はてなキーワード: ネタ番組とは
https://www.youtube.com/watch?v=fHrzrL06I2A
↑動画も見てね。収益化停止してるということで書き起こししました。
~~~~~~~~~~~~
今日はですね、「THE SECOND~漫才トーナメント」という大会についてちょっとお話ししていけたらなと思っておりますね。
いやーまずね、あの「THE SECOND」が放送されたタイミングと同じタイミングでオリラジ
アカデミーって僕らのYouTube大学で、藤森くんとの番組に生放送してた。生放送という
かプレミア配信してたんでね。うわ、裏被ってるよと思ったんですよ。
なんかコメント欄でも「『THE SECOND』とかぶせんじゃねえ」とかって、「もうお笑い芸人が『THE SECOND』とかぶせんな」とかあったんだけど。ふ~ん。あっ、かぶってんだぁ。
僕「THE SECOND」って知ってたし、興味なくはなかったんですよ。言ったらもう
知り合いとか先輩が出まくってるから。あぁ、あの先輩どうなったのかなとか、知り合いどうなったか。三四郎とか同期だしね。
うーん。言ったらギャロップさんとかもね。若手の頃に大阪の劇場でご一緒させてもらったりとかそういうのもあったからねぇ。もうベテラン枠。15年以上が出るんですよね。大会でね。で、客評で決めていくと。そこまで知ってたんだけども。いつかってまでやってない。こっちはこっちでさ、あのスケジュールがあってこの日にっていうのが、たまたま一緒だったから。
あ、そうなんだ。わ、一緒かぁと思いきや、視聴者層の違うし。何だったら戦いだと。常にね。あらゆるコンテンツつうのはずうっと戦いだから。やってるじゃねえかぐらいの感じで
オンエアしましたね。
その結果ね、僕のほうのYouTube大学が急上昇ランキング4位までいきまして。相方のほうの後編は急上昇ランキング1位になりましてね。よかったなあと思いましたよね。その「オリラジアカデミー」木本さんにも活躍していただいてみたいな。そういうのもあって。
でも裏だったしって思ったんですけど。だって見ないで何か論じるのっておかしい
よねと思って、見たわけですよね。
ギャロップさんですとか三四郎の漫才を見ましたし。大会のあり方そのものも含めてね。
中田がどう思ってんのかっていうことですよね。はい。ここなんですよね~。
これでさネタが面白かった云々っていうのもそれもあるんだけど、大会そのものが
どういうふうに中田、捉えてるのかっていうことで言うと。
本当にいろんな側面があると思う。単純に「M-1」自体がそもそもは「M-1」との兼ね合いの中で生まれた大会じゃないですか。「M-1」はテレ朝でやってて。この「THE SECOND」ってフジテレビでやってるんでよね。
そんな中でテレ朝が作ったこの「M-1」っていうのがいろんな、その後賞レースできましたけども、すべての雛形になってるような形ですよね。
というのもお笑いで言うと東京ってああいうお笑いの賞レースって。
ショータイムのショーのレースじゃなくて受賞の賞ね。賞レースって我々言ってるんだけど、賞がついてるレースだよね。こういう大会自体が、関東はあんまなかったんですよ。テレビ局は。でもこれ、関西の文化で大阪はABCお笑いグランプリとかなんとかMBSアワードとかなんかいろいろあるみたいなんですよ。
でもその吉本の中でも大阪と東京って全然文化が違うから、その東京の人間がじゃあ大阪に行って大阪の賞をとれるかっていうと相当厳しいんですね。大阪の賞は大阪の芸人のものだっていうのが、大阪のテレビ局の中でも芸人さんの中でも視聴者の中でもどっかあるんですよ。
だから東京から来た奴らっていう感じだから、なんかね大阪の賞レース文化ってちょっと遠くに見てたんだけど。ただ吉本興業ってすごくその賞レースを中心とした事務所なんですよ。だからそのテレビでどれだけ売れたか以上に漫才の賞を取ってるかどうかで劇場のギャラが上がる下がるとかっていうのがあったりしたんだよね。少なくとも俺がいた時は。
だから僕はずっと不平等だなと思ってたの。なんで、東京はショーが少なくて大阪はショー
がいっぱいあるのに賞を取ったらギャラが上がるんだよって。フラットじゃなくない? 大阪超有利じゃんとかいろいろ思ったわけ。
でもそれはそれで、テレビ局の全国ネットが東京にあるんだから東京の芸人は売れやすくて有利じゃないか。大阪から移住しなきゃいけないんだぞとか、いろんな理由があるから。
必ずしもね。そのどっちがっていうのはないと思うんだけども。その大阪の賞レース文化っていうのはなんかすごく遠くに見てたんだけども。
そのM-1っていうものができて僕はそこに吉本って入ったの、「M-1」ができた後ですから。
2004年にNHK入って5年にデビューするんですけど、2001年に「M-1」始まって。僕は大学生の時に大学1年生の時に「M-1」ってのが始まったっていうのがね。覚えてますから。
その「M-1」の大会の存在意義っていうものも含めてこのセカンドができたわけですよね。「M-1」っていうものは要するに1年目から10年目までしか出れなかったですよ。まず
これは島田紳助さんが10年やって売れないんだったらもう諦めてもいいんじゃないかっていうことでお笑いという、いつ売れるかわからないけれど、そのためがゆえにズルズルやっちゃうという芸人さんを産まないために10年目までに光を浴びないんだったらやめなはれ
というですね。
そういう言ったら厳しい愛の鞭のような意味を持った年齢制限だったわけですよ。
ところが1回終わるんだよね。「M-1」自体がね。なんでかって言うともちろん紳助さんが辞める辞めないとかもあったんだと思うんですけど。それ以上にやっぱりこう、10年目までのおもしろい人たちが大概出ちゃって。ちょっとこう、「うーん…。なんか、どうする?」みたいな状況になった中で。「THE MANZAI」とかできたり、(一緒に?)しましたよね。
そんな中でまた戻って、15年まで広げたんだよね。芸歴15年まで出れるようになったわけ
よ。この時点でかなり中堅に優しい大会になったんだよね。
これ10年って、俺が、俺はずーっとこう最初にデビューした時に武勇伝っていう
もの自体がそもそも漫才じゃないっていうことで準決勝まで行けたんだけど決勝に上がれ
なかったんですよ。
そこから漫才じゃなきゃいけないんだと思ってずっと漫才やってたんだけど、漫才自体が俺が一番向いてるフォーマットじゃなかったんじゃないかって思ってたし。僕らの実力不足でいけなかったんだよね。優勝も決勝までね。ずーっと敗者復活とか準決勝で敗者復活。ずーっと。そんな感じだった。
そんな中で、でもまあ10年でやめれるっていう側面もあるわけよ。あれって。
芸人からすると。もう出なくていいっていう側面もあるわけよ。ところが15年まで広がることによってずっと出なきゃいけなくなっちゃうんだよね。
ここね。でも15年で言ったら解放されるって所があるわけよ。解放されるのか? それともチャンスがなくなるのか? この2つの視点があることがすごい大事なの。
で、「THE SECOND」始まったんだよね。15年以上のキャリアの。ということはだよ? これ、全キャリアがその賞レースに向かうことになったわけですよ。
この「M-1」至上主義っていうのが「M-1」で見出された人たちはたくさんいるん
だけど、俺からすると正直みんな「M-1」目指しちゃってもなーって思ってたんですよね。
もちろんいろんな意見あると思うよ。「お前は決勝行ってないんだから黙ってろ」とか
いろんな意見あると思うけど、「M-1」ばっか目指しちゃうんですよ。みんな。
売れるために「M-1」しかないって思ってる人もすごい多かったのね。今、わかんない。「YouTube頑張れ」とかっ言う人もいるかもしれないけど、「M-1」しか
ないと思って、「M-1」で何とか売れるために1年準備して「M-1」に行くんだけど、「M-1」のすごいところって、発掘してるっていう側面もあるんだけど、選抜してるっていう側面がすごい強いから。言ったら「M-1」で優勝したとか準優勝したとか、それぐらいの功績を残した人たち以外は、言ったら日の目を見ない大会なんですよね。あんまり。
特に「M-1」の決勝出たけど、下位だったっていうコンビって、逆にレッテル貼られたりするじゃないですか。相当しんどいんですよね。僕の感覚からすると、お笑いって
漫才だけじゃないんですよ。まず。
漫才が偉いとかも実はないんですよ。だけどあの大会のすごいところは、漫才が偉
いっていうふうにしたところで実はみんな2001年からのお笑いの流れしか知ら
ない人って漫才ってすごいもんだって思ってると思うんですけど。
実はそれよりちょっと前って、言ったらボキャブラとかの時代って漫才師のほうが少なかったんですよ。ネプチューンさんとか、ナインティナインさんとかロンブーさんとかの世代
ってどっちかというとそのショートコントとかコントとかそっちのほうが多くて、漫才ってちょっとレトロな演芸になりかけてたところがあったんですよね。
それをルネッサンスしたのが、復興したのが、復活させたのが「M-1」だったわけなんですけど、そういう風に相対的に見ると漫才っていう演芸とコントっていう演芸とそれ以外の演芸っていうのは実は本当はフラットなんですね。
みなさんの中で落語と漫才どっちが偉いですかとかって言われてもなんか「う~ん、知りません」って感じじゃないですか。だけど昔は落語のほうが圧倒的に偉かったですよ。これ。
落語家さんは出番が黒い文字で書かれてて、それ以外の漫才師さんとか手品師さんとかそういう人たちは全部赤い文字で。色のついた文字で描かれて紹介されて落語という主の演芸を賑やかす、いろもんって言われてたんですよね。そういう感じで時代によってこの演芸が格式が高いっていう認識って全然違って。
ある時は落語、その後である時は漫才みたいになったりもしたんですけど。それはすごく相対的なものなんですよ。すごく相対的なもの。そんな中で「M-1」っていうものがもたらしたのは、僕から言うと漫才至上主義に近いものでそれのカウンターカルチャーに置かれちゃったのが「エンタの神様」とかなんですよね。
エンタの神様はどっちかっていうと「ボキャブラ」とかそういうのもそうなのかもしれないですけど、テレビバラエティの中で言ったら何でもいいからやるっていう感じですね。
もちろん漫才とかもやる時間もあったけど、漫才の時間は「エンタ」ってすごい少なくて漫才師は出づらいって言われて、タカアンドトシさんでも「コントで出ろ」とか、サンドウィッチマンさんでもコントで出ろとか言われて、コントに漫才を直してやるぐらい、お茶の間にセンターマイク1本で2人が立ってるだけの演芸は伝わりづらいだろうっていう五味和夫さんの強い意向によってコントにしていくっていう。そっちのほうがテレビ的じゃない?っていうそういう流れの中でやられてたんですけど。
だから言ったら「エンタ」芸人と「M-1」芸人って、2種類あるとしたら、なんかエンタ芸人のほうが一発屋の扱いを受けることのほうが多くないですか? でもね、冷静に考えてほしいんですけど、エンタ出身で売れ続けている人もいっぱいいるし、「M-1」出たけど一発で終わった人もいっぱいいるんですよ。
そうですよね。「M-1」の決勝に出たけど、今その後出てない人も全然いるんですよ。だけどなぜか「M-1」で決勝を出て、その後売れてない人ってのはあんまり一発屋だって言われないんですよ。こういう、まず流れがあるんですね。なので、「M-1」は漫才が格式が高いっていうふうに見せた流れがあることと、キャリアが10年って限定してたんだけど、それを伸ばしたっていうことがあるっていう事がまずあるんですよね。
そんな中で、僕がもう1個問題だと思ってるのが、実はその若手がすごく、その「M-1」に集中しすぎちゃって、逆にチャンス減ってんじゃないかなと俺は思った時期があったんだよね。他の出方、いっぱいできるんだもん。「M-1」に向けてだけやる人、すごい多くて。
減ってる?チャンス、もしかしてって思うこととか。あとね、他の賞レースとの大きな違い。これ、功罪両方あるんですけど。「M-1」って圧倒的に審査員に光がめっちゃ当たるんですよ。審査員がなんて言うかっていうのは超重要なんですよね。
特に松本さんだよね。松本さんが「うーん、もっと点数入ってもよかったと思いますけどね」って言ったら、順位が低くてもものすごいフォーカスされたりしますよね。あれがもう圧倒的な特徴なんですよ。この「M-1」の「M-1」の圧倒的な特徴が、審査員にものすごい力があって、審査員がものすごい光を当てられる。
あんなに審査員が華々しく登場する賞レースってないんですよ。最初の1時間ぐらい、実はネタ始まるかなと思う。始まんないじゃないですか。審査員の紹介が、結構長い大会なんですよ。だからこそ成功してるとも言えるんですよ。
他の大会見てると、重みがあんまりなかったりするんですよ。要するに言ったらネタ番組と差別化が図れないんですよね。だからこそ大御所の審査員のほうが厳しいこと言うとかがすごいフォーカスされますよね。上沼さんがとろサーモンさんに対して何か言ったとか、和牛さんに対して何か言ったとかもすごい注目されるように、紳助さんがなんか言うかとか。
でもなんせとにかく松本さんがなんか言うかっていうところすごく強かったわけですね。M-1ってね。これが大きな特徴。そんな中で、僕がずーっと思ってたことは、松本さんがあらゆる大会にいるんですよ。
これ冷静になって考えてほしいんですけど、「1本グランプリ」にもいらっしゃいますよね。「滑らない話」もいらっしゃいますよね。漫談でも大喜利でもいるんですよ。なんだかんだで、その若手を審査するっていうお仕事がめっちゃ多いんですよ。それは第一人者だからカリスマだからっていう意見もあると思うんですけど、今までもカリスマ的な芸人さんってたくさんいたんですよ。
たけしさんとかさんまさんもそうじゃないですか。でもたけしさんやさんまさんはそんなに審査員いっぱいやらないんですよ。ここが松本さんの特筆すべきところで。
松本さんはあらゆる大会を主催して、あらゆる大会の顔役になってたんですよね。ここで非常に重要なことが、賞の審査員が、どのジャンルでもですけど、実はその業界で一番力を持つことが大きいんですね。例えば、だから芥川賞ってすごい有名な賞ですけど。
芥川賞の審査員をやっている作家が一番偉いんですよ。実は。なんでかというと、どの作家がいい文学かっていうのを規定できるからなんですよね。この文学がいけてる。なぜなら、こうだからだっていうふうに決められる作家が一番偉いんですよ。
だから太宰治とかは、それを賞を、僕に、芥川賞を僕にくださいとか言って審査員にお願いしに行って断られたりとかっていうことがあるわけですよね。
それぐらい、その審査員って権力なんですよ。この権力が分散していたらまだいいんですけど集中してるんですね。なんせ漫才だけでキングオブコントもそうですよ。キングオブコントにもいて、「M-1」にもいるって、要するに言ったら、主流二種競技なんですよ。漫才というかコントって。その両方にいて。なんと大喜利にもいて、漫談にもいるんですよ。4種競技。5種競技だとしたら、全部のジャンルの審査委員長が松本人志さんっていうとんでもない状況なんですよね。これって。
たぶん他の業界だったら信じられないぐらいの独占状態にあるんですよ。これ、どうなるかって言うと、松本さんがおもしろいっていうか言わないかで、新人がキャリアが変わるんですよね。その権力集中っていうのは、1個の見方で言うと松本さんがそれだけ偉大な人だから求められてるんだって見方があると思うんですけど、求められてるっていうことと、実際にやるっていうことはちょっと違うことなんですよね。
求められてたとしても、冷静に考えたら実際にやることがその業界のためになるかどうかでいうと、もう僕の意見で言うとあまりためにならないと思うんですよ。なんでかって言うと一つの価値基準しかないっていうことは、それ以外の才能は全部こぼれ落ちるからなんですよ。
その人の理解できないお笑いに関しては全部こぼれ落ちていくんですよね。いや、とはいえ、中田とはいえ、それでうまくいったんじゃないか、「M-1」は成功したんじゃないかっていう議論があると思うんですけど。
もちろん素晴らしい芸人さん出てったんですけど、この「M-1」における成功って何なのかってことだと思うんですけど。それってネクストスターの発掘じゃないですか。
つまり本当の成功って松本さんを超える芸人が出てくることなんですよ。「滑らない話」「M-1」この「キングオブコント」「1本グランプリ」もう何年もやってますよね。「M-1」にいたっては2001年からだから、言ったらもう20年近く。休んでいった期間があるとはいえ、20年以上やってるんですよ。20年やって、松本さんを完全に超えたっていう芸人さんをこの全大会全部やってですよ、誰か産んだんすかって言うと、誰かが新しい大会の審査委員長になって、みんなが納得するような人が出てきたら、もしかしたらそれは成功したっていえるかもしれないですよね。
ところが、新しく始まった「THE SECOND」のアンバサダーという役割は、松本さんなんですよ。わかります? つまり20年間松本さんは松本さんを超える才能を発掘できなかったんです。発掘できなかったのか、どうなのか。
それとお笑い回は、今向き合わなきゃいけないと僕は思うんですよね。みなさんがどう思うかわからないです。僕の意見だけ言うと、ここのっていう、このアンバサダーという立ち位置がすごい微妙な立ち位置ですよね。なんでかっていうと、審査に影響を与えない大会の顔だけを求められてるわけですね。権威だけとしてアンバサダーってあるわけじゃないですか。
ブランドのアンバサダーとかいますよね。でもそれは広告塔であってブランドのディレクターではないですよね。クリエイティブディレクターとかではないから、広告塔になってくださいという言い方なんですけど。ただね、ここ、すごいポイントなんですけど松本さんってめちゃめちゃ評価に介入していくタイプの人なんですよ。
今回それが浮き彫りになったのがマシンガンズさんの時ですよね。マシンガンさんが自分たちの書き込み、自分たちについての書き込みを読み上げていくぜって言って、「マシンガンズがこういうふうに言われてる! なんでだよ!」って突っ込んでいくっていうネタがあるわけですけど。
それをやってすごいウケたわけですよね。ウケた後に、「いやでも、あの紙を出すのっていうのが、どう捉えられるかな」っていう意見を言ったわけですよね。あれがいわゆる介入。
価値観への介入に値するわけですね。
「M-1」でもそういうことはたくさんやってきたんですよ。「M-1」でも、もっと受けてもよかったけどなとか、もっと点数入っても良かったけどなってなった時に、「あっ、えっ? そうか。点数はもっと高くあるべきなんだ」と。「この人たちは面白かったのにうけなかったのは間違いなんだ」っていう。あれは審査とか、価値への介入なんですよ。
それをまあ積極的に求められてるから審査員なんじゃないかっていう見方で言うと、今回審査員ではないにもかかわらず価値に介入していったんですよね。その価値への介入を、しかも今回凄かったのが、跳ね除けちゃったんですよね。客票が。マシンガンズが勝っちゃうっていう。だから余計に変な感じになるわけですよね。
「ん? どっちなの?」っていう。紙を出しても良かったの?良くないの?
THE SECONDに対して期待を持ちすぎていた。というより勘違いしていたのかも知れない。
実力はあるのになぜか売れないと言われる種類の芸人がこの大会をきっかけに日の目を浴びるのかなと思っていた。
芸歴16年以上の大会。言い換えれば、16年以上対して売れてこなかった人達の大会。
諦めさせるための大会だったM-1グランプリで結果が出ずにしがみついてきた人達のための大会。あるいは中途半端に結果が出てしまったからしがみついてしまっている人達のための大会。
売れないのは売れないなりの理由があるんだろうなって思った。きっかけの問題ではない。
来年もこの大会を開催したいなら、フジテレビは決勝戦のメンバーを積極的に起用するかも知れないけど、他局が積極的に起用する理由がないと思う。
人は簡単に変わらないからこそ、若い人に期待を持つんだろうってことを改めて認識できる大会でした。
ここまで参加者についての言及をしたが、評論家気取りの素人審査員もキツかった。
コンサートやライブは色んな媒体で聴いた曲から興味を持って出向いてハマるとかはある。
漫才やコントのライブや単独公演もテレビのネタ番組やラジオ番組やYoutubeの公式ネタ動画から興味を持って出向いてハマる。
演劇って普通に生活してて見る機会が全くない。みんなどこでファーストインパクトを受けるの?その後に劇団や脚本家や演者や色んな理由でハマる人は居るだろうけどさ。
最近だとアイドルとかが演劇に出てそれ目当てとかは多そう。2.5次元とかは作品ファンだと横展開は無さそう。それ以外はもう親に連れて行ってもらったことがあるとか家庭環境が多そう。
あと勝手なイメージだけど男性演者ってファンとの距離近そうだけど女性演者って色黒なマネージャーに守られてツーブロックゴリラと付き合ってて要はファンと距離あって通ったところで何もなくて定着しなさそう。
関西だと、すんげえBest10とかその前後にやってた番組があった。
(調べて思い出した。超爆笑BOOINGだった。同じ枠かと思ってたが違ったようだ)
あと、昼間とかに普通にNGKとかの漫才流す番組があったような気がする。流石に全国放送はされてないだろう。
最近はテレビ見なくなったし深夜放送は特にだから何の情報もないんだけど、ローカルでネタ番組ってそこそこ作られてきた(いる)んだろうか。
実は地方局制作だった、みたいなのお笑い漫画道場みたいにいくつかあるのかもしれない
純粋なネタじゃないけど、あらびき団ぐらいしか他は思いつかない。
ボキャブラとかレッドカーペットとかより、ローカルの若手芸人に影響受けたから、他の地方、世代でも色々あったらいいなと思ったし、そんな時代じゃなくなったんだろうな、とも思う。Tverとかあるし
今日のキングオブコントの審査員は松本人志のみ発表されていて、それ以外の四人は当日に発表されるらしい。
願望も織り交ぜつつ、本気で審査員を予想してみた。
<予想した四人>
コンビ・トリオ・ピンをすべて揃え、コントなので新喜劇も入れた。そして関西・関東が半々。文句を言わせない経歴とネタを持っているし、全員現役感がある。
去年の優勝者がいきなり審査員っていうのも話題性があっていいと思う!
<候補として考えた人と、雑感>
東京03飯塚:めちゃくちゃやってほしいけど。。断りそうだなぁ
アンガールズ田中:ありそうだけどThe Wが盛り上がってるからそっちで活躍してほしい
バイきんぐ小峠:ありそうだし、あったらめちゃくちゃ面白くなりそう
野生爆弾くっきー!:かなりちゃんとやりそうだし、番組としても盛り上がりそう。でもロバート秋山を入れたから外した
大竹まこと:希望枠。シティボーイズはコントを評価してほしい!でも、なさそう。。
イッセー尾形:希望枠。一人コントの元祖だからぜひ入ってほしい!でも、なさそう。。
ラーメンズ小林賢太郎:この人は見たいよ!いろいろあったけど、実は可能性が高そう。
おぎやはぎ矢作:実はやりたがってそう。「地球儀の選び方」とか、「クレーマー」とか超面白いもんなぁ。
内村光良:要望がかなりありそうだけど、他局でネタ番組の司会をやってるから、なさそうだなぁ。
くりぃむしちゅー有田:この人が出たら一番ワクワクするかもしれない。。TBSでネタ番組をやっているから、可能性もゼロじゃないかも。
宮藤官九郎:文化人にも審査してもらおうという考えで入りかねない。芸人活動もやってたから、ありえそう!
20代学生独り暮らし。オールオンライン授業時間通りに出席しなければならないがカメラはオフ。
元々家事が滞りやすい。課題の状況や低気圧、生理なんかで体調が落ちやすい。駄目人間の自覚あり。
6月頃から長期の課題が溜まり続け何から手を付けて良いかわからなくなる。
とりあえず授業に出席しながら別の科目の課題を進める。ノートを取る。進めるを繰り返す。どっちにも集中していない。
課題が終わらないので家事の時間をとにかく減らしたがる。食器がシンクに貯まる。洗濯物を干すのが特に苦手なのでまず洗わない。トイレはブルーレット置くだけのみでだんだん黒ずんでくる。床には髪の毛が目に見えるほど落ちている。
中間テストの勉強を始めた結果複数の課題の期限が過ぎてしまう。捨てる科目を選び出す。それでも提出物が提出まで漕ぎつかない。パソコンで課題を開いてそこから手を動かさない。
手が動かなかろうが課題はやらなければならないので課題をするための時間がいる。家事を放棄する。ゴミが袋3~4個放置されている。風呂に入る時間も惜しいので1日おきにする。飯はコンビニやスーパーで2日分買い溜めする。
7月中旬ぐらい?授業にも課題にも全く集中できなくなってくる。風呂に4日入らないくらいが常で飯が無いときはチョコとか齧って過ごした。とにかく体が痒くて薬を塗っても痒くて全身掻きむしった。シンクにはひと月前から洗っていない食器が積んである。カビが生えてコバエが飛んでいる。シンクが洗面台を兼ねているので近づきたくない。歯磨きをどうしていたか覚えていない。
トイレには縛ってすらいない生理用品を放置している。こちらにもコバエが湧く。トイレに行くのも虫との戦いで嫌だった。
部屋中に授業の資料と洋服と弁当類のごみが散乱している。数分ごとに耳元で虫の羽音がしてイライラする。虫を殺すスプレーを撒いても撒いても湧き続ける。虫は本当に昔から嫌いだ。電気ラケットを振り回してもコバエは網目をすり抜けるのでほぼ意味が無い。
授業はパソコンを付けるだけでスマホで増田や5ちゃん、ツイッターを眺めて時間を潰した。なにも面白くないのに。pixivで昔読んだ漫画や小説を3回位繰り返し読んだりした。内容は覚えていない。
課題は手を付けないのが当たり前になった。コロナで受けられなかった本来の大学校舎での授業を留年して受けてやろうと思った。単位が足りていないわけではなく必修を落とすから留年になる。必修は特に実習系の科目なのでそれが良いと思った。
夜に眠くならない。何をしてても面白くない。好きで録画しているお笑いのネタ番組を見ても笑えない。自担が出演したクイズ番組を見ていてクイズが解けない。体が痒い。期末に近づいて課題が多い。やらないが。家に食べ物が無い。パスタはあるが茹でる食器が無い。フライパンも鍋も耐熱皿も全部使用済みだから。買いに行くにも風呂に入ってない。着替えも無い。洗ってないから。
8月中旬ごろにこの生活を脱した。結局留年は決まったし11月になった今でも首の炎症と硬質化?、色素沈着、痒みは治まっていない。4キロ太った。筋力がかなり低下した。
改めて考えるとおぞましい部屋だった。元から畳んでいない洗濯物を積んだり、食器を数日放置することは良くあった。でも流石に虫が湧くほど放置したことはない。月経周期的に家事をやれる日が来ることを理解していたので今は駄目でも仕方ない来週の自分がやると考えて実際それでうまく行っていた。何処から駄目になってしまったのかきっかけは思い出せない。
特に虫だ。再三、昔から虫が駄目だ。小さなやつも大きなやつも全て駄目だ。コバエや蚊とか気持ち悪くてティッシュ越しでも潰したくない。最近は少し頑張れば潰せる。常にトイレと玄関のゴミ袋とシンクにコバエが止まっていて、寝るときも羽音がするからイヤホンして、そんな生活に耐えられるわけが無い。
毎日無駄に死にたいと考えていた。まあ生きていても何になるわけでもなく無価値だから死んだほうがいいんだが、死ぬ元気も無かったので生きた。今は生きているのが楽しいので死ななくて良かったと思う。人に迷惑をかけ続けてでも生きたいので強欲になった気がする。
独り暮らしをしていた家はそのままで実家に住んでいる。何よりも犬と猫が生きがいになっている。もう10歳も超えて老犬と老猫だけどあと50年生きて欲しい。動物テラピーなのかもしれない。朝起きて動物の姿を見ると本当に幸せだ。
ちゃんと毎日風呂に入って顔を洗って歯を磨いている。外に出ない日は着替えないけど地域のサークル活動で運動もしている。課題は存在を忘れていた一つを除いて提出期限に間に合うように提出できている。
ただブランクが埋めきれないものがある。クイズと小説が本当に下手になった。クイズは知識が飛んでしまった。初夏から夏の情報はほぼ入っていないしそれ以前のベタ問すら押せなくなっている。小説はよく書いていたのだが表現が稚拙になった。この日記を読み返して実感しているはず。どちらも勉強し直したい。春休みまではとにかく必修を落とさずできるだけ単位を取ることに集中しなければならないので暫くはおあずけなのがチェだぜ。
有吉の壁は笑いのブレインストーミングだ。
すごくバカバカしい番組、あれほどバカをやっているテレビ番組は無いんじゃないかと思うけど、裏側を想像してみるとものすごく良質な試みをしていると思う。
いわゆるリーン・スタートアップ。小さく始めて大きく育てるという考え方に当てはまる。
テレビ業界ではいきなりレギュラー放送を開始するのではなく、まずは特番を放送して観測気球を上げるのが常套手段だが、それを細分化しまくるとこういうことになるのだと思う。
有吉も佐藤もよく笑う。ネタには合格、不合格がつけられるものの、本質的に否定されることは無い。不合格になるパターンは大体決まっていて、それも含めてネタだ。もちろん本当につまらなくてカットされることもあるのだろうが、ユニークなネタが次々と出てきて非常に愉快な番組だ。とにかくテンポが良い。
この番組では完璧なネタはあまり出てこない。ほとんどがプロトタイプと言って差し支えのないものだ。
その未熟さが予想外の面白さを生んでいるのでもあるが、ウケが良かった設定は改良されて次回以降に再登場する。
芸人が考えたものと作家が考えたもの混在しているんだろうけど、ネタ番組の土俵に立てばどっちでも関係ない。
とりあえずやってみる、という精神。
ハマらなければやめるし、ハマったものはブラッシュアップする。
数打てば当たる、は素晴らしい。
簡単に見えて、いざ実践しようとすると失敗したくないからできるだけ数を打ちたくないものだ。
長いネタになれば失敗を減らす方向に労力を使ってしまうから、短いネタで回転数を上げる。
お題設定も適切なのだと思う。
「さあ、何でもいいから面白いことをやって!」と言われても、不思議なことに逆になかなか面白いことが浮かばない。
何もないところから笑いを作るのは難しい。
スタッフが自分たちでお題を作っているのだろうけど、ここで良いお題を設定できないと詰まってしまう。
ある程度具体的なイメージを与えることによって、「日常のここがこう変わったら面白いのではないか」というアイデアが浮かびやすい。
有吉の壁という番組内で披露したに過ぎないネタを自分の持ちネタにしてCMにまで持っていくのは夢のある話だ。小さく始めて大きく育てる。
「ねぇ、どうしてみんなでコロナをやっつけようとしているのに、テレビの中の人はだれもマスクをしていないの?」
言われてみるとたしかにそうだ。
中には友人同士距離を保っている人もいる。
それに比べてテレビに映る人を見ていると、その程度の距離で大丈夫?左右にアクリルあるけど前後になくて大丈夫?なんて不安になることがとても多い。
中にはお笑いコンビ同士は距離が近くに座り、コンビ単位では離れて座るというなんともトンチンカンな番組も流れていた。
ネタ番組なんかも、以前はコンビ同士距離をとっていたにもかかわらず、最近では今まで通りの距離で、飛沫飛ばし合う中でネタを演じたりしている。
連日報道で感染者が何百人と言われるが、その中にいる人間たちがまったくもって無防備、対策している風なのは滑稽すぎやしないか。
ルックスが商売道具だということは理解できるが、商売道具なら許されるというならどうしてホストやキャバクラを非難できるというのだろうか。
感染しなければよいのではない。
感染させないように、国民一丸になって踏ん張らなくてはいけない時期なのだ。
「たくさんの人が見るのだから、みんなの見本にならなきゃいけないのにおかしいね」
そう返すのがやっとだった。
医療従事者の方々がそういった番組を見てどう思っているのだろうか。
胸を痛めてなければよいなと思いながら、そっとテレビの電源を切った。
新型コロナウイルスの影響でテレビ番組・ラジオ番組にも影響が出ています。
テレビ番組も再放送や総集編が起きているわけだが、どうせなら再放送も
いろんなものがされて、テレビなどのの面白さをというのを再認識されて欲しいという個人的な気持ちがある。
こういう意見が正直不謹慎かどうかわからないので、不謹慎だと思われた申し訳ありません。
ただ単純に再放送というのは比較的コストが低そうな印象があり、その上で名作ならみんなみてくれるんではと思っております。
話は本題に移って、個人的にはバラエティ番組の再放送が色々見たいな〜。
ネタ番組の再放送もそうだし、ドキュメンタリなら情熱大陸の再放送もいいよね。
面白いか面白くないかで言われたら勿論面白い。だけど、そんなの当たり前であって面白くない芸人なんて劇場にすら上がれない。
ただ、面白いだけで売れる世界なんてない。今のテレビはネタ番組がない。ネタが面白いだけではテレビに出れない。ならどうやって売れるのか。手っ取り早い方法は賞レースで優勝すること。
悲しいことに彼らは賞レースに非常に弱い。片方があがってしまうとそれにつられてもう片方もあがってしまうという芸人で一番だめな弱点を持ってる。アウェイの中では基本上手くいかない。
そんな彼らでもホームである劇場で人気を得れば売れる可能性は出てくる。しかし、それなりの特技や華がない限り数多くいる劇場所属の中で注目なんてされない。
残念ながら彼らには何も無い。
仲良しでもなければ、仲が悪いわけでもない。
平場は周りからいじられると前に出るタイプ。片方じゃなくて、両方が。
こんなの売れるわけない。
私は本気で彼らには売れてほしいと思ってる。
バイトを辞めたいと嘆いたり、必死でチケ売りする姿やインスタライブで呼びかけてるのを見たら売れてほしいと願うばかり。
いや、本当に売れてほしいのか…?
今のこの状況に寄り添って応援してる自分に自惚れているんではないか…?
差し入れを必要以上に喜んでくれる姿やチケット1枚買うだけで優しくしてくれることが嬉しいのに本当に売れてほしいのか…?それがなくなる未来を望んでるのか…?
以前、ネタ番組を見ていた時、
「バイトで採用決まったけど、サンドバッグとしての採用だったらどうしよう」
という出だしではじまる漫才があった。
「休憩室に吊るされて、他の人がシフトに入った日は2回まで殴ってよくて、10日温存したから20回殴っていい、みたいなルールができるんだ、怖い」
と怯えるボケのことを覚えている。
その時は特に何も思わなかったけど、今はそれもアリなのではと思いはじめた。
私は大学を中退したばかりで、発達障害があるため障害者手帳を持っている。
とにかく無能も無能、資格もない、学歴もない、体力も気力もない、友達もいない。頭も容姿も要領も悪い、無能だ。精神的に甘えきった無能である。
最近就活をはじめたが、自分のアピールポイントなんてない。思いつくわけがない。
人は共通の敵を作ることによって結束感が高まるものだから、私を敵にすることによって職場の士気も上がり、仕事の効率も上がるだろう。
私はちゃんと毎月最低限の給料が払い込まれていて、正社員という肩書きがもらえるなら、不当な扱いを誰かに通告するような人間ではない。
それに、サンドバッグにされることには慣れているし。
今まではサンドバッグ要員としての自覚がなかったため人に対する憎しみなどを燻らせていたが、最初から「あなたはサンドバッグです」と契約を交わして入社しているなら納得がいく話である。
肉体的にも精神的にもサンドバッグにしてもらって、皆様のストレスのはけ口になることにより、有能な人間が不当にサンドバッグになることを防ぐことができるのではないかと思う。
ひとりが犠牲になることで他の全員が幸せになるなら、そっちの方がいい気はする。もちろん、双方のきちんとした同意があるべきではあるが。
「新しい波24」って誰が出てたんだっけ、とも思って検索してみた。
このあたりは順調にテレビで見る。
ロングコートダディ(堂前透・兎)
ここは関西圏だと、割と見かける。
一月に水曜日のダウンタウンに母親ネタで出演してた一週間後くらいに解散だって。
吉住
ここらへんは関東圏では出てそう。
アメリカンコミックス(飯島翔平・鈴木祐介)
絶対アイシテルズ(らぶおじさん・楠見大輔)
まったく受け入れられなくて全カットコンビとかいた記憶しか残ってない。
こんなに出ていたのね。
関西ローカルと関東の番組とでは毛色がまったく違うんだろうな。
千原ジュニアの「座王」は関西メンバーに時々関東芸人も出演してる。
笑い飯の西田が【鬼】と呼ばれるほどの強さを示してる。化けた。
ロングコートダディの堂前がんばってる。
からし蓮根、たくろう、ネイビーズアフロ、セルライトスパ、紅しょうが、こうてい
こうていのズイィーヤのギャグをやるほうが顎の手術してたのとか知らなかったわ。
2015年以降。
吉田たち、マルセイユ、アイロンヘッド、祇園、タナからイケダ、
コマンダンテ、ヘンダーソン、見取り図、ニッポンの社長、マユリカ。
関西でもあんまりネタ番組やってないから、舞台に行けばみんな頑張ってるんだろうなあ。
アキナの【吉本超合金A】に出てて東京に進出したおいでやす小田。
Wの決勝戦にも出演してた紅しょうがが先日夕方のニュース番組?バラエティ?にロケ芸人に出てて、
いい感じに無毒化されてて、そういう役割で出演できるのも道よなあ、って思った。
古くは【10カラット】【ゲンセキ】で見かけた芸人も検索してみたら解散したり引退してたり。
2005年ですって。14年前ですよ。
ハリセンボンとかプラスマイナス、上木総合研究所、U字工事、イワイガワ、マチコ、コンマニセンチ、
オリエンタルラジオ、トップリード、アームストロングが出てたなあ。
ジャルジャルも出てたんだっけか。
【爆笑BOOING】見てた。
あと、あれあれ。
芸人たちがVTRを撮ってきて作って発表しておもしろかった上位五組とかだけ放映されるやつ。
ビリジアンとか小籔が生き残ってるんな。
水玉れっぷう隊はケンが吉本坂46に選出されてるよな。すごいな。
【火花】じゃないけど、おもしろくても生き残れない人生とか考えたら恐ろしいな。
ハライチの岩井じゃないけどバラエティ風で生き残っていくという選択肢すら選ばされないまま
スタート地点にすら立てないのは大変だ。
知らない人に説明すると宮下草薙っていうのは割と売れかけてるその名の通り宮下と草薙からなる若手のお笑いコンビで、
主に芸人としては珍しい草薙の方の陰気なキャラクターがウケてて『超ネガティブ漫才師』として名を最近馳せている。
多分スタイルとしてはボケのネガティブさを誇張したブラマヨに若干近い感じで、だけどエネルギッシュでヤンキー上がりみたいな雰囲気の吉田と違って草薙からガチっぽい陰気さが滲み出てるからそこが斬新だと思った。
お笑い好きの自分としてはおもしろ荘で初めてネタを見たときからこんな面白い芸人がいたもんだと驚いたもんだ。
ネタは多分テレビで披露したことあるものについては見たことない奴がないくらいは見まくったし、珍しく実際に劇場に足運んだこともある。めちゃくちゃ笑わせてもらった。
自分も割とネガティブで陰気な性格のお笑い好きだから、若干自分と重ねて応援してた部分も少なからずあったと思う。
まあネガティブで陰気な雰囲気をまとってると言っても芸人という職業を志した上で大手事務所に所属して、そこで事務所のイチオシ芸人として上り詰められる時点で俺とは全く違う人種だというのはまあ最初からわかってた。
もとの性格は知らないけど少なくとも今のキャラクターは計算の元ある程度の誇張と創作を加えた上で成り立っているチャラ男や毒舌やハーフタレントや”おバカ”的な芸能人タレントと同種のものだというのはまあお笑い好きなら誰でも理解してると思う。
最近はネタ番組だけでなくトークバラエティですらそのネガティブなキャラクターのまま人気のベテラン芸人に混ざってドッカンドッカン笑いをとってて、少しでも自分と重ねてたことがなんか恥ずかしくなったよ。
ちゃんとしたロジックのもとで作られたセンスのある陰気さっていうのは俺と同じ陰気でもこんなに人を魅了するんだなって思った。
俺もTwitterで辛いとか被害妄想的なことは呟いたりするよ、でもRTもお気に入りも全然されたことねえよ。