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2020-10-27

今日ファクトチェック(「自分以外の存在みみず?」編)

鼻穴にくすぐったいような違和感を感じて目覚めると、目の前は一様に桃色だった。

起きたてで白濁する視界だが、枕元にあるメガネを手に取ってしっかり眺めると、今日天井には今日みみず今日も一方向に並んでいる。

いや、天井みみずが並んでいるわけではない。天井と呼ばれる家屋の主要部を100パーセント混じり気なく構成しているのが、みみずだ。

みみずがこうして雨風を防ぎ、ともすれば地震からも救ってくれる。さすがは建築材なだけあって、同じ大きさのみみず使用されているのは見事だ。

みっちり隙間なくそ天井を埋めている。しかし、今日はそのみみずの中に埋もれた筋となる太いみみずがこっそり垣間見えてしまっている。

筋たる年季の入ったみみずとは違い、小さなひとりひとりの構成材は命ある存在がゆえ、うごめきとともに剥離し、重力とともに落下する。

最近は寒くてみみずにも体力が失われているからかなのかコロナなのか、落下する人数が増えてきた気もする。

こうして冬はみみずが目覚ましがわりだ。そんな鼻をティッシュで噛む。つまり、鼻水と鼻みみずを面状のみみずで拭い取る。

でも、床板だってみみずなのに、なんで天井から落下したみみずだとわかるのか?って聞かれる。聞かれる?聞かれない。

床板と天井の見分け方。それには動きを見ればいい。床板を構成するみみずは動かない。重力で剥離することは無いので。

ただしたまに死ぬ。例えば私がつま先立ちしたら、つま先に居るみみずが何人か死ぬ。つまり圧死。私のさもない行動が命を奪う。死と隣り合った世界

そうなると彼らは表面の湿気を失い、床板から剥がれる。その尊い役割を終えた彼らを誇り、いやホコリとして毎週の掃除で除去する。

死んだみみずは、生きているホウキみみずで集められ、生きている床板のみみずから離される。集めることは分けることなのだと毎週思う。

そして、ホウキの湿り気で集められた死んだみみずは、生きているゴミ箱みみずに投じられる。これが彼らの夏の葬列。もしくは桃色の雪国

ゴミ箱というトンネルの中も桃色だった。そんな仲間に送られ、そんな仲間に見守られる。みすずはいだって仲間が一緒なのだ

そうだ、世の中では、♪みみずだっておけらだって1777700066666*だってみんなみんな生きているんだ友だちなんだ、

と高らかに仲間意識桃色吐息で歌う。そうなんだ、みんなが仲間なんだ。みんなが仲間なんだ。私を日本唯一の仲間外れとして。

日本でよく知られた歌だから日本でよくご存知の通り、この「生きている」という言葉は、みみず構成要素として生きているという意味合いだ。

からみみずが「生きている」のは当たり前であって、私はそのカテゴリーに入らない。つまり、「みんな」の構成物はみんなみみずなのであって、

私という存在けがみみずではない。つまり天井ゴミ箱は「みんな」の仲間。つまり、私は「みんな」の仲間じゃない。青色吐息

これで、僕という存在芋虫だったら「みんな」の仲間になれただろう。それは、みみずと同じ様態気持ち悪い存在という共通点を持つからじゃない。

もっと直接的に、芋虫は私ではないので、私では無いものみみずであるという命題によって、私は「みんな」の仲間になれるのだ。

そう考えると、カフカがうらやましい。私はみみずが嫌いじゃない。芋虫の方が嫌いだが、私も芋虫になって「みんな」と仲間になりたかった。

そうして、失われた床板ことみみずはホームセンターで買った補充材ことみみずで補填する。その上にはワックスを塗る。

ワックスとはみみずであるが、みみずのための栄養剤でもある。湿り気も与え、その輝きを増しその死を防ぐ。ワックスとは掃除であり生育である

ワックスワックス。ってそうか、天井みみずと床板のみみずの見分け方の話だった。まあ、床板がその死によって剥離するのだとしても、

床板はどっちみち動かないものなのだ。だから、生きて動くみみず天井から存在だと言える。そして、みみず天国を目指す。

落下したみみずが床板のみみず同化しないのは、堕天使ゆえのプライドなんだと思う。床板のみみずが動かないのも同じく建材ゆえのプライドなんだし、

そのあたりの感情人間みたいで、みみずなのにいじらしく感じる。まあ、身を持って知っている通り、人間みみず構成されているわけだけれど。

そもそも、お前もみみずなんだから、床板と天井みみずの見分け方なんて説明する必要がないだろう!!

そんなの「みんな」の当たり前なんだから!!壁を登るみみず自分役割を求めて居場所に帰っているんだよ!!俺は壁を登れないんだよ!!

なんでお前は1メートルもの生体を成したみみずの群れなのに、そんなこともわからないの!!みみずは神経回線にならないのか!!

筋となる大きなみみずはどのように工業生産されるのだろうとその苦労を忍びながら、掴んだ布団には軽い湿り気を持った柔らかさがある。

枕には軽いうごめきを感じながら、桃色を感じるメガネをかけつつトイレに向かう。そう、筋となる大きなみみずも気にはなるが、

光を通すその一生体を識別できないほどの細いみみずはどうやって生成され編まれ、そのメガネとしての光学特性を得るのか知りたいと思った。

これを今日テーマとしよう、と思いつつ生命神秘液こと尿を放つ。それと便座カバーことみみずに座り、尿たるみみずみみずの水に放たれる。

天井からみみずが落下すると、そこはライトの影となり黒ずんで見える。そんな天井のシミを数えながら尿を終え、鼻垂れるようにティッシュで拭う。

ティッシュという面状のみみずみみずの水の中へ。それは流れない。トイレットペーパーでないからではない。それはみみずに消化されるのだ。

そしてみみずなのにふわふわしない固く締まった床板を歩きながら、ふわふわしたカーテンを開ける。レースカーテンも桃色こそ呈しているが、

その地に使われたみみずは非常に細く、メガネのように光を通す。レースゆえに所々に空いた穴はみみずうごめきで日々形を変えるのが面白い

というか、窓がそうだ。私にはひとりひとりのみみずが見えないほどの細かさ。いい仕事してますね。しかし、そのひんやりとした湿った感触

結露もしている。みみず人間のように涙を流すのだろうか。だから人間みみずなんだってば!!

まりみみずは涙を流す。そして涙で視界もハッキリしてくると、そのみみずにも濃い色のみみずや薄い色のみみず発見する。それはテレビである

垂直面を器用に泳ぎ回る回遊魚、やはりみみずなわけだが、彼らは光の加減なのか、赤かったり青かったり黄色かったりする光の三原色

幾人もの色相で一つの景色を見せるダイナミック。しかカラフル熱帯魚と違うのはその俊敏な動き。さすが30フレームパーセック毎秒。

しかし冬は動きが鈍く、画面がちらつく。人物の顔が2つに割れて見える。それでもテレビは右下45度から叩くと治るという故人の逸話。聞こえるうめき声。

もちろん、画面のそれはみみずから人間なんだけど、私の唇のような赤、私の髪の毛のような青とは違い、ハッキリとした色彩ではない。

しかし、そんな色彩が自分以外のどこにあるのだ。テレビ登場人物みみずなのだし、テレビ登場人物みみずなのだから

みみずによる桃色に偏った色彩でもその表現に間違いは無いのだ。表現するもの制限されていれば、表現方法制限があったところでそれは満点なのだ

満点だと知覚すればいいのだ。みみず赤色だし、みみず青色で、みみず黄色。そう認識するように、この35年間生きてきたじゃないか

まれから35億年というものゴミ箱は常にみみずだったし、ホウキは常にみみずだった。天井みみずだったし、

天井のシミもみみずだった。尿はみみずの水だったし、ティッシュは面状のみみずだった。そもそもメガネみみずだったはずじゃないか

どうしてその色彩が目に入らないのだろう。今晩はみみずステーキみみずサラダみみずワインみみず豚カツです。みみずハイ

そう思った瞬間、世界は色彩を取り戻す。要はお腹が空いていたわけだ。重要なのは事物みみず構成されていることを隠すことじゃない。

今日今日とて、みみずマスクをしてみみず電車に乗ってみみず人間に押し潰されることを思れば吐き気がする。する?しない。

これはフケ?みみず。それはコロナみみず。それは、みみずである色彩を光の三原色として認識することなのだ。そうすれば、

みみず人間人間に見えて、みみずステーキは素敵に見える。いつだって真実はいつもひとつなのだから

そうして、お腹も十分に満たされ、卓上カレンダーにはバツをつける。今日テーマを思い出し、まずは明るい日差しに飛び出すのだった。

2020-07-15

イオイオ背中すりむけてんよマジ

あかすりしたんだわこの間風呂

いやなんかあせもも良くなるっていうから毎年あせもマンの俺はホントかよと思いながらあかすりタオル買ったんだよ

すごいザラザラしててこれ大丈夫か?と思ったんだけど進めてくれたやつが「ちょっと長めに風呂に浸かってふやかしてから痛い位にこすれ」って言ってたからとりあえずやったのね

最初あれ?出なくねってなってたけどちょっと強めにしたら結構ポロポロ出て小学校の時ねりけし作ろうとして机擦ってた時思い出して楽しくなった

あらかた擦りまくってあとはあせもが一番ひどくなる背中となったんだけど届かねえのよ

いろんなポーズとりまくってたらオカン声かけてきてね

暑がりだからいつもはめちゃめちゃ早く出てくるのにずっと粘ってるからのぼせてるのかと思われたらしい

これはちょうどいいかもしれないと思って体洗う用のタオルチンコ隠して背中擦ってもらおうと思ったのね

オカンなんか「ええ…」って顔してたけどやってくれることになって

「痛い位に擦って」って頼んだのね

 

 

めっっちゃ痛い

 

 

すごい力強く擦ってくる

肩グッて掴んで擦ってくるんだわ鍋でも洗ってんのかなみたいな力でまんべんなく擦ってくるの

もう気分は大根おろし大根

想定外に強くて「ンオアアア」みたいな声出た

ただ変に注文付けたらならじゃあやめるってなるかなって思ってちょっと耐えたんだけど普通に痛かったから早めにギブしてありがとうしてやめてもらった

 

あかすりしたら体を流してもう一回洗って終わりなんだけど体流す時点ですでにちょっとお湯が染みるんだわ

ボディソープとかもっと染みるんだわ

まあ言うていってみみずばれ位だろとそのまま寝たんだけど

 

それが昨日のことなんだけどね

今触ってみたら細かいさぶたみたいなのが肩甲骨の間ちょっと下あたりに集中してバラバラバラっていっぱいできてるっぽい手触りがするんだわ

イオイオ背中すりむけてんよと

これ膿む?微妙に汗染みて怖いんだが

ただねあかすり自体はかなり面白かった

またやるとは思うけどオカンにはもう頼まない 大根になる

2020-02-25

翳(原民喜

センター試験話題になったけど、全文読めるところが見つからなかったので)

底本:原民喜戦後小説 下(講談社文芸文庫1995年8月10日第1刷発行

     I

 私が魯迅の「孤独者」を読んだのは、一九三六年の夏のことであったが、あのなかの葬いの場面が不思議に心を離れなかった。不思議だといえば、あの本——岩波文庫魯迅選集——に掲載してある作者の肖像が、まだ強く心に蟠(わだかま)るのであった。何ともいい知れぬ暗黒を予想さす年ではあったが、どこからともなく惻々として心に迫るものがあった。その夏がほぼ終ろうとする頃、残暑の火照りが漸く降りはじめた雨でかき消されてゆく、とある夜明け、私は茫とした状態で蚊帳のなかで目が覚めた。茫と目が覚めている私は、その時とらえどころのない、しかし、かなり烈しい自責を感じた。泳ぐような身振りで蚊帳の裾をくぐると、足許に匐っている薄暗い空気を手探りながら、向側に吊してある蚊帳の方へ、何か絶望的な、愬(うった)えごとをもって、私はふらふらと近づいて行った。すると、向側の蚊帳の中には、誰だか、はっきりしない人物が深い沈黙に鎖されたまま横わっている。その誰だか、はっきりしない黒い影は、夢が覚めてから後、私の老い母親のように思えたり、魯迅の姿のように想えたりするのだった。この夢をみた翌日、私の郷里からハハキトクの電報が来た。それから魯迅の死を新聞で知ったのは恰度亡母の四十九忌の頃であった。

 その頃から私はひどく意気銷沈して、落日の巷を行くの概(おもむき)があったし、ふと己の胸中に「孤独者」の嘲笑を見出すこともあったが、激変してゆく周囲のどこかにもっと切実な「孤独者」が潜んでいはすまいかと、窃(ひそ)かに考えるようになった。私に最初孤独者」の話をしかけたのは、岩井繁雄であった。もしかすると、彼もやはり「孤独者」であったのかもしれない。

 彼と最初に出逢ったのは、その前の年の秋で、ある文学研究会の席上はじめてSから紹介されたのである。その夜の研究会は、古びたビルの一室で、しめやかに行われたのだが、まことにそこの空気に応(ふさ)わしいような、それでいて、いかにも研究会などにはあきあきしているような、独特の顔つきの痩形長身青年が、はじめから終りまで、何度も席を離れたり戻って来たりするのであった。それが主催者の長広幸人であるらしいことは、はじめから想像できたが、会が終るとSも岩井繁雄も、その男に対って何か二こと三こと挨拶して引上げて行くのであった。さて、長広幸人の重々しい印象にひきかえて、岩井繁雄はいかにも伸々した、明快卒直な青年であった。長い間、未決にいて漸く執行猶予最近釈放された彼は、娑婆に出て来たことが、何よりもまず愉快でたまらないらしく、それに文学上の抱負も、これから展望されようとする青春とともに大きかった。

 岩井繁雄と私とは年齢は十歳も隔たってはいたが、折からパラつく時雨をついて、自動車を駆り、遅くまでSと三人で巷を呑み歩いたものであった。彼はSと私の両方に、絶えず文学の話を話掛けた。極く初歩的な問題から再出発する気組で——文章が粗雑だと、ある女流作家から注意されたので——今は志賀直哉のものノートし、まず文体研究をしているのだと、そういうことまで卒直に打明けるのであった。その夜の岩井繁雄はとにかく愉快そうな存在だったが、帰りの自動車の中で彼は私の方へ身を屈めながら、魯迅の「孤独者」を読んでいるかと訊ねた。私がまだ読んでいないと答えると話はそれきりになったが、ふとその時「孤独者」という題名で私は何となくその夜はじめて見た長広幸人のことが頭に閃いたのだった。

 それから夜更の客も既に杜絶えたおでん屋の片隅で、あまり酒の飲めない彼は、ただその場の空気に酔っぱらったような、何か溢れるような顔つきで、——やはり何が一番愉しかったといっても、高校時代ほど生き甲斐のあったことはない、と、ひどく感慨にふけりだした。

 私が二度目の岩井繁雄と逢ったのは一九三七年の春で、その時私と私の妻は上京して暫く友人の家に滞在していたが、やはりSを通じて二三度彼と出逢ったのである。彼はその時、新聞記者になったばかりであった。が、相変らず溢れるばかりのもの顔面に湛えて、すくすくと伸び上って行こうとする姿勢で、社会部入社したばかりの岩井繁雄はすっかりその職業が気に入っているらしかった。恰度その頃紙面を賑わした、結婚直前に轢死(れきし)を遂げた花婿の事件があったが、それについて、岩井繁雄は、「あの主人公は実はそのアルマンスだよ」と語り、「それに面白いのは花婿の写真がどうしても手に入らないのだ」と、今もまだその写真を追求しているような顔つきであった。そうして、話の途中で手帳を繰り予定を書込んだり、何か行動に急きたてられているようなところがあった。かと思うと、私の妻に「一たい今頃所帯を持つとしたら、どれ位費用がかかるものでしょうか」と質問し、愛人が出来たことを愉しげに告白するのであった。いや、そればかりではない、もしかすると、その愛人同棲した暁には、染料の会社設立し、重役になるかもしれないと、とりとめもない抱負も語るのであった。二三度逢ったばかりで、私の妻が岩井繁雄の頼もしい人柄に惹きつけられたことは云うまでもない。私の妻はしばしば彼のことを口にし、たとえば、混みあうバスの乗降りにしても、岩井繁雄なら器用に婦人を助けることができるなどというのであった。私もまた時折彼の噂は聞いた。が、私たちはその後岩井繁雄とは遂に逢うことがなかったのである

 日華事変が勃発すると、まず岩井繁雄は巣鴨駅の構内で、筆舌に絶する光景を目撃したという、そんな断片的な噂が私のところにも聞えてきて、それから間もなく彼は召集されたのである。既にその頃、愛人と同居していた岩井繁雄は補充兵として留守隊で訓練されていたが、やがて除隊になると再び愛人の許に戻って来た。ところが、翌年また召集がかかり、その儘前線派遣されたのであった。ある日、私がSの許に立寄ると、Sは新聞第一面、つまり雑誌新刊書の広告が一杯掲載してある面だけを集めて、それを岩井繁雄の処へ送るのだと云って、「家内に何度依頼しても送ってくれないそうだから僕が引うけたのだ」とSは説明した。その説明は何か、しかし、暗然たるものを含んでいた。岩井繁雄が巣鴨駅で目撃した言語に絶する光景とはどんなことなのか私には詳しくは判らなかったが、とにかく、ぞっとするようなものがいたるところに感じられる時節であった。ある日、私の妻は小学校の講堂で傷病兵慰問の会を見に行って来ると、頻りに面白そうに余興のことなど語っていたが、その晩、わあわあと泣きだした。昼間は笑いながら見ものが、夢のなかでは堪らなく悲しいのだという。ある朝も、——それは青葉と雨の鬱陶しい空気が家のうちまで重苦しく立籠っている頃であったが——まだ目の覚めきらない顔にぞっとしたものを浮べて、「岩井さんが還って来た夢をみた。痩せて今にも斃れそうな真青な姿でした」と語る。妻はなおその夢の行衛を追うが如く、脅えた目を見すえていたが、「もしかすると、岩井さんはほんとに死ぬるのではないかしら」と嘆息をついた。それは私の妻が発病する前のことで、病的に鋭敏になった神経の前触れでもあったが、しかしこの夢は正夢であった。それから二三ヵ月して、岩井繁雄の死を私はSからきいた。戦地にやられると間もなく、彼は肺を犯され、一兵卒にすぎない彼は野戦病院殆ど碌に看護も受けないで死に晒されたのであった。

 岩井繁雄の内縁の妻は彼が戦地へ行った頃から新しい愛人をつくっていたそうだが、やがて恩賜金を受取るとさっさと老母を見捨てて岩井のところを立去ったのである。その後、岩井繁雄の知人の間では遺稿集——書簡は非常に面白いそうだ——を出す計画もあった。彼の文章が粗雑だと指摘した女流作家に、岩井繁雄は最初結婚を申込んだことがある。——そういうことも後になって誰かからきかされた。

 たった一度見たばかりの長広幸人の風貌が、何か私に重々しい印象を与えていたことは既に述べた。一九三五年の秋以後、遂に私は彼を見る機会がなかった。が、時に雑誌掲載される短かいものを読んだこともあるし、彼に対するそれとない関心は持続されていた。岩井繁雄が最初召集を受けると、長広幸人は倉皇と満洲へ赴いた。当時は満洲へ行って官吏になりさえすれば、召集免除になるということであった。それから間もなく、長広幸人は新京文化方面役人になっているということをきいた。あの沈鬱なポーズ役人の服を着ても身に着くだろうと私は想像していた。それから暫く彼の消息はきかなかったが、岩井繁雄が戦病死した頃、長広幸人は結婚をしたということであった。それからまた暫く彼の消息はきかなかったが、長広幸人は北支で転地療法をしているということであった。そして、一九四二年、長広幸人は死んだ。

 既に内地にいた頃から長広幸人は呼吸器を犯されていたらしかったが、病気の身で結婚生活飛込んだのだった。ところが、その相手資産目あての結婚であったため、死後彼のものは洗い浚(ざら)い里方に持って行かれたという。一身上のことは努めて隠蔽する癖のある、長広幸人について、私はこれだけしか知らないのである

     II

 私は一九四四年の秋に妻を喪ったが、ごく少数の知己へ送った死亡通知のほかに満洲にいる魚芳へも端書を差出しておいた。妻を喪った私は悔み状が来るたびに、丁寧に読み返し仏壇ほとりに供えておいた。紋切型の悔み状であっても、それにはそれでまた喪にいるものの心を鎮めてくれるものがあった。本土空襲も漸く切迫しかかった頃のことで、出した死亡通知に何の返事も来ないものもあった。出した筈の通知にまだ返信が来ないという些細なことも、私にとっては時折気に掛るのであったが、妻の死を知って、ほんとうに悲しみを頒ってくれるだろうとおもえた川瀬成吉からもどうしたものか、何の返事もなかった。

 私は妻の遺骨を郷里墓地に納めると、再び棲みなれた千葉借家に立帰り、そこで四十九日を迎えた。輸送船の船長をしていた妻の義兄が台湾沖で沈んだということをきいたのもその頃であるサイレンはもう頻々と鳴り唸っていた。そうした、暗い、望みのない明け暮れにも、私は凝と蹲ったまま、妻と一緒にすごした月日を回想することが多かった。その年も暮れようとする、底冷えの重苦しい、曇った朝、一通の封書が私のところに舞込んだ。差出人は新潟県××郡××村×川瀬丈吉となっている。一目見て、魚芳の父親らしいことが分ったが、何気なく封を切ると、内味まで父親の筆跡で、息子の死を通知して来たものであった。私が満洲にいるとばかり思っていた川瀬成吉は、私の妻より五ヵ月前に既にこの世を去っていたのである

 私がはじめて魚芳を見たのは十二年前のことで、私達が千葉借家へ移った時のことである私たちがそこへ越した、その日、彼は早速顔をのぞけ、それから殆ど毎日註文を取りに立寄った。大概朝のうち註文を取ってまわり、夕方自転車で魚を配達するのであったが、どうかすると何かの都合で、日に二三度顔を現わすこともあった。そういう時も彼は気軽に一里あまりの路を自転車で何度も往復した。私の妻は毎日顔を逢わせているので、時々、彼のことを私に語るのであったが、まだ私は何の興味も関心も持たなかったし、殆ど碌に顔も知っていなかった。

 私がほんとうに魚芳の小僧を見たのは、それから一年後のことと云っていい。ある日、私達は隣家の細君と一緒にブラブラ千葉海岸の方へ散歩していた。すると、向の青々とした草原の径をゴム長靴をひきずり、自転車を脇に押しやりながら、ぶらぶらやって来る青年があった。私達の姿を認めると、いかにも懐しげに帽子をとって、挨拶をした。

「魚芳さんはこの辺までやって来るの」と隣家の細君は訊ねた。

「ハア」と彼はこの一寸した逢遭を、いかにも愉しげにニコニコしているのであった。やがて、彼の姿が遠ざかって行くと、隣家の細君は、

「ほんとに、あの人は顔だけ見たら、まるで良家のお坊ちゃんのようですね」と嘆じた。その頃から私はかすかに魚芳に興味を持つようになっていた。

 その頃——と云っても隣家の細君が魚芳をほめた時から、もう一年は隔っていたが、——私の家に宿なし犬が居ついて、表の露次でいつも寝そべっていた。褐色の毛並をした、その懶惰な雌犬は魚芳のゴム靴の音をきくと、のそのそと立上って、鼻さきを持上げながら自転車の後について歩く。何となく魚芳はその犬に対しても愛嬌を示すような身振であった。彼がやって来ると、この露次は急に賑やかになり、細君や子供たちが一頻り陽気に騒ぐのであったが、ふと、その騒ぎも少し鎮まった頃、窓の方から向を見ると、魚芳は木箱の中から魚の頭を取出して犬に与えているのであった。そこへ、もう一人雑魚(ざこ)売りの爺さんが天秤棒を担いでやって来る。魚芳のおとなしい物腰に対して、この爺さんの方は威勢のいい商人であった。そうするとまた露次は賑やかになり、爺さんの忙しげな庖丁の音や、魚芳の滑らかな声が暫くつづくのであった。——こうした、のんびりした情景はほとんど毎日繰返されていたし、ずっと続いてゆくもののようにおもわれた。だが、日華事変の頃から少しずつ変って行くのであった。

 私の家は露次の方から三尺幅の空地を廻ると、台所に行かれるようになっていたが、そして、台所の前にもやはり三尺幅の空地があったが、そこへ毎日八百屋、魚芳をはじめ、いろんな御用聞がやって来る。台所の障子一重を隔てた六畳が私の書斎になっていたので、御用聞と妻との話すことは手にとるように聞える。私はぼんやりと彼等の会話に耳をかたむけることがあった。ある日も、それは南風が吹き荒んでものを考えるには明るすぎる、散漫な午後であったが、米屋小僧と魚芳と妻との三人が台所で賑やかに談笑していた。そのうちに彼等の話題は教練のことに移って行った。二人とも青年訓練所へ通っているらしく、その台所前の狭い空地で、魚芳たちは「になえつつ」の姿勢を実演して興じ合っているのであった。二人とも来年入営する筈であったので、兵隊姿勢を身につけようとして陽気に騒ぎ合っているのだ。その恰好おかしいので私の妻は笑いこけていた。だが、何か笑いきれないものが、目に見えないところに残されているようでもあった。台所へ姿を現していた御用聞のうちでは、八百屋がまず召集され、つづいて雑貨屋小僧が、これは海軍志願兵になって行ってしまった。それから豆腐屋の若衆がある日、赤襷をして、台所に立寄り忙しげに別れを告げて行った。

 目に見えない憂鬱の影はだんだん濃くなっていたようだ。が、魚芳は相変らず元気で小豆(こまめ)に立働いた。妻が私の着古しのシャツなどを与えると、大喜びで彼はそんなものも早速身に着けるのであった。朝は暗いうちから市場へ行き、夜は皆が寝静まる時まで板場で働く、そんな内幕も妻に語るようになった。料理の骨(こつ)が憶えたくて堪らないので、教えを乞うと、親方は庖丁を使いながら彼の方を見やり、「黙って見ていろ」と、ただ、そう呟くのだそうだ。鞠躬如(きっきゅうじょ)として勤勉に立働く魚芳は、もしかすると、そこの家の養子にされるのではあるまいか、と私の妻は臆測もした。ある時も魚芳は私の妻に、——あなたそっくり写真がありますよ。それが主人のかみさんの妹なのですが、と大発見をしたように告げるのであった。

 冬になると、魚芳は鵯(ひよどり)を持って来て呉れた。彼の店の裏に畑があって、そこへ毎朝沢山小鳥が集まるので、釣針に蚯蚓(みみず)を附けたものを木の枝に吊しておくと、小鳥簡単に獲れる。餌は前の晩しつらえておくと、霜の朝、小鳥は木の枝に動かなくなっている——この手柄話を妻はひどく面白がったし、私も好きな小鳥が食べられるので喜んだ。すると、魚芳は殆ど毎日小鳥を獲ってはせっせと私のところへ持って来る。夕方になると台所に彼の弾んだ声がきこえるのだった。——この頃が彼にとっては一番愉しかった時代かもしれない。その後戦地へ赴いた彼に妻が思い出を書いてやると、「帰って来たら又幾羽でも鵯鳥を獲って差上げます」と何かまだ弾む気持をつたえるような返事であった。

 翌年春、魚芳は入営し、やがて満洲の方から便りを寄越すようになった。その年の秋から私の妻は発病し療養生活を送るようになったが、妻は枕頭で女中を指図して慰問の小包を作らせ魚芳に送ったりした。温かそうな毛の帽子を着た軍服姿の写真満洲から送って来た。きっと魚芳はみんなに可愛がられているに違いない。炊事も出来るし、あの気性では誰からも重宝がられるだろう、と妻は時折噂をした。妻の病気は二年三年と長びいていたが、そのうちに、魚芳は北支から便りを寄越すようになった。もう程なく除隊になるから帰ったらよろしくお願いする、とあった。魚芳はまた帰って来て魚屋が出来ると思っているのかしら……と病妻は心細げに嘆息した。一しきり台所を賑わしていた御用聞きたちの和やかな声ももう聞かれなかったし、世の中はいよいよ兇悪な貌を露出している頃であった。千葉名産の蛤の缶詰を送ってやると、大喜びで、千葉へ帰って来る日をたのしみにしている礼状が来た。年の暮、新潟の方から梨の箱が届いた。差出人は川瀬成吉とあった。それから間もなく除隊になった挨拶状が届いた。魚芳が千葉へ訪れて来たのは、その翌年であった。

 その頃女中を傭えなかったので、妻は寝たり起きたりの身体台所をやっていたが、ある日、台所の裏口へ軍服姿の川瀬成吉がふらりと現れたのだった。彼はきちんと立ったまま、ニコニコしていた。久振りではあるし、私も頻りに上ってゆっくりして行けとすすめたのだが、彼はかしこまったまま、台所のところの閾から一歩も内へ這入ろうとしないのであった。「何になったの」と、軍隊のことはよく分らない私達が訊ねると、「兵長になりました」と嬉しげに応え、これからまだ魚芳へ行くのだからと、倉皇として立去ったのである

 そして、それきり彼は訪ねて来なかった。あれほど千葉へ帰る日をたのしみにしていた彼はそれから間もなく満洲の方へ行ってしまった。だが、私は彼が千葉を立去る前に街の歯医者でちらとその姿を見たのであった。恰度私がそこで順番を待っていると、後から入って来た軍服青年歯医者挨拶をした。「ほう、立派になったね」と老人の医者は懐しげに肯いた。やがて、私が治療室の方へ行きそこの椅子に腰を下すと、間もなく、後からやって来たその青年助手の方の椅子に腰を下した。「これは仮りにこうしておきますから、また郷里の方でゆっくりお治しなさい」その青年の手当はすぐ終ったらしく、助手は「川瀬成吉さんでしたね」と、机のところのカードに彼の名を記入する様子であった。それまで何となく重苦しい気分に沈んでいた私はその名をきいて、はっとしたが、その時にはもう彼は階段を降りてゆくところだった。

 それから二三ヵ月して、新京の方から便りが来た。川瀬成吉は満洲吏員就職したらしかった。あれほど内地を恋しがっていた魚芳も、一度帰ってみて、すっかり失望してしまったのであろう。私の妻は日々に募ってゆく生活難を書いてやった。すると満洲から返事が来た。「大根一本が五十銭、内地の暮しは何のことやらわかりません。おそろしいことですね」——こんな一節があった。しかしこれが最後消息であった。その後私の妻の病気悪化し、もう手紙を認(したた)めることも出来なかったが、満洲の方からも音沙汰なかった。

 その文面によれば、彼は死ぬる一週間前に郷里に辿りついているのである。「兼て彼の地に於て病を得、五月一日帰郷、五月八日、永眠仕候」と、その手紙は悲痛を押つぶすような調子ではあるが、それだけに、佗しいものの姿が、一そう大きく浮び上って来る。

 あんな気性では皆から可愛がられるだろうと、よく妻は云っていたが、善良なだけに、彼は周囲から過重な仕事を押つけられ、悪い環境機構の中を堪え忍んで行ったのではあるまいか親方から庖丁の使い方は教えて貰えなくても、辛棒した魚芳、久振りに訪ねて来ても、台所の閾から奥へは遠慮して這入ろうともしない魚芳。郷里から軍服を着て千葉を訪れ、晴れがましく顧客歯医者で手当してもらう青年。そして、遂に病躯をかかえ、とぼとぼと遠国から帰って来る男。……ぎりぎりのところまで堪えて、郷里に死にに還った男。私は何となしに、また魯迅作品の暗い翳を思い浮べるのであった。

 終戦後、私は郷里にただ死にに帰って行くらしい疲れはてた青年の姿を再三、汽車の中で見かけることがあった。……

2019-07-23

都会ってすごい

道端に靴紐のようなものが落ちてたら、ちゃんと靴紐なんだもん。

田舎だったら蛇かみみずか毛虫だよ

2019-03-05

娘が寝てるとうれしい

うつ病ひどかった話は前に書いた、あとでここにトラバするかも

人力にまた子のうつ対応できない親が来たか最近日記つけてないと思い出しメモ

とりあえず学校企業も切り離しつつアッシーしてあげたり友達とはなるべくつないだりした

娘は寝られなかった、ずっと溺れるひとがわらを掴むようにスマホにしがみついて腹ばいでベッドにいた

朝方ようやく疲れ果ててねるので午後起きで1日ベッドにいる、シーツが二枚擦り切れた、なお風呂は疲れ果てるからなかなか入らない

よるひとりになると寂しさ、というよりイライラに耐えかねスナック食べ血糖値ごまかす。ひるも食べる、のむ。太って肝臓黄色信号甲状腺ホルモン疑いで二回検査、二回とも正常値、ただ経過観察とはいわれた。気持ちの安定のためスナックは以前より多めに買っている

たまにカラオケなどでかけると低血糖なのか自室まであるいてあがれず四つん這いで階段にいて泣いていたことがある、尻を押した。

低血糖発達障害の本よんだのがだるさの理解に役立った

とにかく寝られないのだ、寝ようとする努力などしたくもないくらイライラしていたのだ、最初常識判断して逆だと思ってしまっていた

転機というか、向上への気づきはたくさんあった、とにかくむりじいはしない、とは言え、でかけたがる(認めてヘルプしないと医者必要場所にも行かない)のでアッシー補助する、お金を財布から抜かれても気づかないでいてあげるなど。家計簿が合わない額は年間30万くらいだから小遣いが月3万弱足りなかったのだろう。最近現金をあまり降ろさないのと、抜いてもいいけどメモ残してといって知っていることをしらせている、うつ病介護がなくなったら30万どころか100万くらいはパートでかせげるので安いものだが、どうしてもがなりつけたいしだめならチクチクくらいはいいたいだんなの説得に手間取った

で、睡眠の転機のひとつはかゆみが出たこと。貧血治療のため鉄剤を飲ませたら鉄剤の飲み過ぎか体が夕方かゆくなった。毎晩9時になると出て痒すぎて寝られない。風呂に入ってる最中にもかいみみずばれがふえる。寝ると治る。毎晩違うところに出る。アトピーなどの普通の湿疹は固定されたところに出るのでこれとは違う。調べたところ精神安定剤有効だということだ。そこでSSRIと一緒にもらってあったが過眠になるとおもってたため使わなかった睡眠精神薬を飲ませてみたら楽になったと言うので毎晩、かゆみが出るすこしまえの時間帯に継続して飲ませることにした。その後医者相談して飲ませていいと言質をもらって追加処方された。

まあ、お金のほうが効いてるのかもなあ。まじめな親って経済DVなのかもなとおもう。うちもダンナテストの成績で決めるとかいって進学校なのに無理言うからだんだんさがって私がいさめなければ月3000円のまま高校卒業するところだった。もちろん服やスマホは買って与えてるけど、曲などに課金できるお金がないのがつらかったようだ、夏は一日一本アクエリ買ったらなくなる額だし、月末に通学定期を盗癖ある同級生に盗まれたら一巻の終わり。

小さい頃からお金頂戴なんてずうずうしいことをいったことがない。高校になってもお年玉もらえるから帰省したがったけど実の娘でもがなりつけたくなるような失礼すぎる祖母相手に頑張り過ぎたことで心の折れが始まってたんだろう。

折れてからニートにはしたくないって頑張っても意味ない。けっきょく正社員なんて多分なれなそうだけど、勉強できないってバカにしてた幼馴染にも学歴では抜かれたけど、なんとks大学に通ってるし、そういうしあわせな家庭もいっぱいある。うつ病は図々しくなれずに幸せ自分で遠ざけてしまう。いちどそうなるとじゃぶじゃぶうえから幸せをかけないとなおらない。というよりかこころ幸せ受け入れ窓口が年間360日くらい閉じてるので毎日薬飲ませて確率上げながら朝今日は窓口開いてる?と確認し、空いてたら質のいいのをねじ込むって感じ。

ようやく治っても再発するっていうけどね。

みんなは子供幸せにしてね。

2018-11-10

おけらだけ知らない

みみずだって

おけらだって

あめんぼだって

おけらだけしらねー!

2018-10-11

じんましんが、治らない

原因不明共通の行動とか一切ない。

食べ物バラバラ。白米食べないときもあるし

なにも食べないときがあるから

でも、毎日じんましんが出る。

おでこ痒い、肘の内側がかゆい(何て言うんだ?)

ももかゆい、足首がかゆい

指と指の間がかゆい

虫刺されみたいに、赤くみみず腫れっぽくなるから最悪。

なんなんだ。

市販薬じゃだめなのか。面倒くさいな。

2018-05-03

anond:20180502164021

高くなったのはまさか、肉が変わったからw???

みみずから、本物のBEEF100パーに。。。

2018-03-09

みみずだーってオケラだーって!!んん?んんっ?

なんでオケラをチョイスしたんだよ!もっていいのあったろ!

2018-02-25

anond:20180225232345

中途半端に衛生面を気にして、火で炙ったカッターを消毒液で消毒してから浅く切ってます

引っ掻いたみみずばれの痕が気持ちよかったからその延長にきてしまいました。

しもやけあかぎれリアルに痛いのでお大事にしてください…

2018-01-03

尿道から出てきたら怖いものナンバーワンを決めよう

石みたいな実際にあり得るものではなく、ありえないけど出てきたら怖いものを決めよう

おれは「みみず」。ちよーこえーよ

2017-10-17

anond:20171016010051

<<死後の世界>>

増田「次は女に生まれ変わりたいんです」

神様前世で、女に生まれて散々苦労したから、男に生まれ変わりたいと嘆願してたのをもう忘れたのか・・?

   そんなお前を憐れんで、男に生まれ変わらせたのに、我が儘な奴じゃ。来世はみみずにしてやる!」

2017-08-09

https://anond.hatelabo.jp/20170809120910

一生、みみずのまま暮らしてゆくか、

今ここでコンクリートの上にでて自殺するか。

まれ変わっても、再び、みみずに生まれてくる可能性も否定できないし、

熱中症死ぬまでの数時間地獄の苦しみを味わうことになるはずだ。

正直、みみずとして生きるほうが遥かに楽だろう。

それでも、俺は敢えて自殺する道を選ぶ。

みみずに生まれ変わらせた神への反逆などと言うつもりは無いが、

俺は俺自身意思自分の生死を決めたいだけなのだ

今日は朝から晴れている。絶好の自殺日和だ。


…なんて思っているかもしれない。

2016-07-25

体と心はちぐはぐで

イエ~~~イ!今日は1日死にたい気持ちでいっぱいだったぜ!

しろ毎日生きていても意味ねーなって思ってるぜ!

気分がソワソワして、気付いたら腕を引っ掻いていてみみず腫にだらけ。

でも休むことな会社に行くし、食欲もあるんだぜ。

体も疲れてりゃ躊躇うことな疲れたしんどいつらい休みたいって言えるのにナァ。

しろ体が疲れてないのに心がブレブレなのはサボりたいっていう怠け心かか?

本当にシンドイひとは体も弱るんだろうしナァ。

イエ~~~イ!!体が元気なことに感謝

甘ったれ明日会社に行くぜ。

クソゲー辟易しながら、腕を引っ掻きながら。

2016-01-29

みみず

私の字は汚い。けど、私の字は本当に機能的だし(何せとても速く書ける)芸術的だと思う。

からフォントつくりたい。名前は「みみず」にしたい。みみずフォント

いつかどこかウェブの端っこで見つけたらよろしく。

2014-03-28

グロバリバリぜーション

大学時代掃除バイトをやっていた。

70歳くらいの浮浪者みたいなお爺さんが面接に来た。

履歴書みみずみたいな字で読めたもんじゃない。

得意科目の欄には「国語」と書かれていた。

会話はフガフガと何を言っているのかもわからない。

面接が終わった帰り際に「うどんを食べたいので200円貸してくれ」ときた。

その姿を見てベテランバイトの2人(45歳くらいと元刑務所の看守の70歳くらい)が、

「あれで採用されると思ってるのかね?身の程知らずが、私が社長ならその場で帰らせてる、不採用確定。」

っと言っていた...

しかし結果は採用

ベテランバイトは衝撃を受けていた。

それ見て当時の私は

「身の程知らずは君達だ、命令が理解できて手足が満足に動いたら誰でもいい。バイト3日目の学生の私と10選手貴方達の時給一緒だよ。」

と思っていた。

時代は流れて2024年

お爺さんの姿は黒人に変わっていた。

2011-12-14

[][]5

傾城の美女

践祚 せんそ

櫛比 しっぴ

折伏 しゃくぶく

不如意 ふにょい  生計の困難なこと

佞弁/佞辯 ねいべん 心がねじけていて口先の巧みなこと

金打 きんちょう かたい約束。誓い。

夷狄 いてき

西陬 せいすう 西の果て

日照雨・戯 そばえ

詫びる わびる

詫く あざむく

瘧 おこり

同衾 どうきん

紊乱 びんらん

誼 よしみ  *喧嘩けんか

凱 かちどき

蒼氓 そうぼう

弄ぶ もてあそぶ 弄る いじる 弄る まさぐる

罪あるは斬る。怯懦なるは斬る。隊法を紊すは斬る。隊の名を瀆す者は斬る。

猖獗を極める・蔓延する・彌漫する

尿 ゆばり

筵 むしろ

膩 あぶら

うなじ

葦笛 あしぶえ、よしぶえ

玉蜀黍 とうもろこし cf玉黍(たまきび)唐黍(とうきび) 

糸瓜 へちま

鰐梨 あぼかど alligator pear

酸漿 ほおずき

とき

鵯 ひよどり

金糸雀 かなりあ

雪洞 ゆきどう せっとう、ぼんぼり、せつどう、ゆきあな

野衲 やのう、やどう

盂蘭盆 うらぼん

点綴 てんてい

羆 ひぐま

紙縒 こより

十露盤 そろばん

肋 あばら

蛞蝓 なめくじ

蚯蚓 みみず

蟋蟀 こおろぎ

飛蝗 ばった、ひこう

鰍 甑 帳 骸 疹 匁 蹄 厩 蔀

鐙 樵 厨 廓 硲 瓢 葎 椛 櫓 蕨

2009-11-21

↑こいつ本日最高のひょうきん者

~ ←これはただのみみず

2009-07-27

また自分のために書く。

http://anond.hatelabo.jp/20090719230333

の続き。

結局友人には洗いざらい話した上で、元の文章を読ませた。

その上で、今はセフレになっている…… とかだといい話だったんだろう。

元友人現セフレ、とか元友人現彼氏、とか、元友人現他人、とかのオチをうすらぼんやり予測していた。

が、なぜか知らないけれど彼は今も私の友達だったりする。

「俺の体で一番大人な部分は中指なんだぜ」と今日も笑いながら言っていた。

大学サークル室で、ふたりで缶コーヒーを飲んだ。無言だったりした。

こいつが私みたいなわけのわからない女にひっかからず、

幸せに誰かのことを好きになって、幸せにつきあって、幸せ結婚して

そして幸せに生きていってほしい。

わけのわからない劣等感(でもまー大体劣等感の原因なんて他人からみりゃゴミみたいなもんだ)とか、

いみのわからない優越感(でもまー以下略)とかそういうものとは縁の無い

団子虫とかみみずみたいに日陰のお似合いの女ではない、

性格も素直でスタイルもよくていい子で顔もよくて頭もよくていいお母さんになるような

そういう女の子幸せになってほしい。

オタクだから一般人より劣っている。そりゃそうだ。

自分の空想でもない、金を払って買う他人の空想がなけりゃ

働くことも、勉強することも、食べることも、笑うことも、泣くこともできないような人間

要するに生きていけないような人間が、

それらによりすがらないでも生きていける人間より劣っていないはずがない。

その上すがってるものが好きで好きでたまらないときた。

どう考えても下位だ。比べることすらおぞましい。

オタクがどうの、というより私が全人類から劣っている。マジで、生きてて、 ごめんなさい。

生体オナホとしてでも役に立てばよかったんだろうけれど、それすら今回叶いませんでした。

そういえば生体オナホもとい生体ダッチワイフとしての依頼はたまーにある。年に五回ぐらい。

オタク知識のある、オタクの、でかい乳とマンコのある、メガネの黒髪ストレート

読書家の女は、そりゃあ好きなひとは好きだろうさ。

「ぼくのことわかってくれそう」だとか「ぼくのことを拒否しなさそう」だとか

「ぼくがかわらなくてもぼくのことをすきになってくれそう」だとか、そういう欲望の上でなら

私は需要がある。

だから次回はちゃんとある。

問題は、次回、大事にしたくないような人からこういう依頼を受けるか、ということだ。

大事にしたい人とは、できない。生ゴミくさやのつめられたダッチワイフみたいなもんだ。

愛着をもたれたら困る。

前の恋人との別れ話の最中、私がこう思って日々を生きていることを伝えた。

激昂された。俺はもっとプライドのある女に惚れていたと思っていた云々。

ごめんなさい。がんばったんです。

よろこぶすがたがみたくて、半年間がんばったんです。

一般人のまぶしさにも、やさしさにも、すなおさにも耐えましたが、やっぱりダメでした。

デートが終わると吐くんです。

ああこれでやっと開放された、次はいつだろう、次なんか永久に来なければいいと思いながら

便器を抱きかかえていました。

別れ話が終わったとき、心は悲しみよりも安堵でいっぱいでした。

これで私は私がゴミ虫だと自覚しつづけなきゃいない日々は終わる。

あのぶどうはすっぱいぶどうだ、たべられないんだ。でもたべてみなきゃわかんないよ。

そう思って食べたぶどうで、アレルギーを起こした。そんな感じ。

みんなどうやって生きてるんだろう。

2009-07-19

夏本番を控え、剛毛を気にしないことにしていたオレが除毛剤初体験

してみたよ。

 

店で買ってもぜんぜんいいんだろうけど、通販で買ってみた。初めてなので、敏感肌用と書かれているもの。

コマーシャルでもやってる、ヴィートっての。フランス製だって。さすが、おしゃれ大国。

とりあえず腋とビキニライン(陰毛ね!)は、なんとなくこわいので、普通に毛抜きで抜いた。というか、それが普段。

今回やろうと思ったのは、いままで無視してきたすね毛ともも毛と腕の毛。

かみそりは使いたくない。かみそり負けものすごいんで。でも、除毛剤も肌にはよくないって言うし、どのくらいよくないのか、一度試してみるべきかな、って。

やってみたら、意外と自分の肌が白いのに驚いたよ。焼いてないから当然なんだけど。

それと、肌は傷跡とか痣とか結構あってきれいではないんだけど、毛を抜くだけでびっくりするほどすべすべで、思わず、しばらくすりすりしてましたよ。どうしよっかなーと思ってる人は、是非一度やってみるべきだと思ったよ。

  

で、やってみよっかなーという人のためになるかどうか、成功と失敗を、つらづらと。

  

☆初回は練習のつもりでやったほうがいい。

時間はじゅうぶんにとったほうがいい。結構疲れるかも。

☆除毛剤だけで全部やろうと思わないほうがいい。うぶ毛は剃った方が楽だし早い。

☆始める前に、どこにどれくらい毛が生えているかしつこいぐらい観察しておこう。

☆両足いっぺんにとかやると割りと大変。時間があるなら片足ずつのほうがいい。

☆全部風呂場でやれ! 最初からマッパでやれ! 水着とか着てやんな!

☆除毛剤は塗るの大変だから手でやってもいいけど、手だと厚塗りが難しいよ。

タイマー必須。そこらへんの接着剤よりよっぽど時間シビア。超正確に。

☆…でも汚れた手でタイマーとか使えないし、防水の普通風呂時計のほうがいいかも

自分で見えない部分の除毛はできません。背中とか。顔も不可。

☆ヒザ小僧も除毛するなら、ヒザを曲げた状態で除毛剤を塗ること。

☆やり直しはきかないので、覚悟を決めて一気に。

☆結局そんな安上がりではない

  

やり直しがきかないっていうのは、1回やったら次は72時間以上空けないと駄目だから。失敗はできません。

当然、毛は伸びてくるから、あんまり前にやっちゃ駄目だけど、かといって、あんまギリギリ前日の夜とかやろうとすると、もし腫れちゃったりしたとき悲惨。1日あれば、薬塗っておけばだいたい落ち着くし、腫れたりしてなくても1日置くことで肌がおとなしくなる。実際、今回何故か右腕の一部だけちょっとみみず腫れになった。足の方が腫れたりすると思ってたのに。すぐに薬(かゆみ止め軟膏)塗ったらじきにおさまったけど、除毛剤がちょっと残ってたのかもしれない。とにかく、よくよく洗い流したほうがいいみたいです。

あと、風呂場でやれっていうのは、どんだけ気をつけてても、結局どっかに除毛剤つけちゃったりするから、よっぽど広い家に住んでる人以外は最初から風呂場でやったほうがいいと思う。除毛剤がついたと思った場所はよく洗い流すこと。知らぬ間に付いたりすると、あとで無性に痒くなるみたい。洗い流すときはシャワー使うので、結局濡れちゃうから、なんにも着てないほうがいい。布につけると布がだめになるし、布についたの気付かず着てると肌のダメージがひどいことに。

最初に足やってパンツ履いたままだったの後悔したのに、そのあと腕やるときブラ着けたままでまた後悔した。学習しろ。

使う量がよくわからなくて適当にやって、結局1チューブちょうど使い切った。これで腕と足全体。もし腋とかも一緒にやってたら絶対足りなくなってとこだった。初回だったもんで毛の量も多くて、それで大量に必要だったとかあるかもしれないけど。とにかく、表面の毛がなくなるだけなんでかみそりと同じ、すぐまた生えてくるから、1回千円ぐらいってぜんぜん安くない。でも、慣れればたぶんかみそりで剃るよりも簡単だと思うし、肌は強いほうではないのに思ったよりもひどいことにならなかった。次回はもっとうまくできると思うし、なんか楽しくなってきたよ。

 

よし、これでプールでも海でも大丈夫

でも、毛はすぐ処理できても、太いのはどうにもならないですね。

2008-01-18

ひいばあちゃんが死んだ

去年の年末の話だ。

ひいばあちゃんが死んだと、実家から連絡が入った。

すぐ実家へとび、すぐに通夜お葬式が開かれた。

つっても、あんまり親戚は集まってなかったし、集まった親戚も葬式特有の暗さは全く無かった。ていうか、久しぶりにあった親戚同士談笑していた。

それもまぁ有る意味当たり前で、ひいばあちゃんは結構前からもう、老人ホーム的なところで、「ただ生かされてる」状態だったから。言い方悪いが、ぶっちゃけほとんど死んでたも同然だったのだ。もうここ1年ほどは、誰に会っても何の反応もできない状態。ときどきスタッフの人が寝返りうたせて、点滴うたせて、痰とって……本当にただ生かされているという状態だった。それが、ある時熱を出して、ころりとそのまま逝っちまったらしかった。

「まあそろそろかと思ったよ」皆そんな感じの雰囲気だった。不思議な雰囲気だった。皆別に、ひいばあちゃんが嫌いだったわけじゃない。つーか寧ろ好きだった。でも、別に、今特別悲しくて仕方が無いというわけでもなく、といって「マジたりーな。ったくこんなときに」とか言うほど悪態をついてるわけでもなく。ただただ「まぁ……こんだけ生きれば大往生だろう」「そうだね」「最後まで肌きれいだったなばーちゃん」「本当だ!これで90か!すげー!」(<ばーちゃんの遺体を見て)

そんな感じだった。

正直最初俺は「おいおい不謹慎じゃないか?」と思っていたが、徐々に「そういうわけじゃないのかな?」とも思えてきた……なんという感覚か表現しづらいのだが。大体、俺自身、そんなに悲しくなかった。悲しいといえば悲しいけどべつに涙は出てこなかった。「そっかーばあちゃん死んだんか……」なんともいえない感じ。

俺はこれまで、死ぬ時は大々的に葬式が行われて皆が悲しむほうが、親戚がちょろっと集まるよりよっぽどいいと何となく漠然と思っていたがそれは寧ろ逆かもしれないと思った。死んでも、そんなに悲しまないレベルまで、「まぁそろそろ死ぬ年頃だしな」そんなレベルまで生きた方が寧ろ幸せなのかもしれないと思った。死んで、大々的に葬式が行われて皆が悲しむなんて、悲しさを増やすだけだ。自分が死んだとしても、今のひいばーちゃんくらいの感じの方が寧ろいいんじゃないかと思った。例えば俺が幽霊になったとして、自分の死後葬式を上空から見れたとして、たくさんの皆がヒーヒーいいながら悲しむのを見るより、ひっそりと「まぁ大往生ですよ」「まあそういう年だったからね」とか言われながら無難にこなされるほうが、多分、いい。悲しい事は少ないほうがいい。

思えば俺は、人の死というのを初めて見た。俺が生まれてから20年、俺の親しい人はまだ誰一人死んでなかった(死んでたとしても物心つく前)。物心ついてから「身内の死」を体験したのは、これが初めてだった。

そして、人の「死体」を初めて見た。チラっとだが。正直怖かった。生で見た事が一度も無かったしグロ画像は徹底的に避けてきた俺だ……皆がチラチラ顔の白い布をとって顔を見ていくのを俺は「すげーな…よく皆見れるな」と感心していた。見てみると、まるでロウ人形みたいだった。タッチじゃないけど「死んでるんだぜ……信じられないだろ」的な感じだった、確かに。陳腐だが生命の不思議さを思った。この今動いていないロウ人形みたいな物体が、昨日までは一応、心臓がバックバック動いて、血を全身に流していたんだ。昨日のそれは「生きてる」で、今のこれは「死んでる」なのだ。ここにある身体を構成している、原子や分子はほとんど変わっていないんだろうに、昨日は「生きてる」で、今のこれは「死んでる」なんだぜ……すげー不思議な気がした。

そしてひいばーちゃんを焼く事になった。

これで俺はまた無知ゆえに驚いたのだが、なんと本当に人間死体を箱にいれて、そのまま焼却炉みたいなところにいれて焼くというのだ(当たり前だろ!!っていうかもしれないが)。それを皆で見てるんだぜ。死体入れて、火つけるとこまで。てか、火つけるボタンは自分で押せってんだぜ。なんという火葬の厳しさ。土葬とは比べもんにならないほどリアルに死を感じざるを得ない(って土葬もよくしらんけど)。そこまでしているとは知らなくて俺はただただ驚いた。まるで「ひいばーちゃんは死んだ。死んだんだぞ。さっきロウ人形みたいで、生きてるように見えたかもしれないけどやっぱり死んでるんだぞ。もう戻らないんだ」とつきつけられている感じ。何故そこまでする必要があるのか、俺らの場合ひいばーちゃんだったから冷静に見ていられたものの、これを交通事故で小さい子供をなくした親にもやっているというなら物凄いことだと俺は火葬がちょっと怖くなった。土葬みたいになぁなぁにして片付ければいいのに、ここまでする必要があるというのか?日本らしくないじゃないか。こんなに白黒はっきりつけるなんて。

そんな事を考えていたらさらにものすごいことがおきた。その火葬から数時間後、今度はお骨を拾うというのだ。俺はまた無知ゆえに、「お骨を拾うつっても、大体スタッフの人が手はず整えてくれてて、骨をあらかじめ砕いたりして壺にいれてくれてて、俺らはちょっと最後にそれを箸でやるだけだろ?」なんて思ってた。そしたら、皆知ってると思うけど、普通にさっき焼いた焼却炉を開けたのだ。出てきたのは、ボロボロの骨たち。俺、生で人骨見たのも初めて。ビビった。更に思った。「ここまでするの?ここまでして死をつきつけんの?すげーな、火葬。すげーな、日本……皆これをかいくぐってきたってのか」と。死体のままに置かれた骨だよ。生々しすぎる。そのまんますぎる。なんという死。完全に死だよ。紛れも無く死だよ。ひいばーちゃんのあの肉体はもう焼かれて灰になったんだ。頭じゃ分かってるけどそれをダイレクトに、完全に、脳に伝えてくるこの骨。そしてそれを、親戚数人で、箸もって、ここから骨を拾って、リレーさせて、壺にいれろっつーの。マジかよ、おいおいおい。お骨を拾うって、なに。そういうこと?!本当にそのまんまの意味なの?!ビビった。本当ビビった。何ちょっとこれおま……「死」じゃん。「死」だよ。死に、触れまくってる。俺。

骨をリレーさせた。うわ。段々麻痺してくる。この異常な状態に。皆「やっぱ年だからスカスカやね」とか言ってる。俺も「本当だ」とか頷いてる。なんだこの異常な……いや、これこそが正常なのか?これ、俺が今掴んでるこの、そこにいるスタッフが「それは大腿骨だよ」といったこれは……ばあちゃんの足にあった骨なんだ……昨日、ロウ人形みたいになってたひいばーちゃんの皮の下の筋肉の下にうもれてたもの……俺が小さかった頃、ひいばーちゃんのももに座ったとき、あのときも下にあったもの……それが今俺が掴んでるこれなんだよ。どうなんだよそれは。生きるって……生きるってのは、全然たいしたことじゃねえんだと俺はそのとき思った。人間生きるなんて全然たいしたことじゃない。骨を見たとき思った、これはあれに似てるんだよ、フライドチキンの骨に似てるんだ。フライドチキンの骨って、いつも全然意識してないけど、あれって鳥の骨なんだよ。生きてた鳥の骨だったんだよ。人間が死ぬのも、それと全然変わりねーんじゃん。人生とか言っちゃって、人間は何故生きるのか?とか言っちゃってるけど、別にやっぱり結局、人間フライドチキンになった鳥と同じじゃん。支離滅裂だけどそんなような事を骨リレーの間ずっと思ってた。何がどうあろうと死ぬし、死んだら、こうやって焼かれて、骨になって、俺も誰かに骨リレーされて、あのスタッフが持ってる壺んなかいれられて、残りの骨は土に返るんだ。土に返るってのは本当その通り土に返るんだ。土に混ざって土になるんだ。それはもともとは、今こうして俺がキーを打ってた、この指の骨だったのかもしれないけど、それはいずれそうやって土の上に捨てられたりしてあるいは壺に入ったりして……そんでその土の中で微生物とか動いてて。みみずとか動いててそういうのも全部死んでまた何か生まれてきて死んで生まれて土ってのもそのうちなくなるかもわからない、それでもしかしたら地球もなくなるかもわからない、でもそのいつだったか俺を構成してた原子は……なくなるのか?どこへ行くのだろ?俺を構成してた原子とかは散らばってまた違う何かを構成していくのか。なら死ってのは、あくまで俺を構成してた、それらのチームが解散するだけの話?ていうか、死っていうか、生と死って、白と黒、みたいな感じじゃなくて、生―死―生―っていうか、いや、っていうより生とか死とかいう概念がそもそもこの全体の流れを無理矢理名付けたものであって、生って……そういう意味じゃ別にたいしたこっちゃないんじゃないか……

そんな事を思った。

そういうのを輪廻っていうのかな?と思ったけど仏教に疎くて分からない俺。

リレーした骨は壺にいれられた。ひいばーちゃんがあそこにおさまっちゃったよ。すげぇ。この葬式システムってすげぇ。死を認めざるを得ないこのシステムってすげぇ。これ昔の人が考えたの?昔の人凄すぎ。俺なら死が怖くて避ける。死んだ人埋めてなぁなぁにして済ませたい。何かで土葬はそう言う意味では未練がましい、火葬は完全に「死」が分かるが、土葬は未練がましさがある、土から復活してくるゾンビや何かもそういった欧米諸国の死のなんちゃらをどうこうと言うのを読んだ気がするがなんとなく分かった気がした。確かに人を人のまま埋葬する土葬は、有る意味未練がましい。それがいいとかわるいとかじゃなくて。火葬は激しすぎ。どっかのアフリカの部族が、死んだ人の頭蓋骨を枕にするとかいうのも聞いたけどそれは火葬以上に激しいかもしれない。昔の人、死、意識しすぎ。すげぇ。俺はそんな度胸なかった。

通夜葬式って正直言って本当面倒くさかったけど、あれはやっぱり本当、生きてる人のためにあんだな。生きてる人が「はい、これで、彼彼女は死にました、以上!解散!」的にケリをつけるためにあんなに長々とやるんだ。

なるほど。ひいばあちゃんはそれでも俺の心の中に生き続けてるだとか、そういうことは思わない。ひいばあちゃんは列記として死んだのだ。死んだし、生きてたのだ。悲しさもあるが、それは、生死に限らずなんでもそうで、時間は、そんなこと気にせず動いてくのだ。死んだのも、事実で、悲しいのも、事実で、でもそれでも進むし、俺も死ぬし、それでも多分人間はまだ生きてて、そいつらも死んで。その流れそのものを止める手立てが出来れば、人間はそこで本当に特別な存在になれるのかも。今の状態では、また他の動物よりなんかよーわからんけどごちょごちょやってるよってだけに過ぎなくて、全然この流れに対抗できてない。病気とか治せても、寿命ちょっとばかし延ばせても死ぬことにかわりがない。俺の意識というこのものを再び俺が死んだ後にも復活できたら人間は特別なものになれるかも。わかんない。でも本当、宇宙とか、なんとかより時間っていうのか、この流れっつーのか、あまりに大きすぎる。陳腐だけど俺は本当ちっぽけ、ちっぽけもちっぽけ、ていうか、もうどうでもいいというか……本当どうでもいい存在なんだと思った。いい意味で。

 
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