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はてなキーワード: 恋しくてとは

2019-05-15

人肌恋しくてデリヘル呼んだ

入室するなり仕事感丸出しで気の効いたセールストークもなく、正直最初から萎えていたところはあったのだが、見た目も技術も決して悪かったわけではないにもかかわらず最終的に勃たずイケずで、嬢のプライドを傷つけてしまったようで非常に後味が悪い。

自分自身勃起不全(というより何らかの病的なもの)なのかと気落ちしている。

2019-05-13

晴れて無能の仲間入り

最近知ったのだが、「良い人間」というのは、他人誕生日は覚えているが年齢は覚えてない人間のことを言うらしい。

その理論で行くと、年齢だけ覚えてる俺は一体どうなるんだろうか?

人生で初めて留年というものをした。大学じゃない。高校2年でだ。

今は休学届を出して半ニート生活をしている。

経緯は色々あるが、ざっくり話すと

小学生不登校youtuberよろしく学校行きたくねぇななんて思ってたらあっと言う間に出席不足」

といったところだろうか。

最初は週1回程度の休みだった。

自分でもどうして学校行きたくないのか分からない。が、学校に行くと尋常ではないほど疲れる。

そんな感じだっただろうか。

このまま3年まで持つかな~と気楽に構えていたが、1ヶ月もかからない内にそれが2日になって、3日になった。

学校に行って、翌日は死んだように眠る。14時間とか。そして動悸を頭痛を抑えながら学校に行って、また休む。

で、気が付けばエブリイサンデイ状態

1ヶ月くらいは死んだように過ごしていただろうか。

色々なことを考えた。学校に行くメリットに、言い訳、んで今後。

それで結局、毎日学校行った方が良い」という結論に行きついてネットを見る。勿論学校に行くとまた精神科のお世話になるから行かないが。

これは不登校しかからない感覚だと思うが、「学校に行きたい」というよりかは「「学校に行く」をしたい」という感情がふつふつと湧き上がってくる。

翻訳すると、「そこに存在するだけで価値があると見なされる状態になりたい」といったところだろうか。

学校に行くと、それだけで「何もしていない」という虚無感から逃れることができる。

学校に行っていた頃は考えもしなかったが、今考えるとこれが学校の一番大きな役割なんじゃないかと思う。

まぁ、そこまで分かっていても、学校には行けない。日に日に増す虚無感に苛まれる一方で、この心の平穏恋しくてまらない。

学校に行っていた頃の死んだような生活よりかは、今はよっぽど手に命を掴んでいる感触がする。

感情的だと笑い飛ばしてもらって構わない。理性で動けたらそもそも学校なんて休んでないからな。

周囲からも、「良い子だったのに、どうして?」と言われる。

勉強はしていなかったが、成績はそこそこ良かった。

その言葉を聞くたびに、自分でもどうしてだろうなと不思議に思う。

大人しく学校に行ってればもっと可能性は広がっただろうに。

そして同時に、「これからどうするの? 大学行くの?」とも聞かれる。

その質問に、素直に「はい」と答えられないのが辛い。

大学に入った所でまた同じ様に引きこもりになったらと考えると、勉強する手も自然と止まってしまう。

結局、何がダメだったのだろうか。今もその答えは分からない。

何をするべきなんだろうか。理系だしAtCoderでも始めてみるのが良いんだろうか?

いや、普通に勉強しろよ。

そんなことを書いていたら、もう空が夜に濁っている。

昼に食ったファミマスティックパンがまだ腹の中で煩い

動いていないから腹が空かない、その事実がどうしようもなく苦しい。

どうやら俺はこのまま無能として腐っていくみたいだ。

ここまで書いて気付いたことがある。

「良い人間」ってのは年齢を覚えていない訳じゃない。年齢を把握した上でそれより低く言う人間のことだ。

これを覚えれば俺も少しはランクアップできるだろうか。

2019-04-18

男性アイドル万感録 (心情変化の過程とその考察)

かつての私は、黄色い声援と共に男性アイドルに目を輝かせていた同級生が嫌いだった。

見た目もたいしてカッコよくもない(と思っていた)し、当時聴いていたマイケル・ジャクソンクイーンをはじめとした洋楽のように、私にワクワクを与えないと思っていた。当時の記憶から類推するに、彼らの容姿や歌が嫌悪とともに目に映っていたのは、"色恋を絡めた男性性をアイドルに求めるファン"というフィルターがあったからだったように思う。

要するに「男性アイドル恋愛性を持った夢を抱くファンが大多数を占めるコンテンツキモっ」ということである

そんな私が、ファン気持ち悪いという理由から嫌煙していた男性アイドルというコンテンツに目覚めたのは、ごくごく最近のことである

(気持ち悪さについての考察は後日書ければと思う)

きっかけはYouTubeであった。

YouTubeプロモーションの一環として、某大手事務所デビュー前のグループが豪華なPVを引っさげて鮮烈に登場したのである。煌びやかで美しい楽曲PVプロモーションCM中に見せる溌剌とした笑顔とは対照的な凛としたパフォーマンスデビュー前にも関わらず華のあるそのグループに興味を持ってから、その"沼"に沈むまで、さほど時間はかからなかったように思う。

2018年3月からYouTubeチャンネルを開設し、ネットでの活動を解禁した5つのグループはそれぞれに素晴らしさも放つ輝きも異なり、企画の多くは彼らアイドルを身近なキャラクターとして認識させ、その一喜一憂に私は心踊らせた。どのグループ個性的面白く、日々更新される動画は心の癒しとなっていった。

その中でも、一際私の心を掴んで離さなかったのは5つのグループの中で最も平均年齢の高い、所謂お兄さんグループであった。

落ち着いたビジュアルながら、歌、ダンスアクロバット舞台と様々なジャンルで高いレベルを維持し、キレのあるパフォーマンスは数多の先輩からも高い評価を得ているという職人のような6人グループキャラも濃く、個人でも多方面活躍し、YouTube企画内でもほぼ全員がMCなどをそつなくこなす安定感ある彼ら。すぐさま過去動画を含め、すべての動画を視聴した。

すべてのパフォーマンスは、5グループの中で最も長い結成期間が培った強い絆と固い結束に基づいた"6人だからこそ"の唯一無二の輝きがあった。

6人で掴み取る夢のデビューはもちろんの事ながら、メディア露出ライブ舞台など、彼らの活躍に期待し、また、気付けば様々な形で応援をしていた矢先。

2019年1月17日のことである

突然の増員が発表されたのである

"6人だからこそ"の夢は一瞬にして崩れ去ったように思えた。増員発表以降、気持ちの整理がつけられず、YouTubeを見るのをやめた。Twitterニュースサイトなどで集めていた最新情報も見なくなった。本人達からの、本心でのコメントが欲しくて、渇きで死んでしまうのではないかと思うほど、心が枯渇した。増員メンバーは3名おり、みな年下で、最年少は15歳という事も、私が胸ときめかせた"6人だからこそ"のパフォーマンスに影響するのでは...と不安になった。何日経っても「彼らの気持ちは?」「彼らが望んだのか?」「あの6人の作り上げる世界はもう見れないの?」「強みであったアクロバットクオリティはどうなるの?」「なんで?なんでなの?」といった焦りに似た混乱がこびりついて離れなかった。

それほどまでに、"6人"が作り出す世界は私を魅了していた。

単独ライブ映画舞台情報も増員とともに解禁され、日に日に露出が増える彼らが恋しくて堪らないけれど、急激な変化に心がついていけない日々が続いた。

幾つかある彼らのオリジナル曲の中でも、特に好きな曲があった。以前に行われた単独ライブパフォーマンス映像で心惹かれた楽曲であった。迫力あるアクロバット、キレと安定感のあるダンス男前歌声振り付けに込められた7人目の意味...魅力をあげればキリがないパフォーマンスの素晴らしさ。何度見ても飽きない彼らのイキイキとした姿がフラッシュバックし始めるようになった。

そして、彼らの輝きを拝めない日々に、ついに私は根を上げた。この飢えは辛すぎる。6人が頑張ってきた積み重ねの先にある今を見逃し続けることは出来なかった。

9人体制になってからの未視聴動画や購入したものの読めていなかった雑誌ファンクラブ限定ブログ地上波出演の録画映像を貪るように摂取した。新しく加わった3人の過去活躍や魅力も調べ、出来うる限りの手段で"9人になった彼ら"を受け止めようとした。

この時になって、『6人だった時点で彼らは完成していた』と思い込んでいた事に気がついた。長い下積みを経験し、後輩のデビューを幾度となく見送ってきた6人は、高いスキルとパワー、その愚直なまでの努力で彼らの世界を完成させたのだと信じていた。完成したパッケージで、満を持して世に出るものだと信じて止まなかった。増員メンバーはその世界を壊す存在で、元々いた6人は今まで作り上げてきた世界を壊されてしまったのだと思っていた。

結論から言うと、そんなことは全くなかった。

増員メンバー3人は強い個性と6人が持っていなかった輝きを持っていた。あるメンバーメリハリあるトーク、圧倒的な親しみやすさ、メンバーみんなに対する熱烈な愛情を感じる言動グループの見せ場を増大させていた。また別のメンバーモデル経験豊富スマート高身長イケメンながら、可愛げのある天然炸裂のキャラクタークールに見えて笑いも作り、今までのグループには無い独特の雰囲気を醸し出している。弱冠15歳の最年少メンバー子供っぽい溌剌さがあり、落ち着いた雰囲気だったグループに新たな風邪を吹き込んだ。年上のお兄ちゃんに寵愛される息子のようなキャラながら、グループレベルを僕のために下げさせないとまで言っていた。

そして、私自身が何より驚いたのは、増員によって元々いた6人がより魅力的に映るようになったことだった。

底抜けに明るい彼は濃いキャラクターを引っさげた切り込み隊長としてパワーアップし、知的な彼は年下が増えたことで賢いお兄さんポジション確立し、顔が良いリードボーカルの彼は人数が増えたことで美しい歌声がより目立ち魅力的に見えるようになり、ロイヤルな彼はメンバートークスキルが拡充されたことでセクシーボイスで繰り出すお茶目な一面をより見せるようになり、一見すると無骨エースの彼はグループレベル指標となる存在として圧倒的な存在感を見せるようになり、元々の可愛らしい性格とのギャップを強く引き立たせ、3枚目キャラで最年長の彼はMCなどのまとめ役での優しさ溢れる進行が目立つようになり、時折見せる恥ずかしさを微塵も感じさせずにやり切る突き抜けたリアクションも他の追随を許していない。

こんなに魅力に溢れた6人だったのか、と増員後に気付かされたのであった。

9人体制では初めての単独ライブや、その後のアイドル番組で行ったパフォーマンスも勿論チェックした。語彙が吹き飛ぶほど心が震えた。とにかく最高だった。"あんなに好きだった6人"を軽く飛び越えて"9人だからこそ"の世界が色鮮やかに広がった。元々いた6人をもっともっと好きになった。増員メンバー3人も大好きになった。こんな化学反応が起きるとは想像もできなかった。

この時になってやっと、増員発表後の『凄まじい不安感』について思い返すことが出来た。

あの不安感は、『大切な思い出を無かったことにされてしまうんじゃないか』という気持ちだったように思う。それは、増員によって"変わってしまった存在"が今までと同じグループ名を冠して、これまで6人が築き上げてきた歴史を上塗りしてしまうのではないか、これまでの6人の努力をなかったことにしないで!という気持ちからくる不安や悲しみだった。

だが、事実想像と大きく異なり、6人の歴史努力尊重された上で、「9人で乗り越えてみろ、君たちならできるだろう?」と言わんばかりの高いハードルが用意された"だけ"であった。過去からの延長線上の現在に用意されたそのハードルは、今まで数多くの高いハードルや立ち塞がる障害を乗り越えてきた6人と新たに加わったパワフルな3人に対する絶大な期待の表れであり、『立ち止まるな』という激励なのだろうと思った。

そして、私の抱いていた『綺麗な思い出のまま壊れないで存在し続けて欲しい』という思いは、大好きな6人に立ち止まることを求め、進化や飛躍を拒絶し、彼らの成長を信用してない姿勢だったのだと気付かされた。

増員発表から3ヶ月が過ぎた。

高いハードルに臆すること無く、凄まじいスピードで走り続けている彼らからは、想像もできない世界の広がりを日々与えられている。

今はまだ荒削りのチームワークやパフォーマンスは、見る度にその精度を高めている。

結成8年目を迎えようとしているグループが、新鮮な感動を生み出し続けている。

彼らはこんなに強かったのか、と都度驚かされる。

未来活躍に期待は膨らむ。もっと色とりどりの世界を彼らなら見せてくれるはずだと、心から信じられる。

彼らに出会えて、本当によかった。

ありがとうSnowMan

2019-03-04

気持ちに行き先がない

あと数ヶ月で渡米して一年になる

一年タイミング帰国するか残るかの選択肢がある

正直、もうこれ以上頑張ることが出来なくて、帰ろうっていう気持ちがある

表面上はうまく振る舞えているかもしれないが、心の奥深く底では、もうこの地にいるのがしんどくて、日本恋しくて日本で働くことが恋しい

土日に、時間が出来る度に、ふと帰るという選択肢を考える

思い返すと、最後最後まで自分が渡米したいのかどうか迷っていたんだと思う

VISA面接の前日、無意識に半分わざと寝不足になるような一夜を過ごして、

面接時は面接官が何言ってるか全然からなくて、半分蕩けた頭で返事をしていた

正直、なんとでもなれって気持ち面接を受けていた

approvedって言われた瞬間に、approveされた安堵の気持ちと、

なんで俺はVISA面接を受けたんだろうって気持ちがあった

面接の後、その足で会社に向かう途中でよくわからなくなって半泣きだった

この会社は僕に渡米してほしいということを望んでいて、それは察知して

僕もその時はなんとなくチャレンジしたいなって思って「はい」って答えてた

面接日が近づくにつれ、正直半分後悔し始めていた

あと、渡米してからその時から色々状況は変わってて、正直それがしんどいと思う部分も多い

一方でもうここで少し頑張りたいって気持ちもある

渡米したい日本ソフトウェアエンジニアは山ほどいることを感覚的に知っている

その中で、運良く自分はそのチャンスを手に入れることが出来て、他の人達から見たら、今めちゃくちゃ幸せ環境で働いているんだと思う

ここであと数年踏ん張って頑張れば、自分市場価値はめちゃくちゃ高まるだろうし

自分にとってもその後、仮に日本に帰ったとしても、更に難しい、自分問題解決欲求を満たす問題チャレンジできるんじゃないだろうかと思う

でも、キャリア大事だけど、自分生活が一番大事なんじゃないかなとも思う

自分精神的な安定があって、その上に身体的な健康があって、その上にキャリアとかお金とかそういうのがあっていいと思う

キャリアを優先した結果、身体や心が壊れてしまったら元も子もないとは思う

僕は良くも悪くも、自分勝手な部分/自分がやりたいことと、逆に誰か/会社の望むことをちゃんとやるということのバランスがまだ上手く取れていない部分があって

しまだ考え方が子供の部分があると思う

会社って組織なので、組織の一部として組織全体がうまく回るように個を殺して動かなければならない部分があるのはわかってる

一方で、俺は俺の人生死ぬまでちゃんと楽しみたいんだから、俺がやりたいことは全部やりたいし、やりたくないことは極力避けたいんだ、という感情もある

誕生日占いではよく「芸術家タイプ」という診断になっていた

昔、インターネットとあるものを作ってたのもあって、「一人で」なにかの作品を作って色んな人に見てもらうのは嬉しかった

自分に陶酔して自分ベスト作品を作り、それが評価されるから尚更嬉しかった

そもそも組織人間としてコードを書き続けることはあんまり向いてないのかもしれないともこれを思い出す度に思う

タイトルにも書いたが、この気持ちに行き先がない

この気持ちは贅沢な悩みでもある、それはわかってる

文章書き終わって読み直すと、やっぱこいつ精神まだ子供だ

お前が渡米を選んだんなら責任を取るのはお前しかいないよ

最後に決めるのは俺だけど色んな意見が聞きたくて投稿しま

もう帰れって誰かに言われたいのかもしれないし、会社人達を裏切ってしまう気がして自分で決めれないんだとも思う

2019-02-15

人付き合いが苦手なのに人付き合いがしたい

この感じわかる?

自分でも一人でいるときの方が精神的に楽なのはわかってるんだけど、

やっぱり人肌が恋しくてしょうがない。

どうすればいいんだ…

2019-01-27

あじまん食べたい

山形から離れたらあじまんがどこにもなくて(山形限定ではないと思うけど)、挙句の果てに「大判焼きだよ」とか言われて、分かってたけどあじまんが恋しくて仕方ない。

ヤマザワとかスーパーの前にいる販売カーみたいなところに行きたい。「あんこカスタードと○○○(限定の味)を1つずつください」って言いたい。私が一番好きなのは餡子だけど、いつだったか抹茶味のあじまんがあって、それがめちゃくちゃ美味しかったのを覚えてる。あれ復活しないかな。

実は1度帰省した時にあじまん売り場で餡子だけ買ってみたんだけど、いや違うんだよね。あの生地までを含めてあじまんだからさ、餡子だけじゃ物足りなかったなあ。

あじまん食べに地元に帰りたい。

2019-01-02

anond:20190102133450

A:人の気持ちに寄り添うことは原因と結果と改善について述べるよりも正しい派
B:原因と結果から状況を改善して辛い気持ちを無くそう派
C:状況によりAとBを調整しとけ派

A、B、C に性別なんかあらへんぞ

そもそも傾聴本とか出してるの男が多くない?

あと、人触れ合いたくて触れ合いたくて仕方ない人間大好きっ子で、人間恋しくてまらないっ子は、

傾聴ボランティアでもやったらどうかと思う

2018-12-23

親と話すとパニック発作が起きますが、実家に帰らされることになりました。

 タイトルが全てです。

 今の私には上手い対処法が思い浮かばないので、

おとなしく従おうと思います

以下はただの感情を宥めるための吐き出しです。

疲れて頭が回らないので推敲などはしていません。

再読すらしていない書きっぱなしなので読みづらいです。

わざわざ読んで時間無駄にすることはありません。

キチガイ勘違い被害妄想がたくさん含まれているので真に受けないでください。

1.経過

 幼少期から両親に苦手意識があり、情緒不安定子供でした。

理由不明です。

強いて言うなら、母は精神疾患持ちでヒステリックであり、

父は素面とき過保護なだけの良い父親でしたが、酒を飲むと意味もなく独り言暴言を吐き、大きな音を立てて扉を閉めるような人でした。

また、私は発達障害者なので、私のコミュニケーション能力などに原因があったのかもしれません。

(※発達障害の診断自体は成人後に受けました。

 (ADHDASD協調性運動障害

 しかし、小学生の頃には担任発達障害を疑われていたので、当時から難有りの子供だったのだと思います

変わったところはある家庭ですが、毒親とか虐待とかまではいかない微妙ラインだと自己認識しています

(※母に、子供日本語が通じなくて怖いから幼少期はネグレクトしていたと近年告白されましたが、単にほったらかして一人で遊ばせていた程度のことだと捉えています

 そもそもそれを私に告白してどうしたいのでしょうか。

 私の世話は父が主にしていたようなうっすらとした記憶はあります

 n年前、就職と同時に上京し、一人暮らしを始めました。

(※家族親戚一同から地元就職を暗に望まれていましたが、運良く東京配属に滑り込めました。)

就職直後は実家から解放された喜びもあり、調子が良かったのですが(躁転なので本当は良くない)、

生来不安性や情緒不安定さ、発達障害などのためか、次第に生活業務に困難を抱えるようになりました。

発達障害者社会適応、正直無理ゲーじゃない?)

一時期、プレッシャーの大きく、長時間労働を伴う業務に付いたこともあり、

それがとどめとなってか、

結果として最終的には重度の鬱状態に陥りました。

 診断は双極性障害の2型です。

現在の症状は典型的鬱状態のため、詳細な説明は省きます

なお、躁鬱の自覚症状自体はは高校生の頃にはあり、

ちょうど入社直後に大きく躁転したことを切欠に、

上手くコントロールできなくなりました。

 復職と失敗を繰り返した結果、

現在会社の方から1年以上の長期の休職命令がおりたところです。

 休職となると私が東京に留まる理由もなく、

しろ経済的に厳しくなるため、

帰省余儀なくされているところです。

(父がそういうふうに展開を誘導したことは否めません)

2.実家の現状

 現在実家の状況は、あまり芳しくありません。

 私が上京する少し前に、母は精神疾患により長期の入院となりました。

なお、この時に初めて私は母が学生時代から精神を患っており、独身時代入院歴もあったことを知りました。

それまではずっと、母に癇癪を起こさせるのは私がキチガイからなのだと信じていました。

母はその後入退院を繰り返し、今は入院中です。

(※母の疾患に関する詳細は省きます

 父は、平時は非常に優秀且つ良き父親でしたが、先述した様に、些か酒癖が悪いです。

般若面のような顔をして暴言を吐く父と二人で食事をするのは、正直少ししんどかったです。

また、無自覚ながらも高圧的なところが有りました。

彼の過保護さは抑圧と表裏一体でした。

部活で帰りが遅くなったからって、酔った父から数分間暴力を受けたこともありましたが、いつ思い出してもちょっとよく意味が分かりません)

そもそも何故か私は部活自体が禁じられていましたが、流れとゴリ押しで入部しました。部活動はとても楽しかったです)

 我が家では、父>母>私という明確なヒエラルキーがありました。

(遅くなりましたが、私は一人っ子です)

ただし、ストレスの発散方向は、

父→母→私で固定されていたので、

直接父からストレスの発散としての不機嫌さを向けられたことは少ないです。

もっとも、父の不機嫌さを受けることにより母のヒステリー悪化したため、

そのヒステリーを受ける私の精神ダメージは結局増大するのですが。

 また、父はもともと精神疾患者を迷惑がり、下に見ているところがありました。

休職中の同僚に対する悪態を聞いたことがあります

(なんで母と結婚したんだ?)

父は入退院を繰り返す母にあからさまにうんざりしており、

私が帰省したとき、父は明らかに母に精神DVを振るっていました。

正直ドン引きしましたが、当時の私にはそれを真剣諌める元気はなく、

少し口出しはしましたが、ほぼ見て見ぬフリをしました。

そもそも、あの人たちと真面目に会話しようとすると、平静を保っていられなくて怖くて、迂闊に行動できませんでした。

 この頃にはもう、彼らの顔を見たり声を聞くだけでつらく、真顔を取り繕うのも厳しかったです)

現在も母の病状は芳しくなく、父の酒癖やDVもそのままだと思います

 余談ですが、入社直後に大きく躁転したのは、

入社直前に起きた母の入院に伴う様々なトラブルに起因する、過去最悪の鬱転の反動です。

あの三ヶ月間の私は、道を歩いているだけで唐突に泣き出すような奇人でした。

(発生していたトラブルの詳細は省きます。思い出したくない)

3.懸念事項

 下記は、私が戻らなければならないことを前提として記します。

もっとも、父がそういうあらすじを書いた以上、ヒエラルキー下位の私は逆らえないのですが。

 まず、精神疾患者を下に見ており、なおかつ精神疾患者にうんざりしている父の元に精神疾患者の私が戻ることで、

父の不機嫌さがさら悪化する恐れがあります

父は私には甘いのですが、それでもいずれ我慢限界は来るでしょう。

 次に、母の入院によって、父のストレスの発散先が私になる可能性があります

正直この数年の母の精神疾患は、母のストレスの発散先である私の不在に加え、父からDVによって悪化しているのではないかと私は考えております

しかし、私が実家に戻ることで、おそらく日常の細やかなストレス解消は私の役割となるでしょう。

一々病院に行くより近いですから

ただでさえ日常生活も厳しいような状態の私が、父のストレス発散対象に選ばれることでどうなるのか、考えたくもありません。

療養は諦めて、修行と思って己を鍛えて克服するしかないでしょう。

再び家を出るにはなんとしてでも私の精神疾患を治さなくてはいけないため、

無理してでも治ってしまったら雨降って地固まるですね。

 3つ目に、母と日常的に接触しなければならないことが挙げられます

私は主に母のストレス解消の役割を担っていたため、父よりも母と接触するほうが情緒不安定になりやすいです。

また、私は自分を母と似たような人間であると考えているため、母を見ていると私を見ているようで非常におぞましい気持ちになり、自己嫌悪で居た堪れなくなります

父と会う場合にはその場はとりあえず我慢して、その後自室やトイレなどに籠もってから涙を流して受け流しますが、

母と会う場合にはそこまでの我慢もできず、その場で発作を起こしてしまうこともありました。

(なんで理由もないのに涙が止まらなくなるんでしょうか。正直、止めたくても止まってくれなくて非常に不便です)

 あとなんか他にも色々あった気がするけど忘れました。

雑多なところで言えば

・今の主治医とかかりつけ薬局を信頼しているため、転院に不安がある

地元気候身体に合わない。

地元友達が(東京より)少ない

そもそも東京のほうが圧倒的に住みやす

などがあります

全体的に、今の私には言う権利もないような我儘ばかりですね。

外出も覚束ない状態ではあまり関係のない話でした。

ここまで書き殴ったら少し気分が晴れました。

問題は何も解決していません。

 先程、父と2時間くらい会話した結果、

5時間くらい泣いたり過呼吸したりを繰り返して収集がつかなかったので、

文章に吐き出せて良かったです。

そもそも書き殴りなので文章の体を成していない)

肉体は疲れ果てました。

 パニック発作がここまで悪化してるとは思わなかったので、今までこの症状に関して主治医相談したことはありません。

流石にこの状態では色々と怖いので、主治医頓服精神安定剤など服用できないか聞いてみたいと思います

主治医には実家に帰ること自体、避けたほうが懸命だと言われましたが……。

お金がないのは仕方がない。

治療する気があるのかって叱られても文句は言えない。

 カウンセリングとかで解決しないかな、と思って提案してみましたが、

カウンセリングできる病状ではない

・傷を掘り起こすことで悪化する

のでやんわりと断られました。詰んでる。

 実は以前に2回、父との通話中に我慢できずに泣いたことがありますが、

父は、私が父を恋しくて泣いてると勘違いしてくれたので丸く納まりました。

私は父が怖いです。

 しばらく前に、母の蔵書の目立つところに

『「子供を殺してください」 という親たち』

が置かれていましたが、これが母によるなにかの意思表示、嫌味でないことを願うばかりです。

 余談ですが、この話の最大の被害者は父です。

本人が身体障害手帳持ち)というハンデを背負っている上に、

妻は精神障害者(手帳持ち)、

娘もどうなるか分からないと言うこの状況は流石に申し訳ないです。

私の将来の夢は、

私が責任を持って両親の介護をして、

解放されたあとはできる限り人に迷惑をかけないように一人で老い死ぬことでしたが、

それも果たせそうにありません。

(ここで書かなくても良い父の身体のことを書くのは、

本人に気づかれない程度のちょっとした嫌がらせです)

 最後に。

上京してから色々なことがありましたが、

基本的地元にいた頃よりもずっと良い事ばかりでした。

初めて生活が少し楽しくなりました。

初めて泣かない日ができました。

挨拶をしてもしなくてもランダム罵倒されることがないのは、とても快適でした。

残業帰りに近所のコンビニで買って歩きながら齧ったカロリーメイトも、美味しかったです。

東京趣味に関するショップイベントコミュニティ豊富だし、

社会に馴染めない変わり者にも寛容なコミュニティが多く、居心地が良かったです。

私の様子を見ておすすめ心療内科をこっそり教えてくれるような友人、地元で巡り合うのは難しかったでしょう。

もしも今地元で、あるいは実家で息苦しい人がいて、万が一この部分だけでも読むことがあったら、

家を出る、都会に出るという選択肢があることに気づいてほしいです。

手遅れになってからでは遅いので、一刻も早く決断してください。

都会、楽しいです。

実家の外は、安心できます

 主旨も何もないメチャクチャ駄文を吐いてしまって申し訳ありません。

以上、乱文失礼いたしました。

(これで文章を締める癖が抜けないちょっと昔のオタク

追記(1223-1910)

はてなに長文を書くのは初めてなので常連ではないです。

誤解を産んでしまったならごめんなさい。

証明する方法がないのですが、黙っておくのも申し訳ないので、一応宣言だけしておきます

強いて言うなら、私はAセクかつ性嫌悪なので、

彼氏旦那がどうこうと言う文章をかけるような想像力はありません。

というか想像すると気持ち悪くて無理。

なお、生活保護の方向も検討しましたが、父をどう言いくるめるか考えて諦めました。

アドバイスいただきありがとうございます

2018-12-06

31歳、童貞ですがまずは同性の友達が欲しい

31歳、童貞です。

表題の通り恋人友達もいません。

大学は引きこもってたし

会社プライベートなことは誰も話さな雰囲気だし(前の2社もそうだった)

飲み会ランチも気を使うだけでしかなくて辛いし

スポーツジムサークルに行っても話すことなくて淡々とすることしかできないし(迷惑だろうし)

趣味宝くじで3億当たった時に何をするかの妄想だし

犬猫アレルギーがあるから存在を感じ取るだけで条件反射で鼻がむずむずしてくるし

でも毎晩人恋しくて泣きそうになってる。辛い。頼ったり頼られたりしたい

2018-10-05

anond:20181005205820

顔バレ声バレは覚悟するしかない

ただちゃん防衛策を取れば時間は稼げるだろうから、先に内面を見てもらえるチャンスではある

恋しくてそんな事やるくらいなら共通趣味友達作ったほうが良いと思うけど

2018-06-15

夜行列車にのって

まだ私がうんと若かった頃、上野駅14番ホーム恋しくて仕方がなかったのです。年末年始の間に帰省していた彼が帰ってくるのを待ち遠しく思って、ずっとホームの前で掌に白い息を吹きかけながら待っていたくらいに。当時は夜行列車がよく走っていたもので、東北から彼を乗せてやってくる夜行列車をいつもより早起きして待っていました。夜行列車が出発していく夜はとても寂しいのに、やってくる朝はどうしてこんなにも眩しいのでしょうか。もう目はあまり冴えてはいませんが、その時の朝日のことは未だに鮮明に覚えています

毎年1月4日に彼は上野駅14番ホームに降りてくる。それを今か今かと待つ私。そんなことを数回繰り返したのち、いつしか私は彼と夜行列車に乗るようになりました。がたんごとん、と列車が大きな音をたてる度に「あぁ、彼はこの音を聞きながら一人で夜行列車にのっていたのかしら」と思って、寝そべった彼の横顔を眺めていました。それも数回繰り返したのちに、今度は三人で夜行列車に乗るようになりました。彼とよく似た瞳をしたやんちゃ坊主が静かに寝てくれないものですから、何度も周りのお客さんに謝ったのも今ではいい思い出かもしれません。

それから長い長い時間が経った後、彼も、夜行列車もいなくなってしまいました。そして今では当時のやんちゃ坊主が私を飛行機に乗せてそこへ連れていってくれます。がたんごとん、はもう聞けないのだけれど彼が眠っている場所に近づけば私の胸もがたんごとん、と少し変な音で高鳴ってゆく。もう私もこの胸の鼓動がいつまで続くのか分からない歳になってしまいましたが、どうか彼のもとへは夜行列車で行きたいと夢見ています

2018-06-14

[]6月14日

○朝食:なし

○昼食:小倉マーガリンたまごパンコーンパン

○夕食:カツ丼

○間食:トマト

調子

むきゅー!

仕事はそれなりにこなしつつ、適当に。

例によってゲームモチベーションは低いので、東方遊戯を見てた。

なんか色々ここ最近、人恋しくて、あまりゲームを黙々とする気分じゃない。

ちょっと他人とも絡みたい気分だ。

増田でこういうことやると怒られるんだけど、なにか交流企画的なことをやろうかしら。

最近やってるゲームを一緒にプレイするとかかなあ。

グラブルマルチとか、コマスターの対戦とか。

何か興味のあることや、オススメかなにかがあったら教えてくれると嬉しいな。

今のこの人恋しさだと、ハードごと買うのはすぐには無理だけど、持ってるハードソフトを買うぐらいならしちゃいそう。

(お給金もうすぐだし)


スイッチ

ポケモンクエスト

7、8、9面を攻略中。

ポリゴンが強いんだけど、ビンゴボーナスノーマル技のパンプで、持ってる技がシャドーボールだったのでひらめきを繰り返した。

ところが、まったくノーマル技が出ず、手持ちが尽きた。

しかもその尽きたタイミングの技が、かえんほうしゃ

このゲームかえんほうしゃ、射程が短過ぎて使いものにならん……

うーむ、ただでさえも低いモチベーションが、一気に落ちた。

2018-05-28

anond:20180528070330

保育士になる人は、子供が好きだから保育士になってるのに

実際になると子供は誰よりも親を必要としていて保育士はどう頑張っても親の代替にはなれない&

保育園子供を預ける親は元増田みたいな「子供邪魔からこっちが休みの日も預かれ」と思ってる人が多くて

子供が園で親が恋しくて泣いていても親は「子供預かって貰えて楽だわー」としか思ってない、

と言う現実絶望して辞めていく、というね。

子供が嫌いな人であれば子供が泣いてようが心を痛める事もないんだろうが、そういう人はそもそも保育士にならないという矛盾

2018-04-21

ビビン丼

松屋に行く勇気がない。

前にお腹が空きすぎて限界の時、近くに松屋しかなくて寄ったことがある。

それが私にとって最後松屋だった。

1人でラーメン屋には行けるけど、何故か1人で松屋には行けない。

何故か松屋サラリーマン神聖場所って感じがして、入るのに勇気がいるのだ。(もちろんそんなことはなくて、気にしすぎってわかってるんだけど、どうしてもこの気持ちが拭えない)

っていうか、そもそも普段行かないし行けないから、本当の客層はわからない。

でも今日奇跡的に松屋に入る勇気が出る日だった。

あのビビン丼が恋しくて仕方がない。

はいえ足早に店を去りたいので、スムーズに頼めるよう、あらかじめサイトメニューを見ておく。

…………ビビン丼が、ない。

なかった。1月限定復活してたみたいだけど。復活って言われるくらいなんだから結構前に終わったのかな。

ビビン丼、もう食べられないんだ。

変な恥ずかしさなんて捨てればよかった。もう一生食べられないの?あんなおいしいのに。

ビビン丼、消えちゃ嫌だよ。戻ってきてよ。

2018-03-28

大阪に行くアクメさんに捧げる歌

ドリームズウェットイグウで「大阪アクメーズ」

赤玉に間に合ったよ直腸ちょい前でそっちがイクよ

ティルド短すぎたかな? 私が剃ってやるけど

貞操帯まで備えてくれた、あなたをみたら

いつも張ってるタマタマ今日も鍵は開けたくない

たっぷり、たまったの、チンチンの先、久々みたいなあ

明日さ、タマだけは(潰して)いいじゃん

そやなってイクのイカないの

何度鍵を閉めたって射精管理は上手にならへんし

イキたそうにしてたって私以外に許可は出せへんのよ

近そうでまだ遠いピュッピュッピュッピュッ

イキたいこと言えなくて、勃ってしまうのも良くないよね

毎週はイケないから、折檻だけは避けたいし

使い慣れた穴がいつもより凄く感じるこの性技

前立腺はこんな日も一擦りでしかイケない

腸を突く前に何か飲むものご馳走しようか?

聖水出そうとしてるんじゃん

そやなあ、っているの? いらないの!?

何度穴をこすったて

イカしてください! とは言わないし

イキたそうにしてたって、そこが内心めっちゃ楽しいんよ

近そうでまだ遠いピュッピュッピュッピュッ

アクメはもうしてるって

ピュッピュッピュッピュッの女王と呼ばれたいんよ

家族の前でえ、だって

あなたをその前でイカせたいんよ

デップのチンコだって

あなたのについてるショボチンにはかなわへんよ

なんでそんなに(ウレション)流して

一生に一度の告白やんか

恋しくて憎らしいピュッピュッピュッピュッ

何度穴をこすったて

穴でイカすのは、あなただけやもん

楽しそうにしてたって、それはあなたのここを掘るからやもん

どんだけ折檻したって、穴だけほんまに大切やもん

もうこっちでイカしやって言って、ああ催促してしもたやないか

近そうでまだ遠いか? ピュッピュッピュッピュッ

恋しくて憎らしいピュッピュッピュッピュッ

2018-03-02

初めて日本に来た時にできた友人が消えた

過去に戻れるなら絶対にしないことや言わないこと、誰かにもう一度会えるならその人に言いたいことや聞きたいこと、許しが貰えなくても知りたいこと。この世の中、後悔が多い。

だって、いくつもある。

2014年2月。まだ大学生の私は留学東京にいた。日本語が下手くそで、ギリギリ会話ができるレベルだった。友達ほとんどいないせいで、どこに行っても大体一人だった。あの日もそうだった。

好きなアニメは大きなイベント東京にあったので、本を買いに行った。緊張で誰にも声を掛けられなかったが、楽しい一日だった。本がたくさん買えて、それを読むのを楽しみながら、帰りの準備も始めたが、せっかくだから、もう少し歩き回ろうと思った。最後の一巡りだったから、もう何も買わないと思ったが、あるスペースでとても興味深い同人誌を見つけた。

普通なら、作者さんに声を掛けないのに、表紙の絵が素敵で、ぱらぱらと見た内容も面白そうだったので、ちょっと勇気を出してテーブルの後ろの2人の女性に話しかけた。

怖かった。人見知りだし、自分日本語ダメだったし、伝えたいことさえ知らなかった。しかし、その2人の女性はとても優しくて、私が外国からたことを知ったら様々な質問も聞いてくれた。片言の日本語で何とか会話できて、泣くほど嬉しかった。つまらない私とこんなに丁寧に話してくれるとは、信じられなかった。

名前”は「かん」と「くもこ」と教えてくれて、また話したいと言ったら、メールの連絡先も教えてくれた。LINEツイッターがないから、ここにメールを送ってくださいと。

帰ったら、一生懸命日本語メールを書いて、送った。礼儀上「いつでもメールしてね」と言ってくれたと思ったので、本当に返事が来るとは期待してなかった。でも翌日、返信が来た。

まさか、と思いながら読んで、ずっとニヤニヤして、笑いが止まらなかった。

なんと優しいメールだったことか。丁寧に書いてくれた言葉があまりにも素敵で、嬉しかった。

そのメールから、かんさんとくもこさんと話がたくさんできた。大阪に住んでいるのに、その日はわざわざ東京まで来て、イベントに参加した。実は大阪もその日、同じようなイベントがあったが、それを知らなかったせいで東京に来てしまった。しかし、それは多分運命だった。知っていたら、東京にも来なくて、私達は会わなかっただろう。

私より8歳年上の彼女達は私にとって、もう2人の姉のようだった。

2月出会いからずっとやり取りをして、私がアメリカに帰ってしま8月の前にはたくさん遊んだ旅行も一緒に行って、私も何回も大阪を訪ねることをした。

偶然会った人とこんなに大切で親しい友人になれるなんて、今まで期待したこともなくて、本当に幸せだった。

私の文句や弱音を聞いたり、落ち込んでいる時は優しく応援したり、困っている時はできる限り手伝ったりしてくれた。出会たこからずっと、そしてアメリカに帰った後でもそうだった。ずっとそのままでいられると信じていた。

お別れは切なくて、辛かった。私がいつかまた日本に戻りたいと分かったかんさんとくもこさんは「これは最後じゃないから、また日本に会える日まで頑張ってね」と言ってくれた。

うん。分かった。頑張るから、待っててください。

2014年8月上旬に、アメリカに戻った。

2016年9月

大学から卒業した1年間後。色々な事があったが、奇跡的に日本仕事ができた。今回は大学生の頃とは違って、東京ではないけれど自分の夢を叶えた。また日本に戻れた。

離れても応援しながら待っていてくれたかんさんとくもこさんとは10月にまた会えた。良かった…。2年が経っていたが、何も変わらなかった。3人で気軽に話したり、笑ったり、泣いたりできた。

短い一日だったが、また会えて幸せだった。

そしてほぼ一年前のこと。2017年3月

九州旅行に行きたいとかんさんとくもこさんに伝え、私のわがまま春休みに2泊3日で行った。でもその時は私達3人だけではなくて、くもこさんの同僚とその同僚の友人も一緒に5人で行った。私はその2人を知らなかったので、彼女達と上手くやっていけるか心配していたが、かんさんは「私とくもこさんもいるから、大丈夫ですよ!」と安心させてくれた。

大丈夫だと思った。かんさんとくもこさんがいれば、何とかなると。でもそうはならなかった。

知らない2人と性格が合わなかったし、四六時中日本しか使えなくて言いたいことも上手く伝えられなかったし、4人の会話にもほとんど参加できなかったし、ストレスが溜まった。時間が経てば経つほど、イライラしてきた。私は機嫌が明らかに悪くて、本当に子供のようにわがままだった。

楽しい旅行のはずだったのに、最後の日、私はほとんど何も話さなかった。誰にも声を掛けこなかった。私をほっといた方がいいと思ってくれたのかもしれない。かんさんとくもこさんに「大丈夫ですか?」と聞かれた時に、「大丈夫です」としか答えられなかった。あの時、嘘をつくことしかできなかった。だって、くもこさんの友人が好きじゃないなんて言えなかった…。

帰りの新幹線の中で、4人の向こう側で一人で座りながら、寝るふりをした。私の態度はひどくて、わがままで、バカみたいだって、誰よりも分かっていたのに、気持ちが切り替えられなかった。その時、その気持ちを全部解き放てばよかったのに…。

皆さんと別れた後、かんさんとくもこさんに謝りたかった。東京に戻る前に、もう一度会って、面と向かって謝りたかった。しかし、「ごめん、今週末は忙しいかちょっと難しいです。○○さんがまた大阪に来るときにご飯を食べに行こうね?」と断られて、会えなかった。

あの時は知らなかったけど、それはかんさんとくもこさんから最後の連絡だった。

春休みが終わり、仕事に戻った。罪悪感で4月下旬までかんさんとくもこさんに連絡していなかったが、その時彼女達はちょうど引っ越し中だと分かった。何もなかったふりして、気軽なメールを送ったが、返事がなかった。もしかしたら忙しいせいでメールを書く時間がないのだろうと思ったので、気にしなかった。

でもまたメールしても連絡が来くて、違和感を感じた。やっぱり。その時のことを怒っているだろう。

いても立ってもいられなくて、謝りのメールちゃんと書いて送ったが、返信がなかった。

4月は一回。5月は一回。6月は一回。7月は二回。

何回も、何回も送ってみたが無駄だった。

なぜ?それを知りたい。いつも優しくて、親切なかんさんとくもこさんはなぜいきなり消えてしまったのか?私はあの時、そんなにひどいことをしてしまったのか?何をしてしまったのか?私達の3年間の友情が壊れた罪は何だったのか?ねぇ…。一度だけでもいいから、また連絡してその理由を教えてくれませんか?

本当に大阪にかんさんとくもこさんを探しに行きたかったが、新しい住所も知らなくて、メールの連絡先しかしらなかったせいで、何もできなかった。

2017年12月新年の前。

今回こそ、最後メールを送ろうと思った。そうしたら、やっと解き放てるだろうと信じていた。送ったら、諦める。

その嘘は誰のためについたのだろう?

1月下旬、ふと思い付いた。手紙は前の住所に送っても、郵便局は新しい住所に転送してくれるはずだ。私のバカ!なんで今まで思い付かなかったの!早く思い付いたらよかったのに!

転送してくれる時期は一年間だけだからギリギリ間に合った。

一生懸命手紙を書いた。一年間の気持ちをできるだけ込めて、謝りの手紙だった。ちゃんとかんさんとくもこさんのところまで届くのか、返却されてしまうか、不安でいっぱいで手紙を送った。

一ヵ月が経ち、その手紙は戻ってこなかったが、返事もない。

結局、その手紙はどこの誰に届いたかからない。

このお話は、幸せな終わりにしたかった。

実は何かトラブルがあって、かんさんとくもこさんが私のメールを貰わなかったとか、ずっと私のことを待っていてくれたとか、そう言いたい。でも私がそれをどのように信じたくても嘘なので、言えない。

1月下旬に他に思い付いたことが一つ。かんさんとくもこさんの電話番号を知っている。しかし、それを知っても役に立てないだろう?

本当に私のことが嫌いにならば、こんなにしつこく連絡したら、迷惑だし困らせてしまう。そもそも電話を掛ける自信がない。

あぁ、もしかしてひどい事故に巻き込まられたら、それを言い訳にしてかんさんとくもこさんに連絡できるなんてひどい考えも何度もした。

私は本当に、本当に情けない。かんさんとくもこさんが恋しくて、会いたくてしかたがない。

また会いたい。ちゃんと謝りたい。許しなんて請わないから、せめて私が何をしてしまたか、教えてください。

それを知ったら、私は、多分、やっとあなた達のことを忘れられるから

2018-02-24

はじめて射精した話(男同士注意)

最近になってやっとネットになら書いてもいい気になった話なんだが。

もちろん、今まで誰にも話したことはない。

ただ先日、この話をあるSNSに先日ちらっと書いてみたら、信じられないくらいに変に興奮した。

から敢えてもう一度、さらに詳細をここに書く。


俺はそもそもホモではない・・・と思う。

性的に興奮を覚える対象基本的に女だ。

オナニーするとき普通男性向けに作られたエロ動画を見て行っている。

とくにクンニシーンが興奮する。

あと、濃厚なフェラからの口内射精のシーンもけっこう好きだ。


それはそうと、最近自分でもちょっとどうなのかという趣向に気づいたのだが、どうもニューハーフという人々に対しても、俺は興奮を覚えるようだ。

「かわいくておっぱいもあるけどちんこもある」という人の裸や性行為を見ると興奮する。

もう何度もこの手の動画オナニーしている。


おっと、前置きが長くなったな。

本題に戻そう。

俺がはじめて射精したのは男にしてもらったフェラだったという話。

俺が初めて射精・・・初めての射精精通というんだろうけど、これがあったのは中学1年生のときだ。

わりと仲がよかったデブの友人にフェラしてもらって精通した。

俺はそのころ性に目覚めてきていて、河原に落ちてるエロ本を一人でこっそり見てはチンコをギンギンにしていたものの、そのあとはどうしていいかから悶々としている毎日だった。

そんなある日、俺と友人はその友人の家で2人でゲームしたりして遊んでたんだが、ちょっとエロい気分になってしまって「なあ、チンコ立つことある?」とか「チンコ見してくんない?」とか言って、そいつチンコを見せてもらったりさわったりしていた。

そういう俺はというと、チンコを人に見せるなんてとんでもないと思っていたので、はずかしかったけれどズボンの上からチンコをさわらせては「うわwやめろってw」とか言っていた。

その友人はちょっと変わっていて、「チンコ見して」というとどこでも見せてくれる奴だった。

幼稚園から高校まで一緒だったが、それはどの時代でも同じで、いつでもどこでも誰に言われてもチンコを見せていた。

まあ、自分から公衆面前チンコさらすわけではなかったのが救いだな。

あくまで、誰かに言われたら出す。というだけだ。


で、話を戻す。

まあ、友人と2人でゲームしているときエロくなった俺は、「なあ、チンコなめたことある?」って聞いてみたんだ。

そしたら「ある」って言うんだ。

え?だれの?って聞くと、「●●」と言った。(●●は共通の知人)

そこで俺は変な興奮と嫉妬のようなものを感じて、じゃあ、俺のも舐めてくれる?って聞いてみたら、あっさり「うん」って言ったんだ。

ほんと?とか言いながら、チンコ見せるのが恥ずかしい俺はギンギンになりながらもなかなかズボンを下ろせなくて、友人に目隠ししてもらってやっとズボンからチンコが出せた。

で、チンコを友人の口元にもっていって「いいよ」と言うと、友人が舌でぺろっとしてくれた。

なんともいえない気持ちよさで、はずかしさよりも興奮の方が上回った俺は友人の目隠しをはずして、咥えてみてくれと言って咥えてもらった。

友人の口の中でチンコをころがされていると、ものの数分で射精感がこみあげてきた。

初めての射精感に俺は驚いてしまい、びっくりして射精前に口からチンコを引き抜いて、無言でチンコズボンしまった。

ほんとにびっくりしたので、その日はさっさと家に帰って、あの感じはなんだったんだろう?と一人悶々とした。


次の日。

また友人宅に遊びに行って、流れでチンコを咥えてもらうと、またすぐにあの感覚がやってきた。

その時はぎりぎりまで口の中で我慢して、なんかでるかも!という感覚ときにあわてて口から引き抜くと、どろどろとしたおなじみのあれがドクドクとチンコから出てきた。

なんかでるかも!でまた驚いた俺は、一生懸命がまんして出ないようにしていたが、どうしても出てきてしまう。

腰を思い切り引いて、チンコの頭まで皮をかぶせたので、あれが勢いよく飛んでいくことはなく、その辺にあった鼻をかんだ後のティッシュチンコの先っぽにあてて、しばらく動けずにいた。

それを見ていた友人は「うわwなんか出たw」と言って半分笑って半分引いていた。

友人はそのとき精通がまだだったそうだ。

先の●●のチンコ舐めたときは出たか?と聞くと、「出てた」と言った。


正確には、俺の精通フェラしてもらったあと、鼻かんだ後のティッシュに出したということになる。

まあどうでもいいけど。


で、その後は友人の家に遊びに行くたびにフェラしてもらうのが習慣になった。

フェラの前にキスしたり、俺が友人にフェラしたりするようになった。

俺もだんだん射精に慣れてきて、友人の口のなかに出せるようになった。

最初のうちは快感が強すぎて、射精のたびに腰が動いてしまっていたけど。

そしていつの間にか俺もオナニーを覚え、友人もオナニーを覚えて精通があったと聞いた。

前述のとおり、俺も友人にフェラをしたが、俺が下手なのか友人が男のフェラは嫌なのか、俺のフェラ射精したことはなく、それどころか勃起しないことも多かった。

友人がエロ本を見ながら俺がフェラしてやっと少し勃起するという感じだった。

あと、友人に精液を飲んでもらったことはなく、飲んでと頼んだことはあったが、さすがに無理だったようだ。

俺の射精が止まるまで咥えていてくれたけど、口から離したあとは即ティッシュに精液を吐き出してうがいしたりしていた。

まあ、そりゃそうだよな。


俺の家に誰もいないときは、俺の家で事が行われた。

そういうときはお互いに全裸になって抱き合ったりキスしたりして、フェラしてフェラしてもらって俺は射精した。

オナニーを見せたりもした。

でもあくま射精していたのは俺だけで、友人のチンコほとんど動かなかった。

俺だけ一日に2回も3回も射精した。


そんな関係高校卒業まで続いた。

なんだかんだで平均して3日に一回はフェラしてもらってたんだから性的には良い中高時代だったんだなと思う。

ただその対象が同性だったというのはどうなんだろうという気がするけれど。


俺は高校卒業してから進学するために地元を離れた。

19歳のときソープ童貞を捨てた。

20歳ときにはじめて付き合った女でほんとの童貞を捨てた。

その女とは2週間くらいでフェラしてもらう前に別れてしまった。

ときどき友人のフェラ恋しくてピンサロに足を運んだけれど、時間制限がある中でのフェラ事務的でつまらなかった。

小説的にはここで俺が友人に会いに行くんだろうけど、今に至るまで一度も友人とはあってない。

もうウン十年になる。


以上、オチがなくてすまんが、文才のない俺が語るノンフィクションなんてこんなもんだ。

ただ、前と同じように友人にフェラしてもらってた話を書いてると興奮してくる。

あと、今回の話とはまったく関係ないと思うが、友人の姉の使用済みパンツを嗅ぎながらフェラしてもらったこともある。

もちろん、そのパンツはもらって何度も一人プレイのおかずにした。

付き合った女に使用済みパンツをもらったことも一度や二度ではない。

履き古したのをもらうこともあるし、新品のパンツを一緒に買いに行って一日履いてもらって帰り際に脱ぎたてをもらったこともある。

嫌がって絶対くれない女もいたが、はずかしがってはいもののまんざらでもなさそうな女もいた。

パンツの使い方はそのときによりけりだが、基本的には嗅いで使う。

何度も使って飽きてきたら自分で履いてオナホも使って一人プレイしたりする。

あと、ブラも何度かもらったことがある。使い方はパンツと同じ。嗅いで、飽きたら装着してプレイして、さらに飽きたら捨てる。

常にパンツとブラは手元に数枚あるようにしている。

交際相手がいないときは、その手のオークションで入手する。

オークションで入手するときは、クリーニング済みのものを好む。

のものとも知れない体液は嫌だからね。

でもパンツのシミはついていないと嫌だ。

ああ、俺の性癖は面倒だ。

2018-02-16

顔を忘れないうちに

去年離婚して、ひと肌が恋しくて出会い系サイトで知り合った人とホテル行った。

さみしいけどいつまでも元夫のこと好きでいてもしょうがないし、EDでずっとセックスしてなかったし、

夫以外の人とセックスしたことなかったから、いつ死んでも後悔しないように他の人とセックスしてみたくなったっていうのが理由で。

乳首舐められながら、オナニーするの?って聞かれてはいと答えて、AV見ながら?って聞かれて、見ないですって答えて。

じゃあ何を考えながらするの?って聞かれた時に「元夫のことを」って言った途端に涙が出てきて

ごめんなさいやっぱりできないですってベッドの上で叫んだんだけど相手は聞いてくれなくて

ずっと涙が止まらなくてしかたないから目を閉じて元夫の顔を思い出しながらヤッた。

気持ちよくなってきてしてほしかたこと全部してもらった

10年ぶりぐらいのセックスはあそこが痛くて体中が筋肉痛で本当にセックスしたんだなあって実感した。

元夫のアレが元気だったころ、楽しかったなあって思いだしてまた泣いた

2018-01-26

この時期に夏を感じると物凄く死にたくなる

打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』『ウォーターボーイズ』『AIR』『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない

青い空と白い雲、蝉の鳴き声、太陽が照らす駅のホーム、道端の草花、遠く向こうに見える海、微かにそよぐ涼風、頬を伝う汗。

正反対の季節にいると、恋しくて仕方なくなる。

さらには雪。マイナスにまで達した厳しい気候

少なくともあと半年我慢しなければならない。少しでも夏を感じたくて、切なくなる。

冬は嫌い。何をしていても気分が落ち込む。

何枚も上着を羽織り、まるで外界から自分を守るように、殻に閉じこもるように、街を往来する人々。

人間以外の生き物も、ある種は土の中でじっと耐え、ある種は暖かい地域に身を移し、ある種は冬の前に死に絶える。

"負"で覆い尽くされたようなこの季節。

いくら年齢を重ねても、慣れそうにない。

2018-01-10

出会い系やって後悔した

人肌恋しくて出会い系の割り切りってのをやってみた。

いわゆる援助交際というか要するに素人のする売春で、条件の合いそうな女の子に声をかけて交渉セックスまで持ち込むというもの

これを試してみたが、結論から言って最低の体験だった。

さすがに知人に話せる内容でもないのでここで愚痴らせてほしい。


風俗にはこれまで数回行ったことがある。ただ、このとき俺は普通風俗ではなく「出会い系の割り切りというのを試してみたい」と思っていた。

単純に刺激に飢えていたし、風俗店に行くのとはまた違った、出会い系交渉の楽しさのようなもの、漂うアングラ感などに多少のあこがれを覚えていたのだ。


適当ネットで事前情報を調べて登録し、近場ですぐ会えそうな女の子メールを送る。

の子プロフィール写真はかわいく、年齢も若かった。他の男からの返信も多く、競争率は高そうだった。

ところがあっさりと返信が来て、トントン拍子に会う約束を取り付けることができた。


さて、こちらはとにかく初めてのことなので、試してみないとはじまらない、という心構えだ。

この手の出会い系サイト一般人女性のふりをした業者所謂援デリ」の温床であることも知識としては知っていた。

ただ、素人がいきなり業者を見破るなどというのは高望みに思えたし、援デリに当たるのも止むを得まいと思っていた。

それにたとえ相手業者派遣した女の子だったとしても、それはそれで相手セミプロのようなものだし後腐れなく割り切ったセックスができるだろう。

そんな気持ちで待ち合わせ場所に向かう。


待ち合わせ場所にあらわれた女の子はまあ、不細工ではないが決して美人でもないという顔立ちの女の子だった。年齢は20とのことだがそれにしては肌荒れが目立ち、5歳ほどサバを読んでいそうだと思った。

最初こそ愛想は良かったものの、会うなり会話もそこそこに、慣れた様子で近場のホテルに連れ込まれる。

この手慣れた様子、イソジンやら何やらグッズの入ったハンドバッグ。

どう見てもセミプロだな、という感じだった。


案内されたラブホは待ち合わせ場所からすぐ近くのボロいホテルだった。

思い返せばこの待ち合わせ場所彼女要望によるもので、お決まりコースなのだろう。

まあ、援デリセミプロならそれで別に構わない。多少楽しんで気持ちよくなれればそれで十分だ。


彼女に料金の先払いを求められ、事前にサイト彼女提示した金額を渡す。

が、そこで「もっと貰えない?」との衝撃の一言が飛び出す。


実は彼女が事前に提示していた金額じたいも、相場より高めだった。(まあこれは俺の経験じゃなくネット調べだけど)。

こっちは多少の稼ぎはあるし、その程度でケチるのも何だなと思いその金額OKしていたが。まさか、土壇場になって更にふっかけられるとは。


楽しい時間過ごせたらチップくらい出すよ、とはぐらかしたが、既にこの時点で「事前に自分提示した金額反故にして上乗せを狙ってくる」という卑しさに嫌悪感を覚えていた。

その後も「もっとくれる人もいるよ」だのと言ってとにかくゴネまくる。最初冗談めかしてあしらっていたが、いいかげんしつこく、そりゃあ約束が違うでしょと突っぱねる。

どうも、なにかよほど金に困ってでもいるのか、と思うような必死さだった。

で、脱いでシャワー浴びてヤろうとするわけだけど。

あらわになった彼女の肌は率直に言って汚かった。

下腹が異様に膨らんでいて、まさかとは思うが妊娠初期では、と思うほどだった。

膨らんだ下腹の上には安っぽい仕上げのへそピアスが光っていた。

こう言っちゃなんだがとてもふっかけられるような容姿ではない。

普通風俗に行けばもっと可愛くてサービスのいい嬢は山ほどいるだろう。

もっとくれる人」なんているわけがないと思った。

さて。上乗せ金額を貰えないとわかった途端に彼女の態度は豹変する。

こっちから話を振ってもろくに答えもしなくなり、会話を弾ませようとする素振りさえ見せなくなった。


寝っ転がされプレイに入るも、早く抜いて終わらせてしまおう、という態度ありありの雑なプレイ内容で全っ然気持ちよくもなんともない。

この時点で俺のチンコは完全に萎えきっていた。

まず気分が盛り上がらないと勃ちもしねえ、と思って起き上がり相手身体に触れようとするも「やりづらいから寝てて」と押し返される。

で、数分チンコを任せていたが、この娘、テクニック的にも非常に低レベルで単調で、思いやりも何もない乱雑な扱いをされ、どんどんチンコから血の気が失せていくのを感じた。


単純に性的興奮が引き起こされないということ以上に、この時点で、俺はこの娘さんに嫌悪感を覚えてしまっていた。

容姿も、愛想も、知性も、技術も乏しい。そのくせ過大な要求を突きつけてゴネ得を狙って、それが叶わないと知るや否や態度を豹変させる。

卑しい奴だなと思った。


得体の知れない卑しい生き物が俺のちんこをいじっている。

傲慢で見下した物言いだと自分でも思う。でも本音を言うと卑しくて汚くて気持ち悪くてたまらなく嫌になった。

俺にとってこの娘に女としての価値も、言葉を交わす相手としての価値もないと思った。


もういいとそっけなく告げてやめてもらった。

シャワー浴びて彼女を残して部屋を出た。

彼女と実際に会ってから30分程度しか経っていなかった。


こんな風に途中退出するのは彼女自尊心を傷つけたかもしれないな、とか思ったりもしたのだけれど。

でも、まあ、そんな風に思うような相手でさえないだろうな、とも思う。

その娘はたぶん援デリ業者が裏にいるセミプロだったと思うが、プロ根性のようなものは無かった。

過去行ったことのあるふつう風俗でも、嬢たちには金額分のサービスをしようというプロ意識があったと思うが、彼女にはそんなプライドさえも無さそうだった。

金もらえてラクに早く終わったラッキー、くらいにしか思っていないんじゃないか

去り際に振り返ると、彼女はもうスマホをいじって、サイトで次の男を募集していた。


こんな生々しい卑しさを間近で見たのは初めてのことで、なんだか悲しくなってしまった。

普段仕事私生活で接する相手にこんな卑しい人間はいなかったから、自分がそれなりに文化資本に恵まれ環境で育ち、暮らしていることを思い知らされた。


んで、彼女を卑しい、気持ち悪い、と思う以上に、そんな相手を金で買おうとして勝手に幻滅している自分も相当なクソだなと気づいて更に落ち込んだ。


最低の経験だった。

こんなモヤモヤに耐えて出会い系で女遊びのできる人たちはすごい。

2017-11-07

anond:20171106043306

海外でよくあるフリーハグとかって、半分くらいは自分が人肌恋しくてやってるんだろうと思う

2017-10-23

浮気してもやっぱり戻ってくる人の気持ちがわかった

私は今海外単身赴任中で日本婚約者がいる…のだがこちらへ来てから恋人が新しく二人出来た。

ひとりは婚約者と同い年の女性で、見た目も性格女王様といった感じ。ふわふわの長い髪の毛と緑の瞳がとっても綺麗だ。

もうひとりはまだ未成年男の子で、とにかくやんちゃをする。まあそこが可愛いんだけど。ヘーゼルナッツカラーの瞳が気に入ってる。

二人とも私に凄く甘えてくれて、ソファやベッドをよく共にする。まあ朝になったら二人とももういなくなっているのだが。

毎日二人をとっかえひっかえして甘やかし、私を取り合って喧嘩するのを優越感に浸りながら眺めている。

日本では全然モテなかったのに、この国の人達はみんな凄くフレンドリーですぐに擦り寄ってくる。不思議

こんなに充実した生活を送っているのに、私の婚約者恋しくてまらない。

この二人より全然見た目も声も良くないし、甘えてもくれないし寝てもくれないのに。早く日本に帰って彼のお腹に顔を埋めたい。

(登場人物は私を除いて全員が猫です)

2017-10-05

東京に疲れて藤沢市引っ越したけれど馴染めない。

東京には10年住んだが人の多さに息苦しくなり、たまたまはてなブログで見た藤沢市の紹介記事を見て、海もほど近いし、都内までも乗り換えなしで行けるし、と春に引越しをした。

だがしかし、海に散歩に出向いていたのもはじめのうちだけで、今は人の少なさや店の少なさに嫌気がさしてきてしまった。飲食店なんかも都内定食屋の方がよっぽど安い。

田舎と言っては悪いのかもしれないが、何故かジロジロ見てくる人がよくいる。ぐちゃぐちゃな外見はしていないつもりだ。

話し声がすると周りが静かな分やたら耳につく。海に行くと集団がなんだか怖い。駅周辺にいる若者高校生もこの辺だと威圧感があり怖い。

それに今まで催し物など都内から何かと近かったのだが、藤沢からだと場所によるが片道二時間もかかったりで、元来田舎者自分には、昔実家から足繁く通った頃に戻った様で悲しくなる。

東京の周囲への無関心さが恋しくて堪らない。この辺の人は、他人をジロジロ見るのは失礼だと教わっていないのだろうか。

2017-09-23

親離れできない

全く親離れできない。親離れ、というより、家族離れ?

大学に通うために上京してもう2年になる。バイト生活費を稼いで一人暮らし=自立、なんて誰が考えたんだろうか。自立なんてこれっぽっちもできていない。いつでも実家恋しくて恋しくて仕方ない。

連休丸々、夏休み丸々、冬休み丸々、春休み丸々、これまで全て実家で過ごしてきた。三連休も余裕さえあれば帰る。実家は決して近くない。新幹線代を稼いで、3時間半かけて、それでも帰る。

家族では一番下で娘だったから、小さい頃からめちゃくちゃに甘やかされてきたという自覚はある。わたし他人にはドライな方だけど、家族にはめちゃくちゃ甘えたがりだ。実家じゃ姉と母に挟まれて布団で寝ている。

それでも東京大学を選んだのは、夢があったからだし、金銭的にはまだ無理でも精神的には少しは自立したいって気持ちがあったからだと思う。

で、結果がこれ。結局実家から離れられないし、今じゃ夢もいいけど諦めて地元に帰ろうかなとも思ってしまう。一生懸命勉強してやっと入学した大学なのに、こんなことで揺らいじゃうんだからわたしなんて所詮これくらいの人間だ。

家を出たのは家族わたしが初めてで、家族もさみしがっている。だからお互いに毎日LINEして、家にいた頃みたいに何でも報告して、それでも寂しい。もう家族揃ってダメダメだ。

明々後日、二ヶ月過ごした実家から東京に戻る。一人暮らしに逆戻り。考えるだけで泣けてくる。昨日から風呂や布団でしくしく泣いてる。毎回、家族新幹線見送りに来てくれるのだけど、そこで泣かないようにするのが精一杯だ。新幹線でまた泣く。隣の席の人に変な目で見られるのはもう慣れっこだ。

はぁ、帰りたくない。

実家が大好きだ。

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