はてなキーワード: 野戦病院とは
高校まで実家で暮らした。自分の部屋はあったが、元が父の部屋であり、父のものが残ったままの部屋だったため好きなように使ったりはしなかった。なお、別に父は亡くなったとか、別居したとか、単身赴任だったとかではなく、ただ部屋を奪われただけであった。この2階にあった部屋は、のちに弟と二人での部屋となった。
大学に入って一人暮らしを始めた。実家とは1時間半くらいの距離感。慣れない家事と学業に右往左往しつつ、実家に帰ると自動で出てくる三食に自動でやってもらえる洗濯と、実家は癒されに行く場所であった。
学部、院とその町には6年住んだ。その間に、もともと兄弟で使っていた部屋は弟ひとりの部屋となった。
社会人になり、より実家から遠い町に移り住んだ。県を跨ぐ引っ越しは初めてで、大都会に通う日々となった。実家へ帰る頻度は少なくなった。
そんな遠い町に住んではみたものの、1年半で実家に戻った。知り合いに誘われての転職だった。
すでに弟も家を出ていたため、数年ぶりに自分ひとりの部屋となった。
生活してみると、7〜8年離れていた間に見えるところ見えないところでいろいろ変わっていたが、その中でも思った以上に両親が年老いていたことは、受け止めなければならない厳然たる事実だった。
そんな実家暮らしを数年続けた。仕事のこともあり、実家はすでに癒しの空間ではなく、さながら野戦病院の様相に思えた。
ふたたび転職で大きな町へ出ることになった。「なった」と書いているが、実際は年齢的に転職するなら今が最後のチャンスという強迫観念からであったから、正しくは「出ることにした」だ。時期よく弟が実家に戻るとなり、彼に両親と家のことを任せることになった。
地元を、そして実家を、帰った時に、仕事の疲れを癒せる場所に戻したかった、というのは正直な気持ちだった。
大きな町に出直して、社会人になってから実家に住んだ数年と同じくらいの期間を過ごしたことになった。結婚はしていないが、視野に入れられる相手と一緒に暮らし始めた。実家暮らし以来の、非一人暮らしだ。
そんな中で久しぶりに帰省をした。両親は老いていた。弟はキレていた。家はいらない物であふれていた。着いて早々、賞味期限の切れた物と大丈夫なものを分ける作業をすることになってしまった。
癒し空間が野戦病院となり、果ては戦場そのものとなった。よほど、二人暮らしの部屋の方が落ち着く。悲しい事実ではあるが、これが自立というものなのかと痛感した。
ここから、どうしていこうか悩む。
病床ひっ迫 体育館など活用の臨時医療施設の開設検討を 厚労省 | NHKニュース
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20210821/k10013215041000.html
大阪 吉村知事「1000床単位の野戦病院を作りたい」阪大に相談 | NHKニュース
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20210828/k10013229081000.html
日医会長が「野戦病院」設置提言 中等症患者の受け入れ目的 | 毎日新聞
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20210818/k00/00m/040/202000c
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.sankei.com/article/20210822-LF6BD3H5G5POTJPMOZPD2G625A/
君らも早くやれやれ言うてたやん
大阪府・吉村知事が定例会見10月27日(全文1)コロナ「野戦病院」の運用準備整う
https://news.yahoo.co.jp/articles/9a705194d27fb63fd380bec1dcbe72886799bf96?page=1
ニュース見てないだけじゃないの?
一言で言うと「騙されてる」
やってたことが「保健所の削減→検査能力がパンク」「病院の廃止で稼働資源を減らす→看護師確保に苦労する」「雨ガッパ」「イソジン」。
彼らの苦労は全部彼らの政策の帰結だろ。「野戦病院」だって結局その後どうなったか報道では聞こえてこないけど?
そして相変わらず公立病院削減も止めず保健所増設もせず、でしょ?
彼らの努力は全て「科学的合理的な拡大防止施策」にはほぼほぼ向かず、「やってる感の演出」に全力を割いてたわけ。テレビへの熱心な出演もその表れ。
でも問題は本業、首長としての公務だよね。彼らがどれだけそれを熱心にやっていたか、ということで維新の首長の日程を確認してご覧。「公務なし」、どれだけあるか知っとるの?
新自由主義160キロストレートを投げ続ける維新がなぜこんなに強いのか、ネットの言説で自分の肌感覚と合うものがなかったので言語化してみたい。
①今回なぜ維新が強かったか? →答え:吉村知事(「吉村はようやっとる」)
③維新の今後は?
この順に書いてみる。
大阪では、演説をすれば満員の聴衆。兵庫県ですら、三宮にくれば鈴なりの人だかりで老若男女スマホを片手に見物をした。そして吉村知事が去ると、大方みんな解散。これは選挙特番でも取り上げられた事象だ。
なぜこんなに人気かというと、答えは簡単でテレビにたくさん出ていたからだ。
コロナ禍において、とにかく関西では彼を目にする機会が多かった。中でも10チャンネルの「かんさい情報ネットten」という夕方のニュース番組の影響は大きいという肌感覚がある。中谷しのぶさんという女性キャスターがメインで、関西では人気がある。中谷さん自身は非常に聡明で、物腰柔らかくスマートに番組をまわすので、見ていて安心感がある。各コーナーも吉本の芸人などが関西の情報を取り上げていて名物化しているものも多く、関西では夕方はとりあえずこれという家庭も多いはずだ。
この番組に吉村知事はたびたび登場した。そうでなくても、吉村知事の記者会見は毎日取り上げられた。関西の番組なのでこれは当然である。番組に登場したときも、吉村知事はマスクや手洗い、外出自粛など、ごくごく常識的な内容を一生懸命発信していた。そう、彼は発信力が高いのである。
他の地域の方からすると、全国最悪の事態を招いたのは、他ならぬ維新ではないかと思われるに違いない。実際、維新の新自由主義的切り捨てによって弱体化した医療体制等々により事態が悪化したり、吉村・松井両氏による無計画な雨合羽集めで現場が疲弊したり、あの有名な吉村イソジン発言など、どう考えても頭がイッたとしか思えない場面が多々あった。
しかし、多くの大阪府民、関西圏の吉村知事に対するイメージは、上記とは少し異なる。吉村知事は、ずっと前線で必死に情報発信し、今できることをやり続け、分からない中でとにかく行動をし続けた、そういうイメージのほうが強いだろうと思う。
それは、東日本大震災のときの枝野官房長官に似ている。あの時の枝野氏は、明らかに寝不足状態の目で脂汗を浮かべながら必死に情報発信し、わからない中で誰よりも必死にやっている様子が伝わってきた。一時「#吉村寝ろ」がネットで話題になったように、そのへんの府民、関西人を捕まえて話を聞けば、吉村知事は何かよくわからないがとにかく頑張っていた、それはもう菅首相や西村さんやあんなのよりずっと必死に動いて頑張っていた、という感じのイメージを語る人がマジョリティだろう。
いや、その事態の悪化はかなりの部分、維新が招いたものだろう、とあなたは言うかもしれない。しかし、東日本大震災のとき、政府や菅首相の対応にまずさがあっても、誰よりも必死にやっている枝野官房長官の誠については多くの人が信じたように、吉村知事の誠についても多くの府民が共感を覚えたのだ。実際、イソジン発言など明らかに頭がイッた、さすがの多くの関西人も「ワオゥ…」と思う場面はあったにせよ、確かに、吉村知事が本気で府民に訴え、情報発信し、駆け回っていたことは間違いない。その多くは少なくとも菅首相の死んだようなメッセージよりは多くの人に届いていた。むしろ政府との対比で吉村知事が頑張っているように見えた。忽那賢志が阪大教授にやってきてからは、ブレーンとなった部分もあったのか、かなり適切に発言していたし、無理を承知でもとにかくやれることをということで野戦病院みたいなことをやると表明したり、アレな部分はあっても実際頑張っていた部分も大きい。
維新が勝ったというより、吉村さん=維新のほうがずっと政府、自民より頑張ってくれてるやん、という感覚の人が多かったのだと思う。
その昔横山ノックが勝ってしまったように、橋下徹が圧倒的に強かったように、タレント的知名度、人気があれば、一気に波に乗る。これは別に大阪以外でもそうだとは思うが、今回の吉村さんにはそうした強さがあった。それがもう、今回の圧勝の最大にして唯一の理由だ。
この背景には、お上が嫌いという大阪の気質もあるように思う。まずはやはり、東京は好かんという、わしらはわしらで大阪やという意識は、陰に陽にいろんなことに作用しているように思う。しかしそれに留まらず、何もせんと偉そうにだけしているお上は気に食わんというのは、多くの一般府民のもつ感覚で、それは大阪府や大阪市の役所にも長く向けられてきていたものだった。大してなんもしてないくせに、金ばっかり無駄遣いして、偉そうにして、なんもわしらのこと考えてくれへんやんか、あの役人どもは、というわけだ。そして実際、確かにその通りである部分は多かったのだ。
そこへ維新、橋下徹がやってきた。大阪府、大阪市の役人は無駄遣いばっかりして何もしてくれへん、徹底的にそれを叩き直そう、無駄をなくそう、偉そうにしてるだけの時代はもう終わりや、そういうメッセージを発した。これは強かった。確かにそれは新自由主義になる。しかし、そのへんの大阪府民をつかまえて、新自由主義について説いたところで理解されるだろうか? 橋下さんはやりすぎなとこもあるけどな、ほんまによう頑張って戦ってくれよるで、今まで役人は偉そうにしすぎたんや、そういう答えが返ってくるのが関の山ではないか。維新はようやっとる。
そこへ、数日前に維新がツイッターであげたような画像がくると、それは府民にウケる。確かに10年前の大阪城公園なんか、閑散としていた。今はカフェなどもたくさんでて、とても賑わって楽しい場所になった。こういう目に見える、ウケる政策を打っている。それは確かにポピュリズムだ。しかし、古い政治や自民はそういう草の根レベルで、確かに自分達のために動いてくれている、と多くの一般人が感じることをしてこなかった。維新になってようなった。
松井代表、吉村知事、維新にはみんな、上記のようなイメージが重なっている。それが今回の圧勝の背景にある。
では最後に、③維新の今後について、つらつらとできるだけ短く書いてみたい。
ここまで維新の人気ぶりを書いてきたが、しかし、だからといって大阪府民が諸手を挙げて全肯定しているかというと、そうではない。ここは大事なポイントだ。大阪都構想は、二度までも住民投票で否決されているのだ。
あれは、「ようわからんけど、大阪全部かえてまうのは、いくらなんでもやりすぎやで。そんなん、意味あんのかいな。やりすぎちゃうのん、知らんけど」と多くの人が感じたからで、維新のやることを何でもかんでも大阪府民が肯定しているわけではない。
自民以外に入れたくない保守層が、維新に流れた面もかなりあるだろう。自民にお灸を据えたいと思ったときに、維新は外交政策などがわりとしっかり保守なので安心して入れられるのである。
あるいは無党派層の中のリベラル寄りの人たち。立憲民主は共産と組んでてどうんだろう、しかしれいわとかは行き過ぎやしなぁ、とぼんやりと思っていっる層も、上記の①のような印象があると、まあ維新頑張ってるし自民に入れるのはありえないし、今回はいっぺん維新伸ばしとくか、となるパターンもわりとあるように思う。
では、自民や立憲民主などが、維新をおさえようと思ったらどうすればいいのだろうか。
兵庫県知事は、長らく井戸敏三というお爺さんが20年に渡り務めていた。この人は、ずっと与野党相乗りで、知事選なんてあってないようなもので、兵庫県民からすると選択の余地がなかった。まあ特に大きな失政や反感もなかったので、長らくまあいいやという感じだった。
端的にいうと、この井戸さん、菅首相や政府と同じだったのである。何も対応しない。何もせず偉そうにして、やることといえば吉村知事の悪口ばかりだ。多くの関西人からはそういうふうに見えた。実際、行動は遅かった。挙句、任期終了が迫っているのに公用車にセンチュリーの購入を決めたりして、お前が最後にええクルマに乗りたいだけちゃうんか、という多くの反感を買った。
そして知事選。
井戸さんの後継者が自民公認となった。しかし地元の自民党市議会議員、県議会議員や後援者たちは、井戸さんの後継者では勝てないと肌感覚で実感していた。だから別の候補者をおそうとした。しかし自民党本部に潰されて、遺恨が残った。ちなみにその遺恨から、今回兵庫1区ではその地元自民の人たちが無所属で候補をたてて、地元の支持団体などがそちらに流れた結果、毎回接戦だった自民・盛山さんが大きく負けて、盛山さんと勝ったり負けたりりだった立憲民主・いさかさんが余裕勝ちしている(これには立憲・共産の選挙協力もあるが)。
とにかく、兵庫県知事選では、もう井戸さんの後継者(自民)に入れようという県民は多くなかった。井戸の後継者なんかが出るくらいなら、維新の斎藤さんのほうがマシや、ということである。若いから色々腐った部分もやる気をもって正してくれそうやし、どうせ井戸の後継者にしてもコロナ対策はぼんやりして動きも遅いままやろう、維新には若干の不安もあるがこの際仕方ない、やっぱ20年もやったら驕りもでるし一般人の感覚も忘れるし腐敗もするんやな、ここは変えなしゃあないな、ということである。
これをみて、兵庫県知事選でまで維新がかった。兵庫県民、お前らもかよ。アホちゃうか。関西はみんなアホなんちゃうか。愚民なんじゃないか。
と言われても、そうとばかり単純に言って終わりにはできない背景があるのである。
下あたりをみて触発されてかいた。
こういうのはワースト側に振って対策をするべきだからいいと思う。
そこでギリギリを狙っていざ重症患者が増えた時どうにもならなかったってのを大阪は経験しているからな。
あと、ワクチンは効果がないが、抗体カクテル療法で中等症以上に挙げないことがコロナについての解になるやもしれない。つまり、ワクチンはそれなりに打つけど、完全じゃないから、第二弾として野戦病院で抗体カクテル療法で軽症で抑えるというもの。
そうすると野戦病院が役に立つ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.jiji.com/jc/article?k=2021090400282&g=pol
思った切っ掛け(not根拠)は↑の酸素ステーションの記事なんだけど、今は大阪も比較的上がり傾向だけど、1~2週間内に東京の追っかけで下がってく気がするんだよね。
酸素ステーションは、良くも悪くも早く(多分春頃と予想)から着手→夏の開始で、活用されているかどうかは別にして今の第5波に間に合った。
対して、はてブとかで絶賛されてる大阪の野戦病院だけど、今から動いて開始されるのは普通に動けば年末で、早くても10月中頃だと思う。
その頃になったらワクチンの接種率も向上して、新型コロナ感染者は出るけど野戦病院が必要なほどではなく、結局は無用の長物になりそうな気がする。
テレワーク、感染対策、野戦病院――政府の新型コロナ対策を巡って「こういうのってやろうと思えばすぐできるじゃん。なんでやらないの?(遅れてるの?)」と
疑問に思う人が多いようです。
この疑問に答えてみたいと思います。それはその仕組みを作るのが大変だからです。
「いや『簡単にできるじゃん』って言ってる人のことは本当にそう思う。『大変だから』って言い訳にはならないんじゃない?」と思いますよね。
確かに○○の内容によってはそうかもしれません。ですが、ほとんどの人は仕組みを享受する側の人であり、仕組みを作る人はほんの一部です。
インターネット上ではよく「○○って簡単にできるんですよ」と言って対応の遅れを批判する人、取り組みをしていない団体を批判する人がいますが、
たいていそれを言うのは、仕組みを作る側の人ではなく、使っている人なのです。なので仕組みを作るためにやらなければいけないこと、大変さが分からないので
ここで例を示してみたいと思います。感染対策の議論で、「感染対策をするのは簡単です。家から出なければいいんです。簡単だよね?」と言ってる人がいたらどうでしょう。
確かに簡単です。家から出なければコロナに感染する確率はかなり下がると思います。でも家から出ないことを守るには今までの仕組みを変えていかなければいけません。
「朝昼夜のご飯をどう調達するか」「現金管理はどうしていくか」「来客者がきたら感染対策どうする?」「今までアウトドアが趣味だったけどどうしていくか」
これを考えるのは仕組みを作る人、つまり家から出ないを選択する人なんです。できるのはできるけど、それを実行した後のことを踏まえると、
考えなければいけないことは多いですね。感染対策もテレワークも野戦病院もまさにこれなんです。
人の「○○は容易にできる」には疑いの目を向けてみましょう。本当にできるのかな?と思って法律や業界のガイドラインまで調べたりするとまた新たな発見があるかもしれません。
頑張っていきましょう!