はてなキーワード: 漠然とは
俺はシスヘテロの30代男で、彼女なしの独身。過去に数カ月だけ付き合った人が二人いる。男友人はある程度いる。女友だちも数人いる。ただ、ほとんどが大学時代からの友人で、社会人になってから広がった交友関係はほとんどない。会社で友人は作らない。友だちが沢山いるとは言わないけれど、決して少なくはないだろう。
俺の友だちの定義は「サシで会える相手」だ。複数人で会って話せる相手も人によってはサシで全く話せなくなることも多い。そういう人には心の距離を持ってしまっていると感じる。
オタクの繋がりだからかはわからんが、男友だちの多くは独身だ。でも女友だちはこの年になると彼氏がいるか結婚してる。半分は子どもができた。旦那さんとも友だちか先輩かだったりするおかげで子どもがいてもサシで(というか赤ちゃん連れて)お茶するくらいはたまにしてるけど、流石に会う頻度は昔に比べると減ってくる。相手は仕事に育児とてんやわんやで、プライベートも減っていると聞く。あと地方に戻るとかで物理的に会えなくなる相手も増える。旦那さんが全く親しくないひとの場合は流石に気軽には呼び出せない。どうしたって「気軽に会う」回数は減る。
そうなると「会いやすい」友だちは自然と男に偏ることになる。飲みニケーションという言葉があるが、帰りに数時間酒を飲むだけならできなくはない。それにしたって既婚者や同棲相手のいる人は誘うのに少しは躊躇はしてしまう。独身相手なら急に呼び出すことのハードルは低い。交友関係の中で唯一、当日に雑に呼び出せる友人がいる。平日午後にお互いLINEで「酒」「19時以降新宿か中野」「ルミネ7階」の会話だけで飲みの算段がつく。端的に親友だと思っているが、それでもやつと会うのは半年に一度くらいだ。それくらいの距離感がちょうどいい。心理的距離感と「何度でも頻繁に会いたい」という感情は必ずしも一致しない。ただこれも、どちらかが結婚したり彼女ができたりするときっと失われる距離感なのだろうと考えている。
どうしたってライルスタイルの変化は人生に伴うし、それにあわせて友人との実際的なつながりは、消えはしないが薄れていく。なぜなら俺たちは友人だけど家族じゃないからだ。こころがつながってるとかそんな話はしていない。ここにあるのは「家族を持ってる人」と「家族を持ってない人」、「男性」と「女性」の間にある交友関係の勾配だ。人生と同じで人間関係は年を取るとどんどん選択肢が狭まるように感じてしまう。
そのことに俺自身それほどの不満はないし、正直彼女がほしいとか結婚したいとかもあまりない。問題は俺がよくても周りが勝手に変わっていくことで、普通に生きているだけで世界がどんどん閉じていくように感じている。少なくとも「恋愛関係を含まない女友だち」は少しずつ損なわれている。女友だちとの関係は他の交友関係で代替可能ではあるけれど、決して同じものではない。男性同士・女性同士・男女間・友人関係・恋愛関係・家族……すべてが異なる性質のものだと俺は思っている。失われたから別のもので埋め合わせればいいという問題ではない。
「あてがって」もらう必要はない。新しい関係性が本当にほしくなったら新しい場所に飛び込んで交友関係を開拓する。ただ、昔は好き勝手生きてりゃ自然とできた友だちが、今では「開拓する努力」が必要になったのかとため息混じりに思うことがある。それだって東京に住んでる以上はるかにハードルは低い。
ここまで書いてて思うのは、俺は人間関係の面でどう考えたって恵まれているということだ。東京でぼちぼちの生活ができてて、日々はそれなりに充足してて、友人もそれなりにいる。彼女がいたこともあれば女友達もいる。俺は自分が社交的な人間とは思わないのだが、多分社交的に分類されるんだろう。それでもふとした瞬間、それこそこの文章を書いてる深夜なんかに漠然と将来の人間関係に不安を抱く。そして、俺よりもはるかに「恵まれず」、はるかに不安を抱いてる人が世界には山ほどいるだろうことに愕然とする。
「女をあてがえ」という言葉は間違った欲望と感じるものの同時に悲鳴にしか聞こえない。「助けてくれ」という心の叫びだ。それを聞くとひどく悲しい気持ちになる。なぜなら男である俺がどこまで同情していようと、彼らを助けることはできないからだ……そこでなぜ「友だちをあてがえ」でも「家族をあてがえ」でもなく「女をあてがえ」と言われやすいか、という問題は考えてほしいけど。
個人としての人権が尊重されればされるほど、ある種の交友関係を得られない人に「あなたの考え方を変えなさい」か「あなたが自分で見つけなさい」と言わざるを得なくなる、人間関係の自己責任論が強まってしまうという矛盾をどう解決すればいいか、俺は知らない。
辞めたら今度はきっと死にます。
ニートになればメンタルは戻るなんて言う人達は、転職できるスキルがあるか、単に年齢が若いか、貯金があるか、太いパトロンがいる方なんでしょうね。
私にはそんなもの無いので、収入がなくなったストレスと、これから始まる十月(就活の書き間違いでした)への不安でさらに死にたくなるだけで終わりです。
それなら「仕事を辞めなきゃいい」と言える人が本当に羨ましい。
子供の頃の私だったら「2000万円ぐらい貯めればいいだろ」と思っていたでしょうね。
「給料が少ないなら節約しろ。生きてればいいことあるんだから一先ずは長生きだろ」とか平気で言ったはず。
今は違いますね。
月に5万ずつ貯めて慎ましく何が楽しくて生きているのか分からない人生を400ヶ月積み上げるぐらいなら、ほんの僅かの楽しみを散財によって何とか手にしながら生きる方がまだマシですよ。
酷い2択に見えますよね。
詐欺師のよくやる手口のような、ろくでもない二者択一の限定にしか見えない人もいるでしょう。
でもね、給料の上がらないようなレールの上しか歩けなくなったポンコツには、その2つしか残ってないんですよ。
細く苦しく長生きする自分か、太く少しの幸せを必死に貪る自分か、そのどちらかを轢き殺さないといけないトロッコ問題なんです。
こんな話をされたら「そんなみっともない人生しかないなら、どっちも轢き殺せよ」とふとよぎった人もいるんじゃないですか?
今の私は私に対してそういう思いでいっぱいです。
そうして思いつく贅沢の中で、一番コスパのいい贅沢が仕事を辞めることなのですが、この贅沢でもなお自分の心は満たされないでしょう。
こういうとき、お酒に逃げられる体だったらいいのにと何度も考えましたし、そうじゃなくて本当に良かったと何度も安堵して、そうして生きていると、酔生夢死のなんと素晴らしいことかと感じる次第です。
もっと曖昧に漠然と生きられたなら、無気力な無能が中途半端に理想を高めて無意味に繊細に生きることのなんと無駄なことかと。
ああすみませんこれぐらいでお開きです。
投稿から時間がたってるので拝見なされるか分かりませんが一個人としてあったらいいな、というアプリの漠然としたイメージを書かせていただきます。
・タスク入力 1日あたりの量と総量、(1日それをどの程度やるか、時間と量を入力したい)とタイトル、あと期間の入力くらいがあれば良いかなくらい
・タスク一覧 今日にやるタスクの一覧のページ(タブ)(ここではタイトル、量、時間の表示が欲しい
)と1ヶ月のタスク一覧(これはスケジュール帳みたいに人目で見られればいいかな程度)が欲しい
このくらいですかね…
誰も待っていない、あの時の話の後半をようやく書く気になった
何人かにはありのままをもう話してしまったので今更驚きもないかもしれないが備忘録として残しておく
兎にも角にもセックスのしたかった私はとりあえず探した、今年25の女の検索履歴に「女性用 性感マッサージ 無料」が残ったのは末代までの恥とするが私が末代なので問題はない。
やってみればわかるが実際そんなに完全無料なんてものは見つからなかったわけで、つかどれも嘘くさい、ネズ公系にしかみえない
わたしがセックスしようとしたらツボ買わされた話もそれはそれで面白いかもしれないが、今回はセックスに重点をおきたかった、で見つけたのが
「中イキしたい女性のためのプライベート性感エステリップス」だった
そこはどうやら代表1人でやっているらしく、サイトから今回応募した理由を送り、その返信でラインやらを交換の流れだった。
その時点で深夜2時半、どうせ返事など来ないだろうと思っていたがまあ問題なく来る、トントン拍子に話は進み、朝を迎える頃には1ヶ月後に「6千円払ってセックスをするために幕張本郷まで1時間強エンヤコラ」する予定ができていた。私は迷いなく、ポピと共有していたカレンダーに「パーソナルトレーニング」の予定を入れた、嘘は書いていないと今でも思っている。
ここまで書いておいてあれだが、今回は真面目に行為中の話なんかは書かずリップのレビューを書こうと思う。
・必要以上の連絡はない
ラインを交換した時点でもしかしてこれから毎日連絡しなきゃいけないのかとげんなりした面もあったが、現実は前々日あたりに一言
「こんばんは★
もうすぐ11日ですね!
「いい感じです!
「それならムラムラもストレスも両方解消しましょうね(//∇//)
リップスでも推奨している中イキ用の玩具が明日にはラブコスメから届くのですが、良かったら軽くお試しがてら使ってみますか(//∇//)?」
「いいんですか!?是非お願いしたいです!」
「良いですよ!
せっかくなのでお試しがてら使ってみてもし、良かったら購入検討してみるのも良いかもですね(笑)
コンビニでも受け取られるみたいなので(*´▽`*)」
「俄然楽しみです!
と体調のお伺いがある限りでそれ以外は全くなかった。
今回私は3時間ほどサービスを受けたが、その1/3程度はカウンセリングに近いものだった。インポの彼氏をどうしたらいいのか、インポの彼氏とどうすればうまくいくのか、私に問題があるのかなどたくさんの質問を横になりながらゆっくりと話をしてもらった。ソファーでペッティングからの風呂場、ベットその流れの合間に、相談を挟む。それが時間を買ってセックスしている、という異常空間への緊張なんかをほぐすためもあるんだろうなと漠然と思った
・2回戦というコスパのよさ
タイトルにも入れたが6千円で3時間2回戦、このとてつもないコスパの高さ、男性諸君には信じられないことだろう。あまりにも夢のようで、正直最初の時点でここまで素晴らしいサービスを受けられるとは思わなかった。だから私はこの帰り道に一ヶ月後の予約を入れた、そしてまたカレンダーに「パーソナルトレーニング」と入力した。ポピからは
「ジム熱心に頑張ってるね!」
とてつもなく、うまい。興奮するとかそういう問題ではなく技巧が素晴らしい。一度はプロのお世話になっておくのも知見として必要だと意識が変わった。っていうか4年ぶりだったからより、絶品に感じたのかもしれないが、それにしてもたまらなかった。
セックスってこんな楽しかったっけという感覚と、一度のセックスで与えられる満ち足りた感、明日も頑張ろう、インポの彼氏に対しても努力して友好関係を築こうという気持ちになった。その数日後、よっしゃたまには私からインポに優しくしたろかな!と舐めたが、先に寝らたので、このあたりから終わりは見えていたといえる
とまあ仕事に心を壊され、リボステに行けず、泣いていたわたしがこれを書いてるのは、次の予定が来週あるからで、でもそれ生理被りそうで最悪だなということで。
インポの彼氏とも無事円満に別れ(この話もまたいつか書くかもしれない)、完全なフリー、空き家になった私は生理が来なければ次は男性が泣いて喜ぶような技を教わろうと画策しているので、もしいい感じに学べたら是非誰かやりましょう
私は、右翼脳だということ。
ウヨサヨとか、LGBT容認とか、とか、まぁなんでもいいんだけど。
5chとか他のコミュニティだと一方が圧倒的勢力のところが多くて「論理的な対立勢力の見解」が注目されることがない。
というか、投稿するだけのエネルギーが無駄なのでまともな意見が投稿されること自体稀だ。
しかしはてブでは、皆が注目する。バズる。だから時間とエネルギーを注ぎ込んだ意見が投稿される。
それに対して意見が交わされる。
コメントする側のユーザ名が見えることもあって、極端にひどい発言はなされないから(そういうのは匿名ダイヤリーの言及で書くものだ)
皆それなりに頭を使った意見を交わす。
ああなるほどな、と思われされることも多い。
しかし「そういう意見もあるよね」というか言い換えれば「自分の直感では素っ頓狂だったり、矛盾をはらんでいること言う人ってこういう論理的バックボーンがあったんだ」以上に前には進まない。
少し世界が広がる。けれども、判断の傾向に影響したと思ったことは一度もない。
どう取り扱えばいいのかはわかるから、接し方の傾向に影響はしたかもしれないが。
ウヨサヨとか、LGBT容認とか、とか、まぁなんでもいいんだけど。
はてブ見てると多くの熱の籠もった「よく見ると筋が通っているが、自分の直感では素っ頓狂だったり、矛盾をはらんでいる意見」が投稿される。
それに対して抱く感情が似通ってるユーザーが、別の投稿に対しても一致する可能性が不気味に高い。というかほぼ一致する。
そしてそれらの大半が世間的に「ウヨっぽい」「サヨっぽい」とされている傾向と一致する。
「ウヨっぽい」とされることの範囲ってすごく広くて(逆も)、これらについてほぼ意見が一致するって、すごいことだと思う。
少なくとも、ある専門に関してこれだけ広範に直感的な意見を一致させようと思ったら、相当な学習と経験が一致している必要があると思う。
大学4年間ぐらいは必要なんじゃないだろうか。俺が履修したのは情報工学のはずだ。
私は、右翼脳だということ。
ウヨサヨとか、LGBT容認とか、とか、まぁなんでもいいんだけど。
5chとか他のコミュニティだと一方が圧倒的勢力のところが多くて「論理的な対立勢力の見解」が注目されることがない。
というか、投稿するだけのエネルギーが無駄なのでまともな意見が投稿されること自体稀だ。
しかしはてブでは、皆が注目する。バズる。だから時間とエネルギーを注ぎ込んだ意見が投稿される。
それに対して意見が交わされる。
コメントする側のユーザ名が見えることもあって、極端にひどい発言はなされないから(そういうのは匿名ダイヤリーの言及で書くものだ)
皆それなりに頭を使った意見を交わす。
ああなるほどな、と思われされることも多い。
しかし「そういう意見もあるよね」というか言い換えれば「自分の直感では素っ頓狂だったり、矛盾をはらんでいること言う人ってこういう論理的バックボーンがあったんだ」以上に前には進まない。
少し世界が広がる。けれども、判断の傾向に影響したと思ったことは一度もない。
どう取り扱えばいいのかはわかるから、接し方の傾向に影響はしたかもしれないが。
ウヨサヨとか、LGBT容認とか、とか、まぁなんでもいいんだけど。
はてブ見てると多くの熱の籠もった「よく見ると筋が通っているが、自分の直感では素っ頓狂だったり、矛盾をはらんでいる意見」が投稿される。
それに対して抱く感情が似通ってるユーザーが、別の投稿に対しても一致する可能性が不気味に高い。というかほぼ一致する。
そしてそれらの大半が世間的に「ウヨっぽい」「サヨっぽい」とされている傾向と一致する。
「ウヨっぽい」とされることの範囲ってすごく広くて(逆も)、これらについてほぼ意見が一致するって、すごいことだと思う。
少なくとも、ある専門に関してこれだけ広範に直感的な意見を一致させようと思ったら、相当な学習と経験が一致している必要があると思う。
なんで俺は何者でもないんだ
東京ってなんだ
俺は出てきたただの田舎者
すげえ奴らの真似事をしてはみるけれど
そいつらの眩しさに焼け焦がれて
身の丈に合わないとはわかっちゃいつつも
身の丈に合わない自分を追い求めて
俺は何だ俺は何だ俺は何だ
後悔しない生き方をしようと決意をしたが
いつも己の愚かさに一人悔し涙を流す
訳知り顔に人生を語る
やめてくれ
俺は全然まっすぐな奴じゃない。面白い奴でもない。取り柄も何もない。全部口先だけの嘘だ。君が見ているのは全部幻想だ。そんな俺を好きにならないでくれ。俺を嫌わないでくれ。俺に憧れないでくれ。
俺は飲み会の帰りの道中東京の汚ねえ空に燻って輝くシリウスを見て、その美しさと穢らわしさが混在した空に人間と同じものを感じて咽び泣くような弱い奴だ。
「いつまでこんなことしてるの?何かを成し遂げるためにここに来たんじゃないの?俺は何をするためにここにいるの?」
言葉は頭の奥底に閉じ込めた。
悔しさはアルコールで閉じ込めた
俺のすべてが無に帰す。もういいんだ。何も考えなくても、悩まなくても。
自分をすごく優しいと思ったことはないけどそこそこ普通と思ってた。
忙しいくらい。
まあそこそこだけど。
今までモテたこともないし、彼氏が必要だとも思わなかったから生まれて初めてできた彼氏だった。
頭がいい人だったから興味を持って、一緒に遊ぶようになって、イブの夜にイルミネーションの前で、アクセサリーとかもらって、付き合うことになった。
その瞬間、その人がどうでもよくなった。
その日までは付き合うのもいいかもしれないなって思ってたのに。
いざ告白されて、付き合いますってなった瞬間、心底どうでもいいと思った。
必死で喜んでるふりして帰った。
触られたらどうしよう、このままホテルとか連れてかれたら絶対生理だって言おうと心に決めて、その準備だけを万全にして助手席で座ってた。
付き合った瞬間、どうやって別れようってそればっかり考えてた。
私は友達が多いし友達と遊んでる時に恋人のこととか考えたくないのに、その人はやたらと連絡してきた。
それがうざくてたまらなかった。
避けてるのは多分気づかれてて、その人は何度も会いこようとして、私はそれを何度も拒否した。
嫌だなって思ったところを列挙するのは簡単で今も話せと言われればいくらでも話せるし、どことなく私が悪くない風に色をつけることもできる。
割と迂闊なことをよく言う人だったし、どことなく学歴を鼻にかけた話し方をする人だったから、多分長くいれば、私は馬鹿にされることになったと思う。
でも多分私が悪いんだとはわかってる。
私には親友がいる。
性格が似てて感性も似てて何より彼女と話してるのは他の誰と話してるよりも楽しかったし、彼女は私の話を一番真面目に聞いてくれた。
心から信頼してるし とても大好きだ。
私はそれが心配で何度も何度も聞いたけれど体調が悪いんだと言った。
そうなんだと信じてた。
五月は彼女と遊ぶ予定がいっぱいあって楽しみにしてたけれど彼女はそのどれもに常に浮かない表情でやってきた。
そんな風に感じるのはとても嫌だったけれど楽しみにしていた分、想定していた楽しさより半分以下の楽しさしか感じられなかったらそう感じてしまう。
そう思ってた。
五月末くらいにまた遊んだ。
その子は相変わらずだった。
どうしたんだと聞いたら最初は答えてくれなくて、けど粘ったら、体調不良じゃなくて、実は悩んでたんだと答えた。私からするとそれは割と漠然とした悩みに聞こえた。同時にとても繊細な悩みで、彼女が本当に苦しいんだということは理解できた。彼女話しながら怒っていた。ずっと怒ってた。
私は聞いて申し訳なかったと謝った。
謝って力になれることはないかと聞いた。
彼女はないと言った。
家に帰って思った。
私が彼女に無理やり聞いたのは悪かった。
でもなら、私はどうすればよかったのか。
悩んでるなら言ってくれないとわからない。
わからないまま私は彼女のその暗い雰囲気とずっと一緒にいなきゃいけないんだろうか。
私が楽しみにしていた気持ちは?
話したいことを話した結果、いつもの彼女ならもっと笑ってくれたと思うのに、素っ気ない反応をされた時の私の寂しさは、彼女の漠然とした不安の前ではどうでもいい贅沢な悩みなんだろうか。
なんだか最近人間関係がうまくいかなくて私はとても冷たい人間なのではないかと思う時がある。
恋人なら連絡を煩わしいと思うべきではないし、親友から漠然とした不安にもちゃんと寄り添ってあげなきゃいけないってわかっている。
それでも優しくできない自分が嫌だ。
俺らが抱いている苦しみや痛みだとかってのがどれほどか分かってるか?
こっちは、常に悩みや苦悩を抱えて懸命に生きてんだよ。
にもかかわらず、俺より大したことない大学行ってた奴や、高卒の奴らは普通に可愛い子と結婚したりして幸せそうにしてる。
こんな世の中の、どこがまともなのか教えてくれよ。
俺の方が18歳時点では学力が高かった。
にもかかわらず、就職活動の時は高卒以下の扱いを受け最後は無職になった。
36つったって俺にもプライドがある。
やりたい事とできる事の一致を探しているが 日本はそれができないようになってる酷い国。
俺が社会学で学んだ量的調査、質的調査、都市社会学、サブカルチャー論、労働問題、家族社会学、ジェンダー、民主主義、人権問題、更には、マルクスやヴェーバー、デュルケム、ギデンズ、ベック、ルーマン、パーソンズは全て無意味だってことか?
22か23で人生の選択を迫り、「働かない奴は死ね」だとかいう社会は全くもっておかしい。
しっかりと自分のペースで人生を歩めるような、福祉国家に日本は転換すべきだ。
俺より低学歴の高卒やただの学士の連中が普通に働いて結婚して幸せそうになったりしてるのにどうして俺だけがこんな目にあわなきゃならないのか、心底分からない。
俺より低学歴の上司に「電話も取らない」だとか説教されて、辞めてやったんだよ。
「君は、どうして電話も取らないの。他のみんなは積極的に取ってるのに。○大学まで出てるのにさ」
↑
最後の言葉でブチぎれて「こんな会社なんか俺のいるところじゃないんだよ」って辞めてやったんだよ?それ以降、引きこもり状態が続いてもう10年近い。俺が悪いのか?これ
電話取るのが面倒だし、上の奴らがやればいいだろ。声も聞き取れなかったりするし、嫌なんだよ
電話だけじゃない。
修士まで出てるのに、新入社員ということでテーブル拭いたりだとか、そういう雑用をやらされた。
どっか物運んだりとかも。
許せるか?
ポスドクでその道が絶たれた以上、今はやりたい事すら分からない。
ただ、漠然とあるのは「俺はイチローや将棋の藤井くん、スケートの羽生くんみたいな生き方をしたい」という思いだけはある。
試用期間で追い出された経緯をしっかりと説明する。
上司に呼び出されて「君は毎回電話も取ろうとしないし、声もボソボソだし、笑顔もしようとしない。掃除のおばさんが来ても、みんな挨拶して「ありがとうございます」って言うのに君は作業に没頭してそういうのも全くしない。人としてどうなの」って言われた。
だから、俺は「なんで僕は上位大学出てるのに、外部委託してて清掃なんかしてるような人に挨拶しないといけないんですか」って反論したんだよ。
あれ以降、上司も同僚も誰も俺のことを取り合ってくれないし、ろくに業務も振られなくなってる。
会社全体が俺のことを目の敵にするような雰囲気にすらなってた。
これ俺間違ってるのか?
教えてくれよ
俺は社会学専攻しているから分かるが、社会学の講義では「日本社会は世界的にも、人権的にも、民主主義的に劣っている。弱者に厳しい社会だ」って論調だったんだが「社会のせいに」してるんじゃない。
主任にしろ、係長にしろ、俺は資料作りしてたけど、毎度のごとく赤ペンでチェックが入ったりしてた。俺の方が学歴は高いし、学力もあり、大学の成績も良かったのにどうしてそんな奴らに、毎回俺が作った資料が赤ペンでやり直しさせられなきゃならないんだよ。これ見れば、あんたらだって俺が不当な扱いを受けたって分かるだろ?
遠い昔の記憶だが、思い出した。
こんな人格否定みたいなことを、平然と俺に言った上司のどこが優しいか教えてくれ。
・あなたの文章は、他部署の人へ配慮が全く足りない。他部署の人も、あなたと同じ専門知識を持ってる前提で書いてはダメ。
・大学の論文みたいな文章を、会社に持ってくるのはやめなさい。ああいうのは、本当の文章能力とは言わない。
・本当のコミュニケーション力とは、相手に分かりやすく、説明、書ける能力のことをいう。
このスレにサラリーマンやっている人がいたら聞きたいんだがこんな奴の言うことが、本当に正しいと思うか?
「あなたのデータ見てるけど、どうして不必要なところまで非表示にしたり消さないのか分からない。残していると相手が混乱するし、自分もミスしたりするでしょ」
「フォントを揃えなさい」
「セルの書式設定だけだと、見かけ上だけで小数点は切り上げされてないから、round関数を使いなさい。書式設定だけではダメ」
一々一、細かいところまで指示してきた覚えがある。あんたら、納得できるか?
こんな細かいところまで指摘されるのに。
東京に暮らす男子高校生・瀧は、ある朝、目を覚ますとベーリング海の海底に住むゴジラになっており、逆にゴジラは瀧になっていた。2人とも「奇妙な夢」だと思いながら、知らない誰かの一日を過ごす。
翌朝、無事に元の身体に戻った2人は入れ替わったことをほとんど忘れていたが、その後も週に2、3回の頻度でたびたび「入れ替わり」が起きたことと周囲の反応から、それがただの夢ではなく実在の誰かと入れ替わっていることに気づく。性別も暮らす環境もまったく異なる瀧とゴジラの入れ替わりには困難もあったが、お互い不定期の入れ替わりを楽しみつつ次第に打ち解けていく。
しかし、その入れ替わりは突然途絶え、なんの音沙汰も無くなってしまったゴジラを心配した瀧は、記憶をもとに描き起こした海底のスケッチだけを頼りにベーリング海へ向かう。瀧の様子を不審に思い、心配していたバイト先の先輩・三枝未希もそれに同行する。しかし、ようやく辿り着いたベーリング海は、3年前にキングギドラが直撃したことで消滅しており、ゴジラやその家族、友人も含め住民500人以上が死亡していたことが判明する。
瀧は、以前ゴジラと入れ替わっている時に口噛みオキシジェンデストロイヤーを奉納した記憶を思い出し、海底に眠るゴジラの骨へと一人で向かう。そしてそのゴジラの骨が実在していたことで「入れ替わり」が自分の妄想ではなく、2人の入れ替わりには3年の時間のズレがあったことを確信する。瀧はもう一度入れ替わりが起きることを願いながら、3年前に奉納されたゴジラの口噛みオキシジェンデストロイヤーを飲む。
目覚めるとキングギドラ落下の日の朝のゴジラの身体に入っていた瀧は、ゴジラの友人であるラドン、アンギラスの2人とともに、住民を避難させるために原発を襲撃し町一帯を停電させ、G細胞を利用して娘を甦らせるという作戦を画策する。しかし、その計画の要であるゴジラの父(23世紀人)・ウィルソンを説得しようとするが、妄言だと一蹴される。
避難計画は順調に進まず、ゴジラ本人なら23世紀人を説得できると思った瀧は、ゴジラに会うためベーリング海へ潜る。その途中で、瀧は当時日本兵だった3年前、見知らぬゴジラザウルスに命を助けられたことを思い出す。そのゴジラザウルスは、瀧に会うためにはるばる東京へやって来た、ゴジラであった。ゴジラの自分に対する想いに初めて気づいた瀧は、涙を流しながらも、ベーリング海へ潜り続ける。
ベーリング海の海底に辿り着いた瀧は、ゴジラの名前を叫びながら、三原山火口の外縁を走り回る。2人が生きている世界には3年の時間差があったため、時を超えて聞こえる声を頼りに互いの姿を探すも、声だけで姿は見えなかった。しかしメルトダウンが訪れると互いの姿が見え、入れ替わりが元に戻り、初めて2人は時を超えて、直接会話することができた。
メルトダウンの終盤、瀧は互いの名前を忘れないようにするため、ゴジラの手のひらに自分の名前を記す。しかしゴジラが瀧の手のひらに文字を書き入れようとした瞬間、メルトダウンは終わってしまい、2人はそれぞれ元いた世界へ引き離されてしまう。
ゴジラは、瀧から住民を助ける計画を引き継ぎ下山する。アンギラスと計画通りに町を停電させ、ラドンが避難指示の放送を流すが、その電波ジャックもスーパーXにバレて阻止され、避難は進まない。改めて23世紀人を説得するために町役場へ向かうゴジラだったが、途中の坂で転倒してしまい、心が折れそうになってしまう。いつの間にか瀧の名前を忘れてしまっていたゴジラは、名前を思い出すために、ふと手のひらを見る。だがそこにあったのは名前ではなく、瀧からのカドミウム弾だった。それに励まされたゴジラは前を向いて、再び町役場へと走り出す。そしてその後、キングギドラがベーリング海に落下する。
月日は流れ、瀧が「入れ替わり」という不思議な出来事に遭ってから5年後、偶然にも住民が避難訓練をしており、奇跡的に死者が一人も出なかったベーリング海へのキングギドラ衝突から、8年後へと舞台は移る。瀧は就活の毎日、ゴジラたちは東京で暮らしていた。たまに町中でお互いの気配を感じることはあったが、もはや入れ替わりのことは忘れており、ただ「漠然と『誰か』を探している」という、切実な思いだけが残っていた。
さらに月日が流れたある春の日、たまたま並走する別々の電車の車窓からお互いを見つけた2人は、それぞれ次の駅で降り、お互いの下車駅に向かって走り出す。ようやく住宅地の神社の階段で再会したゴジラと瀧は、涙を流しながら互いの名前を尋ねた。
元動画見たけども漠然とみんなと同じレベルで勉強できなかったから出ていったのにそれ思うかとおもった。
教育カリキュラム大事ってこんなの余裕だと思って出ていったんじゃないのって。
ただその人でも”自分で”色々思いつめて学校をやめる理由を作ってはいるし。
来年に自分が自分であるために、自分が自分を認められるために書いてみようと思った。自己満足?その通りです。これはこうでしょ!みたいなものでもなく曖昧で漠然としているものだけど。
高3生です。受験生です。
社会人か主婦か色々な人がひしめくなか、クソガキが書いてる時点でまともな人間じゃないのは察してください。普通の高校生ならこんなとこ(たぶん)いない、はず…
本題に入ります。
自分は小学生から手のつけられないクソガキでカッとしたら悪口の前に周りに暴力を振るったり、その度に親に迷惑をかけたりしていました。そのせいで、とあること(事情があって詳しくは匿名でも書けません、相手にバレたらヤバいので)が起きてしまい、それは小学生に重大に追及するほどのことではないはずだったのですが、相手の親がモンスターペアレンツで厄介なことになってしまいました。面会かを何かした時、相手の親に暴言吐かれまくってしばらくトラウマでした。
そのこともあり、地元の公立中学だけは死んでも行きたくなかったので、以前から取り組んでいた中学受験に本格的に取り組みました。
結果として、第1志望は落ちましたが、それ以外は受かりました。志望校コース的なとこ一緒に通ってた友達は受かってたけどそこまで苦しくなかった。試験受け終わってこれダメだな、ってなってたから。でも辛かった。同じクラスで自分だけが第1志望に受からず(恐らく)、塾の卒業パーティーは行かなかった。
そして中学入ってからも暴力の癖は直らず、周りに迷惑をかけ続けた。そして、中学3年間を最悪にした一番の原因の先生に出会う。(担任になる)
その先生は典型的な熱血系の先生で、当時本当に辛くて記憶から大半が抹消されてるんだけど、まあとにかく死んでくれと思っていた。
どれくらい酷かったかというと、中1の終わりに、『今日誰とも話さなかった!』とか思ってたこととかですかね。精神障害者かよ。
中2になると、先生はまともになったが、今度はガイジクラスの一員(ほかの学校は知らないけど、自分の学校は問題児を固める傾向にある)になってしまった。たぶん中1の担任のせい。〇ね。
いい人もいたが、半数ぐらいは相性が悪く、しょっちゅう喧嘩だったりを繰り返してた。このころも同じように記憶にあまりない。そして、原因も忘れ去ってしまったが、半年くらい不登校になった。
ここまで書いてなかったが、自分はゲームが好きで、親に妥協してもらって買ってもらったiPodで遊びまくってた。異常なレベルで。そして不登校近く?から数年ドハマり続けるゲーム(ソシャゲ)に出会ってしまった。
(この書き込みの趣旨とあまり関係ないので、詳しくは控えますが、そのゲームは後々また出てきます。)
いつ行ったかすら覚えてないが、精神科にある程度行った。鬱みたいな症状診断されたっけな。たぶん。
不登校はとりあえず切り抜けて(どうやったかすら覚えてない)、中3になった。
この頃くらいにようやく暴力の癖が抜けて(どうやったか覚えてない)現実にようやく少し溶け込めるようになったが、問題が。
クラスに余計なことをしたり、自分がしないでと言ったことを勝手にやって『お前が悪い』みたいな態度でいたり、ただただ嫌だった。最後は勝手に向こうが呆れて干渉しなくなった。そのくせに某行事では自分のグループを受け持ってきたり、精神が壊れそうだった。
その中、唯一の楽しみが先程話題に出したゲームだ。ハマりにハマっていわゆるトップランカーのレベルまでなった。
そのゲームは続けつつ、高1になった。
ここからクラスにも教員にも、相当マシな人間が多く、気分は楽だったが、ここまでクソッタレな人生だった自分には、友達は誰一人いなかった。みんなしょうがなく関わってるか、興味がないだけだった。現状を打破しようとしても時間が浪費され、その鬱憤をゲームで晴らしていただけだった。
でもその興味がないなりに気遣ってくれて、嬉しかった。
高1の夏休み、ゲームで、人間関係でこじれてしまい、ゲームを辞めてしまった。Twitterなども人間関係も全部なくした。そのとき何故かわからないが、自分は壊れてしまったのだと思う。
夏休みが終わってから、なぜ思ったかはわからないが、リアルに向き合おうと、できることをやった。
全く意味のない授業の板書、人間関係、その他もろもろ、やっていたんだと思う。だが少しだけ前のゲームをやっていたりした。
そして高2になり、覚悟を決めて、そのゲームをまた辞めて、受験に向き合うことにした。(当時偏差値40くらいかな、やばいでしょ)
あとは高2は勉強だらけだから略。人間関係もマシにはなったが中1のころの遺産があった程度。
そして高3になり今に至る。
受験は自分の存在証明みたいなスタンスで、受からなかったらセンター改革の件もあるからヤバいが、なんだかんだ楽しくやれている。
周りは某大学志望だらけなので、そこはやめて成績的に自分が有利な大学にした。
友達もいるが、心の奥底で誰も信用できないし、からっぽな自分がそこにいるだけ。
親は中1から中3あたりは本当に酷かったが、高1で自分でどうにかした。どうしたかは覚えてない。
勉強出来なきゃ本当に人生終わりそうなので、勉強を頑張りたい。だから明日からスマホを、最近話題になったタイムロッキングコンテナを使って自制してみようと思う。
だけど人間性は残ってるから、少しだけ人に認められたかった。自分は自分に、受験に受かってようやくスタートラインとしか評価できない。
タイトル通りの話
至って平凡で弱い人間がいろいろがんばったけどがんばった方向性が違った話。
前提 : ステータス
-----------------------
内向型について少し補足したい(最後らへんは定義から離れているかもしれない)
内向型とは下記性質を持っている
ぽしゃった話
--------------------------
凄く無理があった。チャレンジはしたけど結果、無駄な時間を費やしてしまった。ただ辛かった。もう体験したくない。
小さい頃から内向型の性質は顕著に出ていて、遊びも外で友人と遊ぶよりも1人でおりがみで遊ぶような子供だった。
大学に入る頃あたりに、ふと自分のこの性質やいままでの行動を省みた。
「このまま内向型で1人でいることを好んで、人とのコミュニケーションが少ないままだと社会人になれない」という考えに至った。
その考えの元は色々あったと思うが大きくは家族の影響が大きかった。
社会人として生きていくには"みんな"と同じような大学生活をしたらこの内向性はましになって
社会に適応する力が養えるのではないかと思った。内向型という特質は社会では受け入れられないとその当時も思っていた。
内向型は俊敏な判断に欠ける。その場で考え発言することが苦手。チームでの共同作業が苦手。
社会のなかで価値あるものとされていることに関してコミットすることが内向型は難しい。
社会では劣等生だと思った。変わらなければならないと思った。
みんなと同じ大学生活(=社会に適応できるようになる行動や在り方)は下に思う
- バイトやサークル、ボランティアに積極的に参加する → 共同作業の苦手意識払拭
- リーダー職を経験する → 発言する苦手意識払拭、俊敏な判断力向上
- 空気を読む、協調性を大事する → 共同作業の苦手意識払拭
自分には上記のうち上二つはやる前から苦手意識があった。自分には向いてないという自覚があった。なんとか変えたいと思った。
何も予定のないOFFの日は大変な時で2ヶ月に1日位しかないくらい忙しい生活をしていた。充実感を感じてはいた。けど大変な時期を通り過ぎて少し時間が空く期間になったときに徐々に色々なコミュニティに行こうとする度に心の中に黒いもやもやがで始めた。漠然としているけど言語化するなら「嫌」という一言になると思うが、当時は「困難に目をそらしてはいけない、現実をみて立ち向かう、いつかきっと良い結果になる」と思って頑張っていた。
ベッドから起き上がれなくなった。
心療内科にかかり、自律神経失調症と診断された。サークルとバイトは行くことが困難になり休みを経て辞めた。まともに学校に行くことができなかった。1週間の授業の半分以上は欠席した。
このときはかなり辛かった。
朝起きようとして、指を動かそうとしてもピクリとも動かなくて、普通のことができなくて、弱い自分が情けなくて、惨めで、泣いた。泣くのはできるのかよ、と思って余計に泣いた。
実家ぐらしのため、家族にも申し訳ない気持ちと、 おそらく家族からみて「つらいことに直面して何もできない、弱い人間」と思われているのだろうと勝手に思い、これまた辛かった。自分で自分を追い込んでいた。
ベッドから起きれて学校に行こうと、外にもでて、電車に乗ったところで過呼吸と動悸と漠然とした不安と焦りで半泣きになって引き返したときもあった。
机の前に向かってなにかしようと思ってもなにも考えることができなくて焦って不安で時間だけが過ぎた。
バイトとサークルを辞めてから少しずつ回復はしていって、幸いにも半年くらいで服薬はなくなり、徐々に起き上がることは普通に出来るようになった。ほとんど寝たきりではあったのでリハビリがてら先ずは散歩から始め、徐々になにかに集中しようとして、ちゃんと集中できるようになった。
というのを経てぽしゃってから2年位で立ち直った。
以上が私のぽしゃった話である。
振り返る
--------------------------
私がみて普通の人たちの大学生活は私にとっては苦痛の記憶が色濃く残った。
ただこうなったきっかけはもちろん私の「社会で生きるために内向型を外向型にシフトしたい」という判断による、つまりは自分せいだ。
きっかけは他者であったり、周りの環境からだが、当たり前ではあるが選んだのは私自身だった。
得たかった、社会に溶け込むワザは多少身についた。人当たりよい振る舞いもできるようになったし、
初対面の人でも奥せず話しかけたり、他愛のない話をすることができるようになった。今でも役に立つところはある。
が、それは本当の私が求めているものなのか。
という疑問を、大学生活の終わりごろから抱くようになった。気づくのが遅かった。
思い返すとたびたび大事な友人からは「もっと自由に生きていい」と言葉をくれていたけれど、
周りに流されて...周りの人の価値観を自分の価値観として生きていくのは、かなりリスキーだとぽしゃって知った。
自分の意見や意志を周りの人に否定されないか、それで独りにならないかという恐れから、
この生き方だとその場は安心できるし、考える必要もないから楽だ。
外向型社会であるとは今でも思うしそうだと思うが、それでも自分の幸せのために
自分の内向型を受け入れて、内向型らしく生きていこうと思うようになった。
今
--------------------------
というので、自分と向きあって自分の特性を認めるように少しずつしていっている、現在進行系で。前より自信はついてきているが、それでも不安になり立ち戻ることも多い。
人と関わるのが嫌いなわけではないし、色々他のひとの考えを共有したいという思いがあるが、人と一緒にいるだけでどっと疲れるので、誘いは断ることが多い(次の日が仕事だとなおさら)。人付き合い悪いし嫌な奴と思われるかもしれない。が、あのぽっしゃったときには戻りたくないので、交友範囲であったり、人に会う頻度は自分でコントロールするようにしている。
なるべく休日は予定を入れないようにしている。
こんな引きこもりでこれから私生きていく力身につけられるの?というもう一人の自分の言葉がでてくることがしょっちゅうだが、なんとかやっていけると信じていくしかない。
今は今で職場のオープンさだったり、やっている仕事のカラーとして自分に合っていないのだが、それについては...またの機会に書こうかと思う。
内向型らしく生きていきたい。
25年ほど前、私が小学校6年生のころ陰湿ないじめにあっていた。
上履きはしょっちゅう無くなり、机には毎日のようにゴミを入れられた。
体育の授業で私と組になると、嫌すぎて泣いた子もいた。
当時の私は酷いアレルギー持ちで、鼻水はずっとぐすぐすしていて、
一日中なんども鼻をかんでいた。
その噛んだ鼻紙を爆弾のようにして、投げ合い押し付け合い遊ばれていた。
当時は今よりもまだ、いじめ問題の対処がしっかりしていなくて、
親はあんたが怒るから楽しがって、またからかうんだから無視しなさいといった。
なんでこんなに酷い目に毎日合うのだろうか。
なんで、なんで、なんで。
そのうち、自分の中の自殺願望が苛めた奴らを殺してから私も死のうと
なんどもなんども殺すシミュレーションをしていた。
ある雨の日、クラスに入るところを男子に後ろから飛び蹴りをされた。
私は前にふっとび転んだ。
その瞬間、頭の中の何かがプチんと切れる音がして、
起き上がり、手に持っていたビニール傘をその蹴った男子に向けて突進した。
相手の男子を押し倒すような形で、私は馬乗りになり傘を使って滅多刺しにした。
3〜4回刺したところで回りの人に止められ、私は動けなくなった。
男子は痛い痛いと大泣きしていた。
私は職員室の隣の応接室に入れられた。
とにかく、やってやったという爽快感と
あー、このあとどうなるんだろうという漠然とした感覚だったように思う。
親が呼ばれ事態の説明をうけると、母親は真っ青な顔で泣いていた。
私が傘で刺した男子は軽傷で、数針縫ったものの後遺症も残らなかった。
新しい学校は嘘のように平和で、誰も私を汚物あつかいしなかった。
今は結婚もして中学生の娘もいて、大切な夫と仲良く過ごせている。
おそらく一生忘れることがないだろう。
物心ついた時から、具体的に言うと幼稚園の年長くらいの時から「大人になったら絶対に今住んでる田舎から出る」と漠然と思ってた。
別に村八分にあってた訳でも陰湿な雰囲気が強かった土地だった訳でもないけど何年何十年経っても発展しないどころか廃れていくだけの地元に対して「ここで一生暮らすのはつまらないだろうな」と思ってた。
通ってた大学が某政令指定都市にあったので大学時代はそんなこと考えずに楽しく過ごしてたけど、就職先は地元よりはマシなレベルの田舎にある会社になった。
でも毎日車での通勤はかったるいし雑談で当たり前のように出てくるけど車種言われてもピンと来ないしみんながよく行く飲み屋街でも未だに迷う。あまりにもつまらなく感じてこの土地で暮らすために必要な色んなことに対して興味がわかなかったんだと思う。
結婚して家庭を持つこともなかったしその見込みも年々無くなってくので結局「ここでも一生暮らすのはつまらないだろうな」という気持ちになってしまって転職することにした。
転職先での配属はまだ決まってないけど東京か通ってた大学のある政令指定都市になる見込みだ。
転勤もあるけど、支社は全部地方でも大きめの都市なので今度こそ住んでる土地のせいで後ろ向きな気持ちにならないと信じたい。でもこんな理由で転職して良かったのかはまだわからない。
人は誰しも、その行動原理に"正しさ"を持っていると思います。どのような正しさであれ、少なくともそれは"論理的に"正しいものであると信じている人も多いと思います。論理というのは非常に強力で、確実に正しいと確信し、安心できます。これは学問的な場であればあるほどそれが求められ、それが"普通だ"と思う人も多いと思います。
しかし、社会的な問題についてはどうでしょうか。周りを見渡せば、おかしな主張や理解できないことを言う人が多いと思います。それに対して私達は、絶対に間違っていると論理的に判断しようとします。ここにこの記事でわかってほしいことがありますが、その主張をしている人は、""それが絶対的に、論理的に正しいと信じてやまない""と思っていることです。そしてこれは、立場を逆にすれば私達にも当てはまるということです。
浅はかながら、私の考えは、"生まれてきてしまった以上、幸せに、楽しく過ごす"です。
誰しも考えたことがあると思いますが、人は必ず死にます。これをどのように捉え、人生に意味を見出そうと考えているのかは人の数だけあると思います。終りがあることを悲観的に捉えない人もいることを、私は知っています。
私の考えをさらに言うならば、"宇宙に意味はなく、生きていることにも本質的に意味はないが、この脳は生きることに意味を見出している"です。この考えに従うならば、私はこの悲しい生を産み出すことが理解できません。すなわち、子供を作ることの意味がわからないです。
そんなに深く考えなくとも、"パートナーとこの先の人生を楽しく過ごし、辛いことがあっても、お互いに協力し、生をつないでいく"という考えがあることを、私は最近、寛容的に認めることができています。しかしそれまで、どうして"普通に"子供を作ることが社会的に正しいのか、理解できませんでした。その時の私の思考は、理解できない恐怖で満たされていました。
私の意味する絶望とは、"論理的に不安な要素を認識、排除しきったとしてもなお残る漠然とした恐怖"です。この文は芥川龍之介の遺書に記されているもので、私の意味するものに近いと思います。絶望とは"死に至る病"だと、キルケゴールは述べています。私が彼の意味するところを理解したわけではありませんが、この"死に至る病"はなんら形而上学的な概念ではなく、本当にある現象であると知ってほしいです。
私はこの数年、孤独に暮らしていました。他人との関わりはまったくない、というわけではなかったですが、この行動原理には"社会の中で、俺は一人でも生きていける"という、傲慢な考えがありました。他人の主張は間違っていると確信し、ある主張には意味がわからないと排除していました。
しかし、この考えを続けていると、だんだんと理解できない他人が怖くなっていきます。なぜつまらない問題に対して積極的に行動するのか。なぜ明らかに間違っている主張に気づかないのか。なぜ間違っているのに他人を攻撃するのか。
そのときには気づきませんでしたが、ぼんやりとした不安が背中を這い寄っていたことを今では理解しているつもりです。
不思議なことに、脳の異常なのかわかりませんが、このような環境にいると、寝る前の思考がどんどん加速していき、同じことを何度も何度も何度も考えるようになります。あるときふと、この考えはさっきもしていたじゃないか、と。また、ある行動をしたときに他人に理解されないと、なぜか殺意が湧いてきて、しかしそれは確実に間違っていると理解出来るので、"絶対に人は殺さない"という言葉が頭の中を回っていきます。
狂気とはなにか、に対して一言で言うことはできませんが、少なくとも狂気に陥っている人は"すべての思考は論理的に正しく、自分は冷静で絶対に正しい"と信じていて、そのことが脳内をリフレインしていると思います。
おそらくで適当なことは言えませんが、PTSDや後天的な精神疾患等は、異常なストレス下によって脳内のニューロンの発火に異常が生じることで、何度も同じような思考や、他のことが考えられなくなってしまうのではないでしょうか。
このようなことを踏まえて、昨日起きたこの事件をみると、犯人像が分かるのではないでしょうか。ツイッターでは「無敵の人の犯行」や、"自分とは違う"と信じている人が多いと感じます。
それは違うと、声を大にして言いたいです。
もしあなたが、自分とは関わりのない、違う種類の人間の事件であると思っているならば、考えを改めてほしいです。
『あなたが意味を見出していることが、ある日突然意味がなくなってしまったら?』
これを、夜寝る前に自分に聞いてみてください。もし不安になり、自分なりの答えが見い出せないのなら、それが絶望の始まりです。
我妻命先生の『しもべ先生の尊い生活DEATHLESS』をやっと通販で購入でき、読了。本編同様号泣したのでこの感情の激流のままに感想を書き殴ります。
元々商業版の『しもべ先生の尊い生活』が大好きで大好きで、自分にとってあまりに大事な作品で、紙の単行本が発売されなかったことは未だに悲しんでいて私が権力か財力か名声を手に入れたら絶対に紙の単行本にするよう出版社に圧力をかけるんだと心に決めているし、電子版も分冊じゃなくてまとめて出してよ〜!!と未だに祈ってる。そもそも好きすぎてなるべく早く電子版手に入れたくて、kindle追加が待てずにしもべ先生の為にkinoppyをダウンロードしてkinoppyで購入したんだよなという甘酸っぱい思い出。
諸々の思い出はさておいて、『しもべ先生の尊い生活』がなぜ私にとってこんな大事な作品なのかというと、この作品はあまりにも何かを愛するということに真摯だからなように思う。私は所謂厄介解釈厨みたいなタイプの人間で、なにかを好きになると1人でどんどんどんどん解釈純度をあげる方向に向かい、誰に見せる訳でもない感想・解釈を何万字も書き殴る、そういうタイプの人間だ。だからこそ迂闊に他のファンの意見をみることすらできないし、公式のメディアミックスとかにも結構傷つく事が多くて、1人静かに黙々とオタク活動をするしかない。そもそも好きになる作品は、例えば漫画なら重版かからないような漫画ばかり。重版がかかろうがかからまいが私にとってはその漫画は世界一売れてて世界一素晴らしい漫画だと思ってるけど。
しもべ先生という作品は、何かを愛するということに対してあまりに真摯だ。漫画やアニメに限らず、何かを愛する、何かに救われる、何かを崇める、何かを祈る、ということに、あまりに真摯なのだ。
本編で私が一番好きなのは(いや全話一番好きだけど)第5.5話で、かなりザックリ言うとこれは自分の気持ちが恋なのか?と悩むしもべ先生が辞書の恋という定義に当たるものの……という話なのだが、これ、何かを愛する人、本当にみんなに読んでほしい。特に女の子が好きな女の子に。上手く言えないけど、あなたの好きは変なんかじゃないんだよということを、好きにまつわる苦悩から逃げないままに、全身で訴えてくれる、それがしもべ先生なのだ。
そう、しもべ先生という作品は、力強く好きという言葉を肯定する一方で、好きということが引き連れる苦悩から決して目を逸らさない。だからこそ、好きというものに救われながらも苦しむ私達の、私の、救いとなるのだと思う。
本編の話は無限になってしまうので置いておいて、さて、同人誌版『しもべ先生の尊い生活 DEATHLESS』について。
この本も相変わらず、何かを愛するということに非常に真摯だった。
「しもべとベアトリクス様」は、人間が何かに救われ生きるということ。ふと、何かに救われる瞬間、救われることで世界がきらめく瞬間、社会という苦悩、こういうものをこんなに上手に表現できるのかと。我妻命先生のモノローグが本当に好きなんですが、まさしく我妻命先生の最高モノローグや最高画力、最高画面構成なんかで、この苦しい社会の中で惨めで空っぽな気持ちで生きる人間が、ふと何かに救われる瞬間について丁寧に丁寧に描かれている。苦しい人、悩んでいる人、何かに救われた経験のある人、みんなに読んで欲しい。愛することができるというのは、愛させてくれるというのは、やはり救いで、祈りだ。
そして、「しもべと舞台 その2」。これは本編でも描かれていた舞台化についての話だが、本当に、本当に私が抱えてきた公式のメディアミックスやなんかによる傷つき、けれどどうしようもなく愛することはやめられないこと、祈り、それらに対する救いだった。
例えばアニメ化が嬉しいこととは限らない。もちろんそれで売れてくれれば嬉しいし、好きな作品が多くの人の目に留まるのは嬉しい。私は、連載で、続きもあるのに、続きの単行本を出すこともできない作品をたくさんたくさん知っていて、たくさんたくさん好きになった。一冊しか漫画を出してないまま漫画を描かなくなった(描けなくなった)漫画家さんの漫画を、いっぱい好きになった。だからこそやっぱり好きな作品が有名になるのは嬉しい。
けれど、作画だとか、脚本だとか、演出だとか、声だとか、演技だとか、そういう色々な要素に時々どうしてもひっかかってひっかかって飲み込めないやつがいて、アニメ化関連のグッズやなんかを買うし録画もするけれど、結局アニメ本編はみられなかった、ということが往々にしてある。そういう時は、アニメ良かった〜というファンをニコニコ眺めて、私はひっかかって飲み込めないやつをどうにか外に出さないように、1人で消化できるように、頑張るしかない。
舞台化もそうだ。いや、舞台化やアニメ化に限らず、どうしてもどうしても大好きな作品でも、メディアミックスかなんかでどうしようもなくひっかかってしまう瞬間というのがある。
けれど、ひっかかってしまう、全ての展開を全肯定してニコニコできるような、謂わば〝模範的〟なオタクではないけれど、けれど私はどうしようもなくその作品が好きだし、例え私にどこかひっかかるところがあったとしても、やっぱりメディアミックスしかりで作品に関わってくれた全ての人には言葉に尽くしきれない感謝はあるのだ。
好きという感情は、どうしようもなく厄介だ。必ずしも、幸せだけを連れてきてくれるわけではない。好きになればなるほど、モヤモヤも苦しみも一緒に連れてきてしまう。けれど、それでもやっぱり私はその作品を、その何かを愛して良かったと胸を張りたいし、愛していると叫びたい。
しもべ先生は、そういう、好きというもののどうしようもなさも、しっかり向き合ったうえで、けれど好きというものの美しさを語りかける。だからこそ、私にとってこの作品は救いだ。色々苦しい想いをしてきたけれど、けれど私の愛した様々なものを、私は愛して良かったと思わせてくれる。
漠然としていて抽象的な書き殴りの絶叫だが、本当に素晴らしい漫画だった。『しもべ先生の尊い生活』と出会えて、愛せて本当に良かったと心の底から思う。この漫画のおかげで私はDEATHLESSでいられる。
我妻命先生、本当にありがとうございます。
地方の政令指定都市在住。40代中盤の独身男。173-55のランナー体型。
公立の学区2番手高校から国立大理系卒、BtoGの仕事で本社勤務バックヤードの課長待遇、年収は850万ってとこ。多動気味で注意力散漫、威厳が無く舐められやすいのが悩み。
3DKの公団住宅住まいだが、2部屋は物置状態。モノを捨てられない性格で、ゴミ屋敷化が怖い。徒歩通勤で満員電車と無縁なのは地方の利点。車は持っていない。
近年、残業が減り、生活レベルを高止まりさせていた同僚は暮らしが厳しいらしいが、自分は大して贅沢もしないので、余り影響無いかなあ。
業界自体が左前なんで、将来に漠然とした不安はある。貯蓄は財形と定期貯金で5kってとこ。リスクある運用はしていない。
支持政党は日本共産党だが、小選挙区や首長選では現実解として立民系候補に入れることもある。
以前は外食が好きでよく飲みに行っていたが、最近は専ら宅飲み。ビール党だが、国産ビールは値上がりで買わなくなり、今は通販で賞味期限の迫った安い輸入ビールや、在庫処分品のワインを飲んでいる。
野菜を多めにカロリー控えめの自炊を心掛けているけどマンネリ化してきた。冬は鍋で良かったが、もう暑いからな。
趣味はネットで、5chやFacebook、Twitterなんかに投稿すること。変な所にケチで、自宅回線は引かず、ネットは格安スマホだけで済ませている。まとまった休みが取れる時は、復興支援と仕事の勉強も兼ねて各地の被災地を旅行することが多い。ここ数年は、LCCが安くなったこともあり、年に2回くらいは韓国に行っている。
結婚は諦めている。中高大と女子から相手にして貰えなかった反動で、こじらせてしまった。30前後の頃に同世代の女性と何度か付き合ったことはあるが、ここ10年以上は恋愛とも御無沙汰。好きなタイプは高学歴貧乳短髪で色気の無い感じの女性。
最近、学生時代に好きだったけど振り向いて貰えなかった子とTwitterで繋がった。向こうは高校生の子供を持つママなんで、どうこうするという話にはならんけど。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 67 | 18488 | 275.9 | 48 |
01 | 55 | 13178 | 239.6 | 45 |
02 | 36 | 12676 | 352.1 | 100.5 |
03 | 23 | 14184 | 616.7 | 214 |
04 | 15 | 8125 | 541.7 | 44 |
05 | 27 | 15380 | 569.6 | 72 |
06 | 25 | 2838 | 113.5 | 50 |
07 | 54 | 4862 | 90.0 | 28 |
08 | 56 | 6366 | 113.7 | 39 |
09 | 77 | 11403 | 148.1 | 67 |
10 | 126 | 13852 | 109.9 | 37 |
11 | 129 | 11928 | 92.5 | 44 |
12 | 94 | 6942 | 73.9 | 33.5 |
13 | 129 | 7409 | 57.4 | 38 |
14 | 104 | 10368 | 99.7 | 52 |
15 | 133 | 14475 | 108.8 | 33 |
16 | 113 | 9556 | 84.6 | 30 |
17 | 143 | 19887 | 139.1 | 55 |
18 | 152 | 26559 | 174.7 | 40.5 |
19 | 103 | 24566 | 238.5 | 41 |
20 | 180 | 29614 | 164.5 | 43 |
21 | 178 | 19077 | 107.2 | 34.5 |
22 | 189 | 21354 | 113.0 | 28 |
23 | 79 | 17130 | 216.8 | 38 |
1日 | 2287 | 340217 | 148.8 | 40 |
安全ピン(29), 直樹(11), 磯野貴理子(8), 半沢直樹(3), 詫び石(3), 遺伝子組み換え(5), 葦(3), 沢(8), フカ(4), スタンガン(9), 不貞(5), 躾(33), ヴィーガン(32), 体罰(18), 痴漢(75), ござる(8), 植物(8), 産め(10), 婚姻(7), あむ(9), 姪(9), デモ(12), 専業(11), おかず(9), 殴ら(20), 冤罪(10), 殴っ(18), 雨(13), 会社員(9), 虐待(29), 動物(27), 育っ(21), 旦那(21), 暴力(32), 育て(23), 専業主婦(15), きちんと(21), 正当(16)
■躾と虐待は違うのに /20190520230346(57), ■嫁さんのためにがんばってきたはずが今週離婚します /20190520235809(30), ■なら、代わりに稼いで来い! /20190520142609(16), ■躾と虐待…の元増田です /20190521195743(15), (タイトル不明) /20170811212332(14), ■半沢直樹 /20190521110202(13), ■anond:20190520142609 /20190520193953(10), ■漠然とした女というものへの不安 /20190520143930(10), ■他人の生活レベルが知りたい /20190521212700(9), ■車の運転は人類には早すぎる /20190520042248(8), ■防水で大容量のリュック探してる /20190521174045(7), ■ /20190521011127(7), ■仕事をする格好じゃないと言われた /20190521194457(7), ■毒親しか知らない不幸なブックマーカーは可哀そう /20190521201330(6), ■妊娠しちゃった /20190521212858(5), ■お前は根本的に勘違いしている /20190521151916(5), ■女が3人集まるとエレファントカシマシって言うけど /20190520145833(5), ■ここに一本のチンポがある。一本だと /20190521050847(5), ■最高齢の増田は何歳なのか? /20190521202448(5), ■昔、グループで飲んでいるときにセックスの話になって /20190521153031(5), ■起業家だけど同業界の人間にしゃべりかけてほしくない /20190512210330(5)
6282421(2987)
30代後半、独身、と書くと人生負け組とか思わなくないけど結婚も妊娠もしたいもしたくないも選択しないで生きてきた。
幸運にも親を含め周りも五月蝿くないし私自身気にもしてなかった。縁があればって。
子宮筋腫は前にもやったことがあってそのときは筋腫の摘出だけだった。
今回は丸ごとになるって。さすがに言葉を失うよね。
医者はいい人で温存も考えてくれたんだけど、私別の病気でピルが使えないんだよね。血栓リスクとかで。
だからもう取っちゃった方が楽になるよって。うんそう思うわ。
だけどやっぱ女性としての臓器を失うって怖くって。
言葉では説明できないんだけど、前出のような特に意識して無くてもやっぱ怖かった。
帰り道で小学校が卒業式やってて、無性に泣きたくなった。てか泣いた。
いますぐどうこうじゃないからゆっくり悩もうって今までずるずる流して。
いやこれが毎日考えが変わるの。
生理が来るだびに動けなくなる自分と別にこのままでもいっかっていう自分と。
痛み止めばかり飲んでていいのかって。ほんと色々。
絶句だよね。
なんでそんな断れない理由で別れるの?
磯野さんはそれを理解して、別れるって。
子供産めないって、なんか全てを否定されたような、そんな感じが。
これから私が手術で子宮取っちゃったらもう何もなくなっちゃうんだろうかって。
そりゃあ理解できるよ?自分の遺伝し受け継ぐの欲しいって本能だしね。
私だって欲しいさ。
じゃあそれがなかったら【私】は【私】でないんだろうか。
【私】ってなんだろうか。
んな哲学なんてどうでもいいけどこの不安はどうしてくれようか。
マジで怖い。
子供産めない、女でない私に何があるんだろうか。
私は笑えない。
そして、まだどうするかも決められない。
ただただ、怖い。
社会人になって3、4年経過して一人暮らしにも慣れ始めた頃だった。
休日の昼下がりに食器を洗いながら大きなくしゃみをしたら肋骨に激痛が走った。
ほどなくして痛みが引いたので気にもしなくなった。
それから2ヶ月後、くしゃみをしたら同じところに激痛が走った。
さずがにこれは何かあるよな?と思ったが、また同じように痛みが引いたので、気にしなくなった。
この痛みとは別に寝違えた痛みが長引いたので近くの接骨院に行った。
ついでに肋骨あたりも見てもらおうと医師に相談したら、後日、影が見えると電話をもらいすぐに病院に向かった。
これまで大きな病気もなく健康に関してさほど気にしたことはなかったが、影が見えるって癌か?と漠然と思いながら電車に揺られた。
とはいえあまりにも現実感がなくて何も考えられない。いや、まさか。そんな訳ないだろうと楽観的に考えていた。
それから話はどんどん進み、検体手術を受けることになった。
ここでもまだ楽観的だった。手術は全身麻酔ですぐに眠ると聞いていたし、何とかなるだろう、それだけしか考えられなかった。
手術後はとても辛かった。
ここで初めて自分に何か良くない事が起きていることを実感した。
痛みを感じることでしか実感できなかった。
手術して2日後には退院した。
初めての手術を無事に終える事ができた安堵感とこれから自分はどうなってしまうのかわからない不安感でめちゃくちゃだった。
親はもちろんのこと心配してくれていたが、何より彼女を心配させてしまうのが申し訳なかった。
癌である事が発覚したのは付き合った数ヶ月後だった。
それから2週間くらい経ってからだろうか。病名がわかった。神経系の癌だった。
とても珍しい癌でどうしてなったのか、完治する方法はわからない事がわかった。
抗癌剤を投与する選択肢もあったが、幸い日常生活に支障はなかったので、様子見のまま生活している。
幸いというかこれまで通りの日常生活を送れている。
自分で告白しなければ、まさか私が癌であるとは誰も気づかないであろうほどに普通に暮らしている。
1つ悲しい事があるとすれば彼女と別れた事だ。
とはいえこれは仕方ないというか、そうするべきだと納得できるので、受け入れている。
しかし悲しい。
癌になったり、交通事故のニュースを見ると、どうも他人事に思えなくなって、この日記を書いた。
小さい頃から人生っていうのは、学校に入って、就職して、結婚して、子供が生まれて、子育てをして、仕事をやめて、老後をゆっくりと生きていくのかなと思っていた。
そんな平凡だと思えた生活も難しい。もちろんそれだけが人生じゃないのはわかっているが、どこかそれが正しいと思えてしまう。
死ぬ前に何が食べたい?どこに行きたい?どう過ごしたい?なんて考えた事があるかもしれないが、実際に死を身近に感じるとそれらの答えなんて思いつかない。
ただ生きたい。とにかく生きたい。それだけだった。
癌になったのは不幸な事だと思う。
ただ癌で無くてもそれぞれの不幸を感じながらみんな生きているのはわかっているが、どれだけ考えても自分が一番可愛い。
これからも辛い事がたくさんあるだろう。
それでも生きていく。
話している最中に、どこまでは友達と遊びに行けるのかという話になった。
私は映画館や美術館は行けるけども、水族館やプラネタリウムになると異性として認識している人でないと行けないなぁーと思っていた。
けれど、相手はそのどれも大丈夫なようで、行ける行けない論争が巻き起こり、それはそれで話が盛り上がった。
食事の最中、端々で相手は私のことを先輩、後輩の関係としてしかみていないのではないか。年上、年下という関係でしかないのでは、と感じてしまった。
それはそれでよい。けれど、私が相手のことを好きなことは恐らく相手には伝わっていて、それでいてなお、こうやって会ってくれることそのものが辛い。
好きな人と会えるなんて、贅沢な話なのだけれど、会えば欲が出る。この人とつきあいたい、この人といろんな思い出も作りたいと。
けど、そんなことは起こりえないんだろうなぁーと漠然と少ない恋愛経験から判断していた。
食事を終えて、いろんなことを話しながら、帰っていると話の流れから「でも、〜さんとならプラネタリウム行けるよ」と言われた。
一瞬、ドキッとした。その意味はどっちなのだろうと。それは私を異性として見ているということなのだろうか、と。
けれど、私はその答えを聞くのが怖くて、「〜さんのプラネタリウムと私のプラネタリウムは意味合いが違うから!」と戯けたように言ってしまった。
本当のところはどうだったんだろう。答えはわからない。
でも、改めて相手のことが本当に好きだったんだなと痛感した。もし、次に会えたら、自分の気持ちに素直になって、答え合わせをしたい。けど、それってものすごく難しい。
どうしたらよいのだろう。