はてなキーワード: 遍在とは
ハマースは選挙によって信を得ていたという。ならばその政策の帰結として侵攻を許すことは甘受せざるを得ないだろう。一時の夢に浮かれて原理主義者共を政権に擬したその責任を己で負わずして何の民主主義か。
ガザの外に出る自由もなかったと、青天井の刑務所であったという。日々報復攻撃に苦しんでいたという。失業率が50%で働き口すらなかったという。無為の日々が苦痛であったという。
なぜそのような抑圧を受けるに至ったか。すべては統治を握っていた、あの日熱狂の末に選んだハマースの政策の当然の帰結である。
抑圧されているのならば革命を起こすことこそ、不正を見たのならば加担しないことこそ、正しき人民の義務だったはずだ。
翻って、リベラル人士はこぞって一発の銃弾も打たず、一人の敵国人すら殺さなかったのになお、人民の敵であるという理由だけでアベを殺せ撃てと命じてきたのである。
ならば、リベラル人士はロケット弾を発射し、隣人の老若男女を虐殺した、真に人民の敵であるハマースの首魁共をこそ殺せ撃てとというべきだろう。そしてガザ住民は現にそれを昨日まで怠ってきた。その帰結がこのテロルである。年端もいかぬ赤子の首を鍬で押し切り、住民であるというだけで射殺し、身も知らぬ異国人をそうであるというだけで辱めて殺し、遺体にまで侮りを加える虐殺劇である。
外に出る自由がなかったのではない、出る蛮勇を持たなかったのだ。地中海を見よ、蛮勇によって千万の難民が溺死している。それでも彼らは自由を明日を求めて絶望的な船出に己の身を賭けている。
日々報復を受けていたことは痛ましかろう。ならばなぜその原因となる攻撃を止めなかったか。
働き口すらないのは難儀だろう。しかし逆説的に言えばそれで生活が成り立っているということは、テロ組織のおこぼれにあずかって今日まで来たということだ。テロ組織に対する資金は即ち無為に殺害された他人によって稼がれたものだ。それを承知で、湯気の立った生き血をもせせって浅ましくも生き永らえてきたのだ。
何もできなかった日々ではない、それら正しき行いをせずに空費してきた日々なのだ。
ましてガザの地は全くの徒手空拳であった訳ではない。そこには突撃銃が、爆薬が、ロケット弾が、容易に入手できること日本の、世界に遍在する本物の刑務所の比ではない。なぜ原理主義者共を打倒しなかったのか。自由と職と正義と平和を求めて蜂起しなかったのか。それをガザの住人は大なり小なり怠ってきた。それをしない、即ち肉屋を支持する豚であったからだ。不正を、流血を、戦争を傍観し消極的にせよ支持してきたからこその今日がある。
その前に酒を差し出して、戦車の前で歌を歌って、武器を差し出して和を乞うことこそ、危機に際して人民の正しいふるまいだろう。リベラル人士は常にそう説いてきた。しかしそれを彼らがしないならば、その結果はやはり全くの自己責任であったというべきだ。
選択の時は十分にあった。正しさを選べなかったツケを払う時が目前に迫っている。残念ながらそれは彼らの選択の末だったということだ。
インターネットそのものに神秘が残っていた時代のコンテンツの終焉なんだろうな。
『赤い部屋』がもし今のネットにあっても小中学生をトイレに生かせられなくする力があるって感じるかい?感じないと思う。こういった分こそがまさにネットそのものが魔術的なパワーを帯びていない時代であることを示唆してる。
もうネットは不気味なオタク達の巣窟ではなくなっていて、アングラを気取ってる人間も単に公式や警察に怯えながらコロコロと居場所を変えてはギリセーフのラインを必死に探してるだけなんじゃないか。
今や完全にネットは万民のものとなりもはや誰もが使える当たり前の道具になった。車載電話やPHSの発達により無線が神秘性を失い、個人携帯の時代が到来したことによって完全にトドメを刺された流れと同じ。
その昔は「石を回路につなぐと遠くで会話ができる」という糸電話チョットスゴイ版みたいなものに対して魔術的な憧れを多くの人が持っていた。
でも今やそれは完全に失われている。
そこから今後は一周回ってあえて古いものを使うことに魔術的な神秘性が宿るようになるんだろうけど、そこまであと10年か四半世紀って所かな。
たとえばキャンプなんてのは昔は生活において野営という物が日常の一種として存在していたのが完全に過去のものとなり、あえて野営するということが魔術性を帯びるようになり、そこから更に一回り一般化が起きて今の状態がある。
インターネットは流石のドッグイヤーというか、既にその段階に突入しつつあって、VRでさえも一般人に対して開かれたコンテンツとなってる。
NFTや仮想通貨と言った投機コンテンツは一般人まで届いてないけど、これはむしろ「単なるババ抜きでしか無い」ということを普通の人間ほど見破りやすい(完全に理解したモードの人間が一番疎い)という構造の結果でしかないのだと思う。
これが今の社会が持つネット世界観なんだと思う。警察の目が届かない不思議な空間はネットよりも現実のほうがずっと広がっている。ネットでバズった違法動画はあっという間に通報(嫉妬か正義かは知らんけど)されてしまうけど、体育館裏や給湯室で密かに行われる悪徳は校内社内で多くの人がそれを知っていても、外の社会のルールによって介入されずに生き延びていく。
監視の目が届かないモラルスラムとしてのパワーはネットよりもリアルの方が上になった。逆転が起きた。新時代の神様がどこからか生まれるならそこはネットの海じゃない。リアルの何処かだ。たとえそれがサイバー空間だとしても、それはオープンソースではなく、スタンドアロン環境の研究室の中だろう。サイバー世界観の変貌によってネットは神秘ではなく魔術でもなく闇でも光でもない場所になった。
狭苦しいリアルの窮屈な暗室と比べれば、今のネットのほうが風通しが良く広々としているのだ。驚くほどに四方八方に陽の光が反射し、淀んでない風がそこかしから入り込んでくる。いまや薄暗い秘密基地は現実世界の方となった。相対的に。
だからもう今になって本気でlainを崇めていても仕方ないんだよ。それは大昔崇められていた今はもう力を失った神様なんだ。
祟りを恐れるでもなく、恵みを求めるでもなく、古き良き村の祭りとして扱うだけでいいんだ。祀るべき意味が「そういう習わしを賑やかしとして残したかった」じゃ駄目だって言うなら、どれほどの神社仏閣が地上から消えるんだろうね。
畏れ多い神様として扱う時代が終わったんだ。日常の一風景でしか無いカルチャーコンテンツの一つとして扱ってやれよ。
商店街の近くで祀られてる神様がやたらフットワーク軽くどうでもいいような近所のイベントに首を突っ込んでくるようなことってあるだろ?あのノリで扱われる時代になったんだ。神棚や神輿に載せたまま、そこから畏れを一粒だけ残してとっぱっらちまえばちょうどいいぐらいの塩梅になるだろうさ。
なるほど。
様々な感想が存在し、様々なlain感、受け止め方、解釈がある。
作中で全てを語ること無くプレイヤーに委ねた結果、それぞれがそれぞれの勝手喜怒哀楽を持って受け入れる。
今のlain周りがその力を生み出しているとは思えないけど、思い出の中にあるlainに今でも確かな力があったと感じる。
俺たちの脳細胞に刻まれた記憶が、ネットの海にlainとは何であったのかという記録を刻み続ける。
無限増殖するデジタルタトゥーがlainの伝説を語り継ぐんだ。
悪性変異したデュープのようにどこまでも広がっていくんだ。
たとえ今は陳腐化しようがかつてlainが伝説として存在したことは、それを語り継ぐ人間がいる限り消えることはない。
もう誰も本当の顔を覚えてないはずの歴史的人物の名前が残り続けるのは、記憶と記録が相互にループし増殖を続けるからだ。
この事実が失われることはない。今lainの権利を持つスタッフによっても不可能なんだ。
今の人類の技術ではまだ、刻まれた過去を消し去ることは出来ないから。
アニメ『serial experiments lain』の岩倉玲音が、『NEEDY GIRL OVERDOSE』配信番組にまさかの登場 - 電撃オンライン
馬鹿なんじゃないの?
lainのテーマは「サイバーパンクが現実のものとなりつつある空間としてのインターネット」であって、「メンヘラうようよの世紀末系インターネッツ」ではないだろ。
なんで公式がそこを間違える?
マジで全く別物なんだよ。
確かにlain当時のインターネットにはギーク・ナード・メンヘラを拗らせた社会不適合者がウヨウヨで、無法地帯を感じさせていたけど、インターネットを無法地帯にさせていたのは加速し続ける技術の進歩に人類の法律とモラルが追いついていなかったという背景が強かったわけじゃないですか。
インターネットに接続することそのものにそれなりの知能(せいぜいIQ90程度だけど)が必要で、そこによって区切りが発生することに対してメンサじみた特権意識を持ったイキり連中のウロつきの空気は今のアングラネットとは全く別物だよ。
某玉ねぎを使用もしないで幼稚園児でも明日から使えるインターネットで配信活動をする世界の作品とlainの世界は繋がらないよ。
同じくインターネットを舞台にしてるって言うならデジモンなりウェブダイバーなり連れてくりゃよかったんだよ。
つうか俺が一番失望してるのはlain公式がこの程度の判断を誤ったということ。
NEEDY GIRLが一方的にlainにラブコールを送るのは勝手だと思うけど、lainの側からNEEDY GIRLに応えるのは違うだろ。
インターネットの海において遍在していてどこに現れてもおかしくないのがlainの特性だけど、それならどこかの配信にだけ特別に現れるなんておかしいんだよ。全部の配信に顔を出すこともなくどこかにだけ偏在してしまっているなら、それはlainの在り方としての遍在とはまた別物なんだよ。
直接介入をしないからこそどこにでも存在していることを疑うことが出来るという実態の無さこそが本体の都市伝説としての立場を守るべきだろ。
それでもなおlainが特別にやってくるだけの繋がりはNEEDY GIRLとの間にはないよ。
「ネットが舞台でメンヘラじみてるから一緒でしょ?」なんてのは外野だけが取っていい態度であって公式がそれをやっちゃ駄目でしょ。
なんなんだよ。
25周年の一つの形として「お前らいい加減夢から醒めろよ。これは単なる紙芝居でしかね―んだ。著作権持ってるスタッフが自由にして良いおもちゃ以上でも以下でもないんだよ」って突きつけようってのか?
畜生……それが正しいのかも知れねえ……俺たちは和製ニューロマンサーとしてlainを持ち上げすぎてその本質を見失っていたってオチは十分ありうる。
日本の技術立国の形として電子の海に強い理解と関心を寄せるオタク達の島であって欲しいというキモい気持ちが、単なる一アニメに必要以上の役割を与えようとしていたんじゃないのか。
カルトアニメとして黙って持ち上げられてくれていたからそれに甘えていただけなのか……。
serial experiments lainに対して俺が見ていた25年の夢はとりあえず醒めたよ。
スゲーアニメだったのは間違いないけど、いつまでも日本サイバーパンクの神輿として担ぎ上げるのは間違っていたんだろうな。
いつからだ……放送後3年ぐらいの辺りでもう歯車は狂っていたのかな。
結局コレもさ、lainと攻殻ぐらいしか日本でマジメにネット社会の向こう側と向き合おうとした作品が生まれてなかったのが悪いんだよ。
色々あったけどさ、どれも最後はボーイ・ミーツ・ガールで甘ったるくくるんではい終わりにしてたろ。
そうやって誤魔化すんじゃなくて、最後まで物語の中心にネットの闇を置き続けるコンテンツがもっと伸びてほしかったんだな。
結局最後は生身の人間ですよなんて話をインターネットコンセプトにしてやって欲しくねえんだよ。
あーでもlainのアニメは最後、やっぱ生身だよねとはなったんだよな。
駄目だな……俺は自分の見たいものにピントを合わせてばかりで何も見てなかったんだな。
俺は俺の中にあるlainばかりを見てた。
現実のlain、スタッフ達がどう育てていきたかったのか、どういう作品だったのか、皆の中でどういう作品だったのかをちゃんと見ようとしてなかった。
だから1人で思い込んで突っ走って、25年もかけて勘違いに気づいて今更失望してんだな。
馬鹿みたいだわ。
結局、俺が幼すぎたってだけのオチかよ。
あほくさ。
なんだったんだろうな。
俺にとってのlainって。
長い夢だったな、今やっと醒めた。
本当に夢から醒めたんだと思う。
根本的かつ圧倒的に仕事ができない、そのくせ悪びれることもない。というか、むしろちゃんとやってるのだが?という態度を取るし、何言われても気にしない。
そんなジェネリック『脳外科医武田くん』はホワイト大企業によくいる。
まずこの手のタイプは、勉強はできる。とにかく言われたことをひたすらやっていって学ぶ力はあるからだ。受験は自分なりのやり方はなんでもいい。
すると、竹田くんが医学部に入り、医師免許を取得したように、それなりの大学にしっかりと入る。
それなりの大学で、友達からは呆れられたりされつつもなんとなく真面目なとこだけ面接で見せて、いい大学でてるので、有名企業に入ってしまったりする。
仕事ができないので、もちろん怒られるし評価も下がる。しかしホワイト大企業なので辞めない。これが竹田くんをのさばらせる。
ホワイト大企業は余力があるし問題になりたくないので、無理やり辞めさせようとしない。きつい追い出し部屋みたいなのも無い。あるとすればメンタル病み上がりの人と、仕事ができない人が集まる、しかしちゃんと仕事はあるところに異動させられるくらい。
そしてホワイト大企業だから、どんだけ評価が悪くて周りよりも給料低くても、世の中ではいい方になる。年収800万とかもらっちゃう。下手したら900-1000万とかキープしちゃう。
会社で仕事できなくても、まぁ心を殺して仕事してりゃミスしまくっても800万もらえるから竹田くんはやめない。
これがホワイト大企業じゃなければ、嫌がらせなりなんなりで退職休職に追い込まれて、一掃されるのだが…。
ちなみに自社もいろんな取引先も接する俺が見た竹田くんたちを紹介しておく。
(単純に書いてるが一度や2度でなく、毎度だし他にも色々やらかしつづけてるやつら)
取引先への報告資料のエクセルを何回やってもミスするやつ。修正も「○時までにお願いします」と言うと、「はい!」と元気よく返事するが絶対無視する。間に合ってないとかじゃなくてやってない。YouTubeとか見てる。
取引先へのプレゼンに俺たちをつれていく営業担当。プロジェクターでプレゼンて話だったのに、取引先にプロジェクターがないこと現場で発覚。焦る俺らをよそに得意先と談笑してるが、よく聞くと頼まれてた別件やってなくて怒られてるやつ。(なのにヘラヘラ)
あなたはわたしに遍在していると言った わたしはわたしを見てくれるあなたが好きだった
だからわたしのことを忘れないでほしい わたしのことをどうか覚えていてほしい
わたしは
愛するって決めた人がいるの 大事にするって決めた人がいるの
わたしはね わたしはさあ そうやって生きてるって、見ていてほしいし、感想がほしいし、聞いてほしいの
ずっとずっとそうしてほしいの
小恋ちゃん、わたしはあなたを「好き」だったと思う?恋とか、そういうの今もわたしもぼんやりしててよくわかんない
昔のわたしに聞いたら絶対に「このまま一緒にいたい」って言うと思う。「離れたくない」って
でもね、たぶん、わたしはなによりも
あなたの愛し方が好きだった あなたの人の大切に仕方が好きだった あなたの世界の見方が好きだった
あなたを心に留めることで、わたしも少しはあなたみたいに誰かを愛せるかなって そうやってあなたを通して世界を見ること そうやって生きていくことが、わたしがこれからもずっとしていきたいことだって思う
たぶん会えていた頃からずっとそうだったって思う
"I don’t love you because I need you, I love you because I see something in you that makes everything seem brighter."
・AI周りの設定が雑
これは一般客には興味ない気がする
他にもまともに見てたらツッコミどころ多くて
俺は「良いところと悪いところがある」と思っている。ツッコミどころだらけではなかった。
「AI」概念を都合よく混ぜるな。プログラム、ロボット、各種ハードウェアを全部「AI」という言葉で便利に表現していたのはちょっとモヤモヤした。
とはいえ、シオンの本質は物理的な「ヒューマノイド」ではなく、ネットワーク内に漂っているプログラムだった、という最後の結末を考えると意図的なのかもしれない。
他の企業が出てこないので作中で比較しようがないんだが、星間の存在が最大の謎だったりする。
まず「AI」の技術力という意味ではかなり高いという扱いを受けている(作中で)。現実世界でいうところのGAFAM、OpenAIみたいの水準なんだろう。
そしてロボティクス分野だとヒューマノイドを平気で量産しているし、そいつらの動作もかなりスムーズだ。ボストン・ダイナミクスみたいな技術力があるし、Tesla Botみたいな攻めの姿勢も感じられる。
あと、日本国内でAIのための実験都市を作ってる(借りてる?)という意味ではトヨタっぽさもある。政府や行政との調整がクッソ上手そう。
とりあえず、各企業の一番強いところを集めた「ぼくのかんがえたさいきょうの会社」ってことなんだと思う。
それにしてはJTBC感をちょくちょく出していてなんなんだ。いっそのことGoogleみたいなシリコンバレー企業感を出していても良かったと思うんだけどな。
サトミ母(美津子)は星間におけるシオンのプロジェクトをリードする立場で、研究面で数々の受賞をしたという描写がある。海外大学院でドクター取ったとかそういうタイプのエリートに見える。
だが、何故お前は星間にこだわるんだ?「この会社から見放されたら終わる」みたいなスタンスでずっと生きてる。メンヘラかよ。
どう考えてもお前は海外でも国内でも好きなところに転職できる立場と技術があるだろ。
もしかしたら「さいきょうの会社」が世界中に星間1社しかない世界観なんだろうか。ここがいまいち腑に落ちなかった。
これはマジで最高だった。すげえよかった。語彙がなくてごめんな。なんていうかな、無駄に「SFちっく」じゃないんだよ。
いまの俺らの生活もAlexaとかルンバとか自動運転車とか、20年前には考えられないような「AI」があちこちにいるわけよ。
でも暮らしぶりっていうとそんな昔と変わらなくない?全面が画面に取り囲まれたサイバーな空間で暮らしてるわけでもなく、普通にボロアパートで「OK, Google」とか言ってる、そんな感じじゃん。
アイうたはこの辺を上手く捉えてた。建物や人々の服装みたいな生活はそのままで、ちょっとした便利デバイスが追加されてる社会。
「今の生活の延長線上にあるAIとの暮らし」を上手く表現してたと思う。2030年代ってあんな感じになるんじゃね?くらいに思わせてくれた。
エンジニア、ガジェットオタクの目線から言っても「まあ、あり得るよな」の範囲で収まる描写が多かったしね。
正直、田植えロボットの合理性は疑問だけど、ボストン・ダイナミクスとTeslaの動きを見てるとそこまで異常ってわけでもないとは思う。Teslaが日本にあったら多分Tesla Botに田植えさせてると思うよ。
俺は前半の技術描写で感心してたわけよ。だけどこれが花火のミュージカルパートで怪しくなって冷めてしまった。
(正直、花火のシーンはどうでもいい。SFでミュージカルをやると現実的じゃなくなるからそこに文句はない。)
おもちゃ(組み込み機器)の自然言語処理AIが何故自己拡張できんの?そして自己複製して企業内ネットワークに遍在するようになる?超絶エリート集団の星間がどうしてこれを検知できない?
作中でも「ただの自然言語処理AIが」というセリフが登場するほどなのだが、何故か「そういうこともある」といった根拠のない感じで皆納得するようになる。
これまでが現実を強く意識させる描写だっただけに、ここの飛躍に頭が追いつかなかった。逆に最初の技術描写が優れていたからこそかもしれないが。
せめて作中世界のSF的論理でもいいから、エンベデッド機器のNLPプログラムが人格を持つようになった経緯は綺麗に説明してほしかったな。
他人のカードでセキュリティ室に入って何やってんだお前、完全にコンプラって概念ないだろ。まあ、最初から倫理観があまりないという意味では一貫してんのかな。
それにそんな危険人物を優秀だからといって企業に残す経営陣も狂ってるでしょ。
この暴走する役割は完全に高校生だけに押し付けるべきだったなと思う。暴走した高校生たちによって偶然にもサトミ母とシオンが再評価されて地位が回復する、とかね。
まあ、自分がこういうので楽しめなくなったクソつまらない人間になってしまった可能性は否めないけど。
とまあ文句は言ってるけど、重箱の隅をつついてるだけではある。
https://anond.hatelabo.jp/20210905025143
元記事では、勉強中のフェミニストが無自覚に差別主義を振りかざしているが、ブコメでもトラバでも誰もそれを指摘していない。
この国には差別主義が蔓延していて、誰もがそれに侵されているということだ。
元増田の差別性を指摘するこの記事を書くかどうか、まる1日ほど悩んだ。
悩んだ末に書くことにしたけれども、個人としての元増田を非難したり攻撃する意図はない。これは元増田ただ一人の問題ではなく、この国の社会全体の問題だから書く、というだけだ。そもそも私は、元増田が書いたものの本論には同意している。元増田がこれを読んだとして、どうか気を悪くしないでほしい。
さて、私が問題にしているのは以下の部分だ。
「痴漢するクソオスがいるから女性専用車両が必要なんだよ、そんなこともわかんねーのか味噌どもがよ」じゃなくて、「悲しいけど痴漢が起こる可能性はありますし、性被害に遭った経験のある方や宗教・思想上の理由がある方のためにも必要です」と書け。
言葉遣いは問題ではない。上記の2例の両方で表現されているロジックは、明確に、差別主義者のそれである。
しかしおそらく、このロジックがなぜ差別主義なのか理解できない人は多いのではないか。
元増田(というよりもそれ以外からもよく聞かれるものだが)の主張を整理すると次のようになる。
上記1は統計的事実である。ここまでは問題ない。問題は2だ。個別の性犯罪者を問題にするのではなく、男性という属性を持った人すべてを性犯罪者と同等に扱っていることに問題がある。
個々の人物ではなく特定の属性を差別する、というのは許されない。これを別の属性に置き換えると次のようになり、このロジックの差別性がわかりやすくなるだろう。
鉄道車両内で犯罪を起こす者の多くは黒人であるから、犯罪被害者や、宗教または思想上の理由がある方の安心安全のためには、白人専用車両が必要だ。
もしかしたら、上記の何が差別なのかすらわからない人も多いのではないか。差別は私たちの社会に遍在していて、もはや空気のようなものであり、元増田のように何が差別なのかがわからない者が大多数を占めている可能性がある。そうでなければ、女性専用車両のような差別的サービスが運用されている現実を説明できない。そもそも差別とは何かということを説明する必要があるだろう。
差別とは、ある特定の属性を持った人に特別な扱いをすることである。
属性とは、人種、民族、性別、宗教、国籍、出生地など、本人の意思で容易に変えることができない属性を指す。特別な扱いには優遇と冷遇があるが、いずれも差別である。
当然、男性であるという理由で性犯罪者と同視し隔離対象とするのは差別である。
しかし本邦の、特にフェミニストにおいては、おそらく善良な市民であろう自分の父親や夫や彼氏や息子が、男性という属性を理由に性犯罪者と同視されることに反対せず、むしろ推進する。差別主義者であるというこの点においては、フェミニストも、元増田が迷惑だと称したミサンドリストやツイフェミも、大差はない。
その背景として本邦には、女性専用サービス、女性割引サービス、女性無料サービスといった差別的なサービスが遍在している事実がある。これらがあまりにも当然のように遍在しているために、それが白人専用や白人割引や白人無料と相似であることに気づけない。
余談だがアメリカでは、白人専用席や白人専用ホテル、白人専用トイレなどが1960年代までは当然のように存在したというが、1964年公民権法の成立を契機に縮小し、前世紀のうちには姿を消した。その一方で本邦においては、旅客鉄道各社が女性専用車両の本格運用を始めたのは、なんと今世紀になってからである。
上記の一文で元増田が言ったことは「女は嘘つきで詐欺師だから隔離してもいいよね」ということであり、ミソジニストそのままの、言語道断の差別発言である。とても「フェミニストとしても、マスキュリストとしても、そしてLGBT+を応援する立場としても活動していきたい」と宣言する人物が書くこととは思えない、むき出しの差別主義だ。
しつこいかもしれないがあらためて言う。男性の一部に性犯罪者が存在するという事実をもって、すべての男性を性犯罪者として扱うことは差別である。同様に、女性の一部に詐欺師が存在するという事実をもって、すべての女性を詐欺師として扱うのもまた差別である。あなたの論にしたがって男性も女性も平等に犯罪者として扱ったとして、一体誰が幸せになるというのか。
おそらく元増田は、志高く、善意にあふれ、前途の有望な人物なのだと思う。しかしそのような人物ですら、この社会に充満する差別主義の空気を呼吸していると、まったく自覚することなく、狂気のような差別主義者になってしまう。どれだけ注意してもシースーぎるということはない。
東京オリンピック2020は、もはや盛大な失敗プロジェクトとその原因である無責任な機能不全の組織の象徴としてはインパール作戦に勝るとも劣らないものになっているが、小さいレベルでは、ここ80年(あるいはもっと前からかもしれない)のあいだ我が国につねに遍在していたのではないかと思う。
みなさんの身近なところにも、どうしようもなく硬直した組織、責任者の不在(そもそも責任概念の不在)、方向転換できないプロジェクト、現場へのしわ寄せ、その結果としての悲惨なプロダクト、不合理でブルシットな手続きや書式、そういうのがたくさんあるんじゃないでしょうか。
こういうのは「構造」の問題なので単純に特定の個人に責任を押し付けて「はい解決」というわけにいかないのはそうなのだが、とはいえ、そろそろ具体的に個々の人間にきちんと帰責していったほうがいいと思う。「誰のせいにもしない(みんなのせいにする)」のも「誰かのせいだということにする」のも、問題解決にとって無益という点では同じだ。
きちんと誰かに帰責するというのは、スケープゴートを作るということではない。最終的な意思決定者の問題ならその人に。意思決定の構造の問題なら、その構造を変えられる人に。マネジメントの問題なら、マネジメントのあり方を変えられる人に。当の問題にいろんなレベルで対処しえた人々をちゃんと特定し、その人々のふるまいのそれぞれがこの問題の(少なくとも部分的な)原因だということを明確化するということだ。
構造的な問題が帰責されるべき人たちはたいてい善良で無自覚だろうが(例外的に悪い人もいるかもしれない)、だからと言って無罪になるわけではない。複数人で責任が分担されているのであれば、その分担の度合いに応じて帰責されるべきだろう。「会議」で決まったことだから、「上司」に言われたことだから、と言えば責任がなくなるわけではない。会議で提案する権限や上司に進言する権限が多少でもあるのであれば、そのぶんだけ責任がある。
加えて、問題に気づいたときにそれを誰かに帰責する(つまりちゃんと誰かのせいにする)というのもまた、自分が関わっている組織やプロジェクトに対して個々人が持つべき責任だ。「社会を変えるためには投票に行こう」というのはその通りだが、「社会は投票を通じてしか変えられない」という考えは明らかに間違っている。身近な組織をよりよくするために「ちゃんと誰かのせいにする」ということは、投票以上に社会を変える実効的な行動のはずだ。
そういうわけで、以下の意識は社会に関わる全員が持つべきと思う。
これは上流下流を問わず、おそらくあらゆる組織のあらゆるセクションに言える。
今回の東京五輪の惨状に対して個人ができることはもはや何もないかもしれないが、身近にある小さい「東京五輪」を自分でできる範囲でよりよくするという意識が共有されれば、日本の社会は多少ましになるんじゃないでしょうか。