「保健室登校」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 保健室登校とは

2024-02-19

anond:20240219100940

家庭環境はギリ被害者としても中高保健室登校地雷男に捕まって男性恐怖症(?)は本人の責任だろ感あるよな

一般的感覚常識が備わった女ならそうはなってないというか

anond:20240219010418

家庭環境が複雑

中学高校人間関係がうまくいかなくて保健室登校

元カレ可哀想な目に遭わされて男性が信じられなくなった

底辺社不女あるあるフルコンボで草

こんなのとつるんでたら増田自身も消耗して一緒に破綻する結末しかいから厄落としできて良かったのでは

2年付き合ったメンヘラ彼女を引きずっている

「こんなに私のこと分かってくれた人他にいない」ってめちゃくちゃ依存されたし、連絡の管理や束縛もされてた

だけど当時はそれが全然苦にならないぐらい大事に思ってた

「どんな男の人より〇ちゃんが好き」

法律結婚できなくてもずっと一緒にいてね」と何度も言ってくれて、本気でその約束を生涯守る覚悟でいた

なのに

「男の人とお付き合いする事になりました」

「やっぱり普通女の子人生を生きたいです。ごめんなさい」

なんてLINEで突然振られてしまった

家庭環境が複雑だったり中学高校人間関係がうまくいかなくて保健室登校だったり元カレ可哀想な目に遭わされて男性が信じられなくなった話は何度も聞かされていたので、事実メンヘラではあったけど理由があって病んでしまった子なんだとも納得していた

から自分幸せにするんだ、この子を支えてあげるのが自分の役目だと思っていた

結論、本人が望む形で幸せになって欲しかったので、引き留めてはいけないと判断した

今までのお礼と、新しい相手との幸せを祈っていることを伝え、さようならメッセージを送り合った後に連絡先を消して死ぬほど泣いた

あれから何年も経っているし彼氏も何度か出来たけど全員うまくいかなかった

彼らは寂しいからと夜中に電話を何件もかけてくる事もないし、感情の起伏がおかしくなって泣きながら暴れたり掴みかかったり物を投げつけたりするような人も一人もいない

自分のことを本当に愛しているのか、一生裏切らないと誓えるかを納得するまで確認されるような問答や試し行動だって一度も発生しなかった

それが本来普通のことだと自覚すればするほど

「それほど普通でないはずのこと全てが全く苦にならないほど大切にしたい守りたいと思っていたのだから自分は本気で彼女が好きだったのだな」

と思い知らされる

そうすると付き合っていくうちに少しずつ「あの子の時に比べて自分は本気じゃないかもしれない」という気持ち差異を見つけてしまい、いつも結局別れてしま

今もふとした拍子に「ちゃんと元気に生きているかな、またごはんを食べなくなっていないかな」と思い出してしま

もう会う事がないのはわかっているのに「今夜いきなり電話がかかってこないかな」なんて考えてしまった事は数え切れない

の子よりも自分の方がよっぽど激重メンヘラになってしまった

2024-01-06

二十歳になって、15歳の私からハガキが来た

多分、授業か何かで書いたんだと思うハガキが家に届いていた。

 「成人した私へ

 成人おめでとう。

 15の私は、まあまあ元気です。

 今の猫は2歳です。

 7歳くらいになるんだっけ?まだまだ元気だと思うけど、もし地元から離れてるんだったら、そばはいないんだね。

 猫のことかわいがってね。かわいいから

 私のことだから、多分色々悩んでるだろうけど、生きていたら、なんとかなるので、生きて、本読んで、写真撮って、好きなことを好きって言えるのなら、それでよいです。それが全部です。

 15の私からしたら、それが全部です。

 大丈夫や。多分。大丈夫

 15の私より」

15歳(中3)の時は、制服が嫌で私服保健室登校してた。

高校定時制に進学が決まって、回復にむかってた時。

小6の後半から中学校丸々三年不登校だった。

中3の半ばくらいまで、ほぼ記憶が(多分ストレスか何かで)吹っ飛んでいるので、自分ことなのに又聞きのような状態になっている。

から、このハガキが来たときに「その時生きてたんだ。」と思った。

過去自分がいた証拠が、家の外からもたらされたことが、なんだか新鮮だった。

し、嬉しかった。

手紙メールなどを、意思疎通のためのものという認識しかしていなかったけれど、「自分がそこにいた記録」として手元に来ると、感慨深いものがあった。

これからいくらでも、デジタルで実現できるだろうけど、アナログじゃなきゃ手に入らないものをもらった。

手紙いいね

2023-08-23

あえて言おう 学校には行け!と

著名人から学校には無理して行かなくていい」という意見散見されるようになってから久しい。

学校以外の居場所なんて世の中いくらでもある、学校に行けなかったくらいで絶望するな、精神的に崩れてしまうくらいなら

学校に行くな、という趣旨意見である

…本当に正しいのだろうか?

というか学校でほどほどにやり過ごせないような人間が、社会に出てやっていけるとは到底思えない。

ここでポイントなのが、「学校での人間関係を上手くやっていく」ではなく「学校でほどほどにやり過ごす」というところである

上手くやっていく必要はないのである。ほどほどでやり過ごすのである

もちろんほどほどでやり過ごすということは、クラスの輪の中心にいるような人達よりは楽しい学校生活を送れないということの

裏返しでもある。人によっては辛くて孤独学校生活になってしまうかもしれない。

それでも、それでもである。ほどほどでやり過ごすのである。これより大切なことは他にない。

少なくとも思春期年代においては、学校に行くより優先順位の高いことな存在しないであろう。

とはいえほどほどにやり過ごすのを優先するのであれば、学校を適度にサボってもいいということにもなる。

夏休み明けであっても数日学校に行って疲れを感じたのであれば次の日休んでもいい。

そうやって適度に緩く過ごしている内に学校を上手くサボるコツを見つけることができたりするのだ。とても大事なことだ。

人間関係だってもっと適当にやっていい。友達と仲が悪くなってしまっても絶望する必要はない。また来週やり直せばいいのである

子供基本的にアホである。怒っていたことなんて数日経てば忘れる。どうしてもやり直せないと感じたら、転校すればいい。

そうすればまたやり直せる。やり直すのがめんどさいならそのまま過ごしてもいい。何も解決できないかもしれないが、そういう苦しい時間

乗り越えた経験はきっと今後の人生の糧になる。いつか必ず役に立つ。

なのであらためて言おう。学校には行け、と。

学校生活が楽しいものになるか辛いものになるかは人それぞれである

嫌な場所から逃げる勇気も時には必要だが、学校もっと適当にやってもいい場所である

教室に行くのが嫌なら保健室登校でもいい。新作ゲームの発売日はバレない程度に仮病を使って学校を休んでもいいのである

そうやって適度にサボっていく内に、学校なんて気合いを入れていくような場所ではないことに気付くであろう。

人間関係に失敗してしまってぼっちになってしまってもいいのであるぼっちざろっくの後藤ひとりだって

ひとりぼっちだけどちゃん学校に行っている。ぼっちちゃんライブハウスでようやく同世代人達と温かい人間関係にありつくことができたが、

もしも仮にぼっちちゃん学校に行かず不登校であったなら、同世代人間と上手くやれず、ひとりぼっちのままであったであろう。

というわけで。学校には行きましょう、という戯言でした。

もっと適当でいいのよ。でもそれが難しいんだよな。人生ってそういうものなんだよな。

2023-04-28

ほとんど学校に行ったことないけど、社会人として働き始めて3年経った。

社会人として働き始めて、3年経った。

いくつかの失敗も重ねたが、今のところ、それなりに順応し、馴染んでいるとおもう。

給与は身に余るほど、仕事内容も悪くない。同僚や上司との関係も良好に進んでいる。

これまでを振り返れば、今は上手く回りすぎているようにさえ感じる。

自分は、日本公教育ほとんど受けていない。まともに通えなかった。

いわゆる「怒る先生」が怖かった。今でも大声で怒鳴る人や、怒りをあらわにする人は非常に苦手だ。

義務教育たる小中学校の9年間のうち、保健室登校を含めても、学校に行った期間は2年に満たない。

続いての高校も2か月足らずでやめた。

しかし、両親が教員だったこともあり、幸いにも、何とか勉強をする環境は与えられた。

通信教育家庭教師、無数の本を与えてくれた。ピアノバイオリン習字などの習い事もできた。

いくつかの科目は両親が教えてくれることもあった。

感情表現の乏しい両親であるが、おそらくさぞやの心配をかけていただろう。感謝しなければならない。

その後、大学イギリス通信制大学に通った。途中から日本通信制大学にも所属する二重学籍だった。

というのも、自分勝手に偏った勉強ばかりに加え、社交性にも乏しい自分にとっては、入学試験がなく、学生間の交流も限られる通信制大学が、ほぼ唯一の現実的選択肢だった。

想定通り、グループワークのコミュニケーションには、社交性と語学力の両面から相応に難儀したが、あらゆる面で実りは多かった。

結局、想定よりも長い7年間、修士まで所属した。

日本就職活動を始めた時、自分のような学生は、面接官に奇異に映ったのだろう、これまでの学業の歩みを詳しく聞かれることが多かった。

少なからずはただの「奇異の目」で終わった。「社交性、精神的な脆さや不安定さに不安が残る」といったコメントをもらったこともある。

妥当懸念だと思う。しかし、いまさら隠しおおせようもない。そのまま続けるしかない。

そんな中でも、いくつかの企業は「主体的な学びの姿勢」と評価してくれた。

ジッサイは、「オモシロ人材枠」として、くじ引き感覚で拾ってくれたのかもしれない。それでも嬉しかった。

この会社で働き、3年が経った。

まだまだ分からないことがほとんどだが、それでも少しずつコミュニケーション能力を補いつつ、専門性も高めてきたと思う。

同僚や上司とも関係は良好で、待遇身分不相応に感じる。

とはいえ、いつ自分不安定さが致命的な落とし穴となるかは分からない、これからだろう。

いつも不安定にふらふらとしている自分が、今にあるのは、周囲の支援と偶然のおかげだとおもう。

今の自分は、本来自分デフォルトからまりに上振れしている。

いつそこに戻ることになるのかは、まだ分からない。戻ることになっても、それはそれで良い、と思っている。

でもまぁ、とりあえず、もう少しは戻らずに進んでみようと思う。

2023-01-24

anond:20230124072737

「法倫理に物申したい」という意見なので、一般人の納得感とはずれるかもしれませんね

簡単に言えば、高利貸しのような悪質な商売手法について法整備が進められるのと同じように、法整備されるべきだった。今の今まで無法地帯なのは司法女性蔑視だ。ホスト業は公正で善良な法倫理の許すところの商売とは言い難い。基本的人権毀損している

みたいな意見なのです。

高利貸しを利用する人が、例えばめちゃくちゃ悪い人ばかりもしくは馬鹿ばかりでいじめっ子で嫌な奴で暴力的な柄の悪い奴とか、犯罪者ばかりが利用してるとか、そういう個人的な私情は高利貸し違法化否定する理由にはならないのと同じように。

ホストもそうだと言ってるのですね。高利貸し被害者犯罪者だろうと高利貸し被害者なんですよ

まり高利貸しという悪質な商売手法により公正ではない取引を具体的に行った人物であるということです



それと、弱者女性という言葉意味あなた文章からまり理解できなかったのですが、弱者というのは社会学意味弱者ではなくて、ネット流行っている言葉で、虐められる容姿メンタルの人みたいな意味ですかね?背景がわかりませんがよくない環境でしたね。

差別主義いじめはよくありませんが、それとこれとは別次元の話ですねってことです。

日本では反差別教育全然しないんですよね。容姿年齢差別は、大人の間でも子供の間でも堂々と行われていますヘイト差別について日本改善点が多い。個人問題でもありますが、大人差別を野放しにしすぎです

イジメ問題も、学校加害者を野放しにしすぎですね。加害者が見つかったらすぐ三者面談すべきでしょう。必要なら保健室登校に切り替えて加害児童教室に入れない工夫が必要です。

親も学校イジメ暴力事件や深刻なハラスメントとは捉えていないようで、警察に行き刑事事件にするとか弁護士を雇って慰謝料請求するとか、さっさと解決するというドライな気風にはなかなかならないようですね。「大事にするのは大人げない」という神話があるらしいですがそろそろ村社会から現代文明へと進化してもらいたいものですね。

2022-11-19

無理にでも学校行かせたほうがいい不登校もある

ワイは不登校というか、結果的学校に行かされたので登校拒否してたのだが、今振り返ると強制的学校に連れて行ってくれた親には感謝している

母親が厳しい人で不登校など許しませんという人だった。結果、本当に引きずられて車に載せられて学校に行った。保健室登校すら許されてなかったので、授業は教室で受ける、休憩時間図書室や保健室で過ごすという陰キャラムーブをしていた。期間は小2から小6まで。

おかげで勉強に遅れが出ず、図書室や保健室でやることがないので計算ドリルをやっていた結果、計算力がメキメキとついた。おかげで第一志望だった中学に受かり、通常ルートに戻ることができた。

もし家にいたら親が仕事に行っている間はゲームとかしかやらなかったと思うし、生活リズムも崩れてたと思う。

不登校=無理に学校学校と言わないというのは定石だが、生活リズム勉強量をキープする大腿手段がないのであれば、多少荒っぽくても学校に行かせたほうが本人にとってマシな結果になるんじゃねと思ってる

2022-04-25

保健室登校のあの子

高校の時、隣のクラス保健室登校してる子がいたわけ。結局、一度も喋ったことはないんだけどね

保健室では保健医に向かってすっげーうるせー鳥みたいにピーチクパーチク喋ってんのに、教室戻ると自分の席で下向いて机凝視したまんま少しも動かねえしもちろん喋らねえの。

え?二重人格?てかまあ、内弁慶みたいな気質だったんだろうな、とは思うけど。

んでさあその子名前も知らないその子が、俺の部活めっちゃくちゃこきおろしてんの。卓球部だったんだけど俺は。

オタクのあつまりだし、卓球とかだれでもできるし~みたいな卓球部が生涯で言われることベストテンフルスロットルでずっと言ってんのね。その保健室のベッドで卓球部部員の俺が寝てることも知らずに。

自分で言うのもなんだけど、うちの高校卓球部って結構強いわけよ。まあもれなく全員ダサメンではあっただろうけど。でも毎日必死練習してるわけ。

それをさあ、同じように部活頑張ってる陽キャとか、めちゃ勉強に打ち込んでるガリ勉とかでもなく、毎日教室に通う勇気も根気もろくになくて保健室女王様面してるその子に言われたのがクソムカついたわけ。

いやてか保健医なんか言えよって感じだったんだけど、俺らには厳しいそのオバハンは不登校予備軍の生徒には肯定しかしないわけ。腫れ物を扱うように「そうだね」しか言わないわけ。まあカウンセラーじゃないし仕方ないんだけど。

その日俺は水泳の授業上がりに冷えた牛乳飲みすぎて腹壊して保健室で寝てたんだけど、その子の話が不快すぎて顔色悪いまま教室戻ったわ。そのまま残った方が精神衛生上よくねーもん。

俺がカーテン開けた時、その子は初めて気付いたみたいであっヤベッって顔して一瞬で黙ったんだよ。さっきも言ったけどそこそこ強い部活だったから、名前も知られてたんかもしれない。でも俺はその子の顔しか知らない。

ここで俺がもっと性格が悪いかもっと度胸があるか、もっと機嫌が悪かったら「喋る元気あるなら教室行けば?」って言ってたのかもしれないけど、そんなに優しい人間じゃなかったので普通に無視して保健室を出た。

の子保健室登校になった理由とか、俺は知らない。

すげーいじめられたのかもしれないし、勉強についていけなくなったのかもしれないし、ただ単にクラスにムカつくやつがいたのかもしれない。何も知らない。

何も知らないけど、守られてるのは今だけだよってくらい、教えてあげればよかったのかなあ。

2022-01-14

文学部になんか行くな、勉強しても報われないぞって初めから言え

いただいたコメントを受けて過去を冷静に振り返るエントリも書いたんで気になる人は見ていってください。

https://anond.hatelabo.jp/20220116181308

23卒の文学部マジで日本キャリア教育も私の周りの人間もとことんなじって泣きたい気分だ。

まず受験を経て中学入学してから大学受験は恐ろしいものだという周りの言葉にしたがって、青春勉強にささげた。

高校生の私は、文学映画といった芸術が好きで、それを勉強してみたいと思った。

そうして文系選択し、今まで以上に勉強を続ける。

その結果、オープン模試では浪人も含めた受験生で一位になるなど、自分でも本当かよと思う成績を常にとっていた。

そして大学受験過去最高の点数をたたき出し、狙い通りに宮廷大の文学部に晴れて入学

入ってからは、サークル所属することもなく(人と関わるのが面倒くさかった)、変わらず勉強に打ち込む日々。

文学理論の本をあさり文学作品を読み、レポート必死に書いた。

アルバイトはしたのだが(ノンバイサーはさすがにやばいかもと思ったので)、結局勉強する時間がなくなったし人と関わるのがしんどかったので半年でやめた。

そして今、就活を始めてやっと気づいた。今の私を求める企業なんかない。

ESに書けることがない。ガクチカで、今まで勉強を一人でしてきました!とは書けない。自己PRで、成績めっちゃいいです!とは言えない。

そこまで頭がいいなら研究者になれば?と思うかもしれない。しかし、私が得意なのは勉強であって、真理を追究しようという強い意志も、狭き門を狙って親の穀潰し10年以上続けるほどの度胸もない。

もし仮に十年以上穀潰しをやって、博士課程を出たとして、そしてどのポストもつけなかったら死に向かって一直線だ。

親は私が文学部に進むのをまったく止めず、「せっかくその頭があるんだから好きなことを研究しなさい」と言って送り出してくれた。

小学生の時から中学受験のために塾に入れ、バカ高い私立進学校学費を払い、ここまで育ててくれた。

ごめんね、ありがとう、でもあなたたちはマジで教育を間違えたよ。私のこの先の人生のことはまったく考えずに、勉強だけさせたらいいと思ってたんだね。

勉強だけしてきただけあって、私の大学での成績はGPA3.6。宮廷でこれなら、かなり上位のはず。

そしてそれを見た親は、ここまで来ても「そんなに頭がいいんだから人生一度なんだし院に行ったらいいんじゃない」「研究者になったりして!」と言う。

親は分かってないのだ、何にも。文学研究者になって食っていくことの困難なんて。もうすでにその一度の人生を棒に振りかけてんだよ。

仮に文学修士卒業するとしても、そんなやつどこの誰が雇いたいと思うのか。6年間文学研究してた人間を雇いたいと思うか?誰でもいやだろ。

これなら、「お前の人生はお前で歩け。後はしらん」と放り投げて知らん顔する親の方がまだよかった。

親の言葉を信じて、親も私の成績の良さが誇らしくて、共依存になっているうちにここまで来てしまった。本当にばかだった。

もう今では、自分は学ぶのが好きだったのかどうかすら自信がない。

勉強する才能は間違いなくあるのだろうが、学問が好きなのかというと分からない。というか、正直多分そこまで好きじゃないし向いてない。

高校までは、勉強さえしていれば褒められる。私は三教科で偏差値80越えの生徒だったから、周りの先生や生徒に、そして親にちやほやされていた。

その実、性格的にはややコミュニケーションに難があり(HSPなのかメンヘラなのか知らんが、常に不安でいっぱいな感じ)、高校生活でも最後保健室登校みたいになっていたが、それでも注意されることはなかった。

甘えてないで人と接しろと、それがお前の将来のためだからと、そんなことを言ってくれる人はいなかった。

から大学でも勉強さえしてればいいんだと思った。

分かっている、悪いのは私だ。一人でできる勉強にばかり逃げて、人と関わろう、向き合おうとしてこなかった。

自分価値決定を他人に任せてきて、褒められたか自分は生きていていいんだと、そんな風に他人任せで真面目に自分人生を顧みなかった。

でもさ、でもよ、大学入学までの18年間、ずうっと勉強しては褒められる環境にいた結果、「勉強をしてれば報われるんだ」と考えてしまったのは私だけの責任じゃないはずだ。

思ってしまうのだ、そんな私をつくったのは、親であり教師でありこの社会システムのせいでもあるんじゃないのかと。

高校では「勉強していい大学に入れ!」と尻を叩かれつづけ、大学に入ったら「好きにしろ(あと数年で就職だけどね)」と放っておかれる。

最初から言ってくれよ、文学なんか勉強しても社会で何も必要とされないって。

国語特にできるね、読書が好きなんだね、マイナー映画も好きなの?なら君は文学部で好きなことを勉強しなよ。

いい加減にしろ!そうやって私の将来なんか何も考えることなおもちゃみたいにして!誰も私の人生ことなんか考えてねえじゃねえか!

私が優れてるのは小手先の成績であって、持っているのは記憶力と心配性であって、研究を続けられるずば抜けた力なんかねえよ。それぐらい見たら分かるだろうが。

初めから言えよ、今までと同じように勉強だけしてても、お前はゴミしかならなくて生きていけないよって!研究者になれる人なんか一握りだから勉強はもうやめろって!

だれか途中でせめて軌道修正してほしかった、叱ってほしかった、もっと真面目に将来のことを考えろって。今のままじゃ、社会は誰も今のお前を必要としないよって。

こうして高学歴こじらせ人間爆誕しました。

今までの人生何だったのか。私が大切に持ち続けていた成績という武器は、もうどこにも通用しない。

もっと人と関わればよかったんだ。いくらそういうのが苦手でも、コミュニケーションで疲れてしまっても、無理してでも普通大学生活を送ればよかった。

もう涙しか出ませんよ本当に。どこにも行くあてはないよ。キャリセン行っても面接講座行っても涙目で、電車で泣いて変な目で見られたさ。

みんな、親や教師ことなんか信じずに自分の力で歩いてたんだよな。大学勉強だけやるなんて馬鹿なことはせず、、社会勉強ちゃんとしてたんだよな。偉いわ。

それに比べてなんて私は馬鹿だったんだろう。将来のことを本気で考える頭もなかったんだから、これじゃFラン以下の脳みそだ。

誇れるのは成績だけだった!!てへ!!

あーあ、死にてえw

追記

アドバイスくれた人ありがとうな、こんな読みにくくてルサンチマン爆発の日記コメントしてくれて。まだ絶望感がやばくてずっと涙が止まらんが、資格バイト、公務員学校の推薦、就活対策など、頭冷やして今からでも動こうと思う。あーでもやっぱり辛いな、曲りなりに頑張ってきたつもりだったんだけどな。

追記

引き続きコメントありがとうございます。他責しつづける幼さや浅はかさ、指示待ち人間なのがそもそも問題なんだなっていうのがよく理解できた。みんなちゃんと生きててマジすごい。

これから人の良さやすごさを見つけて尊敬できる人間になるべきだと考えたので、自発的に人と出会いに行くところからでしょうか。

あと人格が未発達すぎるというコメントがちらほらあるけど、専門家に行ってみた方がいいレベルなの?俺の怠惰さが原因なだけで修正可能なのか、先天的問題がありそうなのかわからん劣化版チャーリイ・ゴードンは嫌だ。

2022-01-13

不登校での逃げやら選択やら

小学校中学校保健室登校不登校を繰り返していた。今振り返ると親に相当申し訳ないことしたしメンタルが相当弱かったのだと思う。

詳しく話すと

小5 クラス学級崩壊&暴力に合う→保健室登校&転校

小6 自分空気の読めない性格が災いし女子からハブられる&ある男子からよく身体的ないじめをうける→不登校

中学 中受して中高一貫校に通う。発達障害を持った子に付き纏われる&性被害フラッシュバック保健室登校不登校を行ったり来たりして、勉強についていけなくなり中学卒業タイミング高校を外部受験して偏差値40台の高校に進学。学費無駄にしてお父さんお母さんごめんなさい。

高校の時は流石に自分人生このままでは詰んでしまうと思い皆勤学校に通って、中学でろくな学校生活を送らなかったコンプレックスがあったか部活生徒会も加入して我ながら高校はかなり充実してたなとは思う。

現在二浪した後、大学2年生をしている。大学での勉強楽しいし仲の良い友人もいて楽しい日々を送っているが、時々小学校中学校で歯を食いしばって学校に行っていたらよかったと思う時がある。男女間や先輩後輩間での人付き合いの距離感おかしいのではと不安になるし、あの時の感性感覚はあの時でしか手に入れられず、ちゃん教室に通う学校生活を送っていたら手に入れられたのではないかと思う。

この間、グループワークの打ち上げで友人に「二浪してなきゃこの大学入ってここで飲んでないんだよ??」と言われた。確かに今の生活否定するものでは決してないし中学を辞めて進学した先の高校出会った友人や思い出、浪人時代出会った友人や培ったものもかけがえのないもの

だけどちゃん学校通っていて高校にも内部進学してたら二浪もせずに済んだ気がするし、色々捻くれずに済んだんじゃないかなーーって思う深夜2時。

2021-10-31

お礼を言いたい人がいる

中学2年のときクラスメイトのAが不登校になった

年度当初からハブられていた私には正確な原因はわからない

けど、どうやら同じ吹奏楽部のBとイザコザがあり、幼馴染のCやDを含むグループからハブられたり陰口を言われたりしていたらしい

夏休み明けから1度も教室に来なかったAだけど、10月くらいには保健室登校作業療法をするようになっていた

同じクラスの幼馴染で唯一Aの味方だったEは休み時間ごとにAの世話を焼きに行っていた

部外者の私は、CやD(内申目当てで生徒会Cは生徒会副会長、Dは学級委員だった)が物置代わりにしていたAの机から、画用紙や何やらを教卓やロッカーに移動させていた

嫌がらせとなけなしの正義感のはけ口だ

そんなある日、CとDはAが保健室作業療法をしていることを知ったらしい

すこぶるご機嫌が斜めだったのか、教室のど真ん中で大声で話し始めた

自分たちが頑張って勉強してるのにAは遊んでばっかり」

学校もずっとサボっていたのに」

「ズルい」

誰のせいだよ、と思ったけど、チキンの私は口に出せなかった

止められない不甲斐なさとか怒りとか悔しさとかで泣きそうなのをこらえていた

そのとき、私の後ろの席の男子

「そういうこと言うの、やめろよ」

彼女たちを止めた

教室中が静まり返った

興ざめしたのかひるんだのか、彼女たちはそれ以上何も言わなかった


そのあと、私はAに関わることを決意して、Eの他にも味方はいることを伝える手紙を、E経由で渡してもらった

3学期にはAも少しずつ教室に戻ってきて、進級を期に完全に復帰したらしい

3年生の時はクラスが分かれてしまったけど、卒業時にお礼の手紙をもらった


ちなみに、発端になったBは、CやDの言動やAが不登校になってしまたことに自責の念を抱いていて、こっちはこっちで情緒不安定になっていた

Aは部活を辞めてしまって、結局仲直りはできなかったみたい


で、私がお礼を言いたいのは、CやDを止めて、私に勇気を出させてくれた男子

名前は覚えているし、何なら母親同士に交流があって、地元消防隊に入ったこともしっている

でも、彼はもう当時のことは忘れているだろうし、そもそも私のことすら覚えていないかもしれない

なので、自己満にここでお礼を言っておく


ありがとう

あなたのおかげで私は勇気が出せたし、CやD以外のクラスメイトのことを信じでみようという気持ちになれました

今でも人を信じていられるのは、あなたのおかげです

これからも、まっすぐなあなたでいてくれることを信じています

2021-10-18

anond:20211018050702

反ワクさんはずっと不登校保健室登校、それかなかよし学級だったんだね。

2021-09-11

不登校児と同級生だった人の話

群馬の20代夫婦の女の方に似てた同級生がいた。似すぎて思い出したことがある。 

の子をA子とする。私とA子は義務教育期間の9年間同じクラスだった。

A子は小学校入学から同級生の2倍くらいの横の大きさだった。小3の時から不登校気味になった。

先生同級生もA子に対して優しく、というか甘やかした。結果、A子は大人しい子をいじめ保健室登校児に進化した。変に口出ししたら、自分のせいにされ、不登校になるから誰も注意できなくなった。

小5になった。厳しいが理解のある男の先生担任になった。A子の将来のことを踏まえて、教室に来れるように取り組んだ。その一環として、私の親友であるB美がA 子のお気に入りだったので私含めたグループで一緒に行動するように言われた。

しかし、A子は私が気に入らなかった。理由は、A子の言うことを聞く大人しい子ではなかったから。A子は私をハブにした。私は本人に面と向かって注意した。当たり前の主張をしたはずだが、本人からしたらあり得ないことだったので、A子は担任に私のせいで学校行かない旨を言った。担任は、状況把握してたので私は悪くないことを知っていたらしい。次から何かあったらA子に直接言わないで、先生経由で注意するから相談するように言われた。

しかし、私の存在自体が気に入らなかったみたいなので、女子トイレの壁に「私の名前」と「死ね」を書かれた。事態を掻き回すのが大好きな意地悪な同級生と一緒に。ちなみにコンパスの針で。消えないやつじゃんwww

当然問題になった。担任は徹底的に対策した。

他の同級生が私の味方になってくれた。そしてA子は学校に来なくなった。

例の意地悪な同級生がその子学校に来れるように、クラスのみんなに寄せ書きするように呼びかけた。私は断った。凄い顔で「は?」とか言われた。他の同級生の計らいで、私は書かなくていいことになった。書いたとしても「お前将来どうするの?」的な、追い詰めることしか書かなかったと思う。今思えば、書けばよかったかな。

その後は学校に来たり来なかったり。私に関わらなくなった。A子はB美がお気に入りだったからつるんでた。私はA子とB美が一緒にいる時は間に入らないようにして、他グループに入ってた。

中学3年間も同じクラスだった。最初心機一転学校来てたがだんだん来なくなった。担任同級生も、ちゃんと来れるように取りなしたが効果なし。他人善意が当然なのか簡単無駄にできるのが、世間知らずというか、少し哀れだった。

A子が保健室登校してる日に私は席が近いので給食を届けたことがある。目を合わさず何も言わないで受け取ってて、「ありがとうじゃないの?」と言ったら、次の日先生からA子の給食運ぶ係のクビを言い渡された。中学で会話?したのはこれだけ。私は、特別扱いしないで他の同級生と同じように接しようとしたが、上から目線が良くなかったかな。

義務教育終了したらあと、A子は高校に進学していない。本当は公立定時制高校に進学するつもりだが直前でいきなり受験しない宣言をだした。

現在、たまに仕事外回りでA子の実家を通る。前からゴミ屋敷だなーーて思ってた家がだんだんひどくなっている。動物禁止借家なのに猫が何匹もうろついている。A子がその家にいるかは知らない。うまいこと、周りに恵まれて自立できてたらいいなとは思う。

2021-09-01

つらくても新学期はじまったら学校に行け

学校で嫌なことがあったら逃げてもいいって言う奴もいるだろうが

結局最終的には誰も助けてくれないか学校に行け。

俺は不登校保健室登校留年も休学も経験したけど

30になっても人生どうにもなってないし未だに職歴もないか学校に行け。

どうにかなる奴もいるんだろうけど基本どうにもならないか学校に行け。

その結果潰れたとしても関係ない。

人生が終わる経緯が変わるだけで結果は変わらないんだから

潰れてから学校をやめればいい。

結局はいつ潰れるかの問題だ。

可能なら就職までたどり着いて職歴つくってから潰れろ。

厳しいこと言うかもしれないけどそうするしかない。

ただ、どれだけしんどくても年金免除申請だけはやっておけ。

俺はそれだけはやっておいたから今なんとか生きていられている。

2021-08-28

anond:20210827224212

自分場合自意識過剰由来かな。

自分だけでは力不足なことは堂々と頼れるけど、自分は恵まれ環境にあると意識した時がダメになる。

みんなに大事にされているか迷惑かけちゃいけない、

世の中には頼れる人がいなくて一人で頑張ってる人もいるのに

楽をさせてもらっている身分でこれ以上の贅沢は望んではいけないって思っちゃう

保健室登校とか親に駅まで迎えにきてもらうとか絶対無理だった。

2021-05-14

いま保健室登校同級生

あなた給食保健室に届ける係のものです。出席番号があなたと近いか指名でなりました。正直負担です。なので、来週からボイコットします。

給食保健室に届けるのは完全にボランティアです。私はほかにクラスの係とか委員会とかあるんです。給食を受け取った時、最初は目を合わせないでお礼を言ってくれました。今は届けるのが当たり前みたいな態度ですね。まあ、元から、私はあなたのお礼なんていらないです。価値がない。

給食自分から取りに来てください。

2021-04-25

「5年間不登校だった息子」に書かなかったこと。

anond:20210424185039

とにかく、嬉しくて少しでも息子のことを思うと、ほんとに一日中涙が止まらなくて、逆療法みたいなもので吐き出したらいいのかなと思ったか増田に書いた。

実は前もそうだった。

そこに書いた娘の不登校の話。増田を探せばまだある。消した記憶はないので残ってるはず。

その時も、増田登録ボタンを押して号泣したけど、すぐ涙は止まったので、今回もそのつもりで投稿し、同様に涙は止まった。

普段は常に感情を抑えてるんだけど、その反面で、息子に「死ね」と書かれた手紙をもらった時のように、極端なほど感情コントロールが効かないことがある。滅多にはないけど。

 

でも、息子を殴った、と書いたけど、頭の硬いところを狙って、コツンと力を入れずに2、3回叩いただけだよ。

だって、やらないと、息子がやり返してくることが見え見えで、先制する必要があったから。

部屋に入った途端、息子は送風機を持って待ち構えてたんだから。当時中三身長170cm以上あるんだぞ、私だって怖い。

から、殴る前に柔らかい布団の上に息子を押し倒したわけ。

たぶん、はっきり暴力したのはその時くらいで、過去には、布団にくるまって出てこない息子を布団の上から体重かけずに踏んだことが一回あるだけかな。

それでも暴力暴力かもだけど、実際のところ、めちゃくちゃ悩む。

本気で殴らないと、本気と思ってもらえないかも、だなんて考えもある。

一方で、暴力肯定させてもダメだ、というのもある。

結局、その時で、最善だと思った行動をするしかない。それが良かったのか悪かったのか、なんて分からない。

子育てに正解なんかない、ってよく聞くけど、マジでそう思う。だからって、親の自由にやっていいわけでもない。

その辺は、悩むしかない。

色んな、育児書みたいなのも読んだし、色んな人に話も聞いたけど、参考にはなっても、正解なんてどこにも見つからなかった。

だけど、色々苦労しつつ思うのは、私の親だって多分、悩み抜いたんだろうってこと。

私は親にとって、酷い息子だったと思う。

 

ゲーム機はね、確か、妻が壊してから、しばらくして同じものを買い与えたという記憶がある。

一応、弁解みたいになるけど、親の許可なくやってはいけないと言ってるのに、隠しておいたところから息子が親がいない間に、探し出してこっそりやってたんだ。

それでも確かその頃は、息子のために、六時間くらいはゲーム時間は作ってたんだ。

その代わり、保健室登校頑張れって、応援したりしていた。ところが息子は「頑張る」って嘘ついてたわけ。

たまたま、妻が、忘れ物をしていたので、普段はいない昼間の時間帯に自宅に戻ったときに、それが発覚した。

そりゃ、妻だってキレるよ。

ただし、それすら予測済みだった。だから、そうならないように絶対に見つからないところにゲーム機を隠した・・・筈だった。

それでも、息子の方が親の想定を上回った。まさかあんなところに隠したのを見つけるなんて、完全に想定外だったから。

風呂場にある天井点検口の裏だよ? マルサでもあるまいによく見つけたもんだと関心すらした。

から、それをきっかけに、ゲーム規制を諦めた。取り敢えずはその場凌ぎで昔のWiiかPrayStation2かなんかを渡した記憶もある。

好きなだけやれ、と。

その後は、大画面ディスプレイや専用コントローラまで買い与えた。

 

結局は、方針はただ一つだった。

彼が「自分意思で立ち上がろうとする」こと。

実は、これはエヴァンゲリオン新劇場版にあった庵野監督所信表明にそうあったのを覚えていたから。

エヴァ」はくり返しの物語です。

主人公が何度も同じ目に遭いながら、ひたすら立ち上がっていく話です。

わずかでも前に進もうとする、意思の話です。

曖昧孤独に耐え他者に触れるのが怖くても一緒にいたいと思う、覚悟の話です。

この所信表明がなかったら、どうなってたのか分からない。

娘の時も、確かこれだった。

何度も何度も挫けそうになるかもだけど、その度に自分意思で立ち上がるしかない、って。

親ができるのは、信じることだけ。そう思ったのです。

 

これで、うちは子供2人しかいないから、もう増田子供のことを書くことはないと思う。

追記トラバブコメも全部、ありがとう

不登校対策に第2の学校を作ればいいのでは

保健室登校もっと力を入れるとか、フリースクールかにもっと公が介入していくとか。通信制中学校とかもいいね。とにかく自室以外の社会とつながる居場所を作らないとだめだと思うんだよなあ……

2021-04-24

5年間不登校だった息子

昨日、めでたく高校入学式に行った。

涙が止まらない。

 

不登校になったのは、小学生五年の時だった。

理由は、ゲームに熱中し過ぎたかである

しかし、他にも要因があって、息子が不登校になる前に、上の娘の方が不登校だったのである

娘は息子の三歳上だが、小学生六年の時、悪質な担任に当たり、とんでもない差別というか、エコ贔屓を超えたレベルほとんどいじめに近いことをされ、担任からなかなか原因が発覚せず(本人は自分が悪いと思い込んでいた)、相談相手最初担任なので、全然からなくて娘を叱ってばかりいた。担任が原因だと分かったのは不登校になって三ヶ月くらい経ってのことである

それは、なんとか解決したが、その時、下の息子は「学校へ行かなくてもいい」ということを覚えてしまったのである

最初は、親も全然からなかった。

今日はなんかしんどい

などとしばしば言っては、ほんとにずっと布団の中で寝込むので、親も仕方ないかなと思って休ませていた。

共働きから、昼間は息子しか家にいない。

実は、しばしば学校をそんなふうにして休んでは、親がいなくなると、ずっとゲームをしていたのだ。

それがエスカレートして、学校いじめられてるとか言い出し、問い詰めても誰がいじめてるとか内容とかをまるで言わず、娘の例があるもんだから、原因がわかるまで待つしかないとなった。

しかし、ある日、やはり息子はどこか嘘をついているという感じがしたので、「家にいてもいいけど、ゲームは親がいない間は禁止する」としてゲームを取り上げた時に、息子は半狂乱に近い状態になったのだ。

やっと、ゲームが原因だと分かったのは、多分5年生の夏休み前くらいだったと記憶する。

 

ところが、怒っても怒っても、息子は頑として学校に行こうとしない。

色々聞いてると、どうも不登校が続き過ぎて、クラスメートに恥ずかしくて学校に行けないという気持ちになったらしかった。

しょうがないので、保健室登校から始めようということになった。

ゲームは、この時、禁止したり、或いは時間制限したりはしていたが、たまに取り上げたりと、方針一定していなかった。

但し、不登校児童はできる限り自分意思学校に行かせようとしないといけない、と学校などから指導されるので、夫婦で話し合い、息子を叱るのはやめようとなった。

そして、一週間に1、2回だけど、保健室登校をするようになった矢先の出来事

妻のせいだとは思わないけど、妻が息子をこっぴどく叱りつけ、ゲーム機をバケツの水に沈めて使えなくしてしまったのである

その時息子に生じた不信感が、彼を五年間自宅に閉じ込めるきっかけになってしまったのだと思う。

 

正直、「どうして、あれほど息子を叱ってはいけないと二人で決めたのに……」とは思ったけど、反面で妻の方が、家にいる時間の少ない私よりは一生懸命対応しているので、責めはしなかった。

それから、散々、色々な関係機関への相談や、或いは、中学校を学区外にして、小学校友達に合わないようにしたり、色んなことをしたけれど、結局、この五年間、何も出来なかった。

そのうちに、引きこもりが酷くなって、息子は家族とも顔を合わさなくなった。

食事だけは、自室ではなく、ダイニングで取ってもらおうと、息子の食事は必ずテーブルに用意し、息子がリビングに出てきやすいように、夕飯時などは他の家族全員が顔を合わせないよう息子が食事の間は別の部屋に引きこもった。

 

そんな生活を続けて、とうとう、ほんとに顔を合わさな父親の私のことを、息子は大っ嫌いになったらしい。

何故なら、不登校になるそもそもの原因、任天堂Wii u とスプラトゥーンを、息子への褒美にと買い与えたのは私だったかである

一年間、自宅の風呂洗いを続けたら、買ってやると約束し、彼はきちっとそれを守り通したから、買い与える以外にはなかった。

どうして大嫌いになってるのを知ったのかは覚えていないが、私は息子と顔を合わせないどころか、自宅にいる間は咳すら我慢し、存在を消す以外になかった。そうしないと、あからさまに息子は自室のドアをバンバン蹴ったりして暴れ出すからだ。

 

そして今年かな、一月頃に、息子は私がブチ切れるざるを得ない行動に出た。

死ね

と、他もまぁ色々と書いてあったけど、そう書いた手紙を私のいる部屋の扉の下に滑り込ませたかである

怒り狂った私は、怒鳴り散らしながら、彼の部屋の鍵のしまっているドアを外から開け(外から簡単に開く)、送風機を持って待ち構えていた息子を布団の上に押し倒して二、三発軽く殴った。

その時、散々私は息子に色々なことを言った。確か、「「死ね」などと書いた手紙を書ける神経があるのは、お前が五年間も友達とかコミニュケーション取らなかったからだ!」みたいな話かな。

それまでの数年間、会話らしい会話どころか、息子の声すら聞いたことがなかった。

やっと話し始めた。

「本気で書いた訳じゃなく、パパのイビキとか咳とか聞こえてくるとめちゃくちゃムカついたから、冗談のつもりだった」

こちらが、あまり意識し過ぎたせいで、逆にちょっとしたことが息子には気に触るようになってしまたからだと思う。

 

それから少し経って、息子が「学校に行きたい」と、妻にLINEした。

息子が学校に行きたいと思っていること自体は、少し前から知っていた。

息子は息子なりに、このままではダメだと思っていた。

でも、親が何も言っていないのに自分から言い出したのは初めてだった。

から普通高校は無理なので、週少しだけ登校のある通信制だけど、いいか? と聞くと、行くという。

そして、その高校から提出書類をもらって、息子は所信表明のようなことをその提出用紙の一つに書いた。

そこには

友達が欲しい」

と書いてあった。

私が、「死ね」と書かれて息子に怒ったときに「友達コミュニケーション取らないからだ!」と言ったことに影響されたのかどうかは知らない。

でも、それを見た私は、ほんとに死ぬほど嬉しかった。

もちろん、それがぬか喜びになってはいけないから、現時点でもそうだけど、まだまだ様子見を続けなければならない。

 

だけど、きっともう大丈夫だと思う。

彼は、自分一人で、高校入学式に行った。

がんばれ、負けんな! 心の底からそう思う。

2021-04-18

アトピーだった私は不良として扱われた

まれつきのアトピー性皮膚炎だった。今はかなりマシになって、割と気楽に暮らせているが、子供の頃は症状がひどくつらいことは多かった。

特に苦労したのが食物と衣類だった。食べ物の話は省略するとして、着るものは基本肌触りの良い綿のものしか着られなかった。それでも首周りが非常に敏感で、襟がついたものなどがほぼ無理だった。首に布が触れているとすぐにかきむしって首が赤くなってしまう。

小学校田舎公立だったので、制服等はなく、着るもの特に苦労はしなかった。

問題が始まるのは中学校からだった。同じく田舎公立中学校だったが、もちろん制服があった。制服というのはたいてい綿生地ではない。そしてうちの学校男子は学ランだった。学ランというのは、中にYシャツを着た上で、詰襟学生服を着るものである。当然こんなものは着られなかったので、入学前に校長との話し合いがあった。

端的に言って、クソだった。校長こちらが何を言っても「私服登校は認められない」「代替のものを用意してほしい」「ただし見た目は同じものにしてほしい」それしか言わなかった。そもそも首に襟が触れるのが無理だと言っているのに、見た目を同じにしたら実現不可能だろうが。

といっても親としては仕方がないので、制服を作っているメーカーに行き、着られる素材で制服をオーダーした。Yシャツも特注した。

それでも無理なものは無理なので、私はYシャツの上の方のボタンを開けたり、Tシャツを着たりして、学ランも第1ボタンとか第2ボタンまで開けていた。

学ランが制服だった人はわかると思うが、たいていの学校で学ランの第1ボタンを開けていると怒られる。なんで怒られるのか、だれも理由説明できなかったが、とにかく怒られる。生徒指導というやつは、理由説明できないことで怒ってくるので最悪であった。こちらがアトピーの話をしても、それをわかった上で「ルールから」と強制してくる。

小学校の頃はおとなしい方の男子として生きていたけれど、こうなってしまうと完全に周りからは不良として扱われた。ので、もうおとなしく真面目に過ごすのは止めた。

まず、毎週火曜日実施されていた朝礼を、卒業まで全部サボることにした。どうせ校長の話くらいしかされないわけで、もうこの校長が俺の人生に何らプラスの影響を及ぼすとは到底思えなかった。朝礼が8:30から始まるので、火曜は8:50(授業開始時間)に登校した。朝礼に遅れて、8:35くらいに体育館に走っていくと生徒指導に怒られるのだが、最初から行かなければ誰にも怒られなかった。

次に、教師がいるところで遊んでいるとすぐにボタンを閉めろと怒られるので、保健室登校をするようになった。教室に居場所がなかったわけではない。が、それでも休み時間等に見つかって怒られるので、逃げた。幸い保健室には本物の不良等がいたので、そこで怒られることはなかった。また、保健室先生はこういうことで怒ってこなかった。むしろ気が合ったのでいろんな話をした。

保健室や用務員室によく行くようになると、そこにもともといた不良や、教室に馴染めなかった人とも結構仲良くなった。ここで仲良くなったやつとは今でも付き合いがあるくらい。

授業はそれなりに出ていたけれど、授業中に服装について注意してくるのは、生徒指導や限られた教師のみで、そのときにどうこう言ってくる人は多くなかった(事情を察してくれる先生もいた)。

そんなわけで、本当に最初のころは辛かったけれど、後半2年くらいは適当に過ごしてなんとか乗り切れる程度の生活をしていた。

受験シーズになった。田舎の県立高校はだいたい中学校と同じく制服存在する。この絶望的な制服縛りをもう3年やるのは勘弁だったので、どうしたもんかと思っていたのだが……。

私は高専というものを知ってしまった。高専は大体の場合制服がない、私服登校が許可されている。ただし専門分野がえらく限られ、そもそも入学時点で学科選択する必要がある。

が、あまり悩む必要もなく学科は即決し、受けることにした。学校見学に行くという話をしたら、後ろの席のやつが「高専って偏差値高いぜ?お前入れると思ってんの?」と言ってきたので、無視した。

そうだよね、第1ボタン開けて保健室登校して朝礼サボってる遅刻魔が、そんなにいい学校行けるとは思わないよね。と思ったけど面倒なのでこれ以降、同級生に進路の話を一切せず「ニートになる」と言っておいた。

幸いにも、理科数学けが異様にできたので、「たぶん大丈夫じゃね」という言葉を塾の先生からもらえた。

その言葉の通り、大丈夫普通に合格した。中学校同級生は、未だに私がどこの高校に行ったか知らない人がほとんどだろう。

高専天国だった。まず私服である。全てから開放された。

一応校則もあるらしいのだが、言われたのは「校内で喫煙をしてはいけない」「校内で飲酒をしてはいけない」ということだけ。入学初日から茶髪金髪普通にいる。

制服呪縛から解き放たれた私は、元通りおとなしく過ごすことができて、心穏やか。

授業は若干ハードではあったけれど、同級生はどんどん留年していくけれど、幸いにも即決した専門分野にえらくハマって、学校死ぬほど楽しかった。特に4年、5年は毎日24時過ぎまで学校にいた。

その後は「スーツを着ないで就職する」という難題が待っていたのだけれど、それは別の話。

最近は流石にアトピーの人も増えただろうし、学校もこういう前例がいっぱいあるだろうし、柔軟な対応をしてくれると信じたい。

だが、昨今のブラック校則の話を見ていて、もし現代自分中学生だったら乗り越えられなかったかもしれないと思った。私はたまたま運良く平和な不良生活ができて、その後も特に困ることもなかったけれど、万人におすすめできることでもない。

ただ、あの頃の自分と、もし今同じようなつらさを抱えている人がいたら伝えたい。教師に怒られるのは面倒だし、そのときは嫌だろうけど、お前の皮膚は一度かきむしったらその後もかゆいし、血は出るし、完全に元通りに回復するまで1ヶ月以上かかる。そして怒ってくる教師は、俺のアトピー悪化とそれに伴う将来について一切何も面倒を見ないし責任も追わないだろう。だから気にせず校則なんて破れ、お前の皮膚のほうが全然大事だ。怒られても血は出ないし、回復に1ヶ月を要するようなことはない。

あと、高専はいいぞ。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん