ペルソナ5のストーリーの違和感の話。軽く重めのネタバレが入ります。
ペルソナ5、終わった後「うーん」な感じが拭えなくてツイッターやらamazonレビューやらで感想探ってたら、なんとなく自分と近い世代のオッサンは割と同じような違和感を感じており、その一方で、ツイートの様子からたぶん学生くらい?と思われるユーザーに向かって徐々に絶賛度が高まっている傾向があるように感じた。
そこで何の感じ方が変わるかっていったら、やっぱり「社会悪と正義の捉え方」が一つ鍵なのかなーと。
学校を含めた大人社会への適合度が低く、何らかの形で暴力、差別、迫害を受けている。登場人物全員がそういうバックボーンを持ってるって時点で、3や4とは一線を画してるなーと思う。そういう設定事態はすごく好みだった。
そして、最も身近な学校の不当(と当人たちは感じている)支配構造に反発し、ゲリラ的な手段でそれをはねのける手段を得る。それが怪盗団。
怪盗団は、抑圧に対抗する手段であると同時に、彼等の居場所にもなった。彼等は、自分たちが手にした力の使い道を探す過程で、また別の被害者を探し、弾圧側を排除して仲間を増やしてゆく。
ここまではいいなって思うんです。
特に祐介のエピソードとコミュが好きで、彼はゲーム終盤まで割り切れない思いと向き合わされる事になり、結果、そういう人間の複雑さを受け入れる。立派な奴だなあーって素直に感心した。
「私たち、これでいいのかな。正しい事をしているのかな」
「悪いヤツを改心させる事が間違ってるわけがない」
的な会話が言葉を変えて何度も繰り返される。
つまり、彼等はまだまだ精神的に未成熟さが残る学生なので、自分たちの行為が「原則として誰にも咎めようがないもの」である事に、自分で耐えきれてない。
そこにどう落とし前をつけるのかなーってずっと思ってたんですが、つかなかったんですよ。
途中からターゲットは自分たちと直接関わりのない著名な組織及び個人に変わり、そこから物語の掛け違いが発生してるように感じる。
そもそも、P5の主人公たちが持っている力って
「個人の精神世界に入り込んで人格を直接攻撃し、歪んだ欲望を消滅させ、改心させる」って、率直に言って「社会的リスクを伴わない洗脳」ですよ。
自分たちが被害者である間は正当防衛になるけど、直接関係のない相手だと話が違ってくるように思うんだよね。
P5は、人の良き悪しきをテーマの中心に添えながら、その結論を完全に持て余してると思う。
最初は「自分たちの被害を覆すために」やっていた行為が、最後の方では「悪人だと思うからこらしめてやりたい。」が先に来てて、そのためにパレスを探す…みたいに、完全に手段と目的が逆転してる。
『怪盗をしたいから悪人を探す』って、ノルマ目的で犯人でっち上げる警察みたいなもんじゃないか。見ようによっては、劇中の誰よりも怪盗団が一番の『悪意なき悪人』ですよ。
そしてp5の主人公たちには、その客観性に耐えうる精神的強度がない。
それを物語的にうまく隠そうとした結果、終盤に行くにしたがって、ターゲットたちをどんどん単純なテンプレ悪人化させるしかなかったんじゃないかって思う。
鴨志田とか斑目って大人としてのずるさ、邪悪さの深みみたいなのがあった悪役だと思うんだけど、なんかシドウってそのへん随分単純だったよね。演説直後のシーンで、衆人の前で普通に「クソガキ」とか言い放っちゃうし。
「シドウをカモシダやマダラメと同じくらい人間味があるキャラにしちゃうと、主人公たちの正当性を立てるのが難しくなるから」っていう逃げにも見えちゃう。
「正義」「世直し」ってワードが後半に行くに従って増えてるように感じるのも、シナリオの都合で主人公たちを正当化するために無理やり連呼してるのかな、とか勘ぐったりして。
主人公たちが迷わなかったとは思わないけど、終盤やっぱり、どこか「悪いやつは倒していいんだ」っていう単純化にぐっと話が移動してた感は拭えない。
「善悪はあくまで相対的なもの」という、女神転生シリーズが元々持っていたセオリーを真っ向から否定してないかなと。
シドウが真なる悪人であったのか、彼を改心させる事が本当に正しい事だったのか。
それを判断するのは「主人公たち以外のみんな」であるべきなんだけど、p5はそれすら放棄したんですね。
聖杯という「集合的無意識」に人格を持たせ、それを全ての元凶とした。
これ、逃げだと思いますよ…
なぜならそれは『事なかれ主義が具現化した悪神のたくらみだから』」
って…
そんなん「衆愚は正しい判断を下せない」っていうのを、遠回しにdisってるだけやん!
怪盗団支持率100%とかも、まあコミュレベルの高いゲストキャラが心から怪盗団支持を主張するのは分かるんだけど、それ以外の大多数からしたら「噂程度に存在していた怪盗団がなんかこのピンチを解決させてくれるらしい」ってだけだし、勝ち馬に乗る勢いだけの演出で、あれを「怪盗団が支持されている」ことの演出としてはとても受け取れない。
いや~ちゃんとシドウを改心させた事実としっかり向き合うべきでしょ?
悪人の内面がどうあれ、結果として行われているのが「強い国を作るための改革」なんだったら、その手立てを失った事のフォローをちゃんとシナリオでして欲しいわけよ。
それとも「心が汚い人間がする事は絶対に間違ってる」みたいな話なの?
(一応、主人公とシドウは因縁があるんだけど、でも物語的には明らかにまず『シドウ倒す』が先にあって、『ついでに主人公の仇だった』って流れになってると感じる。完全に主人公の私怨として戦って、結果それが世直しになる、って方がまだ納得できたかな…)
自分はp3やp4やったときもそこそこオッサンだったのが、3と4は5に感じた違和感がほとんどなかった。3と4の主人公たちははっきりと自分または親しい仲間のために戦ってたから。
それが「社会」「正義」が絡んできた時、そこまでの強度をペルソナの世界観は持ってなかったんじゃないのかなと、そういう事を思ったわけです。
とかなんとか書いたんだけど
ゲームとしてはしっかり面白くて、最後まで楽しんだし、80時間かけてゲーム部分は楽しませてもらったなーって思ってる。
ペルソナって開発者側も「ジュブナイル」って言ってるように、10代または20代に響けばそれで成功してる世界観なんだと思うし、ターゲット層がなんかしら考えさせられたり、勇気をもらったりしたらそれで充分成功なんだと思うし。
おっさんなりに、3と4やって感動した感じを5にもうっすら求めてたら、5はそういう作品ではなかった、自分が筋近いの期待してた、と、そういう話です。