はてなキーワード: データ放送とは
録画したアニメを観てたのだが、間の悪いことに放送中に津波警報が出てしまい、津波情報の図表で画面が隠れて視聴の邪魔になった
せっかくデータ放送があるのだからそれを使えばいいじゃないかっていつも思う
まあデータ放送に対応してないテレビで視聴している人達にも発信するためにこうしているという話も聞いたことがあるのであまり強いことは言えない
しかし、そこまで強い使命感があるならCMに入った途端に緊急情報の表示を消すなよという気もしてくる
で、テレビでJアラートが発令されましたってテロップが出たのだが、なんとCM中もテロップが出たままだったのだ!
思い返してみりゃあの東日本大震災のときだって、関東のテレビ局は関東のテレビ局なのにCMに入るたびに震災情報を表示するL字画面をこまめに消してたんだよ
テレビを買い替えた。
21型のブラウン管テレビから55型の4Kテレビに買い替えた。
「いつの話してんだよ?」と思われるかもしれないが、ほんのつい最近、2021年5月頃の話。
15年以上前に買ったブラウン管テレビをずっと使い続けていて、地デジ移行後もデジアナ変換器かまして使っていたのだけど、ブラウン管テレビのほうはまだまだ元気だったのにデジアナ変換器のほうがぶっ壊れた。
別にどうでもよかったんだけど、ご多分に漏れず"おうち生活"中だったので、つい魔が差してちょっと良いものに買い替えようと欲が出た結果だった。
使い始めて数か月、思うことは「テレビは大きくなくていい」だった。
そもそも、テレビ見ない。クソ田舎に住んでいるから、映るチャンネル数もNHK除いたらわずかに3チャンネル。見ないというより、見たいものが放送されない。
上記①の理由から、サブスクに依存した生活をしている。自分は数多くのコンテンツを少しでも多く消費したいタチなので、1.5倍速再生は必須の環境となる。が、テレビの画像処理能力はたかが知れていて、等倍速以上の設定にするとカクカクかくつきやがるのだ。
そこそこのカネをかけている自分のPCはどんな倍速にでもヌルヌル動いてくれる。テレビにはいろいろなサブスクが見られるよう、リモコンにも色々な専用ボタンがついているが、早々に使うことはなくなった。
PCを使用しながらテレビはニュースをつけ流し、気になる話題があったらその都度見る、という生活スタイルなんだけど、画面がデカすぎて横目にチラチラ映り込まれると酔ってしまう。21型時代にはなかったことだ。
今ではどうしてるかっていうと、「データd」ボタン押してデータ放送にして、テレビ画面部分を小さくしている。NHKのデータ放送時サイズがちょうど21型時代のそれとほぼ同じ大きさくらいになってジャスト・フィット・サイズ。このサイズ、ちょうどいい。
最近のゲームは高解像度出力が前提になっているせいか、細かいアイコンや字がよく多用されている。大画面でプレイするとさぞ没入感が高まるだろうなと思っていたが、何のことはない、字やアイコンが小さすぎて離れていると見えず、アホほど近づいて見るハメになった。
それまでは23.8インチのPCモニタにゲーム機をつないでプレイしていたけれど、人間の視野角にギリギリ全部入る範囲で、PCモニタだから間近で見ることもできて字が読めないこともなく、ちょうど良い感じだった。
そんなこんなの個人的理由で、個人的にはテレビは大きくなくていいと思った次第。
みんなは好きにすればいいと思うよ。
なんか登場する人が全員顔見知りみたいで、何なのあのノリ。
ナントカ軍団だのレジェンドだの、すでに失格した人が横でペラペラ解説だの応援だのして、
「○○さんでもダメか―」とか言ってて、誰だよ○○さん。
失格した奴はそこらの観客と変わりないんだから喋るなよ。黙って帰れ。
データ放送で番組クイズみたいなのもやってたけど、「サスケしかないんです」とか知らねえよ。なんだその寒いセリフ。芸人か。
毎回出場とか知らねえよ。一発勝負で再チャレンジ無しとかじゃないと意味ないだろあんなの。
名もないアスリートが無駄に高い身体能力を見せつけるようなのが楽しかったのに、飲み屋で常連さんと店主が盛り上がってるのを見せられてるようで、実にくだらなかった。
まあタイトル通りの話。
という感じで、番組としてこう思うというような主義・主張を言うことがなく、
視聴者に不安やプレッシャーを与えるだけな内容ばかりだからだ。
仮に主張したりまとめを言う司会者を立てていても、
ゲストとの会話の流れ、ノリや状況によって意見を変えたりする人も多く、
「結局あんたはどう思ってるんだ?」という気持ちにいつもされてしまう。
そんなに悪いものなのか。変えることもできないのかと思ってしまう。
考えるのを止めたら終わりという人もいるだろう。
それで良い考えを持ったとしても
それを生かす場がない場合はどうするのか。
悪貨は良貨を駆逐するともいうが、
単なる自己満足になるか、あるいは、
より常に不満を持つ状況を生んでストレスが増すだけだ。
少しでもそれが実行・実践できることを考えていた方がよっぽどいい。
という考えにいたり、ネットニュースも含めて
報道番組を見るのを止めてみることにしたわけだが、
平成になりもうすぐ30年を迎えようとしている。
特定の年齢層をターゲットにした製品の企画に携わる機会があり、
ゲーム史を振り返りつつ、当時のユーザーたちの現在の年齢を書く。
ハードには [ ] を付けた。
1978 スペースインベーダー
電波の規制が緩い時代に家庭向けとして登場したテレビテニス(ポンテニス)は、
スペースインベーダーの登場により、喫茶店がめまぐるしく様変わりをはじめた。
※当時20才=1958年(昭和33年)生まれ=現在59~60才
1979 ギャラクシアン
1981 ジャンピューター、ドンキーコング、[IBM PC 5150]
第2次オイルショック後、ギャラクシアンとパックマンが立て続けにヒット。
ゲームウォッチは床屋等の待合所にもよく見かけるようになった。
PC-9801シリーズの発売が開始され、1990年代前半まで栄華を極めることになる。
※当時20才=1962年(昭和37年)生まれ=現在54~55才
1983 ゼビウス、ドアドア、[ファミリーコンピュータ]
1985 グラディウス、ドルアーガの塔、スーパーマリオブラザーズ、ボンバーマン
ファミリーコンピュータ発売。
スーパーマリオブラザーズというソフトが登場により、一般家庭にテレビゲームが普及。
※当時20才=1965年(昭和40年)生まれ=現在51~52才
1987 ドラゴンクエストII、[PCエンジン]、ファイナルファンタジー
1988 ドラゴンクエストIII、スーパーマリオブラザーズ3、[メガドライブ]、テトリス
スーパーマリオブラザーズ2、ゼルダの伝説、メトロイドを引っ提げて。
PCエンジンやメガドライブ等、家庭向けハードが次々と発売される。
ドラゴンクエストIIIは社会現象になった。
デジタル放送に切り替わるあたりからテレビリモコンに大量のボタンが増え、
新しいモノにはついていけない……とボヤきつつも、
地上波のデータ放送やミニゲームを操作できる世代が60才を迎えようとしている。
余談ではあるが、つい先日C層向けケータイを選ぶことになったのだが、
厚ぼったいくせに、衝撃に弱い。子供だましにしても、雑だ。
まだまだテレビが生活の中心にあった時代は、茶の間のテレビを使うファミコンは時間が限られていた。
1989年にはゲームボーイが登場し、家庭の生活様式にも影響を与え始めた。
オリンピックでラグビーが活躍して、また話題になってラグビー好きとしては嬉しいのだけど、「ラグビーが好きでして」と言うと必ず返ってくるのが「ルールが分かんないです」
これがサッカーなら「手を使わずにボールを相手ゴールに叩き込むスポーツです」位で大枠の説明は出来るんが、ラグビーもそれくらい簡単な説明を出来ないだろうか。
・ラグビーはボールを相手ゴールラインより後ろの地面に押し付けるか、相手ゴールバーの上にボールを蹴り込むスポーツである。
・ゲームでは大きく分けて「追っかけっこ」と「押し合い」が起きる
・「追っかけっこ」では、ボールは手に持って走ってオッケー
・ボールを前に蹴るのはOK
・ボールを持ってない選手に行ったらダメ。でも「あー、直前でパスされちゃった」みたいな時はOK
・抱きつかれた側は力の限り前進してもOK。ただし倒れちゃったらボール離さなきゃダメ
・止まったボールに敵味方合わせて3人殺到して組み合ったら「押し合い」
・「押し合い」が始まったら、味方の後ろから真っ直ぐ押さないとダメ
・「押し合い」ではおしくらまんじゅう状態からボールが出るまでは、手をつかったらダメ
やっぱ簡単に行かないな。
追記:
おいおい、みんな結構答えてくれるな。
ありがとうだぜ!
デレマスの日野茜ちゃんを使ったアイマス教養講座を作ればわかってもらえる
アイマスわわかんないんですぅ、気の利いた返しが出来なくてごめんなさいプロデューサー(>Д<)ゝ
増田は云うことが細かすぎる 「手は使っていいけど前に投げちゃいけないサッカー」でだいたいOK
あ、これは結構説明できてる気がする、アメフトとの違いを野球とサッカーで例える事も多いし
ラ(ガーを)グビー
「相手陣地の奥に、ボールを持って運ぶと得点。相手は抱きついて邪魔しようとする。それを避けたり押しのけたりしながら進む。パワーとスピードのぶつかり合いが燃える」
楽しみはそこなんだよね。でもブレイクダウンまわりの反則で混乱する人が多いんだよなー。後回しか。
先行する先人の意志を受け継ぎ、志半ば倒れる瞬間に次代へと託して前にすすむスポーツ
one for all , all for one
抱きついていいスポーツ。これで、ある一定層に興味を持ってもらえるな。
好きなスポーツを話し始めると、俺もまたカープオジさん化してしまうという事か
あ、おいて蹴るところか。どこピックアップしてんだ。
ずざー
⊂^⌒⊃_д_)⊃<グハッ!!! ε≡≡≡c⌒っ゚∀゚)っO
もう一声
タックルをかわすか後ろ向きのパスするかキックするかで逃れながら相手の陣地の端っこに自分でボールを置くスポーツ、なおタックルで倒されたらボールを手放す
「かわす」「逃れながら」前進する、ってのはこのスポーツの核かもね
ボールを前に投げたらだめ、基本的にそれだけ、後はなんでもあり。嫁はこれで納得して楽しんでたよ。
まあ究極に単純化すればそうなんだが、切りすぎな気がする
生で一緒に見てプレーのたびに教えてあげるのが一番良い
ちゃんと見た人は、面白いって言ってくれるんだよね。
手のつけられない札付きの不良が、なんだかんだで教師になる。
誰か、野球も挑戦してほしい。
あれこそ一言で言うの無理だよな。
スクラム組んでる局面はサッカーからの類推は不可能で解説がないとまったく意味不明
スクラムはあれだけで蘊蓄ひとひねり出来る位、奥が深いからなー
このくらい細かくは教えてもらわないとテレビで見ても具体的に何やってるか分からないので、本当にありがとうございます。
TVで試合見るのが一番なんじゃないかな。データ放送の解説ONで。
ひとまずこれくらい分かってれば十分なんじゃないのか。
追記2:
まあ確かに。だいたい接点でボールを保持してる側の先頭の真下にあって、そこから後ろに出るんだが、そこは細かいんじゃないかと。
押し合いの意義については「そういうゲームだ」としか。7人制は押し合いがあんまり起こんなくて、物足りないんだよね。
手を使わずにボールを相手ゴールに叩き込むのがサッカー。ボールを持った己の肉体を相手ゴールに叩き込むのがラグビー。
ところが「虚をついてゴールにボールを蹴り込む」プレーもあるんだよなー。あれ、盛り上がるんだよ。
昔のジャパンがすぐノッコンしてた。最近は前にポロリしなくなったよ、本当ウマくて強くなった。
「ボールを力づくで前に持っていくゲーム、但し前にボールを投げたらいけない」
これも「力づく」に押し合いとタックルの要素が含まれてるから、結構説明できてるかも。
アーモンドの形のボールあるやん、どう転がるかわからんやつ。アレ持って相手の陣地の一番端っこまでダーッと走ってタッチダウンするねん。ごっついヘルメットはかぶらへん。あ、知ってる?そうそう五郎丸五郎丸。
あとリーチ・マイケルってヒゲがごっついのおんねん、あれ札幌出身やねん。
「スラムダンク」「アイシールド21」クラスのラグビー漫画がジャンプで成功すれば
今秋から始まる「ALL OUT」に期待したいけど、TOKYO MXとBSなんだよなー。
結局簡単に言うとボール使って集団で相撲してるようなもんだろ?
https://note.mu/enkykliospaideia/n/nc971ac77b96c
この話ね。まず、
1 技術が活かされてないと感じる
テレビというメディアは単純な受身型のメディアという面がありますが、最近は地上波デジタル放送によって双方向に対応したり、サブチャンネルによって各局複数の情報を同時放送できるようになってます。でも、そういったことが災害報道では全く活かされないのはどうしてなんでしょう?
なっているのは規格だけ。双方向で送れるのは5つのボタンを押したかどうかだけだし、その情報はインターネットがつながってないと送れない。停電しているところに「無事ですか?」ってアンケート送ってそれに対する返事があったりなかったりすることが災害報道で活かせるかというと、ないよりましな程度。
地上波デジタル放送になって、テレビのチャンネルは複数放送できるようになっているのに、それを活用しないのはどうしてなんでしょう?
サブチャンネルは、リアルタイム動画エンコーダを複数持っていないと放送できない。MXは複数チャンネルを活用しているね。あとは、関東地区のキー局と関西地区の準キー局、あとはプロ野球のホームチームが強いところだと複数エンコーダをもってる可能性があるけど、熊本は微妙。使うかどうかわからないSD動画エンコーダを入れるってかなりの経営判断になるし、これを書いた人は2006年位に佐々木俊尚が「2011年、新聞・テレビ消滅」とまで煽っていたことを忘れているんじゃないかな。実際5年間の移行期間の出費とデジタルTVの普及率次第ではそうなる可能性もあってどこもなるべく安く導入しようと必死だったから。たぶん、双方向データ放送の制作設備なんか、もってるところのほうが少ないと思う。
そのアイデアは面白い。HD化しているのでもしかしたら映るかもしれない。ただし、筆者はたぶんお役所が出している資料がどれだけ読みにくいものか認識の外にあるんじゃないかとも思う。資料はPDFで役所のwebサイトに公開されているし、それを再生紙に印刷したら、手持ちのカメラを使って録画して見てみるといい。
ちなみに、「どのチャンネルも同じ絵を映している!もったいない」はたぶん担当者も同じことを思っていて、記者会見なんかは余裕のない地方局を中心に代表でカメラを出してあとはそれを分配、なんてこともしているけど、これその代表者が撮影に失敗しても泣かない、ということとトレードオフなので重要なところほど他に任せられなくなるという問題がある。
2 センセーショナリズムから抜け出していない
被災地の悲惨な状況や、困窮、資源の不足を取材したのなら、そこにうまくそれを助けるために私たちが何ができるか、義援金のお願いや救援物資の送り先といったものの情報をうまくセットにして常に伝えるといった工夫が足らない
義援金のお願いは普通にしている。ニュースの〆に流れているカンガルー災害募金(今は別の名前になっているけど)とか、ドラえもん募金とか聞いたことないとは思わないけれど、それがセットになって伝わっていないとなるとちょっと厳しいかもしれない。
救援物資の送り先は基本的には流さない。なぜかというと、救援物資が足りない、と言われてから個人に用意されてもどうにもならないから。そもそも、困窮とか資源の不足の話、今回の熊本の地震では、東日本大震災の時の教訓もあってかなり抑制的になっているというか「(届けてくれるところはあるけれど)それが来るまでの数日が足りない」っていう話とセットになっていたはずで、本当にこの人、災害報道見ているのかちょっと怪しいと思った。
延々テレビ局のスタジオから放送しているのに、出てくるのは切迫した雰囲気で伝えるアナウンサーと、わずかな地震学者や地質学者系の専門家だけという感じなこと
バラエティ番組や情報番組であれほどコメンテーターやら、何やら評論家やらをたくさんテレビ局に呼んで並べているくせに、こういう長時間の放送の時にこの人の少なさはなんなんでしょう?
もっと役に立つ人がいるなら呼ぶから、こういうのはその役に立つ人の名前を出してほしい。ちなみに、エコノミークラス症候群とか、避難所がそもそも危ない場合もあるとか、そういう話については専門家を呼んで話してもらうまでもなく共有されている情報だったので、キャスターから直接語りかけられていたよ。
4 正確性が疎かになっていること
テレビはその速報性やリアル感といった部分での競争を意識するあまり、ネットで流れる情報をあまり確認せずにテレビでも取り上げるという愚を犯すようになり、自ら信頼性を下げているのは嘆かわしいことといえるでしょう。
これ、具体的にはイオンモール火災の話だと思う(マンションの接合部はそこがもともと計算した上での設計であろうと今回の地震で壊れたことに変わりはないし、熊本城の瓦は加藤清正の設計じゃないよね?)けど、そこは確かにどうにかしないといけない。
とはいえ遠隔中継できるカメラを持っている人が山ほどいる時代にそれを使わないのは流石に微妙なので、誰を信用するか、みたいな部分で担保するしかないのだろう。
正直、正確性と速報性はどちらも求められることで、そのバランスは難しい。新聞とテレビと比べると、テレビは若干速報性にバランスを振っているし、新聞は正確性にバランスを振っている面はあるので、そこは新聞と併用してほしいとも思う。
映画「シャーロックホームズ」で左上に表示されるテロップに苦情殺到 #ntv #シャーロックホームズ - NAVER まとめ
↑の件について思う所がるので書きます。
個人的には、こんなテロップが出る映画放送は嫌なので観ません。
でも、高齢化が進む中で、広く開かれたメディアが、知的な能力が減退したお年寄りにも観てもらえるように作られるのは、不可避だと思います。これは反知性主義とはちょっと違う。いわば「福祉化」です。
行間を読むことや解釈をすることといった「知的な楽しみ」がなければ文化は成立しません。が、その一方で、知的な能力によって文化から排除されてしまう人が存在することや、ましてそういった層が増えていってしまうことは好ましいとは言えないでしょう。
かつて大宅壮一はテレビの登場で「一億総白痴化」なんて言って、これは典型的なニューメディア悪玉論ですが、今後「一千万認知症時代」がやってくるのは、間違いありません。大きなメディアは、より分かりやすくせざるを得ないでしう。
かつてインテリ貴族だけが独占していた「文化」なるものは、社会の変化とともに大衆化し、これから先は高齢化・福祉化していくのでしょう。私たちが望むと望まざるとに拘わらず、川は流れます。
もちろん、高齢化で、社会の構成員全部の知的な能力が減退するわけではなく、若者や、元気なお年寄りだってこの先もいっぱいいるはず。
大事なのは、選択肢が存在し多様性が確保されているということです。
ただ「選択」ということを考えると、無料で広く流れるメディアはやはり福祉化して、能力的な問題で選択肢が制限されがちな「録画もデータ放送もよく分からない認知症気味の独り暮らし」に向けた工夫をするのは妥当かもしれません。
地上波のようなメディアが、映画を(著作権者が許可する限りにおいて)分かりやすい編集で放送する一方、BSやDVDでオリジナルのものを「選べる」なら、まあいいんじゃないかと私は思います。
それに「『ちゃんとした作品』を楽しむためにはお金が必要」というのは決して間違いとは思えません。
また、この多様性の中で、作り手(著作権者)が「この作品は、分からない人には分からなくていい」として、福祉化を拒否するのも、もちろんあり。それはそれで作り手の「選択」ですね。
懸念があるとすれば、地上波のような無料のメディアがお年寄り基準で福祉化していく一方で、経済的にひっ迫している若者が有料のメディアからも疎外される傾向が出てきてしまうことかな、と。ただこれは、メディアじゃなくて政治の問題でしょう。
日本では憲法でも最低限度の「文化的な」生活が保障されているわけで、老若男女問わず、適切に文化に触れことができる状況を用意する責任が国にはあると思うんですけどねー。