「保健室登校」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 保健室登校とは

2022-01-14

文学部になんか行くな、勉強しても報われないぞって初めから言え

いただいたコメントを受けて過去を冷静に振り返るエントリも書いたんで気になる人は見ていってください。

https://anond.hatelabo.jp/20220116181308

23卒の文学部マジで日本キャリア教育も私の周りの人間もとことんなじって泣きたい気分だ。

まず受験を経て中学入学してから大学受験は恐ろしいものだという周りの言葉にしたがって、青春勉強にささげた。

高校生の私は、文学映画といった芸術が好きで、それを勉強してみたいと思った。

そうして文系選択し、今まで以上に勉強を続ける。

その結果、オープン模試では浪人も含めた受験生で一位になるなど、自分でも本当かよと思う成績を常にとっていた。

そして大学受験過去最高の点数をたたき出し、狙い通りに宮廷大の文学部に晴れて入学

入ってからは、サークル所属することもなく(人と関わるのが面倒くさかった)、変わらず勉強に打ち込む日々。

文学理論の本をあさり文学作品を読み、レポート必死に書いた。

アルバイトはしたのだが(ノンバイサーはさすがにやばいかもと思ったので)、結局勉強する時間がなくなったし人と関わるのがしんどかったので半年でやめた。

そして今、就活を始めてやっと気づいた。今の私を求める企業なんかない。

ESに書けることがない。ガクチカで、今まで勉強を一人でしてきました!とは書けない。自己PRで、成績めっちゃいいです!とは言えない。

そこまで頭がいいなら研究者になれば?と思うかもしれない。しかし、私が得意なのは勉強であって、真理を追究しようという強い意志も、狭き門を狙って親の穀潰し10年以上続けるほどの度胸もない。

もし仮に十年以上穀潰しをやって、博士課程を出たとして、そしてどのポストもつけなかったら死に向かって一直線だ。

親は私が文学部に進むのをまったく止めず、「せっかくその頭があるんだから好きなことを研究しなさい」と言って送り出してくれた。

小学生の時から中学受験のために塾に入れ、バカ高い私立進学校学費を払い、ここまで育ててくれた。

ごめんね、ありがとう、でもあなたたちはマジで教育を間違えたよ。私のこの先の人生のことはまったく考えずに、勉強だけさせたらいいと思ってたんだね。

勉強だけしてきただけあって、私の大学での成績はGPA3.6。宮廷でこれなら、かなり上位のはず。

そしてそれを見た親は、ここまで来ても「そんなに頭がいいんだから人生一度なんだし院に行ったらいいんじゃない」「研究者になったりして!」と言う。

親は分かってないのだ、何にも。文学研究者になって食っていくことの困難なんて。もうすでにその一度の人生を棒に振りかけてんだよ。

仮に文学修士卒業するとしても、そんなやつどこの誰が雇いたいと思うのか。6年間文学研究してた人間を雇いたいと思うか?誰でもいやだろ。

これなら、「お前の人生はお前で歩け。後はしらん」と放り投げて知らん顔する親の方がまだよかった。

親の言葉を信じて、親も私の成績の良さが誇らしくて、共依存になっているうちにここまで来てしまった。本当にばかだった。

もう今では、自分は学ぶのが好きだったのかどうかすら自信がない。

勉強する才能は間違いなくあるのだろうが、学問が好きなのかというと分からない。というか、正直多分そこまで好きじゃないし向いてない。

高校までは、勉強さえしていれば褒められる。私は三教科で偏差値80越えの生徒だったから、周りの先生や生徒に、そして親にちやほやされていた。

その実、性格的にはややコミュニケーションに難があり(HSPなのかメンヘラなのか知らんが、常に不安でいっぱいな感じ)、高校生活でも最後保健室登校みたいになっていたが、それでも注意されることはなかった。

甘えてないで人と接しろと、それがお前の将来のためだからと、そんなことを言ってくれる人はいなかった。

から大学でも勉強さえしてればいいんだと思った。

分かっている、悪いのは私だ。一人でできる勉強にばかり逃げて、人と関わろう、向き合おうとしてこなかった。

自分価値決定を他人に任せてきて、褒められたか自分は生きていていいんだと、そんな風に他人任せで真面目に自分人生を顧みなかった。

でもさ、でもよ、大学入学までの18年間、ずうっと勉強しては褒められる環境にいた結果、「勉強をしてれば報われるんだ」と考えてしまったのは私だけの責任じゃないはずだ。

思ってしまうのだ、そんな私をつくったのは、親であり教師でありこの社会システムのせいでもあるんじゃないのかと。

高校では「勉強していい大学に入れ!」と尻を叩かれつづけ、大学に入ったら「好きにしろ(あと数年で就職だけどね)」と放っておかれる。

最初から言ってくれよ、文学なんか勉強しても社会で何も必要とされないって。

国語特にできるね、読書が好きなんだね、マイナー映画も好きなの?なら君は文学部で好きなことを勉強しなよ。

いい加減にしろ!そうやって私の将来なんか何も考えることなおもちゃみたいにして!誰も私の人生ことなんか考えてねえじゃねえか!

私が優れてるのは小手先の成績であって、持っているのは記憶力と心配性であって、研究を続けられるずば抜けた力なんかねえよ。それぐらい見たら分かるだろうが。

初めから言えよ、今までと同じように勉強だけしてても、お前はゴミしかならなくて生きていけないよって!研究者になれる人なんか一握りだから勉強はもうやめろって!

だれか途中でせめて軌道修正してほしかった、叱ってほしかった、もっと真面目に将来のことを考えろって。今のままじゃ、社会は誰も今のお前を必要としないよって。

こうして高学歴こじらせ人間爆誕しました。

今までの人生何だったのか。私が大切に持ち続けていた成績という武器は、もうどこにも通用しない。

もっと人と関わればよかったんだ。いくらそういうのが苦手でも、コミュニケーションで疲れてしまっても、無理してでも普通大学生活を送ればよかった。

もう涙しか出ませんよ本当に。どこにも行くあてはないよ。キャリセン行っても面接講座行っても涙目で、電車で泣いて変な目で見られたさ。

みんな、親や教師ことなんか信じずに自分の力で歩いてたんだよな。大学勉強だけやるなんて馬鹿なことはせず、、社会勉強ちゃんとしてたんだよな。偉いわ。

それに比べてなんて私は馬鹿だったんだろう。将来のことを本気で考える頭もなかったんだから、これじゃFラン以下の脳みそだ。

誇れるのは成績だけだった!!てへ!!

あーあ、死にてえw

追記

アドバイスくれた人ありがとうな、こんな読みにくくてルサンチマン爆発の日記コメントしてくれて。まだ絶望感がやばくてずっと涙が止まらんが、資格バイト、公務員学校の推薦、就活対策など、頭冷やして今からでも動こうと思う。あーでもやっぱり辛いな、曲りなりに頑張ってきたつもりだったんだけどな。

追記

引き続きコメントありがとうございます。他責しつづける幼さや浅はかさ、指示待ち人間なのがそもそも問題なんだなっていうのがよく理解できた。みんなちゃんと生きててマジすごい。

これから人の良さやすごさを見つけて尊敬できる人間になるべきだと考えたので、自発的に人と出会いに行くところからでしょうか。

あと人格が未発達すぎるというコメントがちらほらあるけど、専門家に行ってみた方がいいレベルなの?俺の怠惰さが原因なだけで修正可能なのか、先天的問題がありそうなのかわからん劣化版チャーリイ・ゴードンは嫌だ。

2022-01-13

不登校での逃げやら選択やら

小学校中学校保健室登校不登校を繰り返していた。今振り返ると親に相当申し訳ないことしたしメンタルが相当弱かったのだと思う。

詳しく話すと

小5 クラス学級崩壊&暴力に合う→保健室登校&転校

小6 自分空気の読めない性格が災いし女子からハブられる&ある男子からよく身体的ないじめをうける→不登校

中学 中受して中高一貫校に通う。発達障害を持った子に付き纏われる&性被害フラッシュバック保健室登校不登校を行ったり来たりして、勉強についていけなくなり中学卒業タイミング高校を外部受験して偏差値40台の高校に進学。学費無駄にしてお父さんお母さんごめんなさい。

高校の時は流石に自分人生このままでは詰んでしまうと思い皆勤学校に通って、中学でろくな学校生活を送らなかったコンプレックスがあったか部活生徒会も加入して我ながら高校はかなり充実してたなとは思う。

現在二浪した後、大学2年生をしている。大学での勉強楽しいし仲の良い友人もいて楽しい日々を送っているが、時々小学校中学校で歯を食いしばって学校に行っていたらよかったと思う時がある。男女間や先輩後輩間での人付き合いの距離感おかしいのではと不安になるし、あの時の感性感覚はあの時でしか手に入れられず、ちゃん教室に通う学校生活を送っていたら手に入れられたのではないかと思う。

この間、グループワークの打ち上げで友人に「二浪してなきゃこの大学入ってここで飲んでないんだよ??」と言われた。確かに今の生活否定するものでは決してないし中学を辞めて進学した先の高校出会った友人や思い出、浪人時代出会った友人や培ったものもかけがえのないもの

だけどちゃん学校通っていて高校にも内部進学してたら二浪もせずに済んだ気がするし、色々捻くれずに済んだんじゃないかなーーって思う深夜2時。

2021-12-23

基地再生

少し前に兄嫁から聞いた話

兄の娘(姪っこ)は私立中に通っているんだけど

寄付ガンガンしている大スポンサーの保護者とその取り巻きの子供達が

学校を仕切っていて、イジメも横行しているとか

イジメられたこいくら訴えても「うちの子がやったという証拠があるのか」の一点張り


そこである子がイジメの決定的な証拠スマホで録音して

被害を受けていた子供達の保護者と共に学校に提出した

学校無視できずに緊急保護者会を開くことになった

当日、校長挨拶を始めると、イジメしてた側の母親が突然「皆さん緊急動議があります」と発言

教師達が制するのも聞かずに壇上に登り、「本校で盗聴行為発見されました」と切り出した

校長が「本日イジメ問題ですのでその件はまた後ほど」というと

犯罪ではないイジメよりも立派な犯罪である盗聴のほうが優先されるべきでしょう!」と一喝

会場のあちこちから「そうだそうだ!」「盗聴を許すな!」の声が上がった(もちろん仕込み)

結局その日は盗聴の件が問題とされ、しかもその内容は「生徒のプライバシーのために」非公開

「二度と盗聴を行わせない」ということを校長確約させ、保護者全員の前で謝らせたところで拍手となり

本日お疲れ様でございました」と勝手に仕切って保護者会を終わらせてしまったとのこと

当然イジメは続行され、被害者は保健室登校から転校になったとさ…

モンスターペアレンツもここまで来るとすげーわ

あーゆー親に育てられた子がキチフェミとかツイフェミになってまた頭おかし子供再生産するんだろうな

2021-10-31

お礼を言いたい人がいる

中学2年のときクラスメイトのAが不登校になった

年度当初からハブられていた私には正確な原因はわからない

けど、どうやら同じ吹奏楽部のBとイザコザがあり、幼馴染のCやDを含むグループからハブられたり陰口を言われたりしていたらしい

夏休み明けから1度も教室に来なかったAだけど、10月くらいには保健室登校作業療法をするようになっていた

同じクラスの幼馴染で唯一Aの味方だったEは休み時間ごとにAの世話を焼きに行っていた

部外者の私は、CやD(内申目当てで生徒会Cは生徒会副会長、Dは学級委員だった)が物置代わりにしていたAの机から、画用紙や何やらを教卓やロッカーに移動させていた

嫌がらせとなけなしの正義感のはけ口だ

そんなある日、CとDはAが保健室作業療法をしていることを知ったらしい

すこぶるご機嫌が斜めだったのか、教室のど真ん中で大声で話し始めた

自分たちが頑張って勉強してるのにAは遊んでばっかり」

学校もずっとサボっていたのに」

「ズルい」

誰のせいだよ、と思ったけど、チキンの私は口に出せなかった

止められない不甲斐なさとか怒りとか悔しさとかで泣きそうなのをこらえていた

そのとき、私の後ろの席の男子

「そういうこと言うの、やめろよ」

彼女たちを止めた

教室中が静まり返った

興ざめしたのかひるんだのか、彼女たちはそれ以上何も言わなかった


そのあと、私はAに関わることを決意して、Eの他にも味方はいることを伝える手紙を、E経由で渡してもらった

3学期にはAも少しずつ教室に戻ってきて、進級を期に完全に復帰したらしい

3年生の時はクラスが分かれてしまったけど、卒業時にお礼の手紙をもらった


ちなみに、発端になったBは、CやDの言動やAが不登校になってしまたことに自責の念を抱いていて、こっちはこっちで情緒不安定になっていた

Aは部活を辞めてしまって、結局仲直りはできなかったみたい


で、私がお礼を言いたいのは、CやDを止めて、私に勇気を出させてくれた男子

名前は覚えているし、何なら母親同士に交流があって、地元消防隊に入ったこともしっている

でも、彼はもう当時のことは忘れているだろうし、そもそも私のことすら覚えていないかもしれない

なので、自己満にここでお礼を言っておく


ありがとう

あなたのおかげで私は勇気が出せたし、CやD以外のクラスメイトのことを信じでみようという気持ちになれました

今でも人を信じていられるのは、あなたのおかげです

これからも、まっすぐなあなたでいてくれることを信じています

2021-10-18

anond:20211018050702

反ワクさんはずっと不登校保健室登校、それかなかよし学級だったんだね。

2021-09-11

不登校児と同級生だった人の話

群馬の20代夫婦の女の方に似てた同級生がいた。似すぎて思い出したことがある。 

の子をA子とする。私とA子は義務教育期間の9年間同じクラスだった。

A子は小学校入学から同級生の2倍くらいの横の大きさだった。小3の時から不登校気味になった。

先生同級生もA子に対して優しく、というか甘やかした。結果、A子は大人しい子をいじめ保健室登校児に進化した。変に口出ししたら、自分のせいにされ、不登校になるから誰も注意できなくなった。

小5になった。厳しいが理解のある男の先生担任になった。A子の将来のことを踏まえて、教室に来れるように取り組んだ。その一環として、私の親友であるB美がA 子のお気に入りだったので私含めたグループで一緒に行動するように言われた。

しかし、A子は私が気に入らなかった。理由は、A子の言うことを聞く大人しい子ではなかったから。A子は私をハブにした。私は本人に面と向かって注意した。当たり前の主張をしたはずだが、本人からしたらあり得ないことだったので、A子は担任に私のせいで学校行かない旨を言った。担任は、状況把握してたので私は悪くないことを知っていたらしい。次から何かあったらA子に直接言わないで、先生経由で注意するから相談するように言われた。

しかし、私の存在自体が気に入らなかったみたいなので、女子トイレの壁に「私の名前」と「死ね」を書かれた。事態を掻き回すのが大好きな意地悪な同級生と一緒に。ちなみにコンパスの針で。消えないやつじゃんwww

当然問題になった。担任は徹底的に対策した。

他の同級生が私の味方になってくれた。そしてA子は学校に来なくなった。

例の意地悪な同級生がその子学校に来れるように、クラスのみんなに寄せ書きするように呼びかけた。私は断った。凄い顔で「は?」とか言われた。他の同級生の計らいで、私は書かなくていいことになった。書いたとしても「お前将来どうするの?」的な、追い詰めることしか書かなかったと思う。今思えば、書けばよかったかな。

その後は学校に来たり来なかったり。私に関わらなくなった。A子はB美がお気に入りだったからつるんでた。私はA子とB美が一緒にいる時は間に入らないようにして、他グループに入ってた。

中学3年間も同じクラスだった。最初心機一転学校来てたがだんだん来なくなった。担任同級生も、ちゃんと来れるように取りなしたが効果なし。他人善意が当然なのか簡単無駄にできるのが、世間知らずというか、少し哀れだった。

A子が保健室登校してる日に私は席が近いので給食を届けたことがある。目を合わさず何も言わないで受け取ってて、「ありがとうじゃないの?」と言ったら、次の日先生からA子の給食運ぶ係のクビを言い渡された。中学で会話?したのはこれだけ。私は、特別扱いしないで他の同級生と同じように接しようとしたが、上から目線が良くなかったかな。

義務教育終了したらあと、A子は高校に進学していない。本当は公立定時制高校に進学するつもりだが直前でいきなり受験しない宣言をだした。

現在、たまに仕事外回りでA子の実家を通る。前からゴミ屋敷だなーーて思ってた家がだんだんひどくなっている。動物禁止借家なのに猫が何匹もうろついている。A子がその家にいるかは知らない。うまいこと、周りに恵まれて自立できてたらいいなとは思う。

2021-09-01

つらくても新学期はじまったら学校に行け

学校で嫌なことがあったら逃げてもいいって言う奴もいるだろうが

結局最終的には誰も助けてくれないか学校に行け。

俺は不登校保健室登校留年も休学も経験したけど

30になっても人生どうにもなってないし未だに職歴もないか学校に行け。

どうにかなる奴もいるんだろうけど基本どうにもならないか学校に行け。

その結果潰れたとしても関係ない。

人生が終わる経緯が変わるだけで結果は変わらないんだから

潰れてから学校をやめればいい。

結局はいつ潰れるかの問題だ。

可能なら就職までたどり着いて職歴つくってから潰れろ。

厳しいこと言うかもしれないけどそうするしかない。

ただ、どれだけしんどくても年金免除申請だけはやっておけ。

俺はそれだけはやっておいたから今なんとか生きていられている。

2021-08-28

anond:20210827224212

自分場合自意識過剰由来かな。

自分だけでは力不足なことは堂々と頼れるけど、自分は恵まれ環境にあると意識した時がダメになる。

みんなに大事にされているか迷惑かけちゃいけない、

世の中には頼れる人がいなくて一人で頑張ってる人もいるのに

楽をさせてもらっている身分でこれ以上の贅沢は望んではいけないって思っちゃう

保健室登校とか親に駅まで迎えにきてもらうとか絶対無理だった。

2021-05-14

いま保健室登校同級生

あなた給食保健室に届ける係のものです。出席番号があなたと近いか指名でなりました。正直負担です。なので、来週からボイコットします。

給食保健室に届けるのは完全にボランティアです。私はほかにクラスの係とか委員会とかあるんです。給食を受け取った時、最初は目を合わせないでお礼を言ってくれました。今は届けるのが当たり前みたいな態度ですね。まあ、元から、私はあなたのお礼なんていらないです。価値がない。

給食自分から取りに来てください。

2021-04-25

「5年間不登校だった息子」に書かなかったこと。

anond:20210424185039

とにかく、嬉しくて少しでも息子のことを思うと、ほんとに一日中涙が止まらなくて、逆療法みたいなもので吐き出したらいいのかなと思ったか増田に書いた。

実は前もそうだった。

そこに書いた娘の不登校の話。増田を探せばまだある。消した記憶はないので残ってるはず。

その時も、増田登録ボタンを押して号泣したけど、すぐ涙は止まったので、今回もそのつもりで投稿し、同様に涙は止まった。

普段は常に感情を抑えてるんだけど、その反面で、息子に「死ね」と書かれた手紙をもらった時のように、極端なほど感情コントロールが効かないことがある。滅多にはないけど。

 

でも、息子を殴った、と書いたけど、頭の硬いところを狙って、コツンと力を入れずに2、3回叩いただけだよ。

だって、やらないと、息子がやり返してくることが見え見えで、先制する必要があったから。

部屋に入った途端、息子は送風機を持って待ち構えてたんだから。当時中三身長170cm以上あるんだぞ、私だって怖い。

から、殴る前に柔らかい布団の上に息子を押し倒したわけ。

たぶん、はっきり暴力したのはその時くらいで、過去には、布団にくるまって出てこない息子を布団の上から体重かけずに踏んだことが一回あるだけかな。

それでも暴力暴力かもだけど、実際のところ、めちゃくちゃ悩む。

本気で殴らないと、本気と思ってもらえないかも、だなんて考えもある。

一方で、暴力肯定させてもダメだ、というのもある。

結局、その時で、最善だと思った行動をするしかない。それが良かったのか悪かったのか、なんて分からない。

子育てに正解なんかない、ってよく聞くけど、マジでそう思う。だからって、親の自由にやっていいわけでもない。

その辺は、悩むしかない。

色んな、育児書みたいなのも読んだし、色んな人に話も聞いたけど、参考にはなっても、正解なんてどこにも見つからなかった。

だけど、色々苦労しつつ思うのは、私の親だって多分、悩み抜いたんだろうってこと。

私は親にとって、酷い息子だったと思う。

 

ゲーム機はね、確か、妻が壊してから、しばらくして同じものを買い与えたという記憶がある。

一応、弁解みたいになるけど、親の許可なくやってはいけないと言ってるのに、隠しておいたところから息子が親がいない間に、探し出してこっそりやってたんだ。

それでも確かその頃は、息子のために、六時間くらいはゲーム時間は作ってたんだ。

その代わり、保健室登校頑張れって、応援したりしていた。ところが息子は「頑張る」って嘘ついてたわけ。

たまたま、妻が、忘れ物をしていたので、普段はいない昼間の時間帯に自宅に戻ったときに、それが発覚した。

そりゃ、妻だってキレるよ。

ただし、それすら予測済みだった。だから、そうならないように絶対に見つからないところにゲーム機を隠した・・・筈だった。

それでも、息子の方が親の想定を上回った。まさかあんなところに隠したのを見つけるなんて、完全に想定外だったから。

風呂場にある天井点検口の裏だよ? マルサでもあるまいによく見つけたもんだと関心すらした。

から、それをきっかけに、ゲーム規制を諦めた。取り敢えずはその場凌ぎで昔のWiiかPrayStation2かなんかを渡した記憶もある。

好きなだけやれ、と。

その後は、大画面ディスプレイや専用コントローラまで買い与えた。

 

結局は、方針はただ一つだった。

彼が「自分意思で立ち上がろうとする」こと。

実は、これはエヴァンゲリオン新劇場版にあった庵野監督所信表明にそうあったのを覚えていたから。

エヴァ」はくり返しの物語です。

主人公が何度も同じ目に遭いながら、ひたすら立ち上がっていく話です。

わずかでも前に進もうとする、意思の話です。

曖昧孤独に耐え他者に触れるのが怖くても一緒にいたいと思う、覚悟の話です。

この所信表明がなかったら、どうなってたのか分からない。

娘の時も、確かこれだった。

何度も何度も挫けそうになるかもだけど、その度に自分意思で立ち上がるしかない、って。

親ができるのは、信じることだけ。そう思ったのです。

 

これで、うちは子供2人しかいないから、もう増田子供のことを書くことはないと思う。

追記トラバブコメも全部、ありがとう

不登校対策に第2の学校を作ればいいのでは

保健室登校もっと力を入れるとか、フリースクールかにもっと公が介入していくとか。通信制中学校とかもいいね。とにかく自室以外の社会とつながる居場所を作らないとだめだと思うんだよなあ……

2021-04-24

5年間不登校だった息子

昨日、めでたく高校入学式に行った。

涙が止まらない。

 

不登校になったのは、小学生五年の時だった。

理由は、ゲームに熱中し過ぎたかである

しかし、他にも要因があって、息子が不登校になる前に、上の娘の方が不登校だったのである

娘は息子の三歳上だが、小学生六年の時、悪質な担任に当たり、とんでもない差別というか、エコ贔屓を超えたレベルほとんどいじめに近いことをされ、担任からなかなか原因が発覚せず(本人は自分が悪いと思い込んでいた)、相談相手最初担任なので、全然からなくて娘を叱ってばかりいた。担任が原因だと分かったのは不登校になって三ヶ月くらい経ってのことである

それは、なんとか解決したが、その時、下の息子は「学校へ行かなくてもいい」ということを覚えてしまったのである

最初は、親も全然からなかった。

今日はなんかしんどい

などとしばしば言っては、ほんとにずっと布団の中で寝込むので、親も仕方ないかなと思って休ませていた。

共働きから、昼間は息子しか家にいない。

実は、しばしば学校をそんなふうにして休んでは、親がいなくなると、ずっとゲームをしていたのだ。

それがエスカレートして、学校いじめられてるとか言い出し、問い詰めても誰がいじめてるとか内容とかをまるで言わず、娘の例があるもんだから、原因がわかるまで待つしかないとなった。

しかし、ある日、やはり息子はどこか嘘をついているという感じがしたので、「家にいてもいいけど、ゲームは親がいない間は禁止する」としてゲームを取り上げた時に、息子は半狂乱に近い状態になったのだ。

やっと、ゲームが原因だと分かったのは、多分5年生の夏休み前くらいだったと記憶する。

 

ところが、怒っても怒っても、息子は頑として学校に行こうとしない。

色々聞いてると、どうも不登校が続き過ぎて、クラスメートに恥ずかしくて学校に行けないという気持ちになったらしかった。

しょうがないので、保健室登校から始めようということになった。

ゲームは、この時、禁止したり、或いは時間制限したりはしていたが、たまに取り上げたりと、方針一定していなかった。

但し、不登校児童はできる限り自分意思学校に行かせようとしないといけない、と学校などから指導されるので、夫婦で話し合い、息子を叱るのはやめようとなった。

そして、一週間に1、2回だけど、保健室登校をするようになった矢先の出来事

妻のせいだとは思わないけど、妻が息子をこっぴどく叱りつけ、ゲーム機をバケツの水に沈めて使えなくしてしまったのである

その時息子に生じた不信感が、彼を五年間自宅に閉じ込めるきっかけになってしまったのだと思う。

 

正直、「どうして、あれほど息子を叱ってはいけないと二人で決めたのに……」とは思ったけど、反面で妻の方が、家にいる時間の少ない私よりは一生懸命対応しているので、責めはしなかった。

それから、散々、色々な関係機関への相談や、或いは、中学校を学区外にして、小学校友達に合わないようにしたり、色んなことをしたけれど、結局、この五年間、何も出来なかった。

そのうちに、引きこもりが酷くなって、息子は家族とも顔を合わさなくなった。

食事だけは、自室ではなく、ダイニングで取ってもらおうと、息子の食事は必ずテーブルに用意し、息子がリビングに出てきやすいように、夕飯時などは他の家族全員が顔を合わせないよう息子が食事の間は別の部屋に引きこもった。

 

そんな生活を続けて、とうとう、ほんとに顔を合わさな父親の私のことを、息子は大っ嫌いになったらしい。

何故なら、不登校になるそもそもの原因、任天堂Wii u とスプラトゥーンを、息子への褒美にと買い与えたのは私だったかである

一年間、自宅の風呂洗いを続けたら、買ってやると約束し、彼はきちっとそれを守り通したから、買い与える以外にはなかった。

どうして大嫌いになってるのを知ったのかは覚えていないが、私は息子と顔を合わせないどころか、自宅にいる間は咳すら我慢し、存在を消す以外になかった。そうしないと、あからさまに息子は自室のドアをバンバン蹴ったりして暴れ出すからだ。

 

そして今年かな、一月頃に、息子は私がブチ切れるざるを得ない行動に出た。

死ね

と、他もまぁ色々と書いてあったけど、そう書いた手紙を私のいる部屋の扉の下に滑り込ませたかである

怒り狂った私は、怒鳴り散らしながら、彼の部屋の鍵のしまっているドアを外から開け(外から簡単に開く)、送風機を持って待ち構えていた息子を布団の上に押し倒して二、三発軽く殴った。

その時、散々私は息子に色々なことを言った。確か、「「死ね」などと書いた手紙を書ける神経があるのは、お前が五年間も友達とかコミニュケーション取らなかったからだ!」みたいな話かな。

それまでの数年間、会話らしい会話どころか、息子の声すら聞いたことがなかった。

やっと話し始めた。

「本気で書いた訳じゃなく、パパのイビキとか咳とか聞こえてくるとめちゃくちゃムカついたから、冗談のつもりだった」

こちらが、あまり意識し過ぎたせいで、逆にちょっとしたことが息子には気に触るようになってしまたからだと思う。

 

それから少し経って、息子が「学校に行きたい」と、妻にLINEした。

息子が学校に行きたいと思っていること自体は、少し前から知っていた。

息子は息子なりに、このままではダメだと思っていた。

でも、親が何も言っていないのに自分から言い出したのは初めてだった。

から普通高校は無理なので、週少しだけ登校のある通信制だけど、いいか? と聞くと、行くという。

そして、その高校から提出書類をもらって、息子は所信表明のようなことをその提出用紙の一つに書いた。

そこには

友達が欲しい」

と書いてあった。

私が、「死ね」と書かれて息子に怒ったときに「友達コミュニケーション取らないからだ!」と言ったことに影響されたのかどうかは知らない。

でも、それを見た私は、ほんとに死ぬほど嬉しかった。

もちろん、それがぬか喜びになってはいけないから、現時点でもそうだけど、まだまだ様子見を続けなければならない。

 

だけど、きっともう大丈夫だと思う。

彼は、自分一人で、高校入学式に行った。

がんばれ、負けんな! 心の底からそう思う。

2021-04-18

アトピーだった私は不良として扱われた

まれつきのアトピー性皮膚炎だった。今はかなりマシになって、割と気楽に暮らせているが、子供の頃は症状がひどくつらいことは多かった。

特に苦労したのが食物と衣類だった。食べ物の話は省略するとして、着るものは基本肌触りの良い綿のものしか着られなかった。それでも首周りが非常に敏感で、襟がついたものなどがほぼ無理だった。首に布が触れているとすぐにかきむしって首が赤くなってしまう。

小学校田舎公立だったので、制服等はなく、着るもの特に苦労はしなかった。

問題が始まるのは中学校からだった。同じく田舎公立中学校だったが、もちろん制服があった。制服というのはたいてい綿生地ではない。そしてうちの学校男子は学ランだった。学ランというのは、中にYシャツを着た上で、詰襟学生服を着るものである。当然こんなものは着られなかったので、入学前に校長との話し合いがあった。

端的に言って、クソだった。校長こちらが何を言っても「私服登校は認められない」「代替のものを用意してほしい」「ただし見た目は同じものにしてほしい」それしか言わなかった。そもそも首に襟が触れるのが無理だと言っているのに、見た目を同じにしたら実現不可能だろうが。

といっても親としては仕方がないので、制服を作っているメーカーに行き、着られる素材で制服をオーダーした。Yシャツも特注した。

それでも無理なものは無理なので、私はYシャツの上の方のボタンを開けたり、Tシャツを着たりして、学ランも第1ボタンとか第2ボタンまで開けていた。

学ランが制服だった人はわかると思うが、たいていの学校で学ランの第1ボタンを開けていると怒られる。なんで怒られるのか、だれも理由説明できなかったが、とにかく怒られる。生徒指導というやつは、理由説明できないことで怒ってくるので最悪であった。こちらがアトピーの話をしても、それをわかった上で「ルールから」と強制してくる。

小学校の頃はおとなしい方の男子として生きていたけれど、こうなってしまうと完全に周りからは不良として扱われた。ので、もうおとなしく真面目に過ごすのは止めた。

まず、毎週火曜日実施されていた朝礼を、卒業まで全部サボることにした。どうせ校長の話くらいしかされないわけで、もうこの校長が俺の人生に何らプラスの影響を及ぼすとは到底思えなかった。朝礼が8:30から始まるので、火曜は8:50(授業開始時間)に登校した。朝礼に遅れて、8:35くらいに体育館に走っていくと生徒指導に怒られるのだが、最初から行かなければ誰にも怒られなかった。

次に、教師がいるところで遊んでいるとすぐにボタンを閉めろと怒られるので、保健室登校をするようになった。教室に居場所がなかったわけではない。が、それでも休み時間等に見つかって怒られるので、逃げた。幸い保健室には本物の不良等がいたので、そこで怒られることはなかった。また、保健室先生はこういうことで怒ってこなかった。むしろ気が合ったのでいろんな話をした。

保健室や用務員室によく行くようになると、そこにもともといた不良や、教室に馴染めなかった人とも結構仲良くなった。ここで仲良くなったやつとは今でも付き合いがあるくらい。

授業はそれなりに出ていたけれど、授業中に服装について注意してくるのは、生徒指導や限られた教師のみで、そのときにどうこう言ってくる人は多くなかった(事情を察してくれる先生もいた)。

そんなわけで、本当に最初のころは辛かったけれど、後半2年くらいは適当に過ごしてなんとか乗り切れる程度の生活をしていた。

受験シーズになった。田舎の県立高校はだいたい中学校と同じく制服存在する。この絶望的な制服縛りをもう3年やるのは勘弁だったので、どうしたもんかと思っていたのだが……。

私は高専というものを知ってしまった。高専は大体の場合制服がない、私服登校が許可されている。ただし専門分野がえらく限られ、そもそも入学時点で学科選択する必要がある。

が、あまり悩む必要もなく学科は即決し、受けることにした。学校見学に行くという話をしたら、後ろの席のやつが「高専って偏差値高いぜ?お前入れると思ってんの?」と言ってきたので、無視した。

そうだよね、第1ボタン開けて保健室登校して朝礼サボってる遅刻魔が、そんなにいい学校行けるとは思わないよね。と思ったけど面倒なのでこれ以降、同級生に進路の話を一切せず「ニートになる」と言っておいた。

幸いにも、理科数学けが異様にできたので、「たぶん大丈夫じゃね」という言葉を塾の先生からもらえた。

その言葉の通り、大丈夫普通に合格した。中学校同級生は、未だに私がどこの高校に行ったか知らない人がほとんどだろう。

高専天国だった。まず私服である。全てから開放された。

一応校則もあるらしいのだが、言われたのは「校内で喫煙をしてはいけない」「校内で飲酒をしてはいけない」ということだけ。入学初日から茶髪金髪普通にいる。

制服呪縛から解き放たれた私は、元通りおとなしく過ごすことができて、心穏やか。

授業は若干ハードではあったけれど、同級生はどんどん留年していくけれど、幸いにも即決した専門分野にえらくハマって、学校死ぬほど楽しかった。特に4年、5年は毎日24時過ぎまで学校にいた。

その後は「スーツを着ないで就職する」という難題が待っていたのだけれど、それは別の話。

最近は流石にアトピーの人も増えただろうし、学校もこういう前例がいっぱいあるだろうし、柔軟な対応をしてくれると信じたい。

だが、昨今のブラック校則の話を見ていて、もし現代自分中学生だったら乗り越えられなかったかもしれないと思った。私はたまたま運良く平和な不良生活ができて、その後も特に困ることもなかったけれど、万人におすすめできることでもない。

ただ、あの頃の自分と、もし今同じようなつらさを抱えている人がいたら伝えたい。教師に怒られるのは面倒だし、そのときは嫌だろうけど、お前の皮膚は一度かきむしったらその後もかゆいし、血は出るし、完全に元通りに回復するまで1ヶ月以上かかる。そして怒ってくる教師は、俺のアトピー悪化とそれに伴う将来について一切何も面倒を見ないし責任も追わないだろう。だから気にせず校則なんて破れ、お前の皮膚のほうが全然大事だ。怒られても血は出ないし、回復に1ヶ月を要するようなことはない。

あと、高専はいいぞ。

2020-06-13

ADHDってなんですか

私は「ADHD特性」と言われている多動やら衝動やら不注意やらをビンゴしてる人です 強弱はあるけど特性自体は全部あります

なので締切超過と遅刻忘れ物とはお友達でした ついでに人の話も聞けないし活字も読めません

結果教師からの信頼が地に落ち会う度に小言を言われるようになりました

学校以外でも締切超過で失敗し続けました

そんな自分社会で生きていける未来が見えず鬱になりました

親は引きこもりへの当たりがキツいので何も言い出せずただ保健室登校をして時々学校を休んで無理矢理登校させられてとんでもなく苦しかったです

結局言い出せて精神科行って療養期間に漕ぎ着けたものの何も楽しくなかったし自殺しかけました

自殺しかけた時にその親が「生きてるだけでいい」って言った事と療養中に自分趣味に生きがいを見いだせた事で辛うじて生きてます

でも友達受験して進学してる姿を見るようになりました あとやっぱり生きてるだけでは何にもならない気がしてきました

焦ったので私も高卒認定取って受験勉強して…と考え始めたのですがやって大学入学した所で同じ事の繰り返しをしてしま可能性を考えると鬱気が酷くなりました

でもよくよく考えると私の失敗はADHDが大きい要因である事が殆どだっためそれを治せばいいのでは?と考えました

小さい頃からADHD特性がかなり強かったから多分自分は真性のADHDなんだと思います

と考えて気づきました

私は初診の時にADHDだと自己申告してテストでもADHD判断されたのですが、貰った薬を調べてみたらADHDの薬は一つもありませんでした

ADHDの話ははぐらかされるので言えませんでした

その病院は去年くらいに「もう来なくていいよ」と言われた境に行ってないです

ADHD対応してる病院が少ないとは聞いてたけどここまでとは知らず

であれば他の病院にもないのでは?こんな田舎町に最近発見された病気を扱うところなんてないのでは?と思うと何も信じられなくなりました

何より治療もままならないような病院お金を払おうとすると親が怒ります

行動取れません

ADHD」という存在のものを疑うようになりました

物忘れが激しいのも締切守れないのも毎日遅刻するのも三日坊主なのも世間では一般なのでは?みんな努力解決しているのでは?

違うと言われ続けてるのにそう思わずはいられません

もうどうしたらいいかからなさ過ぎて毎日鬱です 助けてください

どうしたらいいんですか ADHDってなんですか

2019-12-02

anond:20191202221910

違うよ 骨折難病理由でも入院中に衛星授業きいてても出席日数がたりなければ留年か退学が現在法律

それと別に単位に関する法律もある

まあ俺は文科省じゃねえからわからんけど知り合いが重病になったときそういわれた

来るだけでもこないと我が校だけじゃどうにもできません、当然転校も無駄です。

逆に救急車にのったままでも敷居さえまたいでくれれば我が校でなら全力でごましますって

知り合いは救急車がわりに親の送迎+保健室登校での自習授業(寝てる)でそれをなしとげたので留年はしなかった

2019-11-06

不登校中2、今後の人生不安

初めて書かせて頂きます。書き殴った記事なので読みにくさは許してください。

不登校中2です。

小1から学校に馴染めず、保健室登校だったり廊下で過ごしたりしてました。

まともに授業受けたことはありません。

勉強数学は得意で数検準二級の勉強をしたりしています。その他はダメ

無事発達障害と診断され中学支援学級なのだが、馴染めず不登校になりました。

先月は少し学校行きましたが、なんか上手く行かず今週からまた休み始めてます

将来はフロントエンドエンジニアになりたくて、コードを書くのを少し勉強していますが、上には上がいて...

こんな自分に夢が叶うのか不安です。

...書いたらなんだかスッキリしました。また書きます

2019-09-09

人生ドラフト

1位 小学校勉強スポーツもできるやつ。中学受験を匂わせつつ公立上位校を狙う。

2位 同じく小学校勉強できる。しかし、中学受験のため同級生から距離が離れる。

3位 勉強はできない。スポーツだけ。体育祭常連かつ切り札中学体育祭での活躍も期待。

4位 勉強しかできない。カーストは上よりした。

5位 カースト上位の取り巻き中学上がると2軍落ち。

育成ドラフト

1位 勉強はできない。数学英語もわからへん。でもうちは友達いからええねん。

2位 その友達うちらブダチやし。

3位 カースト下位。印象は静か。中学でも勉強成績はさえない。

4位 不登校中学ではなんとかしようと親の目も気にしている。

5位 いじめ被害者学校保健室登校。常に問題児扱いを受けている。中学からフリースクールへいくつもり。

育成から成長した千賀、甲斐、その他選手はすごい。

2019-08-22

anond:20190822114519

学校いかなくてもいい」というのは「(不登校になるような要因になる)学校に(つらい新学期に無理して)いかなくてもいい」であって、「勉強しなくていい、引きこもりでも大丈夫」というわけではないんだよな。いったんやり過ごしたその後は保健室登校からでもいいから復学するか、別の不登校児向けの学校フリースクールなりホームスクールなりを探せってのを含んでる。

大人だってメンタル病んで動けなかったら産業医から「しばらく休んだほうがいい」って言われるし、会社ブラックだったら「そんな会社辞めていい」って言われるでしょ。仕事しなくていいとは言われないけど。

2019-05-10

高校中退した話

どこかに書き留めておきたかった。

フェイクは一切無し。知ってる人が見たら多分バレてしまうけど、それでも吐き出したかった。

-----

 

理科が好きだから、理数科のある高校に進学したい。

親にはそう説明した。

嘘ではない。実際に理科は好きだったし、数学も嫌いじゃなかった。

でも選んだ理由はそれだけじゃなかった。

 

高校知名度は下から数えたほうが早いだろうけど、偏差値は中の下付近で極端に低いわけでもない。

頭が良ければもっと偏差値が上の高校を選ぶし、頭が悪ければもっと下に名前を書くだけで通るという有名な高校がある。

大きな実績も歴史もない、そんな選ばれにくい高校

小学校中学校と暗い学生時代を過ごした私にとって、“同級生と一緒になる確率が低い高校学科”が高校選びの一番のポイントだった。

 

残念ながら中学同級生0人とはいかなかったものの、クラスに3人だけ、全員私と同性だった。

彼女たちは数少ない同じ中学出身者というだけで、私を仲間に入れてくれた。

私がいじめられっ子だったことは、勝手に水に流していて何事も無かったかのような振る舞いだった。

そのことに傷ついた。

中学ではただ周囲に合わせていただけで、自分たちを守るために仕方がなかったのかもしれない。

ならばなおさら、せめて一言だけでも言葉が欲しかった。

私が何年もつらい毎日に耐えなければならなかった理由が、空っぽだったのだから

私がつらい思いをしていた間、自分たちは守られていたのだから

 

でもそんなことを今さら蒸し返すまいと、終わったことだと思うようにした。

過ぎた時間は取り返せない。これから楽しくやれれば、いつか忘れられる日がくるだろうと。

しかし、そうはならなかった。

 

クラスには私のほかに、似た過去を持った子がもうひとりいた。

そしてその子は不運にも何人ものいじめっ子と同じクラスになった。

見かねて声をかけようとすれば、周囲の子たちが私を止めた。

そんな周囲を止める方法、変える方法がわからなかった。

あれよあれよと勢いと人数が増え、その子入学半月もせずに孤立して保健室登校になった。

 

大きなガラス窓の保健室は昇降口の向かいで、むしろ晒し者という感じだった。

登校して一番最初に見えるので、クラスメイトの一言目がその陰口になるのはほぼ必然だったのかもしれない。

の子教室にいないのに陰口は止まず、いつしかクラス内が常にギスギスするようになった。

 

クラスメイトの会話の内容は大部分が低俗週刊誌のようになった。

駅で見かけたというだけで盛り上がれるほど狂っていた。聞いていられなかった。

日に日に不安が大きくなっていった。

このままあの子保健室にいるとしても、教室にも標的が必要になるのではないか

そしてそれは私になるのではないか、と。

忘れようとしていた過去が蘇って、毎日が苦しくてどうしようもなかった。

周囲の言葉が全て私に対してのものに聞こえた。

 

予想通りあの子ネタはすぐに尽き始めて、他の人にそれを求めるようになった。

クラス内は決まったグループでほぼ固定され、互いに監視し粗探しをするようになった。

他のクラス上級生のこともあれこれ言うようになった。

あっちのクラスではこんな噂があるとか、着替えが遅いか更衣室を一緒に使うはめになって邪魔だとか、

会話ができる時間は誰もがそんなことばかり話していた。

 

私は、いつ小学校中学校時代のことが掘り返されるか不安不安でたまらなかった。

毎日が恐怖だった。

グループの誰かが口火を切れば、瞬く間に広まってしまう。

下手なことを言わないように、刺激をしないように、とにかく必死で顔色を窺った。

今日大丈夫でありますようにと祈りながら登校して

明日大丈夫でありますようにと祈りながら下校した。

 

状況は何も良くならないまま、夏休みになった。

朝起きても学校に行かなくて済む。それだけで救われた。

でもそんな天国のような時間永遠ではなく、夏休みは終わりを迎えた。

憂鬱しかたなかった。

また戻るのか、大丈夫だろうか、休みの間誰からも連絡がなかったのは何かあるからなのではないか

そんな不安がぐるぐると渦巻いた。

中学のころはそれでも登校できていたのに、もうできなかった。

それからは登校することなく家に引きこもっていた。

 

ひと月が過ぎたころ、担任がやってきた。

うちのクラスは40人いるけど8人が同じように学校に来てなくて、先生も参っている。

女子も何人か休んでるけど、誘い合って一緒にがんばって登校してみないか

そんなことを言っていた。

ぼんやりと話を聞きながら、40人中8人って多いなと考えていた。

そして休んでいるのは私だけじゃないということに、なぜか少しだけほっとしていた。

 

どうして登校しないのかと尋ねられた。

いろんな思いが膨れ上がって、言葉が出せなかった。

唯一絞り出せたのが、あのクラスにいることが辛いという一言だけ。

の子いじめ関係があるかと聞かれ、頷いた。

中学のころの出来事フラッシュバックするのだと伝えるよりも先に、担任が口を開いた。

クラス内にいじめがあることは知っている。

しかし、先生間でもいじめはある。どうしようもないことだ。

ほかの人がいじめられてるのが辛いなんてピュアな心はいいけど、それじゃあダメだ、と。

 

担任は、生徒のいじめを止めさせるのではなく、やられる側が諦めることを求めていた。

それに見当違いだ。

しかに誰かがいじめられていたら心が痛むけど、私が一番苦しいのはそこじゃない。

私の過去担任は知らないのだろう。

しかし伝えたらどうなる。ここから広まっていくのではないか

きっとすでにクラスでは私のことが知られているだろう。そこにさら自分で油を注ぐような真似はしたくない。

一度は伝えようとしたことを話すのをやめた。

 

いっときだけ仲間に入れてくれた同じ中学の子たちからは、そのあとも一度も連絡はなかった。

わかってはいたけどやっぱりな、という気持ちだった。

担任以外、誰も私を訪ねる人はいない。あのクラスに私の居場所はきっともう無い。

私はますます引きこもっていった。

 

秋が過ぎ冬になり、新年を迎えたころに再び担任が訪ねてきた。

このままだと留年になるからと、休学か退学をすすめられた。

ここで休学にしたところで、行ける気も、行く気もしない。

私は退学を選んだ。

2019-04-28

anond:20190425182402

同業の下請け中小なのでかなり共感した

また増田にいろいろ書くと良いと思う

それとは別に親戚に中学で引きこもった娘さんがいる

社会性は中学校で止まりバイトすら出来ずもう30になる

鬱で引きこもりがちになっても、保健室登校定時制高校大学就職というルートもあったんだなと知見を得た

今となってはどうにもならないが

2019-04-25

長い話

今、残業中なんですけどもうデスクで涙をこらえるのに必死で何もできないので気をそらすためにも自分の話を書きますね それぐらいは許される職場なんです。いいでしょう。私がすべて悪いだけの、きっといい職場なんです。

私は小学校中学校、合計で五年間ぐらい不登校保健室登校)でした。原因はなんだろうな。今考えてもわからないんですけど、とにかく行けなかったんですよ。なんでだろうね。

面倒くさかったんです。たぶん。鬱かなってちょっとだけ思ったりもしたけど、でも、私は当時からオタクで、ネット動画とかを見て笑ってたからただの甘えだったのかもしれない。徹頭徹尾、甘えているだけの人間なのです。小学校の三年か四年から二年ぐらい通えなくて、六年生で復帰したけど、中学校一年でまた行けなくなりました。勉強ができないわけでも無かった。昔から地頭は良い方で、ただ集中力は無かった。何事も長く続けられなかった。極度の面倒くさがりで、家事も何も一切できなかった。

両親は、学校に行きたがらない私を叱ることもなく、いろいろ考えてくれました。なんたらスクールみたいな不登校児の集まるところに連れて行ってくれたり、カウンセラーが居る部屋に週数回だけ通うように調整してくれたり。

結果としては、私は自分の中でなんで教室に行けないかからないまま中学の三年間を過ごして、そのまま都立チャレンジスクールっていう学校に進学しました。都立高校で、定時制

そこには私みたいに理由もなく学校に行けなかった人って全然いなくて、病気だとか、働かなくちゃいけないから夜間で通うとか、親が離婚してから生活が変わって学校に行けなくなったとか、たくさん理由があったんです。私はなんで自分がここに居るんだろうってちょっと思ったりもしたけど、未だに仲よく遊ぶ友達ができたのもここでした。

学校は楽しかった。

でも高校はやっぱり三年しかなくて、私は大学に行くことにしました。良いなと思った大学を目指して、母がこのころ癌になったのに無理して私に英語家庭教師までつけてもらったけど、受かりませんでした。その年だけ倍率が平素の三倍ぐらい高かったんです。なんでだろう。

結局私は担任先生の勧めで、少し遠いけど私なら絶対入れる私立大学文学部に入ることになりました。試験はびっくりするほど簡単で、これなら中学時代の私でも入れるな、と思いました。教科は現代文だけでした。

でもこの大学で、私は今でもたくさん遊びに行く友人ができたし、その一人は先日入籍しました。おめでとう。

大学は面倒くさいこともたくさんあったし、さぼったりもたくさんしたけれど、たぶん楽しかったんだと思いますバイトを始めたのも大学に入ってからです。最初は友人の勧めで飲食で働いていたんですが、給料未払いで数か月で辞めました。

次に私が応募したのは、カードゲームショップでした。ちょうど流行ってたんです。シャドバなんて出る前で、ハースストーン一部の人しかやってないし、MTGオンライン全然無かったころの話です。私はろくすっぽカードゲームなんて知らないままそこに面接に行って受かりました。

仕事はたぶん楽しかったです。結局二年半ぐらいやったのかな。みんなオタクだったし、嫌な客もいたしわかんないこともいっぱいだったけど、それでもバイトって責任もなくて気楽だったし、本当に楽しかったと思う。

その時直属の上司だった男の人とは今でもなんだかんだ年に数回会って、二人で飲んだり二回ぐらい日帰り旅行したり誕生日ディズニーしたり一緒にコンサートいったりします。私たち関係は何なのか、こうやって書きだしても未だによくわかりません。良い友人なのかな。友達以上恋人未満の関係結構好きです。気楽だし。いい関係ですよね。

そして私はバイトと遊びと勉学と文化コンテンツで日々を過ごしました。三人しかいないゼミでひいこら卒論を書き、その間に就活しました。

弊社は、確か私の学校に来ていたうちの一つだったと思います

私の父は大きな会社でそれなりに能力もあって、管理職ではないけれど責任感のあるポストについています。そんな彼と日々話をしたりしているうちに、私もこの業界にしたいな、と漠然と思っていたので、そこを受けてみることにしました。一応ほかにも数社受けました。

受かったのは二社。もう一つは金融系の会社で、少し怖くて辞退しました。その時私は卒論が楽しくて、就職の方がたぶん大事なのにそんなこと全然考えてなかったんだと思います

そうして弊社に決めました。もうゼミ以外には大学に来る予定なんてなくて、バイトばっかりしていて、オタク趣味お金を使いたかった。早く就活を終わらせたかった。

もともと視線恐怖症なのもあって、沢山の人がいる中で自分アピールしたりすることが怖かったのかもしれない。

私は卒論を頑張って(学部で優秀賞をもらいました)、大学を無事卒業して、弊社へ入りました。

入ってから、ああ、結構体育会系というか、業種のくせに古臭い企業だな、と思った事は事実でした。けど、父が言うにはこの業種の中小はみんなこんなものだという話だったので、特に気にしませんでした。自分マメさが求められる事務職は向いていないと思っていたからです。

それでも今の部に配属されて、訳の分からない言葉はいっぱいだし、教えてくれる先輩の一人は私に教える片手間ずっとグラブルをやっていた。もしかしたらグラブルをやっている片手間私に色々教えてくれたのかもしれない。

今のオフィスは、弊社の大口顧客(元請け)がほぼほぼ占めているビルです。

私は二年間、同じプロジェクトで、ワーカーホリック上司の下で仕事しました。

上司イエスマンから無茶な仕事をいっぱいもらってきちゃうし、自分ワーホリからほかの人も同じぐらい働けるとか思っていたし、謎に有り余る体力で飲み会かにも大体参加していましたが、怒らないし、わからないというとある程度は聞いてくれたりするし、たぶんとってもいい人でした。私が生意気言っても怒りませんでした。ただ彼自身は毎月残業60時間かいってるワーホリでした。いまでもそうです。

それでもそのプロジェクトは楽しかったです。つらいこともたくさんあったけど、愛着もありました。

なんだか身体おかしいな、と思ったのは去年のどこかぐらいからだと思います。去年は忙しい月が数回あって、残業が40時間を超えるぐらいの月が飛び飛びに数回ありました。

から起きるのが早くて、朝五時とかに起きちゃっていたんですが、三時ぐらいとかに起きちゃうようになりました。

私はスマホ依存症に近いものがあって、何かあるとすぐスマホを見ちゃうんですが、それのせいもあったのかもしれません。睡眠の質がきっとどんどん悪くなっていきました。

プロジェクトは今年の春が大詰めで、みんなピリピリしてたし、急な雑務も増えました。

ある日、一度、風呂場で痙攣のような現象を起こしました。

視界が一瞬真っ白になって、風呂場の椅子に座りこんだと気が付いたときには、身体のいろんなところが強くしびれていました。特に強かったのは手で、勝手に力強く握りしめられていて動かせませんでした。

母を呼びました。母は全裸で浅い呼吸をしながら手を強く握りしめている私のことをひどく心配してくれました。父も風呂場の外にはいてくれて、状態を調べたり、スポーツドリンクをくれたりしました。

その日は固まった手で何とか飲み物を飲んで、少ししたら回復しました。

でも、結局数日たってからも体調がすぐれず、午前半休を取って病院に行きました。

のしびれの正体も知りたかたからです。結果は「抑うつ状態から過呼吸引き起こしたのでは」ということでした。

医者さんには産業医面談を受けるように言われました。私は素直にワーホリ上司へそのことを話して、午後に出社しました。

休憩スペースで面談しました。診断の詳細、そして産業医面談というものを受けるかどうか。

受けるなら俺から上に言うよ。そういわれて、少し困りました。プロジェクトが本当に大詰めだったからです。私はその時まだ二年目のぺーぺーでしたが、そんな私でももしいなくなってしまったら困るかもしれないと思ったからです。結局上司はそのあと産業医面談の話はせずに、春から仕事の話をされて終わりました。

その週の金曜日、私はどうしても体調がすぐれず、うまく動けなくて、会社休みました。

もう一度産業医面談の話をしました。

私自身が、どうしてこんなにストレスを感じているかがわからなかったからです。それが仕事のせいなのか、無意識プライベートでため込んでいたのか(その時ちょうどフォロワーちょっとトラブルがありました)、単純に満員電車ストレスなのか、わからなかったからです。

翌週、私のところにやってきたのは課長でした。

別に産業医面談拒否するわけではないし、受けたいなら調整するんだけど」彼の言葉はこう続きました。「俺たちの権力より上だから部署移動とかを指示されたら逆らえないしなあ……」

課長は私が部署を移動することになってしまった場合人間リソースの低下を懸念していたのです。

「とりあえず、今月は今のプロジェクトを頑張って、春以降もう一度相談します」私は言いました。

しかしたら、本当に私が居なくなったことでこのプロジェクトクリティカルな何かが発生してしまうかもしれない。それが嫌だったのです。課長が明言してしまうことで、それが私のせいにされてしまうのも嫌だったのです。

薬を飲んでいれば出社はできました。なぜか倒れたときから咳が止まらないけれど、風邪が長引いているのだろうと思いました。

私は抗不安剤睡眠導入剤を内科でもらっていたので、薬がなくなった時についでに咳止めの薬をもらいました。

そうしたら、電車で倒れてしまいました。

咳止めとして飲んだ抗生剤と私の相性が悪かったのかもしれません。私は朝の満員電車の中でお姉さんに助けてもらい、途中の駅で降りて、でも歩けなくて、駅員さんに車いすに乗せられて詰め所みたいなところの長いすに横たえられ、母親が来るのを泣きながら待っていました。

母は病気です。私が高校の時からずっと治療しています。手術もしました。私なんかよりもずっと大変なのに、毎日ご飯を作ってくれて、こうして迎えに来てくれるのです。私は親不孝者でしたが、母が迎えに来てくれたので、駅から外に出ました。その日は散歩をして、会社休みました。

体調の悪化が治りません。毎日薬を飲まないとうまく動けません。

それでも日は回るので、春から新しいプロジェクトに参画することになりました。すでにある程度進んでいるプロジェクトは初めてでした。

私はわからないなりに、以前の経験知識を使って頑張ろうと思いました。そのプロジェクト上長は先日面談をした課長でした。

参画してから一週間ほどした日、私は唐突課長仕事の依頼を受けました。

曰く、新しく仕事必要ものを一から作るのだと。

この業種において、一から自分で作ることは大して難しくはありません。今のプロジェクトの様子確認も兼ねて、大丈夫です、やります、と言いました。

どうやら課長のその認識根本的に間違っていたらしいと知ったのは、その週末のことでした。

どうやらそれは、私が触ったことのないソフトを触って、すでに動いているシステムに「絶対ミスをすることなく」仕様追加をするというものでした。

私は困惑しました。だって自分が触ったことのないものを「ミスなく」と言われても困ります練習ができません。経験もありません。

しかも、それは私一人でやるという話でした。ベテラン技術者が後ろについてくれると言いましたが、彼は他の仕事で忙しく、週に一回、数時間様子を見てくれるだけでした。

彼がとっても忙しいのは知っていました。だから仕方ないとは思いました。上長に聞いていた話と全然違っても、もう請けちゃったと言われたら若手にはどうすることもできませんでした。

元請けからはことあるごとに「絶対ミスは許されない」と言われました。私は状況の調査から始めました。

手順書や設計書は用意されていました。ただ、前任の会社中途半端撤退していたため、それが正しいかどうかの調査から始めなければなりませんでした。

けれど、私が触ったことのないソフトウェアの設計違いを、どうやって見つければいいのだろう。それはとっても疲れることでした。

上長はいつもなぜか忙しそうで、私が疲れたとか、産業医面談の話についてを問いかけることは憚られる雰囲気でした。半分炎上していたのかもしれません。プロジェクト経験が私含め半分以上を占めていた上に、その中で唯一構築経験があった私が一人での仕事に回されてしまいました。

ベテランはしきりに「ポテンシャルを見込んで」と言いました。

ポテンシャルって便利な言葉ですよね。とりあえずそう言っておけば良い感をひしひしと感じます絶対失敗できない仕事を依頼されたなら、失敗しない人を連れてくればよかったのです。

私はそれでも何とか資料を調べて不明点を上げ連ねて、ベテラン上長との進捗報告に参加しました。訳が分からないことだらけでした。たくさんのことを言われましたが、すでに集中力平時の半分ほどしかなくなっていた私にとって、それは呪文のようでした。半分ぐらいわかりませんでした。わかったふりをしました。

産業医面談に行けなかったので、有名な精神科のある病院の予約を取りました。その時にはもう、睡眠導入剤がないと眠れない生活になっていました。

新しい病院で、紹介状は無いんですとだけ伝えて診察を受けました。睡眠導入剤のほかに睡眠安定剤をもらいました。でも、睡眠安定剤を飲んだら昼間もものすごく眠くなってしまったので、二回しか飲めませんでした。結局抗不安剤睡眠導入剤だけを今でも飲んでいます。飲まないと眠れないし、仕事に行けないからです。

このころからホーム電車に不必要に近づいてしまうようになりました。(私が使っている路線都内なのにホームドアがないのです)無意識でした。私は死にたいのかな、と思うようになりました。

転職をすればいい、とか、周りの友人は言っていましたが、どう客観的に見たって私のメンタルが弱いだけの甘えなので、私が悪いのです。昔から私が社会や親に甘えているだけなのです。その自覚があったし、転職はとっても怖いもののように思えて仕方がありませんでした。だって自分には実力がないのです。転職活動で落とされることも怖かったです。評価されないことは、訳の分からない仕事を一人でやらされることと同じぐらい怖いことでした。

今日も偉い人たちを交えての打ち合わせがありました。私はやっぱり、「絶対ミスできない」ということを念押しで言われました。それならなぜ、ソフトウェアに触ったことがないたかが三年目の私がその仕事をしなければならないのかがわかりません。他の人にも仕事内容の相談ができません。調べても全然出てきません。他のメンバーはいろいろみんなで相談しながら前に進んでいるのに、私は自分が一つわからないことがあるだけでそこに立ち止まってしまます解決策がわかりません。どうすればいいかわかりません。集中力がなくて、どうすればいいかもよくわからなくなってしまいました。

少し、辛いな、と思いました。

別に残業が数百時間だとか、あまりにも激務だとか、そういうことはありません。家族はとっても優しいです。私はきちんと笑えています。両親はたくさんのことに関して理解もあります。母は自分身体も悪くて病院に通っているのに、私が精神科に行くとき一緒についてきてくれました。

部長課長主任ワーホリですが、きちんとしてはいると思います中小ですが、それなりに長く続いている、頑張っている会社です。

から、私があまりにも社会に甘えているだけなのです。私が弱くて、今まで甘やかされてきたから、ちょっと普通なぐらいのところに来ただけで耐えられなくなっているのです。

それは悪いことだと思っていますだって私が弱いのが悪いんです。甘えなのです。でも、強くなる方法がわかりません。

どうしてこうなったんでしょう。生まれときから弱かったのでしょうか。私はどうすればいいのでしょうか。何が悪かったのでしょうか。仕事ができないことが悪いのでしょうか。

薬を飲んでいるとお酒が飲めません。友人との飲み会も、友人が気を遣って飲み放題プランを外してくれます。気を遣って一緒にソフドリを飲んでくれようともします。

優しさが申し訳ないです。私が弱いだけなのに。私が弱くて薬を飲んでいるだけなのに。

仕事が嫌いなわけじゃありません。色々考えて、正解を導き出せたときや、トラブル解決できた時はとっても楽しいです。

ただ、たぶん、もう一人だけいたら、こんな気分になっていなかったのかな、とは思います自分にとって、「絶対ミスできない」一人きりの仕事が、案外つらいのでしょう。ゆとりなのです。弱いのです。世間様に甘えているから仕方がないのです。責任を一人で負いたくないのです。「わからない」と隣に相談する環境が欲しいのです。

会社の最寄りの駅にはホームドアがありません。今は想像するだけだと思ってはいますが、段々と黄色い線の向こうを歩いていってしまって、いつか飛び込んでしまったら、と思うととても怖いです。それも、私が弱いからなのでしょう。

お母さんのごはんもっと食べたいです。

お父さんともっとお酒を飲みたいです。

生きたいです。オタク楽しいし、ちゃん毎日笑っているし、友人もいい人がいっぱいいます。でも、いつまで生きればいいのか、よくわかりません。勝手に涙が出たり、ベッドから動けなくなってしまます

私よりもっとつらい人はそれこそ数えきれないほどいるはずなのに、どうして自分はこんなにも弱いのか。どうしたら強くなれるのか。

なんで生きてるのか、わからないのです。

それを吐き出したかっただけなのです。

2019-03-16

公立不登校落ちこぼれだった妹が東京大学合格した

先日、妹が大学合格した。

印象的な出来事だったので、ネットの海のどこかに残してみたいと思った。この場のことは代名詞増田さんなことくらいしか知らないが、唐突自分語りをしても許されそうなのでここに書くことにする。

妹と私は年が離れており、私は妹の生まれた時から姉と母親中間みたいな立場で妹の成長を見守ってきた。

幼い頃の妹は、子供らしくて可愛い子だったけれど、あまり要領の良い方ではなく、優等生タイプだった私としてはヒヤヒヤすることが多かった。たとえば、自分から率先してクラスの中心にいる意地悪な女の子取り巻きになって、何でも借りパクされてしまうような子だった。

この頃から成績は良くなく、田舎公立小学校テストでも平気でひどい点をとっていた。妹曰く「提出さえすれば自由時間になるから半分は解かずに出してた」とのことだったが、それを差し引いても何をどこまで理解していたのかはわからない。たぶん人間関係的に、良い点を取らない方が便利だったのだろうと思う。

そんな妹は、地元中学校に入ってから、当然のように性格の悪い女の子取り巻きになって媚びへつらうようになってしまった。成績は5教科で280点くらい。そして、案の定といっては可哀想だが、ひどいいじめに巻き込まれ不登校になってしまった。

このとき私はちょうど東京国立大学合格一人暮らしを始めたところだったのだが、電話で親と話しながら妹の気持ちと将来を思うと、心がヒリヒリした。妹の体験と比べたら大したものではないが、自分にも荒んだ公立中学校独特の空気の中で、自己肯定感を失っていく気持ちには身に覚えがあった。

妹が幸運だったのは、両親が進歩的な考えの持ち主だったことだろう。

保健室登校で今の学校に通ったらどうかと言う私や学校教師意見無視し、両親は妹を不登校児の集まる遠方の私立中学にさっさと転校させてしまった。とにかく制服が可愛く、規則が緩い学校だった。集合写真を見ると、男子生徒の地味さと女子生徒の派手さがアンバランスな程際立っていて、私は「こんなのいかにもじゃないか」と心配した。

しかし、妹は、この特殊学校への転校という大きな賭けに勝ったようだった。半ばカウンセラーのような先生方と一緒に時間をかけて精神回復させ、1年ほどすると転校前の同級生がいない遠方の遊び場になら外出出来るようにもなった。

また、この頃から、いつかは昔の同級生を見返してやりたいと思うようになったようで、美容勉強を頑張るようになった。特に勉強に関しては、多くの同級生通信制定時制高校に進学する中、普通科高校に行きたいと強く希望した。当初の妹は不登校時代ブランクのため中3頭になってもbe動詞活用だとかx^2-4=0の因数分解だとかが分かっていなかったのだが、元が低いだけにやる気になってからはぐんぐん伸びた。そして、進学校ではないものの、偏差値60弱くらいの私立高校の進学系のコースに最低点で滑り込んだ。なぜ最下位なのを知っているかと言うと、入学後に先生から異例の二者面談を組まれ、激励されたからだ。

そこからの妹は一層、人が変わったようだった。「JKっぽい遊びは中学でもうこりごり」とばかりに、不登校時代にやっていた痛いSNSネット上の囲いも捨て、半ば遊びだった彼氏もいなくなり、字が綺麗になり、プリクラが減り、電車内で英単語帳を読むような高校生になった。高校レベルクラスも、半年で1番下から1番上まで上がり、これには両親と私も驚いた。

特にビリギャルに倣ったのだろうが高1高2では英語ばかりを熱心に勉強していた。英語系の塾にも通い出し、1年ほどで当時TOEIC800点の大学院生だった私をゆうに追い越してしまった。中学まで不勉強だった名残で、英単語帳に出てくる日本語単語の方を知らない、漢字が読めないということが多発し、英語の語彙が増えるに連れて日常会話がルー大柴化した。その後、次第に英語以外も徐々に勉強するようになり、成績はうなぎのぼりだった。もちろん本人の中では、伸び悩んだり、不安になったりすることもたくさんあったそうだが、側から見ていると面白いほどに成長していた。志望大学もどんどん上がっていった。

そしてこの春、妹は通常より1年余分にかかったものの、早慶MARCHの滑り止め受験校3校をすべて合格したのち、晴れて第一志望の大学に進学する。妹は「これでようやくお姉ちゃんと肩を並べられるわ~。姉が○大生とか、これまでは人に言えなかったんだからね」と言った。

からすると、どん底から這い上がってきた妹の方が、とっくに自分よりすごいと思っていたので、妹がまだそんなことを思っていたことに驚いた。でも、自分プレッシャーになっていたと同時に、ひとつの道しるべにもなっていたようでそれは嬉しい。

もともと地頭が良かったんだろうとか、親に金があったからできたことだとか思う人もいるかもしれない。また、大学合格なんてまだ単にスタートラインに立っただけじゃないか、まだ何も終わってないぞという指摘があるかもしれない。ごもっともだ。それでも、私はここまで来た妹の努力がすごく誇らしいのだ。

この先の人生私たち出身地田舎じゃできないことをたくさんしていってね。姉はあなたのことを応援しています

増田より

2018-10-07

そもそも自分教師だと思ってる思い上がりがやばい

気に入らない奴を注意できたらなーって妄想してる保健室登校児じゃん

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん