横だが、こんなこと言ってる時点で相当毒されてると思う。
さながらイスラム国で子供の頃から人を殺すことを正しいと教えられ続けて育ってきた兵士達のようだ。
こんなこと言っても今すぐ納得できるわけないのはしょうがないけど一応言っとくよ。
ところで人の気持ちは分かった?
は?するが?
沢山のものがあって多様性にあふれていてニッチな需要を満たせる。
素晴らしい時代だ。
豊かだ。
あともう少しコレがこうだったら最高だったのにと妄想したその『最高』にだって出会えてしまう時代だ。
だけど物を増やすのは一度辞めて、別の所に力を入れてほしい。
それは、大量にあるサービスや作品の中で自分が一番欲しいものを見つけられるシステムだ。
どのジャンルにおいてもそれが欠落している。
たとえばライトノベルのタイトルが際限なく長くなっているのも、タイトルを見くらべていたんじゃいつまで経っても自分がほしい作品なのかそうじゃないのかハッキリしないからだ。
本屋の店員に聞いた所で、彼らだってすべての作品を読んでないから不可能だ。
全ての業界でそうだ。
クローリングして欲しい範囲はエロコンテンツだけなのに、ちょっとエッチなだけの日常写真ばかりじゃねーかと思う日もあれば、その逆の日もある。
これは検索エンジンの検索エンジンを作ろうという話でもあるが、それ以上に、もっとたくさん検索エンジンを作るべきだし、もっといい検索エンジンを多くのジャンルが備えるべきだって話だ。
たとえば書籍の全文検索機能がここ最近話題になってきたが、あれだって単に中身を大雑把にまとめて検索するというだけでそこからの絞り込みはまだまだ弱い。
大学生頃から社会人10年目くらいまで、下半身を露出するおじさんに年内に何回かは遭遇していた。
理系だったし割と遅くまで大学や会社にいて帰宅が遅くなることが多かったからか、私の周りにもそういう被害者?が少なくなかった。
帰り道の公園で露出した状態で立ってたり、路地に入った曲がり角で見せられたり。大学院は田舎だったから自転車通学で、夏休みの閑散としたキャンパスを車で追いかけられたりもした。どんだけ見せたいんだ?
遭遇回数を重ねると慣れる、というか、彼らは驚かすことが目的であって危害を加えてはこないことを知ると、そんなもんか、となった。毎年同じ時期に同じおじさんに見せられてる友達が何人かいて、面白おかしく報告しあったりもした。(しかし文章にすると異常な光景だなと今更ながらに感じる。)
毎年暖かくなると、そういうおじさん達のことをふと思う。彼らは幸せに暮らしてるんだろうか、と。あんな夜遅くに、一人で暗闇で、来るかも分からない若い女を、ひどく滑稽な格好で待ち構えていた中年の男性。哀愁しかない。いま帰る家はあるのかしら、と。
ではどうしたら議論ができるようになるんですか