はてなキーワード: 幾何とは
数学はともかく実務法律学とか裁判官とか死んでもやらんだろ、2ちゃんねる数学版では幾何については誰も知らないからマウントがとれるって書いてあったけど
法学、司法試験板の場合、 それすら書いてないからな。 青葉真司が日本人に法学ははやかったとかいう意味不明なことをいってるけどそれ以前に
フェルマーの定理は n≧3とうった上で存在しないとしても、1,2では存在するのだから数学上完全無欠な定理といえるかは怪しい。x^p+y^p=z^pとうったばいでも、
p=2では存在するため、完全無欠ではない。だから孤立している定理であって他に使い道がないのではないかとされる。その理由は結局、n≧3という条件付きだからで
数学的帰納法はかなり大昔に発見されたが、帰納的に証明していくとして、いくつかの問題でその完全無欠性が明らかになって華々しい技術的議論が陸続した手法である。
更に、円とかシーフという概念も、次第にその完全無欠性が知られ、数学のかなりの手法に完全無欠性が認められた。
IMOの問題には様々な議論があるが、 (g(m)+n)(g(n)+m)が平方数になるg(x)は、一次関数の場合だけである、という定理も完全無欠性が認められる可能性があり、
宇宙の中で応用可能性が期待されるが、判例通説である、この国は出来上がっていて実体がないというとき、それが完全無欠ではあるが詐欺ではないかなどの議論があるが、
幾何では定理と補題というのがありどっちも超難問で登場するが、平成26年ごろの社会がそういう体系で動いているような気がするが、確かに幾何は2000年前から
大量の問題があって定理は他の問題を補完するときに輝き、補題はそれ自体が輝いているので、定理というのは他の問題に役立つときに輝き、補題はそれ自体が輝いている
のだけど社会全般を見たときにどのものが、他の問題を補完しているときに輝き、補完定理自体はそれ自体が最初から輝いているのだけど、どれがそれか分からないから最悪だな
例えば大病院は宇宙で様々な問題を補完するから輝いているのか、自転車や自動車は一定の場所に行くことを補完するからそれ自体が輝いているのか、一般にはまぶいと言われるが
定理はほかの問題を補完していないと全然まぶいとは言われないので、逆に自動車は、それ自体がまぶいのか、家は、個人の生活を補完するから時代を超えてまぶいのか、
そもそも習っていないから、どれがそれ自体がまぶいのか、他の問題を公共的に補完しているからまぶいのかは中々判別がつかない。
前田が拡声器でおらぶのはそういう手段に出るのはなんていうか、技術的な統合心理っていうかもう自分が出るしかねえと思ってるから出るんだと思うんだすよね
ただ単に幾何の問題でもそうですが、大体パスカルやなと思ったら出そうと思うわけなので。延岡署にも中谷などが書いた健康管理支援事業の内容が記載されているので
パスカルの定理というのは発表されたときに美しいと驚愕されるわけで時間が経つとみんなクソどうでもよくなっていくわけですが、そうではなくて、別の幾何の問題の中にそれが出てくるときは
既に飽きられたが発表当時には驚愕されたものが出てくるから驚愕的証明というわけです。これと同じことで考えてくると、inductionは数論と組み合わせなど色んな世界に使われるわけですが
inductionでかたづけられる問題がたまにあってそのときにそこにinductionが出てくること自体も驚愕的証明と言われる。2012年IMOでは意図的に難しい証明が書いているが、AoPSをみると
色々出ている。前田が生保支給後に黙っていないのには色々な理由がある。黒羽刑務所で氏名不詳の刑務官から、何でも言いたい放題だからいいじゃない、というアドバイスがあった。しかし
黒羽刑務所で氏名不詳の刑務官からそういわれたことは新宅の仲間は知らない。一般に前田の事は警察官が知っているというのだが実際には知らないのである。どのような道具が出現すると
現在の根本的な問題を片付けられるかはまだ発見されていない。新宅の仲間に対しては、NHK立花高志爆撃法すら効果がなくなった。前田の精神状態には色々な問題がある。第一に警察官は
知らない。10工場の中で長谷川と森脇がやっていた昭和の真夏の状態のままシャバに出した上にシャバの人がそれが理解できなかったこつにある。10工場で長谷川がやったいたことなどを
ワイルズはフェルマー予想をぐちゃぐちゃな方法で解いたのではなく、実際、モジュラー性を考えたときに複素関数の大宇宙の定式化でその先を補完していくのはおよそ不可能、到達不可能
であると思われていた。元々イデアル理論の時点で難しい教科書を書いてからの証明だったので、モジュラーではないことを言うための教科書も道具もないし、最終的に補完するものは
基本書にも用意されていないので自分で手段を考え出してそれを最終的に出現させるしかないだろうと思われていた。実際はワイルズ、リチャードテイラー、ファルティングスらは自分で教科書を
書いてやっていたわけだが、最終的な証明は由緒正しい群からなるK群に作用するという計算法のアイデアの出現によって解決した。ここでシンメトリックテンサーと取っているのも同じような理屈で
ワイルズが評価されているのは一番最後に美しいものを出現させるという伝統的な方法で到達したからで、むろん、幾何の世界では独自の考えに基づいて滅茶苦茶な操作をなし最終的に
作図せよといわれているものを出現させるという問題もありので、x^n+y^n=z^nは存在しないことに関しても滅茶苦茶な操作をして存在しないことを出現させるのも幾何の考え方だがそういう
サーカスのようなことは知能指数の問題で出来なかった。一般に独自の考え方と出現法を用いる場合、滅茶苦茶なものになることを覚悟する必要があるが、ここに出てきている図は何か恐ろしい
もののようにみえますが宇宙の世界では滅茶苦茶なものになることが昔から知られていますがそういうことを言う数学者もいないしそういう本もないわけです。
出現法というのは数学哲学でも最後の奥義で、何らかの価値のある偉大な定理、当初に発表されたときに驚愕されたものを知能によって出現させることで結論を出す手段で哲学でもっとも
魅力的なものである。しかしここでいう、警察官が出現すること自体が驚愕であるというのは全然足らない。あのような今更醜悪なものが無意味な事案において出現しても、パズルのピース
にはならないからである。初等幾何ではパズルのピースはパスカルの定理などになることが多いが、フェルマー予想の最後のピースは、フラッハ法という専門的なものであり、これが出現したことにより解決した。
よって、フェルマーの定理自体よりも、その結論を導き出した、出現法である、フラッハ法の方が驚愕的なのであり、非常に難しい。ここで最終奥義を出現させることは知能的に非常に難しい
問題とされており、コーシー=シュワルツの不等式を出してくる (a-b)^2+(b-c)^2+(c-a)^2≧0も、なぜ出現するのかと言われると返答に難しい。
とりあえず色々見て回っただけど、ジャスコに売っていて法学部にいたときに呼んでいた、ポリアの数学の解き方っていう本があったけどあんなのは教科書にもならないのでね。
その他、現代数学セミナーなど色々あったけどまあ本当のことは何も書いていない。赤チャートの正式版だけど、無限降下法が掲載されていたのは面白かったが、赤チャートの
おまけの冊子の方に、無限降下法が簡単に使える類題が載っていてそれぐらいしか参考にならなかったので買わなかったですね。それから、平成29年ごろから文科省が、
学習指導要諦を300円くらいで売るようにしたようですが、別に買う必要もないというかね。初等幾何のうち、何かが登場するようなものでも教えてないとあんな内容じゃ
誰も食いつかないと思いますね。それ以外にも色々見たんですけどあまり参考にならないというか、それからまた、法律関係の本は論外っていうかね、完全に意味も何もない。
延岡市のジャスコに現代数学セミナーがあったのはびっくりしたが、あんなの誰もよまんでしょう。なんの参考にもならない。私が受験生時代にその付録の幾何学の本があってあれには
載ってるかもしれないけど取り寄せる気もないっていうかね。あまり体系的に書いていないので。次に、国道のニトリの横で小泊健二が言ってるらしいスイミングスクールのターザンがあったけど
まあ高齢者ばかりだね。最後に風俗だけど、女性じゃなくてほとんど自分が出てくるのにうんざりする。ホテルのテレビで、Youtubeが視聴できるのはびっくりしたね。でもホテルに入ってからも、
2ちゃんねらーのわろたとか、任介の、ないぞ、っていうのが何回もこだまするので気が狂いそうになったんですが結局風呂は入って便所に拡声器を隠していたら自演がばれて発見されたん
ですけどね。キャストの言動を聞いてるとこないだも一回死んだとか言ってるんですけどこの人はもう5年くらい前から不定期で呼んでるどすが、そこのホテルのUNOの前に廃屋にビルもあって
そこの明かりがついているのと、UNOは全室やっていないのが特徴で、モアでは呼んでないんですよね。
Symmety&Cancelという技術は非常に有名ですが、それがどこから伝来しているかというと、正方形の中にはなめらかに正方形が存在するという事実からである。
証明は簡単で、 x 1-xとして Symmetircに作ると、 一辺の長さが √2x^2-2x+1 の正方形が得られる。これが定義域 0≦x≦1で、 常に正方形である。
しかしこれは幾何の補題なので、面積を要件を外したら何が残るか?というと多分、Symmety&Cancelなのですね。
それができるというわけです。っていうか 数学では、 Symmetryに配置すると必ずcancelができるようになっているっていうんですか、そういう極限的な条件の下に極限的なものが
成立するっていう技術的美的原則があって、面積の要件を外すと、これは多分至る所で使うことになる。
しかし、 Symmetry&Cancelというのは、青チャートにも赤チャートにも黒チャートにも、Z会の教材でも、北予備のテキストにも掲載されていないため誰も知らない。
それで平成9年頃には、地方の中学校の技術家庭科の先生とかですね、そういう昭和のガラクタみたいな人は知っていたかもしれないし、教えていたかも知れないが、誰も聞いていなかったか
聞いていたとしても次第に忘れたというか、仮に、延岡市の中学校の生徒がそれを聞いていたとしても誰も東京大学に受かっていないので
また、東京大や京都大に受かるのに、この、Symmetricテンサーと取りましたが、内積で、カップリングをでやると、知っている必要がないのですね
えーとですねぶっちゃけ分からないと思いますよ。昭和時代に昭和天皇が形成した東京の甚大な規模の都市が人類社会の正解であるかのようなwikipediaの記載などはないですしね
確かに10年くらい前から現在のようになって何の魅力もないといいますか、一見デリヘルでも、女の子の写真が掲示されているが、そのもの自体が終わっているし、終わっているものに
機能しても意味がないというかね、しかしもう絶対にそうなってるんですよね。そこで何の技術がないかというときに技術って一般に凄いものばかりではないので独自の着想でやってもへたくそな
着想でやってもいいのですが、例えば幾何の問題に方程式を設定したら解けるという結論になってますけども、佐藤になんの技術がないかというときにですね、まあ、技術を思い付く前に、
教養がないっていうかね、技術って基本的に多くの諸問題を解いてきたことによる教養とか着想からきますので、ただし昭和天皇っていわゆる善良な人でもいい人でもなんでもなくて昭和時代の
人がどんな人だったかというときにただのヤリマンなわけですね、つまり、専門知識や教養も徹底的に過激な者ばかり勉強するし、それを技術に応用する、だからこういう板橋区になってるんですよね。
確かに佐藤が映像に取っている、なんていうのですか、GLAYの全盛期とか、凄く臭いけど魅力まんまんな女の子とかそういうのを寝てる間に見せてきますがそういうことに関する教養とか技術しか
ないわけですね、あやつには。なんか、そういう日本人の弱みを握って操縦することに関する技術は集積しているのが東京であるわけだけど、人をやる気にさせるとか、昭和天皇の愛情みたいな
飯沼病院でも立野先生は元々ああいう姿ではなかったというかもっと学者みたいな人でそれからなんか財務省財務官みたいな人って異常に頭部が大きいのですがあれは何か
科学的根拠というか実務能力が高い人は頭部が丸くて大きいというのは根拠があるのですか。立野先生も頭が大きいように見えたけれど確かに、発電機にしても飛行機にしてもロケットに
しても、ものが大きいのでそれを作る人は頭が大きいとは思いますが、例えば、コラッツ数列って数論で思考しているから分からないので、数論幾何とか、数論のことを幾何学で考えるように
すれば、Largeになるというだけで、そこの中でしなければいけないというかですね。タオさんはエルデシュの教養があったから、素数と等差数列が融合しているのは∑1/aの中に入っていることと
同値であると言ってやっていったわけですが、そこから先は色々教養がいるし数論幾何や数論の問題を多く解いていないと着想自体ができないので、おーん。
計数工学科の宮ぺち様は、コラッツ数列の問題は計算機にやらせることと同値で、後はなんとか考えればいいといっているし、そういえばワイルズもですね、結局最終的な証明はただの計算機
のアイデアやなかったかと思うのですね。されから東大工学部5号館がぺち様の皇居っていうか、熊谷の家族が住んでいるところだけど、サブウェイ東大工学部5号館っていうのが融合したのも
その理由があるのか?
極めて初等的な計算技術として平成6年に押方彰一から習ったのが1から10までの足し方であるけれど、実関数論で、単にf(f(x))を削除するためだけに、シンメトリー&キャンセル
という着想があり、これがどのような法思想に由来するのかが理解できない。おそらく伝来としては、三平方の幾何のあの定理、すなわち、a+bの正方形の中にcの正方形を作成できる
という幾何の定理から来ているのではないかと思う。それを知っているからこそそのような着想が可能となるわけのものなので、2回目に、関数を2倍して消すのは簡単だけど、1回目の
操作が難しい。シンメトリーキャンセルという技術は、幾何の補題から、簡潔性、新規性、必要最小限性を除外して残ったもののように思う。あの補題から、そういう要素を全部捨てたら
何が残るか?シンメトリーキャンセルだけが残ります。それを使ったら有効に結論が出てくることが多い。だから、f(f(x))を消すときに使う人が多い。警察官の中にも、警察の力なめんなとか
いいながら4人くらいでどつめる人がいますが、対称に囲い込んで消しているかどうかは分からない。対象者としても囲まれているくらいの気分しかないのではないか。そのシンメトリーキャンセル
以外にも様々な定理や補題から抽出された技術があると思いますが、整数論だと、12 operation法っていうのもありますが、あれは別の整数の定理や問題に由来していると思うので、
頭髪がどんどん抜けて行って部分的にしか先鋭的に髪の毛がない、それ以外の部分がつるつるになっていて衝撃的だという強い感情、 または、そもそも 歯が取れたとかいうような恐怖感
は佐藤の夢の中でみたんだけれども、現実では、自分の頭髪が部分的にしか存在しない状態になったことがないので
法学部時代に、佐伯仁先生から、 結果む価値論 と 習って、 結果ハンカチ論とも言って、 結果反価値論、 行為む価値論 の2種類があり、
佐藤はとにかく私に金を出したくないので、平成30年3月29日から支払いを開始するようになってからも、色々な議論があって法学部で、あの人は何もいいことがなかったんですよといって
佐藤もしくは新宅正雄が強い意見を出したのでもともと、CWの宮脇や延岡市役所の判断で生活保護等を止めるつもりだったんですが、裁判所の一押しで、支払い決定になったんですよね
令和元年の10月頃に。それより前は相当悪かったと思いますね。 その後も散々に審査があって結局、どんどんでなくなった。 令和2年7月17日に、宮脇から払い過ぎたから
私が荒川河川敷に出るようになったのは、 14階が最初に、 「男?歌を歌っている」という通報を入れたときだと思いますが5年前なので覚えてないですね
ときに数学で、驚愕的な証明っていうのがありますが、幾何で パスカルの定理が出てくるのがそれにあたるが、個別の問題に即してそんなことはできないし、三平方の定理は教養で
あの図形が作れることは参考にならないので
数学の証明の論文がどのように進行するかについてまだ明らかになっていないので。 知能を働かせることで特定の要点だけを把握するとそれの連続使用で完結したりするので
パスカルの定理は幾何学の世界で至る所に出てくる有益有用な定理ですが、有益有用で、幾何学の世界ではスーパースターなので証明は簡単です。
一般に補題やLemmaが恐るべき存在なのに対して構成は簡単に終わるのと一般である。
定理の証明は、メネラウスの定理という、有村芳郎先生から教えられたセンター試験に出てくる定理を複数個所に連立させるだけでいいという造作もないもので
何らのエレガントな着想の必要もなく終了する。
パスカルの定理は、教育的に非常に重要なものであるが、Collarz列のように規模の大きいものではなく、円に内接するヘキサゴンの向かい合う辺を延長するときの交点がコリニアーであるという
珠玉のようなものなので、結論は驚愕で、証明は、教科書の範囲内で終了する。
これに対し、Collarz列は、数論の問題で、幾何ではない、 更に、 Cの定理の内容は、 555から開始しても1にいくし、それ以外でも1にいくというもので、更に有限回の操作という
内容でついている。4^nという自然数を仮定したとき、nが有限だと有限回の操作で1にいくが、有限でないと有限回の操作では1にいかない。従って、4^nという自然数は考えてはいけないのが
ところで、巡査は、Collarz列が大好きだが、 幾何の問題では、いくらでも難しい問題があるというか、個別の幾何の問題に即しいくらでも証明の難しい問題があるので、お前のような
クズに出来ることではない。
たけしさん
うーん、こうなんか最近、Newtonの雑誌に、感動する数学とか言って、パスカルの定理とかが出てるわけですが、数学の定理って感動じゃなくて驚愕するもんなので、感動しないと思いますね
あとですね、数学って定理の結論だけみせられて面白がるものでないので、Newtonの場合だと証明が書いてないから子供とかも読んでもむかつくだけで全然楽しくないと思うのですね
しゅうじさん
そーですね、あれはというかあの雑誌は本当に読んでて面白くないですね。前にも正方形の箱つめ問題とか警備員監視問題とか、コインの問題が紹介されていた号がありますが、まあつまらない。
幾何学の問題で、平面に2つの円があってそこに接する放物線は何個あるかとかですね、なんか中途半端で趣旨不明なものが多いですよね最近。逆に最新型計算機の、sicamoreは凄いと
おぺちさん
そういえば幾何学の教科書の最初の方に乗っていることで、平面に、2本の直線があったら一点で交わるってありますが、あれって定理なんですかね、原理なんですかね。その事実は
頻繁に使うので重要ですがそれを説明されて驚愕する人はいないと思うのですね。
なにとはいわない人さん
私は法学部在学中に駒込に部屋があってなんていうかそこで数学の勉強をしていたんですがまあその頃の幸せは凄いものがあった。数検1級も受けに行ったんですが結果が返ってきて
ショックだったというかまああの時代の楽しさは今の比ではなかった。逆になんていうんですか、東京拘置所とか黒羽刑務所でもやったんですがまああんなつまらん経験はなかった。
そもそも行きたくて行くようなところじゃないしね。東京拘置所も黒羽も人気予備校ではない。やっている内容をしっていたら日本人が喜んでいくようなところではない。
確かに法学部時代には幾何の彫刻性や完備性も知らなかったからアイデアもないしろくな成果も上がらなかったが、成果が出ないなりにまあ、法学部時代の楽しさは今の比ではなかった
アンドリューワイルズがコリヴァギンフラッハ法は非常にきれいな形で見つかったと言っていましたが幾何をやっていると非常にきれいな形のものがたくさんあるので
しかし黒羽は予備校ではないので、あの長谷川順一と森脇進一は偉そうなだけであんなつまらん作業場はないというか、あそこでの経験って何も得られるものはなかったし甚勝にもなれなかったので
甚勝っていうのは激しくやって勝つ人だということで、20年前に延岡工業高校にいた先生の名前らしいですが、20年前当時、甚勝という先生も延岡工業高校も便所学校だったので
知らなかったし、甚勝というのはそういう人だと思いますが、今更、甚勝がやっても何にもならないと思うからな。黒羽刑務所は便所中の便所なので、順一が、10工場は最低だと思うからな
と言っていたが、一方で、進一は、長谷川先生は日焼けサロンに行っているらしいぞ、といったら受刑者が爆笑し、10工場でも、こういう、笑えることがいえるようになってきたということだ、というような
こんな長い期間の賃金の実質化に、消費者物価指数なんて使っては駄目なんだよ。ラスパイレス・バイアスがあって、それが塵が積もって馬鹿にできない規模になっているから。パーシェ指数である消費支出デフレーターと幾何平均取ったりしないとならない。それをすると、この1997年から2021年にかけて物価は2%ちょっと下がっている。20年以上隔ててこれだから、誤差の範囲でほとんど物価は同じと言ってもいい。
4^n-1/3 という数はいかんながら爆増するため、自然数全体に占める個数の割合は非常に小さい。
n / 4^n-1/3 としたときに n→∞をとると、 0に収束するから、この理論だと、無限に存在するnについて1つも証明したことになっていない。ただし重要な結論として、
予想は、無限大のところでも成立していることが、この簡単な自然数に関するobservationから理解できる。
コラッツ予想を全部構築して完成させることは、いかんながら、ラガリアスが、現代数学を使っても届かないとしており、エルデシュも解き方が分からない、ないのではないかと言明している。
テレンス=タオは2019年に、ラガリアスの論文を拡張し、ほとんど全ての自然数で成立すると証明したが、全てではない。
テレンス=タオの論文を見る限り、上記のような初等的なものをちまちま発見していくだけでは到底届かないことが分かる。
エルデシュのような神がないのではないかという場合には相当重要な哲学上の言明になるが、なにせこういう問題はエルデシュの好きなものであるから