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はてなキーワード: 東條希とは

2019-10-21

μ's原理主義者がバンナムフェスGuilty Kiss出会ってしまった話

要点だけ言うと「元μ's原理主義者がバンナムフェスGuilty Kissステージを見てAqoursに対する負の感情浄化された話」もしくはバンナムフェスday2感想

殴り書いているので、読みにくいし、文章稚拙だし、ただバンナムフェスの終わってすぐの新鮮さだけは補償します。

はいわゆる「μ's原理主義者」だ。

今となってはもはや、そう自称することが許されるかどうかも怪しい。μ's原理主義が極まり過ぎてファイナル以降は完全にラブライブ!から足が遠のいてしまったし、他のアイドルコンテンツ(後に言及するがアイマスである)に今は浸っているし、かつてのようにμ'sの声優達を追うようなことはもうなくなってしまった。

来年にμ'sが出演する大きな合同ライブが決まったという知らせにも、当時大好きだったμ'sの曲を懐かしむように聞いてひっそりと嬉し泣きをするだけで、リアタイで集めたブルーレイディスクがあるのに更にチケット先行のあるブルーレイBOXを買う気になれず、チケット戦争に本気になれていない。そのレベルで心が離れている。

それでも当時は、μ'sが大好きだった。東條希は私の女神だった。曲の全てが、メンバーの全てが大好きで、ラジオノベルを含めた全てのコンテンツをチェックして、スクフェスにもめちゃくちゃ課金して、大型ライブのみならず、声優個人イベントにも行った。

μ'sが私に元気を、生きる気力をくれたから、私も全力で応援した。

Aqoursが、ラブライブ!サンシャインが大嫌いだった。

μ'sのいないラブライブなんて、見ていても辛くなるだけだ。そんなの私の好きだったこコンテンツじゃない。

ラブライブ!を冠にしていれば売れると思っているようなこいつらのせいでμ'sが休止になったんじゃないかとすら考えた。

すぐに東京ドームライブが出来たこだって、μ'sの実績があったから押さえられたんでしょうと。

二番煎じが万人に快く受け入れられるわけがない。

発表当時はキャラデザだけで吐き気を覚えていたのでアニメなんか見る気にもなれず、少し落ち着いた頃に再放送をやっていたので視聴してみたらまぁまぁひどい(ネットで散々言われていることなのでここでは割愛します)し、一生今後の人生においてAqoursなんかには触れないだろうなと、思っていた私が、

ついにGuilty Kissに触れてしまった。

なんの因果か、μ'sファイナルを行った東京ドームという場所で。

憎きAqoursの片鱗に。

10/21 バンダイナムコフェスティバル day2

アイマス目的に通し券で両日現地参加していた。

結論から言うと、めちゃくちゃに良かった(語彙力の喪失

本当に申し訳ないが、拒否反応が酷過ぎて彼女たちが登場した1曲目が始まった瞬間トイレに立った。ギルキスの登場までアイマス曲が連続披露され、そろそろMCだろうという流れでの登場だったので、ここで1曲消化し、MCの二人が出てきてトークを挟み、その後1曲ぐらいやって終わりだろうと。トイレ休憩を入れるなら今だろうと。

そんなことはなかった。

いや、お、おわらねぇ。

挨拶もなしに立て続けに3曲、MCも彼女自身で行うもほんの一瞬で、続けざまに2曲、更にし、新曲~~!?!?!?

シンデレラth名古屋渋谷凜役のふーりんがMCとアンコールを挟んで最後のおねシンまで6曲連続で歌いきったことが話題になったけれど、彼女たちは与えられた短い時間で全力で6曲歌い、踊り続け、東京ドームに集う4万7千人を完全に圧倒させた。

トイレからの帰り道に通路聴く歓声も凄かった。出演者ほとんどをアイマス関係で占めるこのライブで、たった3人で乗り込んできた彼女たちに湧くこの轟音、え!?ここってバンナムフェスじゃなくてラブライブライブ会場ですか!?というくらい。

席に戻った時には2曲目の「Guilty niguht, Guilty Kiss」が始まっていて、まわりのアイマスTシャツを着ているPちゃん達も皆が「ギルティキスギルティキス!」とコールしている。アイマスPもアイカツおじさんも皆ライブライバーになっている。さっきまで皆でアスタリスクににゃーにゃー言ってたじゃないか。HANABI打ち上げたじゃないか。一瞬にして世界が変わった。

たった3人だけの女の子たちの力で。

正直、9人中の3人だけの出演っておいおい大丈夫ラブライブ、ただでさえほぼ四面楚歌状態なのに狼の中に羊放り込むようなものだぞと思っていたけれど、そんな世界をひっくり返してしまうほどの力を彼女たちは持っていた。

善子ちゃん役の小林愛香さん、あの方凄いですね。ライブ後すぐ調べたんですが声優デビューが本作品だそうじゃないですか。甘くてとろけるような可愛いお顔にして力強い歌声しかもめちゃくちゃ踊りが上手い。ステージ上でバキバキのHIPHOP踊りだした時にはびびりすぎておしっこ漏らすかと思った。

メンバー全員のパフォーマンス力が高すぎて、開いた口が塞がらない。

ライブ披露だという「New Romantic Sailors」(あれってガチの未発表新曲だったんですか?それをバンナムフェスという場で初披露した彼女達の度胸がすごい)。

ちょっとお遊び感をまぜたライブぶち上がり曲、「PSYCHIC FIRE」だ!!と思った。BiBi系譜を感じてしまい泣きかけた。本当に素直にそう思えた。そう思った自分自身に心底驚いた。

μ'sの仇と、Aqoursを敵視していた私はもう、この最後の曲の時にはいなかった。

『μ'sの二番煎じ

私が思う以上に、彼女達は何度もその言葉を浴びさせられたんだろう。

彼女達の受けた矢の痛みは計り知れない。想像することもできない。それでも彼女達はそれらを跳ね除けて、ここまでやってきた。二番煎じで、μ'sが大きくしたコンテンツ名前を背負うからこそのプレッシャー彼女達にはあったから、ここまできた。アイドルジャンル作品は星の数ほどあって、その中で本気でコンテンツ過去の栄光に、ラブライブという作品名前に乗っかってやろうとしか考えていなかったらもうとっくに飽きられて終わっていただろうに、彼女達は彼女自身の力でこうして未だに輝きを放っている。その輝きは終わりが見えない。

Aqours普段聞かない私達が見た今回の6曲は、Aqours全体からしたらほんの氷山の一角に過ぎなくて、そんな齧っただけの私にも「わからせる」力を感じられて、でもきっとその力は一朝一夕のものではなくて、

そのための努力を知ろうとも、見ようともしないで鼻から拒絶したことを、私は心から恥じた。

アイマスだって、DSデレミリシャニゼノグラシアには765本家があった。アイカツだって大正義いちご先輩の存在があって、それらの「はじまり象徴」と後継のシリーズが集まって今回のフェス大成功に収めた。

後継だって、そこに携わる、そこにしかいない演者がいて、ファンがいて、本家にけして負けないパワーがあって、シンデレラガールズのPである私はその世界を知っていたはずなのに、どうしてAqoursだけは気付けなかったんだろう。Guilty Kiss彼女達は、私にそれを気付かせてくれた。

違うな。

気付けなかったんじゃなくて、気付きたくなかった。二番煎じで始まったAqoursが、μ'sと並ぶ存在になっていることを。ずっとAqoursにはμ'sより劣った存在でいてくれないと、私がμ'sを神聖視する感情に都合が悪かった。ただ目を瞑っていただけだった。その事実に気付くことができた。

ありがとうバンナムフェスありがとうGuilty Kiss

μ'sが終わってしまったわけではないのに、勝手Aqoursのせいで終わってしまったと思っていたことも、きっと希に「こらこらこらこらー!」って怒られるね。

貴方達が撒いた種は、貴方達と同じくらい大きな花を咲かせていたよ。

来年には58輪の花が並ぶんだね、すごいね

2018-12-08

富士茄子ちゃんって

ラブライブ東條希と謎のシンクロニシティ起こしてない?

ラッキーガール神社系、と設定も近い。

声質も似てて低めハスキーのおっとり巨乳ボイス的な。標準語になった希感ある。

いまイベ曲で歌ってるけど、歌の中でかなり特徴的な声だからすぐに判別できるところが、

μ's楽曲聞いてて希パート来たときチャーミングな感じを彷彿とさせて、なかなかたまらんね。

最初CV違和感あったけど、だんだんハマってるいい声に感じてきた。

2018-10-31

anond:20181030130258

貴種流浪譚て おまえほんとは物語構造とか興味ないやろ

まじめな話をすると主人公を引っ張る特別存在メンターとは呼ぶ

ビワンがわかりやすいがBTTFのドクも頼りないメンター

スラダンならゴリ安西先生

ラブライブだと 本文では矢澤にこを想定してるかもしれないが存在としては道化キャラピエロ)に思える

東條希の方がメンターっぽい

はるかなレシーブアニマエールは未見だが 単なるライバル相棒可能性もある

連載漫画など長い話だとメンターライバルや敵になることも当然ある

2017-09-13

anond:20170913134314

それまんま虐める側の論理やね

同意の上の悪ふざけのつもりだった」

 

ワイは昔から推してた我那覇くんや東條希ちゃんが

アニメ化後のにわか連中に

くさいくさい、デブデブ言われてとても悲しかったで

 

おふざけのみならず、同人じゃヘイト本

かませ犬、弄られキャラ(という名のいじめられっ子)の位置づけにされたし

投票イベントでもフツーに人気もガタ落して実害でたんやで

 

なにより、公式悪乗りしてもう765もラブライブも見限ったわ

2017-09-07

三村かな子東條希巴マミへのデブいじりはポリコネに反してるか否か

あなたの回答は?

三村かな子東條希を体形でいじめるのはポリコネ的にアウトです

欧米では最近盛んにデブネタ規制が始まっているのをご存知だろうか?

デブネタのみならず、拒食症を誘発するとして

リガリのモデルを起用することも非難対象となりつつある

 

ありのままの姿こそ美となった昨今で

彼女らに向けられる言葉暴力

肥満の方々への虐めに繋がるのみならず、拒食症を誘発してしま危険もある

 

歴史を鑑みれば、ふくよかな体形こそ長らく美と富の象徴であった

たかだか数世紀しかない、「細身の美」の為に

尊い命を落とすようなことがあって良いのだろうか?

 

あなたが軽い気持ち彼女らに向ける言葉の刃は

社会さえも傷つけるのだ

2016-12-17

東條希デブと言い続けたら3回目くらいで関西弁かなぐり捨ててキレる説

2016-03-30

μ’s名付けの親の御児勇馬さんがネットから消えた件について

http://garikudasai.sakura.ne.jp/wp/?p=307

という記事について。

ブログ主は御児勇馬氏と同じラブライブ!古参ファンであることを自らの立場説得力の盾にしつつ論じていますが、実際にはテレビアニメ以前の音楽以外の内容について愛着が皆無であり、

内容的に好きなのはからアニメ版のことだけであるため、アニメ版ラブライブ!批判者を極めてアニメ以降の新参に近い立場から感情的否定しているだけで、古参であることを後ろ盾にする資格が無いのではという話。



(ブログ主)

ここにあるツイートだけを見る限り「読者参加型企画として発足したのに現在ラブライブのやり方は制作から一方的な押しつけだ」という旨の発言をしていたところラブライブファンからたしなめられて消えていったμ’s名付け親という古参代表といった感じです。アンチにしたら彼もそう言っているんだからやはりアニメラブライブは駄作なんだという使い方が出来てとても便利だと思います

では『一部のフォロワーから意見をいただいた御児勇馬によるラブライブ!に関する発言』にどういったものがあったのかというと

コレとか

(御児勇馬氏)

テレビアニメ版の制服or衣装の真姫ちゃんなら吐き捨てる 2012年以前の真姫ちゃんなら首肯する 茶髪の真姫ちゃんなら描いた人を抱き締める

コレです

ブログ主

御児 勇馬 @umamiko

茶髪の真姫ちゃんなら僕の隣で寝てるよ。赤髪レズビッチは消えろ http://twitter.com/umamiko/status/418739888687554560/photo/1pic.twitter.com/acqU3Z6Mzt

4 months agoReplyRetweetFavorite

これとか最高に古参拗らせててヤバい

 これ以外にも読んだ彼の発言総合して

「読者参加型企画蔑ろにされているというのは建前で、自分μ’s名付け親であることにプライドがあり自分が名付けたという設定がアニメ漫画無視された事に不満がある」

「推しだった真姫の性格が改変されたことが気に入らない」

という印象を持ちました。少なくとも真姫を赤髪レズビッチ扱いするのはμ’s名付け親として…なんて以前の問題でろくでもない発言だと思います

 そんなわけで結局何が言いたいかというと、御児勇馬さんはそこまで聖人君子ではなかったし、上記のような発言をする彼の意見たかだか名付け親で名が知られているというだけで古参の総意のように扱われるのはファーストシングル発売時から応援してきて、アニメ版ラブライブも好きな自分としてはとても気にくわないのでアンチ諸兄におかれましてはそんなモノに頼らずもっと自分言葉ラブライブ花田十輝批判するようお願い致します。

ブログ主は御児勇馬氏をこき下ろしつつ同様に従来設定を持ち上げてテレビアニメラブライブ!批判する者へ釘を刺しています


しかし、ブログ主は「古参拗らせててヤバい」という言い方から古参や初期原案設定を好むいわゆる原作厨立場適当馬鹿にしているだけのように受け取れます

ブログ主は、自分も御児勇馬氏と同じ古参であることを明かして古参にも自分のようなテレビアニメ設定ファンがいると自らの説得力の補強を図っているのですが、その割には御児勇馬氏の心情を「ろくでもない」と完全にぶった切っており、古参からこそ従来の設定を愛するファンの心情への理解を示す姿勢殆どありません。

それもそのはず。そもそもブログ主古参ではあるがラブライブ!原案作成者である公野櫻子が嫌いな様子で、初期設定や絵柄に元から愛着思い入れはないことを仄めかしています

以上の発言からから立場古参だとして、アニメ化以前については音楽の良さは評価していても、キャラ設定や絵など大半の部分については従来から評価応援してきた様子がないことが分かります

それにしても、真姫の設定が改変されたことが気に入らない御児勇馬氏の心情を推測した後、それに関しての感想考察をもう少し真面目に行ってほしい気がします。

その点は多数派と化したアニメ以降ラブライバー派閥に属しているため、適当にこき下ろしても楽に支持を得られるだろうという傲りが表れたようにも映ります


ちなみに、御児勇馬氏批判したアニメ版西木野真姫矢澤にこ東條希と並んでアニメ前後で設定が大きく改変されたキャラの一人です。

(簡単にいうとアニメ前の真姫がガルパンアニメ本編の逸見エリカだとしたらアニメ版の真姫は、二次創作においてコメディ色強く歪められた西住みほにも簡単にデレデレになり、催眠オナニー趣味エリカというくらいに違います。)

ブログ主古参ファーストシングルから応援してきたファン自称し、それを立場の補強に使うならば自己紹介CDドラマ部分含めた初期設定の内容についても多少好意的に捉える向きも欲しいところですが、

それらの内容には全く否定的な様子でテレビアニメ以降のみを賛美する状態では、興味があったのは音楽声優だけ、または人気が出そうだから一応ウォッチしていたら人気が出て古参を名乗れてラッキーという立場のようにも思えてしまます

御児勇馬氏の設定改変への嘆きは、キャラ作品内容の当時の今とその延長線上にある未来を思って期待していたからこそ応援していたことが受け取れるため、むしろファンとして当然の姿のように思います

それに比べると、前から作品買って追ってはいたけど人気が出たから、好きな脚本家アニメ脚本書いたから本格的に推し出しただけであって、実は昔の内容は嫌いだったと言い出す人の方がろくでもない人のように映ります


ブログ主は何かと古参であることを自説の後ろ盾にしたい様子が見られますが、

アニメ版を大好きな古参自分がいるのだから御児勇馬氏の嘆きを古参の総意としないでくれとも述べています

実際に、古参でありアニメ以前の内容を好きでもありながらアニメ版も好き、またはアニメ版の方が好きという人もいるでしょう。

しかし、先にも述べたように彼はただ初期当時を知るだけであり、「ラブライブ!の従来の設定や世界観を愛する故に応援してきた古参ではありつつもアニメ版評価している」という立場ではないため、立場上はむしろテレビアニメ化以降のコンテンツの姿が一変して人気が出た後に嬉々として本格的に乗っかったラブライバーに近い立場ではないでしょうか。

同時に、ブログ主アニメ版ラブライブ!批判者をまとめてアンチと断定する態度(まるで昨今オタク世間を賑わしてきた新参ラブライバーのよう)で、御児勇馬氏に頼らず自分言葉批判するように訴えていますが、本人も古参であるという立場に頼らず自分言葉擁護批判をするべきなのではないかと思いました。

ブログ主のように古参でありながら過去に何の思いもなくテレビアニメ以降を妄信的に愛するファンは他にも存在しますが彼らは新参同様に基本的に好きの内容を語ることは少なく、好きという立場を語ることが多いので、御児勇馬氏のように作品の内容を好きになって応援していた人の気持ちが分かりにくいのかもしれません。

2016-02-21

劇場版ラブライブ!批判考察

http://anond.hatelabo.jp/20160221211517

 ブログではその後、キャラクター描写観点から批判が展開されている。自分アニメラブライブキャラクター描写について感じたことについては既に言及した部分が多いが、この部分の論述についても内容的には概ね同意できるものである

 ただ、だからそそう考えるのであれば、突っ込みたい箇所がある。

以下では、以上で書いてきたのと本質的には同じことを別の観点から論じてみたい。それは、キャラクター描写という観点である

(中略)

このように8人のメンバー主体性が奪われてきた一方で、それと反比例するかのように各メンバー薄っぺらキャラ付けは強化されてきた。(中略)

たとえばこの劇場版において花陽が最も目立つシーンは、花陽がいつも通りにお米キチガイであるということがこれでもかというぐらいにしつこく描かれるシーンである。この劇場版において、花陽がどういう想いでアイドル活動をやっているのかとか、メンバーとのあいだにどんな新しい人間関係が生まれたのかとか、そういうことは全然描かれない。その代わりに、とにかく花陽はお米が大好きで白米が食べられないと気が狂ってしまうほどだということだけが強調されるのである。端的に言って、この映画を作った人たちは小泉花陽バカにしているのではないかと思う。


キャラ付けにおいては現実アイドルだってそんなもんじゃないかと思う人がいるかもしれないが、そうではない。たとえば、いつもカメラ目線を絶やさず満開の笑顔視聴者アピールする「まゆゆ」という優等生キャラクターがなぜ魅力的なのか。それは、ファンがそこに渡辺麻友の野心の大きさと意志の強さ、そして完璧アイドル像への執念を見て取るからであるスキャンダルで名を売ったり、アイドルの殻を破る破天荒な行動を取るメンバーたちが人気を集めるなかで、それでもなお自分が信じた理想アイドル像にこだわり、それに徹しようとしている。アイドルファン距離がぐっと縮まった現代において、完璧アイドルを演じ続けることの困難さ、時代遅れさを自覚しつつも、それでもなおその道を貫こうとしている。その職人気質ストイックさ、生き方が人を惹きつけるわけである。このように、アイドルキャラ付けは表面的にわかやすものであると同時に、その人の人生や信念と深く結びついたものでもあるからこそ、見る人の心を惹きつける。アイドル人間からこそ、魅力的なのだ


翻って劇場版ラブライブ!』において、我々は花陽の白米キチキャラに何を見ればいいのか。あるいは、一様にニコニコとして歌い踊るμ'sの9人のその笑顔の裏に何を見られるのか。それこそが問題なのだが、今の制作陣にそのような問題意識はまるでないようで、判で押したような浅薄キャラ付けを毎度繰り返すばかりである。もちろん、判で押したようなキャラ付け普遍的に悪いと言っているわけではない。そういうキャラクターが適している作品だってある。しかし『ラブライブ!』は、元々はそういうキャラ付けをする作品ではなかった。それなのに作品人気が高まりファン層が入れ替わるにつれて、人間を描こうという当初のスタンスがすっかり失われてしまった。雑誌連載時代そして第1期の頃に比べて、μ'sメンバーの魅力がめっきり減ってしまったように感じられるのは本当に残念なことである。『ラブライブ!』を、こんな消費の仕方をするための作品にしないでほしかった。(以下略)

 この批判においても現実アイドルである渡辺麻友比較対象に出されている。AKBについてはあまり詳しくはないので渡辺麻友が実際語られている通りのアイドルなのかは分からないが、ここで語られている渡辺麻友の魅力を読むと自分にはかつて存在したあるスクールアイドルの姿が思い起こされるのである

 言わずもがな矢澤にこである

 アニメ以前の矢澤にこプライベート含めて完璧アイドルに近い存在として描かれていた。また、本人も最高のアイドルになれる器だと自覚し、なろうと努力を続けている存在であったし、その姿勢ポテンシャルメンバー尊敬を集めたりしてもいた。(公野櫻子原案鴇田アルミ作画漫画版過去CDドラマ参照)

 そのようなにこのキャラクター性、物語性が人気と支持を得て総選挙1位も獲得したし、自分などはこのキャラクターもっと様々な舞台で見てみたいと期待していたのだが、TVアニメ以降は大幅な設定改変を行われて、矢澤にこというキャラクターは闇に葬り去られてしまった。

 TVアニメではかつての設定は面白おかしねじ曲げられてネタにされるのみであり、後輩含めた他のメンバーから馬鹿にされることばかりで、本人もアイドルになりたいというよりはただのアイドルオタクという部分が強調され、努力の跡はあまり見られない。

 京極尚彦花田十輝両氏は元々典型的先輩らしさがなかった絵里以外の3年生キャラを先輩らしい役割を与えたかったために矢澤にこ東條希キャラクターを改変したらしい(電撃ラブライブ!3学期参照)が、TVアニメのにこの良い意味での先輩らしさは1期終盤の数箇所くらいであり、他は悪い意味でただ偉そうにするだけの残念な存在として描写されている。その点を抜きにしても適当ににっこにっこにーと言わせておけばいいというように薄っぺらく判を押されただけのキャラクターとしてアニメ以降のファンに印象付けさせられてしまった。

 つまり、前半にも同様の指摘をしたように第1期の時点でキャラクター人間として描こうとする当初のスタンスは失われていたことを指摘しておきたい。

 ブログ著者の批判の仕方はもっとであるが、渡辺麻友をそのように態々例に出して語りながら、矢澤にこをはじめとするTVアニメ以降のキャラクターの改変について無視して語り通すことに違和感を覚えるし、所詮第1期アニメについては盲目的な信者である所以が見え隠れする。

 第1期をはじめとするアニメ版劇場版評価する人の存在も個人の好み故に仕方のない部分だが、2期や劇場版キャラクター性や物語性をあのように初期や現実アイドル比較する論理から批判しておいて1期は問題なく賛美する見方に関しては異議を唱えたい。


 結局批判に近いような形で締めてしまったが、基本的には概ね同意できる内容であるし、劇場版公開間もない頃にはっきりと内容を批判する記事を公開したのは当時は勿論だったが今から考えても意欲的な試みで素晴らしかったと思う。それまでファンアンチ盲目的で説得力と内容のない賛美と批判ばかりがありふれていた中で、ファンに多少は内容に目を向けるように刺激を与えた意味画期的ものだった。

 彼の批判たまたま拡散されたからというのもあるが、個人的に、TVアニメ化以降のラブライブ関係イベントで最も興味深く見る価値があったのはアニメの内容やライブ紅白出場などよりも彼の批判ブログとその反応関係だったのではとすら思っている。

劇場版ラブライブ!批判考察

http://anond.hatelabo.jp/20160221211019

しかにμ'sのメンバー二次元キャラクターであり、実在する人物ではない。しかし、雑誌連載時代ファン彼女らがまるで生きている人間であるかのように交流応援してきたのではなかっただろうか。もちろん本当に生きているわけではないと知りつつも、それでも彼女らの人生を共有できると信じる真摯姿勢、それこそがTV版第1期の物語を生み出した原動力であったと思う。劇場版脚本では、そのような真摯さはすっかり失われてしまった。μ'sのメンバーはこれまでどのような人生を歩んできて、どういう動機でμ'sに参加し、何を考えて今まで活動してきたのか、そして今後はどうするつもりなのか。それらのことを踏まえれば、μ'sはどのような結末を迎えるのがふさわしかったのか。そういったことを真剣に考えた上で脚本を練り込んでほしかった。


アイドルは単に華やかに笑顔で歌って踊っているから魅力的なのだとか、メンバー同士仲睦まじく百合関係性を構築しているから魅力的なのだかいうのは、それぞれ一つのアイドルであるし、それ自体が悪いわけではない。しかし、アニメ制作陣、つまりアイドルを生み出す側の人間までそのようなアイドル観に染まってしまってはならなかった。アイドルにはそれぞれの人生があり、物語性があるからこそ魅力的なのだ。そのことをわかってほしかったと思う。

 ここで述べられている通り、アニメ以前のラブライブというプロジェクトの魅力はμ'sのキャラクター実在するアイドルのように描写し、またファン自らがアイドルと自らを実在するアイドルとそのファンのように認識応援するスタイルであったことである

 ただ、ブログにおいては、その姿勢過程TV版第1期を生み出した原動力になったとまとめられているが、その点については異議を唱えたい。

 この部分においてはμ'sのメンバーそれぞれの人生物語性と、その重要性について述べられており、また、雑誌連載時代、つまり初期やアニメ化以前の内容やファンについて言及しているのだから、それを持ち出す際には当時のキャラクター設定やコンセプトについて思いを馳せておくべきである。そして、そうすると上述のようにそれまでのキャラクタープロジェクトの歩みを表面的にしか理解配慮せずに改変・軽視したのがTVアニメ第1期であるし、その経緯については第1期直後の脚本家インタビューで語られている。

 つまりブログ著者が言うようにメンバーを生きている人間であるようにとらえ応援するのであればTV第1期の時点でアニメ価値体系を崩壊させているのである特に矢澤にこ東條希西木野真姫は誤差やアレンジという範囲を超えた別人である。また、それぞれのキャラ作品内人気は低くなかったのでアイドルや一人のキャラクターとして見た場合改変の必要性はなかった。特に矢澤にこ総選挙1位を獲得しており最上クラスの人気を誇っていたのだから、あらゆる面において一人の人間としてキャラクターとして配慮されていたとは言えない。西木野真姫に関してもμ'sの名付け親として知られる最古参の一人御児勇馬氏Twitterキャラクター改変を嘆いていたほどであり、本当に生きている人間の一人、初期から続くキャラクターの魅力や物語性を重視して応援するならばアニメ版は第1期から問題が大いにあることを主張しておかなければならない。

 また、現在ファンの多くが主張する百合さえあればいいという価値観についても矛盾があることがその点から導き出せる部分がある。現在ラブライブ百合好き界隈において人気ナンバーワンのカップリングといえば恐らく「にこまき」なのだろうと思われるが、そもそも今のにこまきが人気を得た大元の原因は何かといえばアニメ以前よりにこまきが人気だったことが影響している。その延長線上で新規参入ファンもにこまきを嗜もうという流れから人気が高まった過程自分は感知していた。

 しかし、アニメ以前に人気を得たにこまきのカップリング性質というのは現在のものとは180度違うものである。先述したように矢澤にこ西木野真姫アニメ以前と以後では大きくキャラクター立場が変わっており別人である名前と見た目の記号条件が同じだけの別人同士のカップリング伝統カップリングのように捉えられて人気を得ている現状は苦笑いするしかなく、ブログ著者が主張するように現在ラブライバーの大半は物語性軽視甚だしいだけでなくただの百合好きとして見てもただ状況に流されるだけで本当に百合キャラクター関係性や魅力を捉えて楽しんでいるかすら怪しいファンが多すぎるのではないかと考えられる。いわゆるラブライバーである自分が好き状態であるし、細かくいえば○○(任意キャラ/楽曲/カップリングなど)を尊いと言う自分が好きという状態でその中身への興味や理解が足りなすぎるのである

 …というように突っ込んでいくと、TVアニメ版のキャラクター物語性の価値が第1期も含めて崩壊してしまうので、第1期を高く評価しているブログ著者としては都合が悪かった理由があるかもしれない。

 また、それらに付け加えて言及するべきなのがアニメ第2期放送中に物議を醸した海外ドラマglee盗作疑惑問題の件である劇場版や第2期を中心としたアニメラブライブの行き当たりばったりの内容を批判する際には説を補強するためにも言及する価値必要のある問題だと思うが、件のブログにおいて言及がないことが残念である。主に彼の批判文を読むのが作品批判に慣れていないラブライバーであるため、または彼の所属していたコミュニティにそのようなファンが多いために遠慮した部分もあるかもしれない。

 あれがオマージュなのか盗作なのかという問題以前に、盗作引用などする必要なくコンセプトや設定がちゃんと存在しているプロジェクト作品に、無関係場所から話や設定を引っ張ってきてそれをなぞらせるために設定や物語ねじ曲げる行為自体が、ブログ著者が主張するようなキャラクター実在人間の一人としてとらえるような観点作品物語性を重視する観点で見たら大問題であるし、キャラクター作品を愛するファンであれば問題視し怒って然るべき問題だと感じるが、疑惑が立ち上った途端にラブライバーの多くは黙り込んだり、それを持ち出して批判する者を無差別アンチ認定して閉じこもり無理矢理な擁護に回ったのを見て自分はこのプロジェクトには本当にキャラクター作品の内容を愛しているファンはまともに存在しないことが分かりもうこのプロジェクトは駄目だと確信したのを記憶している。

 以後、その予想が当たり、公式はその件を反省することはなく逆に開き直って先導するような形でそのような流れがラブライブプロジェクト全体に蔓延した現状があるわけである

 そのような流れを受けて流石に劇場版以後からありがとうプロジェクトに至るまでの間に、ブログ著者をはじめ、少しはプロジェクトのあり方に疑問を抱く人が増えたようではあるが、先述したように盗作疑惑の件や設定改変や統一化の闇について語る者は依然として少なく残念に感じる。

2016-02-06

俺ガイル×アイマス×ラブライブ クロス二次創作「雪と賢者の贈り物

[感想][書評][小説][二次創作] 渋谷 氏・著「雪と賢者の贈り物」 (作品ネタバレ有ります、注意の事)

比企谷八幡「雪と」 渋谷凛賢者の」 絢瀬絵里「贈り物」 - SS速報VIP 過去ログ倉庫

http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1436215120/

比企谷八幡「雪と」 渋谷凛賢者の」 絢瀬絵里「贈り物」【その1】

http://elephant.2chblog.jp/archives/52134679.html

比企谷八幡「雪と」 渋谷凛賢者の」 絢瀬絵里「贈り物」【その2】

http://elephant.2chblog.jp/archives/52134680.html

比企谷八幡「雪と」 渋谷凛賢者の」 絢瀬絵里「贈り物」【その3】

http://elephant.2chblog.jp/archives/52134681.html

渋谷氏による、以下の3作品クロス二次創作小説アイマスの新旧を区別するなら4作品か)。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。
ラブライブ!
THE IDOLM@STER

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」の比企谷八幡が、「アイドルマスターシンデレラガールズ」の346プロプロデューサーになる話。

ラブライブ!」の面々も登場。綾瀬絵里さんはヒロインの1人(立場は裏方)。他、概ね、346側(うち、プロアイドルは3名。2名は、芸能事務所の裏方ですらない、デザイナー公務員の新任教師だが)

アイドルマスター」の765プロの面々も登場。業界トップに君臨し、346の皆さんの打倒目標



作中のドラマ原作ラノベ書いた人は、八幡達の昔の事を、確実に知ってるくさい。

俺ガイル」の登場人物なのであろう。

誰だか知らんがw、仕事の関わりも有るのだから、登場させればいいのに。

多分、戸塚同様、「当時は何もしてやれなかった/自分は失敗した」って後悔とか、有った筈だし。



で、中盤クローズアップされてた海未と戸塚としては、終盤のあの展開は、他人事じゃないだろう。

心配している描写もっと強く書かれてて良かったのでは。

てか、そう言う風に絡ませないなら、海未と戸塚のあのエピソード自体、この物語には不要と思うまである


絢瀬絵里星空凛が、何故裏方なのかも、納得いかんなあ。其々、思うところが有ったのだろうけど。

書けよ。

東條希は、音ノ木坂学院教師という事は、アイドル研の顧問とかコーチとかで関与しているの? 自分は、アイドルにはならなくて良かったの?

書けよ。

高坂穂乃果の出番や扱いもイマイチだ。ラブライブ主人公で、作中、765プロの牙城に、最速で迫ってのけたアイドルだろう。

書けよ。

穂乃果とやよいとがバトルするなら、バッサリ省くなよう。

書けよ。

そもそもだ、穂乃果とやよいと絡ませろよう、仲良くさせろよう。

書けよ。

矢澤にこVS水瀬伊織はニヤリとしたな。

この2人はタイプが似てるし、張り合うのは似合う。

にこが、プロデビューしてからブレイクするまで、スクールアイドル時代と同様に下積みが長い苦労人なのも、如何にもだw

にこ・伊織普段の絡み。

書けよ。

A-RISEの3人は、そもそも、名前すら出ねえwww

書けよ。

斯様にラブライブ好きの俺であるが。

この物語全体には、ラブライブ要素は、必要不可欠と思えない。

いっそ、中途半端に出すより、最初から全部無かった方が、物語としては、まとまりが良かったんじゃないか

何ならば、その分、アイマスデレマス俺ガイルの他キャラを出せば良かった。

で、ラブライブキャラの話は、別の作品で書くということで。


終盤の「炎上騒動は、異議の有る人も居る様だが、俺は、アレでエレガントと思う。

あの解決策は如何にも八幡らしいし(悪い意味でもw)。

そして八幡は、恋愛関係で碌な目に遭っていない。

あの流れにおいて、最終的にあの結末により、八幡複数トラウマを超克し、救済されるのだ。



色々足りなかったり、とっ散らかっていたと思うけど。

其れでも、強引に一気に読まされた。

ライブバトルは熱く、心情描写は切ない。

熱量文章力を高く評価する。









ちょい妄想

終盤の事件と、ラストエピソードの間の時点で。

上記の謎の原作者が、彼女と、会って。

総武高での昔の事とか。

原作者自身の心情とかを話して。

「なあ、聞かせてくれぬか。

八幡は、君にとって、どういう存在だった?

あの捻デレは、マシになれていたか?

八幡は、今、幸福か?」

などと尋ねて。

事情的に、立場的に、答えるに答えられない彼女を、言葉も無く泣かせるとか。




「有難う、我が友の事を好きになってくれて」






そして、もげろ八幡

2015-11-06

これは差別ではない

ラブライブ!話題で『東條希ちゃんはデブ』というネタがあるが、

男子が言っていると「女子の体型に幻想を抱いているんだな……」と思うが、

女子が言っていると「それを言っていい女子は、ウエストが60未満であるか、自分デブと言われる覚悟のあるヤツだけだ」と思うけど、

これは男女差別じゃないよね?

2015-10-17

関西弁アニメキャラ

さっき妹が見ていた「K」というアニメを俺は横で見てたんだけど、バーテンの男の関西弁がどうもひっかかった。基本的には聞いてられるけど所々ひっかかる。そこはそのイントネーションじゃないだろう、と言いたくなった。俺は生まれも育ちも大阪や!という訳ではないんだけど、ネイティブスピーカーであると思っている。聞いてて思ったんだが、まともな関西弁を話すキャラっていなくないか?もちろん関西弁といってもいろいろあるけど、キャラが話すのを聞くとそのどれにも属していないような、アニメ弁が多い印象。

以下は俺の狭い観測範囲で捉えた関西弁inアニメ感想

Kのバーテン憑物語影縫余弦と似てる気がする。全体的に京都っぽいのに、ちょくちょく大阪南方の濃い発音が混じる感じ。

コナン関西キャラは、あれはあれで独自言語圏を作り上げてる。はじめは和葉の「平次!」の時点で体がムズムズしてたがいつの間にか慣れてしまった。

東條希が喋ってるとマジで寒気が止まらなかったけど、あの設定を知ると急に愛おしく思えてくる不思議

鈴原トウジはかなりネイティブに近いと思うけど、アニメ弁の域を超えてない。

CCさくらケロちゃんとか結構自然というか聞ける関西弁だったような。あんま覚えてないけど。

ちなみに漫画版スケットダンスのヒメコはかなり自然大阪弁。どちらかというとキタ標準的もので、年相応のコテコテ具合。アニメ版影縫余弦が憑依してる。

2015-06-29

色々考えた末『ラブライブ!』はつまりこういう話なのではないかという話

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ラブライブ!』前史

オトノキザカ高校のすぐそばには神社がある。両者の歴史的関係は深い……

よくあることだが、かつて民衆はこの神社に好天と豊作を祈っていた。

だがこの祈りには、神に乙女を捧げるという残酷儀式が伴っていた……

そしてその年の生け贄となる乙女監禁した小屋こそ、オトノキザカ高校前身にあたる。

そう、「オトノキ」とは「乙の生」、つまり生け贄となる処女意味していた……

明治以来このような習慣は廃れ、かつて小屋であった場所女子教育機関として生まれ変わった。

しかし、神と乙女のつながりは消えなかった。史料によると、この教育機関では在校生がいわゆる「神懸かり」の状態になることが頻繁に観察されたという。

そしてこの奇妙な現象は、オトノキザカ高校が創立してもまだ続いていたーー

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ラブライブ! 1期』

時は平成、オトノキザカ高校3年生東條希に憑いていた神は二つの問題を抱えていた。

ひとつは、オトノキザカ高校廃校により今後新たな依り代が見つけ出せなくなること、

もうひとつは、そもそも希の卒業が近く、すぐにも新たな依り代を探さなければならないこと。

だがこのとき神は、カリスマ性を秘めた2年生、高坂ホノカが廃校を阻止すべく部活設立に乗り出したことに気づいた……!

「この子を新たな依り代としよう」……神は希の姿を借りながら、あの手この手でホノカをサポートすることにする。

そしてついに希はアイドルグループ「ミューズ」のなかまとしてホノカに接触することに成功した(のんたんがクッソ適当にミューズに加入したのは、このように希はどうしてもホノカと接触しなければならない理由があったからなんだ!)

ホノカは希とますます交流することで、己の中に神の力を蓄積していった。

(圧倒的な神の力は、死すべき人間批判的力を寄せ付けない! その証拠にエリ-はミューズに加入後には全くかしこくなくなってしまった!)

迫るラブライブ予選……!

だがもともと神の力を受け入れるのには体力が必要な上、コトリチャンが留学してしまうという精神的ショックがかさなり、ホノカは倒れてしまう……

でも廃校は阻止されたしコトリチャンもいなくならなかった。よかった。

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ラブライブ! 2期』

あれから数ヶ月ーー

からホノカへの神の力の移動はますます進み、ホノカはまず天候をあやつる能力を手に入れた。

(そう、乙女を生け贄に捧げられた神は天候をあやつるのだ……!)

神の力の移動が進むにつれ、ホノカのそばでその力にじかに当てられていたミューズの面々も、ある種理念的な存在へと変質していく。

たとえばかよちんは米食理念を、真姫ちゃんはちょろさの理念を、にこはアイドル理念を、それぞれ体現する存在へと昇華されていった

(このことを、キャラ描写一面的画一的になったと勘違いしてはいけない!!!!!!

また、もともとホノカを制する力を持っていた海未も、その批判力をすっかり失った

(海未ちゃんが顔芸キャラと化した5話では、2年生は3人行動をしていた。少人数になったことで海未ちゃんはにモロに当てられてしまったのだ!)

そしてついに、希から神の力が全て移動する時が来る(8話)。のんたんはもはやスピリチュアルでもドムでもなんでもない等身大女子高生に戻ったのだーー

一方で完全に神と化したホノカ。その証拠彼女民衆に餅をくばるという行為に出た

(そう、乙女を生け贄に捧げられた神は人々に恵みを与えるのだ……!)

さしものアライズといえども、所詮は死すべき存在。神と理念存在からなるミューズにかなうはずもない。

そしてラブライブ本戦への出場という思いがけない機会を得た神は、己の力をさらに拡大すべく大胆な一歩に出た。

「みんなでかなえる物語」ーーそう、ラブライブをきかっけにし、ホノカだけでなくより多くの女子高生から力をえようという作戦だ(元気玉である)。

そして作戦成功した。ミューズはホノカの圧倒的な力に率いられみごと優勝。ラブライブをとおしてホノカの力もますます高まっていく。

.

かくして、廃校を阻止するととともに新たな依り代を手に入れた神。

ホノカの姿をかり、どこまで己の力を拡大しようと言うのだろうか……

劇場版に続く。

2014-07-25

ラブライブ!東條希ちゃんが好きなんだけど、彼氏が希ちゃんのことをdisってくるので本当にやめてほしい。

それさえなければいい彼氏なんだけどなぁ。

 
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