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2020-02-25

翳(原民喜

センター試験話題になったけど、全文読めるところが見つからなかったので)

底本:原民喜戦後小説 下(講談社文芸文庫1995年8月10日第1刷発行

     I

 私が魯迅の「孤独者」を読んだのは、一九三六年の夏のことであったが、あのなかの葬いの場面が不思議に心を離れなかった。不思議だといえば、あの本——岩波文庫魯迅選集——に掲載してある作者の肖像が、まだ強く心に蟠(わだかま)るのであった。何ともいい知れぬ暗黒を予想さす年ではあったが、どこからともなく惻々として心に迫るものがあった。その夏がほぼ終ろうとする頃、残暑の火照りが漸く降りはじめた雨でかき消されてゆく、とある夜明け、私は茫とした状態で蚊帳のなかで目が覚めた。茫と目が覚めている私は、その時とらえどころのない、しかし、かなり烈しい自責を感じた。泳ぐような身振りで蚊帳の裾をくぐると、足許に匐っている薄暗い空気を手探りながら、向側に吊してある蚊帳の方へ、何か絶望的な、愬(うった)えごとをもって、私はふらふらと近づいて行った。すると、向側の蚊帳の中には、誰だか、はっきりしない人物が深い沈黙に鎖されたまま横わっている。その誰だか、はっきりしない黒い影は、夢が覚めてから後、私の老い母親のように思えたり、魯迅の姿のように想えたりするのだった。この夢をみた翌日、私の郷里からハハキトクの電報が来た。それから魯迅の死を新聞で知ったのは恰度亡母の四十九忌の頃であった。

 その頃から私はひどく意気銷沈して、落日の巷を行くの概(おもむき)があったし、ふと己の胸中に「孤独者」の嘲笑を見出すこともあったが、激変してゆく周囲のどこかにもっと切実な「孤独者」が潜んでいはすまいかと、窃(ひそ)かに考えるようになった。私に最初孤独者」の話をしかけたのは、岩井繁雄であった。もしかすると、彼もやはり「孤独者」であったのかもしれない。

 彼と最初に出逢ったのは、その前の年の秋で、ある文学研究会の席上はじめてSから紹介されたのである。その夜の研究会は、古びたビルの一室で、しめやかに行われたのだが、まことにそこの空気に応(ふさ)わしいような、それでいて、いかにも研究会などにはあきあきしているような、独特の顔つきの痩形長身青年が、はじめから終りまで、何度も席を離れたり戻って来たりするのであった。それが主催者の長広幸人であるらしいことは、はじめから想像できたが、会が終るとSも岩井繁雄も、その男に対って何か二こと三こと挨拶して引上げて行くのであった。さて、長広幸人の重々しい印象にひきかえて、岩井繁雄はいかにも伸々した、明快卒直な青年であった。長い間、未決にいて漸く執行猶予最近釈放された彼は、娑婆に出て来たことが、何よりもまず愉快でたまらないらしく、それに文学上の抱負も、これから展望されようとする青春とともに大きかった。

 岩井繁雄と私とは年齢は十歳も隔たってはいたが、折からパラつく時雨をついて、自動車を駆り、遅くまでSと三人で巷を呑み歩いたものであった。彼はSと私の両方に、絶えず文学の話を話掛けた。極く初歩的な問題から再出発する気組で——文章が粗雑だと、ある女流作家から注意されたので——今は志賀直哉のものノートし、まず文体研究をしているのだと、そういうことまで卒直に打明けるのであった。その夜の岩井繁雄はとにかく愉快そうな存在だったが、帰りの自動車の中で彼は私の方へ身を屈めながら、魯迅の「孤独者」を読んでいるかと訊ねた。私がまだ読んでいないと答えると話はそれきりになったが、ふとその時「孤独者」という題名で私は何となくその夜はじめて見た長広幸人のことが頭に閃いたのだった。

 それから夜更の客も既に杜絶えたおでん屋の片隅で、あまり酒の飲めない彼は、ただその場の空気に酔っぱらったような、何か溢れるような顔つきで、——やはり何が一番愉しかったといっても、高校時代ほど生き甲斐のあったことはない、と、ひどく感慨にふけりだした。

 私が二度目の岩井繁雄と逢ったのは一九三七年の春で、その時私と私の妻は上京して暫く友人の家に滞在していたが、やはりSを通じて二三度彼と出逢ったのである。彼はその時、新聞記者になったばかりであった。が、相変らず溢れるばかりのもの顔面に湛えて、すくすくと伸び上って行こうとする姿勢で、社会部入社したばかりの岩井繁雄はすっかりその職業が気に入っているらしかった。恰度その頃紙面を賑わした、結婚直前に轢死(れきし)を遂げた花婿の事件があったが、それについて、岩井繁雄は、「あの主人公は実はそのアルマンスだよ」と語り、「それに面白いのは花婿の写真がどうしても手に入らないのだ」と、今もまだその写真を追求しているような顔つきであった。そうして、話の途中で手帳を繰り予定を書込んだり、何か行動に急きたてられているようなところがあった。かと思うと、私の妻に「一たい今頃所帯を持つとしたら、どれ位費用がかかるものでしょうか」と質問し、愛人が出来たことを愉しげに告白するのであった。いや、そればかりではない、もしかすると、その愛人同棲した暁には、染料の会社設立し、重役になるかもしれないと、とりとめもない抱負も語るのであった。二三度逢ったばかりで、私の妻が岩井繁雄の頼もしい人柄に惹きつけられたことは云うまでもない。私の妻はしばしば彼のことを口にし、たとえば、混みあうバスの乗降りにしても、岩井繁雄なら器用に婦人を助けることができるなどというのであった。私もまた時折彼の噂は聞いた。が、私たちはその後岩井繁雄とは遂に逢うことがなかったのである

 日華事変が勃発すると、まず岩井繁雄は巣鴨駅の構内で、筆舌に絶する光景を目撃したという、そんな断片的な噂が私のところにも聞えてきて、それから間もなく彼は召集されたのである。既にその頃、愛人と同居していた岩井繁雄は補充兵として留守隊で訓練されていたが、やがて除隊になると再び愛人の許に戻って来た。ところが、翌年また召集がかかり、その儘前線派遣されたのであった。ある日、私がSの許に立寄ると、Sは新聞第一面、つまり雑誌新刊書の広告が一杯掲載してある面だけを集めて、それを岩井繁雄の処へ送るのだと云って、「家内に何度依頼しても送ってくれないそうだから僕が引うけたのだ」とSは説明した。その説明は何か、しかし、暗然たるものを含んでいた。岩井繁雄が巣鴨駅で目撃した言語に絶する光景とはどんなことなのか私には詳しくは判らなかったが、とにかく、ぞっとするようなものがいたるところに感じられる時節であった。ある日、私の妻は小学校の講堂で傷病兵慰問の会を見に行って来ると、頻りに面白そうに余興のことなど語っていたが、その晩、わあわあと泣きだした。昼間は笑いながら見ものが、夢のなかでは堪らなく悲しいのだという。ある朝も、——それは青葉と雨の鬱陶しい空気が家のうちまで重苦しく立籠っている頃であったが——まだ目の覚めきらない顔にぞっとしたものを浮べて、「岩井さんが還って来た夢をみた。痩せて今にも斃れそうな真青な姿でした」と語る。妻はなおその夢の行衛を追うが如く、脅えた目を見すえていたが、「もしかすると、岩井さんはほんとに死ぬるのではないかしら」と嘆息をついた。それは私の妻が発病する前のことで、病的に鋭敏になった神経の前触れでもあったが、しかしこの夢は正夢であった。それから二三ヵ月して、岩井繁雄の死を私はSからきいた。戦地にやられると間もなく、彼は肺を犯され、一兵卒にすぎない彼は野戦病院殆ど碌に看護も受けないで死に晒されたのであった。

 岩井繁雄の内縁の妻は彼が戦地へ行った頃から新しい愛人をつくっていたそうだが、やがて恩賜金を受取るとさっさと老母を見捨てて岩井のところを立去ったのである。その後、岩井繁雄の知人の間では遺稿集——書簡は非常に面白いそうだ——を出す計画もあった。彼の文章が粗雑だと指摘した女流作家に、岩井繁雄は最初結婚を申込んだことがある。——そういうことも後になって誰かからきかされた。

 たった一度見たばかりの長広幸人の風貌が、何か私に重々しい印象を与えていたことは既に述べた。一九三五年の秋以後、遂に私は彼を見る機会がなかった。が、時に雑誌掲載される短かいものを読んだこともあるし、彼に対するそれとない関心は持続されていた。岩井繁雄が最初召集を受けると、長広幸人は倉皇と満洲へ赴いた。当時は満洲へ行って官吏になりさえすれば、召集免除になるということであった。それから間もなく、長広幸人は新京文化方面役人になっているということをきいた。あの沈鬱なポーズ役人の服を着ても身に着くだろうと私は想像していた。それから暫く彼の消息はきかなかったが、岩井繁雄が戦病死した頃、長広幸人は結婚をしたということであった。それからまた暫く彼の消息はきかなかったが、長広幸人は北支で転地療法をしているということであった。そして、一九四二年、長広幸人は死んだ。

 既に内地にいた頃から長広幸人は呼吸器を犯されていたらしかったが、病気の身で結婚生活飛込んだのだった。ところが、その相手資産目あての結婚であったため、死後彼のものは洗い浚(ざら)い里方に持って行かれたという。一身上のことは努めて隠蔽する癖のある、長広幸人について、私はこれだけしか知らないのである

     II

 私は一九四四年の秋に妻を喪ったが、ごく少数の知己へ送った死亡通知のほかに満洲にいる魚芳へも端書を差出しておいた。妻を喪った私は悔み状が来るたびに、丁寧に読み返し仏壇ほとりに供えておいた。紋切型の悔み状であっても、それにはそれでまた喪にいるものの心を鎮めてくれるものがあった。本土空襲も漸く切迫しかかった頃のことで、出した死亡通知に何の返事も来ないものもあった。出した筈の通知にまだ返信が来ないという些細なことも、私にとっては時折気に掛るのであったが、妻の死を知って、ほんとうに悲しみを頒ってくれるだろうとおもえた川瀬成吉からもどうしたものか、何の返事もなかった。

 私は妻の遺骨を郷里墓地に納めると、再び棲みなれた千葉借家に立帰り、そこで四十九日を迎えた。輸送船の船長をしていた妻の義兄が台湾沖で沈んだということをきいたのもその頃であるサイレンはもう頻々と鳴り唸っていた。そうした、暗い、望みのない明け暮れにも、私は凝と蹲ったまま、妻と一緒にすごした月日を回想することが多かった。その年も暮れようとする、底冷えの重苦しい、曇った朝、一通の封書が私のところに舞込んだ。差出人は新潟県××郡××村×川瀬丈吉となっている。一目見て、魚芳の父親らしいことが分ったが、何気なく封を切ると、内味まで父親の筆跡で、息子の死を通知して来たものであった。私が満洲にいるとばかり思っていた川瀬成吉は、私の妻より五ヵ月前に既にこの世を去っていたのである

 私がはじめて魚芳を見たのは十二年前のことで、私達が千葉借家へ移った時のことである私たちがそこへ越した、その日、彼は早速顔をのぞけ、それから殆ど毎日註文を取りに立寄った。大概朝のうち註文を取ってまわり、夕方自転車で魚を配達するのであったが、どうかすると何かの都合で、日に二三度顔を現わすこともあった。そういう時も彼は気軽に一里あまりの路を自転車で何度も往復した。私の妻は毎日顔を逢わせているので、時々、彼のことを私に語るのであったが、まだ私は何の興味も関心も持たなかったし、殆ど碌に顔も知っていなかった。

 私がほんとうに魚芳の小僧を見たのは、それから一年後のことと云っていい。ある日、私達は隣家の細君と一緒にブラブラ千葉海岸の方へ散歩していた。すると、向の青々とした草原の径をゴム長靴をひきずり、自転車を脇に押しやりながら、ぶらぶらやって来る青年があった。私達の姿を認めると、いかにも懐しげに帽子をとって、挨拶をした。

「魚芳さんはこの辺までやって来るの」と隣家の細君は訊ねた。

「ハア」と彼はこの一寸した逢遭を、いかにも愉しげにニコニコしているのであった。やがて、彼の姿が遠ざかって行くと、隣家の細君は、

「ほんとに、あの人は顔だけ見たら、まるで良家のお坊ちゃんのようですね」と嘆じた。その頃から私はかすかに魚芳に興味を持つようになっていた。

 その頃——と云っても隣家の細君が魚芳をほめた時から、もう一年は隔っていたが、——私の家に宿なし犬が居ついて、表の露次でいつも寝そべっていた。褐色の毛並をした、その懶惰な雌犬は魚芳のゴム靴の音をきくと、のそのそと立上って、鼻さきを持上げながら自転車の後について歩く。何となく魚芳はその犬に対しても愛嬌を示すような身振であった。彼がやって来ると、この露次は急に賑やかになり、細君や子供たちが一頻り陽気に騒ぐのであったが、ふと、その騒ぎも少し鎮まった頃、窓の方から向を見ると、魚芳は木箱の中から魚の頭を取出して犬に与えているのであった。そこへ、もう一人雑魚(ざこ)売りの爺さんが天秤棒を担いでやって来る。魚芳のおとなしい物腰に対して、この爺さんの方は威勢のいい商人であった。そうするとまた露次は賑やかになり、爺さんの忙しげな庖丁の音や、魚芳の滑らかな声が暫くつづくのであった。——こうした、のんびりした情景はほとんど毎日繰返されていたし、ずっと続いてゆくもののようにおもわれた。だが、日華事変の頃から少しずつ変って行くのであった。

 私の家は露次の方から三尺幅の空地を廻ると、台所に行かれるようになっていたが、そして、台所の前にもやはり三尺幅の空地があったが、そこへ毎日八百屋、魚芳をはじめ、いろんな御用聞がやって来る。台所の障子一重を隔てた六畳が私の書斎になっていたので、御用聞と妻との話すことは手にとるように聞える。私はぼんやりと彼等の会話に耳をかたむけることがあった。ある日も、それは南風が吹き荒んでものを考えるには明るすぎる、散漫な午後であったが、米屋小僧と魚芳と妻との三人が台所で賑やかに談笑していた。そのうちに彼等の話題は教練のことに移って行った。二人とも青年訓練所へ通っているらしく、その台所前の狭い空地で、魚芳たちは「になえつつ」の姿勢を実演して興じ合っているのであった。二人とも来年入営する筈であったので、兵隊姿勢を身につけようとして陽気に騒ぎ合っているのだ。その恰好おかしいので私の妻は笑いこけていた。だが、何か笑いきれないものが、目に見えないところに残されているようでもあった。台所へ姿を現していた御用聞のうちでは、八百屋がまず召集され、つづいて雑貨屋小僧が、これは海軍志願兵になって行ってしまった。それから豆腐屋の若衆がある日、赤襷をして、台所に立寄り忙しげに別れを告げて行った。

 目に見えない憂鬱の影はだんだん濃くなっていたようだ。が、魚芳は相変らず元気で小豆(こまめ)に立働いた。妻が私の着古しのシャツなどを与えると、大喜びで彼はそんなものも早速身に着けるのであった。朝は暗いうちから市場へ行き、夜は皆が寝静まる時まで板場で働く、そんな内幕も妻に語るようになった。料理の骨(こつ)が憶えたくて堪らないので、教えを乞うと、親方は庖丁を使いながら彼の方を見やり、「黙って見ていろ」と、ただ、そう呟くのだそうだ。鞠躬如(きっきゅうじょ)として勤勉に立働く魚芳は、もしかすると、そこの家の養子にされるのではあるまいか、と私の妻は臆測もした。ある時も魚芳は私の妻に、——あなたそっくり写真がありますよ。それが主人のかみさんの妹なのですが、と大発見をしたように告げるのであった。

 冬になると、魚芳は鵯(ひよどり)を持って来て呉れた。彼の店の裏に畑があって、そこへ毎朝沢山小鳥が集まるので、釣針に蚯蚓(みみず)を附けたものを木の枝に吊しておくと、小鳥簡単に獲れる。餌は前の晩しつらえておくと、霜の朝、小鳥は木の枝に動かなくなっている——この手柄話を妻はひどく面白がったし、私も好きな小鳥が食べられるので喜んだ。すると、魚芳は殆ど毎日小鳥を獲ってはせっせと私のところへ持って来る。夕方になると台所に彼の弾んだ声がきこえるのだった。——この頃が彼にとっては一番愉しかった時代かもしれない。その後戦地へ赴いた彼に妻が思い出を書いてやると、「帰って来たら又幾羽でも鵯鳥を獲って差上げます」と何かまだ弾む気持をつたえるような返事であった。

 翌年春、魚芳は入営し、やがて満洲の方から便りを寄越すようになった。その年の秋から私の妻は発病し療養生活を送るようになったが、妻は枕頭で女中を指図して慰問の小包を作らせ魚芳に送ったりした。温かそうな毛の帽子を着た軍服姿の写真満洲から送って来た。きっと魚芳はみんなに可愛がられているに違いない。炊事も出来るし、あの気性では誰からも重宝がられるだろう、と妻は時折噂をした。妻の病気は二年三年と長びいていたが、そのうちに、魚芳は北支から便りを寄越すようになった。もう程なく除隊になるから帰ったらよろしくお願いする、とあった。魚芳はまた帰って来て魚屋が出来ると思っているのかしら……と病妻は心細げに嘆息した。一しきり台所を賑わしていた御用聞きたちの和やかな声ももう聞かれなかったし、世の中はいよいよ兇悪な貌を露出している頃であった。千葉名産の蛤の缶詰を送ってやると、大喜びで、千葉へ帰って来る日をたのしみにしている礼状が来た。年の暮、新潟の方から梨の箱が届いた。差出人は川瀬成吉とあった。それから間もなく除隊になった挨拶状が届いた。魚芳が千葉へ訪れて来たのは、その翌年であった。

 その頃女中を傭えなかったので、妻は寝たり起きたりの身体台所をやっていたが、ある日、台所の裏口へ軍服姿の川瀬成吉がふらりと現れたのだった。彼はきちんと立ったまま、ニコニコしていた。久振りではあるし、私も頻りに上ってゆっくりして行けとすすめたのだが、彼はかしこまったまま、台所のところの閾から一歩も内へ這入ろうとしないのであった。「何になったの」と、軍隊のことはよく分らない私達が訊ねると、「兵長になりました」と嬉しげに応え、これからまだ魚芳へ行くのだからと、倉皇として立去ったのである

 そして、それきり彼は訪ねて来なかった。あれほど千葉へ帰る日をたのしみにしていた彼はそれから間もなく満洲の方へ行ってしまった。だが、私は彼が千葉を立去る前に街の歯医者でちらとその姿を見たのであった。恰度私がそこで順番を待っていると、後から入って来た軍服青年歯医者挨拶をした。「ほう、立派になったね」と老人の医者は懐しげに肯いた。やがて、私が治療室の方へ行きそこの椅子に腰を下すと、間もなく、後からやって来たその青年助手の方の椅子に腰を下した。「これは仮りにこうしておきますから、また郷里の方でゆっくりお治しなさい」その青年の手当はすぐ終ったらしく、助手は「川瀬成吉さんでしたね」と、机のところのカードに彼の名を記入する様子であった。それまで何となく重苦しい気分に沈んでいた私はその名をきいて、はっとしたが、その時にはもう彼は階段を降りてゆくところだった。

 それから二三ヵ月して、新京の方から便りが来た。川瀬成吉は満洲吏員就職したらしかった。あれほど内地を恋しがっていた魚芳も、一度帰ってみて、すっかり失望してしまったのであろう。私の妻は日々に募ってゆく生活難を書いてやった。すると満洲から返事が来た。「大根一本が五十銭、内地の暮しは何のことやらわかりません。おそろしいことですね」——こんな一節があった。しかしこれが最後消息であった。その後私の妻の病気悪化し、もう手紙を認(したた)めることも出来なかったが、満洲の方からも音沙汰なかった。

 その文面によれば、彼は死ぬる一週間前に郷里に辿りついているのである。「兼て彼の地に於て病を得、五月一日帰郷、五月八日、永眠仕候」と、その手紙は悲痛を押つぶすような調子ではあるが、それだけに、佗しいものの姿が、一そう大きく浮び上って来る。

 あんな気性では皆から可愛がられるだろうと、よく妻は云っていたが、善良なだけに、彼は周囲から過重な仕事を押つけられ、悪い環境機構の中を堪え忍んで行ったのではあるまいか親方から庖丁の使い方は教えて貰えなくても、辛棒した魚芳、久振りに訪ねて来ても、台所の閾から奥へは遠慮して這入ろうともしない魚芳。郷里から軍服を着て千葉を訪れ、晴れがましく顧客歯医者で手当してもらう青年。そして、遂に病躯をかかえ、とぼとぼと遠国から帰って来る男。……ぎりぎりのところまで堪えて、郷里に死にに還った男。私は何となしに、また魯迅作品の暗い翳を思い浮べるのであった。

 終戦後、私は郷里にただ死にに帰って行くらしい疲れはてた青年の姿を再三、汽車の中で見かけることがあった。……

2019-12-19

anond:20191219125519

累犯障害者という層の存在物語る通り、娑婆より刑務所の方が生きやすいという人たちがいるのは事実なんだろうな。

2019-12-15

https://anond.hatelabo.jp/20191128184144

アメリカいくらでも借金できる理由を突き詰めれば核という究極の暴力を持ってるからであって、いざとなったらアメリカは核で地球ごとお釈迦にできるわけで、

国が滅びない程度に金を借りまくって赤字でクソみたいな生活レベルを維持しつつもテヘヘ、サーセンと表面上はお行儀よく娑婆ルールを守っているフリしてるけどいざ国が滅ぶなら地球が滅べばいいってことが出来ちゃうわけで、

こういう理屈日本を見ると、いよいよ金に困ったら海外に貸してるお金がいっぱいあるからいざとなったら回収すればいいとかそんな話もあるんだが飛び道具も何も持ってない丸腰でヨボヨボのお爺ちゃんが「ワシは死にかけてて苦しいからお前に30年前に貸してたお金を返してくれじゃよ」と言ったとしても

若くてイケイケの小室某みたいなのがまともに取り合ってくれるわけもないよな。

なおさら、そんな爺がヨソから金を借りるとなると、そら相当に身ぐるみは引っ剥がされて同窓会で1億見せびらかして次の日殺されちゃったお爺ちゃんみたいな未来が待ってるわな。

2019-12-08

anond:20191208233835

この辺とかなにゆってるか全然わからん

「また、ブッダとは歴史上に現れた釈迦だけに限らず、過去にも現れたことがあるし、未来にも現れるだろうという考えはすでに大乗仏教以前から出てきていたが、大乗仏教ではこれまでに無数の菩薩たちが成道し、娑婆世界とは別にある他方世界でそれぞれのブッダとして存在していると考えた。この多くのブッダの中に西方極楽浄土阿弥陀如来東方浄瑠璃世界阿閦如来薬師如来などがある。また、歴史存在、肉体を持った存在であった釈迦の教えがただそのまま伝わるのではなく、大乗仏教として種々に発展を遂げ、さまざまな宗派を生み出すに至る。三法印などすべての宗派共通する教義も多々ある。」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%97%E4%BB%8F%E6%95%99

2019-12-03

薬物依存に寛容になれみたいな風潮

ファックだよね

寛容になるわけないじゃん

薬物依存の奴らなんて遠ざけてなんぼだろ

お前らの家族や大切な人が薬物依存に寛容になって影響受けて薬物使うようになっても同じこと言えるのか?

薬物依存なんて差別されて当然

本来病院隔離されてそこで薬物の治療薬をやればイイんだよ

ユーザーと接点も足すな

そもそも薬物手に入れられる娑婆で更生出来るとなぜ考えられるのか意味踏め

娑婆で薬物依存コミュニティなんて作れば、一人再犯で手を出せば芋づるで仲間に波及する

特に芸能人の薬中なんて薬物マーケットハブだろ

なんで薬中を刑期より長い隔離治療にして、売人を死刑にするつてのが社会に受け入れられないのかマジで理解出来ない

そんなに薬中に薬物に依存してて欲しいの?

なんで薬物から物理的な距離を置かせたくないの?

マジで意味が分からない

2019-12-02

一年たった今だから振り返る

hageなんとかの命で低能先生娑婆からジェクトできるんだったらそこまで悪い取引でもないよな。


あいつのブログってしょっちゅうホットエントリーに上がってきてたけど、一回も面白いと思ったことないし。だから俺は最近読んでないけど、ムカついてるやつ結構いたんじゃないの?はあちゅうとか粘着されてたけど、最初ガッツポーズしてたんじゃないの?


それにあいつ昔見たときはまとめアフィとかやってたしな。


というわけで死んでも全然何とも思わないやつなんで、そんなやつと引き換えに低能先生っていうおもいっくそ不快なやつが目の前から消えてくれるなら万々歳。

追記しかも18年も!】


なんか半端にブロガー連中と交流があったりしたせいで信者がいて、残念がる声がはてなじゃあデカイけど、これが仮に保守速報とかはちま管理人だったらそいつらはどうすんの?むしろ喜ぶだろ?



ということを一年増田投稿したが、あんまり気持ちは変わらないか

2019-11-18

自分は何もしない癖に寛容な振りだけするのやめない?

薬物で逮捕される馬鹿芸能人が現れるとさ

社会の受け入れ体制大事小学生が言いそうなこと恥ずかしげもなく言うじゃん

けど、お前らなんにもしないでしょ

自分が寄り添って責任を持つからとか

出来る範囲金銭的な支援を惜しまいからとか

そういう行動が伴わない寛容さだけ示してなんの意味があるんだよ

お前らが何もしないなら、薬物なんて繰り返すに決まってる

厳罰で薬物から遠ざける意外有効再販防止はないんだよ

薬物に手を出したら一緒娑婆空気は吸えない

何もしないなら今すぐにでもそうするのが薬物依存者への優しさだろ

2019-11-12

anond:20191112224237

から専業主婦の辛さは囚人の辛さであって働く方が楽かどうかは次元が違うから比較にならないって…

そりゃ娑婆より刑務所の方が楽、って考える人いるからわざと犯罪犯して刑務所に入る人もいるわけだが、

大多数は娑婆に居た方が幸せだろう。

2019-10-22

これ以上バグりたくないよーー

最近自分が異様に臭く感じたり、突然誰かの呼び声が聞こえたりする。

かに呼ばれたと思い、振り返ったりしても、当然ながら誰もいない(誰もいないことは振り返る前からわかってるけど、反射的に振り返ってしまう)

うなじの辺りになにかが這っているような感じがして、触ってみるとなにもいない。

ADHDでロングで引きこもり経験もあるけど、なんとか娑婆に出てから10年近く経つ。引きこもり時代も含め、こういうバグり方したことはなくてビビってる。

人に対しても妙に懐疑的になってしまっていて、彼女家族に対してもネガティブな事ばかり考えてしまう。勿論、自分がやべーコンディションな自覚はあるので、それを口にしたりはしない。ようにしてる。けど漏れちゃうのが怖くて、コミュニケーションの頻度を減らしてる。うう、すまんーーー。

このまま行くと不味いよね?集団ストーカーとか言い出しちゃうのかしら?うおお。

これをプリントして先生に提出コースかしら?でも先生と明け透けにお話できるほどフランクな仲じゃないのよね。すっかりお薬わたすマンと、貰うマンっていう強固な関係性がビルドされてんの。4年かけてさーー。

"ネムレマスカ?"

"ハイ"

"アサハオキラレマスカ?"

"ハイ"

"ダシトキマスネ"

"ハイ"

っていう黄金ルーティンよ。うまく回ってたじゃんかよ!なんでよ!なんでバグったの俺!くっそ、今度こそ人間になれると思ってたのに!!!

2019-10-21

anond:20191021170913

真面目な話、Unity三等兵は娑婆に溢れ返ってるので余程ヒューマンスキル高くなければ雇われんぞ。ちな、Unity技術者の平均年収は300万円台な。

2019-10-20

映画はしごして充足感に浸りながらはてブを開いたら差別政治社会問題!って感じですごく娑婆だった

2019-10-19

有料刑務所に入ろう!

はじめに

刑務所は有料で金払えは入れる可能性がある。「あらウチの主人は囚人なんですのオホホ…」という奥様のオヤジギャグも実はホントなのかもしれないんだ。

※ポリ公の検閲を受けて書いてるので場所組織特定絶対にありえない。大幅なカットやらぼやかしやらまあフェイクが入ってると思ってよい。

あとポリから「この増田て奴なら何悪ことしてここに閉じ込められるの?」とかほざいていた。だから増田存在説明に苦労したよホント(丁寧な説明サイトをみせたが結局理解されなかった…)

刑務所に入りたかった

「なら悪いことすれば?」とよく言われるが俺は犯罪とかできない性格である合法的に入りたかった。ネットとかtwitterとか裏サイトも信用できない(俺は使用しなかったので、正規ルートがあったらすまん)なので原的な口コミから入った。

お前みたいな貧乏人が入れるか?

有料刑務所貴族な余興である金持ちの子供がバイオリンとか迫真空手とか金メダル選手雇って習っいるのを想像すると良い。

だけど馬鹿なりに頭を使って入っみた。例えばサーバ屋に「サーバが落ちてる!」と言っても直してもらえるだろうか?俺はそんな事いわずに、こう言うな「あのさぁ…Aの数値はかったけどBの値でクッソ遅いんだよね。Cが破損してない?調べよ」(※【検閲強】入ったからこれ以上説明できん!)まあそんな感じで相手のセキホつっいていよいよ有料刑務所に入った。(結局、交渉下手なのでポリに舐められて多少高くなったがな)

初日

有料懲役人とバレた即退場といシステムらしい。(安く入ったからだろうか?)俺増田身バレしないように何やって捕まったか嘘考えようとしたが上手く嘘出来なかった。

「ようキミ何悪い事したんだよぉ?」いかにもタケシ映画に出てきそうな懲役人だった。「いやその…」「あっそうかぃ…」そのタケシはそのまま去っていった。おいおいバレた?俺は少し焦ったが気のせいだった。

2日目

タケシも話しかけて来ないので一安心である淡々刑務所作業が続いている。1週間も有料刑務所だと思うと少しワクワクする。あとリーダーと仲良くなる以外書くことがない。

3日で突然終了する大ミスやらかす

あんたさぁ何もやって来たんだぁ?」タケシがまた来た。「あの…」黙る俺に「何もやって無いんだろうなぁ?悪い事しないで、刑務所か?面白いけぁ」「え?」やっぱバレた。

それ聞いたタコ部屋のリーダーが突然騒ぎ出す!「あのさ!Dさん!(タケシ名前)やめないそれ!」「いいじゃ!聞いてだけだぁ!分かるだよやってないの来ると唇の下がビリ来るんだよぉ!」「増田さん何も言ってないだろお!黙ってるなら黙らせておけ!」「なんだとぉ!」

もうギブアップだ。限界を感じた俺は隠し合図をポリに送るとそのまま懲役から出して貰って有料刑務所生活に幕を下ろした。あと4日分あったのにもったいない無駄金を消費した。

「あの…ポリさん…増田にコレ書いていいですか?」無駄金で同情されたのか?それとも増田もの悲惨現実からか?結果条件付きでコレをここに書いて終わりにする。

追記

娑婆空気うめ!あと怒られたらすぎ消します。

2019-09-26

いやもう、当節こんなこと書くと総攻撃を食らうのは判ってるンだけど

ポリコレナチス共もエコテトリスト共も、アンティファのファシススト共も、反ルッキズム連合共も、みんな攻撃してくるから娑婆じゃ決してこういうこと言えねぇけどさ

グレタ嬢

https://twitter.com/totty2nd/status/1176701845894586369?s=20

プーチン

https://twitter.com/s289fNK6y2s1VXE/status/1176841868883054592?s=20

似てね?

目の周りのせい?

2019-09-03

anond:20190903102448

心理状態はともかく、思想的には先生とは正反対なんだけどね

先生娑婆にいたら焼きそば共闘していたはず

2019-06-21

anond:20190621163410

いまはもう娑婆にいないあの増田

なぜプログラミングまったくわからないのにあの人を守ろうとしたんだろう

2019-05-28

anond:20190528201355

家族精神科医をしているけど、この様な生活保護貰いまくり無敵の人が沢山病院入院していると言う

このような事件を起こしかねないからのうのうと娑婆には出せないんだと

1度出したらデパートナイフを振り回し再度連れてこられたんだと

でもね、こうやって閉じ込めて拘束具付けて置けるのなんて極1部だけ

あとは大抵「人権が〜」とか言う人がいて、外に出されるらしい

真っ当に生きていけない人は施設に入るべきだ

まぁ、それこそ家族医者無駄だと言ってるけどね

これこそ医療費無駄生きてる価値はないと言っていた

医者が言うんだからそうなんでしょ

患者が「死にたい」って言うと「どうぞ勝手に死んでください。ただし人様には迷惑掛けない場所死ぬように。」と言うらしい

2019-05-25

anond:20190525192049

当職も仕事では穏やかで話しやすい人という評価を頂いている分、娑婆では舐められがちなのでわかりみ。

そういう店はグーグルマップ酷評できるから良い時代になった。

2019-04-04

リア充が集うFBに8年ぶりに投稿した。

リア充に扮して、あたかも(相変わらず)会社員をしているかの様に、会社員らしい悩みや意気込みを書いた。4月というスタートを引き合いに。

自分が健常者の如く、それらしい内容の投稿をしてみた。参考にしたのはFB友達投稿をもとに。

でも、ビビリなので、閲覧できる友達スクリーニングして、限定した。野次を飛ばさない様な友達のみ。

久しぶりに、娑婆世界に向けて文章を書いているとき自分は、何度も何度も、文章としておかしくないか・くどくないか・卑しくないかリア充健常者に擬態化する罪悪感と難しさと劣等感で一杯だった。

たった今、投稿したし、リアクションはまだ獲ていない(午前5時現在)。

この、投稿する際の下書きを書いていて思った。

私は、思った以上に、座敷牢に籠りっぱなしだった(療養が長すぎた)という事だ。自分なんかが、FB投稿する様な人間的なレベルに達していない事が解ったし、そもそもリア充健常者と接点をもう一度持ちたがっている自分の卑しい下心の強さに気づいた。

これじゃあ、世間様に迷惑だよ…。

よく、ネットでは「精神疾患者や発達障害者は、頼むから社会に出てこないでくれ」、といった言葉を目にした。強い症状の人や、本格的に…な人、私も実際に沢山目にしてきたし、私も療養するくらいなんだから不適応タイプどころか、「ガチもん」なのだと思う。

適応しようと、療養中は試行錯誤しながらやってきたけれども、やはり社会的な場でリハビリがしたい。その第一歩が友達との再会だったり。でも、それだけでは足りなくて。人脈を広げるために、FB投稿に手を出したけれども。

やはり私にはまだハードルが高過ぎた。というか、私には勿体ない友達ばかりだったのだな、と思った。その証拠に今は殆ど疎遠となっているし、連絡なんてこないし。つまり、私は彼らと友達・仲間でいる価値が無い。

罪悪感や劣等感を抱いて、本当にそう思った。

自分価値は、ここで頭打ちだという事、福祉政策で細々と延命出来ているに過ぎない存在だという事。

自己肯定感が何故かやたら高い自分に、情けなくなった。誰も期待してないのに、どの社会自分にとって最適解なのか、少しでもマシなレベルに…上に行こうとFBに手を出した事。

自惚れも、そろそろ終わりにして、いい加減じぶんが詰んでいるという事を受け入れなさい、と悟りを得た気分。

生きてて良いのかな…と惨めすぎて思った。

2019-02-11

会社を辞めた。家族には言ってない。

ひと月半経ったが、就職活動やろうと思っても何から手を付けていいのかわからない。

転職回数が今回で4回目の三十路男、資格大卒自動車以外ほぼ無しなので、「もう無理だよ」となげやりになってしまっている。

同居している家族には心配かけたくないからエア出勤して、役所などからの連絡は先手打って届かないようにしているけど、もう限界だろう。

そもそも、ざる頭なので仕事の積み重ねが出来ない事と、周りとの軋轢をため込んでしまい、(周りから見て)礼儀正しく大人しいのにいきなり爆発してしま性格がこの状況を生んだのだ。

マニュアル化が徹底されていて人を大事にしてくれる(らしい)アメリカか、大きな工場を持っている(つまり、入りやすいかもしれない)ロシア辺りで工員をやって、日本工業伝道師として凱旋する事も考えたのだが、そもそも70年前とは状況が違うだろう。(「日本車はハイウェイで走れない」という事実もあり、自動車教習でもなるべくシャカリキに回すようにしたが、ハンコばかりが増えていき退学させられた事も鑑み。)

かといって、このまま貧しい日本にいるのも何だし、捕虜に良くしてくれたという先人の体験を考え、「失敗の本質」や上流層育ちの速水螺旋人さんや上坂すみれさんが凄く立派な国とか言ってることも考えるなら亡命や片道切符も良い選択肢だとは思う。

いや、馬鹿じゃないのか。捕虜放浪者は丸木舟水牛死体関係と一緒で、似てはいもの体感的には別のものであって、一旦娑婆から離れてしがらみ全部リセットしてデカイ事やって立派になって社会復帰するなんて私には出来ない。

たとえ要介護であっても親なりに世話してくれ、期待を裏切り続けたが、それでも私が見捨てられない家族を捨てていくなんて出来ない。なんて恐ろしいことなんだろう。

そもそも世界に口を広げられる人と市井の人とは厳密に線引きがなされていて、俺があれいやだこれいやだこれいいあれいいなんて言っても「は?」の一言おしまいだろう。フィクションとは違って。

でも地方都市郊外暮らし年金と安月給でなんとか生活しているなんて、客観的にみればもう人生破綻しているようなもの

だいたい、ネットではキモカネとかなんとか議論があるけど、思っていることを言葉にするなんて難しく骨が折れることだし、言葉にできる人は当事者とはとても思えない。

シロクマ氏も精神科医だし白饅頭氏も青識氏も口が上手いし少なからず立派な人だ。私は静かに消えていくしかないのさ。

みんな、ごめん。

2018-12-11

てか性差別してるって認めてる時点で順天堂は優しいんですよ

こんなの「なぜかうちを受験する女性コミュ力がないんですよねえ」とか余裕でシラを切れるような怪物

うようよしてるのが娑婆世界なんだから

でもネット民はそういうやつには絶対リーチできないんですよ

そういう現実を少しは考えるべきだと思うよ

2018-12-08

煽り運転野郎でも結婚を予定していたとか言っているのに

結婚できない奴って、煽り運転野郎以上の極悪人ってことじゃないの?

人を殺してもいいと思っている煽り運転野郎死刑にするべき、娑婆に出すなと言われているのなら、結婚できない奴はすでに複数回死刑に処されていなければならないレベルだね。

2018-10-08

anond:20181008120113

廃止してもかわりに現行犯鎮圧するために射殺したり

生かしておくと面倒な凶悪犯は薬物だのなんでもありの拷問にかけて娑婆に戻れないように

するだけだからあんま変わらないんじゃね

2018-09-24

工業高専から博士課程までまわり男ばっかりで同性の友人がまるでいた試しがないので同年代の女たちと果てしなく感覚がずれてる気しかしなくて、娑婆に出るのがめっちゃこわい

もういい歳だし数年くらい彼氏いないし、ていうか寝ても覚めても研究のことばっかり考えなきゃおっつかなくて浮ついた話してる場合じゃなくて

あーこれ私生活かなり詰んでるんじゃね???って思うんだけどどうしたらいいんだ、どうしようもないか増田に書き殴ってるんだけど

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