難しい話になると思うが、ゆとり教育で「数的処理能力」が衰えたからだと思っている。

東大を出たものアカデミアに残れず、東京理科大でもしっかりアカデミアに残れる人がいる。難関大学突破していても、18歳時点の学力が維持できないままずるずると落ちる人々は目立ってきた。

お前の世代は残れたのかとか陰口をたたく人も多いが、私の世代大学入学率は現役23%+浪人7%に過ぎない。しかも、国公立大学要求する科目数も今より多い。習う範囲も違う。

現役組が3割に満たなかったので、国公立大学を現役で突破できれば、知能には問題はなかった。ただし、教養文化資本には問題が多すぎのように感じられた。


ゆとり教育で、知能には問題がないという留め金すら外してしまった。このため、中学まで勉強問題がない人が大量に増えたため、15歳まで挫折を感じない高校生が急増した。

旺文社英文標準問題精講をご存じの方は多いだろう。もう22年改訂されていないにもかかわらず、まだ売られている。私のころには、これが国公立大学の「標準」レヴェルだったので、標準問題精講と名づけられたのである。これがしんどいという話を、私は母校で一回も聞いたことがない。新数学演習がとてもじゃないけどできないというレヴェルだった(はずだ)。


振り返ると、私の世代挫折を感じるのが当たり前だった。そのため、バスが1時間1本の地方でも、勉強を頑張る子供はいた。私だけではない。みんな頑張ったが、それでも落ちたという世代である

なので、格差を感じてずるい、という声があまり出なかったのである。たいていは数Iで地方高校生の7割は挫折していた。高1で複素数なので当たり前という声もあったが、平面幾何が完全にカットされた弊害のほうが大きいという教育者が多数だった。


数的処理能力が乏しければ、それだけコピペだらけになる。KC1とKClの違いも判らない人だっていた。コピペで都合さえよければそれでいいのだろう。それで27歳くらいまでは何とかなるだろう。けれども30代に入って子供を持つと、子供勉強の面倒を見ることが一切できなくなる。

2021-03-25

anond:20210325173658

数学に目を移すと、日本勢を抜いているのはタイベトナムだったりするんだよなあ。

どうしてこんなGDPのひくーい国に、抜かれてしまうんだろうかなあ?

日本人って怠慢なんだよね。

怠慢な人では研究はできないよ。


もう、アメリカ数学教授ホームページをみて、指導を受けている人のリストを見るとですね...

幾何だろうが解析だろうが、どっこの分野にも絶対中国人が。

日本はいないケースが多いんだよねえ。

なんでかなあ。

ダメ国家ってことでしょ。

anond:20210325032156

小学校数学は、あまりにも削減しすぎ。

尋常小学算術程度で十分。(どうせ中学になると幾何代数統計に特化するので無問題

まりにも刈っちゃったもんだから最初から満点続出で、小学校のうちから勉強ができると錯覚している親と児童が大量に出た。

国家責任なのに、だれも責任を取らない不思議日本人

2021-02-25

anond:20210225140643

追記

韓国人がこうまで幾何の熱心な国になったのは「日本人幾何が弱い」というのと、関係がある可能性がある。

2021-02-06

もう大学卒業して相当経ってるからいまいち覚えてないんだけど、高校数学微積って簡単だっだっけ?

工学部出なせいでむしろ数学で一番難しく一番使うのが微積みたいな意識があって、幾何とか使いもしないし難しくもないイメージしかないんだよね

2021-01-20

anond:20210120020902

中学2ってのは、中国旧制度にあった。いまは変わってるんじゃないかな。

バカロレアって対象年齢が19なんだよね。

なんで19なのかというと、初等幾何が19までかかっちゃう国があるから。(今でも多い)

2021-01-18

anond:20210118160116

ヨーロッパ人は性能の良い教科書を作れる。(幾何教程とか)

日本人には、あのレヴェルは作れない。

2021-01-09

anond:20210108232516

小学校の書写は要らない。

中学校でやる古典もどきも要らない。

中学数学幾何的要素も高校数学リンクしないので要らない。

中学美術音楽高校のように、選択式にして片方履修すれば十分。

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