好きなものに対する拘りは人によって違う。
ある人は知識が豊富だったり、ある人はモノを集めたり、ある人は独特なアプローチを図る。
それでも言えるとするならば、関心のない人よりも見えている景色が違うのは確かだってこと。
だけど“恋は盲目”って言葉があるように、好きであればあるほど物事は不鮮明に映りやすい。
その時、どういった姿勢が問われるか。
誰が、誰を、どのように問うのか。
「卒業」って言葉を聞くと、俺たちみたいな生徒は学校のことを連想するだろう。
だけど、その他のシチュエーションで使われるケースだってある。
例えばアイドル。
「はあ~」
「カン先輩、溜め息をつくなら、せめてペースを落としてくれませんか」
「そりゃ、無理な相談やでマスダ。むしろ溜め息で済んでるのを感謝すべきや」
応援していたアイドルが数週間前に卒業して、未だそのショックを引きずっている。
黙々と作業をしている時にふと思い出してしまい、それらが二酸化炭素として排出されるメカニズムらしい。
「ワイらのアメ子ちゃんが卒業……普通の女の子に戻ってもうた」
“ワイら”ってことは複数人の共有物なのか、“普通の女の子”って何を基準に言ってるのか。
“卒業”って言ってるが、要は“引退”の言い換えだとしか思えない。
俺がその界隈について詳しくないからかもしれないが、カン先輩の言動には疑問符が溢れ出てくる。
「気になったんですけど、なんでアイドルが辞めることを“卒業”って言うんです?」
「ああ?……そりゃあ、“辞める”とか言ったらバツが悪いからや」
「……マスダ、その聞き方、めっちゃ腹立つわ」
こんな感じで、卒業ってのは学校のそれとは違い漠然としている。
次のスタートへ向かうために設けられている、定められた一つのゴールだ。
環境の変化に未練こそ感じても、基本的には前向きに進むものとして存在する。
後ろ向きのまま歩いたんじゃあ、危なっかしくて進めない。
そう認識している俺にとって、他のケースで使われる“卒業”という言葉はどうも計りかねた。
趣味などをやめるのも卒業って呼ばれるが、あれも漠然としている。
そのせいで人々はいつ卒業するのか、そもそもすべきなのかすら分からない。
いや、そもそも卒業って表現が不適当なのだから、留年生と呼ぶべきではないかもしれないが。
それでも、あえて“留年生”と呼ぶのなら、その人達はいつまで“趣味という名の学校”にいられるのだろうか。
とあるアニメが地上の波を漂う時、一人の留年生はその資質を問われることになる。
ちなみにカン先輩のことじゃない。
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