あっ、どうも。多分、少し書ける資格があると思って。
自分は英語を全く勉強せずに30超えてから一念発起して、海外留学したものです。TOEICは最低点から975までその受験のために上げたりしたでござる。
英語をほぼゼロ(ここで書いている元増田さんよりはるかに劣る、経験、学歴)から大体1年ぐらいで、そこまで上げたのだけど、努力らしい努力(ダイエットや筋トレみあいな)は一応したよ。
ただインプットはそれこそ座学で何とかなったけど、アウトプットは勉強方法がわからなかったので、インターナショナルパーティーによく参加したり、英語に接する機会を増やすようにして、できるだけ生きたコミュニケーションが出来るようにした。
けど、今でも一番役に立ってるのは、元々海外ドラマが好きだったので、それにハマって英語で見続ける事で表現や発音を真似て覚えたりみたいなのが大きかった。
今でも大きく使う仕事についていて、逆に元増田さんのような経験が無い自分としては、やっておいたよかったなと思う。でも元増田さんみたいにすでに何かがある人は必要ないのではとも思うよ。
むしろ頑なに褒めようとしない奴に
右も左も上も下も男も女も子供もお年寄りも内も外もそれぞれに加害者であり被害者であるのだが、
すべての人が被害者意識を抱えていてそれをなんとかするために正義を持ち。差別意識も抱え、それを正当化し、自分を傷つけ、他人を責める。
それを救うものはなんなのだろうか。日々を喜怒哀楽に包まれ迷い苦しみ、満足にご飯を食べればいいのか、
家族には恵まれているが伴侶や子供もいない孤独も抱えてマイノリティでもある自分は
いろいろなものをあきらめつつあきらめられない自分の小ささ、迷い悩む自分を不惑にして改めて自分の小人っぷりを感じる。
その時を進む中、なんとなくテレビを見たり本を読んだりゲームをしている自分もまたそれはよい時間を過ごしているのかなとも思う。
マイノリティとして正しさや道徳的な社会はマイノリティとして生きやすそうで実は生きにくいのではないかとも感じている。
願うのはゆるい社会、その中でそれぞれが幸福を目指しつつ相手を不幸にしない社会になればいいなという思いはある。
でも生きていると人とぶつかるし、利害は相反するしそんな論理の中少し悲しく粘り強く生きるしかない。
本当にこの世は難しい。でもまだ生きていたい。
・小学校
今と違って小学校で英語なんてやらない時代だったけど、親の意識が高かったから小4から英語教室行ってた。
・中学校
英語の成績はかなり良かったが、英語以外の成績もかなり良かったため、英語教室の効果があったのかは不明。
意識は高かったので、古本屋で英語の絵本を買って自分で読んだりはしてた。
・高校
地域一の進学校に入ったこともあり、英語も他の教科も成績は学年で中の下くらい。
意識は高かったので、近所の教会で無料でやってる「聖書を英語で読む教室」みたいなの毎週通ってた。
・大学
入学時の英語の成績は、海外経験なしクラスの中では中の上くらいだった。
特に1年生時は英語特訓プログラムみたいなのが必修で、気が狂いそうなほど英語漬けにされるし、短期留学も2回した。英語で開講されている専攻科目の講義も15単位くらいとったし、卒論も英語で書かされた。多分、ネイティブから見たら読むに堪えないひどい文章だったと思うけど。
・現在
海外旅行に行って困らない程度の英語力はあると思う。英語で道を聞いたり買い物したりホテル予約したりするくらいなら余裕。
まず商談で使うような単語なんてほとんど分からないし、文法も中学校レベルしか使いこなせない。かろうじて意味は通るけど、不自然極まりない表現になっている自信がある。
でもさ、ネット見るとみんな、「仕事で英語が必要なので社会人になってから勉強してついに海外で就職できました」とか、
「英語できたほうが仕事の選択肢が増えるのになんで英語勉強しないの?」とか、書いてるわけじゃん?
自分は決して頭が悪いほうではないと思うし、人よりも英語学習にリソースを割いてたと思うけど、それでもせいぜい「海外旅行で不自由しない」レベルにしかなれなかったわけで、仕事で英語使ってる人は一体どうやってそうなったのか心底不思議だ。
ひょっとして自分は、学習障害みたいな感じで英語が出来ない障害なのだろうか?
それとも仕事で英語使うレベルの人は、隠しているだけで本当はみんな東大卒で英語専門の家庭教師が24時間ついてたりするのだろうか?
ちなみに5歳の娘は、1歳の時から英語教室に通っているのに、5歳になった今、せいぜい「色や動物の名前を英語で言える」「20までの数字が言える」「ハローとかハワユーとか言える」程度。
ちなみに、他の能力(ひらがなを書くとか、簡単な足し算とか)は平均より出来るほうなので、知的に問題があるわけではないと思う。
ハイヒールが好きだ。おしゃれだから。スタイルが良く見えるから。好きな作家がいい女はハイヒールを履くものだと書いていたのを鵜呑みにしているから。
だかハイヒールはとにかく歩きづらい。走れない。
靴を下ろした初日は確実に靴擦れができる。
高かったのに何日履いてもいつまでも足に合わないことがある。
やっと足に馴染んできたと思ったら今度は伸びすぎてガパガパになる。
ヒール部分が削れてカツーン!カツーン!と鳴り出す度に修理が必要になる。
ヒールがマンホールの小さい穴にはまって靴が脱げて恥ずかしい思いをする。
ファッション的に裸足で履きたいがそうすると足が臭う。
パンプス用靴下はどうやったってはみ出すか脱げるかするので履きたくない。
ストッキングを履くと滑りやすくなって歩くたびにカパカパ脱げる。
立ってるだけで疲れるので電車で席を譲りたくなくなる。
足が疲れすぎてスーパーでの買い物を断念してやよい軒で夕食を済ませる羽目になる。
馬鹿馬鹿しいのは誰に強制されたわけでもなく自分で好きでやってるってこと。自分で自分に纏足してるみたい。ハイヒールは確実にQOLを低下させる。
http://www.fair-skinned-monster.com/entry/2016/01/13/203351
インフレは物価上昇で、例えば今まで100円だったパンが200円になることです。
物価が引き上がれば、消費税収も上がって、個人の収入も増えるので年金徴収額も増えます。
ただあなたがもらった20万円の価値は物価が上がってるので現在の価値では10万円にしかならないんだけどね。
詳しく知りたい人はマクロ経済スライドで調べてください。
いくらやっても覚えてくれない。
そもそも相手が何を教えてほしいのかすらをこっちに教えてくれない。
こっちが教える一方の一方通行。
出力される物を見てもどこで躓いてどこが出来ているのかが分からない。
これちゃんと分かってるのかと確認しても「あ、あ、はい」しか返ってこない。
それで毎回本当は分かってないならまだいい。
実際は半々ぐらいで本当によく理解できている時でもその逆でも「あ、あ、はい」と同じトーンで返してくるから怖い。
本人が先に進みたいのか基本の確認を望んでいるのかも分からないから試しに復習するべきなのかも分からない。
そもそも俺が上司にそういう質問しても上司も「うん。任せる」としか返してこない。
いい所だけ見ればもう一人前になりつつあるとも思えるし、わるい所だけ考えると生半可に知識つけた分入ったばかりの頃よりも危なかっしい。
どうすりゃいいんだこれ。
学生の頃は下手くそな教師ばかりだなあと思ってたけどこれは確かに難しい。
正解、見本となる人間が思い浮かぶならまだしも金八と"今でしょ!"といった参考にしちゃいけなそうな人しか知らない。
いや無いんだろうな。
やべえよ人類。
未熟すぎるよ。
おかげで毎日手探りだよ助けてくれ。
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6187453
大手予備校「駿台予備学校」の現代文の講師が執筆し、関連会社「駿台文庫」が昨年2月に出版した大学入試用の漢字問題集「生きるセンター漢字・小説語句」に、性的な表現が多数含まれていたとして、駿台文庫は13日、問題集の販売停止と、書店の在庫回収を決めた。(読売新聞)
内容を見たけど、このくらいで問題になるの?という印象。大手予備校だから?
やっぱ時代なのか?
私が受験生のときは「古文単語ゴロ513」(ゴロゴサーティーンと読む)という古文単語を語呂で覚える本がクラスで流行っていて、その中の「あながち」は今でもインパクトがあって覚えている。
「穴が血だらけ、無理しすぎ」
http://www.netlaw.co.jp/hanrei/kobuntangogoroawase_110129.html
懐かしくてググったら上のページが見つかった。
自分はかつて、「お前は悩みがなさそうでいいね」と茶化されるような、そして実際たいした悩みなどないような、楽天的な人間だった。が、近頃、少し感情が不安定になってきた。
症状としては、気が短くなる(パソコンが少し固まるだけで舌打ちが止められないときがある)、不安感に襲われる(胸がぎゅーっとなる。ああ、だから心臓は心臓って言うんだ)、無気力(飯食わなきゃ、と思ってから実際飯を食うまでに半日かかったりする)、などである。
ここでは、どんな生活を送れば、精神が不安定になるのかを紹介したい。僕と同じ轍を踏まずに、皆さんが生活できることを願って。
これは大事。人と暫く会話しないと、脳のどこかが壊死したような感覚に陥る。会話といっても、コンビニの店員レベルじゃダメで、友人や家族などと他愛のない会話をすることでしかメンタルは回復しない。ネット上でコミュニケーションをとるのも悪くはないが、逆に精神をやられることも多々。最近では独り言で寂しさを紛らわすことも多いが、「死にたい」とか「頑張らなくちゃ」とか自分を追い込む言葉を掛けがちなので注意。
たとえどんなに面倒くさくても、なんでも良いから家を出たほうがいい。外に出て辺りを散歩すると、「そうか。そういや自分って生きているんだな」という心持ちになる。これは何時間ネットサーフィンしようと、得られないものだ。
起きている間、一秒も太陽を見れないのは堪える。生活リズムが狂うと、不眠と過眠がおまけでついてくる。眠りたいときに眠れない、これほど辛いものはない。
これを書いていたらなんだか気分が楽になってきた。上の文章を見る限りでは悲惨な感じだが、案外そうでもなく、生きていて楽しいこともある。
面白い増田とか見て、声出して笑ったりもするし、大学も、必修の授業はなんとか行けている(それ以外は全滅だが)。
上の条件をコンプリートしているのに、この程度の辛さでなんとかなっているのって、我ながらすごいんじゃないか、と思ったり。
来期はきちんと社会復帰できるよう、無理せず頑張っていきたいですね。
逆だな。自分をもっていて、プライドもあるからこそ、他人を褒め、他人を立て、他人のプライドを育ててやることができる。
心の余裕があるからそれができるというより、それが自分のためにも他人のためにもなるとどこかで理解しているからだ。
劣等感に囚われて他人を貶めることで上に立てると勘違いしている人は、そもそも、あらゆる人間の営みを評価していない、というか舐め腐っている節がある。自分も人間であるというのに。だからそのような人は、自分も他人もずるずると下に落ちていく状況を生み出しやすいし、万が一上手くやって頂点にたどり着いても、どこか危ういものになる。
こういうほのめかすような話し方する人、友達いなさそう。
最近のフェミニズムは兼業主婦かシングルマザーの権利問題にばかり熱心で
育児休暇だの待機児童ゼロだの婚外子の保護だのを語られても喪女にとっては絵に描いた餅
今のフェミニズムが守るのは「母親」であって「女性」全般ではない
そういう現状を何か批判するとすぐ「女の敵は女」と一笑されるのが辛い