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はてなキーワード: 「生きる」とは

2019-06-25

私を凍らせて ※プロメアネタバレ

ネタバレ

映画やばかったから、見てほしい※

面白いかは人それぞれだが、やばいことは間違いない※

ビームビーム!!!

 

 

 

差別の描き方が甘い。最後リオたちが被差別者である原因の炎なくすのどうかと思う」っていうプロメア批判読んじゃったんだけど、

いや差別系のことは詳しくないが、別に最後彼らは被差別者じゃなくなってなくない??って思いました。

 

でなきゃ敵は同じバーニッシュのクレイじゃない。そこだけ見れば、被差別者同士の殴り合いだし。

 

バーニッシュだから被差別者」なのではなく、「被差別者、抑圧される人が『炎』をあげる。それがバーニッシュと呼ばれる」の方が近い。

そうなると、少し見方が変わると思う。

 

プロメアは、抑圧された人間被差別された人間が炎を出しちゃう話。

ストレススイッチになる。

 

あの炎は「僕らは人間だ!」という暴力的叫びで、だからリオくんは「燃やすが人を殺さない」ことを誇りにする。

バーニッシュの炎は、誰かを傷つけるために存在してるんじゃない。ただし発現が破壊につながりやすい。

 

バーニッシュは確かにマイノリティとして描かれてはいるけど、クレイを見ていると擬態可能

 

代わりにクレイ自分を抑圧して、バーニッシュを抑圧して、地球(スケールでかい…)の怒りも抑圧する。

バーニッシュと地球噴火が連結してるって、ゴリゴリ暗喩ですよね。

 

リオもクレイも、名前を呼ばれないことが嫌で、あれは「俺を人間として扱ってない」ですよね。『属性じゃなく個体名で呼べ』

 

クレイがそれを言わないのは、ガロ人生を変えた過去のせいで罪悪感があって、たぶん箱舟計画ってガロへの罪滅ぼしなんすよ。

から余計にバーニッシュの弾圧に踏み切る。あいバーニッシュを弾圧したいからやってるとこあるんですよ、箱舟計画

 

博士殺害クレイは「最初からプロメアエンジンのために近づいたわけじゃないんです。

おそらくガロの家を燃やしてしまったあとに決意した。

 

しか自分の罪の根源がいつもとなりにいるから、ウワー!!!!!ってなる。さらガロバーニッシュへの偏見がある。

だけど、バーニッシュへの偏見をなだめることはクレイには出来ません。

「死んでほしい」は本音だけど、彼はずっと殺さずに傍に置いており、マッドバーニッシュを捕まえた彼を表彰する。

 

からこそ、「バーニッシュへの態度があんまりだ!」というガロ牢屋にぶちこみます

あれ多分ちょっと私情入ってるぞ。だーれの為にやってやったと思ってんだ!?ってやつな。

「罪滅ぼし」と「疎ましい」気持ちがぶつかりあったストレスかな…。

 

燃えたい気持ちが分かるというのは、「人間として認めてほしい」って気持ちを、徹底的に抑えつけてたんだな、と。

自分属性否定して生きているから、中盤まであの貼りつけたような笑顔なわけで。

 

冒頭では炎をそのまま使うリオだけど、ガロの「燃えていいのは魂だけ!」でロボット動力にリオくんがなって、

最後の場面では炎は燃やし尽くし、ガロが「お前の火の粉を俺が払ってやる」になる。

 

どうして炎をそのまま利用しなくてよくなったって、自分人間扱いしてくれるガロが隣に立ったから。

そして「炎を燃やせよ」とガロが言うから。お前の誇りだろう?と。

 

ガロクレイのことも名前で呼び、そして自分人生を変えてしまたことを責めない。クレイも助ける、という。

 

この時、ガロにはバーニッシュの炎が完全悪ではないことが分かっているんだと思う。 

そして炎はようやく笑い声をあげる。

 

この炎は、破壊象徴でもなく、「生きる」ことだと思う。

からチュー(ヒロインさしおいて!?(゜△゜)ってびっくりした。いやいいんだけど)で炎を移したとき相手は生きられる。

 

踏みつけられれば、恐怖や怒りで燃え上がり、弾圧されれば泣き声となり、自分人間と認めてくれる人間の隣では、そして地球を助ける時には笑い声になる。

宇宙生命体がとりついたことにより、バーニッシュたちは自分生命に対する外部へのアクションが炎に変わる。

 

炎がガロを守ったこと、命を分け与えるところから見て、炎自体は悪いものではないんです。

 

差別された人との共生って観方もせやなと思うけど、

被差別者暴力性にどう向き合うかってお話でもあると思うんだよね。それが共生だと思う。

 

弱者可哀想ってよく言われるけど、代わりにその怒りは軽々しく扱われがちだと思う。でも、抑圧された人間が怒りを抱かないはずがない。

被差別者が注目を浴び、可哀想って言われるようになる時は、大概が取返しのつかない事件とセットで、声をあげるには暴力という手段が取られやすくなる。

そして声をあげたリオくんたちはテロリストとして社会の敵になる。

 

でもそれってどう考えてもヤバい

から人生バーニッシュに変えられたガロ主人公に選ばれ、彼はバーニッシュを倒すことではなく、火消しを目的とする。

火消しってつまり、『火』と付き合うスペシャリスト

 

そしてガロいるから、炎の抑圧と、炎の解放と二極端に振れていたクレイとリオに、別の道筋提示される。

 

マッドバーニッシュの登場シーンを見ても、五感意味ダイレクトに結び付け、感情的に響かせるこの映画はすごいと思う。

アニメの強みに完全に振り切っている。つまんないことを付け加えるなら、言語部分で足りないところは劇中歌で補強してるんですよ。

 

現実マイノリティへの配慮が足りないとしたら、それは選択した表現方法問題であり、というより象徴化の最大の問題点がそこにある。

オペラ座の怪人の怪人が醜く描かれるのは、内面表象した、という説をみたことがあります。でも、そんなことあってたまるか!って話じゃないですか。

効果的だからこそ、時代の流れによっては廃れていくもの、そして変えなくてはいけないものだと思う。

 

でもこの映画自体の中身は、ストレートであり、決して不誠実でもないと思う。

 

そもそも抑圧された人間マイノリティとは限らない。

女性なんて国の半分いるのに、被差別者なのは医大ニュースが教えてくれるじゃないですか。

冒頭の満員電車で足踏んづけられて大炎上、も、心のなかでは皆ごうご燃えてるでしょ?……燃えない?そっか…。わたし燃え()

 

ただし、少数派に差別が集中するのは、えげつないことになりがちだから、優先的にガンガン叫んでいかないといけないとは思う。

 

まあそれは置いといてインタビュー見てないから知らんけど、被差別者との共生ってテーマを語ってるとしたら、おそらくマイルドに包んでる。

リオくんの登場シーン見たら、まあ分かるじゃないですか。はっきり言えないじゃん、それ。

 

まあ映画の尺の都合上、さらに外に話を広げられnおっとこの話はやめようか。

 

からEDで「私を凍らせて」と歌われる。

 

ED、とても切ないんですよ。

あのラストのあと、どうしてこの歌が選ばれたかって考えたら、もう決して手放しのハッピーエンドとは思えない。

 

ご覧になった方はお分かりかと思いますが、バーニッシュと市民の深い関わりは、ほぼ主人公ガロを通してしか描かれないんです。

「きみがいなくなると灰になるの」「燃え上がる思いが焼き尽くすの」「もう一度夢がかなうなら、幸せに還りたい」「待っててもいいから」

 

リオくんはガロ出会って、炎とさよならします。自分を燃やし尽くして、灰にならなくてよくなったんです。

灰になることに対し、「どうせ死ねばそうなる」とリオくんはクールですが、ガロは複雑な顔をしています

その表情の意味は、リオの言葉鵜呑みせず、もっと考えてみてもいいんだと思う。

 

物語終盤、バーニッシュたちの炎の発現は終わっても、ガロの魂は燃えています

そして、最後にリオくんたちはおそらく、氷の鎧を身に着けることにするんだと思う。

 

歌の最後は「最後まできみを待ってる」で締めくくられます

差別被差別者の働きかけだけで終わらないからです。被差別者暴力は終わり、次は相手の働きかけをまつ時代が始まるんだと思う。

 

本当に一粒の希望を描いて終わっている、実現不可能とも思える、祈りのようなラストわたしには思える。

 

 

プロメア被差別者暴力性に着目したあたり、けっこういいと思うけどな。

可哀想人間が助けられて幸せになりましたって話より、ずっとリアリティがあると思う。

 

まあ、つい語っちゃったけど、開墾ビームに勝てるものなんかねえよ……全部持ってかれるだろあれは……

 

 

 

 

 

 

※すいません、ひとつだけ追加します。

 

物語市民バーニッシュが互いに被害者であり、加害者であることを語りますガロの生い立ちからしてそうです。

ガロは何度も言う。「燃えていいのは魂だけ」彼は怒りに任せ、悲しみに任せ、炎を燃やしません。多分、人格者として接したクレイに目をかけられ、育ったから。

 

この物語の壮絶さは、劇中では「たった一人の人間しかバーニッシュたちに対し変化していることが描かれていないところにあります

しかし、そのたった一人の人間の男の中に、確かに炎は燃えている。

 

プロメアプロメテウスというギリシャ神話の神から取られたのでは、という考察散見します。

プロメテウスは人類文化の火をもたらした神です。

 

まり前進」を示す神です。

ガロが己の内だけに炎を燃やし、火消しとして働くのを見ると、プロメアというタイトルは、もしかしたら物凄い意思の籠ったタイトルでは…という気がしてきます

実はかなり悲惨な結末にも捉えられるこのラストが、爽やかに見えるのは、一種反吐を吐くような意思があるからかもしれない。

 

そして火である以上、燃え移すことも可能なんじゃないかな…と思う。

 

追加おしまい

 

2019-05-25

anond:20190525230716

「生きる」というか「存在すること」事態に「意味があるんじゃないかな」って思ってるの。

2019-05-23

「生きる意味」の定義

生きる意味が知りたいとか言うけど、生きる意味ってそもそも何だよ?

 

意味がある、意味がない

意味がない行動というのは、やりがいがないしゴールがないんだよな

徒労だしやる気も出ない、意思決定もできない

もちろん、意味があってもそうなる場合があるが

たぶん、「意味がない」っていうのは{やりがいがない、ゴールがない、徒労感、意思決定しづらい}を一言に押し込めてるんじゃないか

 

「金が無い」に似てる

何か欲しいものがいくつかあったとして

言葉から出てくるのは「あーAとBとCとDとEが欲しいー」よりも「金がほしい」なんだ

そういう意味で似てると思う

 

ほしいのは何か

やりがいがない、ゴールがない、徒労感、意思決定しづらい}

これらを改善したいんだ

 

・何をやるか明確で、ゴール設定や意思決定がしやす

やりがいがあって充実感がある

 

たぶん面白いゲームってここらへん上手いよな

 

「生きる」意味

ゲームとか、あるいは3年くらいの「意味」の見つけ方って難度低いと思うんだよな

皆が言う「生きる」意味ってのは、人生くらいの長期スパンの話なんだろう

 

短期スパン意味を変えてもいいけど

一貫性がないから嫌だよな

漫画とか、コロコロ意味」が変わるのとか読みづらいし

 

生きる意味を与えられても満足しない説

たぶん、他人から「お前はこのために生きろ」って言われても

やりがいがない、ゴールがない、徒労感、意思決定しづらい}が解決しない事が多いんじゃないか

そういう意味では「生きる意味が欲しい」は語弊があるんだよ

意味を与えられても「それじゃやだ」って言うんだから

 

都合の良いストーリーや設定が欲しいんだな

 

創作って良いよね

RPGとか、異世界転生とか、ラスボスが居るとか良いよねわかりやすくて

2019-05-18

「いざとなったら死ねばいい」と考えてしま

そこそこ裕福な家庭に生まれ不自由なく暮らしてきた。五体満足だし精神疾患などを抱えている訳でもない。コミュニケーションも得意ではないが不得意という程でもないし、学生生活いじめというものにあったことはなく友達も程々に居た。

ただ、そこまでヘビーな人生ではないのに「生きる」という事がただ辛い。

誰もが抱えているであろう将来に対する漠然とした不安、言い表すことのできない焦燥感からくるものだと理解してはいるが、「いざとなったら死ねばいい」と考えてしまい、これらを払拭するだけの苦労を一切したくない。

この考えが自分の深い所に根を張っている為、本当に様々なことから逃げて逃げて逃げ続けてきた。20代半ばで子供みたいなことを言っている自覚はあるが、この考えをどうしても変えることができない。

何とかこの考えを変えようと、「生きる」ということが楽しく感じる程に熱中できる娯楽はないかと色々と試したが、アウトドアのような能動的な娯楽は楽しさの前に煩わしさを感じてしまい、肌に合わなかった。

結果、映画音楽鑑賞などの受動的なものに落ち着いたが、惰性で続けているのが本音だ。

「生きる」理由もないので、先日とうとう仕事も辞めてしまった。

だが焦りはそこまで感じていない。いざとなったら死ねばいいのだから

2019-02-03

映画鑑賞後の感傷に浸っている人間ひとりごと

刀の映画を見に行った。

2回目。

1回目からずっと感じてたけど、あんまり口にすることでも文章にすることでもないかなと思って蓋をしてたけど、どうにもしんどいので吐き出してしまうことにする。

書いてスッキリしたいだけ。

なんだけど、誰かに知ってほしい気持ちもあるらしくて匿名ツールを引っ張り出してきた。

映画を見た人間ぼやきなので映画鑑賞済みであることを想定して書きます

***

ものすごくものすごく、

自分に正直に言うと、

「正しい歴史のために正しく死なねばならない」

と言われた信長のことを、少し羨ましいと思った。

なんて言うか、ぼんやりと、常に死にたいと思っている。

でも自分で死を選択する勇気はない。

まだまだ完結するまで死ねないと思っている作品も多いしオタクとして生きてて今が楽しくないわけでもない。

楽しいと感じている時、発している時、私は確かにその瞬間「楽しい」と心の底から思っている。

なんだけど、それに反するように、死にたいと、心のどこかでずっと感じている。

「生きることで発生する日々の煩わしさ」と、「死ぬ瞬間に生じる種々の煩わしさ」を天秤にかけて、ただ「現状維持」だけを選択しているような感じ。

変わることが面倒くさい。

だけど生きていることも面倒くさい。

私の意思とは関係のないところで死を迎えたい。

なんなら今、「歴史のために」と言う大義名分を掲げてこの命を終わりにしたい。

「正しい歴史のために」

「正しく死なねばならない」

人の生死に正誤などあるのかと感じもするが、私の命が正しい歴史のために摘み取られるのであれば私は喜んでこの命を差し出したい。

そういう意味で、信長を羨ましいと思った。

彼の死には意味があった。

それ以上に、彼はそこで歩みを止めることを許された。

私も許されたい。

「生きる」ことを「辞める」ことを許されたい。

生きた時代が違うから信長のその選択は私が望むそれとは全く別のものなんだけれど。

信長は歩みを止める気なんてなかったと思うんだけど。

それでも、今生きていることが間違いだと言われて、あぁそうなんだ、やっぱり生きてることは間違いだったんだ、って、私は納得できる。

別に誰に何を言われたわけではないけれど。ただの現実逃避だってだけかもしれないけど。

それでも、羨ましいと感じてしまった。

2019-01-14

なぜ「頑張る」をしなくてはいけないのか


勉強を頑張って運動を頑張って試験合格するように頑張って交際相手が見つかるように頑張って

親孝行できるように頑張って周りに感謝できるように頑張って

優しくなるように善良な人間になるように頑張って頑張って生きてきたけど

そもそもなんで頑張らないといけないんだろう。健康を維持しながら生きるだけで精一杯なのに頑張ってたら病気になって、仕事が思うようにできなくて収入がなくなってしまうから病気を治すように頑張る。

頑張って身体が休んだら今度はリハビリを頑張って、私にとって「生きる」って頑張らないとやっていけないの。頑張らなかったら生活必要な食料物資も満足に買いにいけないしお金がない。通院にも満足にいけてない。生活保護?無理だよ。親はいから。でも病気で働けなくなって「そんな情け無い人間の面倒は見られない」と勘当されちゃった。

そしたら行政に頼ればいいんだろうけど相談するのも頑張ることで、きっと親はいるんだからちゃんとお願いしてみなさいって注意されるだけ。

私は世の中に対して貢献できればいいと思って頑張ってきたけど、世の中自体は私のことをあまり好きではないのかな。

頑張るのがつらい。

2018-11-06

anond:20181106065610

すべての因果関係を解明できたら → 生きてられるかわかる

今の段階では、何とも言えないが、全ての因果関係改名した瞬間、生きている人間が全て生を失う、とかが無ければいける。

一方、「生きる」定義曖昧かつ因果関係関係ないので、そもそも因果律の外にある命題かもしれない。

2018-10-10

骨髄移植の話(10/11追記あり)

増田でも時々骨髄バンク移植について話題になっているのを見かける。

私もそれに関わる立場になったので初めてエントリーしてみることにした。

この度私は骨髄を提供してもらう側になった。つまり骨髄移植必要病気になったということである。私は20代前半だ。

正式にはまだバンク登録をしていない、HLAハプロタイプを調べただけの段階だ。病状の経過が悪く、先に抗がん剤治療必要判断されたため、まだ骨髄移植の日程を決められる状態にないのだ。

しかし、すでに雲行き怪しく、日本人には非常に珍しい型だという結果が出ている。なんでも、0.0001%以下だとか。HLAの検査結果にも、「非常にまれ」と書かれてしまった。

現在バンクドナー登録していただいている方との適合率も調べたが、フルマッチはいない。ミスマッチも数人という結果だった。

私が小説漫画編集なら、設定過多でボツにするところだ。

日本骨髄バンクが公開している現在登録ドナー登録者数は74万人強、ドナー登録数は48万人強、適合報告ドナー数は30万人弱である

患者ドナーの適合率は約3割だそうだ。そこからさらにふるいにかけられて、最終的に骨髄提供および移植日が決まる。

患者は適合するドナーが見つかるまで、病気を抱えたまままずは体力を温存しつつ生きなければならない。

ドナーはいつ見つかるかわからない。なぜならドナー登録善意の行動で、適合するかどうかは運次第なのだ

2〜3ヶ月で見つかる人もいれば、半年かかる人や最期まで見つからない人もいるだろう。

HLAハプロタイプ は生まれながらに決まっている両親から受け継いだ白血球遺伝子である。変更はできない。

要は生死をかけたガチャなのだ

自分のHLA型が珍しかろうと頻出型であろうと、その時ドナーがいなければ移植はできない。

出る時は出るし出ない時は出ない、なんて過酷ガチャなのだろう。

残念ながら「出るまで回せば100%」なソシャゲ脳的思考通用しない。

それはドナーさんの善意に頼った骨髄バンク制度であり、何よりドナーさん自身にも少なからリスクのある治療からだ。

他人強要することはできない。

現状のドナー制度は、病気になるまで考えもしなかったが、限界に来ているのでは?と感じることがままある。

私のドナーさんは果たして本当に見つかるのだろうか。

善意だけで人の命は救えるのだろうか。

骨髄ドナーは、命のボランティア、いや命がけのボランティアである

それでも、バンク登録患者が一人でも多く生き残るためには、一人でも多くのドナー登録必要だ。

きょうだいなど、ハプロタイプの近しい親族がいる場合を除き、命がけのボランティアをお願いする以外に方法がないのである

ドナー登録自体は各献血ルーム等で比較簡単に、すぐに登録可能である

ただし登録後、適合患者が見つかりドナー候補となった場合、非常に面倒と言える書類審査家族医師同席での最終的な同意提供完了までの厳密な体調や薬の管理必要となる。

骨髄バンクドナー登録条件はドナー登録に関して十分理解した18歳以上54歳以下、男性45kg以上女性40kg以上の健康体の方である。詳細は是非日本骨髄バンクHPを参照していただきたい。

このような条件である以上、ほとんどの方は学校会社勤めであろう。

もし候補者となった場合、そちらにも報告し、数日間入院しての骨髄提供への理解・許諾を得なければならない。

また、自治体民間団体によってはドナー提供者へ助成金を出しているところもある。

それでも、患者の命のためとはいえ、そこまで善意でできる人間はそう多くはいないだろう。

だけれども、私は患者である

一人でも多く合致するドナーさんに巡り会いたい。

わがままな願いかもしれない。

返せるものは厳密に個人情報等を隠した手紙一通と、ドナーさんに直接知らせることは叶わないその後の病状の回復社会復帰だけなのだから

最初にも書いたが、私のフルマッチ現在0人である

ミスマッチとは1型欠けの許容範囲内の合致数で、それも数名である

私の命が助かるのかどうか、今は誰にもわからない。

数名の彼らがたまたま運良く都合がつき、体調も良好で、私自身も移植するだけの体力があるタイミングを引き当てなければいけない。

運命のいたずらというにはあまりにも残酷すぎる。

それでも、見つかるまでは生きなければならない。

何があっても生きなければ、移植後の人生存在し得ないのだから

言いたいことがまとまらないエントリー申し訳ないが、願うことはただ一つ、一人でも多くの方にドナー登録に協力してほしいということである

登録簡単であっても、適合候補になった場合手続きが面倒ということは重々承知している。

それでも一人でも多くの方にご協力願いたい。

その一心でこのエントリーを書いた。

時間がかかってもいい。いつか私のドナーさんが見つかるように。それだけを願って。

このエントリーが一人でも多くの方に届きますように。

そして一人でも多くの方がドナー登録にご協力くださいますように。

それだけを願ってやまない。

追記 18/10/11

反応くださった方々、ありがとうございました。

記事を書いた時点では存じ上げなかったのですが、10月は臓器移植骨髄バンク推進月間なんだそうです。

元増田にも書いた通り、命がけの善意ボランティアを"お願い"する以外、患者にできることはありません。

HLA型の適合率は、非血縁者の場合数百〜数万人に一人と言われています

一人でも多くの方がドナー協力してくだされば、骨髄移植必要患者はその後の人生を得られる可能性が上がります

私はまずは骨髄移植が受けられる状態になるまで、血液内のがん細胞を叩かなくてはなりません。

骨髄移植でも死ぬ可能性は大いにありますが、骨髄移植の前処置としての抗がん剤放射線治療にも死のリスクがあり、何より移植後が一番大変と聞いています

移植までも生きなければなりませんが、移植後も多くの問題を抱えながら生き延びなければなりません。

医療技術進歩した現在でも、骨髄移植はかなり高度な治療技術なのです。

以下、コメントや反応にお返ししたいと思います

フルマッチミスマッチ、なかなかこういう使い方をする場面はないでしょうが、骨髄移植世界ではよく使われる表現です。

HLAの適合度が高いほど、安全移植することができます

本当に全てが運次第なのです。

記事へのコメントで、売血問題にも触れられていましたが、現行の制度が色んな意味で滞りなく進むやり方であることは承知の上で、それでも負担考慮すると何も返せないのが心苦しい思いです。国や自治体もっと何か補助があればいいのですけどね。

移植後、様々な問題を乗り越えて社会復帰して、幸せ人生を少しでも長くまっとうすることがせめてもの返礼と考えるしかありません。

また、記事への反応で親兄弟肉親でも命がけのボランティアだと指摘を受けましたが、おっしゃる通りです。

しかし、その命がけのボランティア赤の他人に協力してもらうのと、肉親に協力してもらうのとでは、肉体的・心理的社会的負担が大きく異なることは確かだと思います言葉足らずですみません

それから現在ドナー登録をしてくださっているみなさん、過去登録していただいていたみなさん、骨髄ドナー経験のあるみなさん、登録を考えてくださっているみなさん、本当にありがとうございます

一人一人にお礼を言って回りたい気持ちでいっぱいです。

あなたたちの勇気ある善意ボランティアのおかげで、生きられる方がたくさんいらっしゃいます

自身負担も大きい骨髄ドナーですが、血縁ドナーがいない患者にとって非血縁ドナー(骨髄バンク登録ドナー)さんは、「生きる」ための選択肢を与えてくださる存在です。

「生きる」ために不可欠と言っても過言ではありません。

この増田が一人でも多くの方の目に触れ、骨髄移植骨髄バンクドナーに関する理解がより深まるきっかけになれば、これほど幸いなことはありません。

私もがんばって生き延びます

そして、なるべく適合率の高いドナーさんに巡り合い、これから人生を生きていきたいです。

2018-10-05

キン肉マンウォーズマンに寄せて

息も絶え絶えにリングの上に転がりながら、ウォーズマンロビンマスクにこう尋ねた。

「だれかオレの顔を見て笑ってやしないか?」

ロビンマスクは彼を見つめ、力強く声をかける。

「だれも笑ってやしないよ」

から安堵すると同時にウォーズマンの全身から力が抜けていく。

それを抱きとめながらロビンマスクは涙をこぼす。



こんな感動的な場面から始めたい。

これは漫画キン肉マン」に登場する一人の超人ウォーズマンについての一つの考察である



ウォーズマンロビンマスク弟子として、漫画キン肉マン」の第8巻、

『第二十一超人オリンピック編』から登場する超人だ。

人間ロボットの間に生まれ、そのどちらにも属さない「ロボ超人である彼は登場時、

その残酷さによって読者に強烈なインパクトを与える。

針状の爪を発射する武器ベアクローを使って対戦相手を惨殺、

練習のためにグラウンドを走る死刑囚149人のうち148人を殺害

キン肉マンの仲間であるラーメンマンの側頭部を抉って脳漿に穴を開け、

植物状態にするなど、攻撃残酷さでいえば作中随一ともいえるだろう。



しかし、そのような残虐さに反して、転んだ子供に手を差し伸べて助けようとしたり、

前述した149人の死刑囚の中でも老人だけは見逃したりといった優しさが

時折垣間見えるのもウォーズマンの特徴である

性根は優しい彼を残虐な戦いに駆り立てたのは一体何だったのだろうか。


ロビンマスクは作中、「超人オリンピック」のリング上でキン肉マンへの攻撃の手を止めたウォーズマン

「また くうものもくえず きるものもろくにない すさんだ生活にもどりたいのか」と尋ね、

ウォーズマンはそれに応えるように激しい攻撃を再開した。

ここから想像されるのは、彼が故郷ソ連で置かれていた厳しい状況である

この後、キン肉マンとの闘いを通して彼は残虐さを捨てたクリーンな戦い方の大切さに気付く。

そして、対戦相手マスクを剥いだ方が勝ちというルールの中で、

みずからそれを脱ぎ捨てると共に自分過去を語るのだ。



ウォーズマン自身が単なる超人でもロボットでもない「ロボ超人であることを嘆き、

どこにいっても爪弾きにされ、いじめられ続けた日々を回想して「地獄生活」だったと称した。

そのような彼を唯一救ったものこそが格闘技であり、

いつしか自分超人ロボットを「血まつりにあげることがいきがいとなった」のだと彼は語る。


やがて雷鳴に照らされた彼の素顔は、人間でも均整のとれたロボットでもない、

極めて歪なもの、恐ろしいものとして描かれ、

それを見つめるキン肉マンとその婚約者ビビンバの顔も稲光の中で無言にこわばっている。

彼の素顔から受けた、誰も何も発せないような衝撃、

それが登場人物の表情のみを並べることで読者に鋭く突き付けられるのだ。

ウォーズマンの「素顔」は非常にドラマチックなやり方で我々に提示される。

醜い、恐ろしい、そう思ったとしても彼を気遣えば口に出すことができない、

いわば配慮リアリティとでも呼ぶべきものがこの場面には備わっており、読者ですら、

ウォーズマンの顔からどのような印象を受けたかをあえて言葉にしないように努めてしまうのである



彼の生い立ちや素顔についての問題はここで一度大胆に明かされたのち、しばらくはその影を潜めている。

残虐を捨て、キン肉マンら「アイドル超人」の一員となったウォーズマンは、

「七人の悪魔超人編」においては戦士として、

黄金マスク」編においては作品舞台として(「黄金マスク」を巡る戦いはウォーズマンの体内で行われる)活躍し、

仲間を支えながら友情を深めていく。

そして、もはや誰もが彼にまつわる悲劇を忘れ去った頃、冒頭の事件が起きるのである



コミックス17巻に始まる「夢の超人タッグ編」において、

彼は師であるロビンマスクとタッグを組み、共闘することとなった。

この時の対戦相手ネプチューンマンキング・ザ・武道の二人が結成した「ヘル・ミッショナルズ」であり、

ロビンマスク仮面をつけたネプチューンマンの正体がかつての好敵手、

喧嘩男(ケンカマン)」なのではないかと疑っている。

やがてそれは証明されるが、ネプチューンマンは正体を知られたことを理由ロビンマスクを殺そうとする。

ウォーズマンは師を助けるためにリングに上がるも技を決め損ね、ネプチューンマン仮面を外されてしまう。

彼の素顔を見た観客は衝撃を顔に浮かべ、ウォーズマンはなんとか仮面を奪い取って、再び顔に装着する。

彼が仮面を外され、再び装着するまでの間に挟まる以下のセリフは注目すべきだろう。



ネプチューンマン「(注:ウォーズマンに対し)醜い顔を隠すために覆面超人の道を選んだのであろう」

ロビンマスク「これ(注:仮面)をウォーズマンからとりあげることはあまり残酷だ!!」



ネプチューンマンウォーズマンの素顔を「醜い」と指摘したときロビンマスク特にそれを否定しない。

それどころか、仮面をつけずに戦い続けることはウォーズマンにとって残酷だと断定的に語る。

これはなぜか。ロビンマスクもやはりウォーズマンを醜いと感じ、

それでいて庇うこともせず受け入れているのだろうか。


当然そうではない。再び仮面をはぎ取られたウォーズマンロビンマスクに、

「だれかオレの顔を見て笑ってやしないか?」と問いかける。

そして、「だれも笑ってやしない」という言葉に安堵しながら命を落とすのである



この場面において我々が再確認しなければならないのは、

ウォーズマン自分のロボ超人としての素顔を見せること、

そしてそれを“笑われる”ことをいか忌避しているかということだ。


超人オリンピックのなかでロビンマスクウォーズマンに対し、

過去に過ごしてきた「くうものもくえず きるものもろくにない すさんだ生活」について指摘し、

ウォーズマンは当時の暮らしぶりを取り巻く貧困生活の困窮とを思い返し、それを恐れているかのように見える。

しかし、この時ウォーズマンが真に恐怖していたのは単なる生活苦ではなく、当時の自分が置かれていた立場

すなわち、周囲からいじめられ、疎まれ続ける「地獄生活」の中で精神的なダメージを与えられることだったのだ。



ロボ超人であることが理由で受けた誹りや嘲りは彼の心に未だ深く陰を落としていた。

アイドル超人として仲間たちと友情を深めようと、戦いを乗り越えようと、

その陰を完全には取り除けていなかったことが、この場面では悲しみと共に明らかになる。

彼の陰を知るロビンマスクウォーズマンから仮面を取り上げることを「残酷」だと指摘したのは、

仮面をつけずに生きていくことがウォーズマンにとって、自分がロボ超人であることを

突きつけられながら暮らすことと同義であると考えていたためではないだろうか。

彼はここで一度命を落とし、超人墓場で長く労働をすることになる。



それから少しの時が流れ、「キン肉マン24巻に始まる「王位争奪編」において

ウォーズマンキン肉マンとの再会を遂げる。

彼は超人墓場に追いやられたキン肉マン脱出させるために、

脱出必要な「生命の玉」と呼ばれる宝珠をキン肉マンに分け与えた後、

超人専門の医師であるドクターボンベに人工心臓をもらうことで生き返り、

自身墓場から生還成功する。

この時の手術のミスのせいで彼は一度ほぼ戦闘能力を失ってしまうが、

であるロビンマスク指導を受けることで戦闘技術回復

再び登場時のような残虐な戦い方へ、そこからクリーンな戦い方へ、と復活を遂げる。



この「王位争奪編」は、キン肉マンがキン肉星の王として戴冠する場面で幕を下ろした。

平和になった世界の中、ウォーズマンアイドル超人の一人として、

メディカルサスペンション」と呼ばれる特別治療を受けることになり、長らくの療養生活を送る。

そして順調に体力を回復した彼は、「完璧超人始祖編」で再びリングに立ち、

宇宙から襲来した「完璧超人」たちを迎え撃つことになるのである



しかし、ここで再び悲劇が起こる。ウォーズマンとその対戦相手

ポーラマンとの戦いの直前、ロビンマスクが命を落とすのだ。

対戦相手であった”完璧超人ネメシスロビンマスクを破った後、

塔状に組まれリングからその体を突き落とし、砂丘に埋めてしまう。

墓穴を掘る手間を省いてやったのだ」と語るネメシス言葉を聞き、

慟哭しながら懸命に砂を掘り起こすキン肉マンの姿は非常に印象的なものである



この場面において、ロビンマスクを失った悲しみをこれまでの感謝に代え、

続く戦いに向けて決意を固めていくキン肉マンと、

戦闘が始まろうとする中にあって敵に背を向け、

もはや姿の見えない師を思って涙をこぼすウォーズマンの姿は対置され、

ライバルとして出会ったキン肉マンロビンマスク

対して師匠弟子関係にあったウォーズマンロビンマスクとの関係の違いを示している。



その違いは続くポーラマンとの戦いからも読み取ることができる。

ウォーズマンはこの戦いの中でロビンマスクを失った悲しみから暴走し、自身の戦法を見失ってしまう。

テリーマンは彼を見て、普段の「計算され尽くしたクレバーな戦いぶり」とは逆の、

ガムシャラに向かっていくだけの戦闘本能の塊」のようだと口にするが、それも当然のことである


キン肉マンにとって、ロビンマスクあくま自分と共に成長していく超人の一人であり、

彼を失ったとしても彼はそれをバネに立ち上がって自分なりの戦いを続けることができる。

しかし、ウォーズマンにとってのロビンマスクは戦い方の土台や軸作りに大きく貢献した人物なのだ

結果として彼はここで師と共に育ててきた「計算」や「クレバーさ」を失い、

積み上げてきたものを一度壊すことになるのである



ポーラマンに追い詰められ、ウォーズマンは「オレの命などどうでもいい」、

「刺し違えてでもこの戦いに勝利しなければ…ロビンに合わせる顔がない」とまで言う。

ポーラマンは彼の様子を見て、恐怖心を持たず、

ひたすらプログラムとして戦い続けるだけの「ファイティングコンピューター」だと笑った。


その時、ウォーズマンリングロビンマスクの姿を見る。

実体のない、いわば幻影のような彼はウォーズマンにこう語りかける。

「お前はいつも自分のことをロボ超人だと気にしているようだが」

「私はおまえをロボだと思ったことは一度もない」


回想の中で、ロビンマスクウォーズマン攻撃の仕方を教えている。

森の中で木を次々と攻撃、倒していくウォーズマンだが、

もう少しで目標を達成するという時になってぴたりと攻撃の手を止めてしまう。

ロビンマスクは彼を叱りつけるが、よく見るとウォーズマン攻撃しようとしていた木の陰には子鹿がいる。

ウォーズマン意図に気付き嘆息するロビンマスクの前で、子鹿は森の奥へと駆けて行く…



そのような思い出を証拠に、ロビンマスクは続ける。

「おまえは血肉の通ったわが弟子だ」

「そのことに誇りを持てる超人になってほしい」



「オレハキカイナンカジャナイ」

師の言葉を聞いたウォーズマンは、こう言って立ち上がる。

彼の言葉はこの場面で、機械人間が何を基準として分けられるのか、

この場面において“機械である”ということが何を示すか、

そのような大きなテーマをも巻き込みながら読者の方を向く。



倒されかけたところからウォーズマンは再び立ち上がり、

普段のような冷静な戦いぶりを発揮するが、

その背後にある考えを、彼はこのように説明した。



「今までオレはロビンの恩に報いようとするあまり自分の命を捨てるつもりで戦っていた」

しかロビンはこんなオレに生きろと言った!」

「だからオレはもう死ぬために闘わない!」

「生きるために…ロビンがオレに託してくれた大事な魂を守るために闘う!」



この場面で機械人間の間に置かれるのは、

戦いの中にあって「生きる」ために奮闘することはできるか、

また相手を「生かす」ことを考えられるか、ということである

ロビンマスクとの練習中、子鹿を逃がし、

「生かす」ことを考えていた時点でウォーズマン

作中における「機械」の定義を脱していたことになるが、

自身が「機械でない」との自覚もつにはまだ足りないものがあった。



それが、ロビンマスクウォーズマンに伝えた、「誇り」である

彼は自分という存在に誇りをもって初めて、

体は機械であっても心までは機械でないと宣言できるようになった。

「オレハキカイナンカジャナイ」、

そう宣言する彼の言葉があえて機械的にカタカナ表記されているのは、

あくまでも彼の体は機械でできているが、“それでも”」、という

“それでも”の先、逆説のその先を読者に想像させるためではなかったか



ここで物語は、生まれ持った肉体の性質を変えることはできないけれど、

心は変えることができるのだと我々に伝えるが、

これは奇しくも「超人オリンピック編」の中、

残虐超人として現れたウォーズマン正義に目覚め、

アイドル超人に加わったときと同様のメッセージである



そして、「友情」と「信じる心」をもって自身の体の欠点

すなわち活動限界存在を乗り越えてポーラマンを倒した後、

彼は自分がロボ超人であることを以下のように語る。



ロビンはオレのなかで永久に生き続ける このオレが死なない限り

それが寿命のない 半分機械でできた超人のいいところだ」



幼少のころ、自身を「地獄生活」に追い込んだロボットの体に対する複雑な思い

――憎しみ、悲しみ、怒り――、

それをロビンマスクが与えた誇りによって乗り越え、肯定することに、

ウォーズマンはこの場面でついに成功するのである



最終決戦としておかれたネメシス戦の直前、

ウォーズマンは自らの師を倒したネメシス報復することなく、

その立場キン肉マンに譲る。



弱気キン肉マンの自信のなさに対してウォーズマンは一度、

「半分機械からオレにはわからないのか」と口にするが、

すぐにその発言を打ち消し、「生身である半分」では理解できると語る。

自分人間的な面と機械的な面の双方を理解した彼はここで、

ロボ超人である自分理解するとともにしっかりと受け入れている。



ポーラマン戦で彼は、「超人オリンピック編」を彷彿とさせる雷雨の中、

ポーラマンマスクをはぎ取られ、

「醜いツラだ」、「みんなおまえのツラをみて笑っているぜ」と嘲笑されるが、

彼はその言葉を「それがどうした」と打ち消し、師のために戦いを続ける。



自分の顔を見られること、

そして笑われることを臨終の間際にすら恐れていたあの彼はもはや存在しない。

ロビンマスクを失った代わりに自分のロボの体に誇りを持ち、

敵を「生かし」、自分を「生かす」ことに注力する。

ウォーズマンは変わったのである



キン肉マン」という物語においては、「人は変わる」ということが繰り返し語られる。

正義の側から悪の側へ、反対に悪から正義へ、

そしてそれを超越する新たな勢力へと超人たちはその立場を次々と転じ、

その度に誰かが喜んだり悲しんだりする。

それがウォーズマンにおいて特に顕著に現れるのは彼自身が、

自分の”機械的”な外見を誰よりも気にしていたからだ。



から敬遠されるのは嫌だ、疎まれるのも怖がられるのも嫌だ。

しかし、生まれ持った体だけはどうしても変えることができない。

そんな葛藤劣等感、「変わる」ということに向けた諦観交じりの強い欲求

ウォーズマンは常に抱えているが、

そのような「変わらない」ロボットの体が他方、

物語を通した彼の精神的な成長を浮き彫りにしてもいるのだ。



今の彼は逃れようのないものに対して抗うことをせず、

かに受け入れるだけの強さを持っている。

そして、その強さが一朝一夕に獲得されたものでないと知っているからこそ、

我々はウォーズマンという超人に、より一層強く魅きつけられるのではないだろうか。

2018-08-17

「あの夏」の終わり方

“あの夏”、から一年唐突ですが、どういう思いを抱いて彼らを応援しているのか、を自分語りとして綴ることにします。(お友達は一部既出ですが・・自分なりに整理をしました)いろんな巡り合わせだったり偶然を運命を呼ぶことにしたわたしは、森田美勇人Love-tuneTravis Japan)出の美勇人なのだな、と思います

2016年出会いの春、それはLove-tuneが結成された季節です。少クラガムシャラ、そして兄ガチャに嵐バック。2014年からあらちかを筆頭に、まがいなりにもTravis Japan意識していた人間としては、みゅうとくんが公式グループ兼任することも、顕嵐くんがいつのまにかそこでマイクを持っていたことも、待って待って…と思うばかりだった。

だけど顕嵐くんが、輝くべき場所で輝けるのならそれは素敵だよとなぜか腑に落ちていて。目線を合わせずに背中を委ねる宮近くんとはもう長い付き合いだったこと、骨折しながら青山劇場に通ってTravis Japanで居てくれたこと、「やっとA・RA・SHIを歌えました」と言ってくれたこと、グループの顔として存在しようとしてくれたこと。だいすきな顕嵐くんがいくつもあるけれど、アイドル阿部顕嵐”としての最善の道を邁進しようとする生き様が、彼らしいなんてふうに思った。“あらちか”が隣同士でなくなってしまうのにはどこかズキッとして、終わりを迎える日を「宮近ももってけドロボー!」なんてまだまだ傷心を誤魔化すように、それっぽく野次をとばしてみたりした。2016年を振り返る際に、意思を持ってトラジャへ合いの手を入れる顕嵐くんが瞬間咎められる姿に、心のめそめそは止まらなかったけれど、それぞれのファンとの関係大事にする彼らの優しさだったんだろうなあ、と思う。(銀河劇場でコンテを狂舞する顕嵐くんを、博品館Shall we dance?する宮近くんを、同時に観れちゃうんだ あらちかはず〜っとドリームだよ!)

そんな事実が対比として、8人になったTravis Japanを引っ張ろうとさらに踊りだしたみんなのみゅうとくんに、どうしてもTravis Japanでいてほしくて、青山劇場さよならをして終わりかにみえTravis Japanが、兄組・弟組別から改めてグループとして動きだしたTravis Japanに、そのままのグループでいてほしくて、そんな勝手な願掛けでブーメラン呪いをかけはじめた。

両方の登場場面で現れた出ずっぱりな少クラ美勇人くん、嵐についたら翌日はえびバック、ドリボに出たら幕間で稽古、次はえび座で…、DIGITAL BOYSセンターで笑って、アイランドゲストガチャも最もバック選抜される名実休みのなかった美勇人くん。木星から金星へ、その場でジャケット羽織ってTravis JapanからLove-tuneへ変幻する美勇人くんにハートは奪われたし、仮面ライダーって実在するんだ、と思った。精神的な切迫を考え出すとキリがなかったのに、呼ばれるうちが華、なんてやっとのお休みダンス留学なんてしちゃう。誰よりアイドルをして、歌って奏でて踊りまくる美勇人くんがいて、もう充分すぎるほど君を見つめていたし、たくさんの衣装を着まわす姿を思わず数え「今はどっち?」と離れて行きそうな彼への、典型的な重い女な執着心を抱き“リア恋枠”を称したのは、心の奥底でこうなる「いつか」を恐れて、1mm責任や傷を負わないよう距離を図っていたのだろう。「いつか」来る「いつか」を知ってしまったとき自分を最大限傷つけないよう「担当」と呼ばない逃げ道に立って、大好きなのにすべてを100%応援できない、身勝手自分肯定していた。それでも、2つの顔を邁進する美勇人くんのやさしさや強さが憎いくらい眩しくって憎むことなんて滅相もなくて、ほんとうはずっと、「いってきます」を言うと「いってらっしゃい」を「ただいま」に「おかえり」を返してくれる、Love-tuneというTravis Japanという君だけの特等席はあたたかすぎるほど輝きに満ちていたのに。

2017年ジャニーズJr.祭り、会いにいったTravis Japanは7人になっていた。アイランドで氷のような張り詰めた美麗さを纏った宮近くんはだからだったと合点してしまうことが切なくて、“兄組”という4人の青春尊大だったし、僅か数ヶ月前「やる気スイッチTravis Japan」だとメンバーの顔を振り返っては破顔するキングオブTravis Japanな最年長が、今「なんで?」とついつい息巻いた。それでも彼は過去否定することなく夢を夢のままにせず歩みだしたし、親友たちは今でも存在をたくさん生かしてくれるのに、今も昔も変わらず己を武器にするところ本当に拡輝でヒロキだね〜。舞台の上で、今も踊る姿を演じる姿を大きな笑顔をみつけられること、希望しかないよ。

ユニットと肩を並べたこステージで、魅せようと一体に燃え盛るTravis Japanは7人でも最高に情熱的だった。唯一オリ曲を持っていないのが切なくて虚しくてたまらなかったけれど、「本物のアーティスト」になるべく温存された玉虫衣装を纏ってソークレ・スパノバを踊る彼らのため心臓は動いたし、『山の手外回り』を選曲して、大阪では2番の「御堂筋線」を歌う姿はなんの誇張もなく天才的で愛くるしかった。

Love-tuneでありTravis Japanである森田美勇人は、キレッキレのNaFで世界観に引き込んだと思ったら、マスピではセンターをぶっちぎって腰を回すし、パリマニで花道闊歩してCha-Cha-Chaで低音ラップする人一倍な出演に膝から崩れ落ちてしまう。そんなふうにTravis Japanへの信奉と美勇人くんへの好きが目の前に打ち寄せる。ついつい神経質になる私を宥めるかのように、トラジャのジャケットのうえにらぶのジャケット羽織ったり、らぶのジャケットのうえにトラジャのそれを羽織ったり、同じくらいの交互にする美勇人くんはとてもやさしくて。横アリラスト開演前、早売りとして流れてきた「どちらも100%」「最後の一人になってもTravis Japan」の言葉と、そう言ってくれた事実、今となっては真偽は分からないけれど、心のやらかいところお陰で君に染まっていて、ただ単純に嬉しくて愛しくて天日干ししたお布団みたいにあったかかった。

ジャニーズJr.なのに」と卑下せず、「ジャニーズJr.から努力を選んだ。ベースラップダンスも、誰よりカッコいい美勇人くん。両グループのまんなかを歩いては、どちらでも0番になれた美勇人くん。ほんとうに最後まで、どちらも100%だった、美勇人くん。衣装を変える度、曲が変わる度、変身する美勇人くんは、ほんとうのみんなのスーパーヒーローで、仮面ライダーだった。ジャニーズ銀座では、森田美勇人Love-tune)と森田美勇人Travis Japan)のフォトセットが別々に発売されたこと。グレちゃってたくせに、「もりたさんきょうだいでまわしてる」なんてひらがなで言うこと。出演公演数を知っても、昔の方が、なんて何食わない顔をすること。トラジャを引っ張って、らぶを底上げして、全部を抱きながらアイドルで居てくれて、本当にほんとうに凄い美勇人くん。トラジャが冬の帝劇に呼ばれたこと、ついにオリジナル衣装オリジナルの曲をもらったこと。多分、あと寸前のところで、影に覆われてしまわなかったのは、舞台班だったはずが、毎週の少クラコンサートに、やっとおんなじ土俵に立てたのは、美勇人くんが、Love-tuneTravis Japanでいてくれたおかげなのかな、と。そういう、守り抜き方をしてくれたんだ、と思いたくて。美化しすぎだと怒られてしまいそうだけど、もう大丈夫なところまで、守ってくれたんだ、と思えて。

あの夏、つまりはキントレトラジャ単独公演。美勇人くんのために悪戯っ子みたいに踊った弟組、美勇人くんのために揺れる最後の“白”、涙を包み隠すような如恵留くんの『時を刻もう』。雨が降り続けた六本木で、“今さら「なんで?」ってなんて言わないよ”なんて、まさになしめちゃんの『雨』。「最後はこれしかないだろー!」なSupernova。“明日になれば全てが嘘だとしても i wanna rock your world” 。泣いちゃった宮近くんと、「そのままでいてくれーー!」なうちゃんあんなに泣きじゃくったのは最初最後の夜だったし、すべてのエネルギーが注がれた救世主は、それでも逞しく踊り続けるから、強くて儚くてそして美しかった。「お仕事がんばって!」と笑っていうアイドルないつも通りすぎる美勇人くんは6人へ拍手をしたし、体力の限界まで踊りきるTravis Japanはただ格好よくて前しか向いていない、宇宙で一番熱いグループだった。6人の『夢のハリウッド』をお披露目したのに「オリジナル曲」と言わず、命の限り7人だったジャニーズJr.アイドル森田美勇人くんとTravis Japanと“あの夏”、がずるすぎるくらいに愛しくて愛しくて大大だーいすきなんだ!『夢のハリウッド』は間違いなく、7人のTravis Japanが掴み取った曲だったし、今も7人のための曲だね。

翌日からの、Love-tuneTravis Japan合同公演に当たり前のように森田美勇人Love-tune/Travis Japan)でいたことが当たり前だけどカッコよすぎて、やり抜いたオーラスCan do! Can go!でEXシアターを一周する姿は、やっぱりファンのためにしか生きていなかった。帰路にて不意に、「あっちの立場じゃなくてよかった」と聞こえてしまたことが悲しくて、そしてひどく羨ましかった。嫌いになれればどんなに楽か、なんて思ってしまうけれど、みゅうとくんは最後最後まで一途に筋を通し続けちゃうから、誰よりファンのためのそんな生き方から、嫌いになれるわけなんてないよ〜〜。

立ち会うことになった『Love-tune Live 2017』、後ろのカッコの中身が減ってしまってもキラキラに輝いて「好きなんだよ」「泣かないで」と恋させてくれる罪なアイドル森田美勇人くんが、たしかに泣けるくらい好きだった。デザインしたネイビーとホワイトTシャツを、半分ずつに繋いで着こなすみゅうとくんは、誰のことも置いていかない100%アイドルでさー!

Love-tuneは、完璧すぎるからずるい。熱を呼応させる高い求心力も、まんなかで指揮する最小最年長を含め、もはや二次元バランス個性も、魂から魂へ奏でる音色も。なのに努力できる才能、幸せを作る力と信念と、思わず恋する運命共同体な笑顔バンドだけじゃないダンスだけじゃない、7人じゃなきゃLove-tuneじゃないLove-tuneに、ときめかないわけがないし、勝ち負けではないと言いながら私自身が完敗だった。出会う順番やこんな欠点のなさにも理由をつけて、「私なんか応援しなくたって完成されているじゃん」と卑屈になったり、当たり前ながら当たり前に「ファン」する方に引け目を感じて縮こまったり、羨んでしま自分がどうしても存在してしまったけど、そんなどうしようもない気持ちも、好きを表す賞賛ひとつにしていいのかな、なんて。

そんな頂点で、アクセントになればとなにより踊って奏でる素晴らしいみゅうとくんは、お茶目に熱い愛を沸かすし、使命を果たしてくれたみゅうとくんによって、どこかで「言ってはいけないこと」と決め込んでいた無意識解放され、言っていい言葉になった。「Love-tuneが好き」を、わたしも言うことができる!Travis Japanで魅せる美しい美勇人くんも、Love-tuneで魂をぶつける勇ましい美勇人くんも、ほんとうのほんとうは、ちゃんと大好きだった。それ以上にも歴史のある人だけど、語らずにも区切りをつけて、今をありったけ生きてくれている今の美勇人くんを、「好き」だと言っていたい。

Love-tune Liveから約一週間後の『ABCジャニーズ伝説2017』。日生劇場客席には、みゅうとくんが見学にいた。ステージにいるTravis Japanは5人になっていた。アグレッシブダンスとお顔を一目見れば、“気になる存在”になってしまう最年少。笑いをとりにいく姿勢も、軽快にMCを回すキーマンだったのも、突然いなくなったのも、こっちが「オマエのそーいうとこ嫌い」だもう!!!大嘘)夢ハリの増えたパート自分のものにする宮近くんやうみちゃんTravis Japanのまっすぐな瞳を見ては、涙が溢れてしまうばかりだったけど、“5人でも大丈夫”なことを高らかに宣言するように、透明な空気を纏いピカピカと輝きを魅せるそこはまさにハリウッドだった。見せ場のアドリブ、ここぞとばかりなのえしめを呼んでひっちゃかめっちゃかするうみちゃんはよくぞやってくれただし、ショータイム完璧美勇人くんへ指差しウィンク・指の隙間から時を超え5starsする宮近くんは客席一番後ろへ目配せをして、楽しそうに嬉しそうにこれでもかと“Dance for you”するTravis Japanがたまらなく愛おしかった。

命が減っても不死鳥のように生き続け、魂を磨き上げるTravis Japanは、真っ先に火を灯したい至高のエンターティナーだ。悔しい悲しい切ないでドロドロになってしまうのに、一瞬でその汗と笑顔に魅了されてしまうから、嬉しくて楽しくて最高の「生きる」をもらってしまう。わんぱくどろんこはちゃめちゃなのに、パフォーマンスとなるとキリッとお澄ましをして曲の世界へ誘う青年たち。どうしようもなく愛おしくなるし、彼らのパフォーマンスになにより心が揺れ動いて、ドクドクと血は巡り、体温が何度だって上がる。誰もわるくなくってどうしようもできなくって、それでもちゃんと、彼らは幸せを描いていた。

「報われてほしい」と言われることも少なくないけれど、過去もずっと今もずっと、“誰も歩いたことない道を歩く”Travis Japanは、出会った私はしあわせだったんだよ〜。Love-tune美勇人くんを、100%好きだと言い切れない自分が負い目のままだったけど、美勇人くんを好きなTravis Japanを、Travis Japanを好きな美勇人くんを、まだずっと、好きでいいんだ、と幸せの渦に巻き込まれているようで。

そうして美勇人くんの誕生日更新されたジャニーズWebボイスは、数ヶ月前に私もリクエストした、ちゃんTravis Japanだった証をプレゼントしてくれたみたいなあの一言だった。

それからというもの、季節はすぐにめぐり巡ってしまうけれど、思えばしあわせなことしかなかった。何かが幕を開ける始まりの度、いつかまた、戻ってくれるんじゃないか…また誰かを失ってしまうんじゃないか…と淡い期待や不安を抱いてしまうはずが、Travis Japanは、一生一緒の最強シンメを迎えて7人になった。大事記憶や脆さに蓋をしながら、ファン確認をしながら、颯爽と次のステージにいるらしい。もう彼の戻れる場所はなくて、探すのはやめようと誓った晩秋自分場所自分でつかみ取れ、帝国劇場Travis Payneの構成振付を高らかに踊りつづけた新春。Endless SHOCKカンパニーの一員、豹変したように踊るこの2人がメンバーだなんて恐ろしい程だとまるで裏切られた立春横アリドリームステージ、「オレたちの第2幕」。7人の新生Travis Japanの汗と笑顔しあわせの鐘に涙・始まりまりの春。初めての7人でのツアー双眼鏡の中でISNを踊る宮近くんがやっぱり宝石みたい、電光石火3年前を思い出した初夏。

今までのわたしは結局自分のしあわせしか考えていなかったけれど、ジャニーズJr.祭り2018を通して、ちょっとみゅうとくんのしあわせを考えられる大人になったんじゃないかなぁ。みゅうとくんを抱きしめ迎えてくれるLove-tuneがいることが嬉しくて嬉しくて、マジパネェ太郎さんがとなりにいるなんてめちゃくちゃ心強くて。見学席へみゅーと!みゅーと!とピーチクパーチクするトラジャは変わらずでなんだか懐かしくなって、YouTubeに連載にセルフィーに…。彼らにとっても私にとっても“初めて”を大事に育むれっきとしたグループトラジャがもうとびきりな非日常を運んでくれているし、代わり映えしない毎日から救ってくれるのはLove-tuneなんだよ。長い長い春休みだけど、わたしTravis Japanを好きなこと、Love-tuneを好きでいられること、みゅうとくんがアイドルを生きた最高の証で、大事ギフトだって思います

こうも好きだと、1週間後には誰かトラジャの担当となる可能性が大いにあってしまうけれど・・(笑)今度は私が信じる番、天下無敵な最強スーパーアイドル美勇人くんがステージで輝ける日、心の底から願って信じて待ってます!!!ダンスバンド中途半端でいたくないという美勇人くん、どうかたくさんの努力と才能、大輪笑顔を咲かすことができますように。平成最後のこの夏、Travis Japan世界で一番熱く平和に夢へと駆け抜けられますように。諸君最高で最強なドキドキわくわくを今年、これでもかと両手に抱えられたらなあと思うよ。

Travis Japanだった9人も、8人も、7人も、6人も、5人も。そして、Travis Japanが、森田美勇人くんが、大大大好きだ!世界中の愛を届けられるように、踊りつづけるDancerでね。上書きするわけではないけれど、長かった“あの夏”をついに終えれる気がしている。今年は、どんな夏がどんな君たちが待っているんだろう。絶対絶対、楽しもう!ね〜〜!(賛成〜〜!)

2018-07-25

「警戒する単語」のなかでなろう作品タイトルに最も多く含まれているのは?

anond:20180725152410

https://yomou.syosetu.com/search/cross/

小説家になろう投稿されている「58万3176作品」のなかから

詳細検索で「キーワード検索範囲指定」を「作品名」にして検索していきたいと思います

それでは、さっそく最下位から見ていきましょう。

36位 カンスト…75作品

35位 な件…153作品

34位 レベル…460作品

33賢者…563作品

32位 おっさん…614作品

31エルフ…695作品

30位 パーティ…713作品

最下位ラノベタイトルでもブービーだった「カンスト」でした。

もはや元増田が「カンスト」にいったいどんな警戒をしていたのかが問われるところです。

「な件」は少ないですが、「た件」で検索すれば1481作品なので、実質的にはかなり多いようですね。

パーティ」に関連して、先日話題になった「追放」も検索してみましたが、こちらは321作品に留まりました。

29位 奴隷…773作品

28クラス…806作品

27位 最弱…814作品

26位 ようです…1175作品

25位 スキル1235作品

24ハーレム…1305作品

23位 生きる…1313作品

22位 しました…1337作品

21位 冒険者…1355作品

20無双…1383作品

クラス」は、クラスメイトたちと集団召喚されるタイプ作品と、RPG的なジョブクラスという意味作品があって面白いですね。

「生きる」については、「生きて」でも検索してみましたが1064作品でした。

19位 嫁…1449作品

18位 します…1718作品

17位 魔術…1884作品

16位 ライフ…1898作品

15位 学園…2515作品

14位 妹…2737作品

13位 英雄…2502作品

12召喚…2906作品

11チート…3241作品

「学園」や「妹」がタイトルにつく作品現代物が多い印象で、

この健闘は「なろうはファンタジーだけじゃないんだぞ」と主張しているかのようですね。

召喚」は惜しくもトップ10入りを逃しましたが、「転生」とはずいぶんと差がつきました。

ではトップ10を見ていきましょう。

10位 剣…3860作品

9位 最強…4307作品

8位 姫…5299作品

7位 魔王…7591作品

6位 魔法…8219作品

ラノベとは違って「剣」よりも「魔法」がかなり多いですね。

かに、転生して赤ん坊の頃から魔力を鍛えたり、オリジナル魔法を作ったりする主人公が多い印象があります

ラノベのほうでは1位だった「姫」がこの位置お姫様よりも庶民志向なんでしょうか。

5位 勇者…9826作品

勇者」は第5位でした。

主人公自身勇者として召喚されるパターンはもちろん、元・勇者親友勇者勇者より強い庶民悪堕ちした勇者など、

メタパロディによって生み出されるバリエーションに富んだ「勇者」像はなろう作品の特徴ですね。

4位 少女10180作品

1万作品の大台を越えて「少女」が第4位でした。

なろうで「少女」というとどういう作品かピンと来ませんでしたが、

単純に主人公少女だったり、あとはTS物で「美少女になりました」というのも意外に多いでしょうか。

3位 転生…11158作品

「転生」が第三位でした。

ちなみに「転移」が2212作品、前述の「召喚」が2906作品「ゲーム」が4182作品ですから

この手のジャンルのなかではやはり「転生」が図抜けているようです。

2位 俺…14393作品

「俺」が第2位でした。

「私」が12150作品、「僕」が12208作品なので、それぞれ実力伯仲ですね。

ちなみに、Web小説地の文における一人称率は、ラノベ一人称率よりも高いらしいですよ。

1位 異世界…26665作品

栄えある第1位は、やはりというべきか「異世界」でした。

はいえ、全体で58万作品あるうちの2万作品というと少なく感じてしまますね。

意外に警戒しなくてもいいのでは?

というわけでクイズ「警戒する単語」もそろそろお別れの時間です。

またどこかでお会いしましょう!

2018-05-29

最近年寄り臭いこと言う人が多い

人間関係責任に心を焼かれ、哀れな老人になってしまったやつが多くなってきた。

そしてそれを「しょうがない」の一言で片付けようとするやつも比例して多くなってきた。

君たち老人たちには黒澤明「生きる」を見ることをおすすめする。

2018-03-19

anond:20180319025400

自分なんかは、なかなか「生きる」って言い切ることもできないので(洒落じゃないよ)

それができる増田は強いなあと思った

僕も何とかもうちょいやってみる

2018-02-25

セックスと生きる意味

皆さんはセックスをしていますか?

最近の私はめっきりしていません。

 

人間本質的には動物、そして生物です。

地球上の生物が連綿と続けてきたこととして、種の保存があります

まりセックスをして子孫を繁栄する、ということをしない人間生物としての役目を果たせていないではないかと思うのです。

生物が持つ「生きる」という意味価値が無いのではないでしょうか。

 

さて、私の話をしましょう。

私は20代後半の男性。それなりに恋愛経験は積みました。

セックス経験人数は風俗を含めないと6人。恋愛を通しては4人です。

セックスによる射精は、オナニーでは得られない快感を教えてくれました。

心が満たされるのです。これが動物生物として、本当に満たされる瞬間だと確信しています

ただ、私は他人気持ちを察するのが苦手な軽度のアスペルガーを患っており、日常生活に支障をきたすレベルADHDを患っています

学生の頃は、自分知的障害を持っているなど露知らずに、性欲と酒に任せた勢いだけでセックスをすることが出来ました。

しかし、社会人になり、計画性を持ち、衝動的になってはいけない常識文化に染まってしまいました。

そして、順当に女性コミュニケーションをして、セックスまで持ち込む事が本当に苦手だと自覚してしまったのです。

 

とても苦しい思いをしてでも、私は性欲に駆られて女性アプローチしてしまます。 

なぜこんなに苦しい思いをして生きなくてはいけないのか。

オナニーでは得られない快感を求めて、苦しい道を進んでいくしか無い運命にはもうこりごりです。

こんな事ならセックスなんてしたくない。

もう、生きる意味価値を見いだせないのです。

 

アスペルガーADHDを患っていなくても、顔が悪いなどの理由からセックスハードルが高すぎる男性ごまんとます

その人たちも生物としての生きる意味価値は無いのです。

2017-12-26

anond:20171225224447

??????

一人暮らしをすると親のありがたみがわかるというけれど

親のありがたみどころか、「生きる」ということは「金がかかる」んだなということに気付かされるよね。

と書いているように、「金のありがたみがわかる」という話なんだが、日本語読めないのかな?

2017-12-25

一人暮らしをすると親のありがたみがわかるというけれど

親のありがたみどころか、「生きる」ということは「金がかかる」んだなということに気付かされるよね。

家賃や食費はもちろんのこと、トイレットペーパーだの洗剤だのといった日用品費用馬鹿にならない。

週末に家に篭ってお金を使わず生活をしていてもトイレには行かざるを得ず、風呂に入ったらシャンプーを使わざるを得ず、自分お金がジリジリと減っていくのがわかる。

親というのは自分が生きていていいという安心感を与えてくれていたんだなぁ。感謝

2017-11-11

座間市殺人事件について

いろいろ思うところがあったがまとまらなかった。

遺族の方はまだまだ受け止められないのではないかと思うが、

せめて自分たちを責めないようにいてほしいと思う。

彼女たちは「死にたい」と思っていたかもしれないが、

自分では死なずに日々「生きる」選択をし続けていたのであり、

そこにはすぐに死ねない理由があったんだと思う。

そして今回はその「死にたい」という思いにつけ込んだ「他殺」であるということ。

犠牲者のご冥福と、遺族の方々の健康とともに、

怒りや悲しみが続く日々が一刻も早く終えられるようにお祈りいたします。

自殺者遺族のひとり より

2017-10-28

『逃げる』とは

「抵抗する」ための手段としては、余りにも簡単すぎる

「生きる」ための手段としては、余りにも難しすぎる

2017-09-25

世界との仲直り」が作品テーマになり始めたのはいからなのか

生きているということ

いま生きているということ

それはのどがかわくということ

木もれ陽がまぶしいということ

ふっと或るメロディを思い出すということ

くしゃみをすること

あなたと手をつなぐこと

――谷川俊太郎「生きる」

生きることだけが大事である、ということ。たったこれだけのことが、わかっていない。本当は、分るとか、分らんという問題じゃない。生きるか、死ぬか、二つしか、ありやせぬ。おまけに、死ぬ方は、たゞなくなるだけで、何もないだけのことじゃないか。生きてみせ、やりぬいてみせ、戦いぬいてみなければならぬ。いつでも、死ねる。そんな、つまらんことをやるな。いつでも出来ることなんか、やるもんじゃないよ。

死ぬ時は、たゞ無に帰するのみであるという、このツツマシイ人間まこと義務に忠実でなければならぬ。私は、これを、人間義務とみるのである。生きているだけが人間で、あとは、たゞ白骨、否、無である。そして、ただ、生きることのみを知ることによって、正義真実が、生れる。生と死を論ずる宗教だの哲学などに、正義も、真理もありはせぬ。あれは、オモチャだ。

――坂口安吾不良少年キリスト

「俺はな、この世界に招かれてない。用無しなんだよ。異世界に行きますか、イエス、ノーって、選んだか? お前は。――俺は選んでない。無断で俺はこの世界に連れてこられた。俺に選択肢はなかったし、招かれてもいないんだよ。お前たちは、招かれたんだろう? だからそうして呑気にしてられるんだろう!?

「ちがう、我々は、誰ひとりとして招かれてないのにゃ」

「お前たちがどうかなんて興味はない。だが俺は少なくとも招かれちゃいない。俺は俺の意志とはかかわりなくこの世界に連れてこられたんだ。この世界は俺を俺の意志とは関係なく、俺を勝手にしようとした。だから俺も世界勝手なことをしてやる。俺は間違ってるか、〈盗剣士〉!」

(中略)

 若者たちは産まれなおすのだ。

 理不尽強制としてこの世に生を受けた幼子は、若者となり、己の意志でもう一度生誕を決意する。

 自分が何者であるかを胸に刻み、望んでこの世界に生まれた二度目の赤子として自分自身人生を歩み出すのだ。それは神聖なる契約であり、人はそうして連なってきた。それが人をいままで繋いできた。

 にゃん太はそれを守るためならば、我が身を灰にしても構わないと思った。ロンダークがそれを知ってくれるのならば、どんなことでもしてやりたいと思った。

――橙乃ままれログ・ホライズン(Route43)」

「私の読んでいる作品では「世界との仲直り」がテーマになっているものが多い気がする」

そう書くと「それは、あなたがの内面がそのように作品を捉えるという文脈にあるからだ」という他者意見が内言として聞こえる

どうなのだろうか

以前は「救済」や「再契約」という言葉表現された“それ”が

現代においては、私においては「世界との仲直り」という形で象徴されているに過ぎないのではないだろうか

人は世界と仲良くできない

世界は時として容易に大切な人や物を私から奪っていくし

世界はすぐに過ぎ去って、私から感傷に浸る時間すら取り去っていく

そして、世界は私から様々なものを奪い取ったその後ですら、私を生かそうとする

世界は私の期待通りには動かない

世界は私の希望や願いを叶えず、ただそこにあるだけである

望むと望まざるとにかかわらず、世界はただそこにあるだけである


今日も、私は世界といがみ合いながら生きていく

小癪な世界のせいで、私は生き続けなければならない

「ただ生きるだけ」では世界の思い通りだ、負けたようで非常に悔しい

(きっと、世界の方もほくそ笑んでいるだろう。顔があるならね)

鼻を明かせるとするならば、それは自分自身世界契約するしかない

理不尽に産み落とされ、理不尽に生きろと言われたこ世界

不貞腐れながら、いじけながら

それでもただ「この世界に生きるために」という本末転倒動機から

人はこの世界と「再契約」を、「仲直り」をしなければならない

いつまでも喧嘩をしているわけにはいかないのだ

喧嘩には“限度”がある

今日も、明日も、世界とは戦争状態

しかし、今は冷戦中、もしくは休戦中である

勝利することはないのだ、恐らくは

しかし、何かを勝ち取る事はあるのかも知れない

私は明日も、ただ生きる

未明に鳥は“諦く”だろうか“噎ぶ”だろうか、それとも“号ぶ”だろうか

私を未来に繋ぐのは、彼が、そして彼女が唱えた通りに「好奇心」だろうか

2017-08-04

https://anond.hatelabo.jp/20170802190250

黒澤明凄さは「七人の侍」のひとつ前に全然作風が違う、でもやはり傑作の「生きる」を撮ってるところ。

小役人の主人公が勘兵衛で、平八や勝四郎、久蔵と七郎次もチョイ役で出てくるよ。

あと「用心棒」と「椿三十郎」の二部作もいいし「天国と地獄」、「隠し砦の三悪人」もいいぞ。見てみてね。

2016-10-07

http://anond.hatelabo.jp/20161007101545

自分にとって「生きる」とは頑張らないとやっていけないこと

自分もこんな感じだわ

頑張って生きるしか選択肢がなかった

5年近く勤めていた会社でやっと管理職立場を得たのに、気づいたら動けなくなっていて会社を休むことになってしまった。

うつ病のため3ヶ月の療養を必要とするらしい。いやさすがに3ヶ月は長すぎやしないか、せめて長くて1ヶ月と思っていただけにショックだった。

職場ではそれなりに良い評価を得てきたと思う。幼い頃から頑張り屋さんと言われてきたが、自分にとって頑張るというのは当たり前のことであって半ば無意識に近く頑張ることを続けてきたと思う。それだけ頑張っていれば、それ相応の評価などの見返りがあり、それこそが私が生きていくために必要だったのだ。

自分にとっては「仕事」も「結婚」も「友人との交遊」も全て頑張らないといけないと思ってきた。そう気づいたとき自分にとって「生きる」とは頑張らないとやっていけないことだと気づいてしまった。

医者は「貴方は頑張りすぎたんだよ」と言っていた。頑張りすぎも何も、頑張ることが当たり前だったのだから。その様な生き方に何の疑問も持っていなかったのだから

生きることは頑張ることと考えていることに気づいたら、生きていくのが嫌になった。物心いたこからこのような生き方をしてきたと思うが、これを4、50年続けて生きるなんて、到底持つはずがなかった。

だけど自分は頑張らないで生きるということが怖い。頑張ってようやく得られた評価が、頑張らないことで失われてしまうのではないか、そしたら自分に生きる価値なんてないのではないか。怖い。

休むことが必要だとわかってはいるのだが、頑張らないことが怖いので休めない。

つらい。

2016-05-10

こちとらいつでも死ぬことができるんだぞ!

不安に襲われるあなたへ

「こちとらいつでも死ぬことができるんだぞ!」と思うと心が急に軽くなる。

なぜだろう。

死ぬ」ことを選択肢として自分の手中に収めると、急に自由になった気がする。人生の幅が広がり、大空に飛び立てそうだ。

だれに向かって叫んでいるのだろう。

自分か、世間か、「死なないで」といってきそうな家族や友人か。

自分死ぬ」という武器を手にした自分は、身体の底から理解不能勇気が湧き大胆になれる。

あえて生きているんだと。生きてやっているんだと。

得も知れぬ不安に襲われる時、不安の原因を辿ると往々にして○○な自分という自己像に囚われているに気付く。

平たく言えば理想現実ギャップだ。

結婚している自分、友人に囲まれリア充生活を送る自分、親に喜ばれるような自分

イケメン自分、高給取りの自分、意義深い、他人に誇れるような人生を送っている自分

そんな理想自己像達の触手に絡めとられ、首をじわじわと絞められ息苦しくなった時、

私は顔を真っ赤にして脅すような口調で叫ぶ。

「私はいつでも死ぬことができるんだぞ!!」

すると楽になる。そうか、無理して生きなくたって良いんだ。死んだっていいんだ。

自殺ダメ安楽死ダメ、生きなければならないと思っていると苦しい。より良き生を送らねば!

実際問題死ぬことは何か怖いし、完遂するまでに様々な手順を踏まなければならない。

結局惰性で続けられる「生きる」を選ぶ。

冷静になって考えてみれば、生きていて幸せを感じる事だってある。ラーメンは美味しいし、漫画で涙を流しもする。

とか言いつつ、私はどうせまた不安に襲われ苦しくなる。

そのとき私はまた叫ぶのだ。

2016-05-08

未婚の母になるということ


4年つきあって結婚、5年続いた結婚がだめになってしまって2年が経った。

再婚にはあまり興味はないのだけれど、実子を持つならそろそろぎりぎり、という年齢になろうとしている。

結婚せずに実子を持つなら、わたしの子供となる人は「遺伝子上の父親に会うことがかなわない人生」が最初から確定して生まれてくることになる。諸事情あって金銭的に苦労させることはないと自信を持って言えるけれど、「父親のいない人生」っていかほどのものだろうか。ふた親揃った環境で育った自分には想像することしかできない。

どんな親の元にどんな生まれ方をしても、人生とはどのみち葛藤の多い、苦悩に満ちたものであって、それを乗り越えて自己確立することこそが「生きる」ということなのだろうか。自分はもう大人から、「幸福とは自己意思によってのみ決定されるものであり、所与の条件で決まるものではない」と確信を持って言えるけれど、この心境に到れるまでに30年以上かかっている。

わたしが、わたしの子供となる人に押し付けしまうかもしれない人生は、どんなものになるのだろう。

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