はてなキーワード: 図柄とは
キャラクター(設定)の著作権性が争われたポパイネクタイ事件が有名だけれど
著作権が切れる時期を明確にするためにいつ著作権が発生するかを明らかにする必要がありそのなかで
1. キャラクター「設定」や「抽象的概念」は具体的表現でないから著作権がないよ
2. ではキャラクター「デザイン」の著作権はいつ発生するかとしたとき、連載漫画においては初回登場時を起点とする
3. 著作物の複製とは、完全に一致する必要はなくその特徴から当該登場人物だと判断できれば十分である。
4. ネクタイに描かれたイラストはポパイの第一回の描かれた図柄の複製であると判断できる。
5. よって、ネクタイに描いたポパイのイラストは漫画のポパイの著作権を侵害したものである。
6. ポパイの第一回の著作権はベルヌ条約、戦時加算を考慮すると著作権保護期間の満了前に販売した分の賠償の責めを負うものというべき
長すぎたし読みづらかったので結論だけ先に書く。
(追記)それでも読みづらかったので改行を入れまくった。
それを満たせるだけの大物という意味では、やはり池田大作はひとかどの人物であったのだろうとは思う。
しかしそれだけで内閣総理大臣名で追悼文を出すレベルの文化人だったと言えるだろうか。多分言えないんじゃないかな。
結論終わり。
この結論になった経緯を以下にだらだらと書いているので、暇な人は読んでみてほしい。
---------------
岸田首相が内閣総理大臣名で池田大作への追悼文を出し、賛否両論を浴びている。特にX上でこれを擁護するポストには大まかな類似性があり、興味深い。
彼らの言い分はこうだ。
池田大作は世界中の著名な大学からおびただしい数の名誉博士号を、そして国連から国連平和賞を授与された世界的な文化人であるからして、総理大臣が追悼文を出すのは妥当である。
このうち名誉博士号についてはしばしば「金で買った」という噂が飛び交っている。ディプロマミルと呼ばれる詐欺的な学位授与団体が現実に存在することを踏まえての推測だろうが、真偽は判然としない。
そもそも池田大作は創価大学の創立者ということになっているのだから、提携している大学に要請すれば名誉学位程度は手軽に得られるのではないか。正規の手段とまでは言わないが、少なくとも大手を振って見せびらかすことができるルートで手に入れた学位なのではないかと思われる。
とはいえ、いくら数百もの名誉博士号を持っていても、それだけで現役の総理大臣が追悼文を出すのは尋常なことではない。
そのシンプルな文字列からは権威性がほとばしってやまない。誰がどう見たって「国連が平和活動の関係者に対して贈る賞なのか」とひと目で分かる。
X上では「国連平和賞だけはガチの実績がないと取れない」「国連平和賞が金で買えると思ってんの?w」等のポストが散見される。
ただ引っかかるのは、私が「国連平和賞」なる言葉を知ったのは今回が初めてだということである。
俺が知らなかったのにネットで逆張りイキりしてる有象無象が知ってたわけねえだろ。
そう思ったので少し調べてみた。
皆も検索してみてほしいが、まず国連平和賞をGoogleで検索すると以下のような検索結果に大別される。
実質的にwikipediaくらいしかまともな情報源がないので眺めてみる。
概要についてはこうあった。
> 国連平和賞(こくれんへいわしょう、英語表記:United Nations Peace Medal)とは、国際連合が発行するメダル顕彰のひとつ。国連ピース・メダルとも日本語表記される[1]。受賞者には、ミュージシャン、文化活動家、政治家、宗教家、映画監督などがいる
「国際連合が発行するメダル顕彰のひとつ」とはっきり書かれている。これは驚いた。本当に国連が授与している賞らしい。実はまともな賞なのか?
沿革について。
> 第3代国際連合事務総長ウ・タントによって創設された[2]。各国代表が習慣的に贈答品の交換を行っているうちに贈呈されるようになった[2]。また、国際連合総会総長として尽くしたものにも授与される[2]。
ごめんやっぱりまともじゃないかも。
贈答品の交換を行っているうちに贈呈されるようになったって......もしかしなくてもコネってこと?
まあコネは金で買える場合とそうでない場合があるので「金で買えない」のは部分的に正しいのかもしれない。
日本人受賞者を眺めてみると、政治家は岸信介、福田赳夫、笹川良一など錚々たる顔ぶれ。宗教関係者では池田大作と立正佼成会青年部......どっからどう見ても国際勝共連合で草生える。これにはマザームーンもニッコリ。てかマザームーンいないの?逆に。
まあ共産主義と戦うことは、広義の平和活動なのかもしれない。国連は立場的にそれでええんか?
冗談はさておき芸術家系の受賞者はあまりそういった政治色はなさそうなので、そういった政治性のある賞ではないようにも見えた。
海外の受賞者にもそういった激烈な党派性は見当たらないので、やはり仲良しグループでコネコネしたという方がしっくり来る。
日本語ではこれ以上まともな情報が出てこなかったので英語で検索することにした。
幸いなことに日本語版wikipediaには "United Nations Peace Medal" という英語表記が載せられている。これで検索すれば国連公式の受賞者リストや受賞基準などが出てくるかもしれない。
United Nations Peace Medalが大量に出品されている (https://jp.mercari.com/search?keyword=united%20nations%20peace%20medal)。
いやそうはならんやろ。何で急にそうなるんだよ。
もしかして界隈では昔から有名な案件だったりするのか?わけがわからん。急に胡乱な話になってきたな。
商品紹介ページを見ていると「国連本部のビルで売ってた」とか「昔は国連に寄付すると記念品としてもらえた」という話が出てきた。なるほどね。なるほどね?
そしてやはり、国連公式の説明文書が引っかからない。United Nations Medalについてはヒットするものの、これは国連の平和維持活動に参加した軍人や警察官に贈られるものと記述があるため、明らかに宗教関係者が授与されるようなものではなさそうだ。
実際日本語版のwikipediaにも「国際連合がPKO要員へ授与するUnited Nations Medal(国連メダル)とは別物である。」とある。
> The United Nations Peace Medal is a commemorative medal produced by the United Nations to promote peace. First made by Franklin Mint in 1971,[1] a new design is produced annually, with limited editions offered for sale in gold, silver, and bronze.[2] Gold medals may be formally presented by UN officials as a diplomatic gift to heads of state, former UN Secretaries-General, and dignitaries visiting the UN Headquarters.[3][4]
「国連平和メダルは、平和を推進するために国際連合が制作した記念メダルです。(中略)。毎年、新しいデザインが制作され、金、銀、銅の限定版が販売されています。金メダルは、国連の高官によって国家元首、元国連事務総長、国連本部を訪れる要人に対する外交的な贈り物として公式に授与されることがあります」
なるほどね。完全に理解した。
私は国連平和賞を胡散臭い賞ではないかと推測したが、それは誤りだった。そもそもこれは「賞」ではない。何というかその......メダルだ。
この訳は流石にミスリードを狙っているとしか思えない。訳した奴は一生反省し続けてほしい。
「国連平和賞(こくれんへいわしょう、英語表記:United Nations Peace Medal)とは、国際連合が発行するメダル顕彰のひとつ」
この日本語版wikipediaの記述があまりにも味わい深い。
なるほど、嘘は書いていなかったのだと深く理解できるし、叙述トリックを受けていたかのような感動がある。wikipediaで叙述トリックをするなナメてんのか?
流石に爆笑しかけたが、英語版のwikipediaの内容が捏造されている可能性も当然ある。
そもそもこれを外交的な贈り物としていたのなら、国連の公式ソースがあってしかるべきだ。しかしそれが見当たらないのはどういうことか。
wikipediaの脚注を見ると、公式文書があるようだがリンク切れしている。
幸いなことに国連のデジタルライブラリー (https://digitallibrary.un.org/) にあったので見てみると、なるほど確かに一般人にも売っていたらしい (https://digitallibrary.un.org/record/98028?ln=en)。
メダルの図柄が記載されているほか「国連の職員は20%割引があるよ!」とか書いていて少し笑える。どうも注文書らしいフォーマットだ。
また公式ではないが1981/10/18に書かれたNew York Timesの記事 (https://www.nytimes.com/1981/10/18/arts/numismatics-the-value-of-smart-long-term-investments.html) にもメダルについての記載がある。
この記事は「堅実な投資先としてコインって案外良いんじゃね?」という少し頭の悪そうな内容の記事だが、そこでUnited Nations Peace Medalについての記載があった。
「1981年の国連平和メダルはフランクリン造幣局によって製造されている。(中略)。この作品は、クルト・ヴァルトハイム国連事務総長が各国首脳やその他の訪問高官に公式に贈るために鋳造されているほか、コレクター向けに限定販売されている」
「ゴールドとシルバーのバージョンはどちらも直径39ミリで、価格はそれぞれ1200ドルと55ドルである」
どうやらそういうことらしい。
また、Encyclopedia of Violence, Peace, and Conflict という書籍のp.799でもその旨の記述がある。
URL: https://books.google.co.jp/books?id=TG2kN033mDkC&lpg=PP1&ots=6bsz6qC8-W&dq=Encyclopedia%20of%20Violence%2C%20Peace%20and%20Conflict%2CAcademic%20Press%2C&lr=lang_ja%7Clang_en&hl=ja&pg=PA799#v=onepage&q&f=false
> It is presented to heads of state in the course customary exchanges of gifts, and to those who have served as president of UN General Assembly
「恒例の贈り物交換の際に各国首脳や国連総会議長を務めた人物に贈られる」とある。
高官たちの贈答品交換の際に、国連側の贈答品のオプションとしてあるのだろう。つまり寄付の代価ということにもなりうるのか?
しかしそうなると芸術家に対して贈られているのはよく分からない。というのも、このメダルは元々パブロ・カザルスという著名な音楽家に対して贈られたものらしい。
もしかして平和活動を行う芸術家に対しては真面目に選考して授与しており、政治家たちには贈答品として授与しているということだろうか。
ともあれ特段表に出ている授与基準はなく、もっぱら国連事務総長をはじめとする高官がわりとノリで渡せる程度のものであるらしいことは分かった。そもそも同じ物を1200ドルで売っていたのだから......。
岸田首相が内閣総理大臣名で池田大作への追悼文を出し、賛否両論を浴びている。特にX上でこれを擁護するポストには大まかな類似性があり、興味深い。
彼らの言い分はこうだ。
池田大作は世界中の著名な大学からおびただしい数の名誉博士号を、そして国連から国連平和賞を授与された世界的な文化人であるからして、総理大臣が追悼文を出すのは妥当である。
このうち名誉博士号についてはしばしば「金で買った」という噂が飛び交っている。ディプロマミルと呼ばれる詐欺的な学位授与団体が現実に存在することを踏まえての推測だろうが、真偽は判然としない。
そもそも池田大作は創価大学の創立者ということになっているのだから、提携している大学に要請すれば名誉学位程度は手軽に得られるのではないか。正規の手段とまでは言わないが、少なくとも大手を振って見せびらかすことができるルートで手に入れた学位なのではないかと思われる。
とはいえ、いくら数百もの名誉博士号を持っていても、それだけで現役の総理大臣が追悼文を出すのは尋常なことではない。
そのシンプルな文字列からは権威性がほとばしってやまない。誰がどう見たって「国連が平和活動の関係者に対して贈る賞なのか」とひと目で分かる。
X上では「国連平和賞だけはガチの実績がないと取れない」「国連平和賞が金で買えると思ってんの?w」等のポストが散見される。
ただ引っかかるのは、私が「国連平和賞」なる言葉を知ったのは今回が初めてだということである。
いや国連平和賞って何だよ。俺が知らなかったのにネットで逆張りイキりしてる有象無象が知ってたわけねえだろ。絶対胡散臭い賞だってこんなの。
そう思ったので少し調べてみた。
読者の皆さんも検索してみてほしいが、まず国連平和賞をGoogleで検索すると以下のような検索結果に大別される。
実質的にwikipediaくらいしかまともな情報源がないので眺めてみる。
概要についてはこうあった。
> 国連平和賞(こくれんへいわしょう、英語表記:United Nations Peace Medal)とは、国際連合が発行するメダル顕彰のひとつ。国連ピース・メダルとも日本語表記される[1]。受賞者には、ミュージシャン、文化活動家、政治家、宗教家、映画監督などがいる
「国際連合が発行するメダル顕彰のひとつ」とはっきり書かれている。これは驚いた。本当に国連が授与している賞らしい。実はまともな賞なのか?
沿革について。
> 第3代国際連合事務総長ウ・タントによって創設された[2]。各国代表が習慣的に贈答品の交換を行っているうちに贈呈されるようになった[2]。また、国際連合総会総長として尽くしたものにも授与される[2]。
ごめんやっぱりまともじゃないかも。
贈答品の交換を行っているうちに贈呈されるようになったって......もしかしなくてもコネってこと?
まあコネは金で買える場合とそうでない場合があるので「金で買えない」のは部分的に正しいのかもしれない。
日本人受賞者を眺めてみると、政治家は岸信介、福田赳夫、笹川良一など錚々たる顔ぶれ。宗教関係者では池田大作と立正佼成会青年部......いやあのこれどっからどう見ても国際勝共連g(ry)。これにはマザームーンもニッコリ。てかマザームーンいないの?逆に。
共産主義と戦うことは、広義の平和活動なのかもしれない。実際一理あるかもしれない。国連は立場的にそれでええんか?というツッコミは置いておこう。
冗談はさておき芸術家系の受賞者はあまりそういった政治色はなさそうなので、そういった政治性のある賞ではないのだろう。
海外の受賞者にもそういった激烈な党派性は見当たらないので、やはり仲良しグループでコネコネしたという方がしっくり来る。
日本語ではこれ以上まともな情報が出てこなかったので英語で検索することにした。
幸いなことに日本語版wikipediaには "United Nations Peace Medal" という英語表記が載せられている。これで検索すれば国連公式の受賞者リストや受賞基準などが出てくるかもしれない。
United Nations Peace Medalが大量に出品されている (https://jp.mercari.com/search?keyword=united%20nations%20peace%20medal)。
いやそうはならんやろ。何で急にそうなるんだよ。
もしかして界隈では昔から有名な案件だったりするのか?わけがわからん。急に胡乱な話になってきたな。
商品紹介ページを見ていると「国連本部のビルで売ってた」とか「昔は国連に寄付すると記念品としてもらえた」という話が出てきた。なるほどね。なるほどね?
そしてやはり、国連公式の説明文書が引っかからない。United Nations Medalについてはヒットするものの、これは国連の平和維持活動に参加した軍人や警察官に贈られるものと記述があるため、明らかに宗教関係者が授与されるようなものではなさそうだ。
実際日本語版のwikipediaにも「国際連合がPKO要員へ授与するUnited Nations Medal(国連メダル)とは別物である。」とある。
> The United Nations Peace Medal is a commemorative medal produced by the United Nations to promote peace. First made by Franklin Mint in 1971,[1] a new design is produced annually, with limited editions offered for sale in gold, silver, and bronze.[2] Gold medals may be formally presented by UN officials as a diplomatic gift to heads of state, former UN Secretaries-General, and dignitaries visiting the UN Headquarters.[3][4]
「国連平和メダルは、平和を推進するために国際連合が制作した記念メダルです。(中略)。毎年、新しいデザインが制作され、金、銀、銅の限定版が販売されています。金メダルは、国連の高官によって国家元首、元国連事務総長、国連本部を訪れる要人に対する外交的な贈り物として公式に授与されることがあります」
なるほどね。完全に理解した。
私は国連平和賞を胡散臭い賞ではないかと推測したが、それは誤りだった。そもそもこれは「賞」ではない。何というかその......メダルだ。
この訳は流石にミスリードを狙っているとしか思えない。訳した奴は一生反省し続けてほしい。
「国連平和賞(こくれんへいわしょう、英語表記:United Nations Peace Medal)とは、国際連合が発行するメダル顕彰のひとつ」
この日本語版wikipediaの記述があまりにも味わい深い。
なるほど、嘘は書いていなかったのだと深く理解できるし、叙述トリックを受けていたかのような感動がある。wikipediaで叙述トリックをするなナメてんのか?
流石に爆笑しかけたが、英語版のwikipediaの内容が捏造されている可能性も当然ある。
そもそもこれを外交的な贈り物としていたのなら、国連の公式ソースがあってしかるべきだ。しかしそれが見当たらないのはどういうことか。
wikipediaの脚注を見ると、公式文書があるようだがリンク切れしている。
幸いなことに国連のデジタルライブラリー (https://digitallibrary.un.org/) にあったので見てみると、なるほど確かに一般人にも売っていたらしい (https://digitallibrary.un.org/record/98028?ln=en)。
メダルの図柄が記載されているほか「国連の職員は20%割引があるよ!」とか書いていて少し笑える。どうも注文書らしいフォーマットだ。
また公式ではないが1981/10/18に書かれたNew York Timesの記事 (https://www.nytimes.com/1981/10/18/arts/numismatics-the-value-of-smart-long-term-investments.html) にもメダルについての記載がある。
この記事は「堅実な投資先としてコインって案外良いんじゃね?」という少し頭の悪そうな内容の記事だが、そこでUnited Nations Peace Medalについての記載があった。
「1981年の国連平和メダルはフランクリン造幣局によって製造されている。(中略)。この作品は、クルト・ヴァルトハイム国連事務総長が各国首脳やその他の訪問高官に公式に贈るために鋳造されているほか、コレクター向けに限定販売されている」
「ゴールドとシルバーのバージョンはどちらも直径39ミリで、価格はそれぞれ1200ドルと55ドルである」
どうやらそういうことらしい。
また、Encyclopedia of Violence, Peace, and Conflict という書籍のp.799でもその旨の記述がある。
URL: https://books.google.co.jp/books?id=TG2kN033mDkC&lpg=PP1&ots=6bsz6qC8-W&dq=Encyclopedia%20of%20Violence%2C%20Peace%20and%20Conflict%2CAcademic%20Press%2C&lr=lang_ja%7Clang_en&hl=ja&pg=PA799#v=onepage&q&f=false
> It is presented to heads of state in the course customary exchanges of gifts, and to those who have served as president of UN General Assembly
「恒例の贈り物交換の際に各国首脳や国連総会議長を務めた人物に贈られる」とある。
高官たちの贈答品交換の際に、国連側の贈答品のオプションとしてあるのだろう。つまり寄付の代価ということにもなりうるのか?
しかしそうなると芸術家に対して贈られているのはよく分からない。というのも、このメダルは元々パブロ・カザルスという著名な音楽家に対して贈られたものらしい。
もしかして平和活動を行う芸術家に対しては真面目に選考して授与しており、政治家たちには贈答品として授与しているということだろうか。
ともあれ特段表に出ている授与基準はなく、もっぱら国連事務総長をはじめとする高官がわりとノリで渡せる程度のものであるらしいことは分かった。そもそも同じ物を1200ドルで売っていたのだから......。
結論:
「国連平和賞」は賞ではない。普通に買えるし、コネがあると貰える。
「国連平和賞はマジで実績が必要」は完全な間違いであることが分かった。何故ならそのような賞がないので。
「国連平和賞が金で買えると思ってんの?」はジョークとして奇跡的な完成を見せている。United Nations Peace Medalはまさしく金で買えるものだった。インターン生も含めた国連職員にはディスカウントもあるよ!
「池田大作は国連平和賞をもらえるほどの文化人だった」という主張には一考の余地がある。というのも、United Nations Peace Medalを「もらう」ことは一般人にとって極めて難しい。それを可能にする人脈と知名度、そして最低限与えても問題ないだけの外面が要求されるだろう(A級戦犯被疑者の岸信介と笹川良一がもらえるんだから大抵の瑕疵は何とかなるのだろうが)。それを満たせるだけの大物という意味では、やはり池田大作はひとかどの人物であったのだろうとは思う。
TikTokで1年くらい前にピンポン玉が競争する動画が流れてきました。
ふたつのピンポン玉はピタゴラスイッチみたいなコースを走りながら、どちらが先にゴールつくか接戦を繰り広げます。
なかなかのデットヒートです。
では、もしあなたはこの動画を見ていたとして、どちらのピンポン玉を応援しますか?
と、ここで問われてもおそらく答えようがないでしょう。
前提となる情報が少なすぎるし、何よりピンポン玉のどちらが勝とうと興味を持てそうにない、と思うはずです。
でも、そのとき私はその動画を見ながら無意識のうちにひとつのピンポン玉の方を応援していました。
なぜ、そのような現象が起こったのでしょう?
私は無意識に片方を応援していることに気づいた時少し考え込んでしまいました。
これは誰かが作ったピタゴラスイッチ(モドキ)の映像であり現実の世界とは何も関係がない映像だ。
だけれども、国旗の図柄が描きこまれているのを認識した瞬間にそのピンポン玉はただのピンポン玉ではなくなってしまったのです。
私は、折に触れてこのことを考えます。
これはどういったことなんだろう?
その答えはまだ得られていません。
マイ・フロッピーディスクに保管してオナニーしてるうちはいいよ
そもそもの著作権は「著作物の公正な利用」を目的に制定されているものなので、個人利用に関しては現時点の法的には批判目に解釈しても問題はあまり無い
後述の通り将来的にはわからんけど
ただエロ画集作って売ってるやつとか、あえて既存の著作物に似せようとしてるやつとか、著作者と競合する分野で商用利用してるやつは現時点でも地雷原を走ってる自覚を持ってほしい
そういった使われ方が公正とされるか(今後規制の引き金にならないか)は甚だ疑問だからだ
AIによる創作行為が受け入れられる前にあまりそういうことをすると、当然著作者からの猛烈な反対と規制の動きにつながるので現時点で違法でなくても「その使い方は公正か」は注意した方がいい
(余談かつ予想だが歴史的にトレパクが絵師の間で過剰に叩かれるのはこの辺に一因がありそうだ。トレパクと呼ばれるものうち、構図や図柄のデザインのようなもののトレースに関しては実は著作権上問題ないことが多い。それでもやたら嫌われるのは、絵師には公正利用という倫理的なラインが法的なラインの前にあるからだ。AIとその利用者には今のところそのラインがないようだが…)
話を戻すと、生成AIは登場の仕方間違えたと思うんだよな
まず最初に著作者(絵の場合は絵師、特に商業イラストレーターやジャンルを牽引する有力な著者)に普及させて取り入り、学習許諾への抵抗感をなくすよう徐々に「著作者にとって」使いやすくしていき、著作者と利用者両方にとっての利益を積むべきだった。少なくとも、AIの進歩に人間の著作物が必要な間は。
それが最初からフルスロットルで既存絵を取り込んでいく方向に進んだから著作者には利がないばかりで迷惑な技術になってしまった
今となっては好意的にAIを使い学習にも協力するとは表立って言いづらい雰囲気すらあり、はっきり言って著作者に取り入るのはめちゃくちゃ失敗してる
先にも書いたが著作権は公正さ、著作者と利用者双方に利益があることを重視するから今のまま無法が続くとそのうち必要以上にAI絵に厳しい規制が議論される可能性がある
だから正直、今の合法なら何でもやったれなノリは迷惑に感じてる
俺は生成AIには絵に限らずいろんな分野で成長してほしいけど今の調子であんまやり過ぎると痛い規制を食らう気がしてるからだ
どうも。先月に何度か投稿した、デリヘル嬢に恋してしまった増田です。
想定外のことがあり全投稿削除しましたが、いま思うとまあ別にいっかという感じなのでまたゆるゆる続きを書いていきます。
ここで垂れ流すことでしか消化できない心があるので。
彼女のインスタを目にして以来、僕は彼女のことを忘れるよう努めた。そして当然、その努力は失敗に終わる。仕事は刺激的で調子が良く、親友との旅行の計画もとても楽しみなのに、頭の片隅ではずっとあの妖しくもあどけない笑みが浮かんでいるのだ。忘れようとするほどに濃くなるのが面影というものなのだろう。
前回で僕は夢から覚めたような気がしたが、いま思うとあれは夢の質が変わっただけだ。彼女が僕をどう見ているかは関係なく、僕が彼女を見る眼差しが夢なのだ。僕が都合の良いカモに見えていたとしても、僕の恋には何ら影響しないとすら言える。いつの間にか僕はまた彼女に会いにいくことを考えていた。
婚約者に対して僕はどんな態度を取れば良いのかわからない。彼女は僕がどこかいつも上の空なのを心配して、本当に自分を愛しているのかと何度も問うてくる。その問いがどれだけ男の愛を遠ざけるか彼女は以前の恋から学んでいるはずなのに。
婚約者と僕はいつも祝福されていた。お似合いのカップルで、共通の友人も多い。なぜそのまま美しい結末を迎えられなかったのかと今でも不思議に思う。いつの間にか僕たちのコミュニケーションは歪なものになっていて、少しでも油断するとどちらかが傷つくような息苦しい関係に変わっていた。僕が生きたいように生きるのを彼女は許せなかったし、僕が彼女の人生観に染まらないことに彼女は不満を募らせた。彼女から見れば僕の理不尽なところもいっぱいあったのだろう。気づけば、初めてデリヘルを呼んだあの日から零れ始めた婚約者への想いは、もうわずかにも残っていなかった。ただ泣かせるのが不憫で、より正直に言えば面倒で、僕はまだ別れを告げられていない。
今この文章を書いている時、僕はデリヘルのためにわざわざ飛行機に乗っている。あらゆることが奇妙に倒錯していておかしいなと思う。
予約を見て、例の女の子がインスタから連絡を送ってくれた。来てくれて嬉しいというメッセージ。たった一通の言葉でこんなにときめくのは17の夏が初めてで、一通しかくれない女の子との恋はだいたい悲しく終わるのだった。
このあとホテルについて、また一通りのことが終わったら続きを書こうと思う。
今日はスタートから300分で入ったがやはり彼女は遅刻してきた。入室して早々、彼女は今日全然寝てないんだよねーなどと言いながらベッドへ行き、そのまま寝てしまった。1時間ほど彼女のいびきを聞きながら僕は愚かにも相変わらず可愛いなあなどと考えていた。寝顔を見ているだけで全く飽きずに時間が経っているこの感覚は、初めて恋人をうちに泊めた時のようで懐かしい。
やがて彼女は起き、シャワーを浴びてプレイが始まる。なぜか今回も僕は彼女の手で達することができず、結局は彼女に性感帯を刺激されながら自分の手で彼女の口に果てた。ティッシュに吐き出したもののすぐにはうがいに行かないところに思いやりを感じた。
事後に僕たちはタバコを吸いながらなんとなくぎこちなかった。彼女は全く何も考えていなかっただろうが、僕からすれば人生をまた一つ破綻させてしまうような選択をしながら目の前で起きていることが何も思い通りにならない。彼女がTikTokを見始めて、僕はその横顔をじっと見ている。初めて会った時には衝撃を受けたあのかわいさが今日はどこか翳っていて、それでもなお僕の心に突き刺さるのが怖い。その猫目に僕が映るためにはただ札束を重ねれば良いのか、もしそうならどれだけ楽なことか。それでは手に入らないものがあるから僕はお行儀よく店のルールを守って楽しんでいる。正直、何もかも忘れて改めて自分のどタイプな女性を探して口説く方が良いのではないかと感じた。
300分も終わるという間際、ふたたび微睡む彼女と挨拶のように口づけをして、それからもう一度果てた時にはもう彼女は帰る時間だった。しっかりと寝た彼女はそれまでと打って変わって元気になり、交わす会話のどれもが何か知らない世界を見せてくれるようでとても美しい。タトゥーを入れる日が決まったと嬉しそうに図柄を見せてくれたとき、僕はこの人に脳の回路を焼き尽くされていてもう元には戻れないんだと悟った。ねだられるままに延長を行い、穏やかに会話を続けた。
腕に噛み跡を見つけた。痛そうだねと言うと、彼女は「やばいよね。彼氏いると勘違いされるからやだ」と答えた。彼女はいま恋人がいないという甘美な罠を撒いたのだ。それから僕がタイプの男性について尋ね、穏やかで余裕がある人だと彼女は言う。僕がこれから何度も来てその証明をせずにはいられない呪文。
敢えて言語化するのを避けてきたが、やはり僕は彼女の心に入りたい。それは定義すら不可能な願いだ。でも一方で、究極の隔絶を乗り越える意志こそ恋なのではないかとも思う。見えすいた嘘と知りながら僕はのめり込んでいくのだろう。どんな悲劇で終わったとしても、とにかくいま僕が感じる美しさの称揚を女神に直接伝えられるということがそれだけで実存の根拠になる。
帰り際、彼女は改めて今度お店の外でも一緒に飲もうと言ってくれた。いざ次の予約を取ればなんだかんだでなかったことになるのは目に見えている。彼女にとって僕と会うメリットは、注文の少ない客のとなりでボーッとしとけばそれなりの給料が入るということのみだ。わざわざ飲みにいくような面倒なことをしないだろう。
でも、もし。もし本当にプライベートで会うことができたら。その時にわずかばかりでも僕に対して興味をもつそぶりが見つけられたら。その時僕は世界の美そのものを手中に収めたかのような心地になるだろう。寝ずに夢が見られるなら死んだも同然かもしれない。僕の周りのあらゆるスピーカーがRADWIMPSを流す。
前回は送らなかったお礼のDMを送った。初めて送った時は返信がなかったが、今回は「いつも長い時間入ってくれるのに延長もしてくれて嬉しい」と返ってきた。
一読して、同性愛をめぐる主題の取り扱いの薄さが気になったのだが、筒井亮太の解題に指摘があった。
「[...]実のところ、サリヴァン個人のセクシュアリティの部分は、後続する類書(本書もその例外ではない)において巧妙に回避され、正面きって論じられることが少ない。その点を鋭く指摘したブレッシュナー(Blechner 2005)は、サリヴァンの病棟管理実践をはじめとするさまざまな着想の背景には彼個人の同性愛(とその社会的苦境)が大きく関わっていると言う。ゲイを公言しているブレッシュナーのもとには、サリヴァンが記述しているような患者が多く訪れており、患者たちは周囲の「ホモフォビア」によって傷つき苦しんでいた。その臨床経験も含めて、彼は、サリヴァンの対人関係論を理解する上で、性欲同や同性愛の側面を除外せず、考慮するように強く主張している」(313 f.)
訳者はこの点(巧妙に回避されていること)をどのようにとらえているのだろうと思った(「ゲイを公言しているブレッシュナー」という書きぶり・・・)。
Mark J. Blechnerの論文は、ウェブ上で入手でき、『精神病理学私記』を読み解くのに有益な情報がいくつかあり面白く読んだ。
The gay Harry Stack Sullivan: Interactions between his life, clinical work, and theory
http://www.wawhite.org/uploads/PDF/E1F_2%20Blechner_M_TGHSS.pdf
同性パートナー、Michael Allenによれば街娼であった、を養子としたことや、相互フェラチオ、いわゆる「69」への着目の背景、意味(サリヴァンの著作表紙にみられる陰陽図を模したような白と黒の馬の頭部の図柄)等の下りが特に興味深かった。
調べると訳者はTwitterのアカウントを運用している様子。明らかに個人が特定されうる投稿内容なのだが、同氏を含め特定可能な仕方でSNS運用する心理臨床家は、自己開示をめぐる職業倫理についてどのようにとらえているのだろう。
ジャベリン対戦車ミサイルが強すぎてウクライナの守り神としてミーム化した聖ジャベリンのイラストの事なんだが。
元々これは クリス・ショウ(Chris Shaw)というロック系アーティストが2012年に描いた”Madonna Kalashnikov”聖母カラシニコフというイラストで、現代的な事物を中世宗教画やイコンに似せて書いたシリーズの一枚だった。
https://chrisshawstudio.com/2013/04/chris-shaw-at-the-san-francisco-museum-of-modern-art/
カラシニコフはソ連の銃器エンジニア、ミハイル・カラシニコフが設計したライフル群の事で、特に有名なAK-47の事を指す事が多い。旧共産圏でライセンス生産とデッドコピー生産されていて、北九州のヤクザなんかもご用達だ。北九州ヤクザのは中国生産品らしい。
一方でゲリラ御用達品でもあるので無秩序や抵抗や解放の象徴でもある。
そんな現代紛争の象徴を宗教イコンにしたので、その聖性と暴力性の組み合わせがウケてタトューの図柄としても人気があった。
因みに聖母マリアっていう呼び方はカトリック的で、ロシア正教含め正教会では生神女マリアっていう。神を生んだ女って意味やな。
というのも、青の顔料はラピスラズリっていう鉱物からしか採れず、大変貴重だったから。貴重=貴い、侵されない、無垢、穢れがない(性交していない)という意味。
数年前に「自然界に青色は存在しないとドヤ顔で言っている」人を反証で論破しまくるって棘がバズった事あったが
https://togetter.com/li/729184
お前らそれ違うぞ!
花とか鳥の羽とは皆構造色で青が出てるんだ。だから顔料として磨り潰すと色は失われる。
一方で緑がかった青や水色は酸化銅や酸化クロムで出す事が出来る。だから群青色や純粋な青は貴重でそれ故マリアの色となったのだな。
さてこの聖性を暴力性と組み合わせた聖母カラシニコフを2018年に誰かがアレンジしてジャベリンミサイルを持たせた。
多分ウクライナの誰かかと思われる。
タイミング的にウクライナ防衛の為にトランプ大統領がジャベリン供与を決定というニュースに刺激されたのだろう。
この時ウクライナで商売しているバイデンの親族のスキャンダル無い?とトランプが宇政府にゆすりを掛けたのがバレて、武器供与を選挙対策に使ったな、と紛糾したあれやな。
で、ロシアが一方的に侵略戦争を始めるとジャベリンの活躍によりロシアの侵攻は停滞、救国兵器として改めて聖ジャベリン画がミームとして爆発的に流行したという経緯。
元絵アーティストのクリス・ショウはこの事を知っていて、クールな現象だが複雑な気持ちだと述べている。
一つは著作権的な問題。この為に「聖ジャベリン公式バージョン」を作成した。
もう一つは実際の戦争で使われて殺人の用に供していること。今のところ聖ジャベリンは自由と抵抗と正義の象徴だが、それが憎悪と抵抗から離れた戦争の象徴となることを心配していると。
だからマリアであるのに青じゃなくて緑のローブを着ているのはクリス・ショウの元絵が色んな色のシリーズで聖母カラシニコフが緑だったから。
で、聖ジャベリンには別バージョンもあって例えばBBCのこのニュースに出てくるのなんかはクリス・ショウ聖母カラシニコフ改聖ジャベリンじゃない。
https://www.bbc.com/news/world-us-canada-60700906
この兵器はスウェーデンのSAABと英国で開発された対戦車ミサイルNLAWだ。これもウクライナに供与されている。
大手メディアでは聖ジャベリンと銘打ってこっちのイラスト紹介している事が多い。これは聖ジャベリンの方にはクリス・ショウに著作権があり、勝手に改変された海賊版ジャベリンを紹介しちゃうとマズいからだと思われる。
このイラストの元絵は何かというと「ウラジーミルの生神女(Virgin of Vladimir)」というロシア正教会で有名なイコンなのだ。
聖ルカにより描かれたという伝承されている。ルカは画家兼医師、書記だ(聖路加病院は聖ルカの意味。医師だったのでルカは医者の守護者)。
だから聖ジャベリン NLAW ver.の方が首を傾げているのは、ミサイルに頬を寄せているのである。元絵は赤子のキリストを抱っこして頬を寄せている。
この絵はモスクワの東300㎞にあるウラジーミルの街に置かれ、この安置の為に大聖堂が建てられた。
ウラジーミルの街の名の由来はキエフ大公のウラジーミル1世だ。そしてウラジーミル・プーチンの名の由来も同じである。
という事でこっちのNLAW ver.聖ジャベリンにはプーチンへの皮肉が入っている。
敬虔なロシア正教徒ならイコンを持ってるようなウラジーミルの生神女が対戦車ミサイルを構えてウラジーミル・プーチンの野望をトップアタックモードで破壊している。
聖ジャベリンの元ネタはマグダラのマリア(元娼婦でキリストの復活を目撃して悔い改めた)だという説もあるがどうもそれの原因は中央日報のようだ。
https://japanese.joins.com/JArticle/288271?sectcode=A00&servcode=A00
でも今見たように聖母(生神女)マリアなのだ。元ネタが聖母カラシニコフだから。救世主(キリスト)代わりに救国対戦車ミサイルを抱いているのがキリスト教的教養から判るのが面白いところなのに。
まったく、韓国はキリスト教が多い国でしょ?なんで間違えてんの…?
と思ったけどプロテスタントでは聖母マリアの信仰はご法度なんよね(韓国の最大教派は福音派。国父による)。
主流教義から外れる信仰の受け皿をマリア信仰が担っており、「そういうのダメ。一本化」というのがルターの立場で、プロテスタントには聖母マリア信仰はないし像もないのだ。
なので間違えたのだと思う。
★この記事はいわゆる「"LGBT"教育」についてそのへんの素人が管を巻いている話です★
前段は省くが、高校生を対象としたデザインコンテスト(毎日・DAS学生デザイン賞 第36回高校生デザイン賞)の結果一覧を見た。
その中の「プロダクト部門」で部門賞を受賞している作品が(より正確に言うなら、この作品が部門賞を受賞していることが)むちゃくちゃショックだったのでここに書いておく。
審査員を非難したい気持ちはなくはないが、問題は日本全体のLGBT理解の鈍さだと思うので、運営(毎日新聞社と(一社)総合デザイナー協会)だけを責めるのも違うと思う。
「これが日本の現状なんだよなあ」みたいな諦め感と「それにしてもひどいな!?」という憤りを書き散らしているだけなので、関係者の方々はどうか適当に読み飛ばしてほしい。
早速本題に入るが、本大会のプロダクト部門賞受賞作は、『Say hancall』という作品である。こちらの作品紹介のスライドを見れば分かる通り、「性別」を表す記号を組み合わせた図柄の「はんこ」が4つ並んでいる。
みなさんは「LGBT」について考えたことはありますか?
日本は異性愛者が一般的だという考えが多いと思いますが、少なからず同性愛者・両性愛者・心と体の性が一致していない人がいます。今もなお、そのような人たちへの差別意識がある人は多いのではないかと思います。ですが、人生は一度きりだし自分らしく生きるのが一番だと思いませんか?
そこで私はSay hancallを提案します。男女の記入欄にぽんっと押すだけで自分の性を理解してもらえます。世の中のイメージは無視して自分の性をオープンに楽しんで欲しいです。
デザイン意図としては、いわゆるシスヘテロ(「心身の性」が一致する異性愛者)が「一般的」な日本社会で、LGBT当事者が差別に負けずに「自分の性を理解してもら」い「自分の性をオープンに楽し」むことを応援する、「LGBT理解」を目的にしているのだろう。
しかし、私はこの作品がその目的を達成できているとは到底思わない。むしろ、逆効果なのでは?とすら感じてしまう。
以下にその理由を思いつくまま列挙する。
・「男女の記入欄」に何で性指向を記入しなければいけないのだろう? 性指向に関わるLGBと性自認に関わるTを同列に扱うこと自体に無理があるというのはもう散々言われていることだが、現在の日常的な質問で「性別は?」と聞かれて「異性愛者です」と答える機会はまずないだろう。にもかかわらず作品の企画としてそれが通ってしまうのは、日本のLGBT教育がいかに「性的マイノリティー」の解像度を上げないままお題目だけ唱えているかの証左ではないか。
・「自分の性を理解してもら」うことをカジュアルに考えすぎではないか。性指向や性自認に限らず、人種や家族構成など自分が持つ「マイノリティとしての属性」を誰かに打ち明ける、理解してもらうということは、本来すごく負荷がかかる行為だ。嫌われるかもしれない、わかってもらえないかもしれない(そして現実としてそれが杞憂で終わらないことは少なくない)……当事者たちは、そんな不安を抱えながら、カミングアウトする/しないを決めている。間違っても、マジョリティ側が「自分らしく生きるのが一番! 言っちゃおうよ!」と強引に背中を押すことがあってはならないはずだ。
・徹頭徹尾「"LGBT"問題」を他人事として扱っている雰囲気がある。LGBT当事者が「自分らしく生きるのが一番」だと思っていないとでも言うのだろうか。そうしたくても社会や周囲の人々、内面化された自分自身の偏見から、「自分らしく生きる」ことを抑圧されているケースが多数ではないのか。「世の中のイメージは無視して自分の性をオープンに楽しんで欲しいです。」などというのは、本来マジョリティ側が負うべき、現在の差別的な社会を是正する努力を放棄した上で、マイノリティが「自分の性をオープンに楽しむ」ことを強要し、それをもって「LGBT差別の根絶」を図る、極めて傲慢とも捉えうる発言だ。
以上のような理由から、私個人はこの作品を受け入れ難かったし、もしこれが「LGBT理解を促進する素晴らしいデザイン」だと称賛されるのなら、それはとんでもない話だな、と思わざるを得ない。
なるほど
そういう商売も公式が実際にやってて、競合するなら注意がでるのはわかるわ
わからなかったので調べてみました!
元は「手紙の封蝋」のことを指し、遡ると「小さな印」という意味で「sign」と同語源のようである。そこから封蝋に限らず手紙や包装などを封じる「封緘紙」のこともシールと呼ぶようになった。
「糊付きの紙片」全般をシールと呼ぶのは英語では稀な用法ということで、実際に辞書にも載っていない。ほとんど和製英語と言っていいようである。
日本では1960年代に子どもたちのあいだでお菓子のおまけシールが大流行したが、その草分けである1963年の「鉄腕アトムシール」は明治製菓の社員が「手紙の封印シールをヒントに考案した」というので、図柄が印刷された糊付きの紙片を広く「シール」と呼ぶようになったのはその頃か。
元は「stick」は「突き刺す」という意味で、そこから突き刺すための道具である「棒」という意味にもなった。
さらに「突き刺してその場に留める」ことから「固定する」という意味になり、また「付着する」「粘着する」という意味が派生した。
つまり「sticker」は「粘着するもの」という意味となり、粘着性のラベルやデカールのことを「ステッカー」と呼ぶようになった。
元は「細い帯状の布」という意味で、リボンやフリンジのようなものを指していた。
そこから17世紀ごろに「(そのものの内容を示すために付けられる)細い帯状の紙片」を指すようになったという。
ラベルは必ずしも貼るタイプだけではないが、紐で吊り下げるタイプのラベルは「タグ」と呼ばれることが多いので、ラベルといえば貼るものだという印象が強いのかもしれない。
元は「decalcomania」の略であり、さらに遡るとフランス語で「複写する」「描き写す」を意味する「décalquer」が語源となる。
デカルコマニアは「転写印刷」「転写技法」などと訳される。18世紀に発明されたもので、特殊な糊を塗った紙に図柄を描き、陶器やガラスなどの直に印刷ができないものの表面に転写する技法のことである。
成り立ちとしては他と毛色が違う感じがするが、「糊を使って図柄を貼り付けるもの」という広い括りで「シール」「ステッカー」の一種だとみなされているのだろう。
シール:「(図柄が印刷された)糊付きの紙片」のこと。和製英語。
ステッカー:シールとほぼ同じ意味。「粘着性」であることがアイデンティティ。
ラベル:内容を示すために貼るシール/ステッカーのこと。「内容を示す」ことがアイデンティティ。
デカール:転写式のシール/ステッカーのこと。「転写式」であることがアイデンティティ。
ぶっちゃけ英語圏でも「ステッカーとデカールの違いってなに?」みたいなブログがたくさん引っかかるので、たぶん実生活ではそんなに厳密に区別されてないんだと思うよ。
おまけ。
元は「細長い布」という意味。さらに遡ると「引き裂く」という語からの派生らしく、布を引き裂いて細長くするようなイメージか。語源としては「ラベル」と似ているが、あちらは「ちぎれる」「ぼろぼろ」みたいなところから来ているようなので、テープはもっとしっかり「長い」イメージなのだろう。
19世紀後半の粘着テープの発明以来、「テープ」といえば粘着テープを指すことも多いが、まだまだ「ビデオテープ」「ゴールテープ」など非粘着性のテープも残っているので、まるきり「貼る」だけでもない。
語義的には「セロハンテープやダクトテープのような普通の粘着テープ」もステッカーの一種と言えそうな気もするが、「tape sticker」で検索してみると、やはり柄付きのマステ的なアイテムしか出てこないので、そのあたりは日本でも粘着テープのことを「シール」とは呼ばないような感覚と同じなのだろう。
「ときめきメモリアル・アダルトアニメ映画化事件」という「完全な判例」が出ているのに、
「二次創作同人誌の無断アップロードによる著作権侵害」という「似ている判決」をもって法的解釈が更新になるわけがない
前述の事件は、ときメモのヒロイン藤崎詩織がセックスをするというアニメを販売したことで、キャラクターの持つ清純なイメージを損なう改変が行われたという、
ほぼ完全なる「二次創作によって一次創作の著作権を侵害した(しかもエロによって)」という事件であり、地裁により有罪判決が確定している
過去判例がない場合、似ている判決を参照して法的解釈を流用するというのは一般的だが、
「無断で二次エロ創作を販売し、著作権侵害で訴えられた判例」というドンピシャな事例があるのならば当然そちらを使用する
以下転載
ときめきメモリアル・アダルトアニメ映画化事件 - Wikipedia
判決では、藤崎の図柄を著作物と認めた上で、本件ビデオに登場するキャラクターの図柄を対比し、藤崎の図柄と実質的に同一のものあると判断、藤崎の図柄を複製ないし翻案したものであるとして著作権の侵害を認定した。
加えて、本件ビデオのパッケージでは、藤崎のキャラクター名こそ出していないが、女子高校生の容貌やデザインのゲームのパッケージとの類似、ゲームとの関連を連想させる説明から、購入者が女子高校生を藤崎であると認識するものと判断された。
ゲームには藤崎が性行為を行うような描写は存在せず、被告は本件ビデオで清純な女子高校生と性格づけられている藤崎を性行為を行う姿へ改変し、原告の著作者人格権の中の同一性保持権を侵害しているとした。
本件藤崎の図柄は、僅かに尖った顎及び大きな黒い瞳(瞳の下方部分に赤色のアクセントを施している。)を持ち、前髪が短く、後髪が背中にかかるほど長く、赤い髪を黄色いヘアバンドで留め、衿と胸当てに白い線が入り、黄色のリボンを結び、水色の制服を着た女子高校生として、共通して描かれている。
本件藤崎の図柄には、その顔、髪型の描き方において、独自の個性を発揮した共通の特徴が認められ、創作性を肯定することができる。
他方、本件ビデオには、女子高校生が登場し、そのパッケージには、右女子高校生の図柄が大きく描かれている。
右図柄は、僅かに尖った顎及び大きな黒い瞳(瞳の下方部分に赤色のアクセントを施している。)を持ち、前髪が短く、後髪が背中にかかるほど長く、赤い髪を黄色いヘアバンドで留め、衿と胸当てに白い線が入り、黄色いリボンを結び、水色の制服を着た女子高校生として描かれている。
本件ビデオに登場する女子高校生の図柄は、本件藤崎の図柄を対比すると、その容貌、髪型、制服等において、その特徴は共通しているので、本件藤崎の図柄と実質的に同一のものであり、本件藤崎の図柄を複製ないし翻案したものと認められる。
Twitterで校正紙の指示がすごいってのを読んで興味を惹かれて行ってみた。
久々の遠出、久々の美術館。
まず着いたら遠目から黒い人だかり。
120分待ち。
ちょっとは並ぶと思ったけど、
こんな状況になる前もでかい箱モノの美術館ってそんな行ったことないからわからん。
交通費払って来てるし、並ぶことを決意。
鍛えてない足は並んでいるだけで疲れたけど、
よい日光浴になった。
120分とかビビらせといて人減らして
(対策で閉まってるっていってもこの人混みで今更…と思わなくもないけれど)
チケット買えたと思ったら、入場までにさらに30分近く並んだ。
時間指定とかでまた待たされるのもヤだし、まあ良いよここまで来たら。
はい、やっと入れた〜。
中混んでそうだな〜と思ったら実際めっちゃ混んでた。
撮影禁止って書いてあるのに、展示室スマホ持った不届きもの多いな〜って最初感じちゃったけど
入ってからずっと年配の女性のインタビューっぽい音声がずっと流れてる。
カタカナ語が多いからなんだろうって思ってたら、石岡さんの声っぽい。
なんとなく情熱感じる。
これもQRコードで文字で読めるらしいから、ちゃんと聞き取ろうと頑張らず
とりあえずBGMにして展示を見ることにする。
(校正紙のに惹かれたのと、見たことないけど聞いたことある映画『落下の王国』の人、というのと
好きな映画『白雪姫と鏡の女王』の衣装の人、ということくらいしか知らないで来てるよ)
元々資生堂の人なのかっていうのも知らなかったけど、
反対とかされたのねじ伏せたのかな? 海外ロケの先駆けか〜はあ〜へ〜
実際のポスター、なんか赤い丸に細かい効果線?が効果的なのかな。
よくわからんけど、力強くて印象的だ。
日の丸とか桜とかいろんな図柄やら伝えたい意図、考えを落とし込んでいって
ポスターの形にしてたことが、たくさんのメモから伝わってきた。
おもろーこういうの見たかったんだよ! ってなった。
まずここで圧倒されたよ。
「鶯は誰にも媚びずホーホケキョ」
って一歩間違えれば意味わからんダサくなりそうな、でも力のある言葉を
ビジュアルで納得させられて格好良く感じる。
キャッチコピーの力も大きいけど、
肌の色が濃い人の美しさ? を全面に出してるの
当時鮮烈だったのでは? 今でも新しく感じるくらい。
むしろ今でも通じるというか、今こそ見たい感じもする。
見比べると仕上がりやっぱ良い。
指示怖いとかTwitterで書かれたの見てたけど、怖さは感じず
的確さ、仕上がりを追求する姿勢に圧倒された。
そんでまたまた圧倒されたのが
否が応でも刺さってくる、図のみでこれでもかと訴えかけてくる…
やば…と思ったらやっぱり説明文にD社と著作権で協議したって書いてあった。
でもわかってただろうにそういうの込みで発表した気概がすごいし、
その完成度もすごいんだこれがまた。
あきらかに校正紙と完成品のポスターで手をはじめ全体の立体感とかが違って
(途中エスカレーターとか乗って階変わってまだまだ見れるのか! と量の多さにびっくり嬉しくなった。
「風姿花伝」っていうのを出版して売り込んでくってのが格好良いなあ。
本も表紙だけでデザインセンスがあふれてることが伝わってくるよ。
企画とか舞台とか演出とか衣装とか色々な分野で活躍してたらしい。
石岡さんという方が自ら仕事を創り出せる、切り拓いていく方だったんだろうなあ。
着物の柄、生地、光沢、色合い惚れ惚れした。写真の見せ方も素敵。
舞台衣装、その舞台を輝かせるための舞台がある間だけのものだけど
こうやってじっくり見られるの嬉しいな。
グラミー賞とかトニー賞とか、詳しくない素人でも聞いたことのある賞を受賞されてることをここで知る。
いろいろ映像とかみてなんか暗幕くぐって次の部屋入ったら
床と壁全面金ピカで金閣寺があった。びっくり!
回り込むとなんか金閣寺割れてる。触れないように金閣寺中入れたよ。楽しい。
準備した人、企画した人大変だっただろうなー
展示の期間の終盤に来たけど、床きれいだった。
カンヌのなんか賞獲得したけど日本では遺族とか色々で公開中止で
流れてた映像ダイジェストだけど、ラブホとか神社の鳥居が沈んでるのとか
色々なんかひっかかったのかもねと思わされた。(実際はどこのせいかはわからんけど)
気づかないタイプだから、説明あるとちゃんと理解が深まった気がして嬉しくなる。
熱出した時に見る夢の不思議の国のアリスと孫悟空混ぜたおとぎ話の大人版みたいな?
シルク・ドゥ・ソレイユの衣装も手がけてたなんて
部屋入るまで知らなかった。
子どものとき、テレビで初めてシルク・ドゥ・ソレイユ見たとき、
あとシルク・ドゥ・ソレイユの現状ニュースで見たから
芸術家っぽかったのにできるんだ! って驚いたけど
変な形なのになんかスタイリッシュで、ポケット開いたらハートとか遊び心あるなあ。
色合いも今見てもなんかお洒落だ。
こんな活躍をされていたなんて!
たくさんの壁があったろうに、尊敬。
衣装は中国の伝統的な形を尊重しつつ、たくさんの人数が揃って舞うときの
色合いの美しさに思わず声が出そうになるくらい感動を覚えた。
(こういった光景は、もうしばらく、きっとこの先かなり長い間見られないんだろうと
思ってなんかまた切なくなってしまった。疲れてきたのか? 急に悲観的になってしまう)
白と黒のグラデーションのドレスとか、裾の色変わるのとか、素敵だった。
職人技見られると、無条件で嬉しくなるよね。
この映画大好きなんだよね。石岡さんの仕事で唯一ちゃんと知ってる作品。
布でこれでもか! と作り込まれていて、
見れて嬉しかった〜! 胸元の布の造形が細かくてすごいんだよ。
きっとここも意見取り入れたり試行錯誤した過程があるんだろうなあって見てた。
映画、面白衣装がたくさんあるけど、なんか納得させられるというか、
世界にあっているというか、むしろ素敵というか、説得力あるのが本当良いよね。
説明文でへーって思うところも多々あった。
高校生でこの色合いの絵! すでに実力とセンス光ってる! ってところも驚いたし、
世界に羽ばたくために当時にすでに英語で書いてたってのもびっくりだし、
叶うよ! というか、この方は、自分で掴み取って叶えたんだな。
はーほんと、格好いい人だな。
この人は人生をかけて時代や世界に向かってデザインし続けてたんだなあ。
筋肉とか赤とかいろんな作品を越えて所々で見られるモチーフを見ると
全体総括ではないけれど、この図がぴったりだったのかもしれない。
と、途中所々ベンチで座りつつ4時間近く展示を見て回ったよ。
ギリギリ楽しめるぐらい粘れた。
予想の4倍くらい展示量と濃い内容で大満足だった。
図録買おうかなって売店行ったら売り切れてた。かなり先の入荷だって。さすが。
石岡さんイメージのパフェがカフェとレストランで提供されていて、
久々に良い物、仕事見れたなあ、と大満足。
ツイッターをぼーっと眺めていたらふと、タイトル通りの出来事を思い出した。
正式名称は忘れたけど、どこかの携帯キャリアが、そのキャリアのキッズケータイだかなんだかだけで使える秘密の伏せ絵文字みたいなのを装備していたことがあった。
ひらがな50音それぞれに対して、対応する絵文字がある。とはいっても、たとえば「あ」だったら「+」の下に渦巻きのような図柄が描かれてる、みたいな、解読しようと思えばすぐできるような単純なもの。
私は当時携帯への憧れがあったので瞬時にその情報をキャッチして、公式サイトにその絵文字の一覧表が書いてあるのを見つけた。
これなら携帯を持ってなくても使える!とワクワクしたわたしは、無邪気にその暗号絵文字でクラスメイトの友達に「誕生日おめでとう!これからも仲良くしてね」みたいな手紙を書いた。もちろん、解読用の一覧表も印刷して同じ封筒に添えて。
渡した友人にはそれはそれは喜んでもらえたことを今でも覚えてる。小さい子なんて単純だから、今までに見たことないものにわくわくしちゃうものだ。
実はその子とは別に、もうひとり仲のいい子にもその暗号絵文字で同タイミングで手紙を書いていた。
内容はしっかり思い出せないけど、似たような感じで、「読めたかな?これからもいっぱい遊ぼうね」て感じだったと思う。
悪意なんてどこにもない、小学生の遊び。
比較的真面目な生徒だったので、特に心当たりもなくてなんだろう?なんて思いながら呼び出された場所に行ったら、なんと先生が、誕生日でない方の友達に渡したはずのレターセットを一式持っているではないか。
え、なんで?
どうして先生がそれを持ってるの?
なんて、頭の中にクエスチョンマークが浮かびまくる中、先生はこう言い放った。
「こういうことはしちゃダメだよ。まわりから見て、何が書いてあるかわからないでしょ?悪口だって書けちゃうじゃない」
要約するとそんな感じのことを、長々と言われ怒られた。
おそらく友人が無邪気に母親に見せて、その母親が先生に連絡したのだろう。
私はショックだった。
当然喜んでもらえるだろうと思ったことが悪いものとして捉えられた事実もそうだし、友達の母親が直接ではなく第三者の先生を介して意思表示してきたのも嫌だった。大人なんて嫌いだ、て心の底から思ったことを覚えている。
そしてなによりも、ちゃんとすぐに内容が読めるような解読表まで添えてるのに、読みもしないで「悪口になる」て一蹴してくるなんて。どうしてそうやって、悪い方に考えて決めつけるの?と傷ついた。
だからなんだって話なんだけど、不意に思い出したのでどこかに書いてみようとなり、ここに残すことに。