はてなキーワード: 幾何とは
数学の問題を解いたり証明するときに、なぜかそこには、技、というものがある。しかし、数学の神が、なぜ、あるエレガントな数式上の技を使うと
解けるようにしているのかは分からないのである。受験生はそういう技を問題ごとにいちいち考えてもどうせ思いつかないために、あらかじめ問題と解答を
丸暗記して似たような問題が出たときには似たような技を使うことで解決すると思う。
これに対して、数学者のように、本格的に特定の分野に没頭し、特定の分野に関する証明技法を自分で案出するということになると、相当な集中を必要とすると思う。
我が国の数学教育では、ほとんどの場合、数学上の技法などを自分で案出するなど無理だから、問題と解答を手当たり次第に知るというのが平成の常識だったように思う。
逆にはっきり言って法律や数学を自分でやるなど論外である。そんなことは相当数の人が知っているはずなのになぜか言わない。平成時代にはそのような環境が用意されていなかった
ことに、 初等的な数学においては、 整数論は多くの人になじみがあり、ある程度集中すれば、その証明技法は理解できるが、三角形幾何に関してははっきり言って
ほとんど無理であり、演習経験もないからどのように証明していいか分からないし、証明を見ても何が書いてあるのか分からない。逆に整数論に関して言えば
2050年、 人類の使うコンピュータは、 ウエアラブルコンピュータからパーベイシブコンピュータへと進化 してゆく。
スマートネットワークに接続するには小さなマイクロチップを ピアスのように装着するだけ。
入出力のインターフェースは顕在意識の思考そのものを 脳波で受け取る。
2055年、
人類は遂に顕在意識を超えて、 脳波で潜在意識からの入力が可能になり、 人類相互ネットワークを完成させる。
2060年
ユビキタスなスマート機器も徐々に全て 人間のネットワークにシンクロされてゆく。
地球上のあらゆる「もの」がインテリジェンスを持ち ネットワークに組み込まれてゆく。
2100年
人類は地球意識を発見する、地球や惑星やそして恒星も 自分たちと同じ智慧や愛情を持った生物であったことを思い出す。
2170年
素粒子(13次元の超ひも)に畳み込まれた 究極の設計図「Xdna」の発見。
そもそもの宇宙の設計図、人類の集合知識、 アカシックレコードの一部が解明される。(なんてね)
2275年
智慧の急激な集積と、急速な出生低下。
2280年
楽園を目指した改善は進む、 人類はもはや必ずしも生まれ変わる(リィインカネイションの) 必要が減ってきたのか。
2355年
多くの人(魂)はより高い意識レベルの修行へと旅立ち、 より高い次元の根元を探求する。
※ここまでは1時間30分くらいでしょうか。
※ここからは5分
2356年
より低い意識レベルの魂の地球への移住が始まり、 人類は急激に増殖を始める。
2655年
2955年
公害の復活、更なる人口爆発、ネットワークの分断、独裁国家の成立
3000年
最終戦争の勃発。
しかし、
エデンの園の記憶を持った数人の人(子供)たちが生き延び、 人類再興に向かうか、、、しかし、先は分からないですね、 しかし、希望がある、勇気がある、立ち向かってゆく。
※ここで終わり。
なんて、感じでしょうか。
密度の違うものを通るときは光が屈折するとかは受け入れている(たぶん理解ではない)が、丸底フラスコに半分まで水を入れて、そこに5円玉を吊るす〜とか言われると、応用ができない。
初等的な光学の説明はそもそも分かりづらいと思うわ。近軸光学(幾何光学)であって厳密に成り立つ話じゃないのに、何が近似でどういう前提なのかというところが解説されない。近軸近似なのにレンズの端まで目一杯使った絵を描くしなあ。登場人物(光源、物体、そこから出る光の前提(ランバート反射とかそういうの)、光路とは何か、結像とは、etc)についてもほぼ解説が無く、なんとなく雰囲気で把握することを求められる。
ああいうのを「理解」するには知能というか空気読み力が必要なんだよな。発達の良さと言ってもいい。まあ世間一般的にはそれこそが「知能」とされてるから、それが大切って話ではある(でもって大学以降の物理でも実はそういうもんだったりする)んだけど。
ちなみに幾何光学というのは、線形波動方程式を高周波極限でアイコナール方程式というものに書き換えて、平面波解の位相成分についてのみ解いたものだ。えっ位相しか解いてないなら振幅は分からないの?となるわけだが、それは分からない。アイコナール方程式を解いた(光線追跡をした)あとに振幅方程式を別に解く必要がある。中学生に微分方程式を教えるのは無理があるとしても、登場人物と前提はどうにか説明しろやと思うわ。
代数学とか整数論は東大生でもかなりやっている、 組合せ論の問題は洗練されたものになってくるほど別に専門知識がなくても独自の検討で
解けてしまうものもある。一方で、平面幾何の問題だけはもうどうにもならない。
まず解いたことがない。基本的に平面幾何の問題は図を描いて説明するだけになるためなんといっても図を描くことが大事だが
補助線を引いたり、色々と難しい。
2006年にペーターショルツが解いた幾何の問題は結論から言えば解けない、 解法2のように独自の考えでベクトルを使ってシコシコ解く方法もあるが
2013年の組み合わせの問題は10人しか満点がいなかった。2011年にリサ=ザウアーマンが解いた幾何の問題は、非常に難しい。
解法1が最もエレガントだが、解法2のミケルの定理を使うのは複雑すぎる。
初等幾何において中点連結定理を初等的に証明しようとすると補助線を引いたり三角形の合同関係といったものに依拠しなければならずそのアイデアにおいても
専門知識にしても容易ではないことになるが、
高校で習うベクトルを使うと中点連結定理の証明はただの計算になってしまい、非常に幼稚である。そこには証明において知能は必要ないと言ってよい。
三角関数やその加法定理を教える事や測量などへの応用を教える事まではいいとしておいて…
数IIIや数Cまで学習する高校生には三角関数の微分(と積分)まで教えるのが当然という風潮があるがそれでいいのか少し疑問はある
というのも三角関数の微分というのは高校生が学習するには難しい部分が多分に含まれているからだ。加法定理より難しい
まず sinx/x=1 (x→0) さえ証明できれば加法定理を使ってsinxの微分が分かり
その後に他の関数の微分可能性や微積分が求まるのは事実である。しかしsinx/xの極限については証明が中々難しい
S^1を合同変換群の制限と同型になるような群とみなして実数群R^1からS^1への準同型のパラメーター表示として与えられるものやその亜種が
sinx,cosxの幾何的な定義であり高校数学の三角関数もこの類に連なる定義を採用している。この場合はsinx/xの極限は直ちに求まるものではなく
高校数学の範囲で証明しようとするとうっかり循環論法になる事がある。証明が台無しになるのを避けるのが中々難しいのだ。
一方で代数関数の積分として逆三角関数を定義してそこから三角関数を定義する流儀もあり、高木貞治の解析概論ではこの定義を採用している。
この場合は微積分はほぼ自明なものとして導かれるが上記の幾何的な定義との同値性を示さない事には
三角関数の幾何的なお話が全く出来なくなってしまい教育として足りなくなってしまう。
このように三角関数はどのように定義しようが微積分が難しいか幾何的な性質との関係を示すのが難しいかの何れかの困難が立ちはだかる物なのである。
そこを曖昧なままにして大雑把に教えるやり方もあるが、その場合は当の高校生達に「数学が厳密な学問ってギャグなの?」と笑われても仕方ないものになる。
結局どうすればいいのやら…
西階中学校では、近年、教育委員会が、 初等幾何や整数論を教えようとしているが、教員の中には、3,40代の者が多く、昭和58年に学習指導要領から
それらは廃止されているので、我々にはそれを教える教養も能力もないという意見があがっており、しかも校長は体育の専門のため、数学については分からない
ということである。
平成9年に西階中学校で整数論を教えていた小泊教諭らに聞いても、その当時は何もやっていなかったという返答。当時在籍していた生徒全員に聞いても
実質的には、斉野平先生から幾何学のなんのテクニックも定理も教わっていないといっている。
宮崎県高等学校の入試問題には幾何学の簡単な問題が出るが、10年一日のようなものであり、解けなくてもいいようにされている。
また、西階中学校の男子生徒の中には、幾何学に興味を示す者もいるが、女子生徒の中には、つまらないし、そもそも先生が教えていないとして不満を持っている者が多い。
延岡高等学校の生徒に聞くと、平面図形の問題は高校でも習うが、内容はメネラウスの定理、チェバの定理だけで無内容。定理を教わるだけで問題は解かない。
スタデーサプリの先生はセンター試験に出る多少難しい平面幾何の問題を解いているが、センター試験では誰も平面幾何を選択しない。
ザウアーマンが2011年に解いた幾何の超難問は、幾何でやることをある程度知っていて、パスカルの定理でバキっとやることを思いつくかどうかだった。
どのみち、幾何そのものをやったことがない場合は図を描くだけで終わるし、幾何でやるある程度の解析の仕方を知らないとどうにもならない。
あの問題は幾何の相当な手練れで、ドイツ人だからできたこと。当然超難問だったので10人しかできなかった。超難問の理由は、パスカルの定理を使うことが
意想外のことだから。
あの問題は、それ以外にも色々な主張をしているけれどかなり難しいのではないかと思う。難所はパスカルの定理を使うだけだがそれだけではない。
それよりもはるかにテクニックとしては劣るが、色々な主張をしている。
俺が初等幾何の問題についてできないのはその問題の圧倒的多数について興味がないからであり、俺がすげえと思って興味を持ったのは
2011年にザウアーマンが解いた奴だ。 しかし俺が色々考えて解いても、俺は幾何にあんまり興味がないので技術的考案とかできなかったし
模範解答のように、補助線を引き、インターセクションを使い、パスカルの定理に持ち込むなどということはとうてい無理である
我が国の幾何の学修は昭和58年に廃止されており教えられていない。その上、その問題に関したいていの場合、全然興味がなく、うへえとしか思わない
2011年の第6問は、 非常に美しい定理だったので必死で解こうとした。しかし俺には幾何の技術がないし当時パスカルの定理も知らなかったので完成はできなかった
しかし、それらしい解答は書けた。後で模範解答を見たら 最初から最後まで角度を使って解くところだけ考え方が合っていた。
インターネット上では、AoPSに、 デカルトを使って解いているどうしようもなくダサい解法が上がっている。 公式正解では、非常に洗練されたのが一つ、
もう一つは汚らしいものが一つ上がっている。
どのみち俺は幾何があまり好きでないし、そもそも、パスカルの定理も、インターセクションはしばしば使うことも何も知らないので解けるわけがない。
数学の問題、例えば幾何学の問題にしても、教科書も知人もいない人がいきなり初見で問題を見せられても、よほど偉くて頭がいい人でも
大体こうしたらいいということが分かるだけで、最終的な証明の完結は、幾何ではインターセクションを用いることは普通だとか点をintroduceすることも
普通ということを知らないと解けないし、いくら偉くて美しい発想をしたとしても、色々な論法、定理を知らなかったら解けないだろ。
数論の問題でも、「神が n≧16で分けろ」と指令してきたという体験はしたことがあるが、証明はテクニカル過ぎて出来なかった。
それだけ大体こうしたらいいということは分かるが、先生や知識がなければ完成させることは不可能。
代数学とか整数論は東大生でもかなりやっている、 組合せ論の問題は洗練されたものになってくるほど別に専門知識がなくても独自の検討で
解けてしまうものもある。一方で、平面幾何の問題だけはもうどうにもならない。
まず解いたことがない。基本的に平面幾何の問題は図を描いて説明するだけになるためなんといっても図を描くことが大事だが
補助線を引いたり、色々と難しい。
2006年にペーターショルツが解いた幾何の問題は結論から言えば解けない、 解法2のように独自の考えでベクトルを使ってシコシコ解く方法もあるが
2013年の組み合わせの問題は10人しか満点がいなかった。2011年にリサ=ザウアーマンが解いた幾何の問題は、非常に難しい。
解法1が最もエレガントだが、解法2のミケルの定理を使うのは複雑すぎる。