はてなキーワード: 経済界とは
海外の観光産業では、日本人観光客は「クレームをつけずに黙っていなくなるから怖い」と言われていると聞いたことがある。
なぜクレームをつけないのか。
改善するとは思えない、改善したとしてももう来ないから関係ない、文句を言って相手に響かなかったら(態度が悪かったり、逆に言い返されたりしたら)結局自分が疲れる…
色々な理由があるかもしれないけれどクレームはつけない。クレームはつけないけれど、ざわざわと口コミは広がる。結果行かなくなる。
わざわざ好き好んで悪い口コミを見なくても肌感覚でわかるし。皆生活するのに必死でそれどころではない。
政治家の言う少子化対策は結局バラマキで泥縄政策で、根本的な「産めばなんとかなる」「産みたくなっちゃう」という明るい空気の醸成には至らない。
むしろ実質増税案が出て「子持ち罰」なんて言われる始末だ。独身にも罰があり、子無しにも罰があり、子持ちにも罰がある。生きてるだけでほぼ人頭税。
ここへ来てこれならクレームつけても無駄かもな…的な政治への「期待のできなさ」が蔓延していて
(与党なんかはある意味その「期待のできなさ」のおかげで勝ち続けてきているとこもある。ので斬新な方針転換はできない)、結果、無言で産まなくなる。
特に女は産んだ場合の肉体的・自己実現的負担の大きさが半端ない。それでも昭和の頃なら産めばなんとかなったんだろう。
会社員夫と専業主婦妻でなんとかなるモデルが出来上がっていった時代もあった。でも今はそんな時代じゃないってことは、今さら説明するまでもない。
世界的に見れば人口は増える一方で、2050年には100億人超える説が濃厚で。
日本は少子化対策が喫緊の課題だと言われているけれど、地球規模で見れば人口は過多なんだから、別に減っていいんじゃないの?減らしたほうがむしろ適正なんじゃないの?地球のSDGs的には。
日本が人口増やさないと困るのは、年金とか労働とか主に「経済社会をどう回すか」のシステム部分なので、人口増政策を考えるのと両輪で「少ない人員で回る仕組み」を考え作ることも政治の仕事じゃないんでしょうか。
でもそれ全然できてないよね(実感できるのはセルフレジの増加くらい)。産めよ殖やせよ、つってバラマキしたところで、増えないよ今の政治のままじゃ。未来を感じられない政策のままじゃ。
翻って自分の話をする。
氷河期世代独身子無し。給料はさほど多くないけれど、一人で食べてはいける。
友達には結婚した子もいるし、離婚した子もいるし、なにより似たような境遇の子が年齢に関わらず圧倒的に多い。類友だ。
結婚して子供がいて離婚していない(言い方!)友達とは、今はあまり会っていない。
子育てが忙しいだろうし、向こうは向こうで類友(ママ友)と会っているだろう。なので私と私の周囲だけの話になる。
独身、皆楽しく充実して暮らしている。推し活、サ活、ソロキャン、ベランビング、ガーデニング、
同人活動、スパイスカレーに凝ったりなんかして…こうやって並べるとおじさんの趣味と変わらないけど、私たちもこんなもんだ。
独身子無しが「今とても充実している」と言うと決まって「先は厳しい」と言うひとが出てくる。意地悪だねぇ。
曰く「結婚していないと(子がいないと)寂しい老後になる」「ヨボヨボになったら誰に面倒見てもらうのか」トカトカトカ。
そんなのねぇ「どうですかね」としか思わない。
私たちはもう、結婚してて夫婦一つ屋根の下に住んでいても、子がいても、寂しい人を知っている。
諸々揃っていても寂しい人なんて世界中にゴマンといるこの世の中で、老後が寂しいか否かなんて「自分次第でしょうよ」としか思えないし、
自分の老後についても「まぁなんとかなるやろ」としか思わない。なんとかならなかったらその時はその時でしかない。
今どんな環境であれ未来がどうなるかわからないのは誰でも同じことで。あと「老後の面倒見てもらうために子を産む」発想は私にはないわぁ。
未来(老後)とか他者(子)のことよりまず「今」「自分」でしょ。刹那主義者ではないけれど、「今」の積み重ねが人生なので。
ごたごたと書いたけれど、私は心の底から「子供いなくてよかった…!」と思う。「産めばよかった」と思ったことがミリもない。
こんな世の中に産んだらかわいそう…責任が持てない…まっとうな大人に育て上げる自信ない…という気持ちを差し引いても、
そもそも自分の人生において子供を持ちたいと積極的に思ったことはなかったし(「持つかもしれんな」くらいならあった、あったこともある)、
これからもおそらくないし、ないままそのうち子を産めなくなって、それで後悔はないだろう。
「母性神話」の人たちには信じられないかもしれないけど、私はそんな感じだし、そういう女性(匿名であれ顕名であれそれを表明する女性)は増えているという体感はある。
女=子産み本能 とか別にないし、もし仮にそういった動物としての本能が「ある」ということだとしても、結局のところ本能に従って少子化が進んでいるんだと思う。
さっきも書いたけど、地球は既に人口過密なので。(水槽の魚が過密になったらなんだかんだで適正数まで減る…と同じという意味で「本能」でいいと思う)
今子供がいる人は、今とこれからの世代が子を産まなければ困るんだろう。でも我々子なしは困らない。残念ながら困らない。
私はひとりでいることが苦痛ではない(どころかむしろ快適だ)し、家や身の回りを暮らしやすく日々調整している。
プライベートな領域に「他者」が存在しないというのもあって、自分次第でどんどん快適になる。楽しい。
これは自分に「楽しむ能力」があるからかもしれないし、やっぱり自分で自分の食い扶持は稼いでいるからできることなのかもしれない。
もうほんとに、女は職を、経済力を手放してはいけない。本当に。資産家は別として。
雑音は聞かなくていい。自分の幸せは自分のもので、他人の幸せとは別もの。
自分にとっての幸せがわからないまま生きてる人も多いけど、わかった方が楽しいし。
それを知るために「絶対」ではないものの、あった方がいいのは「教養」と「経済力」だと私は思っている。
職もって自力で稼ぎ続けると、それ両方くっついてくるから…と思ってる。
(もちろん別ルートで教養や経済力を得る人もいるだろうし、そんなのなくても「自分の幸せ」が見えてる人もいるのはわかっており)
私が今自分で自分を養えるのは、自分の能力もあるけど、教育を与えてくれた親のおかげが大きい。ありがたい。
女を子産み奴隷にしておきたいタイプの人々は「女に学はいらない」と言うだろうけれど、幸運なことにうちの両親はそうではなかった。
(親ガチャ…あるね…と思う)
「結婚しろ」攻撃はいっとき強かったけど、今はもう諦めたみたいで「あんたが幸せならそれでいい」と言ってくれた。
孫の顔は見せられないが、私は強く楽しくまっとうに生きているので、親はそれ見て安心してくれたようだ。
贅沢を言えば、もっと給料がもらえたらいいし、て言うか、宝くじが当たって資産10億円になればいい。
そしたら趣味で仕事をします。社会との接点は持っておきたいから。
贅沢を言えば、常に恋人がいたらいい。恋をしてる時は楽しいしな。
あと、男女ペアの方が行動しやすい場もあるし、たまにはそういうの行きたい。
でも、贅沢を言わなければ、今のこの状態で必要十分だなって思うし、なんと、私は今幸せだ。
老後のためにある程度は資産形成して、体力づくりして、もし残るものがありそうなら遺言きっちり書いて、
あとは似たような境遇の友達と適当に暮らせればベスト。両親を見送ったら後はいつでもいいし。
とは言え生き死には選べないので、無駄に長生きしてボケ果てて死ぬかもしれない。それはわからない。
配偶者や子がいようがいまいが誰でも死ぬ時はひとりだし、なるようにしかならない。
政治や社会は少子化を「ゆゆしき事態」ととらえているけれど、一個人としてはこんな感じ。
本当に「ゆゆしき」と思っているなら、もっと早く対策しておくべきだった。
具体的にいうと、90年代、バブル崩壊後にすぐやって、団塊Jrという人口ボーナス世代を救っておかねば今こうなるのは自明だったんじゃないかな。
当時の政治や経済界が先を見通せず、仕事をしなかったので、正直手遅れだと思います。
今となっては人口減でも回る仕組みを作る方向に舵を切らないと、そっちも手遅れになるかもね。
いずれにせよ、2023年日本に生きる氷河期世代の女一匹として「子は持たなくて本当によかった」が本音。
追記1:ツイッターで自陣に回ってくるまで気づいてなかったんだけど、読まれてるのですね。長文なのに、読んでいただきありがとうございます。
「コメント欄が地獄」と見かけて気が気じゃなかったけど、ある意味想定内なのかもしれません。
まぁ、斜めにざっとしか読んでないけど…(「地獄」をひとつひとつ真正面から読み込むほどの誠実さは私にはないので)。
いろんな理由でこういった意見がお嫌な人はお嫌でしょう。だから「普通は/大多数は」「思ってても言わない」「クレーム入れずに黙って消える」のです。
表立って言わないことを敢えて書いたんだから、こういう言い分が耳障りになる人たちからの反発があるのも理解できます。
ただやっぱり、本稿に記載のない私の心情、状況、属性、生育歴、はたまたルックス等を「こうであるに違いない」「◯◯乙」と決めつけている系コメに関しては、
「それが私に刺さるとしたら、図星な場合だけかな…」とは思うのですよ。
しかしいちいち「違いますぅ!」「本当はこうですぅ!」とか言ってるうちに私の輪郭線がはっきりしてきてしまいそうですし、
「そう思うことであなたの気持ちが安らぐのであれば、そう思っておいてください」としか言えないですね。どうぞ安らかに。
追記2:「恋人はアクセサリーじゃねえぞ」的な意見もどこかで見ました。これはたしかにそう。
「オプション」という書き方がいやらしかったと自分でも思います。
愛し愛されは、ないよりあった方が自分的にはいいなと思っている、というようなことが言いたかったです。
ただ、自分は「常に恋人が途切れない」タイプではないので、恋人がいるときの楽しい嬉しい気持ちを思い出しつつ(むろん楽しいだけじゃないが…)という気持ちもあり、
また、恋愛→結婚という一本道も想定していないので「あったら楽しいオプション」みたいな書き方になってしまいました。ここ、うまく表現するの難しいですね。
追記3:たくさんの反応をいただき、ありがとうございます。こちらで追記は最後にしたいと思います。
まずネガコメをざっと見回して思ったのは「呪いがすごい」ということ。
「酸葡萄」「これでいいと言い聞かせている」「50、60になっても同じことを思っていられるか」「30年後にもそう…」「死ぬ前に…」
この類のコメントって結局言いたいことは「悔しがっていてほしい」「(どこかのタイミングで)子を産まなかったことを後悔しろ」「後悔して死ね」ってことなんですよね。
いやいや、しないと思いますよ。まぁ未来のことだから「絶対」とは言えないけれど、たぶんしないと思う。後悔しない婆になる。
でもそういうストーリー(子を持たない選択をした女が幸せに生きて死ぬ)は「嫌」なんでしょう、そういう人たちは。
で、私の興味は、なぜそんな呪いをわざわざ人にかけるのか?(大丈夫か?)、になるんだけど、
まぁ、呪ってる人々のパーソナリティ(男?女?未婚?既婚?子あり?子なし?自身の選択や現状を後悔してる?してない?)を推察したところで意味がないのでここでそれはしません。
私のパーソナリティを「こうであるに違いない」と決めつけられてもな…と同じくらい、私にとっては意味のないことです。
(「違いますぅ」「本当はこうですぅ」の応酬ほど不毛なことはない)
ここまではっきりと呪う思い(呪う思い…)を可視化されて、改めて思いました。
「女は『産む性』を行使しないと後悔する」という呪いにかかる必要なんかないよ、と。
「産みたい」という気持ちがあるなら産めばいいし、産んだことに後悔せず生きてく方がいいのと同じくらい、「産みたくない」という気持ちも尊重されていい。
「産みたいのに産めなかった」人も同様に、この呪いにかかる必要はありません。
「後悔させようとする」勢がなぜわざわざそうしたいのか、比喩的に端的に言うと「信仰が揺らぐから」なんだろうなとは思います。
「黙っておけ」という、言論の自由と真っ向勝負するが如くな封殺ムーブもその一環でしょう。
でもなぁ、他者に呪いをかけるようなその「信仰」に巻き込まれる必要は1ミリもないなと思いました。
生き方は自分で決めればいいし、自分自身への決定権を持つために必要だと思うことは、本稿で書いたとおりです。
他者や社会からの決めつけに「呪われない」、他者の生き方を「呪わない」で生きていられたら、私はそれが「幸せ」のひとつだと思うのです。
ご自身のポジション(男女未既婚子有無…)にかかわらず、肯定的なご意見をいただけたことにも、感謝しています。
皆さん、こんにちは。ここは円安の影響で苦しむ国民が集まるスレッドです。自民党や安倍政権、そして経団連が「円安の恩恵」を掲げていたけど、もうそんなのは聞き飽きたでしょう。
今、私たちはスタグフレーションの渦中にいます。経済は低迷し、物価は上昇し、そして私たちの財布はどんどん軽くなっていくばかりです。
自民党は「円安で輸出産業が活性化する」とか言ってましたが、それって一部の大企業の利益のための言い訳に過ぎないでしょう。そもそも、一般国民にとっては円安がどうこう言っても生活が苦しくなるだけです。
「円安ありがとう」とか、誰が言ってるんでしょうか?自民党や経団連の役員が言ってるなら、もう悔しいくらいです。私たちの生活を犠牲にして、彼らが得たメリットは何なんでしょうか?
政治家や経済界の人たちは、私たちの生活を支配する力を持っています。でも、私たちにも手立てがあります。こうしたことが続く限り、私たちが彼らを監視し、批判し続けることが大切です。
そういうわけで、このスレッドでは皆さんの苦しみや不満を共有し、行政や自民党、経済界などに対する皮肉や批判を投稿しましょう。私たち国民が力を合わせれば、何かが変わるかもしれません。
1月末日をもって、北海道帯広市にあった百貨店「藤丸」が閉店した。
創業は明治33年で、122年間経営したことになる。このあたりではよくあるパターンで、開拓地で呉服商で立身し昭和初期にデパートへと展開してきた地元の百貨店だった。
例えば釧路市の丸三鶴屋や野付牛(北見)の丸い伊藤と系列は異なれど同じような環境で、開拓地の百貨店として成長してきた。
諸賢ご存知の通り、百貨店などという業態は今日び全く下火となっている。
北海道の田舎においては高度経済成長期以降、郊外に新興市街地が伸長し、多くの人が自動車で移動する時代になった。
そして平成10年の大規模小売店舗法の廃止、大規模小売店舗立地法の制定が運命を定めた。
この20年、みんな車で郊外の大規模店舗に行く。「中心市街地」の意義は消えた。
1月に入ってから藤丸は連日客でごった返し、最終日には閉店後まで人々が店に集っていた。
藤丸に入っている店の常連だったり日常的に地下食品街で買い物をする人ならわかる。
あるいは藤丸に実際に働き、藤丸と共に生涯を送った人も惜別の念を抱くだろう。
藤丸は文化催事も多かったから、藤丸で展示や展覧会をした人々も特別な思いがあるだろう。
藤丸を外部から支える市民団体もある。そうした主体的に取り組んできた人たちはさぞや残念だろう。
けれども、そうじゃない人が大半なのではないだろうか。
なぜなら、如上のような日常的に中心市街地に赴き消費や活動をしている人が本当に十分に多ければ、
そして当然閉店などとならなかったはずだ。
閉店間際に賑わいを演出した人々は、普段は自動車で郊外の広い駐車場のあるヨーカドーやイオンに行っている。
そんな人たちがマスコミの取材に答えて「残念です」とか「寂しいです」とかは、決して言ってはならないセリフなのではないかと思う。
言葉と態度が噛み合っていない。私はここに大変な違和感を覚える。
出てくる思い出は子供の頃の昭和や平成初期のキラキラした思い出ばかりで、例えば110周年120周年の話題はほぼない。
これは、この人たちが長じてから藤丸で思い出を残してこなかったからに他ならない。
よく子供の頃の思い出だけをいけしゃあしゃあと言えたもんだ、と思う。そしてそれをありがたがるマスコミの脆弱な報道イメージもおかしい。
近頃の思い出がないというのが問題の本質であると思うし、そもそも昔のことしか話さない人は藤丸の傷口に塩を塗っているように思える。
なぜ、この20年くらい、平成の後半まるまんま藤丸はそこに間違いなくあったのに、そこで思い出を残さなかったことに無自覚なのか。
そしてその無自覚さでなぜ「藤丸がなくなって残念です」と言えるのか。
地元出身のフリーアナウンサー安住紳一郎が以下のように述べている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/433f558335f529f99b35f767731703687434e508
「ネットショッピングや郊外のお店が便利でお客さんがそちらに流れていることはよくわかります。私たちも便利とか安い以上に自分の残したいお店は、ちゃんと不便でも高くても買いに行く消費行動がこれからきっと自分たちの理想とする社会の実現に関わってくるんじゃないかなと思います」
なぜ他の百貨店と比べて十分な時間的猶予があったのに、地元の人間は藤丸を存続させるような消費行動をしてこなかったのか。
そして、なぞそうであるのに(直接携わってきた人は別にして)、「残念です」「ありがとう」などと安直に言えるのか。
この点を、本当に「残念」と感ずるならば20年くらい考え続けてこなければならなかったはずで、「残念」と言語で言える人は、少しでもそのような事柄に携わってきた人だけなのではないだろうか。
普段イオンで買い物してるくせに「残念」はおかしいのではないか。
だから私は、この期に及んで藤丸がなくなってしまって残念とは思えないし寂しいとも思う資格がない。
なぜなら私はイオンで買い物しているからだ。身体が残念がっていないのだ。
中心市街地をどうするかは各地域で本当に難しい課題で、実際のところ商工会や経済界の人々が何年も策を講じながらも充分な成果を挙げられていない。
こんな難しい課題を、藤丸がなくなっただけのこのタイミングでどうにも論評などできないのだ。
だから浅薄な「昭和の思い出」や「従業員の裏話」的なものばかりが踊る。
実はマスコミも20年間、中心市街地の活性化の話題を見ているようで見てこなかったのではないか。
結局は自分には関係がないから、人々がどこでどう買い物しようがそれを報道すればいいだけの話だから、充分なコミットをしてこなかったのではないか。
藤丸がなくなったのは1月31日だが、問題は20年間継続しており、以降も続いていく。
藤丸がなくなっただけのタイミングで急に問題を一夜漬け的に取り上げても、いずれも浮ついた論にしかならないのだろう、と諸報道をみて思う。
物価や賃金が上がってないのに金融、財政の引き締めとそれに伴う円高を志向し、国際金融のトリレンマを理解せず円安を問題にする、この馬鹿な提言で失われた半世紀確定かな。その一方で、なぜ物価や賃金が上がらないのかとか言うのだから頭がおかしい。
物価2%は長期目標に、令和臨調が政府日銀共同声明の見直し提言
https://news.yahoo.co.jp/articles/968a0fee116ab6790fb3fd727f280a6b96adadde
経済界や学識者でつくる「令和国民会議」(令和臨調)共同代表を務める佐々木毅・元東京大学総長らは30日、政府・日銀が2013年にまとめた共同声明(アコード)の見直しを提言した。見直しの理由として、十分な成果が出ていない一方、財政規律の弛緩や円安などの副作用が目立つことなどを挙げた。
春闘に関するNHKの報道を見ていたら、いつもながらひどかった。
まず労働者や組合側の主張を取り上げ、次に経営者・使用者側の言い分を紹介し、それを第三者的な研究者やジャーナリストが解説する、というのが高校生でも思いつく普通の番組構成。
ところがNHKは、最初から最後まで、「自分の会社では効率的な経営で賃上げを実現している」という、経営者の言い分というか自慢話を垂れ流しっぱなし。出てくる解説者も、民間企業のシンクタンクの人で、基本的には企業の利害を代弁するのが役割の人であり、中立的な第三者とはいえない。
とにかく、労働側の人の声が全く出てこないことでは徹底している。現実の力関係を考えれば、労働組合側に偏ったぐらいの番組構成でバランスがとれているはずだが、労働側の当事者や研究者は誰も出てこない。
しかしこれでもNHKはまだましなほうで、企業広告のプラットフォーム化している民放はもっとひどい。
賃金が停滞している理由が何かって、「日本は賃金は高すぎて国際競争に勝てない」と散々喚いていた経営者や経済界、労働組合を既得権益の権化であるかのように叩いてきたマスコミがまず反省しろ。
イーロンマスクは「規制のない自由な言論空間」などというものは、全て差別とプロパガンダの大洪水にその他の言論が飲み込まれるだけという事実を知らない低脳であることがはっきりした
そもそも無料で人を集めるTwitterは元から広告の力がなければ存続が不可能なクソビジネスだからこそ当然の成り行きとして規制を進めてきた、Twitterにとって差別とプロパガンダが大好きな連中というのは顧客ではなく大事な利益を削っていく有害なゴミだからだ
その醜悪なゴミ共を何を勘違いしたのか光の戦士だと錯覚し、自らを守っていた規制という城壁を取り壊して、どこにも居場所のなかったゴミ共を迎え入れたのがイーロンマスクという低脳だ
当然ネットスラムの落書きの間に広告を貼り出す気のない企業は既に撤退戦を開始している為、Twitterは収益とともにその規模を大幅に縮小せざるを得なくなる
その後に残るのは馬鹿な男とそれが搬入したゴミの山、それと大量の負債だけだ
低脳は「Twitterの収益が下がったのは規制を行う活動家の責任」だとしていたが、実際その「活動家」とやらはTwitterの収益を上げるために行動していただけであり、逆にそれを追い払った低能は生命線である広告を出す企業に中指を突き立て、現在進行系で過去の誰よりもTwitterに損害を出している
ゴミの中からはTwitterの認証有料化案なんてうめき声が時折聞こえてくるが、そんなものは広告が生み出す莫大な利益と比べれば雀の涙にもならない、カスだ
また、対策が弱くなり、差別とプロパガンダが横行するということは単純に広告が減って利益が減るというだけでなく、Twitterを発端にした犯罪が起きる可能性も急激に高まるということでもある
破壊行為、未成年売春、詐欺、誘拐、殺人、違法薬物の取引、テロの煽動、過去に様々なSNSで発生し、その対応にスタッフが朝から晩まで追われた数々の重大な問題を、今になって意図的に再現しようとするTwitterを社会が許すわけもない
Twitterのスタッフが警察とデートする機会は以前から珍しい事では無かったが、今後のTwitterのオフィスは毎日全世界の警察組織とティータイムをする場所になる
運良く金が手に入っただけの頭の悪い成金が、多額の金を払って今後尋常ではない程の損害や問題を生み出す事が確実な物を作ったというこの滑稽な事実は、今後も経済界だけでなく多くの場所で嘲笑されるだろう
もともとアメリカは車関連とかで散々アメリカと貿易摩擦をやってきたので
そういう意味で、アメリカは日本からの輸入を過剰に目の敵にする部分がある
また、日本が半導体産業に入った時点ではアメリカと日本は敵対関係にあった
これは今に比べればまだ需要がそこまで莫大でもなかった時期なので、
日本の半導体製品が売れれば売れるほどアメリカの半導体製品が売れないという状況だったため
TSMCやサムスンが参入したころには半導体需要は大爆発しており、
半導体を使用した製品はアメリカ国内の産業でも大きな割合を占めていたので
アメリカとしても国外からでもいいから半導体を仕入れなければならない状態だった
TSMCやサムスンに対してもアメリカは「アメリカ国内に工場作って現地民の雇用も確保するよなぁ!?」
と圧力をかけており、TSMCやサムスンも実際に数兆円規模のアメリカ工場に着手している
日本が半導体に参入した時期には「半導体メーカー」という形ではなく
最先端でなおかつ規格のアップデートが激しい半導体という概念に対して
経営陣の理解が追い付ておらず社内で十分な金をその部門にかけなかったことが原因の一つと言われている
そしてその部門でもうやってられんわと辞めた人や、部門の切り捨てで職を失った人が
韓国や台湾に渡って「半導体メーカー」として立ち上げに関わったたのが今のサムスンなどにあたる
つまり彼らは「半導体」というものの価値を十分に理解しており、
巨額の資金投資をするだけの価値がある概念であるというところからスタートしている
巨大企業の一部門でしかなかった日本に比べるとスタート地点が違いすぎる
みたいな感じかな、知らんけど
職場のお局様とかおるやん?
男のボスって大体奢るし、なんか困り事が発生したら矢面に立つ。
女のボスはそういうの無くない?集団で茶でも飲みに行った時、100%に近くワリカンじゃね?(女集団で誰かが奢る場合、何らかの罰ゲーム的要素が強い)
仕事でもさぁ、男のボスは取り巻きに良い思いさせたり、引っ張り上げたりするよ。(その代わりこき使う時は酷い)
女のボスが自分の取り巻きを持ち上げて、地位や仕事をやる風景、マジで見ない。
職場の男女比を考えてもそれ以上に無い。ほぼ絶無。
親ガチャじゃないけど、何かのきっかけでポンと跳ねて地位を取ったらちょっと安泰みたいな所あるやん?
ポジションは心の安寧を、心の安寧は効率的な仕事を、効率的な仕事はお金を、お金とポジションは心の安寧をみたいなサイクルが回ると強い。
「この仕事、あいつに振ったらまぁ丸めてくるだろ。次にもつながるんじゃね」
「赤の他人に振るくらいならアイツにさせるか。気心も知れてるし」
みたいな。
振られた方も、相手のメンツを潰せない(潰すとハブられる)という縛りがつき、ある意味信用書きみたいな効果もある。
愚痴の言い合い、世間話、気に入らんやつの排除はむちゃくちゃする(このへんは男もする)が、仲間内で助け合わない。
そしてボスっぽい役割をする女がいない。やる気のある女は永遠に個で戦ってる。
少数ながら女も登りつめる個体はおるわけで、そこからロープ垂らして別の個体を引き上げりゃ上層に居場所が増えるはずなんだよな。
アマゾネス軍団みたいなのが経済界に居てもいいと思うんだよ。でも聞いた事ない。
俺も引っ張り上げてくれたパイセンが居て今がある。(俺年収3000マンくらいのフリーランサー)
もちろんパイセンの声がかかれば最優先で最高の仕事をするよ。目をかけてる若い子、同年代の使える奴に手伝ってもらったりもする。
そしたらパイセン関係からいい仕事が回ってくるし、若い子と一緒にやってポートフォリオに書ける仕事を増やしてやれる。
クライアントの伝書鳩やってる若い子も面倒見てやれば、そのうち偉くなってこの仕事ならあの人だなと思い出してくれる。
仕事はこうやって回していくと、俺はパイセンの背中から教わったからそうしている。
気心知れて若い女に信用書きつけてやる偉い女、マジで見ない(男につけてやる偉い女はそれなりに見る)
聞いたら、女はどうせ仕事辞めると遠い目をしていた。お前女じゃねえかと心のなかで突っ込んだ。(そして靴をペロペロして仕事もらった。アネさんありがとごぜーやす)
今の世の中、男社会ってのはその通りだと思うし、フェミや女性活躍活動家の皆さんがその社会にルサンチマン増しマシなのもわかるけれども、
男社会の効率的なところは学んで実践した方がいいんじゃねえの?
それとも、俺の知らない所で女社会エコシステムがすげえ勢いで回ってるの?
女で仕事頑張ってるみなさんはどう考えてるの?
追記っ
お前は女つかわねーの?と言われそうな気がした。
先に回答すると使わない。
もちろん中にはやる気ガールもおるけれども、男と引っ付くとすぐ妊娠して離脱する。
数えているが、仕事振って数回で逃げた男が46人中6人。同じく数回で逃げた女が11人中5人。
使い物にならずフェードアウトも各数人おるが、まぁ女使うの無理。マジで無理。
中にはすげえ女もいるけど、俺程度の人を見る目じゃ無理だわ。
育てりゃ逸材もおるんやろなぁ・・・もったいないなぁ・・・。でも無理。
クライアントの超デカい会社の人事マンに聞いてみたが、やっぱ企業内で統計取っても女の離脱率やべぇって話。
「数年単位のプロジェクトだけどやりきったら超キャリアアップよ?きついけどやる?」って聞いて、超やります頑張りますみたいな女の子が、男作って妊娠してドボン。あるあるすぎて泣いちゃうそうだ。
さすがに数字は教えてくれなかったけれど、人事部で統計とって性別でバッチリ有意差出てるってさ。
9時5時で回る仕事ばかりじゃねえし、そういう汚れっつーか体力勝負っつーか、管理職なんてそれらが出来てナンボみたいな所あるやん?
そうじゃねえ、女も殺る時は殺る。って事ならぜひやってくれ。使える人はどの業界でも常時不足している。
でも女が重要プロジェクトに関われない現象、とりあえず女のパイセンが無茶苦茶やってきた結果というのは認識した方がいい。
仕事に限定すれば、生理と妊娠出産無しで体力も遥かに優位で常時稼働できて集団戦とコネもこなせる男に勝つの、なかなか難しいと思うよ。
「日本」に2年ぶりに帰国したら驚いた「空港」「学校」「スーパー」のヤバい現実
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/93353?page=4
まさに「エリートクズ」というべき人間だなあ。「老人支配」のせいなわけないだろ。
なんでペーパーレスと電子化が進まないのかって、民間企業については「人力より電子決済システムを導入するコストの方が高い」、行政については「電子化を導入し、それを担う高度IT人材を雇うための予算がない」という単純な問題につきる。
前者は賃上げ抑制と雇用の非正規化を進めてきた経済界の責任だし、後者は官僚・行政と公務員をバッシングをして予算と歳出の厳しい削減を求めてきたメディアと世論の責任だろう。この岡村みたいな「意識高いグローバル人材」はその中心にいたはずで、なんで他人事みたいに批判しているんだろうか。
安倍元首相にできるか、というのは議論以前に実績が証明してるのでそこは放置するとして
じゃあ岸田首相が徹底抗戦を言えるのかといえば「官僚の意見を総合的に取りまとめた結果、降伏します」って言いそうだし
自民党の老人たちの地元利権最優先体質、大国すり寄り体質からしても党内を徹底抗戦でまとめるのは無理だろう
野党はといえば維新は自分たちでも言ってる通り真っ先に逃げそうだし
立憲にしても前の枝野さんなら震災の実績あるし一応は逃げずに戦ってくれそうだが、そういう人は必要ないって党首から引きずりおろした結果の今の融和寄りの党首なわけだし
共産党は誰に何を言われようと徹底抗戦にまい進するだろうけど、まさにその徹底抗戦大好き体質が日本の中間層に忌避されて今に至るわけで