はてなキーワード: 筆舌とは
はっきりとは表現してなかったけど、戦後と考えて良いんじゃないかな。だから父親が息子を探し回れたわけだし。その辺はフィクションだから、この解釈で別に良いと思うよ。
ドイツ軍のおじちゃん、ステラン・スカルスガルドだけど、あれは単に良い人だったから。司令官は流石に靴も必死で磨いてくれる子供を殺せなかったんだろうね。一応伏線貼ってあって、疎開先の叔母さんが靴を綺麗にすることを教えてくれてたでしょ。
そりゃそうだよ、親に疎開させられたせいでそれはもう筆舌に尽くし難い酷い目にあったんだから。彼は疎開させられたからあんな目にあったんだと思ってるんだろう、で父親が「そうするしかなかった」と言い訳したからブチ切れた。そして部屋を出て街中の廃墟のガラスを叩き壊す、そうとしか表現できない少年の複雑な感情に泣いた。でも、一緒にバスで帰る道中ふと父親の腕の刺青を見て、気付いたんだと思うよ。お父さんも名前を奪われてたんだって。個人的に、ホロコースト物が好きで多少は知っているので、その瞬間にホロコーストの信じ難いほどの悲惨さが頭に思い浮かんで、どう言えばいいのかよくわからんけど、物凄い映画を観たんだなと感動しまくったわけ。
あれ何なのだろうね? 検索して調べようと思ったけど、どう検索して良いかすらわからなくて。
目をくりぬかれた人はどうやって撮影してたの?
そりゃ今時はCGだろうね。白黒だから簡単だろうし。カラスとか鳥、ネズミや猫などもCGだろうね。ひょっとすると馬もかもしれない。CGはもっとたくさん使ってるだろうけど最近は普通になってるからもう全然わからんね。
第一次世界大戦くらいは、革命に反対していた古い連中の集まりだから、共産主義は反対だったのがコサック。コサックの歴史は結構古い。でも第二次世界大戦中はよく知らない。詳しいことも知らんけど。て言うか、ロシア軍じゃなくてソ連軍だよ。
有名な役者いっぱい出てたんだね、誰も知らんかった
司教役のハーヴェイ・カイテルは名優だし大物俳優だよ。ドイツ兵のいいおっさん役ステラン・スカルスガルドはめっちゃくちゃたくさん映画に出てる名脇役。ジュリアン・サンズも結構たくさん映画に出てるけど個人的にはキーファー・サザーランドの『24』で悪役として出てたのを覚えている。バリー・ペッパーは多分そんなにたくさんは出てないと思うけど、何と言っても『プライベートライアン』の超有能スナイパー、ジャクソン二等兵役はあまりに有名。
そんなとこかな。
流石にいくらネタバレでも、最後はあまり語りたくありません。最後の方で私、めっちゃ泣きました。今思い出しても泣けます。戦後になっていたのだと思いますが、少年は孤児院で保護されているのですが、父親と再会したからって、少年はちっとも嬉しくないのです。あんなに帰りたかった家に帰れると言うのに、です。そして、少年の感情が爆発します。ここでもう、私いきなり涙腺崩壊。
それまで、映画としては淡々と話は進むのです。会話もほとんどありません。あるサイトで監督が言っていましたが、3時間の映画でたった9分しか会話はないそうです。そりゃそうですよね、インタースラブ語なんてスラスラ話せる役者がいるわけもないですしね。でもそれがいいのです。そして、音楽すらありません。聞こえるのは自然の音がほとんどですが、これがまた抜群に良いわけです。モノトーンでしかありえないめちゃくちゃ綺麗な自然。ずっと見ていたいぐらい、素晴らしい映像美ですよ。比較するならそうだなぁ、あのレオナルド・デカプリオ主演の『レヴェナント』に匹敵するくらい自然が綺麗です。個人的には超えますね。
ともあれ、そんなにドラマチックな展開もないので、こっちもそんなに感情の起伏はありませんでしたが、ほんとにラスト、泣いた泣いた(笑)
そして、本当のラストで、もうめっちゃ感動しましたね。これは、ホロコーストの歴史を少し知っていたからだと思います。あの筆舌に尽くし難い前代未聞の悲劇がたったそのラスト一分にも満たない映像の中に凝縮されていたのです。もちろんこの映画本編があったからですけど、これほどにハードに残酷で残虐な表現をした映画でこれほどに感動した映画は記憶にありません。
そしてエンドロールが始まると同時に流れる女性ボーカルのこれまたハマり方が最高すぎて、涙を止められませんでしたね。
と、ちょっと絶賛しすぎてますし、これはもちろん見る人に依ります。耐えがたいと思う人もいるだろうし、淡々としすぎてつまらないと思う人もいるだろうし、何が感動かもわからない人も多いかと思います。でも、私は個人的にこの映画は近年見た中で最高傑作に推したいくらいです。以上。
・玉石混淆
・完全に書き捨てなので見るに耐えない罵詈雑言もある
・元増田へのツッコミに横から第三者が参戦してきてクソ長いツリーを形成しながら不毛な口喧嘩をすることがある
・その元増田になったときのなんとも言えない気分は増田特有か?
・概して、お互い増田なのでそれなりに対等な感じがする
・論戦を誘うような増田にはほぼ確実に付く
・これも玉石混淆だが、そもそも100字なので玉つってもガラス玉程度
・全体的に偉そう(なわりにバカ)
・ブクマ数が伸びると明らかに本文読んでないだろって感じのコメントも増える
・本文最後らへんに言及しつつも全く意図が読み取れてないコメントを見たときの絶望感は筆舌に尽くし難い
・IDを晒す関係上かフェミニズム寄りでリベラル寄りだが、もちろんアンチフェミや保守層もいる
・そして全員口が悪い!
・男女比はわりと半々に近いのか?
いずれも実らなかったので、愛というよりは恋とか欲望・羨望の類の感情で終わってしまった。
それ以外、何度も誰かと付き合って、しまいには結婚までして気づいたのは自分には「人を愛する才能がない」ということだった。
多分だけど、誰かを愛するのにも才能が必要だ。
愛を与えるべき場所を見出して、許容して、心を許していかなければならない。
自分にはそれがとてつもなく難しいことなんだとこの三十余年の人生で気づいてしまった。
まず、一途に誰かを愛すのができない。
持って一年。それ以降は相手一人じゃ満足できないのでいわゆる浮気だの不倫だの必ずしてしまう。
失う恐怖とかまぁ無くもないし浮気バレてひどい目にもあったが、一人だけに固定するのが苦痛。
どんなにいいひとだなと思っても、ささいなことで一気に嫌いになるのもよくある話。
自分にとって不都合な点を粗探しするのはおそらく他人よりだいぶ得意だ。
傷つけたい願望が強い。
喜んでいる顔も嫌いじゃないけれど、悲しそうな顔の方がずっと好きだ。
これは自分にとって最も難しい。
相手を受け入れることに対して、筆舌に尽くし難い異物感がある。
自分を侵されたという感じでは無く、相手の認めてほしそうな面構えも含めて全部嫌気が差す。
じゃあ愛だの恋だの浮ついた話がないかといえばそういうわけじゃない。
むしろ周りを見回すかぎり、多い方なんじゃと感じる。
体の関係だけなら3桁いくし、そのうちの7割ぐらいの相手はちゃんと好いてた。
割とすぐ誰かを好きになる方だと思うし、そもそもセックス経たらよほどのことがない限り独占欲をはらむ「好き」な感情が生まれるのだ。
これはめちゃくちゃ普通というか、そこにいたるまでのハードルは結構低いから、自分の好きそうなタイプであれば軽率に好きになることが多々ある。
でもそこから先がなかなかどうして難しい。
あんなに好きだったのに、しばらく経つと情や慣れだけになる。
もう目移りしているし、愛を育む関係とか下手くそすぎてやる気にすらならない。
とどのつまり、ものすごくコミュニケーション能力が欠落している人間なんじゃないかと思い始めた。
自己肯定感が低いとか、そこらじゅうに落ちてる理由はまあ否定しないし、自覚がないから他人にどう言われようと構わない。
でも、一生こんな非建設的な人間関係しか築いていけないというのは、自分でもどうかなあ、なんだかなあと感じる。
できることなら愛し愛されたいし、長期にわたって安寧を感じるような関係を築きたい。
難しい。
人を愛するって難しい。
Sparkle Tableがほしい。
https://cargocollective.com/JohnFoster/Sculpture-1
正直家具なんてアイリスオーヤマとかで十分だと思ってるクチだけど、このキラキラ光るテーブルを見た瞬間から今この時までずーーーっと欲しいと思い続けている。
しかしこのテーブル、100マンを越す超高価なテーブルなのである。
これがなんか高価な石とかならまだわかる。
貴重な1枚板とかでもわかる。
でもプラスチック?みたいな素材だよね?
高い、高すぎる。
安月給の会社員にはあまりにもこのテーブルは高い。でも美しい。
サンキャッチャーとかがチカチカ光るのが好きで、あのまばゆい煌めきは何時間でも見ていられる。
筆舌に尽くし難い美しさをしみじみと感じる。
そんなわけでこの光を贅沢に蓄えたテーブルは、私にとってとても魅力的なのだ。値段以外。
でもケタが違う。正直ブランド物にも海外旅行にもさほど興味のない人生を歩んできたので、一気にお金使うのは引越しの初期費用か審美歯科でセラミックいれたときなもんで。それも100万以下なんだけど。
朝起きたら枕元に3000万ぐらい落ちてないかなとめちゃくちゃなことを考えてしまう。
はぁ、あの美しいテーブルが欲しい。
やあ諸君。
今日はおそらく増田の誰も気づいていないであろうS級極秘情報をお伝えしようと思う。
まずスーパーで100円以上する食パンを1枚取り出す。本仕込とかロイヤルブレッドとか超熟とかそういうやつだ。
厚みは薄すぎないやつだ。6枚切りくらいあれば十分だ。おっと、今回は山形じゃないほうがいい。四角くて密なやつ。
そうだ。では言われるがままにバターを大胆にたっぷり載せろ。普通のバターだ。無塩じゃないやつ。
キューブで言うと2つ分に迫る量を贅沢にバターナイフで切り出すのだ。
伸ばさなくていい。ゴロっとした塊のままで。焼く前だから伸ばせないだろう。追って伸ばす。
そしたらオーブントースターでチンだ。2分くらいだろうか。いやずっと監視してるから長めでもいい。
じっと眺めてバターが半分ほど溶けてきたら、トースターをちょっとあけて、バターナイフの先を使ってちょちょっと全体に広げてやれ。
繊細な作業だ。誤るなよ。だが縁ギリギリまで攻める必要はない。深追いするな。塊を逆側に移す程度でも十分だ。
そうしてバターが広がった部分は焦げないが、塗られていない縁のほうをみろ。
薄茶にこげ色がつきはじめたくらいで早々に引き上げる。バターは少し泡立っている部分もあるくらいか。
これで完成だ。食べろ。脇目も振らず。
こうしてできたたっぷりバタートーストは、筆舌に尽くしがたいほどに、うまい。
100円以上するパンはだいたいトーストしても中はふわっもちっとしている。
そのふわもちにバターが染みて無敵になる。
フツーの人が異世界に転生して前世の記憶を持っている為、「魔法を使う時に詠唱したりするのが恥ずかしい」というごくフツーの感覚は評価するものの。
みたいなこっ恥ずかしい設定はいただけない。
周り中、手放しで大喝采みたいな。
これじゃギャグみたいだよ…。
それとも本当にギャグなのか?
それかそのうちこっぴどい手のひら返しに遭うとかなのか?
…だと良いなあ。
まあ、地道に見ていくけれども。
でも、このすばは何度見ても面白いし(最初の街で単純労働してシュワシュワを飲んで幸せそうな勇者と女神なんて、共感しか無いからな)
グリムガルの切なさは筆舌に尽くしがたい(ヘビーだからもう一度見る気にならない)
でも、個人的には全く興味がそそられない。
というのも、マイクラの紹介文やらレビューやら解説サイトやらで必ず言われる
というくだり。これが心底気に食わない。
だってさ、これ要はあのクソ大量にあるwikiをいちいち見て回りながらプレイしろってことでしょ?
なにそれきっつーってやつだわ。
ちなみにこの「自分で調べろ」系ゲームで、国産タイトルの代表格は艦これ…と書けば、筆者が嫌悪する理由をわかってもらえるだろうか。
あのクソゲーの、筆舌に尽くし難い苦痛の一つが、何をやるにもwikiが手放せないことだったわけで。
ついでに言うなら、自称有識者が主にwikiのコメ欄と5chでうるさく言ってくる、ああしろこうしろというアドバイスの皮を被ったマウントを見た日には
「ぶち殺すぞ」
って感じ。
そういう、調べてるのかプレイしてるのかよくわからないことになるゲームなんかに比べたら、死に覚えゲーのほうが脳死プレイできる余地がある分まだマシだとすら思うわけで。
だからってわけじゃないけど、もし自分がマイクラ始めるならサバイバルモードのマルチプレイサーバ一択で、wikiは可能な限り見ないプレイスタイルで行くし、それが不可能ならやらない。
もちろんマグマやTNTみたいな危険物も「とりあえず使ってみて覚える」と。
そっからエンダードラゴンをソロで倒すまで、何回アイテム全ロスすることになるかなんて考えたくもないが。
でもこういう遊び方って、多分マイクラ好きな奴ほど冷笑的に思うんじゃねーの?
そこなんだよなあ、マイクラが一番好きになれないのは。
ミリシタ3周年企画としてライブ一挙放送して今月はとんでもないミリオンライブ月間になっていますが、
ライブ映像を見すぎて逆に精神が辛くなってきた限界オタクは居ますでしょうか?
ここに一人居ます。なのでとりあえず一度全部ここに吐き出しておきますね。
とにかく、楽しみだった7thが無くなったことがこんなにも辛いなんてという感じですね。
まぁこの辛さは実際に企画していた側はこんなもんじゃないんだろうなと
準備をして動いていた側の…JUNGOの気持ちを察しても、筆舌に尽くしがたいものがあるだろうと…。
で、なんというか、まぁ自分が目にしてる範囲レベルなんですが、
1st~3rdの方がセトリは良かったなぁという感じの感想が多いというか、どうなんだよお前ら本当にっていう感じなのです。
ついでにグリマス時代の人たちのぼやきも出てくる始末で、本当にもうどうなんだよっていう感じなのです。
他人の考えなんてどうでもいいはずが、お前ら今更何を言い出してるんだよという感じなのです。
私は6thSSAのセトリで怒りのお便りを送ったけど、お前らはどうだったんだよという感じなのです。
この気持ちをすべて吹き飛ばせる可能性のあった7thは本当にどこいっちゃったんだよという感じなのです。
しまいにはGoogleからミリシタについてクソみたいな記事もオススメされる始末で、同意してる奴もいるしどうなんだよという感じなのです。
内輪向けとか本当にどの口から出ているんだよという話なのです。
シャニマスがやりたければシャニマスをやって居てくれという感じなのです。
ユニット追加されてVも手を出し始めたシャニマス、今が一番面白いんだからシャニマスを遊んでくれればいいと思うのです。
本当お前ら全員張った押すぞ!という感じなのです。
単純にお前が飽きたならそれでいいだろという感じなのです。
まぁでもミリシタで3年、グリーからで7年もやってれば飽きるのは当然で、仕方ないかなと思うので何かテコ入れは欲しいけど。
とにかくもう7thで最高のミリオンライブ!を見て、今のミリオンライブ!が最高なんだよ!って殴り倒したいのです。
でも、それができないのが、SSAで終わっちまってるのが、本当に辛いし悲しいし悔しいしこんなんで全く終われないし未来を見せてくれっていう感じなのです。
っていうか私みたいな人居ないんですかね?居ないみたいですね。異常ですね。みんなもっと気が狂っていてほしいです。
私は正気だ!
グリマス時代とミリシタ時代という時代の分かれ目があるミリオンライブ!
では、ミリシタでは?
39プロジェクトは一体どこへ行くのか?
そもそもそういった目的があること自体が珍しい気がしますが、やっぱり無いのは辛い。
いつの間にやら3年目。
確かに少しずつ劇場の関係が変わっていっているのは読み取れるが、目指している位置がわからない。
イベントで毎月曲が増えるのは嬉しいし、コミュの表現がどんどん良くなってきてるが、
目的が無いのは辛い。
でもチュパカブラはかなり良かった。glow mapは周年で聴きこみたいのでまだ全然聴いてない。超楽しみ。
セトリはクソ!と言いたいところだった6thだがそれはそれとして見たいものは完全に見れた。
自分はグリマス時代は3rd終わった後ぐらいから入ってるので、
正直グリマス時代のほうがよかったとは口が裂けても言えないんですが。
人もミリシタになって下手すると10倍ぐらいにはアクティブ増えているわけですし。
1st~4thの流れをもう一度改めて見てる中でグリマス時代にとらわれている人も多く、
いっそ全員成仏してくれという感じなのですが、
ここら辺の線引きがもはや曖昧でよくわからないという感じなのです。
それにしてもミリシタが来てから毎年本当に楽しみだった3周年の秋葉コラボもなくなってしまい、残念…。
ただ、手作りの39配信はやってくれて本当に本当に嬉しかった。よくわからんぐらい泣いた。
3周年、どうなるのかな。何かあると嬉しいな。
この気持ちを吹っ飛ばせる日は来るのかな。ライブはいつできるようになるのかな…。
ここまで書いてもうなんもかんもコロナが悪い。
本当に許せねぇよ。
といっても一人ぐらい演者亡くなってしまうんじゃないかぐらいの
危機感あったので今のところ全員生きているのでとりあえずは本当に良かったなと思います。
まだ全然過ぎ去ってないけど。
この世はクソ!
そういうわけで、1975年生まれの俺を「構成した」ゲーム10本を時代順に紹介していく。
それはとりもなおさず、俺自身を紹介することとほぼ同義になるはずだから、長たらしい自己紹介とか前口上はなしで……では、参る。
俺にとっては、ヴィデオゲームの魔法は全て本作に詰まっていると言っても過言ではない。
結局のところ、俺の人生におけるヴィデオゲームは『パックランド』に始まり、『パックランド』に終わるだろう。
今作に出会ったのは俺が8歳の時、駅前にできた『カニヤ』というゲーセンだった。
『カニヤ』は薄暗く、当世風に言うところの「ツッパリ」と「オタク」(という言葉が生まれる前のオタク風大学生たち)でひしめきあい、
当時の彼奴らは『忍者くん』や『ソンソン』や脱衣マージャンに興じていた。
忍び込むようにして入ったこのゲーセンで、俺はこのゲームにひと目で惚れた。
『パックランド』には俺がそれまで見てきたゲームとは全く違った吸引力があった。
キャラクター、BGM、色彩……全てにおいて、ゲームにこれほど「魅せられた」ゲームは生まれて初めてだった。
消火栓を押した時の、水しぶきに押された時の、モンスターの頭上に乗っかた時の、妖精にもらったブーツで空を飛べた時の感動。
それは俺がヴィデオゲームと「契りを交した」瞬間だった。その契約は今なお解消されていない。
もし本作をプレイしてなかったら、初代ドラクエを発売日に購入することもなかっただろうし、
「ADV」というジャンルに注意を払うこともなかっただろうし、
中学生になってから推理小説にどっぷり浸かることもたぶんなかった。つまり、俺は俺でなかった。
推理小説よりもゲームブックよりも面白い「推理もの」をゲームで作り上げてみせたことに大きな意味と意義があった。
シナリオ・堀井雄二/制作・チュンソフト。ゲーム史的に考えても偉大すぎるだろ。
本作がなければドラクエも(おそらく)存在しなかったってことだ。
けどまあ、そんなこともどうでもいい。これまでもこれからも、ポートピアは俺の血であり肉である。
子供ながらに、「堀井雄二で、チュンソフトで、エニックスなら絶対面白いに決まってるや!」みたいなノリで近所のおもちゃ屋に予約した。
初プレイ時は……のっけから震えた。こんなに面白いゲームがあって良いのかと。ゲームにはこんなことができるのか、と。
作者と開発元が同じだけあって、テキスト文体とUIがポートピアと一緒だな……などと子供らしくないことも思ったっけ。
そういえば、ここに挙げたゲームは殆ど全て泣いたな。今となってはゲームで感動して泣くことなんてそうはないけど。
それが年齢によるものだったのか、ここに挙げたゲームの凄さによるものだったのかは知らん。
ある種のゲームが「想像力」を膨らませる最良の媒介であるっていうことはウィズが教えてくれた。
「RPG」というジャンル/概念を意識したことも、ドラクエよりウィズの影響が大きい(というか、ウィズがなければドラクエもおそらくないのだが)。
「?ぶき」を鑑定して、「むらまさ」だった時を上回る驚きと喜びって、もう体験できないんじゃないか?
もろ鳥山明なドラクエとは違って、おどろおどろしくリアルな姿/形状のモンスター(末弥純デザイン)たちに慄いた。
寺院に駆け込んでも、死者が蘇生するとは限らない——人も物も永久に失われてしまうというリアリティに泣いた。
ウィズは俺に「隣り合わせの灰と青春」を理屈ではなく、ゲーム体験として叩きこんでくれた。
おおっと、故羽田健太郎氏の作ったBGMの素晴らしさについても触れないわけにはいかない。
あらゆるクラシック音楽から「いいとこどり」の手法で極上の音楽を作り上げるすぎやまこういち氏に対して、
バッハ以前のバロック音楽へのストイックな愛がびしびし伝わってくる荘厳な旋律は羽田氏ならでは。
タイトル画面、カント寺院、キャンプBGMは永遠ものだろう。もし未聴ならyoutubeで聴いてほしい。
当時、プレステ派とサターン派でゲーオタ勢は真っぷたつに割れたが、俺は迷わずサターンを選んだ。本作をプレイするためだ。
当時は震えるほど高価だった(44800円)不格好きわまりない鼠色のハードをファミマでバイトして購入した。
膨らみ過ぎて破裂しそうになっていた、こちらの勝手な期待ははたして外れなかった。ポートピア以降のADV観はこの1本で刷新された。
トラベルの中でトリップし続けているような、唯一無二のゲーム。それが『MYST』。
インターネットなき時代に本作を自力でクリアできた時の感動は筆舌に尽くしがたい(泣いた)。
ゲーム史的に言っても、その後の国内外RPGやウォーキングシミュレーターというジャンルへの如実な影響が……や、ゲーム史云々の話はよそう。
ここに挙げたどのゲームも、俺にとっては「自分を作ったゲーム」であり、それ以上でもそれ以下でもないからな。
つい最近まで「自分はローグライクなゲームが好きなのだ」と思いこみ、それっぽいゲームには積極的に手を出し続けてきた。
当時、俺は浪人生だったが、心は勉強にも恋愛にも向かわず、文字通り、寝ても覚めても今作とともに過ごした。
タクティクスオウガもドラクエⅥもテイルズオブファンタジアも素晴らしいゲームだったけど、
朝晩取り憑かれたようにプレイしていた今作のせいで、この時期に出たゲームは自分の中で必要以上に印象が薄くなってしまっている。
後期SFCらしい完璧なドット絵も、和風すぎやまこういち傑作BGMも、チュンらしい快適操作とUIも、寡黙なシレンも小生意気なコッパも、
ガイバラもペケジも※アスカも、どのモンスターより恐ろしい店主も、全てが愛おしかった。
手持ちのROMカセットは内部電池が切れてしまってたから、数年前、Amazonで新品を再購入。
「フェイの最終問題」をどうにかこうにかクリアし、地球の裏側に再び出でた。
中年になった今でも、俺の腕と勘は(少なくとも初代シレンにおいては)まだ衰えていないようだな……。※訂正 アスカ→お竜
「昨年ついにSwitchで配信されたし、もうすぐパッケ版も出るから、絶対やっとけ!!!」
それで終わらせてしまいたいところだが、どうも気が済まない。
数多の熱狂的ファンや批評家たちによってすっかり語り尽くされている感のある今作。
俺にとっては、世界の見え方をがらりと変えてしまった哲学書のような作品である。
あるいはクラブカルチャー、サブカル、世紀末感……90年代後半、自分にとって全てだった世界をそのまま封じ込めたCD-ROM。
本作はゲームでありながら、「ゲームを超えた何か」という感じがしてならない。
人生をすっかり変えてしまうかもしれない、それまで夢中になってきた「ゲーム」をやめさせてしまいかねない、超危険物。
もはやゲームから素直に感動を得られなくなっていた、すれっからしの俺をもう一度「ゲーム」に住まわせてくれた、まったき「ゲーム自体」。
世代的にゼルダはディスクシステム時代からやってるが、正直、ドラクエと比べるとゼルダにそこまでの思い入れはない。
『神々のトライフォース』も『風のタクト』も確かにめっちゃ良くできてると思ったが、「自分を作った」とは言い難い。
正直、世界中で大絶賛されたBotWもそこまでとは思えなかった。
あれがオープンワールドの傑作なら、俺はこれからもクローズドワールドで結構。
なぜか? 「広がる世界」を生まれて初めて感じたゲームだから。
BotWと比べれば全くオープンワールドではないのだろうが、俺にとっては本作のハイラルこそ、生まれて初めて感じたゲーム内に広がる「世界」だった。
エポナを手に入れ、高原を走り回っている時以上に「世界」を感じたことは、今のところ、まだない。
夕暮れ時、ロンロン牧場でマロンちゃんとオカリナ演奏しながら過ごした時間よりも麗しい青春を感じたことは、今のところ、まだない。
『moon』ディレクターである西健一氏が数少ないスタッフと生み出した傑作。
『moon』が作り出したうずたかい第四の壁をよじ登り、ついに超えてみせた作品は今なお本作のみと感じる。
エンディングではいい歳して号泣した(物心ついてから号泣した最後のゲーム)。
坂本教授がBGMを作ったにもかかわらず、本作はろくすっぽ売れてない。
内容も恐ろしいほど過小評価されているように思う。
(ドリキャスという幸薄いハードで発売したことと、高めの難易度設定に拠るところが大きいだろう)
おまけにリメイクもアーカイブもないから、『moon』と違って「やってくれ」と気軽に言うこともできない。
だけどもし、ここまで読んでくれて、「こいつとはゲームの趣味近そうだな」と感じてくれたなら、どうか本作をプレイしてみてほしい。
とくに『moon』に強く打たれたゲーマー諸氏! 本作は『moon』の唯一の精神的続編と思ってほしい。やれば、わかる。
しつこく。再発売(配信)をせつに、せつに、せつに、望む。
本作発売時、75年生まれの俺はとっくに「中年」と呼ばれる年齢にたっしていた。
本作はそんな「まさか」という頃にやってきた、俺のラスト・オブ・アオハルだった。
それまでスタンドアローンでしかゲームしなかった俺に、本作はオンライン/共闘でしか味わえないゲームの楽しさと厳しさを骨の髄まで叩き込んだ。
その体験は視界を塗り替え、時間感覚を刷新し、現実を異化した。
これほど夢中になってプレイしたオンラインゲームは本作と『ARMS』しか思い当たらない(やっぱ俺は任天堂シンパなのだな……)。
『PUBG』も『Overwatch』も『Fortnite』も面白かったけど、初代スプラから受け取ったJOYには届かない。
汗を流しながらでかいゲームパッドを握りしめていたあの2年間を死ぬまで忘れることはできないはずだ。
※※※※※※※※※※
俺を作ったゲーム10本は以上です。暑苦しい長文を最後まで(途中まででも)読んでくれて心から感謝。
何年生まれか知らんが、そちらの「俺を作ったゲーム」もぜひ教えてほしい。何本でもいい。マジ知りたいから頼む。
※※※※※※※※※※
【追記】
ブコメ全部読みました。
こういう「○本」みたいな括りって、そこからこぼれ落ちた大事なゲームの思い出とか括りでは語れない気持ちを排除するみたいで、
あんま良くなかったか……って書いた後はちょっと落ちこんだけど、
22歳の時、大学の卒業旅行で香港へ行った。正確に言うと、僕以外の5人が別の大学で卒業、僕だけ留年のため次が4年、という意味の分からない卒業旅行だった。どれくらい意味が分からないかと言うと、出発の前日、H技研のSPIテストのために謎の雑居ビルに行っていたくらい意味が分からない状態であった。ちなみにSPIは義務教育レベルだったので楽勝で通過、ノープランで行った面接は楽しく雑談した結果不合格だった(ファック○onda!)。
事の真相は、僕の高校は大学の付属校だったが、血迷って外部の大学に行って、あげくに留年したというだけである。
さて、香港旅行は4泊5日の日程だった。元々「飲んだら一発行きますか!」みたいな集まりでは無かったため、初めて香港風俗に行ったのはちょっと慣れてきた3日目だった。
ここで香港の風俗を説明すると、雑居ビルの各部屋にお姉さんが居て、ノックして出てきたお姉さんが気に入ったらプレイ開始。気にいなければ別の部屋を訪ねるといった流れである。プレイ自体は、部屋にあるシャワーを浴びて、一通りヘルスサービスを受けた後、ゴム有りの本番があり、一発で終了。時間は特に決まってないような気がする。
3日目の夜、僕はたぶん20人くらい訪ねたと思う。結果、途中で見た巨乳の部屋を再訪することにした。お姉さんはシンガポール人だった。ちなみに巨乳ではあったが、明らかに作り物だった。これが、僕がおっぱいソムリエの第一歩を歩むきっかけになったといっても過言ではない。とにかく、プレイは普通に良かったが、バックで突いている時に「come?come?」って聞かれまくったのはやや萎えだった。ただしイく時はイくのが日本男児であり大和男児(やまとおのこ)。きっちりイきました。シンガポール人ということで英語ができたので、プレイ後は少し会話をした。あんまり記憶がないものの、強く記憶に残っているのは次の会話である。
お姉さん「日本って綺麗なんでしょ。行ってみたいわ。」
僕「綺麗だよ。それに僕は侍の魂を持ってるしね。ほら僕のちんこは日本刀のようだったろ?。」
...自分でも後から考えると意味不明である。少なくともそのお姉さんの日本人に対する評価が下がったことは言うまでもないだろう。日本人の皆さんすいませんでした。
かくして3日目の対戦が終わり、各自部屋に集まり報告会が開かれ、笑い合ってその日は終了した。
4日目はマカオに行っていたこともあり、香港に戻った時には夜遅く、雑居ビルをいくつか訪ねるも、営業していないところが多かった。そんなこんなで雑居ビルを探して歩いていると、男女二人組に呼び止められた。聞くと二人は警官らしい。香港警察のテーマを頭の中で流しながら「何してんだ?」、「どこのホテルだ?」等の質問を受けていると、男の警官が僕の胸ポケットを指し「それは何だ?」と聞いた。「あー、これはシガレレットだよ」と言いながら、胸のラッキーストライクを出そうとすると、「触るな!」と言って僕の胸のポケットからラッキーストライクをやや強引に取り出した。数本の臭いを嗅ぐと、僕の胸ポケットに煙草を戻し、解放してくれた。
「香港警察に職質された!」という謎のテンションのまま、雑居ビルの1階奥の扉を開けると、ピンクの壁紙の部屋から、明らかに整形の美人が出てきた。さんざん営業終了を食らい、あげく香港警察の職質を食らった僕には、そのお姉さんはとても刺激的だった。ということでお姉さんと異文化交流することに決めた。
お姉さんは「ジョジョ」と名乗った。もしかしたら名前を音読みすると「ジョウジョ」で略して「ジョジョ」なのかもしれないが、それは聞かなかった。お姉さんは中国人で英語は話せなかった。僕はフォースを信じることにし、フォースが導くままにシャワーを浴びた。この時の僕は完全に暗黒面に墜ちていた。
シャワーを浴びるとジョジョちゃんは冷蔵庫からボトルを取り出した。一方の僕は「ジョジョが相手なら俺はディオかなあ、それとも吉良かなあ。」と考えていた。
プレイが始まるとキス→上半身のリップときたので、「ハイハイ、ヘルスサービスね」と思ったら、唐突に乳でビンタされた。ジョジョちゃんは整形なだけあり豊胸もしていたので、乳というシリコンバッグでビンタされていた。ちょっと痛かった。
そしていよいよ僕の息子に口が近づきサービスが始まった。普通に始まったが、途中で口が離れたかと思うと、おもむろにジョジョちゃんはボトル内の液体を口に含んだ。なんとその中にはお湯が入っていたのである。口内の暖かさを感じていると、また口を離しボトル内の液体を口に含んでいた。今回は冷水を口に含んでいたのである。そしてそのまま僕の息子をくわえた。それを2セットくらい繰り返されたが、筆舌につくしがたほどの快感だった。後から調べると「コールド&ホット(ファイヤ?)」というらしかったが、経験していない人は経験した方が良いと思う。
そんなこんなでジョジョちゃんによる冷水と温水のスタンド攻撃を受け、精神が加速したところでゴム有りの本番を終え、ホテルに戻った。
ホテルでの報告会では、僕が受けたスタンド攻撃の話しで盛り上がっていた。その後、遅れて連れが帰ってきたので、皆でその報告を聞くことにした。話しを聞いていると、連れも同じスタンド攻撃を受けていた。
僕「あー、それは俺も頂いてますねえ」
連れ「.....お兄ちゃん!!」
後から聞くとタッチの差で弟がジョジョちゃんと対戦していたことがわかった。かくして、僕は香港でスタンド攻撃を受けた挙げ句、弟を持つ羽目となったのであった。
腐女子です。ゲイが登場する実写映像作品でオススメなのがあったら教えてくださいませんか。
パッと思い出せる、今まで見たもので個人的に好きだったのは「モーリス」「キル・ユア・ダーリン」「同窓会 (テレビドラマ) 」です。
パッと思い出せる、見たけどあんまり刺さらなかったのは二十歳の微熱、どうしても触りたくない、アナザーカントリー など。
他にもよかったのや刺さらなかったのがあったはずなのですが、パッと思いつくのはこの辺です。
そんなわたしにおすすめのゲイが登場する実写映像作品があったら教えてください。
ゲイがメインテーマの作品じゃなくてもいいですが、ゲイ目当てであるという点はご留意いただけると幸いです。
存在すら知らなかった作品もたくさん!ありがとうございます!見ます!
→すっかり忘れてた!見たのがかなり昔で、当時のわたしには物語を咀嚼するための歯が全く生えそろってなかったのを思い出しました。もう一度見ます!
→もちろん見ました!懐かしい!
ヴェニスに死す
→あんまり刺さらなかった!今見たら違うだろうか?ヴェニスは映像と音楽が美しいので恋愛モノとしてじゃなくても延々見てられますが!
ボヘラプ
怒り
→懐かしすぎ吹いた!吹奏楽部だったのでそういう意味でも感情が引っ張られます!話あんまり覚えてないからまた見よう!
君の名前で僕をよんで
→見てる人多くて感動!これはもうすぐ続編が出るようなのでみんなも見ましょう!評価は続編を見てからに譲りたいと思います。
ぼくたちのチーム
→義務教育期間中に道徳の授業で人類全員に見せるべきと感じます。ゲイがメインテーマの作品だと恋愛映画になりがちのイメージですが、これはそうではなく、ゲイとヘテロの間で芽生える友情物語でしたよね。非常に示唆深い作品でした。似たようなニュアンスの作品でもう一個見たのが…タイトルが思い出せない…ゲイの車の整備士と友人たちとの友情ストーリーみたいな映画…
→わりと追ってます。しかしドラァグクイーンは職業のようなものであって、恋愛や性的の指向とは直接の関係はなかったような。ただ、だからこそそれらと無関係に輝く魅力的を発するドラァグクイーンたちからエネルギーをもらえていくらでも観てしまいます!
以下蛇足
トップコメのゲイの方にはご不快な思いをさせて大変申し訳ありません。
こんなに多くの方にお目にかかる増田になるとは思っておらず、不用意な書き込みであったと思い反省しております。
ただ他の方もおっしゃっているように、ゲイ作品をゲイと言うだけで何でもかんでも好んで思うままに消費しているわけではありません。一つの作品の登場人物の恋愛を尊んでいるのみであります。
ですので、作品によってはゲイ作品でも共感できないこともあります。
私ごとで恐縮ですが、今まで出会ってきたヘテロ恋愛作品たちに全く共感できず、ヘテロ恋愛の映画やドラマにキュンキュンしてありがたがっているクラスメイトや友人たちと心の距離を感じて生きてきた青春時代でありました。
同時に、青春時代からわたし自身も同性との恋愛をも経験してきました。そういう面もあってヘテロ恋愛作品がダメなのかと、思いつめた時期もありました。
(今思うと理由は少なくともそれだけではないのですが…多くのヘテロ恋愛作品に対して思うところについてを語り始めると話題がそれますのでまたの機会に)
わたしは27なのですが、それに冒頭で思い切り腐女子と書きはしたのですが、実は未だに性自認で悩むこともあります。本当はゲイもしくはバイの男性がわたしの正しい姿なのかもしれない?と思うことがあります。
それは、友人や家族や会社の同僚たちとの会話の中で、ひとり夜更けにベッドの中で、時折感じるものです。
そういったときに、いくつかのゲイ恋愛作品に、救われることがあるのです。そういう人間がいることを、ゲイの方にも許していただけたら幸いです。
冒頭で腐女子だと言い切ったのはこういったことを書きたくなかったからでもあるのですが(自分自身まだ向き合い切れていない、筆舌に尽くしがたい自分の問題点であるため)(ゲイ作品に惹かれる精神・身体が女性というひとまずの事実を伴う自認が有る腐女子という属性を振りかざしておいた方が楽)、
もしくは、普段から、仕事なりボランティアなりで女性の貧困問題に携わっていて、岡村の発言が筆舌に尽くしがたいほど許せない、という人がたくさん現れてブクマしたとかならまだわからんでもない。
って書き方からして、
元増田にとって「女性の貧困問題」とは全くの他人事であり、そういう仕事かボランティアでもやってなければ一生関わる事もない遠い世界の物語なんだろうけど
実際は「自分や身近な人が貧困問題の当事者である、或いはそうなり得る可能性をリアルに考えられる女性」は世の中に沢山いて、
そういう女性が真っ先に怒ったんだよ。他人事ではなく、我が事として。
あと「女性」の話であっても自分も似たような目に遭いかねないという男性も怒った。
元増田はそんな話を見聞きもしない、勿論自分がそのような立場に陥る事もあり得ない、よっぽど恵まれた上級国民の世界で生きているのか、
やったことは、はっきり言って大したことないのに、殺人でも犯したんじゃないかと思えるほど異常なくらいに叩かれる。
岡村のラジオ番組の件は、例の記事を読む限り、まー低俗な発言だなーとは思うけど、いちいちコメントするほどの内容もないし、ほんとにどうでもいいレベルの話題だ。
みんな、深夜に岡村のラジオ番組をいつも聞いてるわけじゃないだろうし、そこでどんなことが話題になっているかなんて興味ないでしょ。現に、例の記事が出るまでこの件を指摘する人は誰もいなかった。
けれど、記事が出たとたん、ものすごい勢いで炎上した。「女性の貧困を待ち望むクズ!!」「最低最悪のゲス!」「下劣!」「もう見たくない!」「謝罪に追い込め!」「だから結婚できないんだ!」「うつ病再発しろ!」「死んでくれ!」
お金に困って嬢のレベルが上がるんじゃないかな~なんて言ったくらいで、ここまで攻撃される???って思ったよ。
岡村の発言は褒められたものではないし、ゲスな発想だけど、ここまで叩かれるのが理解できない。ブコメで岡村を叩いている人たちは、もともと岡村のことがめちゃくちゃ嫌いで、もうほんとは○したいくらい憎んでて、普段から岡村を叩きまくっているとかなら理解できるんだけど、たぶんそうじゃないだろう。もしくは、普段から、仕事なりボランティアなりで女性の貧困問題に携わっていて、岡村の発言が筆舌に尽くしがたいほど許せない、という人がたくさん現れてブクマしたとかならまだわからんでもない。でも、その可能性も低いだろう。
こういう風に言うと、女性の貧困問題にかかわっていないと問題発言を批判しちゃいけないのか、と思う人がいると思うけど、別に批判するのはいい。ただ、何で今回の岡村の発言だけは急にこんなに反応が集まったのかが謎なのだ。しかも激烈な反応が。例の記事のブクマカ達は、岡村に対してはもう何を言ってもいいくらいの雰囲気になっていた。正直怖い。
でも、これブクマだけの問題じゃなくて、宮迫(とその他メンバー)の闇営業問題のときは、世間全体が宮迫に対しては何を言ってもいいくらいの雰囲気になっていたと覚えている。宮迫のやらかしたことは1.吉本を通さず、後輩の仲介で直営業をした、2.その営業先が詐欺グループだったが知らないまま営業をした、3.営業の対価として金銭を受け取った、4.最初の説明で金銭は受け取っていないと口裏合わせをして嘘をついた、という内容だ。しかし、1.直営業の可否は吉本と宮迫で話せばよいこと、2.仲介人から反社会的勢力を「紹介されてはいけない」は無茶、相手の素性を知らなかったのなら紹介された側に責任はない(紹介した人には責任がある)、3.仕事で報酬を受け取ることは当たり前のこと(むしろ一般人相手に無料で営業していたら、最初からその反社とずぶずぶのお友達関係だったのではという疑いが生まれる)で、実際は4.嘘をついたという点だけが問題なのだ。
嘘をついただけで、テレビから追放される必要がほんとにあった???テレビで嘘をついてる人なんていっぱいいるけど、誰も追放されてないよ???あと何で亮やほかのメンバーは許された感じになってんの?
でも、世の中的には、徹底的にたたいてヨシ!ちょっとでも擁護する奴も同罪!って感じだったね。
共通しているのは、やったことに対する世の中の仕打ちが尋常じゃないってこと。気持ちが傷ついた人はいるだろうが、実在する誰かに直接迷惑をかけたわけでもない。倫理観の欠如した発言、嘘の釈明、決していいことではないけれど、重罪ってわけでもない。それなのにこんなことになるのかって思う。みんな何に対して怒ってるんだろう?韓国の芸能人バッシングはひどいっていうけど、日本ももう韓国と変わらんね。
(センター試験で話題になったけど、全文読めるところが見つからなかったので)
底本:原民喜戦後全小説 下(講談社文芸文庫)1995年8月10日第1刷発行
I
私が魯迅の「孤独者」を読んだのは、一九三六年の夏のことであったが、あのなかの葬いの場面が不思議に心を離れなかった。不思議だといえば、あの本——岩波文庫の魯迅選集——に掲載してある作者の肖像が、まだ強く心に蟠(わだかま)るのであった。何ともいい知れぬ暗黒を予想さす年ではあったが、どこからともなく惻々として心に迫るものがあった。その夏がほぼ終ろうとする頃、残暑の火照りが漸く降りはじめた雨でかき消されてゆく、とある夜明け、私は茫とした状態で蚊帳のなかで目が覚めた。茫と目が覚めている私は、その時とらえどころのない、しかし、かなり烈しい自責を感じた。泳ぐような身振りで蚊帳の裾をくぐると、足許に匐っている薄暗い空気を手探りながら、向側に吊してある蚊帳の方へ、何か絶望的な、愬(うった)えごとをもって、私はふらふらと近づいて行った。すると、向側の蚊帳の中には、誰だか、はっきりしない人物が深い沈黙に鎖されたまま横わっている。その誰だか、はっきりしない黒い影は、夢が覚めてから後、私の老いた母親のように思えたり、魯迅の姿のように想えたりするのだった。この夢をみた翌日、私の郷里からハハキトクの電報が来た。それから魯迅の死を新聞で知ったのは恰度亡母の四十九忌の頃であった。
その頃から私はひどく意気銷沈して、落日の巷を行くの概(おもむき)があったし、ふと己の胸中に「孤独者」の嘲笑を見出すこともあったが、激変してゆく周囲のどこかに、もっと切実な「孤独者」が潜んでいはすまいかと、窃(ひそ)かに考えるようになった。私に最初「孤独者」の話をしかけたのは、岩井繁雄であった。もしかすると、彼もやはり「孤独者」であったのかもしれない。
彼と最初に出逢ったのは、その前の年の秋で、ある文学研究会の席上はじめてSから紹介されたのである。その夜の研究会は、古びたビルの一室で、しめやかに行われたのだが、まことにそこの空気に応(ふさ)わしいような、それでいて、いかにも研究会などにはあきあきしているような、独特の顔つきの痩形長身の青年が、はじめから終りまで、何度も席を離れたり戻って来たりするのであった。それが主催者の長広幸人であるらしいことは、はじめから想像できたが、会が終るとSも岩井繁雄も、その男に対って何か二こと三こと挨拶して引上げて行くのであった。さて、長広幸人の重々しい印象にひきかえて、岩井繁雄はいかにも伸々した、明快卒直な青年であった。長い間、未決にいて漸く執行猶予で最近釈放された彼は、娑婆に出て来たことが、何よりもまず愉快でたまらないらしく、それに文学上の抱負も、これから展望されようとする青春とともに大きかった。
岩井繁雄と私とは年齢は十歳も隔たってはいたが、折からパラつく時雨をついて、自動車を駆り、遅くまでSと三人で巷を呑み歩いたものであった。彼はSと私の両方に、絶えず文学の話を話掛けた。極く初歩的な問題から再出発する気組で——文章が粗雑だと、ある女流作家から注意されたので——今は志賀直哉のものをノートし、まず文体の研究をしているのだと、そういうことまで卒直に打明けるのであった。その夜の岩井繁雄はとにかく愉快そうな存在だったが、帰りの自動車の中で彼は私の方へ身を屈めながら、魯迅の「孤独者」を読んでいるかと訊ねた。私がまだ読んでいないと答えると話はそれきりになったが、ふとその時「孤独者」という題名で私は何となくその夜はじめて見た長広幸人のことが頭に閃いたのだった。
それから夜更の客も既に杜絶えたおでん屋の片隅で、あまり酒の飲めない彼は、ただその場の空気に酔っぱらったような、何か溢れるような顔つきで、——やはり何が一番愉しかったといっても、高校時代ほど生き甲斐のあったことはない、と、ひどく感慨にふけりだした。
私が二度目の岩井繁雄と逢ったのは一九三七年の春で、その時私と私の妻は上京して暫く友人の家に滞在していたが、やはりSを通じて二三度彼と出逢ったのである。彼はその時、新聞記者になったばかりであった。が、相変らず溢れるばかりのものを顔面に湛えて、すくすくと伸び上って行こうとする姿勢で、社会部に入社したばかりの岩井繁雄はすっかりその職業が気に入っているらしかった。恰度その頃紙面を賑わした、結婚直前に轢死(れきし)を遂げた花婿の事件があったが、それについて、岩井繁雄は、「あの主人公は実はそのアルマンスだよ」と語り、「それに面白いのは花婿の写真がどうしても手に入らないのだ」と、今もまだその写真を追求しているような顔つきであった。そうして、話の途中で手帳を繰り予定を書込んだり、何か行動に急きたてられているようなところがあった。かと思うと、私の妻に「一たい今頃所帯を持つとしたら、どれ位費用がかかるものでしょうか」と質問し、愛人が出来たことを愉しげに告白するのであった。いや、そればかりではない、もしかすると、その愛人と同棲した暁には、染料の会社を設立し、重役になるかもしれないと、とりとめもない抱負も語るのであった。二三度逢ったばかりで、私の妻が岩井繁雄の頼もしい人柄に惹きつけられたことは云うまでもない。私の妻はしばしば彼のことを口にし、たとえば、混みあうバスの乗降りにしても、岩井繁雄なら器用に婦人を助けることができるなどというのであった。私もまた時折彼の噂は聞いた。が、私たちはその後岩井繁雄とは遂に逢うことがなかったのである。
日華事変が勃発すると、まず岩井繁雄は巣鴨駅の構内で、筆舌に絶する光景を目撃したという、そんな断片的な噂が私のところにも聞えてきて、それから間もなく彼は召集されたのである。既にその頃、愛人と同居していた岩井繁雄は補充兵として留守隊で訓練されていたが、やがて除隊になると再び愛人の許に戻って来た。ところが、翌年また召集がかかり、その儘前線へ派遣されたのであった。ある日、私がSの許に立寄ると、Sは新聞の第一面、つまり雑誌や新刊書の広告が一杯掲載してある面だけを集めて、それを岩井繁雄の処へ送るのだと云って、「家内に何度依頼しても送ってくれないそうだから僕が引うけたのだ」とSは説明した。その説明は何か、しかし、暗然たるものを含んでいた。岩井繁雄が巣鴨駅で目撃した言語に絶する光景とはどんなことなのか私には詳しくは判らなかったが、とにかく、ぞっとするようなものがいたるところに感じられる時節であった。ある日、私の妻は小学校の講堂で傷病兵慰問の会を見に行って来ると、頻りに面白そうに余興のことなど語っていたが、その晩、わあわあと泣きだした。昼間は笑いながら見たものが、夢のなかでは堪らなく悲しいのだという。ある朝も、——それは青葉と雨の鬱陶しい空気が家のうちまで重苦しく立籠っている頃であったが——まだ目の覚めきらない顔にぞっとしたものを浮べて、「岩井さんが還って来た夢をみた。痩せて今にも斃れそうな真青な姿でした」と語る。妻はなおその夢の行衛を追うが如く、脅えた目を見すえていたが、「もしかすると、岩井さんはほんとに死ぬるのではないかしら」と嘆息をついた。それは私の妻が発病する前のことで、病的に鋭敏になった神経の前触れでもあったが、しかしこの夢は正夢であった。それから二三ヵ月して、岩井繁雄の死を私はSからきいた。戦地にやられると間もなく、彼は肺を犯され、一兵卒にすぎない彼は野戦病院で殆ど碌に看護も受けないで死に晒されたのであった。
岩井繁雄の内縁の妻は彼が戦地へ行った頃から新しい愛人をつくっていたそうだが、やがて恩賜金を受取るとさっさと老母を見捨てて岩井のところを立去ったのである。その後、岩井繁雄の知人の間では遺稿集——書簡は非常に面白いそうだ——を出す計画もあった。彼の文章が粗雑だと指摘した女流作家に、岩井繁雄は最初結婚を申込んだことがある。——そういうことも後になって誰かからきかされた。
たった一度見たばかりの長広幸人の風貌が、何か私に重々しい印象を与えていたことは既に述べた。一九三五年の秋以後、遂に私は彼を見る機会がなかった。が、時に雑誌に掲載される短かいものを読んだこともあるし、彼に対するそれとない関心は持続されていた。岩井繁雄が最初の召集を受けると、長広幸人は倉皇と満洲へ赴いた。当時は満洲へ行って官吏になりさえすれば、召集免除になるということであった。それから間もなく、長広幸人は新京で文化方面の役人になっているということをきいた。あの沈鬱なポーズは役人の服を着ても身に着くだろうと私は想像していた。それから暫く彼の消息はきかなかったが、岩井繁雄が戦病死した頃、長広幸人は結婚をしたということであった。それからまた暫く彼の消息はきかなかったが、長広幸人は北支で転地療法をしているということであった。そして、一九四二年、長広幸人は死んだ。
既に内地にいた頃から長広幸人は呼吸器を犯されていたらしかったが、病気の身で結婚生活に飛込んだのだった。ところが、その相手は資産目あての結婚であったため、死後彼のものは洗い浚(ざら)い里方に持って行かれたという。一身上のことは努めて隠蔽する癖のある、長広幸人について、私はこれだけしか知らないのである。
II
私は一九四四年の秋に妻を喪ったが、ごく少数の知己へ送った死亡通知のほかに、満洲にいる魚芳へも端書を差出しておいた。妻を喪った私は悔み状が来るたびに、丁寧に読み返し仏壇のほとりに供えておいた。紋切型の悔み状であっても、それにはそれでまた喪にいるものの心を鎮めてくれるものがあった。本土空襲も漸く切迫しかかった頃のことで、出した死亡通知に何の返事も来ないものもあった。出した筈の通知にまだ返信が来ないという些細なことも、私にとっては時折気に掛るのであったが、妻の死を知って、ほんとうに悲しみを頒ってくれるだろうとおもえた川瀬成吉からもどうしたものか、何の返事もなかった。
私は妻の遺骨を郷里の墓地に納めると、再び棲みなれた千葉の借家に立帰り、そこで四十九日を迎えた。輸送船の船長をしていた妻の義兄が台湾沖で沈んだということをきいたのもその頃である。サイレンはもう頻々と鳴り唸っていた。そうした、暗い、望みのない明け暮れにも、私は凝と蹲ったまま、妻と一緒にすごした月日を回想することが多かった。その年も暮れようとする、底冷えの重苦しい、曇った朝、一通の封書が私のところに舞込んだ。差出人は新潟県××郡××村×川瀬丈吉となっている。一目見て、魚芳の父親らしいことが分ったが、何気なく封を切ると、内味まで父親の筆跡で、息子の死を通知して来たものであった。私が満洲にいるとばかり思っていた川瀬成吉は、私の妻より五ヵ月前に既にこの世を去っていたのである。
私がはじめて魚芳を見たのは十二年前のことで、私達が千葉の借家へ移った時のことである。私たちがそこへ越した、その日、彼は早速顔をのぞけ、それからは殆ど毎日註文を取りに立寄った。大概朝のうち註文を取ってまわり、夕方自転車で魚を配達するのであったが、どうかすると何かの都合で、日に二三度顔を現わすこともあった。そういう時も彼は気軽に一里あまりの路を自転車で何度も往復した。私の妻は毎日顔を逢わせているので、時々、彼のことを私に語るのであったが、まだ私は何の興味も関心も持たなかったし、殆ど碌に顔も知っていなかった。
私がほんとうに魚芳の小僧を見たのは、それから一年後のことと云っていい。ある日、私達は隣家の細君と一緒にブラブラと千葉海岸の方へ散歩していた。すると、向の青々とした草原の径をゴムの長靴をひきずり、自転車を脇に押しやりながら、ぶらぶらやって来る青年があった。私達の姿を認めると、いかにも懐しげに帽子をとって、挨拶をした。
「魚芳さんはこの辺までやって来るの」と隣家の細君は訊ねた。
「ハア」と彼はこの一寸した逢遭を、いかにも愉しげにニコニコしているのであった。やがて、彼の姿が遠ざかって行くと、隣家の細君は、
「ほんとに、あの人は顔だけ見たら、まるで良家のお坊ちゃんのようですね」と嘆じた。その頃から私はかすかに魚芳に興味を持つようになっていた。
その頃——と云っても隣家の細君が魚芳をほめた時から、もう一年は隔っていたが、——私の家に宿なし犬が居ついて、表の露次でいつも寝そべっていた。褐色の毛並をした、その懶惰な雌犬は魚芳のゴム靴の音をきくと、のそのそと立上って、鼻さきを持上げながら自転車の後について歩く。何となく魚芳はその犬に対しても愛嬌を示すような身振であった。彼がやって来ると、この露次は急に賑やかになり、細君や子供たちが一頻り陽気に騒ぐのであったが、ふと、その騒ぎも少し鎮まった頃、窓の方から向を見ると、魚芳は木箱の中から魚の頭を取出して犬に与えているのであった。そこへ、もう一人雑魚(ざこ)売りの爺さんが天秤棒を担いでやって来る。魚芳のおとなしい物腰に対して、この爺さんの方は威勢のいい商人であった。そうするとまた露次は賑やかになり、爺さんの忙しげな庖丁の音や、魚芳の滑らかな声が暫くつづくのであった。——こうした、のんびりした情景はほとんど毎日繰返されていたし、ずっと続いてゆくもののようにおもわれた。だが、日華事変の頃から少しずつ変って行くのであった。
私の家は露次の方から三尺幅の空地を廻ると、台所に行かれるようになっていたが、そして、台所の前にもやはり三尺幅の空地があったが、そこへ毎日、八百屋、魚芳をはじめ、いろんな御用聞がやって来る。台所の障子一重を隔てた六畳が私の書斎になっていたので、御用聞と妻との話すことは手にとるように聞える。私はぼんやりと彼等の会話に耳をかたむけることがあった。ある日も、それは南風が吹き荒んでものを考えるには明るすぎる、散漫な午後であったが、米屋の小僧と魚芳と妻との三人が台所で賑やかに談笑していた。そのうちに彼等の話題は教練のことに移って行った。二人とも青年訓練所へ通っているらしく、その台所前の狭い空地で、魚芳たちは「になえつつ」の姿勢を実演して興じ合っているのであった。二人とも来年入営する筈であったので、兵隊の姿勢を身につけようとして陽気に騒ぎ合っているのだ。その恰好がおかしいので私の妻は笑いこけていた。だが、何か笑いきれないものが、目に見えないところに残されているようでもあった。台所へ姿を現していた御用聞のうちでは、八百屋がまず召集され、つづいて雑貨屋の小僧が、これは海軍志願兵になって行ってしまった。それから、豆腐屋の若衆がある日、赤襷をして、台所に立寄り忙しげに別れを告げて行った。
目に見えない憂鬱の影はだんだん濃くなっていたようだ。が、魚芳は相変らず元気で小豆(こまめ)に立働いた。妻が私の着古しのシャツなどを与えると、大喜びで彼はそんなものも早速身に着けるのであった。朝は暗いうちから市場へ行き、夜は皆が寝静まる時まで板場で働く、そんな内幕も妻に語るようになった。料理の骨(こつ)が憶えたくて堪らないので、教えを乞うと、親方は庖丁を使いながら彼の方を見やり、「黙って見ていろ」と、ただ、そう呟くのだそうだ。鞠躬如(きっきゅうじょ)として勤勉に立働く魚芳は、もしかすると、そこの家の養子にされるのではあるまいか、と私の妻は臆測もした。ある時も魚芳は私の妻に、——あなたとそっくりの写真がありますよ。それが主人のかみさんの妹なのですが、と大発見をしたように告げるのであった。
冬になると、魚芳は鵯(ひよどり)を持って来て呉れた。彼の店の裏に畑があって、そこへ毎朝沢山小鳥が集まるので、釣針に蚯蚓(みみず)を附けたものを木の枝に吊しておくと、小鳥は簡単に獲れる。餌は前の晩しつらえておくと、霜の朝、小鳥は木の枝に動かなくなっている——この手柄話を妻はひどく面白がったし、私も好きな小鳥が食べられるので喜んだ。すると、魚芳は殆ど毎日小鳥を獲ってはせっせと私のところへ持って来る。夕方になると台所に彼の弾んだ声がきこえるのだった。——この頃が彼にとっては一番愉しかった時代かもしれない。その後戦地へ赴いた彼に妻が思い出を書いてやると、「帰って来たら又幾羽でも鵯鳥を獲って差上げます」と何かまだ弾む気持をつたえるような返事であった。
翌年春、魚芳は入営し、やがて満洲の方から便りを寄越すようになった。その年の秋から私の妻は発病し療養生活を送るようになったが、妻は枕頭で女中を指図して慰問の小包を作らせ魚芳に送ったりした。温かそうな毛の帽子を着た軍服姿の写真が満洲から送って来た。きっと魚芳はみんなに可愛がられているに違いない。炊事も出来るし、あの気性では誰からも重宝がられるだろう、と妻は時折噂をした。妻の病気は二年三年と長びいていたが、そのうちに、魚芳は北支から便りを寄越すようになった。もう程なく除隊になるから帰ったらよろしくお願いする、とあった。魚芳はまた帰って来て魚屋が出来ると思っているのかしら……と病妻は心細げに嘆息した。一しきり台所を賑わしていた御用聞きたちの和やかな声ももう聞かれなかったし、世の中はいよいよ兇悪な貌を露出している頃であった。千葉名産の蛤の缶詰を送ってやると、大喜びで、千葉へ帰って来る日をたのしみにしている礼状が来た。年の暮、新潟の方から梨の箱が届いた。差出人は川瀬成吉とあった。それから間もなく除隊になった挨拶状が届いた。魚芳が千葉へ訪れて来たのは、その翌年であった。
その頃女中を傭えなかったので、妻は寝たり起きたりの身体で台所をやっていたが、ある日、台所の裏口へ軍服姿の川瀬成吉がふらりと現れたのだった。彼はきちんと立ったまま、ニコニコしていた。久振りではあるし、私も頻りに上ってゆっくりして行けとすすめたのだが、彼はかしこまったまま、台所のところの閾から一歩も内へ這入ろうとしないのであった。「何になったの」と、軍隊のことはよく分らない私達が訊ねると、「兵長になりました」と嬉しげに応え、これからまだ魚芳へ行くのだからと、倉皇として立去ったのである。
そして、それきり彼は訪ねて来なかった。あれほど千葉へ帰る日をたのしみにしていた彼はそれから間もなく満洲の方へ行ってしまった。だが、私は彼が千葉を立去る前に街の歯医者でちらとその姿を見たのであった。恰度私がそこで順番を待っていると、後から入って来た軍服の青年が歯医者に挨拶をした。「ほう、立派になったね」と老人の医者は懐しげに肯いた。やがて、私が治療室の方へ行きそこの椅子に腰を下すと、間もなく、後からやって来たその青年も助手の方の椅子に腰を下した。「これは仮りにこうしておきますから、また郷里の方でゆっくりお治しなさい」その青年の手当はすぐ終ったらしく、助手は「川瀬成吉さんでしたね」と、机のところのカードに彼の名を記入する様子であった。それまで何となく重苦しい気分に沈んでいた私はその名をきいて、はっとしたが、その時にはもう彼は階段を降りてゆくところだった。
それから二三ヵ月して、新京の方から便りが来た。川瀬成吉は満洲の吏員に就職したらしかった。あれほど内地を恋しがっていた魚芳も、一度帰ってみて、すっかり失望してしまったのであろう。私の妻は日々に募ってゆく生活難を書いてやった。すると満洲から返事が来た。「大根一本が五十銭、内地の暮しは何のことやらわかりません。おそろしいことですね」——こんな一節があった。しかしこれが最後の消息であった。その後私の妻の病気は悪化し、もう手紙を認(したた)めることも出来なかったが、満洲の方からも音沙汰なかった。
その文面によれば、彼は死ぬる一週間前に郷里に辿りついているのである。「兼て彼の地に於て病を得、五月一日帰郷、五月八日、永眠仕候」と、その手紙は悲痛を押つぶすような調子ではあるが、それだけに、佗しいものの姿が、一そう大きく浮び上って来る。
あんな気性では皆から可愛がられるだろうと、よく妻は云っていたが、善良なだけに、彼は周囲から過重な仕事を押つけられ、悪い環境や機構の中を堪え忍んで行ったのではあるまいか。親方から庖丁の使い方は教えて貰えなくても、辛棒した魚芳、久振りに訪ねて来ても、台所の閾から奥へは遠慮して這入ろうともしない魚芳。郷里から軍服を着て千葉を訪れ、晴れがましく顧客の歯医者で手当してもらう青年。そして、遂に病躯をかかえ、とぼとぼと遠国から帰って来る男。……ぎりぎりのところまで堪えて、郷里に死にに還った男。私は何となしに、また魯迅の作品の暗い翳を思い浮べるのであった。
普通科で美術が多めにできる高校に行き、その後3浪しましたが美大には行きませんでした。
いまでこそ何とか軌道修正して正社員として仕事をしていますが、
元増田さんの発想がちょっと他人事とは思えず遅ればせながら書かせていただきます。
私はもともと勉強が得意だったのに、生きづらさを感じていて、もっと人生を楽しく生きるために
好きなことを仕事にしようと美術(後にデザイン志望になりました)の道を志し特殊な高校に進みました。
そう、時間と努力で才能の差なんてどうにでもなるという発想です。
それはある意味では正しかったですし、また間違ってもいました。
芸大デザイン科ですが、おそらく人口減のため以前に比べ超絶技巧を求められるということはありません。
予備校で何年かしっかり取り組めば、よほど致命的な素養のなさがないかぎり十分合格レベルの
実力はつくと思います。しかしそれはあくまでも都内の予備校に通えた場合の話。
私はスタートが地方だったので浪人して上京した後レベルの違いに大変驚きました。
そして無視できないのが試験の際の緊張。想いが強ければ強いほど緊張も強くなります。
私は現役時代から私大含めて十数回実技の試験を受け、納得できる絵が描けたのはほんの一、二回。
(それこそががお前の実力だ、という指摘はもちろんあるでしょうが)
いずれにせよ実技の試験は水物です。大学の試験なんて人生からみれば小さなものですが、
しかし今のあなたはそこに人生をかけようとしていると思います。
それはデザインや創作において「絵を描く」というのは一側面でしかないということ。
私は、人とモノ(無形物、情報などを含む)の関わり方を整理して、
人の日常を豊かにしたいと思っていました。(抽象的ですみません)
そして色々考えると、私のやりたいことはむしろ工学や数学的なアプローチのほうが
ふさわしかったことがわかりました。人間工学ってきいたことがあると思いますし、
例えばフラクタルとか、三次元画像に応用数学がかかわってくることは知っていますか。
そうなると美術よりまずは理系に進んだほうがいい可能性もある、となります。
若い情熱がまぶしくて、水を差すようなことばかり言ってしまったかもしれません。
そのことをもう少し時間をかけて考えてみてほしいなぁと思った次第です。
私は全く別の大学の理系学科に自費で進もうとしましたが、入学後
美大受験の失敗からくる絶望やバイトのハードさ、なじめなさから心身の健康を損ない中退しました。
療養後一念発起して就職することにし、奇跡的にデザインとも薄く関わる、
(詳しくは書きませんがあれほど好きでなかった勉強が私のことを救ってくれました。
ちょっと専門的な仕事なので、通信で海外の大学で学びたいと思い、
今また準備をしているところです。
そういうわけで、人生は一度ですが、道は一つではありません。
別れたはずの道が意外とつながっていたりもよくあることです。
足元だけみて突き進むのももちろんよいです。
うちには、はなちゃん、くーちゃん、みーちゃんという3人のねこがいる。私は彼女たちの下僕である。
初めは、はなちゃんが家にやってきた。はなちゃんは「シャーシャー」ねこであり、撫でるところか、触れさせてもくれない。
触れるばかりか、近寄ることさえできない。
寂しくないといったら強がりになる。精神的に、私はそんなに強くない。
そこで、くーちゃんをお迎えした。くーちゃんのかわいさといったらない。
筆舌に尽くしがたいので、語らずに私は漱石「こころ」の先生のように、ただその美しさを祈って手紙を書き、届いたころにはこの世にいない作法を選ぶ。
みーちゃんはとにかく、独占欲が強い。そして構ってちゃんである。態度だけならまだいいが、手(すなわち柔らかくて少し痛い爪)が出る。
いまも私の足元に香箱を構えて、たまにふくらはぎやひざの表裏に「むー」と喉を鳴らしながら爪を立てる。
私がしばしみーちゃんの尾てい部分をリズミカルに「とんとん」してあげると、収ま…らない。もっとやってくれとせがまれる。
かわいい。
それでも、家に来てくれて初めのころからすると、ずいぶん落ち着いたように思う。
落ち着いたは落ち着いたのだが、私を独占しようとする気持ちが、しっかりと、前面に出てきたこともまた確かだ。
前には、「自分はくーちゃんの次」という意識(?)も見られた。いまは同格か、それ以上のポジションだと自分では思っているだろう。
実に愛おしい。
地上波放送がなかったにも関わらず、先週のウェールズ×ジョージア戦のレビューが多数のブクマをいただけて嬉しい。
あの試合はフィールドの46人とコーチたちのおかげで筆舌に尽くしがたいものとなった。
ゆえに「つたえられる少しだけ」ではあるが、増田のレビューで、勝負の世界に技量・フィジカル・戦術以上の「大切なもの」があること、そしてその面白さをみんなに届けなければいけないと思った。
それがみんなに伝わって、よりラグビーを楽しく見られたなら嬉しい。
--------
アイルランドに関してはどんなチームか、先週の戦いで見えてきたと思う。「ストラクチャー」チームだ。
日本代表については数多くのニュース、ドキュメンタリー、選手のバラエティー出演まであり、情報に溢れている。
しかし、その情報が多くは「寄りのディティール」のもので、おそらくラグビーをあまり見ていない人にとって、大づかみのカテゴライズはぼんやりしているのではないだろうか。
キックや密集戦から混乱を作り出し、そこで生じた間隙をものにしてトライを狙う。
--------
とはいえ、フィジカルで押すというより「一度持ったボールをなるべく離さず相手が攻める時間を減らす」という常識外の戦術で世紀のアップセットを演じた。
ただ、その戦いでは攻撃力が劣り、4年で正反対とも言えるスタイルにチェンジした。
--------
このキックを活用する「アンストラクチャー」の戦術はボールを相手に渡すので、ボールポゼッションは低くなりがちで、攻められる時間も長くなる。
そうなるとリスクが大きすぎるように見えるが、一般的にストラクチャーは攻めに時間がかかり、アンストラクチャーは取るときはあっという間に取る。
肉弾戦の数学は計算が複雑だ、どのような解がはじき出されるかやってみないとわからない。
--------
結果が出たスタイルを捨て、リスクも大きい戦術を採用したことに一部ファンからは批判も根強く特にヘッドコーチ人事について「エディーをつれもどせ」「ジェイミーをクビにしろ」という声が、4年間事あるごとに響き続けた。
また、SH流とSO田村も「タックルに行くべき時に行かない」「よくタックルを抜かれる」という理由で激しい批判が繰り返された。
増田的には大男の中で相対的に小柄な流がもつパッとみ柔和な雰囲気と、なんとなく会社の可愛げのない後輩を思わせる田村の空気感もあるんじゃないかなと下世話な勘ぐりをしてしまう。
--------
さて、先週のレビューを読んでいただけた方にはわかるだろが、「ストラクチャー」×「アンストラクチャー」という構図は先週のアイルランド×スコットランドの繰り返しであり、アイルランドは仕掛けられる「アンストラクチャーラグビー」を見事切り返してスコットランドを沈め、その対応力を見せつけた。
アイルランドに隙はない。先週の結果が繰り返されれば、現日本代表の戦い方が気に入らない人は容赦ない批判を浴びせるかもしれない。
日本代表は今日、より大きな結果を求めてリスクを取った決断の正しさを証明できるだろうか。
--------
ちなみに華麗なテクニックとパワーを併せ持つうえにイケメンでリーダーシップまであって、おいおい完璧人間かよと思わされるセンター、ラファエレ・ティモシーは一時期、日本代表が「桜」とともにイメージする「狼」を意識し「銀狼」ということで髪を銀に染めたことがあるが、どう見ても白髪だったので本人もそれに気づいたのかすぐに黒に戻した経緯がある。
--------
大一番のキッキオフが迫る。
ところでこの相手にボールを渡すキックオフ、トライのあと、なぜ取られた側がキックオフでリスタートするのかという疑問が出るが、キッキオフで大きく前進すると、落下地点に両軍が殺到する。
キッキオフされて、それを獲得したチームも簡単に前進できない。
その後は、あまり大きく地域挽回できないか、キックオフした側にボールが返った上、守備陣形が整ってない形でその攻撃を迎え打たないといけない。
センターからのキックオフはした側が有利な形になりやすいのだ。
試合開始のコイントスでキックオフを選択したアイルランドは、前半で力の違いを日本に見せつける気だ。
--------
前半、アイルランドキックオフからの攻防は日本陣10mと22mの間でアイルランドボールのラインアウトとなる。
残念だがこれはハズレた。
--------
7分、アイルランドが密集でボールを獲得、そこからの攻めをラインを背後にして耐える日本、集団戦でも強いアイルランドが繰り出す必殺のモールも止める。
しかし13分、力押しの連続から、圧力に負けた日本の反則で、有利状況をえたアイルランドは、リスクのあるキックパスを見事通してトライを獲得した。
コンバージョンははずれて0-5。
8分ほど続いたアイルランドの時間帯で、やはり攻め込まれると弱い。
--------
16分、リスタートから反則を獲得した日本はペナルティーキックを獲得し、これが決まって3-5。
--------
20分、アイルランドは日本の反則を得てから始まった攻防で、力押しから再び反則を獲得。
有利状況からキックパスを通すというという7分前のカーボンコピーのような展開トライを奪い、コンバージョンも決まって3-12とした。
アイルランドは最後の詰め以外は難しいことをしていないのだが、圧力が強く、ミスをしない。
--------
30分、脇腹を痛めたアマナキ・レレィ・マフィに変わって、スタイル変更をめぐり当初ジェイミー・ジョセフHCとよく口論になったというリーチ・マイケルがピッチへ。
再び攻める日本、反則から獲得したペナルティーキックを決めて6-12とする。
アイルランドも日本の攻めを止めることはできない、「攻めた方が有利なゲーム」の様相を呈してきた。
--------
35分、なんと日本がフィジカルに絶対的な強みをもつアイルランドに対して、相手ボールのスクラムに組み勝ってしまう。
この攻めから日本は三度ペナルティーゴールを獲得、これを決めて9-12。
1ペナルティーゴールで同点、トライなら逆転という状況まで詰め寄って、全然が結果がわからないまま前半を終了した。
--------
前半、日本は中盤のつばぜり合いをよく戦い、攻めては相手に後手を踏ませた。
アイルランドは自分たちのストラクチャーラグビーから2トライを挙げたが、そのインテンシティ(強度)を見せつけられていると言い難い。
前後半の修正力が非常に大きい現代ラグビー、アイルランドはどんな修正をしてくるだろうか。
そしてまた、日本は。
--------
この辺りで増田は気付いたのだが、今日の日本はボールを取ったらあんまり蹴らない。
「ストラクチャー」と「アンストラクチャー」の戦いと目されていたものが、気づかないうちに計算式は変わっていた。
--------
後半の入りからヒリつくよう切り返しの応酬、50分ごろ、日本のラインアウトからの攻めをなんとか止めるアイルランドだが、FW中心の突進をフィジカルで止め切れていると言い難い。
--------
57分、アイルランドの偶発的なエラーから、相手陣深くで日本ボールのスクラム、この攻めから快足、福岡堅樹にボールが渡り、ついにトライ!
--------
63分、日本陣深くで獲得したペナルティでラインアウトから攻め立てるアイルランドだが、日本はゴールラインを背にして力押しの攻めを守りきる。
あまりフィットネスの調子が万全でなく見えるアイルランドとしては、この絶対優位な状況で取りきるべきだった。
--------
本来ならセットプレーが強いアイルランドにはラインアウトが多いゲームは好みの展開のはずなのに、結果が出てない。
軽い怪我で大事をとってメンバー外となり、試合を見守る第一SOジョナサン・セクストンも呆然とした顔をしている。
--------
70分、日本は足が止まって対応に後手を踏むアイルランドに連続攻撃をしかけ、ペナルティキックを獲得、これを決めて19-12。
あと10分しかないのに、アイルランドは1トライ1ゴールがないと同点に追いつけない。
--------
トライを取るしかないアイルランドは獲得したペナルティーから、タッチで前進を狙うがこれがなんとミスキックであまり前進できない。
その後の攻防の一瞬の隙をついた福岡堅樹が切り返し大きくゲイン。
77分、日本はアイルランドゴールからわずか5mほどでマイボールスクラムを獲得した。
--------
絶対的に攻め優位な状況の上、ここでトライなら点差的にも勝利がほぼ確定する。
しかし、後半から交代で入ったSH田中はここでスクラムへのボール投入までゆっくり動いて時間稼ぎをするという、よくよく考えれば合理的だが、こんな緊迫した状況でよくそんなの思いついたな、と言いたくなるような驚くべきいやらしさを見せ、アイルランドに残された時間を浪費させていく。
--------
この攻防のうちについに80分がすぎ、もう最後のワンプレー、日本はボールを失うが、この攻防からトライを取れば同点に追いつけたアイルランドはなんと、ボールを蹴り出してゲームを終わらせてしまう。
19-12。
--------
日本はアイルランドを倒し、4年前の南ア戦に匹敵するアップセットを演じた。
新しいスタイルにかけた日本、今日の戦いはアンストラクチャーラグビーではなかった。
増田は違うと思う。
アンストラクチャーで取りきれる力があったからこそ、アイルランドはアンストラクチャーとストラクチャーの2つの選択肢に対策を取らねばならなかった。
そしてアンストラクチャーラグビーに付き物のキック後の攻防の準備は今日の戦いで遺憾無く発揮され、ついには7点差以内の敗戦で得られる勝ち点1と、同点のトライで得られる勝ち点2を秤にかけたアイルランドにリスクを取り下げさせた。
--------
これで合計の勝ち点を9とし、プールトップに躍り出た日本、次の相手サモアだ。
個々の力は強いものの、多くの選手が海外でプレーするため、チームとしてのまとまりにいつも苦労するサモアは第1戦のロシア相手でも、結果だけ見れば大勝だが、両軍合わせて3枚のカードが乱れ飛ぶ荒れた展開のなか、多くのペナルティに苦しんだ。
また、攻撃自体も個の強さに頼ったものが多く、荒い印象を受ける。
しかし、相手には、やんちゃぼうずを引率するようにまとめるベテランSO、トゥシ・ピシと、ヨーロッパでプレイするFB、ティム・ナナイ・ウィリアムスがいる。
いってしまえばW杯でやっと形になったチームが1週間でどう化けるか、予測がつかない。
日本はここからまたメンタルを立て直し、準備をしなければいけない。
きっと僕たちも。
バレたらいろいろ大変だから数字もストーリーもややダミー混ぜてあります。
ドロドロした話は無いです。
敬愛していた上司が急に脱サラして海外で商売始めるって聞いて、おそらく次に上司になるであろう人間が嫌いだったので勢いで会社を円満退社
貯金はあるし実家ぐらしなので半年は遊ぼうと思って友人何人かに「遊びたい、友達作りたいって」LINEを送ったら、いろんな飲み会に誘ってくれてそこで同人作家をやっているという人と知り合った。
その人は普通におもしろい人でその後も何人かで遊びにいったりしてたら、「コミケの列整理のバイトしない?」って誘われてヒマだったんでホイホイ承諾、そこが地獄だとも知らずにな...
会社員時代はお盆と正月はゆっくり休みたいし、自分自身オタクと言ってもゲーマーでアニメそんなんでもなかったので、コミケは一度も行ったことがなかった
その凄まじさたるや筆舌に尽くしがたい
配置された場所は内壁と呼ばれる場所で、自分たちも周りも結構な行列ができる可能性があるらしい、混んでくると隣のサークルと列がごっちゃになったりするから、その列を整理してほしいというミッションを賜る
作家からはとにかく「2列になって詰めて」と連呼しろとアドバイスされた。
増田で言うのもなんだけど、お前らもうちょっとなんとかならんのか?www アドバイス通り「2列になって詰めて」って結構な音量で連呼したよ俺は
ほとんどが無視だよ無視! 実際に隙間つくったり列乱してるところを直接注意しないと動かない、もしかして君たち自分は大丈夫だとか思って無視してんの?
8割以上がまともに並べてないからね? 2列縦隊とか小学校から習ってるでしょ?
さらに列がぎっしりになってるところを横断しようとするやつ、どう見ても隣のそのまた隣のサークルも列作ってるから通れないよ? ちゃんとした通路通ったほうが絶対早いよ
その日は喉はガラガラになったし、必死なオタクのノーマナーっぷりも辟易したけど、達成感はあった
打ち上げで肉食ってPS4のゲーム1本買えるくらいの日給までもらって結果的に楽しかった
その数日後にその作家から連絡があって「先日のコミケを含めた同人作品をいろんなサイトで委託しようと思うんだけど
仕事と新刊作業に追われて管理ができないから手伝ってくれない?」と話をもちかけられ詳しく聞いてみると
虎の穴とかの店舗のほかにもネット通販みたいなサイトで過去作を売ろうと思ってるが、税理士に提出するために数字をちゃんと管理しなきゃいけない
文系の作家にはその作業が地獄なので手伝ってほしい、バイト代は売上から出すからと言われて断る理由もなかったんで承諾
今のネットの同人通販委託サービスって金の部分に関しては結構しっかりしてて、管理画面は結構きっちりしてるし売上管理自体はそんなに面倒じゃなかった
たまに客からサポートメールみたいのが送られてきて、それは右から左に作家に送って返事をコピペするだけ
もともとバリバリの営業職だったからでエクセルは得意だし複数あるサイトの売上を詳細にまとめて税理士が指定する形式に整えるの難しくなかった
一応毎日3回ずつそれぞれのサイトの管理画面にアクセスはするけど、実作業は月に3~4日程度だったかな
何がおどろいたって売上額のエグさ、後から知ったのだが内壁サークルってのは言ってみれば上の下クラスの規模らしく
コミケ当日も1冊1000円の本が1000~1500冊近く出るのが普通らしい、そりゃ気前よく焼き肉奢るよな!
俺が経理をしていた期間だけでもハイクラスの国産乗用車1台分くらいは入ってた(車種は適当に想像してね)
出版社を通さず作家活動をして、ファンが払った金がそのまま作家に入る、出版社や芸能事務所には相応のメリットや存在意義があるけど
多くの人が趣味でやってるとはいえ、お金が入ればモチベーションに直結するし、いい仕組みだよなーと思った わからんけど
コスプレイヤーさんなんかも自分でセルフプロデュースして本売って有名になって雑誌の表紙になったりしてるって言ってたけど
生活に困窮しないだけの収入が先にあるからメジャーになっても自分の立ち位置が下手(したて)じゃないのが強いなって営業職脳的にはそう思った
恥ずかしながら俺はコミケってエロ漫画博覧会だろ?って思ってたんだけど、たった2回しか参加してないけどコミケ会場には作品愛とリスペクトに溢れてたよ
自分が好きだと思うモノを作った人と、それを求めて来てくれる人が集まって欲望むき出しで跋扈する その原動力は性癖だとしてもだ
販売側と客って関係ではなく、趣味を同じくするものたちのお祭りだった