はてなキーワード: 薄茶とは
男は臭くて迷惑とのことで、シャワーを浴びろとかスーツに消臭剤をかけろとか言われている訳だが、逆にどこまで自分を臭くできるのか?
以前、会社に1週間泊まり込んだ時は3日ほどで髪が脂をまぶした練り素麺みたいになった。相当臭かっただろう。当然パンツも替えていないので、鼠径部に垢が溜まるしチン毛もじっとりしたしチンコ本体も汗と垢でじっとりしていた。包茎なので包皮と亀頭付け根部分に死ぬほど臭い薄茶色の恥垢がべっとりと生成された。トイレで小用を足す(ために包皮を剥く)だけで、股間から立ち上るアンモニア系の腐敗臭にうんざりしたものだ。だが仕事中はパンツもズボンも上げてるわけだから、股間臭気はガードされ周囲には気付かれなかった筈だ。
一方、口臭はどうか?この期間は食事はふつうに三食摂り、コーヒーをやたら飲み、タバコも途切れなく吸っていたが、たまに食後に口を水でゆすぐ程度で、歯磨きは一切できなかった。
すると、歯と歯の間は黄色い歯垢で埋まり、舌の表面には白~茶色の舌苔がびっしり生える。ふと、ため息をつくと腐ったドブ川のような生暖かい臭気が立ち上り、えっなにこれ?と思って再び嗅ぐ(下唇を突き出してアイーンの表情を作り、口中の空気を鼻に送る)とああ俺の口臭いま酷いな、と確認できた。
そのころは若かったから無自覚だったけど、この状態で普通に混雑する電車にも乗ってたんだからきっと周りの人ら迷惑だったろうな。
ああそうだ、どこまで臭くなれるのか?だった。基本は上記のように風呂に入らなかったり歯磨きしなきゃ自然と臭くなる。では意図的に臭くなるにはどうするかというと、こと口臭に関しては、これまで試した中では「ブルーチーズを食べながらアイラ系シングルモルトウィスキーを飲む」というのが最高に臭かった。向かいに座ってる妻がこっちの口臭で逃げ出す程だった。そもそもブルーチーズのケモノっぽい臭さと、アイラ系のヨードチンキのようなケミカル臭が相まって、メタンガスというか硫化水素というかそれに生ごみ腐敗臭と豚糞鶏糞的な刺激臭がブレンドされ、最悪口臭のできあがり。これは発見だったなあ。
数年ぶりに夢に出た。
変わっているところもあったが、基本構造は昔と一緒だ。地元にあって今はイオンになってしまったSATYがベースになっているが、地上二十階くらいに巨大化している。
俺がよく歩き回るのは本屋とCDショップが一緒になった妙にサイバーなインテリアのフロア、そしてその上の3フロアくらいに渡って立体的に広がるゲームコーナーだった。薄暗いかわりにレーザー光と蓄光塗料でけばけばしく彩られたゲームコーナーに様々な時代のゲーム筐体が並ぶ。中央にあるコイン落としは3フロアぶち抜きの巨大なマシンで、いつも老人がまわりに張り付いている。体を使うアクティビティ系のアトラクションもある。スノーボードのハーフパイプが倍くらいの規模になったやつがあって、特殊なシューズをレンタルして遊ぶ。受付で300円払って履いている靴と専用シューズを交換する。このシューズは床にピッタリくっついてハーフパイプを登れるモードと、床との抵抗を限りなくゼロに近づけて高速で滑れるモードを任意に切り替えられる。これを駆使してトリックを決めたり、延々滑ったりして遊ぶ。現実の俺は自転車通勤くらいしか運動はしないが、ここでは自由に体が動く。周りを見ると俺の他には小中学生しかいない。しかし彼らが小さい子供だという気はせず、同年代だという感覚がある。これはこのアトラクションが生み出された時期、俺もローティーンだったからだろう。感覚も施設に紐付いている。
祖父が亡くなってからは、この夢のショッピングモールでたまに眼鏡屋に立ち寄ることがある。最後に祖父と話したのが眼鏡屋だったからだろう。今回もそのイベントがあった。祖父がそこにいた。祖父は視力を測る機械の前に座って、奥で店員が老眼鏡を調整するのを待っている。
そう言って祖父は自身の瞳を指さす。俺は吸い込まれるように瞠目する。祖父の瞳は薄いグレーだ。知らない人も多いかもしれないが東北にはそういう目の純日本人がたまにいる。虹彩の細かな模様がきれいだと思う。俺の瞳は左だけすこし色が薄い。しかしきれいなグレーというよりは薄茶色だ。視力も少し弱い。完全に祖父と同じ、グレーの瞳だったら良かったのにと思う。そう言おうと思うが、次の瞬間には祖父は消えている。喪失感だけが残って泣きそうになっている。
SATYは実家から遠かった。俺が家族に連れて行かれるのではなく一人でSATYに遊ぶに行くようになったのは高校生になってからのことだ。通っていた高校からは徒歩で行けたので生徒たちの放課後スポットとしては最適だった。でも俺は別にSATYが好きではなかった。一緒に行く友達がいたわけでも、豪遊できるほど小遣いが豊富なわけでもなかった。それでも当時の俺がSATYに通ったのは、SATYへの道が当時好きだったクラスの女子の帰り道とかぶっていたからだ。マッスン、と彼女は俺をあだ名で呼んだ。
そんな流れで俺は15分ほど、彼女と二人きりで話すことができた。彼女は小柄で色白で、顔だけは広末涼子に似ていた。だからここでは広末と呼ぶ。広末は教室ではいつも田中という女子と行動をともにしていた。田中は特別美人でも秀才でもない普通の女子だったが、どうやら俺のことが好きだったらしい。その関係で俺もこの二人と絡むことは少なくなかった。クラスの奴らからは3人組みたいに思われてたかも知れない。しかし俺は田中がいる限り広末の心がこちらに向かうことはなさそうだと考え、いっそのこと田中を殺そうかと思ったこともある。もちろん本気ではないが。広末の家は町の小さな和菓子屋だった。俺は彼女と別れ際、義理で大福をひとつ買ってSATYに向かった。もしかしたら俺が婿入してこの店を継ぐのかも、なんて夢想したこともあった。
高2のある日、たった一度だけだが、広末がSATYに用事があるというのでそのまま一緒にSATYに行ったことがある。画材屋で店のディスプレイの材料を買うとか、そんな用事だったと思う。俺は荷物持ちを申し出て、広末も断らなかった。買い物が済んでから、屋上の植物園みたいな庭でベンチに腰掛けて二人でアイスを食べた。いつも大福買ってくれるから、とおごってくれた。俺はヨーグルト味で、広末はぶどうシャーベットだった。広末は一口あげるといって自分のスプーンで俺の口にシャーベットを入れた。俺は興奮で死にそうだったがなんとか平静な顔を保った。こっちも食べる?と聞くと広末は俺の「あ〜ん」を待つわけでもなく超速でごっそり半分以上ヨーグルトアイスを持っていった。取り過ぎだよひどい、なんて言ったが俺は幸福のあまり死にそうだった。
夢の中ではこの庭が広大で深い植物園になっている。熱帯の植物がジャングルみたいに鬱蒼としている中を歩いていくと、アイスを食べたあのベンチがある。そこには広末ではなく田中がこちらに背を向けて座っていた。
高3になると俺と田中が文系、広末は理系を選択して、広末とは疎遠になった。ただ田中とも別に関係が深まったりはしなかった。田中は既にどこかの大学生と付き合っていて髪を染めたりタバコを吸い出したりして感覚が合わなくなっていた。
夢の中の田中は高校生ではなく、数年後に最後に顔を合わせたときの姿だった。大学を出たものの終活に失敗して東京の小さい葬儀屋で見習いをしていた俺を田中が呼び出した。高校を卒業してから連絡を貰ったのはそれが初めてだったし、高卒で地元に就職した彼女が上京していたこともこのとき初めて知った。葬式が増える真冬で、俺は翌日の葬儀のために付き合いのある花屋に頭を下げて花をかき集めたところで疲れ切っていたが、なぜか田中からの誘いを断れなかった。蒲田にある田中のマンションはゴミ屋敷一歩手前という状況で、冷蔵庫の半分がスミノフで埋まっていた。
夢の中の田中もスミノフをハイペースでのどに流し込んでいる。ふわふわした素材のジャージ上下姿で、底辺の女という感じがした。
「マッスンも飲みなよ。ねえ、あたしさあ、この間また手首切っちゃった。それで救急車来たんだけどなんで来たのかわかんない。別れた旦那がいたから、どっかで見張ってて通報したのかも。ほら手首見る?ねえ寒いよね一緒に寝る?」
田中の視線は定まらずふらついている。あのとき田中がなんで俺を呼んだのか、わからないようでわかるような気もする。歪な三角関係のバランスで三人組をやれていたあの時期が田中にとっては幸福だったのかも知れない。俺は田中を殺したいとさえ思っていたのに。
気がつくとベンチの前には棺が置いてある。遺族が手向けた白い菊の花が大量すぎてご遺体が見えないほどだった。どんな人なんだろうとすこしドキドキする。葬儀屋をやっていると死体を見慣れてしまうが、死に慣れるわけではない。白い花びらにぽたぽたと紫色の液体が垂れる。ぶどうシャーベットだ、と思う。しかし違う。隣で棺を覗き込んでいる田中がヘラヘラと笑いながら手首から紫色の血を流している。遠く幽かにゲームコーナーの喧騒が聞こえる。ハーフパイプでは子供の俺が今もまだ飛び跳ねているような気がする。遠くに来てしまったと思う。
目が覚めると泣いていた。
もう10年ほど職場の人間以外と話しておらず、久しぶりに田中と話せたのが嬉しいと思う。今の仕事はもう葬儀屋ではない。だから長く死体を見ていないが、でも今日もどこかで誰かが死んでいるんだと思うと落ち着く。
SATYに行きたいと思う。
人間の脳とはどうにも不便なもので、積み重ね続けているはずの明るく優しい記憶はその隙間に挟まる嫌な記憶に塗りつぶされてしまう。古来より経験から学習して危機を回避するために必要な仕様なのだと考えれば理解はできるのだが、現代に慣らされたわたしにとっては、ずっと自分を縛り続ける鎖のように重苦しい。
虐待、という言葉は日常的に――さまざまなニュース、ネットの記事、大学の授業、書籍なんかで――目にする。その程度に軽重はなく、そしてその辛さに貴賎はなく、当事者が辛かったと感じ、または自覚なくとも傷つき、倫理と法に照らし合わせたときにそう判じられたのなら、それは虐待になるのだろう。
多くの人が、まずぱっと想像するのは保護者から子への虐待であろう。母から、父から。扶養者から。祖父母から。近年では、養護者による高齢者に対する虐待も問題視されている。わたしのiPhoneに標準搭載された辞書によると、虐待とは「むごい取り扱いをすること」。調べれば、厚生労働省による児童虐待のページも出てくる。それによれば、児童虐待は「身体的虐待」「性的虐待」「ネグレクト」「心理的虐待」の四つに定義されるらしい。なるほど、思いつく大体はさらっていそうだ。長くなるのでそれぞれの具体的な例は省略するが、暴力や言葉による脅しなどが挙げられている。
そして、本題である。
寓話だと、シンデレラの義姉が一応それに当てはまる。義理の兄姉、弟妹、そして実のきょうだいからの虐待、である。
わたしは未だ、自らのそれを虐待ということに疑問を覚えている。確かに暴力があって、辛い言葉があった。けれどやっぱりきょうだいだから、そして自分でも信じられないことに、生まれてこの方家族のことを明確に「嫌い」になったことがない上、いくつかの発端は自分に非がある喧嘩だった覚えがあるために、はっきりとした定義づけができないのだろう。
でもたぶん、あれは虐待だった、と言っていいのだと思う。
わたしには、四つ上の姉がいる。はっきりとした実感では思い出せないが、間違いなくわたしは姉が好きだった。生意気だったし、変な子どもだったけれど、姉のやることをいつも真似して、遊んでほしがった記憶がある。面白いと言っていた漫画を読んで、図書館で本を借りて、拙い四コマを描いていた。女の子のお人形やミニチュアが家にあったから、それで一緒に遊んでほしかった。まあ姉は真似されるのを嫌がっていたし、あまり遊んではもらえなかった気がするが。母に諸々が露見するまで部屋も一緒で、二段ベッドの上下で眠っていた。
ひとつ、間違いなく自分に非がある発端として思い出せるのは、借りた本のことだ。当時姉はあるシリーズの小説にはまっていて、それをわたしも読んでいた。今思うと意味が分からないのだけど、ホラー作品の影響か、知らない内に血痕が増えていたらおもしろいだろう、と、当時のわたしは考えた。ちょっとした騒ぎになることで、家族の気を引きたかったのかもしれない。馬鹿な思いつきで、抜けた歯かなんかの血液を、本のページになすりつけたのだ。
単純に汚いし、本当に意味不明だ。弁償しろと言われたらそうすべきだし、怒られたら謝るべきだ。
姉は怒った。当たり前だ、妹が自分の本を読んでいたと思ったら、返ってきたときに謎の薄茶けた汚れが付いていて、あまつさえそれが不衛生な血液なのだから。生理的に拒絶して責められても仕方ない。
それで、姉はわたしを蹴った。蹴って、床に置いてある座布団の上に転がして、そこで背中を踏みつけた。座布団の上だったのは一縷の優しさなのか、当時の部屋は恐ろしく汚かったので、床に放置された物ものをわたしの身体が潰すのを嫌がったかもわからない。とにかくそんな感じで、わたしは泣いて謝って、しばらくののちに姉は怒ったままひとまず足を退けた。本をどうしたかは覚えていない。
そんな調子だった。二人とも通っていた小学校の校門前で、下校時刻にみぞおちを蹴られて――これは何が原因だったか忘れてしまった――動けなくなり、野次馬にじろじろ見られながらどうにか帰ったこともあった。姉はさっさと帰ってしまったので、持っていた傘を杖にして耐えていた。わざとかどうか分からないけれど、的確にみぞおちへ爪先が入って、ちょっと吐きかけた。
ここで弁明しておくのだが、両親は見て見ぬふりをしていたわけではない。というのも、わたしたちは鍵っ子で、昼間は父母ともに家にはいなかったのだ。そういったいざこざが起こるのは大体ふたりが帰ってくるまでの時間帯だったので、そしてわたしは姉に言い含められ、かつ自分の受けているダメージの深さに無自覚だったので、親にあまり言い募ることもなかった。父母の見ている前で姉の手が出たらさすがに止められたし、姉は叱られていた。まあそれによって機嫌の悪くなった姉の言動がさらに悪化することもあったのだが、とにかくそういうことだった。
契機は、特に姉の機嫌がひどい夜だった。母は父を迎えに行っていたので、両親ともいない。子どもは夕飯もお風呂も済ませて、あとは寝るだけという時間だった。
「ねえ、電気消して」と言われて、わたしは断った。前述したが、わたしたち姉妹は二段ベッドの上下で寝ていて、付け足すと姉が上段、わたしが下段だった。部屋の照明にはよくある紐が付いていて、天井の真ん中から垂れている。姉のいる上段からは手を伸ばせば届くが、わたしは一度ベッドから出ないと届かない。舌打ちが聞こえた。電気消せよ、と言われて、お姉ちゃんの方が近いんだから自分で消してよ、ともう一度断った。それで、姉は怒った。
足音を荒らげてはしごから降りてくる音に身体が強ばった。怒られるんだと思うと本当に嫌で嫌で、それでも、今日ばっかりはわたしは悪くないのだから、と頭の中で唱えていた。電気をどっちが消すかなんて、どう考えても至極どっちでもいい張り合いだ。変な意地は、それでも道理に合わないことに従いたくない一心で、そのあとに予期される出来事よりも優先されてしまった。
ぎゅっと身体に力を入れ、壁側に背中を向ける。お腹は内蔵に直接響いて辛いので、せめて背中側ならという発想だった。ベッドから引きずりだされるのが一番怖くて、でもそうはならずに、背を向けたわたしへ、そのまま足が飛んできた。電気消せよ、消さない、の、文字だけだと死ぬほどしようもない、馬鹿みたいなやり取りをしながら、ひたすら泣いて背中を蹴られていたと思う。どれだけやってもわたしが動かないことを察したのか、姉は苛立たしげに身を引いた。そして戻り際、「絶対チクんなよ」と残してはしごを再び上がっていった。電気はそのままだったので、結局どっちが消すかなんてやっぱり大事じゃなくて、「妹が自分の言うことを聞かずに口ごたえしてくる」ということがとにかく気に食わなかったのだろう。
ほどなくして、父と母が帰ってきた。ただいま、と言って部屋に入り、声をかけてくる母からわたしはとにかく顔を隠した。顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃで、それでもうまく強ばった身体は動かない。異変を察知した母にどうしたのと問われても「なんでもない」で通した記憶があるが、声が震えてぼろぼろだったので、そんな嘘はあっけなくばれてしまった。
そのあとは、わたしはリビング、姉はそのまま自室にと引き離され、事情聴取が行われ、部屋はやっぱり離すべきだ、という結論に両親が落ち着いた。そのあともしばらく姉の気性は荒かったが、思春期の前半を過ぎて彼女が高校に入ったあたりから本格的に落ち着いて、そんな騒動はぱったりと止んだ。ギターで頭を殴られたりだとか、背中にものを投げつけられたりだとか、怒って一瞬包丁を持ち出されたり(見せられただけだったが)だとか、壁に首を足で押さえつけられたりだとか、まあ色々あったが、そんな感じだった。
「口ごたえするな」「使えない」「気持ち悪い」「何で生まれてきたの」――そしてまた、言葉というのは厄介で、簡単に口からこぼれるのに、言われた側はその感情まで受け取ってずっと抱えてしまう。身体に対する物理的なあれこれは間違いなく痛くて、それも勿論辛かった。でもたぶんその根本にあるのは、自分がそういう扱いをされていること、そうしてもいいと思われていること、好意や情の非対称性だったのではないかと今は考えている。お前は愛されていない、だめな人間で、嫌われていて、いない方がよかった。それの真偽はともかくとして、真正面から突きつけられるには痛すぎる。身体的な暴力は衝撃的に覚えているけれど、思い出したときにじわじわと首が締まっていくのは言葉のほうだ。そして、日常的に放り投げられるのにいつだって避けようがなかったのも、言葉のほうだ。
姉はいわゆる癇癪持ちというやつで、怒ったら自分で制御ができずに手が出てしまっていたのだという。でもそれが友人に向くことはなかったし、たぶん妹は格下の、彼女にとってそれをしてもいい人間だったのだろう。自分の中で、怒ったら手が出てもいいし、ひどい言葉を投げてもいいし、言うことを聞かないのはおかしい存在。何なら、日常的に何を言ってもいい存在。
幼い頃から培った「この人と自分は平等ではない」という意識は根深い。何ならそれは今でも、姉妹揃って無自覚に残っている。実は現在、姉妹間の仲はそこそこに良好だ。ただその前提に、姉は大人になったけれど、間違いなくわたしのことは下だと思っている。わたしは大きくなったけれど、姉に対して嫌に思うことがあっても諦めているし、そういうものだと思っている。そういう暗黙の了解が存在しているから、比較的穏やかな日常が保証されるようになった。
でも、色々なことがぼやけてしまった幼少期の記憶の中で、ぐちゃぐちゃとした嫌なものばかりが輪郭を持ち続けて、わたしはそれを手放せない。姉と笑顔で話しながら、ふっと影がよぎるみたいに、昔のことを思い出してしまう。やっぱり、した側が覚えてなかったとしても、された側は覚えているものらしい。
この文章は間違いなく恨み言だ。でも、これを姉にぶつけたいわけじゃない。やっぱり姉のことを嫌いになりたくなくて、でも傷ついた自分のことも認めてあげたくて、好きなものが好きでいたいだけだ。だから、取り残された感情や記憶を吐き出して保っている。
わたしは今も、生まれ育った家で姉と共に暮らしている。実家を出ようとはあまり思っていなかったのだが、最近になってふと、「この人と一緒にいたら、わたしはこの先もずっと自尊心を削られつづけるんだ」と悟って――そのうち、家を出なければならないことに気がついた。母は姉を出すと言っているものの、姉を一人暮らしさせてうまくやっていける気がしない(わたしもあまりできる自信はないけれど)ので、全員の健康を考えたらそのうちここを離れることになるのだろう。
あのときと比べて、身体はずいぶん大きくなったし、精神も成熟したところはあるはずだ。それでもわたしはまだ、自分の中にずうっと、声を殺して泣いている子どもがいるような気がしている。
1 トマト1個を一口サイズに切る トマトは冷めにくいので小さいほうがすぐ食べられる
2 フライパンに油を入れて、トマトを入れて、胡椒を3振り入れる
3 冷凍うどんを水で濡らして、サランラップで包み、電子レンジで2分チンする 600W
4 解凍したうどんをフライパンに入れて、醤油をちょびっとだけうどんにかける
5 卵2個を溶いて、鶏がらスープの素小さじ1、醤油小さじ2入れて、よく混ぜる
6 うどんが薄茶色になったら、皿に移す トマトはまだフライパンに残しておく
7 フライパンに追加で油を入れる 卵が異常にくっつくのを防ぐ
8 溶き卵を入れて1分待ち、菜箸でかき混ぜる この時紫蘇1枚をちぎり入れると味変になる
福岡市博物館の前にはめちゃくちゃ広い池がある
今調べたら、広さ2000平方メートルあるらしい
見た目が涼しげで好きだけど、飛んでもねえくらいのデッドスペースだ
深さは30㎝もないので泳ぐこともできないただの浅瀬
最初に見つけたのは細くてグネグネと曲がった像で、遠目から見たときはムーミンのくねくねとかエイリアンの類かと思った
近づいてみると、足を後ろ手に高くつき上げたバレリーナの像のようだった
次に見つけたのは裸のおっさんがあぐらで座っている像に見えた
水面に裸のおっさんが座る意味がわからなくて、だれかのいたずらか何かかと思った
裸に見えたの先に見つけた像と同じで色が塗っておらず、植木鉢の様な焼いた土色をしていたからだ
博物館の入口近くまで来てようやく池の中に小さな案内板があり、博多人形の展示を実験的に池でやってますと書いてあった
曰く、博多人形の知名度を上げるためで、色が塗ってないのは雨で落ちちゃうから屋外展示するためにあえて塗りませんでしたとかなんとか
一番ぎょっととした博多人形が宇宙服を着たやつ数体で、その足元にカブトガニの博多人形が何体も水に沈んでいるという謎の構図で展示だ
兵隊たちはいつまで戦って、そして勝ったらどうなるのかしら……?
時江の記憶に残る限り、彼女の生まれ育った村のロシア人たちの表情は常に暗く陰気だった。
彼らが笑う顔を見たことがないと言っても過言ではないほどだ。そして彼らは決まってこう言った。
時江にはその意味がよく分からなかったが、とにかく彼らの嘆きは切迫していた。
そのせいだろう、彼らは自分たちの未来を悲観的に捉えていたようだ。
そう考えると、時江は自分が生まれ育った村のロシア人たちを憐れまざるを得なかった。彼らもまた自分たちと同じ苦しみを背負っていたのだと知ったからだ。
時江の心の中で、何かが変わった。
彼女はそれまで見下してきたロシア人たちに対し初めて親近感を覚えたのである。それが時江の初恋の始まりでもあった。
「…なるほど、ロシアに行かれてた時にそんな事が」
時江の話を聞き終えた美和子は神妙な面持ちで肯くと、テーブルの上に置かれたグラスを手に取った。氷は既に溶けかけていて、薄茶色の液体は水っぽくなっていた。
遠藤家を辞した後、二人は喫茶店に入って遅い昼食を取っていた。遠藤の言う通り、駅前にあるこの店はこの辺りで一番賑わっている場所だった。店内の壁にはロシア語で書かれたポスターが何枚も貼られており、そのどれもがロシア軍人募集の広告であった。時江は食事の間中ずっとそれらのポスターを眺めていたが、ふと思いついて口を開いた。
錦糸町はかつてロシアンパブが乱立しており往時はロシア大使館の周辺並みにはロシア人女性がいた事を思い出した。だが今となってはそれも過去の話だ。
美和子は首を傾げ、
他人の夢くらいつまらないものはない、というが、久々に文章化できた夢なので、あえて書く。
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大勢(といっても数人?)で集まって、何かしようとしている。何か作る?焼物を作ろうとしているみたい。
ある人の家に集まる。現実の知り合いのギタリストの彼だ。なぜ彼かは不明。皆、楽器などを持ち込んでいるようだ。
他にもバンド関係で知り合った人がいる。おそらく先日会ったボーカルギターの人だ。キーボードの女性もいたようだ。
家は、とても古い木造だが、部屋はやたら広い。広いが何もない。隅の方にめいめい、荷物を置き、皆で屯する。
焼物を作るのは別の場所なので、移動しようということになる。
床は入口から50cmくらい低いスロープになった部分があり、スロープの先の平らなところに便器がある。床は、艶のある色濃い木でできている。
便器の蓋も木でできており、便器をピッタリ隠している。金隠しが無い。
鍵が壊れている?
家の持ち主のギタリストの彼がやってきて、小さい金属の閂を嵌めてくれる。
トイレをどうしたかは不明だが、皆で外に出て、移動しようということになる。家から出て道路を渡り、その家を見ると、外観もかなりボロボロだ。
周囲の家も、ボロボロの家が多い。
一件、取り壊し中の家がある。重機が家の壁を壊していて中が剥き出しになっている。今出てきた家かと思い不安になったが、違ったようだ。
2台の車に分乗して移動。
自分が乗る車は、三輪トラック風の、前が細くなった車で、何かが褪色した薄いピンク色。
ほぼ一人乗り。
白いペダルと赤いペダル。白いのがブレーキ、赤いのがアクセルらしい。クラッチになったりもする。
シフトレバー。昔のバスのように長い金属棒の先に丸い球が握りとして付いているやつだ。
運転なんか随分していないので不安だったが、ギタリストの彼の大丈夫だ、という声に押されて運転を開始。
皆が乗る大きなトラックの後について行く。
車は妙にスルスル動くが、操作がよく分からず先行車から段々と遅れる。
道路の端に寄ってしまい、縁石のようなところに登り、煉瓦に囲まれた花壇になっている部分をそのまま走る。
そのうち自分の車が先行するようになる。
後ろを見ると、トラックが付いてくる。
自分は行き先も知らされていないのに、どうしようかと思っているうちに、目的地に着く。
最初にいた家と同じような部屋。
ボーカルギターの彼は別の作品を先に焼いていたようで、出来上がった、と言って周りのおが屑のようなものを払いのける。
30cm角くらいの四角い立体で、側面は左側が直角の台形で、いかにも焼いたような薄茶色をしており、紺色の素朴な線で絵が書いてある。数人で談話をしているような、そんな絵。
耳が痒いなと思うことが増えて、耳掻きが習慣になっていた。
指で掻いてもあまり解消しないが、綿棒で少し掻けば痒みは治る。
耳垢で耳の聞こえが悪くなることがあって、大抵、夜に聞こえが悪くなり、不安になりつつも日が明けてから耳鼻科に行こうと考え、次の日の朝にもう一度掻いてみると取れた。
直径5mm弱の塊が取れて超スッキリ。
家族も昔、大きな耳垢が取れた経験があるようで、そんなものかと思っていた。
しかし、近年、
耳掻きは悪、耳掻きこそ耳垢の要因だという風潮があり、家族に言われて自分もあまり耳掃除をしなくなった。
耳が痒くても我慢したり、綿棒を使うときも奥まで入れずにサラッと拭うだけにしていた。
すると、半年ほど経ったあたりから、痒みが増し、1年ほど経ったあたりで、左耳だけ、明らかに聞こえが悪くなった。
試しに、耳掻きを奥まで入れてみると、ガサガサと音がする。
「大きいのがあるな」と探ると、引っ掛かりがある。
「おっ」と思い掻き出そうとするが、全く剥がれない。
耳の中の皮膚が痛い。
ふやけて剥がれるかと思いきや全く剥がれない。
恐る恐る爪楊枝で境界をなぞるが、剥がれる気配が無い。
そんな中、夕食後の食器洗い中、耳がものすごく痒くなり、我慢出来ずに洗剤がついた指で耳を掻いてしまった。
痒みはおさまったが、洗剤によって肌が荒れてしまうだろうと、水道水をつけた指で、何度も濯ぎ洗いをした。
その後は、耳の中がスースーとさっぱりとしていて気持ちが良く、これからもたまに洗顔石鹸で洗ってやれば良いか等と思いながら床についた。
するとだ、
夜中寝ている間に、ラップ音が聞こえる。
目が覚めるくらいの「ピシッ」「パシッ」「ペリッ」という音が何度もあった。
耳の中で鳴っている。
脱脂された耳垢が乾燥して剥がれる音?
そして耳の中が猛烈に痒い。
起きて耳掻きで耳を掻いた。
ザシッ、ペリッという音の後に、
スッと物凄い清涼感。
恐る恐る引っ張ってみると、直径8〜9ミリほどの肌色〜薄茶色の塊が落ちてきた。
大きすぎてドン引きしつつ、写真を撮って、ティッシュにくるんで捨てて、また寝た。
起きて家族にこのことを伝えると、(眠い中で撮った写真が不鮮明だったこともあり)実物が見たいと言う。
そして驚いたのが、耳垢の取れた左耳だけ、音が大きく聴こえる。
今まで左耳の詰まりからくる感音性能の低下によるステレオのバランス異常を、脳が補正していたのか。
それが、いきなり解消されたものだから、補正分大きく聴こえるのか。
念のため週明けに耳鼻科に行こうと思う。
今まで放置していたり、結果的に洗剤で耳を洗って解消されるなど、Twitterにもブログにも恥ずかしくて書けないので、増田に失礼した。
■2021/06/14追記
なんとまだ、大きな耳垢が存在していた。
自分の場合、今回の出来事で、外耳道を塞ぐ形に存在していた耳垢が取れたのだけど、さらにその奥の鼓膜の手前で少し曲がっているところにも、周囲にこびりつくように耳垢が溜まっていた。
耳の中に薬を垂らして、横になって少し待って、ピンセットみたいなもので取ってもらった。
「左耳の音量は高くなったけど、若干低音が聞こえにくいかな…。安いスピーカーの音に似た感じだ。久しぶりに聴こえるようになった違和感からそう感じるのかな。」と思ってたけど、穴が狭くなってたからか。
ついでにクリーニングしてもらったけど、大きな耳垢は無かった。
その他は、やはり少し耳の中が荒れていて、点耳薬をもらったのみで、「薬が無くなって、痒くもなくなったら、来なくて良いよ」とのこと。
「これからは、耳掻きはやりすぎず、週一くらいで、違和感あったら早めにきてね」と言った感じだった。
痒みには市販薬使っても良いとのこと。
あと、耳の中の画像見せてもらって驚いたんだけど、自分の耳毛が思ったより凄かった…。
2mmくらいの白い産毛が全体に「ふぁさふぁさ」というレベルかなと想像していたのだけど、黒々とした鼻毛みたいな立派なのも生えてて、こりゃ痒いわと思った。
炎症の程度を見るために、そして自分でも耳毛を見てみたいがために、Amazonで耳掻きカメラ注文した。
3000円弱。楽しみ。
志位さん、小池さん、田畑さんといった共産党の国政議員は頼もしいし、大好きなんだが、
地元でチラシを配ったり、街頭演説の動員で集まってくる共産党員のジジイとババアが本当に小汚くて嫌い。
まず、服装がいかにものジジイとババアって感じでださい。薄茶色のシャツ、よれよれのチノパン、スニーカー。
だいたい眼鏡で、老人特有のにらみつけるようにこっちを見ながらチラシを手渡ししてくるのも嫌い。
あと、手書きの垂れ幕やプラカードみたいのね。怨念がこもってそうで目にするのも嫌になる。
手作り感満載で、子供の自由研究よりも作りが甘いお手製の政権批判メッセージが書いてある帽子とかもやめて欲しい。
とにかく小汚い。
今、都議選で駅前で候補者をよく見かけるけど、候補者はさわやかな笑顔を振りまいていても、
候補者を支援したり、ボランティア活動に参加しようかなって思っても、あのなんか偏屈で小汚い老人達に指示されなじゃいけないのかと思うと、活動する気にはなれない。
選挙の時期だけでも、よれよれじゃなくて、新品のシャツとズボンで活動してくれないかな。
あの格好の集団が集まっている事の異様さに気づかないコアな支持者と私みたいなライトな共産党支持者の間の溝はきっと埋まらないだろうし、
朝
昼すぎ
・その後もトイレ行くたびにペーパーにつく
夜
朝
・生理痛2日目のような血が出て焦る
定期的な張りはあったけど、子宮口開いてない、破水なし、子宮頸管もそこまで短くないということで帰宅
夜
我慢できるしな、今日行ったばかりだし、、ってことでそのまま就寝
・寝る→痛くておきる→寝るの繰り返し
長くて30分、短くて10分周期
・夜中目が覚めてトイレに行くと血の塊がでた
朝〜夕方
・寝てる時以外は6〜10分周期で痛み。だいぶ重めの生理痛。我慢できないこともないし、昨日の診察もあったし、土曜日だし…ということで病院には連絡せず。
・気づけば陣痛?5分周期。これいつまで耐えたらいいんだという絶望感
・夫に病院に連絡することを勧められる
・病院に連絡。入院判断の診察するから、ご飯食べてシャワー浴びてきてねと言われる
・どうせ帰されるんだろうなと夫と話しながら車で病院へ
19:00 病院着
・助産師さんが先生に電話。帰るか入院かを相談→まさかの入院決定
・入院着にお着替えして個室に行き待機。陣痛間隔が3分周期になる。
・朝までに生まれることはなさそうだということで夫だけ一時帰宅。
21:00〜 分娩台で再nst
・強めの陣痛きた後にダラダラ流れる間隔があったので破水かな?と思って助産師さんに聞いたら全部出血
・力入っていきみ逃しができてなかったのが原因のようで、陣痛来たら深呼吸を意識するように言われる
・nst終わって個室に戻る予定だったけど、しんどすぎて戻るの厳しいということで近くのベッドに移動
・陣痛2分周期くらいになる
・夫とかとラインをして気を紛らわす(紛れない)
22:00〜
・出血やばすぎということで様子を見るため分娩台に戻る
・移動ついでに「便が出そうだからトイレ行きたい」と助産師さんに言ってみる。多分違うからと却下される
・夫とラインする余力が消える
・陣痛の合間にいきみ逃しを調べる
「テニスボール」→ない「旦那さんに腰を抑えてもらう」→いない 絶望
・陣痛来るたびにいきみ逃ししなきゃと意識するも、後半になるにつれて失敗。精神が削られまくる。次くる陣痛がこわい。深呼吸しなきゃ、でもできない。痛い。絶叫、泣く。力入りまくって出血。地獄。
・導尿をしてもらう。水分たりてない指摘。
・出血怖いからと血管確保するねと点滴が始まる。2回くらい失敗されてなかなか点滴できず、陣痛がきても腕を動かしてはいけない地獄。
24:00〜
・子宮口7センチ。旦那さん呼んでいいよと言われる。電話で呼び出す。
・破水したら出血止まった模様。助産師さんに実は内心焦ってたと告白される。
・「便出たらすみません」「むしろ出した方がお産が進んでいいのよ」
・痛みがきたら2回深呼吸していきむ。その2回深呼吸がしんどすぎる。
・いきみだすと全然痛くない!
・サンシャイン池崎を思い出していきむ。褒められる。
・「うんちを出す感覚で」と言われる。その通りにする。褒められる。
・旦那さん来たよと言われる。きょろきょろしたけどいない。外で待たされてた。
・先生登場。いきむと同時に助産師さんにおもいっきりお腹を押される。お子が押し出されてる!変な声出る
・いきんだら先生に切られる感覚。全然痛くなかった。すぐに何かがずるっと出る感覚。
夫が呼ばれる。
・娘誕生!
たくさん泣いてくれた
やあ諸君。
今日はおそらく増田の誰も気づいていないであろうS級極秘情報をお伝えしようと思う。
まずスーパーで100円以上する食パンを1枚取り出す。本仕込とかロイヤルブレッドとか超熟とかそういうやつだ。
厚みは薄すぎないやつだ。6枚切りくらいあれば十分だ。おっと、今回は山形じゃないほうがいい。四角くて密なやつ。
そうだ。では言われるがままにバターを大胆にたっぷり載せろ。普通のバターだ。無塩じゃないやつ。
キューブで言うと2つ分に迫る量を贅沢にバターナイフで切り出すのだ。
伸ばさなくていい。ゴロっとした塊のままで。焼く前だから伸ばせないだろう。追って伸ばす。
そしたらオーブントースターでチンだ。2分くらいだろうか。いやずっと監視してるから長めでもいい。
じっと眺めてバターが半分ほど溶けてきたら、トースターをちょっとあけて、バターナイフの先を使ってちょちょっと全体に広げてやれ。
繊細な作業だ。誤るなよ。だが縁ギリギリまで攻める必要はない。深追いするな。塊を逆側に移す程度でも十分だ。
そうしてバターが広がった部分は焦げないが、塗られていない縁のほうをみろ。
薄茶にこげ色がつきはじめたくらいで早々に引き上げる。バターは少し泡立っている部分もあるくらいか。
これで完成だ。食べろ。脇目も振らず。
こうしてできたたっぷりバタートーストは、筆舌に尽くしがたいほどに、うまい。
100円以上するパンはだいたいトーストしても中はふわっもちっとしている。
そのふわもちにバターが染みて無敵になる。
一番良く見かける毛色は背中側がこんがり薄茶色で、腹側が真っ白。
顔は眉毛の位置だけ白色になっていて、ファンからは『マロ眉』と呼ばれている。
この顔がなんとも言えずかわいい。
他のハムスターよりも体長が小さく相対的に顔が大きいので、ほぼ2頭身。
オスは体の割に金玉がデカいので、金玉を座布団にして座って寝る。(この寝方が本当にかわいい)
他の種類よりも兄弟間の仲が良いことが多く、一つのケージで何匹も飼育されていることがよくある。
苦しくないのか?というぐらいに一箇所に集まり、折り重なって寝る姿は本当にかわいい。
SNSではロボロフスキーハムスターを飼いならしたハム中毒達が、溢れんばかりのロボロフスキーハムスターの写真をアップしているのでぜひ見てみてほしい。
このロボロフスキーハムスター、ただでさえすばしこいハムスターの平均よりもさらにすばしこい。
より適切に言えば『多動』である。常にわさわさカサカサちょろちょろ走り回っている。
回し車を回す速度も尋常じゃなく、自らが生み出した遠心力により回し車から放り出されることも頻繁にある。
それでも諦めず何回も回してはふっとばされるのを繰り返しているのを見ると、アホだなぁ、と愛おしく思うし、本当にかわいい。
他の種類よりもなつきにくいというふうに言われている(事実俺の飼っていたやつも全然手に乗らなかった)が、
SNSでは野生を失くし飼い主の手の中でされるがままになっているもちもちふわふわの個体もよく見かける。
そういう個体を見ると、歯ぎしりしたくなるくらいの嫉妬に襲われるのも事実だ。
ここで一つ大事なことは、たとえロボロフスキーハムスターが手に乗らなくても、見ているだけで本当に幸せな気分になれるということだ。
俺が帰宅すると、活動を始めたやつら(夜行性)がチョコマカチョコマカとケージ内を駆け回り、こちら側に向かって『メシをよこせ』とアピールする。
ロボロフスキーハムスターはエサ入れに補充したペレットを全て頬袋に詰めて、砂場に持っていって放出する。
(本人は蓄えているつもりだが、衛生的ではないのでしばらくしたら回収して捨てる)
たまにはやつらの好きそうなハムスター用のおやつを購入して与えるが、好き嫌いが激しいのですぐ捨てられたりする。
ショックだが可愛いので許す。
そして回し車を高速で回し、数十分ほど走るとそのへんでひらべったくなって仮眠をとる。
それを一晩中繰り返す。
単純な動きの繰り返しではあるけれど、なぜだか飽きが来ない。
メンタルがやられてろくに眠れなかった俺には、やつらを眺めてただぼーっと時間を潰しているだけでも救われた。
また一緒に暮らしたいと思う。
うお、ほんとだ>球の色は全部同じ (薄茶色) https://t.co/KS9b6DFwtn— Shiro Kawai (@anohana) May 21, 2019