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2023-08-27

クラスズメの幼虫がキモすぎる

この時期に山に行くとフクラスズメという超絶キモい毛虫(ガの幼虫)が大量発生していることが多い。頭と臀部?はオレンジ、胴体は黒がベースだが、そこにグロテスクしか言いようがない文様がびっしりある。

これの幼虫は4月中旬から12月上旬にかけて目にするが、特に多いのが8月末~10月頭ごろ。

 

彼らは食草であるカラムシなどを、個体差こそあれ1日に50㎠(7cm四方)のペースで食いつくす。

カラムシの葉のサイズは大きくなったもので10cm~15cm程度と言われている。仮に13cm四方(面積にして169㎠)と仮定すると、彼らは3日強で葉っぱ一枚を平らげることになる。

そして幼虫である期間はおおむね2週間程度である。つまり1匹の幼虫が孵化してからさなぎになるまでカラムシの葉っぱが3枚以上食われてしま計算となる。

そういう虫が一株に何十、いや何百何千もいるのである市街地にちょこんとあるカラムシの群生程度はあっという間に食いつくししまうのは火を見るよりも明らかだ。

実際に彼らが食いつくし10月なのに枝だけになったカラムシなどの跡を見かけたことが何度かある(パッと思い出したのだと天草上島・二弁当峠のすぐ近くにあったカラムシの群生/2007年10月14日正午過ぎの話)。

他の木や草がまだ緑色の葉をつけるなか、カラムシだけが葉が一枚もない茎だけの無残な姿をさらしているのである。そのざまは周囲から浮いていて異様である

 

そして食い尽くした後は何千何万ものクラスズメの幼虫が周囲を徘徊する。グロテスクな姿態の虫が数千匹単位で蠢いているのだ。

なんかあの道やけに黒いな~アスファルト新しくしたのかな~と思って近づいたら、道路一面をフクラスズメの幼虫が埋め尽くしているのである。彼らは住宅など建物内にまでお構いなしで押し寄せてくる。

彼らは動きも気持ち悪い。頭部を挙げてヘドバンみたいな威嚇はするわ、口から緑色の液体は吐くわ、移動するにも尺取り虫を何十倍気持ち悪くした挙動をするわで、もはや動くブラクラ状態である

彼らは踏みつぶされると緑色の体液を周囲にまき散らす。死ぬ時まで周囲を呪詛するとか下手なホラー映画幽霊クリーチャーより何万倍も怖い。チープな幽霊ときで気絶していたフレッド長官に見せたらショック死しそう

 

彼らはガチの山奥や都心部にはほぼ出現しない。ただ、それ以外の野山~中山間地域~近郊都市にならどこにでも出没する。生息域も日本全域である北海道だろうが沖縄だろうがこの国にいる以上逃げ場はない。

それどこから朝鮮半島ユーラシア東部中国とかロシア沿海州)にも生息している。韓国でも2000年代とある地方都市で突如大量発生してニュースになったほどだ。

関東でいえば八王子町田・’(相模原市橋本横須賀などの近郊都市中心部近くにまで出没し、カラムシを食いつくしては周囲に災厄をまき散らすのだ。(相模原市の)橋本駅より東に1km程度離れた住宅街に大量発生した話もある。

彼らはドクガやイラガのように毒は持っていないことや、アメリカシロヒトリやヨトウガのように農作物(※)や管理されている街路樹などに出没しないため行政駆除対象になることは少ない。

ただ、精神的に攻撃を仕掛けてくるのがフクラスズメの幼虫である。彼らの精神攻撃を受けたくないので、9月前後には絶対に山などに近づかないようにしている。

 

余談だが、フクラ「スズメ」という名前だがスズメガの仲間ではない。スズメガの幼虫は臀部に上向きの突起があるイモムシ型だが、フクラスズメにはそれがないし毛虫だ。彼らはヤガの仲間である

 

(※)1970年代後半の某年に福島農業研究施設クワの葉を食害していたという報告もある。ただ、彼らにとってはよっぽど餌がないと食べないレベルゲテモノ?扱いのため、害虫認識されることはほぼない。

2023-08-06

いたばし花火大会に関して

火事が起きて途中中止になったけど花火最期まで上がっていたといういたばし花火大会だが、実は戸田市との共同開催になっていて、荒川を挟んで板橋側だけが中止になったのだ。荒川を挟んで両岸で打ち上げまくるのね。

でも板橋区の方では「いたばし花火大会」としてしかアナウンスされないし、戸田市側の方は「戸田花火大会」としてしか案内されないから、東京都民or板橋区民の中には戸田市の方でも打ち上げてるのを知らない人が結構いるし、反対側の埼玉県民、戸田市民の方も然りで、「中止になったのに最後まで打ちあがってたのは何故???」というなぞなぞみたいな事になってしまった。

 

そして両岸で共同開催という珍しい形になったのは、荒川改修工事が元になっている。

 

荒川放水路工事河道直線化

赤羽岩淵岩淵水門という隅田川入口を締め切る水門があるんだが、そこから下流荒川大正から昭和初めに掛けて開削した放水路だ。それまでは荒川の全水量が今の墨田川に流入していて水量が増えると東京下町の方が洪水になってその都度大損害を出していた。

そこで荒川放水路を掘るという大工事に至ったのだ。普段岩淵水門を開けておいて水は隅田川の方に流れているが、水量が増えたら水門を閉めて全部放水路の方に流れるようにする。

同時に岩淵水門の上流も大改修する必要があった。荒川がうねる様に大蛇行していて、当時の堤防というのは河道から500m~1kmも離れた所にあり水が溢れたら堤防までの土地(堤外地)は水没、という扱いになっていた。

これを止めて直線的に流れるようにして堤防に対する攻撃力を下げる。そしてちゃんとした高い堤防で完全に水を封じ込むようにする。

ついでに合流する河川も改修する。新河岸川彩湖付近で合流していたが、荒川堤防だけ高くしても洪水時は新河岸川の方に逆流するからそこから洪水になって無意味だ。

そこで新河岸川堤防荒川準拠に高くする代わりに、新河岸川合流地点を延長して荒川と平行して流し、赤羽まで持って行く。そして岩淵水門下流隅田川に合流させるのだ。確かに荒川の水量の影響を受けなくなるがすごい工事である

で、その河道はどうするかというと、蛇行している荒川の頂点に接線を引いて、北側接線を荒川南側接線を新河岸川にした。

地図で直接見た方がいいね。これだ。

https://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=35.795747&lng=139.695110&zoom=13&dataset=tokyo50&age=1&screen=2&scr1tile=k_cj4&scr2tile=k_cj4&scr3tile=k_cj4&scr4tile=k_cj4&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2

 

飛び地問題発生

すると接線の間にはサインカーブで分断された土地というのが出来る。

そしてそれまでは荒川埼玉県東京府の境だった。荒川位置を変更して北側接線にしたから、東京府側に下に凸型の埼玉県飛び地がいくつか出来たって事になる。

このサインカーブ飛び地問題、今の埼玉県川口市東京北区埼玉県戸田市東京板橋区が影響を受けるが、川口市北区側は早々に解決した。

今の埼京線浮間舟渡駅北赤羽駅浮間地区は元は埼玉県横曾根村の浮間だった。だが荒川改修直後に横曽村と川口町合併川口市へ)が控えており、その時に東京府に割譲すると取決めがされてその通りになった。

一方、戸田村の船渡地区東京府との協議が難航していた。浮間の方は横曽村がほぼ丸ごと東京側に行くのに大して、戸田村の集落埼玉側にあり、その船渡地区けが東京側に行く。

時折線が入り組んだ複雑な県境があるが、それが出来る理由というのは同じ地主土地県境で分かれないようにする為というのが多い。この場合地主土地を引き裂く県境引き直しだから難しい訳だ。更にその土地工場に売られたりして更にややこしくなった。

そうするうちに戦争が始まってしまう。東京府と東京市は無くなって東京都と板橋区が出来て話し合いの主体リセット。もう解決不能である

 

飛び地問題解決と合同花火

戦後になって流石に復興する前にあれ何とかすべきだという事になり、1950年、難航の末に戸田町と板橋区の間で県境荒川にする事で合意。今の地図を見ても蛇行の名残は見える。

https://goo.gl/maps/uEMgZazGCHPmMV2Q6

新河岸川の角みたいなのと浮間公園の池が蛇行の跡で、戸田葬儀場があるU字型の土地戸田から板橋区に割譲された船渡地区だ。

そこでこりゃ目出度いって事で、戸田花火大会を開催することになり、板橋区もそれに協賛という形で加わる形となった。後に協賛じゃなくて戸田市側の戸田花火大会板橋区側のいたばし花火大会同時開催という形に変化。

そしてこのいたばし花火大会の開催&打ち上げ地点というのはこの戸田市からぶん捕った土地河川敷なのである。これは飛び地問題解決を祝って始めた花火なのでここじゃなきゃいけないわけだ。

 

そしてこの経緯が火事の原因ともなってしまったのだった。

 

敢えての荒れ地

荒川河川敷は今の経緯から見ても判る通り、元は農地だった。戦後すぐまでもそのままで農民河川敷の農地を所有し堤防を越えて農業をしに来ていた。

だが堤外地で増水時には水没する土地でもあり自治体土地を購入して運動公園への転用ゴルフ場教習所など水没前提の事業者への売却を促してきた。つまりは「平地」として活用されてきた。

だがそのうち荒川河道は誰の土地でもないか放置されて荒れ地のままになっていた。それも昭和後期あたりから公園や払下げなどが進んできた。

だが現河道と旧河道の合流部は敢えてそのまま残される事になった。水面が切れ込んでいるので水生生物が流されにくい。そしてその周辺は敢えてそのまま荒れ地のままにしてバードサンクチュアリにする。

 

という事で、他の部分は運動場などで使うので綺麗に芝刈りされているのに「一か所だけ荒れ地のままにしているところでナイアガラをする」という条件が揃ってしまったのだ。

河道付近は荒れ地のままにして、戸田市からぶんどったこ土地でやるのが元々の花火テーゼから仕方がないのだが条件が悪いな。

 

他の原因

増田の推測だと他の悪条件も重なったと思われる。

まずは2019年台風19号。これによって荒川は増水し、昭和初期の堤防の高さを超える位置まで水位が上がった。

水が引いた後は河川敷の教習所ゴルフ場も泥まみれである。これらは2~5cm以上にも達し、人力で除去されたのだが、荒れ地の泥はそのままだったはずだ。

そして洪水の泥はナイル川デルタ文明を発生させるほどに肥沃であって、泥がそのままの荒れ地は猛烈に雑草が繁茂したはずだ。

更に2020~2022は東京五輪コロナの為に開催中止。肥沃な泥で荒れ地の雑草たちは伸び伸びと繁茂しまくり、その中には葛も含まれていた。こいつが来たらもう手に負えない。

そんな悪条件で更に当日は風が強かった。堤防下に管理道路があり、その脇の数mは普段から草刈りされていて、そこでナイアガラするのだが、そこを遥かに超えた所まで火が飛んでしまった。そしてそこには台風19号肥料を大増量されて3年以上も繁茂しまくっては枯れと繰り返した雑草特に葛が居たのである。悪条件が重なりすぎなのだ

 

ついでに周辺トリビア

ついでなので戸田橋周辺のトリビア開陳するよ

 

戸田ボート

戸田市側の堤防の向こうには戸田ボート場があるが、これは東京五輪用に作られたものだ。

だがこの五輪は2020大会でもなけりゃ戦後1964年大会でもない、幻となった戦前1940年大会用に作ったものである日中戦争激化でキャンセルされた幻の五輪に向けてこれだけ大きなボート場を作ったのだ。でも当時は埼京線は無いし交通はどうするつもりだったのか?都電戸田橋の南詰まで走ってたがこれは戦後開通だし。

因みに1964年大会ボート場としてちゃん活用された。

今は西側1/3をギャンブル競艇東側の残りの水面を大学実業団漕艇部が使うという形になっていて、それらの艇庫がズラリと並ぶ。

 

川口花火

飛び地問題を早々に解決した川口市の方は荒川での花火大会は無かった(最近出来た)。

だが戸田板橋花火大会が羨ましくなった川口市はたたら祭りという祭りを開催。その〆に花火打ち上げている。

これは川口オートレース場で行われるが、狭いところで打ち上げるので尺玉などは無くて、数も3500発位と、スペックだけ見たらしょぼく見える。

だがオートレース場は観客席と防音壁で囲まれており(数年前までマフラー無しの直管だった)、そこで打ち上げるので音が反響してもの凄い迫力である。また打ち上げ場所が近いので灰や花火の殻がバラバラと沢山降ってきてかなりワイルドなんである

これは高級スポーツカーよりレーシングカートの方が楽しいとかジャンボジェットよりもセスナブリテンノーマン アイランダーの方が体感的というのに似ている。

スペックだけでは判らない、結構穴場な花火大会なのだ

 

タワマン物流センタースーパー堤防

先のgooglemapsの航空写真では船渡地区のU字の丸い底の方に工場群が写っているのが見える。

これは新日鉄工場で、新河岸川は舟運が出来るので戦後すぐに出来たものだが(貨車トラックに乗らない長物が運搬できる)、実は今は解体されて無くなっている。

都内最大の超巨大物流センターになる予定で、ドローン配達基地にもなるそうだ。

ただ、ここは実はスーパー堤防予定地である。また、対岸側の川口市の方にはやはりスーパー堤防予定地にタワマンが数棟建っている。

いいの?と思うがスーパー堤防の整備年数は400年、タワマン工場耐用年数は60年で、修繕しても120年くらいだから建てちゃっていいそうなのだが、スーパー堤防の壮大さというよりも大言壮語さに驚いてしまう。

 

埼京線

花火会場の直ぐ近くを東北新幹線埼京線が鉄橋で渡っており、埼京線打ち上げ中は徐行して渡る。新幹線普通に走っているので乗客へのサービスと思われる。

 

全有料席化は不評

韓国の雑踏事故コロナのせいで有料席だけとして無料の人は出ていけとしている大会が増えていて今いたばし&戸田橋もそうだが、これだと市街地の道に人が溢れ、トイレゴミ箱の設置が無いからその始末を住民がする事になって運営無責任だ、見えなくしただけだという感じで結構ヘイトを買っている。このやり方はまずいんじゃないのか?

2023-08-04

香川文化

anond:20230731103637

ネイティブ香川民じゃなくて転勤で来た関東地方から移住者だけど、香川享受してる文化を挙げておく。

文化

割と多い。もちろん京都奈良の比じゃないけど、狭い県の割にはあちらこちらに文化財がある。やっぱりなんだかんだで讃岐国中央に近かったからかな。四国遍路もあるし。

国宝も、建物だけで2件ある。増田故郷の県は香川県よりずっと広くて人口も多いけど、建造物国宝がないので、正直羨ましい。近所にある国宝も見に行った。京都奈良で感じるような、荘厳! という感じではなく、地味な佇まいだったけど、ここで千年近くもの時を閲してきたんだと思うと自然と厳かな気持ちになる。

追記丹下健三香川県庁東館忘れてたわ! 何も知らずに県庁に行ったときに「やたらと作りがオシャレだな???」と思って調べたら重要文化財にもなってる丹下健三作品ビックリした。初めて行ったときには渇水注意喚起をする垂れ幕がかかっていてそこにインパクトを感じたんだけど、もっと建物自体を堪能すべきだった。

寺社仏閣神社仏閣

香川で外せないのはやはり金毘羅さん。参詣道にずらっと土産物屋が軒を連ね、色んな年代奉納記録に出迎えられ、途中に戦後掃海殉職した人たちの顕彰碑があったりする。そっか、金毘羅さんって海の守り神だもんな。参道の途中にある表書院には円山応挙作品もある! 応挙をじっくり見られるのは非常に嬉しい。そして奥社まで歩くとなかなかの運動になるし、何より奥社でしか売ってない限定お守りなんかもあるんで、ぜひチャレンジしてみてほしい。

屋島寺もいいよ。建物がすごい立派なのでそれだけでももう見る価値があるんだけど、宝物殿が地味に充実してて、立派な展示品に目を奪われてしまう。それに屋嶋城っていう、天智天皇時代に作られた山城も残ってて、地味に観光地としてのポテンシャルが高いんだよな(屋島といえば那須与一、と思うかもしれないけど、古戦場がまったく古戦場感しないので……)。

あと、津嶋神社レア度が高くてよい。沖に浮かぶさな島に作られた神社で、年に1度の夏季大祭(ちょうど今日だった! 忘れてたわ!)の日にだけ橋を渡って行くことができる。年に1度しか買えないお守りなので非常にレアだし、何よりその日だけは予讃線臨時駅津島ノ宮駅」が設置され、小さいお子さんを連れた親御さんと鉄道が大好きな大きいお友達がパシャパシャ写真撮影しまくっている。もちろん増田撮影したよ! ミーハーからね! 子供健康と成長の守り神だから子供たちがいっぱいお参りに来ていてほっこりした気分になるし、海の上に架けられた橋を渡って参拝するという体験がもうたまらないよね。

追記お遍路さんもいいよね。白い衣装着てお経唱えてる姿を見ると、信仰が生きてるなぁって思って感動する。増田信仰心薄いからお参りできれば満足なので……

大名遺産

香川県は、江戸時代高松丸亀にそれぞれ大名が封じられていた。なので高松丸亀のそれぞれに当時の藩主遺産がある。江戸まわりは天領のほかは小さい旗本領とかそういうのばっかりだったから、こういう「数万~十数万石の地方領主のお膝元」は逆に味わえないんよね。

高松名物はなんといっても栗林公園松平家のお殿様(水戸徳川家の親戚)が作らせた壮大な和風庭園で、「ザ・和風庭園!」って感じの景色が素晴らしい。秋ごろに行われる夜間ライトアップ絶景と言うしかない。園内にある掬月亭っていう茶屋には抹茶代を払えば入れるんだけど、ゆったりした畳の間で抹茶を飲んで菓子をかじりながら庭園を眺める時間幸せ。あと、予約すれば手こぎの舟で園内の池を巡れるらしいので、優雅な殿様気分にひたりたい人はぜひやってみよう。園内の土産物屋が充実してるのもいい。「どうだ明るくなつたろう」グッズも置いてあるよ!(あれを描いた絵師香川出身らしい。知らなかった)

丸亀城は……うん、遠くから見るとすごい立派だね! 松山城とか、他の天守閣と比べて明らかにサイズが小さいというか「大きめの納屋か?」という感じ。でも、よくよく考えたら香川西部っていう狭い地域統治してた藩の拠点なんだからこのくらいが適正サイズなんだろうな。全国各地にあったはずの小藩のリアルを今に残す貴重な建築だと思う。あとマジで実際のサイズと遠くから見たとき雄大さのギャップがすごいのでああいトリックアートじみた建築を作れた江戸時代職人さんすごい。登城しなけりゃ立派な城に見えるもんなマジで

離島

気軽に行ける離島が多い。そして離島にはそれぞれ独自文化や趣がある。八十八ヶ所巡礼の島ver.ってのがあって、小さな島でもいくつもの寺が残ってたりする。これまで行った島で良かったのは以下。

次は小豆島に行ってみようと思ってる。地味に『からかい上手の高木さん』の聖地でもあるんだよね。楽しみ。あと離島が点在する瀬戸内海景色美しすぎる。日本アドリア海だろマジで

博物館美術館

意外と充実してる。香川県立ミュージアムは香川史に関する展示をわかりやすく纏めてくれてて満足度が割と高い。廃藩置県の時期に一時期愛媛県併合されてたけど独立運動を繰り広げて置県を勝ち取ったあたりは溢れんばかりのパトスを感じられる。県庁松山だったのか……そりゃ独立したいよな、四国の反対側だもん。高松美術館はなぜか上田薫に力を入れていてよく展示している。デュシャンやらポロックやらはちっとも良さがわからん、という増田みたいな層にも魅力が伝わる絶妙なチョイスで良い。観音寺道の駅には「世界コイン館」という展示と大平正芳香川選出なんだね。知らなかった)に関する展示が両方あって、世界各地のコイン日本貨幣史を堪能したあと戦後自民党史が学べるという構成になっている。カネの意味が違ってくるでしょうが

そして「四国村」は絶対に外せない。屋島にあるんだけど、四国各地から伝統的な民家とか農業用の小屋とかを移築してきてて、ぐるりと巡ることで四国地の文化を体感することができる。一口四国といっても、山岳部から沿岸部まで色々あって、それぞれの風土生業に適した家屋の形があるんだな、という当たり前の学びをほんの数時間で得ることができるので、民俗文化とかが好きなら絶対に行くべき。

追記四国水族館のこと忘れてた。やっぱり地方水族館はその土地の魚を展示してなんぼなところがあるけど、四国水族館地元の魚の展示&解説が充実してるから好き。具体的には滋賀県立琵琶湖博物館の次くらいに好き。アカメ水槽インパクトあるよね。こんなでかい魚が日本河川に棲んでるのか……。あと琴平にある「金陵の郷」もいい。金陵っていう香川では有名な酒蔵が運営してるんだけど、日本酒の製造工程を原寸大の人形再現してあって実質的日本博物館金毘羅参詣の帰りにふらっと寄って日本酒の歴史製法について勉強したうえで美味い酒を直営価格で買ったり日本酒グッズを物色したりするの、最高ですよ。日本酒をあしらったマスキングテープ買っちった。

現代文

やっぱり何といっても瀬戸内国際芸術祭だろう。去年が開催年だったので増田も行ってみたけど、こんな小さな島にこんなに人が??? って感じになる。残念ながら増田にはあんまり魅力のわからない芸術作品もそれなりにあるんだけど、少なくともそれらが地元に根づいているのは感じ取れるし、国外からアーティスト呼んできてるのは率直にすごいと思うんだ。外人さんもそれなりに見るしな……

オタク文化でいうと、上で書いたように小豆島が『からかい上手の高木さん』の聖地になってるほか、観音寺が『結城友奈は勇者である』の聖地なので、観音寺観光案内所に行くとゆゆゆのパンフがもらえるしゆゆゆの絵が描かれた自販機もある。え? TVアニメは見れるのかって? 聞かないでください……(『プリキュア』『鬼滅の刃』『進撃の巨人』『水星魔女』は見れたよ!)。アニメ映画もなかなかやってないことがあるし、『プリンセス・プリンシパル』はわざわざ岡山まで見に行ったからね俺。あとやっぱり「仕事帰りにあの映画見てみるか」みたいなのは難しい。どうしても「今度の休日イオンモール映画見よう」になっちゃって、「空いた時間で試しに見てみる」的行動が取れなくなったから鑑賞本数は減った。

書店

まあ……これは東京大阪並を求めるのは無理ですわ。岡山と比べても明らかに書店の規模がショボい。書店めぐりはできるけど、池袋ジュンク堂みたいな大型書店めぐり不可能東京大阪なら確実に置いてあって岡山でもたまに置いてあるあのシリーズが置いてないのか~! みたいなのがあるからマイナーな本は諦めるしかない。もちろん売れ筋の本とか有名どころのシリーズを読む分にはなんも不自由はないわけだけど。

でもジュンク堂みたいな東京のチェーンよりも宮脇書店っていう地元チェーンの方が強いのは文化を感じる。ブックカバーデザインと紙質はすごい好みだけど、文庫新書ブックカバー上下が固定されてない形式のやつだからハードカバー選書を買うとき宮脇書店に行って文庫新書が欲しいときジュンク堂とか他の店に行ってる。宮脇書店は車がないと厳しい総本店高松市街地のド真ん中にある本店(いちおうビルがまるごと書店になってる)があるけど、総本店はまだ行ったことないんだよな。やっぱり総本店だと大都市顔負けの品揃えだったりするのかしらん。

あと、高松アニメイト、ラノベシュリンクが全ての本にかかってるわけじゃなくてすげえ牧歌的まさかアニメイトでラノベ立ち読みして買うかどうか判断できるとは思ってなかった。東京だとそんな性善説運用は無理でギッチギチにシュリンクかけちゃうからなぁ。

追記)ルヌガンガ、知らなかった! ありがとう! あと宮脇書店について書き忘れてたけど、地元チェーンだけあって香川四国岡山に関する書籍ものすごい豊富だし、県内のたいていの街に支店があるのもありがたい。香川文化を支えてる企業だと思う。品揃えについて補足すると、本当に普通読書ライフを送る上ではまったく支障はないよ! Y出版社から出てる◯◯学のガチ学術書シリーズが置いてない、とか、F社から出てる△△学のブックレットが見当たらない、とか、ぎゃああああ国内の××方言に関する本が2冊しかないじゃんジュンク堂書店池袋本店ならダース単位で置いてあるのに! とか、T大学出版会やH大学出版局最新刊をちっとも見ないな……とか、そういう話だから

飲食店

ご飯はやっぱり、うどん! あちこちにお店があって楽しいし、セルフサービスの店に入ったらうどん玉を湯がくのも客がやるタイプの店で「セルフってそういう……」となったりした。あと釜揚げ専門店以外では釜揚げうどんを頼むべきではないという暗黙の掟もある(調理時間がかかって他の客を待たせるので)。ただし基本的地元民向けのファーストフードなのでまったく旅行者には向いてない。

旅行者向けなのは、むしろアレだろ、骨付鳥とかそういうのだろ。骨付鳥はやっぱり丸亀本店がある「一鶴」。もちろん丸亀以外にも支店はあるけど、まあ一度は丸亀本店に行っておきたいよね。鶏は雛が柔らかくてオススメビール飲みながら骨付鳥食って、シメに鶏めしを食うのが最高。一鶴の鶏めしマジで美味いか香川に行ったら絶対食ってくれレベル一鶴以外にも骨付鳥の店は色々あるので、好きな店を開拓してみるのも楽しいぞ!

他にも、高松駅にある地元民向けの立ち食い寿司屋とか、三豊のラビオリ餃子屋とか(モチモチで超美味い。冷凍のやつを通販もしてるらしいよ)、香川産の食材を使った定食をお手頃価格で食べられるまいしょく家っていうローカルチェーンとか、色々美味しいお店があるので、ぜひ香川ごはんを味わってほしい。

そしてカフェ香川県でカフェめぐりをしたらもう東京カフェになんて入る気が起きなくなる。広々とした店内で好きに席を選べるスタバなんて初めて入ったわ……(丸亀スタバ市民交流センターも兼ねてるから店内に本棚があって自由に本を取って読めるんだよな。最高かよ)。店主にとっては嬉しくないかもしれないけど、香川県の人口が「カフェ複数ある」「混んでない」を両立できる最適の人口規模なんじゃねーの感もあるな。あちこちに落ち着いて座れるオシャレな喫茶店がいくつもあって嬉しい。あと高松商店街には和菓子屋さんが何軒もあって、そこの喫茶コーナーは和な甘味を堪能できてとてもよい。

イチオシ高松片原町商店街にある「了見」。センスの良い家具が飾られた落ち着いた雰囲気の店内で窓際から商店街の行き来を見下ろしながらお茶が楽しめる。お茶も、ポットで出てくる紅茶以外に、県内産の緑茶を冷やしたガラス製の急須に入れて出してくれたり、県内産の緑茶を使ったソーダがあったり、と、独自メニューが色々あって飽きないし、スイーツも美味しい。そして特に混んでないので長居しても怒られない! 東京とか札幌だったらこんな店並ばないと座れず時間制限とかかかるだろ絶対。こんな良い店でのんびりできるんだから、やっぱ地方都市は住みやすいわ~。東京は人多すぎやきん、落ち着いて座れないんよ~。

まとめ

とりあえず、東京暮らしが長い関東出身者だけど、香川文化を堪能してるよ、というお話でした。やっぱり東京メリットは集積にあるからマニアックな本がいっぱい並んでる大型書店に毎週通いたい! とか、東京国立博物館国立科学博物館国立西洋美術館を全部めぐりたい! とか、マイナー映画劇場で見たい! とかの逸般的な文化ニーズに応えるのは東京の方が上。仕事帰りにちょっと立ち寄る、みたいな気軽な消費もしやすいし。でも、忙しなかったり混雑してるのは嫌だ、ほどほどにのんびり文化享受したい、というなら、香川くらいの地方がちょうどいいんじゃないかなぁ、と思うのですよ、はい

追記)住み心地でいうなら、「雨が少ない」。これ。マジで水害がほぼ絶無。去年関東台風で大騒ぎになってたとき特に被害はなく「あ、なんか大雨降って早明浦ダム埋まったわw」くらいの感じだった(被災地の人には申し訳ないが)。もちろん雨が少ないから常に渇水危機はあって、一昔前は一般人取水制限とか受けてたらしいんだけど、少なくとも増田は住んでて水に困ったことはない。「水を節約してください!」っていう行政からのお知らせは色々来るけどね。雪も降らないから滑って転んでタブレット台無しにしたりしないので、気候で言うなら多分岡山の次くらいに住みやすいのが香川なんじゃなかろうか(岡山は水あるからね……)。

2023-08-02

anond:20230801214222

国際法もろくに知らないバカが考えたんだろうな的外れにも程がある

そもそも原爆投下問題点原爆使用にはない。あれの問題爆弾を「市街地」に使ったことなの酷い話だけど、戦時下に敵兵を殺すのは当たり前のことでそんな事にピーチクパーチク言うやつはいないんだわ

民間人を大量に殺した虐殺事件から広島長崎問題なんだが、それも分から原爆使用だけ禁止するのは「ビッグモーターゴルフボールで客の車壊したかゴルフボール製造禁止しよう!」って言ってるようなものなわけ当然問題は車を破壊したことであってゴルフボールを使ったことではない

とにかく教条主義的に原爆ダメ戦争ダメ!と教えてきた日本平和教育弊害がこれ以上ないほどよく現れてると思う。戦争にもルールがあるんだからまずそれを理解しないと

2023-07-20

anond:20230719231011

とりあえず秋田とか今豪雨で大変なとこはやめとこう~

熊本復興したっぽいからいってきなよ 九州お魚も牛肉うまいやで

秋田以外の東北クーラーそんなにいらないみたい

北海道最高気温26度

 

すぐに行けてラクなのは名古屋京都大阪だけど、

市街地フェーン現象アラブより暑いからやめとこうね。

地下道とかつかって迷うし行き倒れるよ。

 

大阪は常設の芝居小屋?が多いよ。ちかくに宝塚甲子園もあるよ。

当日券買えるなら見に行くのもいいとおもいます

 

USJとかディズニージブリパークレゴランドといったテーマパーク系はもういいよね?

それなりに雰囲気あっておもしろいけどここで尋ねなくても良いし。

あと長崎ハウステンボスとか沖縄マジで足の甲が焦げるくらい今は暑い

やっぱり夏は北いこうぜ。

2023-07-11

北海道感想

行った場所

すすきの札幌

東室蘭登別

長万部おしゃまんべ)

ニセコ小樽

富良野旭川

  

すすきの札幌

すすきのは飯屋や大人のお店が多い。新宿みたいだ。新宿を半分くらいの大きさにした感じ。

アイドルとかが売り子したりしてて、都会なんだな〜と思った。

札幌は、いろいろな企業が、新商品を全国に出す前に、札幌で出してみて反応を見たりするらしく、やはりいろんな新商品が置かれていた。

コンカフェで楽しめたが、コンカフェ東京よりレギュレーションが激しいというか、変なサービスは一切なかった。ちなみに、日本一すごいという噂のダークマターというコンカフェ札幌で、そっちはリスカで作ったドリンク提供で一時閉店などで話題になっていたところで、逆にすごいらしい。

札幌は、レベル高いところと新しい突飛なもの交錯するカオスでいい感じだなあって思った。

  

ホテルは高くて予約も一杯でなかなか泊まれないが、ニコリフレってカプセルサウナは安くていつ行っても泊まれたので、ニコリフレ宿泊おすすめか。

二乗市場ってのが海鮮で有名らしいが、夏は時期じゃないのか、そこまで海鮮うまいと思わなかった。昔、春先に函館で食べた海鮮は美味しかったのになあ。

  

東室蘭登別

東室蘭は、札幌北海道の真ん中らへん)と函館北海道の下の方)の中間地点くらいにある。

札幌函館中間地点は結構寂れたエリアなんだけど、登別洞爺湖ニセコなどの温泉キャンプスキーで有名な場所がある。

その辺りの地域には、東室蘭という、埼玉田舎くらいの栄え具合の街がある。東室蘭からなら、登別洞爺湖にはバス比較簡単アクセスできる。

ちなみに、東室蘭は本当に泊まるだけだったが、住むだけならギリギリ行けるかなくらいの坂ええ具合がある程度なので、東室蘭目的観光微妙

室蘭東室蘭よりだいぶ寂れてるらしいかスルー

  

登別とか洞爺湖とかが温泉街として固まってるエリアがある。

今回は登別へ。

温泉改装中とかで入れない温泉が多かった。夏の時期はそんなもんなのかな。

入れるところもあったので、入ってみた。登別温泉は確かに一流温泉だなあとは思った。

ただ、バスでの移動に数時間とかかかるエリアなので、東室蘭以外からときいかも。

  

長万部おしゃまんべ)

東京理科大の基礎工学部という学部の生徒は、東京入学式の途中に、長万部に連れていかれるという謎の制度がある。

1年間、長万部の校舎で寮生活をするらしい。ちなみに現在では基礎工学部ではなく国際デザインという学部長万部流しにあうらしい。

そういう、変な制度があると聞いてから、一度は見てみたかった東京理科大長万部校舎。

結構小さい建物で過ごしてるんだなという感じ。東大とかの建物1つ分くらいの中で、講義があって、食事があって、体育館があって、寮があってって感じ。

長万部校舎出身の人に聞くと、楽しい生活だったらしい。

田舎高校とかの寮生活みたいな雰囲気だった。

ちなみに、学食部外者は食べられない仕様

  

駅前で有名だというカニめしを買って食べたが、う〜ん、普通駅弁カニめしって感じ。

  

ニセコ小樽

ニセコスキー世界的に有名で、英語バリバリ通じる地方とのことだが、マジで普通田舎だった。

外国人土地を買いまくって、億ション立ちまくりだ!みたいな話を聞いてワクワクしていたが、景気の良さは一切ない。単なる本当の田舎

夏はキャンプ場が有名らしい。

普通に街をぶらぶらした後、駅前温泉へ。

駅前温泉は完成度高かったw

  

小樽は飯を食うだけで寄った。

飯は美味かったけど、飯屋の女主人の絡みがうざかった。

小樽の印象はこの飯屋の女主人一発で最悪になった。

  

富良野旭川

富良野ラベンダー畑youtubeで見れるような感じまんまが広がっている。

観光客は無茶苦茶多く、噂では1日数千万円の売り上げとかってタクシー運転手が言っていた。

北の国から感はない、結構栄えている。

まあでも、田舎田舎って感じではある。一面ラベンダーというより、一面田んぼ水平線の向こうまで続く山々って感じ。その中にラベンダー畑がある。

  

ノロッコという、ガタガタ電車旭川へ。

旭川は、東京でいえば駒込くらいの栄え具合だった。ホテルはどこも高くて予約でいっぱいだった。星野リゾートがあるからかな?

旭川ラーメンは、2か所で食べてみたけど、辛いって味だった。

旭山動物園は、展示頑張ってるなあと思ったが、小さめだか時間的にはすぐ終わってしまう。

夜のニュークラ(キャバクラ)では、苦学生が多くて、ビビった。旭川には塾講とかで稼げるところはないのかなあ。

  

追記

ちょっと伸びたので、ランキング

  

1位:銀座サウナ (旭川

旭川に、銀座があるとは、、、銀座って感じはないが、なんか、こち亀で出てくる昔の浅草みたいな素朴な通りが銀座って呼ばれてる。

そこにある、銀座サウナは素晴らしい!

  

2位:東室蘭スナック街 (東室蘭)

スナックママが、みんないい人だった。

家庭で塩茹でした素朴なカニをご馳走してくれてありがとう

  

3位:東京理科大 長万部校舎 (長万部)

高校の頃、田舎寮生活したのを思い出す。

男子生徒の猿のような声が聞こえてきて、微笑ましい。

こじんまりした感じ大好きだ。

  

4位:北海道大学(札幌

これぞ北海道に期待していた、デカすぎるキャンパス

学食も、北海道らしい素朴な見た目の学生たち。

大自然を感じながら、アカデミックな風を感じて気持ちいいね

  

5位:すすきののニュークラ(すすきの

高級な内装で、王様気分で飲めました。

女の子たちは、就職終わったばっかりらしく、弛緩した雰囲気の子たちが多かったね。

  

追記追記

ニセコって、ニセコ町じゃないよ

これマジ??

ニセコって駅に行って、心配になる程駅がど田舎駅そのもので、わけわからん鐘が置いてあるところが寂れた村感マシマシで。

村役場あるじゃん、ここにいけば、流石にニセコの中心でしょ」ってニセコ村役場まで歩いて。

マジで単なる田舎で、「ニセコ億ションどこよ?」で帰ってきてしまった。

まさかニセコ駅ではなく、全然ニセコから遠い倶知安町駅にニセコがあるってそんなあ。。。

  

二条市場典型的観光客向けの市場からコスパ悪いよ

そんなあ。。。

これトラップすぎない?すすきの駅降りたら、二条市場が呼びまくってる感じマシマシの看板群なんだけどお。

なんだよあの「海鮮ならここ!!」!みたいな案内。

トラップすぎるじゃん。

しかも、「千歳空港佐藤水産でもなんとかなる」ってなにそれえ。空港で食べれるんなら、北海道旅行の意味ないじゃないですか地元で最高の海鮮出してくださいよ!

  

>元旭川から ラーメンで辛いってどこで食べたんだろ 濃いはあっても辛いラーメンがよくわらん

新子っていう、鳥の丸焼き照り焼きソースかかったやつがラーメンと一緒に出てきて。

ホルモン塩辛くって、新子塩辛くて、ラーメンの味がしないくら塩辛かったです。

でも、たくさんラーメン店があったから、あれは旭川ラーメンじゃなかったのかも。

旭山動物園の旭山ラーメンの方は、普通に美味しい味噌ラーメンでした。

  

>「北の国から」の舞台の辺りは富良野市街地から山の中に大分入らないと行けない。

全然寂れてないじゃん。って思ったら、富良野の中でも格差さらにあるんですね。

「まあまあ田舎だけど、北の国からで栄えちゃって、北の国から世界無くなっちゃったか?w」とか思ってました。

2023-07-08

anond:20230707144742

東京うどん屋だと五反田おにやんまがまぁまぁオススメだが、それでもまぁまぁなのでそもそもうどんレベルが低い

東京レベルが高いのは立ち食い含めたそばが間違いない、個性のある地域の名店がほぼ各駅に存在してて値段を考えると相当面白い

 

で、本題の「マジで東京パン、美味しくない。」は95パー同意だがおいおい日本の都かつパン消費量日本一たる京都差し置いて勝手パンの都を名乗るとは何事?

というわけで「コンビニパンを買う奴はコンビニ社員家族人質に取られてる」が合言葉京都代表的パン屋を便乗紹介

 

・ル・プチメック JR京都

ル・プチメックは京都市内を中心に展開してる京都パン屋チェーンで今は大阪東京にもある

とにかくハードパンの風味とクラストが抜群に良く、ここの水準に慣れてしまうとそこそこな高級路線枠のメゾンカイザーですら「ちゃんパンだけど香りと味が弱いな……」と感じてしま

VIRONとポンパドール(ちなみに京都にポンパドール存在しないしそもそも全国チェーンが少ない、理由は恐らく進々堂志津屋といったご当地チェーンが強すぎるから)の価格

勝負できる店が改札内に入ってるのが京都レベルの高さの象徴で、最初の村から出たら即魔王レベル所業だと思われる

京都駅改札から出ない人でも買えるので乗り換えのついでにでもオススメ

 

・ワルダー

京都河原町駅から麩屋町通を歩いてった所にあるドイツパンベースの小さな

正統派ドイツパンに酸味に特徴のあるバゲットから食パン菓子パンまで何でもある(小規模店舗が多く、それなのにラインナップが異常に多様なのも京都の特徴)が

ここに来たら是非塩気のある惣菜パンを頼んで欲しい、どれもドイツパン的なずっしりとしたパンに酒に合う様なパンチの効いた大人の味付けがされている

特に山椒と七味を使ったバゲットやクセのあるチーズを使ったパンが絶品で、今書きながらよだれ出てる

 

フリップアップ

地下鉄烏丸御池駅周辺は京都市街の中でも一際レベルが高く、パン弱者はその闘気にやられて気を失ってもおかしくはない

前述したル・プチメックの2号店やソフト系の美味いしろはとベーカリー、激渋な実力店の手作りサンドイッチの店 タナカ、新進気鋭のクルスといった店舗がある中で一際有名なのがこち

ここはベーグルが著名で様々な味を加えたベーグルが手ごろな値段で楽しめる、無論ベーグルを使ったサンドイッチもグッド

個人的にはチョコレートベーグルベストで甘さを抑えたチョコベーグルもっちり感と相まってたまらない美味さ、これで200円なのは本当に異常

無論ベーグルだけではなく、多種多様で工夫を凝らしたラインナップが200円前後で並ぶ絵面は東京パン好きが見たら卒倒するのではないか

 

ブーランジェリーヤマザキ

少し外れて阪急西京極駅近くにあるパン

いきなり準急や各駅でしかまらない市街地の外れでそこまでの有名店でもないここを紹介するのは宇治にある超有名パン屋たま木亭直系の店だからで、宇治に行って並ぶよりはまぁ楽だろという理由

基礎的なパンも間違いなく美味いのだが、ここの系統の特徴はやり過ぎな味の盛り具合

パンバランスが重くなろうが関係なし、完全に振り切っており菓子パンというか菓子だし、おかずパンというかおかずみたいな異常物体が生まれ

このスタイルが気に入った方は黄檗のたま木亭まで突撃するといいだろう、ヘビーでどうかしてる美味い奴らが待ち受けているぞ

 

・アルチザナルとエズブルー

出町柳から今出川通り(こちらも御池と双璧を成すパン屋激戦区でル・プチメックの本店もこの通りにある)を御所の方に少し向かった所にある2件のパン

こんな高レベル店舗交差点を跨いで2店舗連続で並んでいるのは日本においてはかなりおかしな事だと思います

アルチザナルはオシャレでデニッシュ系が抜群、エズブルー庶民派でたまごを使ったパン(エズブルーのものタイプは違うが、京阪神にはたまごサンドへの異常な執着があるので機会があれば試して欲しい)がとても美味しい

なお、両店共ハード系は当たり前の様に平均点を余裕で超えているのが本当に狂っている

出町柳には下鴨神社から素朴系和菓子の頂点たる出町ふたばの豆餅という鉄板コースがあるが、パン好きならもう少し歩いてこちらの2店舗を回るのがオススメ

 

・まるき製パン

阪急大宮から五条の方に少し歩いた所にある操業70年オーバーの有名店

いわゆる昔ながらのコッペパンサンドの店で値段を考えれば相当に美味しいが、グルマン的には味自体はここよりも美味いパンはいくらでもある

しかし朝一から行列地域家族連れがカツロールにコロッケロール、あんぱんやらドーナツを大量に買っていく様はこの土地根付いたパン歴史を感じる事間違いなし

素朴で優しい味のハムロール200円で京都パン文化を噛み締めろ

 

とりあえず行きやすい有名店を挙げたが、そういった店以上に市街周辺であれば朝8時前後から開店するパン屋が文字通りどこにでもある事が京都最大の魅力

宿泊先のホテルGoogleマップででも探してみるといい、朝からパンが食べれる所が絶対にあるから

カルネやらニューバードの話もしたかったがあまりにも長くなりそうなのでこの辺で

京都でもちゃんとした和食ランチで5千、ディナーで1万以上はほぼ必須だし店選びも難しいから、京都で下手な和食行く位ならパン屋や町中華を回るのがオススメ

 

これは余談だが京都パン文化パン食を取り入れたのが早かったのが大きいのではないかと思われる

類似の例として中華肉料理もあるし、何なら今は大阪からスパイスカレー文化流入して大変な事になっている

まり京都人は文化に関しては和で硬派気取りつつ実は超ミーハーなので、参考になった方はよければ東京ラーメン最新トレンドを教えて下さいお願いしま

2023-06-10

図書館20年で3割増 自治体地域活性化の目玉に

社会調査

2023年6月7日 20:15 [有料会員限定]

全国で公立図書館が増えている。2021年度時点で約3400施設と約20年前に比べて3割増え、過去最多になった。多様な住民が利用するほか、新設への反対の声も上がりづらいとされ、市街地活性化の目玉にしやすい。子育てビジネス支援といった機能面の拡充も進んでいる。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE146SU0U3A410C2000000/

なんか図書館って時間つぶしのおじいちゃんおばあちゃんが「主」化してたり、

専業主婦が「セカンドホーム」化してたりして、

とっても居心地が悪いからあまり行かないなあ。

 

ひとことでいうと「教養のあるニートのたまり場」って感じで、民度は高くないと思う。

2023-06-01

anond:20230530151251

日の出製麺市街地大通り沿いにあるから勘違いしてる

田んぼの真ん中にあるのは「がもううどん

がもうは近所迷惑になるから大型連休や盆正月には臨時休業するから

近畿中四国に住んでる人じゃないと勧めづらいな

2023-05-30

自転車もっと車を邪魔して通行しよう

最近免許取ったので自転車もよく使う地方都市人間として自転車もっと車を邪魔して社会問題にしてしまえと思うよ。

自転車専用通行帯」東京23区で134路線整備も8割余に違法駐車 | NHK

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20230529/k10014082151000.html

自転車は車に遠慮せず車道を走れ

正直車に乗ってると車道自転車はクソ邪魔死ねと思うけど、警察がクソルール整備した以上は従うしかなくクレームが多発してルール改正される方がいいと思う。

自動車自転車に対して「安全な間隔」を取る義務があります安全な間隔を取れない時は車は徐行して後ろを走るんだぞ。狭い道の脇を通る車の方がルール違反です。

交通弱者保護されてる自転車様が通ってるんだが?という態度でいこう。

自転車専用通行帯に車が止まってる?車道ガンガン走れ。

自転車専用通行帯が路駐で走れないなら、車の通行帯に出るしかいね

ドア開けが怖い?ドアが開いても大丈夫安全な間隔を取ろうね。車線の真ん中くらいまで出る必要あるかな?当然だけど、車道に出る時は進路変更安全確認しようね。

そしたら車さんは通れないね~。でも車が邪魔問題責任は車が取ってもらおうね。

自転車乗りのせいじゃないからね。そうやってクソ邪魔なほうがルール改正されると思うよ。

遅い自転車も気にするな。追い越していい

遅い自転車車道にはみ出して追い越していいので、車線変更して道路に出よう。ただ車線変更安全確認しような。

車は車道を通行しててクソ邪魔自転車を追い越していい(間違いなく対向車線に出ないと抜けないが)自由があるので気兼ねするな。

逆走しちゃう道路を横断しよう。

自転車の逆走、多いよね。その対策交通ルールを遵守しつつやると地獄絵図になるので

是非ともやって欲しい

・順走して交差点を渡って反対方向へ

ダルすぎるので誰もやってない。

道路を横断して右折

自転車は車と同じように横断していいので、道路を渡って反対側へ行ってから順走しよう。

実現したら地獄絵図だよね。

あらゆる交差点コンビニスーパーから真横に自転車がヒュンヒュン通る光景を。

市街地で車乗るの止めたくなるわ。

交通ルールを遵守したらめちゃくちゃ地獄になるのが見えてきたね。

半端に歩道も走る現状ではなく、自転車車道走ったら邪魔もっと社会問題だってなったほうがいいと思うよ。自転車側も今のルールは危ないし。

2023-05-17

[]

土岐市美濃陶磁歴史館に行ってまいりましたわ

近くの古墳の整備事業が終わって出土品などの展示が行われていましたの

解説古代の土岐のことをカタカナトキと書いていて飛鳥時代トキ飛鳥トキですの?

馬が足りませんわ

どうやら大宝律令前は刀支と表記していたそうですわ

でも、土岐よりも七支刀を連想させる刀支の方が縁起がよく見えます

整備された段尻巻古墳と乙塚古墳も見てきましたわ

縁石によって規模が分かりやすくなっていました

石造物が雨ざらし位置にあるのは気になりましたわ

段尻巻古墳と乙塚古墳は同時期のものと考えられているらしく

小さい円墳の段尻巻古墳の被葬者一族は大きな方墳の乙塚古墳の被葬者一族の右腕的な存在だったのではないか

展示では書かれていましたわ

円墳の方が方墳よりも権威的には上らしいので、段尻巻古墳の被葬者は中央から派遣されてきた人間

公的地位は乙塚古墳の被葬者より高いけど、乙塚古墳の被葬者の方が現地での実力は上だった関係

想像してみましたわ

東海地方前方後方墳が多いのも乙塚古墳が方墳なことに関係があるかもしれませんわね

市街地南方丘陵地帯で大規模な道路工事が行われていて谷間の湧水湿地を潰していそうで

心配になりましたわ

ほとんど雑木林ですから高い部分を削るだけなら被害は少ないと思いますけれど…

https://toki.cloudgis.jp/urban/ の都市計画道路をみるとルートがわかりましたわ

2023-05-15

anond:20230515144812

しろ世界の方が福岡を正しく評価してるんだなあ・・・

空港より市街地まで地下鉄10分!

美食美女美酒!

世界歌謡祭 表彰

クリスタルキング大都会」(福岡モデル

あーあーーーーー果てしないーーー

夢を追い続けーーーーえええ

2023-04-26

ホテル高すぎない?

就活5月四国行く予定だから泊まるホテル探してるんだけど、どこも高すぎる。

ちゃっちいユニットバスビジネスホテルとかでも素泊まりで18000円。

というか土日はそもそも混んでて部屋取れない。

空いてるのは訳分からんゲストハウス市街地から外れたところの旅館だけ。

ゲストハウスはやべー奴と会う確率高すぎるから避けたい。あと一人で寝たい。

市街地から外れたところは移動面倒臭すぎる。新幹線の駅から車で40分。学生にはキツい。

去年旅行四国に行ったときは、1万以内でそこそこの宿に泊まれた。大浴場と朝ごはん付きで、ビジネスホテル+αみたいな。

旅行支援割使えば2割引きだけどそれでもちょっと高い。行き帰り電車にしようと思ってたけど夜行バス確定だな。とほほ。

2023-04-18

anond:20230418204831

現在東京駅まで5時間~6時間バスで4時間名古屋まで電車で4時間バスで1時間30分。

リニア品川40分、名古屋20分。

かにリニア中央新幹線があいたら、全然話は変わるのは確か。ただいつ出来るんだ?

城下町なので、旧市街はわりとコンパクト、その周辺に住めば徒歩圏内でいろいろできる。ただし、町そのものが山裾に張り付くように出来ており、坂しか無い。

リニアの駅は、殆ど郊外に作られる中間駅に対して、市街地に近い住宅地に無理矢理作られるので、その近くに住むというのも悪くはないかもしれない。

古い町並みは無いが、山はある。アウトドア系のアクティティが多い。

全国的名前の知れた企業工場は数社しかないが、中小企業が多く立地していて仕事はある。

2023-04-16

anond:20230416165545

そうなんだよね。

学校市街地の便利なところにあるならかろうじて自宅から通えたのに、変なところにキャンパス移転して、家からだと一限間に合わなくなったり、年次が上がって研究はじまると終電が早すぎて無理。

キャンパス周辺の下宿は軒並みそのへんの地主が建てた新築の安普請で、場所死ぬほど不便なのに家賃だけは一人前に高かったりする。そんな中途半端田舎一人暮らしするぐらいだったら、都会の大学行くよね。

2023-04-14

anond:20230414110723

こういうの見ると辛い。文体が違うから元増田じゃ無いと思うけどな

つか元増田もいつものなりきり増田だと思ってるけどな

会員制のホテルは割と会社福利厚生他で泊まれ

東京きて日本にもエスタブリッシュメント存在しているんだなを実感したいなら

松濤とか行くといいと思うよ

エリートリーマンFIREがどうたらって言ってる横で、40億の家が売られてたりするし

松濤1(神泉駅) 40億円の一戸建て情報

■面積約235.75坪の広大な土地

京王新線神泉」駅徒歩5分

■閑静な住宅街に佇む令和3年新築未入居物件

間取り 5LDK+3S(納戸)

 

沿線以上利用可、土地100坪以上、スーパー 徒歩10分以内、市街地が近い、システムキッチン、浴室乾燥機、陽当り良好、閑静な住宅地、前道6m以上、整形地、トイレ2ヶ所、2階建、東南向き、温水洗浄便座、都市近郊、アイランドキッチン、IHクッキングヒーター、都市ガス、小学校 徒歩10分以内、平坦地

 

そもそもこういう桁違いなの抜きにしても、永住前提の邸宅グレードのマンションは最低4億からだし、

エリートリーマン高級官僚勤務医やインハウスローヤーや町弁程度の収入じゃ無理っすね

 

あと、高給住宅地方民に認識がない住宅エリア武家エリア文京区高台渋谷区目黒区中央区のあたりには、

開業医でも厳しめの家建ってるぞ

 ↓

エリートリーマン高級官僚勤務医やインハウスローヤーや町弁程度の収入じゃ無理

いや本当に、年収千万でまったく無理だよね。その手の高級住宅地も高級ホテルも。

庶民が思いうかぶ金持ち」のイメージがまさに「エリートリーマン高級官僚勤務医やインハウスローヤーや弁護士」だけど、そんなの所詮は「高級な労働者」で、

本当の上流階級ってのは労働から離れたところにいるんだろうね。

 

うちの地元だって地元スーパーオーナー創業者の孫)とか、全国的には無名だけど豪邸に住んでるもん。

人を使う立場、買ったのではない大きな財産土地金融)を持ってる立場こそが本当の富裕なんだろうな。

 ↓

いやだから会員制のホテル会社福利厚生ほかで泊まれるぞ。一般人でも割と泊まる

起業してれば桁違いの金持ちじゃなくても税金対策で買うこともあるよ

 

ただ、40億の家はフツーに無理でしょうね。鳥山先生ならイケる?レベルの家がフツーに売られてる日本恐ろしい

 

ケタひとつ外して永住できる(資産価値暴落しない)邸宅グレードの家(4億以上)も

エリートリーマン高級官僚勤務医やインハウスローヤーや町弁じゃ厳しいでしょうね

属性フル活用して投資成功してればイケるか?くらいか

増田の言う通りただの労働者からな、彼らエリート

2023-04-09

そもそも飛行機市街地に作らない

https://togetter.com/li/2120670

飛行機市街の近くにある福岡が異常、とかそういう話では無くて

そもそも飛行機中心街近くに作るっていうのは都市計画上ありえない

五月蠅いし危ないし高層建築できないし良いこと一つもない

福岡の発展を妨げている原因の一つに空港があるといっても過言ではない

空港まで鉄道を引けとかいうのも微妙な話で

簡単に増便とか減便ができないかバスの方が合理的

ついでにいうと高速道路郊外に降ろすべきで首都高とか阪神高速とか異常

そのせいで景観へったくれもなくなってしまったが、逆にネオトーキョー的に東京景観になってしまった

鉄道郊外に作るようになっていたが大阪とか名古屋とか逆に駅周辺が発達してしまうっていうね

これも東京だけは例外でど真ん中に駅作ってある

東京人って東京を中心に考えすぎてて全然一般的な考え方ができないよね

東京ってかなり異常だから

2023-03-24

anond:20230324171753

会員制のホテルは割と会社福利厚生他で泊まれ

東京きて日本にもエスタブリッシュメント存在しているんだなを実感したいなら

松濤とか行くといいと思うよ

エリートリーマンFIREがどうたらって言ってる横で、40億の家が売られてたりするし

松濤1(神泉駅) 40億円の一戸建て情報

■面積約235.75坪の広大な土地

京王新線神泉」駅徒歩5分

■閑静な住宅街に佇む令和3年新築未入居物件

間取り 5LDK+3S(納戸)

 

沿線以上利用可、土地100坪以上、スーパー 徒歩10分以内、市街地が近い、システムキッチン、浴室乾燥機、陽当り良好、閑静な住宅地、前道6m以上、整形地、トイレ2ヶ所、2階建、東南向き、温水洗浄便座、都市近郊、アイランドキッチン、IHクッキングヒーター、都市ガス、小学校 徒歩10分以内、平坦地

 

そもそもこういう桁違いなの抜きにしても、永住前提の邸宅グレードのマンションは最低4億からだし、

エリートリーマン高級官僚勤務医やインハウスローヤーや町弁程度の収入じゃ無理っすね

 

あと、高給住宅地方民に認識がない住宅エリア武家エリア文京区高台渋谷区目黒区中央区のあたりには、

開業医でも厳しめの家建ってるぞ

2023-03-11

anond:20230311085306

以下のくだりが、とても印象的だった。

その時にわたし出身地名産が好きで、通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね、とさりげなく話題をそらしてくれた年配の男性がいた。

その人が後から「あの人、悪い人じゃないんだけどごめんね、自分神戸出身でさ」と言われた。

恥ずかしい話、「神戸出身から」と言われて私は何も分からなかった。

私は自分地震津波被災者で、東北で育った私たちが一番の被災者で、今後数十年はわたしたちが一番のかわいそうな立場だという感覚を持っていた。

「なぜ急に神戸?」とポカンとして「はぁそうなんですか…」と雑に返した気がする。

その後、関東に戻ってしばらくしてから、何がきっかけか覚えていないがオウム真理教の話になったとき

上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウム事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて

やっと気づいた。


ひとの災害経験というのは、ほんと様々で、一概にかわいそうな被害者としてのっぺらぼうな面をみるわけにはいかないよね。

自分けが被害者面していたかも、という気づき。こういうちょっとワンクッションおいて、時間が経って考えること、こういうのが大切なんだと思う。

ただ、被害者という言葉共通項を見出したとしても、阪神淡路大震災経験したひとと、東日本大震災経験した増田がこうして、何かのきっかけでお互いの体験共通部分に触れようとしたときでさえ、お互いが経験したものの奥行や背景は全く違う。でもそれは、もっと言葉を交わさなければみえてこないもの

多分、増田上記言葉を交わしたとき、その手前でふと立ち止まって考えたんだと思う。

ひるがえって自分の親戚の話。自分語りをトラバに混ぜるのはなんだかな、と思うところもあるが、テーマ性質上書かせてもらう。津波から数日後、東北もっとも大きな漁港ひとつで、親戚が経営していた漁業関連会社生産工場が全滅したとの一報を受けた。一方、杜の都に住む息子娘世代は全員無事だったという朗報にほっとしたことを思い出す。

しかし、それよりも震災から半年くらい経って、父が一言つぶやいた言葉のほうが忘れられなかった。

父は東北我が家家系からすると、よそから婿養子だった。

その父が他界した親戚をふりかえってぽつりとこうつぶやいた。

「あれは天罰のようなものだったんだろうね 」と。

期待していない予想外の冷徹つぶやきに私は動揺した。

他界した親戚一家は、さかのぼると、昭和8年津波の前から漁港生計を営んでいた。1933年津波で多くの財産を失った親戚は一から再建する際に、同じ場所でやり直すのはやめるべきだと再三にわたって、周囲から助言されていたという。しかし、結局、同じ場所人生をやり直し、次世代が引き継ぎ、そして次第に事業規模が大きくなり、津波記憶が遠ざかっていくなかで、そのまた次世代の方々が財を成し、地元の名士として羽振りよく、親族のなかで存在感を持つに至る。そんななかで、半世紀以上前東京に出て行った東北の令嬢が結婚前の父と出会う。

大切な令嬢(大地主の長女)をどこの馬の骨ともわからないよその県の小作人末っ子風情に嫁がせるわけにはいかない、という大反対の嵐。本家からなにから親戚中の冷たい目線。結局、結婚は許されて、父は母の家系に婿として入ることになるのだが、その時に受けた屈辱を忘れられないらしく、東日本大震災で全滅した親戚に対して、天罰、という言葉自身のつらみを含ませて表現したのだった。

父にとっては、かわいそうだね、では決して片づけられない感情

個人的には、なにより、貧しい者も栄華を誇った者も等しくなぎ倒した大津波の、客観的な、物理的な力に圧倒せざるを得なかった。

たとえ、誰と震災経験の話をするとしても、このようなパーソナルヒストリーの違いによる温度差は避けることができない。そう思っている。

震災経験していようがいまいが、あるいは同じく焼け出された隣人でも同じではない。大地震大津波破壊力を前には、あの家は無事だった、無事でなかった、そういうさまざまな経験がそれぞれにあるにすぎない。

こうしたファミリーヒストリー視点でそれぞれの思いがある一方で、

上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウム事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて

やっと気づいた。

という上司言葉。そして、「やっと気づいた」という言葉。このつながり方は、大変興味深い。「あの年は~」というのは個々の経験の違いを超えた、歴史を振り返った俯瞰的な総括を含んでいるからだ。1995年という時代、そういったマクロ視点での気づきをもたらすのも災害だ。

そして、それが何かの理由で、自分自身ファミリーヒストリー神戸出身者とのちょっとした会話と結びついたのだとすれば、それは自分ある意味「かわいそうな」私的な思いを、歴史の一コマなかに着地させようとする、そういう覚醒だったのかもしれない。

実をいうと、よりマクロ視点で、それぞれの災害にはそれぞれの社会的な背景があり、その脆弱性被害を増幅させている、という視点最初に提起したのは、阪神淡路大震災だった。

1990年代以前は、災害被害者というのは、災害管理文脈で救援対象として、比較ステレオタイプに捉えられていた。しかし、その認識を大きく変え、都市社会構造脆弱性に関心が高まったきっかけが1995年震災だった。こう書くとなにやら上から目線風だけど、阪神淡路大震災自分仕事として防災世界に入るきっかけを作った。

ざくっとまとめると以下のような歴史神戸にはある。

神戸都市としての成り立ちは、明治の初め、神戸港が開港された時から始まる。以降、港湾労働者が多く流入低所得層脆弱埋め立て地や条件の悪い内陸部へ集住するようになる。他方で、20世紀鉄道時代に入ると、阪神間交通網が充実し、六甲山ろくに高級住宅地が開発されるようになる。高度経済成長期には六甲の開発で切り崩した丘陵地住宅地建設、その残土で海岸が埋め立てられ、工場用地や港湾建設が進められていく。おりしも公害問題が深刻化した時代都市生活環境はますます深刻化していった。そんななか、オイルショックを契機に産業構造の転換という時代の変わり目を迎え、神戸産業シンボルであった造船、鉄鋼は停滞してゆく。それは関連する神戸の零細地場産業を苦境に陥らせ、今度は人口流出が起こり都市部の空洞化が始まった。都市部に残っているのは、流動性の低い層つまり高齢者低所得者ばかりとなった(インナーティ形成)。

これに対して1980年代神戸市の政策的な対応としては、財政問題の打開が先行した。バブル前の当時の考え方では、大規模開発こそが地域経済再生をもたらすと信じられていた。埋立地の利用による、ポートラインラド、六甲アイランド建設物流機能強化のための明石大橋建設最先端技術産業の誘致、ニュータウン建設など、新たな付加価値の創出が事態打開の切り札だった。

その一方、社会脆弱層への支援行政による市街地再生は後手に回っていた。

オイルショック後の産業構造の転換で取り残された低賃金労働者の町、老朽化の進んだ木造住宅密集地域長屋建ての住宅の占める割合の多い市街地長田区スラムのようなオールドタウン)は新陳代謝が進められなかった。地震対策の上でも洪水対策の面でも取り残された街となった。どのような地域であったか番町地区検索をしてほしい。

このような経済格差脆弱性が生み出された、マクロ構造変動のなかで襲ったのが1995年大地震であり、被害社会経済的脆弱な人々に集中した。暴力団員が懸命に救助活動していたエピソードを覚えている人もいるだろう。そういう街だった。

社会学的な視点でみれば、この地震の教訓として、被害高齢者低所得者に集中したのは、ある意味歴史的必然だ。格差が生み出された背景などのマクロ政治的経済的な動向と切り離せないということだ。

そして、このような格差脆弱性という切り口でみる構造分析は先月発生したトルコシリア大地震でも、当てはめることができる。

このように、可哀そうな存在というのを社会学的に脆弱性として構造的にとらえる、ひとつきっかけは、やはり他の災害を知るということであるし、昔の災害を知るということだと思う。

パーソナルヒストリーとしてお互いに触れあうことで、お互いに違うバックグラウンドにあることがうすうすわかってくる、それもまた、大切な気づきなのだと思う。

また、パーソナルなコミュニケーションが、例えばまさに「通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね」みたいな会話、これが実はマクロ特性を知るうえでも、その人のパーソナルヒストリーをしるうえでに、もっと重要エントリーポイントだったりする。仕事上、ひとから話を聞くときにいつも気に留めていることでもある。

からトルコシリア現在進行形震災について全体状況を大きな視点理解している国際機関よりも、よりミクロ視点で、特定家族地域の人たちにコンタクトがとれる小規模のNGO支援団体に私自身は微力ながら支援金を送付している。たまたまシリア難民支援をしている人と知り合いの知り合いくらいの関係SNSでつながっていたのがきっかけだ。アサド政権物資を止めてしまう現状も現地の声としてより関心を持つようになった。そのほうが確実に、受け取った人の顔がみえ、困っている状況がミクロにもマクロにもわかってくる。自分支援したお金支援先の一家族あたりの支援額(しか第一バッチ)の1/4にも満たないことを知る。こういうことも大切だと思う。

そのように、何かをきっかけに、他の災害に対して接点を持つ機会を大切にしたい。

その人が後から「あの人、悪い人じゃないんだけどごめんね、自分神戸出身でさ」と言われた。

というのは、居酒屋トイレ洗面所とかで何気なくかわす会話、とか想像していたのだけど、そういうのが大切だよね。そういうのが心の残って覚えている、ということがさ。もちろん完全にひとのことを理解するなんてことはどんなに会話を交わしてもない。でも覚えてさえいれば、そのなぜか覚えていた思いを何かにつなげることができる。その「きっかけ」というのはとても大切に思う。

災害を忘れない、というのはそういうことだと思うので。

2023-02-24

閃光のハサウェイ感想

冷笑って言葉が嫌い。何様やねんっていう。

今のままじゃいつかはダメになるけど、今の所しばらくは大丈夫そう。今の構造に苦しんでる人はいるし、気の毒ではあるけど結局他人事自分はそうならないとでも思ってるのかなんて脅されても、実際今まで無縁だったし、これからも多分そう。だから今の自分生活が大切っていう素朴な保身を手放しに非難できるのか。

現在苦しんでるけど、どうせ変わらないだろうし、そんな事考える余裕なんてないしという無力感を叱るのは傲慢じゃないか

社会を良くするのは「誰か」ではなくて一人一人なのだから、アンタらがそんな有様じゃ困るという憤りも、ヘラヘラと開き直る姿への苛立ちも分かる。

でもそれただをあー冷笑野郎だわー。目先の事しか見えないバカだわー呆れたわーと揶揄するなら、冷笑野郎はどっちなのかという。

優しく穏やかに、自ら歩み寄るべきだとは言わない。

人の事言えるほど利他的人間なのか?なんて邪推はしないし、そういう人間しか非難する資格がないとも思わない。利他的であった所で、他人にそれを押し売りしたり、「正しい側」から非難しまくるのもどうかと思う。

社会を変える事は大事だけど、腰を上げ楽な位置から離れるコストを皆が嫌う囚人のジレンマ状態。無関心な者と変化を望む者の分断。

社会を変えようとする人間暇人と笑うのも、目の前の生活を生きる人間愚か者と笑うのも、等しく傲慢だ。

という事をタクシーのシーンを観ながら思いました。アニメを通じてしか世界を考えられないオタクくんなので。

あと市街地を背にして人質にしておいて、いざ平気で撃ち込まれたらドン引きするシーンでそういうとこやぞって思いました。

2023-02-07

anond:20230207150849

素直に思うけど増田の勘は鋭いと思うよ

飲み屋街の託児所付近市街地広告是正されるべきものとされるなら、その是正が及ぶ範囲はおそらく飲み屋街だけでは済まなくなる

広告規制に関して何らかの思う部分がある人なら飲み屋街の市街地広告には悪影響があるという主張は認めることが出来ないと感じる

なにぶんこちらも広告規制に関して思う部分があるから

社会構造的なバグと言えば飲み屋街の託児所だよなぁと

飲み屋街に託児所存在することは付近を往来したことのある方々ならばその大半の方々は知っていると思うが、そこ付近へいわゆる「子供が居る場所での不適切市街地広告」という要素を加えると色々と何とも言えない、まぁハッキリと言ってしまえば正しいのか正しくないのかよくわからん状況に陥る。

例えば新宿池袋飲み屋エリアなんてのはその最たるもの代表例だと言っても過言ではなく、何でそんなところに託児所があるのか?と言えば、飲み屋性風俗に務める方々に自身の子供を預けたいという需要があるためであって、飲み屋エリア託児所は非常に存在意義が大きいものであるのは間違いない。

しかし、一部の言説に拠れば、子供が居る場所では市街地広告の内容に配慮がなされるべきという主張が存在するため、何とも言えないような状況が出来上がってしまっている。

親がそれを受け入れているならば仕方ないことなのではないかという考えも存在するだろうけれど、元の言説の子供に悪影響があるという主張は親が許容していれば解消するものなのか?と言えばそうではないと言えるだろう。親の認知許容の仕方で子供の影響度合いが変わるなんて全くもっておかしいのは明らかだ。

では逆に、あなたたちの子弟が通う施設の前や付近デカデカと一部で不適切とされる市街地広告が設置される予定があり、それが何ら法律条例違反しないことが明らかとなった場合あなたたちはそれを許容すべきなのか、それとも拒否すべきなのか。

これは飲み屋街の託児所付近広告という現実存在する事例を考慮すると、おそらくきっとたぶん、答えは出ない。自分を含めた多くの人々にこの問いへ"正しい答え"を示せる能力はない。

ある意味で、自分自身の無力さ、無能さと折り合いを付けながら生きていくしか無いという"答え"を見付けることのできる問いなのかも知れない。

2023-02-04

北海道帯広市百貨店藤丸」が閉店したことについて

概要

1月末日をもって、北海道帯広市にあった百貨店藤丸」が閉店した。

創業明治33年で、122年間経営したことになる。このあたりではよくあるパターンで、開拓地呉服商立身昭和初期にデパートへと展開してきた地元百貨店だった。

例えば釧路市の丸三鶴屋や野付牛(北見)の丸い伊藤系列は異なれど同じような環境で、開拓地百貨店として成長してきた。

諸賢ご存知の通り、百貨店などという業態今日び全く下火となっている。

北海道田舎においては高度経済成長期以降、郊外に新興市街地が伸長し、多くの人が自動車で移動する時代になった。

そして平成10年大規模小売店舗法廃止大規模小売店舗立地法の制定が運命を定めた。

この20年、みんな車で郊外の大規模店舗に行く。「中心市街地」の意義は消えた。


人々のリアクションへの違和感

1月に入ってから藤丸は連日客でごった返し、最終日には閉店後まで人々が店に集っていた。

藤丸に入っている店の常連だったり日常的に地下食品街で買い物をする人ならわかる。

あるいは藤丸に実際に働き、藤丸と共に生涯を送った人も惜別の念を抱くだろう。

藤丸文化催事も多かったから、藤丸で展示や展覧会をした人々も特別な思いがあるだろう。

藤丸を外部から支える市民団体もある。そうした主体的に取り組んできた人たちはさぞや残念だろう。

けれども、そうじゃない人が大半なのではないだろうか。

なぜなら、如上のような日常的に中心市街地に赴き消費や活動をしている人が本当に十分に多ければ、

日常的に藤丸は閉店直前のように賑わったはずだ。

そして当然閉店などとならなかったはずだ。

閉店間際に賑わいを演出した人々は、普段自動車郊外の広い駐車場のあるヨーカドーイオンに行っている。

なぜなら普段こんなに混雑しないからだ。

そんな人たちがマスコミ取材に答えて「残念です」とか「寂しいです」とかは、決して言ってはならないセリフなのではないかと思う。

言葉と態度が噛み合っていない。私はここに大変な違和感を覚える。

人々のリアクションへの違和感2

メディア扇情的報道ばかりで「思い出」探しに躍起である

出てくる思い出は子供の頃の昭和平成初期のキラキラした思い出ばかりで、例えば110周年120周年の話題はほぼない。

これは、この人たちが長じてから藤丸で思い出を残してこなかったからに他ならない。

よく子供の頃の思い出だけをいけしゃあしゃあと言えたもんだ、と思う。そしてそれをありがたがるマスコミ脆弱報道イメージおかしい。

近頃の思い出がないというのが問題本質であると思うし、そもそも昔のことしかさない人は藤丸の傷口に塩を塗っているように思える。

なぜ、この20年くらい、平成の後半まるまんま藤丸はそこに間違いなくあったのに、そこで思い出を残さなかったことに無自覚なのか。

そしてその無自覚さでなぜ「藤丸がなくなって残念です」と言えるのか。

消費行動への自意識

地元出身フリーアナウンサー安住紳一郎が以下のように述べている。

https://news.yahoo.co.jp/articles/433f558335f529f99b35f767731703687434e508

ネットショッピング郊外のお店が便利でお客さんがそちらに流れていることはよくわかります私たちも便利とか安い以上に自分の残したいお店は、ちゃんと不便でも高くても買いに行く消費行動がこれからきっと自分たちの理想とする社会の実現に関わってくるんじゃないかなと思います

私の抱えている問題を的確に表現しているように思う。

なぜ他の百貨店と比べて十分な時間的猶予があったのに、地元人間藤丸を存続させるような消費行動をしてこなかったのか。

そして、なぞそうであるのに(直接携わってきた人は別にして)、「残念です」「ありがとう」などと安直に言えるのか。

この点を、本当に「残念」と感ずるならば20年くらい考え続けてこなければならなかったはずで、「残念」と言語で言える人は、少しでもそのような事柄に携わってきた人だけなのではないだろうか。

普段イオンで買い物してるくせに「残念」はおかしいのではないか

から私は、この期に及んで藤丸がなくなってしまって残念とは思えないし寂しいとも思う資格がない。

なぜなら私はイオンで買い物しているからだ。身体が残念がっていないのだ。


マスコミナイーブさについて

中心市街地をどうするかは各地域で本当に難しい課題で、実際のところ商工会経済界の人々が何年も策を講じながらも充分な成果を挙げられていない。

こんな難しい課題を、藤丸がなくなっただけのこのタイミングでどうにも論評などできないのだ。

から浅薄な「昭和の思い出」や「従業員の裏話」的なものばかりが踊る。

実はマスコミ20年間、中心市街地の活性化話題を見ているようで見てこなかったのではないか

結局は自分には関係がないから、人々がどこでどう買い物しようがそれを報道すればいいだけの話だから、充分なコミットをしてこなかったのではないか

藤丸がなくなったのは1月31日だが、問題20年間継続しており、以降も続いていく。

藤丸がなくなっただけのタイミングで急に問題一夜漬け的に取り上げても、いずれも浮ついた論にしかならないのだろう、と諸報道をみて思う。

じゃあどうすれば

今となっては郊外の大規模小売店舗群こそが中心市街地なんじゃないですかね。

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