はてなキーワード: 職人とは
あえて言うけれど
俺は長年努力して、コストもかけて、特殊技能を手に入れましたと。称賛されたいわけじゃん。うわーすごいですねと。大学行ったからこうなったんですよと。
違うというなら最初から相手に寄り添えよ。相手は助けを求めてるんだろ。それに対して「大学行けばw」って言い放ってるんだお前は。マウントじゃなくて何なんだ。
お前が最後に着け添えた個別に対応するを最初からしろよ。何?僕は大卒でもない無学で無教養なアホなので教えてくださいって土下座するまで何もしないわけ?つーかお前が2-3か月調べて教えろよ。請け合ったんだから
おっとそこで相手のプライドを傷つけるような物言いをするなよ?これがもし仕事上の話ならね
つーかそもそも仕事上のことなのか趣味の範囲での話なのかもわからんけど、仮に仕事の話ならお前はマジで無能だから
このクソめんどくさいコミュニケーションにどんだけ無駄な時間を費やしたんだ?
Twitterで校正紙の指示がすごいってのを読んで興味を惹かれて行ってみた。
久々の遠出、久々の美術館。
まず着いたら遠目から黒い人だかり。
120分待ち。
ちょっとは並ぶと思ったけど、
こんな状況になる前もでかい箱モノの美術館ってそんな行ったことないからわからん。
交通費払って来てるし、並ぶことを決意。
鍛えてない足は並んでいるだけで疲れたけど、
よい日光浴になった。
120分とかビビらせといて人減らして
(対策で閉まってるっていってもこの人混みで今更…と思わなくもないけれど)
チケット買えたと思ったら、入場までにさらに30分近く並んだ。
時間指定とかでまた待たされるのもヤだし、まあ良いよここまで来たら。
はい、やっと入れた〜。
中混んでそうだな〜と思ったら実際めっちゃ混んでた。
撮影禁止って書いてあるのに、展示室スマホ持った不届きもの多いな〜って最初感じちゃったけど
入ってからずっと年配の女性のインタビューっぽい音声がずっと流れてる。
カタカナ語が多いからなんだろうって思ってたら、石岡さんの声っぽい。
なんとなく情熱感じる。
これもQRコードで文字で読めるらしいから、ちゃんと聞き取ろうと頑張らず
とりあえずBGMにして展示を見ることにする。
(校正紙のに惹かれたのと、見たことないけど聞いたことある映画『落下の王国』の人、というのと
好きな映画『白雪姫と鏡の女王』の衣装の人、ということくらいしか知らないで来てるよ)
元々資生堂の人なのかっていうのも知らなかったけど、
反対とかされたのねじ伏せたのかな? 海外ロケの先駆けか〜はあ〜へ〜
実際のポスター、なんか赤い丸に細かい効果線?が効果的なのかな。
よくわからんけど、力強くて印象的だ。
日の丸とか桜とかいろんな図柄やら伝えたい意図、考えを落とし込んでいって
ポスターの形にしてたことが、たくさんのメモから伝わってきた。
おもろーこういうの見たかったんだよ! ってなった。
まずここで圧倒されたよ。
「鶯は誰にも媚びずホーホケキョ」
って一歩間違えれば意味わからんダサくなりそうな、でも力のある言葉を
ビジュアルで納得させられて格好良く感じる。
キャッチコピーの力も大きいけど、
肌の色が濃い人の美しさ? を全面に出してるの
当時鮮烈だったのでは? 今でも新しく感じるくらい。
むしろ今でも通じるというか、今こそ見たい感じもする。
見比べると仕上がりやっぱ良い。
指示怖いとかTwitterで書かれたの見てたけど、怖さは感じず
的確さ、仕上がりを追求する姿勢に圧倒された。
そんでまたまた圧倒されたのが
否が応でも刺さってくる、図のみでこれでもかと訴えかけてくる…
やば…と思ったらやっぱり説明文にD社と著作権で協議したって書いてあった。
でもわかってただろうにそういうの込みで発表した気概がすごいし、
その完成度もすごいんだこれがまた。
あきらかに校正紙と完成品のポスターで手をはじめ全体の立体感とかが違って
(途中エスカレーターとか乗って階変わってまだまだ見れるのか! と量の多さにびっくり嬉しくなった。
「風姿花伝」っていうのを出版して売り込んでくってのが格好良いなあ。
本も表紙だけでデザインセンスがあふれてることが伝わってくるよ。
企画とか舞台とか演出とか衣装とか色々な分野で活躍してたらしい。
石岡さんという方が自ら仕事を創り出せる、切り拓いていく方だったんだろうなあ。
着物の柄、生地、光沢、色合い惚れ惚れした。写真の見せ方も素敵。
舞台衣装、その舞台を輝かせるための舞台がある間だけのものだけど
こうやってじっくり見られるの嬉しいな。
グラミー賞とかトニー賞とか、詳しくない素人でも聞いたことのある賞を受賞されてることをここで知る。
いろいろ映像とかみてなんか暗幕くぐって次の部屋入ったら
床と壁全面金ピカで金閣寺があった。びっくり!
回り込むとなんか金閣寺割れてる。触れないように金閣寺中入れたよ。楽しい。
準備した人、企画した人大変だっただろうなー
展示の期間の終盤に来たけど、床きれいだった。
カンヌのなんか賞獲得したけど日本では遺族とか色々で公開中止で
流れてた映像ダイジェストだけど、ラブホとか神社の鳥居が沈んでるのとか
色々なんかひっかかったのかもねと思わされた。(実際はどこのせいかはわからんけど)
気づかないタイプだから、説明あるとちゃんと理解が深まった気がして嬉しくなる。
熱出した時に見る夢の不思議の国のアリスと孫悟空混ぜたおとぎ話の大人版みたいな?
シルク・ドゥ・ソレイユの衣装も手がけてたなんて
部屋入るまで知らなかった。
子どものとき、テレビで初めてシルク・ドゥ・ソレイユ見たとき、
あとシルク・ドゥ・ソレイユの現状ニュースで見たから
芸術家っぽかったのにできるんだ! って驚いたけど
変な形なのになんかスタイリッシュで、ポケット開いたらハートとか遊び心あるなあ。
色合いも今見てもなんかお洒落だ。
こんな活躍をされていたなんて!
たくさんの壁があったろうに、尊敬。
衣装は中国の伝統的な形を尊重しつつ、たくさんの人数が揃って舞うときの
色合いの美しさに思わず声が出そうになるくらい感動を覚えた。
(こういった光景は、もうしばらく、きっとこの先かなり長い間見られないんだろうと
思ってなんかまた切なくなってしまった。疲れてきたのか? 急に悲観的になってしまう)
白と黒のグラデーションのドレスとか、裾の色変わるのとか、素敵だった。
職人技見られると、無条件で嬉しくなるよね。
この映画大好きなんだよね。石岡さんの仕事で唯一ちゃんと知ってる作品。
布でこれでもか! と作り込まれていて、
見れて嬉しかった〜! 胸元の布の造形が細かくてすごいんだよ。
きっとここも意見取り入れたり試行錯誤した過程があるんだろうなあって見てた。
映画、面白衣装がたくさんあるけど、なんか納得させられるというか、
世界にあっているというか、むしろ素敵というか、説得力あるのが本当良いよね。
説明文でへーって思うところも多々あった。
高校生でこの色合いの絵! すでに実力とセンス光ってる! ってところも驚いたし、
世界に羽ばたくために当時にすでに英語で書いてたってのもびっくりだし、
叶うよ! というか、この方は、自分で掴み取って叶えたんだな。
はーほんと、格好いい人だな。
この人は人生をかけて時代や世界に向かってデザインし続けてたんだなあ。
筋肉とか赤とかいろんな作品を越えて所々で見られるモチーフを見ると
全体総括ではないけれど、この図がぴったりだったのかもしれない。
と、途中所々ベンチで座りつつ4時間近く展示を見て回ったよ。
ギリギリ楽しめるぐらい粘れた。
予想の4倍くらい展示量と濃い内容で大満足だった。
図録買おうかなって売店行ったら売り切れてた。かなり先の入荷だって。さすが。
石岡さんイメージのパフェがカフェとレストランで提供されていて、
久々に良い物、仕事見れたなあ、と大満足。
https://kageki.hankyu.co.jp/sp/revue/2021/fortississimo/index.html
人並み以上にはクラシック音楽をやってた増田が、さらに結構気合を入れて改めて学習・整理して臨み、観劇した時に脳内で埋めた行間など記録。
公演開始後は一切情報を入れず(開始前も稽古場レポートは見ないようにした)、プログラムも買っていないので、場面のタイトル等の情報は記事を書くにあたりネットから拾った(ルサンク電子版だけ買っている。物理本は原則買わない主義。ルサンク以外も電子化希望)。場面の切れ目は感想の切れ目。起こしたセリフの文字遣いも脚本と違うだろう。
※ひょんなことからプログラムと紙版ルサンクが手元に。チラ見してそれぞれなるほどと思うことは多いが、今のところその内容には触れない方向でいく。ルサンクで脚本をしっかり見たの初めてだけど、面白いなあ。
(1808)
ケルビム「おつかれーさまー、じーんせーい」
これは、、タカラヅカ!しびれる
モーツァルト死去1791(35歳、ベートーヴェンの14歳上)
バッハ死去1750、ヘンデル(バッハと同い年)死去1759、テレマン(ヘンデルの4歳上)死去1767。ヘンデル30年以上、テレマンも20年以上審査待ち。
!
1793処刑
モーツァルトが亡くなる2年前にフランス革命。モーツァルトが6歳の頃アントワネット(モーツァルトの1歳上)にプロポーズしているエピソードを思い出して微笑ましいことこの上なし。そしてアントワネットは天国に行けるんだな。
資本主義…
智天使ケルブ「奢るな人間よ、ひとりの短い人生で決着のつく問題ではない。お前たちの後継者が、受け継いだ音楽をどうするか。神のお与えになった美しい音、その連なり、それを人間が何のために使うのか、最後まで見届けてから全員で連帯して裁かれるのだ」
大事な箇所なのでたくさん。
ケルブが話すときにBGMがチェンバロのバッハっぽい音楽に変わって清々しい。
偉人オンパレードすぎて大きく出たなと。市民社会創成期の芸術、自由主義という大きなテーマを持ってくるなと思っていた。(トップ娘役が謎の女であることはまだ謎。)
事前に配役を見たときに、音楽史やベートーヴェン(古典派〜ロマン派)との絡みという意味でも、
のエントリーは納得。古典派ハイドンはまだ生きているし(1809死去)。問題は、バロックからのもう1人のエントリーが、なぜバッハではなくテレマンなのかだった(しかも若手路線男役)。答えは、尊敬とか影響受けたとかじゃなかった。
しかしバッハは役としてはなくても、やっぱり名前は登場するよね!
そういえばテレマンが一番歳上(死んだ年齢も)なのに、なぜ縣さんだったんだろう。背の順?一般的なネームバリュー?
彼らももちろん配役にあり、しかも専科の重鎮。どのように絡んでくるのか、第九の歌詞に出てくるし、第九でも歌うんかな歌うまい子もいるし、と思っていた。ちがった。ケルブ様おこだった。
第九の歌詞「智天使ケルビムは神の前に立つ」。なおこの前にトートさまがいる「死の試練を受けた友」。どちらも予習時にスコア見ててたまたま見つけた。昔ドイツ語詞の下に英単語書いたりして学んでいた模様。
芸術史・音楽史の流れ、芸術という概念自体が最近のものであること。それ以前は芸術家は例えば大工と同じような職人という扱いであったこと。"art" は芸術ではなく技術を指していた。"fine art"になって芸術が誕生。アーティストではなく、アルチザンだった。
このあたりは美学史や風景画の講義で叩き込まれてきた。高校生の時に読んだ渡辺裕『聴衆の誕生』も。確か高校の国語の教科書に載ってた阿部謹也氏の文章もかな(ぐぐっても何だったかわからなかった)。暗い中椅子に座って静かーに聴くクラシックコンサートの今当たり前の風景は、ベートーヴェンよりも後、ワーグナーが始めたもの。
今回テレマンが引っかかって新たに電子書籍で購入して関係しそうな箇所だけさくっと読んでた片山杜秀『ベートーヴェンを聴けば世界史がわかる』も役に立った。
ピースがはまって大変に納得感のある第1場。
フランス革命が起こった年、ベートーヴェンは19歳(ナポレオン20歳、ゲーテ 40歳)。神から王侯貴族のものになった音楽を、彼はどうするのか(それはそのまま現在まで続いている)。それは如何にして起こったか。ケルブ様のご機嫌はなおるのか、テレマン・ヘンデル・モーツァルトは天国へ行けるのか。
どういった機構を使うか?どういった構造にするか?必要な部品は?その部品どうやって留める?材料はどうする?作ってくれるところはあるかな?単価は大丈夫?評価方法どうするよ、、、などなどなど
まあこんなことをCADソフトとにらめっこしつつ、図面書いて部品発注して組んで試作して測定して、また設計し直しての日々です。
良く分かる。みんなそうなんだよ。
溶接だの板金だの、要所々々職人に聞きに行くこともしばしばあるね。
あるね。
アイボルトの位置考えなきゃいけなくなるようなサイズになってくると、頭フル回転でイメージ作りする。
で、吊り上げたは良いけどどーやって組むんだよとなってまたまた変更したり。
その辺は教育ではなくて、社会の変化の問題なので、どうにもならないね。
例えば「経済力があればよい教育を受けられる」なーんてことは有史以来一回も変化したことがないよね実は。なのになんで増田が経済力と教育力にプレッシャーを感じるかというと、「成功」の定義のほうが変わっているからなんだよね。
実は母親だという増田自身が、エリートにならない人生は失敗だ、などという思想に染まり切って、疑いすらしていない。高卒で手に職つけて工場の職人か農家か漁師になって嫁さんをみつけて幸せになりなさい、みたいな人生を負け組か一部の特殊事例と決めつけている。
無理もないよ。だって世の中がそう言ってきてるんだもん。
そして世の中がそう言ってくるのが一理ある程度には、社会の現実がそうなっている。
教育が生存戦略に特化している、との指摘のほうは、なかなか的を射ているけど、基本は同じだね。
今の子供はサバイバル競争を念頭に入れて生きているとされるが、昔からそうだった。
ただ、家業ってものがあった時代には競争と生存なんて考えなくてよかったんだよな。農家の息子は農家に、貴族の息子は貴族になればいいし、そのレールが用意されていた。でも現代っていうのは、自由の名のもとにレールを取っ払った時代だ。まあレールを走るのはうんざりする面があったから無くしたことは望まれていたのでそれはしょうがない。
でも、家業とか持たないや人たちはもとからサバイバル人生していたからね。
あるいは増田が家業を用意することだってこの現代普通にできる。自由に選択して生きるってことを自明の前提みたいに社会に言われて、それをそのまま信じてるから、そうじゃない選択肢もあることが目にはいらなくなってると思う。
まあ、そうはいっても難しいわな。現実から言えばやっぱり自分の代で家業つくるなんて無理かも。
でも願望をかなえたいと思っているのが増田で、だから経済力や意識力の差で悩むんだよ。
可愛い子には旅をさせよ、親は無くとも子は育つ、ある程度まではだけど、そういう認識こそが増田には必要とされているんじゃあないかな。ある程度、虐待にならない程度まではの話だけど。
【前提】これは刀ステのほぼ全演目を時にライビュ時に配信時に現場で見た上で基本的に末満さんとはセンスが合わないと思っているオタクによる悪口である
【おことわり】
・嫌なら観るなについて→刀剣乱舞のファンとして「今度こそは」の期待とか一度追いかけ始めたものから退却できないサンクコスト効果とかで引くに引けないんですよ
(1)長い。中だるみする。ちょくちょく挟まれる殺陣のせいで話が分からなくなる。
しょっぱなからアレですがこれは仕方ないと思う。上演時間ありきで脚本作るから。
殺陣については私のアクション適正が低い。アクションを見慣れてない人間って殺陣が始まると
・「とおけんだんしが敵とたたかってるー!がんばえー!」くらいにIQが下がる
・戦闘の背景にある対立構造、誰と誰が何故(何を賭けて)戦っているのか等の情報を認識できなくなる
刀剣乱舞を題材にしている上殺陣を特に売りにしてるステで殺陣を減らすわけにも行かないのも分かるのでこれも仕方ないとは思う。アクション適正上げてから来いってね。
(2)台詞が頭に入って来ない
末満さんの詩情が体質に合わない(完)
これに尽きてしまうとは思うんだけどもう少し悪口を。末満さんって滅茶苦茶台詞量多くないですか?一つ一つの台詞も長いし。青空のような人ってなんやねんいいこと言ったような雰囲気で無理矢理まとめんなて。
筆者は小説でも長い台詞や長いモノローグを嫌うのでマジで合わない。長台詞はここぞの一回くらいしか許されないと思ってる。心情の説明を台詞やモノローグに頼るのならもうそれは物語の形を取る必要はなくて増田で長文語りしとけよって思う。舞台で物語をやるのなら、物語の展開からキャラクターの心情を追えるように手を変え品を変え尽力するのが職人の仕事だと思ってる。
(3)複数ラインの物語を同時並行する割にそれらが交錯しない。一つの物語でやる必要あった?一時間の舞台二個やればよくない?って思う。
①秀頼と一期の「自分は誰であるのか」という物語…秀頼「自分は秀吉の作った天下の上のお飾りに過ぎないのではないか。自分が本当に秀吉の子であるかも定かではない。自分は本当に天下に立っていていいのか」→太閤から秀吉との繋がりを保証された上で「これはわしの戦だ!」・一期「弟がいてようやく成立する兄としての自己像以外に依って立つところがない」→「歴史を守るのが私の使命だ」(一期の物語誤読してるかも。すまぬ)
②弥七や真田信繁の「歴史に抗いたい」物語…しにたくヌェ〜〜ってやつ。序盤家康が「お前の知るわしがわしの全てではない」(物語は語り手の視点や恣意に影響され、ある事柄を完璧に語り尽くすことは不可能)からの諸説の可能性の提示からの決められた物語に納得いかね〜〜俺は後世のお前らの語る歴史のための駒じゃね〜〜俺の闘志を無かったことにすんじゃね〜〜ってやつ
関連性のない複数のストーリーラインが(殺陣や長台詞をガンガン交えて)同時進行するからま〜〜〜〜じで集中力途切れるし作品全体も散漫な印象になる
あと細々したところで家康の戦への欲求とかね。正直家康のあのキャラ付けは加州の見せ場作りと三英傑の物語やりましたってアリバイ作りのためとしか思えない。ちなみに戦への飢えについての話は義伝でもうやってんですよ……再利用かよ……
諸説に逃げて生き延びればそれで良いってなんか随分控え目だけどそれこそミュのみほとせの信康みたいにコソッと逃げればよくない?弥七が言ってた通り諸説の余裕があるならその余裕に自力で滑り込むことは可能では?史実を守る本能に導かれた刀剣男士にナイナイされちゃうの?そっかあ……
「生き残りたいポン!」「諸説に逃げるポン!」「俺らを助けるオリジナル刀剣男士作るポン!」「だから逸話集めのために刀剣男士斬るポン!」「だから派手にドンパチ起こして刀剣男士誘い込むポン!」って論理の飛躍を感じる。
(5)物語の恣意性、物語無き物の物語、無かったことにされた物語についての話はもうやってるんだよなあ……
ミュのむすはじとあおさくでやってるんだよなあ……
今作で特に別解を出したわけでもなく、ただ無かったことにされた物/者たちの憤りにスポットライト当てたところで終わってるし
三日月と山姥切国広と結の目となんやかやを巡る時空SFっぽいやつ
ようわからん(完)
基本、作中の本筋に関わらず、また作中で解決されない謎って作品鑑賞のノイズになると思うんですよ。ステはこの謎と三日月の行く末を全作品を通してのサブストーリーにしていますが。
ちゃんと考察しつつ追ってればワクワクするんだろうけど。いや連載モノなら○○編をやりながら全体としてはワンピース探したり黒ずくめの組織追ったりするのが普通なので別に刀ステが下手打ってるとは言い切れませんが。
ただね〜〜〜〜やけに難解だし時系列スターウォーズ形式だし末満さんは意味深キーワード大好きだしですっきりしなすぎて私にとってはノイズなんすよ。公式で解説本出してくれ。図解してくれ。
そもそも作中での情報開示渋ってファンの考察に委ねるのやめてくれ。本能寺再演で左右逆とかキャス変にも意図があるとかそういうのほんといいんで……そういう場外戦が許されるのはエヴァだけなんですよ……
まあ昨今はインターネットやSNSのお陰で場外戦が盛り上がりやすくなっているから、そういう作り方もアリ寄りのアリなんでしょうが……
ツイッターで考察読んでもいまいちわからんってか読む気も失せるのよ……結の目ってなんなんだよ……
「史実に存在してはいけないもの」を登場させたから物語内で回収しないといけないのは分かる。でも集団自決からの無駄死にって雑じゃね?てか登場させる意味あった?物語ある刀剣を遡行軍が回収したポン!って次作への伏線のためか?
これはどちらかというと過去作、悲伝や慈伝への悪口ですね。維伝以降大分気にならなくなった。登場されるためだけの登場シーンが多いし「このシーンは大般若じゃなくて小夜の方が当人の性格や来歴踏まえて相応しいだろ」(キャラは適当です)みたいなシーンが頻出してた。
今回はまあ……主人公の一期とそれを支え受け止める弟二振り、一期とシンクロしてアイデンティティに悩む秀頼、一期と秀頼に秀吉のことを話してなんかいい感じにする太閤、江戸の終わりに物語を持つ者として江戸を始めた家康に対峙する加州、今回の主人公ではないけどシリーズの主人公である山姥切国広という具合でそれぞれに役割があったかな。宗三は必然性に劣るけど、一振くらい作品中の葛藤から距離を置いて渦中のキャラを諌めたり助けたり話を進めたりするゲリラサポーターキャラがいるのは悪いことじゃない。
(9)加州顔濃ッ
ごめんて
ごめんけどキュートでけだるく飄々とした加州というキャラクターからキュートが抜け落ちてただのハンサムになってんだよな〜〜〜〜いや演技は良かったよ全然加州だった
ただ加州っぽい媚びがなかった。まあ主の前じゃないから当たり前だけど
ただただHandsomeになっていた
「愛されっこないよね」とか言われても「せやな……お前は多分愛する側やな……」って言いたくなるくらいハンサムだった
【よかったところ】
ステアラをよく活用してた。クライマックスの360度の戦闘を次々見せる場面はとても華麗だった。
弥七が健気でかっこよかった
今回のあんス〜くんのライブで、予定席数を超える当選者を出してしまったので
勝手にミスしてしまったぴあの担当者の気持ちになってめちゃめちゃ辛い。
ハピエレからのお怒りはもちろん、
今後会社の人達からも冷たい目でみられそうで本当にいたたまれないし、胃が痛い。
人間ミスしちゃうことはあるし、システムでポチって簡単に実行できる時代だから、
内情知らんのでなんともだけど一人の担当者に全責任を負わせるのはマジで辛いので、
会社全体で頑張って誠意ある対応してくれ、、、それが組織がある意味ですし。
それはそれとして、今回付随したぴあ垢の
・Twitterでの呟きが遅い
問題、
Twitterの動きが遅いのは
ぴあとか古い会社だから、Twitterの運用もかっちり決まってて、
のわりに運用は一人の人に任せっきりにしててIDもpassもその人しか知らないみたいな。(そんなわけないか。ぜ〜んぶ妄想)
インターネットや発信できる場が身近になったからこそ世の中の回転早くなってて、
それに順応できてない組織は動きが遅いってことになっちゃうんだなぁ。
ミス発覚翌日謝罪って遅いもんかしら??悲しいかなハピエレの迅速な対応と比べられちゃったね
(まじ夜遅く発表でびっくりした)(瞬足)(コーナーで差をつけろ)
実際にそんな例ある???
自分ミスしたら絶対ホームページで「会社 謝罪 方法」で調べちゃうわ。
消費者の溜飲が下がるような文かけるTwitter職人を広報採用とかでてくんのかな今後
信頼は無くなってしまったけど。
ま〜お金払ってるハピエレの立場からしたらコロナでイベント運営も大変な中の起きた事件で怒り心頭間違いなしだし、
巻き込まれたファンもぬか喜びさせられてふざけんなって感じだわな。
おわり
職人が削るよりは荒い
45歳多重派遣と言っても、噂のGitHubの人ではない。すまんな。。
皆さんはプロジェクトの共有ディレクトリの最下層に”女子大生”という何もないファイルを作ってアクセスログをとっていたのがバレて怒られた事はあるか?私はある。2回。
仕事でとうとうGitHubすら使わずにプログラマ人生を終えてしまった。
レガシーな技術を使いがちな金融プログラマではそこそこ居るのでは無いだろうか。
年収は20代後半からは550万~700万位だった。残業代・退職金は無く交通費は出ない。
所属会社は営業も事務も居ない小さな所帯のフリーの集まりのような所で、会社の運営に必要な金額をある程度毎月納めれば良い会社だった。
仕事がなくなれば自分、もしくは他社員の人脈で仕事をとってくる方式。
フリーで居るよりは仕事を取りやすく、単価も上げやすいので一応会社の所属にしているだけの所だった。
それでもすごく世話になった。
私はやる気が無いプログラマだった。オフの時間にプログラムの勉強をしたことなんて殆どないが30歳、35歳の限界説を越え、45歳まで働けた。
これはそんな元ニートの高卒45歳、多重派遣の底辺プログラマの退職エントリ。
はてなのIT技術者諸氏はオフの日にも日々勉強をしているようで。
◯◯出来る人が居ないか?と聞き回る営業を見ていると多重派遣のSESとはいえ業務時間内に勉強させろと私は思う。
技術の勉強の話になると途端に何プペる?のような、仕事の為の無給勉強時間当たり前のように語られる事がやる気の無い私にはついぞ理解することが出来なかった。
足に鎖でもついてるのかね。私と一緒だね。
45歳で年収300万円多重派遣の彼は問題児なのかもしれないが、私よりはやる気があるプログラマなのではないかと思う。
退職までずっとプログラムを書き、テストをしていた。たまに客に直接要望を聞いて仕様書に落とすこともした。
C/C++・Java・各種Shell・VB/VBA・SQL、UNIX/Linux・Windowsサーバーでなんとなーく仕事をしていた。
プログラムは他の人が書いたプログラムを流用しまくって書いた。
ざっくりな話になるが、私より出来る人はわんさか居て、私より出来ない人・問題児が2割は居た。後者の彼らのおかげで私は仕事があったのだ。あと、東京だからあったのだ。
人並以上の理解をしていたのはLinuxの構造くらい。仕事でカーネル層に潜り込み、デバイスドライバの改造をしなくてはならず、月350時間くらい働いているうちに身についたものだ。
当時居た会社は年俸制という糞システムだったので1円も残業代は出なかったが。
全く知らない技術が使われている新しい現場に上位プロパー会社の営業に売りに出されることはままあった。
現場の人にさも「解ってます!」みたいな面で面接をし、何とか切り抜けることは出来た。このときばかりはいやいやながら上辺だけを勉強した。無給でな。
解っている事でも残業が沢山降ってきそうな場合は「ちょっと私には難しいですね・・・」「「いやー、解らないですね。。」と出来ない振りをする度量もついていた。
仕事は”出来る(都合の良い)いい人”に回ってくるし、仕事をしてもめったに単価を上げてくれないし、切られる時は切られる。
30歳を越えたあたりから必要な時は定時丁度に上がる精神的な技術も身についた。
それと同時にここ10~15年はブラックなIT業界でもようやく過残業を減らそうという機運が増えてきたように思う。
ライブやイベントにも足を運べるようになり、推しに投資が出来るようになった。
おそらくまだ10年はプログラマとしてなんとなく生活出来たのだろうと思う。
「あいつ、そこまで出来はしないけれど居ないと困ることもあるんだよなぁ」位のポジションで。
あるいはもう少しやる気を出し、転職をし、上位層で働くことも出来たのかもしれない。
・そしてその日、”1人日”以上の仕事が割り振られる。残業しても終わらない
・翌朝で何故おわっていないのか?を問い詰められる
・仕事のタスク割り振りが多すぎて終える事は出来ないとお伝えしましたが?と反論
・その状況で、空いている時間にやっておいてくれと新たなタスクが振られる
・空いている時間とは?と聴いてみるが、コンパイルしている1分の時間に少しづつといわれ、そんなの出来るわけ無いですよね?。どこに空いている時間があるか教えて下さい。
と、毎朝そんな問答を繰り返していた。
改善をする気もおきなかった。早く次の現場に行きたいなという事ばかり考えていた。
そして気づいた。この仕事にようやく私は飽きたのだと。
子供も数年前に生まれ、子供が成人するまでこの仕事をするのも耐えられないと。
そんな時に副業のほうを本業にする決意をした。会社を辞め、起業をした。
今は全く別業種の業界で働いている。この先うまくいくかは良くわからない。
3次請け、4次請けの会社に居たので理不尽やパワハラには事欠かなかった。
まだ若手の時、鉄砲玉として使われた事があった。
フロッピーを本番端末のあるセンターに密かに持ち込み、定例メンテナンスの振りをしてシステムを黙って更新するという密命が若手の私と、他社の派遣PGで新人のK君に与えられた。何度も。
かばんの奥にフロッピーを隠し、かばん持ち込み検査で検査員にばれないようにし、潜り込む。メンテナンス用の作業IDを使用して黙ってシステムを更新するというのを繰り返し行った。
今考えると下手すると裁判沙汰なんじゃないだろうか。しかも見つかったら責任を取らされるという。
テンパった彼は入館証ではなく、隠していたフロッピーを検査員に見せつけたのだ。
だが、早朝ということもあり、検査員がほぼ寝ていたので問題なく通れてしまった。
今思うとあの時は首の皮一枚で大丈夫だったんだなと。
大手家電メーカーの工場で仕事をした時、プログラムの仕事なのに作業服をまず”自費”で買わされた。作業服いらねえだろう。
工場内にある窓の無いプレハブ小屋が開発現場だった。人権が無ぇ。ファーウェイの工場にはヨーロッパの街並みが再現されているらしいが。
この現場は電機メーカーのIT子会社D社からE社に投げられ、部屋に私以外だと窓際管理職のD社社員1人とE社の人間しか居なかった。
何故、E社の人間の中に私1人だけ他社の開発要員が入るのか?
入ってすぐに理解した。担当するシステムが1人だけで長く開発していたシステムで、スパゲティすぎて破綻しかけているのだ。
これを開発し続けられればヨシ、破綻したら私の(会社の)せいということにしたいのだ。
入って1週間で営業にコレはダメだと、早く抜けさせてくれと直訴した。
結局抜けるのに4ヶ月かかったが、その間、本当に酷い日々だった。
小さな改修が多く、納期は1週間か2週間毎にやってくる。だが仕様を投げるD社の人が鬱で会社にあまり来ない。他のD社の人に聴いても何も解らないという。
1週間の仕事で金曜日納品なのに、木曜日の夕方に2日酔でやってきた担当者に仕様を聞き出し、金曜日に意地で納品するも、気に入らないところがあったらしく「前担当者よりスキルが低いですね~」と言い放たれた。精神の苦行だろうか。
私の抜けた後、E社の別な人間が担当するも無事破綻しかけているという話は後ほど聞いた。自分のスキルでは本当にギリギリだった。危なかった。
高校卒業後はニートだった。猫と母としか会話をしない2年を過ごした。
その後、大手新聞社とオペレーター派遣会社が共同で作っていた文科省認定ではなく定期の学割も効かない街のパソコンスクールに通った。
教師は二種(基本情報)も持っておらず、業界歴は1年だけで環境変数も理解していなかった。
その学校で多重派遣という底辺で生きる技術者の卵に他の20名と一緒になった。
文科省認定の専門学校の情報処理科では少しマトモに勉強すれば大手SIerや商社の子会社の「何ちゃらソリューション」に入れる事も多い。
アホの一つ覚えのように大手の子会社は「何ちゃらソリューション」なので、「何ちゃらソリューション」というIT会社を見たらセンスの良い経営者が名付けた何処か大手の子会社だと思って差し支えない。あとイノベーションとかな。イノベータとかな。
就職氷河期の真っ最中に地方中核都市で就職をしたのだが、入社直前に東京勤務になった。
会社からは15万円の引っ越し資金だけが支給された。氷河期の3月に転職は出来なかった。
親に敷金礼金4ヶ月分を負担してもらい、親父に秋葉原の石丸電気で家財一式を買って貰った。
SES企業はまず新人教育の当たりハズレががある。ハズレのほうが多い。
派遣法の隙間をついて、たった1人で新人が派遣されてくる事も多い。彼らの大体は苦労を強いられている。
私は運良く同じ会社の人が沢山居る現場に入ったのだが、教育担当が想像を絶するパワハラマンだった。とにかくどんなことにもキレる。
ある日個室に呼び出され「お前は田舎に帰って缶詰工場で働け。なるべく頭の働かなくて良い仕事を選んでくれ。業界にいると迷惑だ」と言われてしまった。
親に学校に通わせて貰い、引っ越し代も払ってもらったのに使い物にならないと言われたときの絶望感は大きかった。
地下鉄の電車がホームに入ってきた時、ホーム下にふと吸い込まれて行きそうになり、寸前でハッとなり鼻先を電車がかすめていった。
知らないおばちゃんに「しっかりして!」と怒られた。都会の人も優しい。
それ以降、他社でも同じチームの新人には丁寧に接していた。私はまだ恵まれていた方なのかもしれないと思うこともままあった。
その家電はTronからLinuxにOSが切り替わり、開発・コンパイル用のソフトウェアのシミュレーターが新規開発となった。
Linuxのカーネルプログラミングが必要となり、日本語の文献もインターネット上の文献も少なく、オライリーの洋書(現在は日本語版もある)を取り寄せて読まざるを得ない状況だった。
英語は全く出来ない&私が作るとなると当然開発は遅れた。
私はカーネルプログラミングなんて当時はしたことが無かったし、集められた人員もLinux上でC言語の仕事をしたことがある。くらいの人員が集められたのだ。
単価が安い人しか使ってはいけないというルールで運用されていたらしい。
苛立った家電メーカーの”部長”が私を広いフロアの大人数の前でこう叱った。
「こいつ全然解ってないじゃないか!!なんでこんなのにやらせているんだ!!」
中国出張で散々おねーちゃんを買った自慢をしていた糞みたいな人間に罵られるのである。
月単価55万で350時間働かされ、残業代は1円も出ずである。誰もフォローをしてくれなかった。
徹夜が3日目に突入した午前3時、役職付きが私のPCの後ろで「まだ出来ないのか?」と15分おきにやってくる。
何とか完成はさせた。恐ろしいことに若かった当時は満足感をそれなりに得ていた。
精神的に色々と凹んでいた時に励ましてくれたのは中国人の同じ派遣の人だった。
大卒の育ちの良い中国人派遣技術者が沢山居たが、彼らは本当に性格がまっすぐだ。彼らが私の中国感を大分良くしてくれた。
(ずっとメッセンジャーばかりやっている連中もいたが)
彼らのような有益な人材が来てくれる時代があと何年あるのだろうか。
私は所属未定のまま倒産した次の日も、土日も何故か働いていた。
自分が働かないと他の人が倒れてしまうと当時は考えていたし、ようやく仕事が出来るようになって謎のやりがいを感じていた。
そして、翌週、中間の会社から流石に所属未定はマズイのでフリーとして契約しましょうと言われたのだが、単価の話なんて当時若造だった私には解らないのである。
結局、300時間以上働く中、残業代無しの45万円固定と言われるまま契約をしたのだが、
当時の私には多い金額に思えていたものの、都内のフリーの技術者としては当然低すぎる金額であった。
忙しい中、アドバイスを貰う余裕もなく、無知のために中間会社の狸親父に低い金額で契約させられたのだった。
みなさんは自分の単価くらいは知っておいたほうが良い。
賢い同じ会社の同僚は失業手当で半年間遊んだか、会社契約と同じ単価でフリーとして契約していた。
余談その2、当時なんとなく興味を惹かれて当時流行っていた日本礼賛本を読んでみた。
国産OSのtronは携帯電話で世界を席巻!!みたいな事が書いてあったが、その本が出ていた頃、携帯電話のOSはLinuxとSymbianで締められていたのを知っていたので興味深く読んだのを覚えている。
他にも
「1次請けが私の単価を上げてくれても中間会社が搾取し、私には全く反映されない話」
「野田がドモホルンリンクルのバイトのように円高を注視し続けた時、円高&オフショアブームで単価が2年で2回減った話」
「中間会社にオフショア開発の失敗の後始末を手伝って欲しいと言われ、現場をインフルで倒れた振りをして休んだ話」
「5000円の著作権フリー音源をシステムに使用するのに数百万かかった話」
「メモリ枯渇エラーが頻発したのに数百万以上のコストをかけて打ち合わせをする虚無の話」
「メモリ初期化エラーが頻発した時に、解決方法としてとんでもない方法を提示され、阻止した話」
「15万円のPCが60万円で導入される仕組み」
「入社初年度の忘年会の一次会が新宿の有名なゲイのショーパブで、他の社員と会話も無く終わった話」
「無呼吸症候群で猛烈な睡魔との戦い、現場で怒られるようになり、睡眠薬で生活リズムを取り返した話」
「大手会社のコンプライアンス啓蒙画像に著作権違反を発見した話」
「キレる、人前でイライラする人とは働きたくない話」
「某銀行の開発子会社の美人率が高い・銀行員の婚姻率の格差社会の話」
などなど考えていたが長くなったので終わり。
多重派遣先は色々なキャリアの人が多い。元ホスト、元キャバ嬢もいれば元医師の中国人、元アニメ会社勤務、元美容師、元寿司職人等の転職組も多い。
以前いたプロジェクトの有名SI企業のPMもSES上がりの元寿司職人だった。
SESは就職の壁が低い。そこを足掛けとして転職し、さらなる転職で大手や大手子会社に転職するのは悪くないキャリアプランの一つなのかもしれない。
SESの会社も玉石混交なのでまずは良いSES会社に入るのは大事だし、多重派遣は改善されてほしいが。
何が書きたかったのか忘れたし飽きた。
業界からやる気の無い45歳が1人減り、業界は少し平和になった。
追記:続編を書きました。
向井理です。
ウソです。
あのさ、
現地で炊かれ握られているのかしら?
まさか人が握ってるわけではないわよね?
すし酢や炊き具合の善し悪しとか、
総合中央シャリセンターでもそうやって日々シャリが生産されているのかしら?
ご飯が来ても
そう思うと
定価500円税別にしても
1貫50円ってどんな寿司の世界観なのかしら?ってもう寿司の大バーゲンだな!ってベジータさんが皮肉を言いそうなものよね。
でもあれって意外と
ガチ寿司職人がスーパーの寿司食ってみた!ってネットの企画とかでは見たことないけど、
そう言った意味ではスーパーのお寿司って持って帰るとき傾かなければ、
結構いい線言ってると思うんだけど
ってお伺いを立てたいところね。
話を戻すけど、
そうなるとさ、
私の近所のスーパーマーケットも一丁前にお寿司売ってたりするから、
でも逆に考えたら、
大将曰く、
うちはこの寿司シャリ握りマシーンでやってます!ってのも令和じゃない?
私はいい加減
もうそろそろ
漫画肉はワンピースで見た!って言うと平成1桁だいですかーって
それはそれで辛そうよね。
だから令和版の漫画肉はどの漫画家選手権やってよーって思うわ。
でもだいたい美味しんぼをあげておけば、
そう言ったアップデートは必要ないグルメのテーマなら乗り越えられそうよね。
だって困ったら、
明日もう一度来て下さい本当の漫画肉を食べさせますよ!って言っておいて来ないとか、
そういうことが出来るじゃない。
自分で言っといて行かないとか。
これきっと海外にでも行ったら同じぐらいのクオリティーで4~5千円ぐらいになっちゃうんじゃないかしら?
スーパーのタイムセール400円になってるぐらい美味しいのかも知れないし、
まああくまで
私のそう言った偏った思いを表現するには
まだまだ素材が足りないってことなのかも知れないわね。
うふふ。
そう正にお寿司、
昨日買って食べ損なった時すでにお寿司よ。
まあ今朝までセーフでしょ。
そうやってパクパク食べてたらシャリってどうなってんのよ!?って思ったわけ。
おあつらえ向きにここでいいアガリがあるのよ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
思うことはたくさんあるし
おっしゃるとおり
これが、職人
アホ実装にみえても、それが、他のパーツとあわさって、驚くような高性能を出すこともある
それを秘密にしたいからコードだけ書いて、とりあえずIntelで
みたいに実機を渡さないのは
なぜ「教職員だった」ではなく、「教職員を自称する者」と表現したかって?
「へー」
「まあ子供にモノを教える立場としては観ておいて損はないだろうと思って」
「食育の中でも、命を食べることに焦点を当てた作品でね。子供に自分で考える力を与えている」
「はあ」
その過程で紡がれる言葉、振る舞い、価値観、どれをとっても教職員のそれだ。
上手く言えないんだが、俺が知っている教職員という人種は、もっと人間くさい生き物なんだ。
身なりは整えても高潔さとは無縁で、地に足が着いているから靴底は泥まみれ。
教職員といっても色々あるだろうけれど、現場で生きる人間は大なり小なりそういうもんだろう。
だが、その客は違った。
酷く不気味に思えたが、それでも俺は水飲み鳥に徹し続けた。
この客が実際のところ何者であれ自分には関係のないことだし、やることだって変わらない。
実際に教職員をやっている人間も、自分のことを教職員だと言っているだけの人間も、赤の他人である俺にとっては同じなんだから。
13人の客、その2人目は酒造りに関係した仕事をしているらしい。
この客もまた、本当に酒造りに携わっているかは怪しい人物だった。
「うーん観たことあるような、ないような……あらすじを言ってくれたら思い出すかもしれません」
「酔っ払ったサラリーマンが、特殊部隊とかヤクザ相手に大暴れする邦画なんだけど」
「すいません、その説明で思い出せないなら俺の記憶にはないです」
客は映画に出てくる酒が、いつも扱いが悪いことに腹を立てていた。
「映画業界の奴らは、酒を酔っ払って物語を動かすだけのツールだと思っている。酒には職人達の涙と汗が文字通り入っているのに」
客はそう愚痴りながら、酒の色んな種類や製造方法をくどくど説明し始めた。
「こう、素手でわさわさ~ってやるわけよ。衛生面とか気になるかもしれないけど、菌を増やすためにあえてやって「るの」
「はあ……」
「麹の近くには仮眠室があってね。具合を確かめるため、すぐ近くの部屋で寝泊りしているんだよ」
酒が飲めない俺は水飲み鳥になるしかない。
ティーンエイジャーが酒について言える事は限られている。
仮に飲める歳だったとして、この客はビデオ屋のバイトに何を期待しているんだ。
ひょっとして、現在進行形で飲んでいるんじゃないのか。
そう思って鼻をすすってはみたが、その客からアルコールの香りは漂ってこなかった。
むしろ酒を飲んでいてくれた方が納得はできた。
「酒税法も細かく設定されてる割には、みなし制度があったりガバガバすぎる。そのせいでストロング系とかの安い悪酒が出まくって、それを持て囃すアル中が蔓延って一般人を困らせるんだ」
こっちも今まさに困っている状態なんだが、この客には分からないようだった。
https://note.com/shimoi13/n/n8a9c320ded78
要約すると元々は高卒で働く気だった高校生の西野エンタメ研究所のメンバーが、第3期株式会社NISHINOインターン生に落ちてからは大学進学をする気になったのですが、いろいろ考えた末に「大学進学をして安全圏からエンタメを作るよりも、バイトで生活費を稼ぎながらエンタメを作りたい」と大学進学を諦め、将来あるかもしれない第4期インターンに向けてがんばるという話ですね。
読んだときビックリしました。サロンメンバーともあろう人が、「自分の武器を得るためのチャレンジ、やめちゃうんだ」と。
学歴というのは西野エンタメ研究所内でも評価される項目であるということは薪野真彩さんを見ていればわかりますね。
薪野さんはこの方です。VRの資金集めのための土下座の件(https://note.com/maayamakino/n/n890d4576dbc8)で一部で燃えたりもしましたが、逆にいえば「西野亮廣さんに直接会えて」「数千万かかるVRの企画も任せて貰えて」「更に追加で予算のお願いを出せる」立場にいる方です。
この方のプロフィールにしっかり書かれていますね。東大博士課程と。平たくいえば東大の院生ですね。
こういった常に努力している方がプロフィールに書く、ということは学歴は自分の武器であると認識していることです。
学歴があることの何が一番いいかというと、「大多数の人に能力をある程度理解してもらえる」ということです。
オンラインサロンですと、人によってはその価値を理解していたり、「オンラインサロンってなに?」って人がいたりと、その評価はまちまちです。
ですが大学受験は一斉にテストを受けて入るため、特定の大学に入るということは「自分はこの大学に入れるだけの能力がある人間です」と証明できることでもあります。
そのため「○○大学の学生です」と言えば、知識があまりない人でも「この人は高い能力をもっているんだな」と理解してくれます。
薪野さんもそこをわかって、プロフィールに日本でもトップレベルの大学の学生であると記載しているのだと思います。
サロンで活動していくうえで、エンタメでお金を稼ごうとする上で、顧客や取引先はサロンメンバー以外の人となります。どんな人と交流を深めるのかは、そのときにならないと分かりません。
そんなときにどんな人にも自分の能力を示すことができる「学歴」を得られるチャンスを、わざわざ自分から投げ捨てるのですか?
他のサロンの片のnoteを見る限り、サロンメンバーはリスクをとることを貴びます。ただそれは、リスクをとった先にリスク以上の利益をとれることが前提なのではないでしょうか。
大学受験ができる環境なのに、大学受験をあえてやめるというのは、リスクをとるのではなくただ損をしているだけなのです。
noteを読む限り、マルチタスクを苦手としている……つまり一つのことに集中することで力を発揮できる、職人タイプの方のようですね。
でしたら、なおさら安定した環境である大学に入っておいた方がいいのではないでしょうか。
マルチタスクを苦手としている方が、この雇用が不安定なコロナ禍で「生活費をバイトで稼ぎながらエンタメを作る」というのは、どうにも実力が発揮しにくい状況だと思います。
それよりだったら、安定した環境である大学に行き、エンタメを作ることに役立ちそうな講義の単位をとってみたら良いのではないでしょうか。
私も大学生の頃は芸術とまったく関係ない学部でしたが、面白そうだったので海外の映画や文化、芸術に関する講義をとっていました。今でも心に残っています。
それに、仮に本当に第4期インターン生の募集がかかったとき、学歴があることはプラスになるのではないでしょうか。
だから、提案します。大学受験が終わるまで、今後一生使える「武器」を手にするまで、あえてサロン活動を休止して、勉強に励むことを。
そんな!サロン活動を休むなんて!と思うかもしれません。でもこれこそが「とるべきリスク」なんです。
学歴はほぼすべての人に自分の価値を理解してもらえる大きな武器です。
そんな大きな武器を得るために、勉強する。その期間は勉強に専念するために、あえてサロンをお休みする。
武器を得るための「チャレンジ」にサロンの方は文句を言うでしょうか?
チャレンジするためにリスクをとることを恐れないサロンメンバーが、そんなことであれこれ言うわけがありません。
ローリスク・ハイリターンというやつです。こんなチャンスはめったに訪れません。
大きな「チャレンジ」をするために、成功する確率を高めるために専念するのか、武器を得ることそのものを諦めるのか、いまちょうどその分かれ道にいます。
一人の大人として、できればこの高校生の方には、一生使える「武器」を手にして貰えたらな、とそう思い、この記事を書きました。
◎前置き
X日後に死ぬことが分かっているとしたら、僕は残された日々をどう過ごすだろうか。
いくつかの仮定を置いたうえで思いついたことを書き連ねてみる。
・X日後に死ぬことは確実であり、僕はその事実を受け入れている
この前提がなければ、僕は何とか生き延びる手段を探すだけで、残りの時間を使い切ってしまうかもしれない。
何か災害や天変地異で多くの人が死ぬわけではないということだ。僕以外の人々や環境は、僕の死以外は何一つ変わらず日々が続く。そのため、他の人を救うために時間を費やす必要もない。
この2つの前提を置くことで、僕は残りの時間を純粋に自分が満足するためだけに使うと想定する。
◎1日後に死ぬ僕
平日なら、仕事を休まなくてはならない。仮に大事な仕事があったとしても、何かと理由をつけて休むだろう。残念ながら、僕にとって今の仕事は、24時間しか残されていない状況で時間を割くには及ばない。事情を説明して別れを惜しむほど、会社の面々とは親しくない。みな僕の死を知ったら驚くだろうと思いながら、事務的に部長に有休申請を行うまでだ。
明日死ぬと思って毎日を生きよう、そんな格言を聞いたことがある。そう思うことで、本当に望むことに取り組むことができるという意味だそうだ。しかし、本当に1日しか残っていないとしたら?できることはあまりに少ない。選択肢はとてつもなく刹那的になってしまいそうだ。僕には好きな友人や家族はいるが、特別日々を一緒に過ごす類のパートナーはいない。仮に恋人や妻がいれば、最後の1日を普通に過ごして見送ってもらうだけで終わるかもしれない。だが、そんな相手はいない以上、個人的に満足に過ごす方法を考える必要がある。
僕はきっと24時間を一人で過ごすだろう。もうすぐ死ぬことが分かったうえで、友人を呼びつけて一緒に過ごしてもらう気まずさには耐えられそうにない。両親との関係は悪くないが、この状況では会うには気が引ける。そんなことができる距離感の相手なんて、それこそ恋人か妻か子供ぐらいしかいないのではないか。残念ながらそんな相手はいない。誰かに電話くらいはするかもしれない。でも、友人には普段電話などしないので、何か問題ごとでもあるのかと勘繰られてしまいそうだ。何かの用事にかこつけて、母親の声でも聞ければそれで十分だろう。
最後の1日を刹那的な快楽のために使うか、何か意味のあることに使うか、悩むところだ。刹那的な快楽を得るならば、とにかく美味しいものを食べるとか、綺麗な景色を見るとか、性欲を満たすとか、そんな過ごし方になるだろう。できるなら最後の食事は美味しいものが食べたい、でも一人で食べるなら何でも一緒に感じてしまう気もする。そもそも残り時間を考えれば、栄養にもならない食事に時間と労力を割くのはもったいない。食事に限らず、もう何も思い残すことがないと思えるほどの快楽なんてあるのだろうか?どんなに刹那的な快楽を満たしたとしても、最期の1分1秒には、どこか虚しい気持ちになってしまうのでは?
そうだとしたら、死ぬ瞬間に満たされた気分になる1日の使い方とはなんだろうか。やはり「善いことをした」「この世界に良い影響を残した」と思うことで、自らの人生を肯定できるようになることではないか。残念ながら、僕が仮にこの文章を書いている今この瞬間に死ぬとして、僕は何かこの世界のために役に立ったのかと問われると、自信をもってイエスとは言えない。たいして他人に迷惑をかけずに生きているという自負はある。しかし、周囲との干渉が少ない故、特別人助けをしているわけでもない。仕事だって、給料に見合う働きを提供するだけの等価交換で、社会に対してプラスを与えている気はしない。そんな認識を塗り替えるようなことが、24時間で成し遂げられるだろうか?
一つ、すぐに取り組めそうで最も「自分が」やる意義がありそうなことは、近しい友人たちに手紙を書くことだ。僕は29歳で、同年代の友人たちの多くは、若くして死ぬということに実感がないと思う。僕自身もそんな実感はない。そんな友人たちに向けて、身近にいる人間として、心を込めたメッセージを残せば、きっと彼らは限られた生を実感して、より有意義に過ごしてくれるのではないか。そう思いながら昇天するのは悪くない気がする。
一応、死因は自殺ではないことが皆に分かるように手配しておきたい。僕の世代の死因に占める割合は自殺が多いはずなので、事情を知らない人には勘違いされる可能性もある。僕自身はこの際どう思われても構わないが、勘違いのせいで周りの人が嫌な思いをしてしまう事態は避けたい。
◎1か月後に死ぬ僕
1か月は新しいことを始めるには短いが、1か月はちょっと長い。休まず有意義に使い切ろうとしたら息が詰まりそうだ。それでも、1日でも労働に費やすのは惜しいと思ってしまう。やっぱり仕事は無理やり辞めるしかない。お金が必要でないのなら、働かないに越したことはない。そもそも現状で何故僕は、嫌だと感じている労働に多くの時間を割いているのだろうか。
別に誰かに命令されるわけでもなく、僕は自分の意志で一挙一動を選択してきたはずだ。その積み重ねで生きてきたはずなのに、何故不本意な結果となっているのだろうか。僕は必要に駆られて働いているのであって、労働から精神的な充実を得られると期待するのが筋違いなのかもしれない。とはいえ、身の回りを見渡してみれば、仕事を楽しんでいる人はそれなりにいる。今の職場に就職した理由に思いをはせると、僕は仕事の内容や会社の状況について多くの誤解をしていた。さらに言えば、自らが求めているものもよく理解できていなかった。分からないものが多すぎたので、正しい選択ができていなかったのだ。そして、今も自分が求めているものはよくわからない。
1か月もあるのなら、できるだけ面倒を残さないように、いろいろな手続きを済ませておきたい。仕事を辞めて、部屋を片付けて、もろもろのサービスを解約しておけば、あとに残された人も困らない。ついでに恥ずかしい日記を処分しておこう。あと、年に1度ぐらいしか帰省はしていなかったが、顔ぐらいは見せておこうと思う。
口座に200万円はある。これを一体何に使えばいいだろう?1週間で使い切るとすれば、なかなかの贅沢ができる。どうせならぱーっと使ってしまいたい。僕の貯金は社会に影響を与えるには雀の涙すぎるし、このお金を寄付するほどの聖人ではない。それに、個人的に残してあげたい相手がいるわけでもない。しいて言えば、会社勤めをしながらイラストレーターの夢を追う弟にはちょっと残してあげてもいいだろう。全部残すと重たいし、あぶく銭は彼のためにもならないかもしれない。残高を気にせずに、旅行したり、いいものを食べたりして、残った分は弟に渡すくらいでちょうどいいかもしれない。
僕はかねてから死ぬ前に一度バンジージャンプに挑戦してみたいと思っていたが、1か月のうちの半日ほどを費やすに値するほどではなさそうだ。リストに入れるべき項目は、手紙を書くよりは重要でなくて、バンジージャンプよりは重要なことにしよう。残り1か月があるなら、無理を言ってでも友人たちに会って、直接思うことを伝えることができる。
そういえば、残り24時間しかない場合を考えているときは、お金のことには思い至らなかった。僕にとってお金は最優先事項ではないのかもしれない。ある程度長い期間生きるとして、なくてはならないものであって、それ以上のものではないのだろう。少なくとも、残されたお金の使い道を考えながら死にたくないとは思う。
◎1年後に死ぬ僕
1年残っているなら、少しはきれいに仕事を辞めてもいいかもしれない。2週間ぐらいは引き継ぎに費やしてもいいし、そのほうが残りの1年間をすっきりした気持ちで過ごせるだろう。残りの期間で仕事の関係者に出くわす可能性が上がるので、あまり気まずい思いをせずに済ませたい。これくらいの長さがあると、「将来のために今は多少我慢をする」といった発想が生じてくる。
きっと、仕事を辞めた理由を誰もに聞かれるに違いない。親しい人たちには正直に話すほうが良さそうだ。残り1週間ならともかく、1年間あれば段階的に別れを受け入れることができる。何度か会ったとしても、そう重苦しい雰囲気にならずに済みそうだ。でも、どうやって伝えたらいいのか分からないし、伝える瞬間の気まずさに耐えられなさそうだ。Twitterにでも書き込もうか。
貯金を取り崩すだけでも、何とかやりくりして生きていけるだろう。まず、会社に行かなくていいなら、家賃はできる限り節約しよう。決して余裕があるわけではないので、計画を立てて、慎重にお金を使っていくことになるだろう。食事だってそんなに贅沢はできない。それでも、僕にとってはお金よりも時間のほうが大切であって、贅沢をするためにより長く働こうという発想にはならない。
1年もあるならば、全く新しいことを始めたとしても、何かを成し遂げられる気がする。果たして僕は特別に何か成し遂げたいことがあるのか?と考え始める。そして、今までの日常の延長線上でしか考えられないことに気づく。思うに僕は無趣味なのだ、無趣味な故、急に働かなくてよくなったら、何をして過ごしたらいいのかわからなくなる。働きながらだって休みはあったけれども、寝て体力を回復したり、家事をしたり、友達と遊んだり、ランニングしたり、漫画やアニメをダラダラと見たりしていたらあっという間に時が過ぎた。漫画やアニメを見るのは好きだが、あと1年で死ぬとしてずっとそれに時間を費やしたいとはあまり思いつかない。それはリラックスを兼ねた娯楽であり、積極的に取り組んでいるというよりは、消去法的な時間の過ごし方だった。
もともと、人生を捧げられるような対象が欲しいと思っていた。しかし、そんなものは見つからず、とにかく生活のために労働し、疲労と惰性で考え事をするのもままならず、暇な時間ができたら途方に暮れる有り様だ。そんな対象がなくても、愛すべき人がいて、その人と過ごすだけで楽しく満ち足りた日々になるなら、それまた幸福だ。しかし、1年しか残されていないのが分かっていながら、新しく親密な関係の相手を探すのは残酷めいている。残される相手のことを考えると、残り1年で愛すべきことを見つけるなんてハナから期待すべきでない。
愛する人もいないし、やりたいこともない。そんな自分の現状は不甲斐ないが、ないものはないので仕方ない。とにかく何がしたいのか考えてみよう。かといって急に机に向かって考え始めたからといって、何か思いつくわけではない。12か月もあるのだから、1か月ぐらいは思い切って、考えるために時間を使ったっていいではないか。いったん、何もかも放り出して、どこか海沿いの旅館にでもこもって何をしたらいいか考えることにしよう。それ以上のことは今は思いつかない。
10年間生きるならば、すぐに仕事を辞めるわけにはいかない。自分がやりたいこととは別に、生活費を稼いでいくということを主軸に据える必要がある。仕事をどうすべきか、という問題に正面から向き合わなくてはならない。この問題については、大きく二つの方向性を考えることができる。一つは、多忙でもハードでも、とにかく給料の高い仕事に転職してお金を稼いで、一日でも早く仕事を辞めようとすること。もう一つは、仕事をしている時間を無駄と感じずに済むくらい、意義のあるものにすることだ。残念ながら、現状の仕事はどちらにも当てはまらず、ただ金を稼ぐため、辞めて履歴書に傷をつけないために惰性でぶら下がっている状態だ。よって、残り10年間を前提とするならば、すぐにでも転職活動をして、より有意義な時間を過ごせるようにしたい。
例えばかなり無理をして、3-5年間ハードな場所で働いて、残りは働かずに暮らせるのなら、悪くはない。この選択肢は、どう転んでも仕事をすることは苦痛なので、とにかく短期間で済ませるという考え方に基づく。貴重な10年間のうち多くの時間を割くに値するような労働はあるのだろうか?そんなものが見つかりさえするのなら、すぐにでも飛びつきたい。そもそも、そんな仕事があれば、残り10年とか関係なくやってみるべきなのではないか。
10年あれば、適当な理由をつけて別れることを前提に、恋人を作ってもそこまで罪深くはないだろう。すべてを語るような深い関係にはならないかもしれないが、一人で過ごすよりは日々に彩りが生まれそうだ。それとも、ふとした瞬間に虚しい気持ちになるだろうか?
◎30年後に死ぬ僕
10年ではなしえず、30年かけてしかできないものというのはそう多くはないはずだ。仮に僕が職人か何かで、同じことを一筋やり続けるのであれば、その時間の差は歴然となって現れるのだろうか。そんなことを考えると、今すぐ何かの道に入門して、極めてみたいものだという気持ちが湧くが、僕は飽きやすい人間であることをすぐに思い出す。僕はタイムマシンがあればすぐに30年後に行って、知識と経験の蓄積による果実を得たいと思う怠惰な人間だ。その蓄積の過程自体を楽しみ、こなしていくことができるなら、とっくに僕は何かを身に着けているはずなのだ。
残念ながら職人道を極めることはできなさそうだが、それでも少なくとも2つほどは新たな可能性が思いつく。まず、結婚して子どもを育てることが選択肢に入る、30年あれば、子どもが成人するまで面倒をみることができる。そして、家を買うかどうかも真剣に検討する必要がある。
僕は子どもが欲しいのだろうか?正直、残りの人生の期間について考えなければ、そんなことをまじめに自分に問う機会もなかった気がする。具体的に結婚するような相手ができて初めて、欲しいかどうかを考えればよいと思ったのだ。しかし、成人するまでは面倒を見ておきたいという条件を付ければ、残された時間は結構短い。相手ができたとして、すぐに子どもができるかどうかだってわからないのだから、30年のうちの最初の5年くらいで、一連の仕込みを済ませておく必要があるだろう。そのような前提を置くと、恋愛や結婚は残り時間から逆算したうえで、極めて計画的で無駄のないプロセスで行う必要がある。そう考えると窮屈に思えてきたが、女性であれば出産できる年齢が限られている故、同じような考えを持つのだろうか。一通り考えを巡らせたところで、そもそも子どもが欲しいかどうかすら分からないことに気づく。別に、残りの30年を考えたうえでそれが最優先事項というわけでは無ければ、窮屈な思いをしてまで計画的に「仕込み」を行っていく理由もない。
30年もあると考えると、途端に今すぐには現状を変えなくても良いかという思いが芽生えてくる。僕は現状の生活に満足しているわけではない。それなのに、変えなくてよいと思うのはなぜだろうか?変化にはきっかけとエネルギーが必要なのかもしれない。そこそこのストレスや孤独があるにせよ、安定しており、ある種の均衡状態となっている僕の生活を変えるには、何らかの外的なショックが必要なのだろう。
◎53年後に死ぬ僕
今29歳の僕は、52年後に日本人の平均余命といわれる81歳になる。すなわち、52年後くらいに死ぬという前提は蓋然性が高く、それをもとに人生の計画を立てることはひとつ筋が通っている。しかし、正直なところ、年老いた自分がどう過ごすかなんて、今から計画を立てるのは馬鹿げている。そこに至るまでの不確定要素が多すぎる。
とはいえ、一つ考えるに値することは、日本にずっと住み続ける前提で人生を考えるか?ということだ。何せ、この時期までに日本の人口は2-3割くらい減る推計になっている。今だって、社会保険料と所得税と消費税が大きな負担になっているが、今後ますますその負担が増えることは間違いない。5-10年先の未来だけ気にすればよいのなら、別に自分にとっての影響は大きくない。でも、より長い期間を考えると、例えばまともに医療が受けられなくなったり、預金が没収されたりするリスクだってあるかもしれない。少なくとも、今現在の高齢者が受け取っているのと同等の価値の年金をもらうことは全く期待できない。
僕は家族や友人たちがたくさん住んでいて、最高のアニメや漫画を生み出す日本が大好きなので、できることなら日本に住み続けたい。しかし、生活があまりに苦しくなるようなら、泣く泣く国を離れるというのは、世界中のどこにでもある話だ。かといって今すぐに海外に移住することが賢明というわけではない。とにかく英語くらいはできるようになっておき、いざとなればよその国でも食べていけるような能力は身に着けておく、それくらいの「投資」は残り53年くらい生きるなら、多少今を犠牲にしてでもやっておいたら老後の安心に繋がるかと思う。
◎あとがき
現在僕は、感染症が広がり外に出られない状況で、友人と会う機会も減り、社会とのつながりが徐々に切れていく感覚を味わっている。もともと、仕事に追われて、生活のために生きているような感覚を覚えていたが、そこから抜け出すことを難しく感じていた。一日中家で仕事をして、終わっても何もしたいと思えることがない。あまりに空虚な自分の生活に一種の絶望を感じている。
そんな中いつものようにTwitterを目的もなく眺めて時間をつぶしていると、「友人は少なくていい、3か月後に死ぬとしたら一緒に過ごしたいと思えるような相手さえいれば十分」というような記事にたどり着いた。そこから着想を得てふと自分の生活を振り返ってみると、3か月後に自分が死ぬのならやらないであろうことであふれていた。短い間に自分が死ぬことを考え出すと、僕は気が楽になった。これは僕自身にとってのセラピーになった。ある種のミニマリズムや断捨離に近い感覚で、「3か月後に死ぬのであれば不要」と思えることを生活から切り捨ててみる。例えば僕はいつか読んでおこうと思っていた大量の本をその基準に従って捨てた。すると、僕の人生は前よりも少し方向性が定まったように感じたのだ。
とはいえ、それと同時に、自分の空虚さを改めて実感するきっかけにもなった。自分の寿命の想定をどんどん伸ばしていくほどに、可能性は広がっていくはずなのにやってみたいと思うことが思いつかないのだ。まるで、遠方ほど霧が濃くなっていくような感覚だ。この問題は僕が、「いつかは役に立つだろう」と思われる仕事や資格の勉強に時間を費やしがちだったことと関係があるかもしれない。その時々に自らの欲求に耳を研ぎ澄ませてこないできたら、欲求をとらえることができなくなってしまっていた。
平均寿命から想定して、老後の安心や家庭を持つ可能性なども考慮した貯金やらライフプランとやらをある程度は考えなくてはならない。それでも、僕のようなタイプの人間は、3か月後に死ぬというぐらい過激な想定をしてでも、素直に最もやりたいと思えるようなことを考えていくべきでは、というのが今のところの結論だ。
僕の文章は思いつきを並べただけでまとまりのないものになってしまったが、もっと多くの人にこの思考実験をやってもらって、その結果を読んでみたいと思う。ぜひこれを読んだあなたも試しに3か月後に死ぬとしたら何をするか考えて、記事を上げてみてほしい。
待って待って引き返さないで。俺のおすすめ餃子を聞いてからにして。
いきなり地域特性皆無やないかい。でも手間とコスト考えるとめちゃくちゃ旨い。櫻井翔が旨い!って言ってるんだから旨いに決まってる。
とりあえず無性に餃子食いたくなった奴はこれ。いつも冷凍庫にストックしてる。
全国流通してるので地方スーパーにもたいてい置いてあって助かる。ありがとう味の素。
愛知(ギリ数店舗)と山梨(ギリ一店舗)まではある静岡ローカル中華ファミレス。これは浜松餃子。静岡の店舗でも愛知の店舗でもたぶんメニュー名は浜松餃子。皮は薄めでパリっとした感じ。具沢山。もちろんもやしがついてくるし円形(数が少ないのは横並び)。
ファミレスなので安いしいっぱい食べられる。あとすごいファミリー向け。お子さんが机をめっちゃ荒らしても店員が片付けるので気にしないでくださいってポスターが貼ってあるから世のパパママは気が楽になりそう。俺は独り身なので関係ないが。さわやかに並ぶの飽きたらこっちにしろ。浜松駅ビルに入ってる。カウンター席あるし一人でも行きやすい。持ち帰りメニューも充実してるのでコロナ禍でも助かる。
餃子以外だとレタスチャーハンがめちゃくちゃおいしいので是非一度食べに来てください。
餃子は好みなので手作りしろ。結局それしかない。俺は皮薄めがいいしニラよりキャベツを入れたいし羽はパリパリについててほしいしもやしがないのは論外。自分で作れば変わり種(チーズ・キムチ・海鮮類・ほうれん草とかがおすすめ)もできるし量も調節できるし成型するのが楽しい。餃子づくりはいい文明。とにかく具材を細かく刻むのがポイント。みじん切りさえ徹底的にやればだれでもサイコーの餃子と出会える。ナイス餃子ライフ。
浜松歴20年超でも「浜松餃子ってなんなのよ?」と聞かれてもはっきりとは答えられない。もやしが添えてあったら大体許されるような気はする。中には浜松餃子を名乗ることを許したくないような餃子もたまにあるが、まあ人の好みは千差万別なので仕方がない。人には人の浜松餃子。
宇都宮餃子と名の付くものを食べたことがないので、宇都宮餃子がどういった代物なのか全くわからない。なんか特殊製法だったりするのか。気になるけど栃木に行く機会が全くなくて食べたことがない。浜松でも宇都宮餃子が食べられるところがあったら教えてほしい(そんな強気な職人がいるのかわからんが)。