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はてなキーワード: 平均余命とは

2023-01-08

総合スペックの男女差ってなんだろう。

生理現象が知能に影響を与えるという仮説を述べている人がおられたので。。

かに男性生理もないし、更年期障害もないからお得感はある。

ただ、生理の影響含め、広く健康状態には個人差があるところ、生理限定せず、QOLを落とす要素、つまりまり人の集団で発生する病気の要因や分布など疾病に罹患する傾向をみたほうが総合スペックという仰々しい言い方にかなっている気がした。

また「経験を積む時間を失っている」という指標を設定してもいるようなので、その時間の線引きについても、人生のあぶらの乗ったいい時期だけを想像していいとこどりするのではなく、まさに人生全体で判断したほうがいいんじゃないかな。

ますトータルの時間でいうと

平均余命の男女差はよく知られている話で、男性が81.47歳、女性が87.57歳なのだそうだ。イエーイ、女性の勝ちだぜ!と。。

しかし、ちょろっとググったところによると、認知症の有病率としては、80歳代の後半であれば男性の35%、女性の44%、95歳を過ぎると男性の51%女性の84%が認知症であることが明らかにされているのだそうだ。高齢になれば、女性男性に知能面でやっぱり。。。という結果になるのか。

老眼検索すると、女性老眼の進行は男性より3〜6歳遅いという情報がヒット。


言葉の発達は女子のほうが早いという話もある。そうするとスタート地点では女性が大きくリードか。。老眼も遅めだから幾分か男性より経験時間ゲット。

また、確か、がんの罹患率も男女差があったことを思い出す。

ググってみると、79歳まででは男性のがんに罹患する確率は39.6%であり、女性の27.5%とくらべると約1.4倍男性のほうががんになりやすいという情報がみつかる。

などなど。

男女差、面白い


しかし、これって勝ったり負けたり、という話なのか??

そしてさらに、総合スペックを期間で分割すると、乳幼児期のスペック学童期のスペック青年期、壮年期のスペックというのも考えうる。

しかしながら、こうして比べてみると、生物学的な個体特性だけで勝っただの負けただのいうこと自体が空しい。

その虚しさをうまく言語化することはできないが、社会環境要因を度外視してQOL評価できないことすぐに思い出して当たる。近年の医学部入試男子受験生下駄をはかせて問題となったニュースがあったけれども、女性が抱えているハンデというのは男性社会のなかで仕組まれものだったりもする。

うまくいえないが感覚的なものとして共有することはできるように思う。




男女問わず人間スペックの足りない状態から出生し、やがて衰えていくし、劣ってゆく。

そのようなトータルなプロセスのなかで、その時々の瞬間には生物として能力てきに勝ち負けになるのかもしれないが、トータルに、それこそ総合的にみると、

それは誰かに支えられて生きてきて、誰から学んで成長し、そして誰かに迷惑かけながら死んでゆく社会的な存在であることを忘れたことにならないか総合スペックってそういうことじゃねーんだよ、と言われれば認識の違いでそれまでなんだけど。

それを誰か、別の属性比較しなくてもいいのでは。


総合スペックという言葉は、容易に生産性という言葉連想されやすいし、生産性というと、かつてのドイツのT4計画がらみでLife is Beautifulのなかで奥様連中が語っていた社会効率まで思い出す。

そうすると優生学の優の字まで脳裏をかすめるが、そこまでぶっ飛んで飛躍しなくても、少なくとも

個体として勝ったり負けたりと考えなくてもいい社会であってほしいと思う。

ちなみに2021年警察庁統計によると男性自殺者数は、女性の約2倍となっ ているのだそうだ。

2023-01-02

   まず、まったくもって確実なことは日本人理性的存在ではないということである。それは、律令制時代中国体制を導入していたが、200年後くらいか体制崩壊

 鎌倉幕府以降、明治維新まで、はるか1000年にもわたって、将軍による土着支配体制を維持してきた典型的に非理性的社会からである

     このようにそもそも日本人自体実存としてはるか天空に舞い上がるとかでもないし、日本人の本願は理性よりも感情的な面にあり、その本質的人生として、理性的ものでは

  ないかである。その終生において実行することも理性的なことではないし、全て性的感情的ものである

    それを佐藤は醜いと総括するがそういうことではない。醜いかどうかは明らかではない。現在社会人が考えているような方向には日本人はどうしても出ないと思う。

  日本人平均余命は10歳程度とされており、それ以上は、日本人社会では、ババアなどと言われる。20歳を超えると、幽霊人間ではない、妖怪の類に分類される。

   平成時代女子供を見ると、インターネット通信にとち狂ってそのまま終結するような人生だったと思う。私の場合は、晴生とこうすけ喧嘩がふっかけてこない限り勉強はしなかったので

 元々はバカ女だったのである。だから私は日本人というのは、特段のことがない限り理性的になるような人種ではないと思う。

  つまりその人生特に意味はなく、相当に酷い。何かの事件でもなければ理性を発揮することはなく別の方面に突っ走ってそのまま自爆する。もっとひどい方向に出てそれを極めた挙句

    腐敗する。それが日本人人生の通例だと思う。それだからして私は日本人に理性があるとは少しも信じていない。若いうちに酷い方向に出て、年を取ると、理性的になるという

  事実自体がない。日本人は、若いときはかなりひどい方向に出て、年を取るとそのまま腐敗すると思うからである。つまりその人生は終生性的であり、理性的にはならない。

   これが私の認識である

2022-12-11

anond:20221211183417

30年間の中に、同世代の異性と出会える確率人生で最も高いボーナスタイムである学生期間が最大6+3+3+4=16年間あった。

この16年の間に見付からなかった異性が、残りの平均余命40年(https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life10/01.html)の間に見付かる確率を考えてみよう!

2022-11-27

↓の通り国際男性デーは現状、

フェミニズム男性教化する日」

になってて、非常にグロテスクな構図となってるんだけど、


連載「「男性を生きづらい」を考える」一覧 - A-stories(エーストーリーズ):朝日新聞デジタル

https://www.asahi.com/sp/rensai/list.html?id=1658&iref=sp_rensai_article_short_1658_above_bn

本家ウェブページだと全く趣が違っている。

Media - International Men's Day

https://internationalmensday.com/media/

男性に偏っていて、固有の影響を与える多くの人権問題があることは否定できない。

職場での死亡: 不均衡に男性.

戦死:圧倒的に男性

自殺:圧倒的に男性

判決格差平均余命子供親権養育費、虚偽のレイプ申し立て刑事裁判所の偏見ミサンドリー、失敗、教育で遅れをとっている少年ホームレス退役軍人問題幼児男性性器切除、子供妊娠した後の親の選択の欠如、家庭内暴力男性被害者のためのリソースの不足



冒頭の一連の記事にあるような「男性学」であれば、

問題提示の直後にフェミニズム解釈治療法を提示し、フェミニズムへの回収を図るのが定番の流れだが、そうはなっていない。

から冒頭のそれは、企画者と執筆者の国際男性デーの独自解釈であり、かなり特異なスタイル、ということは認識しておいていいと思う。

2022-06-20

平均余命選挙権制限したら

氷河期世代正社員になれなくて、ろくに健康診断も受けてない人も多いだろうから平均余命はかなり短くなるんじゃないだろうか

これから病気などを苦にした氷河期世代自殺も増えていくだろうし、下手すると60前後選挙権を失う羽目になるんじゃね

つーか高齢者地方住民を説得するんじゃなくて、そいつらが持ってる選挙権制限する方向に向かうのって明らかにファシストの考え方だよな

若い東京人にあらずんば人にあらずって事か

2022-05-24

心身共に健康だった奴が老人になって金がないか生活保護ってなんか納得できないところがある。

大病患っていたとか

自然災害資産がなくなったとか

平均余命を大きく超えてしまい金が尽きたとかならわかるけど

70歳とかで金が尽きることがわかっててなぜ貯めておかないんだろう?

労働力不足でどこも人手が足りず選り好みせず働こうと思えば働き口自体はあるはずなのに。

2022-01-12

最近平均余命をチェックするといやーな気持ちになる

まだこんなに長生きするのかと

これは、両親、妻、自分自身すべてに関してである

どーやって生活費確保すりゃいいんだよ…

そのうち老年自殺増えそう

2021-12-10

anond:20211209090831

おまえが海外旅行したことない引きこもりだということはよくわかったからそこのインド料理店でグラブジャムン買ってこい

あとおまえ完全に誤爆してるぞ 元増田に謝ってから帰れよ

あと糖尿病のなりやすさは単純に遺伝子のせいとわかっている

同じもの食ってもインディアン居住地の人とほかの平均的米国人とでは3倍くらい糖尿病の発病率が違うぞ

米国人肥満自分で立ち上がれなくなるまで太れるくらいランゲルハンス島だの肝臓だのが丈夫なだけだぞ

日本人相撲取り(めちゃ運動する)でも引退後糖尿で平均余命少な目だぞ

https://dm-net.co.jp/calendar/2015/024123.php

糖尿病有病率は、白人11.3%であるのに対し、アジア系20.6%となっており2倍近く高い。さらに、アジア系の51%糖尿病と診断されておらず、自分糖尿病であることを知らないという。

 糖尿病米国で主要な死因となっている。糖尿病治療を行わず放置しておくと、やがて心臓病や脳卒中発症やすくなる。神経障害腎臓病、失明などの危険性も高まる

 「糖尿病発症する人を早期に発見して、治療を開始することが、糖尿病合併症を防ぐために必要です。我々は糖尿病もつ人を助けるために治療を行えますしかし、治療を行うために、糖尿病の診断が必要です」と、NIDDKのグリフィン ロジャーズ氏は言う。

 肥満が増えると2型糖尿病発症率か上昇する傾向があるが、アジア系は体格指数(BMI)が低い段階で2型糖尿病発症やすいことが知られている。

https://www.mhlw.go.jp/www1/topics/kenko21_11/b7.html

日系移民対象とした研究によると1)、日本人とは遺伝的背景は同一であるもの生活習慣の欧米化さらに進行した米国の日系移民集団では、糖尿病有病率・罹患率はともにわが国の住民よりも2ー3倍高いことが知られている。社会的状況を考えれば、現在の日系米国人は将来の日本国民健康状況であるとも推測され、早急な糖尿病対策必要であることの根拠としても注目すべきである

https://kamiuchidm-clinic.com/blog/?p=304

マインディア

米国アリゾナ州に住むピマインディアンは古くから飢餓環境に順応するために摂取したエネルギーを少しでも脂肪に蓄えておこうとする体質が備わっていると考えられています。そこで、西洋文明流入してきて生活様式が一転したことで成人の90%が高度肥満世界的に最も2型糖尿病が多い民族となってしまいました。飢餓を乗り越えた遺伝的体質は飽食運動不足の現代においては肥満遺伝子となるのです。

糖尿病専門医がピマインディアンの体質を調べ上げ、明らかになった遺伝子が、アドレナリンβ3受容体遺伝子多型です。この遺伝子を持っていると体のエネルギー節約するように働く、つまり倹約遺伝子なのです。飽食時代にはこの遺伝子肥満遺伝子と呼ばれるようになります。この肥満遺伝子日本人は3人に1人持っています。つまりそれほど食べていないのに肥満になりやすい体質を日本人は持っている可能性が高いのです。

肥満の方は、食べ過ぎであるというレッテルを張られることが多いです。特に病院健康施設ではそのような偏見もつ医療者が多いです。しかし、太りやすい体質があるということも事実なのです。

anond:20211207180922

たとえば去年の平均余命計算する場合、去年の10歳の死亡率とか20歳の死亡率とか、各年齢での死亡率は分かっているので、その死亡率がそのまま変わらない世界を生きた場合に余命の期待値がどれくらいになるかというのは計算できる。それをゼロからやったもの平均寿命。だからあくまで去年がどれくらい死にやすい世の中だったかを表すものであって、平均寿命ゼロ歳での平均余命だと言っても、いろんな将来見通しなどを踏まえて余命の推計をしたものではない。

2021-12-07

anond:20211207131452

0歳児なんてほとんど死んでないのにどうやって平均余命計算しとるんや

ふーしぎー

anond:20211207133402

平均余命を見ないとだめ

 

横やけど、なるほどそれはそうやな。

増田かしこやな。

anond:20211206221238

存在するかもしれない老後のために払ってるんやろ。

存在しないかもって思うなら一切の社会保険税金も払わずに生きてみたらどうや。その前に自分社会から受けた恩恵をすべて返すところから始めようか。

あと、平均寿命を見ても意味ないよ。あなたの年齢での平均余命を見ないとだめ

anond:20211206232739

平均寿命から今の年齢を引いたものと、今の年齢での平均余命全然ちがってくるので。

それは単純に平均寿命というものを誤解している。

平均寿命あくまで0歳児の平均余命のことだから平均寿命65歳というのは、たとえばあなたが今30歳未婚男性として平均的にあと35年で死ぬことを意味しているわけでは無い。死亡年齢中央値のような生まれ年での人口の差が影響してくるものならさらに違ってくる。30歳時の未婚男性平均余命は、未婚男性平均寿命や死亡年齢中央値から30を引いたものよりずっと長い。1995年時点の生命表で、65歳時点でも平均余命は既婚男性17年、未婚男性12年ほどもある。65歳まで生きたら、まだそれだけの期間生きるための金が必要なわけだ。年金の世話にもなるだろう。さら現在1995年時点よりももっと平均余命は伸びている。

しかも、未婚男性平均余命はだいたいどの年齢においても既婚男性平均余命よりも短いのは事実だが、これは未婚だと早く死にやすいだけではなく、たとえば生まれつき身体が弱い人は未婚になりやすく且つ早く死にやすいといったことの影響も受ける。もしあなたが生まれつき身体が弱いのでなければ、余命の期待値もっと長くなり既婚男性平均に近付く。これは身体の弱さだけでなく、経済状況等についても同じようなことが起こる。あなたが長期失業者でなければ、余命の期待値もっと長くなる。

から、"独身男性平均寿命が65歳くらいってことは高確率で「老後が存在しない」"、なんてのは単なる平均寿命という概念に対する誤解であって、そんなことは言えないんだよ。

anond:20211206221238

2021-09-28

anond:20210927230644

人間平均寿命は0歳時点での平均余命だけど動物平均寿命も同じなんか?

そこまで厳密に計算していないと思うけど。

平均寿命というよりは正確には中央値とか最頻値といった方がいいかもしれん。

2021-09-27

anond:20210927161919

江戸時代平均寿命40歳かいうのは数字トリック

今の途上国でもそうだけど昔は乳児死亡率が高かったからそれで平均が実態より押し下げられている。

平均寿命というのは0歳時点での平均余命のことで、平均的に40歳でみんな死んでいたわけではない。

2021-02-13

anond:20210213133108

でも自称だったり医者学者事実を調べての発言だったら許されるよね

なんで自称がよくて不勉強な他称がだめか?

それは「勉強たかどうか、発言責任があるかどうか」で判定されるんだよ

デブは早く死ぬ」、という言い方は許されないが、医者勉強した人が「メタボリックシンドロームになっている人は成人病リスクが高く平均余命も短い傾向にある」、と発言するなら事実として許容される

森氏も「女性は競い合うように発言する傾向があるが、内容には傾聴すべきことがないわけでもないから、会議時間ゆっくりとって全員に発言のチャンスを与えるか、事前にアンケートで議題をとりまとめておこう」

というのなら文科省の指示に対して責任をとろうという態度にみえたので全く結果は違っただろう

おまえがやってるのは単なる言葉狩りだがそうやって辞書から言葉を消してもなにもおこらない不毛なだけ

本当に推進するべきなのは個人ネットに踊らされないリテラシー習得敷衍

終わり

2021-01-23

X日後に死ぬ

◎前置き

X日後に死ぬことが分かっているとしたら、僕は残された日々をどう過ごすだろうか。

いくつかの仮定を置いたうえで思いついたことを書き連ねてみる。

・X日後に死ぬことは確実であり、僕はその事実を受け入れている

 この前提がなければ、僕は何とか生き延びる手段を探すだけで、残りの時間を使い切ってしまうかもしれない。

死ぬのは僕だけである仮定しよう。

 何か災害天変地異で多くの人が死ぬわけではないということだ。僕以外の人々や環境は、僕の死以外は何一つ変わらず日々が続く。そのため、他の人を救うために時間を費やす必要もない。

 この2つの前提を置くことで、僕は残りの時間純粋自分が満足するためだけに使うと想定する。

◎1日後に死ぬ

 平日なら、仕事を休まなくてはならない。仮に大事仕事があったとしても、何かと理由をつけて休むだろう。残念ながら、僕にとって今の仕事は、24時間しか残されていない状況で時間を割くには及ばない。事情説明して別れを惜しむほど、会社の面々とは親しくない。みな僕の死を知ったら驚くだろうと思いながら、事務的部長有休申請を行うまでだ。

 明日死ぬと思って毎日を生きよう、そんな格言を聞いたことがある。そう思うことで、本当に望むことに取り組むことができるという意味だそうだ。しかし、本当に1日しか残っていないとしたら?できることはあまりに少ない。選択肢はとてつもなく刹那的になってしまいそうだ。僕には好きな友人や家族はいるが、特別日々を一緒に過ごす類のパートナーはいない。仮に恋人や妻がいれば、最後の1日を普通に過ごして見送ってもらうだけで終わるかもしれない。だが、そんな相手はいない以上、個人的に満足に過ごす方法を考える必要がある。

 僕はきっと24時間を一人で過ごすだろう。もうすぐ死ぬことが分かったうえで、友人を呼びつけて一緒に過ごしてもらう気まずさには耐えられそうにない。両親との関係は悪くないが、この状況では会うには気が引ける。そんなことができる距離感相手なんて、それこそ恋人か妻か子供ぐらいしかいないのではないか。残念ながらそんな相手はいない。誰かに電話くらいはするかもしれない。でも、友人には普段電話などしないので、何か問題ごとでもあるのかと勘繰られてしまいそうだ。何かの用事にかこつけて、母親の声でも聞ければそれで十分だろう。

 最後の1日を刹那的快楽のために使うか、何か意味のあることに使うか、悩むところだ。刹那的快楽を得るならば、とにかく美味しいものを食べるとか、綺麗な景色を見るとか、性欲を満たすとか、そんな過ごし方になるだろう。できるなら最後食事は美味しいものが食べたい、でも一人で食べるなら何でも一緒に感じてしまう気もする。そもそも残り時間を考えれば、栄養にもならない食事時間と労力を割くのはもったいない食事に限らず、もう何も思い残すことがないと思えるほどの快楽なんてあるのだろうか?どんなに刹那的快楽を満たしたとしても、最期の1分1秒には、どこか虚しい気持ちになってしまうのでは?

 そうだとしたら、死ぬ瞬間に満たされた気分になる1日の使い方とはなんだろうか。やはり「善いことをした」「この世界に良い影響を残した」と思うことで、自らの人生肯定できるようになることではないか。残念ながら、僕が仮にこの文章を書いている今この瞬間に死ぬとして、僕は何かこの世界のために役に立ったのかと問われると、自信をもってイエスとは言えない。たいして他人迷惑をかけずに生きているという自負はある。しかし、周囲との干渉が少ない故、特別人助けをしているわけでもない。仕事だって給料に見合う働きを提供するだけの等価交換で、社会に対してプラスを与えている気はしない。そんな認識を塗り替えるようなことが、24時間で成し遂げられるだろうか?

 一つ、すぐに取り組めそうで最も「自分が」やる意義がありそうなことは、近しい友人たちに手紙を書くことだ。僕は29歳で、同年代の友人たちの多くは、若くして死ぬということに実感がないと思う。僕自身もそんな実感はない。そんな友人たちに向けて、身近にいる人間として、心を込めたメッセージを残せば、きっと彼らは限られた生を実感して、より有意義に過ごしてくれるのではないか。そう思いながら昇天するのは悪くない気がする。

 一応、死因は自殺ではないことが皆に分かるように手配しておきたい。僕の世代の死因に占める割合自殺が多いはずなので、事情を知らない人には勘違いされる可能性もある。僕自身はこの際どう思われても構わないが、勘違いのせいで周りの人が嫌な思いをしてしま事態は避けたい。

◎1か月後に死ぬ

 1か月は新しいことを始めるには短いが、1か月はちょっと長い。休まず有意義に使い切ろうとしたら息が詰まりそうだ。それでも、1日でも労働に費やすのは惜しいと思ってしまう。やっぱり仕事は無理やり辞めるしかない。お金必要でないのなら、働かないに越したことはない。そもそも現状で何故僕は、嫌だと感じている労働に多くの時間を割いているのだろうか。

 別にかに命令されるわけでもなく、僕は自分意志一挙一動選択してきたはずだ。その積み重ねで生きてきたはずなのに、何故不本意な結果となっているのだろうか。僕は必要に駆られて働いているのであって、労働から精神的な充実を得られると期待するのが筋違いなのかもしれない。とはいえ身の回りを見渡してみれば、仕事を楽しんでいる人はそれなりにいる。今の職場就職した理由に思いをはせると、僕は仕事の内容や会社の状況について多くの誤解をしていた。さらに言えば、自らが求めているものもよく理解できていなかった。分からないものが多すぎたので、正しい選択ができていなかったのだ。そして、今も自分が求めているものはよくわからない。

 1か月もあるのなら、できるだけ面倒を残さないように、いろいろな手続きを済ませておきたい。仕事を辞めて、部屋を片付けて、もろもろのサービスを解約しておけば、あとに残された人も困らない。ついでに恥ずかしい日記処分しておこう。あと、年に1度ぐらいしか帰省はしていなかったが、顔ぐらいは見せておこうと思う。

 口座に200万円はある。これを一体何に使えばいいだろう?1週間で使い切るとすれば、なかなかの贅沢ができる。どうせならぱーっと使ってしまいたい。僕の貯金社会に影響を与えるには雀の涙すぎるし、このお金寄付するほどの聖人ではない。それに、個人的に残してあげたい相手がいるわけでもない。しいて言えば、会社勤めをしながらイラストレーターの夢を追う弟にはちょっと残してあげてもいいだろう。全部残すと重たいし、あぶく銭は彼のためにもならないかもしれない。残高を気にせずに、旅行したり、いいものを食べたりして、残った分は弟に渡すくらいでちょうどいいかもしれない。

 僕はかねてから死ぬ前に一度バンジージャンプに挑戦してみたいと思っていたが、1か月のうちの半日ほどを費やすに値するほどではなさそうだ。リストに入れるべき項目は、手紙を書くよりは重要でなくて、バンジージャンプよりは重要なことにしよう。残り1か月があるなら、無理を言ってでも友人たちに会って、直接思うことを伝えることができる。

 そういえば、残り24時間しかない場合を考えているときは、お金のことには思い至らなかった。僕にとってお金は最優先事項ではないのかもしれない。ある程度長い期間生きるとして、なくてはならないものであって、それ以上のものではないのだろう。少なくとも、残されたお金の使い道を考えながら死にたくないとは思う。

◎1年後に死ぬ

 1年残っているなら、少しはきれい仕事を辞めてもいいかもしれない。2週間ぐらいは引き継ぎに費やしてもいいし、そのほうが残りの1年間をすっきりした気持ちで過ごせるだろう。残りの期間で仕事関係者に出くわす可能性が上がるので、あまり気まずい思いをせずに済ませたい。これくらいの長さがあると、「将来のために今は多少我慢をする」といった発想が生じてくる。

 きっと、仕事を辞めた理由を誰もに聞かれるに違いない。親しい人たちには正直に話すほうが良さそうだ。残り1週間ならともかく、1年間あれば段階的に別れを受け入れることができる。何度か会ったとしても、そう重苦しい雰囲気にならずに済みそうだ。でも、どうやって伝えたらいいのか分からないし、伝える瞬間の気まずさに耐えられなさそうだ。Twitterにでも書き込もうか。

 貯金を取り崩すだけでも、何とかやりくりして生きていけるだろう。まず、会社に行かなくていいなら、家賃はできる限り節約しよう。決して余裕があるわけではないので、計画を立てて、慎重にお金を使っていくことになるだろう。食事だってそんなに贅沢はできない。それでも、僕にとってはお金よりも時間のほうが大切であって、贅沢をするためにより長く働こうという発想にはならない。

 1年もあるならば、全く新しいことを始めたとしても、何かを成し遂げられる気がする。果たして僕は特別に何か成し遂げたいことがあるのか?と考え始める。そして、今までの日常の延長線上でしか考えられないことに気づく。思うに僕は無趣味なのだ無趣味な故、急に働かなくてよくなったら、何をして過ごしたらいいのかわからなくなる。働きながらだって休みはあったけれども、寝て体力を回復したり、家事をしたり、友達遊んだり、ランニングしたり、漫画アニメをダラダラと見たりしていたらあっという間に時が過ぎた。漫画アニメを見るのは好きだが、あと1年で死ぬとしてずっとそれに時間を費やしたいとはあまり思いつかない。それはリラックスを兼ねた娯楽であり、積極的に取り組んでいるというよりは、消去法的な時間の過ごし方だった。

 もともと、人生を捧げられるような対象が欲しいと思っていた。しかし、そんなものは見つからず、とにかく生活のために労働し、疲労と惰性で考え事をするのもままならず、暇な時間ができたら途方に暮れる有り様だ。そんな対象がなくても、愛すべき人がいて、その人と過ごすだけで楽しく満ち足りた日々になるなら、それまた幸福だ。しかし、1年しか残されていないのが分かっていながら、新しく親密な関係相手を探すのは残酷めいている。残される相手のことを考えると、残り1年で愛すべきことを見つけるなんてハナから期待すべきでない。

 愛する人もいないし、やりたいこともない。そんな自分の現状は不甲斐ないが、ないものはないので仕方ない。とにかく何がしたいのか考えてみよう。かといって急に机に向かって考え始めたからといって、何か思いつくわけではない。12か月もあるのだから、1か月ぐらいは思い切って、考えるために時間を使ったっていいではないか。いったん、何もかも放り出して、どこか海沿いの旅館にでもこもって何をしたらいいか考えることにしよう。それ以上のことは今は思いつかない。

10年後に死ぬ

 10年間生きるならば、すぐに仕事を辞めるわけにはいかない。自分がやりたいこととは別に生活費を稼いでいくということを主軸に据える必要がある。仕事をどうすべきか、という問題に正面から向き合わなくてはならない。この問題については、大きく二つの方向性を考えることができる。一つは、多忙でもハードでも、とにかく給料の高い仕事転職してお金を稼いで、一日でも早く仕事を辞めようとすること。もう一つは、仕事をしている時間無駄と感じずに済むくらい、意義のあるものにすることだ。残念ながら、現状の仕事はどちらにも当てはまらず、ただ金を稼ぐため、辞めて履歴書に傷をつけないために惰性でぶら下がっている状態だ。よって、残り10年間を前提とするならば、すぐにでも転職活動をして、より有意義時間を過ごせるようにしたい。

 例えばかなり無理をして、3-5年間ハード場所で働いて、残りは働かずに暮らせるのなら、悪くはない。この選択肢は、どう転んでも仕事をすることは苦痛なので、とにかく短期間で済ませるという考え方に基づく。貴重な10年間のうち多くの時間を割くに値するような労働はあるのだろうか?そんなものが見つかりさえするのなら、すぐにでも飛びつきたい。そもそも、そんな仕事があれば、残り10年とか関係なくやってみるべきなのではないか

 10年あれば、適当理由をつけて別れることを前提に、恋人を作ってもそこまで罪深くはないだろう。すべてを語るような深い関係にはならないかもしれないが、一人で過ごすよりは日々に彩りが生まれそうだ。それとも、ふとした瞬間に虚しい気持ちになるだろうか?

◎30年後に死ぬ

 10年ではなしえず、30年かけてしかできないものというのはそう多くはないはずだ。仮に僕が職人か何かで、同じことを一筋やり続けるのであれば、その時間の差は歴然となって現れるのだろうか。そんなことを考えると、今すぐ何かの道に入門して、極めてみたいものだという気持ちが湧くが、僕は飽きやす人間であることをすぐに思い出す。僕はタイムマシンがあればすぐに30年後に行って、知識経験の蓄積による果実を得たいと思う怠惰人間だ。その蓄積の過程自体を楽しみ、こなしていくことができるなら、とっくに僕は何かを身に着けているはずなのだ

 残念ながら職人道を極めることはできなさそうだが、それでも少なくとも2つほどは新たな可能性が思いつく。まず、結婚して子どもを育てることが選択肢に入る、30年あれば、子どもが成人するまで面倒をみることができる。そして、家を買うかどうかも真剣検討する必要がある。

 僕は子どもが欲しいのだろうか?正直、残りの人生の期間について考えなければ、そんなことをまじめに自分に問う機会もなかった気がする。具体的に結婚するような相手ができて初めて、欲しいかどうかを考えればよいと思ったのだ。しかし、成人するまでは面倒を見ておきたいという条件を付ければ、残された時間結構短い。相手ができたとして、すぐに子どもができるかどうかだってからないのだから、30年のうちの最初の5年くらいで、一連の仕込みを済ませておく必要があるだろう。そのような前提を置くと、恋愛結婚は残り時間から逆算したうえで、極めて計画的で無駄のないプロセスで行う必要がある。そう考えると窮屈に思えてきたが、女性であれば出産できる年齢が限られている故、同じような考えを持つのだろうか。一通り考えを巡らせたところで、そもそも子どもが欲しいかどうかすら分からないことに気づく。別に、残りの30年を考えたうえでそれが最優先事項というわけでは無ければ、窮屈な思いをしてまで計画的に「仕込み」を行っていく理由もない。

 30年もあると考えると、途端に今すぐには現状を変えなくても良いかという思いが芽生えてくる。僕は現状の生活に満足しているわけではない。それなのに、変えなくてよいと思うのはなぜだろうか?変化にはきっかけとエネルギー必要なのかもしれない。そこそこのストレス孤独があるにせよ、安定しており、ある種の均衡状態となっている僕の生活を変えるには、何らかの外的なショックが必要なのだろう。

◎53年後に死ぬ

 今29歳の僕は、52年後に日本人平均余命といわれる81歳になる。すなわち、52年後くらいに死ぬという前提は蓋然性が高く、それをもとに人生計画を立てることはひとつ筋が通っている。しかし、正直なところ、年老い自分がどう過ごすかなんて、今から計画を立てるのは馬鹿げている。そこに至るまでの不確定要素が多すぎる。

 とはいえ、一つ考えるに値することは、日本にずっと住み続ける前提で人生を考えるか?ということだ。何せ、この時期までに日本人口は2-3割くらい減る推計になっている。今だって社会保険料と所得税消費税が大きな負担になっているが、今後ますますその負担が増えることは間違いない。5-10年先の未来だけ気にすればよいのなら、別に自分にとっての影響は大きくない。でも、より長い期間を考えると、例えばまともに医療が受けられなくなったり、預金没収されたりするリスクだってあるかもしれない。少なくとも、今現在高齢者が受け取っているのと同等の価値年金をもらうことは全く期待できない。

 僕は家族や友人たちがたくさん住んでいて、最高のアニメ漫画を生み出す日本が大好きなので、できることな日本に住み続けたい。しかし、生活があまりに苦しくなるようなら、泣く泣く国を離れるというのは、世界中のどこにでもある話だ。かといって今すぐに海外移住することが賢明というわけではない。とにかく英語くらいはできるようになっておき、いざとなればよその国でも食べていけるような能力は身に着けておく、それくらいの「投資」は残り53年くらい生きるなら、多少今を犠牲にしてでもやっておいたら老後の安心に繋がるかと思う。

あとがき

 現在僕は、感染症が広がり外に出られない状況で、友人と会う機会も減り、社会とのつながりが徐々に切れていく感覚を味わっている。もともと、仕事に追われて、生活のために生きているような感覚を覚えていたが、そこから抜け出すことを難しく感じていた。一日中家で仕事をして、終わっても何もしたいと思えることがない。あまり空虚自分生活一種絶望を感じている。

 そんな中いつものようにTwitter目的もなく眺めて時間をつぶしていると、「友人は少なくていい、3か月後に死ぬとしたら一緒に過ごしたいと思えるような相手さえいれば十分」というような記事にたどり着いた。そこから着想を得てふと自分生活を振り返ってみると、3か月後に自分死ぬのならやらないであろうことであふれていた。短い間に自分死ぬことを考え出すと、僕は気が楽になった。これは僕自身にとってのセラピーになった。ある種のミニマリズム断捨離に近い感覚で、「3か月後に死ぬのであれば不要」と思えることを生活から切り捨ててみる。例えば僕はいつか読んでおこうと思っていた大量の本をその基準に従って捨てた。すると、僕の人生は前よりも少し方向性が定まったように感じたのだ。

 とはいえ、それと同時に、自分空虚さを改めて実感するきっかけにもなった。自分寿命の想定をどんどん伸ばしていくほどに、可能性は広がっていくはずなのにやってみたいと思うことが思いつかないのだ。まるで、遠方ほど霧が濃くなっていくような感覚だ。この問題は僕が、「いつかは役に立つだろう」と思われる仕事資格勉強時間を費やしがちだったことと関係があるかもしれない。その時々に自らの欲求に耳を研ぎ澄ませてこないできたら、欲求をとらえることができなくなってしまっていた。

 平均寿命から想定して、老後の安心や家庭を持つ可能性なども考慮した貯金やらライフプランとやらをある程度は考えなくてはならない。それでも、僕のようなタイプ人間は、3か月後に死ぬというぐらい過激な想定をしてでも、素直に最もやりたいと思えるようなことを考えていくべきでは、というのが今のところの結論だ。

 僕の文章は思いつきを並べただけでまとまりのないものになってしまったが、もっと多くの人にこの思考実験をやってもらって、その結果を読んでみたいと思う。ぜひこれを読んだあなたも試しに3か月後に死ぬとしたら何をするか考えて、記事を上げてみてほしい。

2021-01-16

anond:20210116095055

平均余命超えたらその時点で過去分の軽減分全て一括請求されてもいいならアリだねその考え

年金介護保険料は男女別にしてほしい

男性女性では寿命に差があるのだから年金とかの負担額は男女別に決定してもいいのでは?。

結果的夫婦で同額払うはめになるだけ、というのはわかる。

今後、独身高齢者が増えるのだから

所得に応じて負担額が増減するように、

男女、平均余命に応じて負担額が増減してもいいのでは?

男女の所得格差是正の側面、という理由以外でだめな理由ってなんだろう?

2020-10-29

anond:20201029212014

男性自殺者数は年間2万人もいかいから、平均余命を6歳も下げるまでには至っていないけど。

2020-09-15

anond:20200915074602

結婚する前に死んだ乳児やら未成年統計に入ってるからやぞ

成人してるなら平均余命を調べるべき

2020-08-03

自粛により失われる人生

新型コロナ流行前と比べて、自粛間中生き甲斐って何%くらいだろう。

自分リモート勤務でも特に支障なく収入も減っていないけど、好きな旅行ができず仲間に会いに行くこともできないので、70%くらいに感じている。

から寿命が1.4倍の速さで失われていく感覚自粛期間がもし1年間続くなら人生が0.3年減るようなもので、自分平均余命1%に相当する。

もし自粛せずに流行前と同等の生活をして感染する確率1%以下なら、自粛した方が失うものが大きいことになる。

自粛生き甲斐もっと減る人も多いだろう。その場合はより失うものが大きいし、自粛期間が長期化すればさらに大きい。

もちろん他人感染させる迷惑もありうるからそう単純ではないけど、感染拡大のリスクばかりが喧伝されて、自粛で失われる人生無視あるいは過小評価されていないだろうか。

2020-04-22

コロナにおびえず歯科医院に通おう。じゃないと死ぬよ?【追記あり

歯科医院に通う患者さんの数が減っています

もちろんコロナウィルス蔓延を防ぐために不要不急の外出は避けるという考え方は正しいものですし、最終的に来院するかどうかを決めるのは患者さん自身です。

しかしながら一部の報道等によってバランスを欠いた情報提供され、過剰に歯科医院への来院が抑制されることで、結果として患者さんの健康が害され命が奪われるのは本来あってはならないことです。

そこで、「歯科医院に通うことでコロナウィルス感染して死に至るリスク」と「歯科診療を延期することによって寿命が縮むリスク」を定量的比較してみました。


 歯科診療を延期するリスク:死亡率0.56%~9.44%上昇

 コロナによる死亡リスク 最悪ケース:死亡率0.0085%上昇

 コロナによる死亡リスク 現実的なケース:死亡率上昇は無視できる(死亡確率156億分の1)


【前提条件】

歯科診療で最も不急と扱われている検診・メンテナンスを延期した場合

・最も状況が悪い都道府県の一つである東京都感染者率を採用

東京都の平均年齢である44歳付近平均値として採用

ハーバード大学の試算である2年間のコロナウィルス蔓延歯科診療延期を仮定


結論としては、「歯科医院に通うことでコロナウィルス感染して死に至るリスク」よりも「歯科診療を延期することによって寿命が縮むリスク」の方がケタ違いに大きい(したがって延期期間が2年でなく1ヶ月の場合ですら圧倒的に歯科医院に通わないリスクの方が大きい)ということがあらためて確認できました。まあまともな歯科医師・歯科衛生士なら直感にわかっていることですが。

報道センセーショナルな内容で数字をとってなんぼなので、そのために人の命を奪うのはいものことですし、厚労省歯科医師会、大学病院にとっても、「歯科診療が延期されることで人命が失われても誰からも怒られないが、コロナウィルス感染者や死者が出るとすごく批判される」ので、自分の身を守るために診療を延期し患者さんの命を奪っているという現状もいたしかたないことなのかもしれません。

でも少なくとも、最前線で命を救っている歯科医師や歯科衛生士は、患者さんに正しい情報を発信し、いつも通り診療を行うよう努めたいですね。

患者の皆さんもおびえずしっかり歯科医院に通いましょう。


追記

1つ忘れてたので追記です。

歯科診療のうち特に歯周病治療糖尿病等を改善させることがわかっていますが、コロナウィルスの最大のリスク因子は糖尿病であるため、こういった口腔内の改善コロナウィルスリスクを下げる意味でも有効です。

コロナ以外の桁違いに大きい口腔内リスク改善のために歯科医院に通院するのはもちろんですが、コロナリスクを下げるためにも歯科医院に通うのがオススメです。


以下算出根拠

興味のある人以外は読まなくていいです


歯科診療を延期するリスク」の算出根拠

歯科診療で最も不急と扱われている検診・メンテナンスによる効果は長期的な歯の喪失の防止なので、『健康長寿社会寄与する歯科医療・口腔保健のエビデンス 2015』(日本歯科医師会から歯の喪失生命予後の数値を読み解く。

これによると、歯の喪失は死亡率を1.1倍~2.7倍に上昇させる、つまり10~170%の死亡率上昇を引き起こすとの結論に至っている。

平均余命 平成22年』(厚労省)によると、45歳の平均余命東京都の平均年齢である44歳付近採用)は36年間なので、この10~170%の死亡率上昇が36年間続くことになるが、一方でこれを引き起こす要因となる「検診・メンテナンスの断絶は一時的ものであり、今回は2年間と仮定しているので、[2年間÷36年間]の分だけ死亡率上昇が起こるものと考える。

したがって、

 10%✕(2年間÷36年間)=死亡率0.56%上昇

 170%✕(2年間÷36年間)=死亡率9.44%上昇

となる。


コロナによる死亡リスク 最悪ケース」の算出根拠

厚生労働省クラスター対策班の西浦博北海道教授が示された試算によると、「対策を全く取らない場合、約42万人が死亡する恐れがある」とのこと。

このうち歯科医院での診療受診によって感染する者の割合は(現時点では筆者はそのようなケースが見つけられないがそれだとゼロ%になってしまうので無理矢理ながら推定すると)現実的には数百分の1から数万分の1と思われるが、仮に「これ以上高いということはありえない」というライン100分の1と仮定する。

また、この死亡者は一度きりのものなので、一生にわたっての死亡率への寄与に換算する。

『令和元年(2019)人口動態統計の年間推計』によると年間死亡者数は137万6000人。平均余命は同様に36年間を採用

したがって、

 42万人✕(100分の1)÷(137万6000人✕36年)=死亡率0.0085%上昇

となる。


コロナによる死亡リスク 現実的なケース」の算出根拠

まず歯科医院でどのような感染が起こりうるかだが、まともな感染対策をしている医院であれば、治療のものにより患者さん同士の感染、もしくは術者から患者さんへの感染というのはありえない。もちろんゼロ%ではないが、現実的にありえないほど確率が低い。歯科医院では「すべての患者さんが何らかの感染症を持っている」と仮定し、感染が起きえないように強力な感染対策を常時行うのが一般的ポリシーからだ。(もちろん一部には院長・スタッフ無能さ・悪質さゆえに十分な感染対策が行われていない医院もないわけではないが)

したがって、仮に感染が起きるとすればただひとつ、「待合室で患者さん同士が接触感染が起きる」場合

コロナウィルス患者存在する割合は、最も状況が悪い都道府県の一つである東京都でも4/21時点で感染者は3,307-625人=2,682人、東京都人口(推計)は約1395万人なので、5,201人に1人が感染者ということになる。

したがって、「待合室で患者さん同士が接触感染が起き死亡に至る」には、ざっくりの推定


「5000人に1人しかいない感染者が」

5000分の1

体調不良をおしてなぜか歯科医院に来てしか奇跡的に医院でバレずに追い出されることもなく、もしくは無症状者で」

10分の1

「待合室で平均5分もない待ち時間の間に」※待ち時間については当院の場合もっと長い医院だと確率高まる

5分の1

奇跡的に知人などの関係で会話するなど濃厚接触の機会があり」

100分の1

しかもお互いに感染防止の意識が低くマスクもつけない・外しており」

10分の1

「実際に感染が起き」

10分の1

「死亡につながる」

50分の1

「通院を8回程度」(3ヶ月ごとメンテを2年間)

8倍


ので、156億分の1程度と推定される。

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