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2022-10-13

中華料理食べてる描写が好き

アメトーーク!見てて思い出した。

私はフィクションに出てくる中華料理食べてる描写が大好き。

漫画小説ドラマに出てくる中華

なんていうか、中華料理ってたーんとおたべって感じの量と見た目の華やかさがあって

しあわせなご飯って感じがする。

登場人物たちが沢山料理頼んでると何故か嬉しくなる。

赤いテーブル、ツルツルの床、茶色ばっかりの品々。あつあつできたて。

はー中華料理食べたい!

2022-07-11

カロリーゼロ理論の初披露は、2017年10月15日放送の『アメトーーク!「ついつい食べ過ぎちゃう芸人」』に出演した回である。"○○だからカロリーゼロ"という根拠ゼロトンデモ理論で様々な食べ物カロリーゼロにしていき"食べても太らない"と主張した。

おー、ワイがふざけて言ってたのが2011~2013年くらいだから意外と時間差のあるパクリだったのか

2021-08-25

行雲流水蛍原主催雨上がり決死隊お別れの会

蛍原:さぁ、そして〜本日はですね、皆さんにですね、2人から報告したいことがあります

え〜雨上がり決死隊平成元年コンビを結成しまして、約32年たちまちしたが、本日を持ちましてコンビ解散いたします。

成り行きに身を任せる主義蛍原。"雨上がり決死隊"としての売れっ子芸能人生活においてほぼ全てを宮迫が主導してきた。これまでコンビ同士であまりコミュニケーションを取らず、宮迫判断蛍原全面的尊重してきた。

宮迫:まぁ、コンビとしてなにか決めるとき、僕はこうしよう!っとデビュー当時からそうなんですけども、それに蛍原さんはついてきてくれたとこがあったんで、今回のことに関しても、逐一説明すべきとこだったと思うんですけども、そういうとこの僕の至らなさが、やっぱりそういうズレを生んでしまったので。

2019年5月宮迫の嘘をきっかけとした一連の闇営業騒動半年ほどをかけて一定の決着が付いた。しかし"宮迫処遇"と"雨上がり決死隊処遇"については2年経っても終着点が全く見えない状態にあった。

浅薄自分勝手宮迫は多くの誤った判断により自分自身雨上がり決死隊処遇について宮迫自身では解決できない難題に仕立て上げてしまった。

そして1年半以上が経ち状況の好転が見通せない中で、多くの人々(蛍原自身も含む)が抱えている様々なモヤモヤを晴らすために蛍原は「雨上がり決死隊解散」と「アメトーーク 特別雨上がり決死隊解散報告会」を主導した。

蛍原:え〜、もしかしたら、この「雨上がり決死隊」の屋号ですね、外してしまったほうが、みんなすっきりと進むんじゃないかな〜っと。いうことで気持ちがそっちの方へ行っていきました。

え〜、それで宮迫さんに今年の4月ですね、会って頂きまして、僕の方から解散しよう」ということを切り出しました。

っていうのが割と簡単な経緯でございますはい

解散を決めたりアメトーーク特別編の準備をしたりする中で2人はしっかりとコミュニケーションを取った。アメトーーク特別編で宮迫短所が昔通りに発揮されていたのは事前に蛍原コミュニケーションをしっかり取ってきた故に(2年ぶりのアメトーークにも関わらず)リラックスして本番に臨めたからだろう。

アメトーーク 特別雨上がり決死隊解散報告会」は雨上がり決死隊という概念を支えている膨大な数に及ぶ様々な立場人達全員のモヤモヤやしがらみを各々最低限は清算させるための場となった。

出川:びっくりしたのは、ホトちゃんから言ったことにそこに一番最初にびっくりして〜。ホトちゃん宮迫には言わないとは思うけど、「雨上がりは宮迫のおかげなんです。宮迫がいての雨上がりなんです」って、あなたが(宮迫が)いないとこで裏で言ってた人だから、それが、ほんとにびっくりしたっていうのがある、それが一番最初感想ですね

まりコンビとして初めて蛍原決断して自発的に主導した行動が雨上がり決死隊解散であり、コンビとして初めて密なコミュニケーションを取って実現したことが「アメトーーク 特別雨上がり決死隊解散報告会」なのだ

おまけ

宮迫:これについては、頑固ですからコンビでやってる番組をすべて降りるって言ってたんですよ。

でも生活もあるからそんなわけにはいかない、そこは家庭でも話したみたいで、解散してやめてくれって言うれたら降りるってお話になったんですが、ただアメトークだけは、「俺はできない。俺は降りる」ってずっと言ってたんです。

4月にコンビ解散の話をしている中でそこだけは絶対にやめるって。

後半は「アメトークはやめんといてくれ」と説得の時間のほうが長かったくらい。

蛍原宮迫さんのおかげで今の僕があるんです。これは、ほんとに僕が思っていることで。別れて僕だけ残るっていうのはあまりに都合が良すぎるんじゃないかって気持ちが。

蛍原 : でもさ、なんか、フジモン宮迫もさ、「全部宮迫が悪い」みたいなこと言ってたけど、それはまた違う話で。ね、コンビですから。もちろん。コンビのことやからコンビのどちらかが全部悪い」とかないのよ、これは。それは…俺も悪いし。っていうところは…うん。そこは俺はフジモン意見ちょっと違うかなと思ってんねんけどね。…それこそ「熟年離婚や」って言ってたけど、夫婦もね、片一方だけ100%悪いですとかなかなかないやろし。

解散報告会収録直後 皆様へメッセージ期間限定配信アメトーークCLUB“より

参照

雨上がり決死隊 解散のご報告 https://www.yoshimoto.co.jp/corp/news/media/media210817.html

雨上がり決死隊屋号を外す」コンビ揃って解散報告、アメトーーク!は現在の形で継続 - お笑いナタリー https://natalie.mu/owarai/news/441276

雨上がり決死隊解散会見をほぼ全文文字起こし!アメトーーーク | PECOログ https://pecopeco0721.com/archives/6740

解散報告会収録直後 皆様へメッセージ期間限定配信】 22日(日)23:59配信終了 https://ametalk-club.tv-asahi.co.jp/movies/60622

2020-01-31

お笑い芸人世代分けを再考する

多くの人はこちらのWikipedia記事を参照していると思われる。

日本お笑い史 - Wikipedia

この記事も踏まえた上で、実際に主だった芸人を「活動開始時期」や「人気が出た過程」で並べ、あらためて世代分けを考えてみたい。

芸名活動開始人気が出た年代備考
横山エンタツ花菱アチャコ1930年1930年しゃべくり漫才元祖コンビとしては1934年解散するが、それから60年代までラジオ映画などで活躍アチャコ吉本看板芸人となる。
夢路いとし・喜味こいし1937年1950年代1949年ごろからラジオ番組上方演芸会』に出演して名をあげる。いとしが亡くなる2003年まで漫才を続けて「上方漫才の宝」と称される。
中田ダイマル・ラケット1941年1950年代1957年開始のテレビ番組ダイラケのびっくり捕物帖』はテレビの「上方コメディ番組元祖
ザ・ドリフターズ1956年1960年代1963年開始のテレビ番組大正テレビ寄席』に出演したこからコントを中心とするようになり、1969年開始のテレビ番組8時だョ!全員集合』にて大ブレイクする。
てんぷくトリオ1961年1960年代大正テレビ寄席』などへの出演で人気を博す。「トリオブーム」の中心的存在三波伸介1970年テレビ番組笑点』の司会に就任するなどしてテレビスターに。
コント55号1966年1960年代1968年開始のテレビ番組『お昼のゴールデンショー』『コント55号の世界は笑う』などで支持を得てドリフと人気を二分する。1975年以降は萩本欽一がピンで活躍する。
横山やすし・西川きよし1966年1960年代60年代後半に演芸ブームに乗って人気を獲得、80年代前半までバラエティ番組の司会などで活躍する。「漫才ブーム」では大将格となる。
B&B1972年1980年代実力は評価されつつ関西でくすぶっていたが、吉本芸人としていちはや東京進出したことで人気を得て、漫才ブームを牽引した。
ツービート1972年1980年代漫才ブームに乗って「毒舌」を武器に台頭。特にビートたけしは、1981年開始のテレビ番組オレたちひょうきん族』などへの出演からピンで大人気となった。
明石家さんま1974年1980年代70年代後半から関西で人気を獲得、東京進出してのち『オレたちひょうきん族』でブレイク。たけし・タモリと合わせて「お笑いBIG3」の一人と称される。
タモリ1976年1980年代キワモノ芸人としてマニアックな人気があったが、1982年開始のテレビ番組笑っていいとも!』の司会を務めるなどしてお茶の間の顔となる。
島田紳助松本竜介1976年1980年代漫才ブームに乗って「ツッパリ漫才」で若者の支持を得る。『ひょうきん族』にも出演して人気を博す。1985年コンビ解散して以降は、島田紳助がピンで活躍した。
とんねるず1980年1980年代お笑いスター誕生!!』に素人ながら出場して知名度を高める。ラジオ深夜番組若者からの支持を獲得する。1984年楽曲『一気!』がヒット、1988年に冠のテレビ番組みなさんのおかげです』を開始する。
ダウンタウン1982年1990年代1987年開始のテレビ番組4時ですよーだ』の司会をきっかけに関西若者から爆発的な人気を得る。80年代末に東京進出深夜番組夢で逢えたら』を経て、1991年に冠のテレビ番組ごっつええ感じ』を開始する。
ウッチャンナンチャン1985年1990年代結成当初に『お笑いスター誕生!!』に出場している。1988年開始の深夜番組夢で逢えたら』で知名度を上げ、1990年に冠のテレビ番組『誰かがやらねば!』『やるならやらねば!』を開始する。
爆笑問題1988年2000年代1994年開始のテレビ番組タモリのSuperボキャブラ天国』で人気を博す。90年代後半から深夜帯を中心に冠番組が増えはじめ、2000年ごろからゴールデンでもレギュラー番組をいくつも抱えるようになる。
雨上がり決死隊1989年2000年代1991年に結成されたアイドル芸人ユニット吉本印天然素材」のリーダー格。2000年開始のテレビ番組ワンナイR&R』や2003年開始の冠番組アメトーーク!』などで人気を博した。
さまぁ〜ず1989年2000年代90年代前半に「バカルディ」名義でいちど人気が出たが、2000年ごろに「さまぁ〜ず」に改名して再ブレイク、多数の冠番組を抱えるようになる。
ナインティナイン1990年1990年代吉本印天然素材」出身1994年開始のテレビ番組ぐるぐるナインティナイン』、1996年開始の『めちゃ×2イケてるッ!』など、早くから冠番組を持ってブレイクする。
くりぃむしちゅー1991年2000年代タモリのSuperボキャブラ天国』にて「海砂利水魚」名義で人気を博す。2003年ごろから再び人気が出はじめ、2000年代後半には多数のレギュラー番組を抱えるようになる。
ロンドンブーツ1号2号1993年1990年代ダウンタウンナイナイに続く、若者人気の高いコンビとして早くからプッシュされ、90年代後半から『ぷらちなロンドンブーツ』『ロンドンハーツ』など多数の冠番組を持つようになる。
ネプチューン1993年2000年代タモリのSuperボキャブラ天国』で人気を博す。1999年開始のテレビ番組『力の限りゴーゴゴー!!』で司会に抜擢されるなどしてブレイク2000年代には多くのレギュラー番組を抱えるようになる。
バナナマン1993年2010年代あえて『ボキャブラ』への出演をせず、ライブ中心に活動したことで売り出しが遅れたものの、2000年代半ばから徐々にテレビに出演しはじめ、2012年ごろから冠番組が急増してブレイクした。
有吉弘行1994年2000年代『進め!電波少年』の企画1996年に「猿岩石」としてブレイクするもまもなく停滞。2004年からピン芸人として活動を始め、2007年ごろから毒舌ネタ再ブレイク
タカアンドトシ1994年2000年代札幌で結成されたコンビで、2002年東京進出2005年ごろから笑いの金メダル』などで披露した「欧米か!」というツッコミ流行り、2000年代後半には複数冠番組を持つようになる。
ブラックマヨネーズ1998年2000年代2005年M-1グランプリで優勝する。2006年東京進出し、2010年ごろから冠番組を持ちはじめる。
チュートリアル1998年2000年代2006年M-1グランプリで優勝する。2007年東京進出し、2010年ごろから冠番組を持ちはじめる。
サンドウィッチマン1998年2000年代2007年M-1グランプリで敗者復活から優勝する。2010年代後半からレギュラー番組が増加し、2018年芸人好感度ランキングトップに立った。
オードリー2000年2000年代2008年M-1グランプリで敗者復活から2位となりブレイク
オリエンタルラジオ2003年2000年代結成してすぐの2005年ごろに「武勇伝ネタブレイクし、まもなく冠番組を含むレギュラー番組を持つことになった。
霜降り明星2013年2010年代2018年M-1グランプリで優勝する。

まず画期としては1953年テレビ放送の開始が挙げられる。この時期に人気があったのは落語家喜劇俳優であり、またコミックバンドも人気があった。上の表で言えばいとこいダイラケあたりが該当する。いわば「第0世代」であろうか。

次にやってくるのが「演芸ブーム」で、1963年開始のテレビ番組大正テレビ寄席』を中心に数々の演芸番組放送され、その勢いが1970年ごろまで続いた。一般にこの時期に人気が出た芸人が「第一世代」と呼ばれる。「寄席」をテレビでやるので落語漫談漫才コントコミックバンドなど幅広い芸人が登場した。てんぷくトリオを筆頭に三人組が多かったので「トリオブーム」とも呼ばれた。1970年代はドリフ萩本欽一コント番組が人気を二分した。やすきよもこの世代に含まれる。

続いて、1980年放送された『花王名人劇場 激突!漫才新幹線』『お笑いスター誕生!!』『THE MANZAI』などが立て続けに高視聴率を取り「漫才ブーム」となった。このブーム自体は二年ほどで終息するが、若手漫才師がアイドル的な人気を得て「漫才」のイメージを変えたり、吉本興業が東京進出したりするきっかけとなった。1981年から1989年まで続いた『オレたちひょうきん族』が『8時だョ!全員集合』の視聴率を超え、出演していたビートたけし明石家さんま山田邦子らは一躍スターとなった。たけし・さんまタモリを加えた「BIG3」を中心に、漫才ブームひょうきん族から出てきた芸人を「第二世代」とみなすべきだろう。

その次が「第三世代」と呼ばれる芸人たちで、お笑い養成出身の若手が、小劇場ライブで腕を磨き、夕方番組深夜番組きっかけに人気を得て、ゴールデン帯で「バラエティ番組」を持つ、といったキャリアを踏むのが特徴であるとんねるずダウンタウンウッチャンナンチャンがこの世代代表格となる。一般に「第三世代」は80年代デビュー組で区切るようだが、個人的には似たようなキャリアから早めにブレイクしたナイナイロンブーあたりも含めるべきではないかと思う。

次に来るのが「ボキャブラ世代である1992年から1999年まで続いた『タモリボキャブラ天国』は、当初は視聴者投稿型の番組だったが、徐々に芸人ネタ見せ番組に移行。この番組登竜門に「キャブラー」と呼ばれる芸人が続々と登場した。吉本興業が首を突っ込みそこねたらしく非・吉本芸人が多い。またボキャブラ終了とともに一時的に低迷した芸人が、2000年代に復活するあたりも共通している。先述したとおり、ナイナイロンブーなどを第三世代に含めるとすれば、この「第四世代」は爆笑問題くりぃむしちゅーネプチューンあたりが代表格となる。

2000年代に入って「M-1グランプリ」が始まったことで「お笑いブーム」が醸成された。また同時期に『爆笑オンエアバトル』『エンタの神様』『笑いの金メダル』『爆笑レッドカーペット』などのネタ見せ番組スタートしてお笑い人気に拍車をかけた。賞レースを目指してストイックに芸を磨く若手芸人と、多数のネタ見せ番組により短期的な人気を得た「一発屋」が混在し、芸人レベル底上げされたものの、数としては飽和した感がある。2010年M-1グランプリが終了するとブームも終息し、多数の「ひな壇芸人」を出演させてトーク中心に作られる低予算番組が増加した。(2010年までの)M-1ブレイクした芸人と「ネタ見せ番組」によって登場した芸人が「第五世代」といえるだろう。

2010年代になると、第二世代・第三世代がフェードアウトし、第四世代と第五世代バラエティの「司会」の座を奪い合う群雄割拠時代に入った。第五世代は図抜けた存在はいないものの層が厚いので、2000年代デビュー組の多くがつかえて中堅に留まっているように思える。そんな中で、霜降り明星および彼らが「第七世代」と称する2010年代デビュー組が既に台頭してきている。この場合2000年代デビュー組が「第六世代」とされるわけだが、2000年代デビュー組は遅咲きになりそうなので、おそらく2000年代デビュー組と2010年代デビュー組をあわせて「第六世代」と呼ぶようになるのではないか2020年現在芸人の主戦場YouTubeになりつつある。後世から振り返れば「第六世代」は「YouTube世代」と括られるのかもしれない。

2019-12-24

M-1グランプリ2019決勝感想

わりとみんな言ってるけど、今大会キーワードは「人を傷つけない漫才」「ツッコミ時代」。

以下、気になったコンビをいくつかピックアップ

ニューヨーク

トップバッターの不利よりも、彼ら本来の毒のあるセンスキャラが今大会に向いていなかった。毒のあるキャラコントだと役柄の設定ということにできるが、漫才だとそのまま本人の人柄に見えてしまう。本人たちもそれを意識したようで、M-1向けに普段よりもソフトに好かれやすネタを調整した結果、持ち味がさらにぶれてしまった。

そもそも例のニコ生事件以来あまり良い印象は持っていなかったが、今回の審査員コメントのところでも同じ過ちをしているように見えた。それは「今の時間主役は誰か?」をわからずに番組を壊してしまうということだ。審査員がしゃべっているとき視聴者は少しでもたくさん審査員評価解説を聞きたいと思っている。今大会でこれまでよりもその時間を多くとったのは成功していると思う。この時間漫才師は脇役で、むしろ一言もしゃべらなくても良いくらいなのにニューヨーク自分たちプロレス評価解説時間を大きくロスさせてしまった。最初の「最悪やー」は特に悪くないが、その後すぐに松本の話に戻すべきだった。結局あの時間松本が言いたかたことの半分くらいしか聞けなかったのではないか

和牛

普段和牛に比べると少し落ちる評価が多いが、今年のネタは彼らなりの「人を傷つけない漫才であるところが自分はとても好きだった。通常は水田サイコパス風の男に川西の演じる女性やお年寄りキャラが振り回されるネタが多く、川西感情移入すると少し心が痛む。今回は不動産屋と客という関係性で川西が明確な弱者ではない。また前半水田に振り回されるのはいつも通りなのだが、最後物件川西狂気が発動してむしろ上回って痛快だった。

見取り図

フット後藤南キャン山里らによって急激に高度に昇華されたワードセンスによる「たとえツッコミ」。それをさら純化させてツッコミでさえない「たとえ」を軸にしたネタになっている。「あおり運転の申し子」は最高。

ナイツ塙に鼻を触る手の動きを指摘されていたけど、そういえばアメトーーク!ツッコミ芸人が選ぶ、このツッコミがすごい!!」で博多華丸が手の動きにムダが多いのは駄目と言っていて塙も同意していたのを思い出した。

インディアンス

インディアンスにとって不幸な偶然であるが、先月10年ぶりにアンタッチャブルテレビ漫才披露したのは地味に効いている気がする。当時と変わらないかそれ以上のザキヤマのパワフルな動きが目に焼き付いていると、それと同系統の田渕のボケが若干見劣りしてしまった部分もあると思う。

ぺこぱ

キャラが定まらず迷走した結果、ひとつ方向性を見つけたのではなくて、迷走したまま洗練されてしまった感じがすばらしい。今大会「人を傷つけない漫才」「ツッコミ時代」の代表格。NON STYLE井上の正解はこれだったんじゃないかとも思わせる。「ノリつっこまない」と評されていたが、詳しく見ると長いツッコミフレーズの前半でセオリー通りの厳しいツッコミをやりかけて、後半で急激に優しさにハンドルを切る構成になっている。面白く、新しいだけでなく、松本がよく言う「緊張と緩和」をツッコミの1センテンスの中に詰め込んでいるのがテクニカル

かまいたち

1本目は山内狂気に見てる方がちょっと引くいつものかまいたち、2本目は少しソフトになった屁理屈漫才。好みはあるだろうが自分は2本目が今まで見た中で最も完成度が高い完璧漫才に見えた。

ミルクボーイ

会場での最高評価のわりにネット上の感想ではまったく受け付けない人もいるミルクボーイ大人から子供まで誰もがわかる「人を傷つけない漫才」というところに目が行きがちだが、かなりテクニカルでもある。ボケ、展開、オチはあえて全然面白くない作りなので、そこを重視する人には好まれないのだろう。ツッコミワードセンスと声のトーンのみで笑いを作り、それを何度も重ねていく競技のようなストイックネタである。それだけにツッコミフレーズや間は完璧に磨き抜かれている。ひとりごっつやIPPONグランプリなどストイックボケ企画を生み出してきた松本がもしツッコミだったらこういうスタイルの笑いの実験をやっていたかもしれないと思った。

そういう点でミルクボーイもまた「ツッコミ時代」の象徴的なコンビだった。笑いはほとんどとらないが正確にトスを上げつづけるボケ?側も高い技術必要なのは言うまでもない。

2019-06-30

「もはや宮迫いないしアメトーーク!じゃないじゃん」

→「ホトトーーク!じゃん!」

→「てかホトーーク!じゃん!」

このどちらをとるかでその人のお笑い偏差値足きりができるな。

2018-07-06

anond:20180706233005

ブサイクなのにそれを絶対に指摘させない強いオーラをプンプン出してる性格悪い系リア充いるけどあれ凄い不思議

アメトーーク!みたいな雑談が得意なだけの単なるブサイクじゃん」って言われたらもう完全に終了しちゃう急所がむき出しになってるのに本人は恐れ知らず。

周りも急所をつかずに自分より立場が強い非ブサイクとして扱う。

あいう嫌な奴系ブサイクリア充は本気出せば大金持ちの宗教家になれるんじゃないかと思ってる。

2017-07-30

アメトーーク!でバトルコサックが出た瞬間

また「バトルコサックが殉職したのはスーツクリーニングに出していたという間抜け理由なんですよーwww(笑いSE)」という展開かと思ったら、そこは軽く流してエンディングの話になって拍子抜けした。(詳細http://h-yamato.la.coocan.jp/bfj.htm。本当は役者事情とかもあるんだけど)

まあテレビ朝日でそんな編集映像を流したら炎上確定なので気をつけたんだろうが、だったら怒り新党みたいに踏み込んで紹介して欲しかったな。

2016-07-01

エゴサーチ芸人エゴサ避け芸人ファン

先日アメトーーク!で「エゴサーチ芸人」が放送された。

とても面白く、アメトーーク!の中でも所謂“当たり回”に入ると思う。

(これは出演者たちのエゴ対策ではない。念のため。)

それはそれとして私はエゴサーチする芸能人が嫌いだ。

先に説明をさせてもらうと、芸能人の中でも芸人ファンとの距離が近い方に入ると思う。

それなりに名前の知られた芸人でも、ライブ出待ちをするのはそう難しいことではないし、

送ったファンレターの返事が届いた、出待ちツイッターリプライを繰り返すうちに名前を覚えてもらった…なんて話は珍しくない。

しかしそんなことに興味のない側からすれば思う。

芸人ファン距離が近すぎる。

随分昔のことだけど、主に舞台活躍していた某芸人(以下A)のツイッターは痛いことで有名だった。

Aがエゴサーチをしていることはあまりにも有名だったものの、実害はない(そのあまりの痛さにAの相方辟易していたらしいことを除けば)のでお笑いファン特に気にしてはいなかった。

ただある日、Aは弾けた。

俺の思う主義主張ツイッターで掲げ、飛んでくるリプライ反論

ここまではまあいものことか、と軽く流されていた。

次にAのツイートについて引き気味の感想を呟いた人たちに、Aは軒並み絡み始めた。

そして最終的には、名前を伏せていた(見ればだれか分かるが検索にはかからないように配慮されていた)ツイートにまで絡み始めた。

しか非公式RTで。

ツイッター使用したことのある人であれば理解できると思うが、非公式RTツイートの加工ができてしまうので

恣意的ツイート編集ができてしまうことになる。

実際、Aが意図たかしていないか不明だが、

一部のツイート本来ツイートとは違った意味合いで、Aのタイムラインに流れてしまった。

Aをフォローしているファン全員が非公式RTされた人のホームまで見に行くとは思えない。

未だその人のことをろくでもないファンだと思ったままの人もいるだろう。

それから私のタイムラインでは、誰もAの名前を挙げてツイートすることはなくなった。

あの人が、とか、いつもの、のような、明らかに濁した表現が多くなった。

ツイート数を大幅に減らし、当たり障りのないことをつぶやくばかりになった人もいた。

鍵垢にしたり、そのままいなくなってしまう人もいた。

名前を呼んではいけないあの人”“恐怖政治”という単語が思い浮かんだことを覚えている。

今となっては遠い昔の話で、Aはツイッターをやめてしまったし、Aの名前普通に出してツイートする人も増えてきた。

Aが未だにエゴサを続けているのかは分からないが、個人的には性格上まだ見ているのではないか?と思ってしまっている。

はいえ絡まなくなった今となっては、もうどちらでもいいのだけれど。

古参のAファンは未だに鍵垢や名前を呟かない人が多いのが、なんとなく事件が尾を引いていることを感じさせる。

久々にこんなことを思い出してブログを書いてみた。

私はあれ以降エゴサを公言する人たちは嫌いだし、Aのことも好きにはなれないままだ。

ただエゴサーチ芸人はとても面白かった。

Aがいつか当時の痛さをネタとして昇華してくれて、エゴサーチ芸人に名を連ねてくれるのを待ちわびるばかりだ。

どうでもいい追記をすると

一度だけウーマン村本氏の炎上タイムライン話題になったことがあったけれども

みんなAの事件から異様に当事者を伏せて話をするのが上手になっていたせいか

誰もあの驚異の検索網に引っかからなかったのが面白かった。

(昨日見検索のあまりの細やかさに笑ってしまった)

 
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