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2024-04-25

「ハヴィラ戦記」第3話

はい、ハヴィラ戦記第3話でました

https://tonarinoyj.jp/episode/2550689798426304080

読んだ?

読んだね?

じゃあ感想

今回情報量少ないな?

今回のメインは忍野の決意とモチベーション確認

なので新たな情報は少ない

でもいくつか出てたので認識しておく

按司あじ

沖さんは按司と呼ばれていた

調べてみると

奄美に王制が普請される以前は、グスク(城)やハラ、モリ(盛)を拠点とする地方豪族首長やその家族称号として使われた。

ということらしいので、沖さんは部族の長、少なくとも長の一族であるということになる

そして

解放区」に戻るんだ

俺たちはそこ(解放区)を拠点活動している

言葉からもわかる通り、沖さんは間違いなく解放区まれの野生個体だったね

その解放区の長の一族が沖さんの出自ということになる

長自ら、解放軍の潜入工作員をやってたわけだね

解放区

野生に村があるようだ

大人間の力は借りていないのだろう

そしてよくわかんないけど、この野生の部族たちはここ保護区自由に出入りできるようだ

セキュリティどうなってんのかな??

大人間も沖さんは認識しているのだし、どうなってたんだろうまじで

解放区のハヴィラたちは野生動物わたりあえる力は持っているわけで自活はできる

しかし、じゃあ個体数減らしたのもなぜ?大人から身を隠そうとするのもなぜ?と考えると、大人間の存在のものがハヴィラの野生生活を困難にしてそうな気はする

それが環境破壊によるものだけなのか、裏があるのかはわからない

野生の人たちに悲壮感、危機感がないことから、裏があるというよりかは、表のまま、環境破壊だけでいいのかもしれない

そうなるともはや、野生が保護区破壊したがるのは、種族独立自分の国の独立、という魂の問題な気はするよね

多くの日本人はこの感覚わかんないと思う

スコットランド人経済的不利を覚悟で根強く独立志向を持っているのと近い感情だろう

イングランドに食わせてもらう方が利益があるじゃないか、という感じが、保護区で世話してもらう方がいいじゃんか、みたいな感じで、沖さんら野生は生粋スコティッシュって感じ、みたいなイメージ

野生の村はすでにあるので、保護区消滅させ全ハヴィラを野生化するか、または、島から大人間追い出せば勝ち、という勝利設定になるのだろうか

ぬくぬく保護区で飼われつがわせてもらいたい派のハヴィラには全然ありがたくない話

結局うやむやになりそうなこと

なぜカラスは入ったの?

沖さんは何を見たの?

これ、大きな謎になると思ってたけど、一応の騒動終結を見たので、うやむやになりそう

ということは普通に、なぜか鉄線が破れて、沖さんはカラスが鉄線の中にいるのを見た、ってくらいなんだろうか?

組織、別思想派閥でも出てこない限りここはこのまま流れそう

いや、なんで鉄線切れたんだよ!!

あとでうまく回収されるのを期待

ハサミ ザンッ

つっよ

ハサミの半身で、両側から挟んで斬首すんのね

カラスの首落とせるなら大人間の頸動脈切ったり指切ったりくらいは余裕でできそうだね

感想

これ、解放軍モチベが国家独立に対する魂の話なので、その感覚を肌で理解できるかが物語を楽しむうえで重要な要素になってきた感じがする

その感覚が分かる日本の読者ってめちゃくちゃ少なくないか

わかるように例えて言うてみる

今の日本中国ロシア占領されて、まあ中国でいいか中国日本、って国になり、円はなくなって元になり、国の法や政策北京で決められるようになったとする

でも、今の日本治安生活がそこまで変わったわけでなく、一応は今まで通りに暮らせている、とする

今まで通り暮らせてるんだから何も問題ないし関係ないじゃん、と思うか、日本日本人の手に取り戻したい、と思うかどうか、って感覚

わかる?

実際占領されたら今まで通りってわけにはいかんでしょ、とか思うかもしれないけど、そこはまあ、そうなっているということで

日本人国際感覚をあまり持たず個の意識が強い文化があるから日本という国は同胞の身内、という意識ではなくて、私という個人とその外にある国家、という意識の人多いよね

その意識の人には沖さんの気持ちまるでわからないと思う

となると、マイに幸せでいて欲しい、という忍野にどこまで共感できるかって話になるだろうからちょっとついていくには弱くなるかもね

anond:20240418154045

2024-04-05

anond:20240405164542

3000万稼いでクソ田舎に住むことになんの問題があるのだろう?

たまたま豪族の家に生まれた奴がそうでない田舎庶民を安月給で使い潰してるだけだからな。

社会悪でしょ。

anond:20240405163214

から商売ついで街の〇〇屋で年収2000万とか3000万とか平気に稼いでる人間も多いか

そういう奴らって、田舎豪族で競合が出てこないように村ぐるみ監視排除しつつクオリティの低い仕事であぐらかいてるんだよな。

本人たち一族人生楽勝なんだろうけどそれゆえにクソ田舎がクソ田舎のまま発展せず衰退していくんだよなあ。

2024-03-01

anond:20240301011839

前提条件わすれんといてな

徳川とか冷泉とか選ばれた苗字の一目でわかる豪族立ち位置の家柄をいってる

anond:20240301010724

ドンファンみたいな成金は知らん

徳川とか冷泉とか選ばれた苗字の一目でわかる豪族立ち位置の家柄をいってる

2024-02-26

メガテンで仲魔やペルソナになる実在した人物

カエサル

古代ローマ政治家ガイウス・ユリウス・カエサル

カンセイテイクン

三国志劉備に遣えた武将関羽呼び名「関聖帝君」。

キャプテン・キッド

17世紀活躍した海賊船船長ウィリアム・キッド

ゴエモン

安土桃山時代盗賊首長あった石川五右衛門

ジャンヌ・ダルク

15世紀フランス軍勝利に導いた軍人聖人

セレスティーヌ

オペラカルメン』でカルメンを演じた女優

テンカイ

徳川家康の側近でもあった南光坊天海

トキサダ

島原の乱総大将であった天草四郎本名益田時貞

ハヤタロウ

長野の光前寺で飼われてた犬。

マサカド

平安時代関東豪族平将門

ミチザネ

平安時代貴族菅原道真

ヨシツネ

平安末期の武将源義経

リョウオウ

6世紀中国北斉の高長恭という人物称号蘭陵王」または「羅陵王」。

実在微妙

キントキドウジ

金太郎名前で有名な坂田金時のこと。実在は疑わしい。

ジャック・リパー

19世紀ロンドンを賑わせた連続殺人犯通称切り裂きジャック」。犯人が誰かわかってないので妄想、あるいは怨念産物ということになってる。

トモエ

平安末期の女武将。後世の創作実在しないと言われる。

ヒミコ

邪馬台国女王魏志倭人伝記載があるので実在したとされるが、肝心の日本でまだ証拠が見つかっていないため実在しなかったとも。

ハンナ

歴史上唯一の女性教皇創作と考えられている。

番外編

タトゥーマン

ヤ○ザ

フーリガン

サッカーで暴れる観客

2024-02-18

anond:20240217192014

実家が太いクソボンボンじゃねーか。

奨学金立て替えるくらいの甲斐性もないんか?

家建てるとき絶対もめる。

なんなら結婚式費用負担で別れることになる。

豪族同士で結婚してろよ。

2023-12-27

anond:20231226193754

上級国民って経済力で決まるわけじゃないだろ

紀州ドンファン飯塚幸三どっちが上級国民かろいえば後者で前者はただの成金だよね

あとわかりやすいのは女子アナ田村なにがしの父親とかな。ああい地主というより地方豪族と呼ぶべきもの上級国民一種だろう

2023-12-10

anond:20231208233347

うーん。そもそも地方豪族みたいなの(PTAだの芋煮会でもいいけど)がいなくなったか調達係だの兵站だの要らなくなってるってことじゃないの?

民生用でいえばイオン(タウンよりモール)ほんとに強いからなー。あとららぽーととか。

というか百貨店の意義ってフォーマルアパレルだろうとおもうんだけど本当に古いし高い。サイズもない。

フォーマルって形式的っていう意味なんだけどやっぱり機能ガン無視の服なんだよね

今やってるゲゲゲの謎で水木氏が着ている昭和の服の見本みたいなもの買いたくなったら百貨店いくしかいか、くらいのイメージ

2023-08-19

地方に本当に人が住んでるんだと知って衝撃だった話

東京で産まれて、両親も東京まれの家庭で育った。

とはいえ地元はどこかと聞かれるといくつか家があったか微妙だ。

西麻布の家で過ごすことが一番長かったが、三番町清里にも愛着がある。

 

幼稚舎から大学までエスカレーターで進んだ。

同級生は当然全員が東京近郊の居住者だ。

たまに地方豪族の息子みたいなやつがいたが、そいつも結局こちらに家があり、母親なり誰かと東京に住んでいるので、地方人間であるという認識はなかった。

 

経歴を言うと「同級生大金持ちばかりでしょう」と言われるが、普通サラリーマンの息子で車はトヨタです、みたいな連中も大勢いた。

から貧乏人への耐性はついていた。

飛行機ビジネスファーストクラスであり、百貨店は行くものではなく来るものであり(幼稚園までミツコシさんとは家にたまに来るオッサンのことだと思っていた)、車は複数台あって運転手がいる、というのが異常であって、

普通は家は1つだし、中華を食うためだけに上海には行かないし、金を理由にやりたいことや買いたいものを諦めることがある、という”社会常識”はあった。

 

大学生で、初めて地方出身者と友達になるという経験をした。

いままでテレビ雑誌の中でしか知らなかった地方出身者という生き物に出会ったのだ。

当然、塾高時代までにも習い事教師地方出身はいただろうし、旅行にも行っていたか地方人と顔は合わせたりしていた訳だが、彼ら彼女らの地元の話をする訳じゃないし、したとしてもマスメディア情報と大差ない話しかしない。

三英傑を馬鹿にしてマジギレされるのも、どこから見た富士山が一番かという話でケンカになるのも、それが初めてだった。

とはいえそいつらも東京に出てきており東京ナイズされている訳で、そいつらが一人暮らししている家は東京神奈川にあった。

から地方人というよりかは、地方にいたけれど東京のやつという印象のほうが強い。

 

そして、大学卒業して、一般企業就職して近畿とある部署に配属となった。

配属先の人員本社採用は2割程度で、残りは現地採用だ。

そこで初め地方に「住んでいる人」という生き物と本格的に交流するようになった。

歓迎会では新卒は俺しかおらず、関係部署だけ集まってこじんまりと開催された。みな暖かく迎えてくれて優しかった。

だが、会が進むにつれ、話の内容は地元の誰それ(自分たち会社ではなく地元で有名らしいやつ)が捕まっただの、会社を立ち上げただの、

あるいは、東京に住んだことあるけれどやっぱり地元が一番だとか、地元選挙区議員がスゴいやつだ、俺はそいつ当選させただとか...

テレビでは見られなかった地方に住んでる人の生の会話を聞いて、そこで生まれて初めて「あぁ、地方にも本当に人は住んでいるんだ。ファンタジーではないのだ」と実感した。

その衝撃は、幼稚舎のときに遊びに行った友達の100平米のマンションで感じた「狭っ!」というショックよりも大きかった。

2023-07-22

「〜の変」「〜の乱」のまとめ(前編)

名称概要
463年吉備氏の乱雄略天皇吉備田狭の妻を奪ったので、吉備田狭は新羅と結託して反乱を起こしたが、失敗した。
479年星川皇子の乱雄略天皇吉備田狭の妻のあいだに生まれ星川皇子が、吉備氏と結託して皇位を奪おうとしたが、誅殺された。
527年磐井の乱朝鮮半島出兵しようとした大和朝廷軍に対し、北九州豪族である筑紫磐井が反乱を起こしてそれを阻んだが、討伐された。
587年丁未の乱仏教布教を巡って、大臣蘇我馬子と、大連物部守屋対立し、戦に発展した。蘇我氏勝利した。
645年乙巳の変中大兄皇子中臣鎌足らが、朝廷壟断していた蘇我入鹿暗殺、続いて蘇我氏粛清した。
672年壬申の乱天智天皇後継者争いが発生し、皇太子大友皇子に対して、天智天皇の弟・大海人皇子挙兵した。大海人皇子勝利して天皇となった。
729年長屋王の変皇族長屋王に謀反の疑いがかけられて兵が差し向けられ、長屋王自害した。藤原四兄弟による陰謀とされる。
740年藤原広嗣の乱藤原四兄弟の死により藤原氏勢力が退潮し、九州左遷されて不満を持った藤原広嗣太宰府挙兵したが、朝廷軍により討伐された。
757年橘奈良麻呂の乱橘諸兄の息子・橘奈良麻呂が、藤原仲麻呂を疎んでクーデターを企てたが、事前に発覚して逮捕され、獄死した。
764年藤原仲麻呂の乱孝謙上皇対立した太政大臣藤原仲麻呂恵美押勝)が反乱を企図したが失敗、討伐された。
780年宝亀の乱朝廷に帰順して功績を上げていた蝦夷族長伊治呰麻呂が、陸奥按察使・紀広純殺害して反乱を起こした。
782年氷上川継の乱天武天皇の曾孫で臣籍降下していた氷上川継が、光仁天皇崩御に乗じて謀反を企んだが、事前に発覚して流罪となった。
807年伊予親王の変藤原宗成の謀反計画が判明し、その首謀者の嫌疑をかけられた伊予親王自死したが、のちに冤罪と認められた。
810年薬子の変平城上皇嵯峨天皇対立が激化し、平城上皇挙兵決断するに至ったが、嵯峨天皇が先んじて兵を差し向け、平城上皇出家した。
842年承和の変嵯峨上皇崩御に伴い、皇太子恒貞親王擁立する側が謀反人とされて失脚、藤原良房の支持を受ける道康親王皇太子となった。
866年応天門の変応天門放火があり、大納言伴善男が「左大臣源信仕業だ」と告発したが、逆に伴善男真犯人だとされて流罪になった事件
878年元慶の乱長年の苛政に不満を抱いた蝦夷の民が蜂起して秋田城を襲撃した。朝廷の軍はいちど敗れたが、蝦夷を懐柔・慰撫することで鎮圧した。
889年寛平・延喜東国の乱関東治安が低下し、群盗の蜂起が相次いだ。その鎮圧に功のあった平高望勢力を広げ、いわゆる坂東平氏の礎となった。
901年昌泰の変右大臣菅原道真が失脚し、大宰府左遷された事件左大臣藤原時平陰謀だとされる。
938年天慶の出羽俘囚の乱朝廷に服属していた蝦夷たちが反乱を起こして秋田城を襲撃した。その後の経過は不明
939年承平天慶の乱東では坂東平氏平将門が、西では藤原一族藤原純友が、ほぼ同時に反乱を起こしたが、朝廷により鎮圧された。
947年藤原是助の乱伯耆豪族藤原是助が、前任の国司だった物部高茂・忠明父子を襲撃した。物部忠明が追討軍を率いて鎮圧したという。
969年安和の変謀反の計画が密告され、それに関係したと見なされた左大臣源高明太宰府左遷された。藤原氏による陰謀だとされる。
986年寛和の変皇太子の外祖父であった右大臣藤原兼家が、孫の即位を早めるために、当代の花山天皇を唆して出家させた事件
995年長徳の変「花山法皇自分恋人に言い寄っている」と勘違いした藤原伊周が法皇を襲撃して左遷された。政敵の伊周が失脚したこと藤原道長が台頭していく。
1028年平忠常の乱坂東平氏の有力者だった平忠常が反乱を起こし、三年に渡って争いが続いた。元・主人の源頼信が追討に差し向けられ、忠常は戦わずして降伏した。
1107年源義親の乱源義家の子である源義親がまず九州、次いで出雲乱暴狼藉を働いていた。平正盛が追討に向かい鎮圧、のちの伊勢平氏繁栄きっかけとなった。
1113年永久の変千手丸という童子鳥羽天皇暗殺を企んでいると密告があり、輔仁親王の護持僧・仁寛が首謀者とされ、流罪となった。
1156年保元の乱後白河天皇藤原忠通派と、崇徳上皇藤原頼長派が対立して戦に発展し、後白河天皇派が勝利した。頼長は死に、崇徳上皇流罪となった。
1160年平治の乱信西の権勢に反発した藤原信頼・源義朝クーデターを起こし、信西を死に追いやったが、のちに平清盛に敗れ、信頼は処刑された。
1180年治承・寿永の乱いわゆる源平合戦平清盛を筆頭とする平氏政権が打倒され、源頼朝によって鎌倉幕府樹立された。
1184年三日平氏の乱平氏都落ちのあと、伊賀平田家継、伊勢平信兼藤原忠清といった平氏残党が蜂起したが、鎌倉軍に鎮圧された。
1189年大河兼任の乱奥州藤原氏の家臣だった大河兼任出羽国で反乱を起こし、藤原氏の残党も取り込んで暴れたが、鎌倉幕府の追討軍に敗れた。
1199年梶原景時の変源頼朝の死後、その腹心だった梶原景時が有力御家人に弾劾されて鎌倉追放された。のちに謀反を企てたが敗れて一族は滅亡した。
1201年建仁の乱梶原景時に恩のあった城長茂が京で兵を挙げ、本拠越後でも城一族が反乱が起こしたが、鎌倉幕府鎮圧された。
1203年比企能員の変将軍源頼家の舅として台頭した比企能員が、政敵北条一族に謀殺され、比企一族も滅ぼされた。それに反発した頼家も将軍地位を追われた。
1203年三日平氏の乱二十年前の三日平氏の乱で敗れた藤原忠清の孫・若菜盛高が再び伊勢伊賀で反乱を起こしたが、幕府軍を率いる平賀朝雅鎮圧された。
1205年畠山重忠の乱平賀朝雅および北条時政の謀略で、彼らと対立していた畠山重忠とその一族が討伐された。直後に時政は失脚し、朝雅も誅殺された。
1213年泉親衡の乱北条氏打倒の企みが発覚して和田義盛の息子などが捕縛された。首謀者の泉親衡は合戦ののち行方くらませた。続く和田合戦きっかけとなった。
1221年承久の乱後鳥羽上皇北条義時追討を宣言して挙兵したが、鎌倉幕府はそれを打倒した。後鳥羽上皇隠岐に配流された。
1293年平禅門の乱平頼綱北条氏の執事として権勢を振るったが、その権勢を危ぶんだ執権北条貞時に討伐された。頼綱とその一族は滅亡した。
1305年嘉元の乱得宗北条貞時の命令として北条時村が誅殺されたが、続いて「それは北条宗方による陰謀だった」として宗方が誅殺された。
1325年安藤氏の乱津軽で起きた蝦夷の反乱と、蝦夷代官安藤氏のお家騒動が重なり、それを幕府が上手く調停できなかったため内乱に発展した。
1324年正中の変後醍醐天皇の側近たちが鎌倉幕府打倒を計画したとされ、日野資朝佐渡流罪となった。後醍醐天皇は不問となった。
1331年元弘の乱後醍醐天皇鎌倉幕府打倒を計画し、いったんは失敗して隠岐へ配流されたが、その後に盛り返して幕府を滅ぼした。建武新政が開始された。
1335年中先代の乱最後得宗北条高時の息子である北条時行が幕府再興を掲げて挙兵、いったんは鎌倉占領した。足利尊氏に追討されて時行は逃亡した。
1336年建武の乱後醍醐天皇と、そこから離反した足利尊氏の戦い。尊氏勝利して室町幕府が成立するも、後醍醐天皇吉野に逃れて南北朝時代が始まった。
1366年貞治の変室町幕府で権勢を振るった斯波高経斯波義将父子が、周囲の不満の高まりにより失脚した。追討の軍が送られ、斯波氏の領国は没収された。
1375年水島の変九州派遣された今川了俊が、同じ北朝少弐冬資と対立したため、彼を暗殺した。了俊の仕打ちに反発して島津氏大友氏などが離反した。
1380年小山氏の乱鎌倉公方・足利氏満下野守護小山義政が対立し、小山氏が滅ぼされた戦い。小山義政は自害したが、遺児・若犬丸はその後も抵抗を続けた。
1387年小田氏の乱常陸小田氏が小山若犬丸を匿っていたことが発覚、鎌倉公方・足利氏満小田氏を討伐した。小田氏は降伏し、所領を没収された。
1389年土岐康行の乱有力守護の弱体化を図る将軍足利義満が、土岐氏の後継争いにつけこんで当主の土岐康行を討伐した。康行はのちに許されて伊勢守護となった。
1392年明徳の乱一族で十一カ国の守護となり権勢を誇った山名氏が、将軍足利義満挑発に乗って反乱を起こしたが敗れた。山名氏の所領は三カ国まで減らされた。
1395年田村庄司の乱白河結城氏と対立していた田村庄司氏が反乱を起こし、そこに小山若犬丸が逃げ込んだことで、鎌倉公方・足利氏満が出陣して田村庄司氏を滅ぼした。
1399年応永の乱六カ国の守護である大内義弘が将軍足利義満対立鎌倉公方と手を結び、土岐氏山名氏の残党と手を結んで挙兵したが敗れた。義弘は戦死した。
1411年飛騨の乱飛騨国司姉小路氏は三家に分裂しており、その内紛から姉小路尹綱が挙兵幕府の追討軍によって鎮圧された。尹綱は戦死した。
1413年伊集院頼久の乱島津家後継者争いをきっかけに、当主島津久豊対立した重臣伊集院頼久が反乱を起こした。一進一退の末に両者は和睦した。
1416年上杉禅秀の乱関東管領を更迭された上杉氏憲が、諸将を味方につけて鎌倉公方・足利持氏に反乱を起こした。幕府が持氏を救援し、氏憲は敗れて自害した。
1422年小栗満重の乱室町幕府鎌倉公方が対立するなかで、幕府と結びついた小栗満重などの北関東武将が、鎌倉公方・足利持氏に対して挙兵したが鎮圧された。
1423年越後応永の乱室町幕府鎌倉公方が対立するなかで、幕府側の越後守護上杉頼方が、鎌倉公方側の守護代・長尾邦景を討伐しようとしたが、邦景が勝利した。
1429年大和永享の乱幕府との結びつきが強い筒井氏と元・南朝越智氏の長年の争いが激化し、最終的に室町幕府の追討軍に越智氏は敗れた。
1438年永享の乱鎌倉公方・足利持氏関東管領・上杉憲実の対立から室町幕府が持氏討伐を決めた。派遣された追討軍に敗れた持氏は自害した。
1441年嘉吉の乱三カ国守護である赤松満祐が、酒宴に招いた将軍足利義教暗殺した。幕府軍の追討により赤松氏は滅亡した。
1443年禁闕の変南朝復興を唱える勢力御所を襲撃し、三種の神器のうち剣と勾玉を奪った。すぐに幕府軍鎮圧されたが、勾玉は奪われたままとなった。
1455年享徳の乱足利持氏の息子・成氏により鎌倉公方が復活したが、関東管領との争いも復活してしまい、二十八年にわたって両者が争った。最終的には和睦した。
1457年蠣崎蔵人の乱陸奥国田名部の領主・蠣崎信純が反乱を起こし、南部氏がそれを鎮圧した。蠣崎信純は北海道に逃れて、のちに勢力を築いた。
1457年長禄の変赤松再興を目指す赤松氏の遺臣が、禁闕の変で奪われた勾玉を奪還した。その功績により赤松氏は再興を許された。
1467年応仁の乱畠山氏の跡目争い、斯波氏の家督交代、赤松氏再興、将軍の後継問題などから東軍細川勝元西軍山名宗全が戦った。東軍有利で和睦に終わった。
1476年長尾景春の乱関東管領・山内上杉氏の家臣・長尾景春が待遇への不満から挙兵したが、太田道灌によって鎮圧された。これをきっかけに享徳の乱も和睦に向かった。
1479年毛利次郎の乱赤松氏らの支援を得た因幡国人毛利貞元などが、山名氏に対して反乱を起こした。鎮圧されたが、国人たちの勢力は保たれた。
1486年江戸城の乱谷上杉氏の当主上杉定正が、麾下の名将・太田道灌を誅殺、その居城である江戸城占拠し、道灌の息子の太田資康を追放した。
1487年長享の乱享徳の乱を経て、関東管領の山内上杉氏とその分家の扇谷上杉氏が対立し、太田道灌誅殺をきっかけに戦乱となった。最終的に扇谷上杉氏が降伏した。
1487年長享・延徳の乱将軍足利義尚が自ら軍を率いて近江守護六角氏の討伐に向かったが陣中で病死した。後を継いだ足利義材が再び六角討伐を行った。
1489年山名新九郎・小太郎の乱伯耆守護山名元之の息子である山名新九郎らが、赤松氏の支援を得て伯耆守護山名尚之に反乱を起こしたが、鎮圧された。
1490年佐竹の乱佐竹宗家と以前から断続的に争っていた佐竹庶流・山入氏らが、佐竹義治の死去を機に佐竹氏の本拠攻撃したが、最終的に山入氏は滅ぼされた。
1502年伊庭氏の乱長享・延徳の乱の後、近江守護に復帰した六角高頼に対し、近江守護代・伊庭貞隆が二度に渡って出奔挙兵するが、最終的に鎮圧された。
1507年永正の乱越後守護代・長尾為景が謀反、越後守護上杉房能とその兄である関東管領・上杉顕定を敗死させた。関東管領の後継争いか関東を二分する戦いに発展した。

「〜の変」「〜の乱」のまとめ(後編)

2023-05-24

六尺卑弥呼様【ろくしゃくひみこさま】

六尺卑弥呼様【ろくしゃくひみこさま】

古代九州勢力を誇った邪馬台という豪族の長で、六尺褌をしめたシャーマン女性

アニミズムとは名ばかりの剛腕で敵対部族を征伐した。鍛え上げた手首が醜男の腹より太く、片手で熊の首を引き抜いてみせたという。

さだまさし楽曲松本零士漫画作品など、伝説的な肉体をもつ彼女を題材にした創作は多い。

2023-05-20

渡来人ニギハヤヒは早くに日向から淡路島に移動し、弥生人を動員して五斗長垣内要塞水田を作っていた

卑弥呼渡来人であとから神武系を東進させてニギハヤヒ駆逐理由は知らない)

それで天軍ができたので、弥生人豪族武力放棄して公家になる

スサノオ出雲国は謎が多いが、第三勢力だったかなあ

2023-03-18

マイアミ住民漁師たちが豊漁祈願で舞ったことが由来「舞網」

アラバマ→手が付けられないほど荒ぶる馬を収容していた小屋があったことが由来「荒馬間」

テキサス→有能な宰相が軍に紛れた間者を指さして言い当てた地であることが由来「敵指」

カリフォルニア→現地の豪族が溺愛していたガチョウと寝食を共にしていたことが由来「雁放閨」

フロリダ→現地住民土着信仰旅人風呂で持て成すことが美徳とされていたことが由来「風呂利他

バンクーバー遭難した猟師避難した小屋住民の婆と伴って食事したことが由来「伴食婆」

2023-02-14

anond:20230214122609

大化の改新で滅ぼされたのは本家だけど他の蘇我氏はまだ生き残ってた(というか本家勢力争いして中大兄側についた蘇我氏もいたし、本家が滅びることで氏トップになって美味しい思いもしてる)し奈良時代序盤はギリ高級貴族だった

奈良平安を経て貴族ほとんど全部藤原に塗りつぶされてく過程で徐々に階級が落ちてって最後の方は地方豪族あいつどうやら蘇我氏らしいがよくわからん、ぐらいにおちぶれて消えた

外戚権力をふるうのにしても当初は蘇我氏がやってたのを、藤原氏が蘇我氏の姻戚という形で入り込んでうまいこと蘇我氏から藤原氏に外戚ルールを入れ替えてった

 

足利家や、織田家、豊臣家など武士名家()が同じことをやって、自分血縁藤原氏に嫁入りさせて生まれた娘を天皇家に嫁入りさせ、藤原の名を借りて外戚の仲間入り、を繰り返してけば藤原上流層を乗っ取って足利外戚家、豊臣外戚家になるチャンスもあったんじゃないか

そういう発想に至らなかったのか、やるメリットなかったのか、藤原氏が巧妙でそのへんのガードが固かったのか

2022-12-25

anond:20221225211629

研究者界隈、「うちは全然普通の家で文化資本とかないです」というようなことを言ってる奴も結構確率でこんな感じの地方豪族ボンボンなんだよなあ。

2022-09-10

歴史上の偉人は皆テロリスト

きみはおおきみが美しくおおきみになられたと思うかね。おおきみがおおきみたる理由豪族どもで争いテロを繰り返したことによってのし上がった最強のテロリストであるからであるよ。おおきみはそのあと天皇になる。

織田信長は完全なるテロリストだったね。テロしまくり天下を手中に収めようとした矢先また別のテロリストに殺されてしまったね。その後テロリスト信長意志を汲む猿が頑張ったが鯛ジジイテロられちゃったね。鯛ジジイは頑張ったけど15代でオワコンななった。テロリストに幕府が負けた。

アメリカテロリスト国家フランステロリスト国家。全部テロリスト。

2022-09-09

anond:20220909121750

千本氏(せんぼんし)は、那須七騎に列せられる日本氏族ひとつ

千本北(せんぼんきた)は、大阪府大阪市西成区にある町名

千本中(せんぼんなか)は、大阪府大阪市西成区にある町名

千本南(せんぼんみなみ)は、大阪府大阪市西成区にある町名

千本松原(せんぼんまつばら)は、松が植樹された水辺に付けられた名称で、静岡県岐阜県などにある。

千本引き - 紐の先に色々な景品が結び付けられており全ての紐を一ヶ所に束ねている為、何が当たるか判らないという工夫をした、紐を使ったくじ引き。

千本浜(せんぼんはま)は、静岡県沼津市海岸

千本山(せんぼんやま)は、高知県安芸郡馬路村にあり、海部山地西部にある標高1,084.5mの山である

加蘇山の千本かつら(かそさんのせんぼんかつら)は、栃木県鹿沼市にある加蘇山神社の奥の宮への参道に並んでいる、樹高約30メートル推定樹齢1000年と700年の2本からなる県内最大の桂の古木である

千本イチョウ(せんぼんイチョウ)は、千葉県市川市八幡葛飾八幡宮境内にある国の天然記念物指定されたイチョウの巨樹である

最上川千本だんご(もがみがわせんぼんだんご)は、山形県北村山郡大石田町にある和菓子店舗

菊池千本槍(きくちせんぼんやり)は、太刀洗と共に、九州豪族菊池氏の勇猛さ、及び武士精神を表す言葉である

千本城 (せんぼんじょう)

2022-07-20

anond:20220720184052

新潟市政令指定都市としての格を上げるために、周辺地域統一に向けて領地を広めたものの、山間部や県境豪族統治を許し、睨み合いを続けているフロンティアからな。

2022-05-25

「何世代も遊んで暮らせるくらいの遺産」ってどのくらい??

条件

・子は1人

運用利回りは3%(税金除いて1.5%)とする

人生20億円使うとする

人生80年、年間2500万円使う

1世代30年

相続税は50%

  

例:スタート10億円

1世代だけ80年、毎年2500万円使って、年1.5%増えるとしたら、使い切るのに約60年なので

これは1世代遊んで暮らせるほどではない

 

例:スタート100億円

1世代だけ80年、毎年2500万円使って、年1.5%増えるとしたら、80年後には280億円に増えている

これは運用があるから運用で年間1.5億円生まれしまうからそうなる

ただ、2世代目が30年後に現れる、60年後には3世代目も現れて、逆に80年後には1世代目が死ぬ

しか世代が生まれるたびに相続税が50%取られると考えてみると

なんと130年で尽きてしま

  

50億円 → 90年

100億円 → 130年

200億円 → 187年

300億円 → 226

 

「何世代も」をどこまで指すかわからないが、200億円以上あれば何世代も遊んで暮らせるくらいかもしれない

遺産スタートだとすると400億か

 

ただこれが兄弟が増えたりするとまた変わってくる

条件を変えてみよう

 

・子は2人

運用利回りは税金除いて3%とする

人生20億円使うとする

人生80年、年間2500万円使う

1世代30年

相続税は50%

 

50億 → 95年 一族の数14人

100億 → 128年 一族の数28

200億 → 167年 一族の数56人

300億 → 190年 一族の数112人

500億 → 224年 一族の数224人

1000億 → 267年 一族の数896人

 

一族レベル豪族になるためには300億円くらいあったら足りそうだ

2022-05-13

anond:20220513175254

ミサイル荒地になったら逆にみんなますます東京に集うことになるけどね。

田舎ヤンキーでも実力があればガラガラポン後の東京で台頭できる。

世襲議員世襲地主がはけた後の東京はむしろフロンティア

豪族になれる。

2022-05-12

anond:20220512112358

それは正当な王朝でなければ各地の豪族が従わず戦乱の世になる事がわかっていたからでしょう

ここで一気に根拠薄弱な推測になっちゃってるのでやりなおし。

2022-04-26

anond:20220426123533

それが答えやね

古今東西どんだけ力を持った豪族でも天皇威信無視できなかったと

それを外人説明するのは困難

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