はてなキーワード: 漠然とは
無神経でタフな人だと思っていたけど、半年ほどであれよあれよと無職になった。
で、私が働きだした。
暇な時期は、社外。
言語はその時によってPHP、java、python、.NET。
現場のエンジニアとしての業務だけではなく、SEとして客の前にも立つ。
でも本当はパソコンの前でぱちぱちやってるのが性に合っている。
電話が鳴るたびにビクビクしてる。
ストレスすごい。
社外は楽。
できればずっと社外にいたい。
これで年収は450万くらい。
月6万くらい。
あとは主夫業。
ハッキリ言ってプレッシャーを感じている。
これが予想以上に重いのだ…。
パソコンの前でぱちぱちやるだけならまだいい。
でも経験を積めば積むほど、客の前に出される。
嫌だ…。
むりぃ…。
たすけてぇ…。
でも私が働けなくなったら家庭は崩壊する。
辞めたくても、辞められない。
逃げたくても、逃げられない。
すげー絶望感…。
だけどその裏で旦那は、このプレッシャーに耐えていたんだなよな…。
男は外で働くだけ。気楽でいいよな。
なんて思ってた。
もちろん独身なら、気楽だと思う。
どんなに嫌なことがあっても逃げ出せない。
レールの上から振り落とされないよう耐えて、耐えて、耐え忍ぶしかない。
耐えきれなくなった時は、家族が路頭に迷う時。
重すぎだろ…_| ̄|○
でも世のサラリーマンは、みんなこの重さに耐えているんだよね…?
すげーよ
でも狂ってるよこんな世の中。
■追記
実は3人目が生まれてから、マイホームの購入を検討したことがある。
私は買う気満々。
どうするの?買うの?やめるの?
2人目ができた時。
あの時も旦那は煮え切らなかった。
産むのか、おろすのか。
3人目はどうしても作りたがらなかったが、旦那が酔った隙にできた。
何か1つ持つたびに、責任は重くなり、逃げ道が無くなっていく。
旦那はそんな地獄にたどり着くのを分かったうえで、淡々と受け入れてくれてたんだなと。
たった一人で、この重さと戦ってくれてたんだなと。
それが巡り巡って、今自分に回ってきたんだなと。
正直、3人も産んだのを後悔している。
親として最低だと思う。
考えちゃダメなこと。
でも考えれば考えるほど、後悔という結論に行きつく。
芥川龍之介は中年で「人生のこりであと3万冊しか本がよめない」っつって嘆いた挙げ句漠然とした不安で自殺したよね
れいわ直前になっても無理なのね
まあそのまま生きていけ
おめでとうとお疲れ様。
そして、やっぱり寂しいよ。
私が見つけるまでそこにいてくれてありがとう。
それだけでも嬉しいのに、何から何まで大好きだった。
本当に笑うぐらい外野の人たちが寂しがって縋ってるな、ほんと、本当に笑える。あんたらなんかやってきたのかよ。
こっちは魂削ってやってきたんだよ、それが、この結果ならいいよ。ちゃんと卒業の報告させてもらえて、本人が「全仕事楽しかった」と、「ステージに立つ時間が一番好き」と、そう言えるときに別の才能を見いだされて(見出されたと思ってる)新たな道に進むことになって、新たな道がある中で、それを報告できる立場にあってよかった。すごいよ、本当にすごい。
漠然とした寂しさはある、世界で一番好きな人がいなくなったから。いやいなくなってないけど、概念としてしんだから。四十九日すぎるまではバタバタしてて泣けなさそう、えふがしんだときもバッタバタしまくって泣けなかったもんなあ。
まだ続けてよって縋る人は、その後の人生も想像しているのか。どう考えても今このタイミングが最良でしょう。
ここ数年を考えてみてよ、今が一番前だよ。やりたいことやれてたと思うけど。一番事務所に関心持たれているのは悔しいけど今だ。だから、これがきっと正解だよ。
2018年4月に入社した富士通を同年12月に退職したので、順を追って経緯を説明する。
昨今さまざまな問題が浮上している企業ではあるが、大変お世話になったことに違いはないため、最大限の敬意を払いながら語りたい。
キーワードは3つだ。①新卒採用パンフレット、②メジャー感、③人の良さ。
まず、富士通は新卒採用パンフレットの出来がよかった。大企業ながらも新しいことに取り組んでいく姿勢、ヒューマンセントリックという標語、SIerの実態とはかけ離れた煌びやかさ。(当然ではあるが)新卒者が入りたいと思うような仕上がりになっていた。いま振り返ると、自分の視野があまりに狭かったと反省するばかりだが、当時は純粋にパンフレットを読んでワクワクしていた。
また、会社のメジャー感も入社の大きな決め手となった。富士通には、大手企業ならではの採用における露出の多さや安心感があった。「最初はやっぱり大企業だよな...」社会の右も左も分からぬ中、大手企業以外の選択肢は自分にはなかった。
最後に、人の良さも入社する理由となった。老婆心で忠告しておくが、企業を「人の良さ」で判断するのは悪手だ。採用担当は「人が良い」に決まっているし、何より社内の人間は流動的で、いつ誰が辞めていくかもわからない。
とにかく、このような理由で入社することとなったが、数ヶ月後にミスマッチだと気がつくことになる。
富士通では、約4ヶ月にも渡り研修が行われる。自分にとっては、良くも悪くも学びの多い期間だった。
最初の数週間は、富士通という組織について学ぶ。会社の歴史や文化を知るだけでなく、タグラインである「shaping tomorrow with you」を、単語レベルで分解し意味を咀嚼していったりもした。この研修で、自分は富士通が大好きになった。というよりも、自分が所属する組織に誇りを持っていたかった。事実から目を背けようとしていたところもあったかもしれない。いずれにせよ、自分は至る所で「shaping tomorrow with you」と意味もなく吹聴して回った。普通に死にたい。
5月に入ると、プログラミング研修が始まった。使用する言語はJavaだった。初めてのプログラミングで不安もあったが、本当に楽しく学ぶことができた。「変数とは、配列とは」という基礎レベルから手取り足取り教えてくれる企業は富士通くらいのものだろう。文系出身の自分がプログラミングの第一歩を踏み出せたのは、他の何でもなくこの研修のおかげであり、いまでも本当にありがたく思っている。
そして7月、プログラミング研修が終わった頃、富士通に対する不安、というよりも漠然とした恐怖感を覚えた決定的な瞬間が訪れる。新入社員全員で、社内のとある講演を聞いていたときのことだ。前後の文脈は省くが、講演者の方がこのような発言をした。
「私がam I shaping tomorrow with you?と訊くので、皆さんは全員でYes! I am shaping tomorrow with you! と答えてください。am I shaping tomorrow with you?」
その後、新入社員一同が起立し、
「Yes! I am shaping tomorrow with you!」
という声が響き渡った。
場内は盛り上がっていたようだが、自分は「Yes! I am shaping tomorrow with you!」と言えず挙動不審にあたりを見回していた。「shaping tomorrow with you」というタグラインはいまでも大好きだが、あまりに画一的で、どこか宗教的な様子に一歩引いてしまったのだ。この瞬間から、「この会社は自分に合わないのかもしれない」という確信めいた気持ちが生まれていた。
8月中旬。当然のように配属は希望通りにならず、長年運用が続くレガシーシステムに携わることとなった。使われている言語は、当然のようにCOBOLとJavaアプレット。新卒パンフレットとは全然違うじゃないか!とは思わなかった。その頃にはある程度SIerの現実を知っていたからだ。だから、何とか楽しくやっていこうと思った。興味のない分野かつ、レガシーな環境だったが、自分の周りだけでもハッピーにしていくつもりだった。それに研修でも「置かれた場所で咲きなさい」と教わった。(ある種の教え込みだったのかもしれない)
業務に関して詳細を語ることは控えるが、自分のメインの仕事は「コピペ」だったのだ。EXCEL方眼紙で作られた手順書の通り、文字通り、ctrl+Cとctrl+Vを交互に押していくだけの簡単なお仕事。一日中コピペを繰り返していると、指が変になりそうだった。また、ディスプレイは貸し与えられないため、いくつものウィンドウを小さなラップトップで開き、何とかやりくりして捌いていた。
それが何週間にも渡って続き、9月の中旬には退職を決意していた。
しかし、そんなすぐには会社を辞められるはずもなく、当面は転職のための勉強を続けながら働くことになった。
念のため言っておくと、富士通での仕事は決して悪いことばかりではなかった。メインの業務は相変わらずコピペだったが、トレーナーが不憫に思ったのか、マネジメントや社内ツールの作成にも携わる裁量を与えてくれた。残業はほとんどなく、毎日定時で帰ることができた。それでも自分がたったの9ヶ月で退職をしたのは、「今のままではマズイ」という本能的な危機感だった。コピペやEXCEL方眼紙の業務では何のスキルも身につかないし、たとえ開発に携われたとしても言語はCOBOLだ。自分の未来は果たしてどうなるのか?ひたすらに頭を捻った。自分の人生について、初めて本気で真っ正面から考えた。
...可能な限り早い段階での退職。それがベストな答えだと悟った。
退職するに当たって、一切の問題は発生しなかった。退職の旨を伝えた際、引き止められることはあっても理不尽なことはなかった。手続きも大変スムーズであり、非常に感謝している。
自分はこれから、Webのエンジニアになることが決まっている。結果として、富士通での9ヶ月は「自分が本当にやりたいこと、実現したいことは何か」に気づくための期間となった。周りよりも一手遅れてしまったが、とにかく、富士通での業務は自分にとって必要なステップだったのだと思う。昨今、富士通に対するネガティブな記事が数多く出回っているが、富士通をはじめとするSIerは決して悪ではない。そこにはただ「合う合わない」があるだけだ。誰もが自分に合う職場で、ハッピーに働いていければそれでいいと思う。苦い経験ではあったが、富士通での経験無くして今の自分はいないということを忘れず、これからもハッピーに働いていきたい。
27歳、社会人7年目
最近将来への漠然とした不安が強くなってきたので今の気持ちを書き起こす。
多分地頭はそこまで悪いほうじゃないと思うが、小学中学の成績は数学を除き1や2のオンパレードで悲惨なものだった。母親に児童福祉センター的なところに連れて行かれて、「この子は大丈夫なのか」と心配されるくらいには悲惨だった。そこでADHDということもわかった。
勉強を頑張ることもしてこなかったし、努力をするってことが全く出来ない人間ってのは今も全然変わってない。
勉強するのがいやだったので大学にはいかず、興味があった情報技術系の専門学校で、願書を書けばほんとに誰でも入れるところなので学歴なんて高卒も同然。
年齢=な人見知り陰キャコミュ障の自分でもびっくりするくらいのコミュ障が周りには多かったが、なぜかかなり優秀な人も片手で数えれるくらいはいて、そういう人たちを見て頑張った。
卒業できる程度の勉強をし、掴んだ新卒のチケットは無駄にはしないように就活だけはしっかりやった。学費をだしてくれた親にも申し訳ないので。
結局一社目に受けた一部上場の大手に内定して、こんな自分が採用してくれるのかとびっくりたし嬉しかった感情は今も忘れない。
内定式、周りには専門卒なんてほぼいなかった。
ウェーイ系とまでは言わないが、みんな意識の高い知的な大学生が多かったし人見知りコミュ障なんて自分くらいだった。
今も不安が多いが、気持ちばかりの技術力はあったのでとりあえず今もなんとかなってる。年収も700万くらいにもなった。
入ってくる後輩はマスターが多くドクターの人もいる。めちゃくちゃ優秀な人ばかり。
そのせいか自分の中の劣等感も年々強くなり不安も強くなっていく。
恋人が欲しくなった時期もあった。
半年くらい頑張って計3人くらいの人とお会いして食事やデートぽいことをさせてもらったが、一度も付き合ったことがない自分はリードをしてあげることができるわけでもなく、どれも1〜2回くらいお会いして終わった。
回数を重ねれば上達はしていくのかもしれないが、3人目とのデートが終わったときには自分のコミュ力の無さとその成長のしてなさに絶望した。
デート終わったあとは毎回すごく疲れたし、乗り越えても結局付き合うことはゴールではなくスタートなんだと自覚しそこから恋人を作る活動はやめた。
なにか没頭できる趣味でもあればいいが、それもない。
そんな生活を続ける中で、自分を支えてる芯がなにもないことに気付く。
今のところを辞めて転職したらどのくらい収入は下がるのだろう。自分の市場価値はどれくらいなのだろう。
この先定年まで35年くらい虚無感と不安を抱えながら生きてくのだろうか。
というか恋愛もわかりません。
多分しなければならないということはないけれど。
自分は自分が自己中心的でワガママだと知っているから、誰かと一緒になるなんて、自分も相手もイライラするだけだろうなと思います。
自分の時間を取られたり、考えや思いを否定されることを必要以上に嫌う。
だったらお付き合いしたっていいことないよね、って思う。
メリットが見込めないので、お付き合いするための努力も面倒だな、と思う。
つくづくダメ人間。
でも子供は欲しいなって漠然と考えたり、独りはさみしいなって思ったりもする。
こんなダメ人間、恋愛したいと思ったって無理でしょう。相手に申し訳ないし。
この考えもまた自己中心的。
あーだこーだ言って、結局自分に自信がないだけなのかも知れないし、本当に恋愛どうでもいいのかもしれない。
それさえもよくわからないので、もうよくわかりません。
もうどうしたらいいんだろ。
祖母は優しいけど昔の人だった。
遠くに住んでいるので会うのは年に一回のお盆だけ。
子供の頃から「結婚してひ孫を見るのが楽しみだ」と言われてきた。
小学生の頃、自分はそんなことを言われて「あぁ、自分もいつかは誰かと付き合って結婚して、子供ができてお婆ちゃんにひ孫を見せるのか」と漠然に思ってた。
中学生の頃、「彼氏はいないのか」と言う問いに対しては「周りの子は好きな人がいて彼氏がいる。私にはいない。なぜか好きな人がいない。でもあいつとかあいつは話が合って楽しい。恋愛として好きかは分からない」と考えた。
高校生の頃、「彼氏はいないのか」に加えて「結婚が楽しみだ」と言われるようになった。
その時にはすでに、私には「これから彼氏ができて結婚をする」という未来がとても難しくて遠くて、考えるのが嫌になっていた。
多分「アセクシャル」なんだと思う。
成人してこの手の話が増えた。
「彼氏いないの?」
「結婚したくないの?」
「え、付き合ったこともないの?」
周りは当たり前に誰かを好きになり好きになられ、付き合って、恋愛して、体を繋げて、結婚して、子供を授かり育てる。
そう、当たり前なのだ。
小学5年生の頃、何人かの友人と放課後の教室で担任の先生を囲み話が弾んだ。
誰が言い出したか分からないけど、「先生、私将来ちゃんと結婚できるかな」と。
先生は笑いながら、「できるよ!先生はかっこよくないし太ってるけど、ちゃんと結婚してる。みんなだってできるよ。」そう言ったのを覚えてる。
でもその時にはすでにそうだったんだと思う。
友人との「恋愛話」は好きだった。
やれ誰々が誰を好きか、誰が誰と付き合ってるかなんて今だって毎日のようにテレビでスキャンダルが流れてる。そういうこと。下世話な話が人間は好きなのだ。その一環だ。
だけどその話の矛先が自分に向けられると本当に困った。
いない。
いないのだ。
まず周りの異性をそういう風に好きになれないのだ。
当時からすごく困った。
「いない」と正直に言っても意味はないのだ。
そう、普通は「いない」という選択肢が無いのが当たり前だから。
追求されて逃がしてくれない。永遠にこの質問は続く。早くこの話題から抜けたくて適当な嘘も言ったことがある。その後は地獄だけど。
なんで、なんでみんなそうなんだろう。
誰かを好きなるって当たり前なのか。
分からない。
高校の頃、一度だけ好意を伝えられたことがある。間接的にだけど。
他校の知り合いが「貴方を店で見かけてから気になってると言う奴がいる。連絡先を教えていいか?」と。
「自分がそう見られている」と言うことを初めて知ったのだ。
嫌だった。
まず私のどこを好きになるのだろう。
女性にしては身長が高いし、細くはない、容姿は崩れているし、性格はガサツで適当で、嫌な奴だ。
「こんな女に好意を持つなんて、相当イかれてる」
背も高くて、男前で、声まで素敵で優しい人だ。
もうすぐお子さんが産まれるようでイキイキしてる。
それを母に伝えた。
母は前半はニコニコしながら「いい人だね、かっこいいね」と聞いていたが、私が「もうすぐお子さんが産まれる」と言った瞬間
「え?結婚してる人なの?
なーんだ、じゃあいいわ。てかあんたその人と付き合いたいって話じゃないの?結婚してていいわけ?」
底知れない怒りと悲しみが襲った。
その時はなんて返事したか覚えてないけど、今でもショックだった。
私が素敵だと、人として魅力を感じた人を侮辱された気分で辛かった。
そしてすぐ誰かを「恋愛相手」としか見れない母親に、世間に絶望した。
母親の
「〇〇の店員さんがカッコいい、付き合いたい。」
「こう言う人タイプじゃないの?」
「本気で結婚しないの?この家にずっといるの?」
事あるごとに言われるこのセリフに怒りと苦しみで一杯だ。
毎年毎年、会うたびに「結婚」と。
「死ぬまでに会いたい」と。
会うたびに、会うたびに悲しくなります。
ごめんねおばあちゃん。会わせてあげれそうにないよ。ごめんね、ごめんねおばあちゃん。
もし私が、同性が好きだったら、きっと同性のパートナーを連れて胸を張って祖母に紹介できました。
でも、それすらできない。
祖母はもう認知症を患い、日に日に弱り、徘徊があるのでベッドに縛られて、私の知らない病院で日に日に衰弱しています。
長くはないかと思う。
そんなこと考えたくないけど。
何度もレンタル彼氏でもなんでも使って、祖母に紹介しようかと考えたけど、無理だった。それすらにも嫌悪感を抱いてしまう。
おばあちゃん、本当にごめんなさい。
おばあちゃんのお願い、叶えたいけど無理だ。
私は、異性同性に対して、恋愛的に好意を持てない。魅力が分からない人です。
「誰かを好きになって、愛する」ことが当たり前なのです。
そのギャップに苦しんでいる人がいる。
このことを忘れないで。
こんな自分でいいのか、あと数年経ったら今抱えている漠然とした不安がどのように現実化するのか。
雑感的に吐き出す。
具体的に記載はしないが趣味があり、没頭とまではいかないまでもそれなりに時間を投資している。
その結果、性欲も落ち込み、自慰行為は月に1度すればいい、というレベルに。
職場に女性は多いが、仕事モードでは恋愛対象として見ることができず、社内恋愛に発展することはない。
顔は悪くないと言われる(良くもないが)し、性格も穏やかであるために、彼女がいないのが信じらないと言われることは多い。
趣味に費やす時間は楽しいが、10年以上続けてきてマンネリ化しているのも事実。
家に帰れば一人。
友人はどんどん結婚していき、休日に遊ぶ相手もいなくなってしまった。
今はまだ仕事が楽しいから良いのだが、30代になり、体力的に無理も効かなくなってきた中でいつまでも仕事一辺倒の生活に不安を感じる。
彼女ができたらたのしいだろうなぁ、とは思うものの作るために努力するというレベルではない。
自分の感情を他人によって振り回されるのがすこぶる嫌いなので、恋愛をすることで一喜一憂したくない。
なんでこんなに感情を変動させなきゃいけないのか、と怒りを覚える始末。
人は好きだけど嫌い。
とはいえ一人でいることに対して寂しいという気持ちも多分にある中で身動きが取れない状態になっている。
こんな自分はとても嫌いだしこのままでいいとは思えないのだが、無理矢理変えたいとも思えない。
高校生の頃はジミヘンやカートコバーンみたいにさっさと死ぬものだと思っていたのに彼らの年齢を追い越し、何も残せない人生をのうのうと送っている。
ツイッターで実体験漫画(白ハゲ漫画)を描いて遊んでいる者だ。
仕事中にはそのことばっかり考えている。
受けようと思ったが、やめた。
筆が乗らないから。
書籍化するにあたって、ボリュームを増やすために50ページほど新規で描いてくれと言われた。
毎週10ページは描いていたので、1か月あればできると思っていた。
しかし、出来なかった。
全くアイディアが湧かなかった。
メモ帳にネタをまとめていたので、それを元にネームを書いたりした・・・が、
全く面白くない。
だが、比べてみても全く面白くない。
何が悪いか考えた。プレッシャーによるもの・・・漠然と頭に浮かんだ。
何のプレッシャーなのか?
ツイッターという不特定多数へ毎日のように作品を後悔してるのに、自分が感じているのは何のプレッシャーなんだろう?
それもあるだろう。
しかし、分かった。
分かってしまった。
自分に声をかけてくれた、担当編集さんからのプレッシャーだった。
担当編集さんはとても優しく、書籍化の件を真摯に取り組んでくれて、打ち合わせも楽しく行えていた。
問題なのは、自分の描いたものを担当編集さんがチェックする、という事実なのだ。
ましてや、その担当編集さんとは何度か会い、食事をし、どんな性格なのかもお互いに知ってる仲だ。
それが尚更、自分のアイディア出しにプレッシャーをかけていた。
誰の為でもなく、描きたいから描いて、公開したいから公開して、それが見たい人にたまたま見て貰えばいい、というスタンスだ。
その担当編集さんのために漫画を描く、という思考になってしまい、
どこか媚びたような、猫を被ったような、どことなくハジケきれてない、そんな漫画になってしまう。
そんな思いが心の根のどこかにあるのだ。
いや、担当さんも漫画を読むのが仕事なんだから、引かれることは絶対にないというのも分かってるのだが。
分かってくれない。
全く、アイディアも出ない。
ツイッターに適当に公開する漫画を描こう!と考えると、めちゃくちゃにアイディアが出る。
しかし、「あっ、これを書籍に載せればいいじゃん!」と考えた瞬間に、脳みそにフタがされたように何も思い浮かばなくなる。
こんな人、他にはいないのかな。
仕事は好きでもないけどとりたててこれがつらいということもないし、友達関係すげーつらいわけでもないし、恋人もいないけどまあ…という感じだし、特にこれがとてもしんどいっていうのはないんだけど
仕事をすること、誰かと話すこと、自分を保つこと、そういう生きていくことそれ自体がゆるやかにしんどいというか
何かが確実にしんどくてつらい。
このあいだの仕事の飲み会で頑張ったねと言われて泣き、溜め込みやすいから気をつけろと言われて泣き、なんかよくわからんけど無限に泣けてきてだめだった
あまりに泣くのでよっぽど仕事でつらいことがあるのかと言われたけどないんだよ
ただ私が人間として仕事をして、生きていることそれ自体がつらくてしんどいというか
人間じゃないのを必死に人間のふりして生きてるから、人間扱いされると思わず泣いてしまうし、自分なりに頑張っているつもりだからそれを無碍に踏みつけられても呆然と泣いてしまうし、なんというかもういろいろ、保って生きていくのが無理なんだと思う
お酒の席で知り合った人と二人で飲みに行ったり異性の友人と話したり、インターネットの友達と他愛のない話をしたり、そういう人間と関わるものの全てが申し訳なくて、こんな人間もどきに関わらないほうがいいよってなって、でもそのくせ嫌わないでほしくて、なんかもうわがまますぎる
それでこういうわがままをこういうどこかに吐き出さずに居れない自分も精神不安定すぎて嫌いだ
でも子供の国には帰れないし
頭が痛かったり胃が痛かったり
家に帰ると無気力に横になるばっかりで
家事もろくにできないし
人並みの生活を人並みにしてるだけなのにただただしんどくて、なんというかダメだ
最近は突然死を願っていたりして
結局自分で死ぬ勇気もなくて、突然死なら人に悪く言われずに死ねるだろうなっていう気持ち悪い思想だけ持ち続けていて
自分の机に花は置かれるんだろうかとか、死化粧は綺麗にしてもらえるんだろうかとか、まだ若いのに…と言われたりするんだろうかとか、誰か1人でもショックを受けたり泣いたりするんだろうかとか
そういうことばっか考えてるのも気持ち悪いし大嫌いなんだけど
こういうこと考えて書いてるってことは結局誰かに構って欲しい、自分のことだけ好きで大事な人間なんだろって思ってしまう
とにかくしんどい
真面目な性格で、歳上の人からは男女関わらずかわいがられることも多い。息子や弟を見ているような気持ちなのだと思う。
その一方でエロいことが好き。アニメやゲームが好き。女の子が大好き。こういった面は基本的に表に出さずに生活している。
相手の女の子とは街コンで知り合った。歳は近く、僕のほうが少し上。
街コンのあとに相手から連絡を貰った。僕も相手のことが気になっていたので会う約束を取りつけた。
2度会った。2回とも夜に飲み会をした。気が合い、人見知りな僕にしては話も盛り上がったほうだと思う。
でも、エロい話やオタク趣味の話はしないままだった。切り出し方もわからないし、引かれるのが怖かった。
飲んで食べてと楽しみつつも、僕の頭の中はエロい妄想が広がっていた。
そして3度目、昼間におでかけをしたいね、と話していたが、また飲み会の約束になった。
この時、僕はある覚悟をしていた。「今回こそセックスしたい。ホテルに誘おう」と。
1度目も2度目も漠然と抱いていたスケベ心だが、3度目では明確な野望になった。ホテルの場所も調べた。
というのも、お互いの仕事の都合で距離が離れ、今ほど気軽に会えなくなるため、ただの飲み友達からステップアップしたかった。
手をつなぐ、でも、付き合う・キスする、でもなく、セックスを目標に置いたのは、チンコに脳みそを支配されていたから、とでも思うしかない。
3度目の飲み会もつつがなく進行した。前回前々回と同様に話も盛り上がった。「気が合うよね」なんて話もした。エロの話はしなかった。
そして店を出たあと、僕はおもむろにホテルがある方向へ歩き出した。相手は訝しがって僕に尋ねた。
どのように答えたか正確には覚えてないが、「2人になりたい」「"そういうこと"をしたい」などと言ったと思う。今思えばとても気持ち悪い顔をしていただろう。
彼女は拒否した。拒絶した。「怖い」と言った。強制するつもりなんて全くなかったし、すぐに引き返した。
彼女は「そういうのは飲み以外でなにかしてからがよかった」と言った。僕もそのほうがいいかもしれないと思った。
僕はとにかく謝った。情けない言い訳をした。よく覚えていないけれど。
後日、改めてLINEで謝罪した。そして「もしよければまた会って欲しい」と言った。
彼女は「気にしないで」と言いつつも今後についてはNOを示した。当然だと思った。
正直なところ、僕が相手のことをどれくらい好きだったかはわからない。でも、普通にかわいい人だったし、気も合った。何より、僕に興味を持って接してくれていたと思う。
生まれてから今まで20年余り、異性からの好意を実感したことのない僕は完全に舞い上がっていた。
もし彼女が僕に好意を抱いているのならそれに応えたい、好意を確かめ合いたいと思った。
しかし、抱いている好意の性質は男女で、というより僕と彼女とで大きく違っていたらしい。
ここまで読んでわかってもらえる気はしないが、決して体目当てだったつもりはない。
エロは大好きだけど1番好きなジャンルは「カップル」とか「純愛」とかそういったものだ。これを読んでくれている人も、そして彼女もそんなこと知ったことではないというのはわかる。
冷静になったいま思い返すと、あそこまで思考がエロに支配されていた自分とその言動が本当にこわい。
今まで誰とも付き合ったことがないこと、離れ離れになることで焦る気持ちもわかるけれど、ここまで急くことはなかったと今なら思える。
ああしておけばよかった、こうすべきだった、と毎日後悔し続けている。
しっかり反省し、次に女の子と仲良くする時はもっとうまくやろう、と思いつつ、彼女の気持ちをグチャグチャに踏みにじり、踏み台にしているようで、そんな自分の思考をとても醜くおぞましいものに思う。