はてなキーワード: 苦笑いとは
オタク向け婚活パーティというものにこの1年で10回くらい通って、カップル成立4回、その後継続して会う人も絞れてきたので参加終了にしたアラサー女です。世話になったぜありがとうア○○ラ。
区切りがついたので、婚活パーティのあとの女子飲み(カップル成立しなかった子達で飲んで帰った)(何回かあったけど実のところこれが一番楽しかった)で話題になった「こうすればもっとモテそうなのにもったいなかった男性のポイント」を挙げてみたいと思います。
個人的な感想ですが、人見知りの引きこもりが自分を鼓舞してパーティに参加するのめちゃめちゃハードル高かったです。
料金や会話のシステム(女性は座りっぱなしで男性が席替えする)的に比較的優遇されてる雰囲気の女性側でもびびりまくるので、男性側はもっと気が重いんじゃないだろうか。
がんばって戦っている男性の参考になればうれしいです。
会話1周目(5分)
↓(休憩)
会話2周目(5分) or フリータイム
↓(休憩)
カップル成立 or 解散
って感じです。
いろいろありますが、会話のきっかけとして最重要な項目は「好きな作品・もの」です。ここをろくに埋めてない男性があまりにも多い!もったいない!
記入欄は10個ぶんあるので、とにかく埋めたほうがいいです。フックは多ければ多いほどいい。
オタク向けとは言ってもそれこそ幅広いジャンルがあるので、作品名を10個みっちり書いても相手と1個も合わないこともザラです。そういう時に少しでも「あっそれ知ってます」と言えると会話のきっかけになります。
小手先のテクニックとして、参加するパーティのwebページに女性/男性参加者の好きなもの一覧(誰が何を好きかはわからないようになっている)が掲載されるので、そこを見ながら合わせて記入すると確実に1人の相手とはマッチするため、会話のきっかけが恣意的に作れます。もちろん作品を知ってること前提でな!
たぶんプロフィールシートの記入例にあるから女性受けすると思ってそのまま書いてくる人が多いと思うんですが、
「BLに理解があります」と「最近ハマっていることはお菓子作りです」は見飽きました。山ほど見た。毎回10人中5人くらい書いてくる。
女性の「得意料理は肉じゃがです☆」くらい、「これ書いときゃウケんだろ」っていう雑な意図があまりにも明らかなのでむしろ印象よくない。
ここで自分の言葉に変換して「BLは詳しくないですがそこそこ大丈夫だと思います」とか書いてくれたら、好感度が跳ね上がります。
個人的には「BLに理解があります」って書いててまたか…と思った人が「ロイアイが好きだったんですがロイエドもいけることに気がつきました」って話をしてくれてめちゃめちゃ盛り上がったので、BLむしろいけるよって人は「理解があります」じゃなくて具体的に「ショタ受けが好きです」とか書いたほうが絶対にキャッチー。
ただし相手が逆CPだった場合は一気に険悪になる可能性があるので、CP名までは書かずに探り探り会話していくのが安全です。何の話だ。
上の項でも書いたとおり「最近ハマっていることはお菓子作りです」って書いてくる人が非常に多い。
ので、会話を弾ませよう「お菓子作りお好きなんですか!どんなお菓子作られるんですかー?」とか尋ねるじゃないですか。そうすると目が泳いで「ああ……あの……クッキーとか……(ボソボソ)」って言う。会話終了。ワンバウンドすら弾まない。
あんまり多いんで一度ちょっと意地悪で「アイスボックスですか?型抜きですか?」って聞いてみたことがあるんですけど、相手の人が先生に指名されて答えられない生徒みたいな絶望顔をしたので大変申し訳ないことをしたと思いました。反省しています。
しかし言いたい。
ハマってるって書くくらいなら1回は実践しとけ!すぐにメッキの剥がれること書いてくるんじゃねえ!
経験豊富に見せなくてもいいんです。実体験で話してください。受けようと思って水増しした内容書いても話すとすぐばれるからかえって印象よくないです。面接官みたいなこと言ってすまん。
たとえば「すみません!ウケがいいかと思ってお菓子作りって書いたけどあんまりやったことないです!クックパッド見てブラウニー作ろうとしたらすごく薄べったくなっちゃって、あれ何が悪かったんですかね?」って笑いながら失敗談を披露してくれた人は会話うめえなあ!と感心しました。
自己アピールで「お付き合い」の要素すっとばして「結婚」の要素しか書いてない人がちょくちょくいるんだけどあれ本当にもったいない。
婚活パーティはほぼ全員初対面だと思います。(あの人前のパーティで見た、みたいな人もちらほらいますが)
最終的に結婚を見据えているとはいえ、その前段階として「お付き合い」があり、そもそも本日の到達目標は「このあと2人でお茶でも飲みたい」と思ってもらい、カップリングシートに自分の番号を書いてもらうことなわけです。
それなのに初対面の相手に向かって
「穏やかで明るい家庭を築いて行きたいです」とか
「笑顔の絶えない家庭が理想です」とか、ふわっふわした抽象的な理想しか書いてない人が多い。気が早すぎるし、いきなりだいぶ重い。
そういう人に限って好きな作品も2つ3つしか書いてなかったりする。何ひとつ相手に印象付けられないので、スルーされる可能性大です。
「映画が好きなので一緒に見に行ってくれると嬉しいです」とか
「バイクが好きであちこちツーリングに行きます。旅行先のおすすめあります」みたいに、
自分と一緒にいるとどんな事が起きるのか具体的に書いてくれると、お付き合いのイメージが掴みやすいです。
あとは「趣味が高じて工業機械を操縦する仕事をしています」みたいに、興味を引く内容が書かれていると話が弾みます。クレーン動かしてますっていう人の話すごい面白かった。
ここで話が弾む→フリータイムでももっと話したいと思って追加会話に発展→ラストにカップリング成立、という流れが多かったので、ほんと自己アピールのつかみは重要です。
これ、ほんとこれ。
アフター女子飲みでも毎度話題になったんですけど、オタク婚活と銘打たれたパーティに来ておきながら
「お好きなものはなんですか?」
「特にないです……」
って会話終了する人いったい何なんですか。割といる。
ぬるオタ向けパーティならいいですけど、それでもせめて「○○が好きで~」くらい言ってくれよ、何も会話ができないよ!
参加を重ねるうちに男女の参加層に結構差があることが分かってきたんですが、女性でオタク婚活に来てる層はもうわりとがっつりオタクです。
オタクを伏せて付き合ってみたけど無理だった!せめて理解のある相手を見つけたい!欲を言えばこっちがオタクコンテンツに没頭している間向こうも同じくらい他のコンテンツに夢中になってくれてるオタクがいい!
っていう人が多いです。
それに比べて、男性でオタク婚活パーティに来る層はそれほどオタクじゃない人が多い気がする。
そもそもアニメ漫画ゲームあんまり見てなくて、かといって鉄とか他ジャンルのオタでもなくて、ただ華やかな層の合コンには馴染めないからこっちに来ましたみたいな人が時々います。
オタクにもなりきれてないので大体会話が弾まなくてカップリング成立してないです。
楽しいことがないっていう人と積極的にお付き合いしたいとはあまり思いませんよね。
婚活のネタづくりのためにでも、パーティに出る前に最近のアニメのひとつふたつはチェックしてみてはどうでしょうか。
今期だと甲鉄城のカバネリめちゃくちゃ面白いんでおすすめです。
これをすると失点するかもしれないので避けたほうがいいポイント。
私が相手から敬遠されたゆえの事かもしれないので、苦手な相手に好かれそうなときに遠ざけるという小技としても使えます(つらい)。
ネットとリアルの区別ができない印象。ひどい人はほぼ全部の項目が大草原になってた。こわい。
これは……オタクとか関係ないもはや人間性の問題だと思うんですけど、とあるアニメのタイトルを挙げたら「あ、あのクソ脚本の!あれ制作側揉めたんですよねー知ってます?」ってその揉めた内容とやらを披露されて真顔になりました。
知ってることをアピールしたいのはオタクの性としても、それが悪い内容だったら当然相手にはマイナス印象になるよ!
これもそもそも人間性の問題ですが、「今まで普通の婚活もしたんですけど、ほんと参加者にろくなのがいなくて」って言った人がいました。
ちなみにアフター女子飲みで判明したんですけど全員に言ってたっぽい。アホか。
短いスパンで参加を繰り返してると、あっあの人、前にもいたな……っていう人が出てきます。
「お疲れ様です、どうですかその後」
「いやーがんばってるんですけど」
「こっちもですよ」
って小声で苦笑いし合った時には、別の戦場で見かけた奴と再会して「よう、まだ生きてたか」ってスキットルを回し飲みしたくらいの連帯感が生まれました。カップルは成立しなかったけどな!達者でな!
だが「またお会いしましたね」ってそっと声を掛けたら「えっそうですか?」ってすっとぼけた奴、おめーは何がしたいんだ。
お前会場入ってきた瞬間目が合って気まずそうな顔したろ!土日続けて参加だったから昨日のことだよ!
何回参加しても「あんまり婚活とかしたことなくて今日が初回です!」って言うための演技なのかもしれませんが、「こいつ都合の悪いときはこういう誤魔化し方するんだな」というのが如実にわかるのでやめた方がいいんじゃないだろうか。
あと休憩タイムで男女別にトークするときに大抵そういうの全部ばらされてます。
失点を防ぐだけでなく、できたら加点も狙っていこうぜというポイント。
交流タイムは5分間×10人で約1時間を2セットくらい話し続けるので、もう喉カラッカラです。一応飲み物はあるんですが、なかなか飲むタイミングが難しいこともあります。
そんなわんこそばトークの後半に回ってきた人が「大丈夫ですか、喉渇きませんか、よかったらちょっと一息ついてください。その間にプロフィールシート拝見しますね」と自分の時間を削って飲み物休憩を提案してくれたのは大変すてきでした。
自己アピールに「気遣いのできるほうです」って書くより100倍説得力あった。
1周目の会話はほんとに最低限の自己紹介だけで終わるんで、その後の交流タイムで相手から指名を取ろうと思ったら「もっとあなたと話したい」ということをアピールしておくといいです。
席移動の合図の後に「楽しくて全然話し足りなかったですね、よかったらまた後で」的な声掛けをしてくれる人は、その後の追加会話タイムでもご一緒する確率が高かったです。
フリータイムがあるパーティの場合、スタッフの合図で男女それぞれ1回ずつ、話したい相手に一斉に向かっていくという一種恐怖の追加会話タイムがあります。
立ち尽くして途方に暮れているとスタッフがさりげなく誘導してくれて相手側の余った人とペアになったりするんですが、お互い仕方なく座っているのでまあ会話も盛り上がらない。
これという相手を決めておいて、合図の時点で目線もまっすぐ向けて迷わず相手に進んでいくと「君に決めてました」感がアピールできてかなりいいと思います。
男性側から進んでいくときはこれで1回は意中の相手と追加会話を確保できる。(相手がすごい人気で複数人にたかられるタイプだったら競歩がんばってください)
すごくモテ慣れてる相手だと効果が薄いかもしれませんが、一番に自分を選んでまっすぐ来てくれたという事実はわりとときめき度高いです。
自分がマッチングサイト形式ではなくパーティ形式を婚活の主な手段に選んだのは、どんなにメールやチャットで感じが良くても会って話すと印象がだいぶ違うことが多いのと、あとは単純に短い時間でたくさんの人と顔を合わせるほうが手間がないなと思ったからです。
「サイトでのやりとり→待ち合わせてデート」だと少なくとも休日の半分は潰れるし会える相手は1人ですが、パーティの場合は長くても3時間くらいなので仕事帰りにも行けるし一度で10人くらいまとめて会えるので効率がいいです!とんだ効率厨ですね!すみません!
最初は「カップル成立しなかったら帰るとき惨めな気持ちになりそうだな……」と尻込みしましたが、だいたいカップル成立するのは毎回半分かそれ以下です。成立しなくて帰る人も多いので大した落胆はありません。
前述したとおり、その後の女子飲みのほうがめちゃくちゃ楽しくてみんなで「これイベアフターだよ……これが楽しいのダメだよ……」と言い合ったけど楽しかった。
同じような内容と年齢層のパーティでも、参加する回によって指名したい相手が多くて困るくらいの時もあれば、逆に誰一人ピンとこなくて指名カードに何も書かず帰ってきたこともあるので、ほんと巡り合わせです。
うまくいかなくても自分のせいだけではなくて、巡り合わせもあると思ってあまり落ち込まないでください。
ある日、たまにお世話になってるBさんからシステム構築の相談を受けた。知り合いの使ってるシステムが拡張できなくて困っている、知人に会わせるから詳しく聞いて欲しい、という事だった。このお客さんというのは過去にツーショットダイアルでしこたま儲けたらしく、金は持ってるという話だった。そういえば前に、自社でやってる出会い系サイトが重くてしょうがないんだけど助けて欲しいって相談を受けた事がある。第一世代iMacで構築してたらしく、ちょっとカブれたシステム会社にあたっちゃったんだなと思ってた。その時はまとまった時間が取れなくて手伝えなかったんだ。俺はMacは好きだけど、当時仕事ではIAサーバーにSAN繋いでOracleでDB構築とかしてたので、Mac+FileMakerでWebアプリ作ってるって聞いてひっくり返った覚えがある。
K県にあるオフィスへいった。担当者Hさんとはすぐ話が出来たが、オーナーのWさんは渋滞に巻き込まれて1時間ほど遅れて来た。Bさんからは「見た目は思いっきりヤクザだけどいい人だから」と言われていたけど、サングラスでもかけて無い限り普通に人の良さそうな叔父さんだった。日本語は上手。アクセントは中国訛りだけど、システムのことがよくわからないHさんよりよっぽど話が通じる。
内容は「コミュニティサイト」、つまり「出会い系サイト」だと言う。会員数は1万人。有料サイトで1万人はかなり凄いはず。ガラケーの待ち受け画像サイトとか手伝ってた時には、内部関係者とか無理矢理登録させて盛りに盛って5千人も行けばいい方だった。思わず口に出た「え?1万人ですか!?凄いですね」 。WさんとHさんは何故か目を合わせて苦笑いしてる。ハードウェア構成は1万人にしてはちょっとショボイかなと思ったけど、hpのDL380とMSA500の構成を打診してみた。一式200万〜くらいだけど向こうにひっくり返られて、今は数万円の自作PCでやってるって事だった。まあハードで儲ける気はないからいいけど。
出会い系のシステム構築し始めて、一番話が噛み合わなかったのが会員インポート機能だ。現行システムからの移行に使うという。そんな一回しか使わない機能、手動でコンバートするからこの機能外させてくれって何度も言ったんだがどうもこの機能にこだわる。むしろこの機能がキモだとまで言う。あ、だんだんわかってきたぞ。
こいつは有料会員が1万人もいるような優良サイトではなくて、名簿屋から買った会員情報を流しこんで会員数万人に仕立てあげるシステムだ!。俺は金に成るならマルチの管理システムでもなんでも作ったるわと思ってたからやるけど。現行サイトは女性会員として登録しても男性会員から検索できない。これは客がテストのために女性として登録してクレームをつけてくることがあるから、検索できるようにして欲しいと言われた。出会えなかったら客が残らないんじゃないですか?って聞いたら、あまり出会わせないんだと。実会員同士が連絡を取っちゃったら直メールでやりとりしてポイント消費しないから、出会えないのがいいんだと。なるほど、ワルだね!
程なくして(すったもんだあったけど)システムが完成して、同一システムで見た目だけ変えたものをいくつか作らされた。有料出会いサイト、無料の客寄せサイト、そもそも出会いとして機能してないDM送信サイトがあった。有料出会いサイトの売上は、うまくいってるサイトでも月間数十万程度なんだが、1サイトだけずば抜けて売上の高いサイトがあった。毎月コンスタントに500-600万は売り上げて、多い時は1000万を軽く超える。こんなことなら売上のパーセンテージで保守料貰えばよかったなあ。
一体どうしてこのサイトだけこんなに売上があるのかと、ちょっとサイトのメールやりとりを覗き見して青ざめた。こいつらもう出会いなんて全然エサにしてない、初めから「あなたに1000万円当たりました。振込の手続きをするので合言葉'XXXX'を送信してください」などと言ってポイントを消費させてるだけだった。この頃はまだ男性向けが圧倒多数だった気がする。後に女性向けにジャニーズを騙ったり、占いサイトと称して幸福に成るための合言葉を連投させたり、そのうちエスカレートして金の単位は億になり、あからさまに「手続きのために○○円分ポイントを購入してください」という通知になっていく。
このシステムは思いつかなかった。実はガラケーの待ち受け画像サイトやってた時もそうなんだけど、俺は基本的にケチなので「こんなのに金払う奴がいるか?いるわけねーだろ」と思ってしまう。こんなのに引っかかるやつがいるなんて信じられないのでビジネスにしようなんて思いもよらない。引っかかる人っていうのは気の毒に成るくらい頭が気の毒な人なので、「本当に振り込んでいただけるのでしょうか。子供のDSも売ってポイント買いました。振り込まれないともう本当に終わりです。」などと書き込んでいる。胸が痛んだ。このやり方は客を殺すので長続きしない。広告打つにもカネがかかるし、太客をうまく転がしてる方が効率はいいと思う。
Wさんの携帯番号末尾は0001、車のナンバーも・・・1。さすが縁起を重んじる中国人。この番号とるのにいくらかかるんだろうなあ。
でもね、あなた今いくつ?
39歳で、もうすぐ40ですよね!!
この職場に来た時に、あなたの年齢を知らない人から「高校生くらいのお子さんがいるの?」って聞かれたよね?
そんなおばさんのドレス姿、誰が喜ぶの?
みんな苦笑いしてましたよ。
ドレスなんかどう見ても20代前半の子しか似合わないデザインで、どう頑張っても許されるのは20代後半まで。30代はアウト。
他に似合うドレスがあったでしょうに。
それをもうすぐ40のあなたが身に着けたら似合わないこと分かるよね?
よくそんなのを身に着けたドアップの顔の写真を送ってこれるよね。
恥ずかしいと思わないのか。
そもそもあなたの結婚式なんて、わが社から誰も出席してないし、
写真を送ってくれなんて誰も頼んでないのに(確認済)よく写真を送ってきたね。
自己満足にもほどがある。
大体この写真どう処理すればいいの?
誰も見ないし邪魔なだけだよ。
ありがとうも言わず、誰も聞いていないのに挙式や新婚旅行の予定だけみんなの前で発表してやめていったあなたに、みんなうんざりしています。
やめたのにこれ以上うんざりさせないでください。
増田に初めて書く。今までずっと溜まっていたものを吐き出したい。
付き合って2年になる同い年の彼女がいる。価値観、金銭感覚、キャリア観も合っていて結婚を視野にいれているのだけれど、自分の家庭環境の酷さに彼女がひいてしまうんじゃないかって話せずにいる。
自分のスペックは、社会人3年目。地元の高校を卒業して都内の国立大学に進学、そのまま東京で就職。幸運にも会社は有名な大企業で、同世代の中でも給料は抜群に良い。
能力も評価されていて高収入で、結婚を考えている彼女もいて、傍から見たら順風満帆な人生かもしれないが、オレが育った家庭環境はまさに真逆だ。
①精神疾患
父親はうつ病を患いオレが物心ついた時からずっと不眠症に悩まされニート状態だった。現在も継続中。
・気性が激しく母親といつも口論していたし手を上げることも珍しくなかった
・精神的に未熟でかつ些細な事に異様に執着する。この前帰省したときもずっと母親に対してあーだこーだいちゃもんをつけていた
・身内にうつ病患者がいると生涯疾患率が2,3倍に増加することが統計的に認められている。これはオレの奥さんにとっては自分の旦那と子供の疾患リスクが高まることになる
具体的な固有名詞は避けるが、両親ともにカルト宗教にずっとはまってる。むしろその縁で結婚した
・オレ自身は高校の頃から距離を取り、大学進学を機に実家を出て完全に決別したが、両親はずっと信仰している
・毎日「神様」や教祖(の写真)に対して祈祷や敬礼することを子供に強制し、教えが記された書籍を朗読させられ、歪んだ価値観で教育された
・時に宗教的な洗脳を強めるためか、1週間程度の合宿に仕事をほっぽり出して参加し、「献金」した
・その宗教では教祖が決めた相手としか恋愛ないし結婚が許されず、その状況下で「好きな人と付き合う」ということ、そもそも恋愛そのものを禁じられていた。現在はこの制約/精神的呪縛から逃れられたものの、もちろん交際中の彼女がいることは両親には伝えていない
③マルチ
・自分たちで利用する分にはよいだろうが、マルチを使って一発当ててカネを手に入れようといろんな知り合いに勧めていた。
・そこに少ないがうちにしては大層な資金をつぎ込んで儲けようとしていたが、それで大金を手にすることを夢見てたけどできるわけなかった。そこで稼ぐための資金として嘘ついて親戚から1千万金を借りようとしていたが、もちろん断られた
④上記要因に伴う低水準の経済状況
・ただでさえ貧乏なのに、カルトに対して数百万円単位で「献金」。オレが実家で暮らしていた頃はずっと4人家族で世帯年収200万円付近だった。家賃をよく滞納していた
・親戚からも数百万円単位で借金して、最終的な借金は1,000万円クラスになり、自己破産した。
母親はずっとパートで家計を支えていて、今は介護の仕事をしている。あのすさまじい境遇にいながら離婚せずに父親のために楽でない仕事して支えようとしているのは、その精神の不屈さは尊敬に値すると思う。が、今思うとカルトやマルチにはまったりで、完全に批判的に物事を考えることが不得手だったのかもしれない
精神疾患、マルチ、カルト、貧困という四重苦の中で、正直自分でもよくあの家庭状況から今のステータスまで這い上がってこれたと感心する。自分の家庭環境を乗り越えたい高校生はマジで勉強しろ。家庭の所得と学歴は明確に相関する。それでも大学受験という社会システムは、格差が広がる日本において、階層を乗り越えられる可能性がある最も公正な制度だ。
2年も付き合ってきて、彼女も結婚を意識して入るだろう。何度も一緒に旅行に行っているし、関係は良好だ。周りの友人からも早く結婚したらいいんじゃない?ってよく言われる。そのたびに苦笑いしながらお茶を濁す。別にいまの彼女だからって話じゃない。この先別の彼女と付き合うことになったとしても、一般的に、これらは別れる理由として非常に妥当だし、説得力がある。
誰がこんなクソみたいな実家の人間と結婚したいだろう?結婚前提で付き合う相手をスクリーニングするなら、これらの条件はだれもが除外条件として設定するだろう。
※6/9追記
今までほぼ誰にも話したことなかったので自分の状況に対する他人の考えが聞けてうれしい。
ほとんどのコメントが絶縁一択みたいな感じで、ああ、普通の感覚の人からすると創作に見えるくらいぶっ飛んでるんだなってことがわかった。それだけ彼女に伝えるときには慎重かつ丁寧になる必要があるということもわかりました。
ちなみに高学歴な大学は低所得世帯へのフォローは結構充実してます。奨学金はもちろん利用したけど、親からは一切援助受けずに卒業しました。大学や、奨学金を筆頭とした各種の支援制度には本当に感謝してる。
正直なところ、実家問題をどうするか、いままでちゃんと考えてなかった。正確に言えば、嫌のものから目を背けて、目の前の「やりがいのある仕事」「楽しいプラベート」ばかり見ていたということです。
実際、母親に対しては情がある。なんだかんだ言ったって親だから。あとは妹のことが心配。親と一緒に暮らしているけれど、自分が心許せる唯一の身内だし、あの子は不幸になってほしくないという思いがある。
頭では、彼女と結婚するには絶縁がベストというのはわかっているんだけど、最終的に腹をくくるにはもうちょっと心の整理が必要そうだ。
5,6年前のこと、母は頭がおかしかった。
「こうするだけで体の痛みがなくなるの」と、自身の膝に手を近づけてブツブツと念じていた。Mr.マリックで画像検索するとたくさん出てくるまさに画像通りのポーズ。
(Mr.マリックさんは多分関与していません)
ある日「ちょっと参加するだけでいいから。じゃないと今月のお小遣いナシよ」と脅迫され半ば強引に車に乗せられた。
(当時高校生でバイトはできずお小遣いだけが生きる糧でした。)
向かったのは、母がその素晴らしいパワーを授かったという新興カルトの総本山。中のホールには老若男女100人以上がいた。
このイベントは信者が家族、知人をとにかく1人連れてこさせる、新規信者の勧誘セミナーだった。信者候補生は会場前段、信者が後段にそれぞれ50人ずつ席を用意されていた。この時、母の友人のおばさん(Aさん)と知り合った。共通の友人に連れられたと言い、隣で「ほんとにそんなすごい事あるのかしらね~」と笑っていた。
壇上にキャリアウーマン風のオバサンが現れた。このオバサンこそが教祖様だった。
そして長々とした挨拶が始まった。「私どもは、宗教でもカルトでも御座いません。ただみなさんにこの力を手にして頂いて、西洋医術に頼ることないより良い生活を送って頂きたいだけなんです。」
「とある地域に療養所を作る計画が御座いましたが、地域住民の方々に『カルトは来るな!』と反対され計画は頓挫しました。」
そして宇宙の真理やらキリスト教ユダヤ教ヒンドゥー教仏教の神々の話やら、やたら広大な話が始まった。宇宙の真理という単語を持ち出す奴にロクな奴はいないと断言できる。
次に、信者の喜びの声発表会となった。
信者が10人ほど壇上に上がり、一人ずつ素晴らしいエピソードを語っていった。生まれつきのアトピーが完治したと涙ながらに語る中年男性。神経性脱毛症が緩和された女子中学生。腰痛から救われ、人生も明るくなったと言う母。周りの信者候補生たちの表情も変わり始めていた。
その後は治癒体験会が行われ、信者と信者候補生が二人でペアを組んだ。
「皆さん今から始めてください!痛みを吹き飛ばしてください!」と言われ、母がどこか痛いところはない?とルンルンで聞いてきた。ただ、自分は至極健康体でケガも無く、仕方なく「肩が痛いかも」と言っておいた。クソ真面目な顔でパワーを送る母と、何も起きない肩。
仕方なく「治った気がする」と苦笑いした。
全員が一通り治療し終わると
「じゃあ、こちらの列の方から良くなった!という人は手をあげてくださいね」と言われた。まさかと思ったが、喜びの挙手がつぎつぎと起こり列の全員が手を挙げた。また次の列も、その次の列も笑顔で挙手している。それを見て心底ゾッとした。
もう全員洗脳されてしまったのか。自分が異端になるのが怖くて恐る恐る手を挙げた。
この場の99%という圧倒的マジョリティに対してなす術がなかった。
周り全員が敵になってしまった。おかしいのは自分なのかと気が狂いそうになり、いっそのことマジョリティになってしまえば楽になれる気がした。
全部で3時間ほどセミナーが続き、その間1度も休憩がなく会場に閉じ込められており、尿意がマックスに達していた。
自分を異端だと責める思いと、尿意が脳内でせめぎ合い、結果として尿意が勝った。
セミナー終了時には、信者候補生側からスタンディングオベーションが起こった。Aさんも「感動したわ~すごいわねぇ」と笑顔になっていた。
終了後、即トイレに向かった。
帰宅して小遣いをゲットし、「あんなもの信じてるなんてキチガイか」と大口論に発展した。現在母にそのカルトの事を尋ねるととぼけるようになった。
NBC(ネットビジネスカレッジ)というネットワークビジネスを展開している団体がある。
様々な所で「これはネズミ講じゃないか?」と言われているみたいだけれども
一般の人がイメージするネズミ講とかマルチ商法とは少し違う形態みたいなので、
旧版の概要書面が手に入ったので広告とかと合わせて、分析してみる。(長くなるよw)
今回入した概要書面(旧版2015.11)を見てみると、その記載がいい加減でびっくりする。
「入会金 67,800円 100pt」
この概要書面は、「特定商取引に関する法律」第37条一項により交付することが義務づけられている書面です。
と、ぬけぬけと書いているんだけれども・・・
「商品の種類及びその性能若しくは品質に、関する重要な事項又は権利、
十分に満たされているとは言えないよなぁ。
「化粧品」だとか「健康食品」といった品物は存在しないらしい。
ネットビジネスを「教える」または「システムを提供する」というのを商材としている。
これは特定商取引法でいう所の「役務の提供」に該当すると思われる。
つまり商品としては「ネットビジネスで儲けることを教える」というもの。
これを売る「ネットワークビジネス」を展開しているということになる。
余談だけれど、
特定商取引法の申出制度についての相談を受け付けている日本産業協会に、
「こんなのは概要書面に書きようがありませんよね」って苦笑い。
で、どうやらNBCが行っている勧誘や宣伝(その違法性の指摘は一旦おいておいて)では、
「ネットビジネスで稼ぐ」のと「勧誘で稼ぐ」のを二本の柱にしていると主張している。
ここで整理しておくと
・「勧誘で稼ぐ」というのは、
会員から集められた入会金や月謝を元手に
新規入会獲得に対してもらえる報奨金や、配下にしている会員組織の規模でもらえる報酬で
・「ネットビジネスで稼ぐ」というのは、
商品を使いこなして得られる(かもしれない)結果であって、
オークションだか何だか知らないが、外部から会員が引っ張ってくる利益になる。
お金の流れとしてこの両者が完全に分離しているシステムみたい。これはマルチ商法としては珍しい。
(てかネズミ講の疑いが出てくるので、普通はこんな設計にはしない)
しばしばこの両者を混同させていたりする。
物販ビジネスだけに特化して、月に150万円以上売上をあげている方もいらっしゃいますし、
逆にこのソーシャル・ネットワーキング・アフィリエイトに特化して月収100万円以上稼いでいる方も多数いらっしゃいます。
(誇大広告やらこの広告に対する様々な法的な問題はおいておいて)
この「物販ビジネス」というのは、商材の「ネットビジネス」の部分の話。
そして「ソーシャル・ネットワーキング・アフィリエイト」というのは、
勧誘活動などに特化して、会員の入会金や月謝から生み出される配当で
大きな金額を「稼げる」というパターンを広告で明言してみせているのである。
ちなみに
物販ビジネスだけで月に150万円の売上
150万円っていうのは売上で、その商材っていうのが商品転売とかだから
どう頑張っても物販だけで100万円の利益は出てないよなぁ。
物販ビジネスよりも勧誘活動の方が主になっている現状を認識している感じはする。
NBCでは会員に対して
「報酬に上限設定がある」とか
「ネットビジネスを教えるという商品がある」からネズミ講ではないと説明しているらしい。
(てかNBCの側は、既に広告で商品を無視して稼げるって言ってしまってんだけれどw)
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S53/S53HO101.html
段階的に二以上の倍率をもつて増加する後続の加入者が
それぞれの段階に応じた後順位者となり、
自己の出えんした金品の価額又は数量を上回る価額
実際に、たとえ商品の流通があったとしても、商品の販売促進のための配当では無くて
金品の配当を主としている組織と見なされると、無限連鎖講(つまりはネズミ講)になる。
その再売買には意味がないとされて、人工宝石の販売に名を借りた金銭の配当組織であり
無限連鎖講の防止に関する法律の要件を充たす金銭配当組織に当たるとされた判決。
この話を前提にNBCの商材となっている
となっている感じ。
(今は複数のカテゴリーに分けがあるようだが、実際のところ実態は変わってないぽい。
ていうか広告の方が未だ生きているので内容が違う勧誘をしているとするとマズいよな)
実態は海外通販サイトのアーリーエクスプレスのAPIを引っ張っただけのものだそうで、
そこの商品を選んで会員に対してヤフオクなどに無在庫出品をさせるというもの。
取引には一つの商品につき別途500円をNBCに払う必要がある。
もちろんヤフオクでの無在庫出品は規約違反行為。それを組織的にやらせている。
ネットワークビジネスに使うことも禁止との事(ヤフー広報に確認済)
関税不要に拘ると、取り扱う商品が価格とかからも限定されてくるはず。
また手数料で一点500円とられるって転売の利ざやを考えると結構厳しい。
また扱っているのが実質、海外三流品に限定されていて、それを納期一ヵ月とかふざけた条件で
オークションに出品して売るっていう形から考えると、儲けを出すのは厳しそう。
内部告発している人のサイトでは「月収1万コースでも、難しい」との事。
また、この海外転売などに絡んだネットビジネスを教えるという割には
NBCは為替とか基本的なビジネスの仕組みに関しては教えていないぽい。
参考
何かと怪しいNBC会員の人に、NBCでやらされている無在庫ネットビジネスについて色々と聞いてみた。
でも実際は、そんなに安いわけでは無くて、
価格コムで売られている価格よりも高かったりする仕入れ値で、そこから利益を上乗せする形。
これを、個人が運営している料金先払いのECサイトで売るっていう話なので、
■ イマコレ(キュレーションサイト)運営
将来的に多くのアクセスを集める巨大キュレーションサイト上でアフィリエイトができる!
NBC会員になるとキュレーションサイトに投稿できるらしい。
でも書き込みも閲覧もほぼ会員しかいない様なサイトでアフィリエイトをさせて展望はあるのだろうか。
今はNBCの方から記事を書いた会員に数百円とかの報酬を出しているぽい。
一応googleのAdsを入れいるけれど、その原資の大部分は自分達が払った月謝と入会金だよなぁ。
ようするに、商材となっている「ネットビジネスを教える」という部分の価値は、
(本来この広告の場合、法的にNBC側は具体的な根拠に基づいたものを示して
まぁ「マインド」とかスクールとしての「自己啓発の価値」の話を持ち出す人もいるかもしれないが
こういういい加減なビジネスを肯定したり、ビジネスとしての不合理さを見抜けないっていうのは、
本来のビジネススクールとしての価値があると言えるのだろうか。
儲けている人って言うのは、勧誘とか配当の部分でしかないらしい。
そこでマインドコントロールを行って会員を勧誘する。
当然いい加減な内容なのでネットビジネスでは実績が上がらない。
自分が払った入会金と月謝を取り返す為には、
勧誘活動で配下の会員を作って彼らが支払う入会金や月謝から生み出される
てなわけで後続を作って被害を押しつける為の勧誘が行われている可能性がある。
気がつけば、ネズミ講に荷担するような形になっているわけだ。
(本人や相手に対しても「ネズミ講の隠れ蓑」として働いている構造があり、
ネットビジネスが上手くいかないのは「自己責任」とか言われたり)
まぁ内部告発している人によると退会率が70%だとかそうで
残っている人というのは、上の方の人で
http://megalodon.jp/2016-0416-0735-42/netbusinesscollege06.blog.fc2.com/blog-entry-4.html
この退会率が本当だとすると、
勧誘活動が盛んな割に会員数が昨年から4000人で頭打ちのことから見ても
放っておいてもベースコミッションでの報酬を得る状況を維持しつつ残っていて、
激しく入れ替わっていくという実態が予想できる。
上位の人は調子の良いことを言いながら、
後から関わる人をことごとく不幸にして潰していく見事なシステムが出来上がっている感じ。
まじめに副業としてネットビジネスができると思ったら内容がいい加減で、
入学金や月謝を取り返す為にはネズミ講をやらなければいけない状態にしてしまうというのは
従来型のネズミ講よりも酷い感じではある。
書面によりクーリング・オフをすることができる。
これはNBCの書面にも書いてある内容
(無在庫販売などの手法は、実際に商品を買わずにネットビジネスの部分で成果を偽装しやすい)
もし新規入会者に対してクーリングオフの回避のために成果偽装を行っているとすると悪質。
(物販は、最初の一ヵ月は成果が出たが直ぐに売れなくなった話とかある)
そこで注目しておきたいのがクーリングオフに関するもう一つの規定。
http://www.no-trouble.go.jp/search/what/P0204009.html
NBCはシステムの説明を始め様々な部分で事実と異なる説明で勧誘を行っているので、
しかし、たぶん難しい。
参考
http://www.kokusen.go.jp/hanrei/data/200705.html
裁判所は、通信販売事業には実体がなく実質的には法律によって禁止された違法な金銭配当組織であるとして
会社や代表取締役、勧誘員の共同不法行為を認定して、支払い済みの契約金相当額、弁護士費用について損害賠償を命じた。
事業者らは、学生らが入会後勧誘に成功して収入を得ていたことなどから信義則違反ないし過失相殺を主張したが、
判決は、学生らは勧誘員らに踊らされていた被害者というべきであるなどとして、この主張を退けている。
NBCの場合は、示してきたとおりネットビジネスの価値や実態が乏しいので、
支払い済みの契約金相当額、それに弁護士費用についても損害賠償を求める事が出来るかもしれない。
さにらにこの判例で重要な点は「入会後勧誘に成功して収入を得ていた」としても
被害者と認定される(社会的な信用は失ったままだけれども)という部分。
NBCの場合はその運営実態から「踊らされていた被害者」に該当する人達が多そう。
場合によっては救済される可能性があるので、既に「勧誘してしまった」っていう人も、
勇気を持って「勧誘してしまった人」と供に法律上の相談してみてはどうだろうか。
そうした行動が、被害者救済と、個人の信用回復につながるかも知れない。
http://anond.hatelabo.jp/20160221211019
に対する
kato_19 確かにすごい考察ではあるが・・・楽しめなくて可哀想としか。辻褄や現実にこだわる理由がわからない。私の感想『『ラブライブ!』は私達に何をもたらしたのか?』http://kato19.blogspot.jp/2016/01/lovelive.html
匿名でここまで書くのはすごい!でもおりあそ氏同様、脚本の物語性に非常にこだわる点が自分とは大きく違う所。現実に根ざした物語を超えて、抽象化されたアイドル像に魅力を感じるんだよなぁ。 https://t.co/C43GeQjkcD https://t.co/9DE4lPVVaB— kato19@アニメとスピーカーと‥‥。 (@id_kato_19) 2016年3月19日
について。
まず、彼に限らずアニメラブライブのファンが多少筋の通った批判を目の当たりにすると苦し紛れに発することが多い「楽しめなくて可哀想」という感想について。
この表現にこそ、とにもかくにも「ラブライバーである自分が好きだからラブライブが好き』という感情状態から生じた「ラブライバーでない奴は可哀想」という論理が見え隠れする。
一応、何事も楽しめたらそれは素晴らしいことだ、というのにも一理はある。
しかし、見方や立場を変えてアニメ前の作品内容や原案公野櫻子先生による内容を特に愛するファンから見た場合は逆に、アニメと同等以上に可能性に溢れているそれらの媒体をおまけ以下と扱って注目せずにアニメや声優のみに注目し楽しむ現在の大半のラブライバーこそ、楽しめなくて可哀想に映るともいえる。
本来であればもっと楽しかったもの、もっと楽しくなれるものに期待できず楽しめない状態でありながら、あんな物語性もキャラクターも薄く浅いアニメを萌えるとか尊いとかいって満足して楽しんでいることこそ可哀想だ。
と、子供の喧嘩のような言い合いになるので、楽しめなくて可哀想理論は微妙だ。
次に、「辻褄や現実にこだわる理由がわからない」「脚本の物語性に非常にこだわる点」について。
これもアニメラブライブなど、拙い脚本を持ち味とする作品のファンが内容を批判された場合に反論でよく用いる意見だが、この意見が出てくる時点で大体の場合勘違いが存在しているように思う。わざとの可能性もあるが。
アニメや劇場版のラブライブ、少しずれるが艦これなどに至るまで、脚本内容を批判している人達の大半は恐らく完全な辻褄や現実性、脚本の物語性に非常にこだわっているというわけではない。“最低限”の辻褄や現実性が脚本や演出に伴っていないからこそ批判しているのであって、辻褄や現実性絶対主義者だから批判しているのではないことを盲目的に賛美することしか念頭にないファン達は再認識してもらいたい。
もしくは、彼らにとってそれらの作品の「萌え」や「勢い」といったものが上級表現の「尊い」どころか脚本の物語性や辻褄・現実性の拙さと乏しさから来る違和感と物足りなさを補えるほどには全く至っていなかったのだ、ともいえる。
実際、辻褄やリアルさよりも萌えや勢いで全てを吹き飛ばして満足感をもたらしてくれる尊い作品を自分も欲しているが、アニメラブライブはそれには程遠いと思う。
そしてそのような細かい辻褄の拙さやおかしさを吹き飛ばせる萌えや尊さといったものが存在しているものこそ、アニメ以前の雑誌や漫画におけるラブライブ!だと自分は思うのであるが…。
京極尚彦氏や花田十輝氏、ラブライバー達にとってはそんなものより海外ドラマにのっぺりとした無個性の二次元美少女絵を貼り付けて動かしてたまにライブシーンで踊らせておけば萌えて尊い、物語性など要らないって思ってしまうらしい。そのような部分を見ていると、彼らが一体作品の何を好きなのか分からなくなってくる。(そこでラブライバーはラブライバーである自分のファンでしかないという説が起こる)
ラブライブ!はアニメ以降よりも1stシングルPVのキャラクターデザインの方がシンプルながら個性と卓越性があった。当時は黎明期だし全てが未熟だっただろうという雑な先入観から考えて初期の絵や内容を馬鹿にしている者はファンにも多いが、もう一度しっかり見直してみた方が良い。実際初期の雑誌の絵は拙いもっさりした感じの絵もあって、主にそれを持ち出して「初期のキャラデザはこんなに酷かった」なんてネタにされているのをよく見る。しかし、雑誌やスクフェスなどの公式絵はアニメ化以降でも当たり外れがあるのでそのあたりを踏まえて考え直してみる機会を設けてもいいだろうと思う。
次に「現実に根ざした物語を超えて、抽象化されたアイドル像」とそれに呼応する内容が述べられているブログの記事内容について。
『ラブライブ!』って本当に美しいですね!特に劇場版のラストライブ・・・極限まで高められた美しさに圧倒されました。『萌え』の上級表現である『尊い』って言葉がこれほど似合う作品ってあるでしょうか?
ここまで心に響く理由・・・それは『ラブライブ!』という作品がアイドルの持つ偶像部分のみを分離し、現実の枷から飛び立つ事が出来たから。現実に囚われない理想のアイドル像を実現できたからだと思います。
(アニメの)ラブライブ!って何が美しいのだろう。ラストライブの何が美しかったのだろう…。個人の主観だから仕方がないが、同様に自分の主観だと1stシングルのPVの方がまだ美しかったように思うためによく分からない。
劇場版のライブは1期や2期と比べても心に響くものがなかった。楽曲の質が突き抜けてこないのはネタ切れもあって仕方ない所もあるだろうが、無理矢理終わらせようという勢いと都合に溢れていたからだろうか。
「『ラブライブ!』という作品がアイドルの持つ偶像部分のみを分離し、現実の枷から飛び立つ事ができた」「現実に囚われない理想のアイドル像を実現できた」
この意味がよく分からないが、後の記述から推測すると、芸能界というビジネス的なしがらみのある世界から分離され、物語やキャラクター性といった辻褄や論理から脚本やライブ演出に特化され解き放たれたことで自由になった作品だと言いたいように感じた。
しかし、それと併せて考えて見てもラブライブ!という作品が「現実に根ざした物語を超えて」(いる)というのは、先述したような内容の辻褄や物語性の乏しさという都合の悪さを隠すために言い換えてみただけの取って付けたような表現に感じてしまう。
2013年、そこへ発表されたのが『ラブライブ!』という作品でした。架空のアイドルをつくるメディアミックス・プロジェクトを出自とする本作にとって、現実のアイドルという縛りは初めから希薄なものだったのです。
2013年からラブライブ!という作品が始まっており、その時点でメディアミックス・プロジェクトから分離され独立していることが前提であるかのような書き方に嫌悪感を覚える。
現実から解き放たれたラブライブ!という作品
当時、多くの人がアイドルアニメといえばアイマスのようなものをイメージするなか、京極監督はおそらく気づいていたんだと思います。『アイドルアニメはもっと自由になれる』という事に。
『ラブライブ!』のTV放送一回目。多くの視聴者の度肝を抜いた突然のミュージカル演出。これによって本作がダンスと楽曲のコラボレーションに重点を置いた作品である事を宣言しました。
この方に限らずアニメラブライブ!や京極氏を絶賛する人達はこのように言うのだが、そもそも元からラブライブ!は「スクールアイドル」作品で、キャラクターが外のしがらみから独立して作詞作曲・演奏ライブなどを自由に行う描写がある作品も、ブログでも言及されている『けいおん!』などのように以前から存在しているし、その点においてラブライブがそんなに画期的だったとは自分にはあまり思えない。
また、ダンスと楽曲のコラボレーションに重点を置いた作品であることを宣言しても、作品の脚本内容の致命的な拙さやキャラクター配慮の不備の免罪符にはならないし、海外ドラマからパクって間に合わせただけで許されるわけでもない。
そもそも、元々の設定が存在し、それがある程度当時のファンに支持された上で存在していたメディアミックス作品なのだから、どうせ別のどこかから適当に引用する程度にしか監督や脚本家に作品のキャラクターや物語性への真摯さと思い入れが足りていないのであれば、元の作品から丸々引用する方が良かったはずである。それならコピペでも文句を言われないどころか、原案原作を生かしていて素晴らしいと絶賛されていた可能性の方が高いくらいである。
実際、アニメのラブライブ!で古参新参問わず最も評価が高いシーンの一つである1期8話は1stシングルPVの内容をほぼコピペするようにリメイクした内容だった。
それを、わざわざ無関係の別作品から引用して作品やキャラクターの軸までねじ曲げてしまったのは悪意の盗作という見方がされても仕方がないし、別作品へのオマージュやリスペクトとして捉えてあげるとしても肝心のラブライブ!という作品内容への思い入れと配慮の無さが強く感じられてしまい、その意図と効果は肯定的に受け入れにくい。
その特異にも見える現実離れした演出は回を重ねるごとに深まり視聴者を戸惑わせます。しかし秀逸なストーリー構成は私たちの心を掴み、いつしか違和感を感じなくなっていきました・・・ここに、現実のアイドルという枷が外れた『ラブライブ!』という作品がひとつの完成を見たのだと思います。
分かりやすく「特異にも見える現実離れした演出」があったのは主に1期&2期1話・最終話だったと思う。それ以外は態々特異というほど現実離れした演出があったと自分はあまり思わなかった。そのため、時折挟まれる無駄に寒いコメディータッチな演出や描写に違和感と嫌悪感が生じた。
腐ってもキャラクターアニメであるのにキャラクター描写が雑すぎて、キャラクターの魅力が淡白で薄くなっていて消えてしまっている。とても演出や勢いがどうとかでは補えるものではなかった。その内容については先述の批判考察記事やそこで引用される元の批判記事で書かれているので省略。
また、自分でストーリーの物語性や現実性と辻褄にこだわってアニメラブライブ!を見ることを批判的に捉えておきながら、その作品のストーリー構成を秀逸と考えた根拠も少々謎である。
百歩譲ってその論理からストーリーにこだわらず演出やライブ(ダンス)シーンがいい、ストーリーはおまけだからというなら意味も分かるし、それに特化した自由なアイドルアニメ作品を評価する論理としても、その人の中でそう思えたなら仕方ないかと多少納得できるのだが、そこで、無理なおべっかを使うような賛美を繰り出す所にラブライバーらしい空虚で盲目的な部分を垣間見てしまう。そのような評価の仕方を見ているとやはり彼らの感覚と論理の間には齟齬が生じているように思う。
結局の所、ラブライバーはキャラクター描写の拙さや、脚本や物語性を批判されたら「ライブシーンが見所だから」「ライブ演出が~」と言い、その演出もさほど大したことがないと指摘されてしまうと「キャラクターが魅力的で~」「初期から紡がれてきた声優ライブとアニメとの融合によるコンテンツの包括的に捉えた中でのみんなで叶える物語(の物語性)が~」というような形のことを言って相反した発言を繰り出すために説得力がない。
そしてコンテンツの初期からの積み重ねやみんなで叶える物語という既に剥がれ落ちた空虚な幻想の影を掲げて信奉する割には、アニメ以前の作品像やキャラクター像には最低限の興味や配慮を払うことすら稀な人が殆どである。
そのような点を見ていると、彼らは結局作品の中身には興味がなく外部のパッケージだけを愛しているように思える。「よく分からないけど初期から歴史があって人気が出たからみんなで叶えた物語だ尊い」、「よく分からないけど結構可愛い声優がアニメキャラとシンクロしたダンスを踊るために頑張ってるから尊い」というような状態なのではないか。別に作品を楽しむためには必ず重厚で説得力のある感覚や根拠を必要とはしないが、そのあまりに粗雑な状態の感覚や根拠を掲げることが必ずいつでもどこでも許されるわけではないということは少しだけでも覚えていてもらいたいように思う。
一方で、そこで素直に「アニメラブライブはクソでもラブライバーとしてアニメやライブを楽しんでいる俺は最高だ、だからラブライブは最高だ」と言ってくれるのであれば、それはそれで確かに素敵だと思うし、納得できる。それを聞くことで作品内容自体の素晴らしさは相変わらず伝わってこないが、彼らが作品を最高だと思っている気持ちは本物なのだろうと思えるからだ。しかし先述のように取って付けたすぐに剥がれ落ちるような根拠ばかり持ち出して内容評価を繰り返すようだと、何かに洗脳されたり、駆り立てられたりして仕方なく作品を賛美している状態に見えて、彼らが作品を好きと思っている気持ちすら実は偽物なのではないかという疑念が生じてくる。
実体がなく抽象化したからこそ表現できるものがある。劇中の『飛べるよ』というセリフは、まさにこの作品自体に向けられた言葉のように思えてなりません。
現実のアイドルという縛りから飛び立った時、アニメーションはここまでの表現ができるという事を教えてくれました。アニメーションの可能性がさらに一歩広がった事を実感できたのです。
自分は劇場版の『飛べるよ』という台詞を聞いて、苦笑いを浮かべた。最近(2016年3月現在)話題の違法・脱法薬物使用によるトリップを「飛べる」と表現することがあるが、それになぞらえて、「ラブライブ!を見てば『飛べるよ』」「作品内容もキャラクターも全部積み重ねてきた歴史をアニメ化してから根こそぎ捨ててきたから中身は空っぽだけど、裏には歴史があると思い込みながら「今が最高!」と騒げば『飛べるよ』」というようなパッパラパーな意味に捉えられ、作品批評者にネタを提供しているなと感じた。
「アニメラブライブ!という作品は、包括的なストーリー性やライブ演出が魅力だから作中のキャラクター描写とかアニメ自体のストーリー性は雑でもいい、描写の足り無さは効果的な省略だからおかしくても逆にそれがいい(効果的な省略が得意なはずの監督なのに無価値な蛇足なシーンやキャラが多いのは何故?)」というような無理矢理な盲目擁護調の論理はこのブログの筆者や、某K氏やG氏S氏V氏などラブライブ!賛美系評論者の多くに共通しているように思う。京極尚彦氏や花田十輝氏の信者に共通しているのかもしれない。
20代後半が多い。
仕事振りにくいし困るんだろうね。
上司は嫌いじゃないし、会社辞める予定もないけど、なんでそんな頼みを聞かないといけないんだよ、ってね。
辞められて困るのは常にギリギリの人数でやってるからなのに、会社としてそれを改善しようという気配はない。とにかくみんな頑張ってよ!って感じ。現場で工夫して何とかしろよと言われればそのとおりなのかもしれないが、人が減って仕事は増えていく中、こなすのに精一杯、是正策検討する気力はない。
会社で与えられた役割を越えて仕事をこなしても、評価されて給料上がるわけでもない、むしろ残業増えて問題視される。
とまぁ、言われたことにかこつけたただの愚痴です。
一歳になったばかりの子を連れて出かけていると、
かわいいわねぇ、今が一番いい時期でしょ
可愛くて仕方ないでしょ
と言われる。
子どもが何歳が聞かれて答えると、
一番かわいい時期だね
と言われる。
そうなのか。
こんなに大変なのに?
子を産んでから、常に顔が怖い、
らしい。わたしは。ダンナが言っていた。その怖い顔で子に対峙されることが嫌だと。
自分の時間思うようにいかない子どもを育てることは私にはとてもストレスで。
毎日、どうやって子どもとの2人の時をやり過ごしたらいいか悩む日々だ。
仕事復帰して、でも子育ての比重はあきらかにダンナより私のほうが多いことが不公平だとおもう。
もう戻ってはこない、1人の気ままな時間が、ものすごく恋しくて。
子どもを産んでほんとによかった、子育ては楽しい、なんて思えない。
そんな内容を友人に話すと、そう感じる女性は少数派だと言われた。
その旨をダンナに話し、こんな私でごめんねと謝ると苦笑いされた。
あぁ、ダンナもこんなのより、子育てを楽しめるヒトのほうがいいよね、肯定されたよね、と思う。
こんなにも向いていない。
仕事のほうが何百倍も楽だ。
そんな女で申し訳ない。
私には子育ては無理だ。
こんな母親に育てられる子はかわいそうだ。
私には無理だ。
仮にここでは、B君とする。
彼は、今までの出席とか評定平均を見て、指定校推薦を選んだのね。
この手法や指定校推薦の是非は置いとくとして、彼はとある大学への指定校推薦を教師に頼んだ。
受け持った教師は、評定平均の確認やその他諸々も終えて、オッケーサインを出したのね。
それで、彼は喜んでいたんだけれど、1ヶ月ほど経った後、自分に「勉強を教えてくれ」といきなり来たの。
「え、どしたんオマエ指定校推薦だったやん、なんで?」と聞くと、
「推薦がポシャってしまったから、一般入試を受けなきゃいけなくなった」
自分は一般入試組で推薦入試にも詳しくなかったから、大学側の基準が相当に厳しいものだったのかなあ
指定校推薦も舐めたもんじゃねえなあ、恐ろしいとか思ってたら、そういうことではなかった。
「評定平均の数値」を教師が間違えて算出してたの。
どんな計算かは知らないけど、とにかくミスっちゃって、わずかだけど実際よりも高く見積もってしまった。
その結果、志望してた大学の推薦基準には届かなくなってしまい、推薦も出せなくなった。
このミスが、指定校を決めた時点ですぐに判明してたら別に問題などなかったんだけど、
実際に判明したのは、ほとんどの大学の指定校推薦の出願時期が終わった時期だったんよ。
彼には他にも2、3個大学の候補があって、第一希望がダメだと分かれば当然志望校は変えたんだろうけど、
第二希望以下の大学の出願時期も終わってて、つまるところ指定校推薦が不可能になってしまった。
教師からは「悪いことをしたが、一般で頑張ってくれ」との旨を伝えられて途方に暮れていた。
最初に聞いた時には、あぜんとした。口ぽっかり。
勉強を教える云々の前に、そんなことがあって何で問題にならないんだ???と頭の中はハテナマークで混乱状態。
本人もすごく怒っていたけれど、まあそんなこと言ってても仕方ないねと、一緒に勉強し始めたんね。
あんまりこっちから何かできたとは思わないけど、彼はすごくバイタリティのある人で頑張って勉強してた。
それで、B君は一応のレベルの大学に進学できたんだけど、当初望んでいた大学とは就職率その他諸々に歴然たる差があった。
終わったことだからと、かれはおくびにも出さずにその大学に通って卒業して就職した。
その大学が決して悪いわけじゃなくてね、一応だけど。
それで、先日久しぶりに「会おう!」ってなって、居酒屋で飲んでるとその話題が出たのよ。
やっぱあの指定校推薦のゴタゴタひどかったよなあっていう気持ちもあって、心の片隅で残っているようだった。
彼は、その話題以外は終始笑顔だしそのことに強く憤る様子は見せなかったけど、
話題に出した時には少し苦笑いになって、引っかかってる様子ではあった。
そんで、広島の万引き誤認の推薦取り消し問題を見たときに、この事を思い出したんね。
なんであんな大事が当時は、問題にならなかったんだろうと考えると、語弊があるかもしれないけれど自殺までしないと問題にならないのかって思った。
とうぜん、広島のあの子には何の罪もない。全面的に教師や学校が悪くて、本当にあの子は何も悪くない。
だけど、じゃあB君のような、
「死ぬまでに至らなかったが、人生を大きく決める教師のミス」に対して、どうやって対処したらいいんだって思うようになってしまった。
(市教委はその地方にもよると思うけど、先生方の保護を優先するし。経験がある人は分かると思う)
B君は、自分の命を断ってはいないまでも泣き寝入りしてるわけで、それっておかしくねえかと。
自殺した子はとうぜん可哀想だけど、自殺しないと問題にすらされねえのはどうなの?っていう風に思った。
どこに問い合わせたら、きちんと問題として扱ってくれるんだろうと。
遊んでそうな女でも、真面目そうな女でも、普段はのんびりで優しい女でも、初めて出会った瞬間には必ず「値踏みしてくる」。
そういう時の、女の鑑定士のような目が怖い。あの頭の上から足元までを1.5秒くらいで舐めるように観察する冷たい目。その雰囲気が怖い。
自分が男としての価値を査定される時の居心地の悪さ。恐怖。逃げ出したくなるようなあの感じ。
多分男同士なら分かる話だとは思うのだが。
男を瞬時にジャンル分けしたがる女っていうのは、どうしてあんなに怖いものなのだろうか。
人をモノにように査定するのはやめろ、と主張しようが、口上や社会的保護の観点で、男が女に勝てるわけがないのだ。だから余計、怖い。
いまこの瞬間に会ったばかりなのに、男が自分の視野に入った途端、査定モードに入る。
そういうのは気分が悪いから、苦笑いしてみたり、顔を背けたり、できるだけ距離を置いて接しようとしているのに
否が応でも「値踏みする」女が怖い。アメリカ映画で見る冷徹な裁判官のようだ。
決定権は女にある、とはよく言ったものだ。
多分それは本能的なもので、男である私には一生理解できないものなのだと、頭ではわかっている。
しかし、「値踏みされる」ことへの恐怖は、ひとと付き合うとか結婚するとか、そういった事にかかわってくる。
彼女をつくる。嫁をつくる。これって要は、ずっと「彼女のお気に入りの道具」であるふりをする、という事ではないか、
そんな恐ろしいことできない、なぜ、そんな人を人とも思わない者をそばに置いておこうと思うのか。私にはわからない。
本当に、何で皆、平気なんだ?よく、人でなしのような存在と手を繋いだりデートしたりしてるなあと思う。
一度評価が下がったら決して許されない、一瞬で値踏みする「女」という生き物が怖くて仕方が無い。
職場の上司の話なんですけどね、なんか仕事中に手招きされたと思ったら嬉しそうに言われたんですよ。
「新しく入ってきたバイトの子ね、増田ちゃんと同じ建物に住んでるんだよぉ~。○号室だって、顔見たことある?」ですって。
こっちは苦笑いしてわかんないっすね、と答えるしかなかったんだけど、そしたら、
「そっかー、見たことないかー。新人の子にも聞いてみよっかな、うふふ」って盛り上がってた。
その情報まったく知りたくなかったですよ。むしろ知ることを進んで遠慮したいタイプの知識でしたよ。
そういうのってよしんば明かされるにしてもさ、合意の上で当事者同士の間で明かされるべき情報だと思うんですよ。私は。
あんの楽しそうな顔からすると問題が起こる可能性があるなんて思ってもみないんだろうし、下手すりゃ無関係の人間にも触れ回るぞこれ。
なんちゃらマークがどうの、個人情報保護がどうのって言ってたのはどこのどなたのお口でしたっけねえええ。
と、思ったんですが本人に直接言えなかったなー。ねちっこい個人攻撃するタイプの人なんだもん。
こういう情報を明かすのって何かの法に触れたりしないんだろうか。
余裕でべっちょべちょに触れてると思ってたんだけど、住所録を配る会社もあるみたいだしなあ。
先に言っておくと、外国の話です。
数日前の朝11時ぐらい(スーパーが空いている時間帯なのでよく買い出しに出かける)にいつもの通り買い物をしていたんですよ。
何か急にピザが食べたくなったのね。
この時間帯はお客さんは少なく、店員は品出しの為に多い時間帯。ちょっと混む時間帯だと、この国はすぐに客に負担が寄せられるのでなるべく空いている時にいくようにしている。
そしたら後ろから小さい声で、女の子(白人とアラブのハーフかな、多分)が話しかけてくるの。
「おじさん。豆を探しているんだけど、最近子の店リニューアルして棚が変わってしまってどこにあるか知ってる?」
と聞いてくるわけ。女の子は多分10歳-12歳位じゃないかなぁ。
で、俺(40)は、それこそ鳩に豆鉄砲喰らった顔で、「何で俺に聞いてくんの?」と思ったし、俺もいきなり豆の場所なんて同じ客なのに分かるわけ無い。
でも、それ以前に、子供と接する機会が普段殆ど無いから、テンパっちゃったの。
だから引きつりながら「う、あ、お、え、あーごめん、わかりません。お店の人に聞いてみたほうがいいかなー」とか子供向けに言葉の調整も出来ずに、どう答えていいか固まっちゃったのよ。
でもね、その子、そこで俺のことがちょっと外人だと分かったらしくて、苦笑いして去ってたんだけど…
その後で、店内ですれ違うたびに話しかけてくるの。
「豆が見つかったけど、重くて買えないの 笑」
とか、、
「また棚に行ったら小さいサイズがあったのよ 笑」
とかね。
多分、親に言われてお使いに来てたみたいなんだけど、レジも手慣れてなくて、列の並び方とかも分からなかったり、持ってる現金も数百円ぐらいで握りしめて、俺以外の大人には、多分とても緊張していたんだろうね。
とても顔がこわばっていたのがよく分かったのよ。
ただ1人の少女の質問にうまく答えられずに、あたふたした自分の情けなさが情けないの。それだけ。
バイなら。
http://anond.hatelabo.jp/20160221211019
たしかにμ'sのメンバーは二次元のキャラクターであり、実在する人物ではない。しかし、雑誌連載時代のファンは彼女らがまるで生きている人間であるかのように交流し応援してきたのではなかっただろうか。もちろん本当に生きているわけではないと知りつつも、それでも彼女らの人生を共有できると信じる真摯な姿勢、それこそがTV版第1期の物語を生み出した原動力であったと思う。劇場版の脚本では、そのような真摯さはすっかり失われてしまった。μ'sのメンバーはこれまでどのような人生を歩んできて、どういう動機でμ'sに参加し、何を考えて今まで活動してきたのか、そして今後はどうするつもりなのか。それらのことを踏まえれば、μ'sはどのような結末を迎えるのがふさわしかったのか。そういったことを真剣に考えた上で脚本を練り込んでほしかった。
アイドルは単に華やかに笑顔で歌って踊っているから魅力的なのだとか、メンバー同士仲睦まじく百合的関係性を構築しているから魅力的なのだとかいうのは、それぞれ一つのアイドル観であるし、それ自体が悪いわけではない。しかし、アニメ制作陣、つまりアイドルを生み出す側の人間までそのようなアイドル観に染まってしまってはならなかった。アイドルにはそれぞれの人生があり、物語性があるからこそ魅力的なのだ。そのことをわかってほしかったと思う。
ここで述べられている通り、アニメ以前のラブライブというプロジェクトの魅力はμ'sのキャラクターを実在するアイドルのように描写し、またファン自らがアイドルと自らを実在するアイドルとそのファンのように認識し応援するスタイルであったことである。
ただ、ブログにおいては、その姿勢や過程がTV版第1期を生み出した原動力になったとまとめられているが、その点については異議を唱えたい。
この部分においてはμ'sのメンバーそれぞれの人生や物語性と、その重要性について述べられており、また、雑誌連載時代、つまり初期やアニメ化以前の内容やファンについて言及しているのだから、それを持ち出す際には当時のキャラクター設定やコンセプトについて思いを馳せておくべきである。そして、そうすると上述のようにそれまでのキャラクターやプロジェクトの歩みを表面的にしか理解・配慮せずに改変・軽視したのがTVアニメ第1期であるし、その経緯については第1期直後の脚本家インタビューで語られている。
つまり、ブログ著者が言うようにメンバーを生きている人間であるようにとらえ応援するのであればTV第1期の時点でアニメは価値体系を崩壊させているのである。特に矢澤にこ、東條希、西木野真姫は誤差やアレンジという範囲を超えた別人である。また、それぞれのキャラの作品内人気は低くなかったのでアイドルや一人のキャラクターとして見た場合改変の必要性はなかった。特に矢澤にこは総選挙1位を獲得しており最上位クラスの人気を誇っていたのだから、あらゆる面において一人の人間としてキャラクターとして配慮されていたとは言えない。西木野真姫に関してもμ'sの名付け親として知られる最古参の一人御児勇馬氏がTwitterでキャラクター改変を嘆いていたほどであり、本当に生きている人間の一人、初期から続くキャラクターの魅力や物語性を重視して応援するならばアニメ版は第1期から問題が大いにあることを主張しておかなければならない。
また、現在のファンの多くが主張する百合さえあればいいという価値観についても矛盾があることがその点から導き出せる部分がある。現在もラブライブ百合好き界隈において人気ナンバーワンのカップリングといえば恐らく「にこまき」なのだろうと思われるが、そもそも今のにこまきが人気を得た大元の原因は何かといえばアニメ以前よりにこまきが人気だったことが影響している。その延長線上で新規参入ファンもにこまきを嗜もうという流れから人気が高まった過程を自分は感知していた。
しかし、アニメ以前に人気を得たにこまきのカップリングの性質というのは現在のものとは180度違うものである。先述したように矢澤にこも西木野真姫もアニメ以前と以後では大きくキャラクターや立場が変わっており別人である。名前と見た目の記号条件が同じだけの別人同士のカップリングが伝統のカップリングのように捉えられて人気を得ている現状は苦笑いするしかなく、ブログ著者が主張するように現在のラブライバーの大半は物語性軽視甚だしいだけでなくただの百合好きとして見てもただ状況に流されるだけで本当に百合やキャラクターの関係性や魅力を捉えて楽しんでいるかすら怪しいファンが多すぎるのではないかと考えられる。いわゆるラブライバーである自分が好き状態であるし、細かくいえば○○(任意のキャラ/楽曲/カップリングなど)を尊いと言う自分が好きという状態でその中身への興味や理解が足りなすぎるのである。
…というように突っ込んでいくと、TVアニメ版のキャラクターや物語性の価値が第1期も含めて崩壊してしまうので、第1期を高く評価しているブログ著者としては都合が悪かった理由があるかもしれない。
また、それらに付け加えて言及するべきなのがアニメ第2期放送中に物議を醸した海外ドラマ「glee」盗作疑惑問題の件である。劇場版や第2期を中心としたアニメラブライブの行き当たりばったりの内容を批判する際には説を補強するためにも言及する価値と必要のある問題だと思うが、件のブログにおいて言及がないことが残念である。主に彼の批判文を読むのが作品批判に慣れていないラブライバーであるため、または彼の所属していたコミュニティにそのようなファンが多いために遠慮した部分もあるかもしれない。
あれがオマージュなのか盗作なのかという問題以前に、盗作引用などする必要なくコンセプトや設定がちゃんと存在しているプロジェクトの作品に、無関係の場所から話や設定を引っ張ってきてそれをなぞらせるために設定や物語をねじ曲げる行為自体が、ブログ著者が主張するようなキャラクターを実在の人間の一人としてとらえるような観点や作品の物語性を重視する観点で見たら大問題であるし、キャラクターや作品を愛するファンであれば問題視し怒って然るべき問題だと感じるが、疑惑が立ち上った途端にラブライバーの多くは黙り込んだり、それを持ち出して批判する者を無差別アンチ認定して閉じこもり無理矢理な擁護に回ったのを見て自分はこのプロジェクトには本当にキャラクターや作品の内容を愛しているファンはまともに存在しないことが分かりもうこのプロジェクトは駄目だと確信したのを記憶している。
以後、その予想が当たり、公式はその件を反省することはなく逆に開き直って先導するような形でそのような流れがラブライブのプロジェクト全体に蔓延した現状があるわけである。
そのような流れを受けて流石に劇場版以後からありがとうプロジェクトに至るまでの間に、ブログ著者をはじめ、少しはプロジェクトのあり方に疑問を抱く人が増えたようではあるが、先述したように盗作疑惑の件や設定改変や統一化の闇について語る者は依然として少なく残念に感じる。
結論から言うと、布屋で2メートル5600円の布を断れずに購入し、「あ、私マルチ商法とか笑えないな」と気付いただけの話です。
=====
変な宗教に勧誘されそうになったり、所謂「自己批判」をしかけられた分けではなく、相手はただ布を売ろうとしてきただけなのですが、それすら断れなかったことにショックを受けたので文字にすることで冷静になりたかったのと、
買いたくない布を買うに至るまでのプロセスがテレビやネットで読む「洗脳」のプロセスによく似ていると感じたので、同じような状況に立ったときに思い出して貰えればと思い、初めての増田投稿をしました。
ちなみに2メートル5600円は、布の値段としてはちょっと高いぐらい。
上を見ればキリが無いが、主婦が結構奮発して買うぐらいの物だろう。
布自体は悪い物では無いけれど高級品と言う分けでも無く、老夫婦が趣味でやっているようなお店なので、友達相手の商売ならまあそんなものかなって言う商品。
ただ私はその時その店で何かを買うつもりは無かったし、
お財布事情もその店の想定する顧客では無いと自覚したうえで、もしかしたら掘り出し物が見つかるかもって軽い気持ちで入った。
何度か入ったことがあるお店で、私を囲って最終的に布をレジまで持って行った店主のマダムも悪い人では無いのだと思う。
そう、相手は腰の曲がったお婆さんだった。
ピンクのツイードのジャケットに千鳥格子のスカートで、喋り方もちょっとハイカラなお婆さん。
店員も客もマダムも合わせて四人しか居なかった。みーんなお婆さん。
対して二十代の私が物理的に逃げることは簡単だった。
それなのに、2メートルの白い布を手にちょっと茫然としながら「自分は洗脳される側の人間かも」と恐怖した理由もそこにある。
私はメートル千円未満の安い布を探していた。
火急の用では無く、購入する店にも目星を付けていた。一週間後にはその店の近くを通るので、その時に買えば良いや、ぐらいの気楽さ。
件の店はタイトルでは「手芸屋」と書いたが細かいことを言うと布専門店で、最初は寄る予定も無かった。
私が用があったのは、同じ複合店内の百円均一だ。
と言うか、そもそも買い物をする予定もなかった。
100円均一だって、図書館に行ったら、休館日だったので、手持ち無沙汰になってしまい無理矢理作った用事だった。
ともかく入ってしまった複合店の中で、二店は同じフロアにあり、エレベーターを上って最初に目に入るのが例の布屋なのだ。
高級な布を見るのは楽しいし、時々端切れを買ったりして少し好きなお店だった。
そう言えば白い布探してたんだよな、もしかしてちょっと良いのが安くなってないかな。
ちらっと覗くと、白い布に「1000」の値札がついている。「2800」に打消し線が入っている上に、だ。
お得じゃん!
早速近づいて手にとってみて、がっかりした。
ベルベット素材だったのだ。
でもベルベットが千円なんてちょっとすごいな、冬だからかな、なんて触っていたら、見たことのある─一度レジで話をしたこともある─店主のお婆さんが話しかけてきた。
「良い布でしょう、ベルベットって言ってね、宝石の名前もついてるくらいで、良い布なのよ」
(ちなみに宝石の名前、がどこから来ているのかネットで軽く検索しただけでは分からなかった)
元々店員さんと話すのは苦手では無い。
手触りが気持ちいいですね、なんて言いながら、買うつもりが無いことを、次のように伝えた。
「でも私、スカートを作りたいんです。白い麻とか綿とか…これじゃちょっと違うかな。」
「スカート!良いじゃない。
タックを入れてこう…(手でストンと落とす)いうのも良いでしょう?」
耳が遠い分けでは無いのだが、お年寄りや若者それぞれにあるゾーンみたいなもので時間軸がちょっと違う。
その時その時の自分の世代が正常だと思ってしまうが、今は分かる、十代もちょっとおかしい。
二十代なんて全然若いと思っていたが、いざ突入してみると十代が怖い。
世代の違う人との会話を二人三脚に例えるなら、予期しないタイミングでブレーキをかけたりダッシュしたり、とにかく息が合わないことが多い。
勿論、他の世代からすれば私は「鈍くさい奴」「足の踏込が甘い」とか、いろいろあると思うけれど……
……脱線した。
とにかく、ちょっと話を聞いてもらえないことが分かったけれど、その時はまだ何とかなると思っていた。
勿論千円を超える布を買う気も無かった。
もう一度ビロードが想定と全く異なることを伝えると、マダムは違うコーナーに私を連れて行った。
黒い壁や間接照明とならんで布が飾られている、明らかに高額商品のコーナーだ。
白い綿や麻、混合を探していて、千円のビロードが予算に沿わないと伝えているのに、マダムが手に取るのは四千円五千円の柄物の布ばかり。
あれこれ話を広げていくマダムに、ちょっとやばいぞ、と気付き始める。
挙句に六千円の織物を手に取り、一万五千円が六千円になっている、これが一番お買い得だ、ちょっとそこ(鏡の前)に行って当ててみたらどう?とか言い出す。
もっと高い布もそのお店にはあるのだが、それまでマダムが手に取ったり指さしたりした中で一番高い布を「お買い得」と言って勧めてきた所に、マダムの狙いは親切では無く何かを買わせることにあったと思えてならない。
その後も再三「予算に合わない」と繰り返して、何とかその場を移動しても、相変わらず四千円五千円のコーナーをうろうろするマダムと、私。
この時私はへらへらしていて(癖なのだ)、
会話も
「綺麗ですねえ、見てると欲しくなるけど、高いなあ」
などと肯定から入っていたので、端から見たら購買に積極的な客に見えたかもしれない。
自分のこの態度にも、最終的に断りきれずに買ってしまった要因があると思う。
その後も「どこかの学生さん?」と聞いておいて、別段安いものを見せてくれるわけでもなく、こちらの予算も無視でとにかく買わせようとする。
何度か逃れられた、と思って安い生地のコーナー(一応キルトとか子供向けの柄物とかも置いてあった)(とは言え、そこに置いてある生地もセールになっていることは滅多にない。本当に、冷やかしと同然でとりあえず入ってみただけだった)に行こうとすると、一度は離れる。
けれどすぐに声をかけてきて、「これなんかどう?」と、また良いお値段のコーナーに引き戻され、結局安いコーナーには一歩も入れなかった。
マダムの言葉選びは、いっそ見習いたいところがたくさんあった。
「気安い布も見させて」と苦笑いする私に、三色並んだ布を指して「これなんかもねえ、お値打ちよ。」と百八十度違う言葉をかけてくる。
「へ?ええ、ああ、でもちょっと予算がね。」驚きつつも、なんとか会話を続けようとするのを遮って、
「ええっと、カーキかな。でもちょっと素材が…」
「ねえ、良い色よね。」
と、とにかく相手に選ばせるのだ。
選んだらそれを褒め、自分が手に取った商品は良いですね、と言わせるのだ。
こう言うときに「そのヒラヒラ下品で好きじゃないわ」なんて言おうものなら、「若い子にはそうかもね。じゃあ、こっちはどう?ツイードで大人っぽいわよ」と他の布を出したことだろう。それとも、フリルのついた他の布を持ってきたかもしれない。
実際、最後まで私の希望─白色、麻や綿、千円未満─に一つでも沿っているものを持ってくることは無かった。
そうして私が指差したカーキ色の布を手にすると、マダムはおもむろに言った。
「これにする?」
唐突なその言葉に、ちょっと血の気が引いた感覚が、この記事を打っている今も残っている。
散々「他の布も見るね」と言っては頷かれ引き戻され、一度も自分のみたい物を見ていない。
まだ私は物色すらしていないのに、しかもその布を聞かれたから褒めこそすれ、明確にあることを伝えている計画に照らし合わせる前から、何故、いきなり購入になるのか。
私がどんなスカートを作りたいかおばあさんは聞いてもいない。
しかも散々伝えている「どんな布が買いたいか」に、その布はかすってもいない。
上品なカーキがテカるシャンブレーを片手にレジに持っていこうとするおばあさんにそこはかとなく恐怖した。
この時「この人話が通じないんだ」と恐怖したのが、第一段階だと思う。
洗脳の段階だ。
はっきりノーと言ってその場を去れば良いじゃないか、と思う人もいるだろう。
出来なかったのか?と呆れられれば、私はその人の前では自分を恥じてしまうだろう。
実際、出来たと思う。
自分より弱いおばあさんだったから強く断れなかったのかもしれないし、
へらへらするのが身に付いていて、愛想の悪い態度をして誰彼構わず嫌われたくないと思ってしまうのが、私の悪い癖でもある。
それに、5600円だ。
数十万じゃない。
ハッキリ払えないと言うのが嫌だと言う、妙な虚栄心もあったと思う。
私は普段からまめに洋裁なんかをする人間では無く、知識も低いのに知ったかぶりをしてしまう所があって、この時もなんと言うか見栄を張ろうとしていた。なんとか取り繕って逃げようとしていた。
色々な要素が混ざり合って、最終的に、「向こう見てきますね」と言って逃げようとした私におばあさんが別の布を手にして
「もう、これにしましょうか」
に負けてしまった。
本当にこの時は怖かった。
今も、思い出すと怖い。
しゃがみこんで、泣きそうになりながら、それでもなんでか笑って、なんとか逃げようとあれこれ言ってみるけれど、「何メートル必要なの?」「二メートルです」と答えてしまい、二メートルだと言ったそばから「それならシャツもね、作りたくなるのよ。三メートルあれば足りるかな…ちょっと計算しましょうか」と言われ、「あの、スカートに二メートル必要なんです。シャツには足りませんよね」と言う声が震えそうになったのを抑えてしまった。
結局おばあさんはレジに立っていた店員さんに「三メートルね」と言うので「二メートル!二メートルでお願いします」と訂正しなければならず、最後まで話を聞いてくれなかった。(「これにしましょうか」と言って手にした布もグレーで、他に四色ある中からどれが良い?と言いながら、なぜか頑なにグレーを持っていこうとしていた。もしかしたらグレーが高かったのかもしれない。私は「自分で」白を選んだ。)
この時私は切られた布に申し訳なさすら感じて、一割引に「ありがとうございます」、それなのに(店側がカード会社に売り上げから何パーセントか手数料を支払わなければいけない)クレジットカードで支払ってしまってすいませんとまで言った。
これも、私の癖だ。
レジでも毎回「ありがとうございます」と言い、車の前を通るときは例え相手が無理に横断歩道に乗り込んでいても反射的に頭を下げてしまい後で一人で勝手に悔しくなったりする。
悪いことではないと言ってくれる人もいるだろう。
けれど、今回ばかりはそうは思えなかった。
この癖も、悪徳商法などの洗脳にかかりやすくなる要素の一つだと自覚したからだ。
ここからは、どうして自分が「洗脳されやすい人間」だと自覚したのか、書いていきます。
1.まず一つに、最後まで─そして今でも─私は「断ろうと思えば断れた」と思っていること。
これは、「断ろうと思えば断れた」のに断らず、「自分で選択した」のだから、決断した「自分が悪い」と言う結論を引っ張ってきます。
自己評価が最低になり、何もかも自分が悪いと思い込むと、「被害を受けた」という判断も下せなくなってしまいます。
今回、私の相手は腰の曲がったおばあさんでした。
先にも書いた通り、逃げようと思えば方法はいくらでもあったのです。
それに、5600円も「被害」と言うには大げさな額に感じられます。
何より、私には支払い能力があったのです。これで生活がおろそかになるわけではありません。
これぐらいなら「仕方ないか」と思える「被害」と、「自分が決めたこと」は自分で責任を負わなければならないと言う負い目から来る「自分が悪い」という自己否定。
この二つのせいで、私は(こんな記事を書いておいて何ですが)おばあさんを悪役に出来なくなります。
「買いたくないものを買ったと嘆いているけれど、相手はおばあさんだったんでしょう?無理やり拘束されたり脅迫された分けでもないのに、大げさだよ。人のせいにしてるだけでしょ」
「本当に買いたくないなら、走って逃げればよかったんだ」
「他にも買わないために出来ることはいくらでもある」
「結局、本気で嫌だったわけじゃないんだよ」
今回は布で済みましたが、これが悪徳商法だったらどうでしょう。
額もそんなに高くありません。
あなたが参加した企業家のためのセミナーやIT系によくある「仕事を効率よくこなすための三つのフロー要点」のような、ネットの有名人の講演会で、パソコンを使った遠隔講義に誘われるかもしれません。
日用品なら、高くても数万、遠隔講義なら物理的に囲いこまれるわけでもなく、いつでも逃げられる。
契約しなきゃ帰ってくれそうに無くて怖いし、よく聞く何百万の詐欺事件よりはマシかな、と契約してしまうかもしれません。
けれど、一度契約してしまえば最後、自分を責める後悔が始まります。
今回のことで痛感したのは、「詐欺は金額ではない」と言うことです。(詐欺とまで言ってごめんね、マダム。もう二度と行かないから許してほしい)
あんなにテレビやネットで詐欺や洗脳のニュースを見聞きしていながら、「騙された」ことが辛いのです。
マルチ商法は、買わせた相手のこの気持ちの隙間につけ入り、「元が取れるよ」と売る側に回して「被害者」を「加害者」に変える悪徳商法です。
傷付いた自尊心を補おうためにしたことが、加害者になることでさらに傷付き、負の連鎖を引き起こすことになってしまうのです。
話は戻りますが、先に書いたように、「恐怖」が洗脳の第一段階ではないでしょうか。
相手に話が通じない、もしくは暴力の可能性を示唆されることで、自分が無力だと感じる。
そうなると、なるべく穏便に逃げたいと考えるようになります。まだ逃げたい・この場には居たくないと考えます。
しかし、拒否できなかった自己嫌悪から自分を責めることになり、自信を無くしてしまう。
2.次に、結局「ノー」と言えなかったことだ。
これに尽きるけれど、こんなにショックを受ける程買いたく無い物に、「ノー」と言えなかった奴が是が非でも自分たちの住む沼に引きずり込もうとしているマルチ商法や洗脳を拒否できる分けねーべ。
これは一日経った今もちょっと泣きそうなぐらいショックだった。
まず、店員さんに押し切られて買うと言う経験が無かった。ファースト。奪われた。
それまで店員さんって言うのはひたすら褒めてくれるのをスルーすれば着合わせを一緒に考えてくれたりするちょっと気分良くしてくれる人だと言う認識で、お仕事だから失礼なこともしないし、怖いなんて思ったことも無かった。
けれどマダムは違ったのだ。
考える隙を与えずにガンガン来られたら、そりゃパニックにもなる。
「ごゆっくりどうぞ~」
は、あくまで相手の気遣いで、彼等が売るのは商品そのものでは無くて「豊かな生活」「楽しい買い物の時間」でもあったりするからだ。
お店で気分を害して買い物をしても、悪評が広まれば客も減り、商品も売れなくなる。そんな方法を取ってまで売る物では無く、「ちょっと考えてみます」と言った客は接客を止めるラインでもあったりするからだ。
あの手この手で私たちの思考能力を奪い、言いなりにすることが目的だから。
そこに来て店員さんや通りすがりの人の前ですら「物分りの良い振り」をしたがる私の性格。
「卒なくこなしている」ように見られたい見栄があって、無愛想な態度を取ったりして働く人に敬意を払っていないとかマナーを知らないとか、軽蔑されたくないと思ってしまうのだ。
マダムは私の話を一切聞いてくれなかったのに、いちいち声に振り返り、返事をし、話を聞いてくれない人の話を聞いて何とか会話しようとする私は、そりゃ良い鴨だ。
向こうはこちらの話など聞いていない。
考える時間も与えられず、パニックになり情報が遮断されて追い込まれた中で、頷くしか選択肢が無いと思い込んでしまう。
マダムは悪い人では無いと思う。
半分は天然で、半分は故意だっただろうけれど、それも悪意からでは無く、引き際を知らない人だったのだと思う。
比べるのは嫌だけれど、私の祖母も私の話を聞かない。
一緒に料理店に行くと、いくら私が要らない、食べられないと泣きそうになりながら断っても、自分が子供時代のひもじい思いをした辛さから良かれとどんどん料理を注文し、挙句自分が食べられなかった分を私に「食べれるでしょう」と差し出す。
今はもう必死に粘ることを覚えたが、中学生のころはガチ泣きをしながらご飯を食べたことも、何度かある。祖母は私が泣いていても、見えていないのか全く悪気が無く「食べれるって」と言う。
あっ、こりゃダメだ…。
また脱線した…。
もういい、なんだか書けば書く程自信が無くなって行く…強く生きていきたい…。
…えっと、それで、結局「マダムも悪い人じゃない」と思っている時点で、私は相手を完全に否定して切り離すことが出来ていない。
これが信用していた友人だったらどうだろう。
もう立ち直れない…。
長々と書いておいて、とりとめもなく終わってしまい申し訳ないです。
失ったのはたかだか五千円ですが、受けたショックは一日引きずって消えませんでした。
このショック和らげるため、自分のために一気に書いたので、矛盾やほつれがいくつかあるかもしれません。すいません。
タイトルで「洗脳」とまで書いたのに、結局洗脳された分けでも無く、マルチ商法に怯える妄想に始終し「洗脳」って何ぞや、と思った方もいるかもしれません。
私も簡単に「洗脳」について引用を載せた方がこの記事も書きやすいかな、と洗脳の手順とかを検索してみたのですが、「洗脳はこうしてできる!」「洗脳は簡単に見破れる!」みたいなあんまり仰々しく強気の記事が多くて「どっこいどっこいだな…」と疲れてしまいました。
おススメはテレビ番組「しくじり先生」の辺見マリさん回です。あれ分かりやすかったよね。
この記事を読んでちょっとでも感じた恐怖を追体験し、「もしかしたら私もそういう所あるかも」等と自衛の一助になれば幸いです。
それでは。
偶然と言えばそれだけの話かもしれないけれど、まさか自分の人生の中で、
ブログはやってないし、SNSに書くのもプライバシーが気になるから、
普段は見るだけだった増田に書かせてほしい。
備忘録と言うか、まぁ書かなきゃ落ち着かないってことで、
長文になるだろうけど、吐き出したい。
俺は友人が少ない。
いや、正確に言うと、本当に友人と思えるヤツが少ない。というかいない。
友人以上という意味で、一人だけ親友がいる。幼い頃からの腐れ縁で、
お互い三十歳になったが、もう二十五年以上の付き合いだ。
そいつが五年付き合った二つ下の彼女と別れたのは去年の頭のことだ。
毎週末のように散々酒に付き合わされた。
帰り道にある行きつけのジャズバーで一人しっぽり飲むのが日課だった。
親友の拘束も落ち着き、久々に顔を出したその日、マスターに奇妙なことを言われた。
何のことだ?と思って話を聞こうとすると、
入り口から一人の女性、と言うには幼い見た目の女の子が入ってきた。
俺は彼女を見た瞬間、初めて見るはずなのに、妙な既視感に襲われた。
話を聞くと、彼女もよくこのバーで飲んでいて、
いつもカウンターでマスターと話す俺を見て、話かけたいと思っていた、とのことだ。
それが今年に入ってから俺が全く顔を出さないもので、ずっと来る日を待っていたらしい。
俺が一人飲みを始めて五年程たが、こういう話は意外に多い。
けれど若くて、且つ一人で絡んでくる女性は初めてだったので、正直テンションは上がっていた。
加えて彼女とはやたら話が合い、その日はマスターも含め三人で遅くまで飲んだ。
「また一緒に飲みましょうね!」
終電があると言い、最後に連絡先を交換して、彼女は足早に帰って行った。
俺も帰ろうと身支度を始めた時、マスターがボソッと
「でもなぁ、あの子に話しかけられるまで、正直見たことなかったんだよなぁ」
そう言ったのが少し気になった。
その後、金曜日前になると彼女から携帯にメッセージがくるようになり、
何故か彼女といると全く緊張することがなく、とても居心地が良かった。
会いたい、一緒にいたいけど、恋とは違う。そんな感情の中で揺れ動いていた。
きっと久々のロマンスだから、恋する感覚を忘れているのかも知れない。大事に育てていこう。
そう思い、親友には当面黙っておくことにした。
俺は友人はいないが、親友がいること。長い付き合いであること。
彼が最近彼女と別れて、相当参っていることを当たり障りなく話した。
ふと、そろそろこの子を紹介するか。と思い、
「良かったら今度連れてくるよ」と言うと、何故だか彼女は頑なにそれを拒んだ。
そして、まるでずっと言い出すタイミングを待っていたかのように、突然おかしなことを言い出した。
「その親友さんの彼女さん。本当は大事なことを隠していると思う。
是非彼女さんに連絡をして、それを聞き出して。それは私に言われたからではなくで、
しょっちゅう一緒に飯や旅行に行っていたので、とても仲が良かった。
二人が別れる時にも話をしたが、それ以降は連絡をとっていなかった。
「でもなんで君にそうするように言われたと言ってはいけないの?」と聞くと
「だってバーで知り合った女に言われた、なんて言ったら、嫌がられるでしょう」と彼女は笑った。
久々に親友の彼女にメッセージを送ると、意外にも早く返信が来た。
「今日本に帰ってきてる。良かったら会って話さない?」と書いてあった。
余りにトントン拍子に進む話に、何か変なことに巻き込まれているかも、と
このあたりから思い始めたことを覚えている。
約束の時間に少し遅れて、彼女が指定した都内の喫茶店に行くと、
彼女はやつれ切った表情で座っていた。
「久しぶり」と話かけると、みるみる内に彼女の目に涙が溜まり、急に泣き出してしまった。
まるで自分が泣かせてしまったかのような状態になり、あたふたしていると、彼女は
「まさか連絡が来るとは思わなかった。一人でずっと辛かった」と言った。
一昨年にある病気が発覚したこと。
その病気によって、時間が経つにつれて、日常生活が困難になること。
子供をつくることも難しくなること。
ずっと悩んでいたが、彼にはこんな風になってしまった自分ではなく、
別の健康な女性を見つけて幸せになって欲しいという結論に至ったこと。
彼にバレないように、親兄弟以外には秘密にしていたが、辛くて仕方がなかったこと。
全て聞き終えた時点で、正直俺は「こんな話ってマジであるのか」とかなり面食らっていた。
あまりにもショック過ぎて、その場では気の利いたことが何も言えなかった。
家に帰る道すがら、これは何か見えない力が動いている。こんな偶然はあり得ない。
きっと俺は何かしなきゃいけないと強く思い、自宅に着くと即彼女に電話を掛けた。
「知ってると思うけどさ、俺、すげえ口軽いんだよね」
そう伝えると、まだ彼女は泣いていたのだろうか。震える声で
「やっぱりあんたって最低だね」と言った。
よく聞き取れなかったが、最後に「ありがとう」と言った気がした。
その後すすり泣きのような音が聞こえたかと思うと
「サンキュー。悪いけど用事が出来た。また今度な」と言って彼は電話を切った。
その後、案の定というか、俺のたった一人の愛すべき馬鹿な親友は元鞘に戻った。
しかもその後、通常では考えられない速度で、彼女の難病が快方に向かい始めたというから驚きだ。
更に衝撃なのが、彼女の妊娠が発覚。子供をつくることも難しいと言われていたのに、
よかったら俺達が夫婦になる瞬間に立ち会ってくれ」
友人が見届け人的な役割で一緒に来ることは珍しくないが、
三人とも笑いながら号泣してるのを見るのは初めてだ。と役所の人に苦笑いされた。
バーの彼女にメッセージを送るも既読が付かず、バーで会うこともなく、
暫くし、また寒さが身に染み始めた頃、親友から「女の子だ!」と連絡があった。
「すまん。なんだかわからんが、俺と彼女で上げた候補の中で、一つだけ同じ名前があって、
偶然かも知れないけれど、運命っぽいから、その名前にすることにした」と、
その写真をみて俺は目を疑った。
相変わらず既読はついていなかったけれど、バーで出会った彼女の名前と
こんな話、作り話と言われてもおかしくない話だ。
けれど、実際に起こったことだから始末が悪い。
一体バーで出会った彼女は何者だったのか。何故、こんな奇跡を引き起こせたのか。
今となってはわからないし、きっとこの先彼女に会うことはないだろうと、なんとなく思っている。
いつかしようとは思うが、この話は未だ親友と、その嫁さんにも話ていない。
けれど、先日酔っぱらった勢いで、バーのマスターには一連の出来事を伝えた。
話をする中で、婚姻届を出した時に三人で酷い顔で撮った写真を見せた。
マスターはじっと写真を見た後で、またいつものようにボソッと言った。
「あのお嬢さんさ、よく覚えてないけど、アンタの親友と嫁さんにソックリじゃない?」
「勘弁してよ。もうお腹一杯だよ」
俺はそう返すのが精一杯だった。