はてなキーワード: 風光明媚とは
温泉むすめについて色んな意見が出ているが、これほど温泉について語れることがあるのだからさぞや温泉に詳しいんだろう。
だったら俺にひとつ教えてくれ。
以下の条件で温泉(宿)を探してるんだが、いいところはない?
・周囲に何もなくていい。引きこもる。居心地のいい宿を希望。
・関東近郊
・免許も車も持ってないから公共交通機関で行けるか、送迎が必要
・長期滞在に適したプランが欲しい。食事とか価格とかが長期滞在向けになっているような。
・レイトチェックアウトできるとありがたい。朝が弱いので10時に叩き出されるのはつらい
【追記】
ちなみにググると一週間くらいのプランってなかなか出てこないんだよ。みんな精々2泊3日くらいで。
質問に答えると
【追追記】
みんなありがとう、ほんと参考になる。
年末年始にこの予算だと厳しいのか……年末年始に旅行したことないから知らなかった。そういうことなら少々予算増やしてもいいかな。
自炊できる宿っていうのもいいね、料理は好きだから楽しめると思う。
関東近郊って言ったけれど東北や北陸もいいところあるんだね、せっかくだし足を延ばしてみるのもいいかな。飛行機までいくとかったるいけれど特急や新幹線くらいなら乗るわ。
Xちゃんは幼なじみだ。彼女とは小さい頃に家が近く(と言っても車が必要な距離)、親同士が会う時に子供同士でよく遊んでいた。
大抵は室内で人形で遊んでいたと思う。日に焼けた肌に白い歯の、よく笑う子だった。
Xちゃんはその後、親の都合で外国で暮らすことになった。白人が多い風光明媚な国だ。本人も最終的にはそちらの国の国籍を取得した筈。
引っ越した彼女とはクリスマスカードぐらいしかやり取りは無かったが、親同士は連絡を取り合っているようだった。
高校一年生の夏、Xちゃんは一時帰国して、その際に私の家にも立ち寄った。
彼女の明るさや屈託のなさは小さい頃と変わっておらず、お喋りしながら自宅の周りを散歩して楽しい時間を過ごした。
家に戻ってきた辺りで話が学校の話になったので、私はXちゃんにクラスの集合写真を見せた。
良いクラスで男女の垣根もセクハラもなくとても楽しかったので、Xちゃんにも見てもらいたいと思ったのだ。
Xちゃんが写真の隅々を見回している感じにアレッと思った。しかし知らない子達の写真なんてずっと見てても退屈だろうなと思って、
とか言いながら写真を片付けようとした。
その時に問題の
正確な表現は忘れたが、続けて
とか言っていたので級友達の外見をdisっていたのは間違いない。
まぁ確かにXちゃんが言う所のスポーツ万能のジョック達に比べたら、日本人男子は平たい顔のモヤシに見えたのだろうと今なら思う。
しかし。
「鏡を見ろよ。」
「西洋人好きなんですね、西洋かぶれかもしれないけど自分はアジア人だよね。」
…とか今ならスルスルとディスり返せる。しかし当時は「エッ…」と思ったものの何も言うことができなかった。
私自身もXちゃんの住んでいる国に短期間だが行った事もあって、その時も陰に陽にアジア人差別を受けた。
Xちゃんも長年の外国暮らしで一度も見た目から来る差別を受けなかったとは考えにくい。なのに
もしかしたら彼女は深く考えずに思ったまま喋ったのかもしれない。が当時の私にはショックすぎてその後一切連絡を取らなくなってしまった。
今思えば、クリスマスカードの交換ぐらいは続けていれば良かったなと思う。
というかそもそも、言われた時点で怒るか、
「なんでそんな事を言うの?大事な友人達の写真だから友達のXちゃんに見せたのに、そんな事を言われたら悲しいな」
とか、
「『私は』脳筋っぽい感じよりこっちの方がいいな」
とか言えていたらXちゃんも何か反応できただろうし。
当時の私はあまり怒らない、というか自分の気持ちをどう表現したらいいかわからない人間だった。
あれから何年もかけて、少しずつ表現できるようになっていった。でももう彼女と会う機会はないだろう。
Xちゃん、元気にしているだろうか?
アスペルガー症候群(以下ASD)の者は定型発達者が繰り出すある種のコミュニケーションに反応できなくてバグることがある。
タイトルはもう大分昔に読んだ発達障害についての本で出てきたエピソードで、詳細は正直忘れたが
宿題を忘れたか出来なかったかしたASD児童が教師に叱られる場面で皮肉でこう言われるのだが
ASDには教師の意図が読めず、しかし教師が本気でそう思っているわけではないということだけはかろうじて分かるため
「自分は宿題をやってきたがそれを犬に食われたわけではないということを説明すべきか否か」考え込んでしまい
まさかそんなことで悩んでいるとは思わない教師に更に叱られる、というやつである。
んで本題は棘のこれ https://togetter.com/li/1779562
いわゆる感動話だが、ASD者である俺、客の立場だったらこのフリに反応できないなあと思ったのでつらつらと書く。
この話の「お客様が来る前娘さんが来て半額払った」というセリフにはASD者が死ぬ要素がこれでもかってくらい詰まっている。
まず第一にASD者は予想外の出来事に弱い。突然会計が半額になった時点でかなり焦る。
次に突然娘の名前が出る点だ。ここは多分定型のこのおっさんも戸惑っているし、ASDは正味関係ない。
ASD者であっても平常時なら、突然娘の名前がバーテンダーから出ても「あれ自分が漏らしてたかな」くらいの
推測は可能だが、定形であっても理解が遅れる処理量はASD者にも同じだけ負担となる。
そして問題のセリフだが、もし俺がこのおっさんだったらと考えると、
まず名前の件から復帰するのにおっさんと同じかそれ以上。そして冗談ではなく
「本当に娘が来て払った」可能性を考慮するのに多分万全のコンディションでも最低0.5秒は使うと思う。
不意打ちで飲酒時でもあることを考慮するとここだけで10秒くらい止まっても不思議ではない。
もちろん孔明が走らせるアレからガチ心霊現象まで大真面目に脳内検証するのである。
体調が良ければどこかで「そんな訳あるか」とぶった切ってプロセスをキルするのだが、この流れだと出来ないかもしれない。
定型発達者には多分理解できないと思うが、「なぜピッタリ半額だけ払った?」あたりで躓く可能性すらある。
(本当に生前来たとして、注文内容を予測してぴったり半額払うことは可能か?とかまで考慮し始めてしまう可能性だが、
この辺はASDというか、俺の数少ないADHDっぽいところなのかもしれない。しらんけど)
で、紆余曲折を経て「実際には娘は来ていない」と結論を出せたとする。
次に来るのは「このサメはなんでそんな事を言いだしたのか」だが、どう考えても俺はこの場の手札で
「今俺は気を使われている」という結論を導くことが出来ない。
俺がこれに気がつけるとすれば、早くて翌日の昼くらいだと思う。
じゃあどう反応するかというと、まず「娘が来たはずがない」と反論を始めてしまう可能性が50% これは空気が壊れる
1/2のガメオベラを乗り越えて反論を飲み込んだとすると、やはり押し黙ってしまうだろう。
心の理論が弱いASD者は、相手の心情を推し量るとき「相手は何を考えてこの行動をしたか」ではなく
「相手がこの言動により自分に望んでいることは何か」と考えがちである。
あとから一人反省会して、いわば見下ろし視点で考えているときなら「この人が何を考えているか」
という問いはすっと立てられるのだが、FPS視点だと相手の視界を想定しようという発想がなかなか出てこないのだ。
そもそもお会計という定型コミュニケーションに突如割り込み処理が入ってストレスが掛かっている状況である。
頭の中は「損害を出さずにこの場を切り抜ける」で一杯だろうし、ほぼ戦闘態勢と言っても過言ではない。
(余談だが「アスペの奴妙に喧嘩腰になることあるよな」なんて印象を持つことがないだろうか。だいたいこれである)
冷静になれば損害どころか割引を提示されているのだが「嘘をつかれた」「相手の狙いが不明」「自分の取るべき行動が不明」
となると、果し合いの最中に急に相手が武器を捨てて隙を晒したような不気味さすら感じる。
なので不用意なアクションは取れない。脳内で相手の意図を推定するプロセスが延々グルッてるのを感じながら
自分が宿題を忘れた理由に突然飼ってもない犬を持ち出してきた教師に対する反応と、おそらくは同じものである。
漫画のおっさんは「崩れ落ちるように泣き出した」とのことだが、これは国語的に読解すると
気遣いを察した→緊張の糸が切れた→抱えていた物が溢れてきた
ってことだと思う。バーテンダーが娘の名前を出したことに泣いた……とかは×になる筈だ。
俺の場合、最初の気遣いを察するでもうだめなわけだが、緊張の糸が切れる、も無理だろう。
前述のように、俺がこの対応をされたらまず第一にめっちゃめちゃに構えるからだ。
だいぶ打ち解けて会話していたとはいえ初対面で不意を突かれたのに緊張を解いていた、というあたりも
おっさんと俺の違いを感じたし、このおっさんすげぇなと謎な感心をしたポイントでもある。
※予防線
足が不自由で車椅子を使う者がいたとして、その人が小説の中で登山の楽しみを語るセリフにまで文句をつけることは適切とは言えない。
風光明媚な土地を称賛する表現物は視覚障害者への敵対ではないし、それを見られない者への配慮は必要ない。
同様に元漫画についてASDへの配慮を欠くと言うような非難をする気はないし、そうした批判は的外れと考える。
またこの文章は発達障害について周知、啓蒙その他を意図したものでもない。
発達障害は個人差が大きく、また俺はASDではあるがADHD傾向は弱いため発達障害全体においても多数派とは言い難い部類に入る。
本稿は「発達障害者はこういうふうに考える」という紹介ではなく、そのように受け取ると誤解を招く可能性が大きい。
(っちゅうか手帳もなければコンサータとかも効かんから通院はしとらんし、厳密に言うと俺DSM4のPDDだからASDですらない可能性があるっつーか、なんというか
ビールが好きで社会人になってから大分のみ歩いた。休日はブルワリーを巡り、クラフトビールを飲み歩いた。同期、先輩、後輩及び友人とそしてマッチングアプリで引っ掛かってくれた女性と連れたってビアバーに行き、布教しまくった。女性と後輩なら必ず奢った。チェコとドイツに行き本場を味わい、通販で様々な銘柄を買って、記憶の相違を確かめた。変わったところでは米軍基地なんかで飲んだ。オクフェスの殺人的な値段付けを憎んだが、良心的なビアフェスがボランティアだのみなのも怒っていた。全国転勤を利用して海外ビールの飲みやすい名古屋へ越した。休日の過ごし方はとりあえず飲みが中心だった。
最近『ラーメン再遊記』という漫画を読んでいて主人公のいう「昨今はクラフトビール・ブームと言われ多種多様でハイレベルなビールを楽しめる状況になってきているが、シェア的には大手メーカー遠く及ばない。その理由は様々に考えられるが…昔ながらの『風呂上がりの生』を凌ぐビール体験を生み出しえていないということは大きいかもしれん」というセリフにノックアウトされてしまった。思えば、銭湯でサウナに入ったり、ランニングしてシャワーの後で飲むのは大好き。ヨーロッパに至っては時差の関係もあり、ギンギンに目のさえた朝走りまくって昼からの飲みに備えていた。風光明媚な市街地、マイン川のほとり、すべてはビールへの助走である。
薄々気づいてはいた。ドイツでだって汚いグラスに洗浄の行き届かないタップから注がれた温度管理されてない樽のビールはカラオケ屋の金麦よりまずかった。サーブされる環境と受け取り手の体調にめちゃくちゃ左右される。それははっきりと銘柄やビールの種類を選ぶ楽しみのすぐ隣で生中に1000円払ってなお、あんまりうまくなかったなという感想になることがある。
快楽を形作る要素として一番大きいは受け取り方だ。風呂上がり、ランニングの後、残業その他ストレスのすべて(ストレスはすべてアルコールをうまくする。おれは労働を止められる気がしない)の後で飲むことそれがすべてだ。後はちょうどよく冷やすことだ(ヨーロッパでは常温で飲むとかしたり顔で言う奴を無視しろ。ヨーロッパは寒い土地だ)。色んなビールのスタイルにチャレンジして尺度がついてしまったのもある。もう好きな味だけ飲めばいいという気もする。
そもそも発泡酒も新ジャンルも好きだ。酒税に翻弄されてできたレシピであるギネスがビールなら、バーリアルだって文化の味わいだ。
うまいビールは本場にはだけではない、ビアホール、ホームタップだけでもない。どこでもいつでもうまい。すべては心のありようだ。それに気づいた。高いビールに果敢にチャレンジすることは減って行くがビールが嫌いになった訳でもない。ちょうどいい距離を保てそうである。ありがとう『ラーメン再遊記』最高の漫画だぜ。
ツール・ド・フランスに関する増田を書いたところ興味を示された方が少しおられましたので、私が考えるツール・ド・フランスの楽しさを少しずつご紹介できればと思います。うまく伝わるとよいのですが。
なお、私なんかの雑な解説よりもはるかにキチンと書かれた解説文献がネット上にはごろごろあります。内容が少し古いのですが JSPORTS の「ツール・ド・フランスを知るための100の入り口:Vive le Tour!」などがオススメです。
https://www.jsports.co.jp/cycle/tour/tour_100/
100年以上の歴史を持つ、世界最大の自転車ロードレースです。町から町、村から村へと移動しながら3週間かけてフランスを一周するというコンセプトの催しです。tour は英語のツアーではなくフランス語の「一周」。定冠詞をつけて le Tour と言えばフランスではツール・ド・フランスを指します。たぶん。
「だんじり祭りのようなもの」という対比が腑に落ちると支持を集めていましたが、さりとて完全に形式的な行事というわけでもなく、UCI(国際自転車競技連合)では最上位の格式を与えられたれっきとした国際競技です。勝者には多くのポイントが与えられ、テニスやスキーのようにランキングされます。
お祭りムードなのはツールの規模や歴史がそうさせているのであって、観客にとってはお祭りだけれど選手たちにとっては重要な(そして最も栄誉のある)国際試合です。
全世界に配信されるツールの中継は観光立国フランスの観光案内の側面も持ちます。
選手たちの熱戦のあいまあいまに風光明媚なフランス国土の景観、雄大なアルプスやピレネーの大自然、中世のたたずまいをそのまま残す町並み、古い城塞や寺院等の生映像がこれでもかと挿入されます。レースの流れはいまいちわからないという人でも、数機の空撮ヘリを駆使して送られてくるそうした風景を眺めているだけでもまったく飽きさせることがありません。
自転車ロードレースには、一日で終了する単発の「ワンデーレース」と、数日かけて開催される「ステージレース」があります。
ツール・ド・フランスに代表されるステージレースは一日一日のレースが独立したひとつのレースで、その都度優勝者がひとりいます(これをステージ優勝といいます)。が、それとは別に、すべてのステージを通して通算ゴールタイムが最も短かった人が総合優勝となり、基本的にはこの総合優勝がそのレースでもっとも名誉のある成績となります。
ツール・ド・フランスはステージレースの中でも最長のもので、途中で2度の休養日を挟みつつ全21ステージを戦います。
勘のいい方なら、ステージ優勝と総合優勝はそれぞれ個別に狙うことができることにお気づきでしょう。
その通り、総合優勝を狙うほどの実力がない選手でもステージ優勝は狙えるし、逆に、大会の最後まで通算トップタイムを維持できれば、必ずしもステージ優勝を獲らなくても総合優勝することができます。
このように、同じひとつのレースを走っているように見えても「ステージ優勝したい選手」と「総合優勝したい選手」とが入り混じって走っていて、それぞれの思惑、それぞれの戦略、それぞれに警戒すべき競争相手がいるという重層構造がステージレースにはあるのです。
総合優勝、ステージ優勝のほかに、ツール・ド・フランスには「ポイント賞」や「山岳賞」といった名誉も同時進行します。
毎日のコースにはそれぞれチェックポイントが設定されていて、そこを上位で通過すると通過順に応じた点数が与えられます。
ポイント賞はスプリンター(短距離を全力疾走する力にすぐれた人)のための賞で、ステージ中間の平地や、平坦なステージのゴール地点に点数が設定されています。
山岳賞はその名の通りクライマー(山登りが得意な人)向けの賞で、上り坂のしんどさに応じて点数が設定されています。
これらの各賞争いのゆくえもレースの進行に奥行きを与える要素となっています。
ツール・ド・フランスには総勢184名の選手がエントリーしていますが、マラソンなどのように「個人参加が184名」ではなく、「8名チームが23組」です。
23のチームは
「ウチはめっちゃ強い選手がひとりおるけん、こいつを総合優勝させたるんや」
「ウチは総合優勝を狙えるような選手はおらんけど、ステージ優勝をいくつかカッさらうつもりやで」
といったように、それぞれに異なる思惑を持って大会に参加しています。こうした目的意識の違いから、あるステージでは空気のようにおとなしくしていたチームが別のステージでは突然はりきりだす、といったことがあります。
このように、どのチームも「ある選手を勝たせる」ことを目標としてチームを作り、作戦を練っています。8人で参加していても、ステージ優勝も総合優勝もワクはどっちみち1人なので、たった1つのそのワクをチーム員8人に互いに競争させて争わせるよりも、かつぐ1人を決めて残りの7人でその選手をバックアップしたほうが勝率は上がりますよね。
かつぐ選手をエースといい、バックアップする選手たちをアシストと言います。
エース格の選手はふだんはアシストたちから様々なサポートを受けながら自分のポジションを守り、ここぞと言う時にその実力でライバルと勝負をします。
アシスト格の選手は自分の体力やタイムと引き換えに(いわば捨て駒として)エースをサポートしつつ、出番がなければ体力を温存したり、エースの出番がないステージならステージ優勝を狙って名前を売ったり、というスタンスでレースに参加しています。
マラソンなどと違い、自転車ロードレースは集団走行をします。これは空気抵抗と大きな関係があります。
前面投影面積の自乗に比例とかそういう難しい話は省略しますが、とにかく平均時速40km/h以上という自転車のレーシングスピードにおいて、もっとも大きな走行抵抗は「空気抵抗」です。
そしてこの空気抵抗は誰かの真後ろを走ることで劇的に軽減することができます。これをスリップストリームとかドラフティングといいます。
長時間長距離となる自転車ロードレースでは、誰かが風よけとなって先頭を走り、みんなでその後ろをついていく省エネ走行をします。たまに風よけ役となる選手を交代しながら、身を寄せ合うようにして走ります。
集団の人数が多ければ多いほど、すなわち風よけ役となる交代要員の数が多ければ多いほど集団走行のメリットは大きくなるので、敵対関係にあるチーム同士でも「今は一緒に走ってたほうがトクだよね」と利害が一致することになり、敵同士なのでまるで味方同士のように全員で仲良く集団走行をすることになります。
レースの中でもっとも大きな集団をメイン集団とかプロトンと呼びます。
(7/6:今日読み返して間違いに気づきましたが「前面投影面積の自乗に比例」ではなく空気抵抗は「速度の自乗に比例」です)
平坦基調のコースでは、多くの場合「ゴールスプリント」がステージ優勝を決めることになります。瞬発力と最高速度に優れたスプリンターたちがゴール前の数百メートルをお互いに肩をぶつけながら猛ダッシュして着順を争う、とてもエキサイティングな勝負の場面です。
なので、有力なスプリンターを擁するチームの目標は「我がチームのスプリンターをゴール前まで無事に・いい位置で連れて行くこと」になります。
しかしゴールラインは200km先です。スプリンターをゴール前まで無事に連れて行くことが目標のチームばかりだと、レースは終盤近くまで非常にのんびりと穏やかな集団走行になってしまいます。
そこで、抜け駆けを狙う選手が出てきます。長距離を比較的ハイペースで走ることに秀でた選手たちがステージ優勝を狙って一発「逃げ」を打つのです。
たいていの場合逃げ集団は数名から20名ほどの小集団で、「逃げたい」という思惑の一致した色んなチームの選手から構成されます。敵対関係にあるはずの選手同士ですが、「メイン集団から逃げる」という利害関係が一致している間はお互いに協力し合って、メイン集団を突き放そうとします。
一方、メイン集団はスプリンターを勝たせたい人たちの集まりですから、彼らをまんまと逃げおおせさせるわけにはいきません。ただ、上でも書いたとおり集団は大きければ大きいほど有利です。なので、逃げ集団をいつでも捕まえられる位置に泳がせておいてほどよく追いかける、という展開になります。
なぜ逃げを許さずに早々に捕まえてしまわないかと言うと、捕まえてしまって集団がひとつにまとまってしまうと、またそこから逃げを打とうとする選手が出てきて、そのたびに追いかけたりなんだりの悶着があってペースが乱高下し、大事なスプリンターを消耗させてしまうからです。
逃げ集団は多くの場合ゴール寸前でメイン集団にとっ捕まってしまいます。これはレースの力学上しかたのないことなのですが、それでもなお逃げ屋が逃げを打つのはなぜかというと、「絶対にとっ捕まるとは限らないから」です。風向きの変化など様々な要因によってメイン集団が思うように逃げ集団との差を詰められないことがたまにあり、「確率は低いものの狙ってみる価値はある」くらいの勝機があるのです。
今日の放送時間が迫ってしまいました。とりあえずここまでで一旦投稿します。後ほど続きを書き足していきます。
==
山岳ステージは峠道の上り坂をコースのメインに組み込んだステージです。1つのステージでの標高差(垂直方向への移動)が2000mから3000m以上にもなります。ツール・ド・フランスではアルプスとピレネーのふたつの山岳地帯が必ず日程に組み込まれていて、大会のハイライトとなります。
当然ながら山岳賞争いが展開しますが、同時に総合優勝候補同士のぶつかり合いになるのが山岳ステージの見どころです。
まず山岳賞を狙うクライマーたちが集団を抜け出してヒルクライム競争をします。一方、メイン集団では総合優勝を狙う選手同士がガチンコの直接対決をし始めます。先頭と後方でふたつの戦いが同時進行するような感じです。
ヒルクライムは走行速度が低くて空気抵抗があまり問題とならないため、アシストを動員した集団走行のメリットが少なく、チーム力よりも個人の登攀力が勝負の鍵になります。山登りの得意な、あるいは調子のいい総合優勝候補にとって、そうでないライバルをふるい落とすチャンスなのです。
大集団の中で体力を温存する(ある意味サボる)ことができない山岳ステージでは選手ひとりひとりのコンディションの良し悪しが表面化するというのもひとつの見どころかと思います。
書いたのはおとといなんだけど今ごろになってブクマがつき始めたぞ?
しばらくブクマもトラバもまったくなかったので投げ出しちゃったんですよね。寄せられたコメントを見る限り、現時点でも読んでくださっているのはすでにサイクルロードレースをよくご覧になっている方々ばかりのようなので、紹介記事という体裁ではありますがのんびりと書き足していきます。
しくみの項で述べたとおり、ステージレースの最終目標は総合優勝です。各ステージのゴールタイムの合計がいちばん短かった人。
総合タイムは毎ステージ加算されていきますので、第1ステージから先は常に「今のところ持ちタイムがいちばん短い暫定首位」が一人いて、この選手は真っ黄色のジャージを着て走ることになっています。いつでもどこでも、あの選手が暫定トップなのね、ということが一目瞭然です。この黄色いジャージをマイヨ・ジョーヌといい、ツール・ド・フランスはこの黄色いジャージの争奪戦と解釈することもできますね。
緒戦第1ステージをいいタイムでステージ優勝すればまずはリーダージャージを着られるので、序盤のうちは総合優勝など全然狙っていない選手が着用するなどリーダージャージのゆくえは流動的です。
ですが、レースも中盤に差しかかってくると各チームの本命選手たちが総合タイムの上位を占めるようになり、ジャージ争奪戦の様相が濃くなっていきます。
2位以下の選手はトップ選手から突き放されないように、トップの選手はライバルに出し抜かれないように、互いが互いをマークしながらレースを進めることになります。
リーダージャージを着てしまえば、あとはずっと2位の選手にぴったりくっついて走ることできればタイム差は縮まらないのでそのまま総合優勝できてしまいそうな気がしますが、これは半分正しくて半分正しくありません。
リーダージャージ防衛の基本戦略はたしかにそれなのですが、必ずしもそう簡単に事は運びません。アシストに守られながら集団のままゴールできるステージばかりではありません。大会中1~2回設定されるタイムトライアルのステージは一人ずつ走るので駆け引きの余地がありませんし、山岳ステージではアシストを使い果たした本命同士の一騎打ちや複数チームが包囲網を敷いてリーダーに波状攻撃をかけたりと、リーダージャージを奪い取るチャンスは時おり訪れます。
==
中継が始まったので今日はここまで
普段は閑静な港町で、聞こえてくるのは船の汽笛か週末夜の暴走族くらいなものだった。
暴走族は数は多いけど一度去って行けばおしまいだ。熟睡中に起こされるとイラッとは来るが、それで終わってくれる。
しかし、有象無象の爆音バイクはどうしようもない。通報しても次から次へと湧いてくるし、一体どうしたら対処できるんだ…。
それだけならいざ知らず、このGWは報道のヘリが海上をひたすら何時間も旋回している。
「この人だかりをご覧ください!」の図を撮りたいのだろうが、その図のために多くの周辺住民が犠牲になっているんだが…。
災害の報道とかであればともかく、民衆を煽るための報道目的でこんな迷惑掛けられたらたまったものではない。
あと、政府が無能だからとか何とか抜かしてそうやって観光地へのこのこやって来る連中。
お前らのせいでこっちは大迷惑なんだよ!なんで素直にステイホームしているこっちが外に出てるヤツらに迷惑掛けられないといけないんだよ!
てめーらがやって来なけりゃ報道のヘリだって飛ばねーんだよ!!
それ、「いじめはいじめられる方にも問題がある」って言うのと同じだからな。騒音条例あるから立派な違法行為なんだよ。
なんでこっちが制約受けないといけないんだよ。近所の工事とかじゃなくて連中がやってるのは違法行為だぞ?
木曜朝、通勤電車に乗りながら
何かエサを金曜の終わりに仕込まなければ」
と強く思い、仕事が終わったらスーパー銭湯に行くことを決めた。
今回はとくべつ感を重視したいので、普段行くところではなくちょっとだけ遠くにして、部屋を朝食付きで予約したった。
たのしみ。おかげで無事に起きられた。
金曜の仕事帰りに温泉旅行というのも過去にやったことがあるのだが、わざわざ移動したのに夜遅く宿について風呂に入って泊まるだけ、というのが貧乏性なのでもったいなく感じてしまう。
なにしろMPが足りないので翌日早朝からばりばり観光するバイタリティがないし、そのせいで自己嫌悪に陥ったりする。
また、自分の場合、MPが足りないとぼんやりすることさえできず、気が付くと嫌なことばかり考えて自分で自分を削ってしまうので、長時間移動や風光明媚な温泉宿は逆効果なことがある。
その点スパ銭宿泊は、遠出と言っても旅行ほどではなく通勤電車の延長で行け、風呂さえ堪能できればコスト分を十二分に楽しめる。
漫画があったりサウナ室にテレビがついていたりと雑多で気を紛らわせるものがたくさんあるし、せっかく来たんだから、きれいなものを見なければ、みたいな強迫観念にとらわれることもなく、入りたいだけ風呂に入って疲れてすぱんと寝ればそれでいい。
それでいて部屋を取ると旅行気分だけは味わえる。きれいにメイクされたシーツがあるだけで癒されるし気分が変わる。
なお、宿泊までするのは数か月に一回くらいのぜいたく版で、
普段は仕事帰りや土日に日帰りで行く銭湯のストックをいくつも持っていて、1~2週にいっぺんくらいは行っている。
昔から風呂自体は好きだったが、すぐにのぼせて結果的に烏の行水になってしまうのが嫌だった。
しかしサウナと水風呂を覚えたらゆっくり時間を過ごせるようになった。
はいってる間はサウナ・水風呂・露天・ジャグジー系・炭酸泉、とかの組み立てを考えるので結構忙しく、余計なことをさほど考えなくてすむ。
そのうち2連泊をやってみようと思っている。
◆「飲み会一回ぶん」でいいもん食べる
個人的に勢いで罪悪感なく払える目安なので、そのくらいのお金をかけて美味しいものを食べる。
これは私の好みの問題だろうが、
食事よりも嗜好品、日常より非日常、たくさんよりいろいろ食べられる方が好き。
椿山荘のハイティー(分厚いステーキみたいなローストビーフが一人一枚ついてきて最高)、
インターコンチネンタルのアフタヌーンティー(お茶がフリーフローでいろんな味があってお菓子が美味しい)、
日比谷Barのアフタヌーンティー(バーテンさんが作るカクテル飲み放題)などがとてもよかったやつ。
いずれも「私は!これから!私の機嫌を取るぞ!!!」という自分への暗示が大事な気がする
だからわざわざ予約したりするやつが好き
うちは夫婦はともに30代で地方県庁所在地出身の私と、横浜市出身のパートナーの構成だけど、
子供の教育、学費の積立や習い事について話し合っていくなかで、
彼が与えられてきた教育や、その周辺の学ぶことに関する環境が、
ものすごく!圧倒的に!自分の実家より上だったことを早々に気づいて驚愕した……。
(なお、どちらの実家も教育については「できるだけのことはしてあげたい」という前向きな家庭)
というか、東京近郊の教育に関するリテラシーや文化資本の豊かさ…レベチすぎ……。
都会の子が小学校3~4年生から塾に行ってるなんて30歳になるまで知らなかったよ…
塾なんて早くても中学になってから行くものだったよ…小学生は公文式くらいだよ…
私は個別指導塾入れてもらったけど、同じクラスでそこまでしたらもってるのも私くらいだって驚かれるくらいよ…
あと東大をはじめとしたトップ大学に進学する子が、中学受験→都内私立中高一貫校のルートをたどる人が爆裂多いなんてのも知らなかった…
あと、塾のレベルもね!!SAPIXも鉄緑会もSEGも…そんなのあるの!?
地方には!?そんな塾がめちゃ選べて!?エリート養成塾みたいなのがあるなんて!?想像もつかないよ!?
習い事の種類だって数だって、ぜんぜん違う。え?勝負は未就学児の時代から始まっていた…だと!?
そもそも地方勢には塾や習い事を精査するなんて文化がねぇ!母数が少なすぎて選択肢は3択くらいだからだ!
居住地によるアクセシビリティ格差が拡大してるってだれかがコメントしてたけど、これはガチ寄りのガチ。。。
文化資本の圧倒的な違いがどんどん開いていってるし、なによりも怖いのは、地方勢にはそれが可視化されていないってこと。
知らされない間にドンドンドンドン置いていかれてる。たぶん国は知ってて置いてってる。
今この瞬間もさ、「捨てられてる」言うの分かるくらい、本当に格差についてつまびらかにせず放置されてる。
これ読んでると、地方出身の私、保護者や子供に配り歩きたくなってくる、
そんで、みんなー!!!気づいて!!って言いたい。
"私は東京に生まれて彼らと同じ環境にいれば東大に合格できた。"
これは本当だよね、きっと、本当にそうだと思うよ。きっとすごく悔しいよね。
子供の教育につい話し合うようになってから、夫婦で2人で地方に旅行に行き、
離島とか山村とか風光明媚な土地に立ち寄ると「綺麗だね」と言いながら、教育格差について思い馳せることが多い。
「こういうところに生まれたら、遺伝子的にすごく頭のいい子が望んでも東大に行くのはすごくハードルが高いだろうね」って話して…悲しくなる。
不公平は人生につきものだけど、それでも地方と都会のこの教育格差はあまりにも不正義じゃない???って思う。
逆に言うと都会勢は下駄履きすぎじゃない???ってことなんだけど。
でも、もちろんその人達の努力を否定するつもりはないんだけどさ。
ただあまりに悲しいんだよ、「勉強したい、学びたい」と思ったりした、素質のある一生懸命な子供が、ただど田舎に生まれた、ってだけで圧倒的に救われないことが。
私は頭が良くないし増田みたいな努力家じゃないから、自分がマシだったはずなんて言うつもりないけど、
ディズニー長編アニメで何が好き? と問われたら挙げるくらいに『ムーラン』(1998年)が好きだった。
『ムーラン』は中国の伝承をもとにした話だ。老いた父に代わり男装して従軍し武功を立てるも地位は断り故郷に戻る。最も古いのは詩と言われ、民謡、戯曲、小説の題材になっている。
時代によってどこに力を入れて語られるかは変わってくる。女で軍功を立てる力強さを描くのか、家族への孝行を尊ぶものなのか、国への奉仕を宣伝するものか。
ディズニーでのアニメ映画化にあたっては女性の自己実現という方向で物語はまとめられている。
主人公のムーランは、女は家でおしとやかにしているべきという風潮になじめない。老いた父を助けるため男装して代わりに従軍することになるが男ほどの力はない。しかし彼女自身の強みである知恵と機転を武器に自分を信じ、自分らしいあり方、誇りを見つけるのだ。
挿入歌『リフレクション』が名曲だ。映画のわりと最初のほうに歌われる曲で、含む意味が全編に影響してくる。家の名誉のためには仲人に気に入られて良い家に嫁がなければならない。でも失敗してしまった、という状況を受けて「水鏡に映った着飾った自分は知らない人に見える。ありのままの自分の心はごまかせないけれど、本当の私はいつか映るのだろうか?」と吐露する。
その後男装して(=別ベクトルで自分を偽って)活躍するわけだが女であることがバレてしまう。で、色々あって男だとか女だとか求められる役割だとかじゃなく、自分であることがいいよね! って結論に至るのだ。
さて、ディズニーのヒロイン像というのは時代によって移り変わる。おしとやかに待っていれば幸せ(王子様)が訪れる初期ヒロイン、自我がありパワフルながらやはり幸せはヒーローが運んでくる中期ヒロイン、恋愛から解放された最近のヒロイン。
ムーランは時代的には中期ヒロインに位置づけられる。とはいえロマンス要素は淡い。アジアが舞台で自己実現が主題という点が特筆すべきところだろう。
その頃のディズニーの非コーカソイドを取り扱った映画というのはエキゾチシズムあふれると言うかアメリカ解釈エスニック世界と言うか、なかなか文化描写が大味である。ご多分に漏れず『ムーラン』も西洋的なアジアであんまり正確ではない。突然念仏唱え出す登場人物が居るようなステレオタイプなオリエンタリズムである。また、男装のために長い髪をカットするシーンが山場のひとつだが、断髪して覚悟を示すことはとても西洋的な描写だ。古代アジアの人々は男女問わず長髪だからね。
それでも20世紀末にアジアが描かれたことは画期的で、東洋西洋の狭間で自分のあり方を考えていたアジア系アメリカ人二世三世に特に刺さったと聞く。また、脚本にはアジア系アメリカ人の女性が居た。そのあたりを思うにターゲットは西洋社会であったのだろう。
さて、そんな『ムーラン』が20年の時を超えて実写化されると言う。わくわくした。あの、魔法使いでもなんでもない同じ人間なのに圧倒的な力を持つかたき役、シャン・ユーの大軍勢が雪原に現れる絶望的なシーンが実写の迫力で見られるのか。ハリウッドに中国の方も増えただろうからオリエンタリズムの産物じゃなくてきちんと考証がなされた中国描写になるんだろうな。最近のディズニー映画のように現代の価値観を反映させるだろうから「異民族は悪、侵略者、だから防衛しなければならない」なんて単純な物語化じゃなく厚みを持って描かれるんだろうな。(アニメだと時代も場所もぼかされて相手はフン族という言及のみ。原典だとムーランは漢民族じゃなくて鮮卑の人っぽいし、北魏 vs 突厥 の戦争って遊牧民同士の戦いでつまり互いに侵略し合っていたってことだと思っている)アナ雪1でサーミの文化盗用と言われ、アナ雪2でサーミの監修を入れて文化盗用にならぬよう注意を払い、作中で植民地支配を彷彿とさせる歴史を描き、過去の過ちを直視し「今できる正しいことをしよう」と歌わせるディズニーだ。期待も高まるというもの。
そんな価値観も変わる時代の中にあっても輝く、自分らしく誇りを見つけるという変わらないメッセージ。名曲の数々、コミカルな相棒キャラクターであるドラゴンのムーシューと幸運のコオロギのクリキーのコンビ――彼らも「自分を偽っている」キャラだ。ムーランの物語は彼女だけではなく、ほかのキャラも自分を信じて自己実現する物語なのだ!――厳しくもきちんと実力は認めて義に厚く格好いいシャン隊長とムーランのほのかなロマンス。男装しているムーランに人間的に惹かれているっていうのがいいんだよねー。ああ、楽しみだなあ!
※ アニメ版と実写版の差異、未見のためニュース等で分かる部分のみ
うおおおい。やりたいこととやっていることとターゲットがちぐはぐで全方位損だよ。東西どちらにもいい顔をしようとして大失敗では。誰が嬉しいんだこれ。
いやね、きっと通常の劇場公開をしていたらふらっと見てしまっていたと思う。事前情報仕入れず見るタイプなので。公開延期で配信も加入しないと見られないと言うので時間ができてしまって調べたらさあ、ねえ。心情的にこれはもう見られない。
アニメ版が中国本土であまり評判が良くなかったというのは聞いたことがある。自分探しをするヒロイン、自立したヒロインというのが儒教感覚としてはそぐわないらしい。だからってアニメ版の主題であった自己実現を切り捨てて家のため国のため「孝」「忠」の話にするか? [追記] トラバで教えて貰ったが、アニメ版は中国本土でも人気だったそうだ。確かにレビューサイトの点も高かった。自分は欧米メディアの記事から人気がなかったのだと思いこんでいたが誤りだったようだ。失礼しました。えっ、じゃあディズニーはどこを向いて脚本変更を決定したんだ?
アニメ版のファンなんぞ知らん、商業的には大きなパイである14億人+全世界の中国ルーツの方々がターゲットなんだ! と言い切ってくれるならまだ理解できた。でも中華圏の評判も悪くてさ。聞こえてくるのは「孝」「忠」はこんなんじゃねーよとか伝統的な任侠精神を西洋騎士道のテンプレートに雑にはめ込みやがってとかムーランをフォースっぽい謎の不自然なパワーを持つ西洋的スーパーヒーローにしたなとかドラゴンのキャラの代わりに鳳凰がシンボルになったが鳳凰が象徴するのは古式ゆかしい女性性だぞフェニックスと混ぜてねーかとか『カンフー・パンダ』のほうが中国の伝承や比喩を尊重しているぞとか、そんな感想ばかりである。
中国をターゲットに完全シリアスな『花木蘭』実写化がしたかったらアニメの看板は控えめに、スタッフ陣にもアジア勢を揃えて時代考証風俗考証手厚く入れて中華圏を唸らせてくれよ……。
新疆ウイグル自治区でのロケってのもさ……。「異民族、それもモンゴルあたりで活動した今のトルコにも繋がると言われる実在の民族を排除するために戦う」ストーリー自体センシティブで取扱注意なのに、文化が異なるが故に現在進行形で人権侵害が行われている新疆ウイグル自治区をわざわざロケ地に選ぶとは。映画撮影のためにディズニーは人権侵害に目をつぶり「新疆ウイグル自治区は海外のクルーが来られるような安全で風光明媚なところで海外で言われているようなことなど行われていませんよ」という中国の宣伝に乗ったのだと言われても否定できないだろう。
ディズニーとしては MeToo を受けてストーリーは変更するが民族浄化は容認するみたいな基準なのか?
自分は今まで作品と作者・出演者は別と考えてきていた。役者が不倫していたり薬物をやっていたりしても作品の価値が貶められることはないし配信停止にすべきではない。また、過去の作品で今の基準だとアウトなものがあることも認識している。奴隷制を肯定的に描いている『風と共に去りぬ』、子役を薬漬けにして演技させていた『オズの魔法使い』などなど。それらも配信停止にすべきではないと考える。描写については注意書きを添え、新たに作る時は現代の倫理観をもとにし、新規であえて描写する時は「あえて」である説明を加えれば良いと。
とすると、俳優の発言は個人の思想と割り切れても現在進行形の人権侵害は了承できないな。俳優はアメリカ国籍とは言え中国本土の方だから一族も本土に居るだろうし当局の意に反する発言をしたら命が危ないのだろうけれど、ディズニーはウイグルの件を全く知らなかったとは言えないだろう。
ディズニーがどのような声明を出すのか、出さないのか。注目している。
[追記]
誤字を修正。
また、中国国内の反応を知りたくてデータを確認してみた。ご参考までに。
9/15昼時点の豆瓣(中国の代表的なレビューサイト)のスコア
作品名 | 公開年 | スコア (10点満点) | 最頻値 (最大星5つ) | スコアの母数 |
---|---|---|---|---|
実写版ムーラン | 2020 | 4.9 | 星2つ | 約16万人 |
アニメ版ムーラン | 1998 | 7.8 | 星4つ | 約20万人 |
実写版美女と野獣 | 2017 | 7.2 | 星3つ | 約32万人 |
アニメ版美女と野獣 | 1991 | 8.5 | 星4つ | 約14万人 |
実写版アラジン | 2019 | 7.5 | 星4つ | 約26万人 |
アニメ版アラジン | 1992 | 8.2 | 星4つ | 約6万人 |
ヴィッキー・チャオ主演版ムーラン | 2009 | 6.2 | 星3つ | 約9万人 |
アニメ版ムーランは意外と[追記] トラバで教えて貰ったが「意外と」ではなかった中国でも健闘していたようだ。レビューも楽しく読んだ。翻訳ソフトありがとう。
実写版ムーランは当初スコア4.7だったが、星3をつける人が増えて4.9まであがってきた。とは言え他のディズニー作品と比べると極めて低く、ここから他作品ほどスコアを上げるのは難しそう。
一番下のヴィッキー・チャオ主演版はディズニー関係ない中国発の歴史映画。そう、既にシリアスな実写映画は存在するのだ。
ランキング | 作品名 | 公開日 | 初週興行収入 | 累計興行収入 | 猫眼口コミ (10点満点) |
---|---|---|---|---|---|
1 | 八佰 | 2020/8/21 | 約6.4億元 | 約26.9億元 | 9.2 |
2 | 実写版ムーラン | 2020/9/11 | 約1.6億元 | 約1.8億元 | 7.5 |
3 | TENET テネット | 2020/9/4 | 約2.1億元 | 約3.6億元 | 8.3 |
6 | かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~ | 2020/9/11 | 約0.03億元 | 約0.03億元 | 8.0 |
日中戦争を描いた超大作『八佰』と比較するのは酷として、興行収入面は大コケしなかったといったところだろうか? 有識者の見解を聞きたい。 [追記] トラバより 少なくとも口コミ的には大コケの大コケだと思う
とのこと。『アベンジャーズ:エンドゲーム』が初週約22.3億元、『アナと雪の女王2』が初週約3.8億元ということを考えると厳しい結果になりそうだ。
[再追記]
同じ作品を見ていいな、好きだなと思っていたことが分かって嬉しい。コメントでアニメ版が好きと表明して下さった方々もありがとう。
番組途中に番宣CMがはさまるのだが、なんでギャーギャー叫ぶシーンばっかり継ぎ接ぎしてるの。
別に番宣CMというコンテンツ自体は不快でも何でもなくて、個人的には息抜きになって悪くないなくらいに思っている。
でもその内容が番宣開始初手絶叫みたいなのだとちょっと心臓に悪いというか、正直いって不愉快でしかない。音漏れしないようヘッドホン越しに視聴しているのでなおさら。
CM流す側としてはそれで注意をひこうとしているのかもしれないけど、そしてたしかに注意は向かうけど、それはたとえるなら可愛い犬猫や風光明媚な景色に対して抱く関心ではなく、往来で叫び散らしてる異常者に対して抱く警戒心だ。「観たい」ではなく「避けたい」としか感じない。
「CMの内容を問わずCM認知者全体のn%が番組視聴者になる」みたいに決め打ちをして、そのうえで認知者の総数を増やそうとしているのかもしれないが、仮にそうだとして、その方法が怒声って、、、
有料プランに加入したら広告スキップが可能なのかと思ったが、それは放送済みの番組に対してのみらしく、生放送番組は適用外のようだ。(きちんと調べていないのでこれは誤認かもしれない)
某ネット放送サイトさん、もう少しCMでの声のトーンを落としていただけないでしょうか。まぁここにこんなこと書いても無意味なんだけど。
高校生の時にホームステイしたカナダで街中をただ歩いているだけでオープンカーに乗った同年代の白人のガキに生卵ぶつけられて「ギャハハハハッ」と笑われた。
このブコメでもポツポツ似た経験・伝聞が書かれているように、白人国家にアジア人がいれば特に珍しくもないことなんだろう。
はてなブックマーク - NZ銃乱射事件で差別的発言の豪議員 生卵投げつけられる | NHKニュース
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20190317/k10011851281000.html
俺はその時あのオーストラリアの議員みたいにとっさに反撃することはできなくて、そもそも人から卵を投げつけられた認識も最初は無かった。
だって日本じゃありえないでしょ、ただ歩道を歩いてただけで他人から卵投げつけられるなんて?
肩のあたりに軽い衝撃があってベチャッとした感触がするのは大きな鳥のフンでも落ちてきて、それが面白くて隣に止まった格好良い車に乗った白人の男女のグループに指さされて笑われてるのかと思った。
ポケットティッシュで汚れを拭くと卵のカラが混じっていて、やっと卵をぶつけられたことに気づいた時にはガキどもは飽きたのかオープンカーはいなくなっていた。
いやあ、殴ってやりたかったなあ。あの議員の容赦の無い反撃はあの日俺がやりたかったことをやってくれてて爽快だった。
過剰防衛との声もあるけど、あそこは安全な日本じゃないんだから金正男を殺したような劇薬を塗られた可能性もとっさには否定できないんだから、アメリカでモデルガンを向けてきた子供を警官が射殺する程度に容認すべき正当防衛でしょう。ガキ殴って取り押さえたのは。
俺の話に戻ると、日本と比べて乾燥しているせいかすぐに固まって服にこびりついた卵を少しでも取ろうと摘まんだり引っ掻いたりしつつホストファミリーの家に戻りながら考えていたのは、
「嫌われてるんだな」ってこと。
その街は本当に風光明媚で観光客に人気で昔から移民も多い、伝統的に外国人を歓迎する雰囲気があるということになっていた。だから高校のホームステイ先にも選ばれた。
それでこれだからね。
この件の数日前に、史跡見学を引率してくれた現地在住の日本人のガイドさんが「最近この街は中国人の移民や観光客が増えていてマナーが悪くて嫌われてるんだけど、カナダ人は日本人と中国人の区別がつかない人が多いから、とばっちりで日本人まで嫌がられることがあって困る」と軽い雑談っぽく話していた。
朗らかで優しそうなお姉さんがいきなり『差別的』なことを言い出して、俺はギョッとしたんだけど、卵ぶつけられた後は、ああこういうことね、と納得した。
俺は担任教師に卵をぶつけられた件を報告したし、その年は他にもトラブルに遭った生徒が多かったそうだ。
一番酷くて笑えたのは、ホストファミリーの両親がずっと出かけていて、その家の小さい子供の面倒を見させられたケース。ベビーシッター扱いって……でも、英会話学ぶには理想的な状況かも。
生徒の親もこのホームステイに何十万円か出していたので、さすがに問題になって、この年以来、母校のホームステイ先は俺の時のような「色んな人がいる」大きな都市は避けて、住民の所得水準も教育水準も高い大学街だったり、逆に町ぐるみでホームステイを受け入れる体制を整えている(そして住民のほぼ全員が綺麗な英語を話す白人の)田舎町だったりと「画一的で安全な」地域だけが選ばれるようになった。
これはこれで極端というか、そんな無菌室みたいな環境で白人の最良の面だけを見せられて欧米への夢と憧れを膨らませることが、本当に後輩のためになるのかは疑問。
俺は、自分の人格や進路が固まる前に、白人国家で暮らすと一定確率でああいう目に遭うんだなと知ることができたのは良い経験だったと今は思っているので。
俺はカナダで白人嫌いになったし、人に卵をぶつける行為も大嫌いになったんだ。やられた側だからね。
相手が誰であれ動機がなんであれ、人に卵をぶつける奴は、しかも録画して全世界の晒し者にしてやろうなんて根性の奴は、殴られてざまあみろとしか思わない。
狂気のゲリラ的バブル型住宅高騰が発生している横浜市は、地価の高騰が社会問題になっている川崎市と隣接している。その川崎市に隣接しているのが東京都。再開発&地上げラッシュが起きている地域だ。通常では考えられない問題が、奇しくも同時期に、近所で起きている。
都市部と地方の格差拡大問題はすでに多くの人に取り上げられてきたが、ここにきて、大きな問題として浮上しているのが、都市問題である。見えてくるのは「負のバブル化する東京圏」という問題だ。
東京圏というと、日本の中心とか、観光地のすがすがしさや、文化情緒などをイメージするものだ。そしてそういう豊かさもあれば自然も文化もあるような、勝ち組の豊富さにひかれた人々が集まった結果日本国民の20%が住む人口の規模に発展を成し遂げたのも事実だ。
ところが、そういう魅力のあった時代は、どれも2011年より前に偏っている。東京都内だって、2012年以降はハッキリ言って無機質な再開発が進むだけで、池袋にせよあるいは下町の極北として知られる23区東部にせよ、その時代は昔に偏っている。
東京圏には街ごとの序列意識がある。実際には、地価も安く店舗や交通網の多い郊外や下町地域の方が住むにはいい場所で、むしろ山手線の内側や中央線沿線の西側は治安リスクとインフラ事情の貧弱さによる問題や何より高齢化の問題を抱えているのだが、東京圏はとにかくそのような事情を無視するのである。
私は2011年以降を「東京圏の黒い時代」と名付けている。都市圏との境目までは延々と個性ある光景が広がる。境界線から都市側に行くと、ある段階で急にその流れが終わる。神奈川県を抜けたら、山手線周辺に入ったら、埼玉県や千葉県を抜けたら、急に、歴史ある土地柄とは思えないファスト的風景や無機質な風景になるのである。
地域性がハッキリしているのが日本の都市とは言われている。阿佐ヶ谷や亀戸のように、駅名だけでイメージがつく。八王子なら高尾山の風光明媚さ、立川なら公園みたいに。しかし、東日本大震災以降の、「東京圏の黒い時代」は、はっきり言って、似たり寄ったりのものが増え続けているのである。
私は東海道線で横浜から東京に行くたびに、電車を降りて駅を出て歩いたときに見かけるあの「同じ都市風景」に、思うことがあった。赤羽でも、秋葉原でも、新小岩でも、渋谷でも、練馬でも、そして東京都の外の川崎や横浜でさえも、既視感のある風景。特別な理由があるわけでもないのに妙に没個性化していて膨大な人や金が凝縮される感じ。
「たまたま職場に近かったから」「たまたま学校に出やすいから」「たまたま住みやすい家があるから」「たまたま生活に便利だから」という、都会人の生活に至る中継点としての、半端な利便性、関係性を抜きにすればあまり成立しないところに、いびつな成長を遂げた姿があるのである。
こういう場所で、このような社会問題が連鎖して起きているということが、私にはとても気がかりなのである。昭和の裏社会もののようなイメージもあるバブル期ではなく、アベノミクス時代の方が実は事態が深刻で、市民が悲鳴を上げていて、頻繁にクローズアップされる現実は、日本人として見過ごせない。
大阪などよりは景気がよく、おまけに賃金水準が日本でもトップクラスで、多様性もある。その代割り、それ以上の価値はあまりないという場所に生きる日本人たちは、いったいどのような意識を形成するのだろうか。私とその家族も、あなたたちも、ほぼ同じ環境にいるはずだ。
しかし、2010年代くらいになると、地方にしかなかったファスト風土的光景が一気に都市部に広がり、凝ったチェーン店や文化はより高次のニーズを満たす街中のそれらに客を奪われる形で潰れ、貧困の高齢化、多文化共生などのあおりを受け、都市部の繁栄の広がりは陰りをみせてきた。
オタクだったら池袋と秋葉原の関係。池袋の方が本来は規模が小さいが、力をつけている池袋側のオタク文化に歴史や多様性以外なにもない秋葉原は負けてしまう。オタク系企業も西に移っている。そして西側の方が多様化が進んでいて成長が著しい。結果秋葉原文化は6年ちょっとでどうなったか。もう、電気街さえ。
じゃあ池袋がいいかというと、多摩地域と同じで一定のインフラ群はあっても、妙にひっそりしていて、千葉の都市部をもっとオーラを悪くした感じなのである。昭和時代に無機質に造成された建物がくすんでいる。人口も減りかけているだろう。
限られた都会の極地以外は、過去のように「勝手に集まって勝手に増えて勝手にぎわう」流れは通用しないでいる。とにかく輝きといえるような流れも何一つない。
しかし、大阪と違うのは外からの「東京圏は人口が最も多く、資源に富んでいて、日本の中では一番豊かで洗練されていて上等な部類に位置している」というイメージはあるということで、やはりギャップに葛藤するのである。不都合な現実、分断、ゆるやかな荒廃。こういうのを一番痛感するのが私たちだ。
でもこの「東京圏の黒い時代」にこそ、社会の急激な流れを感じる人が多い。現在では過酷なセクハラが常態化し「セクハラされた男社会4ね」という女性の叫びがネット上に飛び交う。
この「東京圏の負のバブル化」を本気で考えなければいけないのが、今の東京圏の現状だと思う。これらの場所がオーラを改善させ、2000年代までのような自・他ともに認める固有の性質を各地が確立でき、いびつな偏りのない競争が起きるくらいまで調整する役割を、私たちは放棄してはいけない。
3月に買って以降、子供が寝た後とかに合間をみてちまちま進めてたけど、昨日ついにガノンを倒す所までいった。(ウツシエとかはいっぱい残ってる)
自分的にはそもそもひとつのゲームを4ヶ月も続けられた事自体が驚きだったんだけど、突き詰めれば結局は「風光明媚なハイラルを歩いてまわるのがとにかく楽しかった」てことに尽きると思う。
嬉しいのは、そうやってふらふらしてたら戦わなくてもそこそこ強くなれたこと。
メインストーリーでもちょっと詰まったり死んだりするとだいたい一旦逃避して、まだ行ってない土地とかをふらふら徘徊してたんだけど、そうしてたらなんやかやで克服の証とか素材とかが貯まって勝手にリンクが強くなってくれた。
いまだにライネルとかは怖くてよー戦わんしガーディアンもできる限り避けて通る派だけど、とにかくおかげでラストまでは行けた。
もうすぐスプラトゥーン2の発売日だけど、対戦メインのあのゲームで自分のようなヘタレが速攻振り落とされないかだけが少し気になっている。
ゼルダだってクリアするのに4ヶ月かかったってのに、既に前作からやり込んでるような猛者達に囲まれてまともにやれるんだろうか。
3ねん2くみ ますだ
先日、ホッテントリに上がっていたid:xevra氏(以下「あれ」)についてのブログを読んでふと思い出したことがあったので書いてみようと思う。
残念ながらそのブログ主と違って、私増田は「あれ」を褒める気はさらさらないのだが。
さて、熱心な「あれ」のウォッチャー諸氏であれば、「あれ」が震災後に地熱発電を激推ししていたことをご存じの方も多いと思う。
あの激推し具合はほとんど「地熱発電所を増やせば原発は不要」と言わんばかりであった。
(実際そう言っていたかもしれないが、正直「あれ」のために「あれ」の過去の発言を辿るのはかなり苦痛だ。言うまでもないが「あれ」の発言は読むとストレスが溜まるかSAN値が下がる)
で、当然のように他の人から「地熱発電について語ってよ」ということになり、「あれ」ははてダで地熱発電についてのエントリを上げることとなった。
まあ、ちょっと期待してたわけよ。自分は地熱は「増やせるものなら増やすべきだけどちょっとキツいよね」って考えだったから。
例えば、候補地の周辺住民との交渉どうすんの、とか、
候補地って割と風光明媚な国立公園だったりするけどどうすんの、とか
そもそも今見えてるキャパじゃ電力需要に全然足らなくて(1割いってたっけ?)、どうすんの、
1割カバーできれば御の字、とするの?、とか
地熱発電でカバーできない電力需要なんて間違ってるからそこまで減らせって言うの?(それはそれで超愚策)、とか、
そういうのになにかアイディア持ってるのかなー、と。もしかしたら自分の知らない事実もご存じなのかもしれないし。
で、そのエントリは。
ただのリンク集でした。
(すげーヒマな人だけ探してみてください)
みなさま、もし、あなたの部下や後輩に「~~について調べて報告して」って言って、ウェブページのタイトルとURLの羅列だけ提出されたらどうします?
シメるシメないはさておき、少なくともその題材について理解している、とはしませんよね?
少なくとも、要約なりまとめなり、自分の言葉で書いた部分がないと、本当に理解したのか、
たとえば、立場の一致していない複数のソースから、どういう考えでどれを採用したのか、
ソース間で矛盾している箇所をどう折り合いをつけたのか、わかりませんから。
っつーか、普通は、少なくとも関心がある事柄について聞かれたなら、自分の考えがまず先に出てきて、その後裏付けになるソース探すことにならない?
本当に、そのことについて関心を持っていて、いろいろ調べたことがあるのなら。
ということで、自分は「あれ」にがっかりしました。そして理解しました。
「あれ」は、どっかで誰かが「地熱発電がいいよ」と言ってるのをつまみぐいして、
自分が「地熱発電も知らないお前らは下等だ!」と優越感にひたりたいだけだったのだと。
…そんなこと、みんな知ってたんだろうけどね。
先日ノーベル賞を受賞された中村修二氏は現在、カリフォルニア大学サンタバーバラ校で教授をされている。カリフォルニア大学の教員はカリフォルニア州の職員ということになっているので、得ている給料は外部にすべてオープンにされており、以下のサイトで閲覧が可能で、2013年には358kドルだったようだ。この待遇はうらやましい。
米国のアカデミアではfull professor として20万ドルをもらうことは珍しくはないが、彼のサラリーは60歳のアメリカの教授としては平均よりも上にあると思う。日本では教授職についても半分以下しかもらえない。米国には定年もないし、何しろサンタバーバラはカリフォルニア南部にあって温暖で風光明媚で一時間もドライブすればロサンゼルスで日本の食品も手に入る。彼には才能があり世界が認める実績があるのだから、思う存分研究に打ち込んでいただいたらいいと思うのです。日本国籍なんてなくていいじゃん。
で、米国の市民権はグリーンカード取得後5年で取得可能となる。日本の法律では外国に帰化した時点で日本国籍の喪失届を行わなくてはならない。たまに喪失届を出さなくて「俺は二重国籍を保っている」とか、「正直に喪失届を提出する情弱乙」などというバカがいるが、日本のパスポートの更新の際に、外国籍を持っているかどうか尋ねる欄にウソを書かなくてはならないので、その時点で法律を犯すことになる。グリーンカードの維持は結構大変だ。再入国許可証を発行してもらわないと、半年以上を連続して米国を留守に出来ないし、再入国許可証の申請回数も無限ではない。経済的な基盤が米国にある際に、こうした事が面倒になって米国市民権を取る人も多い。
日本は海外での出生などの特殊な事情を除き、基本的に二重国籍を認めておらず、彼が米国国籍を持つことは皆の知るところとなっているのだから、その時点でルールとしては彼は日本国籍は喪失している。でもそれがどうしたんだと思う。軍からの研究費を獲得するというもっともな理由があるのだし、晩年に日本に帰って日本国籍の再取得だって出来る。国を捨てたと言えばセンセーショナルに聞こえるが、住民票を移したという感覚に近い可能性もある。
http://samuraibp.com/column/first-india-trip
この記事を見て、去年の2月に3週間ほどインド南部のケーララ州+インド最南端のカニャクマリを回ったことを思いだしました。そのことをかきます。
たぶんリンク先の記事は、インド北部のメジャーどころを念頭に置いて書かれてるんだろうと思います。自分は10年前にデリーやバラナシを巡りましたが、その時は確かにこんな感じでした(IT化は全然してなかったけど)。でも、同じインドでも場所によって結構空気が違うんですよねえ。リンク先の記事はコンパクトなのにツボをおさえていて良い記事だと思いますが、地方を巡った経験からの、ちょっと異なるアドバイスを敢えて書かせていただきますよ。どっかしら観光地として日本ではマイナー感漂うケーララを推すべく。
何故かケーララ州ではぼったくりが(あまり)ありませんでした。全般的に、デリーやバラナシの人たちと比べてギラギラしたがめつさが希薄。しかも、どうやらリキシャ運転手同士で客引きルールが設定されているらしく、長距離バススタンドや駅といった場所では日本のようにリキシャが客の順番待ちをしていました。僕が間違って列の後ろの方の運転手に話しかけると「俺の順番じゃないから先頭に行ってくれ」と言われました。信じられますか。インドでですよ。3週間滞在しましたが、金のことでもめたことはほぼありませんでした。
(ここからは推測。ケーララはインドで唯一共産党が政権とってる州でして、そのせいか妙に皆の団結力が強いそうです。リキシャの運転手たちも、全員で示し合わせてストをしたりしてるそうで。上記の話もその土地柄の一環なのかもしれません。彼らに直接聞いたわけではないですが)
(あと、田舎に行けば行くほど、観光客向けの商売人からギラギラさが薄れる気がしますね)
でもこの町では、バスは結構難易度が高かったです。なんせ、バスの路線番号表示がアラビア数字じゃなくて現地語なんですよ。読めねえ。安いし、車窓が高いので町の見物にもってこいなんですけど、目当ての路線を探すのに手間取る可能性があります。あと当然車内アナウンスはないので、おりたい場所に近づいたら結構必死で町並みを観察していないといけません。もし自信が無ければ隣に座ってるおいちゃんに教えてもらうか、諦めてリキシャるかするといいと思います。
ケーララは長距離バス網が異様に発展しているので使いませんでした。
ちなみに鉄道はほぼ予約必須なんですが、最近はネット経由で予約ができるそうです。わざわざ駅に行って朝から窓口に並ぶ必要がない。すばらしい。はずなんですが、なぜか自分のクレカ(viewスイカ)は使えませんでした…。使えるカードと使えないカードがあるみたいなので、渡航前に実際に予約サイトに行って、使えるかどうか実験しておくといいとおもいます。予約の件は日本人から教えてもらったので、日本のクレカが全部ダメってわけでもないんでしょうけど。
公営バスがちょう整備されてます。ケーララを旅するためのメイン交通機関です。まちがいない。
うっかりデメリットの説明の方に力が入ってしまいましたが、便利だったのは間違いないです。ケーララは鉄道の本数が少ない土地なので、うまくバスを使いこなしていただきたいところです。
余談ですが、公営バスは全部、黄色と赤の共産党カラーで統一されてます。窓から見える風景には、鎚と鎌のあのマークがよく落書きされてるので、共産趣味の人は楽しめるはずです。
前述の僕のクレカは、こちらのオンライン予約ではなぜか通りました。べんり。
SIMロック外したあいぽんと現地で買ったSIMカードとの組み合わせ最強です。foursquareで普通にチェックインできます。でも、何故か、SIMカードを売ってくれる店と売ってくれない店がありましたね。コーチンなどの都会では、店はたくさんあるけど何故か売ってもらえず、地方都市のクミリーでようやく買えました。
噂によると、外国人がSIMカードを買うためには、パスポートと、住所の確認が本当は必要で、住所がないバックパッカーは売ってもらいにくい、とのことです。とはいえ僕の英語力に問題があった可能性も大なので、本当かどうかはわかりませんが……。もし携帯を現地調達するなら、パスポートの写しと滞在ホテルの住所を持って行った方が吉かも。
ちなみに日本のSIMカードで海外ローミングを使っても通信はできます。当然一日1000円以上の高価な通信料がかかりますが、極めてお手軽なので、なんかあったら使えます。
あ、それと、あいぽんはコンセント形状さえなんとかすれば変圧器なしで充電できます。
子供の物売りやコジキは、引き際を知らないので大人より扱いに疲れます。
ケーララは日本人ぜんぜんおらんかったですよ。多分地球の歩き方で割かれてるページ数が少ないからだと思います。クミリーの動物保護区でトレッキングに参加したら「おれのツアーに参加した日本人はお前が始めてだ」と言われました。そのあとサファリツアーに参加したんですが、欧米人リア充カップルの群れに混じって、ぼっちでジープに乗るのは辛いものがありました。ケーララは風光明媚だし商売人がギラギラしてなくてゆっくり過ごせるので、もっと日本でもメジャーになってもらいたいものですよ。
http://news.nicovideo.jp/watch/nw91735
群馬県知事、ネットの「未開の地・グンマー」ネタに「これから発展できる県」
群馬県の大澤正明知事は2011年7月21日、自民党のインターネット番組「カフェスタトーク」で、一部のインターネットユーザーから群馬県が「未開の地」や「グンマー」(=日本国外のように扱う呼び方)などのネタとして扱われていることについて、「自然が体験できるのはいいことだと思う。『未開の地』ならこれから発展できる県だ」と語った。
大澤知事が出演した同番組では、平井卓也衆院議員が視聴者からの質問として、
「未開の地『グンマー』。最近ネット世界では、アフリカ諸国の映像を群馬県としてパロディ(にすること)が流行っている。このことについて知事、一言お願いします」
と読み上げた。これに対して、大澤知事は、
「群馬県は3分の2が森林。非常に風光明媚な土地。取り方によってはそう(=アフリカ諸国のよう)。しかし、魅力ある県だとも言える」
と答えた。その上で、
「(群馬県は)東京からわずか100km。新幹線でも車でも1時間で来られる。それで自然が体験できるのはいいことだと思う。『未開の地』ならこれから発展できる県だ」
と語り、インターネットで「未開の地」と呼ばれていることを肯定的にとらえている様子だった。
「(東京から)1時間でアフリカ気分が味わえるなら、すごくいいと思う」
(丹羽一臣)
これを読めば、
ジョークに反論してさらなる揶揄を招くことも番組を壊すこともなく
「未開」にもうまく切り返す、かなり上手な対応だと思うんだが
産経新聞にかかるとこう
http://sankei.jp.msn.com/region/news/110726/gnm11072602320003-n1.htm
2011.7.26 02:32
大沢正明知事が今月下旬に出演した自民党のネット番組で、群馬県がネット上で「未開の地」と揶揄(やゆ)されていることについて、「良い言葉だと思う、『未開の地』」と肯定していたことが25日、分かった。
◇
大沢知事は知事公舎で知人女性と宿泊し批判を受けたばかりだが、自らが県政を担う群馬県を「未開の地」と表現したことで、実際に住んでいる県民の反発が強まりそうだ。
大沢知事は視聴者から、アフリカ諸国の映像が群馬県として紹介され同県が「未開の地」と指摘されると、「県は風光明媚(めいび)な土地なので、取り方によってはそうだ」と述べ、納得。
さらに、同席していた県選出の小渕優子衆院議員が「群馬でアフリカ気分が味わえるのなら、すごくいいのではないか」と調子を合わせると、大沢知事は「未開の地(である群馬は)、これから発展できる県だ」と本音を漏らし、県が発展途上であるとの認識も示した。
大沢知事は13日の記者会見で女性問題について、「誤解や憶測を生む行動で迷惑をかけ、誠に申し訳ない」と述べ、県民に謝罪したばかりだった。番組は22日に収録された自民党主催の番組「カフェスタトーク」。司会の平井卓也衆院議員が番組に寄せられた質問を大沢知事に尋ねていた。
なんでも叩きゃいいってもんじゃねえだろwww
東浩紀がTwitterでつぶやく「公共的論理」とはなんなのだろう。
以下思考実験
この事例において、公共的論理、とはいかなものを指すのだろうか。
想定される論理
さて、上に挙げたものは「公共的論理」と呼べるだろうか?
上に挙げたものでないならば、今回の事例でどのような論理が「公共的」なものとされるべきか。
彼氏が出来て二ヶ月。
写真が欲しいのだけれど、20代後半にもなってプリクラはちょっと恥ずかしい。
でも彼の写真が欲しい。
どうやって切り出そう。
こういうのって贅沢な悩みだなあと思う。ただの惚気だねー。
追記
浜松に転勤してはや1年。
まだまだ書けば書ききれないホドのビックリ運転が。
しかも、これが「たまーに見かける危険運転」ならまだしも、出かければ毎回見るという素晴らしい惨状。
こんな運転でよく事故にならないな。と思っていたら「政令指定都市事故率ワースト1」を連続で獲得しているんですね。
しかも静岡市とともに1、2フィニッシュをしたこともあるとか。
都内での運転するのは確かに怖いですが、浜松で運転することはそれを凌駕します。
(むしろ都内とかは、運転マナーが良い気がする)
北京オリンピックが開催されたことで、中国にも「順番に並ぶ」文化がようやく浸透し始めた
なんてのがニュースになっていましたが、それ以下の民度を誇る県が存在します。
ま、政令指定都市とはいえども田舎過ぎるのが問題なのでしょう。