はてなキーワード: ほぼコピとは
もう7月だ。
7月といえば、年に3回ある(3月場所、7月場所、11月場所)「増田のやべーやつ番付」の時期だ。
しかしながら、番付の中身はどうせほぼコピペになるだろうことは想像に難くない。
例えば、前回の3月場所の優勝者である字下げ増田の紹介文がこれだ。
昭和時代やイオン、女装子などの例外を除き、森羅万象を罵倒して回る増田。自身の経歴からか、特に法や行政、裁判所を目の敵にしている。
何度も削除を食らっては毎回戻ってきており、かつての安倍botや低能先生に劣らぬ危険人物。
自分語りによれば、殺害予告による二度の逮捕歴に加え、今なお各所でトラブルを起こしているらしい。
文頭をスペースで空けるため、「字下げ増田」と呼ばれる(ごく稀に空けないこともある)。別名フミさん、まーさん他。
『かつての安倍botや低能先生』とか、もはや誰それと言いたくなるくらいに昔の人だ。
初見の人は当然として、ここ数年ほど増田に入り浸っている人ですらわからない人もいるだろう。
4年も前に行われた2020年3月場所の紹介文をコピーしているだけだから、わからないのも当然だろう。
ttps://anond.hatelabo.jp/20200320181836
4年も前の紹介文を流用するのではなく、新規に書き直すべきだろう。
少なくとも、初見の人でも字下げ増田の投稿を読んでもらうために、「延岡」と検索することで字下げ増田の投稿をある程度カバーできることを説明すべきだろう。
さらに、字下げ増田を見分ける方法として、トラバでのタイトルを「anond:~」表記ではなく「https://~」とURL全文表記を使っていることも書くべきだろう。
それから前回の2024年3月場所の頃はやたらと小便小僧増田に絡むことが多かったから、そのことも説明文に入れるべきだっただろう。
もっとも、ここ数か月の間小便小僧増田はほとんど活動していないから、今さらな話だけれども。
前回優勝者の字下げ増田だけではなく、他の番付増田の紹介でもほとんどをコピペで済ませただけのお粗末なものだ。
それも、活動をしていないやべー奴(例えば、オールアンラーッキーデイズ増田)を番付そのままに据え置きするほどにいい加減なものだ。
最近だと「性欲強き者」が活動休止しているけど、どうせ何の言及もなしに番付据え置きにすることは予想される。
そんな低品質な番付一覧を義務感で投稿するくらいなら、勧進元(やべーやつ番付の主催者)は引退した方がいいだろう。
それか年に3回も開催する必要はないだろうから、年に1度だけにするのもいいだろう。
どうせここ数か月で目立ったやべー奴の登場などもないのだから。
自称・ベンチャー企業に来て後悔している、というか恨んでいる。自分のいたベンチャー企業なんて、反社会的勢力 隠れ蓑でしかなかった。そこで得たもの、というものはなくて、むしろ父親と学歴と情熱を失った。 だからベンチャー企業とか NPO なんかに社会的な価値を見出して入社する必要なんてない、むしろ新卒採用では JTC に入れよーという話をしていこうと思う。
元スレは
https://anond.hatelabo.jp/20220613020726
https://anond.hatelabo.jp/20220614002648
です。
国立医学部を目指して多浪し挫折したあとに入った大学は早慶未満マーチ以上の偏差値の大学だった。そのため、周りは年が若くなじめないままサークル勧誘期間が終わってしまったのであった。まちがいなく大学内では浮いた存在であったし、自分も馴染む気がなかった。当時の言い方をするならば「ボッチ」であったか。大学に入ってすぐに、一緒に入学した同期の入るだろう会社には入社できないのが自覚できたので、授業が終わったら大学図書館 or バイト先にそそくさとむかっていた。幸いにして、高校時代はプログラミングを部活でしていたので、どこにいっても「卒業したら、うちにこない?」と言ってもらえた。自分は富士通とか野村総研なんかは年齢制限で入れないけど、飯を食べるには困らないだろうな、という確信はその当時に得た。大学の情報工学の内容は高校時代に習得した内容よりも劣っていたので馬鹿にしていたのは、後でボディブローのようにこの怠慢は効いてきた。ここまで書くと大凡のスキルはコーダー程度であることは察していただけると思う。当時に十分にかけていたのは Ruby, JavaScript, Java, PHP と Objective-C、MySQL といった応用領域ぐらいで、大学でやるような R や Haskell なんかの基礎領域は習得してないで、アルゴリズムの勉強はさっぱりだった。まぁ、あんまり優秀な学生ではなかったと思うが、それでも情熱はあったとは思う。真面目な学生ではなかったが、教授には可愛がってもらった。
これが、当時の自分の心境とスキルである。ここから冒頭に書いたような人生がスタートする。あれは、記憶が正しければだけれど、twitter のリプライだっただろうか。当時の自分は他人の設計書を基本として書くということにうんざりしていた。いつの日にか自分の書いたコードで上場するという目標のために本物のベンチャー企業で上場する時を共にしたいというのに、どうやったらそんな会社を見つけ出し、入り込めばよいのか皆目見当がつかなかったのだ。それで、twitter のアカウントを手がかりに、あらゆる募集サイトに「プログラミングする企業に入りたいです」という書き込みをした。なんなら、増田にすらその書き込みをした。それで、色々な人から「うちに来ない?」というリプライをいただいた。正直、嬉しかった。それで、そのうちから「選ぶ」という選択をしなかったのは間違いだった。当時の自分は、それをせずに「サイバーエージェントに紹介しますので、とりあえず勉強会に来ませんか?」という書き込みをみて、ふらふらと雑居ビルの一角にある共有オフィスへと出向いてしまったのだった。タイムマシンがあればこの日に戻って止めると思う。それぐらい後悔する日々が始まるとは当時は思わなかった。
もうすぐ真冬になろうという頃、「サイバーエージェントの正社員になれるかも」という期待で、列車に揺られて前記のビルへ向かった。期待とは裏腹に、妙に古臭いビルであった。ベルを押して、勉強会だという部屋に通してもらうと、若い学生たちがそこにいてプログラミングを勉強しているという。正直、自分も医学部さえ目指さなきゃこういう生き方もあったのだろうな、とは羨ましく思った。自分をオファーしたという人(O氏)は、この勉強会の座長だという。「私は人工知能を研究しており、アメリカで博士号を取得した『天才』数学者で、日本を活気づけるために母国にもどり、この会社を立ち上げました」という。サイバーエージェントではないらしい。あれ?、とは思った。まぁ、無下にはできないので、そこで課題を出されたのを5分ぐらいで終わらせた。伊達に何年もプログラミングをしているわけじゃない。ループで書くべきところを、再帰で書いた。すごいでしょ、オレっちとね。「できました、見てください」というと、O氏はこう言い出した。「ナニコレ?」とO氏。「ええ、再帰ですよ、漸化式みたいな?」と自分。出力は合っているので、O氏も認めざるを得なかったらしいが顔が険しくなっていく。どうも機嫌を損ねたらしい。そうすると、O氏は自分を別室に呼び出して「履歴書は?」と聞いてきた。「勉強会ですよね?」と返すと、「いいから、履歴書!」と言う。にっちもさっちも行かなくなったが、共有オフィスの他社の中国人職員の方が機転を利かせて仲裁してくれた。「そんなに言うのなら、彼にポートフォリオを作らせてみて評価してはいかがでしょうか」と。
イライラしながら帰宅したあと、もう二度と見たくもないO氏の顔とサイバーエージェントの正社員というものを天秤にかけたとき、やっぱりサイバーエージェントにいきたいなーと思った。というか、実は当時に DMM のオファーもあったのだけど、サイバーエージェントの方が良いと思って辞退した。このクソ人間(O氏)を認めさせたら、サイバーエージェントで働けるというのは魅力的だった。それで、Android(Java) + iPhone(Objective-C) でマルバツゲームを作り、 Bootstrap + jQuery と Ruby on Rails と MySQL で集計させてスコアを比較させる、そしてサクラVPSで CentOS で運営するというプロダクトを持っていった。時代を感じますね。閑話休題。ソレを持っていたら、O氏は今回は前回と性格が違った。いきなり、怒鳴りだすのだ。ポートフォリオを見ないで。いわゆる「良い警官・悪い警官」というやつをやろうとしたのだろう。当時はそれがソーシャル・エンジニアリングだと気がつけなかったが、いま思えば以前からナンパとかで良い思いをしていたのだろう。後で書くが、彼はロリコンだ。専門に人工知能を掲げているが、本当はチヤホヤされたいだけで自分は努力せず、インターンの学生にタダでプロダクトを作らせて「弊社は凄いです!」「あわよくば上場して金と名誉はゲット」、そんでもって若い学生のインターンとセックスしたいという真正のクズ野郎だった。自分の深層意識で「こいつはヤバいやつだ」というアラートはビンビン鳴っていたが、「サイバーエージェントの正社員」というニンジンが目を曇らせた。
そのあと、一月ぐらいはそのクソ会社でタダで自社サの修正をやっていた。こんなのもできねーのと思いながら。ある日「別の会社に行こう」といわれ、面接をうける。なぜか O氏も同席で。話を聞いていると、派遣させられるらしい。派遣登録もしてない会社が。「サイバーエージェントじゃない!」と抗議をすると、「俺に恥をかかせるのか!東京で働かせなくするぞ!」と脅され、派遣きまったあとで、履歴書を無理やりかかされた。給料はホームページに書いてあった額の半分、社会保険は無し、年金もなし、保険書もなし、という最悪な条件だった。派遣先はキツかったが、優しかった。それに、派遣当日から転職のオファーをもらった。記憶が正しければ、平日に働いて、土曜日は帰社日、日曜日は勉強会に出席という日々だった。本当に休む暇がなかった。平日はほぼ終電だったのに、土曜日に東京の端っこにこいとか、日曜日は勉強会だから出席しろ、とか本当に辛かった。それでも派遣先の会社には迷惑をかけたくなかったので、期間が終えるまでは必死に働いた。そして、O氏から逃れるために「あなたとは信頼関係が築けない」という文を書いて退職した。そのあと、自分は大学にも行かないで、別の会社に就職した。あと、O氏は給料を払わなかったので、辞めた後に圧力をかけて支払ってもらった。
プログラミングのスキルは働いてもスキルが付くということはなく、自学自習を続けないと上場するのに必要なスキルは身につかないというのもわかってきた頃、父が死んだ。事故死だった。自分は医学部に行けなかったことの申し訳のなさに、東京の大学に行った後は父を邪険に扱っていた。とても後悔した。それで、半年ぐらい真面目に勉強して私立の医学部に入学し、医学部生として留年しない程度には進級はした。しかしながら、ふと寝る前に「プログラマーでいたかったな」と思うことは毎日のようにある。もう医師になるつもりで、プログラマーに戻るつもりは無いが、それでもプログラミングのことは好きで、毎日1時間は時間をつくって勉強している。好きなんだよな、プログラミングが。
最後に、O氏についてだ。あまりに犠牲者が多すぎるのでネット上で事実を書いていったら、裁判所から開示請求が来てしまった。だからここでは本名と社名は書けない。だけれども、若者たちに「ホイホイベンチャー企業にいくと辛い目にあうかもよ?」っていう事例を例示しなきゃ、とは思うので「ヤバいベンチャー企業の実態」について書いていこうと思う。
...という感じ。だから、基本的にベンチャー企業に期待しないほうがいいよ。下手をすると、犯罪の手助けをするようなつらい思いをするよ。もし、仮にベンチャーに行くなら、高給かストックオプションはマストで行こうね。おじさんとの約束だよ。
anond:20220320021315をほぼコピペしただけという逃げ道が残っている文章だけど、
anond:20220529145548でバージョンアップさせたり、
anond:20220531065710で一部分を切り取ったりしているし、
やっぱり本人なのかなあ。
なんとか流行させたいのかもしれないのだけど、
フォロワー数は500程、ただし、フォローも似たような数なので、Twitterでの訴求力はない。
pixivはこちらの不手際により直前で抹消されたため、作り直した結果フォロワー二桁。
何とかオンデマンド印刷したものの、勘違いしていて通常の漫画形式なのに左開き。
ページは本文20ページもない。うっすい仕上がり。
更にギリギリ完成させたため、表紙はTwitterに載せたものの、最初数ページのサンプルを載せてなかった。
ネットで調べてとりあえず、30部。
売り切れた。即完売、と言うわけではなかったけど、閉会前一時間前には完売した。
なぜ売り切れたのか。多分エロブーストとサークル配置運に恵まれたからだと思う。
今回初参加だったのになぜか壁配置だったのだ。何故かは未だに解らない(緩衝材?)
著名人(特に芸能人)が政治的発言をすると発言することそのものを非難されたり、「芸能人だから物事をよく知らないのだろう」と一蹴されたりします。
(ほんこんさんとかはそう言われないのに不思議ですね。ほんこんさんも全知全能だったりするんでしょうか?)
一方で著名人の政治的発言を許さない方は、割と自由に発言してます。
特に発言の根拠を見出せなかったりしますし、願望が推測になり、推測が結論になっているパターンをよく見かけます。
一応根拠らしいものを挙げるかたもいらっしゃいますが、他の人が言っていたことをほぼコピペしているだけだったり、その引用元に根拠がなかったりします。
なぜ彼らは、自分は特に調査・研究・検証せずに持論を展開し、著名人の言論を弾圧するのでしょうか? というかできるのでしょうか?
その背後にあるのは「サラリーマン全知全能説」があると思われます。根拠はないです。なのでこれは世迷言です。
デスクワークでパソコンを使いこなしたり、営業で何億もの商談を動かしたり、現場でツールを駆使し技術を発揮しているサラリーマンが間違っているわけないのです。
月曜から金曜まで始業の9時のはるか前から出勤し、終業の18時のはるか後に退勤する規則正しい人間が間違っているわけないのです。
土日も盆も正月もなく早番遅番泊番をこなしている人間が間違っているわけないのです。
働かないおじさんの分まで働き、頭の固い上司のご機嫌を伺い、取引先やお客様の無茶に耐えている人間が間違っているわけないのです。
最近あまりニュース見れてないけど毎日ネットで自分と違う意見を探し世直ししている人間が間違ってないのです。
おうた歌ったりお遊戯会したりバカ話してるだけでらくちんにお金稼いでる芸能人が正しいわけないのです。
影響力のある人間がツイッターで持論を展開したり、センシティブな話題に賛成反対を表明するのは悪なのです。
ぼくはファンではないけどファンを二分させるようなことを言う芸能人は悪なのです。
彼らが細かいところで間違っていたら意見そのものが間違っているのは自明です。
この時期になると修論出せませんでした or 不合格でしたっていう報告が相次いで
修論に失敗するのはほぼほぼ下記のような「試験期間になってから勉強を始めるタイプ」ばっかり
普段は授業で寝てるんだけど中間テストとか期末テストの1週間前になったら
先輩・友人から過去問入手して対策の勉強だけしてテストに臨むタイプの人。
過去問外しが来て撃沈しても先生に頭を下げて追試してもらって留年を免れたりして大学院まで来ちゃった人。
「何をやればいいんですか?先輩の論文からコピペすればいいんですかね?」
っていういつものノリを発揮して撃沈する。
もう、だいたいこのパターン。何かを得るための努力の最大値が1ヶ月みたいな人。
卒論レベルであれば先輩論文のほぼコピペみたいなものを書いて1ヶ月研究室に泊まり込んで
最終的にはお涙頂戴で卒業できるような大学もあるらしいけれど、さすがに修論はそういうのないし博論だと全く不可能。
「研究室に来てください」
って言うくらいしかないし、それすらできんのは土俵に上がってないわけでどうしようもない。
授業料分ぐらいはしっかり指導せーよって思うような教員もいるのでなんともだけど
そもそも学生も20歳すぎて数年経ってるはずなんだから自分のことは自分でしっかりやれよ、と。
個人的な意見だけど、修論ってのは1年間とかの長い間取り組んできた研究内容について
最後に報告書として提出するためのものであって、提出すれば修士がもらえるもんじゃない。
1年間とかの長い期間研究した行動、それによる成長に対して修士を与えるもんであって
1ヶ月前に「何したらいいっすか」みたいな感じで来ても「いや、無理じゃね?」っていうのが一般論。
もちろん中には1ヶ月でスラスラ〜っと論文書き上げて修士取っていく人もいるから
「じゃぁ何ヶ月前に来たらいいんですか!」みたいな質問には答えにくいんだけど
感覚的には最低でも半年ぐらいは一つのテーマに真剣に取り組まないとなかなか修士レベルにならんよね。
デレマス総選挙は毎年大なり小なり荒れ界隈がヒリつくのが恒例ですが、今年は例年に比べより行き場のない怒りや情念、怨念と妬みが渦巻く総選挙だったように感じます。
首位を争うのは本田未央、北条加蓮、そしてダークホースの夢見りあむによる三巴状態でした。
誰が勝とうと例年以上に結果発表は物議を醸しそうですが、どんな結果になろうと私個人はCGを取ったアイドルを祝福したいと考えています。
結果が出るまであと数日、それまでに今回の選挙を走って自分の中で生じた焦りとか妬みとか、少しですが楽しかったこと等の感情を整理する為に一度自分の気持ちを何処かに書いておきたいなと思い筆を取っています。
チラシの裏でもいいのですが人にみられるという意識を持って書いた方がきちんと整えれるかと考えてここに投稿させて頂いてます。整えてるかは別にして。
では本題。
◯夢見りあむについて
今回は彗星の如く登場した新アイドル、夢見りあむが界隈に衝撃を与え、弱くも悪くも話題の中心になりました。
そこで数多くのPの鬱憤や怨念、妬みや焦りが溢れだし夢見りあむお気持ち表明文なる増田が多々投稿され色んな立場のPの生々しい感情に触れることが出来ました。
私は別段、夢見りあむを好きでも嫌いでもありません。
どちらかと問われれば没個性よりも話題性になる方が良し、と考えていますのでキャッチャーで尖りまくりな彼女のキャラクターは好みよりです。
登場時から賛否両論を巻き起こし、予想通りというべきか、まさかと言うべきかはわかりませんが中間に食い込みさらに物議を醸し出しました。
個人的にはこのままCGになってしまってもいいのでは?と思います。
それは、ここ数年ずっと続いていたガシャブに後押しされたキャラクターが一位になり、上位にランクインするも惜敗した本田未央pが涙を飲む、ボイスが欲しく上手い立ち回りで浮動票をかき集めたアイドルが念願のボイスを手に入れ一方で昨年ボイスを手に入れたアイドルは飽きたオモチャのように見向きもされないという繰り返しに風穴を空け、例年とは違った何かがみれるかもしれないという期待です。
上位のキャラでCD作って選挙の公約果たしてはい終わり、また来年の選挙もよろしくねって。
それでも例年の閉塞した選挙に刺激を与えてくれたりあむの存在は面白かったし、彼女を取り巻く状況を眺めるのは言っては悪いですが楽しかったです。
彼女のおかげで辛いだけの選挙じゃなくほんのちょっぴりですが選挙を楽しめました、ありがとう夢見りあむ。
七回の選挙結果をみた時点で、次の選挙は未央と加蓮としきの三巴かなと予感してました。
しきは中間でCuのトップでしたがCGは厳しそうな順位でしたね。
ですのでどう動くのか読めないりあむを除外すれば、実質未央と加蓮の一騎討ち。
運営の手厚い加護と後押し(ガチャブ、しんげきメイン回、遡ればアニバでのまさにシンデレラをモチーフにした限定衣裳)を貰い追い風の中ナチュラルに他のアイドルを見下して、彼女こそCGと言わんばかりの態度を取る加蓮P
未央を悲劇のヒロインに仕立て上げNGとポジパは未央の票田になって当然のように振る舞う未央P
また、他アイドルでも良くあることといえばそうなのですが自分が大好きな映画や流行りの作品を合作だダイマだと言い張って、まるで未央の後押しをするための踏み台の用に扱う姿勢もムカついて仕方ない。
他のアイドルも映画も音楽も漫画もなにもかも、未央を引き立てるための素材とばかり振る舞う未央Pには「自分の足で歩け」と叩きつけたい。
いっそりあむが全部ひっくり返して勝ってくれれば今回は大笑いで締めくくる事が出来ますが、その場合未央VS加蓮の戦いが来年に持ち越されるだけなので長い目で見ると微妙な気もします。
Paアイドルを応援する身としてはとっとと本田未央にCGを取ってもらって総選挙CG枠を空けてもらいたい、と言うのが本音です。
未央Pは彼女を悲劇のヒロインのように扱いますが、よくよく考えてみるとデレマスで一番多くの曲を歌ってるのは本田未央なんですよね。
看板ユニットNGとして出番の保証は確保しつつ、総選挙の枠すらしれっと奪っていかれてはたまったものではないです。
例年、トップを取ったアイドルは次の選挙で大きく順位を下げます。
未央pは「未央ちゃんを三ツ星に!」だの理由をつけて2冠3冠を狙うだろうと言われていますが今未央が持っている浮動票は確実に別のドラマを求め他のアイドルに流れるでしょう。
その時未央が今の順位をキープできるかと考えれば頑張っても圏内に入るぐらいまでに落ち込むと考えます。
なので、例年同じことが叫ばれていますが本田未央がさっさとCGになって枠さえ開けてくれればそれは他のPaアイドルにとってプラスにしかならないので、一応本田未央の勝利が良い落とし所だと考えてます。
加蓮だとPaの枠は空かないし奈緒も含めてTPでCG!みたいな流れが生まれてそうですし本田未央の感動ポルノにまた来年も付き合わされるハメになりますし。
これで最後です。
私の担当はPa所属で、一応登場してから数少ないPaにおける数少ない全圏内アイドルです。
モバマスのアンケートでもランクインし、Pとしての贔屓目抜きにして人気があるアイドルとしてみて良いと言えるキャラです。
ですが、何故かこの二年間曲を全く貰えていません。
総選挙に限らず、この1~2年間ボイス未実装アイドルのPがデレマスの展開について嘆き、声のついた人気キャラのPがダイマして総選挙で結果を出せと一刀両断する場面を数多く見てきました。
そういった場面を見る度に、何故か無関係の自分にダイマと選挙結果という言葉が突き刺さります。
この二年間の内、季節シリーズとしんげきの1~3期のED歌唱、そしてデレステでのイベントが新曲の実装機会でしたね。
担当の新曲が来るかとワクワクしながら待ち、落胆を繰り返すばかりでした。
まだしんげき4期のED歌唱が残っていますがPaはしんげき季節共に未歌唱アイドルが多く、ここに望みをかけても歌ってくれるという期待は薄いです。
出番が全くなかったわけではありません。
モバでは素敵なイラストのカードを沢山もらえました。ここは素直に嬉しいです。
デレステでも一応出番はありましたが、基本的に他の子のオマケで、時には酷いキャラぶれもありとても満足できる出番では無かったです。
SSRも二年待ってやっと貰えましたが選挙で同等、もしくはそれ以下の結果のキャラが限定強スキルに豪華な衣裳をもらっている中恒常で使いどころの見つからないスキル、衣裳は簡素で省略の後が見え隠れし、ほぼコピペで特訓イラストはやけに背景寂しいと思ったら一枚の集合絵を3分割したものでした。なんだこれ。
選挙でそれなりに結果を残せば良い出番良い衣裳が貰えると信じて二年待ちました。
そんなことは全くありませんでした。
たかが二年、されど二年。
私は担当の歌が大好きなのに、いつになれば担当は新曲を歌うんでしょうか。
私の担当は何をしたんでしょうか。
他の子を下げろとは言いません。
ですが選挙で各アイドルの実績と持っている数字を公表している以上、同等の成績を出しているアイドルと同等の扱いでなければ納得出来ません。
今回の選挙でなんとしても属性三位にねじ込めば担当の新曲が聞けるのでは?とも思いました。
しかし選挙直前で、最悪のタイミングで担当のガシャが来ました。
とても良いカードでしたし新規絵は嬉しいけど、所謂逆ガシャブのタイミングです。
ここの時点でランクアップ所か逆ガシャブの煽りと直近のデレステでの出番の少なさから初めての圏外落ちを覚悟しました。
それでも諦めたくなくてやれるだけの票をかき集め投票しました。
上がらなかった事に落胆すべきか、いつもの順位をキープできた事に安堵すべきか私にはわかりません。
総選挙なんて頑張っても意味がないと確信し、この地獄じみたレースから降りようとも思いました。
しかし担当に素敵な歌声をのせてくれる声優さんが担当が必要とされなくなる事が怖いとブログに書かれていた為、引くに引けなくなりました。
法子ちゃんの声優さんも、直近ではMマスライブの理科教師に弁護士の声優も、探せばもっと出てくると思いますが演者にユーザーの不安を煽るような事を言わさせないで欲しい。
その人達に好意を持ってしまってるから切り捨てて逃げる事ができません。
いっそ冷徹な人間になりたいと心で叫びながら社畜生活のただでさえ少ない時間とお金を当て、リターンがないと分かりきってる物へお金を投げ込むストレスは言葉にすると簡単ですが実際はとても辛かった。
辛かったからこそ夢見りあむ騒動の馬鹿馬鹿しさは少しの救いになりました。
こんな界隈だと望みは薄いですが、夢見りあむと彼女を本当に好きで応援してる人達が少しでも報われること願っています。
油田を持っているわけでもない、しがない社畜の雀の涙のような票では結果に大きな影響は与えられないでしょう。
それでも走ってしまった以上、何もしない後悔よりはマシかと思い込む事にしました。
でも私以上に今回の選挙に思いをかけて真剣に望んだPは星の数ほどいるので、泣き言は言えないですね。
どんな結果になろうとキチンと受け止めその上で今後デレマスとどう向き合うかを考えて行きたいです。
正直、好きなキャラクターの出番が無いのにいつかは、今度こそとしがみつくのはとてもしんどいので。
◯まとめ
長いのでそれぞれ三行にまとめます
・夢見りあむありがとう
・ナチュラル見下しと感動ポルノはもううんざり、いい加減自分の足で歩け
以上です
長々とお付き合いありがとうございました
ずっと憎んでいた相手がいた。
生活費を貢がせておきながら、他の女と浮気して結婚したゴミ男ってだけなんだけど。
付き合ってた当時は私も学生で、全然お金がなかった。ただし彼は奨学金でカツカツの研究者だったので私より経済的に苦しかったはず。
彼は修士論文を提出するとき「このレベルじゃ博士は厳しい。でもどこが足りてないか明確だから来年頑張ればぜったい博士へ行ける」って論文を指導教員から戻された。
奨学金をもらったことがあるひとは知っていると思うけど、あれって留年するともらえないんだよね。彼は窮地に陥って私へ土下座した。ちなみに私は当時学部生だったけど、私も学者志望だったから修士へいく学費を貯金してた。
さらにたまたま彼と同じ出身校だった私の身内も同情してくれて、合わせて200万円くらい彼に貸した。
といっても全部足したところで本代やパソコン代は出せなくて、彼のために朝から晩までバイトしてそのお金を捻出した。
彼は家事を担ってくれた。最初は家事も折半だったけど、だんだん私の家事がまわらなくなってケンカすることが増えた。そのとき「誰のおかげで食べていられると思ってるんだ」と彼へひどいことを言ったのも認める。
数ヶ月後、たまたま彼のパソコンを借りたら女へのメールが山盛り。5人の女へ「今の彼女と別れたら結婚しよう。今の彼女は浮気してると思う」と送ってた。メールの本文、ほぼコピペで。ウケる。彼の生活費を稼ぐために、私に浮気する暇なんて無かったんですけどね????
そこからは修羅場、修羅場で結局彼も浮気相手の5人中4人に振られて残った1名と結婚し、私はノイローゼっぽい感じで精神病院へ通うはめになった。
もうずっと前のことだから今は私も復活した。けど憎しみは消えない。私が幸せになるのは当然のこととして、こいつが不幸にならないなんてありえない。
彼はメンヘラポエムをブログへ投稿してるから、そこで倒壊を知った。
彼はマザコン気味で、初対面から「俺はお袋を愛してたのに、幼少期に病気をしたからそれがトラウマなんだ」と風呂場で号泣するような奴。ことあるごとに「お袋」が出てきた。ご飯を作ってもお袋と比較して貶すようなやつだった。お袋が病気にさえならなければ、親が貧乏にさえならなければ俺は今頃成功していたのにと酒をあおりながらよくグジグジ泣いていた。そのお袋さんの実家が倒壊したのだ。東京へ出てきて「お袋」を熊本へ置き去りにしたことを棚上げにして、さぞかし不安定になるだろう。
彼の家族にそこまで恨みはない。けど私と彼が結婚する予定だったときは「こんないい嫁さんが来てくれるなら」と喜んでくれていたくせに、彼が浮気すると手のひらを返して音信不通になって、彼だけ庇ったことは許せない。実の息子と義理の娘(候補)ならそりゃ息子はかわいいよなあ。でも息子のバカを叱るのは親の仕事じゃないの???
地震で実家が倒壊したのは因果応報ととっさに浮かんで、いやいやいや不謹慎すぎるいくらなんでも、とすぐ打ち消した。犠牲となったほとんどの人に罪はない。
でも、ここだけ書かせて。生きててよかった。私は幸せになって彼は不幸になった。これでようやくイーブンだ。私は私の人生を取り返した。
彼の不幸を願う気持ちが神様に通じたのかもしれない。でもあまりにもそれを考えるたびに不謹慎すぎて、罪悪感におそわれる。その罪悪感を打ち消すように、今までにない金額を熊本地震の復興へ寄付した。罪の無いすべての人が、一刻も早く復興できますように。でもどうか彼へだけ、支援が届きませんように。
http://anond.hatelabo.jp/20160221211019
に対する
kato_19 確かにすごい考察ではあるが・・・楽しめなくて可哀想としか。辻褄や現実にこだわる理由がわからない。私の感想『『ラブライブ!』は私達に何をもたらしたのか?』http://kato19.blogspot.jp/2016/01/lovelive.html
匿名でここまで書くのはすごい!でもおりあそ氏同様、脚本の物語性に非常にこだわる点が自分とは大きく違う所。現実に根ざした物語を超えて、抽象化されたアイドル像に魅力を感じるんだよなぁ。 https://t.co/C43GeQjkcD https://t.co/9DE4lPVVaB— kato19@アニメとスピーカーと‥‥。 (@id_kato_19) 2016年3月19日
について。
まず、彼に限らずアニメラブライブのファンが多少筋の通った批判を目の当たりにすると苦し紛れに発することが多い「楽しめなくて可哀想」という感想について。
この表現にこそ、とにもかくにも「ラブライバーである自分が好きだからラブライブが好き』という感情状態から生じた「ラブライバーでない奴は可哀想」という論理が見え隠れする。
一応、何事も楽しめたらそれは素晴らしいことだ、というのにも一理はある。
しかし、見方や立場を変えてアニメ前の作品内容や原案公野櫻子先生による内容を特に愛するファンから見た場合は逆に、アニメと同等以上に可能性に溢れているそれらの媒体をおまけ以下と扱って注目せずにアニメや声優のみに注目し楽しむ現在の大半のラブライバーこそ、楽しめなくて可哀想に映るともいえる。
本来であればもっと楽しかったもの、もっと楽しくなれるものに期待できず楽しめない状態でありながら、あんな物語性もキャラクターも薄く浅いアニメを萌えるとか尊いとかいって満足して楽しんでいることこそ可哀想だ。
と、子供の喧嘩のような言い合いになるので、楽しめなくて可哀想理論は微妙だ。
次に、「辻褄や現実にこだわる理由がわからない」「脚本の物語性に非常にこだわる点」について。
これもアニメラブライブなど、拙い脚本を持ち味とする作品のファンが内容を批判された場合に反論でよく用いる意見だが、この意見が出てくる時点で大体の場合勘違いが存在しているように思う。わざとの可能性もあるが。
アニメや劇場版のラブライブ、少しずれるが艦これなどに至るまで、脚本内容を批判している人達の大半は恐らく完全な辻褄や現実性、脚本の物語性に非常にこだわっているというわけではない。“最低限”の辻褄や現実性が脚本や演出に伴っていないからこそ批判しているのであって、辻褄や現実性絶対主義者だから批判しているのではないことを盲目的に賛美することしか念頭にないファン達は再認識してもらいたい。
もしくは、彼らにとってそれらの作品の「萌え」や「勢い」といったものが上級表現の「尊い」どころか脚本の物語性や辻褄・現実性の拙さと乏しさから来る違和感と物足りなさを補えるほどには全く至っていなかったのだ、ともいえる。
実際、辻褄やリアルさよりも萌えや勢いで全てを吹き飛ばして満足感をもたらしてくれる尊い作品を自分も欲しているが、アニメラブライブはそれには程遠いと思う。
そしてそのような細かい辻褄の拙さやおかしさを吹き飛ばせる萌えや尊さといったものが存在しているものこそ、アニメ以前の雑誌や漫画におけるラブライブ!だと自分は思うのであるが…。
京極尚彦氏や花田十輝氏、ラブライバー達にとってはそんなものより海外ドラマにのっぺりとした無個性の二次元美少女絵を貼り付けて動かしてたまにライブシーンで踊らせておけば萌えて尊い、物語性など要らないって思ってしまうらしい。そのような部分を見ていると、彼らが一体作品の何を好きなのか分からなくなってくる。(そこでラブライバーはラブライバーである自分のファンでしかないという説が起こる)
ラブライブ!はアニメ以降よりも1stシングルPVのキャラクターデザインの方がシンプルながら個性と卓越性があった。当時は黎明期だし全てが未熟だっただろうという雑な先入観から考えて初期の絵や内容を馬鹿にしている者はファンにも多いが、もう一度しっかり見直してみた方が良い。実際初期の雑誌の絵は拙いもっさりした感じの絵もあって、主にそれを持ち出して「初期のキャラデザはこんなに酷かった」なんてネタにされているのをよく見る。しかし、雑誌やスクフェスなどの公式絵はアニメ化以降でも当たり外れがあるのでそのあたりを踏まえて考え直してみる機会を設けてもいいだろうと思う。
次に「現実に根ざした物語を超えて、抽象化されたアイドル像」とそれに呼応する内容が述べられているブログの記事内容について。
『ラブライブ!』って本当に美しいですね!特に劇場版のラストライブ・・・極限まで高められた美しさに圧倒されました。『萌え』の上級表現である『尊い』って言葉がこれほど似合う作品ってあるでしょうか?
ここまで心に響く理由・・・それは『ラブライブ!』という作品がアイドルの持つ偶像部分のみを分離し、現実の枷から飛び立つ事が出来たから。現実に囚われない理想のアイドル像を実現できたからだと思います。
(アニメの)ラブライブ!って何が美しいのだろう。ラストライブの何が美しかったのだろう…。個人の主観だから仕方がないが、同様に自分の主観だと1stシングルのPVの方がまだ美しかったように思うためによく分からない。
劇場版のライブは1期や2期と比べても心に響くものがなかった。楽曲の質が突き抜けてこないのはネタ切れもあって仕方ない所もあるだろうが、無理矢理終わらせようという勢いと都合に溢れていたからだろうか。
「『ラブライブ!』という作品がアイドルの持つ偶像部分のみを分離し、現実の枷から飛び立つ事ができた」「現実に囚われない理想のアイドル像を実現できた」
この意味がよく分からないが、後の記述から推測すると、芸能界というビジネス的なしがらみのある世界から分離され、物語やキャラクター性といった辻褄や論理から脚本やライブ演出に特化され解き放たれたことで自由になった作品だと言いたいように感じた。
しかし、それと併せて考えて見てもラブライブ!という作品が「現実に根ざした物語を超えて」(いる)というのは、先述したような内容の辻褄や物語性の乏しさという都合の悪さを隠すために言い換えてみただけの取って付けたような表現に感じてしまう。
2013年、そこへ発表されたのが『ラブライブ!』という作品でした。架空のアイドルをつくるメディアミックス・プロジェクトを出自とする本作にとって、現実のアイドルという縛りは初めから希薄なものだったのです。
2013年からラブライブ!という作品が始まっており、その時点でメディアミックス・プロジェクトから分離され独立していることが前提であるかのような書き方に嫌悪感を覚える。
現実から解き放たれたラブライブ!という作品
当時、多くの人がアイドルアニメといえばアイマスのようなものをイメージするなか、京極監督はおそらく気づいていたんだと思います。『アイドルアニメはもっと自由になれる』という事に。
『ラブライブ!』のTV放送一回目。多くの視聴者の度肝を抜いた突然のミュージカル演出。これによって本作がダンスと楽曲のコラボレーションに重点を置いた作品である事を宣言しました。
この方に限らずアニメラブライブ!や京極氏を絶賛する人達はこのように言うのだが、そもそも元からラブライブ!は「スクールアイドル」作品で、キャラクターが外のしがらみから独立して作詞作曲・演奏ライブなどを自由に行う描写がある作品も、ブログでも言及されている『けいおん!』などのように以前から存在しているし、その点においてラブライブがそんなに画期的だったとは自分にはあまり思えない。
また、ダンスと楽曲のコラボレーションに重点を置いた作品であることを宣言しても、作品の脚本内容の致命的な拙さやキャラクター配慮の不備の免罪符にはならないし、海外ドラマからパクって間に合わせただけで許されるわけでもない。
そもそも、元々の設定が存在し、それがある程度当時のファンに支持された上で存在していたメディアミックス作品なのだから、どうせ別のどこかから適当に引用する程度にしか監督や脚本家に作品のキャラクターや物語性への真摯さと思い入れが足りていないのであれば、元の作品から丸々引用する方が良かったはずである。それならコピペでも文句を言われないどころか、原案原作を生かしていて素晴らしいと絶賛されていた可能性の方が高いくらいである。
実際、アニメのラブライブ!で古参新参問わず最も評価が高いシーンの一つである1期8話は1stシングルPVの内容をほぼコピペするようにリメイクした内容だった。
それを、わざわざ無関係の別作品から引用して作品やキャラクターの軸までねじ曲げてしまったのは悪意の盗作という見方がされても仕方がないし、別作品へのオマージュやリスペクトとして捉えてあげるとしても肝心のラブライブ!という作品内容への思い入れと配慮の無さが強く感じられてしまい、その意図と効果は肯定的に受け入れにくい。
その特異にも見える現実離れした演出は回を重ねるごとに深まり視聴者を戸惑わせます。しかし秀逸なストーリー構成は私たちの心を掴み、いつしか違和感を感じなくなっていきました・・・ここに、現実のアイドルという枷が外れた『ラブライブ!』という作品がひとつの完成を見たのだと思います。
分かりやすく「特異にも見える現実離れした演出」があったのは主に1期&2期1話・最終話だったと思う。それ以外は態々特異というほど現実離れした演出があったと自分はあまり思わなかった。そのため、時折挟まれる無駄に寒いコメディータッチな演出や描写に違和感と嫌悪感が生じた。
腐ってもキャラクターアニメであるのにキャラクター描写が雑すぎて、キャラクターの魅力が淡白で薄くなっていて消えてしまっている。とても演出や勢いがどうとかでは補えるものではなかった。その内容については先述の批判考察記事やそこで引用される元の批判記事で書かれているので省略。
また、自分でストーリーの物語性や現実性と辻褄にこだわってアニメラブライブ!を見ることを批判的に捉えておきながら、その作品のストーリー構成を秀逸と考えた根拠も少々謎である。
百歩譲ってその論理からストーリーにこだわらず演出やライブ(ダンス)シーンがいい、ストーリーはおまけだからというなら意味も分かるし、それに特化した自由なアイドルアニメ作品を評価する論理としても、その人の中でそう思えたなら仕方ないかと多少納得できるのだが、そこで、無理なおべっかを使うような賛美を繰り出す所にラブライバーらしい空虚で盲目的な部分を垣間見てしまう。そのような評価の仕方を見ているとやはり彼らの感覚と論理の間には齟齬が生じているように思う。
結局の所、ラブライバーはキャラクター描写の拙さや、脚本や物語性を批判されたら「ライブシーンが見所だから」「ライブ演出が~」と言い、その演出もさほど大したことがないと指摘されてしまうと「キャラクターが魅力的で~」「初期から紡がれてきた声優ライブとアニメとの融合によるコンテンツの包括的に捉えた中でのみんなで叶える物語(の物語性)が~」というような形のことを言って相反した発言を繰り出すために説得力がない。
そしてコンテンツの初期からの積み重ねやみんなで叶える物語という既に剥がれ落ちた空虚な幻想の影を掲げて信奉する割には、アニメ以前の作品像やキャラクター像には最低限の興味や配慮を払うことすら稀な人が殆どである。
そのような点を見ていると、彼らは結局作品の中身には興味がなく外部のパッケージだけを愛しているように思える。「よく分からないけど初期から歴史があって人気が出たからみんなで叶えた物語だ尊い」、「よく分からないけど結構可愛い声優がアニメキャラとシンクロしたダンスを踊るために頑張ってるから尊い」というような状態なのではないか。別に作品を楽しむためには必ず重厚で説得力のある感覚や根拠を必要とはしないが、そのあまりに粗雑な状態の感覚や根拠を掲げることが必ずいつでもどこでも許されるわけではないということは少しだけでも覚えていてもらいたいように思う。
一方で、そこで素直に「アニメラブライブはクソでもラブライバーとしてアニメやライブを楽しんでいる俺は最高だ、だからラブライブは最高だ」と言ってくれるのであれば、それはそれで確かに素敵だと思うし、納得できる。それを聞くことで作品内容自体の素晴らしさは相変わらず伝わってこないが、彼らが作品を最高だと思っている気持ちは本物なのだろうと思えるからだ。しかし先述のように取って付けたすぐに剥がれ落ちるような根拠ばかり持ち出して内容評価を繰り返すようだと、何かに洗脳されたり、駆り立てられたりして仕方なく作品を賛美している状態に見えて、彼らが作品を好きと思っている気持ちすら実は偽物なのではないかという疑念が生じてくる。
実体がなく抽象化したからこそ表現できるものがある。劇中の『飛べるよ』というセリフは、まさにこの作品自体に向けられた言葉のように思えてなりません。
現実のアイドルという縛りから飛び立った時、アニメーションはここまでの表現ができるという事を教えてくれました。アニメーションの可能性がさらに一歩広がった事を実感できたのです。
自分は劇場版の『飛べるよ』という台詞を聞いて、苦笑いを浮かべた。最近(2016年3月現在)話題の違法・脱法薬物使用によるトリップを「飛べる」と表現することがあるが、それになぞらえて、「ラブライブ!を見てば『飛べるよ』」「作品内容もキャラクターも全部積み重ねてきた歴史をアニメ化してから根こそぎ捨ててきたから中身は空っぽだけど、裏には歴史があると思い込みながら「今が最高!」と騒げば『飛べるよ』」というようなパッパラパーな意味に捉えられ、作品批評者にネタを提供しているなと感じた。
「アニメラブライブ!という作品は、包括的なストーリー性やライブ演出が魅力だから作中のキャラクター描写とかアニメ自体のストーリー性は雑でもいい、描写の足り無さは効果的な省略だからおかしくても逆にそれがいい(効果的な省略が得意なはずの監督なのに無価値な蛇足なシーンやキャラが多いのは何故?)」というような無理矢理な盲目擁護調の論理はこのブログの筆者や、某K氏やG氏S氏V氏などラブライブ!賛美系評論者の多くに共通しているように思う。京極尚彦氏や花田十輝氏の信者に共通しているのかもしれない。
親は自分じゃないけれど、習慣が同じだから、性質は残念ながらほぼコピーだ。
家族付き合いのある友人たちを見ていてもよく分かる。
親の嫌な面を積極的にみようと思った。そしたら自分のダメな部分も見える。
・趣味をころころ変えるところ。(悪くないか別に。ただ毎回お金使うからな)
・他人のことを自分と仲良い人には何でもペラペラしゃべるところ。
・そのくせ、すぐ限界が来て投げ出すところ。
これが自分のダメなところなんだろう。というか書いてて本当に自分そのものだと思った。
いいところも見ようと思った。
・なんだかんだ言って、心根は人を大切にしたいと思ってるところ。
・知的好奇心が旺盛なところ。
・健康面に敏感なところ
大事にすべき部分だ。もう少し見つけてみよう。
それで思ったけど、自分を変えたければ環境を変えろ、場所を変えろというのは、習慣が関わってるんだろうね。
親でなくとも一緒に住んでいる人の習慣に注目するのいいかも。
子供は親の習慣になるのだろうけど、結婚したらどちらの習慣になるんだろうか。
習慣を維持する意志の強い方かな。だったら、いい習慣持ってる人と結婚したいなぁ。
自分もいい習慣身に付けたいな。
目の前にある、ほぼコピペのソースコード、あなたならどう整理しますか? 一箇所治すとき、微妙に違った他の二箇所も直さねばならなくて、だんだん、それぞれコピペ先に個性というか、性格が若干違ってきて、対応にこまるようになってくるよな。
太郎は表示の仕方を教えてやったから、一言「表示しろ」とガツンと言ってやるだけでなんでも面倒みてくれるけど、二郎は太郎と違って、だるいやり方しかわからないので、いちいちあれはやったか、これはやったか、と面倒見てやらなければならない。三郎にいたっては太郎と二郎にはここまで教えたけど、三郎にはどこまで教えたっけ? 三郎これ知ってるか? 今どうやってるんだ?と、太郎と二郎との違いを意識しないといけなくて、大変面倒くさい。 三郎なんかしらーんと言って放置すると、三郎がうまく働かなかった時、僕が怒られるし。
何を言ってるかよくわからない? 私もよくわかりません。 コピペしたときには同じに見えた兄弟が、家を出たとたんてんでばらばらな性格になって、同じことを頼むにも個性に合わせた頼み方を考える必要があって親は一苦労だ。 という話です。
どうすればいいか? 太郎と二郎と三郎をアホにして、同じような作業は全部母にやらせればいいのだ!!!
そのためには三人に母が頑張ることを伝えたり、どこでおなじことしてるのか聴きだしたりしないといけなくて、大変面倒だという話。母には話しづらい作業もあるからな。
そうやって三人の話し合いを先延ばしにしてると兄弟げんかして収集つかなくなるので早めになんとかしないといけないのだが。
以前宮崎県に行った提言ですが、県のページには掲載されず、どうやら没になった様子。
数字とか結構一生懸命に調べたところもあり、意外に落ち込んだのか、それ以降提言をしようという意識も薄れてきたんですな。
ただ、それから何もしないのも勿体ないという事や、県外に旅行に行ったり、東京に帰郷した時に感じる格差から、どうも黙っていられない部分もありリトライして見ることにしたんですな。
《以下提言内容》
いつもお世話になっております。
宮崎市在住の●●という者です。
宮崎県の特産品の一つとしてウナギが挙げられると思いますが、本年は全国的に不漁が訴えられており、価格の高騰や老舗料理店の閉店などの問題がでています。
ウナギの稚魚であるシラスウナギの漁獲量はここ50年で数十分の一にまで減少しており、原因としては、二点が挙げられています。
一つは、地球温暖化の影響により、ウナギの産卵地帯である太平洋上の塩分フロントの移動が発生し、ウナギが日本に到達しない死滅回遊が発生している事です。
そしてもう一点としては黒潮に乗って日本にたどり着いたウナギが成長する河川の環境の変化による物であり、今回はこちらに絞って意見を提示させていただきたいと思います。
さて、ウナギが日本の河川を遡上するにあたってはじめの障害になるのは、堰などの激しい段差です。
近年の堰は魚道が設けられていますが、ほとんどが遊泳力に優れたアユなどに対応したものであり、ウナギの遡上が不可能な物となっており、別途専用の魚道「イールラダー」の設置が必要と言われています。
また、護岸工事が進んだ環境も、ウナギの餌となる甲殻類・小型魚類などの生息に向かず、護岸の周辺にアシなどの植物を生やしたより自然な環境に近い自然堤防へのシフトが求められています。
宮崎ー都城市内を流れる県を代表する河川である大淀川を見てみると、内陸部でもコンクリートの護岸が行き届き、またコンクリートの堰によって大きな護岸が設けられています。
一度県内の河川の環境を見直し、よりウナギの生息に適したイールラダーの設置や、自然堤防へのシフトなどを行っていただくことは出来ませんでしょうか。
《以上》
今回はNHKの科学番組を一本観て作ったほぼコピペみたいな内容です。
県内におけるウナギ産業の規模やら、全国的に見て宮崎で漁獲したウナギのパーセンテージなどプライドをくすぐるポイントも書いていないのですが、労力は全くかけていません。