はてなキーワード: 町興しとは
たびたびホットエントリ入りして気になっていたけど忙しくて追ってなかった一般社団法人の件、休みに入ったのでまとめて読んでみたら……発端が団体代表が町興し萌えキャラのような物を批判して起きたネット炎上らしくて驚いた。
自分の感覚では、その萌えキャラの性的ニュアンスのあるキャラ設定は、まぁ掘り起こされたら炎上するかな、とは思うのだが、それにしても本業の若年女性支援と関係無い萌えキャラ叩きでわざわざネットのオタクと戦争始めなくてもいいのにと、タイトルに書いたような感想を持った。
もしロボットアニメに全く興味が無くて戦災孤児の保護や元少年兵の社会復帰を支援している団体の人にガンダムシリーズを見せたら、「戦争を娯楽として描いている。主人公のような少年兵を格好良く活躍させて美化している。我々が知っている戦争の悲惨な現実、被害者を蔑ろにされているようで不愉快だ」ぐらいのことは言いいそうではある。
「いやいやいやガンダムシリーズは基本的に反戦色が強くてですね、商業作品の枠組みの中で戦争の悲惨さを描こうと努力してきたし、そもそも生みの親の富野とその父の戦争体験がですね……」などとガノタが早口で弁明しても耳を貸してもらえなかもしれない。
幸いにも日本のロボットアニメを燃やそうとする戦争被害者支援団体など聞いたことが無いけど。もしいたら「戦争・紛争は今も世界のあちこちで起きてて実在の被害者がたくさん出てるのに、支援団体を名乗りながらフィクションを燃やして遊んでるなんて暇な連中だなあ、本当に真面目に被害者支援に取り組んでいるのか?」という疑問を持ちそうだ。
フェミニズムを修めた人にとっては、エロかったりステロタイプだったりする女性を表現したキャラが温泉街に展示されることと、新宿の路上で10代家出少女が『買われた』されることとの因果関係は自明の物だったりするのかな? それなら被害者少女増やしてる萌えキャラ許せんってなるのは分かるけど……普通の人がその理路を受け入れるのはかなり難しいよ。
萌えキャラとか好きなオタクでも、無駄に喧嘩売ってくる相手じゃなければ、困ってる女の子を助ける事業ですと聞けば募金の一つぐらいしてくれるんじゃないの?
「温泉むすこ」のように無様なミラーリング失敗を繰り返すフェミさんが可哀想になってきたのでキモオタの立場からアドバイスしたい。
タイトルの通り「町興しゲイキャラ」を描いてみせればキモオタ(というか多くの男)は本気で嫌がるのでオススメ。
ヒゲ面で全身の体毛が濃く縦にも横にも大きいクマみたいな「温泉ホモおっさん」を描いて、
「女も男も経験少なそうなオタクくんをこのにごり湯みたいに俺の色に染め上げたいねぇ……」
僕が連休の度に通って癒やされてる温泉がこういう「ゲイ向け宣伝」を始めたら行かなくなるな。
いや、こんな露骨に性的なキャラじゃなくても、実写で浴衣のオッサン二人が手を繋いでるだけとか、肩まで湯に浸かったオッサン二人が幸せそうに見つめ合ってるとか、
そういうマイルドなLGBT歓迎・ゲイフレンドリーアピールなポスターが温泉に貼られてるだけでも行かなくなるかもしれない。
ハッテン場になったら怖いもん。
逆に下の「温泉むすこ」みたいなのはキモオタは余裕でオカズにするから効果無いですよ。現実に行きつけの温泉がこの男の娘のポップ立てたとしても「クレイジーだな」と笑うだけで文句言わずに通い続けるな。
フェミさんまるで分かっちゃいないとバカにするような書き方してきたけど、実際はこういうの分かってるフェミさんは多いと思う。
キモオタ男は美少年や男の娘キャラを目にしても「俺がこの子を犯す」という想像しかしないから別に恐怖や嫌悪感を抱かない。
これがノンケ食いするゲイキャラだと「俺がこのオッサンに犯される」という想像をして本気で嫌がる。
ただ、この違いが分かっててもフェミさんは「温泉むすめ」のミラーリングで「温泉ホモおっさん」は描けないんだろうね。
ツイッターに描いたら「フェミが『男はこういうホモが怖いだろ』とゲイ差別表現をしたぞ! 女性差別には反対するのに、同性愛者差別はやるのか!」
って叩かれるから。
そもそも夏場はいないのです。あと、鶴でイメージされるタンチョウヅルは出水平野には来ません。マナヅルとナベヅルがメインです。年に一匹ほどオノボリさんがいるけど、それを見るのが楽しみという人はウエルカム。そして、鶴に間違っても触れちゃいけない。法律と病原性インフルエンザという理由で。
宿泊されるなら、隣の水俣か阿久根をお勧めいたします。ビジネスホテルなら、差はないでしょうが。バスと鉄道は壊滅状態なので、レンタカーをご利用ください。
青魚が好きならどうぞ。オレは好きだが、人は選ぶと思う。
昔は良かった。思い出補正で「美味い」と思うことにしている。
そりゃ、東京とかには負けるだろうけど、出水では別格の総合スイーツ店。夕方になると、焼き菓子を除いて売れきれているので注意。
20年以上前に行ったが、当時は「山を開墾して紫陽花を植えるおっちゃん」のスケールのデカさにビビってた。レストランもあって、当時は蕎麦でなくて、高菜チャーハンの店だったような気もするが...。紫陽花が咲く頃にどうぞ。
https://www.hotpepper.jp/mesitsu/entry/chie-yokota/2019-00065
ぼちぼち追記する。
世の中に氾濫するゆるキャラのほとんどが地元民以外は認知していないのと同じで、それを美少女キャラに変えただけで認知が進むなんてことは一切ない。
よっぽど有名な漫画家とかイラストレーターに描いてもらってグッズが単体としての価値を持てば少しは変わる。
これはゆるキャラも同じ。
これが美少女作品(Web漫画で連載とか)で町興しになると少しは認知が上がる。
これが美少女アニメや漫画で町興し、となるとさらに認知は上がる。
地元を前面に押し出した映画やドラマを放送、放映すれば少なからず観光客が来るのと同じくらいの効果がある。
大ヒットすればいっぱい来て、小ヒットだとあんまり来ないのも同じ。
そういえば「萌えキャラで町興し」とかいう話題もとんと聞かなくなった。
世間の人々は金の匂いには異様に目ざとく、そのところの判断は信頼に値するものだ。
今や萌えキャラで町興しに関してはオワコン認定に反対するものはいまい。
君らはなぜだか分かるか?
それが致命傷となったんだ。
ガンダムとか鉄人28号とかは戦うために作られた兵器だから風化したところで、なぁにかえって箔が付くってもんだ。
ウェザリングってやつだ。
仏像とかも箔が付くという点では同様だ。
でも萌えキャラは色鮮やかなカラーリングや清潔感を売りするから、野ざらしで放置した結果くすんだりすると著しく見栄えが悪くなってしまうんだ。
でも銅像には「The権威」のようなイメージがあるから、萌えキャラとは組み合わせがよくない。
ヒラヒラした衣装は銅像にしづらいという事情もあるのかもしれない。
そして萌えキャラ愛好家には長期間の経年変化を楽しむだけの器量などない。
だから永遠に年を取らない、永遠に姿の変わらない萌えキャラになど惹かれるんだ。
※夢の中身を箇条書きにしただけなので面白くありませんよ
その路線は実在する路線でもない、実在する駅名でもない、夢の路線。(駅名は名詞ではなく砕けた口語調のようなもの)
最初に降りた駅は海のそばで海産物が豊富な町。人の往来も多い。
瀬戸内海のとれたての美味しそうな魚がたくさん売られていた。(けど、実在する魚ではなかったような気がする。皮が赤いのは覚えている)
その町は町興しの一環として今から60年前の風景を再現する、ようなこともしていて、どことなく懐かしさを感じる黒電話やレトロな家並みだった。
私は何を思ったのか、「これを掛けるとレトロな色に見えますよ」という売りのサングラスを買って、それを掛けた。町並みがレトロな色調に見えた。(つまりはセピア調)
そして公園にたどり着いた。公園に座る半袖半ズボンの若い青年に声をかけた。
「意味?…ありませんよ?」
と歯を見せて笑顔を作った。私と青年は軽く声を出して笑った。私は青年にありがとうと会釈をし、公園をあとにした。(サングラスを外した時点でセピア調の色彩からもとの色彩に戻ったことを夢の中で知覚しているので、意味はあったんだと思う)
人の往来の多い道を進むと大きな川を跨ぐ橋に付いた。下流によくある緩やかで大きな川。川の流れに沿うように、上には高速道路と思われる大きな高架も架かっていた。どれくらいの車線があったかも分からないが、川の幅よりも広い印象だ。空は殆ど見えない。
橋は車も通れるつくりであり、人と車でごった返していた。私は橋を渡らなかった。行ったら最後、戻ってこれない予感がしたから。
そのまま駅まで戻り、電車に乗り隣駅へ向かう。
(電車内の様子は夢から醒めたときからまるで覚えていない。乗ったことは覚えている。しかし電車のカラーや駅ホームの構造などまでは把握できていない)
隣駅に着いた頃には日も傾き、赤の夕焼けと青の夜の入り交じる時間帯だった。人の往来は昼ほど多くないが、疎らというほどでもない。
駅に降りた私は、急かされるように駅の外へ出る(改札はなかったように思う)
すぐに、100段ほどの階段。横幅10メートルはあるだろうか。駆け下りる。足元の灯りは乏しい。蛍光灯でうっすらと照らされているのみだ。
降りた先に、さらに下へ降りるためのトンネル付きの階段がある。階段は蛍光灯で赤く照らされている(演色性が低い)
階段の中央には手すりはない。代わりに、手すりほどの高さの位置にひとつの凹みがあり、それが先の見えない下の下まで続いている。(うまく言葉に出来ないのだが、チューブスライダーや流しそうめんのようなものと考えていい)
私はこの設備の意味を考え、スロープのないトンネルなのでおそらく自転車を使う人のために用意したのだろうと考えた。
振り返ると仕事帰りと思われる人が階段を降りてくる。あるものはそのままトンネルに入りさらに下へ、あるものは左折して見えなくなる。私は下に降りずに、トンネルに向かって右に曲がった。
そこには水族館があった。今のオシャレな水族館ではない、古めの水族館だ。しかし駅直結ということもあってか、夕暮れのこの時間帯でも入館者は多い。
右手には、イルカショーが見える。水族館の外であるにも関わらずだ。イルカにスポットが当たり、芸をする。飼育員の顔は帽子の陰で見えない。
客席に明かりは当たっておらず、誰がいるのかはもちろん、表情の判別は難しい。日の沈む薄暗い中、イルカだけが光をほしいままにしていた。
そのすぐ左、私から見て正面の階段を登ると水族館の入口だが、私は急いでいるので階段を登り隣駅へ向かった。
日はすっかり沈んだ夜。そこの駅から降りてすぐの大学では入学式?が執り行われていた。至るところに輝度の強い白色光が照らされ、そのコンクリートの外壁に美しさを、白と赤の花紙で作られた花に鮮やかさを与えていた。(外壁は打ちっぱなしコンクリートによくある規則的に丸いくぼみのある感じ)
電球色の暖かい色が、ガラス越しに漏れていた。私は学生の列に混じって大学に入る。
エントランスホールでは多くの学生でごった返しており、私はそれを掻き分けて、勝手知ったる足取りで歩を進める。階段を登り、図書室に入る。図書室も多くの学生が本を探しており、私も本を立ち読みするなどした。
どういうわけか分からないが、その図書室には私の上司がいた。(夢の中で出てくる私と関係する実在上の人物はこの上司のみだ)
その上司は誰かと電話をしている。書棚の本の背を指でなぞり、指で引っ掛けて本の顔を確認しては「これじゃない?違うー?そっかー。私もよくわかんないんだよねー」とか図書室にしてはうるさい声量で話す。それを見た私はそっとそこを離れて図書室を出る。
(図書室の構造は円筒形。円の内側がガラス張りで室外が見える。円の外側は壁。図書の保存にはあまり良くないと思われる。私の小学校も改装したときは図書室が両面ガラス張りだったのでその影響もあるかも知れない。確か当時有名だった建築家に設計を依頼したとかなんとか)
その後のことはよく覚えていないがそう長い夢を見ることなく目を醒ました。
(長くなりましたがこれは旅行をした夢です)
この夢を見る前はかなりストレスが溜まっており、イライラしていました。つまらないことで血圧が上がり、そんな自分が嫌でさらに心拍数が上がり、そんな状況でした。
この夢を見ているときから幸福感に包まれていたような気がします。起きてからもです。もちろん目が覚めてから夢だったと納得するわけですから、順序としては
となるわけですね。
私はかなり根に持つ方で、いつまでもいつまでもあの失敗あいつの仕打ちをどこまでもどこまでも引きずっていく人間なのですが、この夢を見てもう全部水に流しました。理屈はわかりません。それぐらい開放的で、穏やかな気分です。心が洗われたとはまさにこのことなのだなと納得している次第です。
こんな夢、あと何回見れるんだろう。今日も枕を高くして寝よう。
※夢の中身を箇条書きにしただけなので面白くありませんよ
その路線は実在する路線でもない、実在する駅名でもない、夢の路線。(駅名は名詞ではなく砕けた口語調のようなもの)
最初に降りた駅は海のそばで海産物が豊富な町。人の往来も多い。
瀬戸内海のとれたての美味しそうな魚がたくさん売られていた。(けど、実在する魚ではなかったような気がする。皮が赤いのは覚えている)
その町は町興しの一環として今から60年前の風景を再現する、ようなこともしていて、どことなく懐かしさを感じる黒電話やレトロな家並みだった。
私は何を思ったのか、「これを掛けるとレトロな色に見えますよ」という売りのサングラスを買って、それを掛けた。町並みがレトロな色調に見えた。(つまりはセピア調)
そして公園にたどり着いた。公園に座る半袖半ズボンの若い青年に声をかけた。
「意味?…ありませんよ?」
と歯を見せて笑顔を作った。私と青年は軽く声を出して笑った。私は青年にありがとうと会釈をし、公園をあとにした。(サングラスを外した時点でセピア調の色彩からもとの色彩に戻ったことを夢の中で知覚しているので、意味はあったんだと思う)
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あとでまとめて感想書こうと思っていたら忘れていた奴があるので一覧だけメモ
過去に戻ってあの娘を救うはなし
小学生のときの初恋を思い出したり、僕も過去に戻って変えたいという強い衝動に襲われた
淫獣ネコミミアンドロイドに手マンして変身する、科学で武装した魔法少女のアドベンチャーのはなし
意外と設定が練られていて面白かったけど、これ好きなんだよねとはリアルでは言いづらいタイプのアニメ
オッサンが入った毒親熊と田舎少女が限界集落で煮詰まっていくはなし
基本ほのぼのする感じと少女の肉体に対するフェティシズム的執着が感じられて毎週楽しみにみていた
東山奈央の声目当てで見ていたけれど、東山奈央の声の聞こえないシーンが多くて辛くなって視聴をやめた
なんか痛い感じがして、飛び飛びの話数しか見られなかったが、比較的優しい世界がよい
この頃仕事が凄く辛かったので、アニメでオフィスを見るのも嫌だったので途中リタイアした
猫の飼い主家族が温かい家庭すぎて、これもいつの間にか見なくなっていた
幼少期に姫様によって命を救われた魔女は、成長して姫と国を護るはなし
金髪姫様百合キャラが大大大好きなので、終盤のアンチ・魔女・魔女登場までは最高に楽しみました
巨乳貧乳よりどりみどりの少女の筋トレを主観目線で視姦するはなし
ただ可愛ければ良い、身体を動かして仄かなエロスを感じるのです
何話みても話が進んでいる気がしない割には、癒やし効果が感じられなかったのではじめと最後のほうだけ見ていた
これも特にストーリーがなさそうだったので気が向いたときに歯抜けでトビトビの話数をみた
猫が少女に見える病を患った少女が猫をダシにして友人をつくるはなし
全く期待なく見ていたら、知性とかわいさがココロの中心にクリーンヒットして最終回視聴後は興奮して朝日が登るまで寝れないほどだった
異世界からやってきたドラゴンが巨乳メイド姿で社畜にご奉仕したり仲間を呼び寄せてハーレムをつくるはなし
ストレスなく苦なく楽しんで、毎週どんなドタバタがみられるのか楽しみにしていた
狭い部屋に少女と二人っきりというシチュエーションで主観的に視姦するはなし
スンドメ感が(以下略)
はじめの方は田舎に左遷された自分に重ねあわせて見ていたんだけれども、途中で話が進んでいないような気がして見るのをやめた
官僚たちが異世界からやって来た来訪者と頭脳で交渉すると見せかけて、魔法少女が暴力ですべてを解決するはなし
異方少女サラカちゃんが登場するところまでは釘宮理恵の科学者がかわいくて最高にワクワクしながら見てたし、頭脳で交渉し叡智で解決するストーリーを期待しながらみてました
アイドルがふざけて笑かせにくるはなし
本編でなくニコ動のsyamuデレラガールズのほうで全話追って見て、終止腹を抱えて笑ってた
原作から好きだったので、楽しみにしてたから毎週アホ加減を動画でみれて嬉しい
何話かみたけど、登場キャラの男女比が1:1くらいに近い感じがして視聴を続ける気にならなかった
ストーリーなんぞない
一時的なイベントやブームで認知度を上げてもリピーターは増えず、結局以前の状態に戻るというお話。
これは安易なアニメで町興しへの批判だ。成功例だけを取り上げ夢見たが散っていった作品と地方の真実を伝えようとしている。
そもそもアニメで成功する事自体が難しい。よく言われるが10本作りその内1本の成功で他の赤字をカバーするとまで言われるほど成功率が低い。2015年のアニメ新規作品数は233タイトル。単純にクールごとに分けても1クール58タイトルの新作。その全てを見ることの出来る人間なんて果たしてどれだけいるか。
そして50本近くある新作の中で成功し、さらに舞台となった土地まで行ってみようと思わせるほどパワーのあるアニメ。一体どれだけあるか?しかも「一時的なブーム」ではなく長い期間リピーターを呼べるほどのアニメなんて片手で数えられるくらいだろう。
こういう批判は2012年頃からあり別に珍しくもないんだが、地域に根ざしたアニメを作るP.A.WORKSがやるから説得力も生まれる。
ちなみに今年もぼんぼり祭りが開催されるが、今年は「花咲くいろは」の名前もキャラクターも使われていない。最初こそアニメとのタイアップだったがその必要も無くなるほど地域に根付いたということだろう。凄い。
前回の知恵袋も含めて騒ぎになる前の関心のある人達の意見です。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13169087098
2017/1/1119:04:04
1.名乗りをあげている大学は岡山理科大(非常に偏差値の低い大学)、広島大学に設置ならまだ理解が出来ます。
3.四国に獣医学部がなくても鳥取・山口・大阪には獣医学部がある。
もし、感染病(BSEなど)が発生しても現在は瀬戸大橋・しまなみ大橋があり交通の問題はないので、何かあれば対応がとれるのでは?あと畜産業はどう考えても衰退していくのが目に見えているのに。
4.四国の学生にチャンスをって、どう考えても関東圏の優秀な学生が合格しそうだし、四国と都会の学力レベルの差って残念ながら大きいでしょう。
2017/1/1605:54:23
京都案も私学前提ですが、確か京大出身者が創立した、京大とパイプのある生命科学に重点投資している私大でしたしね。かなりのハイレベルな研究者を集めていましたし、京都案の方が説得力があるような意見も専門家の間には無かった訳ではないようですが、特区の今治を含めた四国の町興しが優先されたのかな。それは、それで国土の均衡ある発展と言う総合判断なのでしょう。京都は隣県で同じ特区の大阪府の府大に獣医学類が、あるのもあったのでしょう。しかも、府大と市大の統合も議論される微妙な時期。本当に必要なら、国公立で作れば良いとは思いますが、京都案も私学でしたから、民間活力と言う視点があったのかもしれません。まあ、いろんな事情があるのでしょう。基本的に新設が認められない獣医学部ですから、特区今治市さんは、よく頑張られたと思います。
2017/1/1501:43:15
設置は加○学園とA首相の太いパイプによってA首相の独断で決まりました。
加○学園が得をする利権だけの理由なので獣医学部が必要だとかそんな社会事情は関係ないです。
2017/1/1311:59:19
学校法人K学園はどうしても獣医学部が欲しい。ずーっと欲しかった。獣医学部に近い学部は既に持ってますし、倉敷芸術大学には付属動物病院まで設けている。 今治市は経済効果を期待。笑える話、今治市議が日本獣医師会にて懇談を行った際(4月13日)、今治市には獣医師の雇用は無く、将来的にも雇用の予定は無いと返答。両者の思惑が合致した。K学園とソーリは大変仲がよろしい様でパブリックコメントを募集していたものの形だけで決まった様なものらしい。K学園の経営する学校、大学はどれも偏差値が低く、設立されても悲しい結果になりそう。
2017/1/1311:42:47
政府と広島県、今治市は1月12日、国家戦略特区の区域会議分科会を開き、今治市に新設予定の獣医学部を運営する事業者として岡山市の学校法人可計学園を選んだ。
近く開かれる国家戦略特区会議での事業計画認定を経て、獣医学部が新設されれば50年ぶりで、四国で初めてとなる。
省略
応募するだろうとの見込みは立ちます。
どう考えても無理だと思います。
興行収入は遂に風立ちぬを越え、もう上にはジブリ映画しかいないという状況だそうだ。
それ故に、作品の情報はネットをやっていると否応なしに目につく。
ツイッターでは「もしかして」「入れ替わってる!?」のコピペが大量に作られ、
pixivやニコニコ静画など画像投稿サービスではイラストがひっきりなしに投稿されている。
演出に注目したものから制作体制、スタッフ登用など組織論なような話まで、数数多の記事が出ている。
事前に情報を触れてしまうことに抵抗がある人はなかなか大変だろうなぁ、と思う。
記事の名は、こちら
無邪気にこの作品を楽しむことへの疑問
「興味深い見方だった」という肯定的なコメントがつけられていたことと、
サイト内ランキング1位(10月1日当時)に釣られて読んでみたものの、
いざ読んでみると、
「ふむふむ。」
「……ん?」
「はぁ!?何言ってるの?」
となってしまう、久々に猛烈に反論したい記事内容だった。自分「君の名は。」未視聴なのに!
そして、この気持ちをぶつけるところがなかなか見つからないため、
ここでひっそりと所感を書き連ねることにする。
この記事の主点はあくまで地方論であり、作者の主張はこうである。
特に後半。地方を暗く扱った作品は確かに探せば存在するだろうが、
戦後サブ・カルチャーの潮流として、地方への鬱屈や屈折の描写が常に存在していたかというと、そうは思えない。
片方で「地方賛美系のご当地アニメ」を取り上げ、批判しておきながら、
というか、自らが「地方の賛美・消費と並行して」と言っているのに、
戦後のアニメ・マンガの主流であるかのように扱うのかいかがなものだろうか。
アニメと地方を考えた論評は、この記事に限らず最近は非常に多い。
それに伴い、聖地巡礼やアニメによる町興しが注目されていること、
経済停滞や少子高齢化により地方のあり方の議論が盛んであること、
などが理由として考えられるだろう。
しかし、それらの論評で見過ごされていると見過ごされていることがある、と私は思っている。
それは「地方であれ、都会であれ、あくまで舞台は舞台」ということである。
細やかな小道具があり、大きな絡繰りがあり、巧みな照明効果や音響がある、
それらが充実しているか、特色だっているかは、作品の評価を左右する一要素かもしれない。
しかし、それはあくまで一要素であり、舞台の上で演者が動かない限り作品とはならないのが通常である。
地方である、都会である、ということは物語の展開に大きく絡む。
しかし、作品のメインテーマになるまで比重が高くなることはそこまで多くない。
ペルソナ4という作品を例に挙げよう。原作はゲームで、アニメ化されている作品である。
そこは大型総合スーパーが進出し、地元の商店街がその影響で衰退している。
主要人物の中には、周囲との軋轢が生じている総合スーパー店長の息子や
こう見ると、まさにこの作品は地方の屈折した部分を描いた作品である。
では、これは記事作者が主張する「地方の軽薄な理想化に一定の留保を付け加える」作品だろうか。
自分はそうは思わない。
ゲームプレー済・アニメ視聴済を知ってる人なら分かると思うが、
この作品、リア充ゲームと揶揄されることがあるくらい、終盤になると仲間の結束が固くなる。
主人公が転校してきてから去るまでの1年間で、彼らは忘れられない思い出を作り、心を強くする。
ならば、この作品は「地方暮らしもすばらしい」的な地方賛美の作品だろうか。
それも違うだろう。
つまり、地方都市の性質・描写は極めて重要な位置にあるのは確かだが、
舞台の基本設定であるが故に、物語の主題にまではなかなか上り詰めないことが多い。
その舞台で登場人物がどう動くか、どんな出来事に遭遇し、乗り越えるか、
そのような舞台設定以外の重要事項が大抵の作品には存在しているのである
(もちろん、舞台設定全押しのご当地振興系作品もないわけではないけども)。
また、舞台装置であるが故に、物語の展開に応じて描かれ方が変わる、ということも起きる。
良い出来事が起きればその背を押すように明るく描かれ、
良くない出来事が起きればその気持ちを代弁するかのように暗さが出るが舞台装置である。
そのため、後味が良いラストとなる作品ならば、当然その舞台の地域は後味よく描かれることになる。
そして、娯楽作品である以上、漫画・アニメで後味が良いラストと後味が悪いラスト、
これに加え、
「人間、そう簡単に地元から移動しない。両親に頼るところが大きい高校生以下ならばなおさら」
ということも多くの場合、見過ごされていると感じる。
高校生以下の場合、特段な理由がなければ通学範囲+αが彼らの行動範囲となる。
背景が実在の場所に忠実で、聖地巡礼が盛んに行われる作品の中で、
一番舞台が全国に分散している作品として、私は咲が思いつくが、
それは、「全国大会に各地から集まってきた女子高生」を描いているからであり、
・身内の都合です(転校など)
・突然ワープしてました
これらのような特段の理由がなければ、登場人物はなかなか生活圏から離れて動かない。
だからそこ余計に、舞台の明るさ・暗さは展開の明るさ・暗さに密接にかかわる。
描かれる街が単一の都市圏に絞られるのだから、バッドエンドを目指してない限り、
舞台となる地方は物語の展開に連動して明るくに描かれるのである。
そこに舞台となる町が素晴らしい、というメッセージが入るかどうかは作品それぞれだが、
舞台である=描かれた地方は作品の重大なテーマである、という構図は
必ずしも成り立たないと思うのである。
この記事に対して気になるところがもう一つある。
というよりも、先述した結論としての主張や「君の名は。」の分析よりも
東京が揺らがなかったことへの不満、
そういう東京が良く描かれていることへの不満が文章の端々から漏れている。
「東京に隕石が落ちて壊滅することを期待してしまった」までくるともはや怨恨の類すら感じる。
この観点において、もっとも瑕疵があると思えるのは3ページ目のこの部分である。
物語をあくまで散文的に見直せば、『君の名は。』は、故郷のない男と、故郷を失った女が、東京で故郷の幻想と特別な異性を妄想する話といえるのかもしれない。
これはもう、誤読していると扱ってしまっていいのではないだろうか。
それに付随した人間関係や馴染みの店もある。
高度経済成長期に断絶しているという最も日の浅い解釈をしても40年の歴史がある。
当然、そこで生まれ、育ち、その場所に愛着を持っている人が存在する訳であり、
というよりも、この作品は地方と東京の対比が大きな要素でもあるのだから、
人間関係や行動範囲があるからこそ成立している作品だと思うのだけれども……。
もしテロや地震があり、瀧自身や近い関係の人物に危害があったら、
きっと、瀧も三葉もお互い逆の立場で必死に動くと思うのだが、いかがだろうか。
規模が小さい、独自性があるなどの性質から、創作の世界において、
物語を進めるための非現実的な設定を地方が押し付けられる傾向が強いということは事実である。
パロディに満ちた謎の施設や人物がやりたい放題するTRICKのような作品は極端だとしても、
地方賛美という面ではこれ以上に多くの意見が出たサマー・ウォーズなど、
悪い言い方をすると、ご都合的に地方が歪められて描かれることは多々ある。
地方を味方する立場で活動を行っている人からすれば、良い思いはしないだろうし、
作品に反映するかどうかは別にして、そのような不満があることは受け止めるべきである。
しかし、それを受け止めるのは制作サイドであり、東京ではない。
そのような設定を組んだのは新海氏、堤氏、細田氏であり、東京が作ったわけではない。
批判の向きは新海氏、堤氏、細田氏、もしくは各委員会、はたまたワーナー、テレビ朝日、東宝に対して
向かうべきであり、東京に矛先を向けるのは間違っているだろう。
地方を「消費」可能な商品に仕立てているのは、(所在は大都市かもしれないが)
作者および制作組織であり、大都市そのものでは決してないのである。
地方と大都市という二項対立は、研究においても創作においても非常に分かりやすいしよく使われる。
しかし、本記事のように地方の不満は全て大都市が起こしているものだ、
という構図にまで落としてしまうのは、単純化が過剰であるだろう。
不満の捌け口をほぼ全で大都市東京に向けている所が、非常に鼻につく記事であった。
指摘にあるように、大資本が企画したような町興しだとホントに一過性で終わるイメージする。
アップデートが尻すぼみになるんだよな。一発屋というか。経済的側面が強すぎるからかな?
ある程度資金回収できたらあとは知らんというか。まぁ当たり前っちゃ当たり前だけど。
自分が稀有な成功例だと思っている大洗の件では、大洗に行く人とその地元の人との間にお互いに尊敬し合うような意識、環境になっていると強度が高いガルパンおじさんに聞いたよ。
丁度福島で事故があって、そんな中足を運んでくれる観光客がちょっとでも喜んでもらえれば、っていう商工会議所の意識があったのと
アニメ趣味に理解者が少ないと感じてるような弱気おじさんが思わぬもてなしを受けて、気持よく滞在できる(お金を使える)っていう関係。
じゃあそれをモデルに他でもやろう、ってなるかと思うけど金で地元の人の頬を叩いて意識変えろって言われても、とうてい尊敬なんて感情は発生しないよな。そもそも予算もないし。
物語を作る人が必要、って指摘は恐らく俺もそう思う。絶望して衰退を待つ状況から、無からほんのちいさな小さな有を作り始める事が必要なんだろうな。
秋元さんの仕掛けじゃなく、地元の高校生のさんぽblog、居酒屋大将の今日のオススメtweet。竹田城跡スゲエぞみたいな書き込みのような(これは悪い例かもしれないけど)、そんなちっぽけな有が。
ただ、物語の作り手の影響力はホントに小さな種火程度の影響力しか無いので、ほっぽらかしてても直ぐ日常に消えるから、輝きだしそうな種火が消えないよう地域の人が絶望も否定もせず根気よく見守らないといけないと思う。
その種火を取り囲む地域の輪に段々と地元でない人も参加していく・・・っていうのがガルパンおじさんと話してて考えた地方へ人が来るようになるルートかなと。
まぁNHKとかはわりと地方を舞台にしたドラマを作るので、話題の期間だけ盛り上げればいいではなく、むしろそれを契機に地域の良さを知ってもらおうぐらいの絶望に負けない見守り感が必要ではないかと。
すげーありきたりなまとめで終わった。すまん。元増田が言いたかったのはNHKだけじゃなくもっと取り上げられるような物語ルートがあればいいなあって話だけど、個人発信の小さな物語ルートもあるぞと。
店の名前を出してもいいんだが、ステマと言われそうなので、敢えて伏せておく。
どのくらい高級品を売るかというと、高いものだと17万の靴とか、39万のジャケットだとか。
実際、成り立っているという。
ある一定以上の価格の嗜好品については、立地は関係ないという。
要約すると、
ただ高いというわけじゃない。
まったく取り合ってくれない高級ブランドの門を叩き、平行線のままビザが切れたら日本に帰ってすぐまた欧州に戻り交渉を再開し、熱意で勝ち取った商品だという。
本当にいいサービスを用意すれば、本当に良い物を売れば、立地は関係ない。
地方だろうが海外だろうが、名医の元にはどこからだって患者が集まるように。
一定数以上の売上がないとテナント代が稼げないから、とにかく売らないといけなくなる。
売りたいものを、求める人に売るのではなく、ただとにかく売上を追求しなければならない。
そもそも、なんとなくふらりと立ち寄って買うというたぐいのものじゃない。
とのこと。
うん、なるほどなと思った。
医療は命がかかってるからまあたしかにだが、一線を超えた人たちは、それこそ命を懸けてるわけだしな。
イチローが通ったジムは鳥取県だったし、すげー高くて有名な料亭は徳島だったな。
いろいろ考えるとね、いまの町興しって方向性を間違えてると思う。
歴史もなければ美味くもない中途半端な値段のBグルと、とりあえず作りました的なゆるキャラ。
中身が無いんだもん、うまくいくわけがないだろ。
いいモノを作れば売れる時代は終わったとかなんとかいうけど、マーケティングでクソみたいなものが売れるかっていったら、それもねぇよ。
リピートしねぇもん。
メーカーは徹底的にいいモノをつくれば、高級ブランドが買付けにくるし、小売は徹底的にいいモノを並べれば、世界中から客が来る。
そういうほうが、夢があるじゃん。