はてなキーワード: トップバッターとは
ごちうさの3期が終わり、『ゆるキャン』と『のんのんびより』へと続く。これから少なくとも3ヶ月先は移住先を探すこともない安泰な日々が続く。
しかし、ここから先はどうなるのか。さらに先に『まちカドまぞく』の2期があるが、1期より作風が変わると聞く。ひょっとすれば、『NEW GAME!』のようにいざこざの多い作品に変わっていくかもしれない。日常系アニメの新作がないかと不安になっている人がいるはずだ。
そういえば、アニメ化が発表されたきらら原作漫画は『球詠』だったよな。この作品を最後にアニメ化の発表がされた作品が現れなくなって1年半も経つ。
しかしながら、これからアニメ化の発表がされるきらら原作漫画が増えていくだろう。だが、それと同時にきらら原作アニメに対して「自分が期待していたものと違う!」という批判が急増していくと思う。
なぜなら、まんがタイムきららからきらら系と呼べるような日常系が減ってきているからだ。
私は日常系アニメが大好きできららの雑誌を読んでいる身だ。未来の日常系アニメが出てくることを楽しみにしていた。
しかし、私は、2018年ぐらいから、きららの編集部は日常系を冷遇するようになったと感じた。
そして、きらら編集長のインタビューを読んで、まんがタイムきららから日常系がなくなるのは確実だと確信した。
ただ、最初に『ひだまりスケッチ』がアニメ化し、『けいおん!』、『GA 芸術科アートデザインクラス』と続いていって、きららといえば女子高生4・5人の学園ものという印象が我々の想像以上に強くなってしまった。もっと4コマに多様性を見出そうと思って企画したきららが、いつの間にか多様性のなさの象徴みたいになってしまっていたんですね。どこかで一度その固定観念を壊して、新しいきららの形を作らなければいけないと思い、2011年に「まんがタイムきららミラク」を創刊しました。
芳文社創立70周年を迎えて。「まんがタイムきらら」編集長が考える“これからの日常系”の形
やはり、「きららといえば日常系」という風潮に対して、きらら編集部は好ましくないと思っていたようだ。
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では、まんがタイムきららについて振り返ってみよう。
2011年に『あっちこっち』、2012年に『夢喰いメリー』のアニメが放送された。「まんがタイムきららは日常系だけではない」とアピールする機会になり得たが、いずれも成功したとはお世辞にも言い難かった。特に『夢喰いメリー』は原作ファンから酷評をされている。
2013年に『ゆゆ式』のアニメが放送し、『きんいろモザイク』『ご注文はうさぎですか?』へと続いた。この頃に「まんがタイムきららといえば日常系」というブランドイメージが確立された印象だ。
きららに対するイメージが確立された後も、日常系ではないきらら原作漫画がアニメ化して放送されたが、そういったアニメが日常系アニメに比べたらヒットしているとは言い難い。
一方、編集部から大きな期待が寄せられたまんがタイムきららミラクだが、けいおんやゆゆ式のような大ヒット作が現れず、2017年12月号を最後に休刊してしまった。
そして、ミラクの末期の頃から、既存のきらら系列雑誌の作風が変わっていった。
まず、2018年から2019年前半ぐらいかけて、まんがタイムきららMAX連載の未アニメ化作品が、2~3巻分の短期で、次々に連載終了していった。特に『どうして私が美術科に!?』の連載終了はきららの読者に大きな衝撃を与えた。元々、きららMAXは、前衛的な作風やマニアックなネタを扱う作品が多かったが、ミラク創刊の影響で、きららMAXは萌え要素が多い作品が増えた。ミラク休刊を期に、尖った作品が増えてきた。
さらに、『ななどなどなど』のような和気あいあいとは言い難い作品や、『RPG不動産』のようなファンタジー系の作品が増え、『奥さまは新妻ちゃん』『一畳間まんきつ暮らし!』『メイドさんの下着は特別です』のような男性読者に媚びたお色気要素が強い作品も出てきた。
そんな中で編集部からプッシュされていた印象が強いのは、きらら本誌で連載していた『甘えたい日にはそばにいて。』である。この作品は『幸腹グラフィティ』の作者、川井マコトが送る小説家の少年とアンドロイドの少女の恋愛を描いたシリアスな作品だ。
きらら作家としてそこそこ知名度があるとはいえ、アニメ化されていない作品としては破格の待遇で編集から猛プッシュされていた。3回連続でセンターカラー連載したし、1巻発売当時、アニメが放送していた『スロウスタート』との合同フェアを行った。
しかし、鳴り物入りで連載されていたにも関わらず、アニメ化されることなく3巻で終わってしまった。
そんな長期に渡る試行錯誤だったが、きらら編集部の期待に応える傑作がようやく現れた。それは『ぼっち・ざ・ろっく』である。
『ぼっち・ざ・ろっく』は、これからのまんがタイムきららを語る上で絶対に外せない作品である。
この漫画は、タイトルが示す通り、陰キャな主人公がバンドに加入してロックスターを目指す王道のロック漫画である。間違えても『けいおん!』と同じようなものを期待して見るものではない。むしろ、『けいおん!』が嫌いだった人が見るものだ。個人的には、この作品が売りにしている主人公の顔芸と陰キャネタが生理的に受け付けない嫌いな作品だ。
『ぼっち・ざ・ろっく』はとにかくすごい。単行本1巻発売日直後に重版がかかり、LINEスタンプが発売された。そして、「次にくるマンガ大賞 2019」で8位にランクインした。
おかげで、きららでは陰キャ主人公モノブームが巻き起こっている。そのブームは、荒井チェリーというきららの創刊期から連載作品を持つベテラン作家ですら巻き込んでいる。列挙すればこんな感じだ。
そんな『ぼっち・ざ・ろっく』にアニメ化の話が来てもおかしくない状況だと言える。では、肝心の出来はどうなるのか。制作会社ガチャと呼ばれる風潮が強いが、それに関しては心配する必要はないだろう。
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ここからは、個人的な妄想。内情を知らないので、今後どうなっていくかは、まだ分からないことだということに留意してもらいたい。
テレビアニメ『ぼっち・ざ・ろっく』は、アニプレックスが間違いなく神アニメにしてくれるはずだ。きららの切り札である以上、粗末に扱われることは絶対にないだろう。作画に関してはしっかりした制作会社を選ぶし、脚本だって原作ファンからの高評価であふれかえっているので十分保証できるだろう。
それで、なぜ『ぼっち・ざ・ろっく』の話にアニプレックスを出すのか?
その大きな理由はソーシャルゲーム『きららファンタジア』にある。このゲームはアニプレックスがパブリッシャー(配信元)でドリコムがディベロッパー(開発元)である。
『ぼっち・ざ・ろっく』の連載が始まる頃は、きららファンタジアの販促に力を入れていた時期だった。それを象徴するアニメは、2017年秋季に放送された『ブレンド・S』と、2018年冬季に放送された『スロウスタート』である。この2作品は、アニプレックスとドリコム、そして芳文社が製作委員会に名を連ねている。
この頃のきらら編集部はアニプレックスを強く意識していたんじゃないのかな。特に『ぼっち・ざ・ろっく』の場合、その傾向が強く表れていると感じる。主要人物の名前は、ASIAN KANG-FU GENERATION(アジカン)のメンバーが由来だ。アジカンは、アニプレックスの親会社、ソニー・ミュージックエンタテインメント所属である。ここから、作者と編集は、構想の段階でアニプレックスを意識していたのだろうと推測している。
『タイムパラドクスゴーストライター』というジャンプの打ち切り漫画には、「実は(アニメ化の)オファーだけなら、早い作品だと1話目の次点で、もう来るんだよ」というネタ画像がある。ひょっとすれば、『ぼっち・ざ・ろっく』は、比較的早い段階でアニプレックスからオファーが来ているのかも知れない。逆に、芳文社からアニプレックスにアプローチしていたのかも知れない。それだけ芳文社とアニプレックスの距離感が近いはずだ。『きららファンタジア』が配信されたばかりの頃は特に。
そういえば、こんなTwitterアカウントがあるけど、遅くてもこのアカウントが作られる前からアニメ化が決まっていたんじゃいないのかね。主人公が演奏動画の投稿をきっかけにSNSを始めるエピソードだけど、このアカウントの初ツイートが2019年8月16日、このエピソードが掲載されているきららMAX発売日は2019年08月19日である。早すぎないか。
ファンがやるにしても、フラゲでもできないだろう。最新のツイートあたりに、音楽が流れる一枚絵があるけど、この絵は作者が描いたものじゃないよね。ひょっとしたら、アニメの作画担当が描いたものかも知れない。ちなみに、Twitterは、YouTubeやニコニコ動画とは違って、JASRACと許諾契約をしてないから気をつけてね。
『きららファンタジア』は、リリース開始期に多くのトラブルに見舞われて短命で終わるとささやかれていた。しかし、そんな悲観的な予測を超えて、2020年の12月にリリース3周年を迎えた。それを記念してメインクエスト第2部がリリースされた。これから、またアニプレックスのきらら原作アニメが増えていくのだろう。そのトップバッターは『ぼっち・ざ・ろっく』になるに違いない。
ビジネスは出だしが肝心だ。アニプレックスと芳文社は『ぼっち・ざ・ろっく』にまんがタイムきららときららファンタジアの命運を賭けるつもりでいるに違いない。それ故に、アニメスタッフは錚々たる顔ぶれがそろうし、宣伝にもかなり力を入れるはずだ。
具体的には、『鬼滅の刃』のプロデューサーを担当した高橋祐馬、『紅蓮華』を作曲した草野華余子、「チカっとチカ千花っ」で大きな反響を読んだ中山直哉が名を連ねることになるだろう。ロック界の重鎮たちも出てくるんだろうね。アニメーション制作はufotableが最有力になると考えている。次点は、A-1 PicturesとCloverWorksだ。
ぶっちゃけ、このアニメに鬼滅の刃のスタッフが集うことすらあり得ると思う。宣伝映像の冒頭に「鬼滅の刃のスタッフが送る」というナレーションを添えるだけで、誰もが飛びつくに違いない。まさに鬼に金棒。
テレビアニメ『ぼっち・ざ・ろっく』はアニメファンはおろか一般人ですら唸らせる出来になり、アニプレックスと芳文社が望んだ通り大ヒットするに違いない。そして、「きららといえば中身のない日常系」というネガティブイメージを抜本的に改善していくだろう。
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これがどれくらい当たるのか。答え合わせは2021年1月19日から始まるだろう。まんがタイムきららMAXの発売日だ。その次の月の2月25日は『ぼっち・ざ・ろっく』の単行本3巻が発売される。その間に、重大なニュースがやって来るはずだ。
いずれにせよ、きらら編集部にとって『ぼっち・ざ・ろっく』はまんがタイムきららを変える大きな存在だということには間違いない。
実際、ごちうさ3期に放送されたきららMAXのCMで紹介された作品は、ごちうさときんモザとこの作品だけだった。新型コロナウイルスのせいかもしれないが、はっきり言って、きららMAXの未アニメ化作品は「『ぼっち・ざ・ろっく』以外は雑魚」という扱いなんだなと感じた。それだけ、『ぼっち・ざ・ろっく』の注目を集めるのに必死なのだろう。
私はきららの雑誌を読んでいて、日常系が減ってきていると感じていた。
きらら編集長のインタビューを読んで、きららから日常系が消えていくのは確実だと痛感した。
きらら編集部は『ひだまりスケッチ』や『けいおん!』がヒットしたときから、「きららといえば日常系」のイメージに危機感を持っていたのだ。
きららの編集長はインタビューで「多様性」という言葉を使っていたが、我々が持つきららに対するイメージに対して、作者も編集もプライドが許さないのも大きな理由の一つなのだろう。そりゃそうだよな。自分たちで一生懸命作って世に出した作品を、きららというだけで、萌え日常系と言うだけで「中身が無い」とか「低俗だ」とかと酷評されたら誰だって傷つく。そんなイメージを払拭したくなるのは当然の話だよね。
10年以上前から受けてきた屈辱を晴らそうと、長期に渡る試行錯誤の結果、『ぼっち・ざ・ろっく』という今後のきららにふさわしい作品が表れた。あとは、大ヒットを目指してアニメや宣伝に力を入れていけばいい。そして、『ぼっち・ざ・ろっく』に続く「中身のある作品」を出していけばいい。そうすれば、まんがタイムきららから「中身のない日常系」は駆逐されていくだろう。
だから、私は言いたい。
そんな野田に国民最高ー!で(多分)アシストする形になったインディアンスが本戦のネタ以外のMVP。田渕の明るさが素なのが浸透してきて、いつどこで見ても機嫌よく周囲に分け隔てなく接する人の良さが大会を明るくしたと思う。事前PVでハハハと笑った直後に「敗者復活見てろよクソッ」と涙声で建物を出る姿も印象深かった。今回の敗者復活、そしてトップバッターはインディアンスが間違いなく適任だった。
正直この反省会、来年から後回しにしようかなと思ってる。笑い飯や川島、土屋に一人ずつ小藪が振っていく構成なのでディスカッションにはならず広がらない。講評の内容も正直そこまで深くないし。ファイナリストのインタビューも小藪じゃなくてミルクボーイと話してるほうが見たいし、中継のラグもないのに。各組の時間も短すぎて内容薄い。福徳が泣いたり川瀬が死にそうになってた時はめちゃくちゃ面白かったが、今の形式ならもういいや。MVPもなし。
今年はソーシャルディスタンスのためにスタジオなのもあってワイワイ感が少なく、そのぶんガッツリ掘り下げるようなトークが多かったかも。
みんな良かったけど本戦だけでなくその後に漫才の定義いるのかいらんのか問題に巻き込まれてアホの攻撃道具にされた見取り図にお疲れ様の意味でMVPをあげたい。全組漫才ですといち早く宣言したのカッコよかった。
M-1が「4分の中にできるだけ多くのボケを詰め込み終盤に伏線回収とかして盛り上げる漫才」だけを漫才だと定義するような大会だったらここまで人気は出てない。邪道と呼ばれるものを堂々と評価してきたからこそM-1は面白いのだ。そんな妖怪大戦争だった今回のメンツで冷静に戦略を練り淡々とコマを進めたマヂラブが最終的に披露したネタが床を転がり回るっていうカオスなのが最高すぎた。今年は野田脚本による壮大なミュージカルに知らぬ間に全員が巻き込まれてたんだろうな。運命を味方につけるってのは実はこういうことなのかもしれない。本当に凄いものを見せてもらった。
MVPとか偉そうでごめんね。マヂラブおめでとう!
今年もいい大会だった。漫才王が漫才大会で最高の漫才して勝ちました!
ネタの感想は他の人に任せてネタ以外の部分の感想を書きます。最近は平場-1グランプリなんて言葉もあるし平場が注目されてきて嬉しい。
抽選会中継の時間が年々短くなっててボケる隙間がない。今回はとにかく橋本のコメント力がレベル高すぎて参加芸人のほうが食われちゃってた。その中でも無駄に尺を取らず、みんなが待ってるお決まりフレーズできっちり盛り上げたぺこぱが抽選会MVP。
ビッグスモールンですかなんて質問が必要な状況この世にないだろ。
基本的に自分は敗者復活戦に豪華なゲストや派手な演出は不要派で、審査に漏れた奴らが貧民街の娯楽(©さらば森田)で盛り上がってる雰囲気が復活戦の良さだったと思っている。しかし地上波で放映する以上それが無理というなら、せめて力を出し切ってネタできるよう運営は最大限努力する義務がある。やらせる必要がないのに演出のために寒い屋外でやらせてるんだから、音声トラブルや騒音問題は未然に防ぐべき。
今回は全組にきちんとコメント時間取られてて、尺もほぼ平等だったと思う。ワイワイ感は薄れてこじんまりした雰囲気にはなったが、それを超えたカオスを感じさせたランジャタイ国崎が敗者復活戦ネタ以外のMVP。とりあえず国崎に振れば何かしら爆発が起こる状態になってた。それもいかにも用意してきた感のない生き生きとしたボケで見ててワクワクする。いい。
50代男性。好きな番組はゴッドタン、お笑い向上委員会、有田ジェネレーションっていう程度にはお笑い好き。
金属バット/好き。トップバッターに一番ふさわしくない。別れてくれない理由が生命保険かけてるからっていうオチはも少しなんとかならないか
タイムキーパー/若くて親しみのあるコンビがアンパンマンの歌をいじったりしたら、そりゃあ普通の漫才になっちゃうよね
からし蓮根/好き。面白かった。小さい方がワーキャー言われてんだろなと思った
ランジャタイ/両方ともに衣装のセンスが良い。一番絵になるコンビ。ネタは難しい
滝音/ハンプティダンプティもバンプオブチキンもそんなに知らない…すんません
学天即/トータルで面白い。もっと面白いことやりそうな雰囲気が欲しい
ダイタク/言うな言い過ぎ
ロングコートダディ/ただただ凄い
ニッポンの社長/神
ニューヨーク/大好きなネタだったんだけど、以前は嶋佐がホントにやってそうな顔してたのにそれが薄れていた
見取り図/凄すぎた
アキナ/大阪でワーキャー言われてる印象だったけど、その通りだった
マヂカルラブリー/めちゃくちゃ笑えた。ありがとうございます
全体を通して、準々決勝敗退のももの◯◯顔のネタが一番好きだった。漫才ってまだまだいろんな可能性が残ってるんだなあと感心した。
・はじめに
スクスタ20章をクリアしました。実をいうとストーリー攻略をサボってて、17章で止まっていたのですが、20章をプレイした人たちの阿鼻叫喚を聞いて、気になって急いで進めました。
クリアした感想としては、確かにこれは賛否が別れそうなストーリーだな、と感じました。基本的に私は物語を客観的に見るようにしているのですが、やはり見てて辛い部分もありました。
自分の想いをまとめるために、拙いですが文章を書かせてもらいます。題名の通り、単なる私のお気持ち表明ですので、賛否あると思いますが、他の誰かの感想を否定する気は毛頭ありません。
あと、ネタバレがありますので未クリアの人は気をつけてください。
後、誤字脱字も多いと思いますが許して。
・ 鍾嵐珠(ランジュ)について
19章のラストで登場して、20章でニジガクを引っ掻き回すことになったランジュ。強烈なキャラクター性と理事長の娘という立場もある同好会を徹底的に追い詰める役目だ。
最初に言っておくと、彼女が嫌いだという人がいるが、その意見は正しい。20章における彼女の役割はまさに敵役とも言っても過言ではない。強権を使って(しかもそれは彼女自身の力ではなく理事長の娘、生徒会長の幼馴染という立場を利用して、だ)同好会の自由を奪い、主人公を蔑ろにする。普通にプレイすれば彼女に良い感情をもてというのが無理だ。
しかし、その一方でメタ的な視線を持てば、1話全編でいきなりMVが入ってきてることからすでにモデリングがなされており、曲データも存在することから何らかの形でプレイアブル(と表現するべきかはわからないが)になるのもわかる。
現在、彼女に対する嫌悪感を感じる人が多いのはそれが合わさっているからじゃないだろうか。強権を使って同好会に対してだけ圧政を布き、分断させ、プレイヤーの分身たる”あなた”を蔑ろにする。そんな憎いやつなのに仲間になる可能性が高い。とてもじゃないが受け入れられない、という気持ちが強いのは当然だ。正直、私もその気持ち悪さをどうするべきか悩んでいる。
同じようなことは彼女の幼馴染でもある栞子にも言えるはずである。彼女も個人的な感情で同窓会に対して強く当たっていたが、現在は(正しくは19章まで、だが)同窓会のメンバーとして馴染んでいるし、受け入れている人の方が多いだろう。これは、栞子がシナリオを進めていく上であなたや同窓会のメンバーと交流し、理解して言った上で仲間になることが分かったからだ。心情的にも受け入れやすい。
対するランジュは正直言ってプレイヤーから良い印象はない。幼馴染の栞子が「彼女も悪い人間ではない」とフォローを入れてくれているので、本当は良い部分もあるんだろうが、現状ではプレイヤーはそれを理解できるシーンがない。そんな状態で仲間になる可能性があるのは、受け入れがたいものだと感じる。
一方、彼女の言ってることはある種の正当性もある。スクールアイドルは良くも悪くも見世物だ。表現する側はともかくとして見る側からすれば完成度が高いに越したことはない。それを彼女はプロの力を借りて高度な物へと持っていっている。手段はともかくとして表現する側として完成度が高いものを追い求める姿勢は間違ってはいない。
だが、スクールアイドルとしてどうなのか、なのだかこれは後で纏める。
・果林の選択について
20章で最も批判が集まったように感じているニジガクメンバーの分断。果林と愛はランジュの言葉に一定の理を感じて同好会を離れて部へと向かっていった。正直、果林と愛を推している人には辛すぎる展開だ。私は箱推しなので辛うじて堪え切れたが、自分の推しがシナリオの展開とはいえ敵対する展開は見たくないと思うのは当然だ。しかもそれが、同好会のメンバーを苦しめる役目なのだ。受け入れがたいのは当然だ。
特に果林は同好会ノメンバーにたいして「馴れ合いで入ったわけではない」と言い放ち、ランジュの持っているプロの技術を使ったスキルアップに対して理解を示している。これに私も最初は戸惑ったが、納得はしている。納得できても辛いのは辛いんだけどね。
元々、彼女は読者モデルをやっている。モデル業界には詳しくないものの、アイドルと同じように競争は激しい業界のはずだ。彼女はそこで人気を保つためにあらゆる努力をしていた人間だ。体形に気を使い、いろんな研究もして人気の読者モデルとしての地位を確立した。だから学校でも有名人で、食堂にいれば名前も知らない下級生から話しかけられて、黄色い声を上げさせる、元々はそういう人物である。
そんな彼女がランジュの言葉に理を感じるのは当然だ。少なくともランジュの用意した環境は下手なスクールアイドルでは実現できないレベルのものだ。そこにいることでスキルアップが望めるのならば向上心の高い彼女がそちらを選択を不自然なことではない。これは彼女が薄情というわけではなく、彼女自身がそこまで”スクールアイドル”という存在に本気になっているからだ。だからこそ、貪欲にスキルアップできる場所があるならそちらに向かう。それが例え同好会のメンバーを裏切るような形になっても、だ。理解はできる。だが、やっぱ見てて辛い。
彼女はとにもかくにもギャップが印象的なキャラクターだった。クールビュティーではあるが、子供っぽいところやウブなところ、抜けているところがとにかく描写され、親しみやすい人物として描かれてきたし、プレイヤーもそう思ってきた。だが、20章ではそういう部分は鳴りを潜め、大人としての視点を持ち、ある種残酷な選択が出来る部分も描かれた。19章までの親しみやすい彼女に慣れしたんだプレイヤーが困惑するのも当然ではある。
・エマの怒りについて
果林がある種、大人の選択をしたこと、そしてランジュに対して彼女が最も過敏に反応している。普段のおっとりさからは想像できない、怒気を孕んだ言葉で対応しているシーンが多い。特に果林と対峙した際の会話が顕著。最も、皆を幸せにしたいと願いスクールアイドルをしている彼女とランジュの姿勢は真っ向から対立するものだし、彼女がはっきりとは言わないものの、彼女を拒絶しているのもちょっと新鮮だ。……新鮮なだけで見てるこっちのこころはボロボロなわけだが。アニメニジガクの5話見た後にこんなの見せられるの拷問以外のなにものでもない。
だが、エマは果林に対して怒っているというわけではなく、ランジュのバックダンサーにされている果林の境遇に対して怒っているように感じる。果林のスキルアップに最適な環境であるという言葉に対して、エマは果林自身のステージが見られず、ランジュのバックダンサーの扱いにされていることに怒っている。これは悲しい平行線なのであるが、同好会が元々「個人のキャラクター性を尊重する、そのためにあえて一つのグループにならずにソロ活動をする」という選択をしたからだ。ランジュの活動はそれを否定する形になっており、自分よりも実力があればセンターを譲ると言ってはいるものの、それは実力がなければ果林・愛(そして栞子)の個性を否定するということである。自身の大切な仲間を蔑ろにされている状況、それをエマは許せないのだろう。
20章はとにかく重たい話だった。残った同好会のメンバーは現状を何とかしようとするが、ランジュの強権で身動きが取れず、μ'sの力を借りてなんとか同好会としての体裁は取り戻すものの、状況はあまり好転していない現状だ。
反撃ののろしとして計画されたゲリラライブ、何となく話の展開から上手くは行かないんだろうと覚悟はしていたが、想像以上に辛い展開だった。それは、トップバッターがかすみであったことが大きい。
かすみというキャラは自身を全肯定している。それは「自分はかわいい」という絶対の信頼を持ち、それが自信となって溢れているキャラである。だが、それと同時に彼女はその全肯定の自信の上にあぐらをかくことなく、かわいいを追求し、誰よりも自分がかわいくあれるように努力し、その努力を誇らない人間でもある。彼女がアピールするのはあくまで自身の「かわいい」であり、そのかわいいを生み出すまでの努力は決して見せない。なぜならそれはかわいくないからだ。そのプロフェッショナルさは日常生活ではギャグのオチのように扱われているものの、果林やせつ菜等、仲間たちもいろんな媒体で認めている。
だが、彼女のその全肯定から来る自信は、ゲリラライブを潰すために行われた部のライブで徹底的に打ちのめされる。新進気鋭で演出の完成度も高い部のライブに観客はあっさりと奪い取られ、残されたのは数少ない観客。彼女の積み上げた努力も、ライブにかけた想いも、冷たい現実の前に踏みにじられてしまう。正直、シナリオを読む手が止まってしまった。それぐらいいショッキングな展開だった。
だけど、”中須かすみ”という人物は折れなかった。牙は折られて、満身創痍に打ちのめされても、冷たい現実に声は震えて涙声になっても。だってそれは”可愛くないから”。目の前にいる残ってくれたファンのために、彼女はライブをやり遂げる。
そのかすみの姿に、しずくは可能性を見出す。演出も技術もなにもかもが上のはずのランジュ率いるスクールアイドル部のライブ。だけど、それに勝る何かがかすみのライブにはあった。それはランジュが取りこぼしていて、もしかしたら果林と愛が見失っている何かだ。
その”何か”を確かめるために、しずくはあえて同好会を離れる選択をする。その決意は残念ながら同好会のメンバーには理解できず、可能性を見せたかすみからは拒絶すらされてしまう。だけど、あえて彼女はその道を進む。親友が見せた、おそらくスクールアイドルの輝きを確かめるために。
果林・愛の分断は悲しみや戸惑いという感情が多かったが、しずくのこの決意はむしろ希望に思えた。スクールアイドル部に向かった彼女がどうランジュ、そして果林・愛の2人と向き合うのか、それがどういう結果を貰たらすのか、非常に重要なポジションだと思う。
ランジュの所でも書いたが、彼女の言ってることは全部が全部間違っているわけではない。アイドルとしてファンにライブを見せるにあたって、完成度の高いものを追い求める姿勢は間違ってないし、完成度が高いライブを見せた方が勝つのも当然なのだ。実際、μ'sやAqoursが戦ってきたラブライブという大会はそういう場所だった。
だが、彼女がやっているのは”アイドル”ではなく”スクールアイドル”なのだ。
残った同好会ノメンバーやプレイヤーたる我々が感じているランジュに対する違和感とは、まさにスクールアイドルへの姿勢なのだと思う。そして同時に、セカンドシーズンにおいてニジガクが最初に問われるのは「スクールアイドルとは何か?」なのではないだろうか。
μ'sとAqoursもこの命題に向き合ってきた。μ'sは自身たちの永遠を望む声を聞きながらもそれを「限りある時間の中で輝くもの」とした。Aqoursは時間とともに移り変わりいくことに戸惑いながらも「輝きを受け継ぎ、次代に託していくもの」とした。
ならばニジガクは?
ランジュはスクールアイドルフェスティバルを見てスクールアイドルに憧れて日本へと来た。だが、彼女の姿勢はスクールアイドルとしてはあまりにも歪で、大切なものを見誤っているように感じる。同窓会や”あなた”が感じているそれは、永遠を望まれたμ'sや、3年生が居なくなったAqoursと同じ戸惑いなのだと感じる。
20章は非常に重くて辛い展開だった。だが、希望は確実にあって、私はそれをかすみのライブシーンに強く感じた。そしてしずくの決意の中に感じた。
正直、辛い気持ちが強いのも事実だが、セカンドシーズンはまだ始まったばかりで起承転結の起の部分でしかなく、物語はどう転んでいくのかわからない。賛否が起こる理由もわかる、正直、ここまで拗らせる必要はあったのかと思う。でも、ここだけで判断しては全体が見えない、という気持ちもある。複雑な心境である。
何とも複雑な気持ちなのだが、しばらくはイベントストーリーのほんわかした雰囲気で心を癒しつつ、21章を待つしかないかな……。
わりとみんな言ってるけど、今大会のキーワードは「人を傷つけない漫才」「ツッコミの時代」。
【ニューヨーク】
トップバッターの不利よりも、彼ら本来の毒のあるセンスのキャラが今大会に向いていなかった。毒のあるキャラはコントだと役柄の設定ということにできるが、漫才だとそのまま本人の人柄に見えてしまう。本人たちもそれを意識したようで、M-1向けに普段よりもソフトに好かれやすくネタを調整した結果、持ち味がさらにぶれてしまった。
そもそも例のニコ生事件以来あまり良い印象は持っていなかったが、今回の審査員コメントのところでも同じ過ちをしているように見えた。それは「今の時間主役は誰か?」をわからずに番組を壊してしまうということだ。審査員がしゃべっているとき視聴者は少しでもたくさん審査員の評価・解説を聞きたいと思っている。今大会でこれまでよりもその時間を多くとったのは成功していると思う。この時間は漫才師は脇役で、むしろ一言もしゃべらなくても良いくらいなのにニューヨークは自分たちのプロレスで評価・解説の時間を大きくロスさせてしまった。最初の「最悪やー」は特に悪くないが、その後すぐに松本の話に戻すべきだった。結局あの時間で松本が言いたかったことの半分くらいしか聞けなかったのではないか。
【和牛】
普段の和牛に比べると少し落ちる評価が多いが、今年のネタは彼らなりの「人を傷つけない漫才」であるところが自分はとても好きだった。通常は水田のサイコパス風の男に川西の演じる女性やお年寄りキャラが振り回されるネタが多く、川西に感情移入すると少し心が痛む。今回は不動産屋と客という関係性で川西が明確な弱者ではない。また前半水田に振り回されるのはいつも通りなのだが、最後の物件で川西の狂気が発動してむしろ上回って痛快だった。
【見取り図】
フット後藤や南キャン山里らによって急激に高度に昇華されたワードセンスによる「たとえツッコミ」。それをさらに純化させてツッコミでさえない「たとえ」を軸にしたネタになっている。「あおり運転の申し子」は最高。
ナイツ塙に鼻を触る手の動きを指摘されていたけど、そういえばアメトーーク!「ツッコミ芸人が選ぶ、このツッコミがすごい!!」で博多華丸が手の動きにムダが多いのは駄目と言っていて塙も同意していたのを思い出した。
【インディアンス 】
インディアンスにとって不幸な偶然であるが、先月10年ぶりにアンタッチャブルがテレビで漫才を披露したのは地味に効いている気がする。当時と変わらないかそれ以上のザキヤマのパワフルな動きが目に焼き付いていると、それと同系統の田渕のボケが若干見劣りしてしまった部分もあると思う。
【ぺこぱ】
キャラが定まらず迷走した結果、ひとつの方向性を見つけたのではなくて、迷走したまま洗練されてしまった感じがすばらしい。今大会「人を傷つけない漫才」「ツッコミの時代」の代表格。NON STYLE井上の正解はこれだったんじゃないかとも思わせる。「ノリつっこまない」と評されていたが、詳しく見ると長いツッコミフレーズの前半でセオリー通りの厳しいツッコミをやりかけて、後半で急激に優しさにハンドルを切る構成になっている。面白く、新しいだけでなく、松本がよく言う「緊張と緩和」をツッコミの1センテンスの中に詰め込んでいるのがテクニカル。
【かまいたち】
1本目は山内の狂気に見てる方がちょっと引くいつものかまいたち、2本目は少しソフトになった屁理屈漫才。好みはあるだろうが自分は2本目が今まで見た中で最も完成度が高い完璧な漫才に見えた。
【ミルクボーイ】
会場での最高評価のわりにネット上の感想ではまったく受け付けない人もいるミルクボーイ。大人から子供まで誰もがわかる「人を傷つけない漫才」というところに目が行きがちだが、かなりテクニカルでもある。ボケ、展開、オチはあえて全然面白くない作りなので、そこを重視する人には好まれないのだろう。ツッコミのワードセンスと声のトーンのみで笑いを作り、それを何度も重ねていく競技のようなストイックネタである。それだけにツッコミのフレーズや間は完璧に磨き抜かれている。ひとりごっつやIPPONグランプリなどストイックなボケ企画を生み出してきた松本がもしツッコミだったらこういうスタイルの笑いの実験をやっていたかもしれないと思った。
そういう点でミルクボーイもまた「ツッコミの時代」の象徴的なコンビだった。笑いはほとんどとらないが正確にトスを上げつづけるボケ?側も高い技術が必要なのは言うまでもない。
まずさ、トップバッターでsideM出るとは思わなかった。トリじゃね?とか思ってたから。白いパンツが何人か並んでるのが見えて、え、とか思ってたらビヨドリ始まるやん。そんなんテンションメガテラMAXになるやん??てらし目で追っちゃう。自己紹介、松岡くん声低いの相変わらず面白い。
で、トレジャーパーティー初めてのフルメンバーでしょ??真ん中集まって座るのかわいすぎない??ここドームだよ??え?かわ。
で、そのあとにフランスくるやん。四分割ないのかなーとか思ってたら最後にするしさ。なんなん?ドーム抱くの?
スペインはさー、やっぱり薔薇咥えるのね??はー?もうなんなん?小松昌平のダンスキレキレすぎてほんま好き。しろうくんもなんなん?え、君小学生でしょ?あんな顔していいの?ダメでしょ??横に先生いるよ!
で、ミートザワールドくるやん。くると思ってなかったわ!あほ!で、終わりかよ、えー、と思ったらまた来るよってなんなんそれ、え、まさかのオオトリなん?とか思ってた。
しかも途中、FLOWさんのあとに出てくるやん?でべそのとこで。わちゃわちゃみんなはしゃぐやん?かわいすぎかあほ!!小松昌平!お前やお前!ドームの真ん中で回し蹴りしまくっててくそー!かっこよすぎか!!
で、最後の最後、ほんとに大トリで出てくる。西川兄貴の後ですよ??いいの?しかも一曲目PRIDE STARってまだ発売もされてない曲!!!!の!!!衣装も新しいやつ!!!ほとんどのメンバー!!初披露ですよね!!あの衣装かっこよすぎるの!!そしてしろうくんの帽子!お帽子!かわいすぎか!天才!ありがとう!そしてばか!きー!めっちゃいい曲だからもう嬉しすぎ。最高。
そのあと、何故かドラノンのイントロ流れるやん?え、拓ちゃんとゆうまたそ来てるの??え??とか思ってたら西川の兄貴ー!!どゆことー!!はー!!オレンジー!!しかもゆうまが歌うところをしゅうごが歌ったりするやん?えも。寄せてくるし。しゅごん、歌手になりたかったんやもんね、それで西川の兄貴と同じステージに立てるってすごすぎない?良かったね、良かったね。
そのあとFRAMEやん。緑になるの、会場一面が。で、ちゃんとフレーム!!って叫んでくれて、それだけでもうたまらん。間奏の殺陣も決まってたよ。
からの、神速。オイオイしまくり。えー、みんな知ってるの?知らなくてものってくれてるの?わからんけどすごい声!今日イチ。2人が腕くむところ、カッコ良すぎない?天才か??
そしてSEMくるやん。知ってる。最高なの。一面ピンクの海でタケノコダンス。ラストのポーズかわいすぎ。
そして、来ました。jupiter。アリギルあるかな、と、ちょっと思ってたから、ちょっと残念って気持ちがなくはないけど、いやいやいやいや、十分すぎるよこの舞台!!!!最後の最後に出てくるのがjupiter!ありがとう!!BNFを生で聞くのが東京ドームなんて、もうどうしたらいいの?死ぬのかな?もうずっと三人から目が離せなかった。松岡くんがやっぱりちょっと腕回すの遅れるのが可愛い。で、それぞれセリフ言うとこほんま好き。松岡くんが「一緒ならがんばれるよ」っていうやん?はー!がんばれる!がんばれるよ!!神原さんが「忘れられない日になったね、チャオ⭐︎」って言うやん?はーーー!!!チャオーーー!いただきましたーー!!そしてーー!忘れられない日になったね、ってね、それ!確定事項!そうです!もう忘れられないよ!好き!北斗!で、てらしが言うんですよ、「東京ドームでも楽勝、だぜ!」って。あぁ…もう、ほんと…そういうところ…。ドームでも楽勝だよね、冬馬だもん。トップアイドルだもん。東京ドームも越えていく。それが天ヶ瀬冬馬だもの。大好き。大好きだよ!!!最後まで三人が全力で歌うのを見てて、ほんとこのまま終わって欲しくないな、という気持ちで見てた。決めのポーズは1stの時と同じ。あのステージからこんな大きいところまで来たんだね。
最後はみんなでドアラ。ドームに315!!って大きく響くのが本当にすごかった。もっとたくさんの315プロのPさんに見て欲しかった。すごいよ、みんなこんなところまできたんたよって。わちゃわちゃみんなが動いて、可愛かった。最後の方、出演者みんな出てきてさ。765もいるんだよ。同じステージに立ったんだよ。見たか、765プロ、って、冬馬が言ってるのが聞こえる。誰かそこのてらしだけ抜いたBlu-rayを私にくれ。みんな手を繋いで大団円。
ありがとう、バンナムフェス 。こんなsideMいっぱい推してくれてありがとう。明日も全力で楽しみます。
sideMの現場は男性P結構多いし、気になった人はどんどんライブ見に来てくださいね!!!かっこいいから!!!やっぱりjupiterは最高だ!!!大好き!!!ずっと付いてく!!!酒の勢いでとりあえず書きながり!以上!!!
ランティス祭り3日目におけるアイカツオタクの振る舞いが物議を醸した。
簡潔にいうとランティス祭り2019というランティス20周年を記念した3daysの大型アニソンフェスにおいて、多くの演者が持ち歌一曲と別枠コーナーのカバー曲一曲で出番終了。ラブライブ・アイマス等大型コンテンツや主要な出番を与えられた演者と、その他大勢の演者の扱いに明白な差があったこと…、というよりその他大勢の演者に対するあまりにもお粗末な扱いに、不遇勢でおそらく最大勢力だったアイカツオタクがアイカツの出番が一曲で終わった直後ブチギレたというのが概要。
一部のアイカツオタクがブチギレてUOを投げ捨てたとか他オタクやスタッフに向かって暴言を吐いたという事実は決して許されるものではないし一人のアイカツオタクとして申し訳なく思うが、アイカツオタクが置かれていた特殊な状況とランティス祭り2019というフェスの決定的な問題点について理解せずこの話題に触れる人がいるのが我慢ならないのでまとめていく。
現行シリーズのアイカツフレンズ!は多くのアイドルアニメ同様キャラクターの声優が歌唱を担当しているが、前シリーズのアイカツ!とアイカツスターズ!ではキャラクターの声優とは別に歌唱担当のアイドルグループSTAR☆ANISとAIKATSU☆STARS! が存在した。そしてその歌唱担当のグループは2018年2月の武道館ライブでシリーズから卒業した…、にも関わらず何故か卒業から半年後のアイカツシリーズ5thフェスにメンバーが召集されそれなりの曲数を歌ったり声優とコラボしたりした。そして今回のランティス祭り2019においてもメンバーが召集されるとのことで、アイカツオタクは神経を擦り減らしつつ今後もあるかわからない機会に高いモチベーションで臨んでいた。
5年前のランティス祭り2014は歌唱グループSTAR☆ANIS名義でアイカツ曲を披露したが今回それぞれアイカツ!とアイカツスターズ!名義での参加となったのは歌唱担当グループは既に解散しているから使用しないという、よくわからない忖度によるものだと思う。
ランティス祭り2019年で行われた内容について納得のいく表現をするならランティス20周年記念コンサートだと思う。あんなのアニソン好きのためのフェスではなくランティスのためのコンサートであり1dayのホールコンサートでしか納得出来ない内容。
フェスにおいてより集客力のある演者がトップバッターやヘッドライナー等主要な場面を抑え出番が厚くなるのは当たり前だし、フェスならではのサプライズやコラボなんかあれば当然嬉しい。
そういう視点で見るとランティス祭り2019の運営が主要な演者とみていた人たちの出番や2日目のおれパラ、3日目のSOS団サプライズは大成功だったといえる。それは誇るべきことだ。しかし同時にその他多勢が蔑ろにされてしまった。
来た人には分かるけど各ブロックのオープニングに演者をモニターでまとめて紹介したら十分だと思っているのか、実際の出番では自己紹介もしないまま一曲歌ってすぐに捌けていく演者が何人もいた。ありえない。他にも一曲歌った後もう一曲くらい歌えたんじゃないのと思うくらい、不自然に長いMCで場を繋がされる演者も大勢いた。喋ることがないのでランティスさん20周年おめでとうございますやランティ水の宣伝で繋ぎざるを得ない演者さん達を見るのは本当に辛かった。悪魔の所業だと思った。
そして不自然に長いブロックごとの休憩時間。フェスなんていくつかのステージ作って観客に自分でタイテ組ませて自己都合で休憩させればいいだけなのに、わざわざ全員を一つのステージに釘付けにするならせめてひっきりなしに楽しませるための工夫を施さなければならない。しかし実際は無駄に長いMCの所為でそんなに体力を消費する場面もなく、休憩を求めない中フードや出店ブースにお金を落として来いという意思しか感じないブロックごとの休憩時間の長さ。これもきっと悪魔の所業。
持ち曲を一曲しか歌えなかった演者にはスペシャルコーナーでランティス楽曲をカバーする機会が与えられたが、主要な演者と判断されていた人たちはカバーには参加せず持ち曲を複数歌うことを許された。これもありえない。
フェスのテーマに「A・R・I・G・A・T・O ANISONG」なんて題を掲げ、時代を彩った各年代のアニメソングへの感謝を捧げさせられたのは持ち曲を一曲しか与えられなかった演者達だけ。本来逆じゃないですか?
現在のランティスを代表する大人気アーティストがランティス20年周年の歴史における時代を彩るカバー曲を披露していたらとても意味のあるテーマになったと思うのですが、フェスという自分のファン以外にも多くの人の目に触れる大きなチャンスにおいて、碌なチャンスを与えられなかった方々がランティス20周年を祝うための供物に使われた。最悪の表現をするならそんな感じ。
フェスとして決定的に破綻している。音楽が、アニメソングが好きな人が作り上げるイベントでは決してなかった。フェスの出演者全員に敬意を払うという最低ラインを超えないままサプライズに走ったのは悪趣味すぎる。
過去のランティス祭りでは当たり前に出来ていたことが出来なくなった。ランティス祭り2019の運営に携わった主要スタッフがこの様なイベントにしようなどと考えるのは俄かには信じられないので多分スポンサーやランティス重役からの圧力や忖度があったとしか考えたくないが、それでもこのイベントに関わった人たちを許すつもりはない。
今回のアイカツオタクによる暴動は決して許されることではないと前置きした上で主張したいのは、直接的な被害を受けた人以外に誰がアイカツオタクを非難できるのかという点です。
今回アイカツオタクの暴動が表面化したのはイベントの割りを食った側の最大勢力だったのが大きいと考える。milktubさんが一曲で終わった後もアンコールが起こっていたし、このイベントに不満や疑心を抱いていた客は少なくなかった。milktubさんはブロックのトリだったので結果的に笑いで済んだが、3日目のアイカツの出番が終わった後のアンコールとアイカツコールが続いてしまったのは次の演者に迷惑がかかる最悪な行為で弁解の余地はない。最悪な空気の中アイカツ!で主役を務めた下地紫野さんが主演した「ハクメイとミコチ」のOP曲「urar」を歌われた Chimaさんには本当に申し訳なく思います。僕自身もこの時だけは周りでアイカツコールを続ける同士に対して正気を疑いました。
ただ本当に楽しみにしていた出演者の出番が一瞬で終わってしまった悲しさや虚しさを理解できないオタクはいないと思います。これは他コンテンツのオタクたちにとって対岸の火事なのでしょうか。
「Chimaさんの出番の時にゾロゾロと帰ったアイカツオタクはマナーが悪い」
フェスで自分が興味のない演者のタイミングで休憩に出るのは当たり前のことだし、それがこの時このイベントにおける最大数だったから表面化しただけ。その場に残ることが苦痛にしかならない場面で我慢しろといえる人間がどこにいる。
それは当然の感想だがどこのオタクの立場からそれを言っている。対岸の火事だと思っているからそう言えるのではないか?
一定数以上のファンを抱えるコンテンツのオタク達が今まで起こしてきた不祥事なんて数えたらきりがない。自分のコンテンツがこの様な扱いを受けた時暴動にならないと自信をもっていえる人がいますか。
正直今回の件は暴動とはいっても流血沙汰や物壊したりというのは知ってる範囲では聞いてないし、文句を言って退場してカラオケブースで厄介するくらいでよく収まったなとさえ思っている。一定数以上の人間の不満が集まった時暴動が起きるのは歴史が証明してきたって言ったら怒るか。でも本質的にはそういう話。
今回アイカツオタクがやったことはオタクとしてあるまじき行為だがそれを指摘するために"女児アニメ"だろみたいなそれっぽい単語で語調を強めようとする奴が一番嫌い。
あの場にいた人間は皆アニソンが好きなオタクたちだ。それぞれ好きなコンテンツは違えどそれは共通していたはずだ。それなのに急にお前らは女児アニメだから特にお行儀がどうとかコンテンツのカテゴリを意識しろみたいな論調なんなん?女児アニのイベントではなくアニソンフェスの話をしているんだぜ。自分達のコンテンツとはカテゴリの異なる対岸の火事だという無意識さが透けて見えて気分が悪くなる。
実際アイカツはメインターゲットである幼女先輩と共生しなければならないイベントもこれまで数多くあったけど問題を起こさず粛々とこなし、大人だけのイベントとはその振る舞いを分けてきたつもりだ。こちとら女児アニメのコンテンツであると同時に国内最大級のクラブ「ageHa」でのオールナイトDJイベントを成功させてきたコンテンツなんだ。
別にアイカツオタクを擁護するためにこんなクソ長文を書いてるわけではない。自分のコンテンツがクソに扱われた時どのコンテンツだってこういう暴動は起こり得るんだよ。
アイカツオタクがやったことを非難するのはされて当然だけど、ランティス祭り2019の根本的な問題に触れずアイカツオタクだけを槍玉にあげる人間がいるのだとしたらそれが一番許せない。
アニメソングが好きでフェスが好きでランティス祭り2019に参加した上で、あのイベントに違和感を覚えないオタクがいるんだとしたらそれこそ正気を疑う。
これは対岸の火事ではないよ。アイカツオタクを槍玉にあげるのだとしたらランティス祭り2019の根本的な問題にも触れないと意味がないし世の中何もよくならないと思う。
それと同時に今回の件に関してPやサンシャイナーに敵対意識を剥き出しにするアイカツオタクがいるんだとしたらそれも意味がないからやめろ。Aqoursの派生ユニットが2曲目を披露した時が最大のヒリつきポイントだったことは認めるが、それはランティスを嫌いになってもAqoursを嫌いになる理由には相応しくない。出番を与えられた演者はそれに全力で応えるしかないことは自分の推しを見てよく知っているはずだ。
最後にランティス祭り2019について僕は参加出来てよかったと思っている。
この曲を聴くためだけに3万円払うだけの価値があったと感じる瞬間があったし、SOS団のサプライズでボロボロに泣いた。
その上でサプライズや大人気コンテンツと大人気演者のことしか考えず、多くの演者に対して最低ライン以下の待遇を与えたランティス祭り2019を強く非難する。
大学も卒業するタイミングで腐れ縁の友人と食事に行く機会があった。
友人は高校の同窓会幹事みたいな役割だったので、自然に同級生の話になり。
「そういえば、あいつ入籍するらしいよ」と、卒業後大阪に行ったやつの現況を知らされて驚いた。
まあ、遅かれ早かれ結婚するとは思っていたけれど、そいつがトップバッターになるとは思わなかったから。
高校時代の彼とは、出身がうちの親の集落ということもあって仲が良かった。
顔立ちは整っており、特進クラスの中でも物理が得意で、落伍者の自分は度々お世話になったこともある。
一方で現役時代は柔道に明け暮れていて浮いた話はあまり聞かなかったはず。
そんな彼が今や入籍とは、時間が経ったものだなぁ、と二人で感慨深げになっていた。
それがトリガーというか。
思い返せば同級生にもいろんなやつがいたなぁと懐かしく思っていた。
東大の前期に落ちたはずなのに後期に受かった化け物みたいなやつ。
Jリーグで今も選手としてサッカー続けているやつ。競輪選手で若手のホープになってるやつ。
アイドルグループに入ったやつもいれば、記者になってあちこち飛び回ってるやつもいる。
小説家になったやつ、教師の首を絞める喧嘩をしたやつ、バイクで事故って成人式前に死んだやつ。
自殺未遂を引き起こした奴、アカデミックを目指して進学するやつ……本当に千差万別というか、個性的な奴らばっかりだったと思う。
目の前で炒飯を掻っ込む腐れ縁の友人だって春から県庁勤めが決まっているので、こいつも凄いやつの一人ではあるけれど。
そうやって同年代の、同地域にいたやつらと自分を比較していくと、自分がぼんくらで何もない、虚無感に苛まれる。
良かれ悪かれ、何かを成し遂げ、自分の人生を歩いている奴らにあまりにも多くて。
たかだか修士のペーペーには、そいつらの歩く道はまぶしすぎるし、到底辿り着けない道なんだろうな、と諦観が生まれている。
毎度のことだが核心をついた意見や評論が日本のメディアではなかなか出てこない。
いつもどこかポイントがずれた話で終わってしまう。また、それにきちんと声をあげれる一般人も少ないと思う。
コンサル目線で「M-1の問題点」と「とろサーモン問題」を総括してみようと思う。
まずこの二人が毎度採点コメントで脇役のはずなのに爆笑をとろうとするのがいけない。今年だけの話ではなく、以前から気になっていたことだ。
この段階で笑いをとってしまうので(結果的に)コメントの合間に漫才が入る形になり、客も視聴者も全力で笑いにいけないのだ。
採点者はあくまでも脇役なのだから客をじらして漫才で笑わせてあげるようにもっていくべき。
松本人志は「ダウンタウンなう」でもそういう傾向があり、インタビュー番組なのにゲストの話を折りまくる結果になっている。
2. トップバッターの採点
一番手の採点は一律で全員90点に統一するべき。二番手以降は一番手を基準に審査員が個々の判断で上げたり下げたりすればよい。
また最低点は80点でよいだろう。厳しい予選を勝ち抜いてきた漫才師たちなのだから変に低い点数は必要ない。
この2つの改善を導入することで、(1)一番手が不利になる状況、(2)立川談志みたいなやつが50点をつけることがある、という今までの運用で出ていた問題を改善できる。
ちなみに、上沼恵美子の採点が大勢に影響を与えていないのはすでにネットで証明されており、彼女の採点には全く問題がなかった。
この度は私の不徳の致すところで、上沼恵美子さまに失礼極まりない言動をしてしまい申し訳ございませんでした。今後は二度とこのような事がないよう深く反省しお詫び申し上げます。
謝罪は「自分がやったこと」を謝罪するのではなく、「それによって不快な思いをさせてしまったという部分」を謝罪した方がよい。
例えばあるプロジェクトを動かしているとして、(1)「自分がやったことの謝罪」はイコール「自分の非を認める」になってしまう(これはこの後裁判になることを想定すると自爆というかNGのアクション)し、(2)気分を害したという結果に誠実に謝罪した方が相手(クライアント)の怒りも収まりやすくプロジェクト全体が建設的に前に進みやすいのだ。
それに加えて、とろサーモン久保田の酒癖の悪さは有名だったそうで、今回はそんな人間のたわごととして済ませてしまった方がよかったように思える。酔いが醒めてから事の重大さに気がついた→気分を害してしまったことをお詫びしたい、という流れで処理するのが適切だったように思う。
自分がやったことをフル謝罪した場合は、ねちねち永久に攻め続けようとするやつが昨今のネット社会では後を絶たないよ。
吉本興業がさくっと謝るという方法もあったと思う。個人レベルで謝るのではなく、会社の公式コメントとして謝罪してすばやく手打ちにするのも選択肢としてあったと思うが。
見取り図 85点
受けていたが、ネタの展開は読めてしまって、知らない名前は後で何?と聞くのがわかってしまっているのであまり笑えなかった。この展開は2015年のジャルジャルもやっていた。覚えてないが他にもいくつもあるだろう。使い古されている気もする。ここに既視感があると全て既視感しかない。
と悪口を言っても仕方なくて、十分上手くて受けていたので、審査員はもう少し褒めて欲しかった。トップバッターだし。じゃないと客も盛り上がれない。それが前半の点数の低さにつながったと思う。
とはいえ、この厳しさがなければM-1の緊張感と権威づけも出来ないので難しい。
しかし、いつでもこの厳しさを乗り越える組が現れてMー1の歴史がある。
結果、今回もそうなったわけだが、それにしても前半不利はどうしたものか。
スーパーマラドーナ 85点
ネタのチョイス。田中の方が実はヤバいやつ、という一点だけのボケなので、そりゃ最初に受けて後は盛り上がらんだろう。と思うのだが、予選では受けていたのだろうか。ラストイヤーで残念だが、今後はテッテレーでブレイクしてほしい。逆にいうと、これまでにその田中のキャラを引き出せなかった武智の負けなのかもしれない。準々決勝のネタはよかった。
全体的に志らくの審査の評判は悪いようだが、共感するところが多い。うまさはあったがあまり面白くなかった。前半で客が重いというのもあるかもしれないが、実は準々決勝の方が客は重い。決勝はテレビ向けに結構笑ってくれていると思う。で、その準々決勝のネタはめちゃくちゃ面白かった。それと比べると、このネタはそれほど面白くない。もちろん、うまいので笑いは取ったし盛り上げたけど、そこまでではなかった。やられた感はない。準々決勝のネタを是非見て欲しいし、どこかで披露して欲しい。
ジャルジャル 95点
ジャルジャルがとんでもなく面白いのは言うまでもないし、残念ながら伝わらない人も多いのも今さら言うまでもない。ジャルジャルファン的には今回のネタもきっちりと一般人向けにチューニング出来ていて良かったが、クオリティだけでいえば去年の方がはるかに高い。今回のはドネシア、ゼンチンというフレーズの面白さだけ。ルールチェンジの盛り上がりも2回。それに比べれば去年のネタは、ルールの複雑さ、その展開の仕方の絶妙さ、ポンピンと頭を撫でるという二つの回収要素などめちゃくちゃハイレベルだった。だからこそ伝わらない。その上での今年。
面白かった。準々決勝と同じネタですでに見てたのに、決勝の方が面白かった。間が絶妙だったと思う。本番の緊張感がよりギャップを生んで面白さを増していた。と思ったが、そうでもなかったようだ。自虐が受けない、ってそんな法則あったっけ。ミキは?トレンディエンジェルは?まあ、最終決戦に残るネタではないか。個人的にギャロップが活躍してたので満足。
ゆにばーす 90点
川瀬名人、緊張しすぎ。でもネタの構成は面白かったし、ハラちゃんのしゃべくり面白かった。そういう意味で見取り図、スーマラよりは個人的満足度はだいぶ高い。
ミキ 93点
正直ミキはあまり好きではない。ボケが本当に面白くない。あえてなのだろうけど。亜生がカワイイキャラだからあれぐらいのボケがちょうど良いのだろうか。笑いは全てお兄ちゃんで取っている。それなのに、ここまで笑いが取れる。そう言う意味では天才だ。
でも、審査員も言うようになったけど、ボケをもう少しひねった方が良いのではなかろうか。発想の凄さみたいなものが加わると最強だと思う。
トム・ブラウン 90点
勢いでやり切っていて良かった。特別面白いとは思わなかったけど、全体的に真面目な漫才ばかりだったのでとても気持ちよかった。でもそれ以上の感想はあまりないかな。
霜降り明星 95点
良かった。もうこのコンビは売れるのは時間の問題状態だったので、やっとここできた、と思って嬉しい。ツッコミの粗品は19歳の時にピンでオールザッツ漫才優勝している天才。それにせいやが合わさったら最強。二人ともRー1出てるし。せいやはすべらない話でMVS取ってたし。どうせ売れるなら早く売れた方が見ていて気持ち良い。嬉しい。
和牛 95点
ネタの展開、ツッコミの技術が凄まじい。よく出来た古典落語を名人がやっているような漫才。面白いのはみんな言ってるし知っているので、あえてケチをつけると、全てが計算し尽くされていてちょっと窮屈だ。でもすごかった。和牛もオールザッツ漫才優勝コンビ。オールザッツの先見性はすごい。
審査員について
志らくはああいう普通じゃない評価をするために呼ばれたんだろう。みんなが巨人や礼二のような審査したってつまらんじゃないか。
ということを、受け入れられないのだろうか。息苦しい世の中だ。
とはいえ、みんなにたり寄ったりの評価でそれはそれで良いんだろう。
上沼恵美子はもう役割を終えたよね。お疲れ様でした。去年は特に良かった。
松本人志は、もう、ちょっとおじいちゃんですね。たぶん、もう出場者を可愛いと思って見ている。まあいいんやけど。面白いのは今でも面白いけど、もうそろそろ潮時かもしれない、と初めて思った。今年も和牛に入れるのは違うと思う。
最終決戦
去年も勝ったらこのネタをやるつもりだったのだろう。ザ漫才でもやってたし。めちゃくちゃ面白いが、このタイプのネタでは勝てないのもよくわかる。というか本人たちもわかっていると思うのだが。ジャルジャルのアホ要素を詰め込んでいるネタだが、それだけでは世間は受け入れてくれない。残念だが、もう何度も経験済みだ。
いつかのキングオブコントのオバハン連呼ネタもそうだ。めちゃくちゃ面白いのに。
やっぱり、1本目のネタと同じぐらいに奇跡的なネタを別の切り口でもう一本作らないと勝てない。例えば、2015年の1本目と今年の1本目を合わせるような。でもそんなの流石に無理だ。
2本目やって負けるのはファンとしても納得。福徳もすっきりしていたみたいなので良かった。
これも感想は1本目と全く同じ。古典落語の名人芸。でも欲しいのはそれではなかったりする。欲しいものは何か。
それが、この勢いと煌めき。眩しい。夢しかない。
ABC優勝ネタも含まれていて目新しさはないが、その頃よりはるかに洗練されているし、とにかく瑞々しい。これを求めているのがMー1じゃないのか。和牛はそりゃ面白いけど、獲るなら2016だったと思う。銀シャリじゃないやろう。と今更言ってもしょうがない。
世代交代をみんな喜ぼうよ。スター誕生したんだから。この二人は絶対裏切らない。天才が二人。奇跡的にコンビを組んだ。
楽しみすぎる。
5月にあった「素人だけど倒れた人に心臓マッサージしたから知見を共有する」を受けて。
https://anond.hatelabo.jp/20180518184020
高校生の時に救命救急講座を学校で受けたけど、15年以上も前のことだから、知識をアップデートしといたほうがいいな、と思った。
そういえば、3年ぐらい前に、停車中の電車の中で目の前の人が倒れたことがあった。
車内の非常ボタンを押して電車が発車しないようにしてから意識の確認をした。
10秒ぐらいでその人は意識が戻って、勝手に立ち上がってホームに出ていったのだけど、
万一意識が戻らなければ、昔の知識で心臓マッサージをしていたのだと思う。
案外、人ってそういう場面に遭遇する可能性は高いんじゃないかとも思った。
そこで早速地元自治体のホームページを検索して、救命救急講座を調べた。
月1ペースで開催されているが、平日開催が多く、最速で土日開催しているのが8月だった。
7月に入ったら予約入れようと思い、しばらくは何もしないでいた。
そこへ6月の大阪北部地震。自宅は震度6弱で、半数以上の食器が使い物にならなくなった。
幸い妻も自分も怪我はなかったが、この経験で、より一層救命救急講座への受講意欲が湧いた。
7月に入って予約を取り、先日受講してきた。
とのことだった。
ちなみに、肋骨が折れるという話は今回の講習でも話にのぼっており、驚く参加者も多かった。
ロールプレイでトップバッターだったが、結構とちってしまった(119番の要請とAEDの依頼とかがすっとんでしまった)ので、
実際の現場では、とにかく焦らず落ち着いてやろうと思う。
古い知識が役に立たないわけではなくて良かった。
それでも10年に1回は講習を受けておいたほうが良いな、と感じた。
あと、胸骨圧迫(心臓マッサージ)はとにかく力がいる。1分ぐらいやり続けるだけでも疲れる。
周りに人を呼んで、交代制でやるのが良いと思う(これは実習中でも隊員の方が言われていた)
なので、元増田の方は、一人で心臓マッサージは大変だったと思う。ご苦労さまでした。
というわけで、一度も救命救急講座を受けたことがない人は、ぜひ1度は受けてほしい。
受講して10年以上経ってる人は、余裕があれば地元自治体の救命救急講座を受けたほうが良いと思う。
以上、2015年版の救命救急講座を受講してきた増田がお送りいたしました。
自分では褒められるようなことではないと思っていて、いざという時、自分の家族も含めて、命を守れるのはその場にいる自分たち以外にいないんだ、っていう状況が誰にでもあり得るということを、結婚や地震の経験を基に実感して、それを行動に移しただけなんだよね。
上級勧めてくれる人ありがとう。もらった冊子には、上級の内容も載ってたから、読んだだけで満足しちゃったのか、今の所受講の予定はない。でも、実践するのと知ってるだけなのとでは雲泥の差だってことは今回の講習でも理解しているので、もう少しモチベーションが上がったら受講するかも。
eラーニングになってる件だけど、電話予約入れたら、「eラーニングって知ってますか」と聞かれて「はあ、ビデオ教材みたいなやつですか」って答えたんだけど、要はそのeラーニング受けたら、講習序盤にあったDVD鑑賞会をスキップできる、ってことだったみたい。1時間弱の動画を昼下がりに大の大人がパイプ椅子に座ってじーっと見続けるの苦痛だったから、今にして思えば、小分けにして事前に見ておいて、途中から参加でも良かったかもしれない。
だって、アクエリオンだしARIAだしツバクロだしNHKだし、アニソン界の10年選手だよ
高垣楓に早見沙織だとか、輿水幸子に竹達彩奈だとかそれどころじゃなくて
なんならめったに参加しないサプライズゲスト枠でも納得なくらいで
それが蓋を開けてみたらどうだい、2nd以降コンスタントに出てくれてさ、そしてとうとうセンターだよ
しかも、ソロ活動でも声優活動でもイケイケゴゴーで、間違いなく今が一番脂の乗ってる時期で
そんな牧野由依が、トップバッターのソロ曲から参加したユニット曲から、ずっとキーポジションで圧巻のセンターしてんのよ
だのにデレマスとしての軸はぶれて無くて、遂にデレマスは牧野由依を飲み込んだと思ったね
もう信じられないよね、素晴らしいよね、アイマスに来てくれてありがとうと、佐久間まゆを演じてくれてありがとうと
うん、それだけ
長子育ちで、わりとなんでもトップバッターで独り占めしながら生きてきたので(これを言うと皆に長男長女ってそういうもんじゃないと言われるのですが)、
「みんなで別の種類頼んで、シェアしよう〜」
自分で選んだ好きなもんを、ひとりで全部食べたいんで。
大人だからそういう場で反論はしないのですが、何かの会合でない限り、極力ランチは一人で行きます。
わっかんねーよ。
ただ、「おひとりさま」という、女性誌が喜びそうな耳障りの良いつまんないくくりで括られるのもツラい。
なぜなら、ひとりで全てを独占したい、意地汚い根性と欲求を満たすために行ってるだけなのに
「おひとりさま」人種が最近料理の写メ撮りながら悦に入って幅きかせてるの見るとちょっとあれって思います。
結婚して何がツラいって、一人で好きなだけ好きな物を、夕飯に食べられなくなってしまったことでしょうか。
焼肉・寿司・しゃぶしゃぶ・定食屋・ラーメン・煮込み屋・居酒屋・立ち食いそば…気の向くまま、その日食べたいものを味わってきました。
本当にやりたいことと、本当に食べたいものは、自分ひとりでやった方が圧倒的に楽しい人種はある一定数存在します。
結婚とは、規則正しく安定した生活と引き換えに、欲望に赴くまま自由に行動する享楽を捨て去ることでした。
本当にしたいこと行きたいところには、ひとりで行った方がいい…という渇望は極力捨て去り生きています。
誰の影響も受けずに自分一人で、まずは判断してみたい欲望は、人間として未成熟ということなのか。
ささやかな夢は、一人で焼肉屋に行き、〆のスープとかクッパを、独り占めできる喜び。
ショボいちっちゃい皿にちんまり盛られてんじゃなくて、器ごとガバッと食べる快感。
誰かと一緒に食べる喜びなんかより、圧倒的に勝ります。
今日は連れが友人と飲みに行くということで、ひとり行きつけの焼肉屋にやってきました。
ビールを頼んで、ロースとハラミとコブクロを頼み、コムタンスープを頼む。
もう15年以上ひとり通いつめていますが、
肉がそこそこ美味くて、配膳以外は客を徹底的に放っておいてくれる愛想のなさが、最高に素敵な焼肉屋です。
痒いところに手が届くホスピタリティとか笑顔の接客とか、逆にひとりメシする側にとってはとてもウザいものなのです。
「店員の愛想がない」「店が古くて汚い」とか言って、小さい街の昔ながらの焼肉屋に低評価つけてる食べログのクソレビュアー、早く絶滅しないかな。
fujiponのカンニング竹山の「すべらない話」の感想の感想エントリが僕の逆鱗に触れた。
これね。http://fujipon.hatenablog.com/entry/2016/12/06/140057
まず、私はカンニング竹山のすべらない話が笑えなかったを読んで、僕は放送を観ていないのだがきっと観ていたら笑っていたと思った。
そしてそれはこのエントリで批判されている通りの差別意識によるものだろうな、と恥じた。
次にカンニング竹山のマエケンの滑らない話の雑感の上記エントリに対する切り込みにはお笑いファンガチ勢を自認する僕も感心した。
ズイショのM-1 2016評は、お笑いの観客としてセンスはあるが経験値の足りない素人という印象だったが、これについてはやはりセンスがいい。
そしてfuiponの本文を読んだのだが、なんだこりゃ。
笑えなかったという感想に対する批判は基本的にズイショのように笑いどころの解説によってなされるべきなんだわ。
「でも竹山さんはいい人なんです」とかお角違い。
竹山はいい人だがナルシスト。いいポジションずっぽし嵌りで実力以上に格段に売れたラッキーマンだ。
そういう意味じゃお笑いド素人の論評対象には確かに打ってつけなのだがな。
『M-1グランプリ2016』で、トップバッターの「アキナ」のネタに、少し戸惑ってしまった。
を読んでも、お笑いリテラシー不足が煙って前が見えないレベル。こんなの書くのも読むのも時間の無駄。
遅読の僕は下手すりりゃfujiponが乱筆でっちあげるより読むのに時間かかってそうで、たまったもんではないんだわ。
書いた本人が恥かくだけでなく、世の害悪。
ド素人であるところのあなたのお笑い論評はネトウヨやリベラル(笑)の呻きのようなものだと知ろう。
で「自分を戒めていることは「他人の感想を否定しない」ってことなんですよ。」とか言い出す。
現に否定してるじゃんって思いながら読み飛ばしてたら最後に「このエントリこそまさに「感想への感想」になってますね……本当に難しい。」だってさ。
はあ? 難しい……じゃねえよ。ごくシンプルに易しく言動不一致じゃねえか。
さらに「感想を批判するな」は最初の引用エントリへの批判に対する批判なんだよな。
あそこはネットはがき職人の最高峰だと思っている。狙い続けていたが採用されたことがない。2階建てではなく別の2ちゃんまとめには何回か採用されたことがあるが満足できない。やはり2階建てに載ってみたい。
読み手ではなく書き手として一連の記事を見るとあそこに載るための競争力や発言力がものすごく高いことがわかる。何気ないように見える一つ一つの発言がめちゃくちゃレベル高い。
まず話題について後追いでなくまとめられる前にその情報キャッチして反応するというのが難易度そもそもめっちゃ高い。
その上でトップバッターになるには速報性に特化して簡潔なヘッドラインを提供しなければいけない。
情報提供するにしてもスペースを考えれば1ツイートの中にどれだけ役に立つ情報詰め込めるものが優先される。
専門家的な立場からの知見を惜しみなく提供する人たちもゴロゴロいる。
命よりも大事かもしれない金を使って壮絶な自爆芸を魅せる人もいる。これにくらべればはてなにおけるメシウマ話などGO☆MI☆KU☆ZU同然DA!
視覚的にインパクトが有ったり情報が詰まった画像をいかに切り取るかで優れたセンスもつ人がいる。
サビの部分にあたる「盛り上がる面白いツイート」をどうやってつぶやくかとか前後とうまいこと繋がるピースになれるかとかを考えて試行錯誤している人もいる。
そういう戦いを勝ち残らなければいけない。
そこまで工夫して勝ち抜いても、面白い話題が他にあって管理人の話題のチョイスそのものからそもそも外れるとアウト。
いつか当たることを狙ってアンテナを貼りまくってかつ常に面白いツイートを心がけている「株芸人」たちと
何の気になしにつぶやいたツイートが採用される「VIP」もいる。
こんなやつらに実力では勝てる気がしないが、この運の要素があるから諦めきれない。
私にできることは、まずだれともわからない管理人に認知されることだ。頻繁に採用される人の周りにいれば目にとまることも有るかもしれない。
その上で、彼らに負けないようにアンテナを貼って、記事に載りそうな話題について呟き続けるしかない。
読みてではなく芸人として考えるとあそこは本当にハイスペックな芸人しかいない修羅の国である。
市況かぶ全力二階建の載り方、知らないでしょ?10;俺らはもう知ってますよ?— にさつ (@twobooks) 2015, 12月 1
こういうのサラッと言える人ばっかりなんだよなぁ。
ブログでホッテントリしたりはてなブックマークの人気コメなら簡単にできるのにこちらでは載ることすらできないあたりにレベルの差を感じる。
株芸人枠は猛者がひしめいているので株主総会枠をお勧めする。荒れそうな総会を狙ってレポするだけで採用確率はずっと上がる。糞株、上場ゴール株は特にお勧めだ。 / “一回だけでいいから市況かぶ全力2階建に載りたい” https://t.co/JxZy76WHRS— Mc.N@休職中 (@SyncHack) 2015, 12月 2
THE MANZAI2013、あまり期待していなかった分おもしろかった。とりあえず思ったままを。
Cグループがピークだった。流れ星のネタが終わった瞬間。ノンスタイル、東京ダイナマイト、流れ星っていうそれぞれ全然違うおもしろさを楽しんで、この中からだれか1組しか選ばれないんだよ、誰だろう。東京ダイナマイトいってほしいけど、やっぱりノンスタイルなのかな、っていう瞬間。
2回ネタをやるのはやめたほうがいい。誰がやっても盛り下がる。これはしょうがない。
ネタ1本勝負にして審査方法をかえよう。ロンハーの俺達のナンバーワンみたいなのはどうか。ひとり複数票もったほうがおもしろそう。審査でもうひと盛り上がりしたい。Cグループのときみたいな、あれもいいしこれもいいしみたいなのでワーワーやるのも醍醐味のひとつなので。
必要なのは厳密な審査なんじゃなくて、おもしろさだと思う。もちろん優勝に懸ける芸人さんたちの思いやプライドは欠かせないんだけど、それだけでは足りない。ネタ+αがほしい。やりようはあると思う。
秋元康きらいだけど、最後のコメントはよかった。やりたいネタをやって勝つのが一番いいけど、それだけじゃないよね。大会が終わっても芸人生活は続くわけだし。
トレンディエンジェルが見れてほんとうによかった。
永沢よろこびすぎ。天野くんのおもしろさはよく分からないけど、先輩としては良い人。
ハチミツのボソボソ感がよかった。